2014 年度卒業論文 幼児教育の普及に向けて ―ロ …...5...
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2014 年度卒業論文
幼児教育の普及に向けて
―ロバート・オーウェンの思想・実践から現代の幼児教育
へ―
リベラルアーツ学群 国際協力専攻 3 年 学籍番号:210d1103
渡辺周作
2
目次
はじめに ................................................................................................................................ 3
第 1 章 幼児教育とは何か...................................................................................................4
第 1 節 日 本 に お け る 幼 児 教 育 の 定 義 ….………………………………………………………… 4 第 2 節 国 際 社 会 に お け る 幼 児 教 育 の 定
義.………………………………………………………. 5 第 3 節 幼 児 教 育 は な ぜ 必 要 か
……………………………………………………………………. 6
第 2 章 ロバート・オーウェンが求めた理想的な幼児教育 ................................................10 第 1 節 ロバート・オーウェンの思想..................................................................................10 第 1 項 ロバート・オーウェンの思想の背景 ..............................................................10 第 2 項 性格形成論 .....................................................................................................12 第 2 節 ロバート・オーウェンの実践改革 ............................................................................13 第 1 項 新性格形成学院の概要 ..............................................................................13 第 2 項 理想的な教師による幼児教育.........................................................................14 第 3 項 幼児教育のプログラム ...................................................................................15 第 4 項 オーウェンのその後 .......................................................................................16
第 3 章 社会的弱者における幼児教育の普及に向けて.................................................... 17
第 1 節 世 界 に 見 る 幼 児 教 育 ….……………………………………………………………….…. 17
第 2 節 地 域 別 に 見 る 幼 児 教
育 .…………………………………………………….……………. 19 第 1 項 サ ハ ラ 以 南 ア フ リ カ に お け る 幼 児 教
育 .…………………………………………… 19 第 2 項 ア ジ ア に お け る 幼 児 教 育
…………………………………………………………. 21 第 3 節 いちょう団地における実地調査 ..............................................................................23
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第 1 項 いちょう団地について ............................................................................23 第 2 項 多文化まちづくり工房の概要.........................................................................24 第 3 項 多文化まちづくり工房の小学生放課後補習 ............................................24 第 4 項 幼児教育を始めた背景 .....................................................................................25 第 5 項 多文化まちづくり工房の幼児教育のプログラム ..............................................26 第 4 節 権利アプローチの視点から見た幼児教育 ..............................................................29 おわりに ....................................................................................................................... 31 参 考 文 献 ……………………………….……………………………………………………….……. 32
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はじめに 「個人の幸福は、彼の隣人の幸福を増進し、拡張しようと、積極的に努力する程度に比
例してのみ、増進し拡張されるものである [オーウェン 1954:94] 」。この言葉こそ、18 世
紀のイギリスの社会改革者ロバート・オーウェンの人生観、道徳観を表す言葉である。 当時のイギリスは、資本主義体制における産業革命の 中であり、実業家たちが自己の
利益のために幼い子どもたちを含めた労働階級を搾取しているという悲惨な状況であった。
そのような状況下で、同じ実業家として、冒頭に記した道徳観を胸に、労働階級の幸福の
実現のために献身した人物こそ、ロバート・オーウェンである[知野 1971:66-69]。 筆者は、大学 2 年の春に国際協力研修でバングラデシュを訪れた。日本とは異なり、バ
ングラデシュでは、学校に行けないために物乞いやリキシャ 1等の仕事をして、必死にお金
を稼ごうとする幼い子どもたちで溢れていた。おそらくオーウェンも、18 世紀のイギリス
における産業革命によって、技術が革新されていく社会を見る一方で、奴隷のように幼い
子どもたちが酷使され、日々の生活に絶望しながら生きている労働階級の人々のすさまじ
く悲惨な光景を見たのだろう。 ロバート・オーウェンは、資本主義によって生まれた格差を是正するために、当時貧困
に苦しむ約 2500 人の住民が居住していたニューラナーク 2の改善に取り掛かった。彼は、
社会思想家として社会改革に献身したわけであるが、個人の性格を形成する教育こそが社
会を改革できる唯一の方法であり、 も合理的な手段であると説いた[知野 1971:68]。 筆者が教育について論じるきっかけとなったのは、バングラデシュに訪問したことやイ
ンターンとして開発教育協会 3で実習したこと、普段国際協力を学んでいること等の経験が
大きく影響している。これまで、国際協力を学んでいけばいくほど、無知ということがど
れほど恐ろしいことであるか、身をもって体験してきた。また、親の仕事がベビーシッター
ということもあり、日常生活において幼児 4と触れ合う機会に恵まれ、幼児教育について興
味を持つこととなった。貧困、犯罪がなく、人々の幸福で溢れた社会を作るためには、幼
児からの適切な教育が不可欠だと説いたオーウェンの思想に、筆者は大きな感銘を受けた
のである。 日本において、幼児教育という言葉を聞くと、小学校に入る準備としての教育や、共働
き家庭において子どもの託児というイメージを思い浮かべる人が多いと思う。しかし、今
日の社会における幼児教育は、託児や小学校入学への準備としての教育を超えた、個人の
人格形成の場としての役割を担っている。この幼児期からの適切な人格形成の場を普及さ
せることが、既存の社会がより良い社会になる一つの手段であると筆者は主張したい。 したがって、本論文の第 1 章では、混在する幼児教育の定義を整理し、幼児教育の重要
1 人を輸送するための人力による車。 2 スコットランドのクライド川沿いに位置する綿紡績工場を保有する村。現在は世界文化遺
産に登録され、多くの観光客でにぎわっている。 3 公正な地球社会の実現を目指す開発教育を推進するためのネットワーク NGO。 4 幼児の定義は、混在しているため、後に第 1 章で詳しく論じる。
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性を論じる。次の第 2 章では、この人格形成の場を提供することに顕著な功績を残したロ
バート・オーウェンの思想や手法を概説する。そして、第 3 章で、世界とりわけ開発途上
国で幼児教育が普及していない現状と課題を紹介し、その幼児教育の実践を見つめた後に、
幼児教育の普遍化に向けて、筆者の実地調査と近年主流の考え方である権利アプローチを
論じていくこととする。
第 1 章 幼児教育とは何か 本章では、本論文で扱う幼児とはどういう者を指すのか、また、幼児教育とは、何をもっ
て幼児教育というのかということを明確にし、現在の幼児教育の現状を紹介する。そして、
幼児教育が、個人の発達においてどのような役割を果たすのか、文献を参考にしながら記
していくこととする。 第 1 節 日本における幼児教育の定義
幼児教育と聞いて、読者はどういうことを思い浮かべるだろう。ある人は、親から子へ
のしつけ等のこと、またある人は、早期教育と呼ばれる、幼児のころから英語や音楽など
を学ばせること等、イメージは様々である。本節では、本論文で扱う幼児教育の定義を明
確にしていきたい。 そもそも、いったい「幼児」とは、何歳の者を示すのであろう。日本における児童福祉
法 5第 4 条及び母子保健法第 6 条では、「満 1 歳から小学校の始期に達するまでの者」と定
義している[角田・綾 2005:132]。一方、道路交通法 6では、「6 歳未満の者」と定義されて
いる[角田・綾 2005:132]。また、日本語の「幼児」を和英辞典で調べてみると、little children、young children、infant、babyなど様々な用語が混在している。国際的な定義に目を向けて
みると、国連では、幼児をEarly Childhoodとし、「0 歳から 8 歳までの者」と幅広く定義し
ている[浜野 2007:1]。以上の定義以外にも、幼児についての定義は多々あるが、本章では
幼児を「0 歳から就学前までの者」と定義し、論じていきたいと思う。 次に、幼児教育の定義を明確にしていくこととする。幼児に対する教育に関連する日本
語としては、幼児教育以外に、「保育」、「就学前教育」、「早期教育」等が挙げられる。 「保育」の場合、幼児に対する「養護」と「教育」の双方が一体となった概念として広
く認識されている。児童福祉施設 低基準の第 35 条においても「保育所における保育は、
養護及び教育を一体的に行うことをその特徴とし、(以下省略)」と定義されている。一方、
「就学前教育」は幼児教育と内容的には同義であるが、後者は教育の対象に、前者は教育
の時期にそれぞれ重点を置いているという点で異なる。途上国をはじめとする諸外国での
5 児童の福祉を担当する公的機関の組織や、各種施設及び事業に関する基本原則を定める
日本の法律である。社会福祉六法の 1 つ。 6 道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図り、及び道路の交通に起因す
る障害の防止に資することを目的とする(1 条)、日本の法律である。
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幼児期の教育実践に関連する際に用いられることが多い。「早期教育」の場合、一般的には
特定の技能習得や目標達成のために、本来の発達段階よりも早くに行われる教育活動のこ
