arの仕組み - jst

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164 通信ソサイエティマガジン No.27 冬号 2013 ⓒ電子情報通信学会 2013 まえがき 最近,スマートフォンのアプリ や 携 帯 ゲ ー ム な ど で「AR」と い う 言葉を耳にするようになりまし た.AR とは Augmented Reality (オーグメンティッド・リアリティ) の頭文字をとった言葉で,日本語 では「拡張現実感」と訳されます. AR は,私たちが見ている現実世界 に対してコンピュータによって作 り出されたディジタル情報を重ね 合わせる技術です.この技術によっ て現実世界の体験をよりリッチに 「拡張」することができます.例え ば,スマートフォンで風景を撮影す るとその風景に建物や場所に関す る情報が重ね合わされて表示され たり,携帯ゲーム機で専用のカー ドを撮影するとそこからゲーム キャラクタが飛び出して踊ってく れたり……ということが実現でき ます.今回はそんな魔法みたいな 技術の裏側についてお話ししま しょう. 現実世界に情報を 重ね合わせるには? カメラをかざしたものに対して ディジタル情報を重ね合わせるため には,「何を」「どこから」見ている かをコンピュータで認識して位置合 わせを行う必要があります.位置合 わせにはいろいろな方法があります が,大きく分けて複数のセンサを組 合せる方法と画像認識による方法が あります. センサの組合せによる AR 道案内や観光案内の AR では,セ ンサを組合せる方法がよく用いられ ます.今見ている風景に対してス マートフォンをかざし,画面内にあ る建物や場所に関する情報をオー バーレイ表示するというシチュエー ションを考えてみましょう(図 1). ユーザがどこにいるかという情報は スマートフォンに内蔵された GPS (Global Positioning System) よって知ることができます.また, どの方角を向いているかという情報 は同じく内蔵された電子コンパスに よって知ることができます.これら 二つの情報があれば,何をどこから 見ているかは地図情報からおおよそ 見当がつきます.また,スマート フォンをどのくらい傾けているかの 情報は内蔵された加速度センサに よって知ることができます.これら の情報を統合すれば,画面内のどの 位置に何の情報を出すかを決め,表 示することができます.現在の GPS に よ る 位 置 計 測 で は,5 ~ 10 m の誤差を生じますが,道案内 や観光案内などを目的としたアプリ ケーションであれば,実用上許容で きる精度です.また,スマートフォ ンによる現在位置認識では,無線 LAN のアクセスポイントから位置 情報を割り出す技術も併用されてお り,屋内のような GPS の信号が届 きにくい場所で有効に働きます. 画像認識による AR 雑誌やパンフレット,カードな どの上に情報を重ね合わせるタイ 図1 建物に関する情報を表示する AR 図2 AR マーカを使う方法 AR の仕組み 明治大学 橋本 Sunao Hashimoto

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Page 1: ARの仕組み - JST

164 通信ソサイエティマガジン No.27  冬号 2013 ⓒ電子情報通信学会 2013

まえがき

最近,スマートフォンのアプリ

や携帯ゲームなどで「AR」という

言葉を耳にするようになりまし

た.AR とは Augmented Reality

(オーグメンティッド・リアリティ)

の頭文字をとった言葉で,日本語

では「拡張現実感」と訳されます.

AR は,私たちが見ている現実世界

に対してコンピュータによって作

り出されたディジタル情報を重ね

合わせる技術です.この技術によっ

て現実世界の体験をよりリッチに

「拡張」することができます.例え

ば,スマートフォンで風景を撮影す

るとその風景に建物や場所に関す

る情報が重ね合わされて表示され

たり,携帯ゲーム機で専用のカー

ドを撮影するとそこからゲーム

キャラクタが飛び出して踊ってく

れたり……ということが実現でき

ます.今回はそんな魔法みたいな

技術の裏側についてお話ししま

しょう.

現実世界に情報を 重ね合わせるには?

カメラをかざしたものに対して

ディジタル情報を重ね合わせるため

には,「何を」「どこから」見ている

かをコンピュータで認識して位置合

わせを行う必要があります.位置合

わせにはいろいろな方法があります

が,大きく分けて複数のセンサを組

合せる方法と画像認識による方法が

あります.

センサの組合せによる AR

道案内や観光案内の AR では,セ

ンサを組合せる方法がよく用いられ

ます.今見ている風景に対してス

マートフォンをかざし,画面内にあ

る建物や場所に関する情報をオー

バーレイ表示するというシチュエー

ションを考えてみましょう(図 1).

