治 ハ婦人の信者に聖書を数へる事なりしに巧に之を設明せり...

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、王包 ユ昼 浪花教曾牧師津山保羅氏の細 の履歴並に大阪にありし聖霊感 今余ハ郡山に在と雄も昨年夏頃大阪に在、又 に行き、別して於多可姉就眠の前後ハ大阪に在し 興情を硯たれパ之を集めて賢駐に投ず 彼ハ姫路の儒官田島藍水氏の娘にして幼稚の時より父に従 漠間半を率び年齢十五年の頃東京女子師範皐校へ入皐せしが 病の矯不得止古郷へ婦たり。其後病も漸く愈え神戸の英和女皐 校へ入り英撃を惰業せり 其際同校女教師等の導きに由り耶蘇 を信じ紳戸数合自に於て愛洗せり 今を去とと五年の頃、牧師浮 山保羅氏と 結婚し共に浪花教舎の篤に働きしが、其主なる働き ハ婦人の信者に聖書を数へる事なりしに巧に之を設明せり J 、プテヌマ ども未だ聖震の洗穫を愛し事無りしが、昨年 月第二の安息日 に羅馬書十三章十二節の夜既に央けて日近けりと云題(是ハ寓 圏諸数舎に同日説教せし題なり)につき津山氏の設教せしを開 き大に感動し彼自ら思ふに、吾ハ牧師の妻となり別段の恵を愛 ながら軒以に不 其ハ吾ハ全く更生者 ζ とに て、其時より常に其疑念心 然る に同年 月に至り夫津山氏の病愈々烈し ず此世を去り天閣へ鋳る時至れり l ラ氏も同 断せし程なりしに、氏の信仰心の有機平 なりき 細君之を見て氏に自らく、私も死に遇ふて其 になりて見たひと 氏答へて斯恩ふハ未だ憶なる信仰にあら ず、信者ハ救れし其時より安き有機ハある筈なり、不 時に至ても其平安を得る者にあらずと。同年五月頃彼も病 て養生の篤古郷へ行しが其慮にて念に吐血せり 諮問診断して 日ふ、此症ハ己に危難に及ベりと 此時彼の目前に死の様の宜 地に現出たれパ安き心更に無く培々疑念と心配迫り来れり に依て夫津山氏に書欺を遣し民の救ひハ如何にして得らるトや 委く議し呉よと依頼しけれパ 、氏 ハ聖書の語を引て答をなせ 其後病ひ増々一怒くなりたれば氏も其地へ行て介抱し復大阪 へ連競りたり 然るに自宅にでも吐血を援し病の櫓々重るにつ け彼の心に未来の用意ハ出来しゃ否や其心配も櫓たりき。 省時津山氏ニ吊に彼(細君お多可女を指す)を議すに全たく 1011 己を捨て全たく耶蘇に任すべき事を以でせり 時に彼ハ同年

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Page 1: 治 ハ婦人の信者に聖書を数へる事なりしに巧に之を設明せり …...り道を聞に来る者もありて其感に私心ありし事を悔改め袈鐙の賜を愛し者多かりき。叉遠方よ聖霊を愛たり。叉此時人々-説教する者或ハ人を教ふる者等固定迄もあり。日によりてハ終日人の出入絶ざる程なりき。析すれパ

、王包

ユ昼

浪花教曾牧師津山保羅氏の細君於多加女

の履歴並に大阪にありし聖霊感化の概況

今余ハ郡山に在と雄も昨年夏頃大阪に在、又爾来も数度大阪

に行き、別して於多可姉就眠の前後ハ大阪に在し故、親く其

興情を硯たれパ之を集めて賢駐に投ず。

彼ハ姫路の儒官田島藍水氏の娘にして幼稚の時より父に従ひ

漠間半を率び年齢十五年の頃東京女子師範皐校へ入皐せしが、後

病の矯不得止古郷へ婦たり。其後病も漸く愈え神戸の英和女皐

校へ入り英撃を惰業せり。其際同校女教師等の導きに由り耶蘇

を信じ紳戸数合自に於て愛洗せり。今を去とと五年の頃、牧師浮

山保羅氏と結婚し共に浪花教舎の篤に働きしが、其主なる働き

ハ婦人の信者に聖書を数へる事なりしに巧に之を設明せり。然

J

、プテヌマ

ども未だ聖震の洗穫を愛し事無りしが、昨年

一月第二の安息日

に羅馬書十三章十二節の夜既に央けて日近けりと云題(是ハ寓

圏諸数舎に同日説教せし題なり)につき津山氏の設教せしを開

き大に感動し彼自ら思ふに、吾ハ牧師の妻となり別段の恵を愛

ながら軒以に不忠なる僕なりと大に悔心に大なる疑を生じたり。

其ハ吾ハ全く更生者司なるや未だ救はれざる者なるやとのζ

とに

て、其時より常に其疑念心に残り心配止む時なかりしと。然る

に同年三月に至り夫津山氏の病愈々烈しくなり、氏も此度ハ必

ず此世を去り天閣へ鋳る時至れりと決心し融商皐士-アlラ氏も同

榛診断せし程なりしに、氏の信仰心の有機平常に異らず心平安

なりき。細君之を見て氏に自らく、私も死に遇ふて其平安有様

になりて見たひと。氏答へて斯恩ふハ未だ憶なる信仰にあら

ず、信者ハ救れし其時より安き有機ハある筈なり、不然パ死る

時に至ても其平安を得る者にあらずと。同年五月頃彼も病起り

て養生の篤古郷へ行しが其慮にて念に吐血せり。諮問診断して

日ふ、此症ハ己に危難に及ベりと。此時彼の目前に死の様の宜

地に現出たれパ安き心更に無く培々疑念と心配迫り来れり。之

に依て夫津山氏に書欺を遣し民の救ひハ如何にして得らるトや

委く議し呉よと依頼しけれパ

、氏

ハ聖書の語を引て答をなせ

り。其後病ひ増々一怒くなりたれば氏も其地へ行て介抱し復大阪

へ連競りたり。然るに自宅にでも吐血を援し病の櫓々重るにつ

け彼の心に未来の用意ハ出来しゃ否や其心配も櫓たりき。

省時津山氏ニ吊に彼(細君お多可女を指す)を議すに全たく

1011

己を捨て全たく耶蘇に任すべき事を以でせり。時に彼ハ同年

Page 2: 治 ハ婦人の信者に聖書を数へる事なりしに巧に之を設明せり …...り道を聞に来る者もありて其感に私心ありし事を悔改め袈鐙の賜を愛し者多かりき。叉遠方よ聖霊を愛たり。叉此時人々-説教する者或ハ人を教ふる者等固定迄もあり。日によりてハ終日人の出入絶ざる程なりき。析すれパ

咋十五年)六月十二日の午後初て罪を悔改め全く更生り聖霊

の賜を受たり。故に彼ハ念に津山氏の所へ来り。全く己を捨て

何も彼も全く耶蘇に任せ且己の罪を悔改めし趣をのベ、山問浮山

氏K罪の赦と聖震の綴れん事を祈り貰ひ其時より{買に今迄にな

き喜びに漏れたりと。即時に深山氏ハ有名なるドッドリツデ氏

の悔改し時作られし詩(其初節の大意ハ、全たく心を耶蘇に棒

げし日の俊パしき事ハ心破るとか如し。ζ

の喜を何慮に行て宣

んや)を讃問せけれパ彼驚きて日く、其歌は剖ち今私の心・なり

と。其より津山氏三浪花教命自の女の集にて其世帯を述べ且つ尋て

日けるハ、汝曹己に更生しゃ、

EK聖霊を愛しゃ、今死すると

も救れて安心なるやと。然るに皆々左様恩ひますがと云ひっ

hb

心中に考へて明白に答ふる事能ざりき。浮山氏彼らに議て左様

思ますがでハ未健ならず、異に聖震に由て更生し者ハ明かに救

れたり、聖霊を愛たりと答る事を得て疑ひなきものなりと日け

れは、其より各々心に疑おとり己が心の暗を究へ各々内へ拐し

後も本心に責られ家に静止り居ζ

と能ハず。絡に津山氏の庭に

行き如何して救る与や、如何せバ聖餐を愛らるやと尋問し、涙

を流して是迄己の心に従ひ罪を犯せし事を悔改め罪の赦と聖霊

の洗穫を愛んζ

とを祈り、日興の安心と聖霊を愛け喜に漏れし者

多かりき。菜より傍花女同学校生徒の心も悉く動き是迄ハ本心の

責を愛ながら本心に背き罪の途を歩みしも晶画時心場々責られ皆

涙を流て悔み、或ハ牧師の所へゆき、或ハ教師の所へゆき己の

1012

罪を白欲し罪の放と聖誕の感化を析しが、其罪放され聖震の賜

を愛たり故に高慢なる者ハ議だり、互に嫉などの心ありし者ハ

互に心を認額し校中互に一致し互に愛する心燃へ

、叉是迄人の

物を盗み或ハ人のロ聞を用ひ或は借て返さ

rりし杯諸て本心に責

を愛し事を全たく悔改め更生りし者多かりき。叉その感化小児

にも未信者にも及び貧に未曾有の喜びに漏れたり。嘗時深山氏

(マ、)