とを指すことが多い[浜野 2011: 38-40]。 このように、幼児教育に類似した用語は混在しているが、日本において幼児教育は、教
育基本法 7の第 11 条で以下のように触れられている。
幼児期の教育は、生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要なものであることに
かんがみ、国及び地方公共団体は、幼児の健やかな成長に資する良好な環境の整
備その他適当な方法によって、その振興に努めなければならない[教育基本法研
究会 2007:179]。
ここから見てとれるように、本条文においては、幼児教育の明確な定義はなされてない
が、おおむね、生後から小学校就学前の時期の幼児を対象として、幼児が生活するすべて
の場において行われる教育を総称したものと理解することができる。具体的には、幼稚園
等における教育、家庭における教育、地域社会における様々な教育活動を含む、拡がりを
もった概念としてとらえられる。したがって、保育所において行われる教育も、本条の「幼
児期の教育」に含まれる[教育基本法研究会 2007: 180]。 上記からも理解できるように、幼児に対する教育といっても、多くの用語が混在してお
り、幼児教育とはいったいどういうことを示すのかわかりにくいであろう。したがって、
次に英語での幼児教育はどのように定義されているのか、見ていきたい。 幼児教育と一言でいっても、英語では Early Childhood Education や、Pre-primary
Education 、 Preschool Education 、 Infant Education 、 Early Childhood Care and Education、Early Childhood Development などがあり、日本語にくらべて多くの用語が混
在している。しかし、上記の全てが同じ幼児教育を指しているわけではない。以下の第 2節において、現在、幼児教育を語るにあたって重要である Early Childhood Care and Education と Early Childhood Development を紹介する。
第 2 節 国際社会における幼児教育の定義 国際社会において、幼児教育の必要性が顕著になってきたのは、1990 年の「万人のため
の教育世界宣言」(ジョムティエン宣言 8)からといわれている。そこでは、乳幼児発達そ
のものの重要性の認識の広まりとともに、就学前教育を拡充することにより学習への準備
期間が形成され、それに続く初等・中等教育のアクセスと質の拡充につながるという考え
方が根付いている。また、2000 年に「万人のための教育」(Education For All)を達成す
7 日本の教育に関する根本的・基礎的な法律である。 8 初等教育の普遍化、教育の場における男女の就学差の是正等を目標として掲げた。
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るために制定された「ダカール行動枠組み 9」は、6 つの目標を掲げているが、その一つに
「就学前教育の拡大・改善」が掲げられている[浜野 2007:1]。 (1) ECCE(乳幼児のケア及び教育)について 国際連合教育科学文化機関(通称:UNESCO)は毎年、ミレニアム開発目標のゴールの
一つである、「万人のための教育(Education For All)」を 2015 年までに達成するための進
歩報告書(EFA Global Monitoring Report)を発行している。そして、2007 年における報
告書において、主題を「ゆるぎない基盤:乳幼児期におけるケアと教育」とし、乳幼児期
におけるケアと教育が重要視されたのである。これこそ、Early Childhood Care and Education(ECCE)である。 ECCE とは、EFA Global Monitoring Report(以下、EFA レポート) 2007 において次のよ
うに定義されている。
ECCE(乳幼児のケアおよび教育)の正式な定義はさまざまである。この
レポートでは包括的なアプローチを採用し、次のように定義する:ECCE は
フォーマル、インフォーマル、ノンフォーマルすべての環境での誕生から初
等教育就学までの子どもの生存、成長、発達、学習――健康、栄養や衛生、
そして認知的、社会的、身体的、感情的発達を含む――を指す[UNESCO 2007: 3]。
上記の定義から、ECCEといっても、ただ乳幼児のケア及び教育という意味で使われると
いうより、子どもの権利条約 10に基づき、子どもの権利を守るという意味で使われている
ことが理解できるであろう。 また、EFA レポート 2007 には、人間の学習は、非常に影響を受けやすく大きな可能性
を秘めている幼児期から始まっており、個人の健康と発達のゆるぎない基盤を作るために
は、十分なケアや教育、そして刺激が不可欠であることが説かれている[UNESCO 2007: 7]。 (2) ECD(乳幼児発達支援)について 現在、幼児教育を表現する際に、世界銀行 11やユニセフ 12等、国際的に広く使用される
のが「ECD」(Early Child Development) の概念である。上記のECCEはどちらかといえ
ば日本語でいう「保育」に近いが、ECDは幼児の発達とその環境全体を包括的に捉える。
9 2000 年4月にセネガルのダカールで開催された「世界教育フォーラム」において、2015年までの初等教育の普遍化、2005 年までの初等・中等教育における男女就学格差是正等の
目標を達成するための今後の方針として採択された。 10 第 3 章 4 節にて、詳しく論じる。 11 各国の中央政府または同政府から債務保証を受けた機関に対し融資を行う国際機関。 12 1946 年 12 月 11 日に設立された国際連合総会の補助機関。開発途上国・戦争や内戦で
被害を受けている国の子供の支援を活動の中心としているほか、「児童の権利に関する条約
(子どもの権利条約)」の普及活動にも努めている。
8
教育のみならず、健康や栄養面でのケア、幼児を取り巻く親を中心とした家族に対するプ
ログラム、コミュニティによる育児支援を含めた概念である。したがって、ECDにおいて
は、幼児だけをプロジェクトの対象とするのではなく、親や家庭、地域社会、住民社会や
大衆組織をも対象としていることが大きな特徴といえる[浜野 2007: 1-2]。 ECD は、様々な正の影響を与えると、研究によって明らかにされてきた。近年、国際的
に ECD が注目されるようになった背景には、以下のような理由が挙げられる。①費用対効
果が高い,②貧困削減と基礎教育の普遍化という開発課題の達成において有効な手立てとな
りうる、③初等中等教育における留年や中途退学を減少させる、④子どもの身体的・知的・
情緒的な発達を促進させる、⑤家庭や地域の連携を強化する、⑥母親の就労を促進する、
⑦女子の就学を促進するなど女子教育へのインパクトが大きい、⑧経済成長を促進する、
等である[浜野 2011: 50-51]。 ECD は、子どもの発達の可能性を拡大させる幼児期からの総合的なプログラムであり、
現在の途上国支援においては ECD が主要なアプローチとなっているのである。 このように、ECCE、そして ECD の重要性は、多くの研究から明らかになっており、そ
の必要性は明白である。しかし、途上国、特に貧困層において、十分に普及されていない。
この現在の ECCE と ECD の現状については、後に第 3 章で詳しく論じる。 上記のように、「幼児教育」といっても、国や地域、組織、法によって定義が異なること
がわかる。したがって、本論文では、上記の様々な定義を踏まえたうえで、以下のように
定義して、進めることとする。 「満 0 歳から就学前の者が、身体的・知的・道徳的に健全に発達するため、そして無限
の可能性を拡大させるために行われる、包括的な教育活動である。」 保育という用語に近い感覚であるが、一般的に保育は教育よりも養護(ケア)に重点を
置いていると認識しているため、教育を重視するためにも、幼児教育の用語を使用する。
第 3 節 幼児教育はなぜ必要か 本節では、幼児教育がなぜ人間の発達における必要条件であるといわれているかを論じ
ていく。そこで、ソニーを創業し、幼児開発協会 13も設立した井深大 14をはじめ、アメリ
カにおける 40 年にわたる研究結果を紹介しながら、論じていくこととする。 (1) 井深大の幼児教育観
「幼児教育の唯一の目的は、『柔軟な頭脳と丈夫な体をもった明るく素直な性格の子ど
もに育てるため』ということにつきます [井深 2003: 24] 」。 この言葉は、今や世界的な
電機メーカーとなったソニーの創業者、井深大の言葉である。 井深によると、0 歳に近い
13 ソニー創業者 井深 大が 1969 年に創立した。現在は「幼児開発センター(略称・EDA)」
として名称は変わり、活動している。 14 日本の電子技術者および実業家。盛田昭夫とともにソニーの創業者の一人。
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幼児の脳はまだ白紙の状態に近く、脳細胞が稼働していない。この脳細胞が稼働し始める
のが、3 歳前後であるという。つまり、個人がどのような能力を持つかどうかは、その白紙
の上に何が書き込まれていくかにかかっているのである。 井深は独特の表現で、幼児期における脳細胞の働きを説明している。脳細胞はお互いに
絡み合って初めてその役割を果たす。そして、脳の顕微鏡写真をみると、生後、知恵がつ
いてくるにしたがって、多くの脳細胞がお互いに絡みあっていることがわかる。それをコ
ンピューターに例えると、トランジスター(半導体素子)が、一つ一つでは役割を果たせ
ないのに、それをつなぐ配線ができて初めてその機能を果たすことである。そして、実に
配線全体の 70~80%が 3 歳までできあがってしまう。そして 4 歳からは、前頭葉という別
の部分の配線がなされる。つまり、3 歳以前がコンピューターでいう機械の本体に相当する
ハードウェア、3 歳以後がソフトウェア、つまり機械の使い方を教える部分ということにな
る[井深 2003: 26-29]。 要するに、外部からの情報を得て、記憶するなどの基本的で非常に重要な情報処理の仕
組みが 3 歳までに創造され、思考、意志、創造、工夫といった 3 歳までに形成された基礎
を高度に使う過程が 3 歳以後ということになる。したがって、精度の悪いハードウェアを
いくら高度に使用しても、よい結果はでないことは誰にでもわかる[井深 2003: 26-29]。 ここで、井深は、ある興味深い 2 つの研究結果を比較している。 シカゴ大学のブルームという学者が、集団主義の社会共同体として有名なイスラエルの
ギブツというところで生まれ育ったユダヤ人の子どもと、イスラエルに移民してきたアフ
リカ人の子どもの知能指数を比較した。結果は、ユダヤ人の子どもの平均知能指数が 115だったのに対して、アフリカ移民の子どものそれは 85 と、2 者の間に非常に明確な差が見
られた。ブルームは、この差をユダヤ人とアフリカ人の人種・血統による違いからだとし、
個人の能力において、環境や教育以前に先天的に優劣があると結論付けた[井深 2003: 55]。 これに対し、フォードという学者は、異なった結論を出した。彼は、アフリカ移民の夫
婦を引き取り、その子を誕生と同時に育児園にいれて、ユダヤ人の子どもと同じ環境で育
てた。そして、4歳のときに、知能指数を測ると、両者は同様に 115 という数字をだした。
フォードは、人間の能力が人種や血統など、先天的に身に付いているのではなく、生後の
教育や環境によって決まることを明らかにした[井深 2003:56-57]。 井深は、幼児教育の重要性を以下のように主張している。
“人を信じられる人間づくり”が平和な社会を作ります。しかし、一度で
きあがってしまった人間を変えることは困難です。新しい社会をゆだねられ
るのは、幼児しかいないのです。そこに、幼児教育の重要性があります。現
在、身についてしまって簡単に消し去れない、大人の中にある偏見や誤解を
伝えてはいけません[井深 2003: 151]。
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井深の認識では、幼児教育とはある部門における天才を作るための「知的教育」ではな
く、幼児期における無限の可能性を引き出すための「心の教育」だった。子どもの興味や
意欲を無視した、詰め込み型の教育ではなく、子どもの求める刺激を察知し与える教育が
必要だと訴えた。 (2) ペリー・プレスクール・プロジェクト 幼児教育が幼児の発育・成長に与える大きな正の影響が、実に 40 年という長期的な追跡
実験によって明確になった研究がある。その研究は「ペリー・プレスクール・プロジェク
