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テーマ ひょうげ祭りの裏舞台と横岡山古墳を訪ねる

講 師 小比賀 勝博

(ひょうげ祭り保存会事務局長)

小川 賢

(高松市文化財専門員)

平成20年8月24日(日)

共 催 高 松 市 歴 史 民 俗 協 会

高 松 市 教 育 委 員 会

文化財学習会

ふ る さ と 探 訪

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横岡山古墳

横よこ

岡山

おかやま

古墳

の調査の経緯

高松市香川町浅野に所在します横岡山

古墳は、昭和初期に地権者によって発見・

発掘されたことが『香川町誌』などに記さ

れています。この後、周辺は果樹園となっ

ていた時期もありましたが、昭和六十一年

に旧香川町の指定史跡となりました。また、

発掘で出土した須恵器などの出土品は浅野

小学校などで保管されてきました。その後、

平成十八年一月の高松市との合併によって、

現在は市の登録史跡となっています。この

合併を契機に高松市教育委員会では、古墳

の内容を確認するため、平成十九年度に測

量調査と部分的な確認調査を実施しました。

横岡山古墳石室正面(平成 19 年度調査時)

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横岡山古墳の立地と墳丘

横岡山古墳は、旧香川町の川東、大野、そして浅野地区にわたる龍満山東側の丘陵上に

位置しています。この山は、明治五年に徳島県の剣山大権現社より分霊を受けた社が山頂

にあったことから、剣山とも呼ばれています。また龍満(立満)は、香東川を望む山の西

側に見られる地名で、古墳のある東側丘陵部は横岡山とも呼ばれています。古墳の北側に

は住宅団地がありますが、団地造成前の地図によれば、石室が開口する北方向を中心に丘

陵が大きく広がっていたことが分かります。この丘陵の頂上からの眺望は素晴らしく、北

方向に高松港や屋島そして五剣山までよく見渡すことができます。

現在、古墳がある丘陵の頂上は、開墾やミニ四国霊場(剣山四国霊場巡礼の順路と草庵)

によって平坦で開けた場所になっており、横穴式石室の天井石が露出していますが、本来

は盛土によって墳丘が築かれ石室は隠れていたと考えられます。平成十九年度の発掘調査

では、石室の中心から十一m西側で周溝と呼ばれる溝が見つかっています。この溝は古墳

の境を示すとともに、溝を掘った土で墳丘の盛土を行うためのもので、この確認した溝と

石室の東と南に見られる地形から判断して、直径約二十二mの円形をした墳丘であったと

推定できます。

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岡山

古墳

墳丘

測量

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横岡山古墳の石室

横岡山古墳の石室は、北方向に開口する横穴式石室です。横穴式石室とは古墳の側面に

入り口を設けた石室で、この入り口を塞いだり、また開いたりすることで複数回にわたっ

て棺を納めることができます。古墳時代前・中期に用いられた原則一回限りの埋葬である

竪穴式石室とは構造や機能が異なります。また横穴式石室は棺を納める玄室とこれに通じ

る羨道からなりますが、横岡山古墳の場合、玄室の長さ三m、幅(奥壁の幅)一・八m、

羨道の長さは四・五m、幅(玄門の幅)は一・二mとなります。また玄室からみて左方向

にだけ玄室の幅が広くなることから、左片袖式石室に分類されています。現在のところ、

香川町浅野地区で知られている横穴式石室は、横岡山古墳の他、東赤坂古墳、浅野八王子

古墳、万塚古墳と片袖式が占めています。石室の石材はこの山で産出する大きな花崗岩で、

羨道は三段相当の側壁と四枚の天井石で構成され、玄室は側壁で四段相当積んでいたと推

定されます。玄室は上半分が壊れていますが、天井石が残る羨道では幾つかの特徴を見る

ことができます。羨道は長くしっかりとした造りになっていて、床には川原石を敷き、さ

らに石の蓋をもった排水溝を備えていることが、平成十九年度の調査で確認できました。

また石室の入り口にあたる羨道の末端は、両側面に立石を用いており、羨門と呼ばれる構

造にもなっています。

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横岡

山古

墳石

室測

量図

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横岡山古墳の出土品

横岡山古墳の出土品は往時の発掘のものを含めると、頸飾り(小玉)や耳飾り(金・銅

環)の装飾品、刀、馬具などの鉄製品、さらに多数の土器が知られています。平成十九年

度の調査時でも、羨道に多数の須恵器などの土器が出土しました。これらの副葬品は、棺

を納める玄室では盗掘の影

響が大きく、また羨道につ

いても追葬に伴う片付けや

石室の外に掻き出した行為

が推定されるもので、本来

の副葬された様子について

詳細はわかりません。

ここでは、一般に横穴式

石室に多量の土器が出土す

ることについて引き合いに

出される神話について紹介

します。これは『古事記』

横岡山古墳の出土土器

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などに記されたもので、イザナキノミコト(伊邪那岐命)とイザナミノミコト(伊邪那美

命)という男女の神の話です。亡くなった妻イザナミを追って黄泉国に辿り着いたイザナ

キは、暗闇の中で黄泉国の食事、「ヨモツヘグイ」を済ませたイザナミの変わり果てた姿を

見てしまいます。これに恐れをなし逃げ帰るイザナキに、怒ったイザナミは追手ともに追

いかけますが、イザナキは大きな石を立てて、黄泉国との絶縁を言い渡す「コトドワタシ」

を行ったというものです。

つまり、石室で多数出土する土器は、葬送儀礼に関わった食器類や現世との別離を宣言

する儀礼に用いた器であるという解釈することができます。この横岡山古墳の石室では、

食事を盛る杯や酒などの液体を入れる壺や瓶類が多く認められる他、石室の出入り口に相

当する箇所からは、大きな甕が潰された状態で出土しています。現在、この神話がどの程

度、横穴式石室で執り行われた儀礼を反映するものか研究者によって意見は様々ですが、

この黄泉国の神話については横穴式石室とともに当時の人々の死生観を端的に表すものの

ように思われます。

【参考文献】・『ひょうげまつり』香川町文化財保存会・ひょうげ祭り保存会

一九六六

・『横岡山古墳・城所山古墳群』

高松市教育委員会

二〇〇八

・『横穴式石室誕生

黄泉国の誕生』

大阪府立近つ飛鳥博物館

二〇〇七

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