2010 年度 国際ユース作文コンテスト受賞者...1 2010 年度...

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1 2010 年度 国際ユース作文コンテスト受賞者 文部科学大臣賞(最優秀賞)(各 1 点) <子どもの部> 『私の平和な世界:それを壊させはしない!』 アンジェリナ・ユディナ(ロシア)10 歳 <若者の部> 『すべての人の旅』 アリーン・カバテンデ (ルワンダ<米国在住>)22 歳 優秀賞(各 2 点) <子どもの部> 『命の意味』 志賀 智寛(東京都)10 歳 『平和な世界をつくるために私たちができること』 オリベラ・ペピッチ(セルビア)13 歳 <若者の部> 『一人の情熱を通じて』 ジュリアンヌ・オーウェンズ(米国)16 歳 『平和と槍について』 バイオレット・バンジラン・ルカシ (フィリピン)24 歳 入選(各 5 点) <子どもの部> 菊地 桃依(宮城県)9 歳 宮下 裕美子(京都府)13 歳 山本 梨那(静岡県)13 歳 アビル・カリッド・アフィーフ・シャディード (パレスチナ自治区)14 歳 メガナ・シュクラ(インド<英国在住>)14 歳 <若者の部> 土肥 礼乃(鹿児島県)15 歳 ハイドン・シン(台湾)16 歳 平田 葵(千葉県)16 歳 フサンフジャ・アクラムフジャエフ (ウズベキスタン<キルギスタン在住>)19 歳 シルビ・シーア・プツリ・ルビス (インドネシア<シンガポール在住>)24 歳 佳作(各 25 点) <子どもの部> ブロードベック 伸一 (日本&スイス<スイス在住>)8 歳 シャーリーン・ツェン・キョー・リム (ブルネイ・ダルサラーム)9 歳 バネッサ・ビジャマリン・ゲラ (エクアドル)9 歳 小宅 淳(日本&米国<米国在住>)10 歳 <若者の部> 内村 麗夏(福岡県)15 歳 クリティカ・バラグル(米国)16 歳 カツァドゥゼ・アン(グルジア)17 歳 キム・イェジ(韓国)17 歳 小寺 健三(東京都)17 歳 セシリア・ハレニー・バラスコ・アバルカ (メキシコ)17 歳 参加国数:144 カ国 応募総数:7,216 作品(子どもの部 3,259 作品、若者の部 3,957 作品)

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2010 年度 国際ユース作文コンテスト受賞者

文部科学大臣賞(最優秀賞)(各 1点)

<子どもの部>

『私の平和な世界:それを壊させはしない!』

アンジェリナ・ユディナ(ロシア)10 歳

<若者の部>

『すべての人の旅』

アリーン・カバテンデ

(ルワンダ<米国在住>)22 歳

優秀賞(各 2点)

<子どもの部>

『命の意味』

志賀 智寛(東京都)10 歳

『平和な世界をつくるために私たちができること』

オリベラ・ペピッチ(セルビア)13 歳

<若者の部>

『一人の情熱を通じて』

ジュリアンヌ・オーウェンズ(米国)16 歳

『平和と槍について』

バイオレット・バンジラン・ルカシ

(フィリピン)24 歳

入選(各 5 点)

<子どもの部>

菊地 桃依(宮城県)9 歳

宮下 裕美子(京都府)13 歳

山本 梨那(静岡県)13 歳

アビル・カリッド・アフィーフ・シャディード

(パレスチナ自治区)14 歳

メガナ・シュクラ(インド<英国在住>)14 歳

<若者の部>

土肥 礼乃(鹿児島県)15 歳

ハイドン・シン(台湾)16 歳

平田 葵(千葉県)16 歳

フサンフジャ・アクラムフジャエフ

(ウズベキスタン<キルギスタン在住>)19 歳

シルビ・シーア・プツリ・ルビス

(インドネシア<シンガポール在住>)24 歳

佳作(各 25点)

<子どもの部>

ブロードベック 伸一

(日本&スイス<スイス在住>)8 歳

シャーリーン・ツェン・キョー・リム

(ブルネイ・ダルサラーム)9 歳

バネッサ・ビジャマリン・ゲラ

(エクアドル)9 歳

小宅 淳(日本&米国<米国在住>)10 歳

<若者の部>

内村 麗夏(福岡県)15 歳

クリティカ・バラグル(米国)16 歳

カツァドゥゼ・アン(グルジア)17 歳

キム・イェジ(韓国)17 歳

小寺 健三(東京都)17 歳

セシリア・ハレニー・バラスコ・アバルカ

(メキシコ)17 歳

参加国数:144 カ国

応募総数:7,216 作品(子どもの部 3,259 作品、若者の部 3,957 作品)

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小長谷 萌華(東京都)11 歳

ルジェイン・ナザール(ヨルダン)11 歳

アレクサンドラ・クン(中国<米国在住>)12 歳

伊礼 雛子(沖縄県)12 歳

河島 宏樹(和歌山県)12 歳

ダニエル・マグレイ(米国)12 歳

ネイサン・クチェナ(ジンバブエ)12 歳

緒方 優(日本<ボリビア在住>)13 歳

サウラブ・プンハニ(インド)13 歳

ニカ・ニコラック(クロアチア)13 歳

バニ・カプール(インド)13 歳

本山 京香(京都府)13 歳

モーリツ・ブラム(ドイツ)13 歳

相澤 叶梨(東京都)14 歳

エイリン・バス(インド<マレーシア在住>)14

白井 彩香(大分県)14 歳

田井 優里佳(京都府)14 歳

田林 香名子(日本<米国在住>)14 歳

テオ・ジー・ヤオ・サミュエル

(シンガポール)14 歳

バラカ・Y・ルワキラ

(カナダ<チェコ在住>)14 歳

山崎 恵衣(神奈川県)14 歳

マリジャ・トパロビッチ(セルビア)17 歳

イーボニー・ファイソン(米国)18 歳

ギメイル・オデジェルテ・アブダ

(フィリピン)18 歳

シャリー・ブラウン(ジャマイカ)18 歳

カオ・ウェイ・シャン(マレーシア)19 歳

プラナイ・ジャイン(インド)19 歳

アジムフティ・アザリ(インドネシア)20 歳

アビナシュ・ディタル

(ネパール<フィンランド在住>)20 歳

サラ・フッカー

(アイルランド<米国在住>)21 歳

ティグラン・アボビャン(アルメニア)21 歳

モハマッド・ルフル・カデル

(バングラデシュ)21 歳

レー・ベト・ザー・カイン

(ベトナム<東京都在住>)22 歳

具 善英(韓国<京都府在住>)23 歳

チャン・タイン・トュイ(ベトナム)23 歳

ベラル・アフマッド(アフガニスタン)23 歳

マリア・デ・ロスアンヘレス・ラサ

(アルゼンチン)23 歳

イアン・ベルゲル・B・アグサルダ

(フィリピン)25 歳

イフェディグボ・チクウェンゼ・シルバ

(ナイジェリア)25 歳

ヤスミン・カテル(エジプト&シンガポール

<シンガポール在住>)25 歳

学校特別賞(1 校)

同志社中学校(京都府)

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2010 年度国際ユース作文コンテスト

【子どもの部】 文部科学大臣賞(最優秀賞)

私の平和な世界:それを壊させはしない!

(原文は英語)

アンジェリナ・ユディナ(10 歳)

ロシア・ウラジーミル市

第 23 外国語学校

親愛なる地球のみなさん!

親愛なる子どもたちと大人たち!

私の名前はアンジェリナ・ユディナです。私は 10 歳です。ロシアの古

い町、ウラジミールから心を込めてあいさつを送ります。私の町には 1000

年という長い歴史があります。その歴史の中で人々は戦争や悲しみ、苦労

を経験しなければなりませんでした。

ご存知のように、2010 年 5 月 9 日、全人類は第二次世界大戦終結 65

周年を祝いました。私たちの町の住民や私の家族や友だちは、ロシアが平

和な空のもとにあることを喜んでいました。私の家族は直接、戦争を知っ

ています。私のおばあさんは 1939 年生まれで、おばあさんのお父さんは

1941 年、戦闘中に行方不明になってしまいました。それ以後、家族は彼について何も分からないまま

です。残念なことにロシアにはこんな家族がたくさんあるのです。子どもたちがお父さんを知らず、

お父さんと遊んだことも楽しんだこともないなんてひどいことです。

地球のどこかでまだ戦争が行われていて、小さな子どもたちや女の人や年寄りがぎせいになって苦

しんでいると考えるとこわくなります。でも残念なことに、誰もがそう考えるわけではありません。

しょっちゅう世界のいろいろな場所でテロが起きていることを聞きます。世界は脅かされ、たくさん

の嘆きと涙が流されています。

私はいつも平和な世界をつくるために、私たち一人ひとりに何ができるだろうかを考えています。

ロシア語では「宇宙、全世界」と「平和」の二つの意味を同じ一つの言葉で言い表すということはお

もしろく、意味深いことだと思います。私は、平和は私たち一般人への贈り物だとは思いません。私

たちが自分で平和を作らなければならないのです! だから私たちは誰とでもどこででも平和に生き

るようにしなければならないのです。

まず 1 番目に、すべては家族から始まります。私たちはお互いに愛し合い、身近な人々の望みを大

切にしなければなりません。私のお母さんとお父さんは決してけんかをしません。私の家にはいつも

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平和と幸せがあります。これはすばらしいことです。私のクラスメートは家でけんかがあったとよく

