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資料-4 城県における復興祈念公園基本構想 検討調査有識者委員会 資料 【南浜地区の概要】 国土交通省 東北地方整備局 建政部 平成25101国土交通省 東北地方整備局 建政部

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資料-4

宮城県における復興祈念公園基本構想

検討調査有識者委員会 資料

【南浜地区の概要】

国土交通省 東北地方整備局 建政部

平成25年10月1日

国土交通省 東北地方整備局 建政部

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1.石巻・南浜の地形・地史(1)

•北上川は、1万5000年前には、現在よりも80m以上も深く地面を浸食していたが、その後、ゆっくり海面は上昇して 北上川が運んできた土砂がこの浸食場を埋没させていった

P 01

ゆっくり海面は上昇して、北上川が運んできた土砂がこの浸食場を埋没させていった。

•石巻平野は、いわゆる埋没谷で、現在の定川付近が、最も浸食量の大きいところと考えられている。 ※「みやぎ北上川今昔」 みやぎ北上川の会発行より

南浜地区南浜地区

基盤岩上限等深度線出典:「仙台湾臨海地区の地盤」

北上山地南端部の地形(地質断面図)出典:「日本の平野と海岸」

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1.石巻・南浜の地形・地史(2)

•河口部の湿地の多い土地で、江戸時代には蔵屋敷や藩の材木蔵など造船関係の施設、河口穀改番所が存在していた

P 02

河口穀改番所が存在していた

•明治期に開墾がなされ、湿地と耕作地が混在する地域となり、日和大橋が完成するまでは、雲雀野海岸付近に湿地が残されていた

出典:石巻今はなくなった風景

▲雲雀野海岸に見られた湿地(昭和35年) ▲雲雀野海岸付近の松林(昭和35年)

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1.石巻・南浜の地形・地史(3) P 03

• 家屋はまばらで 桑畑と水田の利用がほとんどであった• 家屋はまばらで、桑畑と水田の利用がほとんどであった• 一部の集落に隣接して果樹畑があったことがうかがえる• 製紙工場付近では湧水が見られ、湿地が広がっていた• 雲雀野海岸付近と聖人堀沿いには 松林が存在した雲雀野海岸付近と聖人堀沿いには、松林が存在した

門脇小聖人堀

西光寺

称法寺

濡 仏

日本地図センター作成「大正2年頃(1913年)の石巻市主要部」より一部転載・加工・加筆

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2.南浜地区周辺の変遷 P 04

時代区分 概 要時代区分 概 要

舟運【

江運の時代

江戸】

千石船など、石巻の舟運最盛期であるが、南浜地区は、砂丘の松林と湿地帯。

産業化の時

【近代】

明治から高度成長以前までの時代では、舟運から鉄道への移行にともない、南浜地区は、農業(水田や桑畑)、漁業関連施設、工業化に伴う輸送施設など、産業系の開発が進んだものの、湿地や松林などの自然は残っていた時

代地や松林などの自然は残っていた。

住宅地【S35年からの高度成長期以降では 工業港の開設とその周辺での工業集積により 内港の機能地化の時代

【現代】

S35年からの高度成長期以降では、工業港の開設とその周辺での工業集積により、内港の機能低下が生じたことと併せて、住宅需要の増大から、区画整理事業等により、全面的に住宅地へと特化していった。

生活環境の

【近年

住宅地として成熟した南浜地区は、文化・商業施設の集積も進み、さらに内港地区の利活用の必要性からも 文化センター 市立病院などの公的施設集積も進んだの

充実

年】

要性からも、文化センタ 、市立病院などの公的施設集積も進んだ。

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3.舟運の時代(1)

• 海に囲まれた石巻は、豊富な海産資源に恵まれていたため、多くの遺跡が見られるように古くから人々 豊かな暮らしが営まれ た

P 05

ように古くから人々の豊かな暮らしが営まれていた。

• 江戸時代には、伊達藩の川村孫兵衛による北上川の開削工事が実施され、北上川の河口に位置する石巻は船の行き交う「川湊のまち」として繁栄した。

西光寺 称法寺 濡 仏1615年開山

称法寺1610年

仙台より移転

1697年建立

奥州牡鹿湊石巻図(1727年[享保11年]頃の北上川河口付近)

