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第1部 概論 1.平和構築 冷戦終結後、ナミビア、カンボジア、エルサルバドル、モザンビーク、ルワンダなどで、紛争 予防、紛争時緊急支援から復興支援までを一体化して包括的に営む活動平和構築が展開され てきた。これに関わったアクターは、国連機関から、開発援助機関、地域的機構、NGO まで多 岐にわたる。またその活動内容は、軍縮、調停、人道援助、武装解除、難民帰還、選挙の監視・ 実施、行政機能の暫定的代行、経済支援、ハード・ソフトのインフラ再構築を含む開発、グッド・ ガバナンスの促進、貧困削減、非暴力の文化の浸透と幅広い。 「平和構築」というラベルを張られる活動は、このように拡大と拡散の傾向にあり、この言葉 の定義や用法に統一性はなく、各機関や個人の目的ないし都合によって、平和構築の意味はいわ ば変幻自在である。平和構築の概念は混沌としているものの、冷戦以降の平和構築活動なるもの の根底に存在する、ある共通した認識がある。それは、対象となっている紛争発生国に民主主義 と資本主義という自由主義的思想及びそれに基づく機能を生み出し、それによって紛争の停止、 紛争の再発防止と持続的平和を達成するという考え方、あるいは目的意識である。 カントの平和思想をあげるまでもなく、自由主義原則の国際化によって平和を達成するという 発想自体は何も新しいものではない。ただし、国際機関や開発援助機関が自由主義的民主主義の 理念を平和達成維持の機能に積極的に注入するようになった契機は、国際政治環境の劇的な変化 共産主義の崩壊による自由主義諸国側へのパワーの決定的移行とその余波による各地での民 族対立・武力衝突の多発である。「より平和で、より平等で、より安全な世界を構築する場合、 民主主義はその 1 つの支柱である」 1 というブトロス・ガリ元国連事務総長の声明は、このよう な歴史の流れの中で象徴的なものである。平和構築はこれまで唯一の指針に沿って実践されたわ けではなく、したがって、関係機関の目的や性格によってその活動やアプローチは異なる。しか しながら、総体的な動向政治的・経済的自由化という手段による紛争防止という目的の達成 は一応認められる。 さて、このような、自由主義的民主主義の国際化による平和の達成という前提に対し、「平和 構築は平和を構築するのか?」という基本的な問いかけがなされなければならない。というのも、 自由主義的パラダイムの国際化という平和構築のアプローチが持続的平和と発展をもたらしたと いう例は、実際のところ乏しいという見解もあるからだ 2 確かに、平和構築という試みには、いくかの不安が付きまとう。度々指摘されてきたように、 民主主義と資本主義の原動力が争いや競争であり、むしろ争いを前提とし、それを動力として積 極的に取り入れることが民主主義社会において制度化されている。成熟した民主主義社会であれ 1 Boutros Boutros - Ghali“Democracy: A Newly Recognized Imperative”1:1 Global Governance(1995)3. 2 パリス(Paris)は、1997 年に発表した論文で、8 ヵ国を対象に平和構築に関するケーススタディを行っているが、紛 争防止と平和定着に係るこれまでの平和構築の方法及び効果を疑問視している。Roland Paris“Peacebuilding and the Limits of Liberal Internationalism”22:2 International Security(1997)54 - 89.

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第1部 概論

1.平和構築

 冷戦終結後、ナミビア、カンボジア、エルサルバドル、モザンビーク、ルワンダなどで、紛争予防、紛争時緊急支援から復興支援までを一体化して包括的に営む活動̶平和構築̶が展開されてきた。これに関わったアクターは、国連機関から、開発援助機関、地域的機構、NGO まで多岐にわたる。またその活動内容は、軍縮、調停、人道援助、武装解除、難民帰還、選挙の監視・実施、行政機能の暫定的代行、経済支援、ハード・ソフトのインフラ再構築を含む開発、グッド・ガバナンスの促進、貧困削減、非暴力の文化の浸透と幅広い。 「平和構築」というラベルを張られる活動は、このように拡大と拡散の傾向にあり、この言葉の定義や用法に統一性はなく、各機関や個人の目的ないし都合によって、平和構築の意味はいわば変幻自在である。平和構築の概念は混沌としているものの、冷戦以降の平和構築活動なるものの根底に存在する、ある共通した認識がある。それは、対象となっている紛争発生国に民主主義と資本主義という自由主義的思想及びそれに基づく機能を生み出し、それによって紛争の停止、紛争の再発防止と持続的平和を達成するという考え方、あるいは目的意識である。 カントの平和思想をあげるまでもなく、自由主義原則の国際化によって平和を達成するという発想自体は何も新しいものではない。ただし、国際機関や開発援助機関が自由主義的民主主義の理念を平和達成維持の機能に積極的に注入するようになった契機は、国際政治環境の劇的な変化̶共産主義の崩壊による自由主義諸国側へのパワーの決定的移行̶とその余波による各地での民族対立・武力衝突の多発である。「より平和で、より平等で、より安全な世界を構築する場合、民主主義はその 1 つの支柱である」1 というブトロス・ガリ元国連事務総長の声明は、このような歴史の流れの中で象徴的なものである。平和構築はこれまで唯一の指針に沿って実践されたわけではなく、したがって、関係機関の目的や性格によってその活動やアプローチは異なる。しかしながら、総体的な動向̶政治的・経済的自由化という手段による紛争防止という目的の達成̶は一応認められる。 さて、このような、自由主義的民主主義の国際化による平和の達成という前提に対し、「平和構築は平和を構築するのか?」という基本的な問いかけがなされなければならない。というのも、自由主義的パラダイムの国際化という平和構築のアプローチが持続的平和と発展をもたらしたという例は、実際のところ乏しいという見解もあるからだ 2 。 確かに、平和構築という試みには、いくかの不安が付きまとう。度々指摘されてきたように、民主主義と資本主義の原動力が争いや競争であり、むしろ争いを前提とし、それを動力として積極的に取り入れることが民主主義社会において制度化されている。成熟した民主主義社会であれ

1 Boutros Boutros-Ghali“Democracy: A Newly Recognized Imperative”1:1 Global Governance(1995)3. 2 パリス(Paris)は、1997 年に発表した論文で、8 ヵ国を対象に平和構築に関するケーススタディを行っているが、紛争防止と平和定着に係るこれまでの平和構築の方法及び効果を疑問視している。Roland Paris“Peacebuilding and the Limits of Liberal Internationalism”22:2 International Security(1997)54-89.