言います。こういう子どもたちは、どちらかというと攻撃的です。平和に生きることに慣れていない

ので、世界が平和になるのをじゃまする人間になってしまうだろうと思います。私たちは相手をゆる

し、相手の言うことに耳を貸すことができる人間にならなければなりません。

2 番目に、子どもたちを正しく育てなければなりません。私の弟は 20 ヵ月ですが、私の両親も私も

彼に銃のおもちゃなんて買ってあげようと思いません。私たちは賢い心と祖国と家族への愛を持った

男の人が強いと考えます。私の小さな弟、ヘルマンが大きくなったら、平和な世界に住みたいと思う

人になってもらいたいと思います。

3 番目に、現代の人間は、注意深く気配りをしなければならないと思います。自分のまわりで何が

おきているかを意識することが大切です。誰かが動物や鳥や小さな子どもや弱い人々を傷つけている

のを見たら、知らないふりなどしていられません。無関心は苦しみや悲しみにつながります。だから

いつでも弱い者を守り、自己保身ではなく、他を思いやらなければいけません。

4 番目に、私は外国語学校に通っていますが、生徒全員、言葉が大好きです。もし皆が自分たちの

言葉をよく知ったら、お互いの考えを伝え合えるし、もし外国語ができたら、他の文化を知ることが

できるし、旅行したり、同年代の人と友だちにもなれると思います。より良い世界をつくるためには、

私たち皆に外国語が必要です。間違った言葉を使ってしまうこともよくあります。それが国同士の紛

争や戦争を起こし続けています。だから私は皆に一つ一つの言葉に気をつけてもらいたいのです。ロ

シアにはとても良いことわざがあります。「言葉はツバメではない。一度口から飛び出した言葉は決し

て元に戻せない」というものです。私たちはお互いに親切で暖かい言葉だけを話したらいいのだと思

います。

私はこの作文コンテストの主催者に感謝したいです! 他の人が全く問題にしないようなテーマに

ついて、じっくり考えて応募するのは 2 回目です。私にとっては誰が優勝するかはどうでもいいこと

です。応募した人たちは全員優勝者なのです。なぜなら、このようなコンテストに参加して、私たち

の祖国と地球の未来を大切に考える人は全員、もっと良い、やさしい世界をつくることができるから

です。私はこのようなコンテストと参加者が毎年増えていったらいいと思います。力を合わせて初め

て平和な世界をつくり上げることができるのだし、皆がこの地球で平和に幸せに生きていくことがで

きるのです。

私は世界が永遠に平和になるようにベストを尽くします。決してそれを壊させません! 親愛なる

地球の皆さん、平和な世界で生きられるようベストをつくしましょう!

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2010 年度国際ユース作文コンテスト

【若者の部】 文部科学大臣賞(最優秀賞)

すべての人の旅

(原文は英語)

アリーン・カバテンデ(22 歳)

ルワンダ<米国カリフォルニア州在住>

私の名前はアリーン・カバテンデ、22 歳、ルワンダ出身、アメリカの

大学を卒業したばかりです。私がどこの出身なのかを言うたびに、人々の

心にまず浮かぶのは 1994 年の大虐殺です。自分が祖国の暗い過去に縛り

つけられているように感じます。私がアメリカに初めて到着した時、入国

審査官が即座に私に聞いたことは、「あなたはツチ族なの? フツ族な

の?」でした。私の答えは単純でした。「ルワンダ人です」と。

そう答えたのは、私が経験したことをもっと深く聞かれるのを免れるた

めでした。実際、あの虐殺で、自分たちがツチ族だという以外に何の正当

な理由もなく、多くの家族や親類を亡くした事実と折り合いをつけられるまで私は何年もかかりまし

た。なぜこのことをお話しするかというと、私はどんな人であれ、フツ族を憎んでいました。このこ

とに気がついたとき、私も相手に同じことをする可能性があったのだという事実に開眼しました。そ

して民族という色眼鏡を通して見ることを止めない限り、私の祖国には平和で調和した生活はあり得

ないということを痛感したのでした。

私は世界中にいる 60 億の人間の 1 人に過ぎず、ルワンダは小国です。でも私にとって、民族、人

種、そして貧富の差が社会構造にもたらした現実は友人や家族を亡くすという生身の体験でした。そ

の体験に駆り立てられ、私は異なる人種、民族、肌の色、宗教、カーストなどが単に容認されるだけ

ではなく、大らかに祝福されるような世界を理想とするようになりました。平和で調和した世界とは、

私たちが心を開き、積極的に違いを話し合い、お互いに学び合う世界だと思います。平和は紛争のな

い世界に共生することだといえるかもしれませんが、調和は多様性が歓迎され、脅威とみなされない

時に初めて実現するのです。

この理想に近づくための一つの方法はオープンになることです。私自身、フツ族は殺人者であり、

白人は迫害者だと教え込まれて育ったのは事実です。先祖の経験から何世代も受け継がれてきたから

です。若者は感化されやすいので、こうした思想を鵜呑みにして生きてきましたが、心を開いて話し

合うことによって意識を変える力も持っているのです。3 年前、私はある虐殺犯の娘と一緒に座って

話をしました。お互いに、お互いの部族をどれほど憎んでいるか話しました。でもお互いが経験した

ことを話しているうちに、2 人とも違いなんて全然ないことに気がついたのです。2 人とも同じように

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人生の目標を持ち、同じチョコレートの好みを持っていました。それ以来、民族や肌の色で人間を分

類することは、いかに浅い物の見方であるかが分かりました。でもそれを分かることができたのは、

自分の歪んだ物の見方に立ち向かったからこそなのです。

貧困は紛争や汚職の好適な温床になりがちです。おそらく経済的な安定が平和で調和した世界へ近

づく第一歩になるでしょう。私はエンジニアとして成功することを目指していますが、同時に第三世

界の祖国に変化をもたらすスキルを持っていることも自覚しています。私は、そのスキルを非営利の

形で貧困撲滅の戦いに役立てようと考えています。貧困から急激に抜け出すには慈善活動以上のもの

がなければなりませんが、頭脳流出、つまり貧困国からの技術力流出は、それによって利益を得てい

る豊かな国々だけの責任ではありません。スキルを持った若者が自国の経済状態を変え得る力を持っ

ていることを自覚し、自国を豊かにするという選択をする責任があります。そうすることで自分たち

自身をより豊かにすることができるのです。

誰も平和で調和した世界をつくる絶対の秘訣を知っているとはいえません。私はこの頃「個」の力

を認識するようになりました。私の力は自分自身を変えるだけでなく、自分が変わることで周りにい

る人々も変え得るとわかったのです。私は以前、深い憎しみを感じていましたし、今でも毎日、偏見

と戦っています。でもこういう感情に注意を向ける努力だけで、その感情に立ち向かい、克服するこ

とができたのです。私の描くビジョンは目的地ではなく、実はそこに向かう旅そのものなのです。い

つになったら世界中が平和になり、調和するのか私たちにはわかりません。でも若者として、私たち

には変化を起こす時間がまだあります。日々、隣人と平和に調和して生きることにエネルギーを注ぐ

ことで、自分たちの子どもたちにより良い世界が約束されるのです。完全に平和と調和が達成される

ことはないかもしれないけれど、彼らもまた、そのビジョンに向かって旅を続けることでしょう。

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2010 年度国際ユース作文コンテスト

【子どもの部】 優秀賞

命の意味

(原文)

志賀 智寛(10 歳)

東京都

日野市立日野第五小学校

ぼくは、本や映像でしか戦争を知りません。でも、ぼくの近くには戦争に行った人がいます。ぼく

と一緒に民謡を習っている会長さんと副会長さんです。二人は、今も元気で唄を唄っています。でも

戦争のことを忘れることはないと思います。会長さんは、地雷があるかどうかを歩いて調べる仕事を

していて大ケガをしています。副会長さんは、飛行機でわざとつい落する仕事をするはずだったのが、

戦争が終わったので、ぎりぎりやらなくてすんだそうです。ぼくは、そんな悲しいことはあってはな

らないと思いました。命は自分のものなのにだれかの指示で失わなければならないのは、命があるこ

とに気づいていないのと同じだと思いました。

ぼくは、どうしたら戦争がなくなるのか考えてみました。戦争は国と国の戦いだけれど、戦うのは

人です。ぼくは、学校で友だちとケンカをしてしまった時のことを思い出しました。きっかけは、い

つもささいなことだけれど、口ゲンカになって、言われたくないことを言われたり、ぼくも言ってし

まったりして、おたがいにつまらなく、暗い気持ちになってしまいます。ぼくは、暴力は絶対にふる

わないと決めているけれど、けられたり、たたかれたりすることもあります。でもぼくは、ガマンす

ればケガをしたとしても治るのでし返しはしません。ところが、口ゲンカはケガとは違って、一生治

らないキズを心につけてしまいます。ぼくは、どちらにしてもケンカをしたくはありません。友だち

と仲良くする方法はケンカをするよりかんたんなことです。まず、相手の良い所を見つけ、それを相

手に言ってあげます。すると、とても気持ちが良くなり、仲良くなって、心を分かり合うことができ

るとぼくは思います。

しかし、それは相手と同じ言葉だから伝わることで、外の国の人とは言葉や文化が違っているので、

伝わりにくいこともあると思います。動作で表しても、日本では「ありがとう」の意味がある、おじ

ぎや手を合わせることなども、伝わらないかもしれません。ぼくは頭をなでられるのはうれしいけれ

ど、それをやってはいけない国があると聞いたことがあります。国によって食べているものや食事の

ルールが違うこともあります。一番違っていて、伝わりにくいのは、人々の考え方です。

何もかも統一することは、よほどのことがない限り出来ません。でも、統一する必要はありません。

なぜなら、統一することは、その国の文化をなくすことになるからです。

ぼくは、民謡と剣道を習っています。どちらも日本の伝統文化です。伝統文化は、歴史の中で受け

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つがれてきたものなので、その国の特ちょうを表したものだと思います。どの国の人も、きっと大切