ハ日曜日の外説教舎、尋問命日、祈祷命日を初しが聴人堂に満ち之

を聞もの良に一仰の諮の如く心に徹し尋問命自にハ渓を流し罪を悔

改めし者もあり、叉ハ夜中戸を叩き津山氏を起し悔改を篤もの

もあり。日によりてハ終日人の出入絶ざる程なりき。析すれパ

聖霊を愛たり。叉此時人々-説教する者或ハ人を教ふる者等固定迄

に私心ありし事を悔改め袈鐙の賜を愛し者多かりき。叉遠方よ

り道を聞に来る者もありて其感化大阪諸数曾其他郡山西京まで

にも及ベり。此時数命具似て聖霊のバプ

テスマを愛け民の一致、

愛、清、信仰、熱心、紫望等を得たり。是昨夏大阪にありしリ

パイパル(聖霊恩化)

の初めなり。

其後度々彼の容態危き有様に陥りしも更生し以来ハ死に就て

も未来K就ても更に心配なく常K賢き望と喜ひありたり。叉

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月の末より永眠に就る弘まで病床より起る事能ハざる百二十

目、其聞神経質の理により気の短き事も屡々ありしが心小児の

如くなり。罪を犯せパ直に涙を流し悔改て一柳に祈れり。叉其家

ハ曾堂の傍なるが或日是非とも設教を聞たしとの心起り病苦を

阪ず二階より下り襖を隔て関しに、一

苦一口一句、心に感じ其祝詩情の

時ハ父と子と聖護の中へ己も入込如く感じ後ハ一一層喜びと宰を

培たりと。五月に入てよりハ花を見るにつけ遺物分をするにつ

け天国の感情を述られしが或日遺物分を篤ながら夫に語て日

く、私ハ斯く多忙く荷どしらへして何庭に行くや、然り天園へ

行なり、アl幸なるかな。叉日く、私ハ此節ハ毎日旋路の如く

恩ひ此家を自分の家と恩ふ気なく常に自分の家へ錦りたし/¥

と思ふ念止ず、眠て目を醒せし時ハ巳に其家に着しかと恩へど

復び未放路なる事に心付りと。叉或時其夫に云るやう、私夜中

聖書を讃、、、涙を流せしに看病人(親類の者にて未信者)之を見

て死する事を悲むならんと思ひ天国ハ幸なる庭かと問り、我答

へて此渓ハ一円感謝の喜悦の涙、ニハ汝曹の不悔改を見て悲む

憐ミの涙なりと一一一ロしが彼らには其涙の意味が分らずと。五月十

二日十二時頃頭を枕に付て一柳に析しが身鰭疲て其央に眠りた

り。然るに幻の如く

「汝其苦痛を甚だ苦と思ふや、然、ともまだ

/

¥苦を興ふベし、併催る勿れ、如何となれば吾と共に苦パな

り、其苦の増に従ふて力をも増て輿べ

し」と耶蘇の言給へりと

心に感じ大に慌を得たりと。翌十三日終の晩餐を浪花教曾に守

しが後追々病勢進、、、、廿八日の夜より容館大に饗じ苦痛も大に

ませしが、其際度々目を聞きて笑ひ心の喜没面に現れたり。伸吟

に三十日午前二時頃安く眠に就り。齢二十三。夫と三年八ヶ月

の愛女を残て雄市き家に婦たり。彼の常に愛せし聖語ハ詩篇百三

の十

一寸

其使我罪離我憐如東離西之主主令

なり

其,じ

斯の如く

罪より救し故肉健の亡んとする時虞の喜ありしならん。彼ハ昨

年大病に擢し時も今年の死病中もリパイパルの時にあひ多の喜

しき事を問て限しハ幸なる者といふベし。今大阪に於て聖径の

働きハ未止ず愈進む有様なりと。凡の柴ハ

一柳に拐すべし。アー

メン。(文責記者)

(「七一一終報」八巻第二十五号「一繭音新報」

一巻第一・二号)

明治十六年六月二十六日・七月三日

・十日

女子教育に就て

女子教育の必要を論じたるの時代ハ今や早や己に音となり

ぬ。之に代りて耐舎の水平上に浮び出でに上ハ雲の上・なる文

1013

部省より下は時間か伏屋の曲辰夫に至るまで、其頭脳を悩ましむる

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に至りたるものぺ女子教育の主義及其方法是れなり。之を詐

言すれば如何なる主義如何なる方法に依て以て現今日本の女子

を教育すべきやの難問固定れなり。或は日く、婦人ハ家を守るの

番人なり、見を育ふの線母なり、割烹、裁縫、日間の算術、日

用の文通位が出来ればそれにて十分なり。何ぞ高債の時間を費

やし、資重の金銭を用ひ、之を教育するの必要あらんやと。或

ハ日く、現今日本の女子数育をして女大事主義の道徳より散米

主義教育に鐙着するの結を除き去り、欧米主義の道徳を以て其

不足を補ひ、一一極特別の折衷的道徳を採用せしむべしと。或は

一もこも純粋の欧米主義教育を通用すべしと主張する者あり。

或ハ現今日本一般の女同学校をして可成丈安用的教育を施行せし

め、安際に家庭を整理し得るの婦女を養せしむべしと論ずる者

あり。其他之に類する異論異設紛として枚撃に暇あらず。夫れ

斯の如く之を口に設き筆に論ずる者衆多なりと難ども、未だ

定の輿論、不動の方針あるを見ず。買に現今日本の女子教育界

ハ混沌たる暗黒世界なりと一五ふも量に-誕言ならんや。日本女子

数育界の現象其れ斯の如く暗黒なり、紛維なり、不定なり。而

して一旦高等女皐佼の悪風評全天下に吹き渡るや忽ち女皐の驚

配駄を来たし、世の女児を有する父母兄姉たる者の中之れが取捨

に迷ひて、然女児を教育するに厨踏遂巡決せざる者あるに至れ

り。山-Eに女撃の居時に邦家の骨材K悲まざるべけんや。加之我新潟

1014

際下を見渡すに、未だ女子教育の必要をも十分に感知せざるも

の往々にして之れ有るが如し。出旦に遺憾ならずや。設令ひ女子

教育の主義及其方法ハ未だ二疋せずと錐ども歳月は人を待た

ず。少女常に少女に非ず。況んや女子を教育するは一箇人とし

て父母兄姉たる者の女児に針する天然の義務なり。

一園長とし

ては国民たる者の邦家に謝する自然の責任なり。況んや女子教

育ハ数育の基礎泉源たるをや。何とて之を忽諸にすべけんや。

願くば世の1

1殊に我綜下の||女児を有する父母兄姉ょ、奮

って女子教育の篤に霊力し良正の女子教育を日本帝圏内に愛達

せしめ、遂に邦家の基礎の上に安置せしめんととを是れ五口人が

熱望する所なり。此熱望あり此時代に際して沈歎する能ハず。

柳平生の私見を略述して参考に供せんと欲す。

吾人ハ往時我日本K行ハれし女大皐主義の女子教育を以て現

今日本の女児を教育するの債値あるを愛見するζ

と能はざるな

り。亦現今欧米に行ハる土助之女子教育法も悉く取て以て日本

枇命自に通用し得べしとも信ずるとと能ハざるなり。国より往古

来高園に行ハれし女子教育設と其結果に就き宜しく深く之に鑑

み之に則るべきもの多かるべしとは雄ども、現今日本の女子を

数育するにハ現今の日本一位曾に必要なる婦女を養成するに通合

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するの数育法を施行せざる可らず。何となれば例へば或人の設

の如く、今日まで別K女子に翠聞を授け或は技慈を仕込むと云

ふとともなかりしが、婦人の職務は矢張登し得て除り不都合な

かりしと恩ふ者未だ少しとせざればなり。然りと雌ども、其説

の-叩訣れること恰も皐術進歩の現今枇命自に於て渓法磐師が己れの

子孫に先祖侍来の醤術を停へ、之を以て現今の醤邸一士社命日の中

K立て競宰を試みせしめんとするもの

F如し。愚も亦甚しから

ずや。現今の時代ハ之れ如何なる時代ぞや。士農工商推し並べ

て知識を要する時代に非ずや。無数育加盟…智識の人物ハ将に木偶

視せられんとするの時代に非ずや。健…祭文盲の婦人は到底現今

の枇舎に立て賢母良妻たるの資格なきゃ勿論なり。若し夫れ現

今の進歩的活動的枇舎に孤立し、古風の数育を愛けしめたらん

にハ如何に不都合なる婦女とぞなりなん。人の妻となり、人の

母となり、人の姉妹となり、家の媛様となり、智識上、技世襲

上、心霊上、凡て其教育異なれば||否な等ろ無数育なれば|

-彼等を慰め、彼等を数へ、彼等を導き、彼等を助くるの朋友

となり、有盆に検快なる交際をなすζ

と能ハず。自然と木偶

視、否奴隷視せらるh

に至るは笛然なり。之れ量kmH母良妻傑

女を養成するの方法ならんや。時勢の要求、従舎の大勢に逆ふ

や判制

令創円

て事をなさば何事か失敗せざるものあらんや。故に日く、現今

ハ現今の日本枇命日に必要なる婦人を養成するに一適合するの教育

法を施行せざる可からざるなりと。

今着服黙を胸じて日本女子教育を観察するに、世人の最も疑

惑を懐き識者の最も憂慮する所のものは女徳一泊養の主義及其方

法にぞある。吾人は女子教育全穏を論ずるは之を他自に譲り、

今弦に殊に女徳一泊養の主義及其方法に就き柳か五口人が平生の私

考を略論せん。吾人ハ女大翠主義の道徳||男女席を同ふす可

らず、男女交際す可らずなど厳禁する古風的の道徳ーーを説法

すればとて之のみを以て決して現今日本の女徳を維持するの債

値なきのみならず、到底五白人が熱望する枇曾の腐敗を清浄なら

しむるの勢力たる女抽出を涌養するに足らざるを知るなり。何と

なればζ

れ買に束縛的の数育法にして其徳や自由自動燭立撰偉

的の女徳に非らさればなり。故に若し一日一其束縛を股し自由の

身となり、好機命田を得或は誘惑に逢ふζ

とあらんか忽ち汚出献に

陥ゐるや必せり。

ζ

れ貨に鍛鎖を以て繋ぎたるの射狼にして、

性来柔和潔白の羊にあらざればなり。放に若し

一旦其鍛鎖を交

かる訟ととあらんか直ちに人を害するや明らかなり。束縛的教

育法の侍むに足らざるや其れ斯の如し。之れ量K吾人が左祖す

る所のものならんや。然れども吾人ハ熱望す。吾人は縦令ひ女

子に自由を輿へ、或ハ他人の見ざる暗黒場裡に燭立して誘惑の

1015

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機命日に遭ハしむとも決して心を動さ£るのみならず、貿に罪悪

