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97 イギリスにおける放送の公平性 サッチャー政権と BBC からの一考察 水野 道子 名古屋大学大学院国際言語文化研究科 メディア・プロフェッショナルコース博士課程 1.はじめに ノーム・チョムスキー(Noam Chomsky)は、民主主義社会と情報との関係を次の ように述べている。 民主主義社会に関する一つの概念は、一般の人びとが自分たちの問題を自分たち で考え、その決定にそれなりの影響をおよぼせる手段をもっていて、情報へのア クセスが開かれている環境にある社会ということである。・・・・民主主義社会のも う一つの概念は、一般の人びとを彼ら自身の問題に決してかかわらせてはならず、 情報へのアクセスは一部の人間のあいだだけで厳重に管理しておかなければなら ないとするものだ。 1 チョムスキーは、実際に優勢なのは後者のほうであるとした。しかし、彼の述べる情報 へのアクセスは、多メディア・多チャンネル化時代の現在、極めて容易になった。その 結果、実際に懸念すべきは、情報そのものが政府の恣意的な判断で選択されていたとし たら、多様な意見は消去され、画一化された情報のみが報道されることになるというこ とである。同質な情報のもとで思考する人々の住む社会を民主主義社会とは言い難い。 民主主義社会のように見えたとしても、実態は全体主義への道を歩む社会である。 アメリカにおいて、「公正原則」(Fairness Doctrine2 は、公的に重要な争点に妥当 な放送時間を割き、その争点を扱うに際し、対立する見解を公正に報道するという義 務を放送事業者に課したものであった。対抗する意見の報道を義務づけた公正原則が なくなれば、公的に重要な争点に対し、多様な意見を表明する手段は多メディア・多 チャンネル化時代においても限定され、政府および放送事業者の恣意的な選択による 報道が跋扈することになる。このような懸念にもかかわらず、アメリカは、通信法の 公正原則を、1987 年、撤廃した。その後、何度か公正原則の復活を望む議会関係者の 努力にもかかわらず、実現に至っていない。アメリカの公正原則については、別稿 3 て考察したことがあるので、詳細はそれに譲る。

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97

イギリスにおける放送の公平性─サッチャー政権とBBCからの一考察─

水野 道子名古屋大学大学院国際言語文化研究科

メディア・プロフェッショナルコース博士課程

1.はじめに

 ノーム・チョムスキー(Noam Chomsky)は、民主主義社会と情報との関係を次の

ように述べている。

民主主義社会に関する一つの概念は、一般の人びとが自分たちの問題を自分たち

で考え、その決定にそれなりの影響をおよぼせる手段をもっていて、情報へのア

クセスが開かれている環境にある社会ということである。・・・・民主主義社会のも

う一つの概念は、一般の人びとを彼ら自身の問題に決してかかわらせてはならず、

情報へのアクセスは一部の人間のあいだだけで厳重に管理しておかなければなら

ないとするものだ。1

チョムスキーは、実際に優勢なのは後者のほうであるとした。しかし、彼の述べる情報

へのアクセスは、多メディア・多チャンネル化時代の現在、極めて容易になった。その

結果、実際に懸念すべきは、情報そのものが政府の恣意的な判断で選択されていたとし

たら、多様な意見は消去され、画一化された情報のみが報道されることになるというこ

とである。同質な情報のもとで思考する人々の住む社会を民主主義社会とは言い難い。

民主主義社会のように見えたとしても、実態は全体主義への道を歩む社会である。

 アメリカにおいて、「公正原則」(Fairness Doctrine)2は、公的に重要な争点に妥当

な放送時間を割き、その争点を扱うに際し、対立する見解を公正に報道するという義

務を放送事業者に課したものであった。対抗する意見の報道を義務づけた公正原則が

なくなれば、公的に重要な争点に対し、多様な意見を表明する手段は多メディア・多

チャンネル化時代においても限定され、政府および放送事業者の恣意的な選択による

報道が跋扈することになる。このような懸念にもかかわらず、アメリカは、通信法の

公正原則を、1987年、撤廃した。その後、何度か公正原則の復活を望む議会関係者の

努力にもかかわらず、実現に至っていない。アメリカの公正原則については、別稿3に

て考察したことがあるので、詳細はそれに譲る。

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メディアと社会 創刊号

 本稿の課題は、国民の多様な意見の報道に重要な役割を担ってきた公正原則を、イ

ギリスのサッチャー政権が、どのように対応してきたのかを検証することである。

1980年、ロナルド・レーガン(Ronald Reagan)米大統領が当選した前年の1979年5

月、イギリス首相に就任したマーガレット・サッチャー(Margaret Thatcher)は、レー

ガン同様、ケインズ経済学を放棄し、労働組合を抑圧し、サプライサイド経済学に基

づく経済運営をおこなった。さらに、サッチャー政権は、国内においてアイルランド

共和軍(Irish Republican Army:以後 IRAと称す)と厳しく対峙し、イギリスのジャー

ナリストによる IRAへの取材および報道を厳しく批判した。本稿では、最初にイギリ

スの放送メディアの軌跡をたどり、次にサッチャー政権におけるメディア政策を検証

する。そして、アメリカの「公正原則」同様、放送メディアの中核であるイギリスの

「公平性」(impartiality)4を考察する。最後に、これらの検証をふまえ、イギリスを代

表する報道機関であるBBCの報道姿勢にサッチャー政権がどのように対応したのかを

実際的に見る。

2.サッチャー政権以前の放送メディア

 イギリスの放送制度を特徴づけるのは「公共サービス放送」(Public Service Broad-

casting)と呼ばれる財源を受信許可料で賄っている「英国放送協会」(British Broad-

casting Corporation:以後BBCとする)と、広告収入に財源を頼る「商業放送」(Inde-

pendent Television:以後 ITVとする)の二者による「安楽な複占」(Comfortable

Duopoly)制度にある。しかし、BBCと ITVが同時に放送を開始したわけではない。

1922年、マルコニ会社を母体とし、複数の無線機製造会社が一緒になって「放送会社」

(the British Broadcasting Company)が設立された。その後、サイクス委員会(The

Sykes Committee)、クロフォード委員会(The Crawford Committee)の答申を経て、

1927年、英国放送会社は英国放送協会(BBC)となり国有化された。

 BBCは「勅許状」(Royal Charter)を国王から与えられ、主務大臣より免許協定書

(Licence and Agreement)が付与される。そして「知識、趣味、礼儀を向上させるた

め文化的、道徳的、教育的な力を持ち、・・・・民主的社会における政治的過程の重要な一

部として、社会の一体性を促進し、非公式であるが、よく考えた世論を作り出す強力

な手段」5としての役割を与えられている。国内放送は、受信免許料により財源が賄わ

れ、国際放送は税金によって賄われ、広告放送は禁じられた。初代会長にジョン・リー

ス(John Reith)が任命され、ラジオ電波が営利のために使われることを防ぎ、公共

の利益を守るため経営委員会が設置され、委員は政府の指名にもとづき枢密院により

任命される。6 アメリカで、1920年代に最初の放送局が誕生し、その後、商業放送とし

て急速に展開していったのとは大きく異なる。

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イギリスにおける放送の公平性 ─サッチャー政権とBBCからの一考察─

