1. 2018 三井住友海上 津元 研究結果報告書...絶対値0.8以上かつ横軸p...

4
研究結果報告書 2019 12 30 <研究課題> 糖鎖を利用した健康長寿マーカーの開発 代表研究者 東京都健康長寿医療センター研究所 研究員 津元 裕樹 【まとめ】 本研究課題では、質量分析を基盤とする独 自の N-結合型糖鎖解析法を用い、長期縦断追 跡調査で得られた 105 歳以上、90 歳、80 歳お よび 70 歳群の糖鎖解析を行った。年齢および 炎症マーカーと組み合わせて多変量解析を行 った結果、糖鎖の変化が加齢および炎症マーカ ー増加と相関することがわかった。これにより、 糖鎖の変化が炎症に対する防御機構の一つで ある可能性、また、健康長寿マーカーになる可 能性が示唆された。 1.研究の目的 超高齢化社会を迎えた現代において、自立 生活が可能な“健康寿命”をいかにして延ばす かが大きな課題であり、健康寿命を延長させる ための病気の予防や生活習慣の改善などによ る健康増進法の開発が期待される。そのような 開発研究では効果の指標となるバイオマーカ ーが必要とされる。しかしながら、健康長寿を 反映するバイオマーカー(健康長寿マーカー) は確立されていない。 タンパク質翻訳後修飾の一つである糖鎖 修飾は、分子認識、細胞間相互作用、タンパク 質の局在、活性化、安定性などに重要である。 糖鎖修飾は様々な酵素により制御されている ため、その生合成は細胞の状態に左右されやす い。よって、老化や疾患などで変化するタンパ ク質の糖鎖構造変化を明らかにすることがで きれば、老化や疾患などの要因解明やバイオマ ーカー開発につながることが期待される。 そこで本研究では、質量分析を基盤とする 独自の N-結合型糖鎖解析法を用いて長期縦断 追跡調査で得られた高齢者の血漿検体の糖鎖 解析を行い、糖鎖構造変化と加齢や炎症マーカ ーとの関連を明らかにすることを目的とした。 2.研究方法と経過 2-1 血漿検体 本研究では、高齢者を対象にした長期縦断 SONIC http://www.sonic-study.jp/)により収集• 保 管された血漿を用いた(東京都健康医療センタ ー研究所倫理委員会 承認番17)。そのり、臨床情報としてアルブミン、C-reactive protein CRP)、 interleukin-6 IL-6)、 tumor necrosis factor-αTNF-α)の報が付与され た超寿者群(20 106.4±0.7 歳)、90 群(20 89.3±1.0 歳)、80 歳群(20 80.2±0.9 歳)および 70 歳群(20 70.0± 0.7 歳)を解析に用いた。 2-2 N-結合型糖鎖解析 血漿 3550 μL から Albumin & IgG Depletion SpinTrap GE ヘルスケア社)を用 いてアルブミIgG 除去後、タンパク質殿再溶解、タンパク質定量を行い、糖鎖解析 プルとした。 タンパク質の N-結合型糖鎖解析法の概略 図1 に示す。糖鎖解析用 プル N-glycosidase F Roche 社)で理して N-合型糖鎖を遊離させ、タンパク質 50 μg プルBlotGlyco 住友ベーク社)に加して遊離糖鎖の定化反を行っ た。 上でシアル酸結合様式特異アルキ ルアミド化(SALSA)(Anal. Chem. 2017, 89, 2353-2360)によるシアル酸誘導体化反後、 から糖鎖を再遊離させ、 2-アミノ息香 AA)による糖鎖末端誘導体化、ミドチップおよびカーチップによる AA 化糖鎖の精製を行い、質量分析用プルとし た。質量分析は MALDI-TOF/TOF 5800 SCIEX 社)を用い、 リフレトロネガティブイオン で行った。マトリッ2, 5-ジヒドロ キシ息香酸プレμFocus 700μm udson Surface Technology 社)を用いた。 1N-結合型糖鎖解析法の概略. /m/z AA AA AA AA AA AA AA AA N- AA AA SALSA MALDI-TOF MS

Upload: others

Post on 21-Aug-2020

1 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

Page 1: 1. 2018 三井住友海上 津元 研究結果報告書...絶対値0.8以上かつ横軸p [1]の絶対値0.03以 上と設定した。その結果、アルブミン・IgG除 去前では17種類(図7A、