を嫌悪するζ

と蛇掲よりも甚しく、心中一黙の汚措慨を感ずると

きは悲嘆措く能はず。朝夕意を注ぎて己のが心を洗濯し、己の

が心を装飾するζ

と衣服に勝り、而して婦人の装飾とすべきも

のハ頭上に戴くの金銀にあらず、指環に銭むの賓玉に非らず、

身遂に纏ふの錦繍に非らず、只だ彼の柔和、情静、潔白、仁

愛、智識、経験、鍛錬、忍耐等の心徳なりと。自ら悟り、自ら

揮び、自ら守り、自ら喜んで愈々女徳に進歩し、社命日の腐敗を

見てハ懐慨悲憤の情を援し、以て内にハ子女を教育し良人を扶

助奨勘し、外にハ之れを績充して以て同胞の兄弟姉妹を感化し

枇命自の腐敗を清むるの盛となり一位曾の暗黒を照らすの光となり

得る程の女徳を具へたる婦人を数育せんととを熱望するなり。

然らハ此の如き女徳此の如き婦人を養成するには如何すれば

可ならんか。吾人ハ日はんと欲す。須らく外部を以て枝葉とな

し内部を以て根本となし形骸を以て後となし心霊を以て先とな

すベし。斯く鴛すべし篤さ正る可らずと命令するを慶して斯く

篤す可し篤さいふる可らずと自ら撰律するの女徳を養ふが矯めに

先づ心霊の援達善化を謀って市して後ちに自然と外形に及ぼす

可しと。故に現今世人の或は主張し或は駁撃する所の男女交際

論も穴勝に決して行ふ可らず。之れを行へば必ず弊害ありとハ

云ハざるなり。左りとて亦た之を放任して顧みざる者にもあら

1016

ざるなり。固より潔白なる男女の交際ハ種々の利盆を興ふる者

にして却って男女の道徳を高尚ならしめ枇曾をして清潔ならし

むるを得る所あるには相遣なしと雄ども、之れ決して現今の日

本枇命日rh適合するの論設に非らざるなり。斯の如き男女の交際

ハ男女雨性の遵徳今一層進歩し、人各々仰で天に塊ぢず、伏し

て地に耽ぢず、内自ら心に省みて疾しからず。五ロハ只だ何事も

悉く我良心の命令に之れ従ふと云ひ得るの度に至り、瞬、論朝日慣

等の改進したるの暁に於て初めて行ハるべきものなり。於之乎

初めて欧米に行ハるL

が如き男女交際も盆あるに至るべし。然

るに道徳習慣彼の如く進歩したる欧米に行はる土教育法のみな

らず、殊に欧米に於ても具眼者の矯めにハ危険なり、禍{舎な

り、忌避すべしとまで償斥せらるよ忠風弊習をも輸入して之を

道徳習慣の未だ堅固ならざる我日本の現況に賓行せんとするハ

之れ無理の極、非道の至なり。今誌に一一一の例詮を翠げんに夫

れ欧米に於てハ男女互に交下するの道大に行はると雄、とも、若

し父母親戚又は師友の如き各自の全く信任する者の紹介あるに

非ざれば決して釘坐言語を交ゆるものあらざるなり。叉或は男

子にして婦人の前に在るや行儀を正粛にし言語を潔白にし胸部

以下局部の名稀に至ては之を口外にだも出さ£る等の巌格なる

Page 7: 治 ハ婦人の信者に聖書を数へる事なりしに巧に之を設明せり …...り道を聞に来る者もありて其感に私心ありし事を悔改め袈鐙の賜を愛し者多かりき。叉遠方よ聖霊を愛たり。叉此時人々-説教する者或ハ人を教ふる者等固定迄もあり。日によりてハ終日人の出入絶ざる程なりき。析すれパ

儀式あるを以て、若し男子にして不潔の一言語を援するの如き等

の行矯あるときハ其交情兄弟も雷ならぬ、昨日の親友も今日ハ

忽ち嬰じて楚越も雷一ならざるの他人となり一言一句も交へざる

に至るととありと云ふ。其他輿論の謎責、女性を敬愛するの習

慣、宗数の感化カ等ありて能く枇曾の道徳を維持し男女交際を

も有盆ならしむ。之れ即ち散米枇命自に於ける男女交際の我圏と

異なるの情態を有する所以なり。然るに我園の現情を察するに

男女交際をして清海潔白ならしむの習慣なく、輿論なく、叉宗

教もなし。奈何んぞ其根本を残しながらロハ々散米に行わる与所

の枝葉的の文明のみを之れ移植するを得んや。之れ吾人が無理

の極と云ふ所以なり。叉斯の如き我圏の現況に彼の如き無照明紳

我盤的の男女交際を遍用し我神聖なる女皐界に悪風弊習を醸し

禍害を吾日本枇命自に侍播せしめたるハ讃者諸君の己に見聞した

る所なり。之れ吾人が非道の至りと云ふ所以なり。故K玉口人は

主張す。現今の日本に於て女子教育を施すには須らく先づ心霊

上の設達善化を謀り女性の心情をして純粋清浮ならしめ以て外

部の教育K及ぼし之れをして自然に改良進歩せしむべしと。勿

論斯く論ずればとて五口人ハ決して賓用的教育を軽蔑する者に非

らず。否吾人は大に之を重ずるものなり。只だ其れ之を重ず故

に心霊的教育を主張するものなり。夫れ女子教育の主眼ハ賢母

良妻傑女を養成するに在り、然らば裁縫割烹育児法等の食用的

態ナ識技裂に通達すれば直に以て賢母良妻傑女となり得べきや。

思T

識技委は自動的のものにあらず、之を使用活動せしむる者は

只だ心鐙なり。故に間半識技郡安

心霊の善惑に依りて悪とも・なれ

ば善ともなり、筈をも輿ふれば盆をも興ふるものなれば、費用

的教育ハ心霊的教育の行はれて後に初めてよく其目的を達する

ものなり。而して此心霊的教育を女皐校内K施行せんとするに

は種々の方便工夫もあるべしと錐ども、吾人が今弦に女撃に従

事する諸君の参考に供せんと欲するもの三箇篠あり。日く人倫

道徳上の講話(束縛的命令的に流れたる、叉ハ無責任の講話ハ

無盆なり。生命ある一講話をなさ

rる可らず。生命ある諮話をな

さんとすれば講話者其者自身に生命を有せぎる可らず。生命な

きの講話ハなさざるに若かず。)日く授業上教員の感化

(皐議

技套を授るのみが教員の職務にあらず、教員たるものハロ間行上

生徒の模範となるを以て自任せざるべからず。然らずんば心霊

的教育も其目的を達する能ハず。)日く寄宿舎取締上の管理

(寄宿舎は一校の美風良俗の府源となるものなれば非常の注意

を輿へざる可からず。而して寄宿舎生徒をして家庭に在るの感

想を懐き後来己のが家庭を造るの設備を事ばしむべし。叉た愛

1017

憐の心情節倹の気風は寄宿舎に於て泊養するに適切なるものな

Page 8: 治 ハ婦人の信者に聖書を数へる事なりしに巧に之を設明せり …...り道を聞に来る者もありて其感に私心ありし事を悔改め袈鐙の賜を愛し者多かりき。叉遠方よ聖霊を愛たり。叉此時人々-説教する者或ハ人を教ふる者等固定迄もあり。日によりてハ終日人の出入絶ざる程なりき。析すれパ

