米国の裁判所が米国の外で起きた事件を審理できる …¼ˆspecific...

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はじめに たとえば、貴 社が米国とベ トナムにそれ ぞれ子会社を 有しているとす る。ベトナムの 子会社の事業 活動に関連し て現地で紛争が起こり、相手方からベトナ ムの子会社ではなく日本の親会社である 貴社が、なぜか米国で訴えられたとする。米 国の裁判所にこの紛争を審理する権限が あるだろうか。本件は米国となんの関係もな いのだからそんな訴訟は門前払いされるに 決まっていると思った方は、ぜひ以下をご一 読いただきたい。 実はまさにこの法的論点を巡って米国 の連邦最高裁判所まで争われた事案が ある。その判断が標題にあるDaimler判決 (Daimler AG v. Bauman, 134 S. Ct. 746(2014))である。Daimler判決の事案 は、ドイツの自動車メーカーであるDaimler AGのアルゼンチン子会社によるアルゼン チンでの行為に関して、 (当該アルゼンチ ン子会社とは別の)Daimlerの米国子会 社が米国・カリフォルニア州で活動している ことを根拠として、アルゼンチン人(個人)ら がドイツの親会社本体Daimler AGをカリ フォルニア州で訴えたというものである。こ の事案は冒頭の例と同じような状況である が、門前払いどころか、2004年1月に提訴 されてからちょうど10年経った2014年1月 になってようやく最高裁判所で決着した(な お、その後差戻審でも審理されている)。 裁判管轄権とは何か (事物管轄権と人的管轄権) ある事件に関して、その裁判所が裁判を 行う権 限を「裁 判 管 轄 権(jurisdiction)」 と言う。裁判管轄権には、「事物管轄権 (subject matter jurisdiction)」=事案の 性質に着目して判断される管轄権と、「人 的 管 轄 権(personal jurisdiction)」=当 事者に着目して判断される管轄権の2種 類がある。上記の例で言えば、現地で起き た紛争が労働紛争なのか、それとも製造物 責任に関する訴訟なのか、など事案の性 質に着目して裁判管轄権の有無を判断す るのが前者の事物管轄権である。後者の 人的管轄権は、紛争の内容ではなく、当事 者(上記の例で言えば、日本の親会社)に 着目して裁判管轄権の有無が判断される。 人的管轄権の有無は、究極的には憲法上 の公正な裁判を受ける権利の問題に帰着 する。ある裁判所に裁判管轄権があると判 断されるためには両方の管轄権がそろう必 要があるが、今回は後者の人的管轄権に 焦点を当ててみたい。 人的管轄権の分類 人 的 管 轄 権はさらに 一 般 的 管 轄 権 (general jurisdiction)と特別管轄権 (specific jurisdiction)の2種類に分か れる。このいずれかが裁判所に認められれ ば、当該裁判所には人的管轄権があり、そ の紛争につ いて判断を 下してよいこ とになる。特 別管轄権が 特定の事件 または行為についてのみ審理することので きる限定的な管轄権であるのに対し、一般 的管轄権は特定の者についての法的な紛 争である限りどのような事件にも及びうる管 轄権を言う。換言すれば、ある当事者につ いてある裁判地における一般的管轄権が 認められると、およそその裁判地と関係のな い紛争であっても人的管轄権が認められ る。これに対し、特別管轄権は、当事者と 裁判地の接触から生じた訴訟(上記の例 で言えば、被告がベトナムにおける事業活 動に基づいて米国ではなくベトナムで訴え られた場合には、ベトナムの裁判所に特別 管轄権が認められる方向に傾くことになる) に限って認められる管轄権である。 人的一般的管轄権に関する これまでの判決とDaimler判決 一般的管轄権は、当該当事者がその裁 判 地において「継 続 的」(continuous)な 商業活動を行い、かつ当該商業活動がこ れら商業活動と関係のない行為から生じ た紛争であっても当該裁判地の管轄に服 させることを正当化するほどの性質と相当 量(so substantial)を持ち合わせている 場合に認められてきたとされている。これは International Shoe判決(Int'l Shoe Co. v. Wash., 326 U.S.310(1945))と呼ば れる判決で示された基準である。 International Shoe判決の基準が必ず 米国の裁判所が米国の外で起きた事件を審理できるか (Daimler判決とその後) 長島・大野・常松法律事務所:ニューヨークオフィス シニア・アソシエイト 沖本 洪一氏 沖本シニア・アソシエイト 図. 裁判管轄権の分類 裁判管轄権 = 事物管轄権 人的管轄権 一般的管轄権 特別管轄権 人的管轄権 20 mizuho global news | 2015 MAY&JUN vol.79

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はじめに たとえば、貴

社が米国とベ

トナムにそれ

ぞれ子会社を

有しているとす

る。ベトナムの

子会社の事業

活動に関連し

て現地で紛争が起こり、相手方からベトナ

ムの子会社ではなく日本の親会社である

貴社が、なぜか米国で訴えられたとする。米

国の裁判所にこの紛争を審理する権限が

あるだろうか。本件は米国となんの関係もな

いのだからそんな訴訟は門前払いされるに

決まっていると思った方は、ぜひ以下をご一

読いただきたい。

 実はまさにこの法的論点を巡って米国

の連邦最高裁判所まで争われた事案が

ある。その判断が標題にあるDaimler判決

(Daimler AG v. Bauman, 134 S. Ct.

