生活指導における校則研究の課題 - osaka city …...f ロバ子 トト 島 中...
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子ロバFトト島中
生活指導における校則研究の課題
服装規制の評価を中心に
はじめに
「鎮静化 Jの傾向をたどっている乙とが報
それそういった事態とは裏腹に,学校現場における管理が強化されており.2)
らを告発する管理主義批判の教育ルポ特集がさかんに出版されている。
一昨年クローズ・アップされた「校内暴力」問題は,
道されている。一方,•
その切り口や視点、は様々である。そ乙で使われている管理主義一口に管理主義批判と言っても,
の概念、も,主として教職員に対するしめつけの強化として使われている場合や,直接生徒を拘束す
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その概念、は,必ずしも教育学的にきちんと整理さ
そうした管理主義的状況を考える足掛かりとして,校則問題を取り上げる乙ととする。
るような内容をさして言われている場合もあり.3)
れているとは言い難い。
本稿では,
その組織「一般に,各学校が定めている,第一法規『教育学事典』によれば,学則・校則とは,
および学生・生徒の利用関係の規則等を含めての当該学校の内部管理規則をい-管理・教育課程,
高等学校をそれを学則とよび,う。わが国では大学等,高等教育機関の内部管理規則については,
含めて,初等・中等教育機関のそれについては校則と慣例的によぶ乙とが多い」とされている。さ
らに,校則概念をめぐる課題として,学則・校則については,今日,相対立する二つの説が展開さ
れている乙とが説明されている。その一つは,学則・校則を営造物管理規則であるとする伝統的な
との説に従えば, r学.QIJ'.校則は,営造物たる学校の組織・管理およひ不IJ用条件等につ説であり,
いて,営造物の長たる学校管理者が定める学校の内部規律であり,当該学校の利用関係者は,かか
る内部規律に一方的に従う義務がある」というととになる。乙れに対しでもう一つの説は, i学則
-校則を,当該学校の教職員の意思を反映した職員会議によって審議・決定されるべき性質の一種4)
.の学校慣習法Jと解する見解である。
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乙のように,校則概念はそれを支える立場iとより異なった解釈がなされている。
本稿で取り上げようとするのは,乙ういった嫌々の解釈をもっ校則の中でも,いわゆる「生徒心
得Jにあたる部分である。生徒の心得に関するものの内容も,通学上,あるいは校内生活の心得,
所持品の規制,校内での自治活動についてなど多機であるが,とりわけ,髪型や服装などの風俗に
1
1
10
関わる側面を中心とする。したがって,風俗面の校則の是否が焦点化する,中学・高校段階に対象
を限定しておく。
続いて代表的な校則展開の順序としては,最初に現在の校目IJをめぐる問題状況を簡単に見る。
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研究を概観する中で,生活指導における校則研究の課題を考えていくとととしたい。
校則をめぐる問題状況
まず.妓近急速に強まってきている学校教育における管理主義の状況からふれていきたい。とく5)
にそうした傾向が強いとされている愛知県の例をみてみよう。「長袖シャツを腕まくりしていただ
けで父兄召喚になった話や盆踊り参加も制服の着用が強制された話,徒歩通学でもヘルメットの着
用が強制されている話…….修学旅行に行く時小遣いの三千円をあらかじめ銀行に持っていき,通
し番号に変える話(どの生徒がどの番号のお札をもっているかを学校が杷鍾し小遣いを管理できる
「禁書リスト jや「文化部の統制・抑圧 J,r本6)
屋への立寄り禁止」などの思想面における管理もすすんできているという。さらに,
ようにする) Jといった行動面の生徒管理に加え.
そうした生徒
管理は,生徒の人絡を無視するととから始まる。つまり「新しく入学してきた生徒は,当初,
格のある存在u とは認められず, filや鳥晋雑言の恐怖の中に立たされ, tr校則』や『集団行動訓練』
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そのための恰好な手段や機会となり,生徒『オリエンテーション合宿jJrrテストJ]tr儀式』等は,7 )
たちは,先生の顔色を見て動くようになる Jといった事態になっている。
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全国的にみても,生徒への「出席停止措置」や教育委員会による生徒名簿の警察への提供など,8)
内外からの管理が強まっている。
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乙のような管理主義的傾向の顕著9)
な例として,すでに多くの教育ノレポ特集や先行研究で明らかにされている。
生徒のき三型や服装などの風俗血iζ附わる問題状況については.
