statoil民営化の教訓: ニッチ選択と意識改革が上流サバイバ...

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2002年11月,ノルウェーの石油エネルギー省(MPE=Ministry of Petroleum and Energy,オスロ),石油管理局(NPD=NorwegianPetroleum Directorate,スタバンガー)並びに,2001年6月に部分民営化されたかつての国営石油会社Statoil社(本社スタバンガー)を訪問し,各組織の役員からStatoil民営化の経緯と現状に関する情報収集を行った。本稿は,この時の聴取内容を基に民営化の経緯を中心に再構成し,若干の追加情報を補足して関係者の参考

に供するものである。注:2002年11月の聴取内容を引用する際には「発言内

容」(組織名)の要領で記載する。

1.国営石油会社Statoil と石油管理局NPD の設立(1972年)

1935年以来,労働党による一党独裁政権が続いていたノルウェーが変化の時代を迎えたの

は,1960年代に入ってからのことである。1963年の選挙で初の敗北と一時的政権交代を経験し

た,労働党を中心とする政治の世界とノルウェ

ー国民との関係は,1965年野党連立(自由,キリスト教民主,中央の三党連立)による新政権の誕生により,新しい時代を迎えた。このことは,石油産業にも変化と将来への礎を築く環境

を提供した。1963年に制定された石油法のもとで1965年に初の鉱区公開が実施され,ノルウェー大陸棚における石油探鉱が外国石油会社の手で進められ

た。1968-1969年にかけて,米国Phillips社によるCod, Ekofisk両油ガス田の発見が契機となり,有望フロンティア地域として活況を呈して

きた。Ekofisk油田の生産開始と共にノルウェー大陸棚は英領北海と共に産油地域の仲間入り

をすることになる。英領北海においては,1965年以降油ガス田の発見が進み, 1 9 7 0年のForties油田の発見により本格的産油地帯としての期待が高まっていた。連立政権のBorten首相は大陸棚石油資源がノルウェー国家の将来に大きな意味を持つことに

注目し,1971年にはNorsk Hydro社株式の過半

― 85 ― 石油/天然ガス レビュー ’04/1・3

Statoil民営化の教訓:ニッチ選択と意識改革が上流サバイバルの鍵

伊 藤   充ito@jnoc.org.uk

ロンドン事務所長

1972年に設立されたStatoilは,国営石油会社として経済的活動をすることで,政策立案者としての石油エネルギー省(MPE),管理者としての石油管理局(NPD)と共に三者で役割分担してノルウェーの石油政策を実施する組織と位置づけられていた。29年の時間をかけて着実に財務的基盤と技術的能力経験を蓄積したStatoilは,2001年6月にニューヨークとオスロの証券市場に上場を果たし,部分民営化を実現した。民営化の2年程前までは,内部・外部とも民営化反対の意見が多かったが,徹底した議論の結果,国際的競争の中で生きてゆくための最善策として民営化が決定された。民営化,上場にあたっては,自社の操業実績の分析と自らの強み,特色,事業目標につき社内で集中的な議論を行い,趣意書への記述をまとめると同時に,社内の認識の共有化を実現した。部分民営化して2年余りの現時点では,目標の管理,透明性の確保など企業統治が更に進んでいる。その経験は,再編・体制変革過程にある我が国上流産業にとっても大いに参考になるものと考える。

を取得するという政治判断を実行した。そして

Ekofiskは商業油田として開発されようとしていた(1974年生産開始)。ノルウェー政府は自国の石油産業の将来を見据えて石油資源を管理

する組織としてのNPDと国営石油会社としてのStatoilを同時に立ち上げることを決断する。1972年にノルウェー議会は国営石油会社

Statoilの設立と石油管理局NPDの設立に係る法案を可決した。ノルウェーでは,当時の監督官庁産業省

(Ministry of Industry)-のちに石油エネルギー省(MPE)として改組-は,ノルウェーにおいて企業が実施する石油資源開発活動を管理

する専門組織としての石油管理局(NPD)と外国石油企業と同様な経済的活動を担うべき国営

石油会社Statoilを同時に設立し,これら三者で

役割分担して国の政策を実行することとした。政策立案はMPEが担い,資源保護と業界管

理はNPDが実施する一方で,Statoilは独立した組織として経済的活動をする国策石油会社とし

て設計された役割分担は30年を経た現在も変わるところがない。

2.1970年代のStatoil:組織作りとノルウェー国内での地歩固め

1970年代は組織作りと国内企業としての地歩を固める時代と位置付けられよう。英領北海に

おける開発,生産が1970年代後半一挙に立ち上がったのに対してノルウェー領ではStatoilの組織作り,政策に基づくNPDによる業界管理,資源保護などによる慎重な開発が進められたこ