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00

○川村孫兵衛 「北上川改修工事」

3.舟運の時代(2) P 06

・江戸時代の北上川は、南部藩と仙台藩を結ぶルートとして重要である一方、度重なる洪水を引き起こす暴れ川でもあった・川上孫兵衛は、元和2年(1616年)から北上川の改修に着手、この工事により、石巻港は江戸廻米の 大集積地となり 奥州の中心的な港として発展を遂げた江戸廻米の一大集積地となり、奥州の中心的な港として発展を遂げた

○松尾芭蕉 「奥の細道」 元禄15年(1702年)○松尾芭蕉 「奥の細道」 元禄15年(1702年)・松尾芭蕉は、元禄2年(1689年)に石巻を訪問、 「奥の細道」にこの際に目にした石巻の繁栄が 驚きをもって記されている

~「奥の細道」より~

石巻といふ湊に出。こがね花咲とよみて奉る金華山、の繁栄が 驚きをもって記されている

・当時の石巻は、戸数1,213戸、人口5,650人であった

海上に見わたし、数百の廻船入り江につどひ、人家地をあらそいて、竃の煙立ちつゞけたり

○佐久間洞厳 「奥羽観蹟聞老志」 享保4年(1719年)・「大阪・博多・酒田と肩を並べる天下第一の港」大阪 博多 酒田と肩を並 る天下第 の港」

○古川古松軒 「東遊雑記」 天命8年(1788年)

「 巻 奥州第 港 南部 仙台 産物が 地 出 積 大阪 る・「石巻は奥州第一の港で、南部・仙台の産物がこの地へ出て江戸に積み、大阪に廻るので、諸国の船が多数入る繁盛している港である」

出典:「石巻まるごと歴史探訪」 2000年発行

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00

○孫兵衛の北上川改修工事から200年以上を経た江戸末期においても石巻は変わらぬ繁栄を続ける

3.舟運の時代(3) P 07

繁栄を続ける。

○当時の風景画には東日本大震災において津波被害を受けた西光寺や称法寺も描かれており、地域の歴史の重みを感じさせる。

称法寺西光寺

仙臺石巻湊眺望之全圖の一部を加工・加筆(1852年[嘉永5年頃]の旧北上川河口付近)

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3.舟運の時代(4)

○一方で、当時の南浜には人家等は存在していない○唯 今もその名残を残す濡仏が当時の風景画にも姿を描かれている

P 08

○唯一、今もその名残を残す濡仏が当時の風景画にも姿を描かれている

(濡仏)

元禄10年(1697年)建立・元禄10年(1697年)建立

・京都から石巻への船輸送の道中、銚子沖で船が遭難し一旦は海に沈むも、数十年後に石巻の海岸に漂着した

・長年海中に沈んでいたため、あたかも潮水を浴びたような様相であったため「濡仏様」と称されていたといわれている相であったため 濡仏様」と称されていたといわれている

・現在は、津波により流され、台座を残すのみとなっている

濡仏

現在の南浜地区周辺

仙臺石巻湊眺望之全圖の一部を加工・加筆(1852年[嘉永5年頃]の旧北上川河口付近)

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3.舟運の時代(5)

○明治14年に旧北上川を起点とする北上運河が開通

P 09

○小型蒸気船による荷客の運搬も昭和30年頃まで活発に行なわれた○定期蒸気船岩手丸には、宮沢賢治も乗船した

○宮沢賢治詩碑 『われらひとしく丘にたち 青ぐろくしてぶちうてる あやしきもののひろがりを 東は

てなくのぞみけり そは巨いなる鹽の水 海とはおのもさとれども 傳へてききしそのものと あまりにたがふここちして ただうつつなるうすれ日に そのわだつみの潮騒の うろこの國の波がしら きほひ寄するをのぞみゐたりき』(日和山公園)明治45年中学4年の修学旅行で石巻を訪れ、初めて見た海に感動して詠んだ詩。

