データジャーナリズム・ イギリスbbcの取り組み...2015/02/03 ·...
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46 FEBRUARY 2015
データジャーナリズムという言葉は,報道関係者の間でたびたび使われるようになっているが,確立した定義があるわけではなく,「昔からあるデータに基づいた報道が発展しただけで,根本的には新しくない」という見方がある一方で,デジタル時代に得られるデータは質・量ともに比較にならず,全く新しいジャーナリズムの姿と捉えるべきだという意見もある(益田2014)。いずれにしても報道現場では,デジタル・多メディア時代に対応するジャーナリズムのあり方を探る中で,データジャーナリズムは,読者・視聴者とつながり,また新しい読者・視聴者を開拓できる一つの重要な報道スタイルになるのではという期待が持たれている。
本稿では,まず,変わるジャーナリズムの象
1. はじめに
デジタル時代,ジャーナリズムはどう変わるのか。特に,日常生活に広く浸透してきたインターネットやソーシャルメディアが従来型の報道にどのような影響を与えるのか,様々な論考が行われている。そうした中,本格デジタル時代を迎え,この数年,「データジャーナリズム」への関心が報道現場で高まっている。米英の高級紙「ニューヨークタイムズ」や「ガーディアン」などではデータジャーナリズム専門の部署を設け,イギリスの公共放送BBCでは,2014年3月までに,数百人の職員がデータジャーナリズム研修を受けた。NHKでも担当要員を配属し,データジャーナリズムの充実を図ることにしている。
データジャーナリズム・イギリス BBC の取り組み~デジタル時代の新たな報道スタイルの模索~
メディア研究部 田中孝宜
データジャーナリズムは,行政などがすでに分析し発表したデータではなく,独自にデータを収集・分析し,ニュースを発掘しようというもので,その多くが,コンピューターグラフィックスなどを使って見た目にもわかりやすく情報提供する新しい報道スタイルである。データジャーナリズムに決まった定義はなく,現場レベルで様 な々試みが行われている。2012年から毎年開かれているデータジャーナリズム賞には,世界各地から500を超える応募があり,データをもとに政治や社会の問題に鋭く切り込み,ビジュアルでわかりやすく表現した作品が集まる。
データジャーナリズムは,もともとインターネットメディアや新聞が中心で,BBCやNHKなど放送局は,ようやく本腰を入れて取り組み始めたところである。BBCでデータジャーナリズムを扱う班では,テレビリポートのインターネット展開を行っている。一例として,冬は患者が増加し,診察までの待ち時間が長引く病院の実態を伝えた報道がある。テレビリポートでは,一つの病院を記者が訪ね,医療関係者に焦点を当てて厳しい現状を報告し,また,インターネットでは,利用者が自分の住む場所を入力すると,近所の病院の実態がわかる検索システムを組み込んだ。
デジタル時代のジャーナリズムの象徴としてデータジャーナリズムが注目される背景には,利用者にニュースを「他人事」ではなく「自分事」として見てもらうことで,インターネットアクセス数を増やしたいという報道機関側の期待がある。しかし,データジャーナリズムが新たな報道スタイルとして定着し,発展するためには,ただアクセス数を増やせばいいというのではなく,データに基づいた調査報道で社会にインパクトを与え続けることができるかどうかが,重要なカギとなると思われる。
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徴的な動きとして注目されるデータジャーナリズムとは何なのか,報道現場ではどのような取り組みが行われているのかを概観する(2章)。その上で,BBCの取り組みの具体例を,放送現場,職員研修,BBCメディア研究所(ニュースラボ)で行った現地調査をもとに紹介する(3章)。最後に,専門家へのインタビューをもとに,データジャーナリズムは現場のジャーナリストやジャーナリズムの将来にどのようなインパクト・影響を与えうるのかを考察する(4章)。
2.データジャーナリズムとは
歴史と海外の動き
データジャーナリズムは,行政などがすでに分析し発表したデータではなく,独自にデータを収集・分析することで「ニュースを発掘する」もので,その多くはインターネットなど,双方向性を生かしながらコンピューターグラフィック
(CG)などを使って,ビジュアル面でも工夫を凝らし情報を提供する報道スタイルである。ただ,定まった定義や手法があるわけではなく,手探りで行われている状況である(赤倉2012)。
まず,データジャーナリズムの歴史を簡単に振り返りたい。その中で,過去のデータを活用した報道と,現代のデータジャーナリズムがどのように違うのかに触れたい。