歳近刊行された坂本秀夫著『生徒心得』もその一つであり,全国の中学校,高等学校の生徒手帳
たとえば服装に関しては,大半の中学校が300冊に関する分析結果が報告されている。その中で,
. ベルトの幅などに至るまで細かく決めており,頭震についても,図入りで襟の高さやボタンの数,
男子生徒の丸刈りを画一的に規則する学校が全体の約4割に及んでいる実態などが明らかにされて10 )
いる。
そして,学力の低さと非行の発生高校間格差の存在,また,別のレポートでは,高校において,
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「低いランク Jの学校では規則によるしめつけと,学11 )
校内規による処分が繊行するといった状況が報告されている。
率が「正比例」しているという現状の中で,
それらの校則は,手続き面からみると,父母の意見や,生徒集団の自治活動による総意は,ほとι .
.
、
乙のような校則の特別権力関係説的
んどその内容に反映していない。そして,内容の如何を問わず服従の義務があるとする,営造物管12 )
理規則に基づく特別権力関係説的な解釈が大半である。また,、、
.
• とにかく規則に子どもを「服従Jさ「服装の乱れは心の乱れ」とし,な解釈を支えるものとして,を:
‘ せる乙とが生徒の問題行動を防ぐ有効な手段であるという風潮が強くある乙と,保守的なP・T・
13 ) A によりその風潮が積極的に支持されているという実態が明らかにされている。
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「校内暴力J問題は,
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とのような生徒指導体制の管理主義的強化が効を奏したのか,
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• •
ととろで,
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その一方で,生徒聞における14 )
集団いじめの陰湿化や登校矩否による長欠が急増している事実もみのがせない。
「鎮静化」のきざしをみせてはいる。しかし,先にも述べたように,
今日の「校内暴力 Jを初めとした子どもたちの問題行動は,学校教育における能力主義的傾向や
マスコミの風潮など,社会全般の諸矛盾が背景とな って, 子どもた家庭破境,地域の環境の問題,
ちが健全な「発達 Jをするための諸条件を毒われている所に端を発するものである。そ うした諸要
それらの措置は何ら根本的な解15 )
決につながるものではないというととは,多くの論者によって指摘されてきた。
因を看過し,子どもたちの問題行動を表面的iζ規制したとしても,
今日「ランク」の低いとされる高校には,中学時代の成績と入試のよしあしで先にもふれたが,
たとえば、「自慢に思う乙とが
何もない Jと答える者が半数を占めるほど,自尊心を傷つけられている。そして,注目すべき乙と
輪切りの底辺におかれた生徒が入学する。そのような学校の生徒は,
そのような学校の「ランク」づけが生徒の家庭階層をほぼ反映し,固定化しつつあるという現は,
象である。そうした学校では,生徒の行動のチェ ック「 規則を守らせる」乙とか学校運営の最重点lo)
となっている場合が多いという。17 )
それらの措置によって,子どもたちの中に「自覚的な規律」が育成されるはずいうまでもなく,
もない。むしろ, i校内暴力」問題が「鎮静化 Jしたかわりに,生徒聞におけるいじめ問題という
形をとってあらわれているとも考えられよう。
乙のような校則が子どもたちの自覚的な行動を形成するものとなっていないという乙とについてー-
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は,次の意識調査の中にも示されている通りである。すなわちそとでは, i学校の規則iζ合わない
「学校の規則に合わない髪型をする」という欲求が,中 1段階でそれぞれ6.5%,服装をする J.-
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35,8%に至るなど,学年が上がるにしたがって増7.4%であったものが,高3段階では 36.9%,18 )
加していく傾向にあるという乙とが示されている。
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規律を「外面的な秩序または外面的な方策にすぎないもの Jととらえる乙とは,
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「それらはもし規律をそのように見るなら,カレンコが指摘するように,.致命的な誤まりである。
つねに児童集団の反抗を呼びお乙もっぱら抑圧の形式にすぎないものとなるであろうし,つねに,
また,抗議と,規律の領分からむしろ逃げfごしたいという欲求以外には,20 )
も育成しないであろう Jというマカレンコの指摘が,まさに校則をめぐる現代の学校状況にあては
なにものすであろうし,
まるのではないfごろうか。
乙うした問題状況を解明し,克服するという課題に充分有と乙ろで,生活指導研究においては,
そのような実効iζ対処しえてない。そのととは,持田栄一氏が「……生活指導の理論においては,
践が現実には教育の管理=経営機能によって『組織化されたもの』であるにもかかわらず.その理
論は現在公教育の現実梅造,それを規定する教育の管理=経営過程を捨象した形で構成されている」
と指嫡している。