ユーザがどこにいるかという情報は

スマートフォンに内蔵された GPS

(Global Positioning System) に

よって知ることができます.また,

どの方角を向いているかという情報

は同じく内蔵された電子コンパスに

よって知ることができます.これら

二つの情報があれば,何をどこから

見ているかは地図情報からおおよそ

見当がつきます.また,スマート

フォンをどのくらい傾けているかの

情報は内蔵された加速度センサに

よって知ることができます.これら

の情報を統合すれば,画面内のどの

位置に何の情報を出すかを決め,表

示 す ることが で きます.現 在 の

GPS に よ る 位 置 計 測 で は,5 ~

10 m の誤差を生じますが,道案内

や観光案内などを目的としたアプリ

ケーションであれば,実用上許容で

きる精度です.また,スマートフォ

ンによる現在位置認識では,無線

LAN のアクセスポイントから位置

情報を割り出す技術も併用されてお

り,屋内のような GPS の信号が届

きにくい場所で有効に働きます.

画像認識による AR

雑誌やパンフレット,カードな

どの上に情報を重ね合わせるタイ

図1 建物に関する情報を表示するAR 図 2 ARマーカを使う方法

ARの仕組み明治大学 橋本 直 Sunao Hashimoto

Page 2: ARの仕組み - JST

子どもに教えたい通信のしくみ ARの仕組み 165

プの AR では,画像認識による方

法がよく用いられています.その

中でも「AR マーカ」と呼ばれる特

殊なパターンを画像認識する方法

が普及しています.これは,図 2

のようなパターンをカメラで撮影

すると,それをコンピュータが認

識して,カメラ画像上にコンピュー

タグラフィックス(CG)が合成さ

れる,という方式です.AR マーカ

を使う方法では,AR マーカの中央

に描かれたパターンによって「何

を」見ているかを識別しています.

ここに描かれる図案は自由で,提

示するコンテンツに関連したマー

クやロゴのほか,二次元バーコー

ドと同様の方法によって暗号化さ

れたパターンなどが描かれます.

AR マ ー カ を 使 う 方 法 で は,AR

マーカに対してカメラを傾けるこ

とによって,CG を横から見たり,

上から見たりすることができます.

また,AR マーカとカメラの距離に

よって画面に映る CG の大きさも

変化し,遠近感がきちんと表現さ

れます.これができるのは,外側

の四角い枠によって「どこから」

見ているかの情報を得ているから

です.AR マーカを使う方法では,

カメラに映った AR マーカの辺の

ひずみ具合を画像計測することに

よって,AR マーカに対するカメラ

の位置・姿勢を逆算しています.

AR マーカは紙に印刷することが

できますので,書籍やチラシの紙面

に AR マーカを仕込んでおけば,紙

に書かれた内容と連動するディジタ

ルコンテンツを提供することができ

ます.この技術を使った商品の例と

して,スマートフォンをかざすと作

中の登場人物が CG で現れてしゃ

べりだす AR 教科書や,星の三次元

形状を CG で閲覧することができ

る AR 天体図鑑などがあります.

AR で使われる 画像認識技術の発達

AR マーカが白黒の正方形状をし

ているのは,簡単な画像処理によっ

て検出可能で,高速な画像認識を実

現できるからです.最近では,コン

ピュータの処理性能が向上し,画像

認識の技術が発達したため,AR

マーカのような特殊なパターンを使

わずに,普通の絵をそのまま画像認

識できる手法も使われるようになっ

てきています.近年の画像認識の手

法でよく用いられているのが「特徴

量」という情報を使って元の絵と

マッチングを行う手法です(図 3).

特徴量とは,画像を構成している点

の並び方に対して定義される情報量

のことです.元の絵と今カメラで撮

影している対象の絵の間で,特徴量

の分布を調べることによって,同じ

絵かどうか判定することができま

す.また,特徴量の分布を見れば,

画像内で絵がどういう風に傾いてい

るかも分かるので,AR マーカと同

様の原理によって CG を合成する

ことができます.高速に計算できて

かつ安定した認識を行える特徴量が

研究されており,実用化も進められ

ています.例えば,お菓子のパッ

ケージやピザの箱などに描かれた絵

をスマートフォンで撮影すると,そ

の製品に連動したコンテンツが表示

される AR アプリがあります.現

在,このようなコンテンツは認識対

象を限定した専用アプリという形で

個別に提供されていますが,将来,

あらゆる物体を認識できる画像認識

技術が登場し,AR コンテンツの

フ ォ ー マ ッ ト が 整 備 さ れ れ ば,

Web ブラウザのように一つのアプ

リでいろいろなコンテンツを楽しめ

る「AR ブラウザ」が生まれるで

しょう.

むすび

本稿では,AR で使われている技

術について説明しました.実用化さ

れている AR コンテンツの多くは視

覚情報を拡張するものが中心です

が,味覚や食感に関する AR も研究

されています.例えば,食べ物の塩

味を強調する AR や,軟らかい物に

対して硬い物を食べている食感を付

与する AR などがあります.このよ

うな技術は,高血圧の人が濃い塩味

のものを食べたい時や,咀嚼力の弱

い人が硬いせんべいを食べたい時に

役立ちます.AR は単に情報を付与

する技術ではなく,体験を拡張する

技術なのです.今後,私たちの生活

は AR によってより良いものへと進

化していくでしょう.図3 特徴量を使った画像認識の例