データを活用したジャーナリズムの歴史は古い。アメリカ・テキサス大学のオンライン講座「データジャーナリズムの基礎(Data Driven Journalism:The Basics)」では,最初のデータジャーナリズムに基づく報道として,約200年前,1821年のガーディアンの記事が紹介されているという(益田2014)。マンチェスターの学校教育の現状を調べた記事で,学校ごとの生
徒数と経費を掲載し,無償で教育を受けている生徒数が公表されている数よりずっと多いということを明らかにした。
データを使った報道は,20世紀の半ば,コンピューターの活用で大きな進展を見せた。特に1952年のアメリカ合衆国大統領選挙で大手ネットワークCBSがコンピューターで分析し,アイゼンハワー大統領の勝利を正しく予測した。現在,コンピューター・アシスティッド・リポーティング(コンピューターを活用した報道:CAR)と呼ばれる報道スタイルの最初の試みといわれている。その後もCARの手法を用いた報道の実践が進み,「プレシジョン(精度の高い)・ジャーナリズム:Precision Journalism」という言葉が生まれた。データ収集やコンピューターを使った分析が,調査報道の客観性や精度を高めることにつながるという考えがあったという
(益田2014)。では,現在注目されているデータジャーナリ
ズムは,このCARと何が違うのか。また,そもそもなぜ今,注目されているのだろうか。いくつかのポイントを挙げたい。
●データの量・質が変わった 21 世紀になって,過去と比較にならない膨大なデータが,コンピューターで分析しやすいデジタルの形で手に入るようになった。
●コンピューターの処理能力が向上した 大型のコンピューターではなく,個人が使うパソコンでもデータ分析のレベルが格段に高まった。
●表現方法が変わった データジャーナリズムの多くは,CG などを巧みに使って,視覚的に読者・視聴者に訴えることを目指している。
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●データの位置づけが変わった かつての CAR は,報道の質を高めるための「手段」としてデータの収集・分析を行ったが,データジャーナリズムではデータ収集・分析そのものが「目的」となる。大手通信社のエンジニアでデータジャーナリズムの最新動向に詳しい赤倉優蔵氏は,データジャーナリズムでは,「データそのものが取材対象であり,調査報道の対象だ」と話す。また,NHK のデータジャーナリズム担当デスクは
「今まで脇役だったデータを主役として描くもの」と述べ,「これまでのジャーナリズムとはベクトルの違うニュースの作り方であり,新しい形のジャーナリズムの一つの分野となる可能性がある」との認識を示す。
●公的情報の公開が進んだ イギリスでは2000年に,情報自由法(Free-dom of Information Act)が制定され,政府の省,議会,地方公共団体等の公的部門が保有する記録情報に対するアクセス権が創設された(田中2003)。それを受けて,2008年,大衆紙「デイリー・テレグラフ」が情報公開請求を行い,国会議員の歳費の使用実態の情報を入手した。その結果,多くの議員が高級家具の購入や家の掃除代金,ビデオレンタル代など,議会活動とは関係ない目的で経費を使っていたことが明らかになり,大スキャンダルになった。その後も,ジュリアン・アサンジ氏が創設した,機密情報を公開するウェブサイト「ウィキリークス」が漏えいしたデータを分析した高級紙ガーディアンなどの報道が世界的に議論を呼んだ。こうした例に象徴されるように,イギリスでは,データジャーナリズムは,隠れたデータや誰も注目しないデータを入手・分析することでスクープを発
掘し,社会にインパクトを与えようという姿勢が根底にある。
日本での動き
日本でも一部の新聞や報道関係者が,データジャーナリズムに前向きに取り組み始めている。震災の後,政府データを独自に分析し,復興予算の使い道を検証した報道が,データジャーナリズムとして注目される大きなきっかけになったといわれている。
ジャーナリスト研修機関の中には,データジャーナリズムをテーマにしたセミナーを開くところがあったり,一部の新聞社や放送局では,一般参加者を集めてデータジャーナリズムのテーマになるアイデアを出してもらったり,パソコン上でビジュアルに提示するためのアプリ開発を共同で行ったりする「ハッカソン」と呼ばれるイベントを開催する機関もある。ただし,欧米のメディア界でデータジャーナリズムが語られるほどには,注目されていないという印象である。