前述のジャーナリズムによる教育ノレポ特集の論調は,何よりもまず,現実に対する鋭い切り込み
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それらの校則をすべて撤廃して,自由化するととで事足りるもの側面を多々有しているとしても,22 )
ではない。 •
たとえば兼子仁氏や坂本秀夫氏らの教育法学による校則問題へのアプローチは明確な枠組みを基
になされており,従来の生活指導研究の欠落していた部分から問題構造を解明している。また,教.・-.-
4・
育社会学や歴史学の校則研究の成果を踏まえつつ,内容論を検討していくととも重要となっている。
そうした他分野の解釈にまで立ち本稿は,生活指導論として校則を取り上げようとするもので,
入る乙とは筆者の力量の及ぶと乙ろではないが,続いてそれらを概観する中で,校則問題に対する~
方法論を考えていく乙ととしたい。
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iで述べてきた教育の荒廃状況に対し
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兼子仁氏,坂本秀夫氏らによる教育法学的アフ。ローチは,
に対する方法論の検討
二つのアプローチから
教育法学的アプローチ
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て,憲法・教育基本法の理念から,子どもの人権を擁護しようとするものである。
たとえば兼子仁氏は,現在の管理主義的状況を特別権力関係説が支えているとの認識のもとに,
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それらを克服するものとして,生徒と学校設置者との聞の契約関係説を提唱している。兼子氏によ
「国公立学校の在学関係を具体的に見れば,現行の教育法制化にあっては,学校当局に広汎
な生徒義務づけや人権制限の権力が当然に認められる根拠はもはや無く,各学校の『教育自治関倒23 )
として,生徒や父母の基本的な合意のうちに慣習法的に人権の保障範囲が決められていく」という
れば,
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の様々な相互作用の中で形成されるものととらえられる。 . 、
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24 ) 乙うした法理論に基づき,さらに具体的に展開したものである。坂本氏の論説は,
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坂本氏は前出の『生徒心得』の中で,生徒の服装規制について,まず三点にわたって述べている。
一点目として,今日, r流行にまどわされない主体的・個性的な服装に対するセンス・態度を身
「それだけに服装に強い関心が芽ばえる中学・高校生時代に,につけるととが要求され」ており,
細かい服装規制の中で生活するととの弊害Jが大きい乙と,第二に, i子どもの服装は家庭教育の -hbge
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「特に公立中学校は義務教育であり,
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一つの内容」であるのに. I制服は,全く,無数の家庭の教育の蓄積について一顧も与えない。そ
のような権利が学校にあるのだろうかという ζ とJ,第三に,
しかも,学区制によって,学校選択の自由も,現実には与えられていない Jととから, 「ととで,
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もし親がその思想信条の上から,子どもに制服を着せる乙とを矩否しようとするならば;制限は籾25 )
権を侵害する乙とになる」という点、を根拠として,服装規制は問題が多いとしている。
より積極的に,人身の臼(t1 ,
したがって,髪担や服装について
プラたとえば「教師が頭髪をしげしげとのぞき込んだり,ポケ ット検査をする乙とは,26 )
イバシーの侵害 」になる乙と,また, I髪形 ・身だしなみについては,27 )
表現の自由の観点からみる必要がある J乙とが指摘されている。
さらに.
の教師の指導は「助言指導」にとどめ,本来は生徒集団の自主規制iζ委ねるのが望ましい。
サンダノレ,草履などでの登校」といった「反風俗的な服装Jや, I非行」生徒が「自分た
ただ.
I下駄,
ちの力を誇示し,仲間を誘い,又誘われる目じるしとなる」ような「非行スタイル」を学校が禁止28 )
するというような措置は,生活指導上必要な措置であるとしている。
第三の論拠としてあげている親権については,親と乙ろで,坂本氏が服装規制iζ反対する第二,• ••
の恋意をも含めた主観ではなく,子どもの教育を受ける権利を保障していく内容として理解してい
その措置たとえば,学校のとったある一つの措置に対して,親が反対した場合に,く必要がある。
そ乙で問われている内が税権を侵しているから認められないといえるのfごろうか。その場合には,
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容が,子どもの「発達」を保障しうる質のものであるかどうかという基準が問題にされなければな
29) らない。
プライパシーや表現の自由についても,学校教育の場においては無制限ではありえない。また,
「助言指導」や「非行スタイルの禁止」といった借置が必要とされるのであるが,30 ) .
