6月は卒業式の季節5日は「口语课」。ペーパー試験と口頭試験の...

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我在昆明 Vol.21 (2011年8月7日 星期天(日曜日)) 文・写真・編集 平田栄一/ Copyright@2011 by Eiichi HIRATA 姿24 30 便6月の昆明は卒業式にはうってつけの季節だ。軽やかな笑い声とともに「借り物」のガー メントの裾をガバっと持ち上げて走り出すところは、ポスト改革開放世代を凌ぐ、まさ しく“現代っ子”そのものだ。 11 便25 20 25 20 40 30 【上】春蕾クラス卒業式。今年も 20 数名 の生徒が“新たな一歩”を踏みそうとし ていた。【下】春蕾クラス卒業生の初め ての「同窓会」。すこし見ない間にみな“美 丽的女性”に成長していた。 使60 40 沿11 11 11 90 87 95 90 10 便【上】成績証明書。【下】修業証書。

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Page 1: 6月は卒業式の季節5日は「口语课」。ペーパー試験と口頭試験の ありがたくない2本立てで、ペーパー試験 60%、 口頭試験 40%の配点になっていた。ペーパー試験

我在昆明 Vol.21 (2011 年8月7日 星期天(日曜日))

文・写真・編集 平田栄一/ Copyright@2011 by Eiichi HIRATA

6月は卒業式の季節

 

新学期が9月から始まる中国では、6月は卒業

式の季節である。云南师范大学121校舎でも6

月の初旬頃から大学院、大学の学部単位で卒業式

が行われ、キャンパスのあちらこちらでガーメン

トに角帽姿の卒業生が記念写真を撮り合う光景を

見かけるようになった。

 

私の昆明留学も2週間足らずとなった。後期

の授業は実質的には24日で終了し、期末試験が7

月1日から全学で一斉に行われることになってい

た。私のクラスの試験日程は综合课が4日、口语

课が5日、阅读课が6日と決まっていた。7日以

降に成績表と修業証書を受け取り、8日の夜には

昆明を発って日本へ帰る心づもりだったので、既

に飛行機の手配を終えていた。同時に、7月1日

から6日まで日本雲南聯誼聯誼協会が主催する

「春蕾クラスの卒業式・同窓会」と卒業生の家庭

訪問ツアーが予定されていて、期末試験と協会の

活動が重なり、最後の最後で慌ただしい1週間と

なった。

6月30日

 

協会の昆明訪問団に便乗して家人が昆明にやっ

てきた。否、「来てもらった」という方が正確で

ある。私の暮らしの様子や大学の友人、昆明の街

を見てみないかと私から持ちかけた。ところが、

6月の昆明は卒業式にはうってつけの季節だ。軽やかな笑い声とともに「借り物」のガーメントの裾をガバっと持ち上げて走り出すところは、ポスト改革開放世代を凌ぐ、まさしく“現代っ子”そのものだ。

私が昆明に留学している間に、家人も東京のある

大学で聴講生として東南アジアの勉強を始めたの

だそうで、7月11日が最終講義なので当初は昆明

訪問を躊躇っていたが、春蕾生徒との交流や少数

民族の家庭を自分の目で確かめるのも面白い、と

協会のツアーに便乗させてもらった。

7月1日

 

協会が主催する『25の小さな夢基金』プロジェ

クトで日本の「里親」から奨学金の支援を受けて

いた20数名の「里子(少数民族の高校生)」が卒

業を迎え、それぞれの進路に新たな一歩を踏み出

そうとしていた。

 

卒業式典は午後3時過ぎから始まり、卒業生は

民族衣装を着飾って「里親」との対面に望んだ。

初めて顔を会わせる「親子」もある。中国語が話

せない「里親」のために、雲南大学日本語学科の

中国人学生がボランティア通訳で「親子」の会話

を支援してくれた。そのお陰で対話に花が咲き、

時間はあっという間に過ぎて行った。校長先生の

徒の対話を結ん

でくれた。

 

この同窓会で

は、在昆明の学

生ボランティア

を組織すること

が卒業生の自

発的意志で決

まった。雲南大

学や雲南師範大

話では、卒業生の全員が大学入学試験で志望大学

の合格点を獲得し、8月に送られてくる入学許可

通知を待つのみだそうだ。

7月2日

 

昨日の卒業式に続いて『25の小さな夢基金』の

初めての「同窓会」が昆明市の南にある滇池(ディ

エンチ)湖畔にほど近い滇池大酒店で開かれた。

日本からは20名の協会関係者が出席し、中国側は

夢基金卒業生の一部と今年の春蕾卒業生、在校生

など約40名が参加した。卒業生のほとんどが大学

生に成長し、久しぶりの再会にあちらこちらで嬌

声があがった。

 

