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経済学概論
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第14回 イノベーションと経済学
サプライサイド経済に代表される新新古典派の考え方は結果的に1980年代の
アメリカの財政赤字を拡大させたが、民間部門の競争と技術革新を激化させて
いった。
1990年代に入り、アメリカ経済は民間設備投資、特に IT(Information
Technology)投資を拡大することによって景気を拡大させていった。ここから
IT 投資(情報化投資)が需要の側面から景気拡大に貢献しただけでなく、供給
の面(サプライサイド)を活性化させ、労働生産性を高め長期的な景気拡大を
生み出す、という考え方=「ニュー・エコノミー論」が登場した。
1、イノベーションと経済成長
(1)資本主義とイノベーション
技術革新と経済成長(経済発展)の考え方は新古典派
経済学の流れをくむオーストリアの経済学者シュンペー
タ(Joseph Alois Schumpeter、1883-1950)にさかのぼ
る。シュンペータはワルラスによる一般均衡の仮定から
出発しながら(→第10回)、資本主義社会の動態をイノベ
ーションの概念で説明しようとしたシュンペータは『経
済発展の理論』(1912)で、経済発展は、人口増加や気候
変動などの外的な要因よりも、イノベーションのような
内的な要因が主要な役割を果たすと述べている。
20世紀に入ると先進資本主義国は科学技術の成果をより生産過程に導入して
いくようになる。また鉄道に代表される交通網の発達は、大量に生産された商
品の市場をますます拡大することになり、大量生産→大量消費の体制を作り上
げていく。もちろんこれが商品輸出市場、そして資本輸出を求めた植民地拡大、
領土分割・再分割をめぐる世界大戦につながってきた。(→第7回参照)
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一方、シュンペータはこれらをイノベーションとして捉え、資本主義発展の
原動力と考えた。シュンペータはイノベーションの例として単なる技術革新だ
けではなく
① 創造的活動による新製品開発
② 新生産方法の導入
③ 新マーケットの開拓
④ 新たな資源(の供給源)の獲得
⑤ 組織の改革
などを挙げて、いわゆる起業家(アントレプレナー)が、
既存の価値を破壊して新しい価値を創造していくこと(創
造的破壊)が経済成長をもたらすことを主張している。
また、マルクスが、資本主義経済がその内包する矛盾が故に危機に陥り、
必然的に社会主義革命を引き起こすとしたのと対照的に、シュンペータは
『資本主義・社会主義・民主主義』(1942年)において、資本主義経済は、
成功することによって独占化して巨大企業と官僚的機構を生み出し、社会主
義へ移行していくと述べた。
(2)マクロ経済成長理論と高度経済成長
新古典派の想定する市場理論に基づき、生産に
関して物的資本と人的資本の投入を収穫逓減(=
限界費用増加)の法則を前提としてマクロ経済成
長の過程を理論化する新古典派総合のマクロ経済
成長理論がマサチューセッツ工科大学のロバー
ト・ソロー(Robert M. Solow、1924-)によって
確立することになる。(第12回参照)
ロバート・ソロー
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2、IT革命とニュー・エコノミー論の登場
(1)IT革命と情報スーパーハイウェイ構想
1990年代に入って登場したクリントン政権は情
報スーパーハイウェイ構想1を掲げ、この政策に
よってコンピュータやインターネットなどの IT
投資=情報化投資が増えた2。その結果アメリカ
経済は、1990年7月から91年3月までの短い景気
後退の後、2000年に至るまで長期の景気拡張を、
低い失業率とインフレ率で達成した。新古典派
の成長理論からニュー・エコノミー論へこのイノ
ベーションを経済成長の理論に内生化しようとするのが内生的成長理論~ニュ
ー・エコノミー論とつながる考え方である。
特に IT 投資=情報化投資を中心とした設備投資が、需要の側面から景気拡大に
貢献しただけでなく、供給の面(サプライサイド)を活性化させ、労働の生産性を高め
長期的な景気拡大を生み出したと言われる。サービス部門の中でも情報産業の分野、
IT=コンピュータとインターネットが他の生産活動に与える影響=労働生産性の上昇
が注目されたのである。
1 クリントン大統領とゴア副大統領は1992年の大統領選挙期間中に「すべての家庭、
企業、研究室、教室、図書館、病院を結ぶ情報ネットワークをつくる」と公約し、大統領
当選後の93年にはシリコン・ヴァレーでアメリカの産業競争力の強化のための「情報ス
