である。地図上の気仙沼から宮古までと犬吠埼から日立港までは共に直線距離で約90km...

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30 三陸海岸の複雑さを測る らせんを含む自然は複雑に見える。この複雑さは比較できるものだろうか。ものを比較したいときは 丸や三角などの質的違いではなく,数量で比較する必要がある。そうすれば恣意性の入り込む余地はな い。そのためには比較対象が数量で表現されなくてはならない。 雲を比較する 真っ青な夏空にモクモクと湧き上がる入道雲には力強さがあ る。その湧き上がる雲には凸凹があり,凸凹のコブにはさらに 小さな凸凹があって,しかもその構造が目に見える速さで動い ている。だから躍動感があり,力強さがある。 高い空にできるうろこ雲は氷の粒でできていて面内での凸凹 模様と見ることもできる。この両者はどちらが複雑か。両者を 比較するには数量化しなくてはならない。同じ面積にある雲の 周長を決まった長さで測れば比較できるはずである。そこで, 同じ面積になるように入道雲とうろこ雲の写真を大きく引き伸 ばし,決まった長さのコンパスで測ることにする。コンパスを 近づけてみると一つと思っていたコブはいくつかの小さなコブ で出来ている。その小さなコブを測るにはもっと小さな幅のコ ンパスが必要になってくる。もっと小さなコブに近づくとさら に凸凹があり,それを測るにはさらに小さな幅のコンパスが必 要となる。この方法だと複雑さを決まった長さで測って比較す ることができない。複雑さについて,マンデルブロは「ブリテ ン島の海岸線の長さはどれくらいか?」と世に問い,フラクタル概念の必要性と有用性を提起した。で は複雑さの比較はどうすればできるか。 海岸線の長さを比較する 図の左は Google Earth による三陸海岸の釜石付近である。そこには入り組んだ荒々しい崖のある複雑 な地形がある。他方,右 は鹿島灘の鉾田付近で あり,砂浜のある優しい 感じで月の砂漠に例え られたりする場所であ る。上空から見ると,二 つの海岸線の地形の違 いがすぐにわかる。しか し,マンデルブロが登場 する以前でのわれわれの言う違いは,一方を“複雑”,“より複雑”,他方を“端整” “直線的”という ような質的違いでしか表現できなかった。同じ地域の海岸線を国土地理院の白地図から作ったのが下図

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Page 1: である。地図上の気仙沼から宮古までと犬吠埼から日立港までは共に直線距離で約90km ある。この両 者の海岸線の長さをコンパスで計る。

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8 三陸海岸の複雑さを測る

らせんを含む自然は複雑に見える。この複雑さは比較できるものだろうか。ものを比較したいときは

丸や三角などの質的違いではなく,数量で比較する必要がある。そうすれば恣意性の入り込む余地はな

い。そのためには比較対象が数量で表現されなくてはならない。

雲を比較する

真っ青な夏空にモクモクと湧き上がる入道雲には力強さがあ

る。その湧き上がる雲には凸凹があり,凸凹のコブにはさらに

小さな凸凹があって,しかもその構造が目に見える速さで動い

ている。だから躍動感があり,力強さがある。

高い空にできるうろこ雲は氷の粒でできていて面内での凸凹

模様と見ることもできる。この両者はどちらが複雑か。両者を

比較するには数量化しなくてはならない。同じ面積にある雲の

周長を決まった長さで測れば比較できるはずである。そこで,

同じ面積になるように入道雲とうろこ雲の写真を大きく引き伸

ばし,決まった長さのコンパスで測ることにする。コンパスを

近づけてみると一つと思っていたコブはいくつかの小さなコブ

で出来ている。その小さなコブを測るにはもっと小さな幅のコ

ンパスが必要になってくる。もっと小さなコブに近づくとさら

に凸凹があり,それを測るにはさらに小さな幅のコンパスが必

要となる。この方法だと複雑さを決まった長さで測って比較す

ることができない。複雑さについて,マンデルブロは「ブリテ

ン島の海岸線の長さはどれくらいか?」と世に問い,フラクタル概念の必要性と有用性を提起した。で

は複雑さの比較はどうすればできるか。

海岸線の長さを比較する

図の左は Google Earth による三陸海岸の釜石付近である。そこには入り組んだ荒々しい崖のある複雑

な地形がある。他方,右

は鹿島灘の鉾田付近で

あり,砂浜のある優しい

感じで月の砂漠に例え

られたりする場所であ

る。上空から見ると,二

つの海岸線の地形の違

いがすぐにわかる。しか

し,マンデルブロが登場

する以前でのわれわれの言う違いは,一方を“複雑”,“より複雑”,他方を“端整” “直線的”という

ような質的違いでしか表現できなかった。同じ地域の海岸線を国土地理院の白地図から作ったのが下図

Page 2: である。地図上の気仙沼から宮古までと犬吠埼から日立港までは共に直線距離で約90km ある。この両 者の海岸線の長さをコンパスで計る。

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である。地図上の気仙沼から宮古までと犬吠埼から日立港までは共に直線距離で約 90km ある。この両