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図1 ノルウェー領北海と英領北海の生産履歴

― 87 ― 石油/天然ガス レビュー ’04/1・3

表1 ノルウェー石油産業の発展とStatoilの設立,成長,民営化の過程�

1963年�1965年��1968・69年��1972年��1972年�1973年�1974年��1978年���1985年���1987年�1988年�1989年�1990年���1992年���1993年�1995年�1995年�1996年�1997年��1998年�1999年4月�1999年�1999年8月�2000年�2000年 12月�2001年4月�2001年5月�2001年6月�2001年7月�2002年1月�2002年�2003年9月�

ノルウェー王国石油法制定。ノルウェー石油産業活動開始�ノルウェー大陸棚(Norwegian Continental Shelf=NCS)における初の鉱区公開実施。外国企業が入札参加�ノルウェー大陸棚におけるCod, Ekofisk 両油田の発見(オペレータ=Phillips)。これをきっかけとしてノルウェー大陸棚石油開発は活発化�石油管理局(Norwegian Petroleum Directorate=NPD)と,国営石油会社Statoil の設立法案を議会が可決。Statoil 創立�議会はノルウェーのEC(European Community)加盟案を否決�EC-9(9加盟国からなるEC)成立�Statfjord油田発見(オペレータ=Mobil)。以後,Statoil の 50%権益取得が順次進んだ�Statoil をオペレータとして1978年6月付与されたBlock 34/10においてGullfaks油田を発見(1978年9月)。Statoil は初めてオペレータとして油田開発を手掛ける(1981年開発計画フェーズ1承認。1986年末生産開始)�1980年代前半の油価高騰とStatoil 権益原油量の順調な成長見通しの下で政府権益を取得するStatoil に富が集中しすぎるとの議論が起こり,従来のStatoil 権益をStatoil と政府直接権益(SDFI)の二つに分割することとなった�Statoil は Statfjord油田の操業権をMobilから取得�Statoil オペレータによるTommelitenガス田生産開始�Mongsted製油所完成。コストオーバーランで会長辞任�BPとStatoil はアライアンス関係を締結。この関係に基づきアンゴラ,ナイジェリア,ベトナム(後に撤退),ベネズエラなどに進出。このアライアンス関係は1998年に終了した�EFTA(European Free Trade Association=ノルウェー,アイスランド,リヒテンシュタイン,スイス)はECと共にEEA(European Economic Area)協定に合意。1994年発効�EU(European Union)条約発効�議会はノルウェーのEU加盟案を否決�ドイツ向けガストランクラインEuropipe操業開始�Statoil オペレータによるTrollガス田生産開始�産業エネルギー省(Ministry of Industry and Energy)の部門を改編して石油エネルギー省(Ministry of Petroleum and Energy)を設立�Franpipeガストランクライン操業開始�Kran会長,Norvik社長辞任�Norsk Hydroが経営難に陥ったSagaを吸収�Statoil は民営化方針を報告書の形で政府に提出�Asgard Bからのガス生産開始とAsgardガストランクライン操業開始�政府は民営化計画を取りまとめる�議会がStatoil 民営化法案を可決�民営化直前のStatoil は SDFIの 15%を購入�オスロとニューヨークの証券取引所に上場�Petoroを設立しSDFIを移管�Gasscoを設立しガスパイプライン操業を移管�Centricaとガス売買契約締結。船舶子会社NavionをTeekay Shippingに売却�Loddesol会長,Fjell 社長辞任�

とが示唆されているといえよう(図1)。

3.1980年代のStatoil:操業経験と権益原油の蓄積

1980年代はStatoilがGullfaksで初のオペレータとしての油田開発を立ち上げ,その後も

Statfjordの操業を1,780人の従業員を含めてMobilから移管するなど大胆な決断も含めて操業の場を広げていった。ノルウェー政府の保護主義的政策は続いており,外国企業の数も英領に比べて少なく,開発の進捗もより緩やかだっ