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ば、争いや競争の存在は常態であり、必要不可欠な条件でもあると言われる。しかしながら、このような自由民主主義の本質ゆえ、この理念の社会定着と機能実現のための基盤がほとんどないところに導入されると、皮肉にも、平和構築が意図するところと正反対の結果を招くことになる 3。紛争の継続により社会が分断され、民主主義の思想と資本市場から遮断され、政治の私物化が公然と行われ、暴力の文化が根付き、政治的・経済的・社会的インフラが破壊されているかそれが未形成の国家では、非民主的制度が逆に固定化され、自由化の圧力がかえって様々な次元で反発を招く。西洋的パラダイムの安直な移植によって、平和構築支援対象国内の微妙なパワーバランスが崩れる、法の文言上は中立的政治・経済制度であってもそれが骨抜きとなって特定の権力集団にのみ利用される、貧富の差の拡大に伴って政治的・社会的緊張が高まる、脆弱な経済体制が国際競争にさらされるといった現象がもたらされよう。それが新たな暴力と紛争を誘発することにもなる。 もう 1 つの懸念は、平和構築が紛争発生国に平和を構築するためではなく、先進諸国のみの利益を極大化するための装置として作動すること、あるいは従属関係を覆い隠すための都合のいいベールとなることである。開発援助が平和構築に関与する時、その危険が突出する可能性は否定できない。冷戦期において、ヘゲモニー、その同盟国、周辺国、国際機関といったアクターは、紛争多発諸国の紛争要因の形成や維持に直接・間接に関与してきた。開発援助は往々にして外交道具となると同時に紛争の構造に組み入れられ、また時には、戦略的意図の不在にも関わらず紛争を誘発し助長してきた面もある。冷戦終結以降においても開発援助を世界規模で制度的に統治する機構や仕組みは成熟しておらず、ドナーの政策と意思決定̶そこでは自ら定義する国益の考慮が原則的に出発点となる̶によって政府開発援助が策定実施されるという本質で大きな違いはない。ドナーの国益と利潤追求のための競争を基礎とした援助市場が未だ開発援助の本質であるならば、平和構築という壮大な試みが、開発ゲームの用具となる恐れは十分にある。 ただ、紛争多発途上国の持続的発展と安定的平和の確保という目標は、何も国際社会全般の利益と矛盾するものではない。ドナーを含む国際社会全般の中長期的メリットを今後の平和構築の展開にどの程度注入し得るかが鍵であるし、その前提として、アクターの協力と協調を可能ならしめる、平和構築に係る共通の目標、方法の形成確立が急務である。 さて以下では、このような平和構築の背景と問題点を念頭に置きつつ、法の支配、難民といった用語の背景や概念について整理する。

3 Ibid .,at 59-64

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2.法の支配

2-1 紛争管理のガバナンス

 「法の支配」は、紛争を平和的に解決するシステムとしての、紛争管理のガバナンスの1つとして重要であるばかりでなく、武力紛争そのものの構造的原因ともなりうる「不正義」を解消する重要な要素でもある。 ところで、「法の支配」とは、万人が等しく法のみによって支配される、つまり強制されるということを意味する。しかし法は人によって解釈され、適用されるのであって、その法の解釈適用が中立かつ公正であることが求められる。この法適用により紛争を処理する過程を司法といい、その中立性と公平性を司法の独立によって保障しようとしている。この司法を担うのが裁判所である。 ここに法とは、民主的政治過程によってできた法律である。民主的政治過程は、紛争を政治的に処理する過程であり、個人の平等を前提に議論と説得を経て行われ、なおかつ合意を見ない場合には多数決により決められる。選挙や採決である。これが民主的紛争処理過程である。このように、民主的紛争処理過程は法に正当性を与え、法的紛争処理の前提となる。法そのものが不当であれば、立法府が民主的政治過程を通じてこれを改正する。しかし、多数派が奪えない個人、少数派の利益がある。これが人権である。人権も憲法などの法により規定されているが、西洋近代思想である自然法による天賦のものとされ、民主的過程で作られた法律を根拠にするものではない。したがって、個人の人権に係る紛争は、民主的紛争処理過程では解決されない。法的紛争処理過程である司法が最終的に処理することになる。これが司法の優越ということである。 このように、民主的紛争処理過程と法的紛争処理過程が相互に補完し合いながら暴力によらない平和的な紛争処理過程を構成する。この過程をいかに有効に機能させるかが紛争処理のガバナンスの課題である。 2-2 紛争処理のメカニズムとしての民主化と法の支配への開発協力

 紛争を平和裏に処理する紛争処理のガバナンスを構築するには、このように相互補完的な民主的紛争処理過程と法的紛争処理過程を同時に機能させなければならない。すなわち、民主化と法の支配の確立をめざす開発援助が必要なのである。 民主主義も法も近代国家のそれを原則としてモデルとするとしても、このような政治、法過程は地域の伝統文化を抜きには存立しえないものである。したがって、地域の伝統文化に則ったいわゆる慣習を尊重しなければならない。これは、価値として人権が普遍であるとしても、その実現の手段が各文化社会によって多様であるのと同様である。民主的システムや司法システムは必ずしも近代国家に認知されたものである必要はない。いずれの社会にも紛争が絶えない以上、これを平和裏に処理するシステムは既に存在する、あるいは存在したものと仮定することができる。それが抑圧的である、不公正、不公平あるいは不正義であるとの認識が、紛争の原因であること