協会関係者の紹介、卒業生の自己紹介、昨年一

昨年に日本を訪れた6人の生徒の経験談などに

続いて、昼食の懇談を挟んで、午後は6つほどの

グループに別れて懇親。ここでも、雲南大学滇池

学院日本語学科の高明(ガオ・ミン)先生に指導

を受けている学生約30名がボランティア通訳と

して各テーブルに同席し、日本側出席者と春蕾生

【上】春蕾クラス卒業式。今年も 20数名の生徒が“新たな一歩”を踏みそうとしていた。【下】春蕾クラス卒業生の初めての「同窓会」。すこし見ない間にみな“美丽的女性”に成長していた。

学などに在籍している春蕾クラス卒業生が中心と

なって、それぞれの大学でボランティアグループ

を組織し、協会の活動を昆明で支援しようという

のである。加えて、雲南大学日本語学科の学生諸

君も協会の活動に協力してくれることになった。

 『小さな夢基金』で育った若者が、いま、協会

の活動を「支援したい」という。彼らは大学に進

学したとはいえ、経済的には難しい状況に変わり

がない。そんな彼女たちが「進学できたのは日本

の支援者のお陰。その恩は忘れません。わたした

ちが受けた愛情を次の世代に伝えたい」と言って

いた。その言葉にほんの少し胸が熱くなった。同

時に、私の中国語能力はまだまだ未熟だが、彼女

たちと直接話ができたことが嬉しかった。

7月4・5・6日

 

後期の期末試験が始まった。初日の4日は「综

合课」だった。試験問題は難しくはなかったが、

成句を使って文を書く問題で2題躓いた。

 

5日は「口语课」。ペーパー試験と口頭試験の

ありがたくない2本立てで、ペーパー試験60%、

口頭試験40%の配点になっていた。ペーパー試験

の解答を提出した後、別室に移動。そこに担当教

師の刘老师が手ぐすねを引いて待ち構えていた。

開口一番、「准备好了吗?(準備はできているで

しょうね)」。

 

口頭試験は6つのテーマの中から、当日試験場

で「くじ」を引いて1つを選び、そのテーマに沿っ

て弁論するというもので、採点のポイントは、中

国語の正しい発音ができること、8つ以上のセン

テンスを含むこと、「文章」としての体裁(起承

転結)を有していること、そして当然のことなが

ら、主張に「内容」があること、などであった。

6つのテーマは2週間ほど前に知らされ

てはいたが、周到な準備をす

るほどの真面目な

学生で

はなかったことが悔やまれた。試験終了後、刘老

师に「あなたの授業はとても楽しかった」とお礼

を述べると、「勉強を続けなさい」と言ってくれた。

 

6日、「阅读课」の試験。終了時間ギリギリま

で粘って、クラスの最後尾で答案用紙を提出。1

年間の昆明留学が終わった。

7月11日

 

当初、7日に成績表を受け取ることになってい

たが、事務手続きの都合で11日に延期となったの

で、帰国を11日の夜に変更。その間に家人を案内

して世界遺産の「丽江(リージャン)」を訪ねた。

家人が都合をつけて昆明に来てくれたお陰で、久

しぶりに二人だけの小旅行を楽しんだ。

 

午前、成績表と修業証書を受け取りに学生課を

訪問。折よく担任教師の曾老师がクラス全員の成

績一覧表を持って現れた。そこにはこの1年間の

全試験の結果が記されていた。私の後期の成績は

「综合课」90点、「口语课」87点、「阅读课」95点、

現在の中国語能力が端的に現れていた。家人曰く、

「全教科90点以上だったらねえ……」ですと。有

り難いことに東京では来年にかけて仕事の話がで

ていた。多分、9月に師範大学に戻ってくること

はできないだろうが、中国語の目標は見えた。

 

午後10時過ぎ、昆明空港で帰国便の搭乗手続き

をしている最中に、バッドと五美から別れの電話

を受けた。二人は7月以降私立の語学学校に入る

と言っていたが、師範大学の学籍を離れるとなる

と月末には学生寮を出なければならず、住居費や

学費の工面で問題を抱えているようだった。バッ

ドはこの1年私にほんとうによくしてくれたの

に、土壇場で手助けをしてやれないことが心苦し

かった。再び会うことはないだろう。「いつか、

どこかでまた会おう」としか言えなかった。

【上】成績証明書。【下】修業証書。