 イギリスでは、その後、1936年、BBCによりテレビ放送が開始されたが、第二次世

界大戦で中断され、戦後、テレビ放送が再開されると1955年までBBCによりテレビ

放送は独占されてきた。1954年、テレビ法(the Television Act 1954)により広告を

財源とする商業テレビの導入が決定され、商業放送である ITVを監督するために独立

テレビ庁(Independent Television Authority:以後 ITAとする)が創設された。7 そ

して、翌年9月、ロンドンで商業放送が開始され、BBCと新たな ITVからなる「安楽

な複占」制度が確立した。黒田勇は、この商業テレビの創設を「広告メディアとして

テレビの重要性を認識した産業界と、大戦中より外国放送を聴取し、情報の選択幅を

求めていた大衆の圧力があったから」8と指摘する。ITVは、イギリス国内の各地域の

放送会社から構成されるが、相互に番組を制作し合い、ニュースについては ITN

(Independent Television News)から供給された。

 元来、BBCは受信料の形式で視聴者から財政的に支えられているため、政治家から

独立した組織であるべきという点を重視しなければならないのである。開始時から商

業ベースで発展した米国、プロパガンダ装置としてボルシェビキにより徴用された旧

ソ連と異なり、BBCは市場および政治家の思いつき(whim)や操作に対し非常に慎重

であった。そして、イギリスの社会および文化の水準を高め、政治的に公平な(impar-

tiality)立場から公的出来事を視聴者に知らせることを求められていた。9 一方、BBC

に課せられた公共サービス放送の原則は、広告収入に財源を求める商業放送の ITVに

も適用され、たとえ地域のニュース番組であっても公平性が求められた。10

 このように放送の公平性を重視し、「安楽な複占」制度が維持できる理由として、ブ

ライアン・マクネア(Brian McNair)は、イギリスの保守党と労働党による1950年代

から70年代まで続いた「社会民主的合意」11によるとしている。両党とも互いに、どち

らかが政権にある間、放送制度を乗っ取らないと考えていた。12 一方、ケビン・ウィ

リアムス(Kevin Williams)は、「サッチャー首相就任以前の1970年代からBBCは番

組制作費用の高騰により財政的に逼迫し始め、1970年代後半には、財政の基盤である

受信料収入が支出に達しなくなり始めた」13と指摘する。当初、このBBCの財政的苦境

は、商業放送である ITVの開始とも関係があった。特に、BBCが人気のある ITVの番

組に類似してくるにつれて、視聴者は受信料を支払って見ることに疑問を感じ始めた

のである。BBCが苦悩し始めた1977年、アナン委員会(the Annan Committee)は

報告書を出した。報告書は、次のように指摘する。

競争はBBC内部に深くしみ込んでしまったようだ。BBCの主要な目的は、視聴者

の50%を得ることではない。BBCは、多くの人々を楽しませ、その経験を豊かに

する面白い番組を提供するべきである。14

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メディアと社会 創刊号

 アナン委員会は、視聴者獲得のため、商業主義に向かい始めたBBCに警告を発した

のである。イギリスは、政府が「放送白書」を発表することにより、新政策を打ち出す

が、これに先立って専門家による委員会を設け答申をする。15 当時、労働党政権であ

り、まだBBC設立時の理念を堅持しようとしていたことがうかがえる。

 マクネアは、サッチャーの首相就任により、状況が劇的に変化したとする。サッ

チャーは、保守・労働党間の社会民主的合意を拒否し、これまで排除してきた市場の

力と商業的論理を放送政策に導入し始めたと指摘する。16 1975年、インフレ率が26%

に急騰し、失業者は100万人を超え、政府と労働組合が対立し、1978年、公共部門の

労働者は大規模なストライキを次々に敢行した。その結果、労働党政権は選挙で敗れ、

サッチャーの保守党が過半数を超える議席を獲得し、サッチャーは首相になった。17 こ

のサッチャー首相の誕生に、ルパート・マードック(Rupert Murdoch)が大きく関係

していた。マードックは、サッチャーが首相になるまで、オーストラリアでメディア

関連の事業に携わっていた。元々、レーニンに傾倒するほど社会主義的な政治信条の

持ち主であったが、当時のオーストラリア労働党のゴフ・ウィットラム(Gough

Whitlam)首相の社会主義的政策および反米主義に幻滅を感じ、マードックはその政

治信条を転向したため、オーストラリアでは問題のある人物と見られ始めた。18 その

後、マードックは、イギリスのメディア事業に関心を移し、サッチャーを支援するよ

うになった。

 1978年から79年の冬、ロンドンは公共機関のストライキによりごみがあふれ、遺体

の埋葬業務まで遅延していた。マードックの所有する「サン」(the Sun)のラリー・ラ

ム(Larry Lamb)編集長は、シェークスピアを引用し、「不満の冬」(THE WINTER

OF DISCONTENT)という見出しを掲げ、労働党政府を批判していた。79年5月、総

選挙当日、「サン」は「今回は保守党へ投票。腐敗を防ぐための唯一の方法」(VOTE

TORY THIS TIME. IT’ S THE ONLY WAY TO STOP THE ROT)という見出しで、

一面に長文の論説を掲載し、保守党へ投票することを呼びかけた。19「サン」の読者は、

低所得者グループが多いにもかかわらず、保守党が選挙に勝利するのに、この記事は

大きく貢献した。この選挙後、ほぼ10年間、「サン」は一貫して、サッチャーを支持

し、ウィリアム・ショークロス(William Shawcross)は「80年代は、マードックと

サッチャーがお互いに励ましあい、助け合った時代だった」20と描写する。

3.サッチャー政権のメディア政策

 アナン委員会の報告書により、サッチャーは、1982年、「チャンネル4」21を開設し

た。このチャンネル4の開設をはじめ、サッチャーは1979年、首相就任と同時に新自

由主義の経済政策の特徴である規制緩和を積極的にすすめ、衛星放送、ケーブル放送

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イギリスにおける放送の公平性 ─サッチャー政権とBBCからの一考察─