NHKでは2013年,報道局の「遊軍プロジェクト」という部署に,データジャーナリズムの専門的な知識・理解を持つデスクを配置。翌年にはこれを発展させる形で専門チームを発足させた。データジャーナリズムを活用した番組としては,これまでに『医療ビッグデータ』や『データで分かる!2015年』を制作したほか,経済番組の中で経済データを独自に分析するなどの試みを行っている。またデータのビジュアル化では,台風接近時の風や雲の動きをニュースで伝える際に,従来の静的な天気画面ではなく,高精細なCGで表すなど,ビジュアル化の技術を放送に活用している。このほか,御嶽山の噴火災害の証言をまとめた「噴火の証言」や,衆議院選挙の結果を「無効票」「得票率」など
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独自の視点から細かく分析した「衆院選データマップ」など,データジャーナリズムの成果をネットの特設サイトに展開する取り組みも積極的に進めている。
データジャーナリズムの実践
では,具体的にデータジャーナリズムとして,どのような報道がなされているのだろうか。
2011年,世界のデータジャーナリズム実践者のグループが,「グローバルな編集者ネットワーク(GEN: Global Editors Network)」を設立し,教科書になるような「データジャーナリズムハンドブック」を作るとともに,「データジャーナリズム賞」を設けた。世界各地のデータジャーナリズムの実践例の中から,優れたものを選び
表彰するもので,レベルアップを図り,データジャーナリズムに関わる人の連携を促進していこうという意図があるという。
データジャーナリズム賞は,・データを使った調査報道(Data-Driven Investigations)部門
・データのビジュアル/ ストーリー化(Data Visualisation/Storytelling)部門
・データを使ったアプリ開発(Data-Driven Applications)部門
など,合わせて 9 つの部門で競われる。2014年,3回目の大会には,アメリカ,ヨー
ロッパ,アフリカ,アジアなど世界各地の報道機関やフリーランスのジャーナリストから523のプロジェクトの応募があり,2014年夏,9つの
2014 年度の受賞作品から(GEN のウェブサイトより)
自宅を没収された老人
〈ワシントンポスト〉
〈ニューヨークタイムズ〉
新しく建ったビル群 CG(左),写真(右)
ワシントン D.C. で差し押さえられた住宅の所在地
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受賞作品が発表された。データを使った調査報道部門は,アメリカのワシントンポストの「税金滞納者」を調査した報道が受賞した。認知症の老人が134ドルの税金を払わなかったために自宅を没収され,数か月後には売られてしまった例など,2005年以降,ワシントンD.C.で発生した509 件の税金滞納者の財産差し押さえの実例を調べ,住民を守れない法制度の問題などに迫った。
データのビジュアル/ストーリー化部門はアメリカのニューヨークタイムズの「変わるニューヨーク」が受賞した。2002年1月から2013年末までニューヨーク市長を務めたブルームバーグ氏の任期中に,どの地域にどんな建物が建てられ,街がどう変わったのかをCGと写真で見ることができる。
この他の受賞作品には,アルゼンチンの大手新聞「ラ・ナシオン」や,アメリカの非営利で調査報道を行い高い評価を受けているネットメディア「プロパブリカ」などが名を連ねている。ちなみにNHKの『震災ビッグデータ』は,最終選考には残ったが,受賞はできなかった。
イギリスの公共放送BBCも,2014年は受賞を逃したが,データジャーナリズム賞には毎年応募しており,2013年は『階級計算機(Class Calculator)』が受賞している。イギリスの階級社会,格差社会の問題を提起したもので,現代のイギリスには,労働者階級,貴族階級のような従来の階級では割り切れない状況が起きているとして,階級を再定義した。例えば,“インターネット業界に従事する労働者”のように,肉体労働者とは価値観の異なる労働者階級がある一方で,新富裕層と呼ばれる億万長者も生まれている。BBCでは専門家の協力を得て,16万人を超えるイギリス人にインターネット調
査を行い,イギリス社会に新しい7つの階級を作った。また,ホームページ上の質問に順番に答えていくと,自分の属する階級がわかるという仕組みを組み込んだ。『階級計算機』は大きな反響を呼び,賛否の声があるものの大勢の人がアクセスしたという。