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もあろう。しかし、だからといって、その社会に固有の方法を完全に否定し、文化伝統の異なる社会の方法を移植することは、人体における移植に拒否反応があるのと同じく、危険なことでもある。 国際紛争の場合には、国際法によるマクロとしての紛争処理(外交交渉から仲裁、調停、司法的解決の可能性)のシステムが国際法の発展とともに不十分ではあるが形成されつつある 4。国際法は、国内法と違って、政府のような一元的な法執行機関が存在せず、国家主権を原則としているため、強制力に欠けるとされてきたが、近時は国際法上の履行を確保するために各条約に報告制度、申立制度、検証または査察といった様々な手段が考案されており、これらは「国際コントロール」として、理論的に整理・提示されるようになってきている 5。さらに、多様な条約によって、より緻密な規範が生成されると同時に、これを管理、運営する、国連はじめ国際公益を代表する機関や欧州連合(European Union:EU)、東南アジア諸国連合(Association of Southeast Asian Nations:ASEAN)など地域的利益のための機関が設立されている。また国際的に活動する非政府組織(Non - Governmental Organization:NGO)などがそれぞれネットワークを作ることによって、監視をし、あるいは新たな規範定律のイニシアティブを取っている 6。このような国際的紛争管理のためのグローバル・ガバナンスは今後もますます発展していくであろう。ただし、このような国際的なルール作りにおいて、途上国など周辺社会の参加を十分に確保していかなければ、世界的に公正なシステムの策定とはいえないことに留意する必要がある。 これに対して、国内紛争の場合には、これまで国家主権の壁の中にあって、その政治過程が民主的か、司法が独立で公正かということは、国際的に干渉できないものとされてきた。ところが、開発理論のコンテキストの中で、グッド・ガバナンスへの支援として民主化、人権擁護及び法の支配の確立としての司法などへの支援が開始されてきている。さらに、司法ではカバーしきれない、あるいは非効率な司法に代替するものとして、調停、仲裁などの代替的紛争処理(Alternative Dispute Resolution:ADR)という裁判所外の紛争処理システムの研究と実践が進んでいる。これは、また近代司法制度への懐疑を反映し、途上国においてはむしろ伝統的紛争処理を活用するというアプローチとして評価されつつあるといえよう。このような、民主化、司法改革への支援が近時紛争予防の制度インフラとしても注目されてきているのである。 しかし、前述したとおり、ここで留意すべきは、各地域のそれぞれ固有の文化伝統に根差した紛争処理システムがあるのであって、これを無視して法制度を移植しても根づかないばかりか、かえって法に対する信頼を失い、逆効果を生むということである。そのため、やはり、途上国など援助受入国側のオーナーシップとコミットメント、それに基づく技術協力への参加の確保、さらに、援助供与側とのパートナーシップによる新たな法制度の創造という観点が必要となる。

4 例えば、国際法に絡む紛争においては国際司法裁判所(International Court of Justice:ICJ)が原則として国家間の紛争について司法的な紛争処理を行う。投資紛争においては、従来外交保護権による外交交渉しか紛争解決方法がなかったが、世銀の中にある投資紛争解決国際センター(International Centre for Settlement of Investment Disputes:ICSID)が設立され、投資を行っている私人と投資を受け入れている国家との間の投資紛争を解決のために仲裁を行っている。国家間の関税や保護貿易などに関する貿易紛争においては、最近、世界貿易機構(World Trade Organization:WTO)がGATT に替わって設立された。ここでもそれまでの外交交渉中心の紛争処理から司法的紛争処理に進化している。

5 森田章夫『国際コントロールの理論と実行』東京大学出版会(2000 年)4-5。6 例えば、最近の地雷廃絶条約の成立、また戦争犯罪を取り締まることをめざす国際刑事裁判所の設立などである。また注12も参照。

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2-3 法整備支援

 冷戦後市場経済への移行を支援するために、商事関係法制度の整備とこれを執行するための商事紛争処理の整備が世界銀行(以下、世銀)を中心に行われてきている。市場経済のグローバル化のために国境を越えるいわゆるトランスナショナルな商取引を促進するため、商事に関する法制を調和する努力も国連などを中心に行われている 7。 このようなグローバル市場経済を確立することで、経済繁栄をもたらすのが先進国側の目論見であるが、既に巨額の負債を抱え、人材的にもインフラ的にも巨大なハンディを背負っている途上国に、その福利が遍く行き渡るかには疑問がある。グローバルな競争が公正に行われる保障はなく、むしろ強者の論理との批判も強い。社会的弱者へのセーフティネットなどの十分な構築がなければ、反対勢力が先鋭化し、ゲリラ的な紛争の種となろう。この意味で、民主化及び法制度整備支援には政府をカウンターパートにするだけでなく、民衆の側からの支援、いわゆる参加型開発による民衆のイニシアティブによる案件策定とその実施という手法を用いるべきであろう。 この観点から、現在わが国においてもさかんに行われ、拡大している開発途上国、移行経済国における法制度整備及び司法制度整備のための支援にも、民衆の正義へのアクセス拡大のための法律扶助に対する協力などを取り入れ、民衆をエンパワーメントすることによって社会的不正義などに自ら対抗し、これを平和裏に是正していくための人々の能力を開発する協力が重要である。

2-4 紛争の構造要因としての不正義の除去

 貧困層、少数民族、被差別民などの社会的弱者は、司法を利用できない場合が多く、自らの権利を守れず、社会的な不正義や不公正に甘んじなければならない場合が多い。このような構造的暴力が、テロや地域紛争の構造的要因になっていることも多い。したがって、正義へのアクセスを拡大する支援は紛争の構造要因を除く重要なステップである。しかし、それは単に司法、すなわち裁判所への救済の道を開くだけでは十分ではない。法律自体が多数派により作成されているばかりでなく、法律による紛争処理は結局部分的な解決しかもたらさないからである。犯罪者を処罰したり、加害者から損害賠償を取ったりしても、社会の不公正な構造や心の痛みを治癒することなくしては、紛争の火種は消えないであろう。したがって、法の支配の支援とは、単に司法制度や法整備を支援するだけではなく、法を使う人々の紛争処理能力の育成という人間開発に連なるものである。

2-5 和解と法的正義

 抑圧下にある者は、自己主張のため、反抗的感情を増長する。また暴力の行使が、トラウマへ

7 特に国連国際取引法委員会(United Nations Commissions on International Trade Law:UNCITRAL)は、国際商事仲裁模範法などを作成して、各国々の立法において参考にされるよう働きかけており、世銀、欧州復興開発銀行

(European Bank for Reconstruction and Development:EBRD)などの国際開発援助機関もこのようなグローバル・スタンダードを使って、法制度整備支援を行うとしている。

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の対応である場合もある。戦慄の体験を克服するため、あるいは、強烈な怒りや悲しみとどうにか折り合いをつけるため、人は暴力に訴える。戦争や紛争は個人と社会にトラウマを生み、そのトラウマが、新たな社会分裂と暴力を誘発するという社会心理的悪循環に至る。恨みや憎しみは人間の本能的感情であり人の心の中から取り除くことは不可能であっても、これらが暴力に発展するのを制御し統制する社会制度の営みは可能である。紛争が頻発し疲弊した諸国では、このための制度と手続、それを支える非暴力の文化が一般的に欠如している。 このようなことから、和解は、平和構築を構成する中核の一部であるとの認識が受け入れられつつある。にもかかわらず、平和構築事業としての和解の実例は十分に蓄積しておらず、理論面の検証も不十分である 8。よって、平和構築における和解の定義、制度、過程、効果は一般化・標準化されていない。一方、平和構築の実践では、和解は、紛争や暴力によって崩れた、人、組織、共同体といったアクターの間の信頼を回復し、相互関係の再構築を促すための活動と理解されている。そして、和解事業は、個人、集団、共同体、国民という単位で、また、全体的/部分的、統合、共存という様々なレベルで実施されている。 ところで、正義、とりわけ法的正義と和解は、概念上どのような関係にあるのか。レデラック