た。その中で,Statoilは外国企業の進出が制限された環境の中で技術的経験と権益原油資産を

蓄積していった。Gul l faks以降ノルウェー大陸棚における

Statoilの操業経験の蓄積は(表2)に示す通りである。自らの経験蓄積と外国企業による操業を自社操業に移管することとの組み合わせにより順次経験を蓄え,また影響力を高めている。

1980年代の実績の中でもう一つ見逃せないの

が,1982年に完成したStatpipeであろう。StatfjordとHeimdalの天然ガスをノルウェー海溝を横切ってノルウェー本土に輸送する大規模パイプライン事業として完成させたことは,

Statoilにとって重要な意義を持つ。他方,1980年代後半,低迷する油価と財政的圧力が高まる中で1989年に完成したMongstad製油所近代化工事の建設予算オーバーラン問題

がStatoil経営陣への攻撃の的となり,会長の辞任につながった。

4.1990年代のStatoil:欧州経済統合の動き,そして国際化

ノルウェーは1972年議会でEC加盟を否決し,また1993年に誕生したEUへの加盟案も1995年の議会で否決している。他方ノルウェーがアイスランド,リヒテンシュタイン,スイスと共に

参加する EFTA( European Free TradeAssociation)は1992年にECとの間でEEA(European Economic Area)協定に合意,本

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図2 Statoil成長の過程:日産量の変遷(Statoil社公開情報より)権益原油ガス日産量(千BOE/D)

出典:Statoilホームページ

協定は1994年発効している。EEA協定によって,ノルウェー国内での石油事業において外国企業に対してノルウェー企業と対等な立場を与えるべきことが必要とされ,外国企業への門戸開放を進めざるを得ない状況となった。また

Statoilにとっても国内資産は順調に蓄積される中,将来を見据えた海外展開の基礎を作るべき

時期と認識された。1990年8月,StatoilはBPとの間にアライア

ンス契約を締結した。アライアンス契約の目的

は以下の3項目とされた。①世界各地での共同探鉱開発。対象地域は当初,西アフリカ,中国沖合い,ベトナムが計画され,その後旧ソ連(カスピ海)等が

追加された。②ノルウェーのガスを英国及び欧州各国へ供給するための協力。既存施設の活用と新規

施設の建設等を含む。③世界各地での探鉱開発事業に係る研究開発

計画。年間20百万ドル程度までの予算を計画した。

このアライアンスに基づく事業には両社から人員を出向派遣し,共同運営されることとされた。このアライアンス関係により,アンゴラ,ナイジェリア,ベトナム(後に撤退),ベネズ

エラなどに進出した。「Statoilは1990年代にBPとのアライアンスで

海外展開を行った。このことのStatoilにとっての意義は,自らの交渉能力によって取得するこ

とのできない国,契約条件の権益をBPを通じて取得できる点にあった」(MPE)。このアライアンス関係は1998年まで継続した。1998年の時点で双方にとっての目的を達成し,継続の必要性が薄れたとの判断により終結した。ノルウェー国内においては1990年代を通じて権益原油量は順調に増加し,財務的能力も着実