データジャーナリズムは,インターネットを主な舞台に活動する新しいメディア企業やNPOメディアなどが先鞭をつけ,その後,ニューヨークタイムズやイギリスのデイリー・テレグラフやガーディアンなどの主流メディアに広がってきた。一方で,放送局の取り組みは遅れており,イギリスの公共放送BBCやNHKなども本格的に取り組み始めたばかりである。データジャーナリズム賞の入賞作品を見ても,放送局の例は全体的にまだ少ない。
3. BBC とデータジャーナリズム ~現地調査報告
BBC 新ブロードキャスティングセンター
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BBCのインターネット担当チームでは,以前からデータジャーナリズムに注目し実践してきたが,活動は限定的であった。
BBCのデータジャーナリズムに対する取り組みを加速させたのは,2013年4月に報道局長に就任したジェームズ・ハーディング氏である。ハーディング氏は新聞社出身だが,不祥事が相次いだBBCのニュース部門を立て直すために抜擢された。就任後,データジャーナリズムなど新しい報道スタイルを探る必要性を繰り返し述べている。2013年12月には,BBC職員への訓示の中で,次のように話した。
「ニュースストーリーを,どこでどのように探
すのか,また,どこでどのように発表するの
か,我々は,もっと創造的に,もっと実験的
になる必要がある。このことを念頭に,我々
はニュースラボ・チームを作った。データジャー
ナリズムやビジュアルジャーナリズムで行って
いることを一つに統合し,発展させることも
必要だ。ラジオであろうが,テレビであろう
が,オンラインであろうが,新しいニュース報
道の形を開発することが求められる」
こうした方針のもと,ハーディング報道局長は,2014年7月,報道局全体で415のポストを削減する一方で,データジャーナリズムなど,新たなサービスを開拓する分野に195のポストを新設すると発表した。
3-1 ビジュアルジャーナリズム班
ハーディング局長をトップとするBBC報道局の中には,「ニュース番組部(News Programme)」
「政治番組部(Political Programme)」などと並んで,「マルチメディア部(Multimedia)」が置か
れており,データジャーナリズムを担当するビジュアルジャーナリズム班(Visual Journalism)は,マルチメディア部の中にある。
BBCは2012年,新しい本社ビルに引っ越した。その際に,以前バラバラに拠点を置いていたニュースチームすべてを地下1階のオープンスペースに集めた。
国内ニュースと国際ニュース,テレビ,ラジオ,ウェブの垣根を取り払うのが目的だ。その際,CGなどテレビ番組のビジュアル化を図る制作チームとインターネット向けのコンテンツのデザインを制作するチームを統合して,ビジュアルジャーナリズム班が立ち上げられた。
ブロードキャスティングセンターの報道フロアー
ビジュアルジャーナリズム班
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ビジュアルジャーナリズム班は,ブロードキャスティングセンターの5階に置かれている。
統合したとはいえ,テレビ担当とインターネット担当は今も分かれている。現在,テレビグループには,デザイナーを中心に50人,インターネットグループには約30人の要員が配属されている。インターネットグループは,デザイナーや,ディベロッパーと呼ばれるコンピューターのプログラム開発に当たるエンジニア,そしてジャーナリストで構成されている。ただ,一般記事のグラフィック化なども行っており,データジャーナリズムに特化した部署ではない。
テレビとインターネット担当の業務が分かれていることについて,元デザイナーで,現在はテレビのデザインチーム責任者のポーラ・トンプソン氏によると,「放送用に求められるデザイナーの技術やセンスはウェブ用とは大きく異なるので,どうしても別々の役割を担うことになる」ということだが,同じ班に所属することで,普段から連携が取りやすい雰囲気ができていて,「一つのニュースを他メディアに展開する時のアイデア交換を日常的に行える」そうだ。
3-2 報道現場での実践例
テレビリポートのインターネット展開
BBCのデータジャーナリズムの最近の成功例として,『NHS(国営保健サービス)の冬』がある。国営の医療保険制度で運営される病院では,冬場に患者が増加し,救急車の到着時間が遅れたり,診察までに長く待たせたりするなど課題が多い。こうした現状をインターネット上に提示し,利用者が自分の住む地区を打ち込むと,近所の病院の現状を知ることができる仕組みになっている。画面の中の数字は,左2つが救急で運ばれた患者のうち4時間以内に治
療を受けることができた割合で,イングランドの主要な病院の平均で93.7%,全体では95.8%となっている。また,右の「3,828件」は患者を病院に搬送するのに30分以上かかった救急車の数である。
