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1920 年 1940 年 1930 年 1950 年 1960 年 1970 年 1980 年 1990 年 2000 年 2010 年 調小林行雄 1937「前方後圓墳」 笠井新也 1924「卑弥呼即ち倭迹迹日百襲姫命」 笠井新也 1942「卑弥呼の冢墓と箸墓」 笠井新也 1943「箸墓古墳の考古学的考察」 近藤・春成 1967「埴輪の起源」 近藤義郎 1968「前方後円墳の成立と変遷」 服部和男 1938「倭姫命考」 中村・笠野 1976「大市墓の出土品」 白石・春成・杉山・奥田 1985「箸墓古墳の再検討」 寺沢薫 2002「箸墓古墳築造プランの復元」 春成ほか 2009「古墳出現の炭素 14 年代」 石野博信 1982「前期古墳周辺区画の系譜」 宮内庁 徳田・清喜 1999「倭迹迹日百襲姫命大市墓被蓋木処理 事業(復旧)箇所の調査」 宮内庁 立会 1973 周辺1次 1977 周辺2次 1981 周辺3次 1983 周辺4次 1985 周辺5次 1988 周辺6次 1992 周辺7次 1994-95 周辺8次 1995 周辺9次 1996 周辺 10 次 1997 周辺 11 次 1998 周辺 12 次 2000 周辺 13 次 2002 周辺 14 次 2004-05 周辺 15 次 2005-2006 周辺 16 次 2006 周辺 17 次 2007 周辺 18 次 2008 周辺 19 次 2009 立ち入り調査 2013 墳丘レーザー測量 2012 現状調査 1968 復旧調査 1998 墳丘調査 1988 主 な 研 究 調査・公開など 宮内庁 による調査 市教委 橿考研等 による調査 図1 箸墓古墳の調査・研究の変遷 箸墓次数 纒向次数 調査位置 調査期間 調査 面積 主な遺構、遺物 調査機関 (現状調査) 墳丘上 1968.11 特殊器台形埴輪、壷形埴輪、特殊壷 宮内庁 (工事立会) 前方部南西 1973.2 前方部葺石 橿原考古学研究所 1次 1977 橿原考古学研究所 2次 後円部南側 1981 24桜井市教委 3次 37前方部西側 1983 100桜井市教委 4次 43後円部東側 1985810817 250桜井市教委 (墳丘調査) 墳丘上 1988221222 後円部と前方部の段築 宮内庁 5次 53後円部東側 198881813 66桜井市教委 6次 68前方部南側 199242752 50㎡ 周濠 桜井市教委 7次 81前方部北側 19941219199533 753㎡ 前方部、葺石、周濠、堤状遺構、外濠状遺構 橿原考古学研究所 8次 82前方部北西側 199558519 14桜井市教委 9次 85前方部北西側 1996122216 544㎡ 外濠状遺構 橿原考古学研究所 1095前方部北西側 19972122.21 124橿原考古学研究所 11109後円部南東側 1998612812 170㎡ 渡土堤、周濠 桜井市教委 (復旧調査) 墳丘上 1998926103 特殊器台形埴輪、壷形埴輪、特殊壷 宮内庁 12118前方部南側 200041161 174㎡ 堤状遺構、外濠状遺構、前方部? 桜井市教委 13129前方部南側 200252267 57㎡ 外濠状遺構 桜井市教委 14142後円部北側 200412152005331 370㎡ 上ツ道、外濠状遺構? 桜井市教委 15143前方部 20051182006315 21㎡ 葺石? 宮内庁 16146前方部西側 20065165 56桜井市教委 17151後円部南側 200779810 55㎡ 外濠状遺構? 桜井市教委 18157前方部南西側 2008522722 112.5㎡ 外濠状遺構 桜井市教委 19163前方部南側 200948530 306㎡ 堤状遺構、外濠状遺構、盛土遺構 桜井市教委 表1 箸墓古墳調査一覧 これまでの調査から 131019 桜井市教育委員会文化財課 福辻 淳 1.箸墓古墳の研究・調査史 (1)戦前~戦後の箸墓古墳の評価 (2) 評価の確定へ (3) 具体像の解明へ向けて 2.調査成果 (1) 出土遺物 二重口縁壷形埴輪 特殊器台形埴輪 特殊器台 特殊壷 (2) 確認された遺構 ①葺石 ②渡土堤 ③周濠と外堤 ④大規模な落ち込み (3) 墳丘形態の復元 後円部5段築成、前方部4段 or3段築成 全長約 280m、後円部径約 165m、前方部前面幅約 160m 文化財講座「入門 箸墓古墳」 第2回

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1920 年

1940 年

1930 年

1950 年

1960 年

1970 年

1980 年

1990 年

2000 年

2010 年

評価の

  

確定へ

アプローチ

  

の多様化

周辺調査と

   

