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ソルフェージュ:明日のための教育法(2) 20世紀フランスのソルフェージュ 第1部 テシュネ,ローラン 訳・ 20世紀フランスにおける一般教育のソルフェージュ 初等教育 ギャラン=パリ=シュヴェの数字記譜法 は次第に放棄され、1923年にはソルフェージュ実 習が要求され、毎週1時間の割合で強化された ・準備クラス(6/7歳):聴き取りで学ぶ唱歌chant scolaire ・初歩クラス(7/9歳):声と耳の訓練、音階、単純なリズム譜の学習 ・中級クラス(9/11歳):付点リズム、長/短調、読譜lecture 、1声部と数声部の視唱solfe ge ・上級クラス(11/13歳):複合拍子、三連音符 1925年からの録音教材の利用、パテ社とコロンビア社との提携 、1936年の学校放送(ラジ オ)開始、さらにリコーダー学習がソルフェージュ実習を補完する。 それにもかかわらず、1946年以後、学校の雰囲気が音楽教育には好意的でなくなる。結局、 小学校教諭の多くが自分は適任でないと思って 諦める一方で、「メトード・アクティヴme - thode active が少しずつ取り入れられ、音楽教育の人気が再び高まっていく。 1995年、文部省は次のように明言した 113 例1. ロジェ=デュカス Roger - Ducasse Dix leçons de solfe ge. Paris :Henry Lemoine, 1908 , p. 1 .

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Page 1: ソルフェージュ:明日のための教育法(2) · PDF file例3.Solf썡ege universel,Paris:Henry Lemoine,1910,p15. 例4.ラヴィニャックLavignac,Albert Encyclop썝edie

ソルフェージュ:明日のための教育法(2)

― 20世紀フランスのソルフェージュ 第1部―

テシュネ,ローラン

訳・関 根 敏 子

20世紀フランスにおける一般教育のソルフェージュ

⑴ 初等教育

ギャラン=パリ=シュヴェの数字記譜法 は次第に放棄され、1923年にはソルフェージュ実

習が要求され、毎週1時間の割合で強化された 。

・準備クラス(6/7歳):聴き取りで学ぶ唱歌chant scolaire

・初歩クラス(7/9歳):声と耳の訓練、音階、単純なリズム譜の学習

・中級クラス(9/11歳):付点リズム、長/短調、読譜lecture、1声部と数声部の視唱solfege

・上級クラス(11/13歳):複合拍子、三連音符

1925年からの録音教材の利用、パテ社とコロンビア社との提携 、1936年の学校放送(ラジ

オ)開始、さらにリコーダー学習がソルフェージュ実習を補完する。

それにもかかわらず、1946年以後、学校の雰囲気が音楽教育には好意的でなくなる。結局、

小学校教諭の多くが自分は適任でないと思って 諦める一方で、「メトード・アクティヴme-

thode active」が少しずつ取り入れられ、音楽教育の人気が再び高まっていく。

1995年、文部省は次のように明言した 。

― ―113

例1.ロジェ=デュカス Roger-Ducasse

Dix leçons de solfege.Paris :Henry Lemoine,1908,p.1.

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「児童は、その音環境と同時に様々な形式の音楽を聴くことを学ぶ。彼らの感情と印象を表

現するための音楽を作曲し演奏することによって、創造的イマジネーションを発展させる。

さらにこれらの活動によって、一緒に歌う、グループで踊る、他者を聴く、他者の聴取を尊

重する、一緒に感動を味わうなどの社会性を身につける。」

⑵ 中等教育

文部省は引き続いて合唱教育を奨励し、定期的に中学校校長に音楽教育の重要性を思い出

させた 。

1929年には女学校に、1935年には男子校に、歌唱視学官が創設された。

音楽バカロレア が1946年に創設され、同様に音楽が1949年に免状 の選択科目となった。い

ずれもソルフェージュ試験(聴音と初見視唱)、楽器もしくは声楽の実技試験、そして音楽史

の試験が含まれる。

1959年、ジョルジュ・ファーヴル は次のように表明する。「絶対に声(発声練習culture

vocale)、耳(聴音dictee)、音程練習intonation、リズム、音楽性(歌)を学ばねばならない。」

これらの知識は、たとえばマルセル・ドトルメール が著作『音楽教育と合唱の完全講義

Cours complet d’education musicale et de chant choral』(1966)の中に適用し、音楽の授

業に以下のような時間配分を勧めている。

発声練習:6分、聴音:読み上げ/書き取り:10分、理論:10分、歴史/レコード:12分、

読譜/音程練習:12分、歌唱:10分

1972年、強化された音楽授業時間とともに、ひとつの部門が設立された。そこでは、音楽

史、音楽実践、和声、ソルフェージュ(発声練習/音程/1声部あるいは数声部による歌唱/

読譜/リズム/聴音)、その他の一般科目が共存している。

1974年、「時間調整クラスclasses a horaires amenages」の創設によって、学校の授業と

音楽院のクラスを受けることができるようになる[訳注:たとえば午前は普通学級、午後は

専門学校に通う]。

1976年、バカロレア「音楽技術者Technicien de la musique」が創設された。

⑶ 大学

ジュール・コンバリュー 、次にロマン=ロラン 、アンドレ・ピロ 、ポール=マリ・マ

ソン 、その他多くの人々のおかげで、大学での音楽教育は何よりもまず音楽学的に展開され

る。

1951年、ソルボンヌ音楽学研究所が創設され、次いで1953年からジャック・シャイエ が推

進して、ソルフェージュ・クラスが学生たちに示された。

1969年からは音楽が、主として中等教育における音楽教員を育成する大学課程として誕生

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する 。

⑷ モーリス・シュヴェとその『音楽教育のメトード・アクティヴ』

「ソルフェージュ教育の成功は、何よりもまず教える者の音楽的価値に依存している。」

学校教育の場におけるソルフェージュ教育の発展に関しては、とりわけモーリス・シュヴェ

(1880-1943)にオマージュを捧げたい。シュヴェは、1910年から1940年にかけて学校音楽教

育視学官であった。また理論家、多数の論文や学校教育マニュアルの著者、さらには音楽教

育の疲れを知らぬ活動家であった。

児童心理学の最初の研究に情熱を燃やし、ビネ協会 のきわめて親しい協力者であり、音楽

教育史の権威でもあったシュヴェには、膨大な教育学の著作の構想があった。すなわち『幼

少期の音楽教育L’Education musicale de l’enfance』(1923) ―⑴子供と音楽、⑵教育法、⑶

積極的で直接的なメトード 、⑷教職試験における音楽教育法試験。

ソルフェージュ:明日のための教育法(2)

例2.シュヴェChevais,Maurice

Avant le Solfege.Paris :Alphonse Leduc,1952.