ト」と呼ばれる。 この研究は、1962 年に始まった。研究対象は、アフリカ系アメリカ人の 3~4 歳の子ども
123 人でいずれも IQ が 70~85 と、就学してもついていけず、落ちこぼれてしまう危険性が
高い子どもであった。そのうちの 58 人に、「質の高い幼児教育プログラム(high-quality preschool program)」と呼ばれる、以下のような教育プログラムが行われた[Schweinhart 2003:2-4]。 表1 質の高い幼児教育プログラム内容
要素 具体的な内容
先生の教育水準 調査に参加した先生は、初等教育、幼児教育、ま
たは、特殊教育等の教員免許保有者であった。 先生と子どもの比率 調査では、先生 4 名に対して、20~25 名の担
当児童が配分された(すなわち 1:4~1.5)。 教育期間 週 5 日(一日あたり 低 2 時間 30 分)のペー
スで、3 歳~4 歳までの 2 年間を通じて教育が
行われた。 教育手法 調査においては、個人の主体性を尊重した学習活
動(self-initiated learning activities)を中心に、
大・小規模のグループ学習活動を組み合わせた教
育手法(High/Scope educational model)が実践
された。 先生は、児童が様々な社会・学習スキル(主体性・
社会関係・創造性・運動能力・音楽能力・論理的
思考・読み書き能力・数学能力)を習得すること
ができるよう、多様な活動プログラムを提供する
ことを役割とし、そのために、この手法に関して
定期的な研修を受講した。 その他 児童の保護者と保育者との信頼関係を醸成する
ため、概ね週に 1 回のペースで保育者が担当児
11
童の家庭を訪問した(または、保護者会の開催等、
それに代替する保護者とのコミュニケーション
機会を持つようにした)。 ([Schweinhart 2003: 2-3]より筆者作成) そして、上記のようなプログラムの経験の有無が、子どものその後の発育・成長プロセ
スにどのような影響を及ぼしているかを、11 歳、14 歳、15 歳、19 歳、27 歳、および、
40 歳の各時点において追跡調査された。 初期には、プログラム主催者が望んだように、プロジェクトに参加した子どもたちは、
教育対象外の子どもと比べて大きな認知的な成長を遂げたが、その成長はその後の数年間
は減少する傾向にあった。しかしながら、時間が経つにつれ、その他の成果が明白になっ
た[Schweinhart 2003:4-5]。以下に、教育対象外の子どもと、プログラム卒業者とを比較し、
その後の結果(27 歳、40 歳時を抜粋)を見てみる。
0% 20% 40% 60% 80% 100%
5回以上の逮捕歴
就業率
自宅所有率
高卒以上の学歴
([Schweinhart 2003: 10] より筆者作成)
表2 27歳時点での結果
参加者
不参加者
0% 20% 40% 60% 80% 100%
5回以上の逮捕歴
就業率
自宅所有率
高卒以上の学歴
([Schweinhart 2005: 1-3] より筆者作成)
表3 40歳時点での結果
参加者
不参加者
12
上図の通り、プロジェクト参加者が不参加者と比較して、教育水準・経済的水準・道徳
的観点の面から見ても、より高い水準に達していることがわかる。したがって、幼児期に
教育を受ける機会の有無が、その後の人生を大きく左右する可能性があることは明白であ
る。 井深の例も、ペリー・プレスクール・プロジェクトの例も、幼児期における過ごし方が、
その後の人生においてどれほど意義をなすか、十分に証明するものである。本章において、
幼児教育がいかに重要であるか、理解できたのではないだろうか。 では、全ての子どもたちに幼児教育を受ける機会を作ることを目指したロバート・オー
ウェンが、如何にしてその思想を確立し、行動に移していったか、次章で検証する。
第 2 章 ロバート・オーウェンが求めた理想の幼児教育
本章では、現在から約 200 年前に困窮していた子どもにいち早く注目し、幼児期からの
性格形成に取り組んだロバート・オーウェン 15の思想、実践を分析する。一部の富裕層だけ
でなく、社会的弱者を含めた全ての子どもたちにおける幼児教育の必要性を主張していた
オーウェンから幼児教育の核心を学ぶ。
第 1 節 ロバート・オーウェンの思想
本節では、ロバート・オーウェンが実際に起こした教育改革の前に、改革を進めるに至っ
たきっかけである彼の思想を先に論じる。その中でも、オーウェンの考える理想的な幼児
教育とは何かについて述べていきたいと思う。
第 1 項 オーウェンの思想の背景
ロバート・オーウェン(Robert Owen1771-1858)の出身は、北ウェールズのモントゴメリ
シャー、ニュータウンという、当時人口 1,000 人ほどの田舎町であった。すでに 4.5 歳のと
きには小学校へ通い教師の教えること全てを吸収し、7 歳以降の 2 年間は教師助手として活
動していた。さらに彼は、ダンスや音楽、そして読書に没頭し、10 歳の頃にはすでに宗教
15 後に、「オーウェン」「オウエン」「オーエン」と表記するが、それは参考文献の日本語へ
の翻訳の違いであり、同一人物であることをここに明記する。近年、Owen を「オーウェン」
と表記することが主流となっているため、本論文ではその表記を用いる。
13
の誤りについて悟っていたという。その後、服飾店に勤務し、弱冠 20 歳にして、500 人ほ
どの職工が所属するマンチェスターの紡績工場の管理者となった。ここから実業家として
のロバート・オーウェンが誕生する[Hutchins 1912: 2-6]。
しかし、この時期、イギリスは産業革命 16によって技術革新が進む一方で、機械化大工業
による資本主義の確立で貧富の格差が広がり続けていた。以下のような負の影響が生じた。
①女性、子どもは工場労働における単純作業に従事することとなった。②女性、子どもの
労働力の採用により、賃金は著しく低下した。③工場設備が整備され機械化することによっ
て、機械が労働者に取って代わる傾向が生じた。すなわち、一握りの資本家が、多数の子
どもや女性を含めた労働階級の人々を奴隷のように酷使するといったような搾取の構造が
成り立っていた[知野 1971: 66-67]。
そこでオーウェンは 28 歳のとき、産業革命による資本主義体制が生み出した無知や貧困、
悪戯や非行等が蔓延していたニューラナーク州の社会改革に努めることになった。オー
ウェンは、ニューラナーク州の住民への講演 17で以下のように述べている。
一、皆さんの悲惨を生み出した主要な原因は、あなたたちがいつとはなし
に身につけたうそ・窃盗・泥酔・取扱の不公正 (他人の意見に対し寛容な慈愛
心の欠乏)のような習慣的行為、および自分らの宗教的見解は立派なものだと
思いこませるところの誤った諸観念であること。一、これらの宗教的見解は、
あなたたちよりはるかに多い無数のともいえる人類の信仰しているどんな見
解とくらべても、より大なる幸福、要するに世界中 大の幸福を約束してく
れると思っていること。一、こういう悲惨の諸原因は、じつのところ、他の
諸原因の結果にすぎないものであり、それをつぎからつぎえと追求していけ
ば、私たちの祖先をとらえ、また今日にいたるまでわれわれをとらえつづけ
ているところの、無知という究極原因につきあたる[オーエン 1963:14]。
オーウェンは当地方の悲惨な状況を生み出したのは、住民自身の内在的要因ではなく、
彼らを取り巻く外在的要因であり、無知を取り除き、社会を改良するためには教育の力が
不可欠であると説いたのである。 このときすでに、彼の中で「一般に性格は個人のために形成されるのであって、個人に
よって形成されるものではない[オーエン 1963: 32]」という思想が確立していた。そして、
16 技術革新を中心とする産業上の重要な変革であり、本質的にはブルジョア社会のブル
ジョアイデオロギーの確立の時点であって、広義には社会の全構造の基本的な変革の時期
であった[知野 1971:66]。 17 1816年 1月 1日、ニューラナーク紡績工場において新性格形成学院の開所式を挙行した。
このときに、オーウェンはニューラナーク州の住民に向けて「ニューラナーク講話」と呼
ばれる有名な講演を行った[知野 1971:71]。
14
この思想を具現化したものこそが、新性格形成学院 18 (The New Institution for the Formation of Character)である。当学院で、1 歳から 6 歳までの幼児 19を対象とする施設
が幼児学校(Infant School)であり、世界 初の保育施設と呼ばれている。当時、富裕層は家
庭教師を付けて子どもの教育を行っていた。その時代にこのような施設を作ることで、数
多く存在する貧困層の子どもたちにも、幼児教育を受ける機会を作ったのである。第 2 節
において、新性格形成学院について詳細に記したいと思うが、次に当学院を設立するに至っ
たオーウェンの思想、性格形成論を具体的に紹介しよう。 第 2 項 性格形成論 オーウェンの新性格形成学院を設立する直接的な動機は如何なるものであったのか。自
叙伝の中で以下のように語っている。 労働者たちが包まれている悪い状態をしらべあげてみて、彼らの子供たち
を幼いときから育てている家の設備が親にも子にも殊に有害なのだと私には
おもえた。そこで事情の許すかぎり、彼らが悩まされている害悪の もひど
いものから、その親をも子をも救えるような方策へと私の考えがむけられる
ことになった。 貧しい労働階級の住宅は、おおむね幼い子供たちの訓練には全く適しない
ものである。幼い子供たちはこれらの住居の限られた広さや設備のもとでは、
その親たち、すなわち、日々の仕事でいっぱいな親たちにとっては、しょっ
ちゅう邪魔になるものなのだ。それで百のうち九十九まで、親たちは子を、
殊に自分の子を扱う正しい方法をまるで知らない。かかる考慮が、私にまず
幼児がその親たちの手をはなれうるそもそもの始めからの性格形成の真の原
理に基づいた幼児学校 (Infant School)の必要する 初の考えを私の心の中に
創り出したのである[オウエン 1961:156]。
上記からも理解できるように、オーウェンは、 悪の環境の中で育っている子どもたち
をいち早く親元から離し、より善良な習慣と情操を作り上げるための、子どもたちを保護
する施設の必要性を感じていた。つまり、一部の富裕層だけでなく、全ての子どもに幼児
教育を受ける機会を作ることを試みたのである。オーウェンのいう「性格形成」とは、人
間個人に焦点を定め、その性格を改良していくのではなく、人間個人が身を置く環境に重
点を置き、社会の性格を改良していくということに他ならない。 またオーウェンは、子どもについて以下のように述べている。
18 論文によっては「性格形成学院」や「性格形成新学院」と表記している場合もある。し
かし、本論文においては「新性格形成学院」の表記を用いることとする。 19 オーウェンは 1 歳から 6 歳までの子どもを幼児学校に入学させている。したがって、本
章において幼児の定義は、満 1 歳から満 6 歳までの子どもとする。
15
子どもは地球のどこに住んでいようとも過去から現在までそしてずっと将
来も両親と教師のもつ習慣と情操とまったく同一のものを、もちろん子ども
が過去、現在とおかれ、またはおかれるかもしれない環境と各個人の独特な
体質によって多少修正されることはあっても、刻印される[オーエン 1974:35]。
全ての子どもは、外からの働きを受け入れる精密な複合体であり、善や悪についてのか
なりのことを、人生のごく早い時期に学び、獲得する。そして、気質や性向の多くは、子
どもが 2 歳に達するまでに良くも悪くも形成され、生後 12 ヶ月の終わりには、もしくは 6か月でさえも、多くの後に残る印象が与えられてしまう。したがって、子どもたちの幼児
期に、幸福を促進するような教育を与えさせることが も重要である。こうして幼いうち
に形成された性格は、個人と社会にとって有益であり、永続していくのである。これがオー
ウェンの主張である[オーエン 1974:56-58]。 では、如何にして子どもを教育すべきであるのか。その根本にあるものは「いっしょう
けんめいお友達を幸福にしてあげましょう」という原則・教訓である。この簡潔ではっき
りとした教訓を、幼児でも理解できるように繰り返し教えることこそが幼児教育の根本で
あり、基盤であるとオーウェンは説く。
人間は、理性の力、または受容した諸観念を習得し比較する力によるほか
は何が虚偽であるかを発見できない。この能力が幼児期から正しく啓発、ま
たは訓練され、子どもが理性的に教えられ、比較する力を使って、食い違い
を生ずるように思われる印象や観念を決して保持しなくなるとき、はじめて
個人は真の知識を、つまり逆の方法によっても不合理にされることのないす
べての精神に首尾一貫あるいは真理の印象のみを与える諸観念を、習得する
であろう[オーエン 1973:74]。 上記の力を備えていなければ、人間は無知の状態になり、世の中に絶えず悪と悲惨を作