を導入し、イギリスもアメリカ同様、多メディア・多チャンネル化時代になった。そ

して、サッチャーの支援者であるマードックは、所有紙を利用し、BBCに対する政治家

の不満報道を繰り返し行い、サッチャー政権が「複占制度」を攻撃しやすくした。22

 視聴者の減少に悩んだBBCは、1980年代初頭、ITVに対抗するため、マイケル・グ

レイド(Michael Grade)を雇用した。グレイドは、外国のメロドラマを購入する一

方、イギリス国内でメロドラマやトークショーを製作し、さらに、ITVとスポーツイ

ベントを放送する権利を競い合い、ますます番組制作費用の高騰を招いた。このよう

な番組は視聴者を魅了したが、一方、受信料の形式でBBCが特別の立場を堅持するこ

とについて、BBCの受信料徴収の根拠を弱くすることになった。23

 BBCの受信料は、1985年4月に値上げされたが、この値上げを論議する過程でBBC

に広告放送を導入する案が台頭した。当初、保守党を顧客とする広告代理店のサッチ・

アンド・サッチ(Saatchi and Saatchi)は、BBCが徐々に(gradually)ではあるが、

あらゆる分野に広告を導入すべきであると発表した。24 これに対し、BBCのスチュアー

ト・ヤング(Stuart Young)経営委員長は、「広告の導入により、BBCと ITVは収入の

ため、視聴率を競い合うことになり、番組の基準の低下は避けられない」25と主張した。

ITVの一つであるグラナダ・テレビのスタッフもBBCを支持した。この広告代理店の

発表について、マイケル・リープマン(Michael Leapman)は、「巧妙な作戦」と評し

た。「徐々に導入」が意味するのは、番組の質を維持するためではなく、放送広告の市

場が一気に拡大しても、4つのチャンネルを満たすのに十分な需要が見込めないからで

あった。26 広告会社が考慮するのは、単にビジネス機会を拡大することだけなのであ

る。

 BBCを政治的に弱体化させる動きは、1970年代後半に増加した保守系の「シンクタ

ンク」から始まった。代表的なシンクタンクとして、政策研究センター(the Centre for

Policy Studies)、経済問題研究所(the Institute of Economic Affairs)、アダム・スミ

ス研究所(the Adam Smith Institute)があげられ、サッチャー政権はこれらから提

案された政策に頼ることになった。27 デヴィッド・ハーヴェイ(David Harvey)は、新

自由主義思想におけるシンクタンクの役割を次のように述べる。

かつて1947年にハイエクが思い描いた新自由主義思想は、こうした諸機関(大学、

学校、教会、職業団体)を通じた「長征」を経て、企業が後援し支援するシンクタン

クを組織し、一部のメディアを獲得し、知識人の多くを新自由主義的な思考様式に

転向させて、自由の唯一の保証としての新自由主義を支持する世論の気運を作り

出した。28

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メディアと社会 創刊号

ケインズ理論が主流であったアメリカ、イギリスにおいて、少数派で周辺的なものに

すぎなかった新自由主義思想を主流に押し上げるには、シンクタンクおよびメディア

を通じることの重要性を、新自由主義の信奉者たちは十分認識していたのである。

 1984年5月、保守系シンクタンクのアダム・スミス研究所は「イギリスのコミュニ

ケーション」(Communications Policy)というパンフレットを発行し、BBCの民営化

を提案した。29 有力なシンクタンクによるBBCの分割民営化への提言は、サッチャー

の意向を反映していたと思われるが、この詳細な提案がその後の議論の基礎となった

ことは確かであろう。

 1984年12月、ヤング経営委員長とアラスディア・ミルン(Alasdair Milne)会長は、

記者会見を行い、BBCはカラー・テレビの受信料を41%上げる申請を政府に対して行

なうと発表した。同日、サッチャーはスポークスマンを通じて、BBCのラジオとテレ

ビの一部に広告放送を導入する意向を記者団に示した。BBCが受信料の値上げを発表

した日に、サッチャーが驚くべき介入(remarkable intervention)を行なうことによ

り、BBCの主張が十分報道されないことになった。30

 1985年1月、「タイムズ」は「BBCはどこへ」(WHITHER THE BBC?」という皮肉

に満ちた記事を三日連続掲載し、BBCをラジオ、テレビ、ローカル・ラジオに分割し、

新しい放送問題検討委員会の下で、現在、BBCが有している様々な免許を入札制にす

べきであると提案した。31 「タイムズ」は、1981年、マードックにより買収されてい

る。32 この買収に際し、すでに1969年に「サン」を買収していたマードックは、過剰

な集中所有を防ぐための独占・合併委員会(the Monopolies and Mergers Commis-

sion)の審査を受けなければならなかった。しかし、保守党とサッチャーは、1979年

の総選挙における「サン」の支援を感謝して、マードックが委員会の審査を受けるこ

とのないように支援した。マクネアは、「レッセ・フェール的方法の最大の受益者は、

マードックである」33としたが、実際に、「タイムズ」は、マードックの所有になって

から、穏健な保守主義から右派急進主義(right-wing radicalism)へと急転回してい

る。

 リープマンは、1983年、マードックがイギリスおよびヨーロッパ向けにケーブルを

利用したテレビ用映画番組の衛星波(スカイ・チャンネル)の支配権を購入していた

ため、BBCを分割し、入札によりBBCを売却する方向に「タイムズ」の記事を利用し

たのではないかと推測した。そして、結果的にマードック自身が落札するつもりだっ

たのではないかと考えた。34 実際、サッチャーの政治信条を受け入れやすい広告代理

店、新聞社、さらにシンクタンクを通じ、最初に彼らに広告放送導入を提案させ、広

告需要の不足により導入は不可能となると、最終的にBBCを分割し、入札によりマー

ドックに落札させようとしたのが真相であろう。

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イギリスにおける放送の公平性 ─サッチャー政権とBBCからの一考察─

 1985年1月、「タイムズ」は「内務省内に、イギリスの放送に関する財政、構造を検討

する機関を設立し、国民に必要な公共サービスを提供するのに統一された(monolithic)

BBCがベストか研究すべきである」35と具体的に提案すると、この記事に答えるかのよ

うに同年3月、アラン・ピーコック(Alan Peacock)を委員長とするピーコック委員会

(the Peacock Committee)が設立された。飯塚浩一は、この委員会の目的を「放送制

度の根本的改革を提案することで、具体的には受信許可制度をBBCテレビの広告収入

に置き換えることであった」36と指摘する。種々の提案および会合の後、1986年6月、

ピーコック委員会は、意外な結論を記した報告書(Report of the Committee on

Financing the BBC)を提出した。アラン・ピーコック(Alan Peacock)委員長は、

有名な自由市場経済論者であり、委員会設置にあたり、内務大臣が、BBCに広告放送お

よびスポンサー番組を導入することを前提に答申を要請していたことから、37 BBCに

広告放送を導入する報告書が提出されると予想されていた。しかし、BBCへの広告放

送の導入は、BBCを視聴率競争に追いやり、ITVの財政を圧迫し、視聴者の選択肢を

狭くするという理由で行なわれなかった。38 その代わり、委員会はBBCが将来、ペー

パービュー(pay-per-view)方式により財政を賄うべきであるとし、消費者主権

(consumer sovereignty)に基づく市場で、ITV、ケーブル放送、衛星放送とともに競

い合うことになるだろうとした。39

 一方、この報告書が広告放送の導入を断念したため、BBCの「勝利」とする見方もあ

るが、受信料を消費者物価指数に応じて引き上げる方法は、通常、放送コストが消費者

物価より速く上昇するため、BBCの業務をもはや拡大することが困難になったことを意

味する。また、ほとんど注目されなかったことであるが、10年以内にBBCおよびITV

の番組の40%を独立のプロデューサーが制作すべきであると提言したことである。40 そ

れは、廉価な外部委託によりコスト削減を目的とするものであるが、このような外部委

託は、従来から培われてきた伝統的なBBCの理念に大きく水をさすことは自明である。

 1987年6月、総選挙においてサッチャーは、過半数を100議席上回る議席を獲得し、

勝利した。この選挙の保守党綱領の中心が放送改革であった。

 1988年7月、放送政策の改革を調査していた下院内務委員会(House of Commons

Home Affairs Committee)は、BBCの将来に関する報告書(the Future of the BBC)