者の海岸線の長さをコンパスで計る。

地図上での固定

した 1kmのコンパ

ス,これを 1C と書

く,でその海岸線

を刻んで計る。三

陸海岸を刻むと

297 回で宮古に着

く。だから 297km

となる。同じ海岸

線を 2C で測ると

264km, 4C では

220km,そして 8C

では 168kmとなる。

コンパスの幅によ

って海岸線の長さ

は大きく異なる。

他方,鹿島灘を 1C,

2C, 4C, 8C で刻ん

で計った海岸線の

長さはそれぞれ

108, 104, 100, 96km となる。海岸線の長さはコンパスの幅によって異なり,変化の仕方は海岸線によっ

て大きく異なる。測るコンパスで海岸線の長さ異なり,このままでは比較にならない。読者も気づいて

いると思うが,コンパスが 1C から 8C に変わっていくときの三陸海岸の海岸線の長さの減り方は鹿島灘

のそれよりも相当に大きい。マンデルブロの指摘はここにある。この変化を正確に数量化するにはどう

したら良いだろう。

複雑さを計る

対象全体を覆う小さなボックスの網を準備する。

このとき,最も小さいボックスの一辺 l は海岸線の凹

凸が識別できる程度の大きさにする。一つのボックス

内に測る対象の海岸線があればそのボックスを一つ

と数える。この方法はボックスカウンティング法と言

われ,決まった図形を使って次のような手順で計る。

1)海岸の長さを特徴的な決まった図形,ここでは

正方形ボックスで覆う。覆った例の一部を右に

示す。

釜石付近のボックス(a=1,2,4)の様子

Page 3: である。地図上の気仙沼から宮古までと犬吠埼から日立港までは共に直線距離で約90km ある。この両 者の海岸線の長さをコンパスで計る。

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2)海岸線の一端,気仙沼を始点として,一辺 l の正方形ボックス内に海岸線の一部が含まれればそ