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パリ音楽院のソルフェージュ:1905-1941

⑴ ガブリエル・フォーレ 院長時代(1905-1920)

フォーレの任命は騒動を巻き起こした。なぜなら彼は音楽院の卒業生 でもなく、ローマ賞

受賞者でもなく、学士院のメンバーでもなかったからである。フォーレは一気に改革を企て、

多数の教授の辞任を招いた。さらにドビュッシー とダンディ を教育上級顧問に任命し、

1911年には建物をマドリッド通りに移す。1914-1918年の第1次世界大戦の間も運営に携わっ

ていた。

フォーレはソルフェージュ教育に熱心で、みずから課題をいくつか作曲した。

新しい教員の中では、とりわけポール・ルニョン の存在を強調せねばならない。彼は、『音

楽初歩教程:理論、ソルフェージュ、聴音...Le Cours elementaire de musique: theorie,

solfege,dictee musicale...』(ed.Gallet,Paris,1898)や『音楽とその歴史La musique et son

histoire』(ed.Garnier,Paris,1926)など数多くのソルフェージュや音楽学に関する著作を

書いた。他に、アメデ・シュジョル 、アンジュ=マリ・オザンド 、『歌唱法概要、理論と実

践Precis de l’art du chant, traite theorique et pratique』などを書いたアルベール・ヴェル

ネルドAlbert Vernaelde、『子供のソルフェージュSolfege des enfants』の著者ジョルジュ・

キュイニャシュGeorges Cuignache、エヴァ・ソトローEva Sautereau などがいる。

例3.Solfege universel,Paris :Henry Lemoine,1910,p15.

例4.ラヴィニャックLavignac,Albert

Encyclopedie de la musique. deuxieme partie,Paris:Delagrave,1925,p.183.

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注意してほしいのは、ソルフェージュ訓練の要点が、聴音(1声部と2声部、和音、和声

聴音も)、7種の音部記号で歌うソルフェージュ、音程練習、音楽理論に向けられていたこと

である。

⑵ アンリ・ラボー 院長時代(1920-1941)

1921年から新しい規則が生まれた。とりわけ変化したのは以下の箇所である。

・ソルフェージュ、ならびにエクリチュール、ピアノ伴奏、オルガンのクラスへの入学は、

それ以後、試験がおこなわれた。

・ソルフェージュにおける入学年齢制限が14歳に、学習最大期間が3年に決定された。さら

に、教育に関する公的教則本がなくなった。「概論はもはや公的に音楽院によって採用され

ない。」

ソルフェージュ・クラスの新教員の中で、とりわけノエル・ギャロン を挙げておかねばな

らない。彼は、続いて対位法とフーガの教授となり、多数のソルフェージュ課題や教育作品

を作曲した。他に、ロベール・デュソー 、数多くの歌曲を書いたマルグリット・カナル 、

続いて和声教育に携わり同僚のジョルジュ・ベッケル と同じく作曲もしたモーリス・フラン

ク 、アルマン・ブルノンヴィル 、そして多数のソルフェージュ課題を書いたジャン・デレ

などがいる。

例5.ギャロン Gallon,Noel

Solfege des Concours.Paris :Jean Jobert,1953.

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ソルフェージュ:明日のための教育法(2)

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20世紀の私的音楽教育におけるソルフェージュ

⑴ スコラ・カントールムにおけるソルフェージュ

1894年にアレクサンドル・ギルマン 、シャルル・ボルド 、ヴァンサン・ダンディによっ

て創設されたスコラ・カントールムは、ダンディが管理するようになる。

「これは、過去とりわけグレゴリオ聖歌と16世紀の宗教作曲家を尊重し賛美する精神におい

て構想された。授業は、グレゴリオ聖歌、対位法、作曲、和声、ソルフェージュ、声楽アン

サンブルというように、最初はかなり完全なものであった。」

自由な学校として、授業は独創的な概念をもち、代々の院長は「パイオニア」精神の状態

を維持した。

例7.ケクランKoechlin,Charles

Solfege progressif.Paris :Max Eschig,1935,p.8.

例6.フランクFranck,Maurice

15 leçons de solfege.Paris:Transatlantiques,1964,p.7.

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⑵ ジャック・シャイエ(1910-1999)

フランスの作曲家、音楽学者、教育者、1952年に大学博士号取得、ソルボンヌの音楽史教

授、スコラ・カントールム院長、文化省音楽視察官をつとめたジャック・シャイエは、しば

しば斬新で重要な概論を書いた。たとえばソルフェージュでは、アンリ・シャラン との共著

『音楽理論 Theorie complete de la musique』、そして『鍵盤和声概論 Traited’harmonie

au clavier』がある。

⑶ パリ・エコール・ノルマル音楽院におけるソルフェージュ

1919年にアルフレッド・コルトー とオーギュスト・マンジョAuguste Mangeotによって

創設されたエコール・ノルマル・ド・パリは、音楽教務委員会によって支えられている。構

成メンバーには、1928年の時点ではポール・デュカ 、ナディア・ブランジェ 、ラザール・

レビ 、ジャック・ティボー 、パブロ・カザルス 、マルセル・デュプレ 、シャルル・パン

ゼラ が、そして現在はポール・バドゥラ=スコダ 、エリオット・カーター 、クリスティ

アン・イヴァルディ 、ケント・ナガノ などであった。

「その教育は、できるだけ自由で普遍的であることを欲し、学生ひとりひとりの個性を尊重

する。」

政府(文化省)によって認められた学校で、学生は年齢制限もなく入学試験もなく入学を

例8.シャイエ Chailley,Jacques& シャラン Challan,Henri

Theorie complete de la musique.Paris :Alphonse Leduc,1947.