この報道のインターネット展開を担当したベラ・ハレル氏によると,このニュースは,医療担当の記者がテレビ用にリポートしたもので,記者から,そのデータをインターネットでも活用できないか,という話を持ちかけられたという。
インターネットでは,同じ話題でも取り上げ方が異なる。テレビのリポートでは,多くの病院の中から特徴的な地区を選んで,「患者が増
『NHS の冬』インターネット画面
『NHS の冬』テレビ報道の画面
『NHS の冬』フェイスブックページ
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加する冬の時期,病院では,どう備えようとしているのか」に焦点を当てて報道された。一方,インターネットでは,検索機能を付けることで,利用者が自分の関係する地区を選んで状況をチェックできるようにした。さらにフェイスブックでもページを立ち上げ,視聴者の反応や新しい情報をくみ上げている。
実は,このデータ自体は目新しいものではなく,ニュース性も特に高いわけではない。注目されたのは,インターネットを使って双方向性を持たせた表現方法にあった。2013年に初めて作り,2014年の冬も継続している。この報道の効果によるものかどうかはわからないが,病院の対応状況は,全体的に,2013年より改善傾向にあると報告されている。
共同作業
この例のように,データジャーナリズムは,職種を越えた共同作業で行う。通常,取材者と,データを分析するアナリスト,インターネットのデザイナーやディベロッパーなどが協力して進めるが,チーム構成は,双方向性など,どんな仕組みを作るかで変わってくる。
テレビの記者にとっては,「記者・カメラマン・映像編集」というチームが,「記者・アナリスト・デザイナー」というチームに変わる感じである。
ここ数年,ビジュアルジャーナリズム班は,テレビ,ラジオにかかわらず,現場記者から放送リポートのインターネット展開の話を持ちかけられることが増えているそうだ。また,ビジュアルジャーナリズム班でも,独自にデータジャーナリズム用のネタを発掘し,記者に逆提案していくことを目指しているという。
ビジュアルジャーナリズム班のトンプソン氏もハレル氏も共通して話していたのが,多メディア
展開の相乗効果である。テレビリポートの後,インターネットアクセスが急増することがたびたびある。『NHSの冬』の場合も,夕方のニュースで放送した直後,多くの人が,BBCのホームページにアクセスし,自分の地区の病院の現状を調べた。また,インターネット展開がこの問題への関心を高め,次のテレビリポートにつながったという。ハレル氏は「『NHSの冬』は,テレビニュースではトップニュースになる話題ではなかったが,人々がネットの検索画面を利用し,自分の地域の医療の現状を問題に感じ,政治家に訴える人もいた。このような影響を与えることができることは,BBCにとって大きな意味が
ポーラ・トンプソン氏
ベラ・ハレル氏
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ある」と,データジャーナリズムがもたらす効果について分析している。
このように,BBCが取り組むデータジャーナリズムは,放送に加えて,インターネット展開,多メディア展開が主な方向性である。
3-3 データジャーナリストの育成
BBCでは記者を対象に,データ分析に関する研修を行っている。ジャーナリストの基礎知識として,データを読み解く能力を高めるための研修で,これまでに400人を超える職員が受講した。
BBCで職員研修を担当するカレッジ・オブ・ジャーナリズムで,データジャーナリズム研修を行っているクリス・ウォルトン氏は,研修の必要性について,「ニュースストーリーが,数字やデータの中に埋もれているケースがますます多くなった。これらのデータは自由に手に入れることができる。しかし,取材するジャーナリストは,データの塊の中からストーリーをどう発
掘すればいいのかを知らない。研修では,データが次のスクープにつながることを教えている」と話す。
講座は,一日コースとなっている。午前中は,パソコンの表計算ソフトなどを活用してデータを分析する方法を身につける。表は講義で使われる資料の一部である。イギリス総選挙で政
党が受けた献金の一覧サンプルで,実際にはもっとたくさんの数字が並んで
いる。このサンプルを使って,「最大の献金者は?」「どの党が一番多く受け取ったか?」「労働組合の献金はすべて労働党に入ったか?」など,問題を解きながら,献金の特徴を数字の羅列から分析する方法を学ぶ。
午後は,データの入手方法が大きなテーマになっている。情報自由法による情報公開請求の仕方を,過去
