124124...

8
124 124 三重県や津市とも協調して文化財保存をしています 三重県や津市とも協調して文化財保存をしています

Upload: others

Post on 15-Feb-2021

0 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

  • 124124

    新年のスタートはお七夜へ。

    新年のスタートはお七夜へ。

    三密をさけて国宝のある高田本山へお参りください。

    三密をさけて国宝のある高田本山へお参りください。

    三重県や津市とも協調して文化財保存をしています三重県や津市とも協調して文化財保存をしています

  • 高田本山だより令和 2 年 12 月 10 日 第 124 号 (2)

     

    二〇二〇年は感染症の

    脅威の中、新しい生活様

    式を模索する一年だった

    ように感じます。

     

    新しい年の報恩講(お

    七夜さん)は、共に新た

    なスタイルの仏縁を紡い

    でまいりましょう。

     

    本山では粛々と報恩講

    をおつとめさせていただ

    く予定をしております。

    前年までと異なるところ

    もあり、戸惑われること

    もあるかと存じますが、

    本来の報恩講のあり方を

    まもりつつ、感染対策も

    してまいりますので、ど

    うぞゆとりをもってお参

    りください。

        

     

    報恩講とは、御開山親

    鸞聖人の御命日を縁とし

    て、その遺徳を偲び、御

    恩を歓び、報謝させて頂

    く、私たちにとって最も

    大切な法会です。

     

    聖人の御命日、弘長二

    年(一二六二)十一月

    二十八日は新暦の一月

    十六日になります。高田

    本山では一月九日から

    十六日にかけて七夜にわ

    たり報恩講をおつとめい

    たします。

     

    みなさまには「お七夜

    さん」と親しまれ、今日

    に至っています。

        

     

    報恩講では毎日の初夜

    に「報恩講式(お式文)」

    が拝読され、「御絵伝」

    が余間にかけられます。

     

    特に十五日の初夜には

    報恩講式の全段が拝読さ

    れます。一昨年、東京の

    国立劇場にて催された声

    明講演の本番ともいえる

    お式文全段拝読・声明が

    御影堂にてお勤めされま

    す。

     

    みなさまのお参りをお

    待ちしております。

     

    感染症対策のた

    め、二〇二一年の報

    恩講は、検温や入場

    制限、お非時の中

    止、行事内容の見直

    しなどをすすめてお

    ります。

     

    お参りの皆さまの

    ご理解、ご協力よろ

    しくお願いいたしま

    す。

    一月十一日

    お七夜新成人のつどい

    一月十二日

    お七夜婦人連合会

    一月十三日

    如来堂特別講演

    お七夜坊守会

    一月十四日

    如来堂特別講演

    責任役員会

    一月十五日

    婦人連合会初夜参詣

    一月十六日

    御参廟

    ●お七夜行事案内

    一月九日〜十六日

    勤行後説教

    (晨朝・日中・逮夜・初夜)

    献書展

    ののさま展

    雲幽園見学

    一月十日〜十六日

    大講堂説教

    詳しくは

    「報恩講のしおり」等を

        

    ご覧ください。

    10時半〜

    12時〜

    9時〜

    9時〜

    12時半〜

    16時半〜

    9時〜

    11時45分〜

    12時半〜

    7時〜

    10時半〜14時〜

    16時半〜

    九日は逮夜12時半より始まり 

    十六日の日中まで

  • 高田本山だより(3) 令和 2 年 12 月 10 日 第 124 号

     

