06 07 特集 - nttinas/gasbヘテロ構造(ヘテロ接合...
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NTT技術ジャーナル 2015.634
低次元半導体物理研究の最前線
新しい物質の形態
現在,トポロジ* 1 の観点から物質を見直す動きが盛んになっています.その過程で,金属 ・ 半導体 ・ 絶縁体といった従来の物質の分類に当てはまらない新しい物質の形態が存在することが分かりました.その 1 つが,真空を含む従来の絶縁体とはトポロジが異なる,トポロジカル絶縁体です.数学的に,トポロジが異なる状態間では連続的な変形ができず,一度状態を壊す必要があります(図 1 ).同様に,トポロジカル絶縁体内部の絶縁状態は,外界(従来の絶縁体)の絶縁状態とは連続的につながることができず,必然的に 2 つの絶縁状態の境界で一度絶縁状態が壊れ,伝導チャネルが形成されます.この伝導チャネルを通したエネルギー消費のない電気伝導や,トポロジ
に起因した独特の物性が予測されており,トポロジカル絶縁体は新しい電子材料として注目が集まっています.
Bi2Se3やHgTeなど,これまでいくつかのトポロジカル絶縁体が確認されていますが,いずれも取り扱いが難しく産業的にはなじみの薄い材料です.これらは材料自体にトポロジカル絶縁体となるエネルギーバンド構造を持っています.NTT物性科学基礎研究所では,本来トポロジカル絶縁体ではない,一般的な半導体材料であるヒ化インジウム(InAs)とアンチモン化ガリウム(GaSb)を用い,ヘテロ接合* 2
により人工的にトポロジカル絶縁体を実現しました.高度に発展した半導体技術の適用により,トポロジカル絶縁体の詳細な物性解明と産業応用の促進が期待されます.
トポロジカル絶縁体
原子が凝集して結晶となると,各々の原子の電子軌道が混成し,結晶の周期性に起因したエネルギーバンド(帯)を形成します.エネルギーバンドにエネルギーの低いほうから電子を詰めていったとき,あるエネルギーバンドが完全に電子で満たされ,それより上のエネルギーバンドには電子が収容されていない状態が絶縁体となります
(図 2(a)).この電子で満たされたバンドを価電子帯,空のバンドを伝導帯,そのバンド間のエネルギーの開きを禁制帯またはバンドギャップと言います.不純物のない半導体(真性半導体)もこの状態になっており,低温では価電子帯から伝導帯への電子の熱励起が抑制され絶縁体となります.
トポロジカル絶縁体では,相対論的な相互作用により伝導帯と価電子帯の一部がエネルギー的に重複し,波動関数の混成によりエネルギーギャップが開きます(図 2(b)).この結果,伝導
半導体ヘテロ接合 トポロジカル絶縁体 エッジチャネル
*1 トポロジ:位相幾何学.伸ばしたり,縮めたり,曲げたり,歪めたりして重ねられるものはトポロジが同じ.例えば,ドーナツと取手に穴の開いたマグカップはトポロジが同じ.
*2 ヘテロ接合:異種材料どうしの結晶成長.図 1 トポロジが異なる 2 つの状態
半導体ヘテロ接合によるトポロジカル絶縁体の実現
従来の物質の分類には当てはまらない新しい物質の形態であるトポロジカル絶縁体は,特異な電気伝導が期待され電子デバイスや量子コンピュータへの応用に向けて注目を集めています.本稿では半導体材料を用いた人工的なトポロジカル絶縁体の実現について紹介します.
鈴す ず き
木 恭きょういち
一 /小お の み つ
野満 恒こ う じ
二
NTT物性科学基礎研究所
NTT技術ジャーナル 2015.6 35
特集
帯 ・ 価電子帯 ・ バンドギャップが再構成されます.価電子帯が電子で満たされ伝導帯が空の状態はやはり絶縁体となりますが,前述のように外界の絶縁状態とはトポロジが異なるため,境界でバンドギャップを閉じる必要があります.その結果,伝導帯と価電子帯をつなぐ連続的な電子状態(図 2(b)の赤線と青線)が必然的に現れ,これらがチャネルとなり電気伝導を引き起こします. 3 次元トポロジカル絶縁体では表面付近に 2 次元チャネル, 2 次元トポロジカル絶縁体では端付近に 1 次元チャネル(エッジチャネル)が形成され,散乱の抑制された特異な電気伝導が予測されています.