研究結果報告書

2019 年 12 月 30 日

<研究課題> 糖鎖を利用した健康長寿マーカーの開発 代表研究者 東京都健康長寿医療センター研究所 研究員 津元 裕樹 【まとめ】

本研究課題では、質量分析を基盤とする独

自の N-結合型糖鎖解析法を用い、長期縦断追

跡調査で得られた 105 歳以上、90 歳、80 歳お

よび 70 歳群の糖鎖解析を行った。年齢および

炎症マーカーと組み合わせて多変量解析を行

った結果、糖鎖の変化が加齢および炎症マーカ

ー増加と相関することがわかった。これにより、

糖鎖の変化が炎症に対する防御機構の一つで

ある可能性、また、健康長寿マーカーになる可

能性が示唆された。 1.研究の目的 超高齢化社会を迎えた現代において、自立

生活が可能な“健康寿命”をいかにして延ばす

かが大きな課題であり、健康寿命を延長させる

ための病気の予防や生活習慣の改善などによ

る健康増進法の開発が期待される。そのような

開発研究では効果の指標となるバイオマーカ

ーが必要とされる。しかしながら、健康長寿を

反映するバイオマーカー(健康長寿マーカー)

は確立されていない。 タンパク質翻訳後修飾の一つである糖鎖

修飾は、分子認識、細胞間相互作用、タンパク

質の局在、活性化、安定性などに重要である。

糖鎖修飾は様々な酵素により制御されている

ため、その生合成は細胞の状態に左右されやす

い。よって、老化や疾患などで変化するタンパ

ク質の糖鎖構造変化を明らかにすることがで

きれば、老化や疾患などの要因解明やバイオマ

ーカー開発につながることが期待される。 そこで本研究では、質量分析を基盤とする

独自の N-結合型糖鎖解析法を用いて長期縦断

追跡調査で得られた高齢者の血漿検体の糖鎖

解析を行い、糖鎖構造変化と加齢や炎症マーカ

ーとの関連を明らかにすることを目的とした。 2.研究方法と経過 2-1 血漿検体 本研究では、高齢者を対象にした長期縦断

的 研 究 で あ る SONIC 研 究

(http://www.sonic-study.jp/)により収集• 保

管された血漿を用いた(東京都健康医療センタ

ー研究所倫理委員会 承認番号 17)。その中よ

り、臨床情報としてアルブミン、C-reactive protein(CRP)、interleukin-6(IL-6)、tumor necrosis factor-α(TNF-α)の情報が付与され

た超百寿者群(20 例、106.4±0.7 歳)、90 歳

群(20 例、89.3±1.0 歳)、80 歳群(20 例、

80.2±0.9 歳)および 70 歳群(20例、70.0±0.7 歳)を解析に用いた。 2-2 N-結合型糖鎖解析 血漿 35〜50 μL から Albumin & IgG Depletion SpinTrap(GEヘルスケア社)を用

いてアルブミン・IgG を除去後、タンパク質沈

殿、再溶解、タンパク質定量を行い、糖鎖解析

用サンプルとした。 タンパク質の N-結合型糖鎖解析法の概略

を図1に示す。糖鎖解析用サンプルを

N-glycosidase F(Roche 社)で処理して N-結合型糖鎖を遊離させ、タンパク質 50 μg 相当の

サンプルを BlotGlycoビーズ(住友ベークライ

ト社)に添加して遊離糖鎖の固定化反応を行っ

た。ビーズ上でシアル酸結合様式特異的アルキ

ルアミド化(SALSA)(Anal. Chem. 2017, 89, 2353-2360)によるシアル酸の誘導体化反応後、

ビーズから糖鎖を再遊離させ、2-アミノ安息香

酸(AA)による糖鎖還元末端の誘導体化、ア

ミドチップおよびカーボンチップによる AA化糖鎖の精製を行い、質量分析用サンプルとし

た。質量分析は MALDI-TOF/TOF 5800(SCIEX社)を用い、リフレクトロンネガティブイオン

モードで行った。マトリックスは 2, 5-ジヒドロキシ安息香酸、測定プレートは μFocus 700μm(Hudson Surface Technology 社)を用いた。

図 1.N-結合型糖鎖解析法の概略.