746(2014))である。Daimler判決の事案

は、ドイツの自動車メーカーであるDaimler

AGのアルゼンチン子会社によるアルゼン

チンでの行為に関して、(当該アルゼンチ

ン子会社とは別の)Daimlerの米国子会

社が米国・カリフォルニア州で活動している

ことを根拠として、アルゼンチン人(個人)ら

がドイツの親会社本体Daimler AGをカリ

フォルニア州で訴えたというものである。こ

の事案は冒頭の例と同じような状況である

が、門前払いどころか、2004年1月に提訴

されてからちょうど10年経った2014年1月

になってようやく最高裁判所で決着した(な

お、その後差戻審でも審理されている)。

裁判管轄権とは何か(事物管轄権と人的管轄権) ある事件に関して、その裁判所が裁判を

行う権限を「裁判管轄権(jurisdiction)」

と言う。裁判管轄権には、「事物管轄権

(subject matter jurisdiction)」=事案の

性質に着目して判断される管轄権と、「人

的管轄権(personal jurisdiction)」=当

事者に着目して判断される管轄権の2種

類がある。上記の例で言えば、現地で起き

た紛争が労働紛争なのか、それとも製造物

責任に関する訴訟なのか、など事案の性

質に着目して裁判管轄権の有無を判断す

るのが前者の事物管轄権である。後者の

人的管轄権は、紛争の内容ではなく、当事

者(上記の例で言えば、日本の親会社)に

着目して裁判管轄権の有無が判断される。

人的管轄権の有無は、究極的には憲法上

の公正な裁判を受ける権利の問題に帰着

する。ある裁判所に裁判管轄権があると判

断されるためには両方の管轄権がそろう必

要があるが、今回は後者の人的管轄権に

焦点を当ててみたい。

人的管轄権の分類 人的管轄権はさらに一般的管轄権

(general jurisdiction)と特別管轄権

(specific jurisdiction)の2種類に分か

れる。このいずれかが裁判所に認められれ

ば、当該裁判所には人的管轄権があり、そ

の紛争につ

いて判 断を

下してよいこ

とになる。特

別管轄権が

特定の事件

または行為についてのみ審理することので

きる限定的な管轄権であるのに対し、一般

的管轄権は特定の者についての法的な紛

争である限りどのような事件にも及びうる管

轄権を言う。換言すれば、ある当事者につ

いてある裁判地における一般的管轄権が

認められると、およそその裁判地と関係のな

い紛争であっても人的管轄権が認められ

る。これに対し、特別管轄権は、当事者と

裁判地の接触から生じた訴訟(上記の例

で言えば、被告がベトナムにおける事業活

動に基づいて米国ではなくベトナムで訴え

られた場合には、ベトナムの裁判所に特別

管轄権が認められる方向に傾くことになる)

に限って認められる管轄権である。

人的一般的管轄権に関するこれまでの判決とDaimler判決 一般的管轄権は、当該当事者がその裁

判地において「継続的」(continuous)な

商業活動を行い、かつ当該商業活動がこ

れら商業活動と関係のない行為から生じ

た紛争であっても当該裁判地の管轄に服

させることを正当化するほどの性質と相当

量(so substantial)を持ち合わせている

場合に認められてきたとされている。これは

International Shoe判決(Int'l Shoe Co.

v. Wash., 326 U.S. 310(1945))と呼ば

れる判決で示された基準である。

 International Shoe判決の基準が必ず

米国の裁判所が米国の外で起きた事件を審理できるか(Daimler判決とその後)長島・大野・常松法律事務所:ニューヨークオフィス シニア・アソシエイト 沖本 洪一氏