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ソルフェージュ:明日のための教育法(2)

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許可される。

ソルフェージュは、初見、分析、音楽史、ピアノ教育史と並んで、理論科目のトップに置

かれている。また全学生必修で、いくつかのレベルがあり、主要科目として受講することも

できた。

20世紀における偉大なソルフェージュ教育者たち

⑴ アンドレ・ジェダルジュ と体系的聴覚教育

1884年にパリ音楽院のエルネスト・ギロー のクラスに入ったアンドレ・ジェダルジュは、

1905年に対位法とフーガの教授に任命された。それと同時にニーデルメイエール学校 でも

教えており、地方音楽院の視学官など公的な職務も引き受けていた。

ジェダルジュの著作『体系的聴覚教育による音楽教育 l’Enseignement de la musique par

l’education methodique de l’oreille』(1921)は、小学校における音楽教育の欠如に答えよう

としたものである。

・合唱を理論の前に実践するよう勧める。

・学生の記憶、注意力、論理、判断に高い価値を与える。

・合理的に耳を育成する。すなわち、雑音との関連における楽音の認識/全音と半音の区別/

音程練習/内的な耳の発展(これから再現しようとするものを内面的に聞いていなければ

ならない)等々。

・授業を短くして、毎日とする。

・遊びのように音楽教育を考える。等々。

自身のメトードに添えようとジェダルジュが書いた『ソルフェージュ帳Livrets de sol fege』

例9.ジェダルジュ Gedalge,AndrePrincipes de la musique.Paris :Enoch,1937.

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(10巻とカノン1冊)は、『音楽の原理 Principes de la musique』とともに音楽院で広く使

用された。

⑵ ダルクローズ とリトミック

「奥様、太らないように用心してください [...]ソルフェージュにスポーツを導入したダ

ルクローズ・メトードに従っていれば、すらりとした身体を維持できるでしょう。」

ダルクローズは、パリでレオ・ドリーブ とガブリエル・フォーレに、次いでウィーンでア

ントン・ブルックナー に学んだ。1915年、ジュネーヴに学校を設立、1926年に最初のリズム

学会を組織した。著作はそれほど多くないが、この著者は、練習課題に厳密に従うと、その

精神を殺してしまうことに気づいていた。

ダルクローズのメトードは、身体の自然な動き、音楽的リズム(フレーズ、ニュアンス等々)、

個人の想像力や反射性を関係づけることにある。

「リトミックの学生は、生活し、思考し、行動し、欠点を矯正し、身体と精神の能力の間に

親密な関係を打ち立てることを目的とする。」

リズムを感じさせるためには、ピアノで導かれるか打楽器で伴奏される練習課題の中で、

身体全体を使わせる。やや大きめの身振りによるニュアンスを尊重しなければならない。同

様に、即興も重要な役割を果たす。

「このようにしてリズムと音楽が個々の人間の中に入っていく。」

例10.ジャック=ダルクローズ Jaques-Dalcroze

Coordination et disordination.Paris :Alphonse Leduc,1935.

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ソルフェージュ:明日のための教育法(2)

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記譜法の勉強は、耳が容易にリズムと音響を認識する時にしか介入しない。音階は、あら

ゆる調性における全音と半音の位置を意識させるとともに、内面的な聴取に役立つ。

パリ音楽院におけるソルフェージュ:1941-1956

⑴ クロード・ドゥルヴァンクール 院長時代(1941-1954)

第2次世界大戦の最中(1939-1944)、モーリス・フランクはユダヤ人に関する法律のため

辞任し、ジョルジェ・ダンドゥロ に代わった。ダンドゥロは、ソルフェージュに関する著作

が多数あり、なかでも『音部記号練習のための実践マニュアル Manuel pratique pour l’etude

des cles』(ed.Max Eschig,Paris,1928)で知られる。

イヴォンヌ・デポルト は、フーガ教育に携わる以前ソルフェージュ教育団体に加わってい

た。

例11.20 leçons de solfege moderne.Paris :Henry Lemoine,1934,p.32.

例12.ダンドゥロ Dandelot,Georges

Manuel pratique pour l’etude des cles.Paris :Max Eschig,1928.

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1947年、ソルフェージュ・クラスに教育法クラスと新しい呼称が作られた。「純粋ソルフェ

ジスト」。それは数年後に「専門ソルフェージュ」となる。その一方で「楽器奏者のソルフェー

ジュ」、「声楽家ソルフェージュ」、さらには「舞踊家ソルフェージュ」も依然として共存して

いた。

ソルフェージュ・クラスの他の新しい教員の中には、多数のソルフェージュ関係以外にも

とりわけ『ル・ソルフェージュLe Solfege』(PUF,Paris,1962)と題する著作を出版してい

るマルセル・スラージュ 、シモーヌ・プティSimone Petit、ルネ・デュクロ 、後に和声教

育へと向かうジョルジュ・ユゴン 、リュセット・デカーヴ (後にピアノ教育に携わり、そ

のクラスは高い名声を博する)などがいる。

クロード・デルヴァンクールは、あまりにも細分化されたソルフェージュ教育の空𨻶を自

覚していた――「あまりにも長期間、音楽教育の2つの異なる様相として、一方にソルフェー

ジュと理論の教育、一方に和声教育があると考えられてきた」。そしてソルフェージュ研究

のプログラムに和声分析を加えていく 。

⑵ マルセル・デュプレ院長時代(1954-1956)

この短期間に、ソルフェージュ教授陣の中にピエール・ランティエ が任命された。彼は、

後に和声教育の教授となる。

例13.デポルトDesportes,Yvonne

20 leçons de solfege.Paris :Max Eschig,1945,p.49.

例14.デュクロ Duclos,Rene120 dictees a 3parties.Paris :Alphonse Leduc,1954,p.35.