私たちの研究対象である 2 次元トポロジカル絶縁体のエッジチャネルは,互いに逆向きのスピンを持つ対向した
(ヘリカルな)電子流で形成されます(図 3 ).このエッジチャネルはトポロジによって強固に保護されるため,スピンを反転させて反対方向に流れるような電子の後方散乱が禁制となります.その結果,エネルギー散逸のない伝導である量子化伝導* 3が期待されます.実際に, 2 次元トポロジカル絶縁体として知られているHgTe/HgCdTeヘテロ構造では量子化伝導度に非常に近い値が観測されています.また,ヘリカルな電子流と超伝導体を接合すると,マヨラナフェルミ粒子という物質かつ反物質である特殊な準粒子状態を形成することができると予測されており,これを量子ビットとした擾乱に強い量子コンピューティングが期待され
ています.このように,トポロジカル絶縁体の中でも特に 2 次元トポロジカル絶縁体は,省電力素子,量子情報処理,スピン伝導を利用したスピントロニクス素子として非常に有望です.
InAs/GaSbヘテロ構造
InAsやGaSbはバンドギャップの開いた一般的な半導体です.これらをヘ
テロ接合するとInAsの伝導帯とGaSbの価電子帯がエネルギー的に重複します.エネルギー障壁として作用するAlGaSbでこのヘテロ接合を挟み各層の厚さを最適化すると,InAsの伝導帯とGaSbの価電子帯の波動関数の混成によりエネルギーギャップが開き,トポロジカル絶縁体のエネルギーバンド構造が人工的に実現されます(図 4 ).
エッジチャネル
絶縁領域
図 3 2 次元トポロジカル絶縁体のエッジチャネル
(a) 絶縁体(真性半導体を含む) (b) トポロジカル絶縁体
表面または端面
エネルギー
伝導帯
バンドギャップ
価電子帯
電子が入っていない
電子で満たされている
エネルギー
伝導帯
重複
価電子帯
再構成 伝導帯
バンドギャップ
価電子帯
内部
伝導帯
価電子帯
図 2 エネルギーバンド構造
(a) エネルギーバンド構造 (b) トポロジカル絶縁体の実現
トポロジカル絶縁体
伝導帯AlGaSb AlGaSb
GaSbバンドギャップバンド
ギャップ
InAs価電子帯
エネルギー
InAsの伝導帯
GaSbの価電子帯
図 4 InAs/GaSbヘテロ構造
*3 量子化伝導:無散逸な伝導.伝導度は基礎物理定数で決まりe2/hとなります.ここでeは素電荷1.602×10-19(c),hはプランク定数6.626×10-34(Js).
NTT技術ジャーナル 2015.636
低次元半導体物理研究の最前線
これは膜構造ですので 2 次元トポロジカル絶縁体となることが期待されます.
私たちが作製した試料の構造を図 ₅に示します.半導体材料領域であるInAs/GaSbヘテロ構造(ヘテロ接合全体)は,単原子層レベルで厚さの制御が可能な分子線エピタキシー法で結
晶成長を行います.その後,リソグラフィとエッチングにより図 5(c)のようなホールバー構造を作製し,InAs/GaSb層と導通を持つAuGeNi合金の電極を 6 カ所に蒸着します.その上に,原子層堆積法によりAl2O3絶縁膜を形成し,最後にゲートとなるTiおよびAuを蒸着します.InAs/GaSbチャネ
ル層とゲート間の電圧(ゲート電圧,VG)を制御することで電子濃度を変化させ,価電子帯が電子で満たされ,伝導帯が空になるトポロジカル絶縁状態を実現します.
