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    2013.09.29 H.TsubakiNo.25

    備忘録小論攷週刊

    「利根川図志」の博学「利根川図志」はおもしろい。岩波文庫で簡単に手にはいるので、重宝する。

    とくに著者赤松宗旦の博学・博識がおもしろい。かれが折りにふれて引用する古今の書籍の多さに

    は瞠目するばかりである。

    「巻一」の「サカベツタウ考」という短い項(文字数 870。岩波文庫版p.63~)にも10をこえる

    典籍からの引用がなされている。

    サカベツタウ

    、 、 、 。中下利根川に於て 秋彼岸の頃 の登らむとするに先だちて 白蛾夥しく し上流に向ひて飛ぶ鮏 羣

    日出でゝ後死し落ちて水画布の如し。此の如き時は當年の漁多きをトして盛に漁具を備ふ。この蟲少

    き時は獲亦少し。その形蝶に似て身長六七分。頭に二白鬚あり、長五六分。尾に二毛あり、長一寸二

    三分。羽右并せて一寸許、白色、柔軟綿の如し。卯 時頃より出で、水面一尺許の上を飛ぶ。この間ノ

    和名鈔 唐韻 漢十日、鮏登るに至て盡く。これをサケムシといふ。即ち 巻十九に、 、 云、 (音誘、蜏 蜏

    云比乎無之 、朝生暮死蟲也( 巻ノ十二 云、 ひをむし、旦に生じて夕に死すと書り、語抄 藻鹽草) ニ 蜏

    白き蝶のやうなり)といへる物にして一名アサガホ(淀川、大阪、 、サ詩経名物辨解毛詩品物圖攷)

    ケコ(越後、 、サケベツタウ(同 、サカベツタウ(同、 海川、 初編。この書に越後名寄 北越雪譜) ) 澁

    いへる所時節の差あるは、風土に因れるなるべし。叉ベツタウは蝶の方言なる由をいへり。鮭に因あ

    )。 、 、 、( 、る蝶なればしかいへるなるべし 即ち に 朝 母也といひて 一名朝秀 道應訓廣雅釋蟲 淮南子蜏孳

    商誘注云、朝秀 朝生暮死(原版は「 之蟲也。生 水上 、似 蛾 、一名 母。海南謂ハ 歺」偏に「人」) 蠶 孳二 一 二 一

    之蟲邪 。この文、爾雅翼巻二十五蜉蝣條に、叉許叔重注 淮南子 言朝菌者 、 蛾 とや云云 狀如 蠶二 一 二 一 二 一

    うにこの文を引きて、下に則亦蜉蝣之類といへり。されば に混じいへるは誤なり。この朝菌本草綱目

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    は、 逍遥遊篇に、朝菌不 知 晦朔 といへる文なるが、これをもこの蟲の事として、此云 不荘子 レ 二 一 レ レ

    知 晦朔 、亦必謂 朝菌之蟲 。蟲者徴有 知之物、故以 知不知 言 之、若 草木 無知之物、何須二 一 二 一 レ 二 一 レ 二 一

    言 不知 也、訓 芝菌 者失 之矣と、 にいへるはなほ考ふべし 。 母(見 上 、蟲邪爲 孳廣雅疏證 ) )レ 二 一 二 一 レ レ

    (同 、白露蟲( 巻廿五 、霞姑( 巻四十蛾條、この蟲を落霞とせる能改齋漫録の誤を) )爾雅翼 字貫提要

    正す)なる物なり。一書に、この蟲出づる時、速に舟を乗出だし、中にて藁火を焼く時は、悉くこれ

    に聚り弱を焼かれて落つるを、採りて香餌と す時は魚多く得らるゝといへり。爲

    この短い文章の中に引用された典籍は以下のとおり。

    平安中期の漢和辞書。10巻本と20巻本とがある。源順(みなもとのしたごう)著。承平和名鈔

    ( ) 。 、 、 。4年 934 ごろ成立 漢語を意義分類し 出典を記して意味と解説を付し 字音と和訓を示す

    和名抄。倭名鈔。わみょうるいじゅうしょう。

    (とういん 中国で唐代に孫 によって編纂された『切韻』の修訂本。751年成書といわ唐韻 ) 愐

    れるが、733年という説もある。早くに散佚し現在に伝わらないが、宋代に『唐韻』を更に修

    訂した『大宋重修広韻』が編まれている。清の卞永誉(中国語版 『式古堂書画匯考』に引く)

    唐元和年間『唐韻』写本の序文と各巻韻数の記載によると、全5巻、韻目は195韻であったとさ

    れる 『説文解字』大徐本に引く反切は『唐韻』に依っている 『康熙字典』が『唐韻』の反切。 。

    として引いているものも『説文解字』大徐本の反切である。

    …記録にみえる最初の辞書は,天武天皇11年(682)の成立という《新字(にいな 》44漢語抄 )