出典:国土交通省 東北地方整備局 北上川下流河川事務所HP

▲北上廻漕会社の外輪蒸気船「岩手丸」(明治18年) ▲外輪蒸気船「登米丸」

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4.産業化の時代(1) P 10

○昭和34年~42年の土地区画整理事業により南浜地区の人口が増加したと推察される

(人)(人)100,000

150,000200,000250,000

5,000

7,000

9,000石巻市全体

南浜地区 蛇田村・萩浜村と合併

渡波町と合併 稲井町と合併 平成の大合併

(人)

-50,000

明治

13年

明治

18年

明治

23年

明治

28年

明治

33年

明治

38年

明治

43年

大正

4年

大正

9年

大正

14年

昭和

5年

昭和

10年

昭和

15年

昭和

20年

昭和

25年

昭和

30年

昭和

35年

昭和

40年

昭和

45年

昭和

50年

昭和

55年

昭和

60年

平成

2年

平成

7年

平成

12年

平成

17年

平成

22年

1,000

3,000

明 明 明 明 明 明 明

大 大

昭 昭 昭 昭 昭 昭 昭 昭 昭 昭 昭

平 平

平 平 平

石巻市HPより

明治6

明治11

明治13

明治22

明治29

大正元

昭和8

昭和9

昭和15

昭和20

昭和28

昭和34

昭和35

昭和39

昭和42

昭和46

昭和50

昭和54

昭和61

平成2

平成10

平成23

年 年 年 年 年 年 年 年 年 年 年 年 年 年 年 年 年 年 年 年 年 年

石巻市

北上運河工

北上川低水

石巻町誕生

明治三陸地

石巻線開通

市制施行

昭和三陸地

中瀬の造船

チリ沖地震

新産業都市

大正以来初

東日本大震石巻市

全体 事起工

水工事起工

生 地震

(

津波

)

通 地震

(

津波

)

船所に銃爆撃

(津波

市に指定

初の人口減

震災発生

門 門 東 臨 土 土 石 門 雲 日 文 市

南浜地区周辺

門脇小学校開

門脇に魚市場

東北パルプ創

臨港線運転開

土地区画整理

土地区画整理

石巻工業港開

門脇臨港線廃

雲雀野公園完

日和大橋開通

文化センター

市立病院開院

周辺校 開

設業開始

始 事業開始

事業完了

港 止 成 開館

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4.産業化の時代(2)大正2年 明治20年の東北本線開通、大正元年の石

巻線開通により川港は衰退濡仏

P 11

巻線開通により川港は衰退

南浜地区はまだ市街化されておらず、砂浜と松林が大半であった

濡仏

松林 大半であ た

濡仏は当時も変わらず、この地に有ったことが地図からも読み取れる現在の南浜地区周辺

昭和43年 高度成長期に区画整理事業が行われ、石巻工業港及びその背後の工業地域と隣接する地域として発展

当時は内港まで鉄道(貨物線)が整備されていた

南浜地区

平成15年 文化センターや市立病院など、石巻市の基幹施設が建設されている

南浜地区

幹施設が建設されている

鉄道(貨物線)は外港(工業港)側へルートが変わっている

震災直前の南浜地区の人口は2,716人(1,126世帯)

南浜地区

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5.住宅地化の時代 P 12

• 南浜地区では、昭和30年代から昭和40年代はじめにかけて土地区画整理事業が施行された(事業は昭和42年に終了)