を公表し、「テレビは、事実上、全国民がニュースおよび公共的な情報を手に入れるこ

とのできる主要な手段である」41とした。公平性について「公共サービス放送の受信者

が、ニュースを十分視聴できるようにするべきであり、また、そのような番組の内容

には、十分な公平性(due impartiality)をともなって放送されるべきである」42と、公

平性の必要性を指摘している。さらに、報告書において、1990年代に最も注意すべき

こととして、メディア企業の所有制をあげ「公共性のある情報をだれも独占的に支配

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メディアと社会 創刊号

できない」43とし、メディア所有の集中化、相互所有制、シルビオ・ベルルスコーニ

(Silvio Berlusuconi)のような外国の企業家にイギリスのメディアを乗っ取られること

を規制するような法的措置を取ることを政府に要求してきた。そして、委員会は「マー

ドックのスカイ・ニュースのようなイギリス国内で受信可能な衛星放送の所有権につ

いて、イギリスは今後、規制を考慮すべきである」44であるとし、拡大を続けている

マードック等のメディア・コングロマリットの行動に警告を発していた。

 1988年11月、ピーコック委員会の提案をかなり取り入れた「放送白書─ 90年代

の放送」(Broadcasting in the ’90s:Competition, Choice and Quality─ The

Government’s Plans for Broadcasting Legislation)をサッチャー政権は公表した。こ

の白書では、ピーコック委員会の提案した消費者主権の市場原理に基づき、規制緩和

を推し進めることを目的としたが、BBCに関して、国王の勅許状の期限が切れる1996

年にBBCの役割を再検討することにとどめた。45 一方、この白書の中心的テーマは、

ITVの各社に免許を与える際、競争入札制度(competitive tendering system)を導入

することを提示したことである。白書では、ITVに入札制度を課すことになると、入

札のための賃金づくりに製作費用を削減することになり、番組の質が低下するという

反対意見に先手を打って、国内および国際問題を扱うに際し、質の高いニュース番組

および時事問題を放映するための法的義務を負い続けると明確に述べた。46 さらに、

あらゆる政治経済論争、最近の公共政策について「公平かつ正確」(impartial and

accurate)に放送されるべきであるとし、伝統的な公共サービス放送の姿勢が堅持さ

れることになった。47 そして、もしこれらの要求を厳守できないならば、商業テレビ

に対する新しい規制機関である ITC(the Independent Television Commission)によ

り免許が剥奪されるとした。48

 放送白書の発表後、ITVの競争入札制度導入に対し、多くの批判が述べられたが、49

89年12月、放送白書に基づく新放送法案が国会に提出され、一年間の審議後、90年

11月、女王の裁可により「90年放送法」(Broadcasting Act 1990)として成立した。

「90年放送法」では、IBAに代わる商業放送の監督機関として ITCが設立され、商業放

送全般を管理し、免許を付与することになった。また、ITVをチャンネル3として免許

を入札制にし、チャンネル4は、法人として独立し、自ら広告時間を販売することによ

り財源を得ることになった。一方、マードックの関係するBSkyB(British Sky Broad-

casting)のような衛星放送について、集中所有に関する規制はないため、放送法改正に

よっても解決できない問題を残すことになった。50 一方、サッチャーは、法律制定後、

政権の座を追われた。

 以上のように、サッチャー政権下の80年代、放送メディアを取り巻く状況は劇的に

変容した。しかし、日本において一般的に議論されるのは、受信料、入札制度、衛星

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イギリスにおける放送の公平性 ─サッチャー政権とBBCからの一考察─

放送などであって、放送メディアにとって重要な「公平性」が議論されることはあま

りなかった。次に、この「公平性」がイギリスの放送メディアにおいて、どのように

位置づけられているのかを考えてみる。

4.イギリスの「公平性」

 イギリスにおいて、「公平性」(impartiality)の概念が最初に導入されたのは、1927

年、BBCがクロフォード委員会により英国放送協会として国有化された時である。免

許協定書13条(7)において、公平性の理念を背景に、BBCによる社説放送を禁じてい

る。51 BBCは、国内の聴取者の間に共通の文化を形成する仕事を担わされたが、「国民」

(the Nation)という文言に、政治的、社会的、地理的に多様な要素が含まれていたこ

とから、BBCは、商業的、政治的な利益から独立した「公平な仲介者」(impartial

arbiter)であることを求められた。一方、BBCは、国益にそった公共サービス放送と

して設立されてもいたため、「公平な仲介者であるべき」BBCのジャーナリストが、

イギリスの国益を脅かしたと政府により判断された時、公平性が議論されることになっ

た。52 ここに国益にそった放送を求められるBBCと、公平な仲介者としてのBBCの矛

盾した役割が課せられることになる。

 商業放送に対する「公平性」の適用は、1954年、テレビ法の成立時からである。BBC

同様、商業放送も争点となる問題について公平性を適用することになった。53 BBCの

勅許状と放送法の違いは、法的に異議申し立てが可能か否かである。制定法である放

送法は、商業放送に公平性を法律的に強制できる。しかし、BBCに対しては、放送法

と同じように、法律的な強制は不可能である。54 そのため、商業放送と同様にBBCも

放送法という議会制定法により規制されるべきではないかという意見がある。これに

ついて、蓑葉信弘は、更新期のある勅許状は安定感があり、制定法では政治的論争に

巻き込まれ、その独立性が担保されないとする。また、制定法は詳細に規定されてい

るため、勅許状の下での報道と比べ、柔軟性に欠けると指摘する。そして、蓑葉は、

「勅許状の持つ柔軟性、安定性、政治からの独立の担保、それらがBBCの発展を支え

てきた大きな要因の一つであることは間違いない」55と結論づける。

 サッチャー政権期の「公平性」について、BBCは、ガイドラインにおいて次のよう

に定義づけている。

公平性は、絶対的な中立性を意味するのではなく、道徳的、制度的な考えから離れ

たものでもない。例えば、BBCが真実と虚偽、正義と不正義、同情と残忍さ、寛

容と非寛容の間で、中立的な立場にいなければならないと考える必要はない。56

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メディアと社会 創刊号

公平性は、恣意的なもので、絶対的なものではないことから、現場のスタッフ、経営

委員会、そしてBBC会長の意見が異なることがあるが、ニュース報道についての手続

きを定めた詳細なガイドラインがあり、状況に応じ書き換えられてきた。BBCのス

タッフは、伝統あるBBCの理念にもとづき、さらに詳細なガイドラインに従って、多

様な国民性と地域的なバランスを公平に配慮しながら放送することを優先し、それを

国益と判断したと考えられる。

 1990年放送法における「公平性」について、前述した1988年の放送白書に遡ると、

商業放送の ITVがチャンネル3に変更されることに関係する。ITVにニュース番組を

提供してきた ITNの株式を所有する各地の商業放送に対し、株主としての立場をやめ

させることを白書は提案していた。将来、チャンネル3へのニュース番組提供は、「任

命供給者」(nominated provider)として、非免許者により行なわれると白書では記さ

れた。57 そして、1990年放送法改正の審議段階において注目されたのは、「公平性」が

どのように維持されるのかであった。ロバート・マクレナン(Robert Maclennan)は、

チャンネル3へニュースを供給する人々の編集上の権利が、非免許者に移動すること

により、ニュースの調達に政府が影響を及ぼすことになると指摘した。理由として、

ニュース供給者の指名を政府により任命された ITCの委員長が決定するからである。58

伝統的に放送事業者が自己規制をしてきた領域に前例のない法的介入が行なわれよう

としていたのである。その結果、放送事業者がニュース番組に「偏見」(bias)を感じた

人々から法的攻撃を受けやすくなり、財源が潤沢でない小規模の放送事業者は高い裁

判費用を懸念するあまり萎縮することが懸念された。59

 放送法は、1991年1月1日に発効し、ITCの番組コード(Programme Code)も、同

年2月に公表された。「1990年放送法」における公平性は、「十分な公平性」(due

impartiality)という文言で規定されることになる。十分な公平性は6条の(1)cに「十

分な公平性は、政治・経済上議論になっている事柄を尊重するような放送を提供し、

また最近の公共政策に関連する事柄を放送する事業者によって維持されなければなら

ない」60と規定された。マクネアによると、6条は委員会審議と議会の最終審議の間に

政府により追加されたもので、十分な公平性が一般的なシリーズ番組と、「重要な事柄」

と規定する事例に適用されるとした。61 しかし、6条自体は公平性を監督する ITCの責

任に関する一連のガイドラインの中に規定されていたのである。

 90年放送法には、BBCのガイドラインにはない「十分」(due)という文言がついて

いるが、これは、放送法により商業放送が公共性を有し、論争が起きるようなニュー

スを放送するにあたり、「十分な公平性」に留意することを法律上求めていることを明

示していると考えられる。また、実際に成立した放送法および ITCコードは、法案と

して審議中に懸念された政府による法的介入を規定しておらず、ITCコードにおける

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イギリスにおける放送の公平性 ─サッチャー政権とBBCからの一考察─