    巻であるが,現存せず,内容は未詳である。8世紀(奈良時代)の成立という《楊氏漢語抄 《弁》

    色立成》なども逸文が知られている。日本で編述した現存最古の辞書は空海の《篆隷万象名義

    (てんれいばんしようめいぎ 》30巻で,830年(天長7)以後の成立である。… ※「 楊氏漢語) 《

    抄 」について言及している用語解説の一部=世界大百科事典内の《楊氏漢語抄》の言及.》

    神代卷藻鹽草 5卷(存3卷) ; 神武卷藻鹽草。国立国会図書館デジタル化資料で「 神藻鹽草

    代巻藻鹽草. 3」が閲覧できる。

    。 。詩経名物辨解毛詩品物圖攷 江戸時代の博物書 国立国会図書館デジタル化資料で閲覧できる

    江戸時代の博物書。樋口義健氏の論文(PDFファイル)別途。越後名寄

    (ほくえつせっぷ) 江戸後期における越後魚沼の雪国の生活を活写した書籍。初編北越雪譜

    3巻、二編4巻の計2編7巻。雪の結晶のスケッチから雪国の風俗・暮らし・方言・産業・奇譚ま

    で雪国の諸相が、豊富な挿絵も交えて多角的かつ詳細に記されており、雪国百科事典ともいう

    べき資料的価値をもつ。著者は、魚沼郡塩沢で縮仲買商・質屋を営んだ鈴木牧之。1837年(天

    保8年)に江戸で出版されると当時のベストセラーとなった。

    広(廣)雅」にもとづく項目解説 【広雅】中国、三国時代の字書。一〇廣雅釋蟲 廣雅疏證 「 。

    巻。魏の張揖(ちようゆう)撰 「爾雅」の体裁にならい、漢代の学者の注釈や「説文 「三蒼」。 」

    「方言」などで増補したもの。博雅。

    前漢の宗室の一人である淮南(わいなん)王劉安(前179‐前122)編の書物。全21編。淮南子

    劉安は幕下に多くの文人・学者を擁したが,本書は,道家の〈道〉の思想を中核として,彼ら

    の保有する該博な知識をあまねく結集して編纂したもの。元来は単に〈内書〉と称され 〈鴻,

    烈〉と美称された。その内容は 《老子》の〈道〉と《荘子》の〈真〉の思想を依拠として,,

    現実世界の根源を論述する〈原道 〈俶真〉2編に始まり,次いで,その根源から現実世界が形〉

    成され変化するありさまを,天人相関説と陰陽五行説の理論に基づいて論述する〈天文 〈地〉

    形 〈時則〉3編を配し,以下,現実世界の諸相を政治論,人生論から戦略論などにわたって,〉

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    無為・清静と外界への因循を旨とする道家思想を基調に,儒家・法家を初めとする諸子百家の思

    想を援引しつつ,多様多角にして重複をいとわぬ論弁によって汎論するものである (世界大。

    百科事典)