表 研修で使われるサンプル数字表Party Donor AmountConservative Party Simon L Bishop £10,000.00Conservative Party George R Pinto £9,999.00Conservative Party Alok Oberoi £9,000.00Conservative Party The Buccleuch Estates Ltd £9,000.00Conservative Party Christopher M Meade £8,901.86Conservative Party Eastern Atlantic Helicopters Ltd £8,160.00Conservative Party Eastern Atlantic Helicopters Ltd £8,160.00Co-operative Party [The] The Midcounties Co-operative Ltd £33,745.00Labour Party [The] Unite the Union £1,000,000.00Labour Party [The] GMB £500,000.00Labour Party [The] Union of Shop Distributive and Allied Workers £500,000.00Labour Party [The] Unite the Union £456,947.50Labour Party [The] Amshold Group Ltd £400,000.00Labour Party [The] Union of Construction, Allied Trades and Technicians £371,000.00Labour Party [The] Lord David Sainsbury £350,000.00Labour Party [The] Union of Shop, Distributive and Allied Workers £266,953.00Labour Party [The] Sir Ronald Cohen £250,000.00Liberal Democrats Joseph Rowntree Reform Trust Limited £350,000.00Liberal Democrats Alpha Healthcare Limited £95,000.00Liberal Democrats Lord Alliance £50,000.00Liberal Democrats Michael Brehme £25,000.00
(BBCの研修講師ジョナサン・ストーン氏提供)
クリス・ウォルトン氏
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の成功例を参考に学ぶ。その後,入手したデータの放送への展開方
法や,数字を図や表に作り替えて視覚的に伝える方法を学ぶ。
一日の研修で,参加者はデータを入手し,分類し,分析し,必要なら図表を作成し,そのデータをニュースストーリーの基礎として活用できるようになることを目標としている。
BBC内でジャーナリストの育成にあたっているサム・ウィップル氏は,400人以上の記者やデスクなどがデータジャーナリズム研修を受講していることについて「BBCには現在,データジャーナリズムを専門に扱う部署はないが,ニュース取材の現場や,看板番組の『パノラマ』,ラジオなど,現場レベルで実践されている。これからも研修を受ける人は増えていく」と話す。
ウォルトン氏も,「BBCがデータジャーナリズム専門の部署を設置するかどうかはわからないが,研修の結果,現場レベルでは,高いデータ分析能力を持ったジャーナリストが確実に増えてきている」と話す。
データジャーナリズムなど,インターネット展
開が増えたことが,取材現場,番組制作現場にどのような影響を与えているのか聞いたところ,ウィップル氏は「かつてはラジオの番組はラジオだけ,テレビの番組はテレビだけで放送するのが一般的だった。しかし,今では,あるニュースストーリーがあると,ラジオではどう放送しようか,テレビではどうか,インターネット上でどう展開しようか,という具合に,メディアを横断して考えるようになってきた」と答え,BBC職員の意識が変わってきていることを重要な変化として捉えている。
3-4 ニュースの実験室 「ニュースラボ」の試み
ハーディング報道局長が職員への訓示で触れたニュースの実験室「ニュースラボ」は,BBCブロードキャスティングセンター内ではなく,15分ほど離れたところにある。30人ほどいるメンバーは放送現場から部署をまたいで集められたが,みなITやイノベーションのスペシャリストだそうだ。BBC本体から独立したプロジェクトを行い,BBC以外のメディア事業者や外部の研究者などとも連携をとっている。