り出す。しかし、人間の自己の幸福の欲求が虚偽ではなく、真実の知識に導かれるにした
がって、人間は自分のできる範囲内で、他のすべての人の幸福を促進しようと努力する。
すなわち、その努力こそが自己の幸福の真の原因であるとオーウェンは述べている。 要するに、まず子どもに教えられなければならないものは、子どもが将来身を置くこと
になる生活における、 も役立つ事実に関する知識である。それゆえ、子どもには個人の
利益と幸福、及び他の個人の利益と幸福との間にあるはっきりとした結びつきを教えなけ
ればならない。以上のことが教育・教授の出発点であり、また到達点である。 ロバート・オーウェンが優れているところは、単に理論や思想、夢を語り、机上の空論
で終わらせてしまうのではなく、実際に行動に移し、現地の人々の信頼を得て成功を収め
16
ている点であると筆者は強く思う。では、如何にしてオーウェンはこの思想を実行したの
か。以下にその概要を記す。
第 2 節 ロバート・オーウェンの実践改革 本節では、ロバート・オーウェンが実際に行なったニューラナーク州における改革を概
説する。とりわけ、オーウェンの社会改革の代表である新性格形成学院を扱う。当学院の
活動は、主に 3 種類に分かれている。第 1 は満 1 歳から 6 歳までの幼児学校 20、第 2 は 6歳から 10 歳までの小学校(Elementary School)、第 3 は夜間の成人学校(Adult School)であ
る。本項においては、幼児学校を中心に論じていく。 第 1 項 新性格形成学院の概要 オーウェンの も大きな功績の 1 つである新性格形成学院は、以下の大きな目的で設立
された。 ①ニューラナーク州全住民の直接的な幸福と利益を 大化すること。②ニューラナーク州
近隣の地方に住む人々の福祉と利益を目指すこと。③大英帝国の領土全体にわたる広範囲
な改良を目指すことである。そして、 終的な目的は世界中のあらゆる国民の漸次的改良
である[オーエン 1963: 9]。つまり、ニューラナーク州におけるこの学院は、いずれ世界の
悲惨を取り除き、理想社会の建設に繋がることになると、彼は心の底から信じていたので
ある。 新性格形成学院は、ニューラナーク州の紡績工場の中央に建設された。校舎は 2 階建て 5部屋で、約 600 人の子どもたちを収容することができた。2 階には風当たり、陽当たりが申
し分ない大きなホールが 2 つ用意した。1 つは、講義と礼拝を行うために、そしてもう 1つは、講義・ダンス・音楽をする部屋であった[佐藤 1999:141]。この詳細は後に論究する。
実際に、新性格形成学院の建設費用は当時 5,000 ポンド、1 年の経営費は 700 ポンドとい
う大金であった。しかし、オーウェンは自社工場の利益で賄い、大変な努力を伴ったが実
行に移した。それも全て、幼いころの悪い習慣を造りだし、引き伸ばし、増大させてしま
う環境を取り去り、社会が無知のゆえになされるままに許していたことを中止するためで
ある。 オーウェンは、ニューラナーク州の住民に対しての講演で、以下のように述べている。
これはひどいと目につくあなたたちの外面的習慣のいくつかを矯正するた
めにいつまでも一時的便法をとる代りに当村全住民の外面的性格とともに内
面的性格をも、完全且つ徹底的に改良するということであります。当学院は
20 オーウェンは幼児学校を、1~3 歳までの幼児を対象とした「第一準備学校」と 3~6 歳ま
での「第二準備学校」とに分けた。それぞれ 30 人~50 人の規模だったと言われている。し
かし、前者の学校は実際に資料が見当たっておらず、実現しなかったと理解されている[佐藤 1999:141-142]。
17
こういう目標のもとにあなたたちの子どもさんを大体歩けるようになると、
つまりごく幼い年頃から収容する施設として案出されたものであります。こ
れによって、多くの皆さん、またお宅のお母さんたちは、自分の子どもたち
のよりよき保護者と扶養者を得られることになるでしょう。あなたたちは、
子どもたちに対する世話と気遣いを減らすことができるようになります。他
方、子どもたちはさまざまな悪習慣を獲得しないようにまもられ、しだいに
良の習慣を身につける下地がつくられるでしょう[オーエン 1969:16]。 子どもは、教育を受けていない両親の誤った取扱いから保護され、未来の学校友達や仲
間と一緒に 良の習慣を習得する。一方で、両親は子どもが学校に入るまで付き添わなけ
ればならないことから生ずる時間の損失と養育の苦労から解放される。そして食事時間と
夜には両親の元へ戻るので、親子相互の愛着はこの分離によって高められる[オーエン 1973:58]。以上のことから、新性格形成学院はまず子どもを保護することから始まる。そし
て、新性格形成学院は、ニューラナーク州の工場施設の中央に建設され、その前に囲いの
ある空き地が設けられた。この空地は、一人歩きできるころから就学前までの、子どもた
ちのための運動場(Play-Ground)としてオーウェンは使った。全ての子どもは、この運動場
に入るときに上記の教訓である「いっしょうけんめいお友達を幸福にしてあげましょう 21」
という言葉を聞かされる。この簡単な教訓が完全に理解され、幼いころから実際にそうす
る習慣がついたとき、それに逆作用する原理が強制されないかぎり、世の中の悲惨、無知、
誤謬は実際に無くなっていくとオーウェンは主張する。実際に、オーウェンの幼児学校は、
約 200 人の幼児を対象にした保育施設であった。 第 2 項 理想的な教師による幼児教育 ロバート・オーウェンの理想的な幼児教育とは如何なるものであったのか。どのように
して、オーウェンは自らの思想を体現化したのか。本項において上記のことを論究してい
く。 オーウェンの幼児教育の思想は、その当時では型破りで、まったく理解されない状況で
あった。そこで、書物による教育を享受し、大変教養のある教師を 初の幼児学校の教師
として採用した。しかし、この採用は結果として失敗に終わった[知野 1971:74-75]。いっ
たいそれは何故か。 子どもの個性や人間性、性質や能力を自由に伸ばすことがオーウェンの望んだことで
あった。つまり、幼児の日常の生活における要求や直観、活動そのものを教育の方法とし
て利用する思想であった。そのような生活に基づく直観性等の原理は、書物によって教養
を深めた人間には理解し難いものであったのである[知野 1973:75]。 すなわち、オーウェンが求めた幼児教育の教師は以下のようなものであった。①大の子
21 実際に 5~6 歳の幼児は、自分より年下の子どもの面倒を見るようになり、幼児たち同士
で支え合ったと言われている。
18
ども好きであること、②どこまでも子どもの面倒を見ることができること、③徹頭徹尾従
順で、オーウェンの命令に喜んで従いきれる人[知野 1973:75]。 この要件に当てはまった人物が、ジェームス・ブカナン(James Buchanan)という貧乏な
職工であった。ブカナンは、貧しい一手職工であったが、根っからの子ども好きで、子ど
もの面倒に没頭できる男であった。また、ブカナンを補助する役割として、当時オーウェ
ンの経営する紡績工場で働いていたモリー・ヤング(Molly Young)という 17 歳の娘を抜擢し
た。そして、2 人に以下のように教育した[知野 1971:75]。
どんな訳があろうと子どもを決して打つな、どんな言葉、どんなしぐさでで
もおどすな、罵言を使うな、いつも愉快な顔で、親切に、言葉も優しく小児
と話せ、また幼児小児にいえ、全力をあげてしょっちゅう遊び仲間を幸福に
するようにしなくてはならぬ。身のまわりにころがっている物の使い方や本
性性質を教えるものだ、小児の好奇心が刺激され、それらについて質問する
ようになったときに、うちとけた言葉で話しなさい[オーウェン 1961:250]。
うちとけた話し合い(Familiar Conversation22)とは、幼児自身の事物についての感想や感
情を自由に表現できる場であり、言語活動の学習を目指すものである。このいたってシン
プルな教育方法をオーウェンは 2 人に求めた。彼の中での理想的な教授方法だったのであ
る。 第 3 項 幼児教育のカリキュラム ロバート・オーウェンの幼児教育のカリキュラムは、教師から幼児への詰め込み型の教
育ではなく、幼児の個性、可能性を拡げるものであった。 それは主に屋外教育と屋内教
育に分かれる。 (1) 屋外教育(Outdoors Education)
上記の第 1 項でも触れたが、オーウェンは自ら設立した新性格形成学院の前に柵のある
空き地を作った。それを子どもたちの運動場として使用したのである。オーウェンは、で
きるだけ子どもたちを屋外で過ごさせることを好んだ。なぜかというと、オーウェンの考
える幸福が「健全な身体と精神」の上に築かれるものだからである。子どもたちの身体を
頑丈にするには、できるだけ野外にいさせたほうが良いというのがオーウェンの考えであ
る。 ニューラナーク州にあるグライド渓谷に子どもたちを連れて行くことや、運動場におい
て子どもたちを遊ばせること。それは、子どもたち同士がお互いに協力する教育、共に自
然を五感で感じ、共に遊戯する楽しさや幸福を覚える時間であったのである。今日、運動
22 オーウェンは、書物を使って幼児を教育するのではなく、教師と幼児のコミュニケーショ
ンによる教育が重要と考えた。したがって、教室の中に、絵画(主に動物)や、地図を置き、
幼児の好奇心を掻き立て、コミュニケーションを円滑にした[Gordon 1999:5-6]。
19
場や校庭で子どもたちが遊ぶことは当たり前となっているが、従来の既成宗派の厳格主義
に基づいて硬い教育が行われていた当時においては、全く新しい考え方であった。オーウェ
ンは、人間の幸福において、娯楽とレクリエーションは普遍であると述べている。したがっ
て、彼は幼児期から、安息日の重要性を教えようと試みたのである。これも全て、人々の
間で蔓延した「無知」を取り除くためであった[オーエン 1974:57-64]。 またオーウェンは、4 歳以上の男女に軍事教練(Military Discipline)をプログラムに取り
入れた。しかし、オーウェンは決して軍国主義ではない。軍事教練について、オーウェン
は以下のように語っている。
幼少年たちは、軍隊の大抵の士官がいったように、本物のある連隊に匹敵
する精密さをもった操練をしおおせた。行進の先頭には 6 人-時には 8 人-
の若い軍笛手がたっていろいろな行進曲を奏した。女児も男児と同様、こう
した教練をうけた。数も大抵ほとんど匹敵していた。しかもここで述べてお
くことは、毎日一緒に養育されるので、彼らはおもいやりでも扱い方でもま
るで同じ一家の兄弟姉妹に見えた[オウエン 1961:256]。 軍事教練によって目指したものは、3 つある。まず第 1 に、幼少年の健康と元気を養い、
彼らに端正な姿勢と、注意力、敏速、秩序の習慣を与えるため。第 2 に、従来の不合理な
教育を受け、いたずらに敵対感情を抱き、戦いを交えることを義務だと考えている人たち
の行動を抑圧し、平和を維持するためにこの軍事教練を幼少年の時より学ばせるため。そ
して第 3 は、この軍事教練によって、防衛目的にかなった、比類のない優秀な常備兵力を
造り出すためである[芝野 1961:308]。新性格形成学院が設立された 1816 年は、ナポレオ
ンとの対仏戦争 23が終結した翌年であり、同じくして経済恐慌が起こった年でもあった。
この時代背景が、オーウェンの思想に影響を与えたのであろう。 2)屋内教育(Indoors Education) 屋内では、1 階の教室において、地理・自然史等の生活環境に対する基礎学習や、ダンス・
音楽等の表現活動が行われた[佐藤 1999:142]。 オーウェンは幼児学校において、4 歳以上の幼児に地理を教え、地図を学習させている。
教室内において、世界地図を壁に掛け学習したといわれている。では何故オーウェンは幼
児に地理を学ばせたのか。理由は以下の 2 つである。第 1 に「人間が生存していく基盤と
しての環境、したがって、地理を理解することは、人間が自己の存在を認識する 初の出
発点であり、われわれの思想や感情、行動や生産、交通と貿易、富と貧困などはすべて環
境と人間との相互作用によるから、オウエンにとっては、地理の学習は も重要なものの
一つ」であったこと。そして、第 2 に、「オウエンの時代の通商、貿易によるイギリスの海
23 ナポレオン率いるフランス軍とその同盟国と、イギリス、オーストリア、ロシア等から
構成された対仏大同盟との戦争。結果的に、後者が勝利した。
20
外発展」がある。したがって「産業革命による、生産品の輸出と原料の輸入、その輸出品
の品質などを知悉していることが必用」であったことである[芝野 1961: 306]。人間環境論
を主張したオーウェンにとって、地理を学ぶことは、当然の帰結であったのかもしれない。 また、オーウェンはダンスと音楽の教育的価値を非常に高く評価している。その詳細に