り。)之れなり。若し斯くの如くにして生徒の徳性を培養し、

校内に清浄潔白の空気を充満せしめ各自の生徒をして此の風に

吹かれ不識不究心盤の援達盤固化を来すに鞠朗勉励せば、柊ひに

は確固不抜高向優美の女徳を泊養するに至らんζ

と難きにあら

ざるべし。吾人が抱持する女子教育女徳緬養に関する私見ハ大

略此くの如し。

「新潟新聞」明治廿二年七月十八日

1十九日

北越教育事業に就て

余ζ

の頃地方を周遊し我北越の臓野を眺むるに捕物は豊に地

面に繁殖し十分の滋養と光熱を得て何不足なく生長暢茂し満望

高頃の緑浪を縄問せり。農夫は之を見て欣然として日く、今年ζ

そハ豊年なるべしと。然るに思想を鵜じ融合目一般の欺況如何を

察するに(貨に愁然たらざるを得ざるものあり。何ぞや日く、数

多の男女青年之れなり。彼等は今十分の滋養と光熱を愛けて成

長、進歩、鍛錬すべきものなり。然るに彼等は光線を愛けざる

床下の革、滋養を得ざる砂磯上の木の如く貴重の生涯を終に柾

了せんとするが如き有様なり。如固定者何ぞそれ移しきゃ。政事

家は日く、我は政事家なり何ぞ他事を顧みるの暇あらんや。質

業家は日く、人各々分あり我れ唯吾が閏を肥やし我の禾を養ふ

1018

を知るのみ吾業務の外は凡て之を度外に置くと。何,そそれ冷々

淡々なるや、是れ買に北越事業の援はざる原因なるべし。議ふ

之を詳論せん。

余が初めて北越に来りし時余をして尤も驚樗せしめたる者は

時候、天気の嬰更なり。而して之と共に吾感情を動かせし者ハ

事業の協互選なり盛衰なり興亡なり。今ま其の一一

一を間帯げんに先

づ膝下政事上の事業如何を考ふるに維新以来鯨隠の位地を嬰移

するとと貨に四固なりと、叉其の長官の交迭己に九名にして其

設置の初めに嘗つては五年聞に五人の交迭を見しζ

とありと云

ふ。何ぞそれ饗化の頻繁なるや。叉教育事業を観るに新潟市に

於て今日迄に輿りし皐校を算すれば数多の英皐校、漢皐塾、中

皐校、化皐校、薬物皐校、密皐校、等にして地方に於ては高

回、長岡、柏崎、新渡田、村上、佐渡、嫡彦、小千谷等各々

箇の中皐校を興せしと雄も多くハ己に全廃し今治存する者は表

弱せる姿なるを見る。安にその繊互選の速なる吾人をして驚くに

耐へざらしむるものあり。

抑々如是袋更、盛表、興敗、の繁きは北越人士の気質は盆地

の気候と等く嬰り易きKよるや。否々決して然らず。如何とな

れば北越人士は却て保守的の者多きに居るにあらずや。然らは

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則ち如何。余の見る所Kよれば今日迄の教育事業は多く他動的

の刺衝を愛けて興りし者にして或は官の強硬開渉により或は官

の補助を侍み或は官吏の奨闘に依り或は他園人の援起に係り余

儀なく之に同意し或は際分の寄附をなせる位にて其土着の人士

が自ら起り自ら奮ひ自ら動いて之を興し之を維持し之を隆盛に

する精一柳に乏しく自治、自立の心あるζ

となし。故に其事業薄

弱にして暴風怒議に抗するの勇なく常に動揺、開閉覆の憂あり。

放に若し長官の交迭するζ

とあらん乎或は等制の袋更する乙と

あらん乎或は醤局者の移斡するζ

とあらん乎何か些少の嬰動あ

らんには影響忽ち之れに及び之れが成思表、興亡の因をなす也。

果して然らは我膝下の数育事業は今日迄随分失敗を取れりと謂

はざる可らず。

故に有志者も数育事業K危疑を懐くに至り政事家も事業家も

財産家も大に之を倦怠するに至れり。教育家は如何に気を採み

精を凝らすと雌も資の以て其カを展ぶる所なく羽酬を飲めて自

ら嘆息せしむるに至る。目疋れ貧に我膝下教育事業の一大障害な

るべし。国より往古未聞の自には座制的、関渉的、他動的の仕

事も必要なりしことは事責なり。若し其日に於て(自の命令なく

保護なく関渉なく他国人の奨附あらずんば中皐以上の翠校は勿

論小皐校の如きに至ても今日の有僚を見るととを得るは或は数

十年の未来ならんか。然れども今日は己に幼稚の人民にあらず

未聞の世醐胞にあらず寓事濁立自治の運動を篤す可き時となれ

り。鳴呼吾信任敬愛する先達の北越人士ょ、今日此の鉢を矯る

は貫に諸君の責任なり。若し諸君が既に存する諸皐校及将来興

る可き諸皐校の裳起者となり商議員となり維持者となり自ら計

重し白から主張し白から負捻し自ら憤裂し白から任じ玉ふなら

ば諸君の賢明諸君の富有諸君の勢力之を盛大にする何んの難き

ととかあらん。故に今日の急務は諸君が白動的の運動をなし他

図人及び官吏等を使役するの者となり諸君は主人となり諸君を

助くる者は客人となりて自立自治の運動をなすζ

となり。山豆K

諸君にして教育事業を度外視するが如きことあらんや諸君は北

越を誰れに譲らんとするや諸君の事業は誰に縫がしめんとする

ゃ。豊臣氏は善良の嗣子なきが故に滅び希服、羅馬は嗣子たる

青年薫陶を怠りしときに傾むきたり。余円品質に諸君が男女青年

を教育するの必要を熟知するを信ず。願くは今日の教育事業に

限を勝じ之れを顧み之れを愛護し之れを隆盛完全に至らしむる

様熱心霊力あらんζ

と糞望K耐へざるなり。

「新潟新聞」明治二十三年八月二十一日

1019

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女子教育は英園が一番です

欧米女子数育視察の篤め咋年八月渡敵せる女子大間竿校長成瀬

仁薮氏は昨日午後一時五十分新橋着列車にて蹄京せり、直に

氏を女子大皐に訪ひ税察談を聞く。

日く

「此度は女子教育現察の目的で英、榊仰、潟、露を巡歴し

ました。歓米の女子教育は長足の進歩を示して居るが園によっ

ては日本より後れて居る所もあり何と一去っても世界中英図が第

一の進歩です、英国では貴族は専門的の教師を招いて自宅で勉

強し中以下一般の女子は男子と共に同じ大与に同じ皐科を皐ん

で居る、女子専門の高等間学校であらうが程度が低く皐ぶ人がな

ぃ、英図の女子教育が盛んになった事は、生活問題から来た事

は疑ふべからざる事費ですが生活難の援の後には結婚難が起つ

て老嬢が多くなり自分一個人の婦人も濁立生活を営まねばなら

ず、従っ

て就職上皐術其他の黙で男子と競宰せねばならない。

一穏西洋の婦人は自己主義濁立主義の如く見なされて日本迄

其流れを信じ行ふ人が多いのは非常な心得逮ひで生活難に追は

れて居る英国婦人を見ると日本の婦人は誠に幸福です、叉英国

では精神教育が金々盛んである、困難に遭遇した場合冷静に物

事を考へて後行ふから間違ひも少い

、日本も大に精神数育を援

1020

逮させたいのです。

今後の日本女子教育は除程に注意に注意を加へないと日本も

生活難の激しくなるにつれ女子の濁立が多くなる篤め相酋の皐

術を授けなければならぬ、此頃、英園女子参政運動は大暦喧し

い様に停へられて居るが之は或事情の篤己を得ず行った事で議

派が二つに分れ一方は狂蹴の様な有様であるが一方は叉甚だ静

かで其悪い一方が侍へられて居るのです。

それを日本の婦人が良似でもすればそれとそ大嬰な事だ、

し日本でも留守中新しい女の何のと今聞い

て驚いたが惑い風設

を信ぜず進まないと飛んでもない間違ひが起りますよ」云々。

「東京日々新聞」大正二年三月四日

現代の要求する女子教育

私は現代に於ける女子教育は、先づ第一に人間としての教育

を授くべきものであると恩ふ。九そ男女を聞はず、叉貧富に拘

はらず、教育の根本義は人としての償値を高め、其本性を設現

するにあらねばならぬ。之は最初より私共の主義とする所であ

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る。而して今日に於ても向ほ依然として此信念の下に立つもの

である。

今日にありでは此の主義の教育は、人格教育、若くは孔孟数

育の名を以てや土世間に認めらる与に至ったが、私共が之を主

張し始めた十七八年前にありでは、随分位問より種々の批難を

蒙ったものである。私は斯く女子を教育するにも先づ之を人と

して教育せ・なければならぬと思うが、此黙が私の教育上の主義

と、従来の女子教育の主義と異なる所である。従来の女子教育

は、女Kは唯良妻賢母たるの教育、創ち内を治め、主婦として

家政を執り、児女を育てるに必要なる教育、直ぐ女の生涯に必

要なる所の知識護能

l割烹、裁縫、茶の湯、琴其他の一音紫、

通りの讃み書き等ーを侵ける教育であれば夫れで宜しいとして

あった。而して叉此種の教育は女子にして不幸夫を失ひ子を失

ふ等の場合に、自活する一の方便としても職業を授くる所以で

あるとも見られたのである。

併し乍ら斯かる教育は、到底女子を家の道具、祉舎の器械と

して考へた上の教育で、之を人として考へた上の教育ではない

のである。然るに女と雄も矢張り人間である。人間の性能もあ

れば、人間としての要求もある。而して此人間としての要求

は、軍に奮式の女子教育に於て得たる外部の知識、官製能のみに

依て満足の山来るものではない。況んや夫を失ひ、子女を失

ひ、家運傾き、悲境に沈治せし際の如きは、更K一層深き根抵

を有する教育、創ち人としての教育を愛けて居なければ、自か

ら悲境に陥り、其生涯を誤るの虞れがある。

由来女子は小人と共に養ひ難しと稽せられ、之を叱かれば働

ね、優しくすれば我鐙になり、物を教へれば生意気になり繁に

-なれば箸修に耽り、始末におへぬもの、解りにくきもの取扱ひ

にくきものとせられであった。このため従来の女子教育は患に

家の道具たり、枇曾の器械たるに必要なる程度K止まって居た

のである。斯くせざれば却て女子を誤まるものと信じて居たの

である。叉貧際今日まで高等教育を受けたる女子にして往々我

盤に且突飛なる行動を敢へてし、現に西洋にありても婦人参政

権運動者中には随分粗暴にして、且男子に謝して反抗的態度に

出でるやうなものもある所から、世間では動もすれば之を女子

が高等教育を愛けし結果であるかの如くに見て居るのである

が、とれは皮相の考であると思ふ。私共が三十年来女子教育に

従事し来りし経験に依るも、又世界に於ける諸教育家の研究結

果に見るも、女子が扱ひ

Kくく、我餓に、ヒステリー的・なる

は、畢一寛人間としての教育を輿へないからである。無智にして

1021

意志のカ弱く、人格が不完全なからである。故に惜闘に是等の弊

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を根抵より除却せんと欲せば、女子に針して人間の力、阿国値、

