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東京都千代田区の麴町中学校に赴任して6年目になる。この5年間で、様々な改革をしてきた。キーワードは「教育の目的とは何か」。今まで自明の理とされてきたことを吟味し、変えてきた。自分たちが通ってきた道を切り捨て続ける作業でもあり、苦しかった。宿題を一切出さないことにしたり、定期テストをやめたりした。さらに服装指導もやめた。定期テストの代わりに単元テストをやっていて、本当はこれもやめたいのだが、現在の受験制度に合わせ仕方なくやっている。また、固定担任制をやめて「チーム担任制」を導入した。患者にとってベストな医師たちが複数で対応する「チーム医療」のイメージだ。固定担任制は教員間の競争を生み、「優れた教員」と「そうでない教員」というレッテルが貼られる。教員が特別なルールや目標をつくる「学級王国」まで出現する。問題は何より「子ども優先」ではないことだ。チーム担任制では、非常勤も含めた教員が自分の得意な分野や方法で生徒や保護者と関わる。通知表も全員で書くなど、何から何までみんなでやる。初期対応が速くなるため問題が膨れ上がらない。教員間の競争が生まれないので、子どもたちを冷静に見られるようになる。問題を抱えた子どもを全員で見守り、声をかける。これについては「無責任にならないか」とよく聞かれるが、むしろ結果は正反対。職員室の空気が良くなり、子どもの「悪い話」が消えた。教員が必要以上の責任を抱え込まず、子どもを冷静に見られるようになったからだ。教科指導でいうと、例えば数学は教員が教えない。人工知能(AI)が入ったiPadを1人1台ずつ持ち、解答にかかった時間や誤答パターンをAIが判断して、その子の苦手なところを示してくれる。小学校時代までさかのぼってつまずいた所を指摘してくれる。それぞれに自分のやりたいようにやるスタイルで、相談しあう子もいれば、窓際でひっそりやっている子もいる。バラバラだが、成績はどんどん上がる。考えてみれば、これが教育の本質だ。姿勢を正して一斉に正面を向かせるのが教育ではないと思う。学校は何のためにあるのだろう。私が考えるに、ひとつは障害があってもなくても社会のなかでコミュニケーションを取りながら生きる力を伸ばしてあげること。もうひとつは、様々な価値観を受け入れながら持続可能な社会を作っていくための対話ができることだ。本来はこの二つが学校の目的なのに、学習指導要領に従うことや授業時間数をこなすことがいつのまにか目的になってしまっている。現在の教育は、ドイツのプロイセンが始めた一斉指導型が全世界に広まったもの。日本は今も踏襲している。しかしこれからの世の中は劇的に変化する。子どもたちの時代には、ひとつの会社に就職して定年まで勤めるというスタイルはほぼなくなる。なのに高度経済成長以降、日本は忍耐や礼儀、協力を強調し過ぎる。悪いことではない。しかし、発達障害の人には苦手な部分でもある。礼儀などを強調するあまり、彼らの自由な発想や独創性を抑圧してしまいかねない。これでは本末転倒だ。スピーディーに世の中が変化する時代においては、自律が大切だ。我が学校の教育は「自律」と「尊重」が2大柱。自分で物事を考え、自分で行動する力。多様なものを受け入れ尊重する力。麴町中が広めようとしている教育改革は「多様性を受け入れ、対話をして合意していく」こと。それが職員室でもどこでも起きるのが理想だ。これまでの教育は何をどう教えるかという「技術」を懸命に研究していた。しかし子どもたちは勉強したいと思えば自ら学ぼうとするものだ。そういう子どもを育てられるかどうか。与えられることに慣れ続けた子どもたちの「自律」を復活させるのは大変だが、それを支援するのが教育の役割だ。くどう・ゆういち 2014 年から現職。学校 教育を本質から見直し、学校運営に全教職 員、生徒・保護者を当事者として巻き込みな がら、形骸化した教育活動を徹底的にスクラ ップし、再構築している。著書に「学校の 『当たり前』をやめた。」など多数。 東京都千代田区立麴町中学校長工藤勇一さん 技術 自律 論 「 」 より 柱 を に 」 重 尊 「 講調基演工藤さん トラブルだって 学びに変わる 大川さん 教員の専門性 チーム制で生きる 子どもの未来 想像することから 落合さん パネルディスカッション基調講演に続き、京都女子大学で養護教諭を養成する大川尚子教授、特別支援学校教諭を養成する落合利佳教授が、工藤さんとともに教育の本質についてパネルディスカッションした。(進行は中塚久美子・朝日新聞記者)養護教諭の養成や特別支援教育に取り組む2人から、工藤さんの話をどう受け止めたかを聞きたい。大川小学校の現場で養護教諭を年務めた。子どもに自律の力を育てさせるには、教育だけでなく心理や福祉的な側面から子どもたちを理解することが求められる。そんな中で、保健室に来る子どもたちはみな特別な支援が必要であり、教室でもそれぞれに課題を持っている。一人一人にオーダーメイドの解決策を立てられる養護教諭、それを自ら実行できる子どもを育てられる養護教諭をイメージしながら学生を教えている。落合発達障害を専門とする小児科医として、学校や地域と連携しつつ子どもとその家族を見守ってきた。「障害の有無に関係なく、すべての子どもが自立して社会に巣立っていく」という工藤校長の話は、特別支援教育の考え方そのものでもある。では実際にどう育てればいいのか。私が大事にしているのは「子ども理解」。能力や性格も含めて理解し、評価する。