(Lederach)によれば、容赦、真実、平和と並び、正義(ここに法的正義も含まれよう)は、和解の概念の枠組みを構成する一要素であるという 9。彼の概念分析の根拠については批判的検証を要しようが、平和構築の事業経験からすれば、法的正義が、和解の概念及び実践と何らかの関連性を有していることは確かだろう。法的正義は判断基準を提供し、機会の平等を生み、誤りを改め、返還・賠償を理念的に裏付け、これらを保障するための制度手続きを築く基盤となる。法の下、悪事をはたらいた者を拘束し、訴追し、判決にしたがって罰するという意味での法的正義には、平和構築の次元でいくつかの利点がある。まず、他者の自由や権利を害した者を公的制度と手続きを通じて処罰することにより、将来の人権侵害を抑止する。また、過去の犯罪について個人を処罰することは、一定の集団に対する偏見や誤った認識を払拭する上で有効である。例えば、ニュールンベルグ裁判は、ドイツ人という集団ではなく特定の個人に罪があることを公に表明した。さらに、裁判という公的制度及び適正手続きという方法により、復讐や自助という私的手段の正統性は否定される 10。 このように、紛争要因を排除・緩和し、新たな紛争の火種を事前に摘むという意味で平和構築上効果があるといえようが、同時に、実践上の負のインパクトや限界にも目を向けなければならない。例えば、過去の政権下でなされた人権侵害等の犯罪行為を裁くという正義を表向き装っていても、現政権の支持の維持や正統性のアピールという真意が見え隠れすることがある。また、政治的色彩を帯びた刑事裁判が、勢力均衡と安定を破壊し、社会に新たな亀裂や緊張を生み出す可能性もある。加えて、紛争が多発する諸国の社会において、平和維持管理がある程度成功して

8 この領域の理論の発展の遅れには様々な原因があるが、個人、組織、共同体の心理的及び社会心理的な問題が紛争に密接に関与しているにもかかわらず、それがハイ・ポリティクス(high politics)の分野に取り込まれてこなかったことがその一因であろう。

9 John Paul Lederach Building Peace: Sustainable Reconciliation in Divided Societies(United States Institute of Peace Press, 1997)24-35.

10 Andrew Rigby Justice and Reconciliation: After the Violence(Lynne Rienner Publishers, 2001)4.

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いる諸国の法的正義の基準や制度が説得力を持ってストレートに受け入れられるかという点で疑問もある。暴力と紛争が長期化し連続している諸国では、昨日の被害者が今日の加害者となり、両者の明確な区分は現実的に難しい。また非人道的行為に関わった兵士であっても、貧困、教育、幼年期の強制的徴兵、暴力の文化といった構造的問題がその背後に横たわることもある 11。 少なくとも、紛争の根本的解決と紛争予防という文脈では、法的基準による判断とそれを根拠とした刑罰や社会秩序の維持等を最終的な目的とする法的正義の手法には重大な制限がある。これは、狭義の法的正義の性格̶国家権力の強制による犯罪者に対する懲罰̶に由来するように思われる。このアプローチは、被害者及び加害者の主観の変化を目指し、罰金刑や自由刑ではなく誠意のこもった謝罪や社会奉仕によって処遇するという関係回復型手法とは根本的に異なる。敵対する当事者間で新たな人間関係が築かれ、また加害者と社会・コミュニティの関係が修復され、それによって紛争の再発が防止されるといった機能を、法的正義の手法そのものに期待することはできない。 とは言うものの、このような意味での法的正義の手法が、平和構築において無用であるとここで主張しているのではない。この点については、前節までの議論で明らかであろう。むしろ、国際人権法、国際人道法及び国際刑事法という複数の法群の接近、個人の責任追求の潮流といった近年の国際法上の規範的要請は、これからの和解事業にも否応なく振動を与えることだろう 12。今後の課題の 1 つは、法的正義が、容赦、真実、平和という概念とどのように結びつくのか、これらの諸要素がどのように相互補完するのかという機能面での理論的・実践的探求である。和解作業は、敵対するアクターが向き合い、認知し、受入れ、謝罪し、矯正し、許し、共存のための未来を思い描くプロセスを設ける。この過程を通じ、アクターが意思疎通を開始し一定の事実を共有することにより、彼らの先入観、偏見、差別意識、主観及び他者への認識に変化が生じることが期待される。このような和解事業において、法的正義がどの場面で関与するのが妥当なのか、また、どのような価値を付加し得るのか。 和解における法的正義の位置づけと効能は、その国や社会の状況によって大きく異なる。例えば、法廷での裁きをもって過去を清算することが、当事者が互いに理解し、新たな信頼関係を構築する上で前提条件や第一歩となることは多い。逆に、法的正義から、問題解決指向のワークショップ/フォーラム、調停、当事者利益を基礎とした交渉等を強調した関係回復型の手法への移行を奨励すべき政治社会環境もあろう。また、関係回復手法と裁判の制度的二分併存をまず図りながら、その上で、両者のシステムを連動させる試みもある。和解と法的正義の関係の定型化は現在のところ可能でも適切でもないが、今後の理論展開と実例集積を通じ、和解事業一般に共通する因子を抽出することはできるかもしれない。 11 このように、法的正義の手法は平和構築において独特の問題を生ずるが、紛争多発諸国以外の諸国・先進国において

も、昨今、修復的司法の概念や方法が議論されるところである。このことは、近代の法制度・司法制度そのものに疑問を投げかけ、またその限界を示唆している。

12 旧ユーゴスラビアやルワンダで見られた残虐行為やジェノサイドは、東京・ニュ-ルンベルグ以来の国際特別法廷の設立を促し、1998 年には、戦争犯罪人及び人類に対する罪を犯した者を訴追するための国際法廷、即ち、国際刑事裁判所が創設された。冷戦終結とそれに伴う国際秩序の再編成、地域紛争の多発と人権侵害の増大、それに対応するための国際法機能の動態的展開と躍動は、今後、平和構築のアクターにも影響を与えそうである。