「十分な公平性」についても「テーマや番組の種類について、十分あるいは適切に解釈

されるべきである」62とし、厳しい文言ではなく、さらに「『バランス』を単なる数字

的に求めたり、平等な時間を対立する見解に与えなければならないということではな

い」63と規定しているように、BBCと同様、放送事業者の判断にかなり依拠している。

しかし見方を変えれば、BBCは勅許状による認可のため、更新期まで政府から独立す

ることは可能であるが、制定法である放送法の柔軟な文言では、蓑葉が述べているよ

うに、64 政治的論争に巻き込まれる可能性が大いにある。実際、ITCコードの「十分な

公平性」は、単独の番組で充足する必要はないが、事柄が問題となっている期間、通

常、数日間は適用しなければならない。特に、重要な国内政治論争および総選挙のよ

うな「主要な問題」(major matters)を放送する際、厳密に公平性が達成されることを

求めている。65

 次に、このような規定を ITCコードに挿入することになった原因と思われる事例に

ついて検証する。

5.サッチャー政権とBBC

5-1 北アイルランド問題

 国内問題に関するサッチャー首相とBBCの対立は、主として IRAに関する報道で起

きた。北アイルランド問題は、サッチャー政権にとって困難な問題であり、IRAに対

する取材をめぐり、BBCとの間で何度か摩擦を起こした。

 サッチャーの IRAと放送メディアに対する怒りは、1979年、首相になる直前、サッ

チャーの親友であり、かつ政治アドヴァイザーであったエアリー・ニーブ(Airey

Neave)が、アイルランド国民解放軍(the Irish National Liberation Army:INLA)

により暗殺され、数週間後、BBCのインタビューに顔を隠した INLAの代表が応じたこ

とに始まったと言われている。同年、「キャリックモア事件」(Carrickmore incident)

が発生した。BBCが録画した IRA関係者のインタビューをテレビ番組の『パノラマ』

が使用することを計画し、BBCスタッフはこの交渉のため、ダブリンに行き、IRAの

政治部門であるシン・フェイン党代表に番組の目的を説明した。その後、スタッフは

アイルランド国境から17マイル離れた北アイルランドのキャリックモア村に行くこと

を指示され、村に到着すると、村が覆面、武装した過激派に占拠され、BBCスタッフ

はその様相を撮影することになった。66 この事件の真相をマイケル・リープマン

(Michael Leapman)は「過激派の意図は、数日前、国境地帯が完全な統制下にあると

いう楽観的な声明を政府軍が発表したため、これが真実でないことを証明することに

あった」67と述べる。これが真相であったとしたなら、BBCのスタッフは、国境地帯が

IRAにより支配されていることを立証したことになる。

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メディアと社会 創刊号

 この事件は、前述したBBCスタッフの「公平な仲介者」としての役割と、国益を擁

護する立場にあるBBCの役割を示したものであろう。国境地帯が誰の支配下にあるか

は、国益に関する事柄といえ、さらに、国家の安全保障に関する重要事項であるため、

これを放送することは国益に反するといえないだろう。しかし、サッチャー政権は、

この放送を通じ、BBCが IRAの非合法活動を奨励していると非難した。一方、IRAの

活動を支援する国民がいる以上、その活動を客観的に撮影し、国境地帯の実情を国民

に開示することもBBCの責務である。結局、番組が放送されることはなかったが、こ

の事件で明らかにすべきことは、テロリストのような微妙な立場の人物の撮影は、誰

が撮影を許可したのかという責任問題より、BBCの撮影が非合法活動を促したのかを

慎重に検証し、「国益」をめぐる報道について報道機関は「公平性」にもとづき、どの

ように対応すべきなのかを徹底的に議論すべきであった。しかし、実際には、責任の

所在にばかり議論が収斂された。この不毛な議論が6年後に起きた同様な事件を、事

前に抑止することが出来なった理由の一つであろう。キャリックモア事件を契機に、

サッチャーとBBCの間は、ますます険悪になっていった。

 1985年、BBCはドキュメンタリーの『ここに生きる』(Real Lives)において、緊迫状

態にある人々に焦点を当て、その背後の真実を探ることを目的に番組を放映していた。

BBCの番組スタッフは、北アイルランドのロンドンデリー(Londonderry)で対立する指

導者を通し、抗争の真実を探る番組を制作することにした。一人は民主統一党(Democrat-

ic Unionist Party)の市議会議員のグレゴリー・キャンベル(Gregory Campbell)で、も

う一人は IRAのシン・フェイン党のマーチン・マクギネス(McGuinness)で、彼らは北

アイルランド議会の議員でもあった。シン・フェイン党は、暴力を肯定していたが、59名

の議員を擁する政党でもあった。68 マクギネスが議員であったため、BBCのスタッフは

取材基準69である会長の許可は必要ないと考え、会長に取材内容の許可を受けなかった。

 同時期にTWAハイジャック事件が起こり、犯人の映像を放映したアメリカの放送に

ついて、サッチャーは「テロリストたちにとって頼みの綱ともいえる宣伝の方途を断

つ方法を見出す努力をしなければならない」70と言明したこともBBCの番組傾向を従来

から好ましくないと思っていた人々の行動を先鋭化させた。マードックの所有する「サ

ンデー・タイムズ」の記者は、この番組の政治性に注目し、番組が政治問題化するの

に重要な役割を担う行動をとった。記者は、レオン・ブリッタン(Leon Brittan)内務

大臣と首相広報担当官に手紙を送り、『ここに生きる』の番組内容を知らせ、政府の反

応を探った。この行為により、ブリッタンの介入を招き、その結果、経営委員会は、

事前に試写をした上、放送を中止させた。この中止を契機に、BBCは24時間ストに入

ることを決定した。BBCのアラスデア・ミルン会長は、視聴することなく番組の放映

に介入したブリッタンに対し、次のようなメッセージを発表した。

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イギリスにおける放送の公平性 ─サッチャー政権とBBCからの一考察─