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ソルフェージュ:明日のための教育法(2)

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また、ソルフェージュ・クラスの中に、2声、3声、4声の合唱実践が強調されている 。

メトード・アクティヴ(積極的教育法)

「伝統的ソルフェージュ教授の頑迷さに、いつも私は唖然とさせられる。音楽家と傑出した

教育者がいわゆる積極的な教育法methode dıte activeを開発して的確に試しているのに、教

授連中は意地悪く、最初から子供たちの音楽に対する意欲を殺すことに固執しているのであ

る。歌をうたい、単純な楽器を演奏し、音楽を楽しむべきである 要するに、規則を学ぶ

前に音楽を愛することを学んでいなければならないのだ。」

一般的に、そして部分的には人間の心理現象に結びついた科学の重要性との出会いのおか

げで、教育は20世紀初頭以来、多数の新しい教育学的実験の対象となっている。もっとも有

名な人々の中には、とりわけマリア・モンテッソーリ 、エミール・デュルケーム 、ルドル

フ・シュタイナー 、1897年から1903年までシカゴの実験大学で経験を率先して行なっていた

ジョン・デューイ 、セレスタン・フレネ と子供たちに帰する信頼と真実の概念、ジャン・

ピアジェ 、フランソワーズ・ドルト 、その他まだ多数いる。

音楽教育も遅れをとってはいない。教育史家の中には、フランスの音楽教育体系が初心者

にソルフェージュから始めるよう強制していると憤慨している者がいた 。このようにして、

次第に「メトード・アクティヴ(積極的教育法)」と呼ばれるものが生み出されていく。つま

り、音楽を学び始める伝統的教育法を再び問題にして、さらに活き活きとして、もっと受け

入れやすい印象を与えるようにするのである。

もっとも有名な教育法として、以下を挙げておく。

例15.ランティエLantier,Pierre

20 leçons de solfege.Paris :Henry Lemoine,1958,p.16.

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⑴ コダーイ・メソッド

ハンガリーの作曲家、教育者、民俗音楽学者 、ジャーナリストであるゾルタン・コダーイ

Zoltan Kodaly(1882-1967)は、幼年期から合唱へと誘うことのできる音楽の教育法を考案し

た。

したがって、この方法は本質的に声楽であり 、ハンガリーや全世界の伝統的な歌やクラ

シックの名曲レパートリーを基にして、リラックスした雰囲気や遊びの精神の中で繰り広げ

られる。

さらに「ハンドサインphonomimie」(手の仕草を声や聴取と結びつける音の手話)のおか

げで、子供たちは、示された旋律線を文字通り体験する。

⑵ エドガー・ヴィレムス・メトード

「音楽の三要素は、人間性の3つの要素に相当する。すなわちリズムは生理学的な生活、メ

ロディーは感情生活、ハーモニーは知的生活である。」

例16.ショニSzo″nyi,Erzsebet

Quelques aspects de la methode de Zoltan Kodaly.Budapest:Corvina,1976,p.19.

例17.ヴィレムス Willems,Edgar

Solfege. Suisse :Pro musica,1983.

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ソルフェージュ:明日のための教育法(2)

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音楽教育者、哲学者で、エルネスト・アンセルメ 、ジャック=ダルクローズ、ジャン・ピ

アジェの友人であったエドガー・ヴィレムスEdgar Willems (1890ベルギー生-1969スイス

没)は、メトードを練り上げ、音程の認識を敏感にするために、とりわけ歌を、時には微分音

程に調律された音響体(鐘...)を聴き取らせることで聴覚とリズムを鍛えるばかりでなく、記

憶、想像力、音楽意識も発展させようとした。

⑶ オルフ・メトード

「それは、子供の単なる知識ではなく、その発展と成長を中心とする教育を強く勧めてい

る」 。

ドイツの作曲家で教育者のカール・オルフCarl Orff(1895-1982)は、1920年頃リズムに基

づく音楽教育体系を強調し、次いで、ドロテ・ギュンター とともに、ギュンター学校Gunther

Schule、すなわちリズム体操とクラシック・ダンスの学校を創設した。

オルフは、集団教育法で子供たちを目覚めさせることのできる打楽器(インストゥルメン

タリウム・オルフ)が支配するオーケストラを思いつく。その中で子供たちは、専門化する

前に俳優と観客として音楽を体験することができる。

⑷ マルトノ・メトード

フランスの技師で音楽家のモーリス・マルトノMaurice Martenot (1898-1980)は、オン

ド・マルトノ の発明者である。

1920年から視覚と聴覚を相互に結びつけるとされる『音楽ゲーム』をいくつか発売した。

彼が興味を抱いたのは、音質および身振りの質の概念、ユーリ・ビルスティン の「能動的リ

ラクゼイションrelaxation active」であった。

タゴール から励まされ、「芸術教師」になろうと、マルトノは姉のマドレーヌが創設した

学校を再開し、名称を「マルトノ芸術学校」(ヌイイ=シュル=セーヌ)に変更した。

例18.ヴィレムス Willems,Edgar

L’oreille musicale. Suisse:Pro musica,1976,Pl.XIII.

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信頼と喜びの雰囲気がもつ秩序、堅固な構造、柔軟性を同時に尊重することで、私たちは

即興と創作への扉を開いた。何でも可能になったのである。」

問題は、テクニックの厳格さと人間の調和的発展を結びつけることにあった。

「人間という道具がもつ感覚、身体、知性の特質を発展させるために、マルトノのフォルマ

シオン・ミュジカルは、以下のような原理を尊重する。

・諸芸術は、教育の魅惑的な部分である

・人間は全体である。

・感性は知性への入り口である(実践が理論に先行する)。

・筋肉の記憶は消えない。

・唯一の困難であると同時に容易さへの接近は、学習である 。

・音楽家であること、それは音楽を考えることである。

・遊びの精神は、努力の質の条件である。

・学習には決して失敗という状況はない。」

例19.マルトノ Martenot,Maurice

Principes de formation musicale. Paris :Magnard,1970.

例20.マルトノMartenot,Maurice

Principes de formation musicale.Paris :Magnard,1970,p.150.