ついて、彼は以下のように述べている。
これらの子どもたちは一度に 70 組も舞踊室にたち、たくさんの外来者によ
くかこまれて、ちっとも堅くならずに、天真の美しさをもって欧州のあらゆ
る舞踊をやりとげた。先生からほとんど指揮をうけないで、外来者はその室
内にダンスの先生がいるのを気づかぬほどであった。彼らの音楽の時間には、
150 人が同時に歌えることになっていた、―声の調子がよくあうように仕こま
れて。彼らがスコットランドの古い民謡を歌うのをきくのはたのしかった。
性質が天真に合理的に磨かれたこれらの子どもたちによって、かざらない単
純さとまごころとからうたわれるこれらの歌は、大抵の外来者の心をひきつ
けたものだ[オウエン 1961:256]。
つまりオーウェンは、音楽とダンス、そして軍事教練の過程を通じて、音楽による魂の
浄化と身体的表現による感情の満足、楽しい服従と規律、身体的健康の増進、諸能力の調
和的発展を目指したのであった[知野 1971:80]。 オーウェンは、適切な性格形成に必要な幼児教育プログラムに以下の 10 項目を挙げてい
る。 ①誕生時から、思慮深く、親切に世話をしていくこと。②澄んだ空気。③適量、時にか
なった健康的な食物。④戸外での定期的な運動。⑤あらゆる身体的・精神的な能力・諸力・
素質を然るべく涵養すること。⑥適切な時期に生来のすべての性向を適度に働かせること。
⑦心身を健やかにする作業を交互に行い、個々人の力と能力の均整を保つこと。⑧悟性や
判断または他の精神諸能力を混乱させる秘術によらない、事実と外的自然に従った、我々
自身と社会と自然に対する幅広い、本当の知識、人間本性についての正確な知識に由来す
る完全かつ偽りのない純粋な博愛精神、これはすべてのものへの思いやりを喚起し、悪徳
や犯罪へのあらゆる動機を破壊する。⑨精神と感情の平温・冷静さ・満足感を生み出すこ
と、唯一そこから身体的・精神的平安が訪れる。⑩すべての隣人・友人そして人類を尊重
し、愛すること[Owen 1842:12-13]。 以上のことがオーウェンの幼児教育プログラムの特徴である。 第 4 項 オーウェンのその後 ニューラナーク州の新性格形成学院の中でも、幼児学校はとりわけ労働者の子弟の教育
に顕著な功績を挙げ、社会問題の解決に貢献し、イギリスにおいて模範的な存在であった
と言われている。その後、新性格形成学院の幼児学校の教師でもあったジェームス・ブカ
21
ナンを校長に迎え、ロンドンのウェストミンスターに第 2 の幼児学校 24を設立した。この
設立にあたって、ジェームス・ミル 25等が協力した。そして続けて、サミュエル・ウィル
ダースピン 26という教育者を校長に迎え、スパイタルフィールズに第 3 の幼児学校を設立
した。この幼児学校は、イギリスでも有数の資本家であるジョセフ・フォスターやウィリ
アム・アレン等のクウェーカー27教徒の協力を得た。オーウェンは、ウィルダースピンに自
らの思想、実践を徹底的に指導した。オーウェンのその後の未来も明るいもののように見
えた[知野 1971:81]。 しかし、新性格形成学院設立から 8 年後、かねてより新協同社会を建設するために宗教
を批判していたオーウェンは、クウェーカー教徒の出資者から批難を浴びた。その中でも、
ウィリアム・アレンは新性格形成学院の非宗教性・自由主義的教育の一掃を試みて、オー
ウェンがアイルランドを訪問している際に、既存の教師と総入れ替えしてしまった。この
影響で、聖書の時間が新設される代わりに、ダンスや音楽等は廃止となった。こうして、
オーウェンの主眼となる「合理的な社会制度を作るための合理的な性格形成」は忘れ去ら
れ、単なる貧民大衆教育機関となってしまったのである[佐藤 1999:143]。 そこで、新たな可能性を求めたオーウェンはアメリカへと改革の地を移した。1825 年、
彼はミシガン湖の南約 400km、インディアナ州ハーモニー(Harmony)に土地を購入し、理
想社会の建設に再び着手した。この新共同体はニュー・ハーモニー(New Harmony)と命名
され、学校の監督者にはペスタロッチ主義教育 28導入に尽力していたウィリアム・マクリュ
ア(William Maclure 1763-1840)が任命された。しかし、共同体の運営が 4 年で破綻したこ
とにより、アメリカ初の幼児学校も、何の功績も残さずに、頓挫してしまったのである[佐藤 1999:43]。 200 年前のオーウェンの理想社会の建設の夢は、結果的にその道半ばで途絶えることに
なってしまった。しかし、彼のような一人の資本家が、労働者階級の幸福のためにその人
生を捧げたということは、大きな意義があると思う。彼が実行した、施設を作って、教師
が多数の子どもの面倒を見るという方法は、 貧困層の子どもを含めた全ての子どもたち
に幼児教育を普及することを目指したものであった。つまり、今日の保育及び幼児教育の
根本はオーウェンが築いたのである。お互いに思いやりをもち、善を施しあうこと。単純
に言えば、ロバート・オーウェンが目指した社会は「みんな仲良く支え合う社会」であっ
たのではないか。 24 貧児を対象とした「無償幼児保護所」であった[久保 1970:61]。 25 イギリス・スコットランドの哲学者、及び経済学者。「 大多数の 大幸福」を唱えた功
利主義者、ベンサムの友人で、自身も功利主義者である。 26その後、ウィルダースピン・システムという独自の幼児教育法で、貧児の教育に尽力する。 27 キリスト友会(Religious Society of Friends)の一般的な呼称。17 世紀にイングランドで
作られた宗教団体。クエーカーは平和教会のひとつとされ、世界各地に集会がある。 28 オーウェンと同時代に生きたスイスの教育者ヨハン・ハインリッヒ・ペスタロッチが提
唱した教育法。その教育法はオーウェンと似通っており、子どもの「直観力」を重要視す
るものであった。
22
困窮している子どもたちを含めた全ての幼児の性格形成を試みたロバート・オーウェン
の時代から約 200 年。今日の世界において、社会的弱者における幼児教育はどれほど普及
しているのか。そしてどのように行われているのか、次の第 3 章で検証する。
第 3 章 グローバル化する世界の社会的弱者における幼児教育の普及に向けて 第 2 章において、幼児教育の原点を確認することができた。本章では、オーウェンが目
指した全ての幼児に対する普遍的な幼児教育が、現在どれほどの規模・質で行われている
か UNESCO を基準に論じていく。とりわけ、幼児教育を全体的に紹介した上で、未だに幼
児教育を受けることが困難である子どもたちが多く存在する開発途上国の現状と課題を中
心に論じていくこととする。そして 後に、日本においては典型的に少数派であり、現実
に言語等の問題から幼児教育を受けることが困難である移民の子どもたちの実地調査の結
果を紹介する。そして、 後に現在主流の考え方である権利アプローチの観点から、不利
な立場にいる子どもたちへの幼児教育の普及に向けて論じる。 第1節 世界に見る幼児教育
UNESCOは、「乳幼児、特に も不利な立場におかれた子どもたちへの、包括的なケアお
よび教育を拡大・改善する [UNESCO 2007:7] 」と目標を定めている。これは、幼児のケ
アと、教育の双方を含んだ総合的なアプローチであること、そして普及だけでなく質の改
善にも努めているということに意味がある。しかし、依然として幼児教育のデータの収集
は十分行われているとは言えず、そのデータは就学前総就学率や就学前粗就学率 29、就学
前純就学率 30に限定されている[浜野 2007:126-127]。 教育の国際標準分類(ISCED)は就学前教育を、「公的施設かノンフォーマルな環境かを
問わず、幼児ケアの提供も含め、体系的で、目的のはっきりした一連の教育活動を提供す
るすべてのプログラム [UNESCO 2007:27] 」と定義している。したがって、本章におい
て、就学前教育を第 1 章で定義付けをした「幼児教育」と、幼児ケアの提供の両方を含め
ている点で、より包括的な教育活動であると捉え、その意味で使用することとする。しか
し、データの制約上、第 3 章における「幼児教育」は、幼稚園、保育園等の幼児施設にお
けるプログラムに限定する。 幼児教育の対象としては 0~6 歳が一般的だが、全体の 70%の国々が公的な幼児教育の開
始年齢を 3 歳以上としている。世界全体で、幼児教育に就学する子どもの数は、1970 年台
半ばにおいて約 4400 万人であった。これに対し 2004 年には約 1 億 2400 万とその数は大
きく増加し、過去 30 年間で約 3 倍の数になった。1975 年から 2004 年にかけて、世界の幼
29 指定学校への全就学者との比率は粗就学率または総就学率と呼ばれる。年齢に関わらず、
各国の年齢層(一般的には 3~5 歳)の公的な就学全体を人口比率で表したもの[UNESCO 2007:27]。 30 一定の教育レベルにおいて、教育を受けるべき年齢の人口総数に対し、実際に教育を受
けている(その年齢グループに属する)人の割合。
23
児教育の粗就学率は約17%から37%と2倍以上増加している[UNESCO 2007:27]。以下に、
地域別に見た幼児教育粗就学率の推移の表を紹介する。
上表からも理解できるように、先進国及び移行国に比べ、開発途上国の幼児教育の就学
率は未だに低い。しかし、開発途上国全体を見ると、1975 年においては平均で 10 人に 1人の就学者数であったのに対し、2004 年には平均で 3 人に 1 人と、確実に幼児教育の重要
性が広範囲に理解されてきたと言える。 も大きな増加傾向にある「ラテンアメリカ・カ
リブ」地域では、現在 4 分の 3 の国で粗就学率が 75%を超えているのに対し、サハラ以南
アフリカでは半数以下の国での粗就学率は 10%以下である。南西アジアの地域でおいては、
ほとんどの国で、半数の幼児が幼児教育を受けている。1999 年以降の就学率伸びは、サハ
ラ以南アフリカで 43.5%、カリブ諸国で 43.4%、南西アジアで 40.5%であり、その伸長は
明確である。サハラ以南アフリカで、就学者数が急速に増加しているにも関わらず、平均
粗就学率が増加していないのは、人口の急速な増加にある[UNESCO 2007: 27-28]。 同じ地域内の国家間における格差も著しい。サハラ以南アフリカの地域平均は 10%だが、
モーリシャス 31やセイシェル諸島 32の粗就学率は 100%に近い。東アジアにおいても、カン
31 アフリカの国家で、イギリス連邦加盟国。インド商人の貿易中継地であったため、イン
ド系住民が過半数を占める。国民皆教育を達成し、学童には交通手段を提供し、さらにす
べての国民に心臓手術を含む医療を無料で提供している。 32 アフリカ大陸から 1,300km ほど離れたインド洋に浮かぶ 115 の島々からなる国家で、イ
ギリス連邦加盟国である。モーリシャスと同じく、高所得国家である。
24
ボジアの粗就学率は 10%以下であるが、韓国、タイ、マレーシアにおいては完全就学に近
い。北米や西欧では、ほぼすべての国が 60%以上、半数の国が 100%である[UNESCO 2007:28]。 幼児教育において、男女格差は 10%以下と、ジェンダーの平等に向かっている。それに対
して、都市部と農村部の格差は非常に大きい。多くの国で就学前教育を受けられる農村部
の子どもの割合は、10%~30%である。貧しい家庭に比べて、豊かな家庭の方が、より幼児
教育にアクセスできる環境が整っているのである[UNESCO 2007:28-29]。国内における地
域格差は、後の第 2 節で詳しく論じる。 総じて見れば、幼児教育は、粗就学率から見ても増加し進展している。しかし、その進
展は一様ではなく、EFA ゴールにも掲げられている、本当に必要としている「 も不利な
立場におかれた子どもたち」に届いていない場合が多いことがわかる[浜野 2012: 127]。オーウェンの時代から 200 年を経た今日においても、その状況はあまり変化していないの
が現状である。
第 2 節 地域別に見る幼児教育 本節では、第 1 節で紹介した地域別就学前粗就学率をさらに深く、地域別に論じていき
たい。その中でも、幼児教育を受けることが困難な子どもたちが未だに多く存在する「サ
ハラ以南アフリカ」と「アジア」に絞って概括する。また、ここでは幼児教育の「量」だ
けでなく、「質」の部分も述べていきたいと思う。 第 1 項 サハラ以南アフリカにおける幼児教育 第 1 節で述べたように、サハラ以南アフリカは、幼児教育は も普及していない地域で
ある。国連ミレニアム開発目標 33(MDGs)のうち、子どもの生命や健康に関する目標と
して、乳児死亡率、5 歳未満死亡率、はしかの予防接種を受けた 1 歳児の割合などがあるが、
いずれをとってもサハラ以南アフリカは世界で も状況が悪い[UNICEF 2008:5]。ただ一
口にサハラ以南アフリカといっても、国によってその状況は大きく異なる。例えば、乳児