形態復元

黎明期

小林行雄 1937「前方後圓墳」

笠井新也 1924「卑弥呼即ち倭迹迹日百襲姫命」

笠井新也 1942「卑弥呼の冢墓と箸墓」笠井新也 1943「箸墓古墳の考古学的考察」

近藤・春成 1967「埴輪の起源」

近藤義郎 1968「前方後円墳の成立と変遷」

服部和男 1938「倭姫命考」

中村・笠野 1976「大市墓の出土品」

白石・春成・杉山・奥田 1985「箸墓古墳の再検討」

寺沢薫 2002「箸墓古墳築造プランの復元」

春成ほか 2009「古墳出現の炭素 14 年代」

石野博信 1982「前期古墳周辺区画の系譜」

宮内庁

徳田・清喜 1999「倭迹迹日百襲姫命大市墓被蓋木処理

        事業(復旧)箇所の調査」

宮内庁

立会 1973

周辺1次 1977

周辺2次 1981

周辺3次 1983

周辺4次 1985

周辺5次 1988

周辺6次 1992

周辺7次 1994-95周辺8次 1995周辺9次 1996周辺 10 次 1997周辺 11 次 1998

周辺 12 次 2000周辺 13 次 2002周辺 14 次 2004-05周辺 15 次 2005-2006周辺 16 次 2006周辺 17 次 2007周辺 18 次 2008周辺 19 次 2009

立ち入り調査 2013墳丘レーザー測量 2012

現状調査 1968

復旧調査 1998

墳丘調査 1988

主 な 研 究 調査・公開など

 宮内庁による調査

 市教委 橿考研等による調査

年 代

図1 箸墓古墳の調査・研究の変遷

箸墓次数 纒向次数 調査位置 調査期間調査

面積主な遺構、遺物 調査機関

(現状調査) 墳丘上 1968.11 特殊器台形埴輪、壷形埴輪、特殊壷 宮内庁

(工事立会) 前方部南西 1973.2 前方部葺石 橿原考古学研究所

1次 1977 橿原考古学研究所

2次 後円部南側 1981 24㎡ 桜井市教委

3次 37次 前方部西側 1983 100㎡ 桜井市教委

4次 43次 後円部東側 1985.8.10~8.17 250㎡ 桜井市教委

(墳丘調査) 墳丘上 1988.2.21~2.22 後円部と前方部の段築 宮内庁

5次 53次 後円部東側 1988.8.1~8.13 66㎡ 桜井市教委

6次 68次 前方部南側 1992.4.27~5.2 50㎡ 周濠 桜井市教委

7次 81次 前方部北側 1994.12.19~1995.3.3 753㎡ 前方部、葺石、周濠、堤状遺構、外濠状遺構 橿原考古学研究所

8次 82次 前方部北西側 1995.5.8~5.19 14㎡ 桜井市教委

9次 85次 前方部北西側 1996.1.22~2.16 544㎡ 外濠状遺構 橿原考古学研究所

10次 95次 前方部北西側 1997.2.12~2.21 124㎡ 橿原考古学研究所

11次 109次 後円部南東側 1998.6.12~8.12 170㎡ 渡土堤、周濠 桜井市教委

(復旧調査) 墳丘上 1998.9.26、10.3 特殊器台形埴輪、壷形埴輪、特殊壷 宮内庁

12次 118次 前方部南側 2000.4.11~6.1 174㎡ 堤状遺構、外濠状遺構、前方部? 桜井市教委

13次 129次 前方部南側 2002.5.22~6.7 57㎡ 外濠状遺構 桜井市教委

14次 142次 後円部北側 2004.12.15~2005.3.31 370㎡ 上ツ道、外濠状遺構? 桜井市教委

15次 143次 前方部 2005.11.8~2006.3.15 21㎡ 葺石? 宮内庁

16次 146次 前方部西側 2006.5.1~6.5 56㎡ 桜井市教委

17次 151次 後円部南側 2007.7.9~8.10 55㎡ 外濠状遺構? 桜井市教委

18次 157次 前方部南西側 2008.5.22~7.22 112.5㎡ 外濠状遺構 桜井市教委

19次 163次 前方部南側 2009.4.8~5.30 306㎡ 堤状遺構、外濠状遺構、盛土遺構 桜井市教委

表1 箸墓古墳調査一覧

これまでの調査から 

131019 桜井市教育委員会文化財課 福辻 淳

1.箸墓古墳の研究・調査史

 (1)戦前~戦後の箸墓古墳の評価

 (2) 評価の確定へ

 (3) 具体像の解明へ向けて

2.調査成果

 (1) 出土遺物   二重口縁壷形埴輪  特殊器台形埴輪  特殊器台  特殊壷    

 (2) 確認された遺構  ①葺石   ②渡土堤   ③周濠と外堤   ④大規模な落ち込み

 (3) 墳丘形態の復元  

     後円部5段築成、前方部4段 or3段築成

     全長約 280m、後円部径約 165m、前方部前面幅約 160m  

 文化財講座「入門 箸墓古墳」 第2回

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図2 箸墓古墳の赤色立体地図(橿原考古学研究所発表資料より S=1/3000)