ニュースラボの改革チーム責任者のマット・シェアラー氏によると,ニュースラボは,BBCの新しいサービスを開拓するのが主な目的で,インターネット向けの新しいニュースや情報提供フォーマットを開発するための,実験的なプロジェクトを行っている。2013年にはインターネット上で,様々な素材を結びつけ情報を複眼的に提示できる「ストーリーライン」と名づけた報道モデルを構築した。一つのニュースストーリーを軸にして,映像,原稿,背景情報,関連するアーカイブなどを一元的に提示するもので,新聞のガーディアンやインターネット検索大サム・ウィップル氏
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手グーグルと共同で開発した。シェアラー氏は,「開発したものすべてが,
BBCの現場で生かされるわけではない。しかし,放送と通信の融合が進む中で,放送は大きな変化の過程にある。ニュースラボは,将来に向けた準備をする場であり,今後ますます重要になると考えている」と話す。
研究所の中は,自由な雰囲気があふれている。筆者が訪問した時は,一般の人たちに,データジャーナリズムのテーマやアプリ開発のアイデアを出してもらう大規模なハッカソンの準備中であった。定例会議では準備の進捗状況
の報告などが行われていたが,写真にあるように,ソファでくつろぎながらのミーティングであった。
ニュースラボチームでは,2014年5月,スコットランドのグラスゴーと,アイルランドのダブリンで「ニュース・キュレーター」をテーマにハッカソンを開いた。キュレーションは,ユーザーの好みに応じてニュースや情報を収集し,提示することであり,ハッカソンでは大勢の若者が参加し,アプリ開発のためのアイデアを出し合った。ハッカソンの様子や成果は,BBCニュースラボのホームページで公開されている。
4.考察 ~データジャーナリズムは報道を どう変えるのか
データジャーナリズムは,一時的な流行に終わるのか,それとも定着するのか。もし定着するとすれば,これまでのジャーナリズムにどういう影響を与えるのか。こうした疑問について,イギリスのメディア研究者でデータジャーナリズムに詳しいバーミンガム大学のポール・ブラッドショー准教授に話を聞いた。
データを読み解く力の大切さ
ブラッドショー氏によると,現在,大学でのジャーナリズム研究の授業はもちろんのこと,BBCやそれ以外の放送局,新聞社でもデータジャーナリズムの研修が盛んに行われているそうで,「データジャーナリズムは,一つの重要な分野として定着する」との感触を持っているようである。そして「中国を取材する人間が中国語をできないまま中国に入っても,得られる情報に限界がある。それと同じでデータを扱えない
マット・シェアラー氏
ハッカソンに向けてのミーティング
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ジャーナリストは,十分な情報を得られない」として,データ分析に対する基礎的な理解が,これからのジャーナリストには求められると認識している。
取材現場をどう変えるのか
ブラッドショー氏はデータジャーナリズムが報道に大きな変化をもたらしていると考えている。その一例として,「これまでの記事では,ある人がこう言った,一方,別の人はこう言っている,というように,両論併記をしていた。しかし,データを使えば,彼はこう言っている,しかし,データを見るとこうだ,と独自の視点で言えるようになった」として,インターネットや情報公開請求でより簡単にデータが入るので,ジャーナリストにとっては,ネタを発掘しやすいのでは,と話す。
記者が,データアナリストなどと共同制作を行う働き方が続くのかどうかについては,「一部の記者はデータジャーナリズムを実践する中で,技術を身につけ,自分でデータ分析をするようになるだろうが,一人の記者が完全にデータ分析能力を身につける必要はなく,共同作業が基本である」という考え方である。
データジャーナリズムの将来について
データジャーナリズムの将来については,「報道機関では,これから検索機能やアプリ開発など,表現方法に様 な々工夫を行うようになり,今のような報道スタイルが続くかどうかはわからない。しかし,データを入手し,独自に分析するデータジャーナリズムの本質は,報道の重要な要素であり続けることは間違いないだろう」との認識を示している。
ただ,課題としては,データに向き合う姿勢が問われるという。「怠け者のジャーナリズム