ーパーハイウェイ」を2015年までにつくるという構想を発表した。情報を高速かつ大容
量で運ぶ高速道路(スーパーハイウェイ)をつくるというのである。当選後はこのハイウ
ェイ建設に関して94年~98年に投資総額2億7500万ドルが計上され、また規制緩和に
よって民間の投資活動、巨大メディア産業を中心とした買収・合併劇が繰り返されたの
である。 2 ゴア副大統領に影響を与えたと言われるサプライサイドの経済学者
G・ギルダー(George Gilder)は『未来の覇者』(Microcosm、1989)
においてコンピュータ技術の発達によってアメリカ経済は勝利する、
また『テレビの消える日』で、「日本は1200億ドルを投じて、2000年
までに光ファイバーを家庭にまで伸ばす計画をたてている」と警告を
発し、地域電信電話会社やケーブルテレビの利益を投じて光ファイバー
網を作れと提案している。
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(2)新古典派成長理論から内生的成長理論へ
新古典派(新古典派総合)のマクロ経済成長理論においては、
① 収穫逓減(=限界費用増加)の法則
② 完全競争
③ 技術進歩の外生化
が前提とされる。
一方、IT 投資(情報化投資)の技術的特性、知識・アイデアを成長の主要因と考える
ことにより
① 収穫逓増(=限界費用減少)の法則
② 独占的競争
③ 技術進歩の内生化
を前提とする内生的成長理論が、
1980年代後半に新新古典派(サプライ
サイドの経済学)のローマー(Paul
Romer, 1955- )、ルーカス(Robert
Lucas, 1937- )らによって提唱され
る。これはその後ニュー・エコノミー
論へと発展した。
内生的成長理論によれば、IT投資(情報化投資)の拡大が労働生産性(一人当たり
労働者の生産高)を高めるので、生産量の拡大ほどには雇用量を増大させないことに
なる。そこで景気拡大が賃金上昇圧力やインフレ率の増加に結びつかず、企業の収
益は増加する。企業はその収益の中からまた設備投資=IT 投資を拡大し、景気拡大
は長期的に持続することになる。
Paul Romer Robert Lucas
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(3)ニュー・エコノミー論をめぐる論争:ソロー・パラドックス
1987年にノーベル経済学賞を受賞した MIT(マサチューセッツ工科大学)
のロバート・ソローは同年(1987年)に”You can see the computer age
everywhere but in the productivity statistics”( IT 投資の伸びが労働生産性
の伸びとして統計にあらわれない)と指摘した(いわゆ
る「ソロー・パラドックス」)。また90年代に入っても
MIT のポール・クルーグマン(Paul Krugman、1953
~)らも「生産性などのアメリカ経済のファンダメンタ
ルズ(経済基盤)に何も変更がない」と主張し、1990年
代の高成長は生産性の上昇ではなく、従来の生産設備の
稼働率を高めて達成されたものであるとして、これを根
拠にローマーやルーカスらのニュー・エコノミー論を否
定した。特に90年代の前半は、IT 投資は進展していたにもかかわらず統計的
にも労働生産性の上昇が見られないという「生産性のパラドックス」が指摘
された。
(4)ソロー・パラドックスの解消とニュー・エコノミー論
1990年代中盤のインターネット・ブームは IT 関連の産業の勃興を促し90年代後
半からは IT 革命の加速化と、米国経済の成長が続いた。新新古典派の内生的成
長理論を受け継いだマサチューセッツ工科大学のエリッ
ク・ブリニョルフソン(Erik Brynjolfsson, 1962-)とロリン・ヒッ
ト(Lorin Hitt)が1996年に発表した論文では、米国大企
業370社の IT 投資と財務データの分析の結果、IT 投資
が生産性を上昇させ、高い収益率をもたらしていることが
明らかになっている3。ここから IT投資と経済成長の関係
を実証する論文が次々と発表され、ニュー・エコノミー論と総称されるようになった。
3 IT 革命の初期の時期に労働生産性の上昇が表れなかった(ソロー・パラドックス、生
産性のパラドックス)要因としては
① IT 資本(ストック)の減価償却期間が短いことから資本ストックの累積が少なく、資
本ストックで計った成長への寄与率が低い。
② 金融業やサービス業などの労働生産性の悪い部門に IT投資が集中した。
③ IT投資が労働生産性の上昇に効果を発揮するのに時間がかかる。
などが考えられる。
また、アメリカの NIPA(国民所得勘定)における「IT 投資」項目のうち、1999年に
NIPAに「ソフトウェア」が消費財から投資財に組み込まれることによって「IT投資」の成