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3.難民

3-1 難民支援と開発

 冷戦が終結した後、長期に渡る内戦や代理戦争の解消に伴い、難民の帰還が増加した。これを受けて、紛争終結後の社会に難民を支障なく帰還させ、さらに帰還先の社会での恒久的な再統合、和解を達成することが国際社会の重要な課題となった。この目的を達成するために、緊急援助と開発援助を結びつける必要性が指摘され、「帰還民援助と開発」(Returnee Aid and Development)という概念が議論されるようになった。 もっとも、緊急援助と開発援助を連動させる考え方は、1980 年代には、「難民援助と開発」

(Refugee Aid and Development)といわれる概念で既に登場していた。より遡って 1960 年代にも、アフリカにおける難民の増加に伴って、緊急援助と開発援助を連結する必要性が既に指摘され、「地区開発」アプローチ(Zonal Development Approach)が実践されていた 13。結局、このアプローチは失敗したものの、1984 年の第 2 回アフリカ難民援助国際会議(ICARAII)で、「難民援助と開発」という概念が再構築される。そのICARAIIで確認された合意点は、以下であった 14。

・援助はその開始から開発志向であるべきこと・受入国及び受入社会の負担を軽減すべく、難民は自立すべきであること・援助は難民のみならず、受入社会をも利すべきこと・援助は受入国の開発計画と調和すべきこと・UNHCR は開発援助諸機関と協調すべきこと

 このような考えの下、難民の定住地域でのプロジェクト案が受入国により提示されたが、負担配分をめぐって資金提供国である先進国と受入国との間ではそれぞれの思惑があり、承認されたプロジェクトは少なかった。さらに、実施されたプロジェクトにおいても、国際機関間の協調がうまく機能せず、持続的な効果をもたらさなかったとの指摘もある 15。

13 「地区開発」アプローチは、1967 年のアフリカ難民問題会議にて概念化され、ブルンジにおけるルワンダ難民に実施された。避難先の国における難民の地域社会への定住と統合の試みは、国連難民高等弁務官事務所(Office of the United Nations High Comissioner for Refugees:UNHCR)の活動を国連開発計画(United Nations Development Programme:UNDP)が引き継ぐことで達成されると想定されたが、ブルンジ政府の思惑と UNDP の思惑の差から、両者の活動を連関させるに至らなかった(F. T. Betts“Evolution and Promotion of the Integrated Rural Development Approach to Refugee Policy in Africa”Robert F. Gorman(ed)Refugee Aid and Development: Theory and Practice(Greenwood Press, Westport, Connecticut, London, 1993)15-28)。

14 S. Holtzman“Rethinking“Relief”and“Development”in Transitions from Conflict”(1999)An Occasional Paper The Brookings Institution Project on Internal Displacement and Robert F. Gorman“Linking Refugee Aid and Development in Africa”Robert F. Gorman(ed)Refugee Aid and Development: Theory and Practice(Greenwood Press, Westport, Connecticut, London, 1993)61 -81.

15 ICARAII における援助諸機関の協調の失敗に関しては、Gorman, Ibid が詳しい。

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3-2 帰還民援助と開発

 冷戦構造の崩壊は、難民支援における主要機関、国連難民高等弁務官事務所(以下、UNHCR)の役割にも変化をもたらした。各地での大規模な帰還事業により、帰還民の再定着の問題が、紛争再発予防の観点から見直されるようになった。UNHCR は、庇護国から難民流出国へとその活動領域を拡大し、その中で、より開発を意識した援助を行うようになった。こうした変化は、紛争発生国に国際社会が積極的に介入し紛争要因を除去することで平和をもたらす試みとの関係16、すなわち、平和構築の概念に密接に関係するが、これについては後で再度触れる。かくして、緊急援助と開発協力を連動させる考えが再度登場し、「帰還民援助と開発」の概念形成が始まった。 「帰還民援助と開発」の試みは、1989 年の中央アメリカ難民に関する会議(International Conference on Central American Refugees:CIREFCA)にまで遡る。CIREFCA において、緊急援助と開発協力を結びつけるため、UNHCR は、即効プロジェクト(QIPs:Quick Impact Projects)の採用を決定した。ただし、即効性のある小規模開発援助が再定着を確約するわけではなく、また、長期的な効果を QIPs に期待するわけにもいかない。あくまでも QIPs の基本は「緊急開発援助」であるため、開発援助機関との協調が求められているが 17、このような協調が十分に機能し、持続的な開発効果への展開を保証しているとは言い難い。

3-3 「帰還民援助と開発」の問題点

 「帰還民援助と開発」の考え方について、これまで、いくつかの問題点が指摘されてきた。まず、「帰還」の現状との関係である。難民の帰還は、紛争が終了し安全が確保された状態で行われるとのイメージが、国際社会の中には定着している。しかし実際には、紛争が継続している間でも、難民が自発的帰還を選択することは多い 18。この場合、帰還民を開発援助の対象に取り込むのは困難となる。 次に、「紛争後」(post-conflict)という概念との関係である。一般に、帰還や再定着プロジェクトを実施する場合、帰還先の地域において既に暴力や紛争が終息し、紛争から平和への移行がある程度完了した「紛争後」の社会が想定されている。しかし、後述するように、紛争は社会プロセスの一環であってその過程は複雑であり、紛争と紛争後との区別はつきにくい 19。 第 3 に、「緊急援助」から「復興」へ、そして「復興」から「開発」へ、という単線的な時間軸の設定については批判がある。平和移行の段階に応じて、緊急援助機関から開発援助機関へと

16 Joanna Macrae“Aiding Peace…and War: UNHCR, Returnee Reintegration, and the Relief -Development Debate” (1999)UNHCR New Issues in Refugee Research Working Paper no.14.

17 B. S. Chimni“Refugees and Post-Conflict Reconstruction : A Critical Perspective”Edward Newman and Albrecht Schnabel(eds)Recovering from Civil Conflict: Reconciliation, Peace and Development(Frank Cass, London, 2002)163 -180.

18 Barry N. Stein and F. C. Cynny“The Contemporary Practice of Voluntary Repatriation: Repatriation during Conflict, Reintegration amidst Devastation”(1994)(second draft).

19 Mark Duffield“Neo-Liberal Political Complexes and the New Wars”Mark Duffield Global Governance and the New Wars: The Merging of Development and Security(Zed Books, London and New York, 2001)161 -2 0 1 .