死亡率に関して、チャド(1000 人当たり 130 人)、アンゴラ(1000 人当たり 117 人)といっ
たように、1000 人あたり 100 人を超える国もある一方で、モーリシャス(1000 人当たり
15 人)や、ナミビア(同 35 人)など、「1000 人当たり 49 人」という途上国全体の平均を
下回っている国もある。5 歳未満児死亡率に関しても、チャドとアンゴラは高い傾向にある。
以上から、政府が安定しておらず、脆弱国家において上記の数値が高くなっている傾向に
ある[浜野 2012:141-142]。 では次に、国内の格差は、幼児教育にどのような影響を与えているのか、カメルーンの
事例を見てみよう。
33 国連ミレニアム宣言と 1990 年代に開催された主要な国際会議やサミットでの開発目標
をまとめたもの。2015 年までに、貧困の撲滅、教育の普遍化等の 8 つのゴール、21 のター
ゲット 60 の指標を掲げている[国連開発計画 2011:2-6]。
25
表 5 カメルーンにおける地域間の格差(抜粋)
(州) 粗就学率(%) 極北 2.82 北部 3.74 中部 43.26 沿岸 38.26
全体 20.71 ([浜野 2012:147]を参考に筆者作成)
表 5 からも見てとれるように、就学前粗就学率は国全体で 20.71%であるが、地域によっ
て大きく数字が異なることがわかる。その理由として、第一に経済的要因が挙げられる。
カメルーンにおいて、未だに幼児教育は「贅沢品」と思われており、経済力が弱い家庭に
おいては不必要だと考えられている。幼児教育は高額であるため、大都市のある中部、沿
岸だけで就学時の 80%を占めているのが現状である。第二に、各地域の教育への関心の違
いである。中部、沿岸等の、教育に熱心な地域は幼児教育普及への意欲も強い[浜野 2012:146-148]。 幼児教育の教室内での実践に関する研究も、まだ十分とは言えないが、少しずつ進めら
れている。その 1 つがタンザニアにおける研究である。タンザニアにおける幼児教育政策、
国家基準は、都市部・農村部に関わらず同一の基準を採用しているが、実際には大きな違
いが出ている。都市部に比べ農村部は、教室のスペースも狭く、学級規模は大きく、教師
一人当たりの児童数も多く、教材も乏しい。また、無資格の教員が多く、教員の質が低い
ことが も大きな問題である。例えば、無資格教員は、クラス全体に対して質問を投げか
けることが多かったのに対し、資格教員は子ども一人一人に投げかける質問が多かった。
そのような教員の手法も、子どもに対する幼児教育の効果に影響してくる。幼児教育の専
門的な訓練の有無によって、幼児教育の実践においても大きく影響する[浜野 2012:148]。 ここまで、サハラ以南アフリカにおいて幼児教育が普及していない現状を述べたが、ほ
とんどの国で何らかの保育政策を有している、又は策定中であるということも事実である。
これは、 貧困国が集中するサハラ以南アフリカにおいても、幼児教育に対する関心が少
なからずあるということを示している。しかし関心はあるのに対し、依然としてほとんど
の国で幼児教育は、ファスト・トラック・イニシアティブ(FTI)34・貧困削減戦略 35の一
34 2002 年に始動した、基礎教育の普遍化実現に向けた、対象となる低所得国と支援する側
の双務的な開発協約であり、グローバル規模の国際協力である[吉田 2008:5]。 35政府の下、幅広い関係者(NGO、市民社会等)が参画して作成する、貧困削減に焦点を
当てたその国の重点開発課題とその対策を述べた、3 年間の経済・社会開発計画である[牧野 2001: 21]。
26
部に位置づけられていない。貧困削減と密接に関係している幼児教育は、サブサハラ以南
アフリカにおいて影が薄いのである。国際援助の領域では、貧困削減戦略に多額の予算が
付く傾向にあるため、幼児教育分野が財政面でのサポートをもらうためには、今後、貧困
削減戦略への位置付けが必要不可欠である[浜野 2012: 157-158]。 第 2 項 アジアにおける幼児教育
本項において、まずアジア全体における幼児教育の普及状況を表し、幼児教育の目的・
課題を論じていく。以下の表は、アジアにおける幼児教育の普及状況である。 表 6 アジアにおける幼児教育(就学前教育)の普及状況(抜粋)
国 就学前教育対象年齢 就学前教育粗就学率
(%)(2007) 就学前教育純就学率
(%)(2007) カンボジア 3-5 11 11
中国 4-6 42 ― インドネシア 5-6 44 31 マレーシア 4-5 57 57 フィリピン 5-5 46 37
タイ 3-5 95 86 インド 3-5 40 ―
バングラデシュ 3-5 17 ― ([浜野 2012:160]を参考に筆者作成)
表 6 はアジア諸国における就学前教育の普及状況を簡単に示したものである。対象年齢
は 3 歳~5 歳の 3 年間とする国が多いが、1 年間もしくは 2 年間のみを対象としている国も
存在する。カンボジアやバングラデシュの就学前粗就学率は現在 10%台と低い一方で、タ
イは群を抜いて高い。それ以外の国は、概ね 40%~60%程度である。純就学率は粗就学率
より同値、あるいは低くなっている[浜野 2012:160-161]。 では、アジア諸国において、どのように幼児教育が展開されているのであろうか。以下
にアジアにおける幼児教育の内容、制度・行政の 2 点から概括する。 まず教育内容であるが、アジアにおいて言語教育、特に英語教育の導入に力が注がれて
いることが挙げられる。シンガポールやフィリピンは英語と自国語の二言語教育を長らく
行っているが、マレーシアでも保育者(教育者)の資格取得課程において幼児教育専門の
英語教授法の科目があり、タイでも一部の養成機関で導入されている。また、韓国、中国、
台湾等でも英語教育を積極的に導入している。また、ピアノ、バレー、絵画、算数など、
英語以外の教育も採り入れている国が多い。シンガポールでは、ヤマハ音楽教室や公文式
教室の前に多くの親子が列を成しているという現状がある。 日本では幼児がコンピュー
ターに向かい、マウスを操る姿をあまり目にしないが、タイ、マレーシア、韓国、中国等
27
では、コンピューター教育を実践している例も多い。また、マレーシアやシンガポールは、
多民族・多言語の環境なので、元来から民族間交流や異文化理解のための幼児教育が行わ
れている[池田 2006:249-250]。 次に制度・行政面を述べていく。シンガポール、台湾、日本、韓国は幼保行政が二元化 36
しているのに対し、タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピンでは、都市と地方で管
轄が異なるということや、宗教団体などのノンフォーマルな組織が幼児施設を運営すると
いったように、多元的に構成されている。また、中国やベトナムなどの社会主義体制国家
においては、3 歳まで保育施設で、3 歳以降は幼稚園で受け持つといったように年齢別に施
設に入り、幼保は一元化されている[池田 2006: 251]。 上記の教育内容、制度・行政を含めたアジアにおける幼児教育は、次の 4 つの主要目標
のために存在する。 まず 1 つ目は「全人的発達」である。これは認識的発達と同様、子どもの社会的・情緒
的・身体的発達に焦点が置かれる。特にオーストラリア・ニュージーランドの幼児教育プ
ログラムに特色付けられている。2 つ目は「知識技術の伝達」である。学校教育のその後に
おいて、子どもが成功するよう準備する。特に香港、シンガポールにおいて幼児教育は、
優秀な名声の高い大学に入学するための主要手段として考えられている。3 つ目は、「貧困
と人権はく奪の改善」である。インドネシアやフィリピン等における幼児教育プログラム
は、子どもが後々学校教育及び社会の生産的メンバーとして機能を果たすことのできる優
れた基礎づけを提供する一つの方法と捉えられている。そして 4 つ目が「社会的価値の伝
達と注入」である。これは国によって異なり、多様な形式を採り入れている。例えば、中
国の幼児教育は、政治的道徳価値を教える一つの方法と認識されており、一人っ子政策に
よる子どもの「小皇帝化 37」を止めるための方法とも捉えられている。インドネシアやフィ
リピンでは、宗教的・愛国的価値を教え、立派な社会性のある市民になるための幼児教育
と位置付けられている[鶴田 2007: 240-242]。 アジアにおける幼児教育の課題として、やはりサハラ以南アフリカ同様、国内における
格差が も深刻な問題である。以下の表は、富裕層と貧困層の幼児教育の就学率を表した
ものである。 表 7 所得階層格差によるアジアの幼児教育(3~4 歳)の就学率(1999-2007)(抜粋)
国 所得上位層(20%) 所得下位層(20%) タイ 79% 55%
ベトナム 85% 38%
36 幼稚園と保育所は異なる歴史的経緯により設立された為、運営基準(保育は児童福祉法、
幼稚園は学校教育法)・職員の資格(幼稚園は幼稚園教諭、保育所は保育士)・所管庁(幼
稚園は文部科学省、保育所は厚生労働省)が異なっている[山田 2006: 307]。 37 ここでは、親が子どもを甘やかして、子どもが自己中心的に考え行動する様子を表す。
28
インド 45% 32% フィリピン 30% 5% ミャンマー 18% 3%
([浜野 2012:30][UNESCO 2007:143]を参考に筆者作成)
上表は、所得階層格差によるデータを簡単に表にしたものであるが、やはり都市部、農
村部の地域間格差も顕著であることは、容易に想像できるであろう。また、上表では 5 つ
の国を抜粋してまとめたが、この格差は程度の差こそあれ、ほぼ全てのアジアの国々に共
通していることである[浜野 2012:176]。 ここまで、「幼児教育の普及に向けて」という面から、 も普及していないサハラ以南ア
フリカ、そして成長著しいアジアに絞って、国を抜粋しながら概括してきた。途上国の開
発や子どもの人権という分野においては、いかに社会的弱者の層に対して幼児教育を普及
させるかが課題となる。その一方で、幼児教育が普及し始めた国・地域、所得上位層にお
いては、親から我が子への「少しでも人生に有利なスタートをしてほしい」といった「早
期教育」志向が浸透していることも現実である[浜野 2012:176-177]。 幼児教育の現状を見れば理解できるように、幼児教育は確実にその重要性が全世界に理
解されてきており、急激に幼児教育就学者も増加している。今後は、さらなる勢いで幼児
教育は注目され、より多くの研究がなされ、より充実した幼児教育プログラムが実行され
ていくであろう。しかし、上記からも理解できるように、幼児教育を受けられる子どもた
ちは一般的に富裕層が多く、幼児教育を受けられない貧困層の子どもたちとの格差は拡が
る一方である。したがって、EFA や MDGs の理念にもあるように、 も不利な立場にいる
子どもたちにいかに幼児教育を普及させていくかが、今後の幼児教育において も大きな
課題である。 第 3 節 いちょう団地における実地調査
では、社会的弱者において幼児教育を普及するためにはどのようにすればよいのか。そ
の答えを探りに、日本においてマイノリティであり、グローバル化する世界の典型的な社
会的弱者である移民・難民の子どもたちが数多く居住している神奈川県横浜市にあるい
ちょう団地を筆者は訪問した。そこで活動している多文化まちづくり工房の協力を頂き、
実地調査をさせていただいた。以下に、その結果を概説したい。 第 1 項 いちょう団地について いちょう団地は、横浜市泉区から大和市にまたがる縦 1.2km 横 350m の大規模な県営団
地である。横浜側に 48 棟 2,238 戸、大和側 31 棟 1394 戸入居可能である。そして、この団
地の入居世帯約 3,500 世帯のうち 2 割程度が外国籍世帯であり、多文化集住地域である。
その理由として、大和市に 1998 年までインドシナ難民の定住促進センターがあったことが
挙げられる。そのため、ベトナムやカンボジア、ラオスの出身者、日系南米出身者、中国
削除 : 少数派である
29
の帰国者等の関係者が多く在住しており、多言語・多文化の地域となっている[早川 2011:37]。
元々は昭和 40年代に建てられた典型的な団地で、当初は日本人住民が多かった。しかし、
他の大規模団地と同様、少子高齢化が進み、それと反比例するように、1990 年代前半から
徐々に、後半から 2000 年代にかけては急速に外国籍の若い世代の入居が増えてきた[早川 2011:37]。
その顕著な例が、いちょう団地の中にある、いちょう小学校 38である。いちょう小学校
は人口の増加が著しかった 1973 年 5 月に開校した。一時期 2000 名を超える児童数であっ
たが、現在では 161 名の児童が在籍する小規模校である[いちょう小学校HP 2013]。以下に、
2 年毎のいちょう小学校の全校児童数、及び外国籍の児童数の変化を記す。 表 8 いちょう小学校の全校児童数、及び外国籍児童数の変動(抜粋)