たとえ内容が何であったとしても、今回、内務大臣により番組を禁止する直接の要

請ととられるようなコメントが出されたことは、政府が番組の方針を命令しようと

しているととられるのは当然である。BBCは、その種の圧力には断固抵抗する。71

ITVのジャーナリストおよび他の組合もBBCのストを支援し、外務省の管轄である

BBC国際放送までストに参加した。72 24時間のストライキは、BBCと ITVのニュース

番組に多大な影響を及ぼした。一方、BBCの経営委員会は、政府の意向に沿う結論を

出す傾向が強くなっていた。これはサッチャー政権が自らの思想信条と同じ人材を経

営委員に選出したからである。この事件で考えなければならなかったのは、政治的に

微妙な問題に対する番組構成であった。番組は、出演者が一方的に話す形式を取って

おり、これはBBCのニュースおよび報道番組のガイドラインに抵触する。「番組の中

で、政治的発言が行なわれた場合、それに対する反論を放送すべきある」73という文言

に違反しているのである。政治家およびテロリストを出演させる時は、ドキュメンタ

リーであっても、存在自体が政治的影響をおよぼすと推定されることから、やはり反

論を挿入した番組づくりをすべきであったろう。しかし、この事件においても、議論

の焦点は事前試写という検閲を行なった経営委員と、敵対的な姿勢を取った内務大臣

に向かい、公平性に関する議論が十分尽くされたとは思われない。また、経営委員会

の放送差し止めにより、BBCの「報道の自由」は侵害され、これまで培われてきた

BBCの報道に対する信頼性は著しく損なわれた。この経営委員の政治性についても十

分、議論はなされなかった。

 一方、サッチャー政権時代、国内の問題だけではなく、対外政策においてもBBCと

厳しく対立していた。次に、この点を検証する。

5-2 対外政策とBBC

 1982年4月、アルゼンチンはイギリスの植民地であるフォークランド諸島を侵略し

た。サッチャー政権は機動部隊をフォークランド諸島に派遣することを決定し、この戦

闘を取材するBBCに対し、国防省は当初から取材を厳しく制限した。厳重な検閲の後、

イギリス軍の戦争犠牲者の記事および写真は押収された。これは、ベトナム戦争の敗

因の一つとして、メディアが戦場を自由に取材し、その記事や写真がアメリカ国内に

厭戦気分を蔓延させたためと言われてきたことによる。イギリス国防省は、戦争の恐

怖をイギリス国民に見せることは、イギリス国民の戦意を低下させ、軍事行動への支

持を喪失させることを懸念し、取材を制限した。74 しかし、イギリス国内の報道を政

府が制限することは困難であった。BBCのスタッフは「イギリス軍の士気を高揚させ

たり、国民を国旗の下に結集させることがBBCの役割ではない」75と述べ、政府の行動

をあらゆる角度から報道しなければならないとした。サッチャーは、フォークランド紛

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メディアと社会 創刊号

争のテレビ番組がイギリスとアルゼンチンを平等に扱っており、イギリスの政策が十

分反映されていないと非難した。しかしながら、イギリス国内では、世論と政治家の間

で、軍事行動に賛成と反対に分かれ、反対の人々は、フォークランド紛争の期間、ア

ルゼンチンに対し、軍事行動より経済的、外交的に制裁を加えるべきと表明していた。

 BBCは、フォークランド紛争が公平性(impartiality)にもとづき正当に(legiti-

mately)報じられる事柄であると考え、批判は報道されるべきであるとした。また、

そうしなければ、公共サービス放送としての役割を放棄したと国民から思われると結

論づけた。一方、サッチャーは、BBCが政府の方針を、無条件で支持しなければなら

ないと考えていた。76 「公平性」の概念は、BBCのスタッフが「あらゆる意見を報道

するのが、BBCの職務である」77と述べるように、全ての見解を公平に報道し、視聴

者に公平に情報を提供することである。フォークランド紛争におけるBBCの報道は、

「公平性」に基づく正当な報道であったといえる。このようにBBCと対立したサッ

チャーであるが、フォークランド紛争への対応を国民は支持し、70年代からの国内経

済の衰退、国際的な影響力の低下にもかかわらず、83年の総選挙において、保守党は

大勝した。

 その後、1986年、サッチャー政権は、BBCと再び対立した。同年4月、アメリカ軍

機によりリビアのトリポリが爆撃された際、イギリス政府はアメリカ空軍にイギリス

国内の空港の使用を許可した。同年10月30日、BBCが放送したニュース報道に関す

る報告書が「テビット文書」(Tebbit dossier)として保守党中央事務局(Conservative

Central Office)から公表された。実際に調査したのは保守党中央事務局と保守党幹事

長のノーマン・テビット(Norman Tebbit)の支援により設立された「メディア監視機

構」(Media Monitoring Unit)により行なわれた。報告書の内容は、BBCの9時の

ニュースと ITVの10時のニュース原稿を詳細に比較し、ITVのニュース報道は事実に

基づいているが、BBCのニュース報道は、反米主義とリビアの最高指導者カダフィ大

佐のプロパガンダをちりばめていると指摘した。78 この報告書に対し、BBCのミルン

会長は次のように反論した。

保守党の苦情、抗議書の送付方法は、保守党がBBCを脅迫しているように見える。

総選挙の準備期間であるが、我々はこのような方法が信頼感を得るものではない

と確信している。・・・・BBCの経営委員会は、公平性(impartiality)と高度な判断

基準の維持を旨としている。BBCは、憲章の文言だけではなく、精神に従って責

任を遂行する。ご存知のように、BBC憲章は、いかなる政党からの不当な影響力

にも抵抗することを求められている。差し迫った総選挙であれ、何であれ、この

基準を変更することは決してない。79

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イギリスにおける放送の公平性 ─サッチャー政権とBBCからの一考察─

さらに、テビット下院議員は保守党中央事務局を利用し、BBCの政治偏向について調

査を継続すると主張したが、事態は次第に沈静化した。このテビット文書は、総選挙

の前年の非常に微妙な時期に発表された。総選挙で勝利するために、サッチャーの首

相就任以来、保守党の政策と対立するような報道を常に行なってきたBBCに圧力を加

えようとしたのであろう。

 以上のようにサッチャー政権とBBCの関係は絶えず緊張したものであった。多くの

対立した事例の結果、1988年10月、政府は北アイルランドにおけるテロリズムを擁護

するような声明の報道を禁じた。これはBBCと政府との協定書13条(4)80にそったも

ので、BBCおよび ITVの放送がテロ組織関係者とのインタビューを放送することによ

り、組織の支持者を増やしていると内相は説明した。しかし、一部の放送メディアは、

政府の措置に対抗し、インタビューの音声を使わずにテロップを利用したが、81 このよ

うな放送事業者の萎縮した姿勢こそ多様な意見の報道を義務付けた「公平性」の意義

を問うものであり、放送事業者および受信者が政府に抗議すべき事態である。一方、

このような政府の措置にもかかわらず、1990年放送法/BBCガイドラインには「公平

性」が明記され続けた。イギリスが「公平性」を重視する要因として、ジョン・ウィ

ルソン(John Wilson)は「新聞の読者と比べ、テレビ視聴者は、政治的に様々な見解

を有しているため、番組の『不公平性』(partiality)について極めて敏感である」82と指

摘する。さらに、重視しなければいけないのは、イギリスには成文憲法がないため、

「表現の自由」が明文化されていないということである。そのため、放送メディアの政

治からの独立を保障する意味からBBCのガイドライン /放送法において「公平性」を

規定する意義は大きい。しかしながら、政府の強硬措置の前に、放送メディアは自ら

世論を喚起し、「公平性」と「国益」をめぐる放送メディアのあり方を議論すべきで

あったろう。

6.終わりに

 フォークランド紛争時、BBCの会長であったイアン・トレサワン(Ian Trethowan)

