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44
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  • わが國往生傳史上より見た

    「今昔物語集」

    作者の性向

     -.

    C 

    今昔物語集卷第十五は五十四篇

    の往生説話を收載せるものとして注意せられるが、この卷第十五が、卷第十

    一か

    ら初まり、卷第二十に絡る

    「本朝部付佛法」中で、如何なる地位を占めるかについて考察することにする。

    「本朝部付佛法」の概略は、卷第十

    一に佛法傳來史話として、わが國に佛教が受容せられた最初

    の理解者であり、

    爲政者として興隆に貢獻のあつた、聖徳太子

    のことに筆を起し、法相

    。三論

    .律

    ・眞言

    ・天台等

    の顯密

    の諸教の傳來

    について物語るとともに、行基

    ・役優婆塞

    ・婆羅門僣正等

    の事項が含められ、恐らく李安時代に勢力を維持してい

    た諸宗

    の傳來と、この書の成立時代、多くの信仰を吸收していたと考えられる、高僭について收録

    せられ、上代の佛

    が多彩に飾られている。次

    いて第十三~卅八は天皇

    ・皇后

    .貴族

    。高僭

    ・武人

    ・修行僭の寺院造立に關する縁起

    物語であ

    つて、必ずしも建立年次、又は創建者の身分階級によつて、順序を追うたものでなく、雜纂的に編集し、

    佛像又はその素材に纒る靈驗譚が加味せられていて、本詭話集の各々が、唱導中

    の例話としての利

    用効果をねらつ

    たも

    のであるとの、本書全體の成立の性格の

    一端を知ることが出來る。

    わが國往生傳史上より見た今昔物語集作者の性向

  • 卷第+二は造塔奇談、法會の起源読話、本尊の靈威と法華經

    の靈驗譚であつて、この法華經の靈驗譚は卷第+三

    の全卷と、更に第十四卷

    の第二十九話に及ぶ、實に總數九十の読話が擧げられていて、これのみを以

    つてしても、本書

    の成立が如何なる佛教文化圈、如何なる時代において、作業が進あられたかが知られる。卷第十四

    の殘餘は大般若經、

    心經、金剛般若經、仁王經、方廣經、涅槃經、陀羅尼等の法力によ

    つて、諸難を冤れたこと等である。卷第十五全

    卷五十四の説話は、全篇往生譚

    であつて、見方によれば往生傳

    の性格を持

    つものと見ることが出來る。卷第十六は

    觀音の靈驗譚で盛られ、卷第十七は地藏

    ・虚空藏

    ・彌勒

    ・文殊

    .普賢

    .毘沙門天

    .吉禪天女

    .妙見

    .執金剛神

    .仁

    王等の菩薩

    ・天部等の靈驗譚であるが、本卷五十の説話中、初めの卅二話は地藏

    の靈驗を物語るも

    のである。卷第十

    九は出家の機縁譚

    (一~一八)と、他は善惡應報

    の因縁譚、卷第二十は天狗に關する十二の説話と蘇

    生譚、利慾慳貪に

    よる惡因惡果の當來の應報や、現報の物語、最後は世善によつて善報を得たことについての、佛敏的理解

    の物語等

    であ(犯

    以上の如き比重を以て、全體

    のスペースが占められながら、しかもバランスを保つて、何等の不安をも感ぜしめな

    いことは、説法唱導の例話として引證せられる、必要量に比例するもので、本書製作

    の行動的意志

    が奈邊に存したか

    が知られるがためである。これを裏返して言えば、法華經の靈驗譚、極樂往生、觀音

    の靈驗に次

    いで、地藏の信仰

    が多く勸められた、當時

    の信仰状況をも知ることが出來る。往生傳として今昔物語を見るとき、そ

    の本命とするとこ

    ろは、卷第十五にあることは言うまでもないが、この卷第十五を中心として、前後の各卷に見られる往生説話を摘

    出して

    一篇を編すれば、わが國往生思想史が構成せられることに注目せられるのである。

  •  二く

    今昔物語集卷第十五の五十四の往生者の説話の素材は、日本往生極樂記に據る者は、元興寺智光頼光、元興寺隆海、

    東大寺明砧、藥師寺濟源、定心院成意、叡山頸下有痩僭、梵釋寺条算、横川尋靜、定心院春素、比叡山明清、石山

    眞頼、千觀内供、法廣寺夲珍、如意寺増砧、小松寺玄海、如法寺藥連、大日寺廣道、攝津國樹上人、賀古驛教信、

    比叡山眞覺、河内國尋砧、源憩、高階良臣、小松天皇御孫尼、池上寛忠僣都妹尼、伊勢國飯高郡尼、近江守彦眞、

    藤原佐世妻、女藤原氏、伊勢國飯高郡老嬢、加賀國女、近江國坂田郡女の三十二條であり、續本朝往生傳によるも

    のは、鎭西の千日講聖人である。就中、往生極樂記と法華驗記の兩者に、読話の構成素材を求めたものは、藤原義孝、

    越智盆躬の二條であり、法華驗記によるものは比叡山西塔仁慶、同横川境妙、始丹後國迎講聖人、鎭西餌取法師、

    加賀國尋寂、美濃國藥延、高階成順、尼釋妙、源雅通、藤原仲遠、長門國阿武大夫

    の十

    一條であるが、

    越中

    藤原仲遠は

    「年來法花經ヲ持テルニ依テ、必ス兜率天上二生レヌゾ」ど

    「語リ傳ヘタル」ものであり、阿武大夫は

    「我レ法

    花經ヲ讀誦セシカニ依テ、今兜率天上

    二生レヌト」自ら語

    つているので極樂往生者に數え上げることは出來ない。他

    の九

    條中、拾遺往生傳中に仁慶、境妙、尋寂、藥延、尼釋妙、源雅通の傳は載せられるので、往生傳作者

    の共通意識を

    離れ、今昔物語集の作者が、自「ロの獨自

    の見解に基

    いて、法華驗記に素材を探索したのは、三條に限

    られることにな

    る。往生説話

    の素材が、往生傳や法華驗記によらずして、當時廣く世に流布した傳承を採收したと考えられるものは、

    醍醐寺觀幸入寺、比叡山僭長増、始雲林院菩提講聖人、始丹後國迎講聖人、北山餌取法師、源信僣都母尼、鎭西筑

    (M)