のボックスを+1 して終端,宮古まですべて数えて N1とする。

3)一辺が2lの正方形でも同様に数えてN2とし,一辺が 4l, 8l, …でも同様に数えてN4, N8, … とする。

4)結果について,横軸に l の整数倍となる al の a=1, 2, 4,…となる a の対数を,縦軸に a に対応する

数えた数 N の対数をプロットする。両対数グラフでは数字をそのままプロットする。

プロットした点の結果のグラフについて最も

確からしい最確直線を引き,その傾きを求める。

正確な傾きの計算値を得たい場合には最小二乗

法を使う。ここでは大まかな違いを得るために両

対数グラフで直線を引き,その直線上の 2 点を使

って求める。その傾きを D として表せば,三陸

海岸は D= −1.39, 鹿島灘が D= —1.09 となる。縦

軸は N を距離に換算した値でもよい。

これがマンデルブロの提起した複雑さの表現

である。グラフの傾きはフラクタル次元と呼ばれ

るが,それはマンデルブロが自己相似な形一般を

断片の集まりの造語としてフラクタルと名付け

たことによる。このフラクタル次元によって三陸

海岸と鹿島灘は,数値として比較できる。これら

自己相似に関わるフラクタル次元に関しては高

安が詳しい。

両対数グラフでの傾きを示すフラクタル次元とはいったい何だろうか。この次元はグラフから示され

るように非整数である。次元が非整数とは何か。鹿島灘の海岸線は1本の直線に近くほぼ一次元の 1 で

ある。他方三陸海岸はたくさんあった谷筋がそのまま入り組んだ入り江になる複雑な海岸線を形成して

平面を埋め尽くすように広がり,二次元の 2 に近づいた値になっている。これこそフラクタル次元が示

す複雑さの指標としての意味である。フラクタルと言えば,マンデルブロ集合に代表される色彩豊かな

自己相似構造の図形を思い浮かべる人も多いと思う。そこにはまた魅力ある別の感性の世界があるかも

しれない。マンデルブロは数学の歴史に捨てられていた事象を見直し,自己相似な形を含む複雑さを示

す尺度としてフラクタル次元を世に示した。

このボックスを使う方法によれば,ボックス内に含まれるのは海岸線のように連続した曲線である必

要はない。細かい線が多い少ないとか,点が濃い淡いとか,その他比較できるものは数量化できること

になり,後で紹介するように適用範囲が飛躍的に広がる。

複雑な地形ゆえに 2011 年 3 月の大津波では平地以上に甚大な被害に見舞われた三陸地方は,今もな

お復興の途上にある。このような複雑さの量的表現を対策に生かす方法があると思われる。

流れ構造の複雑さを測る

アマゾン川は雨量の多い地域特有のたくさんの川の支流が集まって大河になっているが,ナイル川は

上流のエチオピアでは雨量が多いものの下流のエジプト地方は広大な砂漠地域で大河に流れ込む支流

は目立たない。これらの特徴を比較するにはどうしたらよいだろうか。

Page 4: である。地図上の気仙沼から宮古までと犬吠埼から日立港までは共に直線距離で約90km ある。この両 者の海岸線の長さをコンパスで計る。

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ボックスカウンティング法を使うことも可能

だが,ここでは流れに注目する。ホートンによ

って提起され,ストレーラーが確定して使われ

るようになった水路法則を検討する。ある流域

での合流で集まる最後の流れを最高次の次数と

し,次数 j での合流水路数 N(j)を求めるものであ

る(補足 D)。その合流の決まりは,i+1←i+i,

i←i+(i-1)… である。つまり末端の支流の 1 次

と 1 次の合流は 2 次とするが,2 次と 1 次の合

流は 2 次のままであり,3 次と 1 次や 2 次の合

流も 3 次のままとするものである。

このホートンの法則を利根川の水路に応用し

てみよう。

左図は埼玉県の栗橋

から上流の国土交通省

による利根川水系の流

域水路である。右図はそ

の水路を上のホート

ン・ストレーラーの決ま

りで次数を数えてその

水路数を片対数グラフ

にプロットしたもので

ある。図の近似的な直線

から傾きは a = — 0.58

となる。ここで重要なこ

とはこの水路の流れ構

造の特徴がグラフ上で直線状に載ることであり,流れの複雑さの程度が傾きの違いによって表現され,

比較できることである。これは大きな収穫である。流れ構造は流れるものによって異なる。植物の葉脈

では水や養分が流れ,ガラスのひび割れや雷ではエネルギーが流れ,組織やコンピュータでは情報が流

れる。これら流れ構造は科学的に扱えることになるのでその利点は大きい。

応用

例えば,富士山麓にある河口湖は自然の活動

によってできたもので周辺の凹凸が多く複雑で

ある。他方,谷中湖は人造で形が端整である。

この湖の特徴はフラクタル次元として反映され

るはずである。小川らはペルーの山奥に広がる

多くの湖の特徴をフラクタル次元で比較し,マ

ヤ文明の研究に活かしている。海岸線や河川だ

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けでなく,自然界には各種の複雑さがある。寺田が検討した田んぼのひび割れに始まり,トンネル掘削

での壁面のひびの複雑さからの掘削現場の危険性の評価,コンクリート壁のひび割れからの老朽化の判

定など幅広い応用はすでに始まっている。

マンデルブロの提起したフラクタルは複雑さという感性の一部を科学で扱う領域に含める画期的な

ものであり,人類に多大な貢献をしている。その提案は 43 才であり,フィールズ賞に 40 才以下という

条件があるのは残念なことである。

Ogawa, S.(2012): “Extraction of Artificial Lakes in the Mojos Culture from Satellite Images”,Forma, Vol.27,

77-82.

Google Earth (2014): スクリーンショットから作成.

Horton, R. E. (1945): Bull. Geol. Soc. Am., Vol.56, 275-370.

Mandelbrot. B., (1967): “How Long Is the Coast of Britain?”, Science, Vol.156, 636-638.

Strahler, A. N. (1952): Bull. Geol. Soc. Am., Vol.63, 117-142.

Terada, T. (1931); Sci. Papers I.P.C.R.(The Institute of Physical and Chemical Research),現 RIKEN Review.

宇田川義夫(1996):「フラクタル幾何学を応用した断層破砕帯評価に関する研究」,千葉大学博士論文.

国土交通省(2014),Web ページ関東地方整備局,利根川流域図.

国土地理院(2014),Web ページの白地図から作成.

高木隆司(1992):「形の数理」,朝倉書店.

高木隆司(2002-03):「かたちの紙芝居」,形の科学会誌,Vol.17-No.1~ Vol.18-No.3.

高安秀樹(2010):新装「フラクタル」,朝倉書店.

高山茂美(1974):河川地形,共立出版,復刊された.

西脇智哉(2005):東北大学,学位論文など.

マンデルブロ, B. /弘中平祐訳(2011):「フラクタル幾何学」,ちくま学芸文庫, 16(初版は同名で日経サ

イエンス社,1985).