は、保守党の議員に「BBCは、中立ではないが、イギリスのような民主主義とアルゼン

チンのような独裁体制の違いの一つとして、われわれ国民が真実を聞くことを希望す

るならば、たとえどのように不愉快であろうと真実を聞くことができることである」83

と述べた。しかしながら、アメリカとイギリスの放送メディアは、同じ民主主義体制

でありながら、その環境は全く異なる。アメリカは新聞、出版、映画と同様、主とし

て私企業の所有である。この私企業を好むアメリカの傾向を、ウィラード・ローラン

ドは「コミュニケーション分野では私企業を好むというこの国の社会的、法律的な伝

統による」84と述べた。1920年代、大衆向けラジオ放送が始まった時、支配および利用

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メディアと社会 創刊号

方法を商業形態にすることが、公共の利益に適合するというのが、支配的な考えであっ

た。85 アメリカの放送政策の基礎は、社会目的に基づくものではなく、カルヴァン・

クーリッジ(Calvin Coolidge)大統領の「金ぴか時代」と言われる熱狂時代の考えを受

け継いでいるのである。そのため、政策を運用しようとすると、社会的、文化的な問

題は二の次にされてしまうのである。

 一方、イギリスの放送政策は対照的である。アナン卿は、初代BBC会長のジョン・

リース(John Reith)が、公共サービス放送になる以前の私企業時代のBBCについて

書いた文言を引用する。

BBCはたしかに一個の企業であるが、私益追求のための経営はなされない。投資

家がキャピタルゲインを得る見込みはなく、配当も7.5%を超えては支払われない。

ラジオ製造業者の利益を増やすための存在でもない。・・・・BBCは聴取者の望むも

のを提供するだけで満足すべきではないと指摘した。それまで経験したことのな

いものを提供され、しかもそれが好みにあうと発見することだってあるのだから、

人々の要望をあらかじめ枠にいれることなど、誰もできはしない。放送は人々を

楽しませなければならない。しかし、同時に好みを育成する義務も合わせ持つ。86

BBCが公共サービス放送に転換した後の理念とほとんど変わることはない。黒田は、

リースが、アメリカの自由放任型の放送システム(商業主義)は公衆への責任の欠如

を示すもので、アメリカから伝わってきた映画や大衆紙の「浅薄さ、ばかばかしさ」

に対抗、「国の放送システムは国家の良心の鏡」として、「公衆に代わり、拡大された

世界の中で水先案内のサービスを維持していくこと」87を目指したとする。このように

BBCは、私企業として設立した当初から、国民を「啓蒙する」機関としての役割を

担っていたのである。アメリカの放送メディアが、BBCと異なる私企業中心であるか

らといって、社会的、文化的視点を軽視し、視聴率至上主義に陥ることを当然である

ということは出来ない。放送メディアは、公私の区別なく「公共財」88として、国民の

啓蒙に尽くすべきである。

 長谷部恭男は、公共財といわれる社会全体にとっての利益や価値について、「表現の

自由が一種の公共財として機能するのは、テレビや新聞から社会の様々な生き方、価値

観が紹介されることにより、人々は多様なものの見方や考え方に対し寛容となる」89と

指摘する。さらに、長谷部は「寛容」を次のように定義づける。

寛容さとは、共感を意味するわけではない。同意し、賛成できることについて「寛

容」さは必要ではない。・・・・寛容さが要求されるのは、むしろ、自分が同感でき

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イギリスにおける放送の公平性 ─サッチャー政権とBBCからの一考察─

ず、嫌悪さえ覚えるような生き方や考え方についてである。世の中が、必ずしも

自分の共感しえないものを含む多様な価値観を持つ人々によって多元的に構成さ

れていることを知ること自体が、寛容さを育てる一つの前提となる。このような

単なる価値観や考え方に対するいわば一般的な公平さが、政治、道徳、宗教など

について要請されることは明らかであろう。90

長谷部は、放送事業者に公平性が要求される根拠として「個人の自立的選択のため、

多様な選択肢の提示の必要性」91を指摘する。そこには、政治、道徳、宗教観が自らと

異なる人々への寛容さが求められ、その慈養のために「公平性」や「公正原則」は必

要不可欠な存在なのである。しかし、新自由主義という同じ政治信条を信奉しながら

も、レーガン政権は「公正原則」を撤廃し、サッチャー政権は「公平性」を規定し続

けた。この相反する政策が、今日の英米における放送メディアの方向性に少なからず

影響を与えているといっても言い過ぎではないであろう。

 今日、日本の公共放送であるNHKをめぐり、受信料をはじめ、様々な問題が顕在化

してきた。80年代のサッチャー政権におけるBBCの報道姿勢を遡ることにより、今

後、NHKの再編成を考察する上での一助になればと思う。

01 ノーム・チョムスキー、鈴木主税訳『メディア・コントロールー正義なき民主主義と国際社会』

集英社、2003年、11頁02 Fairness Doctrineを堀部政男は「公平原則」と訳したが、最近では向後英紀、稲葉一将、内川

芳美により「公正原則」と訳されているため、本稿では「公正原則」を使用する。03 拙稿「レーガン政権の通信政策における希少性と萎縮効果」名古屋大学国際言語文化研究科

「メディアと文化」2007年 3月04 アメリカにおいて、「公正原則」を「Fairness Doctrine」とするが、イギリスでは、同じ意味とし

て「impartiality」を使用するので、本稿では impartialityの邦訳である「公平性」をイギリスの

検証に使用する。05 Scannell, P. and Cardiff, D. (1991) A Social History of British Broadcasting, volume I,

Oxford: Basil Blackwell, p.8.邦訳は筆者による。06 Leapman, Michael. (1987) The Last Days of the Beeb, Allen & Unwin Limited. p.70.マイケ

ル・リープマン、桜井元雄訳『BBC王国の崩壊』日本放送出版協会、1989年、77頁07 ITAは、1973年、商業ローカル・ラジオ放送の導入により、IBA(Independent Broadcasting

Authority)と改称され、さらに「1990年放送法」により、商業テレビ規制監督機関(Independ-

ent Television Commission:以後 ITCとする)となった。08 黒田勇「英国における公共放送システムの理念」神戸女子大学紀要 24L巻、1990年、25頁09 McNair, Brian. (1994) News and Journalism in the UK, Routledge. pp.67-68.以後、本書の

邦訳は筆者による。

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メディアと社会 創刊号

10 Ibid., p.69.11 Ibid., p.69.12 Ibid., p.68.13 Williams, Kevin. (1998) Get me a Murder a Day! : A History of Mass Communication in

Britain, Arnold, p.172.以後、本書の邦訳は筆者による。14 Leapman, Michael. p.242.邦訳は筆者による。15 蓑葉信弘「イギリス放送白書と BBCの将来」NHK放送文化調査研究年報 40、1995年、128

頁16 McNair, Brian. op. cit., p.69.17 デヴィッド・ハーヴェイ、渡辺治監訳『新自由主義』作品社、2007年、82-84頁18 Shawcross, William. (1992) Murdoch, Touchstone, p.110.以後、本書の邦訳は筆者による。19 Ibid., pp.113-114.20 Ibid., p.113.21 チャンネル 4は、広告収入で成り立つため IBAに属し、主な番組は文化・教養向けで、番組制