ストロングポイント(長所)をサポートしてしっかり伸ばす一方で、苦手な部分をどうカバーするかも考えながら導いていく。専門知識や実践する力も大事だが、私が最も大事にしたいのは想像力だ。目の前の子どもが大人になった時、どんな生き方をしているか。その子にはどんな世界が見えているのかが想像できれば、今ある課題や身につけておきたい力が見えてくる。工藤さんがやってきた現場での実践には対立もあったのではないか。教職員とはどのような対話を重ねて合意形成をしてきたのか。工藤自分には「対立した」という意識はない。「他人は動かないし、言葉は伝わらない」という思いを教員時代から持ち、子どもたちにもそう伝えてきた。伝わらないのが前提なので、自分がイライラすることはほぼない。学校はトラブルが起きることが前提。教員には「トラブル対応の目的は?」と絶えず問う。そしてトラブルを子どもの学びに変える。我々が支援することで子どもとの信頼関係が増すようにする。さらに保護者の信頼も増し、結果的に保護者の学びにする。落合発達障害のある子どもの中には不登校になるケースもある。「心が過労死した状態」と表現する人もいる。そこまで心が疲弊する前に救うには教員が想像力をもち、学校の環境を変えていく必要がある。不安と焦りから「もうおまえの人生はおしまいだ」と子どもを責める親もいる。これがトラウマになることもある。親も子も将来の見通しが持てず、とても不安になる。工藤親は子どもの不登校で自分たちを責めているし、子どもは親への罪悪感に苦しんでいる。状況を変えるには親が自分を責めないことも重要。たとえば今、学校に通わなくても高校や大学に行ける制度があることを教える。コミュニケーションが苦手なために疎外され、人が嫌いになった発達障害の子どもはたくさんいる。「自分なんかダメだ」とも思っている。時間をかけて周りから受け入れられるようになる子もいるが、ずっと周囲を攻撃し続ける子もいる。すべての子どもに通用する言葉はない。教員はいつもその子に伝わる言葉を探している。大川そこで力になるのが「チーム学校」であり、教員のそれぞれの専門性を生かして、連携、協働することが重要だ。特に養護教諭には学校全体を常に意識し、調整を図って処理する能力、学校と外部とをつなぐ力が求められている。そのためには相手をよく知り、リスペクト(尊重)する気持ちが大事だと考える。工藤固定担任制の時代、教員たちは派閥をつくり、敵対していた。そんな中で「養護教諭は孤独な仕事だ。だれともつるまないで欲しい。何でも私に相談して欲しい」と言っていた。しかし全員担任制はチームなので敵対関係が生じない。養護教諭も本来の仕事ができるようになっている。学力の向上についてはどうか。工藤ウチの学校は、取材を受けても学力に関する数字は出していない。しかし子どもの様子を見ると、みんな自分で考えて勉強するようになっている。授業中に小説を読んでもいい。帰国子女で英検準1級を持っている子は英語の授業を受けなくてもいい。評価するのは授業態度が中心。評価基準もすべてオープンにしているので成績は自分でわかる。そのうえでどうするかは自分で決めさせる。何事もがんばれという精神論は説かないようにして、自分なりに課題を作らせる。これが「自律」だ。最後に2人から感想を。落合教員同士が大事にする芯の部分を共有しながら、それぞれの得意分野、専門性を出し合って協力するチームをつくっていければ日本の教育が変わるはず。可能性と希望を感じた。大川学校の中で校長が子どもと真剣に向きあうことで、教員もそれを見て変わっていけるのではないかと感じた。今までやってきたことをすぐに変えるのは難しいが、やってきた教育が本当にいいのかどうか、今までとは違う視点で見つめていきたい。社会・個人にも通じる考え方会議を終えて 大都会の中学校で、エリートの子が集中し、塾学習が織り込み済みだから改革できるのでは、と斜に構える人がいるかもしれない。事前に受け付けた参加者質問にも、それがにじんでいた。関西であまり見かけることのない工藤勇一さんのシュッとした校長像も相まって、かくいう私もその一人だった。思い込みは、きれいにひっくり返った。工藤校長の話は教育現場に限定されない組織論、社会のあり方、個人の生き方にも当てはまり、各参加者が仕事や学校、人間関係に置き換えてかみしめることができた。トラブルを恐れるな。トラブルは自律を学ぶ絶好の機会。そこからどうするかが重要だ。新しい時代の公教育の羅針盤として、工藤校長が示したのは、特別なスキルを要するものではなかった。大切なのは対話。その一言に尽きる。麴町中学校の学校だよりに、卒業生がこう書いている。「リスペクトは学校生活をエンジョイするちょっとしたコツだ」。次世代にバトンを渡す営みの場で、対話の積み重ねを通じ、リスペクトが子どもたちの血と肉になっていることに希望を感じた。(中塚久美子)学校と教育の未来について語るパネルディスカ ッションに、たくさんの参加者が耳を傾けた = 2019 年 10 月 20 日 おおかわ・なおこ 年間公立小学 校の養護教諭として勤務した後、養護 教諭を養成して年目を迎える。発達 教育学部のキャッチフレーズ「チーム 学校」のもと、子どもたちの心と体の両 面から支援でき、「チーム学校」の中で 活躍できる養護教諭の養成を目指す。 おちあい・りか 特別支援学校教諭 を養成して年目。発達障害専門の小 児科医として、保護者、保育・教育や 福祉行政の関係者と「チーム」で、子 どもたちの育ちのサポートも行う。さ まざまな教育現場で特別支援教育を実 践できる教諭の養成を目指す。 京都女子大教授落合利佳さん京都女子大教授大川尚子さん