図3 箸墓古墳測量図(S=1/3000)

図4 赤色立体地鳥瞰図(橿原考古学研究所発表資料より)

図6 白石太一郎氏らによる墳丘復元案 (S=1/3,000)

  [白石太一郎 2012「箸墓古墳と大市墓」

  『天皇陵古墳を考える』より]

図7 寺澤薫氏による墳丘復元案 (S=1/3,000)

   [寺澤薫 2002「箸墓古墳築造プランの復元」『箸墓古墳周辺の調査』]

図5 箸墓古墳の墳丘形態復元試案(S=1/3,000 左:前方部4段案 右:前方部3段案)

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図2 箸墓古墳の赤色立体地図(橿原考古学研究所発表資料より S=1/3000)

図3 箸墓古墳測量図(S=1/3000)

図4 赤色立体地鳥瞰図(橿原考古学研究所発表資料より)

図6 白石太一郎氏らによる墳丘復元案 (S=1/3,000)

  [白石太一郎 2012「箸墓古墳と大市墓」

  『天皇陵古墳を考える』より]

図7 寺澤薫氏による墳丘復元案 (S=1/3,000)

   [寺澤薫 2002「箸墓古墳築造プランの復元」『箸墓古墳周辺の調査』]

図5 箸墓古墳の墳丘形態復元試案(S=1/3,000 左:前方部4段案 右:前方部3段案)

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図2 箸墓古墳の赤色立体地図(橿原考古学研究所発表資料より S=1/3000)

図3 箸墓古墳測量図(S=1/3000)

図4 赤色立体地鳥瞰図(橿原考古学研究所発表資料より)

図6 白石太一郎氏らによる墳丘復元案 (S=1/3,000)

  [白石太一郎 2012「箸墓古墳と大市墓」

  『天皇陵古墳を考える』より]

図7 寺澤薫氏による墳丘復元案 (S=1/3,000)

   [寺澤薫 2002「箸墓古墳築造プランの復元」『箸墓古墳周辺の調査』]

図5 箸墓古墳の墳丘形態復元試案(S=1/3,000 左:前方部4段案 右:前方部3段案)

図8 大型前方後円墳の形態変遷

   [白石太一郎 2012「箸墓古墳と大市墓」

   『天皇陵古墳を考える』より 一部改変]

図9 桜井茶臼山古墳測量図

 (S=1/3,000「桜井茶臼山古墳

 第 7・8次調査概要報告」

 『東アジアにおける初期都宮』

 代表寺沢薫 )

図 10 西殿塚古墳赤色立体図 (S=1/3,000)

   [橿原考古学研究所発表資料より]図 11 渋谷向山古墳 墳丘復元図 (S=1/3,000)

[大阪市立大学日本史研究室 『玉手山1号墳の研究』]

  図 12 特殊器台の変遷 

    [岡山県立博物館『邪馬台国の時代』平成 24 年度特別展示図録より]

図 13 箸墓古墳出土遺物 (S=1/8 宮内庁書陵部『書陵部紀要』第 51 号より )

特殊器台

特殊器台形埴輪二重口縁壷形埴輪

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周濠 15次 (143次)

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周濠

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葺石

 外堤(地山削り出し、盛土による)

 渡土堤(葺石を伴う)

 外堤(地山削り出し、盛土による)

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箸 墓 古 墳

  墳 丘

 大規模な落ち込み の輪郭

 大規模な落ち込み の輪郭

図14 箸墓古墳 墳丘周辺の状況(S=1/2,000)

0 100m

墳丘の範囲

外堤・渡土堤の範囲

周濠・落ち込み堆積の範囲

確認部分 推定部分

※ 図中の調査次数は、 箸墓古墳周辺次数と纒向遺跡次数を

 示しており、 後者は () 付で記している。

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周濠

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 渡土堤(葺石を伴う)

 外堤(地山削り出し、盛土による)

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箸 墓 古 墳

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 大規模な落ち込み の輪郭

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図14 箸墓古墳 墳丘周辺の状況(S=1/2,000)

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墳丘の範囲

外堤・渡土堤の範囲

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※ 図中の調査次数は、 箸墓古墳周辺次数と纒向遺跡次数を

 示しており、 後者は () 付で記している。

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周濠 15次 (143次)

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周濠

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 渡土堤(葺石を伴う)

 外堤(地山削り出し、盛土による)

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箸 墓 古 墳

  墳 丘

 大規模な落ち込み の輪郭

 大規模な落ち込み の輪郭

図14 箸墓古墳 墳丘周辺の状況(S=1/2,000)

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墳丘の範囲

外堤・渡土堤の範囲

周濠・落ち込み堆積の範囲

確認部分 推定部分

※ 図中の調査次数は、 箸墓古墳周辺次数と纒向遺跡次数を

 示しており、 後者は () 付で記している。

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