そ乙においても,教師の指導の質によっては管理主義となる危険性をはらんでいる。乙ついった点
そのととから,-・
について,教育法解釈としてのさらなる理論化がいるように思われる。
教育法学者の間でも,契約関係説が管理主義を完全に否定する法的論拠となりうるのかという点31 )
については,議論のわかれると乙ろである。
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たとえば埼玉県大井町~O中学校における「坊主刈り」の措置に対して日本弁護士連合しかし,
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乙のような教育法解釈に基づいた生活指導的アプローチが,従来,密室の中に葬り去られていた,
とりわけ人権侵害を伴うような強制的な措置に反対する理論を
高く評価されるべきであろう。
特別権力関係説的な解釈の問題点,
提示している乙とに対しては,
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日本の学校文化への着目2.
校則問題を考えていくうえで,前項の教育法によるアプローチとともに注目しておく必要がある
と思われるのが,風俗問題に対する教育社会学や歴史学の研究の成果である。
(集団〉として級い, その子たち「子どもたちをマス日本が明治以来,たとえば深谷昌志氏は,
に服従を求めつつ,知識や技能を伝達していく知識注入マシンとしての学校文化 Jを有してきた乙
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33 ) とを指摘する。したがって児童規則において,子どもたちに服従を求めた明治期とあまり変化がな
34) 日本特有のそうした学校文化の一つを形造るものであるとしている。いという傾向も,
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学校だけに限らず,日本の文化全般が,明治以来一貫して「日本型集団主義者」の育成に大きく35 )
寄与しているのではなし、かという指摘は従来から行なわれてきた。乙乙での「日本型集団主義」と
. -日本の小学校などで「全員声を揃えて同調する乙とが先生の期待に答える所以であたとえば,は,
.... .. , る。……乙ういった全員一致的雰囲気のなかでただひとり『わかりません』というととがきわめて
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日本人であればだれしも体験的に知っている乙とであるだろう Jと36 )
「集団への向調」や「つきあいのための賛成」という内容である。乙のような「従順
勇気がいる行為である乙とは,
いうような,,
o 、な労働者」としての資質が校則など様々な手段を通じて育成されてきているという側面は,さらに• • •
分析を要する課題である。
, ・・一特別権力関係下において校則は,内容の如何を問わず,学校の利用関係者が一方的に従わざるを
得ないものとして存在しているわけであるから,上記の事柄はむしろ当然の結果であるとも言えよ
つ。.ー,‘.・ー-I その時々の社会意識・政治動向を反映し明治以降,学校における服装や髪型などの風俗問題は,
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て広義の教育手段として変化し,学校管理の重要なー側面を担ってきた。乙の ζ とはすでに佐藤秀37 )
夫氏の先行研究で明らかにされている。学校教育の場だけに限らず,
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そもそも風俗というものはす38 )
ぐれて政治的な教化の手段としての性格を歴史的に有してきたのである。
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一例として,明治38年 8月に出された長野県立代用松本町立高等女学校の「生徒心得・校友会規
約Jをみてみよう。 . . 、
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衣服及其ノ附属品ニ関シテハ左記各号ノ制規ヲ守ノレベ‘シ第七条
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服装ノ心得第二章「
一、着物及羽織ノ地質ハ木綿物トシ成ルベク筒袖仕立タルヘク閥袖ナノレ時ノ、袖丈一尺七寸以内トス
二、帯ノ地質ニ絹類ヲ周ウヘカラス
三、袴ハ木綿物ニテ作リ本校所定ノ徽章ヲ附スヘシ
四、頭巾,肩掛,手袋,合羽及半衿,紐,類其ノ他附属品等総テ華麗高価ノ品ヲ用ウヘカラズ
靴ハ装飾ナク強固ニシテ廉
装飾用ノ留針,結髪ハ成ルヘク束髪トシ常ニ自ヲ結フヘク又毎月一回以上之ヲ洗簸スヘシ
五、下駄類ハ表ヲ附ケサノレモノ草履ハ麻裏トシ何レモ緒ハ木綿物トス
価ナルヲ用ウベシ
第八条
•
39 ) J
並ニ櫛類及リボン華美ナル根鈴等ハ総テ之ヲ用ウヘカラス
前二条ノ制規ハ膏ニ登校ノ間ノミナラズ特別ノ事情アル場合ノ外ハ常ニ之ヲ確守スヘシ
袴ハ登校ノ際ハ素ヨリ訪問散歩等総テ往来外出ノ際ハ成ルヘク之ヲ着用スベシ
個々の内容に違いがあるとはいえ,今日の生徒心得ときわめて似かよった記述がととには存在し
第九条
第十条
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ている。戦時であったととに加え,女子の中等教育が拡大していく中で,女学校がもはや特権階級
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の子女のためだけの教育機関たりえなくなった乙とも関連して, 学校風俗iζ質素で経済的な性格を
それが日本の学校風俗の持たせるととが当時急務であった。との規定の中にみられる袴iとしても,
ひいては女子の健康と同家の将来へ
の危倶といっfこ要素にいたるまで・複雑に絡んだ論争が展開されていたのであr中iζ定着していくまでには, 当時の差別的な女性観や教育観,
乙のような歴史の延長線上に現代の日本の学校の風俗問題が存在しているという 乙とについての
認識は重要であろう。
たfご注意を促しておきたいのは,先iζ深谷氏の指摘した事柄がはたして日本固有の文化であると
言えるのかどうかというととである。そのようなとらえ方からは,原因を民族性i乙帰するという結,
論しかで‘てζない危険性がある。また,上記の生徒心得の例lとしても,明治期から今日に至るま で
一貫して同一の性格を維持し続けてきたと考える乙とはできない。乙れらも時代とともに変化して•
-
それぞれの時代に固有な諸関係の中に位置づけてとらえ直す作業が必要であろう。いるはずであり.