要求を附興する所の教育|人格教育に侠つの外は無いのであ

る。既に前段にも述べしが如く、男女を聞はず車に境遇や外部

の事情のみに依って満足せんと欲するも到底満足し得らるトも

のでは毎日。況して之によって逆境に虚し、困難に打ち克ち、

自己を修め家を治め、子女を数育し感化して行くととは到底出

来ぬ。故に如何にしても人格教育、換言すれば宗教教育、精神

教育は男子教育の根本義であると同時に叉女子教育の根本義で

あると思ふ。

現時は西洋にあっても物質論が盛んで、

E生活難を訴へつつ

ある所から、思想界は混飢の波に漂はされて居るが、斯かる中

にあっても枇舎の砥柱となって此顔勢を支へて居る所の立派な

る婦人||母としても、妻としても、優れて居る婦人は、やは

り宗教教育、精神教育の素養あり訓練ある婦人である。即ち人

問としての生活の根本的教育を愛けた嬬人である人はζ

れある

が故に如何なる境遇に命日ふも、之に庭して其道を誤らずして行

けるのである。

昔から宗教家、聖人等が女子と小人は養ひ難しと嘆じたの

は、女子に謝して人間としての根本数育を輿へず、叉其活眼を

1022

開くととを敢てせざりし結果である。即ち女子を軍に家の道

具、社命日の器械として取扱った結果である。今日の根本数育を

安けし女子は決して小人と同一視すべからざるのみならず、将

来人類生活の向上すると共に、女子の地位は盆々高まるべき傾

向を持って居るのである。現にスタンレl氏の如きは、人間の

ヒユ

1マニチ!の曲線を描いて、女子の地位を最高位に置き、

将来盆々高まるものであると言って居る。叉仰園のベルグソン

氏の如きも、過般私が外遊の節命日見して我園に於ける競

一協合目

のζ

と、並に女子教育のととに闘して話せし所、錦一協舎の事

業にも無論同情したが、女子教育に謝しては更に其以上の同情

を表した。目く由来女子は直資力の銑敏・なものである。

(氏は

有名の直同基調者である)従って宗教並に美的情操を裳揮するは

婦人の天性である。将来枇曾革新の運動は必ずや婦人によりて

喚起せらる与であろうと。賓際今日に於ても西洋に於ける宗教

界の新運動の中心は婦人であり、叉傾きかL

れる奮宗教を維持

して居る者も婦人である。即ち異に人間としての憤値を高め、

ヒユ

17ニチlの空気を清新ならしめつつあるは婦人のカであ

る。故に婦人に高等教育を授けて、之をして人間としての良債

を裳揮せしめるζ

とは、現代の要求であると思ふ。

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之も宗教の上より翻るも、迷信は猶ほ催眠術の如く候令一時

の効果はありとも、永久的、根本的の陣地威を有せない。やはり

智、情、一意、の根本教育を愛けたものと荷醇にして敬慶なる信

仰でなければ、良に宗教たるの意義も、権威も司ないのである。

而して若し女子にして此根本教育を紋くに於ては、家庭の経

理、子女の数育は素より、枇命日国家を救済し、維持し、向上

し、愛展せしめる遁は無いのである。由是翻之、園家の興隆す

ると否との根本問題は、所詮、人間としての女子数育の行はれ

るか否かによって岐かれると言ふも敢て溢言ではないの

であ

る。私は此義に於て、飽までも女子教育の根本義は、之を人間

としての教育を授けるに在ると思ふ。

第二は婦人としての教育である。私は女子に人間としての根

本教育、高等教育を授けよと言ふも、とれは決して男女の別を

無視し、個人の特色を抹消せよと言ふ一意味では餓込。民の意義

に於ける統

二致は、各人特有の才能を排し種類を減ずるに非

j~

ずして、盆々各人特有の才能を愛情押せしめると同時に、其特有

の才能を調和せしむるにあるのである。

凡そ人間の流れの二大別として認むべきは、男女の別であ

る。而して文明が高度になればなる程、相互の特色は盆々明瞭

になると同時に、其聞は完全に調和せられて、一のヒュ

ーマン

ビlイングとしての働きをなすべきものである。従って婦人は

飽までも婦人らしく、男子は飽までも男子らしく教育せなけれ

ばならぬととは言ふまでも無い。女にして男の箕倣をなし、若

くは男子に反抗し、蹴暴し、喧嘩腰となるが如きは決して女子

たるの本領を愛揮する所以では無いのである。女子は飽までも

美徳、善行を以て自己の特色とし、之を以て男子に釘し、之を

以て枇舎を醇化せなければならぬ。男子と異なる特色を以て男

子の鉄砧を補ひ、之と調和共同して事に賞ら・なければならぬ。

女子には白から人の妻となり、母となり、家を修め、子女を数

育し、男子の好伴侶となって之を助くべき天分がある。而して

乙の天分を全うし得るやうに之を教育するとと、剖ち娘とし

て、

妻として、母として将た組母として立振に其任務を蓋し得

るやうに之を教育するζ

とは、回定れ亦女子教育の重大なる特色

の一でなければならぬ。

第三は女子を園民として教育するととである。女子と雄も祉

1023

舎の一員であると同時に、閤民の一員である。素より女子と最

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も密接且重大の関係にある家庭其ものが、小なる耐舎、小なる

国家ではあるが、雷にそれのみならず、更に大なる枇命日大なる

図家の一人として女子の働くべき任務も亦決して少なくはない

のである。従って女子をして其圏家に釘する観念、並に紅命日と

自己との関係等に就て一般的の知識を養成せしめるζ

とは必要

である。

之を経済的制概念より云ふも、園富を沿道し、図カを充費する

には男子にのみ働かしむるζ

となくして、男女共稼なるを南京す

る。従って極めて少数の例外は別にして、人の妻たり、母たる

ものの大部分は、車に家庭に於ける主婦としての勤めの外に女

子としての一創業を営みて、何等か国家の経済界に貢献する所が

無くてはならぬ。即ち何等か公けの仕事を篤して収入を得るの

途を議ぜなければならぬ。而して今日

K於ける文明園の経済組

織は分業的であるから、人皆各々其職業に関する専門的の知識

を必要とする。従って叉女子が枇曾の一員として車に消費経済

に閥興するのみならず、其生産を助けんと欲せば各々生産に闘

する専門的知識を具有せなければならぬのである。現に西洋に

あっては夫婦の駒齢者あり、夫婦の文字者あり、大風一'数授の如き

も夫人にして夫と同等若くはそれ以上の知識あり、才能あり、

且名望を有する人も少なくない。コムストリ夫人、マツケンジ

-夫人の如きは其著しき例である。其外婦人にして或は高等商

1024

業率校を卒業せるものあり機械撃を修めしものあり、着々専門

教育に向っ

て進みつ?ある。女子に

して既に紅曾の一員なり、

園家の一員たる以上、斯くなるが設然である。

更K進んで之を政治的関係に就て見るも、英図並に米圏の如

きにあっては、婦人参政権運動起り、之が内治上頗る重大なる

問題となって居る。而して活眼ある政治家は巧みに之を利用し

て自己の勢力を伸ばすに成功したものもある。ル

ーズヴエ

ルト

氏の如きは其一人で、其共和熱より分立せる進歩紫が、タフト

氏の率ゆる共和黛に比して隆々たる勢力を得しものは、其政網

中K婦人参政機を認めたるによるものである。叉之を英図並に

米園等の政界の貧際に徴するに、婦人は名義上投票権を持って

は居ないが、主人が投票する場合には、

二家相談の上で決め、

其主婦たるものも亦概ね政治に闘する知識もあり、剣断力もあ

り、且愛関心にも官凹んで居るから、事買に於ては夫の手を通じ

て投票機を行使し、政治K千興して居るのである。従って其子

女の如きも、政治上の知識を母より愛けるととが却々多い。叉

百際政治の或部分、例

へば衛生的設備を整へ

、悪風を矯正し、

良感化を枇命自に輿へ

、国家の文明的施設を完うせしむるが如き

乙とは婦人の力が興って多きに居るのである。従って図家の政

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治も其牢ばは女子によって支配せられて居るといっても過言で

