安らぎを感じられる家について堀会員
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卓話
「安らぎを感じられる家」 堀 道昭会員
今月は、家族月間ですので、今年最後の卓話を、家族が集まり、安らぎや幸せを感じら
れる住まい『家』について話をさせていただきます。家といっても屋根の話になりますが、
皆様がこれからも活躍されるには、皆様のご家庭が平穏かつ円満でなければならないこと
は改めて申し上げるまでもございません。そのために昔から魔除け、厄除けの儀式やお札
などがあります。
四神(しじん)
家相で最上の土地とは、東に川が流れ、西に大道があり、南に平地、北に丘陵がある土
地であって、東に青竜、西に白虎、南に朱雀、北に玄武という4人の神様に囲まれた四神
相応の地であるとされている。
四神相応の例
大相撲… 土俵上にある4つの色分けされた房は、元来方屋の屋根を支えた4柱の名残で
あり四神を表している。
ちらし寿司…四色の具材で四神または四季、五色(五行)の具材で宇宙を表現している
といわれる。
鬼瓦
鬼瓦も厄除けと装飾を目的とした瓦の一つです。鬼瓦とは、屋根の棟(大棟 隅棟 降
り棟など)の端に取り付けられる装飾瓦、
日本での鬼瓦の発達は、やはり中国、朝鮮の影響が非常に大きいのは当然ですが、古代
日本の土着的信仰や神道なども混ざり合い、発達して行ったと思われます。
弥生時代の集落を囲う濠の中からは、豚(猪)の特に下あごの骨が多く見つかっていま
す。これはその鋭い牙と獰猛な性格によって、邪悪なものの進入を防ぐ意味合いがあった
ようです。現在でも鬼瓦には猪の目(いのめ)と呼ばれる文様があります。
一方、古代日本の建築は竪穴式住居から始まり、壁というものよりも屋根から始まった
もので、様々な自然環境から身を守る屋根というものに、特別な存在や想いを持ったので
はないかと思います。それは次第に信仰の様なものに変化していき、自分たちを災害や悪
霊から守ってくれる神の宿る場所となっていったのではないでしょうか。
神社建築の屋根に見られる、千木(ちぎ)や鰹木(かつおぎ)といった装飾も、最初は
構造上の補強の名残であると言われていますが、やはりそこには、何らかの信仰や願いが
あったと思われます。
飛鳥時代、日本に仏教とともに瓦が伝わり、仏教寺院が建てられる様になります。瓦の
屋根は堅牢で、様々な自然災害、特に雷による火災に強く、その後重要な建築物に多く使
用されていきます。鬼瓦には水に関係する装飾が多くみられ、鯱(しゃちほこ)龍(水霊)
などがあり、鰭(ひれ)などと呼ばれる部位もあります。これは先に述べた火災に強いと
いう意味合いと、守って欲しいという願いの表れだと思われます。本来は、寺院堂塔内に
ある厨子等を飾っていたものを織田信長が安土城天主の装飾に取り入り使用したことで普
及したといわれている。
江戸時代になると、江戸の町を火災から守るために一般の民家や商家などにも屋根瓦が
使用されるようになり、鬼瓦の装飾も様々なデザインが生まれ発達し、現在の鬼瓦の原型
となっています。
鬼面鬼瓦あうん(阿吽)
阿は口を開いて発する音声で言葉の最初、吽は口を閉じて発する言葉の最後である。仏
教ではこの二文字を全ての根元と窮極を現すものとして、前者を万物が発生する理念の本
体に、後者をそれが帰着する智恵を意味するものとする。阿は誕生であり、吽は悟りを意
味すると言える。
鍾馗(しょうき)
京都市内の民家(京町家)など近畿~中部地方で、大屋根や小屋根の軒先に10~20
cm大の瓦製の鍾馗の人形が置いてあるのを見かけることができる。
京の街並みには欠かせない屋根の上の鍾馗(しょうき)さん、魔除け・厄除け・学業成
就にと飾られているのですが、それには京都に伝わるいわれがあります。
昔、京都の三条に薬屋が新しく店を構えて大きくて立派な鬼瓦を葺きました。するとお
向かいの奥さんが原因不明の病に倒れてしまいます。病を治そうと原因を探ると、薬屋の
立派な鬼瓦により跳ね返った悪いものが向いの家に入ってしまうからだということがわか
りました。
そこで鬼より強い鍾馗(しょうき)を伏見の瓦屋に作らせ、魔除け・厄除けに据えたと
ころ病が完治したというのです。それ以降、京都では鬼瓦の対面に鍾馗さんを据えるよう
になったようです。ただ、ご近所同士にらみ合いにならないように正面を向いていない鍾
馗(しょうき)も多く、他にも微笑み返しとしての「おたふく」を対面に据える場合もあ
るようです、また道路突き当りの家にも災いが入らないように鍾馗を上げる家があります。
宇立(うだつ)
うだつは、日本家屋の屋根に取り付けられる小柱、防火壁、装飾。で平安時代は「うだ
ち」といったが、室町時代以降「うだつ」と訛った。本来は梁(うつばり)の上に立てる
小さい柱のことをいった。そののち、切妻屋根の隣家との間についた小さい防火壁で1階
屋根と2階屋根の間に張り出すように設けられているものも「うだつ」と呼ぶようになる。
本来、町屋が隣り合い連続して建てられている場合に隣家からの火事が燃え移るのを防ぐ
ための防火壁として造られたものだが、江戸時代中期頃になると装飾的な意味に重きが置
かれるようになる。自己の財力を誇示するための手段として、上方を中心に商家の屋根上
には競って立派なうだつが上げられた。
うだつを上げるためにはそれなりの出費が必要だったことから、これが上がっている家
は比較的裕福な家に限られていた。これが「生活や地位が向上しない」「状態が今ひとつ良
くない」「見栄えがしない」という意味の慣用句「うだつが上がらない」の語源のひとつと
考えられている。うだつの町並みとしては岐阜県の美濃市、徳島県美馬市が有名です。
このように家、家庭を守るために、昔から言い伝えや、迷信のようなものがありますが、
家族みんなが集まる家は、やすらぎの場所であります。皆様も寒さが厳しさを増すこの季
節に家族のぬくもりや温かみを実感し、この一年を振り返り、新しい年をむかえたいとお
もいます。