作は行なわず、ITVや独立プロダクションの番組を購入し放送する。ITV各社の広告収入の一

部でチャンネル 4を運営するため、チャンネル 4は文化・教養向けでも経営は成り立つ。しか

し、1990年放送法の改正で運営方法は大幅に変更された。22 McNair, Brian. op. cit., p.76.23 Williams, Kevin. op. cit., p.173.24 Leapman, Michael. p.250.マイケル・リープマン、304頁25 Ibid., p.251.邦訳は筆者による。26 Leapman, Michael. p.252.マイケル・リープマン、306頁27 Williams, Kevin. op. cit., p.179.28 デヴィッド・ハーヴェイ、前掲書、61頁29 Leapman, Michael. p.255.マイケル・リープマン、309頁

アダム・スミス研究所によれば、BBCは分割民営化され、ITVと同様、独立したユニットにな

り、全体の経営は IBAのような組織が各社を統括する。BBC第一チャンネルは広告で、BBC

第二チャンネルはスポット広告、スポンサー、寄付、そして BBC第一チャンネルからの助成

で賄われる。また、ニュース番組は、ITNのように参加企業の拠出金で運営される。ラジオも

同様に分割される。30 Leapman, Michael. p.261.マイケル・リープマン、313頁31 Leapman, Michael. pp.264-266.マイケル・リープマン、317-319頁32 サンデー・タイムズは、カナダのロイ・トムソン(Roy Thomson)が、1959年にケムズリ

卿(Lord Kemsley)から購入し、それ以来、編集長はジャーナリズムを「社会の武器」と考

え、政府を批判し、侮辱罪等で政府の機密を明るみに出そうとした。しかし、1970年代、サン

デー・タイムズは経済的にもジャーナリズムの見地からも繁栄していたが、タイムズは全然活

気をなくしていた。Shawcross, William. op. cit., pp.121-123.33 McNair, Brian. op. cit., p.138.34 Leapman, Michael. p.267.マイケル・リープマン、231頁

マードックは、80年代、映像メディアに進出し、通信衛星経由でヨーロッパ全土の CATVに

番組を供給するサテライトテレビを買収し、83年から「スカイ・チャンネル」として放送した。

川本裕司「覇権争うマードックとマックスウェル」新聞研究、1989年 9月、46頁35 Leapman, Michael. p.269.邦訳は筆者による。

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イギリスにおける放送の公平性 ─サッチャー政権とBBCからの一考察─

36 飯塚浩一「英国における放送メディアの役割についての一考察」メディア史研究 8号、1999年

3月、81頁37 西谷茂「ピーコック報告とその後の一年」NHK放送文化調査研究年報 32、1987年、8頁38 蓑葉信弘、「イギリス放送白書と BBCの将来」130頁39 McNair, Brian. op. cit., p.78.40 Leapman, Michael. p.338.マイケル・リープマン、401頁41 The Future of Broadcasting, HC 262, (1988) London: HMSO, p.xlviii.以後、本書の邦訳は筆

者による。42 Ibid., p.viii.43 Ibid., p.xiv.44 Ibid.45 McNair, Brian. op. cit., p.82.46 Ibid., p.82.47 Ibid., pp.82-83.48 Ibid., p.82.49 労働党影の内閣のロイ・ハタスレーによる「公共サービス放送の精神からの大いなる撤退」、IBA

委員長トムソン卿による「番組の質にかける必要のある金を奪い去るもの」、英国教会放送担当

ジョン・バートン卿による「ITVを破壊し、広告主に権力を手渡し、子供と宗教の番組を脅かす

もの」があげられる。蓑場信弘「英商業放送改革法成立へ」放送研究と調査、90年 9月、23頁50 マードックの所有する 5つの全国紙は、イギリスの全国紙の発行部数の 35%を占め、BSkyB

の 6つのチャンネルは、全体の 10%を超える家庭で視聴されていた。長谷部恭男『テレビの憲

法理論』弘文堂、1992年、145-146頁51 長谷部、69頁52 McNair, Brian. op. cit., p.31.53 Ibid., p.31.54 Wilson, John. (1996) Understanding Journalism : a guide to issue, Routledge, pp.39-40.以

後、本書の邦訳は筆者による。55 蓑葉信弘「イギリス放送白書と BBCの将来」129頁56 BBC Guide 1990, London: BBC.邦訳は筆者による。

Impartiality does not imply absolute neutrality, nor detachment from basic moral and

constitutional beliefs. For example, the BBC does not feel obliged to be neutral as between

truth and untruth, justice and injustice, compassion and cruelty, tolerance and intolerance.57 McNair, Brian. op. cit., p.83.58 Parliamentary Debates, Standing Committee F (Home Affairs Select Committee), House of

Commons Official Report, 1990, London: HMSO.邦訳は筆者による。59 McNair, Brian. op. cit., pp.88-89.60 that due impartiality is preserved on the part of the person providing the service as

respects matters of political or industrial controversy or relating to current public policy.

邦訳は筆者による。http://www.opsi.gov.uk/acts/acts199061 McNair, Brian. op. cit., pp.86-87.62 Independent Television Commission, Programme Code, 1991, p.19.邦訳は筆者による。63 Ibid64 蓑葉信弘「イギリス放送白書と BBCの将来」129頁

Page 20: BBC - 名古屋大学97 イギリスにおける放送の公平性 サッチャー政権とBBCからの一考察 水野 道子 名古屋大学大学院国際言語文化研究科 メディア・プロフェッショナルコース博士課程

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メディアと社会 創刊号

65 McNair, Brian. op. cit., p.90.66 Leapman, Michael. pp.97-125.マイケル・リープマン、111-143頁

McNair, Brian. op. cit., p.71.67 Leapman, Michael. p.98.マイケル・リープマン、112頁68 Leapman, Michael. pp.295-296.マイケル・リープマン、351-353頁69 「テロの組織に密接な関係があると会長補佐が見なした人物とのインタビューは、あらかじめ会

長の許可を得ないかぎり行なってはならない。またインタビューの許可を得た場合も放送前に

あらためて会長の承認を得なくてはならない」70 Leapman, Michael. p.297.マイケル・リープマン、354頁71 Leapman, Michael. p.324.邦訳は筆者による。72 Leapman, Michael. pp.294-324.マイケル・リープマン、350-384頁

McNair, Brian. op. cit., p.72.73 The News and Current Affairs Index, p.79. para.14.邦訳は筆者による74 Leapman, Michael. p.232.マイケル・リープマン、279頁75 Ibid., p.233.同上、280頁76 McNair, Brian. op. cit., p.74.77 Leapman, Michael. p.236.邦訳は筆者による。78 Leapman, Michael. pp.343-344.マイケル・リープマン、408頁79 Leapman, Michael. pp.344-345.邦訳は筆者による。80 長谷部、69頁

「主務大臣は、BBCに対し特定事項の放送の停止を要求する権限を有する」81 廣瀬融「サッチャー政権のマスメディア政策」新聞研究、1989年 9月、44頁82 Wilson, John. op. cit., p.39.83 Leapman, Michael. p.234.邦訳は筆者による。84 ウィラード・ローランド Jr「マルチチャンネル時代におけるアメリカの放送と公共の利益」放

送学研究 47号、1973年、152頁85 同上、159頁86 アナン卿、石川旺訳「公共サービス放送―英国における論争」放送学研究 39号、1989年、

65-66頁87 黒田、24頁88 「公共財」を、谷澤正嗣は「新たに不特定の個人が利用者になっても、そのために追加的費用が

かかるわけではない(非競合性)、費用を負担せずに利用しようとする個人を特定し排除しよう

としてもそれができない(非排除性)を有する財」と定義づける。

「現代政治理論」有斐閣アルマ、2006年、218頁89 長谷部、15頁90 同上、158-159頁91 同上、158頁