    前國流浪尼、造惡業人、仁和寺觀峰威儀師從童の九條である。

    わが國往生傳史上より見た今昔物語集作者の性向

  • 卷第十五の五十四の詭話の配列編集法は、既に多くの素材を求めた日本往生極樂記や、法華驗記

    の指針に、意識

    に準據す

    べきことは當然であ

    つて、概括的には比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の四衆の次第によ

    つているが、各

    のグ

    ループ中

    の配列は、法華驗記

    の中下

    の兩卷に取材したものは、概略、驗記の排列順序に從

    つているが、日本

    生極樂記の順序には、殆んど依

    つた形跡がない。

    日本往生極樂記の編者慶滋保胤は、その序に

    大唐弘法寺釋迦才撰一一淨土論

    一。其中載二往生者廿人り迦才日、上引二經論二教一證二往生事絢實爲二良驗殉但衆生智淺

    不レ達二聖旨殉

    若不レ記二現往生者殉不レ得レ勸二進其心一。

    誠哉斯言。又瑞應傳所レ載。三十餘人。此中有下屠レ牛販レ難者。

    逢二善知識

    一十念往生加予苺レ見二此輩一彌固

    一其志殉今檢下國史及諸人別傳等有二異相往生一者⑳兼亦訪二於故老絢都慮得

    (4)

    四十餘人殉予感歎伏膺聊記二操行一

    とあ

    つて、その撰述の先蹤や目的が明白にせられている。保胤の本朝の往生人探索

    の規準は、

    「有二異相往生一者」

    であ

    つて、彼自身の考慮のうちには「販難爲業」の張鍾馗は、臨絡

    に惡相を現じながら、

    「酉時値善光寺念佛僭弘道。

    令鋪聖像。念阿彌陀佛」じ、又「、殺牛爲業」す汾州人は、臨絡

    の惡相から當來の受苦を睨せんがために請僭して、 、師

    誦佛經。如弟子重罪還救得否」を尋問し、

    「觀經中論臨絡十念尚得往生。佛豈妄言。」

    の教示によ

    つて、

    「忽爾異

    (5)

    香滿室便絡」つたと、傳える瑞應傳

    の印象は、寛和二年入道し、更に

    「經二歴諸國一廣作

    一佛事殉若有二佛像經卷殉必容

    (6)

    止而過。禮節如レ在。雖レ乘二強牛肥馬ゆ獪涕泣而哀。慈悲被二禽獸

    一」と、傳えられる如き保胤は、既

    にその類に非ざる

    佛縁値遇を喜ぶと共に、佛説の不虚と、彌陀攝取の慈恩に感泣するのみである。

    極樂記

    の排列順序は僭

    ・沙彌

    ・尼

    ・在俗男

    ・同女とな

    つていて、身分卑しき老婦どいえども、李生

    に歸

    る心厚きもののみで・

    造惡の輩には及んでい課

    。續本朝往生傳

    の作莫

    江匡房

    (一〇四一

    =

    =

    )は、慶保胤の攀

  • 記に次いで、

    「其讐

    亦往往而在・予近有レ所レ感・輅

    二蒭蕘訪

    二朝墅

    或探二前記之遺塰

    二其後善

    )と

    つて、續本朝往生傳撰述の目的を明らかにしている。載せるところの往生人は、男三七

    ・女五

    の總數四二名、そ

    の傳記の排列方法は、

    天皇

    .公卿

    ・僭侶

    ・在俗男

    ・同女となり、

    この女

    の中には尼が混入している。

    瑞應傳の排

    列順位は比丘

    .比丘尼

    。沙彌

    。童子の如く佛家を先行し、在俗者は國王

    ・皇后

    ・官人と次第し、更らに在俗の庶民

    男女に區分することが出來る。しかるに續本朝往生傳

    の編者自身は

    「功徳之池雖レ遠。見レ賢思レ齊。生死之山雖レ高。

    恃レ誓欲レ越。何況我朝念二西方一途二素意一之者。古今不レ繦。」と羨望の念止み難く、「備二諸結縁

    ために、「上自二國

    ( )

    王大臣過

    下至二僭俗婦女殉

    都慮四十二人。粗記二行業一」と、本書

    の構成内容を明らかにしている。匡房が瑞應傳や

    生記の撰述體裁を破棄して、繪

    の上に國王大臣の傳を叙したことは、破格であ

    つて、彼自身、後三條天皇の東宮の時

    の侍讀となつて信任厚く、記録莊園劵契所の中心人物として政策を推進し、白河院政下では院別當

    とな

    つて、重任を

    負荷した。以上の閲歴が、然らしめたものと解する以外に、解決の方法がない。故

    一生造惡不善

    の輩については、

    及するに及ぼず、在俗の男も散位小槻兼任を最下

    の身分としている。

    これに反して三善爲塁

    )は・「今接二江家續往生之傳濠

    ハ古今驀

    之璽

    て・拾遺往生傳・後拾遐

    往生傳各三卷を撰述したが、その曷

    は・拾遺往生傳卷中の序に・「予爲レ勸二後人念佛春

    二先逹傳記瓷

    齢广m~

    と、明らかにしている。しかし、各先逹が仰いだ信仰樹象

    の誓願について、後拾遺往生傳卷上の序に、「夫彌陀有

    レ誓二

    子娑婆組雖二一念一不レ捨。南淨胥レ縁二干西土↓雖二十惡一無レ嫌。屠見絡命之曉。覺月照二發露之腮↓

    獵徒瞑目之時。

    奇香薫二見火之室殉」と述

    べて、その盆は

    一生造罪の屠兒

    ・獵徒に筆を進あて、

    「彼何人乎。誰不二庶幾

    一」と、自己

    C )

    の救濟を願

    つている。これにより爲康は、恐らく保胤の往生記序の指示に從

    つて、迦才の淨土論卷下

    の「第六引現得往

    わが國往生傳史上より見た今昔物語集作者の性向

  • 生人相貌L中・特優

    得笙

    者の内、

    「其性麁險.又不・信二因塁

    二殺獵爲

    ・業」した無名の徒は、(髦

    疾臨絡・

    備見二地獄萱

    ハ・

    及所レ殺衆霊

    來隻

    叩Lる如き惡相を現じ乍

    り、知識

    の勸めによつて+念笙

    しな

    しと、

    及び藩

    傳の襄

    永徽九籬

    見宅南群饕

    .忽見天

    著緋選

    、麟

    其難四度上啄兩眼.