に高まっていった。また操業面でもStatoil操業による開発移行と他社からの操業移管を含めて

1990年代に生産移行/操業移管した油ガス田はHeidrun, Sleipner-omradet, Troll, Norne,

Asgard の5フィールドを数える。先端技術を駆使したAsgardは海底仕上げ,浮遊式プラッ

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図3 ノルウェー大陸棚,Statoilのコア地域

出典:Statoilホームページ

トフォームを活用したガス開発で,ガストランクライン建設事業との複合プロジェクトで

Statoilの技術的能力の高さを象徴するものであったが,再び開発予算オーバーランが問題化して,会長,社長の辞任に至る。後任社長には銀

行出身のFjell氏が選ばれた。

5.民営化前夜

国がStatoilの所有者であると同時に同社に対して規制,管理,税徴収などを実施することが困難になってきたことが背景にある。規制・管

理・徴税者としての国はStatoilと外国企業を対

等に扱う必要がある。外部的要因としてはノル

ウェー大陸棚での活動においてStatoilが外国企業とは別の特権的環境を与えることが欧州経済

地域(EEA)協定(1994年発効)に反する事となってきた事情があった。Statoil自身は資本市場にアクセスを持ち,将来的に競争力を高め

てゆく手段として民営化が必要と判断した。すなわち,Statoilは,将来に向けて国際的競

争の中で活動してゆくべきとの合意の中で民営

化が決断された。

民営化すべきとの議論は1998年から1999年にかけて活発になった。

― 90 ―石油/天然ガス レビュー ’04/1・3

Gullfaks油田�

Statfjord油・ガス田�

Veslefrikk油・ガス田�

Heidrun油田�

Sleipner-omradetガス田�

Trollガス田�

Norne油田�

Asgardガス田�

Glitne油田�

Huldraガス・コンデンセート田�

Snorre油田�

Snohvitガス田�

Statoil 操業による探鉱開発を経て,1986年生産開始。プラッ

トフォーム2基による操業。1994年日産量60万B/Dの最高記

録�

1979年生産開始。プラットフォーム3基からなる。Statoil は

1987年操業権と1,780人の従業員をMobil から引継いだ。パー

トナーにはExxonMobil, Shell, ConocoPhillips, TexacoChevron,

BP各社が並ぶ�

1989年生産開始。プラットフォームと浮遊式生産施設�

Concrete-hull TLPによる米国Conoco社操業を1995年操業移

管によりStatoil 操業に�

重力式コンクリートプラットフォームによる開発。Statoil が

BGと締結したガス販売契約を1985年に英国政府は承認せず。

その後Statoil はTroll ガス販売契約にSleipnerガスを入れ込む

ことで1996年に生産・販売にこぎつけた�

1996年Shell操業により生産開始。同年Statoil に操業移管�

ノルウェー海の油田。海底仕上げ坑井とFPSOにより1997年

生産開始�

隣接のSaga社フィールドと 1995年ユニタイズしてStatoil 操

業に。ガストランクラインの建設事業との複合プロジェクト。

海底仕上げ坑井52坑からなるテンプレートは世界最大規模の

海底仕上による開発。1999年生産開始�

FPSOにより2001年生産開始�

Statoil 操業により,探鉱,開発を経て2001年生産開始�

1992 年 Saga操業により生産開始。1999 年にNorskHydro が

Saga買収。2003年Statoil 操業�

ノルウェー海のガス田。開発中。2006年生産開始予定。ノル

ウェー初のLNGによるガス輸出事業�

表2 Statoil操業によるノルウェー大陸棚事業展開の概況�Statoil 操業による生産開始もしくはStatoil への操業移管の時系列�

��

当初は政治レベルでも社内の雰囲気も民営化

反対一色だったと言える。政治的には国家資産,国策会社という意識が強かった。社内的にはそれぞれの部門で『自分のやりたい仕事は他人の指図を受けずにやりたい。お金も自由に使いたい』という意識が強か

ったと思う。民営化方針は1999年8月にStatoilから政府に

報告書の形で提出された。Statoilのトップは政治サイドとの議論を積極的に行っていった。この結果,政治レベルでの議論を積み重ねてゆく

うちに,12カ月から18カ月の間にムードが大幅に変わった。この間Statoilのトップは早期民営化が必要であることを内外に強く訴えていた。2000年12月,政府は部分的民営化とSDFI放

出等に係る計画を発表した。「最終的に2001年4月議会決議を得た」

(Statoil)。「民営化に対してはStatoilの経営陣は賛成,

現場は反対という状況があった(注:海洋操業部門の組合では民営化反対のストライキがあっ

た)」。「政治レベルでも当初は反対者ばかりであっ

た」(MPE)。

「政治レベルでは民営化論に対して当初,

100%が反対であった。国の資源,国策会社という意識が強かった。徹底した議論の中で出て

きたことは,今後Statoilが国際競争の中で生き抜いてゆかなければならない,という点での合意である。これまで,ノルウェーの石油資源は

約25%が生産された。今後ノルウェーの油田開発は段々に成熟期に入ってゆく。Statoilは海外にも進出してゆかなければならない。同時に国内でも外国企業と競争してゆかなくてはならない。企業としてバランスのとれた活動が必要である。このために民営化が必要との結論になった。ただし,株式の3分の2は政府が保有する,