• 昭和39年に石巻市は新産業都市に指定され、工業都市として発展し、南浜地区の市街化が進展した

土地区画整理事業の施行範囲

地区名事業主体

施行面積

都市計画決定年月日

事業認可年月日

施行年度

門脇地区 市 13 3ha 昭29 12 10 昭34 5 29 昭34~42門脇地区 市 13.3ha 昭29.12.10 昭34.5.29 昭34~42

善海田 組合 19.1ha 昭38.2.22 昭37~42

善海田(共同) 市・組合 1.6ha 昭39.12.15 昭34~42

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6.産業化~住宅地化の時代の移り変わり P 13

■昭和35年

▲雲雀野海岸 ▲門脇字浜裏 ▲門脇浜横町

■昭和56年

出典:石巻今はなくなった風景

▲雲雀野町1丁目付近 ▲雲雀野町1丁目付近 ▲門脇町3丁目付近

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7.生活環境の充実 P 14

○住宅地化した南浜地区には、石巻市の基幹的施設が建設され、地域の生活環境は充実していった。

■石巻市文化センター【昭和61年開館】

石巻の歴史・文化などを紹介する展示室、ホ ル 研修室などを有する複合施設

■石巻市立病院【平成10年開院】

土地区画整理事業が完了し、住宅地化が進む南浜地区に 石巻医療圏の医療環境ホール、研修室などを有する複合施設。

地元出身の彫刻家高橋英吉の作品を常設展示することが目的の一つであった。

川と海を間近に望む南浜に位置しており、

進む南浜地区に、石巻医療圏の医療環境の向上を担う施設として整備された。

「海」をモチーフとし、光庭を回廊型に取込むなど、開放的で明るいデザインが特徴的川と海を間近に望む南浜に位置しており、

海を愛した高橋英吉の作品を展示するには相応しいロケーションであった。

むなど、開放的で明るいデザインが特徴的な施設であった。

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8.東日本大震災の津波による被災(1) P 15

▲震災前の南浜地区(平成21年6月25日撮影) ▲震災後の南浜地区(平成23年3月12日撮影)

出典:Google earth

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8.東日本大震災の津波による被災(2) P 16

建物被災状況

■南浜地区の建物被害

2000

2500

建物被災状況

注)単位は棟数全壊

全壊

全壊

浸水

大規

床上

床下

被災

500

1000

1500集計の対象は

南浜町一丁目~四丁目門脇町三丁目~五丁目雲雀野町一丁目

壊(流出)

壊 壊(一階天井以上

水)

規模半壊

上浸水

下浸水

災なし

石巻市に占 宮城県に占

■南浜地区の人的被害

0

石巻市に占める南浜町の割合

宮城県に占める石巻市の割合

備考

世帯数 1 124 H23 3 11現在 1 8% 60 818 H22 9末現在 6 7%

南浜町地区 石巻市全体

世帯数 1,124 H23.3.11現在 1.8% 60,818 H22.9末現在 6.7%

人口 2,694 H23.3.11現在 1.6% 163,216 H22.9末現在 6.9%石巻市の全体の人口に占める死者・行方不明者の割合 2.4%

死者数 275 H23 3 11現在 8 3% 3 280 H24 1 19現在 33 5%死者数 275 H23.3.11現在 8.3% 3,280 H24.1.19現在 33.5%

死者+行方不明者 407 H23.3.11現在 10.5% 3,875 H24.1.19現在 33.8%県内2位 気仙沼市 1,380名岩手1位 陸前高田市 1,852名

※ 最大避難者数(市内全域) 3/17 50 758名※ 最大避難者数(市内全域) 3/17 50,758名※ 津波浸水深  石巻市73k㎡(建物用地21k㎡) ともに全国1位 市内の13.2%(平野部の30%) (2位は東松島市38k㎡)

岩手県全域でも49k㎡、福島県全域でも67k㎡(国土地理院H23.3.28発表)建物被災状況:被災現況調査(宮城4):国土交通省都市局(平成24年3月) 南浜地区の人的被害:石巻市資料(平成25年6月)

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9.震災後の状況変化【日和山より南浜地区を望む】 P 17

平成23年3月撮影

出典:石巻百景

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9.震災後の状況変化【日和山より南浜地区を望む】 P 18

平成25年3月撮影

出典:石巻百景

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9.震災後の状況変化【日和山より南浜地区を望む】 P 19

2013年9月平成25年9月撮影

2013年9月