    血在床Lの張簷

    は、善知識の教えにより、ラしの轟

    を轉じて笙

    た。、との事例は、彼の撰逋の往生傳

    に強

    く反映している・印ちいわゆる殺生を事とする俗人、肉食妻帶の破藩

    の往生例を見箜

    」とは、そ

    の特魯

    せりれる

    日本古典文學大系

    『今昔物語集』三の解説

    には、卷第十五の五十四の往生譚の主體をまとめて、

    a

    1-.,110

    僭侶

    (一〇までは身分高き僣、二六以下は沙彌)

    b

    一~三五

    臨絡に出家した朝臣

    c

    三六~四

    皇孫もしくは高僭の身内の女性

    d

    四二~四五

    朝臣

    ・上席の地方官

    e

    四六

    ・四七

    殺生無慚の地方官

    f

    四八

    ・五三

    在俗の女性

    9

    五四

    僣侶に仕えた下童

    と、説話の序列を概括し、各説話の接續關連する點にも注意せられている。

    以上の如く・身分地位によ

    つて細分せられているが、この類別によれば、三

    ~里

    を臨軽

    出家した朝臣と、

  • は高

    の身

    の女

    二分

    せら

    て、

    の安

    當性

    が、

    の如

    き下

    の女

    が包

    せら

    の名

    に相

    ぬ矛盾

    一~

    の臨

    に出

    た朝

    一群

    は、

    の前

    の僭

    に編

    し、

    一項

    を竭

    のが

    至當

    と考

    る。

    入道

    は山

    に登

    つて

    「眞

    ノ密

    ヲ學

    フ。兩

    ビ阿彌

    ノ法

    テ、

    二此

    ノ法

    ヲ行

    ヒテ、

    一生

    ノ間

    ザリヶリ。」

    とあ

    「道

    ク發

    二ヶレバ、出

    シテ後

    レテ、

    ノ國

    ノ山

    二移

    リ住

    シ」

    た人

    であ

    る。

    によ

    た源

    は、

    「忽

    二髻

    ヲ切

    テ出

    シテヶリ」と慱

    る。

    二十

    の程

    であ

    る。

    は老

    に、

    「深

    ク佛

    ヲ信

    ジテ、現

    ノ名

    ・利

    ヲ弃

    テ、」た

    法華

    ・稱

    の典

    の念

    で、

    の「髻

    ヲ切

    テ、

    ト成

    テ戒

    ヲ受

    ヶ」た

    のは、

    に先

    つこ

    る。

    の制

    「偏

    二此

    ノ世

    ノ事

    ヲ不

    ズシテ、ロハ、

    ヲ願

    フ。

    二髻

    ヲ切

    テ、櫓

    ト成

    テ戒

    ヲ受

    ヶテ、

    ヲ乘

    ト云

    ・」とあ

    つて、入

    以後

    お在

    生活

    を繼

    る、

    の形

    に老

    は臨

    に入

    と、

    生活

    を異

    にす

    る。

    の女

    は、

    と筑

    は、

    「出

    シテ尼

    ト成

    つた事

    が傳

    えら

    で、

    これ

    】括

    て比

    の項

    てる

    べき

    であ

    る。

    て概

    (一~三五)、

    丘尼

    (三六~四

    一)、

    の男

    (四二~四七)、

    の女

    (四八~五三)下

    (五四)に分

    ん、

    の中

    にお

    ても、

    の生活

    や出

    の年

    の遲

    つて、更

    に區

    、特

    に注

    せら

    る點

    は、從

    の往

    が、四

    によ

    て類

    に對

    、「人

    セシク」と、蔑

    る奴

    が、一科

    てら

    いる點

    は、人

    の李

    立場

    つよ

    る。

    江匡

    が、先

    ・公

    の傳

    に位

    た編

    に萌

    であ

    の菩

    二、

    六、

    の編

    に復

    こと

    は、

    一種

    の退

    し更

    わが國往生傳史上

    より見た今

    昔物語集作者

    の性向

  • に三

    つた下

    を、

    四衆

    の埓

    に食

    た考

    は、

    に因

    るも

    であ

    か、

    の身

    る潔

    に、

    を求

    る方

    はな

    と思

    の如

    五類

    に概

    る中

    一の男

    のな

    か、

    て求

    た者

    一~

    と、

    て後

    を發

    て出

    一~

    に區

    る。

    に前

    いて

    は地

    は、

    の中

    と、

    の周

    にも

    が出

    が、

    の主

    の性

    を意

    づけ

    は、出

    の後

    、顯

    か密

    の法

    は顯

    二敏

    し、

    學僣

    轉向

    て、

    の往

    生行

    を修

    の(一~

    =ハ)、

    否定

    に背

    を向

    て彌

    を念

    た修

    (一七~

    三〇)に分

    こと

    にお

    ては

    「常

    二山林

    へ參

    リ、

    ザル靈

    シ」と

    の夲

    、「佛

    3念

    ジ經

    ヲ讀

    一ア、

    二他

    ノ事

    シ」

    砧、

    「後

    ニハ

    ヲ離

    レ世

    ヲ弃

    テ」た、玄

    の如

    に富

    む僭

    (一八~一二

    )、

    主宰

    (二二~

    二四)、

    沙彌

    (二六~三〇)に類

    せら

    る。

    に文

    の中

    にお

    て、當

    二大

    せら

    、奈

    と京

    の文

    に分

    れ、

    奈良についての三話は・簔

    ・隆海(八八六)、盟

    )、縹

    (調

    )と排列せられている.奪

    の如き

    を以て、

    一部列傳體的編纂法を採用せるものであるとの読も、了解せられるのである。

    いで考察す

    べき點は、卷第十五はその説話の原據を、日本往生極樂記ど法華驗記によるとせら

    れているが、ここ

    に注意を要することは、法華驗記に往生者の傳記を採訪したことは、今昔物語作者の獨自の見解

    によるものである

    か、又はその成立時點における、共通意識に基づくものであるかについてである。往生者を決定付ける基礎條件は、

  • 「異相往生」者とすることは、日本往生極樂記以來、法然淨土敏開創以前

    の傳統である。今昔物語作者も夲生の宗

    教的行動と臨絡の異相を擧げ、

    「必ズ極樂二往生セル人也ト知ア、貴ビヶリトナム語リ傳ヘタルトヤ」

    と言う、今昔獨特の説

    話構成

    の定型によつて結ばれている。しかし本書の作者が、絡始これ等の往生人の信仰に對して、

    文學者として傍

    觀者的態度で臨んでいたのか、又は拾遺往生傳の作者三善爲康の如く、天台教團に對して・自由人的立場に立つ念

    信仰者

    であり得たか、法華驗記作者首楞嚴院沙門鎭源の如く、天台宗教團の體制下に制約を受ける者であつたか・

    の何れであるかをを決定する手懸りは、説話の取材を法華驗記に得たもので、三善爲康も亦拾遺往生傳に採録し

    ているもの五種を擧げて、その取扱

    い方について考察することが出來る・印ち

    (今昔物語集)

    (法.華驗記)

    (拾遺往生傳)