との明確な条件が付いている」(NPD)。

民営化に先立って政府直接権益の15%がStatoilに優先売却された。「上場する際に企業としての魅力を高めるた

めにSDFI資産追加による肉付けが必要という考え方である。StatoilはSDFIを100%欲しかったが,それは誰も納得せず,40%から交渉して,最終的に15%で決着した。追加の6.5%は入札形式で放出され,Norsk Hydro他が取得した」(MPE)。

6.民営化に際しての目標設定

自社の業務内容の分析を行い,4つの主要部

門によって整理することとした。①ノルウェー国内石油開発②国際石油開発③天然ガス④製品製造流通次に各々の部門で過去3年間の実績を財務面,

その他の面を含めて具体的定量的に分析した。国内石油開発においては1980年代,1990年代を経て資産の蓄積と共に着実に操業実績を積み上げていた。技術的にも固定式プラットフォームによる操業から,海底仕上げ坑井・海底施設

の操業,浮遊式生産設備(FPSO)の操業,LNG操業,海底パイプライン建設,等を含む会社としては未経験の分野の操業に進出して企業としての総合力を発展させている。民営化によって更に世界の新規技術を取り込むことを考

えていた。Asgardガス田予算オーバーラン問題で辞任

した前任社長の後を受けた銀行出身のFjell社長は,1999-2001年に操業効率化のための総合対策を実行する。本件は操業効率化そのものが目的であったが,結果的にはコスト削減,操業合理化に関して目標を設定して努力し,結果が数値で明らかになる体験をしたことで,民営化に

向けた自信をStatoil社内に蓄えたと評価される(図5参照)。民営化にあたっては2004年迄に4つの事業部門各々でどれだけの価値創造(付加価値創生と経費削減)を実現するかを定量的に目標設定し,

業績管理することとした。国内の開発資産がStatoilのコア資産であると

すれば,海外での石油開発事業並びに天然ガスは成長の可能性を秘めた分野と認識された。国

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図4 Statoil国際展開の状況(2001年)

図5 上場に先立つ業務改善計画と実績(1999-2001)

出典:Statoilホームページ

出典:Statoilホームページ

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図6 ガス事業の発展性

図7 Statoil業務の成長性認識(2001年)

出典:Statoilホームページ

出典:Statoilホームページ

際石油資本との競争を意識した民営化計画の中

で,これらはStatoilの今後の展開のための重要な要素と認識された(図4,6,7参照)。

7.民営化プロセス

(1)民営化の方針作りと全体統制「民営化の方針,並びに時期的目標については社長が明確な意思表明をし,それに向けて社内で集中的に作業が行われた。政治サイドとの

合意づくりにはStatoilのトップが積極的に動いた」(Statoil)。

(2)民営化プロセスのなかで特に大変だったこと「民営化プロセスのなかで困難だったことは

次の通り。・SDFI取得との関連SDFI権益取得比率(最終的に15%で決着)がぎりぎりまで決まらずに苦労した。15%で決着してから1週間の時間内に過去3年間の財務諸表を遡って作成する作業を集中

して行った(あたかも3年前から15%分も保有していた,と仮定した形での財務諸表

の作成が必要となった)。・米国会計基準(USGAAP)への対応これまでノルウェーの会計基準でのみ操業していたものを米国会計基準の書類も整え

る必要が生じた。この点はErnest&Youngの力を借りた。

・税制改正同時に税制改正があった。・アドバイザーグループの管理上場に向けての作業については,Statoil社内

には必要な経験が無かったのでアドバイザーの

任命は必須だった。Joint Global Coordinators(総合アドバイザーグループ)として, DnB

Markets, Morgan Stanley, UBS Warburg の3社を任命した。この3社を選定するのも手間だったが,決まって以降主導権争いが起こって大変だった。1社1人だけ呼んで方針会議をするなどして改善していった。この他に会計事務所

Ernest&Youngなど特定部門の専門家の手を借りた」(Statoil) 。

(3)民営化プロセスを経て良かったと思うこと「Statoilとはどんな企業なのか,何が得意で,どんな特色があって,今後4,5年どのような目標で活動してゆくのか,具体的な数値目標は何なのか,こうした会社の基本的な方針作りを集中的かつ徹底的に議論して作り上げていった。数カ月にわたる議論の中で会社の方針が再定義され,それを実行するのに必要な組織改変も行われた。会社がどこへ向かおうとしているのか,そしてその中で自分のやるべき仕事は何なのか,社員の意識が明確になり,連帯感が生まれた。また経営陣にとっても自社の中身を省