はない。女子が男子の政治を助けると、却て男子の足手纏いと

なって之を邪魔するとは買に雲泥の相違である。故に婦人と錐

も可成高き程度の政治的知識を具備するζ

とは園選後展の上か

ら制限て極めて必要である。

向ほ更に之も人間生活の線本義より論ずれば、人聞は元来孤

濁に生活すべきものに非ずして大・なる枇命目、園家の一員として

共同生活を営むべきものなるが故に||而して女子も亦枇舎の

一員、国家の一員なるが故に、枇曾、園家の事に干輿し、男子

と共に枇命日の救済、闘家の進運の矯め

K隠分の力を霊すに於て

始めて人間としての任務を全うし得たりと云ふべきである。而

して弦に於て始めて第一、第二の教育も完全に効果を翠げ得た

りと言ふべきである。

要するに私の懐抱する所の女子教育に関する一意見は先づ第一

に之に人としての教育を授けるζ

と、第二に之に女子としての

教育を授けるζ

と、第三に之に園長としての教育を授けると

と、との三である。而して三者英一を紋くも、以て現代の要求

する女子教育たり得ないと思ふ。私は、現に十年来此主義の下

に女子数育の任に嘗って居るのであるが、過般欧米を巡一墜して

盆々自己の信念の誤らざるととを確かめ、今後も愈々此主義の

下に肱分の力を致すべき決心である。

「太陽」第十九巻第九披)大正二年六月

女翠校の制服問題

今度大阪府下の各高等女皐校が相談して生徒の服装を一定した

といふ事から乙の問題が東京にも績がり大分喧しく論議される

やうになりました。しかし之は今はじまった事でなく、教育者

側に於ては随分久しい前から問題と・なって居る事でどざいま

す。元来、今の日本の服装は経済上から見ても衛生上から見ても

改善せねばならぬといふ事は一般の人々も気付いて居るゃうで

す。然し之を改める事は齢程の問題であると恩ひます。之を決

するには第一に衛生上、第二に経済的、第三に風俗習慣即ち枇

命日心理上より研究せねばならぬのです。一位命目的繁化に仲けったと

の根本的研究によって此服装ならばと決したものであるならば

宜しいでせうけれども軍に服装許り定まった

rけではまだ不充

分です。

かうすれば之が行はれるといふ方法迄諮じであらねばなりま

1025

せん。その案も立ってゐて賀行の緒として先づ謬校で試みると

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いふならば宜しうございませうが、之等の大方針が確定せぬう

ちに一部或は皐校で着手するのはむづかしいと思ひます。私は

もとの具躍的成案を見ぬうちは賛否何れにとも確答が出来かね

ます。

軍に色を一定しようといふ設もあるやうですが、色は其人々

に遇笛なものを選慢すべきである。態一'校から申せばそれは、

の趣味の教育であります。数育は本の上のみならず賀際上から

もせねばならぬ。質素といふ事も自動的にするやうに数育した

ぃ、それを皐校の方から色は乙れにせよ、形ばかり、地質は之

れと規則詰めにすると生徒は無意識に従ってゐるが、卒業して

から自分が選俸する段になると剣断に迷ふ。叉、門学校でしめつ

けられてゐた反動で非常に放縦に流れるといふ如き弊が生ぜぬ

とも限りません。之を経済上から見た時は如何でせう。普通の

着物一枚と制限一枚とだけを比較する時は制限の方が安債でせ

うが、枇舎の風とあはぬものを外に輩出て出る事は出来ず、二様

の服装を揃へて置かねばならぬ。

結局不経済となるといふ事をのがれませんでせう。叉、服装

の改善は住居の改善に伴はねば出来ません。服装のために住居

を改めるといふ如き事は到底行はるべき事ではありますまい。

かくすべての方面から見て、女皐校の制限一定といふ事はま

だまだ充分の研究を要した上でなければ出来ぬと考へます。

1026

「讃賀新聞」大正五年二月十六日

婦人の職業教育

科鼠寸耐応用の裳達せざる以前にありでは、女子の職業は大飽に

於て男子の職業と匿別せられ居たり。但し是も絶叫到には非ず、

一方に於ては中流以下の農家又たは商家に於けるが如く、明か

に夫婦共稼ぎの欣態に在りたる者もなきに非ず。

されど固定れ等の共稼ぎ欣態にある者と難も、男女の間自ら劃

然たる仕事の範図ありて、女子は飽迄も補助の地位にあり、主

たる職分は裁縫、室所等にありたる事言ふを侠たざるが放に、

科目半麿用の護達せざる以前にありては、概して男は男、女は女

の職業ありて、互に相侵すとと無しと言ふを得たり。然るに近

年科撃のカは遺憾なく総ての職業に感用せらる与に歪り、総て

の作業が大仕掛となり、組織的分業的となるに至りて、吾人の

経済欣態に大祭化を来したると同時に、

二万に於ては、以上の

男女間の職業上の匿別も亦破壊せらる込に至れり。全く破援し

悉されたりとは言ひ得ずと難も、少くとも漸次破壊せられつ与

あるは疑を容れず。

Page 17: 治 ハ婦人の信者に聖書を数へる事なりしに巧に之を設明せり …...り道を聞に来る者もありて其感に私心ありし事を悔改め袈鐙の賜を愛し者多かりき。叉遠方よ聖霊を愛たり。叉此時人々-説教する者或ハ人を教ふる者等固定迄もあり。日によりてハ終日人の出入絶ざる程なりき。析すれパ

即ち此傾向の最も著しき庭は米園也。米固に於ては家庭に於

る女子の職業は、工業設遠の篤に殆ど全く女子の手より奪ひ去

られしが如し。裁縫も料理も家庭に於て其必要なく、水も火も

篭も大仕掛の工場組織に依りて供給する事となり、是等の作業

の大部分は女子の手を倹たざるに至り、女子と錐も以前の如く

手を束ねて竃の前にある事を得、す、出で込組織的作業の一端に

参加せざるを得ざるに至りたり。市し又一方に於ては此経済上

の繁化に仲ふ必然の結果として、人の生活が機械的となり、競

宰は烈しく、生活の程度は甚だしく高まり来るといふ誇にて、

男も女も等しく仕事の能率を盆々高むるに非ざれば立行かざる

事となり、女子の教育は国家経済の上より言ふも、一家幸福の

上より言ふも、軍に修養が其主たる目的に非ず、男子と同様の

職業教育剖ち官同等の皐術科撃の教育を以て其主たる目的の一に

数ふるに至りたり。

目疋れ蓋し時勢の然らしむる所にして、妻も怪しむに足らざる

可し。沿今回の大昨秋

ak就て之を見るに、女子の職業教育は

盆々其必要を讃明せられたり。女子も国家の一員にして、男子

と共に園家の用に立ち、園家の防御討に賞る事が、其図の跡地威で

もあり、且つ一家の幸穏なる事が愈々分明と-なりたり。

殊に今回の戦役に於ては、欧州に於ては非常に多くの男子を

失ひたるを以て、第一歩にして、更に少しく此方向に進む時

は、我園の女子も亦長く簡の前に委如たる事を許されず、早晩

男子と共に出でて其の作業の能率を増進し、一一聞に於ては自己

の生活上の立脚地を作らざるを得ざるに至らんか。

唯夫れ女子の職業と云ふも、女子には女子の特性あり、自ら

其れに相懸したる職業を選ぶに相違なかるべきも、然も予輩は

大岡胞に於て今日に於て見るが如き天下の職業を二分して、男子

は外にありて其の一を営み、女子は家にありて他の一を営むと

云ふ職業上の直別の如きは、近く存在の理由を失ふに至るべき

ものと信ずるなり。

「国民新聞」大正五年九月十八日

人心腸轡の目標

私は先づ二三の質問を致し提出者各位の御高見のある慮をも

う一層明確にして然る後卑見を陳述致したいのでありますが、

時間を省く篤に之に就ては私の俵{疋いたした庭に基いて卑見を

申越て見度いと存じます。故に私の理解する所にして若し御高

見に這ふやうな庭が御座りましたならば、後で然るべく御訂正

1027

を願いたいのであります。

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第一に此建議案の骨子とせる庭は「人心を綜衝統一せしむ可

き所を閤胞の精撃にあり」とせらるよ黙は明かでありますが、

其の図慢の悼州議の内容一一忠義に就いては

一般世間には十分明に成

って居らぬ黙があると考へます。教育勅語に『克く忠に克く孝

に億兆心を一にして枇々阪の美を済せるは之れ我図飽の精撃』

と有りまして、忠孝の国民道徳を指すとと明かである様であり

ますが、世人の唱る所を見まするに、右の外或は「高世一系の

皇統」といふ黙K重きを置くが如き場合があります。或は「金

阿胤加熱紙の歴史」といふ事に重きを置くが如き場合があります。

然るに人心錦織の統一括は極めて明確な具健的なる者ならざる

可からざるを以て、特に其の具健的の中心思想を熟れに取るか

といふζ

とを念の鴛に確め霞き度いと思ふのであります。

私の察する庭によれば此園健の精華とは、前述の諸要素及び

五僚の御誓文・憲法・戊申詔書等に顕れて居る凡ての要素が結

品して出来て居るとζ

ろのもので、所謂之を古今に通じて謬ら

ず、之を東西K施して惇らざる大原理であると思ひますが、之

に就いて更にもう一つ質し度いと思ふととは、此図帥胞の精撃を

本穏として之を現在の時勢に一週膝せしめ、之を貫生活に資現す

る篤め、圏民の活動努力を集中すべき賀行の目標を置く必要は

笹山でありませうか、若し必要ありとすれば、その目標は何で

ありませうか、叉其を何庭に置く御考でありませうかの問題で

1028

あります。

併しそれら等の問題が何れ鰯着致すとしましでも、此問題は

非常に重大なる根本問題であり、且つ此問題は此迄議了せられ

た諸問題に比すれば、

一一精根抵の深い叉関係の出聞い問題であ

り、叉其の一政行は数倍六ケ敷い事柄であります乙とは、申すま

でもありません。

然れば此の複雑なる問題を解決せんと欲せば、先づ枇命日病弊

の原因を裳見し以て次に之が適切なる救済治療の方法を諮じな

ければならぬと考へますので、以下此結に就き少しく卑見を陳

述して御参考に供したいと恩ふのであります。

私は今日我園の病弊は鈴り主我的個人主義に傾き、只自己の

利害自己の快陣式或は病苦にのみ心を奪はれ、公明正大の英気な

く進取後展の元気なく退嬰保守の態度を取り、殆どヒステリー

的一柳綬質に陥り、或は恐怖心に犯され、病疑心強く、限界狭く、

居同に個人関係K於ても、圏鰭闘係或は国際関係に於ても、互に

了解を紋き、互

K疑心-陥鬼を生じ、人心情々として安定を得

ず、互に相反目疾硯し、内は国家の結合を弱くし外は世界の大

勢に針隠するの勇気なく、絡に因循姑息の風を醸し、明治維新

に裂揮せられたる青年の一意気を氾喪し、未だ五十に満たざるに

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早く老年ぶるの風が生じた様に思ひます。賓に私我的なると、

