災害は支えあいで乗り切ろう 地域の要援護者支援は?

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災害は支えあいで乗り切ろう 地域の要援護者支援は?. 大阪大学コミュニケーションデザイン・センター教授 森栗茂一. 大阪(江戸も)は災害のまちだった それを再興したのは大阪市民だった. ▼ 江戸の自治は、火消し組 ▼明治44年 北大火 弘済院設立(毎日新聞発起) ▼昭和20年に発生した「南海道地震」の復興が困難であった経験と、昭和22年の「災害救助法」制定にともない、大阪市では昭和22年から24年で全てに赤十字奉仕団を結成、さらに22区の連合体として「大阪市赤十字奉仕団」が結成され、災害救助や戦後復興 ▼昭和 50 年 6 月に 「 大阪市地域振興会 」. 港区は. - PowerPoint PPT Presentation

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Page 1: 災害は支えあいで乗り切ろう 地域の要援護者支援は?

災害は支えあいで乗り切ろう 地域の要援護者支援は?

大阪大学コミュニケーションデザイン・センター教授 森栗茂一

Page 2: 災害は支えあいで乗り切ろう 地域の要援護者支援は?

大阪(江戸も)は災害のまちだったそれを再興したのは大阪市民だった

▼江戸の自治は、火消し組▼明治44年 北大火 弘済院設立(毎日新聞発起)▼昭和 20年に発生した「南海道地震」の復興が困難であった経験と、昭和 22年の「災害救助法」制定にともない、大阪市では昭和 22年から 24年で全てに赤十字奉仕団を結成、さらに 22区の連合体として「大阪市赤十字奉仕団」が結成され、災害救助や戦後復興▼昭和 50年 6月に 大阪市地域振興会「 」

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港区は                             天保山は、大阪の港や川を埋める砂を、市民が祭礼のよ

うにして           「砂持ち」して積み上げた“市民協働人工山”(天保時代[1830-1843]

           だから天保山)。「港区水防記録」。

昭和 20年 9月 18日の枕崎台風。空襲で焦土、人口 26万人が 3千人となった町が、 54日間、泥海に浸かる。泣き面に蜂状況。が、この3千人が物資を捜し求め、 300人 /日 [要は、港区住民総出 ]で防潮堤締切工事。こうして、昭和 21年7月 31日、港区防潮水防分団が創設。翌年から港区全面盛土工事。減歩条件は厳しく、私有地の半分を提供した住民も(未確認)。 ところが、昭和 25年 9月 3日、ジェーン台風で流船、流木で被害。 12日間水没。後、高潮対策は拡充したが、昭和 36年 9月 16日の第二室戸台風では、水防団員による国鉄市岡鉄橋の水門水防扉閉、土俵積工により防ぐ。一部、浸水も、ポンプで 10時間の浸水止める その後、大阪府による安治川、尻無川防潮水門、堤防 6.6m嵩上。しかし、沿岸荷役のため 240箇所の鉄扉があり、低い所は 2.6m!

■ 足の悪いつれあいをかかえる高齢者の方が、「私はどこに逃げれば良いのか」という質問があった。区では緊急避難所指定を急ぐが、いざというとき、マンションに上げてくれるような人間関係、寄り添ってくれる地域の支えあいマンパワー、それが急務。区も警察も消防も、初期対応は「何もできない」。事後の消火や治安、避難所対策を努力するが、津波が来るときは、訓練どおり、地域での人間関係で、率先避難しかない。 今ないのは、戦後間もない頃のような、自ら防潮水門を作った市民の熱意と、自ら水門を護った市民の覚悟ではないか。逃げるのは、自分だ。地域の助け合いだ。

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港区役所は初期対応は何もできません

港警察は、わずかな人数では、できることは限られています

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• 住友吉左右衛門氏の 25万円を筆頭に 10銭にいたるまで、半年たらずで約 78,250件( 20%の世帯)の寄付により、付帯工事を含めた建設資金 150万円という目標を達成。当時の市職員の月収が 40~ 100円という時代の 150万円である。今と比べると 4000~ 6000倍とすると、 60~ 90億円

• 昭和5年5月6日に地鎮祭を行い、1年5ヶ月の工事期間を経て、昭和6年 10月中に最後の仕上げ 11月7日(晴れ)竣工式を

大阪市民チェッククイ

ズ今の大阪城は誰が建てたか?

1番 太閤さん2番 徳川幕府3番 関一市長4番 進駐軍5番 大工さん6番 大阪市民

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大阪の底力(「トラックなんか探しとる時やない。行け!」

3月 12日朝仙台に支援物資を積んで出発、そのまま救急隊員を輸送)

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底力の示し方– 「災害時には、助け合わねばならない」、「そのためには、普段からのつながりである」

  ⇒普段から、逃げる場所、支援してもらえる人・支援するする人を確保

– 「個人情報=プライバシー」よりも、要避難者のリストづくり=「名簿づくり」

 ⇒拒否する人も根気強く説得– 高層マンションの役割は大きい、危険も大きい。 補助電源がなくなれば、エレベータ・電気・水が使えない。 マンション内高齢者・障害者など要介護者の存在がわから

ない。そもそも、助け合い隣人関係にあるか? 振興町会にも加入していない、したがらない。

 ⇒マンションの内側で、要支援者が餓死、脱水死、被傷害放置。マンションセキュリティ入口で、火災避難者が折り重なって死亡、そこに津波避難者が逃げてくるが、何もできず、家族もバラバラのまま、マンション内孤立∴まずは、想像力を発揮して、何から始めるか一緒に考え

よう

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次のうち、いざというとき、支援を受けやすい人は、どんなタイプでしょうか?

1番 振興町会に加入している2番 普段から、地域の人と挨拶をしている3番 困ったときは、区役所に相談している4番 町のために、放置自転車があったら   区役所に苦情を言っている5番 普段から、要支援者援護に協力して   いる6番 プライバシー侵害の要援護者名簿に   は掲載されたくない7番 近隣関係、他人事には口出ししない 

自力で 34.9%家族に 31.9%友人・隣人に

28.1%

通行人に 2.6%救助隊に 1.7%その他 0.9%

自助

66.8%

共助

30.7%

公助

2.6%少数点未満処理により誤差あり

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7月7日(金)会計検査院より OJO を守れ

於:空堀中学校大阪市民には語り継ぐ物語がある高層ビルの新住民であろうと、高齢の市民であろ

うと、たまたま働いている人であろうと、神戸長田出身で大阪教育大学天王寺で学んだ者でも、災害を皆で乗り越えてきた物語を伝えなければならない。顔と顔を会わせて、我々の言葉で=今日の集会標準語で東京目線で YTT (吉本・たこやき・タイガ

ース)大阪を悪く言う記者会見は、いらない。大阪言葉で、みんなで大阪を護りたい。⇒森栗ブログ