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生活指導における管理続念の検討
1. 管理復念について
以上,簡単に今日の校則研究に関する二つの視点、を概観してきた。校則の法的性格を問題にする
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場合も,また,校則の内容に関わる論議においても,最終的には教育における管理概念、の整理とい•
うととに突きあたらざるをえない。
乙うした学校風俗に関わる規制をすべて日ョ
たとえば前項で取りよげた女学校での符の着用が, 当初の意図としては女子の健康面での配慮や41 )
機能性・経済性といった観点から出されていたように,
. ,
上から与えられたもの Jとして無用の管理であったとする乙とは早計であろう。教育において管理
その形態・内容乙そ検討されなければならないが,一方では必要不可欠なものといという側面は,
えるのである。
とζ ろでとの場合,管理の規定をもう少し明確にする必要がある。教育行政学などで問題にする42 )
管理は,学校運営iζ関わる学校経営的要素をさして使われている。生活指導論においては,全国生
活指導研究協議会の自主管理論に代表されるように,管理は,そうした学校経営的要素をとりあえ43 )
ず捨象し,主として学校教育の方法概念を意味しているoe
しかし現在の学校の状況,とりわけ iでふれたような高校での管理主義や処分主義を問題とし
ていく場合には,上記の学校経営的要素と学校教育の方法論的要素とを統一的に把鍾するととが焦
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眉の課題となってくる。 Eで紹介した教育法学によるアプローチは,従来の生活指導論のそうした
欠落点を繍う内容を持っている。
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また,自主管理論が,現在の管理主義的状況を否定するものとして出されているにしても,その
内容において,子どもたちの要求を基礎としつつ,集団のとりくむ課題が客観的に明らかにされる
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44) という過程を通さなければ管理主義を克服しえないという乙とも指摘されている。つまり,生徒の
そ乙で扱われる「管理」の質を問題にしなければ,管理主義と白自主管理という形態をとっても,
己区別できないという乙とになる。
乙れらの乙とを踏まえつつ,再度,現代の学校の髪型や服装規制の問題に戻ろう。
たしかi乙よく言われる「服装の乱れは心の乱れ 一!という論理に対しては,先にもふれたように,,
.