元気萎鹿とはあらゆる罪怒と墜落との二大弊害であります。而

して是の如く一方私我的に赴く原因は、主として深遠なる思想

と高向なる信念とを有せざるとに存し、他方元気の萎鹿退縮

は、生存競宰の盤迫と形式主義の繁縛とに起因すると信ずるの

であります。

私は此の私我的ヒステリー病、際病病、利己的な個人主義病

を療治するには、人心を私我以上の目的理想卸ち吾国家の園田疋、

今後の我が図民が進むべき目標、五口が帝閣が果すべき大使命を

明にして、人心の蹄織統一すべき集中黙を造るにありと息ふの

であります。

明治維新の自楳は王政復古とか開図進取とかいふ旗-章が種々

ありましたが其れ等が統一せられて五僚の御警交と成て顕れた

のであります。

而して今日の箇是と成るべき目標も矢張其庭に

源を裂して居らなければならぬ、否なむしろ五僚の御誓文は建

園以来の精一柳を採り、世界文明の原義に照して、根本を五事に

約して、以て長くも天地榊明の前に捧げ宣せられた聖訓である

il:t

から、是れぞ絢に永遠不易の園田疋にして、明治の隆運を餐揮せ

られたる原典であります。されば圏是の精神、政教の大綱とし

ては固より必ず此に由らざるべからざるのであります。而して

同時に其の施行運用の質地に嘗ては時勢に謄じて切に改善を加

へ大に綴充を計り、殺を新にし、果を倍にし、進んでは帝国の

使命を世界に布くの遵を興起しなくてはならぬのであります。

此の目擦に誰か集らざるものあらんや、此主義に設か不平を懐

くものあらんやであります。今之を具鰭的

K申して見れば、此

の御警交の

第一要義は民一一意を重んじて政治を行はせ玉ふ聖旨であっ

て、今日の所謂政治的及教育的問事国一致を意味するのであ

る部ち高機を公論に決し有も私我の偏見を以て天下の大政を軽

断すべからざるは、之れ御讐交の蓄項でありまして、而して賀

に立笹川政惣の本義であります。今後も盆々此の趣旨の徹底を力

め-なくてはなりませぬ。明治初年に於ては公論とは剖ち各藩を

合せて平等に進言建策すべきを指したるに反して、今後に於て

は上下一致、男女共同閏園の民衆一人も奥らざるなきを要する

ので、庶民に至るまで各々其の志を遂げ人心をして倦まざらし

むるの賀は、即ち此庭に存します。之れ園長元気の振作の要諦

であると思ふのであります。故に園力を充質せしめんとすれば

必ずや民衆をして一人も残らず悉く皆其の志を伸べしめ、而し

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て其精神と能力とを集めて、之を一に合せ・なくてはなりませ

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ぬ。若し一人と雄も之を失は三宮にそれだけ闘力の削減となる

のみならず、列聖の仁慈に戻り先帝の遺詔に背き而して旦つ生

民子愛の君徳に惇るζ

とになるのであります。

第二要義は賞理研究及信仰の自由と云ふ黙にあらうと思

J、。創ち智識を世界に求めて皇基を振起する方法は従来最も努め

来た所で今後と雄も更に益々ー努力せざる可らざる緊切事であり

ます。

明治初年に於ては鎖園孤立の沓債を去り欧米の文物を職人し

て以て我短を補ふを主としたのであるが、割問来時勢は頻りに嬰

り今日に至つては勿論此の消極愛動の態度に止まるを許さず、

今後盆々碕創的な事物の民理に到達せざれば止ま・ない態度を以

て、進んで欧米列閣と相提携して庚く世界に活動し我固有の文

化を愛揮し以て他の進歩を助くる積極自動の態度に出るととを

要するととになって来ました。

知識を世界に求むるは勿論、皇基の振起を世界的活動に期す

る用意は今後金々切要であります。

第三の要義は図際道徳を重んじ、正義人道の精一柳を以て吾

が帝園の大使命を履行するにありと思ふ。

戊申詔蓄に日く

「朕惟ふに方今人文自に就り月K将み東西相筒り彼我相済し以

て其一問利を共にす朕愛に盆々図交を修め友義を惇ふし列園と輿

1030

に永く其の慶に頼らんことを期す」と

殊に列図今後の活動を猿料し、而して東洋現在の倣態を観察

する時は、此の間に庭する帝園の地位たる頗る重大なるものが

あるのであります。諸多の政治的経済的強大勢力の競宰紛糾す

るζ

と締た劇甚を加ふべき東洋将来の天地が其の動勢の矯めに

間税引飢墜倒せられずして、進んで渇立援蓬を全うするζ

とは雷一K

一帝園の矯めに甚だ緊要であるのみでない、又隣邦の矯めに緊要

なる事である。東洋平和の守護者を以て任ずる一帝園は之に封し

て盆々細心努力を加ふる庭なきを得ないのであります。東洋民

族を設達せしめ、其の古来の文物教化を悶明して之と西洋文明

とを融和せしむる如きは世界人類の進歩の矯めに毅果ある一大

事業にして、その責務は繋って帝園民の鐙肩に在るのでありま

す。叉

帝国と共に太平洋を園み、東西に相釘する雨大隣邦は現在

最も密接なる政治的経済的関係を帝圏との聞に絡んで居るので

ありまして、此関係の今後盆々深厚に赴く可きは言を待たぬで

ありますが、互に和衷協同愈々平和の親交を重ね、交々相袴盆

する方法を登すととは、帝圏の矯めに有利なるのみならず、東

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洋の袈遠の篤めに切要なる方法であります。

惟ふに優秀なる民族の口問絡に依りて、平和の聞に設展の地歩

を占むるは、如何なる民族も共に{寸らざる可らざる人類の徳義

であって、干文を以て相撃ち他を屋倒して濁自の私利を占むる

が如きは、雷に以て帝国将来の方針と置付す可らざるのみなら

ず、必ず打破するを要する蓄世界の阻習であります。淘に高く

天地の公選に基きて汎く東西の文明を合せ、一大平和の世界に

於て寓邦共に等しく其の繁みを享くるは、之れ天下の撃て希望

する所にして而して一帝園の夙に採って以て園是とする所ではあ

りますまいか。

公選に由る所、世界に敵無し寓邦皆友邦、唯此の公選に反し

平和を撹臥するものは、凡そ閣の何たるを聞はず常に我敵であ

ります。

以上は明治維新の趣旨を完成し、建国の精一脚を貫徹する所以

の今後の大方針にして園民全憾の簡ふ所の目標とすべき要都で

あらうかと考へるのであります。而して此の大理想大図是は教

育勅語に「之を古今に通じて謬らず、中外K施して惇らず」と

m

あります僚に、此の御趣旨は世界の大勢と一致するものであり

ます。世界戦胤の背後に流れて居る精一柳界の大潮流と融和する

ものであります。彼の聯合軍の目標として高く掲けて居る所の

デモクラン!の根本精一柳も亦此の越にあるものと考へるのであ

ります。併し五口々は何も強いて散米の思潮に一致せしめんと力

めるものではありません。若し彼等の主義が天地の公道に背く

ものであり、我園憾の精華K惇るものである・ならば、吾人は断

乎として之に反釘し、たとへ孤摘の地位に立つも或は世界を敵

とせざる可らざるに至るも敢て解するものではありません。け

れども互に相一致協力するととの出来る共通の精一柳の存在する

にも拘はらず、盲目的主我的に強いて異を樹て、端摩臆断を以

て他を排斥し、以て無用の紛宰を醗すが如きは、最も戒めざる

可からざるとζ

ろであります。されば此際速に世界の大勢のあ

る所を洞察し、主義精一仰の潜む庭を悶明して箇民の態度を一に

し、我閤是を内外に明ならしむる乙とは、焦眉の念務であると

信ずるのであります。

然るに我園の忠孝の心髄が外国人に分り粂ねる様に彼等の信

僚として居る民本主義の員相は亦吾々には分り粂る事が多い機

であります。吾々は之K就ては可成卒直に彼等の語るととろを

聴取し、虚心以て其の虞一品一息を汲みとるに力めるζ

とが必要であ

らうかと考へるのであります。

故に私は此頃しきりに出て居ります此主義に就ての書籍及び

1031

雑誌に顕れる所設中その代表的思想により現代巴適用されてお

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る意義を綜合して散米の同学者政治家等が、自ら何う信じておる

かを見又其の主義信仰を園際関係に質現せんとして居る方策創

ち園際聯盟

(Eraz。『

Z20コω)