    バイシャリーを後あとに

    し、クシナガラに着い

    た釈尊は阿あなん難に言いま

    す。「阿難よ、サーラの

    樹きの間に(沙さらそうじゅ

    羅双樹)床とこ

    を用意しておくれ。阿難

    よ、私は疲れた。横にな

    りたい。」これを聞いた

    阿難は、ついに師しがお亡

    くなりになると思い、ひ

    とり涙を流しました。そ

    れを知った釈尊は、「や

    めよ阿難。悲しむでな

    い、嘆なげくでない。人は死

    を免まぬがれることはできな

    「涅ねはん槃

    ・入にゅうめつ

    滅」

    釈尊シリーズ○21

    い。愛いとしい者とも、別

    れ離はなれなければならな

    い(愛あいべつりく

    別離苦)。生まれ

    てきたものは壊こわれゆくべ

    きものである(盛じょうしゃひっすい

    者必衰

    の理ことわり)。

    それは私とて同

    じこと。無理を言うでな

    いぞ。阿難よ、長く仕つかえ

    てくれた。お前は善よいこ

    とをしてくれた。勤つとめ励はげ

    んで修しゅぎょう行

    せよ。速すみやかに

    汚れ無き者となるであろ

    う。」と、告つげられまし

    た。

     

    釈尊入滅の日、スバッ

    ダという者が釈尊を訪たずね

    て来ますが、阿難は釈尊

    を想い断ことわります。しか

    し、それを聞きつけた釈

    尊はスバッダを招まねき、説

    法をなされました。感かんめい銘

    を受けたスバッダは出しゅっけ家

    を決けつい意し、釈尊の最後の

    直じきでし

    弟子となられました。

    釈尊は教えを求める者が

    いる限り、入滅を前にし

    ても、布ふきょうでんどう

    教伝道へ心しんけつ血

    注そそがれたのでした。

     

    釈尊は改めて修しゅぎょうそう

    行僧た

    ちへ、「もろもろの事じしょう象

    は過ぎ去るものである

    (諸しょぎょうむじょう

    行無常)。怠ることな

    く修行に励みなさい。」

    と、告げられました。こ

    れが釈尊の最後の言葉で

    あったと伝えられており

    ます。

     

    佛ぶっきょう教を開き約四十五年

    間の布教伝道の後、旧きゅうれき暦

    二月十五日、釈尊八十歳

    のころ、煩ぼん

    のう悩

    を断だんじ尽つく

    し、肉にくたい体もまた無に帰きし

    た、完全なる悟さとりの境きょうち地

    (大だいはつねはん

    般涅槃)へと参まいられ

    たのでした。

    「祇ぎおんしょうじゃ

    園精舎の鐘かねの声

    諸しょぎょうむじょう

    行無常の響ひびきあり

    沙さらそうじゅ

    羅双樹の花の色

    盛じょうしゃひっすい

    者必衰の理ことわりをあらわす」

     

    皆様も一度は耳にした

    ことがある一節かと思い

    ます。釈尊の入滅を通

    し、改めて聞いてみます

    と、違ったお味わいが

    いただけたのではないで

    しょうか。私達は人とし

    て生まれ、幸さいわいにもこの命

    尽つきるまでに、お念ねんぶつ佛と

    出であわ遇

    わせていただきま

    した。このことを親鸞聖

    人も「遇あい難がたくしていま

    遇うことを得えたり、聞き

    難くしてすでに聞くこと

    を得たり」と、慶よろこばれま

    した。まことに有あり難がた

    いことです。しかしな

    がら、いつ何なんどき時にも失うしな

    うかも知れない命と知

    りながらも、疎おろそかに生

    きてしまうのがこの私、

    悪あくにんぼんぷ

    人凡夫の有ありさま様です。そ

    んな私に対して、まさ

    に「今」釈尊の最後の説

    法を聞かせていただき、

    「南なも

    無阿弥陀佛」と修おさめ

    させていただきました。

     (教学院第三部会)

  • 高田本山だより令和 2 年 12 月 10 日 第 124 号 (4) 

    前回、このコーナー

    で、「お念仏は聞くもの

    ではなくて称となえるものな

    んじゃないの?」などの

    疑問に答えていくことを

    お約束しましたが、今回

    はその前に、「なもあみ

    だぶつ」という発音につ

    いて書きたいと思いま

    す。

     