・・・・・・・・
それを誰が考えて服装の乱れが生徒の問題行動のメノレクマーノレになっている場合があるとしても,
も首をふるような内容の管理の強化で統制をはかつても,表面的な問題行動が一時的に減るくらい
そうした問題行動をとらせている根本的な要素の方は,一向に解釈されない。またかえって生で,
‘
徒の反発や問題行動を増加させる場合も多いという乙とを繰り返し指摘していく必要があるだろう。45 )
さらにそうした乙とは,外見だけで人聞を評価するという悪弊にもつながりやすい。
さてそれでは乙ういった風俗に関わる規制は一部の主張がそうであるように,すべて撤廃される46 )
たとえば1970年前後に制服反対運動が高校紛争の一環としてくり広げられた。そ
鴨川プ一山んじに
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3722叫
べきであろうか。
の乙とは少なくとも保守的な学校の体質に対して疑問を投げかけたものとして,積極的な要素をも
,
ζの論議の中で出された制服の自由化という主張にしかし,っていたと評価されるべきであろう。
• 1・
•
とどまるのではなく,有効な管理としての風俗論,及び,そうした乙とを可能にするような前提条
件をも明らかにしていく乙とが課題としてあるように恵、われる。
乙れまで・の生徒心得にかわるものとして,生徒のたとえば坂本秀夫氏の『生徒心得』の中では,
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服装・頭髪などの細目の決定権を生徒会に移し,生徒の権利宣言としての「生徒憲章」のようなも47 )
のに脱皮させていくという提案がなされている。乙のような提案は積極的な要素をもっている。と同
時i乙,現在の学校現場の中で乙のような実践を可能にしていくためには,教師集団が生徒の人権を
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さらに高い動機や欲求がそして生徒の欲求をふまえつつ,徹底して擁護していく立場にたつとと,
形成されるような質の高い集団の活動を組織していくという視点をもっ乙とが前提である。また最
終的に生徒の自主規則という形態をとるとしても,教師が学校風俗についての一定の見解を整理し
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マカレンコの規律観,および現代の管理主義的状況との関わりについては別の論文ですでに述べ48)
ているので,乙乙ではふれない。
上記の乙とは日本の生活指導研究では未整理の部分である。ただ,乙の点、に関しては,
ス・マカレンコのレジム論が示唆的であると思うので,最後に二,三の論点を紹介し,課題を提出
.
美学と伝統
マカレンコのレジム論の示唆するもの
ておく乙とが必要となってくる。
しておく乙ととしたい。
2.
ia 前項と関わって,今日的な視点で見直す必要があると恩われるのは,マカレンコの伝統や美学iζ
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ついての見解である。
fどもたちが「伝統を制りだすすばらしいれ子です jと述べ.伝統を自IJり 1'.(, fるマカレンコは.
「なにかしらわすカ=ばかりのふ能的な保守主義といったものを利川せねば.むらぺいという こiこは,
きの うつまり,それはよい精紛の~点、r:1:. ~をでありますのもっとも.とを.68めるべきであります。
ある価{仰をiilJりだしていて,きょうのli分のいまぐれによ ってその倫相49 )
を般犠することを望んではいないようなわたしたちの[ci]僚にたいするじ舶であります jと辺、べてい
というけにたいするい粕.
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わか凶てマカレンコの伝統についてのは解は.後i司主義や令体主義i乙対する嘗}伐と相まってか,
はほとんど母要観されていない。しかし.たとえば集団主主教行のtH安併というととが一時期さかん
50 ) に 三われながらも.現在ではあまり j~~されていないという 'p'だをとってみよう。乙の ζ とは, ノ入
lJのuふの現状の中で・集問主義を追求していくような教η実践(符理主義や ill本1tl集問主義 Jと
きわ;立区別された)を慢なる流行現象にとどめるのではなく,持続させ,発版させていく ζ とか,
めて肘鰭な深凶であるととをぶしている。そういった乙とから,伝統という渡来が.学校規徐の中
レジムのii体的な内容についてのつつ込んだ.分析が必要となっている。
でもつ愈援について考える時期にきていると思うのである。
乙の伝統の埋解iζ加えて,
乙れはた
51 ) とえばマカレンコかずどもたちにピカピカのシャツを着せなければならないと考えていた乙と,さ
とくに,美的センスの形成の側血や,子どもの続伸世界の理解という由-についてである。
•
マカレンコが教師たちに対してだらしのない服装でいるととを決して詳した ζ とがなかった
つまり教師はいつもとびきり上等の服を着なければならないと考えていfdとへの着目とい
らiと.
乙と,
うζ とである。
マカレンコのコムーナで,行軍の際i乙赤S貨を夜ζ と書するという伝統があっそのととの理解は,
たととについて「あ江たはなにをLているのですか?少年たちは夜は寝なくてはなりません。あな
しているのでしょう。ととろが,あなたがたの少年たちは.たがたは健康のための運動を,行軍を,
マカレンコが.め53 )
たしたちはお互いにちがう闘のととばで話しあっているようなものでした Jと述べているのとfo]
夜ごとに,績の暑をしているのですね Jという非鍵がょせられた乙とに対して,
嫌,復維な問題をはらんでいる。
マカレンコが「本能的な保守主義 jという三業で表現した事柄をやJJtJすると教育活動において,
いう乙とは,必要な緊強関係を待続させ,教育効巣を尚めるうえにおいて.不可欠の安楽である。
それらを実践していく際には,従米かそれはあくまでも「よい種鎖の保守主義」であり,54)
ら織り返し指鏑されてきたように,集団主護教育の全体系の中iζ位慣づけ,提起されなければなら
しかし.