にしていると思います。だから、おたがいに大切なものを伝えあえば、仲良くなれると思うし、戦争

は起こらないと思います。

ぼくは、全世界の人が相手のことを思いやる気持ちを持って、相手の国の言葉や、文化、歴史、動

作などの意味まで学ぶことができると良いと思いました。

ぼくは世界中の人と仲良くなりたいです。そして、限りのある命には、意味があることを分かり合

いたいと思います。

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2010 年度国際ユース作文コンテスト

【子どもの部】 優秀賞

平和な世界をつくるために私たちができること

(原文は英語)

オリベラ・ペピッチ(13 歳)

セルビア・キキンダ市

ジョバン・ポポビッチ小学校

私は人がよく「自分を見つけた」と言うのを聞きます。でも私は、自分が本当に誰なのか、何のた

めにこの地球に生まれたのかなどが、突然、魔法みたいに分かることなんてないと思います。誰も一

日で変わることなんてできないし、世界も一日で変わることなんてできません。私たちは自分を変え

ようという努力が足りないし、私たちの美しい地球とそこに住む人々を救おうという努力も足りませ

ん。考えにくいけれど、一人ひとりがやることがとても大事なのです。世界をもっと美しい、もっと

調和した、もっと良い場所にするには、私たちは自分自身を変え、自分の行動を変えることから始め

なければなりません。自己中心の立身出世主義者ではなく、どうしたら自分の良心に従う人間になれ

るのかを学ばなければなりません。

私は、「人は自分の人生を生きることで、自分を見つけられる」と信じています。日々の経験、例え

ば自分が会う人や起こってくる問題を通して、私たちは自分を見つけるのではなくて、つくり上げて

ゆくのだと思います。私には自分なりの道徳観、信念があって、それに沿って生きるよう努めていま

す。何か決めなければいけない場合には、その道徳観や信念に沿ってよく考えてから正しいと思う決

定をします。私は、人は皆、親切で正直で思いやりのある人になるべきだと考えます。このような人

になれるように私は努力しています。私は、人を助けることと自分の人生を精一杯生きることが自分

にできるすべてであって、あとはうまくいくよう願うだけだと思っています。より良い人になること

がすべてであり、もし私が自分のためだけではなく、自分の周りの人たちのためにもより良いことを

し続けてゆけば、私はより平和な世界の創造に貢献したことになるのです。

1 年生の時、学校の帰りにとても怖い目にあっている同級生の小柄な女の子を見かけました。私が

歩いていると、男の子の一団が彼女のところへかけて行って足をひっかけたので、彼女は地面に倒れ

てしまいました。メガネが吹っ飛んで草の上に落ちました。顔を上げた時の彼女の目は、悲しさでい

っぱいでした。可哀そうになった私は、腹ばいになってメガネを探している彼女に近づいて言いまし

た。「あの子たちは本当に卑怯者で負け犬だわ」。彼女は私を見て、大きく微笑みました。純粋な感謝

の微笑みでした。

彼女の名前はソフィアでした。私たちは家までずっと一緒に歩き、私は彼女のかばんを持ってあげ

ました。彼女はとても良い子でした。私は彼女に「家に来て私の家族に会わない?」と言いました。

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彼女を知れば知るほど仲良くなって、私たちは親友になりました。

私たちが 4 年生の時、親切について作文を書く宿題が出されました。先生が作文を朗読したい人は

いますかと聞くと、ソフィアが手を上げて立ち上がり、作文を読み始めました。彼女は私たちの友情

について、そして男の子たちが彼女をいじめた時に私が助けたことを読んだのです。そして、もし私

があの時、親切にしていなかったら、多分自分もあの子たちのように乱暴で意地悪な子になっていた

だろうと言いました。彼女は私の思いやりと優しさが、彼女の人生を変えたとも言いました。読み終

えると彼女は私を見て、感謝を込めて微笑みました。

その時まで、私はそれほど深くそのことを考えてはいませんでした。でも一つの重要なことに気づ

いたのです。「親切の力を決して見くびってはいけない」と。あなたの行動が多くの良い変化を生むの

です。一つの小さな行為が一人の人間の人生を変えることができるのです。良くも悪くも。宇宙は私

たち皆をそれぞれの人生の中に配置して、何らかの形で影響を及ぼし合うようにしているのです。私

はソフィアのことを考えるたびにエミリー・ディッキンソンが書いた大好きな詩を思い出します。そ

して暗誦している次の言葉をほとんど毎日繰り返します。

もし私が一つの心が破れるのを防げるのなら

私は無益に生きているのではない

もし私が一つの人生の苦しみをやわらげることができるのなら

一つの痛みをさますことができるのなら

一羽の気を失ったコマドリを助けて

巣に戻してあげられるのなら

私は無益に生きているのではない

この美しい詩はやさしさと思いやりといたわりについて語っています。その中に私たちの生存本能

が込められています。もし私たち一人ひとりが積極的で健康的な形で人を愛し、支えてゆくならば、

誰もがこの世界をもっと平和な場所につくり上げてゆくことができるのです。これには努力が必要で

すが、膨大な見返りがあります。親切とは自分の本質をなしている力であり、私たちの真髄、存在の

中心そのものなのです。これなしには平和も光もないのです。

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2010 年度国際ユース作文コンテスト

【若者の部】 優秀賞

一人の情熱を通じて

(原文は英語)

ジュリアンヌ・オーウェンズ(16 歳)

米国オレゴン州

コキール高等学校

2001 年 9 月 11 日。ハイジャックされた 2 機の民間機がニューヨークシティの心臓部に突っ込みま

した。死亡者数 2,500 人以上。このテロ攻撃で約 3,000 人の子どもたちが親を失い、1,500 人以上が

配偶者を失いました。その 26 日後、米国による最初の爆弾がアフガニスタンに落とされ、イラク/ア

フガニスタン戦争が勃発しました。

9 年後、アメリカ人はこの悲劇を引き起こしたテロリストに対してだけでなく、イスラム社会全体

に対して苦い思いと恐怖を抱きます。ニュースでは、イスラム教徒の兵士とテロリストは残虐で冷酷

で危険な人間として描かれています。テロリストたちは、イスラム教徒全体について誤ったイメージ

を多くの米国人に与え、イスラム教の考え方に対する間違った認識を植えつけています。

私は数年前、これらの問題について考えをめぐらし、イスラム世界と米国の間には、海よりはるか

に大きな隔たりがあることに気づきました。長年にわたる戦争と緊張が、両文化の間に壁を作ってし

まったのです。この壁は、向こう側にいる人たちの顔をさえぎってしまいます。人柄や個性を隠し、

お互いを知り合う理由など一切ない完全に異質な人たちだという間違った考えを植えつけてしまいま

す。この壁に正式な名称はありません。恐れの壁と呼ぶ人もいれば、恨みの壁と言う人もいます。一

方、哀しみの壁という名前をつける人もいます。でも、その結果はまったく同じです。

私はどんなに大変でもこの壁をよじ登り、果たして 2 つの文化がどのくらい違うのか、あるいは似

ているのか、自分の目で確かめてみなければならないという気持ちに駆られました。研究は学習には

役立ちますが、地域社会と説得力をもって分かちあうのだけの理解と愛を授けてはくれません。その

ような情熱を持つのは、直接体験して得た知識を通してのみ可能でした。変化をもたらすには、イス

ラム文化を経験し、異文化を理解したいという、膨らんでいく願望を現実のものに変える必要があり

ました。

2009 年 8 月 6 日、15 歳の私は交換留学生として地球を半周し、中東の奥深いところにある国、オ

マーンへ行きました。オマーンは人口の 99%がイスラム教徒で、その文化的な違いは圧倒的であり、

すぐに目の当たりにすることになりました。

飛行機を降りた私は、男性はディスダーシャ、女性はアバヤという伝統的な民族衣装に身を包んだ

オマーンの人々を横目に、アラビア語の会話がひっきりなしに飛び交う、息を呑むような瞬間を必死

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で受け入れようとしました。私を受け入れてくれる国の伝統、文化、ライフスタイルを学ぶとともに、