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役割が段階的に引き渡されるという方法は、常に妥当なものであろうか。平和構築の様々な段階で、緊急援助と開発援助が同時にあるいは相互に求められる場合もあるのではないか。

3-4 協調の問題点

 緊急援助と開発援助のいわゆるギャップの問題は、平和構築における難民の処遇において度々議論されてきた。ギャップを埋める上での障害の 1 つは、緊急援助機関と開発援助機関との協調を築く難しさであり、この原因は、援助を計画・実施する際の組織のアプローチやシステムの違いにある。難民援助機関と開発援助機関の協調は、長年にわたって模索されているものの、その成果は必ずしも十分ではない。 組織のアプローチのギャップとして、まず、援助機関のターゲットの差が指摘されている。難民援助機関の事業対象は、難民の帰還と再定着である。一方、開発援助機関はマクロ経済の視点から、事業を実施する地域及び国家を重視する 20。また、難民はしばしば開発の最も遅れた辺境の地に帰還することがあるが、こうした場合、開発援助機関の計画の恩恵をなかなか受けることができないとの指摘もある 21。 さらに、政府に対する援助機関の組織としての性格のギャップも重大な障害である。緊急援助機関は紛争が継続中に介入するため、概して相手政府が存在しないか、存在しても機能していない。一方、開発援助機関の活動は、一般的に国際的に承認された妥当な政府の存在を条件とする。このため、両機関が援助を実施する場合に、協調を達成することが制度手続き上困難なことがある。 今後の協調に向けた対応として重要視すべきこととして、緊急援助と開発援助を連結する場合、関係機関の機能や能力の現実を的確に判断し、現実に則した協調の可能性を分析することである 22。また、帰還民の再定着プロジェクトについては、援助諸機関の早い段階からの交渉と合意が必要だろう。可能な場合は、難民が流出した時点から準備が進められるべきではなかろうか 23。 さらに、難民に関わりのある開発援助は、難民が庇護国にいる段階から関係機関が協調して行うべきではなかろうか。難民の帰還後の再定着の進展は、一時避難先での状況、とりわけ、自立性の程度に左右される 24。そして、緊急援助機関から開発援助機関へとその役割を「引き渡す」(hand-over)という概念については、思考転換が求められるかもしれない。この概念は、緊急援助から開発援助へと移行が直線的に行われるという発想であるが、慨述のように緊急援助と開発援助は時間の経過に関係なく、相互補完するものとして認識される状況やニーズもあるからだ。

20 UNHCR“Returnee Aid and Development”(1994)Evaluation Reports.21 Jeff Crisp“Mind the Gap!: UNHCR, Humanitarian Assistance and the Development Process”, New Issues in

Refugee Research Working Paper no.43 <http://www.unhcr.ch>(last accessed 14 August 2003).22 UNHCR“Assistance Policies and Strategies for the Promotion of Durable Solutions: Achieving Sustainable

Reintegration”(1995)Administrative and Financial Matters, EC/1995/SC. 2/CRP.4.23 Robert F. Gorman and Gaim Kibreab“Repatriation Aid and Development Assistance”James C. Hathaway (ed)

Reconceiving International Refugee Law,(Martinus Nijhoff Publishers, Hague, 1997)35 -82.24 Khalid Koser and Richard Black“The End of the Refugee Cycle?”Richard Black and Khalid Koser(eds)The

End of the Refugee Cycle?: Refugee Repatriation and Reconstruction(Berghahn Books, New York and Oxford, 1999)2-17.

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3-5 平和構築と難民

 とりわけ 1990 年代以降、難民問題は、少なくとも次の相互に重複した 3 つの観点から平和構築の中に積極的に位置づけられ、あるいは難民問題と平和構築との連動が議論されるようになったように思われる。まず、難民発生の原因と紛争要因の同一性、あるいは両者の相関性という認識に基づいた、これら原因や要因の解決への着手という着眼点である。例えば、法の支配や人権文化の欠如、人権保障制度の欠陥、これらによってもたらされる系統的人権侵害の慣行は、難民発生の原因の 1 つである。1951 年「難民の地位に関する条約」は難民の定義の中核として「迫害」という文言を定めているが、系統的人権侵害は、迫害の概念と密接に関連している。同時に、系統的人権侵害や迫害は、多くの紛争において「構造的要因」として認識されている。したがって、人権の系統的侵害等の紛争要因を排除・緩和することは、難民を本国から押し出す要因̶プッシュ・ファクター(push factor)̶解消への働きかけを意味する。他方、特定の個人に対する特定の人権侵害や迫害という原プッシュ・ファクターのみの消滅は、強制移動の終了や持続性を持った帰還を約束しない。本国の民主化の進捗に本質的な変化がない限り帰還民に迫害が再来することがあるし、彼らが暴力や貧困といった新たなプッシュ・ファクターによって再び国を追われることもある。したがって、紛争予防や紛争再発防止に包括的に取り組むことにより、難民発生の諸原因に包括的かつ予防的にアプローチし、強制移動を持続的に防止するという観点が平和構築には含まれている。 第 2 の点は、難民問題が紛争の結果であると同時に、その原因にも容易に転化するという動態とプロセスに着目している。難民問題は人権侵害や紛争の結果的現象として終結するわけではなく、紛争要因を刺激するとともに、これらにダイナミックに関与する要素でもある。周辺国より大量の難民が流入し長期にわたり留まれば、一時受入国の経済や社会の構造に変動を与えるとともに地域の貧困化に拍車をかけ、それが紛争の発生に影響を与える場合もある。また、難民キャンプが長期に渡り固定化されれば、そこは人道支援の場であると同時に、紛争当事者にとっての資本・資源・兵力確保の場ともなり、紛争の悪化、継続、長期化に作用することがある。また、自主的帰還を例にとると、短期のうちに大量の難民が帰国する場合、受入先地域の住民が帰還民を物理的・経済的に負担と感じるだけではない。帰還民の民族(構成)や政治背景が、国内の勢力関係や均衡に影響を及ぼし、政治的社会的に緊張をもたらすことがある。加えて、深い対立関係の過去があれば、単なる政府レベルの決定や合意を越えた帰還民と住民レベルでの和解や融和が生まれないかぎり、帰還民の移動が将来暴力の火種となる。さらに、帰還民の定住が、中央政府や地方政府の勢力維持拡大に政策的に利用されることもあり、それが暴力を伴う対立に繋がることもある。つまり、難民問題の処理方法如何では、新たな紛争を誘発することにもなり、そこには、難民問題の適切な処理と解決が持続的平和に寄与するとの含意がある。 第 3 は、政治舞台での難民の主体化という発想である。これは、カンボジア、モザンビーク、ナミビア、アンゴラ、エリトリア、リベリアでの試みと実践で明確となってきたものである。平和構築の文脈では、「難民」=「排除されてきた者」を、保護の対象として扱うのではない。彼らを、紛争の悪循環から抜け出すために社会を変革し、国家の民主化促進と経済再建に積極的に取組むアクターとして捉える。排除されてきた者を国家再建の政治主体として意思決定プロセスと経済