みる非常に良い機会であったと思う。Statoilに勤めて20年のなかで初めての経験である。ある意味で,この会社としての自らの評価,目標の共有化を得たことは,資本市場にアクセスを得たこと以上に重要だったのではないかと思う」

(Statoil)。

(4)民営化プロセスの中で特に重要なこと「自社の特徴は何か,何が強みか,これから何を目標に活動してゆくのかをきちんと議論し,社内で作ってゆくこと,この点が最も重要。これは投資家向けの趣意書に分かりやすく具体

的に記述する必要がある。Statoilの投資家はBPやShellと比べてどこに特徴があるのかを知りたがっている。Statoilではノルウェーの上流に基盤を置く企業であること,欧州のガス市場に成長性を含んでいること,海外での展開にア

ップサイドを有していること,M &M(Marketing & Manufacturing=販売と精製・石油化学)という特徴をうたった。因みに市場は下流部門を収益性に貢献しないと見做して評

価しない。Statoilは船会社を売却する方針である」(Statoil)。

8.民営化後のStatoilの姿

(1)業績説明,予算管理「四半期毎に業績を取りまとめ,掲げていた数値的目標との比較を公表し,投資家向けに説

明を行う。いわゆる“Road Show”の説明には社長以下トップが直接プレゼンテーションを行

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い,会議室に集まった100人程のアナリストから質問を受ける。主要投資家は個別に訪問し,説明を行う。四半期ごとの説明はオスロで行い,年次業績説明には社長以下オスロの他,ニューヨークにも出向いて行う。社内の予算会議では部門ごとの予算をコーポレート管理部門が個別

に議論し,予算配分を決めてゆく」(Statoil)。「投資家に対して,会社の投資計画と配当目標など経営指標を示している。このため投資基

準の管理を明確にしている。13ドル/bblの油価で収益性ある事業だけを取り上げている。ま

た経営見通しの策定にあたっては16ドル/bblを基準にしている。為替は8.20NOK/ドル,精製のマージンは3ドル/bbl,などを基準としている。 2 0 0 4年迄の経営目標として,3.5BillionNOKの価値創造(Value Creation)を掲げている。これをE&P,ガス,海外,M&Mの4部門各々に配分し,それぞれの部門で付加価値を生むことを目標として設定している。部門ごとの業績は目標との比較において達成度合いが定量化される。経営目標は明確である必要があり,またあまりに長期的では意味がない。

2004年と置いたのは目標に意味を持たせるため」(Statoil)。

(2)報告義務と情報開示「ノルウェーの証券取引委員会の報告義務の

ほうが,米国SECより緩く,ノルウェーの投資家向けにはより少ない情報開示でも済むのが規則上の特徴である。ただし,運用上は米国の株主にもノルウェーの株主にも同等な情報開示を

することとしている。すなわち,SEC基準での情報開示をノルウェーの投資家にもしている」

(Statoil)。

(3)投資家対応を経験して思うこと「従来国営企業であったものが民営化される,ということは投資家の目からは合理化の余地がたくさんあるはずだ,という見方になる。またアナリストは次々と目標を聞いてくる。当初あまり希望的な目標を掲げると後で自らの首を絞めることになる。目標の設定には十分な自己分

析と社内の検討作業の蓄積が必要。Statoilは国

営企業であった弱点をどのように克服するかという点で,具体的経営指標の実績値を示し,

2004年の目標値を示すこととした。ROCE,生産量,発見開発コスト,生産コストといった指標につき十分に検討した上で目標値を設定した。また大衆投資家は近視眼になりがちである点は注意を要する。石油ガス産業は長期的戦略的に取り組むべき性格を有している点も明確に