    比叡山西塔僣仁慶往生語第十

    (中)第五十二仁慶法師

    (上)沙門仁慶

    比叡山横川境妙往生語第十二

    (中)第五十

    一楞嚴院境妙法師

    (上)沙門境妙

    加賀國曾尋寂往生語第廿九

    (下)第九十加賀國尋寂法師

    (中)尋寂法師

    美濃國藥延往生語第三十

    (下)第九十四沙彌藥延

    (中)沙彌藥延

    睿桓聖人母尼釋妙往生語第四十

    (下)第九十九比丘尼釋妙

    (中)尼釋妙

    であ

    つて、ここに注意せられることは、拾遐往生傳と共通するのは、上中二卷

    のみで・下卷

    に及んでいないことであ

    る.拾遺往生傳三卷は、先ず「今接

    家續往生之麑

    豫記

    二其古今遺漏之輩

    」(上卷序)して上豢

    成り・「其後闘二國史別

    求二京畿邊甃

    所二訪得肴

    ム矢。欲

    ・罷不レ能.重更記レ之」(畧

    序)したものが霧

    であつて・「今之所レ録・繼爲ご下

    こ(下卷序)して、三卷とした成立過程を自序している。而して各卷に納められる傳記

    の最も新しい

    ものは・上卷は承

    わが國往生傳史上より見た今昔物語集作者の性向

  • 一〇

    三年(δ

    九九)縵

    した源算・畧

    は妻

    二年

    ・七)歿の中原醤

    、下套

    天、氷二年

    =

    )歿の高蠶

    下限与

    るので・上

    ・申二卷はそれぞれ嘉承二年、天永二年までに成立していたとサりれる.飜

    つてA.北日物語の

    現存の形態のものの成立年時は・倉

    の時點において、その研譏

    果は豪

    ・。拡)成立説が提奪

    りれて

    いる・從つて亘

    年代に里

    の法纛

    記に取材する場合、その作者

    の立場龕

    事の中簔

    現サリれ

    るべきで耄

    つてこの點について上記の問題ξ

    きゴ

    一著

    を檢討するに、比叡山西港

    仁慶の晩年驫

    絡について、法華驗記

    は臨知命期

    殊靆

    心・捨衣鉢等.圖繪兩界曼荼羅.刻彫阿罐

    .圭.寫妙法華經.爲四恩法界.供養鑞

    .其

    後不經轡

    月・請病患・多呈

    苦・忍病惱薫

    。自讀肇

    。請結鑾

    僣。令讃肇

    。勤修念佛。絡以入滅。

    りヘ

    ムユロ  おむは

    ク鬆

    テ老

    ・嘔

    ・バ・世

    ・中

    ・哀

    レ・无

    ・思

    ・、殊

    ・道

    ケム、聊

    ・房

    ノ具

    ナドノ有

    ケルヲ投

    ゲ弃

    ア、兩

    ノ曼

    ヲ書奉

    リ、

    ・像

    ・造

    ・養

    ・寫

    ・奉

    ・、四恩

    ・爲

    ・供

    シッ.

    ノ後

    ノ程

    ヲ不

    ズシ,ア、

    ヲ受

    ア、日

    ・間

    ・・法花

    ・誦

    シテ斷

    ・事

    シ.

    ・僭

    ヲ請

    シ一ア、

    ヲ令

    ア、

    、心ヲ至

    シ一ア此

    レヲ聞

    ク.

    クシ一ア

    (17

    )

    ル間

    二失

    ヌレバ、葬

    シテケリ。

    とある・その窺

    は多分筰

    者の力量により、文學的に饕

    せられているが、往生淨土の保證せ、bれる條件として

    の宗教行爲は、法華驗記を全面的に踏襲している。これに反して、拾遐往生傳は

    己及・知命嚢

    捨・衣鉢喜

    荼羅殉彫二刻阿彌陀佛像殉象爲二四恩法界殉書二寫

    一乘妙法⑩

    其後雖レ纒二病患り不レ怠二念沸絢正心不レ亂奄然而滅矣。

  • とあつて、臨絡の「自讀法華。諸結縁衆僣。令讀法華」の天台顯教の特殊的行法は、全く脱落している

    ことが窺われる。

    比叡山横川境妙についても同様のことが言われるのであつて、境妙の持經聖であ

    つたことは、驗記

    では

    「捨諸縁務。

    深宗讀誦。惜寸分暇。不作餘事。若行道路。若人與語。手持經卷。眼硯經文。部數多積。及二萬部」とあることが證

    している.今昔物語はこの意を受けて、

    「年來、他念无・法花經・持奉ア・既三

    ・讀誦・・瀚

    )羮

    約し・拾

    「專

    二法華

    一及

    一萬

    一」

    と、

    に受

    いる

    行願

    る法

    の書

    卅講

    の記

    の如

    、「又

    二五種

    二十種

    供養

    之勤

    一」

    と模

    る表

    し、

    の行

    は、

    の行

    意的

    い。

    の臨

    の描

    は、

    看彌

    佛手

    以其

    把我

    。向

    西

    坐。

    (21)

    勤彌

    念佛

    り、

    .

    ヲ吐

    ア云

    ク、

    ガ最

    ノ病

    レ也。

    ノ度

    ス死

    ナムトス云

    ・ア、沐

    シ一ア淨

    キ衣

    ヲ看

    テ堂

    二入

    テ、

    阿彌

    ノ御

    二五

    ノ糸

    ヲ付

    ・ア、其

    レヲ引

    含ア西

    二向

    ・ア念

    ヲ唱

    フ。

    ノ僭

    ヲ請

    一ア、

    ヲ令

    メ懺

    ヲ令

    ・念

    ヲ令

    ム。

    (22)

    クシテ失

    ・。

    つて、

    立場

    を尊

    いる

    は明

    であ

    る。

    に拾

    レ時

    二衆

    一日

    。最

    。決

    レ死

    二五色

    一著

    一彌

    二其

    一讀

    レ西

    (23)

    繦矣。

    と記し、驗記、今昔

    「請諸僭侶。轉讀法花。修法華懺法」の具體的善根の内容は、

    「讀經」の中

    に投影せられて

    わが國往生傳史上より見た今昔物語集作者の性向

    一一

  • 一二

    個性を滄し、その讀經念佛も、境妙自身の意志的行爲と理解せられる。

    聖僭

    の行爲に反して、この當時、佛教杜會に異状な魅力を以て迎えられたのは、沙彌

    の生活様式である。しかし時

    の遡る程、その生活形態は美化せられ、温和な筆致を以て表現せられているが、時代の下降するに從゚

    つて誇張し

    た表現形式によつて、その霑

    形鑿

    せ、bれている。印ち袈

    國尋寂に3

    て、驗記は

    (42)

    到初夜時。有家主(尋寂)來向。是則沙門。見宿沙門(攝圓)。歡喜無限。家主僭雖在家。而有道心。(筆者註)

    とあつて、妻帶

    の在家止住の破戒僣を、なお沙門の語を以て糊塗しているが、今昔は

    ル間

    ・入

    ・、

    ノ主

    ・リ來

    .リ.攝

    .一.見

    .バ僭

    也.

    .宿

    .ルヲ垂

    ブ事

    シ.