�������

/���m/z��

AA�

AA�

AA�

AA� AA�AA�

AA�AA�

���� �

��� �

N-������

����

AA�

AA�����

SALSA�

MALDI-TOFMS�

Page 2: 1. 2018 三井住友海上 津元 研究結果報告書...絶対値0.8以上かつ横軸p [1]の絶対値0.03以 上と設定した。その結果、アルブミン・IgG除 去前では17種類(図7A、

2-3 データ解析 質量分析により検出されたピークの m/z 値([M− H]− )から糖鎖組成を推定し、検出され

たすべての糖鎖ピークのピークエリアを算出

した。また、その総和に対する各ピークの割合

をピークエリア(%)として算出し、多変量解

析ソフトウェア SIMCA16(Umetrics 社)を

用いて多変量解析を行った。 3.研究の成果

3-1 シアル酸誘導体化反応の最適化 最近、代表研究者らが開発したシアル酸

誘導体化法 SALSA(従来法)をより簡便に改

良した方法として “aminolysis-SALSA”(改

良法)が報告された(Anal. Chem. 2018, 90, 13193–13199)。多検体処理において前処理の

簡便化は重要な課題である。そこで、サンプ

ルとして 70 歳のヒト血漿 10例の混合血漿を

用い、従来法と改良法の比較を行った。最も

ピーク強度の高いm/z 2425を100としてノー

マライズし、各ピークの割合を算出し、強度

の高い35種の糖鎖についてピークエリア比を

まとめた(図2)。その結果、ほとんどの糖鎖

ピークについて従来法と改良法で大きな差が

ないことがわかった。そこで本研究では、改

良法を用いて解析することとした。

図 2.SALSA-AA 化糖鎖のピークエリア比の比較.

3-2 N-結合型糖鎖解析 アルブミン・IgG除去前および除去後の

ヒト血漿タンパク質から得られた N-結合型糖

鎖の MALDI-TOF MSスペクトルを図3に示

す。これまでの研究により、96種類の糖鎖ピ

ークが検出されることがわかっていた(三井

住友海上福祉財団 2016 年度[高齢者福祉]

助成研究結果報告 No. 12)。本研究でもこれ

らを解析対象として各糖鎖のピークエリア比

を算出し、多変量解析を行った。

図 3.ヒト血漿糖鎖の MALDI-TOF MS スペクトル.

アルブミン・IgG 除去前(A)および除去後(B). 3-3 多変量解析(1):MOCA 本研究課題では、研究期間内に取得したア

ルブミン・IgG 除去後のデータ(80 検体)に

加え、これまでに取得した同一検体の除去前の

データ(80 検体)も併せて解析した。 まず最初に、糖鎖データと臨床データの相

関を検討するため、マルチブロック直交成分分

析 ( MOCA ; Multiblock Orthogonal Component Analysis)を行った。MOCA のス

コアプロットを図4に示す。アルブミン・IgG除去の前後に関わらず、4群が良好に分離でき

ることがわかった。

図 4.MOCA のスコアプロット.アルブミン・IgG 除

去前(A)および除去後(B).

そこで、図5に示すローディンプロット

を確認したところ、炎症マーカー(●:CRP、IL-6、TNF-α)の増加と多くの糖鎖(●)の増

0

10

20

30

40

50

60

70

80

90

100

1516

.53

1582

.59

1598

.58

1727

.66

1744

.64

1760

.64

1785

.67

1840

.64

1906

.70

1930

.74

1947

.72

2002

.69

2051

.77

2064

.76

2076

.80

2092

.80

2109

.77

2172

.76

2210

.82

2238

.85

2279

.88

2295

.88

2396

.92

2424

.95

2441

.93

2504

.92

2514

.95

2542

.98

2571

.01

2650

.98

2762

.06

2774

.09

3094

.21

3122

.24

3240

.27

Peak

are

(%)

m/z0

10

20

30

40

1516

.53

1582

.59

1598

.58

1727

.66

1744

.64

1760

.64

1785

.67

1840

.64

1906

.70

1930

.74

1947

.72

2002

.69

2051

.77

2064

.76

2076

.80

2092

.80

2109

.77

2172

.76

2210

.82

2238

.85

2279

.88

2295

.88

2396

.92

2424

.95

2441

.93

2504

.92

2514

.95

2542

.98

2571

.01

2650

.98

2762

.06

2774

.09

3094

.21

3122

.24

3240

.27

Peak

are

(%)

m/z

AA�

AA�

Fuc a2,3-linked Neu5Ac a2,6-linked Neu5AcGlcNAc Man Gal

AA�

AA�

AA�

従来法改良法

1000 1600 2200 2800 3400 4000

1.3E+4

010

20

30

4050

60

70

8090

100 1582.6

2425.01744.6

2092.8

2441.91947.7 2238.92774.12571.0

3094.23240.3

1000 1600 2200 2800 3400 4000

Mass (m/z)