乙の乙とがおろそかにはされるのであれば,本縞で批判した管埋主表の生徒指導績にもし,はい.
質してしまうという乙とも,同織に認織する必要があろう。
レジムの理解と関わって注意しなければならないのは,教育において外的規制がつねに
-37-
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さらに,
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その内容をーから十まで逐一子どもたちに説明しなければならないものでもな
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いという乙とである。
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とういった点についての検討が今後必要であるように思われる。つまり,生活指導研究において
は,学校風俗の問題を,管理主義批判のーっとしての要素とともに,集団主義的な連帯感の育成と
いう課題に応じた積極的なレジムとしての校則論を考えていく乙とが求められている。たとえばピ
オネーノレたちにとって「赤いネクタイ」がどれほど重要な教育的意味を持っているのかといった乙
とが,民主的な子ども会活動だけでなく,学校教育の場においても考慮されなければならない。そ
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乙i乙,管理主義批判としての制服自由化運動というものが影響力を持ちえなかった理由の一つが隠
Eで紹介した校則研究とは区別される,生活指導研
青少年白書』「朝日新聞 J,及び総理府青少年対策本部編f昭和59年度版
203 --206頁参照。
そして,上記の乙とを明らかにする乙とが,
されているように思うのである。
究独自の課題と言えるであろう。
7月17日付
大蔵省印刷局
1984年,
〈注〉
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昭56年毎日新聞社管理教育の実態を衝く』たとえば,毎日新聞社編『つくられる「良い子」たち‘2)
1976年,林雅行『管理される子どもたちくノレポ〉しのびよ朝日新聞社朝日新聞社編『いま学校で』④
1984年,浅野郁岩波書庖1982年,鎌田慧『教育工場の子ど、もたち』柘植書房る右調教師の群れ』
など。
298 --299頁。
5-89頁を参照。
昭53年
l銘4年風媒社
明治図書,
細谷俊夫・奥田真丈・河野重夫編『教育学事典』第一巻,第一法規
藤田邦彦他著『窓のない教室からー愛知の管理教育と教師たち』
『現代教育科学.nNo. 318, 1983年 5月号,この点については
郎
3)
4)
『窓、のない教室からー愛知の管理教育と教師たちJ},愛知県の管理主義的状況については,前掲 2)5)
『教育工場の子どもたち』の中で詳しく紹介されている。また, 19例年10月11日付「毎日新聞 J,t 及び
30 -31頁。乙れが,極端な例
「出席停止措置」についてはt 1983年12月6日付「日経新聞 J,及び, 1984年3月7日付「毎日新聞 j
を参照のこと。また,教育委員会による生徒名簿の警察への提供については, 1983年 7月7日付「朝日新
聞」において,静岡,秋田,山形の事例が紹介されている。
1984年6月ユニテ
でない乙とは,前掲 5)の文献をみれば明らかである。
向上,
毎日新聞社などを参照。
「かんかん」編集委員会編『かんかん』創刊号
『教育の森J11982年11月号
29頁。
6)
8)
39-63頁,朝日新管理教育の実態を衝く』毎日新聞社編『つくられる「良い子Jたち前掲 2)9)
など。
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•
115 -153頁,久世礼子編著『中学生になぜ制服か』三一書湧 '19例年
19例年 1ω頁。エイデル研究所
.
-38-
聞社編『いま学校でJ14
『生徒心得一生徒憲章への提言』
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坂本秀夫
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54 ,._ 121頁。管理教育の実態を衝く』毎日新聞社編『つくられる「良い子Jたち前掲 2)、,ノ---A ---A
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高校における「処分」の問題点については,鈴木一「ある学校内規にみる生徒の人権・学習権 Jなお,
152 -163頁を参照。学事出版)ホームルーム.JJ1982年12月増刊号(r月刊ー、
244頁。昭57年学陽書房『生徒懲戒の研究J仮本秀夫12) 、
104 -106頁。1983年三省堂今橋盛勝『教育法と法社会学』-・.
1984年 7月17日付「朝日新聞 J,及び同日付「毎日新聞」参照。14) . .