等の如きもの込骨子と成

るべき要黙を-摘出して我閤是と彼等の目標と一致するや、或は

衝突するや其の事貨を明かにして見る必要があるのでありま

す。其

の代表的思想の言表によりますと、此のデモクラシ

ーと

ふのは単に政健にあらず制度にあらずとして、回疋は信仰であ

る、生活の精稀である、主義理想であるといふて居るのであり

ます。

其の本旨は相互主義である共同和衷の精一柳であるので、互に

人の利盆を顧慮する精神、人の一意見を互に『毎重する精神であ

る。濁り政治に於てのみならず宗教に於ても産業に於ても教育

制度に於ても栂互尊重、相互扶助、相互親善の精榊を理想的と

して居るのであります。

そうして此頃盆々明かに成て来ました事柄は民本主義は政鰭

にあらず、聯合箪が戦ふ動機は如何なる政問たりと雄も英政椴

擁護の矯めに戦ふのではない、此の主義は政館以上のものであ

ると云ふ鈷であります。

其の例設として製げて居る所を見るに、

-一例関西は共和国であり、以太利は君主圏であるが雨者何れも

1032

民本主義である。亙米利加は共和国であり英関は君主闘である

が、資際は英国の方が米国よりも民本的である』といって居る

のであります。

仙わらば彼等の詞ふ民本主義は如何なる要素を持て居る乎、廿持、

心髄は如何なるものである乎、と尋ねて見ますると、

第一の要素は信教の自由、圏民各自の信念、必養に重を置く主

義で剖ち各自が絶劉者に釘する直接の態度を認め、叉其の態度

行置付に針する相互の寛容なる態度を重ずるのであります。

現代に於ける散米人の宗教に封する態度即ち絶釘者K釘する

態度につき次の如く一言っ

て居るものが多いのであるが、此の言

葉はよく今日の欧米の宗教界の傾向を語って居ると思ふから引

照致しますが、其れは、

『一例と自分との問に牧師とか数命日とか綬山内とか聖書とかいふ様

な中間物を置かない、此等は一柳を見出す助けとは成らうが、此

せ一守をして榊の地位に代らしめでは成らぬ。一脚は我等と直接交通

の出来るもので、一柳は常に人間を離れぬ偉大なる人間の件侶で

ある』と此の信念が彼等の民本主義であるとしておるのである。

第二の要素は産業の好一意的共同の意味である。資浮なる官由者

の悪弊と下劣なる貧者の悪弊との原因を除く篤に、富の分配を

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更に優良なる欺態に改善進歩せしむるζ

とに依て一位舎を救済せ

んとするととが民本主義の努力のある庭であるとして居りま

す。此主義は翠に人々に其の権利を獲得せしむるに止らず、凡

ての人々に其義務を遂行せしむるやうに努力するのである。少

くとも自分が枇曾から愛る所の物に相隠する丈は社命自に貢献す

るのが凡ての人々の義務である。五回人は裸で此世に産れ来た以

上何物かを所有せん鴛には吾々は之を産出するか、贈物として

他から賞ふ乎、盗む乎、共有の倉庫から得る乎しなければなら

ぬ。そとで手か脳か感情のカかに白て卸ち言論の力により或は

労働によりて其謄分の貢献を枇舎に致し以て始めて耐命早から愛

けるζ

とにならねばならぬ。此の貢献をするζ

とはあらゆる人

聞の義務である。而して斯る貢献を篤すべき公平なる機曾を得

る乙とはあらゆる人々の権利であるといふのであります。此の

主義は彼の二宮等徳の所謂働き主義助け主義と其の心鎚は全く

同一であらうと思はれます。

第三の要素とすべき黙は教育を愛る義務を凡ての人に負せ、

教育を愛くる機曾を要求する権利を凡ての人々に予へんとする

努力である。即ち庶民に至るまで各々其の志を遂げしむる御趣

鼻息と異る庭はないゃうであります、即ち男女とも枇曾国家の一

1市

員として出来るだけ自分を向上田技展せしめ、叉其子供を国家の

子供として最も善き者に育て上げるの義務を雨親に負はしめう

と主張するのであります。

故K翠校は銭造所であってはならぬ。皐校の輿目的は凡ての

生徒に生長の機命田を予へねばならぬ。故に皐校は農園であらね

ばならぬ。今や数育に撰爆制度が認られ、皐術的教育K質業的

訓練が附加せられ、新に女子教育の輿されるに至った。

教育の機曾を得るを喜ぶはあらゆる人間の権利である。叉此

機曾を各人種々なる要求に臨応じて興へる篤に多種多様ならしむ

るととは紅命日の義務である、而して自分を可成完成せしむる篤

めに其の機命日を利用することは各個人の義務であるとするのが

デモクラシーの教育に封する主義であります。

第四の要素は政治的調和統一の基礎を自制力に克己力に求む

る主義であります。即ち自治自制は九ての人々の憾利であると

同時に義務であるとするのである。而して数育の目的は己の義

務を安行せしむる人間叉自渡的違法心ある人聞を養成するにあ

る。而して人各々己の運命を決するは己の跡地利であると問時に

義務であるとするのであります。仮令ば凡て人は己の目で見、

己の手で働き、己の頭脳で考へねばならぬ僚に己の剣断に因て

己れを導き己れの良心に因て己れを統治せねばならぬと主張す

1033

るのであります。

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つまり此の主義は園際的には寓邦和衷協同の主義であり、個

人と個と叉図穏と闘胞との関係に於ては相互主義で勅語に御座

りまする忠孝友詑和信出向愛の徳と一致するので、政治に於て

は、御警交に明かなる如く議機公論に決し庶民K至るまで其の

志を遂げしめるといふ御趣旨と同意義であらうと恩ふ。叉園際

関係に於ては東西相筒り彼此椙済し以て其の一幅利を共にすと宣

し給へる戊申詔警の御趣旨と軌を同うするものであるやうに考

えるのであります。

固定の如くに見てまゐりますと、彼の所謂デモクラシ

ーといふ

ものの末流はいざ知らず、

其の根本の主義精神に於ては、何等

特異なる新奇なるものでは無いやうに見うけられるのでありま

して、明治維新の大理想たる

「棺由来の陪習を破り天地の公選に

基くべし」と宣ふのと其趣旨を問うするものではあるまいかと

恩れます。果して然らば吾帝園は世界の思潮に響悠して今日の

大時機に施すべき大主義大圏是を既K夙に有して居るわけであ

ります。我武士道至高の精榊は大義名分の鴛めに私情を描って

起っととに存するのであります。而して維新の根本主義を貫現

するとと之れ直に世界に針して大義名分を唱へるととであっ

て、而も同時

κ世界の潮流に乗ずる所以であると確信するので

あります。

吾人は前述の如く園長精一柳の結日間たる大理想を既に所持して

1034

ゐるのである。我々は固より総て此の理想に向って献身努力し

なければならぬ。而して此の理想は偶然にも世界目下の最高理

想、最新の思想と共通の内容を持ってゐるのでありますから、

我々は何の顧慮するところなく此理想に向って奮進しさへすれ

ば、内外に向って

一一場関得の数回木を奏するζ

とが出来るのであ

ります。故に此の世界の大鶴田期に釘隠するに省って、故以に五ロ

人は天一意人道に随順し正大なる公義を執り、撃国一致寓邦協同

人類鶴一の目標を高く掲げ園民の向ふ所、民心の赴く所を示さ

なくてはなりませぬ。消極的の抑制項に一旦るよりも先づ積極的の

目楳を示して是に集中せしめるやうに力めるζ

とが、凡ての弊

筈を一掃し、凡ての衝突を調和し、凡ての煩悶不平を留し、

ての倦怠惰気を振作する第一の要諦ではないかと考へるのであ

ります。

絡に臨んで此の如き重大なる議案を取扱ふ庭の我々の態度は

如何にあるべきかに就き

一言附加致し度いと恩ふのでありま

す。私の平生信ずる庭に白れは、凡そ道徳的改善は賀行に始ま

るのである。而して賀行は白ら気の付いた者、自ら究れる者が

先づ其の自識自白せる所を賀行するに始まるのである。改善の

高唱は創ち自己が賀行の宣言である、誓約であると見なければ

Page 25: 治 ハ婦人の信者に聖書を数へる事なりしに巧に之を設明せり …...り道を聞に来る者もありて其感に私心ありし事を悔改め袈鐙の賜を愛し者多かりき。叉遠方よ聖霊を愛たり。叉此時人々-説教する者或ハ人を教ふる者等固定迄もあり。日によりてハ終日人の出入絶ざる程なりき。析すれパ

ならぬ。此の意味に於て提言決議は重大なる責任を自ら負捻す

るものであります。此の責任の自白が剖ち道徳的良心の始であ

って、即ち遵徳の始であり改善の始めであります。これまで道

徳の撃のみ高くして、道徳普及の賓の間帯らなかったのは、買に

之を唱へる者自ら先づ之を賀行して、然る後他に及ぼすの必然

の順序を取らずして、他をして先づ之を賀行せしめんとした事

に存する。更に他を非難し戒飾するのみに止めて置いたζ

とに

存すると恩はれるのであります。互に責め合ひ、互に他の絞結

を数へ合ふのみでは何時まで過ぎても、道徳の興る道はない。

唯議論の繕出帆するのみであります。故に此の如き決議をするに

嘗ては、その質殺を聞ぞける篤めに、弊蓄の原因、匡救の方法に

就て十分なる研究を篤と同時に我々各自の責任に就いて、十分

の覧倍を以て起たなけれ、はならぬわけではなからうかと、窃に

考へる次第であります。

(大正七年十二月)

遺補

1035

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