1.0E+4

0

10

20

3040

50

60

7080

90

1002424.96

2092.8

2238.9 2441.91930.7 2571.01639.6 2774.1 3094.23240.3

(A)

(B)

AA�

AA�

AA�

AA�

AA�

AA�

AA�

AA�

AA�AA�

(A)

(B)

Page 3: 1. 2018 三井住友海上 津元 研究結果報告書...絶対値0.8以上かつ横軸p [1]の絶対値0.03以 上と設定した。その結果、アルブミン・IgG除 去前では17種類(図7A、

加が相関していることがわかった。このことは、

加齢に伴って慢性的な炎症状態になりながら

も糖鎖構造変化により炎症に対応している可

能性を示唆するものである。一方、加齢によっ

て減少することが知られているアルブミンは

これらの糖鎖とは負の相関を示していた。この

ことは、本解析モデルの有用性を示す結果と考

えられる。

図 5.MOCA のローディンプロット.アルブミン・IgG除去前(A)および除去後(B). 3-4 多変量解析(2):OPLS-DA 次に、MOCA で最も分離していた超百寿

者群(SSC、●)と 70 歳群(●)のデータを

用いて判別分析(OPLS-DA)を行った。

OPLS-DA のスコアプロットおよび S-プロットをそれぞれ図 6 と図 7 に示す。 図 6 のスコアプロットより、アルブミン・

IgG除去の前後に関わらず、超百寿者群(SSC、

●)と 70 歳群(●)が良好に分離できること

がわかった。そこで、図 7 の S-プロットから

その分離に寄与している糖鎖を調べた。信頼性

の高い糖鎖を抽出するため、縦軸 p(corr)[1]の絶対値 0.8 以上かつ横軸 p [1]の絶対値 0.03 以

上と設定した。その結果、アルブミン・IgG除去前では 17種類(図 7A、●)、除去後では 31種類(図 7B、●)が超百寿者群に特徴的な糖

鎖として抽出された。 特に、最も分離に寄与しているとされる赤

矢印で示した糖鎖はアルブミン・IgG除去前後

で同一の糖鎖であった。超百寿者群でその割合

が増加することから健康長寿マーカー候補と

して有用である可能性が示唆された。 将来的にさらに多検体で解析をする場合、

前処理としてアルブミン・IgG除去を行うこと

は費用と処理時間の問題がある。今回の結果は、

より簡便でスループット性の高い検証実験が

可能になる可能性を示唆している。

図 6.OPLS-DA のスコアプロット.アルブミン・IgG除去前(A)および除去後(B).

図 7.OPLS-DA の S-プロット.アルブミン・IgG 除

去前(A)および除去後(B).●:縦軸 p(corr)[1]の絶

対値 0.8 以上かつ横軸 p [1]の絶対値 0.03 以上

(A)

(B)

アルブミン

CRP

(B)

(A)

(B)

(A)

Page 4: 1. 2018 三井住友海上 津元 研究結果報告書...絶対値0.8以上かつ横軸p [1]の絶対値0.03以 上と設定した。その結果、アルブミン・IgG除 去前では17種類(図7A、

4.今後の課題

本研究課題で明らかになった糖鎖が付加さ

れるタンパク質および修飾部位を同定し、その

糖鎖構造変化の生物学的意義を明らかにする

ことが課題である。そのためにも、今後は“糖

ペプチド”として解析していくことが必要不可

欠である。それにより、より信頼性の高い健康

長寿マーカーの開発に発展させていきたいと

考えている。 5.研究成果の公表方法

本研究に関連する研究成果は国内外での学

会発表をするとともに、原著論文として学術誌

へ投稿する予定である。

以上