自分の国の文化や習慣のことをオマーンの人たちに話したいというオープンで前向きな気持ちになり

ました。

この経験が自分の目を開いてくれるだろうということはわかっていました。心をも開いてくれるこ

とを願っていました。そして、それによりいかに自分の人生が変わったかに驚きました。イスラムの

聖月であるラマダンのときには、自分の周囲にいる人々全員、10 歳ほどの子どもですら 1 ヶ月にわた

って毎日日の出から日没まで断食する、その献身的な信心深さに心を打たれました。 毎晩、大家族の

全員が集まって、食事を摂りながら一日が終わったことをお祝いするのです。ラマダン月はイライラ

がつのり消耗するだけの月だと思っていましたが、そんなことはなく、愛情と思いやり、そして家族

の絆に満ちた 1 ヶ月でした。一緒に断食すると、皆が私をほめてくれて、イスラムの文化に完全に溶

け込もうと努力する私のことを自慢に思ってくれました。私が断食をしない日は、理解してくれ、非

難したり無視したりするのではなく、私が心地よく満足していられるようできる限りのことをしてく

れました。人々の愛情と思いやりは、心の小さな炎をおこすだけでなく、異文化を理解し、やがては

平和をもたらしたいという夢を追い求める情熱に火をつけたのでした。

アメリカに戻った私は、学ぶつもりでいたことはすべて達成したと感じていました。でも本当の課

題――自分の目標の最も難しい部分――がまだ残っていました。自分が経験したことを周囲の人々に

話すことです。それが帰国したときからの優先事項であり、多くの人が熱心に耳を傾けてくれました

が、すぐに興味を失ってしまう人も大勢いました。地域社会の指導者、教会の教区民、学校の同級生

などのからの質問に答えながら、あまり知られていないイスラム文化に見られる愛情、寛大さ、もて

なしの心などについて語りました。私の情熱は消えることなく、多くの人が抱いている固定観念を一

掃しました。自分の地域社会の中にある威圧的な壁を少しずつ削り取り始めたと感じました。

一人の人間がどんなに情熱を注いだところで、何十年もかかって積み上げられた壁は、数週間程度

では崩れません。でも一人の情熱により、一つのクラスが刺激を受けるかもしれません。一つのクラ

スが刺激を受ければ、一つの学校を動かすのに十分です。一つの学校の意欲は、一つの地域社会を動

かし、行動を起こさせる力になります。一つの地域社会の行動は、一つの州を変える力になります。

一つの州の変化は、一つの国家が平和を追求することに専念するための基盤になります。一つの国家

の献身的な努力を通じて、一つの世界が人々を長きにわたって隔ててきた壁を壊すことに打ち込むよ

うになり、人種、宗教、国籍を超えて、人それぞれの個性、人柄、資質で見るようになるかもしれな

いのです。

「一人の情熱を通じて・・・」

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2010 年度国際ユース作文コンテスト

【若者の部】 優秀賞

平和と槍について

(原文は英語)

バイオレット・バンジラン・ルカシ(24 歳)

フィリピン・ヌエバビスカヤ市

「我々は世界や人間について複合的理解を育み、共感する能力を強化するような教育を大切にするべ

きである。簡潔に言えば、便利な機械を生産する教育ではなく、人間を育成する教育である。人文学

や芸術は、それらが極めて重要であることを主張し続けないと衰退してしまう。それらは金にはなら

ないが、それよりはるかに貴重な成果をもたらす。生きる価値のある世界をつくるのである」

マーサ・ナッシュバウム

異なる戦い

トルノス。

私の部族の人々は、戦いの後に生まれた2つの部族間の平和をこう呼びます。私はフィリピン北部

山岳地帯の土着部族出身です。息を呑むような美しい高台や未開発の森林に囲まれた土地で、何世紀

もの間、精霊崇拝と首狩りが行われてきました。私たちの文化は執拗な部族間対立の歴史に根ざして

います。老いも若きも槍を砥いで戦いに備えるよう訓練されてきたのです。私たちにとって、平和と

はただの言葉ではありませんでした。命には命を、血には血を、土地には土地を。つまり平和とは勝

ち取るものだったのです。

今日、私の部族の人々は、先祖が長年平和協定を守り続けたおかげで平和を享受しています。槍を

置いて、それぞれの領土を越えて、安全に旅をすることができるようになりました。近代化を歓迎し、

より良い暮らしを信じて学校教育制度を受け入れました。

しかしながら、今日の部族の若者の心には異なる戦いが渦巻いています。フィリピンにある強い民

族的偏見によりもたらされた、増大する不安感と自尊心の喪失です。成長するにつれ、私は、私たち

に対する軽蔑的な対応に慣れっこになっていきました。何年もの間、「山の人」という馬鹿にしたジョ

ークに耐えてきました。私たちの踊りや民族衣装や「変な」儀式は、外部の人々にとって単なる余興

でしかありません。その上、道路が通じていないことを主な理由に政府からの援助はほとんどありま

せん。結局、自分たちの悲運を嘆きながら、隔離されたままなのです。

部族の若者

私の両親は、大学に行くために山を下りる部族の若者の世話をするために低地へ移住しました。私

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たちの家は、学位をとって高額報酬の仕事につくことを夢見る若者にとって憩いの場となりました。

でも悲しいかな、部族の若者は外界と張り合うだけのものを持っていないのです。それだけで粉砕さ

れてしまった夢物語を私はいくつも見てきました。

両親が学費を調達するために田んぼで重労働している間、子どもたちは流行のファッション、流暢

な英語、高度のコンピュータースキル、優秀な成績といった、低地でのライフスタイルに適応しよう

と努力します。しかし田んぼと石油ランプで育った彼らに一体何を期待できるでしょう。

最も悲しい話は、大学を卒業して結婚して、自分たちの子どもにはもっと良い生活をして欲しいと

望みながら、結局は山へ戻って行く人たちのことです。

決意を芸術で

こういう話は私に、援助の手を差し伸べなければならないという使命感を与えました。私は演劇創

作の学生なので、自分たちを拘束している不安を打破したいと切望している部族の若者を集めて劇団

をつくりました。この過酷な、変わりゆく世界に対応するために必要な心構えや価値観を若者に教え

るには、演劇や芸術以上に強力な方法は多分ないでしょう。こうしてチーム・セレアズが誕生しまし

た。

私は、彼らが拒絶されたり、未開というレッテルを貼られることを恐れずに自分たちを表現できる、

安心できる環境を作り上げるのに何ヵ月も費やしました。彼らに私の知っていることを教えました。

ダンス、パントマイム、そしてドラマ。自分以外の誰かを演じることにより、彼らは自分自身を少し

ずつ理解できるようになりました。私は学校で学んだことを彼らに教えて、彼らが自分の創造力を開

発し、自分の価値を見出すよう促しました。涙と笑いを通して、彼らと共に私も学びました。そして

同郷の仲間同士、互いに力を得ました。

今まで 5 年間、私たちは部族から部族へと回り、若者たちにありきたりの生活から抜け出して自分

たちの社会に変化をもたらすよう呼びかけてきました。また都市から都市へと回り、外界の人たちに、

私たちは絵はがきや旅行のマニュアルで見る人間以上の存在なのだと示してきました。

これからの戦い

実際、社会の絶え間ないプレッシャーと要求は若者の心に鬱々とした不安感を生じさせます。日々、

最も深い疑問を自問自答しながら心理的な戦いが行われているのです。「自分はやって行けるのだろう

か?」という。

調和した世界とは、自分と調和している人々の世界です。この世代の若者の役割は世界を変えるこ

とではなく、自分の心を変えることです。自分の価値をめぐる戦いを征した人は、他の人も同様に心

の平和が獲得できるまで手助けを止めることはないでしょう。

戦士は一人で戦いに向かうことはしません。一緒に戦う人がいて、背後を見張っている人がいるか

ら生き残れるのです。一緒に槍を砥ぎ、自分の尊厳を取り戻す戦いに臨みましょう。自分が知ってい

るものから、自分が持っているものから、自分がいるその場所から始めるのです。

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それが今日のトルノスです。

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部族から部族へ

村から村へ

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2010 年度国際ユース作文コンテスト

【子どもの部】 入選

平和で調和した世界にするには

(原文)

菊地 桃依(9 歳)

宮城県

気仙沼市立鹿折小学校

人は、元々他人を思いやれない生き物だと思う。気に入らないと、すぐ人を非なんして仲間外れに

する。そうかと思えば、少し気分がよいとそれをうんと自まんし、相手の気持ちを考えず、からかっ

たりする。

3 年生の 3 学期、私は友だちからむしされるようになった。おたがいにじゅんびし合うはずの歯み

がきコップが、私の分だけラックにポツンと残っている毎日。

「まただ…。」

と、悲しい気持ちをおさえて、しょうがないから一人おくれて水くみに行く。でも、がまんできなく

なったある日、母にそのことを泣いて話した。

2 人で話し合い、どうしてそうされるのかを仲のよい日和ちゃんに聞いてみることにした。すると

日和ちゃんは、少しだまってしまったけれど、ゆっくりこう話してくれた。

「桃ちゃん、いやなことがあるとにらむでしょ。それに、相手のこと、きつい言葉で注意したりする

し、もう少しす直になった方がいいよ」

私はなみだが止まらなかった。みんなに悪いことをした。本当にごめんなさいと。

そして次の日から私は「友だちをにらまない」、「まず『ごめん』を言う」、「相手からの見返りをほ

しがらず相手にやさしくする」という 3 つをがんばっていくことに決めた。

私には強い味方がいた。日和ちゃんだ。本当のことを教えてくれた上に、教室で私がよくないたい

どをとっていると、洋服をひっぱって教えてくれた。だからがんばれた。

おかげで私は、少しずつ仲間に入れてもらえるようになり、今では楽しく学校生活を送っている。

私はこのことで気がついた。人は他人を思いやって生きていけるのだと。日和ちゃんの思いやりに

学び、自分の思いやりの気持ちまで生み出すことができた。

そうやっているうちに、私の身の回りにも小さなさべつがあることに気づいた。友だちの体型のこ

とや苦手なことで、大げさにそれをからかう。自分の方が勝っていると、相手をせめる。そんな時、

からかわれた友だちはみんなだまって下を向いてしまう。

この前私は新聞ですごい記事に出合った。それは中学 3 年生の男の子が自さつした記事だった。お

どろいたのはその原いん。いじめられていた友だちを救えなかったということだった。

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何てやさしい人なんだろう。自分よりも友だちのことが大切だったんだ。そんな人が自さつするな