    私たちは、お念仏する

    ときは「なまんだぶつ」

    とか「なんまんだぶ」、

    または「なまんだぶ」な

    どと称えますが、これら

    は「なもあみだぶつ」が

    訛なまったものです。「なも

    あみだぶつ」は漢字で書

    くと「南無阿弥陀仏」で

    す(親鸞聖人は「無」を

    「无」と書かれますが、

    「无」は「無」の異字体

    です)。「それなら『なむ

    あみだぶつ』と読むべき

    じゃないの?」と思われ

    るかもしれません。たし

    かに、「無」を「も」と

    は音読みしませんし、一

    般には「なむあみだぶ

    つ」と読まれています

    ね。しかし、高田派や本

    願寺派などでは「南無」

    は「なも」と読みます。

    なぜでしょうか。それ

    は、親鸞聖人がそのよう

    に読まれているからです。

     

    聖人のご著書である

    『和わさん讃』でも、『尊そんごうしんぞう

    号真像

    銘めいもん文』でも、『唯ゆいしんしょう

    信鈔

    文もんい意』でも、「南無」に

    は「なも」とふりがなが

    つけられています。た

    だ『唯信鈔文意』に一箇

    所だけ「なむ」のふりが

    なもあるにはあるのです

    が、まあ例外と言ってい

    いでしょう。鎌倉時代に

    時じしゅう宗を興おこした一いっぺんしょうにん

    遍上人を

    描いた絵巻、『一いっぺんひじりえ

    遍聖絵』

    には「なもあみたふ」と

    記されているようですの

    で、親鸞聖人だけが「な

    も」と読んでおられたの

    ではなく、当時はこの読

    みが普通だったのではな

    いかと考えることもでき

    るようです。

     

    聖人の御みこころ心によるのが

    つとめの私たち真宗門信

    徒にとっては、「南無阿

    弥陀仏」は「なもあみだ

    ぶつ」なのです。

     「南無阿弥陀仏」のこ

    とを「お名みょうごう号

    」と言いま

    す。「名号」とは、一般

    にはさまざまな仏や菩薩

    の名のことを言うのです

    が、私たちにとっての名

    号は「阿弥陀仏」の御みな名

    であり、「南無」を附し

    た「南無阿弥陀仏」のこ

    とを言います。このお名

    号は漢字六字であらわさ

    れているので、「六字名

  • 高田本山だより(5) 令和 2 年 12 月 10 日 第 124 号

    号」と言います。

     

    お名号は「六字名号」

    だけではありません。お

    寺の、ご本尊に向かって

    左側の余間には、右に

    「帰きみょうじんじっぽうむげこうにょらい

    命尽十方無碍光如来」

    の、左に

    「南なもふかしぎこうにょらい

    無不可思議光如来」

    の掛け軸が掛かっていま

    すね。また、お仏壇の

    脇わきがけ掛にはこの二つが合がっぷく幅

    になっているものや独立

    して左右に掛けるように

    なっているものがありま

    す。前者は十字の構成な

    ので「十字名号」、後者

    は九字の構成なので「九

    字名号」とよんでいま

    す。また、「八字名号」

    もあります。

    「南なも

    無不可思議光仏」

    のことですが、ふだんは

    あまり拝見できないお名

    号ですね。仏の御名に違

    いはありますが、どれも

    「阿弥陀仏」のおはたら

    きを名に示した別のお名

    前です。

     「十字名号」には、「南

    無」のかわりに、「帰命」

    の語が使われています

    が、意味は同じです。原

    語であるインドの古代

    語、サンスクリット語の

    「ナモー」が音写された

    のが「南無」、意訳され

    たのが「帰命」です。

     「帰命」とは、仏やそ

    の教えを心から信じ、敬

    い、まかせることです。

    とすれば、お名号が意味

    するのは、「阿弥陀仏と

    いう仏さまを心から信

    じ、敬い、おまかせしま

    す」という私の決断、意

    思表明のことばというこ

    とになりますね。たしか

    に帰命・南無するのは私

    です。それは間違いあり

    ません。

     