長率への寄与率が上昇し、「ソロー・パラドックス」は解消した、言われている。
Paul Krugman
Erik Brynjolfsson
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(5)イノベーション、IT 革命と雇用
イノベーションの考え方は、マルクスによる資本の競争による特別剰余価
値の発生と消滅→労働生産力の発展→相対的剰余価値の生産、といった考え
方を、経済成長、経済発展の理論へとつなげていったとも言えよう。
しかしながら、資本主義発展の中でのイノベーション=技術革新は生産性
の上昇と結びついて、すなわちマルクスの言う可変資本(労働力)よりも不
変資本(原材料・生産設備)を相対的に上昇させる。よって、技術革新→生
産性の上昇は直接には労働力の需要=雇用の増加には結びつかない。これは
現代経済をささえる IT 革命に対しても同じことである。
IT 投資は労働生産性を上昇させたが、「労働代替型設備投資」(人間を機械
と交代させる)という側面が強く、90年代前半の景気回復期には失業率の増
大、特に大量のホワイトカラーのレイオフといった側面も生み出した。
「ニュー・エコノミー論」によれば、IT投資(情報化投資)の拡大が労働生
産性(一人当たり労働者の生産高)を高めるので、生産量の拡大ほどには雇
用量を増大させない。そこで景気拡大が賃金上昇圧力やインフレ率の増加に
結びつかず、企業の収益は増加する。企業はその収益の中からまた設備投資
=IT投資を拡大し、景気拡大は長期的に持続することになる。
80年代と90年代の雇用増減要因比較 (万人)
80年代 90年代 80年代→90年代
GDP成長率要因 2130 1840 -290
IT投資代替要因 -250 -530 -280
その他雇用創出要因 -170 40 210
合計 1710 1350 -360
米国労働省の統計より
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(6)ニュー・エコノミー論の意義と限界
ニュー・エコノミー論は景気循環(景気拡大)に技術進歩=IT(情報通信技術)の
革新という要因を組み込み、経済成長の理論(一方で雇用と失業の理論)へと発展
させた意義は大きい。そして1990年代のアメリカの景気拡大の現象を一定の側面で
説明しうるものであった。
また、知識経済論や情報経済論(第2回参照)が情報の増大によるバラ色の情報
社会、未来社会を描き出したのに対し、情報の単なる増大だけでなく情報技術=IT
の生産への応用、情報とモノの連動による生産の、そして経済全体の変化を解こう
とする視点は重要である。特に情報技術=IT の経済性成長に与える影響を、需要
の側面からだけでなく供給の側面から分析することは、長期的な経済成長理論の構
築にもつながるものである。
一方、ニュー・エコノミー論は経済成長の一般理論としては定着しなかった。これ
は、ニュー・エコノミー論の前提となる収穫逓増(=限界費用減少)の法則を、ソフト
ウェアのコピーといった極めて特殊な製品の生産方法を前提としていることに要因
がある。
(7)IT革命から AI(人工知能)、労働の二極化
2000年代以降、ITバブルの崩壊やリーマンショックを経て以降、米国経済は景気
が回復基調にあるにもかかわらず、失業率は依然として高い数値のままである。ニ
ュー・エコノミー論においても、ブリニョルフソンらは「技術進歩が速すぎる」ことが失
業問題を引き起こしているとして、テクノロジーが人間のスキルや賃金や雇用に与え
るインパクトにもっと注意を払わなければならない」と主張する4。
同様に米マサチューセッツ工科大学(MIT)のデービッド・オーター教授(David
Autor,1967-)は AI も含めた現代の IT技術による自動化の主な効果は、ブルーカラ
ーの仕事を破滅させることではなく、定型化が可能なすべての仕事を台無しにする
ことだと指摘している5。その結果、労働市場の「二局化(Polarization)」が生じ、世界
中で高学歴の人や未熟練労働者に対する需要は高まった
が、中間レベルの教育やスキルの人への需要が低下したこと
が明らかにした。中間スキル層の職が減るに伴い、この層の
労働者が未熟練向けの職に流れ込んだことを指摘。その結
果、未熟練向けの職は買い手市場となり、賃金に低下圧力が
かかったとしている。
4 ブリュニュルフソン・マカフィ『機械との競争』(日経 BP社、2013年) 5 Autor, David, Frank Levy and Richard J. Murnane (2003) “The Skill Content of Recent
Technological Change: An Empirical Exploration“ Quarterly Journal of Economics, 118(4),
1279-1333. 参照。
David Autor