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ソルフェージュ:明日のための教育法(2)

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⑸ 鈴木メトード

「適切な育成がなされれば、子供はすべて、母国語を上手に話すようになるのと同じく、音

楽も上手にできるようになる。[...]最適な環境は、子供、両親、教育を含めた協働作業のト

ライアングルである。」

日本のヴァイオリニスト鈴木鎮一(1898-1998)は、母国語の習得をまねた普遍的な音楽学

習メトードを練り上げた最初の人物であった。

彼の使命は、音楽を通じての子供の申し分のない成長(ユニークな人間存在として考える)、

創造性をつけさせること、感受性、自己信頼の奨励にあった。

⑹ バシェ構造Les structures Baschet

「子供は、自分で音を構成することにより自分なりの聞き取り方と音楽語法を形作り、自分

の作品および他人の作品を聴くことを学ぶ。音楽性の発見は、その時、音楽技法に先立つ。」

1970年代に強調され、1952年にフランソワ・バシェFrançois Baschetによって原理が創ら

れた楽器、様々な形と様々な素材(金属/ガラス/ボール紙...)による音響構造は、打撃、弓、

湿らせた指など、多様なアタックに適している。それらは、子供が新しい音を模索し、実験

し、即興し、創作ができるためにある。

このようにして、音楽に目覚めさせる教育法の基礎となったのである。

⑺ 結論?

伝統的な音楽教育への能動的なメトード全体がもたらす目覚ましい入り口、その社会政治

的な理想(あらゆる環境の子供たちに音楽を開くことによって社会的平等主義を暗示してい

る)、音楽分野と同様に学校分野における発展(音楽学校、音楽院...)。にもかかわらず、これ

らのメトードは最終的に論争を巻き起こした。音楽教育法の「外見」しか変えていないこと、

時として閉じられた音楽世界を作り出したこと、音楽要素の十分な熟練に到達しないことな

どが、非難された 。

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パリ音楽院のソルフェージュ:1956-1972

⑴ レイモン・ルシュール 院長時代(1956-1962)

1959年、文化省が共和国大統領 によって創設され、運営がアンドレ・マルロー に任さ

れた。これまで国民教育省に依存していた音楽院は、この新しい省の監督下に置かれるよう

になる。

ソルフェージュに関して、新しい教授陣が任命された。その中にはベルト・デュリュ 、

ジェニーヌ・リュフ (多数のソルフェージュ関係の著述家で、次いで初見教育へと向かう)、

オデット・ガルテンローブ (後に初見教育へと向かい、次にジャンヌ=マリ・ダレ のピ

アノ・クラスの助手をつとめ、とりわけ1970年代からソルフェージュ改革の最前線の役割を

果たす)、ピエール・デュラン (パリのエコル・ノルマルのソルフェージュと初見の査察官

でもある)、ジャン=クロード・アンリ (後に対位法教授)、クリスティアン・マナン (多

数のソルフェージュを出版、アニエール音楽院院長)などがいる。

例21.ファルク Falk,Julien

Formation rationnelle de l’oreille musicale.Paris :Alphonse Leduc,1975.

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ソルフェージュ:明日のための教育法(2)

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リズム読譜lecture de rythme parlee[訳注:音程をつけない]が、音符読譜lecture de notes

parlee[訳注:リズムをつけない]および3声部の聴音とともに、ソルフェージュ試験のプロ

グラムに加えられる。

⑵ レイモン・ガロワ=モンブラン 院長時代 1:1962-1972

1966年、研究科cycle de perfectionnementが創設される。その目的は、「プルミエ・プリ

(一等賞)の先に、もっとも才能ある生徒の長所をのばすこと」 にあった。

例22.リュフRueff,Jeanine

Etudes d’intervalles.Paris :Alphonse Leduc,1964,p.17.

例23.マナンManen,Christian

20 leçons de solfege.Paris :Henry Lemoine,1979,p.45.

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ソルフェージュについては、そしてこの社会変革期(1968)および文化省の音楽事務局に

よる新しい教育展望の作成 とは逆説的に、試験の高度な技術性 が強調され、リズム聴音、

移調、レチタティーヴォの解釈などの試験が公式に加えられた。

新しい教授陣としては、ジネット・ケレル (後にアナリーゼ教授)、ジャック・カステレー

ド (多数のソルフェージュを出版)、さらにはテレーズ・ブルネ 、ジャクリーヌ・ルキア

ンJacqueline Lequien(理論とリズム聴音集を出版)、リュシ・ロベール 、フランソワーズ・

ジェルヴェFrançoise Gervais(ソルフェージュを出版)の名前を挙げなければならない。こ

うした音楽院の新しい教授たちの多くがローマ賞受賞者の中から選ばれているのも確かであ

る。

絶対音感 の獲得がとくに強調され、リズム聴音が、音塊聴音dictee d’agregats[訳注:

調性に属さないような複数音を同時に鳴らした和音]とともに、ソルフェージュ試験プログ

例24.カステレードCasterede,Jacques

Les intervalles.Paris :Salabert,1961,p.1.

例25.ヴェベール Weber,Alain

Leçons progressives de lecture et de rythme.Paris :Alphonse Leduc,1966,p.45.

例26.デシャン=ヴィルデュDeschamps Villedieu,Jeanne

Nouvel entraınement progressif a la lecture rythmique.Paris :Rideau Rouge,1974,p.19.

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ソルフェージュ:明日のための教育法(2)

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ラムに入れられた。

文部省のソルフェージュを含む音楽教育の改革にむけて

音楽学校と音楽院の数は増え続けている。1962年、共和国大統領はフランスにおける音楽

問題の研究と、活動計画の作成を担当する委員会 を任命した。この委員会の報告は、強力

で直接的な政府の介入とともに、根本的な真の改革に多くのシステムが必要だと結論づけて

いる 。

アンドレ・マルローがワーキング・グループを構成した時、それに対してピエール・ブー

レーズ は絶えず反対意見を述べた。この矛盾した論争からマルローは、文化省に音楽舞踊

事務局を創設し、マルセル・ランドフスキ にその運営を任せた。この公式の政治=音楽的

認識は、とくに1970年以降、フランスに音楽専門教育における一連の重要な再検討と大変動

をもたらした。

たとえばソルフェージュにおいては、新しい概念すなわちフォルマシオン・ミュジカル

例27.ドヴェーズDeveze,Germaine

110 dictees rythmiques.Paris ;Alphonse Leduc,1972,p.39.

例28.ルキアン Lequien,Jacqueline

150 dictees rythmiques.Paris :Alphonse Leduc,1972,p.35.

