和文 52‐3/山下 p199‐203 - med.nagoya-cu.ac.jp · 201...
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は じ め に乳癌は,現在,日本人女性の部位別がん年齢
調整罹患率の第一位となっており,罹患率は,この20年間でいずれの年齢においても約2倍に増加している.好発年齢は40~64歳にあり,現在,日本人女性の20~23人に1人が乳癌に罹患し,年間約4万人が発症し約1万人が死亡している.乳癌には,乳癌細胞がエストロゲンレセプター(ER;estrogen receptor)を発現してエストロゲン依存性に発生・進展するER陽性乳癌と,乳癌細胞がERを発現していなくてエストロゲン非依存性に発生・進展するER陰性乳癌が存在し,両者は発生する細胞や臨床像が異なり,生物学的に異なる病気であると考えられている.エストロゲンレセプター(ER)陽性乳癌は,現在,正常乳腺の分化の最終段階である,分化した乳管上皮細胞から発生すると考えられている1).名古屋市立大学旧第二外科乳腺内分泌グルー
プは,30年以上前より乳癌のエストロゲンレセプター(ER)と内分泌療法(ホルモン療法)をテーマに研究を行ってきた.最近は,1.エストロゲン依存性乳癌の発症メカニズムの解析として,日本人女性のER陽性乳癌の増加と易
罹患性に関与する因子の同定に関する研究と,2.ER陽性乳癌の生物学的特性と適切な治療法に関する研究として,マイクロRNA(mi-croRNA)の ERの発現調節,および生物学的特性への関与についての研究を行っている.本稿では,この2つの最近の研究について紹介する.なお,本稿で用いているエストロゲンレセプター(ER;estrogen receptor)はすべて,エストロゲンレセプターアルファ(ERα;estro-gen receptor α)である.
1.日本人女性のエストロゲンレセプター(ER)陽性乳癌
我々は1982年より2010年までに当科で診療した日本人女性の乳癌1903例の乳癌組織におけるERの発現を免疫組織化学法により検討し,最近,特に50才以下(ほとんど閉経前と考えられる)の日本人女性においてER陽性乳癌が急激に増加していることを見出した2).50才以下の日本人女性のER陽性乳癌の割合は1980年代は53%であったが,1990年代は73%,2000年代には87%と劇的に増加している(P<0.0001).また,50才以上のER陽性乳癌の割合も1980年代は70%であったが,2000年代には79%と増加
第62回 名古屋市立大学医学会総会特 別 講 演 Ⅱ
エストロゲンレセプター陽性乳癌の生物学的特性に関する研究―臨床から基礎へ,基礎から臨床へ―
山 下 啓 子名古屋市立大学大学院医学研究科 腫瘍・免疫外科学
Analysis on biological characteristics of estrogen receptor-positive breast cancer―from bedside to bench, from bench to bedside―
HIROKO YAMASHITAOncology, Immunology and Surgery,
Nagoya City University Graduate School of Medical Sciences
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Nagoya Med. J.(2012)52,199―203
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している(P=0.029).ER陽性乳癌の発症には以前より生殖系の要因(初潮年齢,出産数,初産年齢,閉経年齢など)の関与が指摘されているが,日本人女性の最近の良好な栄養状態と出生率低下がER陽性乳癌の増加の原因のひとつとなっていると考えられる.一方,欧米人女性は8人に1人が乳癌に罹患
しており,20~23人に1人が罹患する日本人女性とは明らかに発生頻度が異なる.このような人種差は乳癌の易罹患性に関与する遺伝子多型の頻度に起因すると考えられる.乳癌の易罹患性を規定する genetic な因子については欧米の国々で行われた幾つかの genome-wide associa-tion study により,ER陽性乳癌の易罹患性に関わる幾つかの遺伝子多型が同定されている3).我々は当科で手術した乳癌患者の血液を用いて,ERα,エストロゲンの合成・代謝酵素,p53の遺伝子の遺伝子多型(SNP;single nucleo-tide polymorphism)を解析し,50才以下のER陽性乳癌患者でER陰性乳癌患者に比べて有意に高頻度を示す遺伝子多型を見出した4).