年 度
( 平
成)
9 11 13 15 17 19 21 23 25
全校 児童数
241 215 230 213 208 203 205 208 161
外国籍 児童数
37 64 67 76 75 94 97 114 96
全 体 に
占 め る
割合(%)
15
30
30
36
36
46
47
55
60
([いちょう小学校 HP 2013]を抜粋して筆者作成)
上表から見て取れるように、全校児童数の減少に反比例して、外国籍児童数は増加して
いる。平成 25 年度において、全国児童数における外国籍児童の割合は 59.6%であるが、外
国にルーツをもつ児童(日本国籍取得児童)26 名を含めると 75.8%39に及ぶ。すなわち、約 4分の 3 以上の児童が外国籍、もしくは外国にルーツをもつ児童ということになる[いちょう
小学校 HP 2013]。 いちょう団地の中において、ベトナム村があったり、中国村があったり、カンボジア村
があったりと、各国籍の人で集まり、様々なコミュニティが入り混じっている。現在も増
え続ける外国籍の新規入居者や外国籍の若年世代の結婚および出生状況などを考えると、
これからもこの傾向は続くと思われる。 38 2013 年 12 月現在、いちょう小学校は生徒数の減少のため、廃校が決定している。 39 全て 2013 年 5 月 1 日現在の数字である。
30
第 2 項 多文化まちづくり工房の概要 多文化まちづくり工房は、多様な文化背景を持った人たちが、それぞれの個性を出し合
い、ともに楽しく暮らせる『まち』をつくることを目的に活動している団体である。1994年に小さな日本語教室から始め、現在では、小中学生の教科補習や進学サポート、生活相
談や多言語での情報作成などを中心に行っている。 代表の早川秀樹によると、多文化まちづくり工房設立の動機は、学校教育では担いきれ
ない教育を行うことの重要性に気づいたことである 40。一般の家庭においては、学校では
なく、家庭において、宿題や補習を行う。しかし、いちょう団地における子どもたちは、
学校では日本語、家庭では中国語やベトナム語等の母語で話すため、日本語の宿題等を教
えてくれることが少ないという。また、ほとんどの家庭において、両親共働きで、以前は
子どもたちの学校が終わった後の居場所もなかった状況であったという。そして、居場所
を失った子どもたちは家に帰らず、深夜の夜遊び等が頻発し、近隣の住民からに「治安が
悪い」などの印象を強く与えてしまった。この負のスパイラルを断ち切るために、多文化
まちづくり工房は設立された。大事にしていることは、住民の「居場所づくり」である。 特徴として、大きく 2 つ挙げられる。1 つ目は地域や地域に関わる様々な機関や団体と連
携・協働する形を作ってきたことである。例えば、小中学生の補習なら学校や図書館、大
学などと連携し、日本語教室や生活相談なら自治会や警察、神奈川県などと連携するといっ
たように、様々な機関や人と連携・協働しながら活動を行っている。そして 2 つ目は、様々
な活動の場を通してつながっている、地域で育った外国籍の若者が活動に主体的に参加し
ていることである。もともと支援者と受益者というよりも、同世代の若者同士といった関
係性で、青年団のような集まりとも言える。そのような関係性だからこそ、大変なことも、
みんなで一緒に楽しめるような、活動の場をつくることができている[早川 2011:37-38]。 そしてこの多文化まちづくり工房が 近新たな事業として始めたのが、小学校入学前の
幼児を対象とした幼児教育 41である。しかし、なぜ幼児教育を始めることになったのか。 第 3 項 多文化まちづくり工房の小学生放課後補習 この実地調査における目的は、就学後の子どもの学習状況を確認することである。移民
の子どもの場合、就学後の学習に大きな問題があり、それを解決するには就学前教育が重
要だという特殊要因が存在する。いちょう団地の子どもたちは、日本社会においては社会
的に不利な立場にいるのである。 筆者は数回、毎週火・金曜日に行なわれている小学生を対象とした補習授業に訪問させ
ていただいた。ここでは、小学校 4 年生~6 年生までの子どもたちが学んでいる。人数の構
成比としては、4 年生・5 年生が共に約 10 人、6 年生が約 5 人といった様子であるが、強
制的ではなく自主的に参加するため、日によって人数は異なる。国籍はベトナム、中国、
40 以下は、早川氏への筆者インタビューに基づく(2013 年 11 月 16 日実施) 41 多文化まちづくり工房では、就学のための準備教育としているため「プレスクール」と
呼んでいるが、筆者は本論文に一貫性をもたせるため「幼児教育」と記すこととする。
31
カンボジア、日本等、様々な子どもたちが参加している。プログラムは以下の通りである。 表 9 小学生放課後補習のプログラム 42(例)
時間 小学 4 年 小学 5 年 小学 6 年 15:30 漢字練習& 音読練習 理科補習 漢字練習
16:00 算数計算問題 漢字練習 算数 16:30 九九の練習(タイムを測る) 16:40 クロスワード(遊び感覚)
17:10 日本昔話の動画視聴 17:30 終了
(実地調査を参考に筆者作成) 子どもによって、進捗状況は異なった。例えば、ある子は集中し時間内に終わらせるこ
とができたが、ある子は集中力がもたず友達と話してしまう、またある子はまったく理解
できずに諦めてしまう様子が見受けられた。また、友達と遊ぶことを優先し、この補習に
参加しなくなってしまった子どももいるようだ。 筆者の見解として、いちょう団地における小学生は「考える」ことが苦手な子どもたち
が多い気がした。例として、子どもたちに課題のプリントを配ると、その直後に答えを聞
いてくるという状況を多々目にしたことが挙げられる。この子どもたちによる進捗の違い
は、幼児期の過ごし方にあるのではないかと強く思う。一方で、子どもたちに共通してい
ることが大人に「甘える」ということである。早川氏によると子どもたちは、家に帰って
も親に甘えられない、もしくはそもそも親が家に帰ってないということが多いため、大人
に甘える傾向が強いという。 しかし、多文化まちづくり工房の教育法は非常に興味深い。早川氏、及びボランティア
の方々は、子どもたちに時に友達のように気さくに接し、時に親のように子どもたちを叱
る。それゆえ、筆者の目から見て早川氏は、「友達」と「親」の双方の役割を担っているよ
うに見えた。 早川氏は言う。「子どもたちは確かに親から愛情を受けることが少ない。また、親たちは
子どもの教育、育児に関心が薄いため、しつけることを怠っている。それに加え、 近学
校側は強く子どもたちを叱ることができなくなってきている。だから、子どもたちが日本
社会で生きていくために、私たちがその役割も担えるよう尽力している」。つまり、この小
学生放課後補習は、単に子どもたちの学習をサポートするといった意味合いだけでなく、
42 毎回上表のプログラムというわけではない。動画視聴ではなく、ニュースの音読の場合
もあり、理科ではなく社会の場合もあることを、読者には認識しておいてもらいたい。
32
子どもたちの親が家に帰るまでの居場所づくり 43も兼ねているのである。早川氏は、以下
のように言う。「子どもの性格は、親によって変わる」。これは、上記の第 2 章で論じたロ
バート・オーウェンの唱えた人間環境論と似通っている。 第 4 項 幼児教育を始めた背景 前項で、多文化まちづくり工房がいちょう団地において幼児教育を始めるきっかけに
なったのは、就学後に問題を抱える子どもたちが多数存在したことと記した。日本の一般
的な子どもたちと比べて、学習の進捗が遅れてしまう傾向があるのだ。 では、なぜそのような状況が生じてしまうのか。一つの理由として挙げられるのは、「家
庭教育の欠如」である。日本の一般的な家庭において、幼児期の子どもたちは、親による
絵本の読み聞かせや、日常生活の会話から学び、想像力を養っている。しかし、いちょう
団地における外国籍、及び外国にルーツのある子どもたちは、上記のような家庭教育を受
けているケースは希少である。子どもたちの親は、育児・教育に無知である場合と、子ど
もより親の方が日本語を話せず、母語に依存している場合が存在するからである。したがっ
て、日本の家族における「当たり前のこと」が、いちょう団地における家族においては「当
たり前ではない」のである。この詳細は以下の第 5 項において概説する。 早川氏によると、家族構成によって子どもが話す日本語の上手さが変化するという。例
えば、ある家族が 4 人家族で、両親に幼児と小学生という構成だとする。その場合、上の
兄姉が下の弟妹に教える傾向があり、その幼児が就学する頃には、日本語学習に正の影響
が出ている場合が多い。 日本語を曖昧にしたまま就学すると、たとえ幼児期の小さな差であっても、その後その
差は大きくなっていく傾向にある。それゆえ、多文化まちづくり工房では実験的な段階で
はあるものの、就学するにあたっての幼児教育を進めている。そして、幼児教育を受ける
ことこそ、子どもたちがその後日本社会において正しく、気分よく人生を送ることにつな
がるであろう。 第 5 項 多文化まちづくり工房の幼児教育のプログラム ここまで、いちょう団地において、何故幼児教育が重要であるかを述べてきた。では、
多文化まちづくり工房は幼児教育をどのように展開しているであろうか。ある一日を以下
に記す。 表 10 多文化まちづくり工房における初回の幼児教育(5 歳のT君 44の場合)
時間 内容 結果 10:00 挨拶・姿勢の練習 正しくできなかった
43 実際、いちょう団地内の公園では、子どもたちが暗くなっても公園にたむろしている光
景を目にした。早川氏によると、放課後補習に来なくなる子が、夜遊び等をしているケー
スが多々あるという。 44 幼児のプライバシーを守るため、表記をイニシャルにしている。
33
10:10 料理カード 45で学習 楽しく学習していた 10:25 挨拶・姿勢の練習 2 回目は正しくできた 10:26 プリント(線引き・色)学習 鉛筆を正しく持ち、使い方を覚えた 10:45 休憩 11:00 迷路のプリント学習 鉛筆の持ち方+紙の押さえ方を覚えた
11:10 ひらがな学習 家庭学習の効果でよく読めた 11:25 日本昔話の動画視聴 あまり興味なし 11:40 絵本読み聞かせ 興味をもって聞いた 11:45 終了(宿題 線引きのプリント)
[実地調査を参考に筆者作成] まず、プログラムの冒頭に挨拶・姿勢の練習とある。筆者の見解であるが、早川氏は、
コミュニケーションの基礎である挨拶・姿勢から始めることで、幼児の健全な性格を形成
するように見えた。 初、T 君は緊張や恥ずかしさからか、まったく挨拶ができず、姿勢を
直すこともできずにただ母親の居場所だけが気になっているようであった。 しかし、料理カードで学習を始めると、T 君は学習する姿勢へと変化していった。プログ
ラムの冒頭では、しきりに母親の居場所を確認していたが、徐々に集中力が増し、楽しん
でいた様子であった。そして再び、その学習後に挨拶をすると元気よく挨拶を返すことが
できるようになり、姿勢も正すようになった。 その後、集中力が出てきたところでプリント学習に移る。このプリント学習は、線引き、
色の識別、迷路で構成されている。主な目的は、鉛筆に慣れること、書くときの姿勢を正
すことである。就学後に誰もが必ず使う鉛筆を、この幼児の段階から慣れさせることで、
就学後にも正の影響を及ぼすと早川氏は言う。線引きの時間には、幼児は鉛筆の持ち方だ
けでなく、書くときの紙の押さえ方を教わる。色を学ぶ時間には、日本語で何色かを言え
るように教えていた。実際、オレンジ色以外の白や黒、赤色などは事前に認識していた。
認識していなかったオレンジは繰り返し学習することで、覚えていった。ここで筆者が印
象的であったのは、教師である早川氏が何度も「ゆっくり、丁寧に」と幼児に話しかけて
いたことである。教材に慣れてくると、幼児の中で早く終わらせたいという意識が芽生え
てしまい、多少雑になってしまう傾向がある。そこで、「ゆっくり、丁寧に」と何度も教え
ることで、その傾向を抑えているのである。 約 30 分経つと、幼児の集中力は途切れる傾向にあった。そこで休憩を入れることで、そ
の後のプログラムを円滑に進めることができる。実際、休憩時間に T 君は母親の元へ行き、
母国語で話し合い、共にパズルに親しんでいた。 45 日本特有の料理の絵が描かれており、日本語を学ぶためのカード。蕎麦や味噌汁等の絵
が描いてある。
34
休憩が終わると、迷路を教材に、鉛筆に慣れることを学んだ。この迷路教材は、直前に
行なった線引きの学習の発展である。このように、 初は容易にできるものから始め、徐々
に難易度を上げていくことによって、幼児は学習意欲が湧くのである。この時点で、T 君は
正しい鉛筆の持ち方、紙の押さえ方を実行できていた。オーウェンの言葉を借りるなら、