沖本シニア・アソシエイト

図. 裁判管轄権の分類

裁判管轄権= +事物管轄権 人的管轄権

一般的管轄権

特別管轄権人的管轄権

20 mizuho global news | 2015 MAY&JUN vol.79

しも明確ではなかったことも手伝って、当該

判決後、Daimler判決の前までは、子会社

や支店を通じた裁判地における商業活動

を理由に外国親会社について一般的管

轄権があると判断する第一審・第二審レベ

ルの裁判例が存在し、一般的管轄権は幅

広く認められる傾向にあった。現にDaimler

事案の控訴審段階では、ドイツにある親会

社に対する一般的管轄権が認められると

判断されていた。

 International Shoe判決後、Daimler判決

の前に出されたGoodyear判決(Goodyear

Dunlop Tires Operations, S.A. v. Brown,

131 S. Ct. 858(2011))は、米国に子会社

を有する外国会社に対する一般的管轄権

を判断した事案ではない(Goodyear判決で

直接問題となったのは、米国親会社が有す

る外国子会社が、その米国での活動に関係

のない請求について米国の人的管轄権に

服するかであった)が、外国会社の一般的管

轄権は当該会社がその裁判地を本拠地(at

home)とする場合に認められ(“A court may

assert general jurisdiction over foreign…

corporations to hear any and all claims

against them when their affiliations

with the State are so ‘continuous and

systematic’ as to render them essentially

at home in the forum State.”(下線は筆者

が強調のため追加))、関連会社によるその

裁判地向けのわずかな販売があるだけでは

足りないと判断した。この判決以後、連邦最

高裁は一般的管轄権の要件を厳しくし始め

たのではないかと言われたが、下級審レベル

では必ずしもそのように捉えられなかったよう

であり、引き続き一般的管轄権を緩やかに認

めてきたと思われる。

 その3年後に出されたDaimler判決は、

Goodyear判決の基準をそのまま踏襲して、

原則として外国親会社自身の設立地または

本拠地でなければ一般的管轄権は認められ

ないと判示した。なおこの判決は、ある裁判

地における企業活動を根拠に当該裁判地

に一般的管轄権が認められる例外的なケー

スが存在する可能性は排除しないということ

を明確にしている。どの程度の活動が必要か

は明示されていないが、本拠地と呼べる程度

の企業活動を要求する趣旨だと思われ、その

ハードルは高い。

Daimler判決の影響〜Gucci事件〜 Daimler判決を踏まえて一般的管轄権を

狭く解する流れが加速しそうである。その影

響が見てとれる事件として、2014年9月に

連邦第2巡回区控訴裁判所で判断された

Gucci判決を紹介する。

 この事件は、GucciやYves Saint Laurent

など著名ブランドを展開する複数の企業が

原告となり、それらのマークを付した模倣品

をインターネット上で販売して利益を得てい

ると疑われる被告を米国・ニューヨーク州の

連邦地方裁判所で訴えたという事案から

派生したものである。2014年9月に決定さ

れたGucci判決は、原訴訟の当事者では

ない中国銀行を控訴人とする関連事件に

関するものである。

 原告は模倣品を販売していたとされる被

告の違法な売り上げの振込先口座が中国

銀行に存在するという証拠を収集し、その証

拠を根拠として中国銀行に対して連邦民事

訴訟法に基づく口座の凍結命令を発するよ

う裁判所に申し立て、裁判所はこれを認め

た。中国銀行は、この命令を下した裁判所

には中国銀行に対する人的管轄権がない

ため、この命令は取り消されるべきであると

主張したので、人的管轄権の有無が問題と

なったのである。

 Gucci判決において連邦第2巡回区控

訴裁判所は、中国銀行はニューヨーク州外

で設立され、活動の本拠地もニューヨーク州

外にあり、また、中国銀行はニューヨーク州を

含め米国内に4つ支店を有するのみであり、

その全世界における活動に比べればニュー

ヨーク州における活動はごく一部にすぎず、

これらの事実をDaimler判決の基準に照ら

してみると、設立地も本拠地も裁判地に存

在しないと判断した。そのうえで、控訴裁判所

は、Daimler判決が言及した一般的管轄権

が認められる例外的ケースに該当するかどう

かが問題になると述べ、中国銀行が例外的

ケースに該当するほど裁判地との関係を有

しないのは明らかであるとして、一般的管轄

権はないと判断して原審の命令を取り消し、

原審に差し戻した(差戻審において、一般的

管轄権ではなく、特別管轄権に服しないかを

審理すべきことと判示した)。この判決は連

邦第2巡回区における控訴審レベルの判

断ではあるが、これまで長くニューヨーク州に

おいて確立していた実務を変更するものとし

て、大きな衝撃をもって迎えられた。

おわりに Daimler判決により、少なくとも子会社・支

店を米国に有するということのみに基づいて

外国親会社に対する一般的管轄権を認めら

れる可能性はなくなったと言えるので、とりわ

けこれから米国進出を検討している日本企業

としては好意的に受け止めてよい判決だと思

われる。また、進出済みの日本企業にとっても

人的管轄権の不存在という主張がこれまで

以上に有効になったと言える。今後、人的管

轄権の主戦場は(Gucci判決のように)一般

的管轄権から特別管轄権へと移るのではな

いかと思われるが、特別管轄権についてはま

た別の機会に紹介することとしたい。

長島・大野・常松法律事務所当事務所は、日本の大手法律事務所の中で唯一ニューヨークにオフィスを有しており、日本企業のニーズを理解したうえで、北米および中南米のどこにおける法律案件にも迅速に対応できる最適な体制を整えています。日米両国において弁護士資格を有する複数の弁護士がニューヨークオフィスに常駐し、時差を利用して24時間体制でシームレスな法的サービスを提供するとともに、海外の複雑な法律問題について日本語で明快なアドバイスを行うことにより、日本企業の海外における事業活動を支援しています。電話:+212-258-3333(代表)Eメール:[email protected]

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