    ノ僭

    言ヲ聞クニ、此ク妻子ヲ具シテ世一フ絡ト云ヘドモ、事

    二觸レテ物打云フ樣、殊

    二道心有ト思

    ユ。

    と、表現はやや具體性を帶びている。しかるに拾遺往生傳は、尋寂法師と稱して、沙門と區別している。法師の敬稱

    は法華驗記にも用いられているが、拾遺往生傳では沙彌

    の同意語と解せられるムードを持

    つに樹し、驗記の用語例

    は沙門の語に通じている、嚴肅な持經の修行者的性格を帶びている。尋寂の生活態度について、爲康は、「身在二世

    路殉雖レ具二妻子⑩口誦ご法華殉偏欣二淨土⑩」とあつて、今昔よりもその性格は、

    一層具體的説明的記述法であつて、

    文の最初にこの文を載せていることは、説得の効果を狙

    つたものと解せられる。

    美濃國沙彌藥延についても、同樣

    の見解を當ててみると、驗記には

    宿路邊舍。見其宅主。雖似法師。作法非僭。頭髮二寸。著俗衣服。田獵漁捕。食完瞰鳥。狼藉不善。宛如具縛。

    (20)

    聖人見此。心生怖畏。悔恨宿此焉。

    とあ

    つて、沙彌

    は法師と區別せられるこどが到かる。今昔ではこの生活形態を

  • レ一ア道

    ノ邊

    ル人

    ノ家

    。借

    宿

    ヌ。

    ノ家

    ノ主

    ヲ見

    レバ形

    、法

    ト云

    へ・・モ、僣

    ・非

    ・、頭

    ・髪

    ・生

    シ・・俗

    ・李

    ヲ着

    タリ。

    ・漁

    ヲ役

    トシ・魚

    ・拿

    .聖

    人・

    ・・見

    ・・此

    ・家

    ・宿

    ・ル事

    一ムへ勉

    と、飜案した文學的表現に過ぎないが、拾遺往生傳は

    其體似・僭.其行如・俗%頭髮二寸.見蘿

    矣.身著

    衣享

    殺二魚塵

    食レ肉吸レ血・况於二餘堊

    )

    と、古代律令佛教的煙覆

    剥奪されて、赤裸

    の沙彌禦

    淨彫りせられている。

    ここに沙彌是認

    の過程の推移が知

    b

    であ

    從來述べた如く、三書に共通に竭げる傅

    の最後は、睿桓聖人母糧

    名である。釋妙の卒生については・驗記には

    其、藻

    白。慈悲甚深。細守戒律。不犯微塵。以不淨不取水瓶。不萋

    裟不出佛前。何況誤犯其餘衆罪哉・出家以

    後.向西方否

    大(融

    利.頭霆

    西票

    臥自心.轜

    .馨

    .日蘿

    營.動止所作.讃法蘿

    三千餘部.

    百萬遍念佛數百度也

    とあり、今昔には

    ノ後

    ハ、戒

    ヲ持

    .犯

    ス事

    シ。

    キ手

    ヲ以

    一・水

    ヲ不

    ズ、手

    ズシテ襲

    ・不

    ・鯉

    剛・參

    ・ハ手

    ・洗

    .

    .、《

    跡.西.て.、枕.東、セザリ.リ.畫夜。法花經.拙讃誦.、露寐、彌陀・

    る 

      み  らよ ハに

    其、心藻

    不・染二紅麌

    以二穢手

    ・取一永

    以二裏

    レ出二佛剪

    行住坐臥不レ背二西方嘉

    泣便

    レ向二西互

    讀二法華經

    一三千餘部。百万遍念佛數百箇度矣

    わが國往生傳史上より見た今昔物語集作者の性向

    一三

  • 一四

    とあるひ三者を比較すると「細守戒律」ど云う點について、直接教團の拘束力の屆かぬ、自由人を作

    者とする拾遺往

    生傳は、全くその事項には觸れていない。又

    「讃法華經三千餘部、百萬遍念佛數百度也」の行爲に

    ついては、今此日

    の立場は

    「晝夜二法華經ヲ讀誦シ」とあつて、その讀誦

    の數量を詠嘆する態度であるが、むしろ

    「籍寐

    二彌陀ノ念佛ヲ

    ヘテ百萬遍ヲ滿タル事數百度也」

    と、往生のための作業として、念佛に重き比重をかけている。又爲康は

    「以二穢手

    以二白丞

    不レ出二豊

    剛己

    を以て、持戒

    の派生的夲素の行動鐘

    解し、

    守戒律。

    不犯微麌

    の句を

    意識的に脱落せしめた。よつて以下の記述と合糅して、淨土願生者の彌陀恭敬尊重の意志表現

    の行動と素直に理解

    せられる内容となり、從來の持戒と彌陀恭敬の二重構造は滄失した。釋妙の夲生の行動の如きは、續本朝往生傳

    闍梨要

    「行往坐臥不レ背二西互

    跿

    便痢不レ向・西方菜

    下曾以二夕陽費

    上・背。登・山之時.側・身而行.」と

    のと

    ・軌

    一に

    る。

    の言

    れば

    、「樹

    二傾

    二意

    西

    レ途

    ご素

    とあ

    つて、

    生慕二極樂二蓄

    う意志が、行動に表現せられたものである。釋妙の行動も、戒律細守の結果派生するものでなく、

    欣慕の心情の表現行動と解する時、釋妙の行動の理蟹

    そのまま、淨土教の進展推移を如實

    に物語るものであ

    り・更にこのことは、作者を淨土敏進展の流れに部して、思想史的に位置付けることが出來ると共に、作者

    の封天

    台宗教團に樹する立場をも決定することが出來る。

    各種往生傳に記警

    れずして、今昔物語集にのみ記載せられる笙

    人は、その原據を何れに求

    めたものであるか、

    その説話構成の素材となつた原型を求めることは出來ないので、擧

    bく當時筆録せ

    りれずして・承により、民間に

  • 沈澱していた噂咄を發掘し、それを根據にして書上げたものではないかとも考えられるが、比叡

    山僭長増

    の読話

    如きは、門乞食李等

    (もしくは平灯)に關する類話が、古事談卷第三、發心集卷第

    一、三國慱記卷第

    九等にもある。

    又源信僣都母尼の前牛は發心集卷七、三國傳記卷

    一に、更に造罪業人最後唱念佛往生説話は、寳物集卷七に同原かと

    われる説話があるので、恐らく今は散逸したが、當時存在したオリジンの設定も不可能ではな

    いかと思う。

    醍醐觀幸入寺、比叡山僣長増、始雲林院菩提講聖人、始丹後國迎講聖人、北山欝取法師、源信僣都母尼、鎭西筑

    前國流浪尼、造惡業人最後唱念佛往生、仁和寺觀峯威儀師從童等

    の物語りが、從來の往生傳類、

    その他に全く見な

    '

