中国入門
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サイトーと入った店。どうやら、洋食屋のようだ。
ハンバーグや、スパゲッティーベタなメニュー神田の昭和からの洋食屋にありそうな
窓が大きくて明るい店内は少し落ち着かないがサイトーは出された麦茶と思しき飲料を一口口にして
ハンバーグとナポリタンのセット
とだけ告げた。
続いてこちらも、
同じで
というと
いや、こっちではあることですが、ビールいきませんか?
とサイト-。
願っても無いので同意する。しかし、このあとは打ち合わせで別の顧客に会うはずだが、ダイジョブなのか?
あまり注意を払っていなかったが、注文をぎこちない口調の日本語で繰り返す 10代後半と思われるウエイトレスは、化粧をしていないのに白い肌もさることながら韓国のドラマにでてきそうな直線的に切りそろえた前髪が違和感を覚えた。
軽く無錫について説明しときますね。でも、大雑把な話なんで適当に聴いといてください。
そう前置きしてから、再度麦茶のような飲料を口に含みサイトーは、ざっくばらんな関西人らしい口調で、この街の解説を始めた。
無錫は、大体市街地は 250万くらいのもんです。大きな無錫市と、小さな、昔からの無錫市とがあって、今の 250万は、小さい方です。大きな無錫市は、日本の県くらいの位置づけですわ。人口は 500万です。
突然、突拍子も無い大きな数字だ。
日本企業は 1000社以上と政府はいうてますが、企業の追加投資も、投資企業として数えるし、撤退企業もカウントしてますからま、訳の解らん数ですが、こんなんは適当です。日本人自身は常に 2000名くらいいるのは確かですわ。もちろん、日本人会もあります。
ここで、注文したビールが運ばれてきた。日本では珍しい青島の小瓶と、小さなグラスコップ。テーブルの距離が開いていたので、お互いに酌はせず、サイトーは自ら注いだグラスを、少し上にあげて乾杯、飲み干した後で相手の目を見つめ、そのまま、グラスを握った右手を少し上げて手首を捻り、相手に開いたグラスを見せる仕草は臺灣でも経験していたので、こっちも同じ仕草。
わたしんとこの会社は 3年前に現地の合弁でできた日本企業向けの人材紹介会社、人材派遣会社ですが、実際、3年前に会社をつくるところからやらされてます。もともとは、神戸で IT 企業の営業をしてたんですが、なんかおもろなくて、たまたま知り合い経由できた話に乗ってしまったんが運の尽きです。中国に来ても、迎えはおらんし、無錫までどうしていったらええかわからんし。
俺以上に苦労している奴がいる。そういう話を聞いていると、この国への緊張感が誤解かもしれないが和らいでいく気がした。
それで、なんとか上海駅までたどり着いて、そっからその頃は安徽省の合肥行きの快速が一番早くて、それでも 1 時間半かけて無錫駅までたどりつきましたわ。
彼のたどりついたという表現は、昨夜経験していただけにこっちにもリアルに響く。
それからは、色々ありましたけど、まぁ、勉強にはなってますわ。一応、この街と蘇州のことはひと通り知ってますので、これも何かの機会でよろしくお願いします。
改めて丁寧な挨拶をしたこの青年に私は好感を抱いた。
しばらく身の上話。私も自己紹介をした。そして、明らかに無理難題な今回のミッションを再度彼に説明した。
10分ほど話、タイミングよく出てきたハンバーグとナポリタン、ポテト、人参というベタな添え物、ファミレスにあるような鉄板と木枠に大ぶりの盛り付け。
別ザラのご飯も山盛りだ。
10代後半の少女はぎこちなく皿を運びながら、語りかける。
この人は、サイト-さんの友達です?
疑問文がおかしいが、サイトーが受ける。
はい。日本の東京から来た。彼は古い友だちです。
そういうぎこちない日本語のやり取りが、ぎこちない雰囲気の洋食店に馴染んでいた。
私は、せいこ、よろしく!
そう元気よく見つめる瞳は、人事の専門家で、圧迫面接のスペシャリストというありがたい悪名を頂いた自分にもこたえるくらいの強い光を放っていた。
その後も、食後の珈琲を飲み、只管シケモクを作りながらサイトーと話した。
私も関西に住んでいたことがあるので、共通の話題も多い。
サイトーはビジネスの性質上、政府や、地元の企業にも幅広い人脈を持っている。
取り敢えず、午後は、シェラトンの近くのチョンアンスでゆっくりと観光とかして頂いて、また、夕方から、会いましょうか?会わせたい人がおるんですわ。
中国の方ですが、英語がうまいので、問題ないと思います。宜しければ、5時半にシェラトンのロビーで待っとってください。
それから、この雑誌、ウチの系列の会社が出してますんで。
そういいながら、カバンから雑誌を取り出す。Whenever
と称する日本人向けの雑誌。
事前情報を全く集めないまま来たので、ぱらぱらめくって無錫の地図を発見した時は、「助かるな」と思った 。
その私の安堵の顔を確かめたような表情のサイトーは、コーヒーを飲み干し、
ほな、そろそろ、SONXさんにいかなあきませんので失礼します。
というや、大声で
マイタン!と叫んだ。
お勘定のことらしい。
先ほどの娘が、またやってきた。100元です。そう言うやいなや、サイトーは赤い毛沢東を差し出した。
私もせっかちな関西人らしいサイトーに釣られ、腰を浮かすと、娘は、私の顔を左から覗き込むように、
またね!
と満面の笑み。
そうかなぁ。もうこないと思うし、こういう訳のわからない国よりは、馴染みの多い臺灣の新竹の市場で、台湾人の友達と大根餅を肴に飲んでいる方がいいのだが。
外の冷たい風に吹かれながら、サイトーの案内で、タクシーの助手席に乗り込んだ。ホテルの行き先はサイトーが運ちゃんに説明していた。
疾走するタクシーは、ぼんやりと白茶けた空気に浮かぶ、無錫最高峰のビル(現在ではそうじゃない)魔天360を目指していた。そこからシェラトンまでは徒歩でも10分くらい。同じ角度なのだ。
茫々とした風景を眺めていると、
この街の渇いた感じは、むしろ、MBAリクルータで全米を駆け回っていた頃シカゴに入る手前の工業地帯あたりで感じた空気感に共通していると感じた。