低 温 測 定
一般的な絶縁体や半導体と同様に,トポロジカル絶縁体も価電子帯の電子が伝導帯へ熱励起されると絶縁状態が壊れます.そのためトポロジカル絶縁体の実現には極低温が必要となります.今回,測定にはヘリウムの同位体であるヘリウム 3 を冷媒とする冷凍機を使用しています(図 ₆ ).この冷凍機では,減圧した液体ヘリウム 4(一般的なヘリウム)でヘリウム 3 を液化し,さらにこの液体ヘリウム 3 を減圧することで最低温度0.25ケルビン(K)を得ることができます.
トポロジカル絶縁状態の確認
2 次元トポロジカル絶縁体では内部は絶縁体で,電気伝導はエッジチャネルを通して隣り合った電極間で起こります.理想的には隣り合った電極間の伝導度は量子化伝導度e2/hとなり,抵抗はその逆数でh/e2≒25.8kΩになります.等価回路を図 ₇ に示します.単純な合成抵抗の計算から,縦抵抗と呼ばれるR14,23
はその 2 分の 1 であるh/(2e2)≒12.9 kΩ,非局所抵抗,例えばR16,34はその6 分の 1 であるh/(6e2)≒4.3 kΩとなることが期待されます* 4.実際には,さまざまな理由で散乱が起こり,電極間の伝導度はe2/hからずれた値となります.
12 3
456
(c) リソグラフィパターン(b) 構造(a) 断面顕微鏡写真
Ti/Auゲート
ゲート電圧
VG
Ti/Auゲート
Al2O3
GaSb
Al0.7Ga0.3Sb
InAs: 12 nmGaSb: 10 nmAl0.7Ga0.3Sb
GaAs基板
原子層堆積ゲート絶縁膜
分子線エピタキシ結晶成長
チャネル層
AlSb/GaSb,GaAs/AlAs超格子絶縁層
2μmAuGeNi電極
AuGeNi電極
図 ₅ InAs/GaSbヘテロ構造試料
試料
3Heガス
真空断熱
減圧した液体4He1.3 K
3Heを液化
液体3Heを減圧0.25 K
図 6 ヘリウム 3 冷凍機*4 電極i-j間に外部から流す電流をIijとし,電極
k-l間の電圧をVklを測定したとき,抵抗Rij,kl=Vkl/Iijと定義します.
NTT技術ジャーナル 2015.6 37
特集
次に実際の測定結果を図 ₈ に示します.図 8(a)はゲート電圧に対する縦抵抗R14,23です.低ゲート電圧側では電子濃度が低く,価電子帯にも電子の空きがあります.それらが正の電荷を持つ正孔として伝導に寄与するため内
部領域でも伝導があり,抵抗が低くなります.高ゲート電圧側では伝導帯の一部にも電子が収容され,それが伝導電子として働き,同様に抵抗を低くします.VG=1.2 V付近では,価電子帯が電子で満たされ伝導帯が空の状態
で,伝導に寄与する電子または正孔がないため抵抗が高くなります.抵抗ピークの値は約20 kΩとなっています.もし真性半導体であれば抵抗ピークは無限大となりますので,20 kΩという有限な値は伝導が存在することを意味します.この値はエッジチャネルの量子化伝導で期待される値h/(2e2)に近く,このゲート電圧付近がトポロジカル絶縁状態であることを示唆しています.
この抵抗ピークの温度変化を図 8(b)に示します.横軸は温度の逆数で,高温側(左側)では抵抗ピークが低くなっています.これは,価電子帯から伝導帯に熱励起された電子および同時に価電子帯に生成された正孔が伝導に寄与するためです.高温側における抵抗ピークの変化の傾きから推定されるバンドギャップは0.18 meV (≒ 2.1 K)です* 5 .低温側(右側)では抵抗がh/
(2e2)付近で飽和しているのが分かります.
トポロジカル絶縁状態である確実な証拠を得るために非局所抵抗測定を行いました.図 ₉(a)は電流を電極 1 - 6間に流したとき(赤線)と 6 - 5 間に流したとき(青線)の 2 - 3 間の電圧を測定した非局所抵抗,それぞれR16,23
とR65,23です.同様に図 9(b)は電流を1 - 6 間に流したとき(赤線)と 6 - 5間に流したとき(青線)の 3 - 4 間の電圧を測定した非局所抵抗,それぞれR16,34とR65,34です.抵抗ピーク値は量子化で期待される値h/(6e2)からずれており,ここまでの結果ではトポロジカル絶縁状態とは判断できません.