例29.デシャン=ヴィユドュ Deschamps Villedieu,Jeanne

18 exercices de lecture.Paris :Rideau Rouge,1972,p.19.

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という概念が生まれる。マルク・ブルーズ を責任者として検討委員会が、音楽舞踊事務局

によって設置され、まずフランスにおける音楽院と音楽学用のソルフェージュ研究の新しい

カリキュラムを作成し提示した。

「ソルフェージュは、器楽と声楽学習の発端と結びついており、年月が経つにつれて、完全

に細分化した教育となった。それは多くの場合、音楽的内容(フレージング、ニュアンス、

ディナーミク、アーティキュレーション)を欠いた教育素材となるソルフェージュ専門書を

出現させた。

[...]次第にこの科目のスペシャリストたちは、最上の場合にはソルフェージュの高度な専

門性の獲得を可能にする教育を実践しつつ、この教育の本質的な目的を忘れていく。

[...]語法とテクニックを発見するために音楽から出発することは、要素ごとに抽象的な分

析をする学習よりも教育によい。必然的に無味乾燥な学習を用いるのは、到達目標すなわち

音楽の知識と習得に背を向けていることが多い。」

1 拙稿『ソルフェージュ:明日のための教育法(1)――19世紀フランスのソルフェージュ――』

(東京藝術大学音楽学部紀要、第30集、2004、p.41-60)(訳:関根敏子)p.47-48参照。

2 「1923年のプログラムは、感覚器官の教育から出発するという大きな利点をもつ...」(Maurice

Chevais,“L’Enseignement musical a l’ecole”, in L’Encyclopedie de la musique, deuxieme

partie de Albert Lavignac,Paris,1930,p.3661.)

3 1834年にシャルル・パテCharles Patheの設立したレコード会社とアメリカのコロンビア社との

合併。

4 Corneloup,Marcel,La Musique a l’ecole,(Paris,1971),p.15.

例30.ダマズ Damase,Jean-Michel

15 leçons de solfege.Paris :Henry Lemoine,1955,p.2.

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ソルフェージュ:明日のための教育法(2)

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5 本稿「Ⅵ メトード・アクティヴ」 参照。

6 Ministere de l’Education nationale, Direction des ecoles, Paris, 1995, Centre national de

Documentation pedagogique:“Programmes de l’ecole primaire”,Collection“Une Ecole pour

l’enfant,des outils pour le maıtre”,p.30.

7 「紙の上の教育を作ることは何でもない。先生たちに謝礼金を与え、生徒の出席を義務づけるべ

きである 」と、フランスの音楽評論家ポール・ランドルミPaul Landormy(1869-1943)はフ

ランス教育学会で反論した(1928年6月)。

8 中等教育課程修了の試験(17/18歳頃)。

9 前期中等教育課程修了の試験(14/15歳頃)。

10 Favres,Georges(1905生)フランスの作曲家、音楽学者、国民教育・音楽教育視察官。

11 “Rapport des journees pedagogiques de1959”,L’Education musicale, octobre1959,p.33.

12 Dautremer,Marcel (1906-1978)フランスの作曲家、教育者。1946年ナンシー音楽院長に任命

された。

13 Combarieu,Jules (1859-1916)フランスの音楽学者、1904年から1910年までコレージュ・ド・

フランスの音楽学教授。

14 Rolland,Romain(1866-1944)フランスの作家、フランスにおける音楽学を発展させた。

15 Pirro,Andre (1869-1943)フランスの音楽学者、1912年にソルボンヌでのロマン・ロランから

音楽史教授の地位を受け継いだ。

16 Masson,Paul-Marie(1882-1954)フランスの音楽学者、ソルボンヌの教授、音楽研究所を創設

した。

17 拙稿『ソルフェージュ:明日のための教育法(1)――19世紀フランスのソルフェージュ――』

参照。

18 Beaubat-Perignon, Delphine, “Origine et parcours universitaire”, Serie didactique de la

musique, no.3,Mars1996,p.38.

19 Chevais,Maurice,Avant le Solfege,(Paris:Leduc),p.3.

20 医者で心理学者アルフレッド・ビネAlfred Binet(1857-1911)が創設した協会。児童心理学研

究のための自由団体のメンバー。

21 Paris:Leduc,1923.

22 モーリス・シュヴェは、一般的に彼の教育法を『音楽教育の積極的教育法methode active』と呼

んでいた。ここから、「メトード・アクティヴ」という名称が選ばれた。

23 Faure, Gabriel (1845-1924)フランスの作曲家、1892年に音楽院視察官に任命され、1896年パ

リ音楽院の作曲教授となる。

24 フォーレはニデルメイエール学校の卒業生である (本稿参照)。

25 Debussy,Claude(1862-1918)フランスの作曲家。1884年ローマ賞受賞。

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26 Indy,comte Vincent d’(1851-1931)フランスの作曲家。「国民音楽協会」(SNM)の結成に参

加、音楽教育査察官、スコラ・カントールムの創設者。

27 Rougnon,Paul(1846-1943)フランスの教育者、音楽学者。パリ音楽院のソルフェージュ教授。

28 Sujol,Amedee(1858-1920)フランスのテノール歌手。

29 Auzende,Ange-Marie(1850-1940)フランスのソプラノ歌手。

30 ピアニストのジャンヌ=マリ・ダレJeanne-Marie Darre(1905生)は、音楽院のソルフェージュ

教授であったソトローに学んでいたことを回想している。

31 Rabaud,Henri(1873-1949)フランスの作曲家、指揮者。1894年ローマ賞受賞。

32 Rabaud,Henri,“Le conservatoire”,Revue des Deux-mondes,Paris,juillet 1928,p.152.

33 Gallon,Noel(1891-1966)フランスの作曲家、教育者。1910年ローマ賞受賞。

34 Dussaut,Robert(1896-1969)フランスの作曲家、指揮者、教育者、理論家。1924年ローマ賞受

賞。

35 Canal,Marguerite(1890-1978)フランスの女性作曲家、教育者。1920年ローマ賞受賞。

36 Becker,Georges(1905-1994)

37 Franck,Maurice(1897-1983)フランスの作曲家、教育者。1926年ローマ賞受賞。

38 Bournonville,Armand(1890-1957)フランスの作曲家、教育者。

39 Dere,Jean(1886-1970)フランスの作曲家、オルガニスト。1919年ローマ賞受賞。

40 Guilmant,Alexandre(1837-1911)フランスのオルガニスト、作曲家。

41 Bordes,Charles(1863-1909)フランスの作曲家。

42 Koechlin,Charles,“La Pedagogie musicale”,Rapport sur la musique française contempo-

raine(Rome,1913),p.144.