    い論話

    であるが、當時傳承せられた民話中、今昔作者が獨自

    の所見に從

    つて、取捨の上採録せるも

    のであろう。こ

    こに作者

    の淨土教信仰

    の立場が考えられるのである。

    醍醐觀幸入灘

    ・仁準

    )に饕

    一蠱

    法耋

    たとあるので・蠱

    ±

    世紀舉

    を忠

    とした時代の

    と考

    る。

    の晩

    つい

    て、「觀

    ナル縁

    二ヵ有

    ヶム、堅

    ク道

    心發

    二ヶレバ、本

    ヲ去

    テ、忽

    二土

    ノ國

    二行

    テ、偏

    二名

    ・利

    ヲ弃

    テ、聖

    二成

    テ、年

    ヒヶルニ、」

    と述

    いる

    て孤

    の聖

    つた

    と、

    土佐

    の國

    に赴

    (mm)

    いた

    いて

    は、

    の長

    いて、「佛

    ノ少

    空フム所

    二行

    テ、身

    ヲ弃

    テ、次

    乞食

    ヲシテ、命

    ヲバ助

    ヶテ、偏

    二念

    ヘテ.ソ極

    ニハ往

    セメ」と、あ

    る如

    く、佛

    の地

    の結

    る。

    いて

    は、

    の後

    遁世

    る、

    いわ

    る「名

    ・利

    ヲ弃

    テ聖

    二成

    」つた

    とが

    せら

    、本

    の交

    が、名聞

    の俗臭

    ので

    シタタ

    つた

    こと

    る。

    は房

    を出

    て、念

    ・袈

    、廁

    に行

    「法

    ・持

    ナドノ御

    スルモ取

    リ不

    ズレテ」出

    し、數

    て、弟

    と門

    姿

    で、伊

    で邂

    た。

    は伊

    ・讃

    、心

    法師

    り、念

    て乞

    、そ

    の心

    とす

    は、

    ただ

    、「偏

    二念

    ヲ唱

    ヘテコソ極

    ニハ往

    セメ」ど、言

    にあ

    わが國往生傳史上より見た今昔物語集作者

    の性向

    一五

  • 一六

    。邸

    ては

    、民

    に伍

    し、自

    の往

    て、信

    の恩

    に浴

    ぬ黎

    に、

    の法

    を傳

    であ

    。後

    、再

    に歸

    、舊

    の林

    で、西

    い、端

    て死

    んだ

    。「國

    、此

    レヲ見

    テ悲

    ビ貴

    テ、取

    ヲ修

    シヶリ。讃

    ・阿

    ・土

    ノ國

    二ァ此

    ノ事

    ヲ聞

    キ繼

    テ、五

    二至

    マデ此

    ノ門

    ノ爲

    二法

    ヲ修

    シヶリ。」

    と、

    の修

    と、從

    つて彼

    の行

    、彼

    の人

    つい

    て、「此

    ノ國

    セノ人

    ヲ導

    ムガ爲

    二、佛

    ノ權

    リニ乞

    ノ身

    ト現

    シテ來

    リ給

    ヘル也

    と、

    死後

    いて、

    の行

    は止

    せら

    に至

    つて

    いる。

    (34)

    いて

    は、

    の敬

    に聖

    の語

    いら

    によ

    つて、

    の交

    菩提

    の道

    を求

    、求

    の僭

    であ

    とが

    る。

    の語

    す内

    て考

    、結

    つて作

    によ

    ば、

    「道

    ク發

    二ヶレバ、出

    シテ後

    ヲ離

    レテ、和

    ノ國

    ノ山

    二移

    リ住

    シテ、

    日夜

    (35)

    二彌

    ノ念

    ヲ唱

    へ、」た、入道

    いて、

    「本

    ・リ堅

    ノ聖

    二非

    ズシテ俗

    ト云

    ヘドモ、心

    ヲ發

    シテ出

    ・入

    シテ、懃

    二往

    セムト願

    ヘバ、

    ハ往

    スル事

    ヵリ。」と、語

    いる

    。堅

    の聖

    に非

    は、「初

    ハ俗

    ニシテ」

    (36)

    こと

    ば、

    一聖

    は、「幼

    ニシテ山

    二登

    テ出

    シテ、師

    二隨

    テ顯

    ノ法

    ヲ學

    ブニ、皆、

    ノ道

    二逹

    レリ。

    亦、

    クシテ後世

    ヲ恐

    ル心有

    リ。」

    と、

    の生

    て、

    て後

    れ、

    、条

    つて

    いる

    つて、

    の概

    を規

    が出

    る。

    「道

    クシテ後

    ヲ恐

    ル心

    が、

    に行

    に移

    と、

    ノ觀

    の如

    、「本

    ノ寺

    ヲ去

    テ、忽

    二土佐

    ノ國

    二行

    テ、偏

    二名

    ・利

    ヲ弃

    テ、聖

    二成

    テ、

    ヒヶルニ」と

    る如

    、名

    ・利

    の放

    が條

    せら

    る。こ

    を約

    ば、出

    ・遁

    コー

    て、名

    に先

    立ち

    、妻

    を捨

    て、繪

    の基

    が守

    いる。

    に對

    「年

    ヲ讀

    シ、彌

    ノ念

    ヲ唱

    ヘテ、佛

    ノ道

    ヲ願

    ・ト云

    ヘドモ、世

    キニ依

    テ、此

    ク妻

    ヲ具

    シタリ。」

    と、そ

    の日常

    生活

    を告

    る加

    や、

  • 、舗

    ト云

    へ,モ、僭

    。非

    ズ、頭

    ノ髮

    ハニ寸

    。生

    シ一ア、俗

    ノ李

    ヲ着

    タリ。漁

    ヲ役

    トシ一ア魚

    ヲ食

    ト・リ。L

    いう、生

    の藥

    の如

    。沙彌

    ループ

    は、

    基本

    に異

    る要

    が嚴

    る。

     

    、今

    いて

    は、播

    國賀

    驛教

    西

    御取

    一群

    の中

    いる

    。沙

    と勝

    の、紳

    秘的

    は、無

    、律

    と反

    の對

    であ

    て、今

    の作

    は「彼

    ノ教

    信、

    ヲ具

    シタリト云

    ヘトモ、年

    、念

    ヲ唱

    ヘテ往

    スル也

    」と、讃

    し・「一生

    ノ念

    ヲ唱

    食ア、晝

    夜密

    二怠

    ヵリッ、」と

    て、造

    の行

    つい

    ては

    、何

    いな

    。し

    、北

    の行

    は、

    「年

    タル法

    ノ物

    ヲ荷

    ヒ一ア持

    ア、打

    ア奥

    ノ方

    二入

    ・。有

    ッル女

    テ、其

    タル物

    ヲ解

    テ、刀

    ヲ以

    テ小

    サク切

    ッ、

    二入

    レ一ア煮

    ル。其

    ノ香

    自苑キ事

    シ。」

    り、

    の告

    ぼ、「己

    ハ、奇

    ク弊

    キ身

    二侍

    リ。

    此侍

    ル女

    ハ己

    ガ年

    ノ妻

    亦、

    可食

    キ物

    ノ无

    ケレバ、餌

    ノ取

    シタル馬

    ・牛

    ノ肉

    ヲ取

    リ持

    ア、

    レヲ瞰

    テ命

    ヲ養

    テ過

    ギ侍

    ル也。

    ルニ、念

    .ル。リ外

    。鯉

    ル事无

    .一.ナ.、年

    .ル」

    とあ

    つて、

    に繪

    の肉

    の生

    が止目定

    いる.