次に,これらの非局所抵抗の比を表
V23
(b) 縦抵抗ピークの温度変化(a) 縦抵抗
4
612 3
45
R14,23 R14,23
(kΩ)100
10
11.81.0 1.2 1.4 1.6
VG
(V)
0.25 K
h/( 2 e 2) h/( 2 e 2)
(kΩ)100
10
1
1 /T(K- 1)0 1 2 3
図 ₈ 縦抵抗と温度変化
(b) 非局所抵抗(a) 縦抵抗
各端子間の伝導度e2/h
R14,23=h/(2e 2) R16,34=h/(6e 2)
1
2 3
4
56
1
2 3
4
56
V V
図 7 エッジチャネル伝導の等価回路
*5 エネルギーの換算は1(eV)≒1.602×10-19(J)≒11600(K),絶対温度T(K)=T-273(℃).
NTT技術ジャーナル 2015.638
低次元半導体物理研究の最前線
したのが図 9(c)です.紅線は電流を1 - 6 に流したときの 2 - 3 間の電圧と3 - 4 間の電圧の比で,紫線は電流を6 - 5 に流したときの 2 - 3 間の電圧と3 - 4 間の電圧の比です.このように,抵抗ピーク付近では隣り合った非局所抵抗の比(電圧比)は電流端子に依存せず一致していることが分かります.隣り合った電極ペアのすべての組み合わせに対して同様の結果が得られており,これは,電気伝導は隣り合った電極間でのみ起こる,つまり伝導はエッジチャネルに支配されており,トポロジカル絶縁状態が実現されていることを示しています.ちなみに,温度を4.3 K
に上昇させると,図 9(d)に示したように非局所抵抗比は一致しません.これは,熱励起により生成した伝導電子および正孔が,内部領域において伝導に寄与していることを示しています.
今後の展望
InAsもGaSbも磁性電極や超伝導体との接合においても相性が良いことが知られています.今後,InAs/GaSbヘテロ構造トポロジカル絶縁体を用いたスピントロニクスや量子情報処理の展開が期待されます.また,ヘテロ接合により人工的なトポロジカル絶縁体が実現できたことは,半導体に限らず
金属や絶縁体も含めたさまざまな物質の組み合わせによる新たなトポロジカル絶縁体実現の可能性を拓きます.
■参考文献(1) K. Suzuki, Y. Harada, K. Onomitsu, and K.
Muraki : “Edge channel transport in the InAs/GaSb topological insulating phase,” Phys. Rev. B, Vol.87, p.235311, 2013.
(d) 非局所抵抗比(4.3 K)
(a) 非局所抵抗R**,23 (b) 非局所抵抗R**,34
(c) 非局所抵抗比(0.25 K)
1.0 1.2 1.4 1.6 1.8
6R**,23
V23 /V34
R**,34
V23 /V34
(kΩ) (kΩ)
h/( 6 e 2) h/( 6 e 2)
0.25 K 0.25 K
4.3 K0.25 K
R16,23R65,23
R16,34R65,34
I16I34
I16I65
V23 V34
V23 V34
VG VG
VGVG
(V) (V)
(V)(V)
10
5
0
10
5
0
5
4
3
2
1
0
5
4
3
2
1
0
1.0 1.2 1.4 1.6 1.8 1.0 1.2 1.4 1.6 1.8
1.0 1.2 1.4 1.6 1.8
1 2 3 45 6
1 2 3 45
61 2 3 4
5
図 9 非局所抵抗とその比
(左から) 小野満 恒二/ 鈴木 恭一
バンドギャップの大きいトポロジカル絶縁体が実現できれば,室温でも損失のない電気伝導が可能となり,環境負荷の少ない社会の実現に一役買うことができることでしょう.
◆問い合わせ先NTT物性科学基礎研究所 量子電子物性研究部TEL 046-240-3473FAX 046-240-4727E-mail suzuki.kyoichi lab.ntt.co.jp