んて。

私は思った。この人にももし味方がいたなら、そして私のように、少しでも力をかしてもらえたな

ら命を落とさずにすんだかもしれない。

「平和で調和した世界」というのは、私にとって、いじめやさべつがない世界。そしてみんなが相

手を思いやれる世界だ。私はそんな世界ができるように、今度は自分がだれかの味方になってあげた

い。困っている人に気づいて、そっと声をかけてあげたい。

今の私は友だちに助けられてばかり。不器用で苦手なことが多いから、やさしい友だちに手を貸し

てもらう。でも、そのお返しができない。そしたら母が、

「自分ができることでお返ししたら」

と教えてくれた。そうかぁ。音読とか作文とか、私が好きなことで力をかしてあげればいいんだ。

明日から、がんばるぞ! 今までのお返しをしていくんだ。でも、「え顔で」「やさしく」「ていねい

に」をわすれずに。

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2010 年度国際ユース作文コンテスト

【子どもの部】 入選

心の扉をたたく

(原文)

宮下 裕美子(13 歳)

京都府

同志社中学校

「紛争や飢餓で苦しむ難民の人たちに募金、お願いします。」

小学校の時、YMCA の募金活動に参加しました。その時にアフガニスタンで活動しているお医者さ

んから話を聞きました。私たちが使いにくいからという理由で捨ててしまう小さな鉛筆をアフガニス

タンの子どもたちは喜んで使ってくれている。自動販売機で飲み物を買うお金で、多くの人を救える

ワクチンや勉強をしたい子どもたちのために新しい鉛筆やノートを買える。私たちにとって何という

こともない物やお金が同じアジアの国のアフガニスタンでは、とても貴重なものであることにショッ

クを感じました。好きなものが手に入れられて、勉強することができ、自由にやりたいことを見つけ

て、さらにはそれを職業とすることもできる。そのような平和な世界が当り前ではなかったのです。

アフガニスタンでは貧困だけではなく、テロや地雷、戦争により教育を受けることができず、望んで

いるような人生を歩めない子どもたちがいます。

必要なことは何なのか。私たちには何ができるのか。現地の人やそこで活動をしている人に聞くこ

とも考えられます。けれども農業支援で働いていた日本人の若者が誘拐されて遺体で見つかったり、

医師として活動をしている人が自爆テロに巻き込まれて死ぬなど、アフガニスタンのために尽くす人

が殺される。また、仕事もなく教育も受けていない人がお金を手に入れるために自爆テロや誘拐に関

わるという現状があります。

アフガニスタンなどの国へ教育や医療のためにお金や物を援助することは大切です。けれどもお金

や物だけで、夢を叶える力を失った心がそれを取り戻すことはできません。

募金活動では通り過ぎる人も多かったけれども、千円札を入れてくれる人、外国人の観光客の人た

ちも協力をしてくれました。その結果、1 日で 30 万円近く集まりました。そのくらいのお金であれば、

お金持ちの人に言えばすぐに出してもらえるかもしれません。でもあえて大通りで見知らぬ人たちに

お願いをするのは、普段無関心でいる平和で豊かな人たちに、自分たちにも何かが出来るのではない

かと気づいてもらうためだと思いました。

また私は中学校で「世界一大きな授業」というのをやりました。それは世界の様々な国で同じ日に、

貧困について考える授業を受けるというものです。今までのこの活動によって、貧しい国でこの授業

を受けた子どもたちが、置かれている状況をわかってくれている人たちがいることを知り、それが心

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の支えとなって、自分たちにも何かできるではないかと立ち上がったそうです。

豊かで平和な国と危険で貧しい国。この2つはとても遠くに感じます。それを少しでも近づけるた

めに、このような交流を通して希望の光を差し込む。それぞれが本当のことに気がつくために行動を

する。その気持ちの広がりが豊かな国と貧しい国にいる人の心を開いていくことができます。それぞ

れの心の扉をたたくことから始めることで平和な世界に近づくのではないだろうか。そして直接支援

活動を行っている人も私たちも、異なった考えを持つ人に対して、いかにして自分の思いを受け入れ

てもらえるような行動をするかが大切だと思います。

すぐには思うような結果は出ないかもしれません。けれどもやめるわけにはいきません。危険で貧

しい国のことを身近に感じて活動することは、無駄遣いをしていることを反省し、自分は何をするべ

きなのか、自分のことを振り返ることでもあります。

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2010 年度国際ユース作文コンテスト

【子どもの部】 入選

世界の現状を知って

(原文)

山本 梨那(13 歳)

静岡県

不二聖心女子学院中学校

ガリガリにやせてあばら骨がむき出しになり、ギョロギョロとした目で悲しそうな表情をした小さ

な男の子の写真。小学三年生の時の担任の先生が、給食を残す生徒があまりにも多かったので、私た

ちに、世界には飢えで苦しんでいる子どもたちが多くいる現状を話して下さった。まだ世界の現状に

ついて知識のない私は、その写真から衝撃を受け、それ以降、給食は残さず食べ、ご飯つぶ一つでも

大切に食べることを心がけるようになった。中学に入学してからは、月に一度おかずを我慢して恵ま

れない国におかずの分のお金を募金するという節約弁当の日がある。また、温情の会委員会という委

員会に入り、貧しい国や、津波や地震による被害を受けて苦しんでいる方々の現状を調べ、知り、募

金計画や物資救援などを行った。学校の総合学習では“世界の子ども”をテーマに選び、調べ学習をし

た。そんなことから私自身、世界に目を向けるということが身近になって、世界の現状についてもっ

と知りたい、もっと学びたいと思うようになってきていた。

つい先日、テレビで発展途上国である「ウガンダ」の人たちの生活が取りあげられていた。「ウガン

ダ」では水道水はもちろん、井戸すらない。そのため子どもたちの日課は、朝早くから片道 1 時間か

けての水汲みから始まる。そして 1 日、計 3 回の水汲みを強いられた生活を送っていた。しかしその

片道 1 時間かけて汲んでくる水というのは、私たちにとっては“どろ水”であり、とうてい飲み水とし

て使用するなんて考えられない濁った水であった。現地の人たちはその水を大切な飲み水として飲み、

料理を使り、皿を洗い、体を洗い、一滴の水をも貴重に扱った。その光景は信じ難いものだった。い

くらなんでも水質状態がここまで悪いとは思ってもみなかった。私にこの水が飲めるかと聞かれたら

無理だ。思わず私は現地の子どもたちに、私たちがいつも使っている水道水を届けたくなった。この

番組は、そんな生活を送っている現地の人のために日本人の井戸掘り職人が井戸の掘り方を現地の若

者に一から順に教えるという内容であった。職人さんの目も現地の若者の目も真剣だった。何日もか

けて一緒に掘り続けた井戸から水がジャブジャブ出てきた時は、私も一緒になって喜んだ。本当に嬉

しかった。

そして次は、日本人のかまど作り職人が登場した。学校に通う子どもたちの中には、お昼ご飯を持

って来られない貧しい子どもたちも大勢いる。そのようなことから、皆に給食を作りたいという現地

の先生の要望で、日本人のかまど作り職人が給食を作るための大きななべを使って料理をできるかま

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どを作りにやって来た。その土地にある材料を使ってレンガを作り、長年の職人の技やこだわりをた

くさん込めて、かまどの作り方を現地の若者に伝授した。かまどが完成し、学校に通う子どもたちの

母親が材料を持ち寄り、料理した給食を食べる子どもたちの姿を見て、私自身そこから多くのことを

学んだ。

今までは募金や物資を寄付することが援助につながると思っていった。しかしそのような一時的な

援助だけでは問題は解決しない。そのことをこの番組から教えてもらった。そしてこのような日本人

の職人さんたちのことを誇りに思った。自分の職業である得意分野を世界のために生かせるというこ

とは本当に素晴しいことだと思う。ただ教えるだけでなく長年の経験から得た知識を細かい所まで誠

心誠意を込めて伝える職人さんたちの姿に感動した。

お金や物資だけの支援ではその場限りだ。自分たちで食べ物を作ったり、物を作ったり、自分たち

の力で生きていけるように技術を身に付けるための支援が必要であることを改めて思った。これまで

見えていなかったことを広い視野で見えるようになった。私も何か得意分野を見つけて、将来誰かの

役に立つことをしたいと強く思った。そのためにもいろいろなことにチャレンジし、自分にできるこ

とを探していきたい。

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2010 年度国際ユース作文コンテスト

【子どもの部】 入選

平和な世界をつくるための私の役割

(原文は英語)

アビル・カリッド・アフィーフ・シャディード(14 歳)

パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区

ザノウビア女子学校

平和な世界をつくるための私の役割は何かを語るのは難しいことです。その主な理由は私が一人の

人間に過ぎないからです。しかし世界の歴史を見ると、一人の人間でも変化をもたらすことができる

ことがわかります。歴史上の大きな出来事の多くは、その影に英雄ともいえる人がいて最終的に窮地

を救っています。そこで個人として私に何をできるかというより、何ができたかについて書きたいと

思います。

私は「持っていないものは与えることはできない」という格言には同感です。これは多くのことに

当てはまりますが、特に世界平和への貢献について語るときには真実だと思います。自分の中に平和

があって初めて、個人であれ、集団であれ、他に影響を及ぼすことができるのだと思います。

そこで私は自分の心に内なる平和をつくり出し、確固としたものにすることを最初の目標にしまし

た。困難な状況に対応する力があれば自分や他人に悪影響をおよぼすことなく、問題を解決すること

ができると思うのです。

私は肯定的でいることが多くの人に安らぎと平和をもたらす上でとても重要だと確信しています。

肯定的であることは皆を幸せにします。つまり私が肯定的であれば、それは何かの形で周りの皆、特

に家族、親戚、親しい友だちに伝わっていくということです。

親戚同士は多くの場合、対立があっても互いに理解しています。私の家族もそうです。時々、私の

姉はけんかを仕かけてきますが、私はいつも平静を保って微笑みを返すようにしています。それは魔

法のような効果があるようです。私の肯定的な反応が状況を好転させたと思うととても平和な気持ち

になります。それだけではなく、姉が平静になっていくのを見るとさらに幸せを感じ、姉により親し

みを感じます。こうした行動が家族の周りに平和な小さな世界を作り上げることに貢献していると思

います。時には私がけんかを買ってやり返すこともありますが、その時点で姉の勝ちが決まるといえ

るかもしれません。

今の学校に編入した時、私には知り合いが一人もいませんでした。私がどれほど心細く感じたか言

いようもありません。容易いことではありませんでしたが、2 週間足らずでやっと友だちができまし

た。新しい友だちの一人はとても特別な人で、私の英語の先生でした。その後、学校での友だちとの

関係は良くなっていき、皆親友になりました。本当に良い友だちは生活をとても平和なものにしてく

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れます。

学校生活には大変なこともありますが、楽しく有意義なものにもなり得ます。ただし様々な問題に

どう対処するかは私たち自身にかかっています。私たちの行動は時には自分の人生、そして周囲の人々

の人生に大きく影響することがあるのです。

私が学校で発見した最も大きな困難の一つは、いじめ問題という悲しい発見でした。私自身、前の

学校でいじめに苦しんだため、その問題を何とかしなければならないことはわかっていました。成果

を上げるには一緒に取り組んでくれる友だち(そう、それには私の英語の先生も含めて)が必要なこ

とを認識しました。チーム一丸となって私たちは学校でのいじめに対処し、これを減らすこと、さら

には学校から完全にいじめをなくすこと、そうして私たちが目指す平和な環境を作り出すことを目指

して計画を立てました。

まず初めにしたことは学校の校長先生と上級スタッフに会い、その支持を得ることでした。次に皆

で行動計画を策定し、啓発・広報の段階、実施の段階、そして最後に計画を評価する検証の段階をも

うけました。

その結果、一年近くに及ぶ活動を経て、私たちの学校は現在学校別の学業成績で上位を誇っていま

す。また大変人気のある学校になりました。そして一番重要なのは生徒がずっとハッピーになったこ

とです。

私たちの一番の成功例は 8 年生のアミナという女の子の話です。私たちのいじめ対抗プロジェクト

がはじまる前、アミナはいじめを苦にした薬物の過剰摂取で病院に運ばれました。彼女はその時に誰

も頼れる人がいなかったそうです。

アミナは、今では私たちのいじめ対抗プロジェクトのスターです。私たちの学校だけでなく、私た

ちの町と郡のスターでもあります。アミナは子どもたちにいじめについて、またそれにどう対処する

かについてたくさん話をしています。ところで、アミナの名前は文字通り「平和と平穏」を意味する

ため、このプロジェクトの名前もそこから取っています。

結論として、世界平和への貢献は真に自分も貢献したいと願えば、私たちすべての手が届くところ

にあると思います。心の内の平和を達成すれば、その人の世界平和への貢献の輪は大きくなり、広が

りやすくなります。私たちの小さな世界の中にある様々な課題に取り組むことも大切です。簡単では

ありませんが、責任、忍耐、愛によって私たちは自分自身、家族、学校、近隣、そして町の中にも平

和をつくることができるのです。

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2010 年度国際ユース作文コンテスト

【子どもの部】 入選

平和な世界をつくるために私たちができること

(原文は英語)

メガナ・シュクラ(14 歳)

インド<イギリス・ロンドン市在住>

この作文が読まれる頃には、人類に新たな勢力が生まれていることでしょう。私たちは平和の意味

を理解するだけではなく、心の奥深くに平和を実感できることでしょう。それは国家、人種、宗教の

ためではなく、大地と海を持つこの惑星、私たちが地球のための平和です。新しい世代である現代の

若者には、こうした平和な世界のビジョンを持ち、「文化革命」を起こすことが充分可能なのです。

私は、暴力や脅迫のほとんど存在しない、人種的緊張の低い環境で生活しています。学校、家、そ

してたまの繁華街への外出というのが、私の小さな生活のすべてです。それでもメディアを通して、

外の世界には戦争、犯罪、汚職、そして激しい暴力があることを知っています。なぜそのようなこと

が存在するのか、私には理解できません。それが人生というもので、そうした状況に生まれる者もあ

れば、そうでない者もいるのだとよく諭されます。しかし、それが世界の正義のあり方ならば、私は

こんな世界はごめんです。

平和は安全な場所を与えてくれますが、多くの人がそこから締め出されていると思います。その理

由が政治の問題であっても学校制度の問題であっても同じことです。平和を地球規模で実現しようと

する前に、私たちは自分の内側、心の中から始めなければななりません。 もし、皆が私のような見

方で世界を見たならば、地球規模の夢を実現できるかもしれません。私は世界を物質として見ていま

す。そして物質は原子からできていることがわかっています。しかし、すべての原子が同じ振動数で

振動すれば、物質の様相を全く変えてしまうことができます。もし人間が原子だとして、皆一緒に振

動することで物理的な世界を精神的な世界につくり変えられたとしたら、どんなことが可能になるか

計り知れません。多くの人はこれを不思議な現象、神業と呼ぶかもしれませんが、私はこれを平和と

呼びます。

私たちはみな、あなたも私もあなたの家族も原子なのです。それぞれ違っていても私たちは一つの

複合世界を構成しています。私たちはある時点でこの複合世界に生まれ、必ずそこを去っていきます。

私たちが生きている間に何をなすか、いやむしろどのような振動数で思考するかによって、自分たち

の世界を変えることができるのです。例えば、毎朝、隣人に挨拶し、短い会話を交わすこと、それか

ら電車の車掌さんに「ありがとう」と言うこと、仕事や学校で普通なら知り合わない人に話かけたり、

その人の話に耳を傾けたりすること。そうしたことで変化を起こすことができるのです。人間関係を

大切にし、親切にすることを私たちは毎日の生活で実践しなければなりません。月に一度お年寄りや

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子どもを訪ね、彼らにぬくもりを届けることもできるし、余暇には買い物に行く代わりに慈善活動を

することもできる。やれることはいくらでもあるのです。

私たちを脅かす人がいるとすれば、それはたいてい日常出会う人です。ですから、世界中のあらゆ

る人が自分の隣人、毎日会う人をよく知っていれば、世界から犯罪も戦争も否定的なこともなくなる

でしょう。ちょっとした会話が作り出す親近感は、不思議な心理的現象を生みます。こうした交流を

していれば、私たちは、ある人々がなぜ違う考え方をするのか理解できるようになり、そのうち怒っ

ている人の心にそっと入り込んで幸福で満たすことができるようになるでしょう。考え方の多様性は

重要です。しかし多様性をただ認めるだけでなく、理解することがもっと重要です。

平和は、今では理想主義の決まり文句のように言われています。しかし早く実現しないと、この一

見静穏な時は、嵐の前の静けさになってしまうでしょう。私たちは過去に戦争を経験してきましたが、

世界が落ち着き始めている今こそ、平和運動を起こす時です。やがて民衆が自らを治めるようになり、

政府は必要なくなるでしょう。そして、人々は貧困の存在にひどく罪悪感を感じるようになり、貧困

は存在しなくなるでしょう。やがてこの世界は平和になり、私たちはその一部になるでしょう。

そんなワクワクするような新しい時代が到来し、今の若い世代は明日の世界の様相を変えていくこ

とでしょう。

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2010 年度国際ユース作文コンテスト

【若者の部】 入選

つながる

(原文)

土肥 礼乃(15 歳)

鹿児島県

鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校

私は中学 3 年の時、市の事業である青少年の翼でアメリカ、マイアミに行ってきました。英語がも

っと話せるようになりたいとか、生の英語を肌で感じてみたいということはもちろんでしたが大きな

目的は一つでした。「世界に友達をつくること」。違う文化の中で育った人と友だちになるため、私は

マイアミへ行きました。

マイアミでは私はメリッサという女の子の家にホームステイしました。はじめはお互い緊張してい

たものの、すぐに打ちとけてたくさん話すようになりました。もちろん、お互いの勉強のため、私は

英語でメリッサは日本で話しました。その数日後、メリッサと一緒に高校に行ったときのことです。

私はアメリカと日本の校風の違いにとまどっていてとても緊張していました。それ故に、メリッサが

自分の友だちを紹介してくれても自分の名前を言うのがやっとでコミュニケーションどころではあり

ませんでした。

それから少し時間が経ってから日本語のクラスに出席した時のことです。そのクラスには日本やそ

の他の国に興味のある人がたくさん集まっていました。教室の中には、ダルマやちょうちんや日本の

国旗などいろいろなものがありました。その日の授業ではいろいろな英語を私たちが日本語に直した

り鹿児島弁に直したりして教えあうということをしました。私はやはり始めのほうは緊張していたの

ですがマイアミの友だちが

「これは何て言うの?」。

「鹿児島の言葉っておもしろいね」。

などと話しかけてくれるので私も嬉しくなって、たくさん自分のことや日本の文化、なかでも鹿児

島のことを話しました。単語が分からなくても簡単に辞書は使わず、「話したい」という気持ちで一生

懸命話すと伝わりました。また文法的に間違った英語でも気持ちさえあれば話したいこと、聞きたい

ことは伝わりました。

今、世界では様々な宗教問題や文化の違いだけで戦争が起きている国がたくさんあります。私の住

んでいる国、日本は今、平和です。だから戦争ばかりしている国のことは正直よく分かりません。し

かし私は知りたいと思います。そして彼らにもお互いを知ってほしいです。話を聞いてみようという

気持ちは分かろうという思いになり、分かろうという思いは理解しようという心になると思います。

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そうすれば自分がされて嫌なことを相手に対してしなくなると思います。