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市場に新たに取り込むことにより、難民の再発生及び紛争再発を予防するという考え方である。  ところで、東西対立の解消とともに厳格な国境管理と難民排除の世界的傾向は強まり、9・11を境にそれは決定的となっている。難民を取り巻く厳しい国際環境下にあって、平和構築は今後どのように策定運用され、難民はこの潮流においてどのような扱いを受けるのか。既述の通り、平和構築が、難民問題と紛争の解決双方に、相乗的効果を発揮するのが理想である。しかしそれとは裏腹に、平和構築という活動が、難民に平和の創造と定着の機会をもたらすどころか、先進諸国の厳しい入国制限体制を正統化するだけという可能性はないか。 さて、難民支援のリーディング・エージェンシーである UNHCR も、国内避難民、自主的帰還、帰還民の保護に総合的にアプローチし、難民の発生を未然に防ぎ難民問題を根本的に解決するための予防的戦略に傾斜している。しかし、この動向に対しては批判の声も強い(本報告書「資料 1 関連機関の紛争分析手法・平和構築政策についての動向」参照)。

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4.紛争分析と事例研究

4-1 紛争と開発援助

 多数の要素が複雑に絡み合う現代の紛争において 25、紛争の「始まり」と「終わり」を見い出し、「原因」と「結果」を明確に区別することは極めて難しい。多くの地域や国家で、紛争は、独立した単一の現象として完結するのではなく、むしろ社会過程の連続の中で発現する。 紛争から利益を得ている個人や集団が、利益保全の機会の制度化や権益保持の仕組みの固定化を狙い、特定集団の動機やその意図的操作によって紛争が長期化、永続化、連続する場合がある。紛争依存型政治経済構造、いわゆる戦争経済と言われるものである。また、組織制度の弱体化や市民社会の分裂が紛争の結果であったとしても、それが、紛争を誘発・助長する原因に転化することも少なくない。さらに、紛争を単線的な説明で片付けることができないこともある。例えば、一定の時期や場所で発生した紛争であっても、原因が本質的に同一であったり、因果関係に対する当事者の認識や解釈が共通している場合、別時空の紛争に飛び火、連鎖する場合もある。さらに、貧困と紛争の相関性についても、ヘゲモニー・周辺国と開発途上国の政治経済的従属関係が、紛争持続のメカニズムを醸成してきたことは、冷戦期より指摘がなされているところである。 このように、紛争を動態として捉えることが必要だが、平和構築という広範かつ包括的概念においては、開発援助機関が影響̶正にも負にも̶を与える領域は狭くはない。とりわけ、開発援助によって期待される効果の 1 つは、紛争国の社会プロセスに影響を与えることにより紛争の連続性や波及性という悪循環を断ち切ることである。換言すれば、紛争の悪循環や過程から脱却することを開発途上国が望む時に、それにドナーがどう応えるべきかという問題である。これは、開発援助の生来的指向性̶短期的のみならず中長期的展望に基づいた政治・社会・経済構造の再編や変革への作用̶とも一致する。また、このような観点からすれば、「紛争後」という既定概念と限定的状況に縛られることなく、社会プロセスの変容への協力というより能動的な関わりが持てるのではないだろうか。もっとも、開発援助はこの文脈でこれまで有効な手立てとはならなかったし、むしろ、紛争悪化に加担してきた側面がある。 それでは、紛争再発防止や紛争予防の実現における、開発援助の効果的関与とは何か。マクロの次元においては、脱紛争サイクルを目標とした、社会プロセスの変化に資するエンパワーメント、闘争を破壊的なものから建設的なものへと変換する政治的・社会的能力の開発という発想が重視されよう。またミクロの次元では、個人間・集団間の対立を融和する動力となる個人の認識の変化が求められるだろう。以上のことは、紛争発生国の市民が、自らの発想と技術で紛争を防止し平和を維持する能力̶内発的平和構築力̶を起点とすべきである。

25 紛争の概念及び紛争と開発の関係については、佐藤安信『紛争と開発』(客員研究員報告書)国際協力事業団国際協力総合研修所(2001 年)を参照。

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4-2 紛争分析

 もっとも、これを実行するために、開発援助機関にとって紛争の分析は不可避である。その関連で、政治的・経済的・社会的な分野や外交・開発援助を含む様々な活動が、紛争にいかに関与し、影響を与え得るのかを総合的に考えなければならない。実際、主要な開発協力機関や国際機関等は、紛争分析やその結果に基づいた平和構築の方法の開発に積極的に取り組んできた。いくつかの機関が考案し実施している紛争分析手法と平和構築支援へのアプローチについては、本報告書巻末に収録されている「資料 1 関連機関の紛争分析手法・平和構築政策についての動向」をご参照いただきたい。これら機関のマンデート、目標、機能、強調点、分析基軸とその定め方等は多様である。よって、確定的な基準や統一的に採用されている方法は見当たらない。とはいっても、これら機関が、平和構築概念の中核部分̶紛争によって政治的・社会的に弱体化した国家の能力強化及び紛争の継続・再発の防止̶を共有している以上、一定の共通性もまた確認される。 まず、アプローチの前提に関する共通性である。各機関のアプローチは、開発協力が紛争の要因を処理する可能性(逆に、それを増幅する否定的インパクトの危険性)を前提とし(あるいはそれを念頭に置き)、各々の組織の目的やマンデートに従ってどのように紛争要因に関与するかを検討するよう策定されている。 次に、アプローチの形態に関する体系上の共通性である。対象国の紛争(特に紛争の原因・要因)を分析し、その分析を土台に、政策やプロジェクトを組み立てるという体系(またそこに、ニーズ、ステークホルダーの動機・能力、国際的対応に関する分析、モニタリングや紛争要因の危険度に対するレーティングなどが加味され、ステップが細分化されている)が、これら機関の文書では明示されている。 ただし、関係機関が開発してきた紛争分析の方法は、かなり制約的であり、それは、紛争分析そのものの難しさに根ざしている。例えば、紛争の領域や紛争要因は、その表見的特徴に着目して分類されたものである。そして、これら諸領域や諸要因の相互作用や密着性を動的に捉える姿勢が不可欠であることについては、一定のコンセンサスがあろう。にもかかわらず、このような相互性や密着性を分析する手法が定型化されているわけではない。 また、紛争のサイクル・悪循環という一定の社会プロセスがあるなら、その軌道を創出形成する国内的・地域的・国際的システムや構造がその背後に複雑に絡みながら存在するとの仮説を実証し、これを開発実践上どの程度取り込むかは根本的な課題である。冷戦期の紛争構造に係る1つの解釈̶権力、民族、社会といった諸体系に潜む紛争の内発的要因が相互に錯綜し、紛争発生国国内の権力維持の求心力が国外からの支援を誘引しながら武力紛争の体制と過程を生み出したといった̶などが一例である 26。だが、社会プロセスを生み出す複雑なシステムや構造の発見、その解析、実際のケースへの適用は困難を極める。現代の紛争解決学の分野では、例えば、アクター、構造、プロセスという 3 極の相互作用の理解から紛争に接近するなど、紛争分析モデルの構築に向けて挑戦が続けられている。このような試みにもかかわらず、今のところ、汎用性と信