いかに幼児が外部からの刺激を受け入れる複合体か理解できるであろう。 次のひらがなの学習では、現代の幼児期の家庭における教育の重要性が顕著に表れるも
のとなった。T 君は、ひらがなを多少の間違いはあるにしろ、何の障害もなく読むことがで
きた。母親に尋ねたところ、T 君に家庭でひらがなを学習させているとのことであった。早
川氏によると、いちょう団地において、5 歳の段階でひらがなを読むことができる幼児は少
数だという。その意味で、教育に関心のある親に育てられる幼児と、教育に対して無知で
ある親の元で育つ幼児との差は顕著である。 その後の動画視聴では、外国籍の子が国語を学ぶ難しさを痛感した。動画は、日本でも
有名な「アリとキリギリス」「金の斧と銀の斧」の 2 本を視聴した。筆者も以前経験したこ
とがあるが、日本人の子どもたちにとって、日本昔話等の動画を見ることは一つの楽しみ
であり、そこから日本語を学ぶことも多いであろう。しかし、T 君は内容が分からないから
か、まったく興味を示さなかった。むしろ、プログラムの冒頭のように母親の居場所を確
かめては母親に母語で話しかけるといった状況であった。そこで上記においても触れたが、
キーワードになるのが「想像力」である。幼児期に、寝る前に絵本を読んでもらったり、
子守唄を歌ってもらったりする。このような経験は誰でもしたことがあるのではないだろ
うか。幼児は、話や歌に耳を傾け、想像する力を養う。この習慣が個人の性格に正の影響
を与えることは言うまでもない。しかし、いちょう団地における外国籍の幼児たちは、家
での会話が母語になるため、日本語による読み聞かせ等が行われていることは稀である。
幼児たちが日本において健全に生きていくためには、やはり日本語の国語力を身に付ける
ことが必須なのである。 T 君の状況を見た早川氏は、ボランティアの方に頼み、絵本の読み聞かせを行った。しか
し、単に読んで聞かせるのではなく、単語一つ一つの意味や話の内容を確認しながら進め
ていく。ここでも、「ゆっくり、丁寧に」読み聞かせることによって、幼児の想像力を養っ
ているように筆者の目には映った。実際、動画ではまったく興味を示さなかった T 君は、
この絵本の読み聞かせのときは非常に楽しそうに話を楽しんでいた。 全てのプログラムが終了すると、早川氏は同行していた母親に、T 君のための宿題を出し
ていた。宿題は、プログラムでも実践した線引きのプリントである。この宿題を母親に伝
えることで、子どもの教育に対する関心を高め、家庭教育を実践する狙いがある。早川氏
は言う。「幼児教育は、幼児のための教育という枠を越えて、幼児とその親に対する教育が
できる。そういう意味で、幼児教育は非常に有効である」。 以上のプログラムは初回の幼児教育であり、あくまで筆者が抜粋したものである。この
後はひらがなを練習しつつ、語彙力を増やし、国語力を高めるプログラムを展開する。合
35
わせて、数字の練習、そして様々な国籍の幼児同士で遊ばせるプログラムも入れることを
予定している。 このように、日本において多文化共生社会を試みて活動している多文化まちづくり工房
の幼児教育は、子どもたちが就学後に大きな問題を残さないために、そして、その後の人
生に負の連鎖を起こさないために行なわれていることが理解できたであろう。しかし、こ
の毎週の幼児教育プログラムはいちょう団地内においてまだ関心が薄く、多いときで 10 人
弱、少ないときで 1 人の幼児しか参加していないというのが現状である。今後は、幼児教
育の重要性の認識を、いちょう団地内に広げていくことが必要である。今後も、いちょう
団地における幼児教育は、さらに進化していくであろう。 第 4 節 権利基盤アプローチの視点から見た幼児教育
後に、近年主流になっている権利基盤アプローチの考え方を参考に、社会的弱者にお
ける幼児教育の在り方を考察する。 第 2 章で取り上げたロバート・オーウェンと第 3 章で取り上げた多文化まちづくり工房。
もちろん、両者の教育目的には違いがある。ロバート・オーウェンは、幼児教育によって
無知状態からの脱却を目指し、社会改良を試みた。一方、多文化まちづくり工房において
は、幼児教育によって外国籍及び外国にルーツを持つ幼児が就学後、そして将来社会にお
いて健全に生きていけることを目指している。 そこで、本論文全体を通して、キーワードになるのが「親」である。200 年前、いち早く
幼児に着目し、幼児期からの健全な性格形成の必要性を説いたロバート・オーウェンは、
親元から幼児を離し、別々に教育することを選択した。しかし、いちょう団地において多
文化共生社会を目指す多文化まちづくり工房は、幼児とその親に同時に教育ができるから
こそ、幼児教育には大きな効果があると説く。果たして、どちらの教育法が現代社会にお
いて好ましいのであろうか。ここで、第 1 章においても触れた子どもの権利条約 46を元に
考察してみる。 子どもの権利条約の 9 条「親からの分離の禁止」において以下のように記されている。
締約国は、児童がその父母の意思に反してその父母から分離されないこと
を確保する。ただし、権限のある当局が司法の審査に従うことを条件として
適用のある法律及び手続に従いその分離が児童の 善の利益のために必要で
あると決定する場合は、この限りでない。このような決定は、父母が児童を
虐待し若しくは放置する場合又は父母が別居しており児童の居住地を決定し
なければならない場合のような特定の場合において必要となることがある[国連児童基金 HP 2013]。
46 子どもの基本的人権を国際的に保障するために定められた条約である。2006 年 12 月現
在で 193 の国と地域が締結している。[国連児童基金 HP 2013]。
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以上の通り、親元において育つことが子どもにとっての 善の利益であるが、場合によっ
ては親元を分離することが認められる。続いて、18 条「親の第一次養育責任」を紹介する。
1. 締約国は、児童の養育及び発達について父母が共同の責任を有するとい
う原則についての認識を確保するために 善の努力を払う。父母又は場合に
より法定保護者は、児童の養育及び発達についての第一義的な責任を有する。
児童の 善の利益は、これらの者の基本的な関心事項となるものとする。 2. 締約国は、この条約に定める権利を保障し及び促進するため、父母及び
法定保護者が児童の養育についての責任を遂行するに当たりこれらの者に対
して適当な援助を与えるものとし、また、児童の養護のための施設、設備及
び役務の提供の発展を確保する[国連児童基金 HP 2013]。 ここで、子どもを育てる責任はその父母にあり、国はそのサポートをすることが明記さ
れている。 近年国連、国際援助機関・組織、NGO などによって重視されている権利基盤アプローチ
においては、いかなる状況においても人間は皆、普遍的な権利を有し、人々は権利を実現
するために主張するとともに義務を伴う主体として捉えられている。この権利アプローチ
の理論は、第 1 章 2 節で紹介した ECD とほぼ同義である。 図 1 義務履行者(Duty Bearer)と権利保有者( Rights Holder)
義務履行者 責務を 権利を
全うする 主張する 権利保有者
([Save the Children 2005: 34]を参考に筆
者作成) 第一の義務履行者(Duty Bearer)は、その国の行政であり、権利保有者(Rights Holder)
の様々な権利を保障するための責任・アカウンタビリティを負う。家族、コミュニティ、
地方行政も義務履行者となりうる[Save The Children 2009:5]。つまり、権利アプローチの
視点で見ると、現代社会において、子どもの親は義務履行者であり、オーウェンの唱える
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「子どもと親の分離教育」は現実的には困難であることが理解できる。そして、前節で論
じた、多文化まちづくり工房の幼児教育は、「幼児だけでなく、その親の教育」という点で
権利アプローチに基づいた手法である。 つまり、親が我が子の教育を行うことが困難な場合、行政及び国際社会等の義務履行者
がその義務を果たし、親が快く育児や教育のできる環境を作らなければならない。しかし、
社会的弱者における幼児教育は、現在 NGO や NPO 等の市民団体が主となって行っている
現状がある。この現状を踏まえても、子どもの権利条約に批准している全ての国が、子ど
もの権利を守るためにその責務を履行していると言えるであろうか。前節のいちょう団地
の実地調査を踏まえれば、その答えは否であることは容易に理解できるであろう。本来な
らば、多文化まちづくり工房のような市民団体だけではなく、行政機関も行うべきである。
社会的弱者における幼児教育を普及させていくためには、行政機関が主体となって、市民
団体との密接な協力の上で親をサポートしていく体制を作ることが必要であると、筆者は
強く主張したい。 おわりに ここまで、全ての子どもたちにおける幼児教育の普遍化に向けて、幼児教育の定義、ロ
バート・オーウェン、いちょう団地の実地調査、権利アプローチ理論を用いて、社会的弱
者における幼児教育を中心に論じてきた。 幼児教育の誕生から約 200 年。現在、その重要性は国際社会に認められ、確実に普及し
てきている。しかし、オーウェンの目指した、幼児教育を受けることが困難な貧困層の子
どもを含めた全ての子どもたちに幼児教育を受ける機会を設ける社会というのは未だに実
現していない。現代社会において、アフリカやアジアの中の貧困地域、そして先進国の中
でも典型的に少数派である移民の子どもたち等は、幼児教育の恩恵を受けることができて
いないのが現状である。 そこで、幼児教育を普及させるために、本論文を通じて筆者が主張したい点は大きく分
けて 2 点ある。 まず、1 点目は、「人間は個人の思い通りにその性格を変えることは困難であり、周りを
取り巻く環境によって左右される」という意識を普及させることである。この人間環境論
は、ロバート・オーウェンが先駆けて唱えたものである。特に、外部からの刺激を著しく
吸収する幼児期に受ける教育は非常に重要であり、そのための環境作りを家庭や地域社会、
国単位で行っていくことが、今後必要不可欠である。そのためにも、このオーウェンの人
間環境論の思想を広く認識させることが必要であると筆者は強く思う。 そして 2 点目は、家庭、地域社会、行政、そして国際社会が、子どもの権利条約を守り、
権利アプローチに基づいて幼児教育を普及させるために行動していくことである。オー
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ウェンの思想は受け継がれているが、その手法は徐々に進化し、行政や国際社会、そして
親が子どもの権利を守る責務を負う、権利アプローチが主流となっている。特に、社会的
弱者における幼児教育において必要なことは、多文化まちづくり工房のように、幼児とそ
の親を対象にした教育が行われることである。この権利アプローチの義務履行者がその責
務を果たすことが、今後幼児教育が社会的弱者において普及することにつながると筆者は
思う。 幼児教育において大切なことは、特殊な能力を身に付けるための詰め込み型教育ではな
く、子ども個人の可能性を拡げる引き出し型教育である。オーウェンは子どもを「外部か
らの刺激を驚くほど精密に受け入れる複合体」と評した。したがって、幼児にかける些細
な言動、行動がその子のその後の人生を大きく左右する可能性もあるのである。そして、
その行動を正しく積極的に行っていく主体は、子どもを取り巻く家庭、行政、及び国際社
会である。 何度も主張するが、幼児教育は決して「贅沢品」ではなく、社会的に弱い立場に存在す
る途上国や移民の子どもたちに今こそ必要である。そして、幼児教育を普及するためには、
彼らを取り巻く環境(家庭、地域等)を変えていかなければならない。その行動の先陣を
切って行っていくのは、市民団体だけではなく、行政、及び国際社会でなければ、現状は
簡単には正の方向に変化しないであろう。 子どもたちにとっての理想・ 善の利益を追い求め、これからより一層幼児教育は普及
し、発展していくであろう。そして子どもの権利条約の第 16 条 2 項に記されているように、
決して”早期教育”ではない幼児教育の普及、発展は各国の行政が先頭に立って行う時代が到
来することを、切に願う。社会が幸福で溢れた、良い方向へ向かうことを期待して、以下
にロバート・オーウェンの言葉を引用する。それをもって本論文を結ぶ。 「個人の幸福は、彼の隣人の幸福を増進し、拡張しようと、積極的に努力する程度に比
例してのみ、増進し拡張されるものである [オーウェン 1954:94] 」。 ≪参考文献≫ <和文> ボック・デレック著、土屋直樹・茶野務・宮川修子訳(2011)『幸福の研究 : ハーバード元
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