    又鎭

    西

    いて

    は、「人

    ヲ荷

    一ア來

    レリ、奄

    ノ内

    二入

    ア荷

    タル物

    ヲ置

    ク。見

    レハ、法

    也、

    ハ三

    四寸

    二生

    ヒテ綴

    タリ、

    ・シク穢

    ク一ア更

    二可

    ク・て非

    ズ」と

    つて、

    「此

    ノ持

    タル物

    ヲ食

    ヲ見

    レバ、牛

    ・馬

    ノ肉

    ヶリ」と、説

    が加

    えら

    れ、

    の宗

    の姿

    つい

    て、

    「弟

    ハ、愚

    ニシ一ア悟

    ル所

    シ。人

    ノ身

    ヲ受

    ヶ法

    ト成

    レリト云

    ドモ、戒

    ヲ破

    り慙

    シテ、

    ア惡

    二堕

    ナムトス。今

    二榮

    ヲ可

    ニモ非

    ズ.只

    ノ道

    ヲ願

    テ、戒

    ヲ持

    テ三業

    ヲ調

    ヘム事

    ハ、佛

    ノ教

    へ・ス

    ズ。分

    ハ、衣

    二嫁

    ア罪

    ル、檀

    ヲ憑

    マムト思

    へ。ハ、其

    シ。然

    レバ、諸

    ノ事

    、不

    ズト云

    フ事

    シ。此

    レニ依

    テ、淨

    二・

    ノ望

    ミ離

    タル食

    ヲ求

    一ア命

    ヲ戀

    ア、佛

    ノ道

    ヲ願

    フ。所

    ル、牛

    ・馬

    ノ肉

    。」

    る。

    の言

    は、「弟

    ヲ讀

    シ、彌

    ノ念

    ・フ唱

    全ア、佛

    ノ道

    ヲ願

    フト云

    ヘドモ、世

    キニ依

    テ、此

    ク妻

    ヲ具

    シタリ。」と

    。美

    ノ國

    ノ僣

    わが國往

    生傳史上より見た今昔物語集作者

    の性

    一七

  • 一八

    姿

    、「其

    ノ家

    ノ主

    ヲ見

    レバ、形

    ト云

    ヘドモ、僭

    二非

    ズ、頭

    ノ髮

    ハニ

    二生

    ジ一ア、俗

    ノ水

    ヲ着

    タリ。

    .漁

    ヲ役

    トシ一ア

    魚鳥・食・蒐

    」と表現せられている。要するに、頭髮を剃除した法師の俗衣を着し、妻帶肉食より、更らに漁獵の生活

    に身

    を支

    いる。

    ば、

    を出

    て俗

    に還

    つて

    いる

    が、そ

    の俗

    て、よ

    り亠口同き

    われ

    モミ

    は夜

    、沐

    て淨

    を着

    、持

    に入

    り、「火

    ヲ打

    ア、御

    ヲ燈

    シ香

    二付

    ケ一ア、念

    ヲ轡

    ア佛

    ヲ禮

    シ一ア、先

    ヅ懺

    フ。次

    二法

    ヲ誦

    ス、一部

    ヲ誦

    シ畢

    ルニ夜

    ヌ。其

    ノ後

    ノ念

    ヲ唱

    フ」と

    いう

    、生活

    の果

    に、自

    の往

    生極

    の日時

    來宿

    の叡

    動寺

    の聖

    に結

    を要

    た。

    の言

    を聞

    は、「法

    ヲ誦

    シ、念

    ヲ唱

    フル、此

    レ无

    ト云

    ヘドモ、魚

    ヲ捕

    リ鳥

    ヲ殺

    ス、此

    レ極

    メテ重

    キ罪

    ゾ、如

    ノ罪

    ヲ造

    一フ、忽

    二極

    二往

    スル事

    一フムヤ。此

    レ、只

    ゾト思

    テ・無

    二返

    ヌ。」と言

    う、聖

    の不

    は、功

    と罪

    の對

    であ

    沙彌

    教、

    ば持

    と反

    の對

    を物

    ので

    る。

    かく

    の如

    の時

    に採

    つた

    こと

    は、

    々團内

    の孤

    した宗

    て、

    て來

    を示

    ので

    なく

    一般

    の覗

    に至

    つた

    こと

    を雄

    に物

    ので

    る。

    源信僭都母廟

    )鬻

    筑前國饕

    ついての笙

    譚は・前套

    を出家せしめた島

    は・

    「女子藪

    有・・モ・

    ハ聾ハ一人

    。其

    レラ、元

    ヲモ不

    ズシテ、比叡

    ノ山

    二上

    ヶレバ、

    シテ身

    ノ才

    ク有

    ア、多

    ノ峯

    ノ聖

    ノ樣

    二貴

    ク一ア、嫗

    ヲモ救

    ヒ給

    ヘト思

    ヒシ也

    、眞

    を言

    て、籠

    を要

    、最

    臨絡

    には

    を善

    て、「尼君

    二道

    ヲ發

    シテ念

    =

    一百

    返許

    フル程

    二、曉

    二成

    テ滄

    ル樣

    ニテ失

    ス」

    の道

    に勸

    た志

    つて、

    「鵡

    ハ子

    ノ爲

    ハ租

    ノ爲

    ヵリヶル善

    ヵナト」

    し、

    は横

    に歸

    つて

    いる

    、筑

    の山

    の炊

    であ

    つて、

    に彌

    の念

    を唱

    り、僣

    の讒

    い、追

    せら

    て浪

    の身

    つた

  • に慈悲ある

    ノ主ノ女Lに、曝

    家モ廣シ、庭モ廣シ。解

    、些

    居テ念佛モ申

    セLと引取られ・孕を彎

    つ三

    四年許

    ろ共

    を途

    を傳

    ので

    る。

    の読

    スト

    行中

    の封

    が物

    いる。

    卷篳

    五の、最後に採上げている笙

    人は・仁和寺觀護

    儀師の響

    であ

    つて・その身分箋

    は・

    ノ莫

    7薊メ・

    ナド取

    一ア令

    ムル程

    ノ」

    り、

    の進

    退

    いても

    、「人

    辷シク此

    ノ童

    」と

    せら

    、奴

    に所

    いた

    の西

    の鳴

    に蘆

    、念

    の聲

    に、往

    つい

    て、結

    は、

    「臆

    〃物

    ノ、

    艇罫不

    ・童

    ト云

    ヘドモ、年

    ヲ願

    ケルヤ、ロ

    ヲ動