私はマイアミで気づいたことがあります。国や文化が違っても人はみな同じ。肌の色や目の色は違

えど、同じように笑い、同じようにやさしい気持ちを持っています。それから改めて学んだこともあ

りました。それは男女問わず、相手を一人の人として尊敬するということです。

世界における平和は、自分一人が自分の国さえ良ければという気持ちでは成り立ちません。肌の色

が違う、目の色が違う、宗教が違う、習慣が違う・・・。世の中には「違う」ことばかりです。しかし、

それ故に世界が成り立っているのも事実です。この世界の人が皆同じ言葉を話し、同じ宗教で、同じ

文化ならそれはそれで争いも起きないかもしれません。しかし、もしそんな世界なら人はお互いを学

ぶことができません。一人の人間として成長できません。世の中は「違う」ことばかりです。しかし

同時にそれは自らの成長の糧になる相手との「違い」なのです。人と違うことは一つの違いだと思い

ます。

だからどんな時も相手のことを知ろう、分かろう、理解しようという大きな心を持ちたいと思いま

す。その心で世界と接すれば、きっと平和の「輪」も広がっていくと思います。

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2010 年度国際ユース作文コンテスト

【若者の部】 入選

世界に平和をもたらす若者の力

(原文は英語)

ハイドン・シン(16 歳)

台湾台北市

台北歐洲學校

僕は 5 歳の時に、初めて誕生日プレゼントをもらったことを覚えています。それは母からのプレゼ

ントで万華鏡でした。僕は興味津々で覗きこみましたが、様々なものが 9 倍に増えたり、ひっくり返

って逆さまになったりして、それはまさに幻想的な世界でした。その頃、僕は生まれて初めて、自分

の周囲にある小さな世界を対照的な見方で見たのでした。

台北郊外の山の中にあるインターナショナルスクールに入学し、様々なことに熱中するようになり、

それまでとかなり異なるユニークな角度から世界を見るようになったのは、僕が 15 歳になった頃のこ

とでした。僕は課外活動の一つである映画クラブに入りました。クラブには学校から提供されたパナ

ソニックの 1080 フル HD ビデオカメラがありました。それまでスチール写真を撮っていた時の経験

に比べて、早い動画を扱うことはまったく違った挑戦でした。それでも僕は世の中の発展に伴い、自

分自身も様々な場面や舞台を通して成長してきました。映画づくりが徐々に僕の生活サイクルの一部

になる一方で、模擬国連の活動にも深く関わるようになりました。これは平和と繁栄を象徴する国際

連合で行われている会議をシミュレーションする活動です。この模擬会議では、普通の高校生が世界

各国の代表として、世界平和を目指す若い政治家に変身します。僕はこの活動を通じて、未来の地球

市民として自分たちが持っている可能性と世界を変え得る力があることに気づきました。

外国の代表として解決策を考え、議論をシミュレーションすることで、カメラのレンズを通して見

るのとはまったく異なるアプローチで自分の社会を見ることを教わりました。また自分が住んでいる

この世界に存在する、様々な国の多種多様な文化や物の見方を理解することを学びました。

でも世界を少しでも良くすることに自分がどのように貢献できるかがようやくわかったのは、奉仕

プロジェクトで「ハーモニーホーム」という地元団体を訪問してからのことでした。この団体は

HIV/AIDS に母子感染した子供を保護し、世話をする施設です。僕は施設で子どもたちの姿をカメラ

で撮影するといういつもの仕事を行いました。学校に帰ってから、見学したことを振り返るショート

ビデオの編集を始めました。5 分ほどのビデオができ、終礼集会の最後に全校生徒の前で上映されま

した。ビデオが始まると校長先生はメガネをかけ直し、先生方は会話を止め、集会の間も続いていた

中学生の騒々しいおしゃべりも次第に静まっていきました。全校生徒の前に立ちながら、僕は突然、

以前行なった模擬国連会議の人権理事会でインドを代表し、「発展途上国における HIV/AIDS に対する

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世界的な認識を高める」という課題に取り組むことにしたことを思い出しました。そして自分は、今

まさにあの時、決議案に書いたことを得意の映画づくりを活用することで実現し、カメラとマスメデ

ィアを通して実行に移しているのだと気がついたのです。

その後、ビデオは募金計画の一環として台北の企業数社で上映され、プロジェクトを遂行した僕た

ち 52 人でハーモニーホームのために 40 万ドルを集め、同団体が財団法人となり、HIV/AIDS に苦し

む多くの人への福祉を確保する援助をしました。

僕は終礼集会での 5 分間の経験から、世界の平和を促進し、紛争の火を消すために僕たち若者がど

のような変化をもたらすことができるか理解しました。カメラとそれに関連した各種技術を活用する

ことで、HIV/AIDS について人々が抱いている誤解、恐怖、不安を変えていくことが僕の役割であり、

責任であることに気づいたのです。また模擬国連を通して、世界各国の多種多様な文化と人間性を正

しく理解することを学ぶと同時に、意見の相違に対する寛容な態度と、HIV/AIDS のような人々が恐

れる問題に対する思いやりの心を養うことができました。世界の若者は誰でも何かしら得意とするも

のを持っていると思います。僕の場合は映画づくりです。しかし誰もが模擬国連に参加できるわけで

はありません。そこで若者のパワーで、僕のような若者がもっと多く参加できる革新的でグローバル

な話し合いの場をつくり、それぞれが持っている得意分野を活用することで世界の誤解、不信、争い

の解決へ向けて一緒に協力することを展望しています。それは今まさに起こりつつあります。大人の

世代からの助言があれば世界中の若者が手を携え、自分たちや自分たちの子孫が住む世界の平和と繁

栄を保障することができます。この世界を形づくっていくのは僕たちであり、平和を実現するのは僕

たちの責任なのですから。

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2010 年度国際ユース作文コンテスト

【若者の部】 入選

世界の平和を造る私たちの一歩

(原文)

平田 葵(16 歳)

千葉県

東洋英和女学院高等部

現在、日本から戦争の恐ろしさ、悲惨さそして無意味さを知る方々が、年々少なくなっています。

その事実を知っている若者が日本は極端に少ないと思いました。今、日本が戦争をしていないからで

しょうか。戦争なんてそう簡単に起こるはずがないと思っているのでしょうか。その戦争に対しての

危機感のなさは、今の日本が日本人同士の政治やお金の争いばかりしていることが理由なのではない

かと思います。世界に目を向けている暇がないのです。世界の国々も、いくら平和な世界をつくろう

としても、相手である日本側が話を聞ける状態ではないと意味がありません。では若者はどうすれば

良いのでしょう。その答えは、一人でも多くの人に戦争とはどのようなものなのかを伝えることが必

要なのです。先にも述べたように今の若者は戦争の恐ろしさを分かっていません。現に、私もつい 2

週間前は知りませんでした。戦争とは歴史上の過去のことであり、漠然とした恐ろしさしか持ってい

ませんでした。ですが先日、修学旅行で長崎へ行ったことで、私は戦争の本当の様子を知ったのです。

長崎は原子爆弾の被爆地です。長崎で私たちは被爆された方のお話を聞きました。そしてお話と一

緒に写真も見せていただきました。その原子爆弾落下直後の写真はあまりにも惨いものであり、思わ

ず顔を手で覆ってしまうほどでした。原子爆弾の恐ろしさを身をもって知った機会でした。そして私

は実感したのです。「戦争は他人事ではない」と。

長崎の平和記念公園に数あるモニュメントの中で、私の印象として一番残っているものに、ある少

女の日記の一部が刻まれている石碑があります。そこには、川の水には油のようなものが一面に浮い

ていたが、どうしても喉が乾いてたまらないのでそのまま飲んだ。というような内容が書かれていま

した。私は衝撃を受けました。私たちと年のあまり離れていない少女が、こんなことを体験したのか

と。戦争とは小さな少女にまでこのような思いをさせてしまうものなのです。

長崎での経験は、私を世界の平和実現について考えさせました。そして私は今、一人でも多くのこ

れからの未来を支えていく若者たちに、戦争は必要か否かを考えてもらいたいのです。そのために私

がまず知って欲しいことは、戦争の無意味さの部分です。戦争は、帰る場所を失わせます。愛する人

を失わせます。話し合いは何度でも繰り返せますが、失われた命を取り戻し、生きることを繰り返す

ことはできません。そして、生き残った人々にも苦悩、苦痛の日々が待っているのです。人が人を不

幸にさせて良い理由があるのでしょうか。人は考え方が皆違うので、争いが起こることは仕方がない

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ことです。ですが、人が人を殺して良い権利もないのです。戦争の結果がどのようなものになるのか

を知っているのならば、余計に戦争はしてはいけないのです。そして私たちのように戦争の無意味さ

を知った者の役目は、どんな小さな命でも、その命を大切に思っている人がいるという事実を一人で

も多くの人に知ってもらうことです。

戦争以外のことも同様です。地球はこの広い宇宙にたった一つしか存在しません。たとえ住む国が

違えども、私たちは皆同じ地球に住む生物なのです。だから、誰もが平等に平和に暮らす権利があり

ます。すべてが平和ではない世界をどのようにすべて平和にできるのかは、私たち若者の手にかかっ

ているのです。

私は今回長崎を訪れたことで、本当の戦争の実態を知りました。そして気づいたのです。世界の戦

争の実態を知ることは、世界を平和にしていくことの一歩だということに。今は小さいこの一歩でも

多くの人々が前に踏み出せば、大きな前進に繋がります。そして互いに手を取り合えば、大きな輪に

なります。早く大きな輪をつくるために、自ら一歩踏み出すのです。

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2010 年度国際ユース作文コンテスト

【若者の部】 入選

平和な世界をつくるために私ができること

(原文は英語)