43 Challan,Henri (1910-1977)フランスの作曲家、教育者。1936年ローマ賞受賞。パリ音楽院の

和声教授。

44 ed.Leduc,Paris,1947,1951.全2巻。

45 ed.Choudens,Paris,1977.

46 Cortot,Alfred(1877-1962)フランスのピアニスト、指揮者、教育者。

47 Dukas,Paul(1865-1935)フランスの作曲家、教育者、批評家。

48 Boulanger,Nadia(1887-1979)フランスの作曲家、教育者。

49 Levy,Lazare(1882-1964)フランスの作曲家、ピアニスト。

50 Thibaud,Jacques(1880-1953)フランスのヴァイオリニスト。

51 Casals,Pablo(1876-1973)スペインのチェリスト、指揮者、作曲家。

52 Dupre,Marcel(1886-1971)フランスのオルガニスト、作曲家。1914年ローマ賞受賞。弟子のオ

リヴィエ・メシアンによって「オルガンのリスト」という異名を与えられた。

53 Panzera,Charles(1896-1976)スイスのバリトン歌手。

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ソルフェージュ:明日のための教育法(2)

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54 Badura-Skoda,Paul(1927生)オーストリアのピアニスト。

55 Carter,Elliott (1908生)アメリカの作曲家。

56 Ivaldi,Christian(1938生)フランスのピアニスト。

57 Nagano,Kent (1951生)アメリカの指揮者。

58 Auguste Mangeot,“l’Ecole Normale de Musique”,in L’Encyclopedie de la musique,deux-

ieme partie de Albert Lavignac,Paris,1930,p.3626.

59 Gedalge,Andre(1856-1926)フランスの作曲家、理論家、教育者。

60 Guiraud,Ernest (1837-1892)フランスの作曲家。1859年ローマ賞受賞。

61 ニーデルメイエール学校については、拙稿、p.48-49参照。

62 Jacques-Dalcroze,Emile(1865-1950)スイスの作曲家、教育者。

63 フランスの作曲家エリック・サティSatie,Erik (1866-1925)による。in Revue musicale du 15

avril1913,p.25.

64 Delibes,Leo(1836-1891)フランスの作曲家。

65 Bruckner,Anton(1824-1896)オーストリアのオルガニスト、作曲家。

66 Jacques-Dalcroze,Emile,“Les Pourquoi de la rythmique”,Musica aeterna,1949,p.10.

67 Maurice Chevais, “L’enseignement musical a l’ecole”, in L’Encyclopedie de la musique,

deuxieme partie de Albert Lavignac,Paris,1930,p.3653.

68 Delvincourt,Claude(1888-1954)フランスの作曲家。1913年ローマ賞受賞。

69 Dandelot,Georges(1895-1975)フランスの作曲家、ピアニスト、教育者、パリのエコル・ノル

マル・ド・ミュジックの和声教授。音楽一家の出身で、父親のアルテュール・ダンドゥロArthur

Dandelot (1864-1943)は、「Bureau de Concerts Dandelotダンドゥロ・コンサート会社」の創

設者であった。また母親のマドレーヌ・マンジョMadeleine Mangeotは、ピアノ製作家エドゥ

アール・マンジョEdouard Mangeot(1834-1898)の娘で、オギュスト・マンジョ(本稿「エコー

ル・ノルマル」の項参照)の姉/妹(?)であった。

70 Desportes,Yvonne(1907-1993)フランスの女性作曲家。1932年ローマ賞受賞。

71 Soulage,Marcelle(1894-1970)フランスの女性作曲家。

72 Duclos,Rene(1899-1964)

73 Hugon,Georges(1904-1980)フランスのピアニスト、作曲家。

74 Descaves,Lucette(1906-1993)フランスのピアニスト、教育者。

75 Chailley,Jacques& Henri Challan,Theorie complete de la musique,(Paris:Alphonse Leduc,

1947)の序文Preface,p.3.

76 ここから1948年にイヴォンヌ・デポルトの『和声分析概要 Precis d’analyse harmonique』(Paris:

Heugel,1948)が出版される。

77 Lantier,Pierre(1910-1998)フランスの作曲家。1937年ローマ賞受賞。

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78 この点に関しては、Charles Koechlin,Les Solfeges(Paris:Max Eschig)参照。

79 Landowski,Marcel,Batailles pour la musique,(Paris,1979),p.61.

80 Montessori,Maria(1870-1952)イタリアで最初の女性医者。子供の尊重と聴取に役立つ普遍的

な教育メソッドを考えて学校を設立した。

81 Durckheim,Emile(1858-1917)現代社会学の創始者。

82 Steiner,Rudolf(1861-1925)オーストリアの哲学者、教育者。

83 Dewey,John(1859-1952)アメリカの哲学者、教育心理学者。

84 Freinet,Celestin(1896-1966)教育、「現代学校運動Journal scolaire」という概念の創始者。

85 Piaget,Jean(1896-1980)フランスの心理学者。「発生的認識論epistemologie genetique」の父。

86 Dolto,Françoise(1908-1988)フランスの精神分析家、小児科医。

87「子供が最初に学ばねばならない歌は音符の視唱ではない。それどころか逆に子供によって実践

された歌は、理論と視唱に示されるであろう最初の観察/考察の基本として役立つべきもので

ある。」Busson,Fernand,Dictionnaire de pedagogie(Paris:Hachette,1911),p.252.