さらに我々は,日本人女性におけるER陽性乳癌の危険因子を同定したいと考え,ER陽性乳癌患者と健常人女性を対象として,環境因子,生活習慣,遺伝子多型,血清ホルモンレベル,マンモグラフィ濃度を解析し,閉経前/閉経後女性において罹患リスクモデルを構築し,易罹患性に関与する因子を同定しようと試みた5).罹患リスクモデルに取り入れられた因子が危険因子である可能性があり,今後別の症例群を用いてバリデーションを行っていきたいと考えている.また罹患リスクモデルに取り入れられた因子は閉経前/後で異なっており,我々は現在,ER陽性乳癌の発症メカニズムは閉経前/後で異なると考えている.乳癌の発症年齢については欧米において以前から閉経年齢付近で二峰性を示すことが報告されている.Anderson らは,early-onset breast cancer,late-onset breastcancer という概念を提唱しており,閉経前と閉経後の乳癌では発生・進展のメカニズムや生物学的特性が異なる可能性を指摘している6).なお,このような研究は疾患の宿主の要因を研
究するものであるが,癌細胞の特性に関する研究とともに,その疾患を理解するうえで重要であると考えている.
2.乳癌組織におけるエストロゲンレセプター(ER)の発現と内分泌療法(ホルモン療法)
免疫組織化学法によるERの発現を正常乳腺および前癌病変で検討したAllred らの報告によると,閉経前の正常乳管上皮細胞は約30%がER陽性細胞である7).一方,atypical ductal hy-perplasia,atypical lobular hyperplasia と い った前癌病変ではほぼすべての上皮細胞がER強陽性となっている.これに対して,low gradeの非浸潤性乳管癌(DCIS;ductal carcinoma insitu)ではほぼすべての癌細胞がER強陽性を示すが,high grade の DCIS ではほぼすべての癌細胞がER陰性である.乳癌組織におけるERの発現は現在,免疫組織化学法により評価するが,ERの発現量(陽性細胞率)は症例により様々な分布を示し,0%から100%まで連続的に存在する(図1).2010年,米国臨床腫瘍学会と病理(ASCO/CAP)から乳癌組織においてホルモンレセプター(ER/プロゲステロンレセプター(PgR))陽性と判定するカットオフを1%とすることが提唱された8).癌細胞の核に少なくとも1%の
図1 免疫組織化学法による乳癌組織におけるエストロゲンレセプターの発現.ほぼすべての癌細胞が染色陽性である.
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染色陽性細胞がある場合,ER/PgR 陽性と判定することを推奨している.乳癌のエストロゲン依存性は乳癌細胞でホルモンレセプターが発現していることを前提とする.このような乳癌ではエストロゲンがERに結合することによりエストロゲン依存性増殖が促進される.したがって内分泌療法(ホルモン療法)はホルモンレセプター陽性症例に対して,①卵巣や末梢組織でのエストロゲンの産生を抑制する,または②乳癌細胞へのエストロゲンの作用を阻害するものであり,ERを標的とする分子標的治療である.ER陽性乳癌というとERの発現量(陽性細
胞率)は1%から100%まで存在するが,乳癌組織のERの発現量と予後について,Allred らは術後内分泌療法を行った症例の予後を解析し,ERの発現量が高いほど予後良好であることを報告した9).最近の閉経後乳癌の術後内分泌療法(アロマターゼ阻害剤とタモキシフェンの比較)の臨床試験の報告においても,アロマターゼ阻害剤,タモキシフェンともにER/PgRの発現量が高いほど予後良好であることが示されている10).我々は内分泌療法を施行した再発乳癌におけ
る乳癌組織のERの発現量と内分泌療法の効果および予後について検討し,ERの発現量は内分泌療法有効例で有意に高く,ERの陽性細胞率1%以上の症例が有意に再発後の予後が良好であることを報告した11).PgRの発現量と内分泌療法の効果および予後についても同様に,PgRの発現量は内分泌療法有効例で有意に高く,陽性細胞率1%以上の症例で有意に再発後の予後が良好であった.この我々の論文は,ホルモンレセプター(ER/PgR)陽性と判定するカットオフを1%と定義した根拠のひとつとして,先に示したASCO/CAPのホルモンレセプターのガイドライン8)の,わずか34個の引用文献のひとつに採用された.さらに我々は,手術を行っていない進行乳癌
において乳癌組織のERの発現量とアロマターゼ阻害剤による一次内分泌療法の奏功期間を検討し,ERの陽性細胞率2/3以上の症例は2/
3以下の症例に比べて一次内分泌療法の奏功期間,化学療法に至るまでの期間ともに有意に長いことを報告した(図2)12).このように,乳癌組織のERの発現量は内分泌療法の奏効性および予後に関与することが明らかとなっている.