    ヵシヶルハ、念

    ヲ申

    シヶルナメリ。途

    二命

    一フムト爲

    ル時

    ヲ知

    テ、靜

    ナル所

    二行

    キ居

    テ、居

    ヲ合

    セ念

    ヲ唱

    食ア、

    西

    二向

    ア死

    ヌレバ、

    ヒ无

    ク極

    二往

    シタル者

    トゾ」

    と斷

    し、瓧

    の最

    の、

    の往

    が物

    る。

    の作

    の意

    にお

    て、

    「從

    の童

    」を、

    の四衆

    の弟

    り、

    いる

    は、

    人間

    ぬ、

    の使

    であ

    る、

    の高

    であ

    る。

    ど、

    て取

    ぬ、

    マに陷

    は、

    が、

    の信奉

    でな

    い。

    の如

    き人

    を求

    て、

    一應

    に編

    こど

    を得

    であ

    る。

     倣

    は、

    ら、

    に、

    みを

    たも

    で、

    いわ

    つパ

    であ

    る。

    一篇

    一パ

    は、

    ど孤

    たも

    でな

    に關

    し、

    全體

    つて生

    わが國往生傳史上より見

    た今昔物語集作者

    の性向

    一九

  • 二〇

    であつて、そこに、存在意義と使命が附與せられるものである。

    今昔卷十五の説話

    の原據は、日本往生極樂記

    ・法華驗記

    ・續本朝往生傳等に素材を求め、更に拾遺往生傳卷上

    .卷

    と同源の傳承によつたものであることについては、既に指摘した如くである。しかし往生傳類と法華驗11II.とは、そ

    の成立の本質を異にするもので、同日に論ず

    べきでないことは、言うまでもない。印ちこれ等の諸書

    におさあられる

    主體

    の性格は、往生傳類は所求

    の淨土は西方極樂、所歸の本尊は阿彌陀佛、去行は念佛の實踐者に限定せられてい

    る。しかるに法華驗記は、偏者鎭源がその序に述べる如く、「上宮請西以降。若受持讀誦之俘。若聽聞書寫之類.。預

    靈盆者推之度矣」とある。故に法華行者の受ける、靈盆の内容は多岐であ

    つて、往生極樂を唯

    一の目的

    とするものでな

    いことは周知の通りである。しかしその受持

    ・讀誦

    ・聽聞

    ・書寫によつて、極樂に往生した實證は甚

    だ多

    い。よつて

    驗記は往生傳成立の原據となり得ても、その成立の本質から考察して、自ら限界があるので、それを越えて往生傳

    列に看倣す暴

    には・菖

    することはできない・何ん蟇

    れば・その憲

    の目的は、「肇

    .久遠本地之實

    。皆成佛道之正軌」であるがためである。

    法華經の靈盆

    一として、異相を示して、極樂に往生した實證は、必ずしも、本質上、本書卷第十五

    に綱羅せられる

    ののみでなく、寧ろ、法華靈驗譚を擧げる本書の卷第十二

    ・第二十四項以下、卷第十四

    ・第二十九項に至る八十六

    の読話中にも、見出さるべき筈である。更らに念佛思想は、古く諸宗の教學傳來の諸祀中にも、隨件的に信仰せられ

    た事實は覆うべくもないので、卷第十

    一の諸宗傳來史譚中にも、その實例を求むべきである。又觀音

    .地藏等

    の信

    と合糅して、實踐せられたことは、法華經の讀誦と念佛が併用せられた如き、複合實踐形態が、可成

    のウ

    エイトを持

    つていた時代

    の風潮を受けたものであつて、複合の効用論理を、信仰の客體の複合に轉用して、現當

    二世

    の利盆を追

    及したものである。この見解に立てば、當然卷十七に纒められている、菩薩諸天の靈驗譚中にも、そ

    の目的を果すご

  • とを得た、例證を求むべきであろう。更らに出家遁世は、道心に根ざす行動である故、その絡局には、淨士が求められ

    る易行道の教えが、廣く行われたと考えられるので、卷第十九の出家機縁譚及び應報譚の中にも、そ

    の例證が求めら

    れるべきであろう。よつて驗記以後に成立した、往生傳撰者が素材を驗記に探訪した見解に隨

    つて、今昔物語集

    本朝付佛法

    の全體について、

    廣く往生者を探求して、

    一部の往生傳を設定し、それによつて、更らに、作者

    の淨土

    教信仰の形態を、より深く考察してみたい。

    卷第十

    一の諸宗傳來史譚中には、

    「西=向テ端座シテ失・」とか、

    「入滅ノ時靈テ諸ノ弟子

    二令知」める如き、

    「異相

    往生」の條件に叶う、滅後

    の瑞相を現じたのは、道照

    ・鑑眞

    ・厳澄である。道照

    の臨絡については、續日本紀卷

    一、文

    武天皇四年三月十日の卒傳

    に、「還住二禪院ハ坐禪如レ故、或三日

    一起、或七日

    一起、儻忽香氣從レ房出、諸弟子驚怪、

    就而

    二和

    二坐

    一无

    レ有

    二氣息

    2

    とあ

    り、

    「臨

    二命

    ハ洗

    レ衣

    レ西

    シテ

    ルヤ

    ぬ 

    スルコト

    レ時

    レ目

    二弟

    子知

    調

    一、

    己見

    日、

    二宣

    一。

    夜、

    シテ

    ルハ

    (46)

    耀

    二寺

    一。良

    レ西

    レ不

    二驚

    大徳

    西

    レ時

    つて、

    コトヲ

    「定

    一」と、受

    を傳

    いる。

    は全

    せる

    で、

    靈異

    「船

    レ徳、

    二法

    一、

    レ凡

    レ光

    。」の賛

    て、

    「道照

    ハ權

    ヶリトナム世

    ・語

    リ傳

    ヘタ

    ルトヤ。」

    とあ

    る。

    の絡

    の状

    いて

    は、

    「是

    六日

    西化

    二殯

    嶮↓

    二於

    一香

    滿

    レ山

    二僣

    一言

    若絡

    。汝

    下爲

    レ我

    二戒

    一別

    立申影

    上。

    (47)

    二僣

    云。

    レ入

    二禪

    レ知

    二初

    レ茲

    之。

    レ測

    とあ

    る。

    「死

    テ後

    マテ頂

    ノ上暖

    ナ一フム人

    ヲバ、此

    レ、第

    ノ菩

    ト可知

    シト。

    レバ、和

    ハ第

    二地

    ノ菩

    二在

    マシヶリト。

    わが國往

    生傳史上より見た今昔物語集作者

    の性向

  • 二ニ

    ニヶリ。」

    二地

    の菩

    い、

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    (48)

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