88 1906年から、コダーイは、ハンガリーの作曲家ベーラ・バルトークBela Bartok(1881-1945)

とともに、ハンガリー農民の旋律を集めて記譜するための体系的な研究を実行する。

89 同じく初見と聴音を軸に展開される。エルサベト・ショニErzsebet Szo″nyiが『ゾルタン・コダー

イのメソッドの諸様相 Quelques aspects de la methode de Zoltan Kodaly』(Budapest:Editions

Corvina,1976,p.10)の中で証明しているように。

90 ヴィレムスは、クンツ夫人によって『音楽教育 Education musicale』(juillet,1969,p.29)に引

用された。

91 Ansermet,Ernest (1883-1969)スイスの指揮者。

92 Guide des metiers de la musique,(Paris:Cite de la musique,2000),p.202.

93 Gunther ,Dorothee(1896-1979)

94 マルトノが着想し、1928年から1954年にかけて完成した電子鍵盤楽器。

95 Bilstin,Youry(1887-1947)ロシア、次いでアメリカのチェリスト。

96 Tagore,Rabindranath(1861-1941)インドの詩人、1913年ノーベル文学賞受賞。

97 Martenot,Maurice,Principes fondamentaux de formation musicale,(Paris:Magnard,1970).

98 ここからソルフェージュのパラメーターの分離が生じた。リズム、歌、聴音、音程練習、視唱、

即興。

99 http://martenot.fr,juillet 2005.

100 http://www.suzuki-musique.org,juillet 2005.

101 Guide des metiers de la musique,p.205.

102 “Methodes actives,bilan d’un mythe”,Action musicale,1981,p.11-12.

103 Loucheur,Raymond (1899-1979)フランスの作曲家。1928年ローマ賞受賞。また、音楽教育

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ソルフェージュ:明日のための教育法(2)

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査察官でもあった。

104 De Gaulle,Charles(1890-1970)フランスの将軍、政治家。1958~68年は共和国大統領。

105 Malraux,Andre(1901-1976)フランスの政治家、作家。

106 Duru,Berthe(1912-2005)パリ音楽院のソルフェージュ教授。

107 Rueff,Jeanine(1922-1999)フランスのピアニスト、女性作曲家、教育者。1948年ローマ賞受

賞。

108 Gartenlaub,Odette (1922生)フランスのピアニスト、女性作曲家、教育者。1948年ローマ賞

受賞。

109 Darre,Jeanne-Marie注30参照。

110 Durand,Pierre(1935-1998)フランスのピアニスト、作曲家。1963年ローマ賞受賞。

111 Henry,Jean-Claude(1934生)フランスのオルガニスト、作曲家。1960年ローマ賞受賞。

112 Manen,Christian(1934生)フランスのオルガニスト、ピアニスト、指揮者、作曲家、教育者。

1961年ローマ賞受賞。

113 Gallois-Montbrun,Raymond(1918-1994)フランスのヴァイオリニスト、作曲家。1944年ロー

マ賞受賞。以前にヴェルサイユ音楽院院長。

114 レイモン・ガロワ=モンブランが院長の時代は、実際には1962年から1983年におよぶ。だが、

便宜上またページ不足のため、本稿では最初の10年だけを扱う。

115 Chassain-Dolliou,Laetitia,Le Conservatoire de Paris (Gallimard,1995).

116 本稿Ⅷ文部省のソルフェージュを含む音楽教育の改革にむけて参照

117 音符の読み上げ視唱には、ト音記号への書き換えが審査委員に渡されるような7種の音部記号

の変化が含まれる

118 Keller,Ginette(1925生)フランスの女性作曲家。1951年ローマ賞受賞。

119 Caterede,Jacques(1926生)フランスの作曲家。1953年ローマ賞受賞。

120 Brenet,Therese(1935生)フランスの女性作曲家。1965年ローマ賞受賞。

121 Robert,Lucie(1936生)フランスのオルガニスト、女性作曲家、ピアニスト。1965年ローマ賞

受賞。

122 この問題については、Julien Falk(1902-1987)の長大なメトード『音感の合理的育成、絶対音

感の獲得 Formation rationnelle de l’oreille musicale,acquisition de l’oreille absolue』(Paris:

Leduc,1975)参照。

123 委員会に集められたのは、とりわけジョルジュ・オーリックGeorges Auric(1899-1983)、アン

リ・バローHenri Barraud(1900-1998)、アンリ・デュティユーHenri Dutilleux (1916生)、レ

イモン・ガロワ=モンブラン、ガエタン・ピコンGaetan Picon(1915-1976)。

124 “Commission nationale pour l’etude des problemes de la musique, Rapport general

1963-64”,Ministere des Affaires culturelles,(Paris,1965).

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125 Boulez,Pierre(1925生)フランスの作曲家、指揮者。

126 Landowsky,Marcel(1915生)フランスの作曲家。

127 マルク・ブルーズMarc Bleuseが「フォルマシオン・ミュジカル」という概念の考案は自分だ

と主張したが、最初にそれを用いたと思われるのは、モーリス・マルトノである。

128 Bleuse,Marc(1937生)フランスの作曲家、音楽行政官。

129 Ministere de la Culture,“Etudes de Formation musicale”,Paris,1977, p.2.“Esprit Gen-

eral”.

― ―139

ソルフェージュ:明日のための教育法(2)

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Le Solfege:Quel enseignement pour demain ?(2)

Laurent TEYCHENEY

L’enseignement du Solfege en France au XXe siecle, qui continue d’inspirer largement

l’enseignement solfegique des universites musicales nippones,necessitant beaucoup plus qu’un

seul article dans notre bulletin, j’ai decidede n’en entreprendre ici qu’une premiere partie,

concernant la periode allant de 1905 a 1972, pour aborder mieux le“nouveau solfege”(la

Formation Musicale) l’an prochain.

Je re-precise ici que cet historique garde pour principal objectif d’inciter les enseignants que

nous sommes a une profonde reflexion pedagogique,qui doit nous amener a adapter notre

savoir faire au monde actuel,toutes cultures et toutes civilisations confondues,et aussi avec le

souci de faire prendre conscience anos etudiants de leur propre identitejaponaise.

Sans la reconnaissance de sa propre identite,sans le respect et la connaissance de sa proche

culture,on ne peut en effet s’ouvrir a l’autre,a la difference, le Solfege a, la aussi, un role

primordial a tenir au sein de toute structure d’enseignement.

J’aime le solfege!

― ―175