    では、どうしてそのよ

    うな意思をもち、決断す

    るようになるのでしょ

    う。また、「なまんだぶ

    つ」とお念仏するように

    なるのでしょう。真宗で

    は、「帰命」を「帰きせよ

    の命めい」と解釈されます。

    次回考えたいと思いま

    す。   (高田派鑑学)

    ■国宝二点を筆頭に、右の写真のような八字名号など、多数の法宝物を保管する新宝物館

     

    建設のご懇志も引き続きお願いしております。

    ■特別法要のロゴマークができました。(上)

    ■特別法要前日となる令和五年五月二十日土曜日に庭儀式(稚児練り)を予定いたします。

  • 高田本山だより令和 2 年 12 月 10 日 第 124 号 (6) 

    対策は手探りの状態ですが、本山では三密を回避し

    つつ各種行事・法会の開催にとりくんでいます。

     

    またテレビ等の取材も入っておりましたので、自宅

    から本山をご覧いただけたのではないでしょうか。

    ●十月後半には映画「浅

    田家!」の公開に伴い山

    門下のオープンスペース

    をつかってパネル展があ

    りました。

    ●お七夜と並び大勢の参

    詣をいただく納骨堂法会

    では、会期を十一月三日

    から十日と秋法会とも併

    修される形をとったうえ

    で境内入口において検温

    を実施するなど、密を回

    避し、感染症対策を実施

    したうえで、お参りいた

    だけるようにいたしまし

    た。

     

    各種研修会はパーティ

    ションの設置、座席間隔

    を広げたり、感染症対策

    をとりながら実施されて

    います。

    ●教師検定講習Ⅱ

     

    九月十九〜二十一日に

    僧侶研修が行われました。

    ●宗議会

     

    九月二十九〜三十日に

    は宗門の大事なことを決

    める議会がありました。

    ●資堂講法会

     

    十月一〜三日です。

    ●仏教教育研究センター公開講座

     

    高田会館ホールにて、

    十月二十一日には三重県

    総合博物館学芸員・太田

    光俊先生を、十一月十六

    日には金信昌樹先生を講

    師にお招きし公開講座が

    実施されました。

    ●第40回坊守・婦人会合同研修会

     

    十一月十七日に御影堂

    にて松山智道先生の講義

    をお聞きしました。

    ●紅葉堂法会

     

    十一月十八日におこな

    われました。

    「浅田家!」パネル展「浅田家!」パネル展

    納骨堂法会での検温納骨堂法会での検温

    納骨堂法会 仏間勤行納骨堂法会 仏間勤行

    教師検定講習Ⅱ教師検定講習Ⅱ

    紅葉堂法会紅葉堂法会

    坊守・婦人会合同研修会坊守・婦人会合同研修会

  • 高田本山だより(7) 令和 2 年 12 月 10 日 第 124 号

    本山納骨受付について

    ■感染症対策のため、納骨

    受付は予約制といたしまし

    た。また、受付件数を限定

    させていただきます。

    ■翌月末までの予約が可能

    です。ご予約はお電話にて

    お願いいたします。

    ■ご予約・お問い合せ先

     総合案内所・納骨堂

    電話

    〇五九ー二三二ー七二三四

     

    その経路となる、越後と信州の境、

    関川には聖人袈裟かけの松があり、往

    来の邪魔をしていた大蛇の住む池に経

    文を書いた石を投げ入れた時に袈裟を

    かけたという伝承が残されています。

    血辻へはJR松井田駅より徒歩16分程

    度、袈裟かけの松へはJR妙高高原駅

    より徒歩25分ほどです。

    (山川蓮生)

    第18回 

    越後より上州へ

     

    親鸞聖人が三十九歳となったとき、

    ようやく流罪御赦免となります。そこ

    で、翌年早々に越後を出発し源空(法

    然)上人のもとへと向かいます。雪深

    い北陸路をさけて信濃路、上野国と迂

    回するルートです。

     