(Lazy Journalism)」とブラッドショー氏が呼ぶ“いい加減”なデータ集めをしたり,報道倫理に反して,データの分析結果をゆがめて伝えるケースも見られることを憂慮している。ある報道機関が,あまり変化が見られない失業率について,データを都合よく解釈し,ビジュアルでも誇張して大きな変化があったように報道した例を挙げ,「データジャーナリズムは人々を引き付ける力を持っているが,プロのジャーナリストとしての倫理性が求められる」と強調した。
まとめ
イギリス・オックスフォード大学ロイタージャーナリズム研究所の研究者がまとめた論文「我々のニュースに何が 起きているのか(Currah 2009)」では,インターネット時代のジャーナリズムの行方を分析し,想定される懸念を示した。その主なものとして,・ネットの検索数のようなマーケティングの要素で
あるクリックの流れ(digital clickstream)が,ニュースの編集方針や記事の内容に影響を与える。
・ニュースルームの統合が進み,ジャーナリス
ポール・ブラッドショー氏
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トとしての経験・知識・洞察力よりも,デジタル動向や技術に関するエンジニア/エディター能力のほうが重要視される。
・プロフェッショナルなジャーナリズムがむしばまれ民主主義に悪影響をもたらしかねない。
などが指摘された。
データジャーナリズムが注目される背景には,新聞や放送などのメディアと読者・視聴者との関係が変わってきたことがある。報道現場が,データジャーナリズムに取り組むのは,単に「そこにデータがあるから」「コンピューターで大量のデータ分析が可能になったから」というわけではない。マスメディアが「大衆」という塊に情報提供してきた時代から,マスメディアといえども,より細分化した読者・視聴者を意識し,さらには,個 人々の要求に応えなければ生き残っていけない,という危機感があると考えられる。
では,ロイタージャーナリズム研究所の危惧したことが,データジャーナリズムで起きているのだろうか。
データジャーナリズムを推進する報道機関では,双方向性を生かすことで,ニュースを読者や視聴者に「自分事」に感じてもらい,利用者のクリックを増やしたい,というマーケティングの思惑があるのは間違いないだろう。
BBCの組織を見る限り,ニュースルームの統合も確実に進んでいる。ただし,エンジニアが重要視されることで,ジャーナリズムの弱体化が進んでいるという状況は生じていないと思われる。さらに,民主主義に悪影響を及ぼしているかどうかはわからない。
データジャーナリズムというと,よく間違われるのが,インターネットでどの話題が注目され,どのような言葉が飛び交っているのかを検索
ワードやアクセス数から分析するもので,BBCの名称だと「トレンディング」といわれているものである。日本のメディアでも,よく見かけるようになった。しかし,データジャーナリズムは,表面的な流行傾向を追うトレンドとは一線を画す必要がある。
そもそもデータジャーナリズムが注目されたのは,隠れたデータや情報公開に基づいて入手したデータを分析した新聞やインターネットメディアの報道が,社会に多大なインパクトを与えてきたからである。単に人々の関心に迎合して,クリックの数を増やしたのではなく,データを使った調査報道が評価されたのである。
放送と通信が融合する中で,BBCはテレビやラジオという従来のメディアだけでなく,インターネットやソーシャルメディア,LINE,インスタグラムなど,すべてを使ってアウトプットしていく戦略を持っている。BBCのハーディング報道局長は,BBCで働くすべてのジャーナリストが「Digital Journalist」だと話し,アウトプットの多様化をさらに強化する方針である。データジャーナリズムも,そうしたBBC報道の戦略の中に位置づけられる。
ただ,表現方法やアウトプットの場は異なっても,「BBCでは,公共放送としてふさわしいニュース・話題をデータジャーナリズムで行うことを心がけている」と,ビジュアルジャーナリズム班のベラ・ハレル氏は,筆者に語った。
データジャーナリズムが,クリックの流れに溺れず,質の高い調査報道で社会にインパクトを与え続けることができるかどうか。データジャーナリズムの将来は,この点に大きくかかっているように感じる。
(たなか たかのぶ)
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参考文献: ・ 赤倉優蔵(2012)「データジャーナリズムの最
新 動 向 」http://jcej.info/files/ws20120728/akakura_datajournalism.pdf
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FEBRUARY 2015
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