説明してゆく必要がある」(Statoil)。

(4)社内での変革「民営化後,Management職350人全員が,

Performance Contractを結ぶこととした。次期の目標を数値で示し,その達成度合いによって

給与の30%部分が変動する仕組みである。職種によって数値目標を示すのが難しい部門もあるが,それぞれに工夫して目標設定をしている」

(Statoil)。

9.ノルウェー石油産業における役割分担,進行中の改革と変化

(1)MPE, NPDとStatoilの関係「石油エネルギー省(MPE)は政策判断

(Political Decision)をする」。「石油管理局(NPD)は管理者(Regulator)であり,資源保護管理(Resource Management)を行う。Statoilは商業的活動をする」(Statoil)。「NPDはノルウェーの石油産業を適切に管理して国民の価値の最大化を図ることにある。具体的には資源保護並びに環境安全を確保しながら開発を図るために各種の基準・ガイドラインの作成,調査の実施,鉱区ライセンス計画・評

価を行う。政府(MPE)並びにStatoilとは独立している。NPDは340名の人員を擁す組織で,MPEにはない技術的能力を備えている」(NPD)。

(2)Statoilと政府の関係「政府とStatoilの関係は投資基金の出資者と

運用者のような関係。政府は出資はしているがどうやって運用するかには口出ししない。実務

はStatoilに任されている。Statoilの活動に対して政府が介入することはほとんどない。介入す

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ることがあるとすれば特定国への参入に対する

政治的拒否権発動。例えばStatoilが今ミャンマーに参入したいといえばMPEは否というであろう。人権問題は数少ない争点の筆頭。ノルウ

ェー国旗を代表するStatoilが人権抑圧政権に加担すると解釈される事態を見逃すことは政府と

してできない」(MPE)。「現状ではStatoilは政府との間ではかなり独

立した関係を保っている。情報開示については民間株主に開示するのと同時に同じ情報を政府に開示するという考え方を取っている。なお,

原油・ガス・製品の販売においてStatoilは政府分の販売(SDFI分の管理は新たに設立された別会社Petoroが権益を有する)も個別契約で代行する取り決めとなっている。現状政府出資比

率が82%なので随意契約で問題ない。仮に政府出資比率が50%未満となればEEAの取り決めでは販売委託に関して入札手続が必要となる」

(Statoil)。

「(Statoilの)初代と2代目の社長は政界から迎えた。現在の社長は3代目,銀行出身であ

る。1972年に設立されて以後,15年間余りは政府からStatoilの活動への介入が色々あった。1990年以後,活動の独立性を得た」(Statoil)。

(3)2001年の改革:Statoil民営化と共にPetoro

とGasscoの誕生も2001年のStatoil民営化は,ノルウェー石油産

業の改革,国際化の重要なステップの一つと位

置付けられた。同じ年に,Petoro及びGasscoという二つの新しい組織が誕生している。これら

はStatoil民営化を実行する上で従来有していたこれらの「資産」を継続保有することがEUとの法的関係の中で難しくなったことが直接のきっ

かけとなって誕生した。Petoroはノルウェー政府が保有する上流権益SDFIを管理する組織であり,Gasscoはノルウェー国内のガスパイプラインを管理する組織である。

(4)Norsk HydroとStatoilの関係ノルウェーを代表する石油企業としての

Statoilのほかに,もう1社Norsk Hydroがある

ことがノルウェー国にとっては不必要で,1社にまとまるべきという議論が投資銀行筋などで

語られている。StatoilのFjell前社長(2003年9月辞任)はNorsk Hydroの石油部門をStatoilと統合すべき,と発言していた。これに対して

Norsk Hydro社長は統合の意思なし,との立場を取ってきた。「MPEは民間企業同志の統合が望ましいとか

望ましくないとか言う立場にない。また現実問題として見るとNorsk Hydroは3部門からなる企業であり,石油専業のStatoilとは性格が異なる。Norsk Hydroでは石油とアグリ(肥料等)そしてアルミニウムの3部門があり,売り上げの4割はアルミニウムである。政

府はNorsk Hydro株式の44%を保有しているが,その意味は外資による経営権取得を防ぎ,

ノルウェー企業としてのNorsk Hydroを守ることにある。投資銀行がNorsk Hydroの3部門を分割して石油部門をStatoilと統合すべきと言っているのは承知しているが,それはこの企業を石油中心に見た外部の評価であって,この企業の株主の立場はそれだけでは語れないだろう。世界の舞台での実力という意味において,2社の統合が新規鉱区権益取得により強みを発揮し,1社でのポートフォリオより優良な,付加価値のあるポートフォリオを2社で作れるのなら意味があるが,そうでなければ特に意味はな