フサンフジャ・アクラムフジャエフ(19 歳)

ウズベキスタン<キルギスタン・ジャララバット市在住>

サイドゥラ・アクバロフ第 16 学校

私は今年夏に AUCA(中央アジア・アメリカン大学)の一年生を終え、5 月 26 日に就労・観光プロ

グラムでアメリカに来た。ここを夢の国と呼ぶ人がいるが、その夢の炎はニューヨーク市に到着する

まで、機中の私の心の中に燃え盛っていた。勉強に必要なお金を稼いでより良い未来を手に入れると

いうこの夢こそが、私にとって扉を開けるカギとなった。そしてその扉の向こうに私が見つけたのは、

たった5つの文字「PEACE」だった。その文字の一つ一つが、平和な生き方を求めて闘う私を力づけ

てくれたのである。

私は民族的にはウズベク人だが、いまだに何百万人ものウズベク人が、軍服を着たキルギス人によ

る殺害と放火に苦しんでいるキルギスタンに住んでいる。AUCA で学び続けるためには毎年約 2500

ドルを支払う必要があるため、私は今年の夏はアメリカへ行って、翌年の学費を稼ぐことにした。こ

れは中央アジアでは大金であり、特に私の家族の状況では大変な額である。私の家族はキルギスタン

にあるジャララバット市の村に住んでいて、7 人の家族を養うために小さな事業を営んでいる。でも

私が独学で英語を勉強し、自力で大学へ入ったことで、家族はどうにかして初年度の学費を捻出して

くれた。

最近、私の村で洪水があり、家族の唯一の収入源がなくなってしまった。洪水がもたらした破壊が

原因で、菓子屋を閉店しなければならなくなったのである。私は、そのことをアメリカへ出発する前

に家族に会いに村へ戻るまで知らなかった。それも、アメリカへ行って一生懸命に働こうと思ったも

う一つの理由である。

でもキルギスタンでウズベク人が殺害されていることを聞いてからは、働こうというエネルギーと

意欲がすべてなくなってしまった。家族のことが心配で、頭の中はそのことばかりだった。未来も平

和も何も見えなくなってしまっていた。すべてが権力と暴力だけで横行しているように思われた。心

の中は復讐したいという思いでいっぱいだった。

誰かに怒りを向けることで人生に変化をもたらすことができるだろうと思った。仕事を探してもど

うせ見つからないと思っていたので、どこへ行っても雇ってくれなかった。そのような生活にうんざ

りした。でも、私はそれまで何年もかけて自分がやってきたこと、好きなことを勉強するという夢、

すべてを思い出した。だから人生に何が起ころうと、すべてを諦めることはできなかった。

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私は 5 つの文字で説明できる目標を設定した。それは「Positive Energy Always Creates Elevation

-前向きのエネルギーは必ず前進につながる」という目標だ。頭文字をつなげると「Peace-平和」と

いう言葉になる。そう、どんなことだって起こり得るし、明日の自分に何があるかはわからない。ウ

ズベク人に対する暴力ですら、私から前向きのエネルギーを奪うことはできないのだ。

私は一生懸命働いて勉強を続けるのに必要なお金を稼ぎ、将来は外交官になりたいと思っている。

この分野を勉強することで、キルギスタンと諸外国間の平和だけでなく、まずは国内の民族間に平和

を確立することに取り組みたいと思う。私はウズベク人なので簡単にはいかないかもしれないが、ま

ず誰かと話をし、その人が私の前向きな態度を見て、別の人にそれを伝えていけば、コミュニケーシ

ョンの輪がつながっていく。そうすれば一歩ずつ、2 つの民族が平和に暮らし始めることができるで

あろう。他に方法はない。暴力や報復では、民族の間に平和や繋がりを築くことはできない。

1 週間前、1 つどころか 1 日に 2 ヶ所のホテルで仕事が見つかった。提示されたのが同じシフト(時

間帯)だったので、そのうちの 1 つを選ばなければならなかった。今、私はそこで働いている。私は

再び自信を持つようになり、外交官になって自分の国を平和に導くという将来の計画について前向き

だ。これが私の平和な生き方のビジョンである。異なる民族の出身であったとしても、若い人たちが

互いの間に平和な関係を作り始めるべきだと思う。それには、将来好きな仕事に就くために、教育を

受けなければならない。そうすれば、若い世代が人生を破滅させるだけのドラッグや酒で時間を無駄

に過ごすのを防ぐことにもなる。私たちは国の未来だ。だからどの民族であっても、一つの家族とし

て暮らすよう努力すべきだと思う。そして、前向きな姿勢こそが、互いの間に固いきずなを築き、一

緒に平和に暮らすのに役立つというのが私の考えである。

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2010 年度国際ユース作文コンテスト

【若者の部】 入選

安心感:人間を再び人間らしくする鍵

(原文は英語)

シルビ・シーア・プツリ・ルビス(24 歳)

インドネシア<シンガポール在住>

「たった 1 本のろうそくで何千本ものろうそくを灯すことができる。だからといって、そのろうそく

の寿命が短くなるわけではない。幸せは分かちあっても決して減らないものである」。

釈迦

私はある晩、インドネシアのメダンにある父の家で、父とした話を今も覚えています。それは 12 歳

の時以来、毎晩、父と交わしたたくさんの会話のなかの一つの美しい話です。それが美しいというの

は自然に、私がずっと尊敬していた祖母の話になったからです。父は、祖母はかつて 7 人の子持ちの

とても貧しい女性だったと言いました。しかし彼女には、彼女を頼る人がもっといました。たくさん

の親戚が彼女の小さな家に身を寄せていたのです。それはこの貧しい家族が自分たちの僅かな食料を

「客」と分け合わなければならないことを意味していました。父たち兄弟はよく台所で、わずかな固

いおこげのご飯を食べる羽目になりました。なぜなら父たちのために祖母が炊いたご飯は「客」に振

舞われたからです。私が数秒間あっけにとられ、じっと父を見つめていると、父は、「でも私たちは喜

んでそうしていたんだよ」と言いました。「なぜならそれでも大丈夫だと思っていたからね。大丈夫だ

という安心感があれば、あるもので満足できるんだよ。怖いものなんてないし、自由なんだよ」と説

明してくれました。今、24 歳になって、1 人で異郷に住みながら、平和な世界像について尋ねられる

と、父がかつて話してくれた祖母の話、安心感についての話をしきりに思い出すのです。

なぜ人には安心感が必要なのでしょうか? 他人に共感することのほうがもっと重要なのではない

でしょうか? 確かに共感という、他人の感情や思いに共感する能力の話はよく聞きます。でも人は

自分が個人として安心できていなければ、他人に共感することはできないのです。感情的に安心して

いると、人は自分に満足できるし、この満足感が自由感を生み出し、これが最終的に平和で豊かな感

情、あるものに感謝するという、自然が私たちに与えてくれる資源は無尽蔵だという究極の感情につ

ながるのです。この感情があれば私たちは他人を妬んだり、羨んだりはしなくなります。なぜなら自

分にあるもので満足できるからです。

人はどうしたら安心感を得られるのでしょう? 安心感は自分にあるものすべてに対する感謝の結

果として生まれます。自分に起こることに対して、それが喜ばしいことであろうと喜ばしくないこと

であろうと逆らうことなく、それらすべてを完全に受け入れることで得られるのです。ありのままに

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すべてを受け入れることで、人は自分の人生に起こることすべてに責任を取れるようになるのです。

感謝があれば、あるものをありがたく受け、ありがたくないものでも自分の希望に合わせるよう努め

ることができます。私はあるものに感謝することで、世の中の実態がはっきりと見えてくると思って

います。こうして自分自身と自分にあるものが明確に見えてくると安心感が生まれてくるのです。

自分は大丈夫だと思うと、人生は素晴らしいことで溢れ、地球上の人間が一人残らず使えるだけの

資源に満たされていると思えてくるのです。人生の豊かさに気がつくと、人は自分が持っているもの

や力を他人と分け合うことをためらわなくなります。そして安心感があれば、自分の国の石油が不足

してしまうという単なる恐怖心から、国家予算を傾けてまで他国に戦争を仕掛けるなどということも

しなくなるでしょう。そうすれば冷酷な戦争で多くの生命が失われずに済むかもしれません。

もし世界中の人が自分は大丈夫だと思えたなら、世界はどれほど美しいところになるでしょう。も

し私が、私の周りにいる人たちの夢をふくらませる手助けが

できたなら、もし皆が自分たちの夢を実現するための資源は僅かしかないという恐怖心を持たず、誰

しも望みをかなえられることが分かりさえすれば、私たちは安心をもたらすのは近代兵器ではないこ

とを知り、自分が持っている最後の1ドルまで、それをより必要とする誰かのために喜んで使えるよ

うになるかもしれません。ですからもし平和な世界をつくるための私の役割は何かと問われたら、「自

分は大丈夫だと思うこと。自分にあるものに感謝し、満足すること」と答えるでしょう。なぜならそ

う思えて初めて、私たちは人間として完全な人間らしさを取り戻せるからです。