    途中、上野国四辻にて源空上人の訃

    報をうけます。ここで、悲しみのあま

    り血の涙を流したといわれています。

    そのため、血辻と名付けられました。

     

    一旦、越後に戻ることにし、途中上

    州、信州においても教化されます。

    血辻血辻

    袈裟かけの松袈裟かけの松

    高田本山では来る

    令和五(二〇二三)年

    五月二十一日〜二十八日の八日間

    特別法要として

    開山親鸞聖人御誕生

     

    八五〇年奉讃法会

    立教開宗八〇〇年奉讃法会

    中興真慧上人五〇〇年忌

          

    奉讃法会

    聖徳太子一四〇〇年忌

         

    奉讃法会

    以上の四法会を執り行います。

    総合案内所について

    ■進納所の業務をすべて総合案内所に統合いたします。

     ・院号・法名などの申物や臨時読経の申し込み

     ・進納物(懇志・永代経)のお取り扱い

     ・参拝記念印のお取り扱い

     ・帰敬式受付

     ・仏事相談

    ■引続き案内所各種業務も行います。

     ・納骨のお申し込み

     ・団体参拝のお申し込み

     ・各種販売物のお取り扱い

    現地の案内板にはここより現地の案内板にはここより常陸に向かったとあります常陸に向かったとあります

    総合案内所

    総合案内所

  • 三重県津市一身田町

          

    2819

     

    真宗高田派本山専修寺

    高田本山だより令和 2 年 12 月 10 日 第 124 号 (8)

    寺院名

    ※疾病の拡散防止のお願い

     

    参詣の際や、行事等にご

    参加いただく場合には、引

    き続き感染防止対策にご協

    力ください。また、状況に

    より各種行事が中止または

    内容が変更される場合もご

    ざいます。

    一月一日〜三日

    修正会

    一月九日〜十六日

    報恩講(お七夜)

      

    期間中の行事は

      

    2ページを参照

    二月二十日・二十一日

    住職補任研修会

    三月十七日〜二十三日

    讃仏会

    三月二十日〜四月四日

    写生大会

    ● 

     

    法話のバトンを受けとることにな

    りました。八十路半ばの私にとっ

    て、次につなげられるかいささか不

    安ですが・・・

     

    前回の「本山だより」一二三号

    で、東京組正福寺の英師は「私た

    ちはコロナ後の日常を取り戻そう

    と『ニューノーマル

    (新常識)』をコンセプ

    トに動き始めておりま

    す。・・・ニューノー

    マルが発生するのは三

    度目です。・・・」と仰っ

    てみえます。

     

    私は本格的デジタル

    化社会の到来、スマホ

    一台で人間生活のほとんどの機能を

    補完する便利で、そら恐ろしい時代

    がやってくるのではないかと、働き

    の鈍くなった頭を叩きながらいろい

    ろ想像しています。

     

    世の中は、人と人とのかかわりで

    成立している時代から、人と機器と

    のかかわりで成立している時代へ。

     

    しかしながら、人間社会がどう変

    革しようとも、人間が存在する以上

    変わらぬものがあります。それに

    よって人間は支えられ、ときには翻

    弄されている〜それは、人間は“

    悩具足の凡夫”

    であることです。

     

    親鸞聖人は、二十年もの長い間比

    叡山できびしい修行を積

    まれましたが、目標を達

    成することができず、“

    夫”

    である自分を知らし

    められたのです。

     

    そして、「凡夫という

    は、無明煩悩われらがみ

    にみちて、欲もおおく、

    いかり、はらだち、そね

    み、ねたむこころおおく、ひまなく

    して、臨終の一念にいたるまでとど

    まらず、たえず・・・・」(『一念多

    念文意』)とおっしゃってみえます。

     

    報恩講の季節、聖人のおことばを

    いただきながら、次へバトンを渡し

    ます。