    日本へはかなり古い時代から入ったため、漢音の「わいなんし」ではなく、呉音で「えなん

    じ」と読むのが一般的である。

    中国,明代の李時珍が古今の本草書,その他の文献によって集大成した52巻の薬物本草綱目

    書。刊行は1596年ころ。巻1,2は序例(総論)で,巻3,4は百病主治として病症ごとに有効薬を並

    べている。巻5以下の各論では薬物の起源によって分類しているが 《証類本草》より細かく分,

    けている。個々の薬物(1892種を収載する)については釈名(別名および名称の由来),集解(産

    地,性状など),正誤,修治(調製加工法),気味,主治(薬効),発明(薬理説),附方の項に分

    けて諸家の説と自説を記述している (世界大百科事典)。

    荘子(荘周)の著書とされる道家の文献。 現存荘子

    するテキストは、内篇七篇・外篇十五篇・雑篇十一篇の

    三十三篇で構成される。

    現存する『荘子』は、内篇のみが荘周その人による著

    書で、外篇・雑篇は後世の偽書であるとの見方が一般的

    である 『史記 「老子韓非列伝」によれば『荘子』の書。 』

    は十万余字であった 『漢書 「芸文志」によれば、もと。 』

    は五十二篇あったという 「金谷治の説では、これらの。

    篇が『荘子』として体系化されたのは 『淮南子』を編、

    集した淮南王劉安のもとであろう。老子と荘子をまとめ

    て「老荘」と称すのも『淮南子』からである」(ウィキペデ

    ィア)という。

    【右上写真】『荘子』(清光緒年間に出版された刊本)、【右下写真】四庫

    全書の『荘子』

    じが) 中国古代の字書。いま伝わる本は全19爾雅翼(

    篇。著者,著作の年代,ともに未詳。ただし周公旦の著

    作といい,あるいは孔子の作といい,またあるいは孔子

    の弟子の作というのは,いずれもこの字書を重視し,で

    きるだけ由緒正しいものに仕立てようというためであろ

    。《 ( )》 , 〈 〉 〈 〉う 爾疋 じが とも書くが いずれも 爾 は 邇

    すなわち〈近 〈雅〉もしくは〈疋〉は〈正 ,全体と〉, 〉

    して〈正しきに近づく〉意だとされ,もと《五経》をそ

    の正しい意味において読むための字書だとされた。

    字貫提要 40巻。(清)王錫侯編次 [1775以降字貫提要

    刊]の『字貫』に基づいて日本において節略刊行された

    もの。付訓点。

    柳田国男は、岩波文庫「利根川図志」の「解題」で次のように述べている。

    赤松氏よりは又若千年おくれて、やはり此地へ移住して来た小川東秀といふ 家がある。其醫

    子を東作と謂って良 の誉れがあつた。この父子は既に没して、家には一倉の文庫が残つて居醫

    「利根川図志」に名をた。私は偶然にこの文庫に出入することを許されて居た故に記憶がある。

    のである。或は赤松氏の蔵蓄が、後に此方へ移録して居る澤山の書物が、大抵は皆此中に在つた

    されたかとも考へられるが、其想像には些かの根拠も無い。寧ろ此時代を距ること遠からざる

    土地の教養頃に、常総の學者の手に成り、もしくは常総の故事を検討した新著であるが故に、

    ことが 「利根川図志」の隠れたある人士は争うて之を求め読み、従うて又それを自在に援用した 、

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    る一魅力でもあつたのかと思ふ (岩波文庫「利根川図志」p.10)。

    ----赤松宗旦の博学・博識は、ゆえあるかな、と言うべきであろう。

    【第5回】ヘーゲル哲学から弁証法的唯物論へ67) 【マルクスとエンゲルス⑤】◆マルクスの死後は、エンゲルスはひとりで、ひきつづきヨーロ

    ッパの社会主義者の相談役また指導者であった。◆ドイツの社会主義者も(運動をこれからつくりあ

    げなければならなかった)後れた国々の代表者たちもみな一様にエンゲルスに助言と指示を求めた。

    2013.09.05

    68) 【マルクスとエンゲルス⑥】◆レーニンは「 二人は)ロシア語を知っており…ロシアに活発(

    な関心を抱き、ロシアの革命運動を同情をもって(with sympathy)見まもり、ロシアの革命家と連絡

    2013.09.06をたもっていた」と書いている。

    69) 【マルクスとエンゲルス⑦】◆レーニンは「彼らはふたりとも民主主義者から社会主義者にな

    ったので、政治的専横を憎悪する民主主義的な感情は、彼らの心内にきわめて強かった」と述べ、そ

    2013.09.14の感情を「本能的な政治的感情 direct political feeling」と言っている。

    70) 【マルクスとエンゲルス⑧】政治的専横を憎悪する民主主義的な感情the democratic feeling

    of hatred for political despotism(DFHPD)が極めて強かった◆ふたりは政治的専横と経済的抑圧

    2013.09.14との関連についての深い理論上の理解を共有した

    71) 【マルクスとエンゲルス⑨】DFHPDから 「わずかひとにぎりのロシアの革命家が強大なツァー、

    リ政府にたいして行った英雄的闘争は、この試練を経た革命家(MとE)の心にもっとも同情ある反

    2013.09.14響を呼びおこしたのである」と、レーニンは書いている (前出p.13原書)。

    72)プロレタリアートは、自分の経済的解放にむかってたたかうためには、一定の政治的権利をたた

    かいとらなければならない (英語版では、the ploletarist must win itself certain political r。

    2013.09.18ights)

    73)「だからこそエンゲルスは、西欧の労働運動の成功のためにも、ロシアに政治的自由がうちたて

    られることを熱烈にねがったのであった 」(レーニン)◆「ロシアの革命家は、彼を失うことによっ。

    2013.09.18てその最良の友を失ったのである 」。

    74)◆レーニンは「プロレタリアートの偉大な戦士にして教師、フリードリッヒ・エンゲルスに永遠

    の追悼あれ!」と結んでいる。◆これは冒頭の「なんという理性の火が消えたことだろう、なんとい

    2013.09.18う心臓が鼓動をやめたことだろう!」と対応している。

    75)◆レーニン「フリードリッヒ・エンゲルス」を読み終えた◆日本語版は全10頁、英語版は12

    頁(表紙を含む)◆重かった◆次はといえば 「カール・マルクス」を読むほかなかろう◆書斎の左壁、

    、 、 。際にはME全集とL全集 L全集英語版をきれいに(?)並べてあるので 読むにはわけはないのだが

    2013.09.22

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