い。Norsk Hydro の資産の90%はノルウェー国内にあり,優れてノルウェー国内企業であ

る」(MPE)。その後2003年6月にNorsk Hydroはアグリ部門の分離,別会社化計画を発表,2004年前半に実行されるものと予想されている。

10.新規事業展開の状況

イラン,アルジェリアの上流事業への進出,アンゴラ沖での試掘成功,米国の天然ガス中下

流事業への進出,Snohvitガス田を初の輸出用LNGとして2006年生産開始へ向けて進めていることなどがニュースとして伝わっている。上場時に掲げた二つの成長分野,国際石油開発事業,そして天然ガス事業に対して具体的な

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行動を取っている姿が見られる。

11.最近の出来事から

2003年9月11日,Statoil本社に警察の取調べが入った。きっかけとなったのはイラン人コンサルタントと締結されたとされる「イランにお

ける事業展開の円滑化を目的とした11年間15.2百万ドルの契約」に関する報道。9月16日取締役会はOlav Fjell社長(Chief Executive)の信任を表明したものの事態は収拾せず。その後9

月21日Leif Terje Loddesol会長が辞任。22日Olav Fjell 社長も「事態正常化のため」辞任。9月22日にStatoil社は Ernst&Young社に国際事業に関するすべてのコンサルタント契約のレビ

ュー業務を委託した。 1 1月1日 J a n n i c kLindbaek氏を会長に選任。11月末現在社長ポストはInge K Hansen, Chief Financial Officerによる代行状態。11月12日Statoilは後任社長の選定のために役員人選の専門家Egon Zehnder氏に社長候補選定作業を委託した。更にStatoilは11月28日にDeloitte&Touche社並びにノルウェー在の法律事務所に所属する2名の弁護士に対して,国際事業成約のために不適切な影響力の行使もしくは影響力の行使を試みる事実がなかったかかどうかを包括的かつ独立の立場で調

査する業務を委託した。この一連の動きはStatoil社内監査でコンサル

タント契約に疑問点が指摘され,社内での説明が不十分と感じた担当者を中心とした情報開示圧力から報道機関に情報がもたらされたためと

伝えられる。上場企業Statoilは透明性確保,説明責任遂行に懸命に取り組んでいる。透明性の重要さを内外に強調し,改革を推進してきた

Fjell社長自らの引責辞任はStatoilの企業統治が機能していることを証明してみせたとも言えよう。結果的に歴代3人の社長がいずれも引責辞

任の形で去っていることは石油企業が国際化し

てゆく上での試練ともいえようか。

12.おわりに

オスロ,スタバンガーで関係者との面談,情

報収集を行ってからちょうど1年後の2003年11月,本稿をまとめるためにStatoilのホームページを開いて,ある種の驚嘆と嘆息を覚えた。1年前に経営陣が語ってくれた経営方針,目標などの主要な情報が実績データと共に具体的数値と補足説明により投資家向け説明会の場で開示

され,その説明資料がそのままホームページwww.statoil.com の中で公開されている。インターネットを利用できる人なら誰でもStatoilの経営目標と直近の実績をかなり詳細に把握できる水準まで情報開示が進んでいる。話を聴きに行った1年前から現時点までの間に,更なる改革,特に情報開示が進んでいるという驚嘆,そしてせっかくスタバンガーまで出かけて面談しつつ必死にメモを取った情報の主要な内容が誰でも見られる共有情報となっていることへの嘆

息,というのが正直なところである。Statoilが2001年の上場にあたって設定した当

面の目標達成時期は2004年。Statoilはまもなく民営化移行時に設定した目標と現実との間で,「語ったこと」と「実現したこと」「実現しなかったこと」が並べて評価される試練の時を迎える。

1999年から2001年のわずか2年の間に,民営化反対一色の状況の中から,国際的競争の中で生きてゆくべき自らの道を見極め,政治レベルでの合意を取り付け,徹底した議論の中で自己分析と目標設定をしてオスロ,ニューヨーク上場

にこぎつけたStatoilのことである。自らに課した試練もトップの辞任という試練も更なる改革と前進の糧としてゆくであろうと期待している。

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