3.乳癌組織のエストロゲンレセプター(ER)の発現調節
乳癌組織のERの発現調節に関してはER遺伝子のメチル化13)や ER遺伝子の変異14)などの報告があるが,臨床的に重要であるものは未だ見出されていない.2007年,マイクロRNA(mi-croRNA)によるERの発現調節に関する基礎研究が報告された15).microRNAは20―25塩基からなる内因性の一
本鎖RNAで,標的mRNAの3’末端非翻訳領域に結合してmRNAを分解あるいは蛋白への翻訳を抑制することにより,標的遺伝子の発現を抑制する16).Adams らは乳癌細胞を用いてmicroRNAの ひ と つmiR-206が ERのmRNA3’末端非翻訳領域に結合し,ERのmRNAと蛋白発現を抑制することを報告した15).我々は乳癌組織におけるmiR-206の発現を定量的RT―PCR法により検討し,ERのmRNA,蛋白発現量が高いほどmiR-206の発現が低いことを見出した17).この結果はmiR-206が乳癌組織におけるERの発現を抑制していることを示唆している.miR-206を ER陽性乳癌細胞MCF-7に導入すると,ERのmRNA発現は抑制され,さらに細胞増殖が抑制された.最近,miR-206以外にも幾つかのmicroRNAが乳癌細胞におい
図2 乳癌組織におけるエストロゲンレセプターの発現量とA.一次内分泌療法の奏功期間,B.化学療法に至るまでの期間
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て ERのmRNAに直接結合することにより,ERの発現量を調節している可能性が報告されている(図3)18,19).我々は,ERのmRNAに結合すると報告されている7つのmicroRNAの乳癌組織における発現を検討し,ERの蛋白発現や予後との相関を検討した20).今回検討したmicroRNAのうちmicroRNA miR-18aは ER陰性乳癌で高発現していた(図4A).一方,miR-193bの発現は,ERの発現量が高いほど,発現量が高いという逆の結果となった.さらに,miR-18b低発現症例はmiR-18b高発現症例に比べて有意に予後(生存率)が良好であった(図4B).我々は最近,ER陽性乳癌の生物学的特性に関与すると考えられるmicroRNAとその標的遺伝子を同定し,これらが治療標的あるいは薬物療法の感受性のバイオマーカーとして有用であると推測している.
お わ り にER陽性乳癌の予後はこの30年間で明らかに
改善した2).これは再発予防(微小転移の根絶)目的として行う内分泌療法を中心とした薬物療法の進歩によるものである.しかしながら特に
腋窩リンパ節転移陽性症例や原発巣の浸潤径が大きい症例は,術後5年以降においても再発をきたす場合がある.このような症例の予後をいかに改善するかが課題のひとつとなっており,現在行っている内分泌療法や化学療法とは作用機序の異なる新たな薬物療法の開発が必要であると考えられている.その候補として,現在,ビスフォスフォネートやRANKL阻害剤が注目されている.
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図3 エストロゲンレセプターmRNAの3’末端非翻訳領域に存在するmicroRNAとその結合部位.
図4 乳癌組織におけるmicroRNAの発現の臨床的意義.A.miR-18aの発現とエストロゲンレセプターの発現量との相関.B.miR-18bの発現と生存率.
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