たとえば,俗原治郎「校内暴力ーその実態と対応J(松原治郎・熊谷文枝編集・解説『現代のエスプリ』15) . ,
社説, 1984年 7月19日付「毎5-22頁, 1錦4年 7月18日付「朝日新聞」昭57年 7月)至文堂No.I80 -
など。日新聞 J社誌
1985年 1月22日付「毎日新聞 J参照。16) 、
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「自覚的規律 jの概念、については,拙稿rA. C.マカレンコの規律観一日本における学校規律の問題J7)
昭59年4月) 49 -60頁を参照されたiζよせて J(大阪市立大学文学部教育学教室『教育学論集』第10号
し、。
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昭59年受験・校内暴力・親子関係』日本放送出版協会NHK世論調査部編『中学生・高校生の意識18)
61頁。
アー・エス・マカレンコ「訊|育過程の組織方法論J(マカレンコ全集刊行委員会訳『マカレンコ全集』19)
1965年) 32頁。明治図書第 6巻-・
向上。20)
、
~ ~ ・.ー
25 -26頁。1965年東京大学出版会持田栄一『教育管理の基本問題』21)
校内暴たとえば,前掲 9)久世礼子編著『中学校になぜ制服か.JJ,及び,毎日新聞社編『教育を追う22)
参照。1982年カの底流』毎日新聞社
229頁。197i年岩波書庖緬尾輝久・兼子仁著『教育と人権』23)
なお,坂本氏の論説は東京都高等学校教職244 -245頁参照喝娠本『生徒懲戒の研究』前掲12)24)
員教育法研究会一全国高等学校教育法研究会における教育法研究の代表的江ものと言える。
86-88頁。前縄10)坂本『生徒心得一生徒憲章への提言 』25) . . . . ・.
155 -158頁。坂本『生徒懲戒の研究』前掲12)26)
向上。27)
101 -103頁。坂本『生徒心得一生徒憲章への鍵言』前縄10)28)
参照。210頁持田『教育管理の基本問題』前縄21)29)
総合労働研究所〉夏季号1983年
今橋『教育法と法社会学』
伊.公一「校則の法的性格J(季刊『教育法』第48号
怠照。114-116頁前縄13)
たとえば
30)
31)
11照。16......23頁
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266...... 2tB頁。
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『教育と人権』
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理想、社〉1984年 4月号深谷呂志、「学校文化の日本的な特性をとらえる J(r理想』33)
362 -372頁。
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参R旬。日目57年有斐閣
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漬口恵、{~・公文俊平絹Ií U本的集団主義』35)
85 -86頁。8{j48年講談社荒木↑導之 Wu本人の行動悌式一他律と集凶の論理』36)
第19集佐藤秀夫「学校における制服の成立史一教育慣行の歴史的研究として J(教育史学会紀要37)
「服装と教4-24頁,及び,1977年9月講談社教育史学会紀要編集委員会編『日本の教育史学』
文研出1980年 6月号J ((i文研ジャーナル』育との関係、史一学校の制服や標準服は必要なのか一
23 -26頁。版)•
参RR。1976年家永三郎『日本人の洋服観の変遷』ドメス出版38)
716 -昭52年長野県教育史刊行会史料編6『長野県教育史』第12巻長野県教育史刊行会編39)
718頁。
1974年に詳しし、。理論社村上信彦『服装の歴史JJ2 乙の間の事情i乙ついては40)
同上,参照。41)
. , . 君主問。持田『教育管理の基本問題』前掲21)42)
59 -72頁。1971弘第二版』明治図汗全生研常任委員会著『学級集団づくり入門43)
• 56-63頁。1983年5月号〉久田敏彦「管理と管理芥~~を・その歴史的既念 J (Ii現代教育科学JJNn 318, 44)
157頁)(前渇12) Ii生徒懲戒の研究』このことは坂本氏も指摘している。45)
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参照。93-95頁仮本『生徒心得一生徒憲章への提言』前掲10)46)
222 -237頁。同L47)
他稿rA. C.マカレンコの規律観一日本における学校規律の問題によせてJ参鳳前掲げ〉48)
115頁。『マカレンコ全集』第6巻前掲19)マカレンコ「ソビエト学校教育の諸問題J49)
他稿「全生研理論iζ関する一考察一一『学級集団づくり入門第二版』における民主主義教育観を中心にJ50)
参照。
47"'-51頁,及び,前掲49)rソビエト学校教育の
•
昭57年6月〉
.
高浜介ニ「教育における集団の問題一生活指導における集団の組織化についてJ<0-大阪
学芸大学紀要JJ1965年A第14号〉
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25 -37頁
•
『教育学論集』第8号
参照。
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マカレンコ r~III育過程の組織方法論 J
209頁。
• -
11-20頁
.
「ソビエト学校教育の諸問題」
118頁。
.
〈大阪市立大学文学部教育学教室
119 -120頁。
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諸問題J
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