26 進藤榮一『現代紛争の構造:非極モデル構築のために』岩波書店(1987 年)。また、戦争をシステムやプロセスといった角度から体系的に理論化しようとしたものとして、猪口邦子『戦争と平和』東京大学出版会(1989 年)を参照。

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頼性双方を兼ね備え、平和構築政策立案や事例評価で援用できる紛争分析のモデルやメソッドが完成を遂げた様子はない。 このことから、既述の開発援助機関等の紛争分析・平和構築政策アプローチも、これらをベースとした本報告書の検討枠組みも、紛争分析の方法としては大きく制約されている。もっとも、既述の開発援助機関等の紛争分析スキームは、そもそも未完であるとの理解の下、むしろ、現実の運用を通じた経験と手法技術の進化を想定しているところもある。そうであれば、適用例の集積、その批判的検証、基本的分析基軸の見直し及び新たなスキームの構築といった、実用化に向けた取組みがすすめられなければならない。その意味で、紛争分析は、いわば、不断の研究プロセスとも言えよう。

4-3 本報告書における紛争分析の枠組み

 本報告書の中心的主題は、カンボジア及びアフガニスタンにおける法の支配・難民関連事業を平和構築の観点から検討・評価することであり、紛争分析ではない。しかし、事例研究という目的に資する範囲でそれは必要であるし、したがって第 2 部及び第 3 部各々の前段でこれを行っている。既述のような紛争分析に係る限界を踏まえつつも、本報告書においては、以下の流れに沿って分析を試みる。そこでの紛争の分析では、既述の開発援助機関の分析アプローチや、国際協力機構

(Japan International Cooperation Agency:JICA)が開発した Peacebuilding Needs and Impact Assessment(PNA)27 の分析方法を参考にし、また、これらに含まれた知見を活用している。

 「紛争の概要」では、紛争に関わる背景や状況を、時系列で整理する。「紛争分析」の項における「アクター」の節では、平和構築に関わるアクターについて説明する。「紛争に関する領域と紛争要因」の節では、以下のように、紛争に関する領域を、安全保障、ガバナンス、経済、社会文化の 4 種に分類するとともに、各々の領域における紛争要因(構造的要因、近因、長期化と連続性)を整理する。その上で、個々の紛争要因について説明をつけていく。

27 国際協力機構『PNA(Peacebuilding Needs and Impact Assessment)マニュアル̶平和構築アセスメント̶』(2003 年)

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 ここでいう「構造的要因」とは、地域・社会制度や国際システムの所産であるとともに紛争を誘発する要因であり、人権侵害、民族対立、政治制度や法制度の不備、大国の関与などがその例である。「近因」とは、ともすれば、紛争の勃発や再発の直の契機となるか、あるいは早晩にも紛争を誘発しかねない要素であり、軍閥や武力集団の動向、資源等をめぐる衝突などがある。「長期化と連続性」とは、紛争の悪循環を固定・強化するような要素であり、これには、紛争依存型政治経済構造や暴力の文化が含まれる。もっとも、この 3 つの範疇概念は相互に結びつき、あるいは複雑に交錯しており、明確な区別は実際問題難しいし、また厳格な仕分けは適切でもない。むしろ、諸要因の性質を大掴みに把握するための目安として活用されれば良い 28。 アフガニスタンについては、以上の枠組みにそって紛争分析を行う。他方、カンボジアについては、既に JICA 内部においても、紛争分析の先行研究及び関連研究の蓄積がある 29。したがって、本報告書では、同国の「紛争分析」の「アクター」の部分は割愛する。また、「紛争に関する領域と紛争要因」についても、事例研究に関連を有する要因を選定して言及する。 ところで、本報告書が用いる紛争分析の枠組みの制約については繰り返し述べたところだが、アフガニスタンの分析においては、紛争要因相互の相関性については、可能な範囲で指摘する。

28 開発援助機関等のアプローチが、紛争要因の分析において、「引き金となった要因」や「緊張のエスカレーションの要因」とともに、「構造的要因」、「永続的要因」、「根本原因」や「ダイナミクス」という類型を用意しているのは興味深い。ただし、これら機関は、かかる文言に定義付けを試みているものの、その内容は未だに曖昧である。概念の構成要件についてコンセンサスはなく、また、各々の機関が書面でそれを秩序立てて論じているわけでもない。

29 例えば、国際協力事業団企画・評価部『日加合同平和構築評価調査報告書』(2002 年)、国際協力事業団国際協力総合研修所『カンボジア国別援助研究会報告書̶復興から開発へ̶』(2001 年)。

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4-4 本報告書における事例研究の枠組み

 開発援助機関の紛争分析手法は、個別事業の評価のみに特化したものではなく、組織の包括的な平和構築政策、対象国別の政策、プロジェクト策定において指針となる部分が基本である。とはいえ、政策全般に関するアプローチや指針から演繹される原則や要素であっても、個別事例の評価においても一定の範囲で援用可能と理解すべきだろう。また、検討対象とする事例が、紛争要因にどう関与し、それが紛争再発防止・紛争予防あるいは紛争の誘発にどう関連するかを考える上で、さらに、事例から警鐘や示唆を抽出する上で、紛争分析との関連は重要であると考える。 本報告書第 2 部と第 3 部では各々、カンボジアとアフガニスタンにおける若干の事業を取り上げ、これらを平和構築の視点から新たに解釈するとともに、その効果について検討・評価するが、その大まかな枠組みは以下の通りである。