第4章 キャッシュレス化が銀行業に及ぼす影響 - 一 …...―pb― ―83― 第4章...

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― 83 ― 第 4 章 キャッシュレス化が銀行業に及ぼす影響 小 野 有 人 I.はじめに 小口決済におけるキャッシュレス化の進展は、預金という伝統的な決済手段を提供してきた 銀行業にどのような影響を及ぼすだろうか。キャッシュレス化は、伝統的な銀行業にとって 「脅威」なのだろうか、それとも「機会」なのだろうか。これらの問いに対する答は、必ずしも自 明ではない。たとえば、電子マネーやスマートフォン等を用いたモバイル決済サービスの登場 と、それに伴うフィンテック・ベンチャー企業の決済業務への参入は、一見すると「脅威」のよ うにも見えるが、これらの決済サービスの多くは、最終的に預金での決済を伴う支払い指図で あり、預金を代替するものではない(内田(2018)、吉田(2002;第4章))。また、以下で述べる ように、1960年代に米国で普及したクレジットカードは、現在では、米銀のリテール業務の 重要な収益源となっている。 本稿では、冒頭の問いに対する答を探るため、小口決済におけるキャッシュレス化の進展が 銀行業の粗利益、コスト、収益に及ぼす影響に関する先行研究を概観する。銀行は、預金を通 じて利用者に決済サービスを提供し、流動性を創出しているが、その影響を定量的に計測した 先行研究はあまり多くない。たとえば、伝統的な銀行業の生産関数や費用関数の推定において は、決済サービスは産出物に含まれていない(Rice(2003))。また、Berger and Bouwman (2009;2016)は、銀行による流動性創出を定量的に計測した指標がないことを指摘し、独自 の指標を考案している。決済サービスは、歴史的には銀行の「本業」であったが、銀行論研究に おいては「脇役扱い」だったといえる(吉田(2002;第1章))。このような限界はあるものの、本 稿では関連するいくつかの研究に基づきキャッシュレス化が銀行業に及ぼす影響について考察 したい。 本稿の構成は、以下の通りである。第Ⅱ節では、そもそも銀行の決済関連業務の粗利益(以 下、決済関連粗利)はどれぐらいあるのかを、米国と日本を対象とする先行研究に基づき概観 する。第Ⅲ節では、決済関連粗利が多いと考えられるリテール銀行の収益性・安定性、及び決 済インフラと銀行の収益性・安定性について考察した先行研究を概観する。第Ⅳ節では、前節 までの先行研究のサーベイを踏まえて、わが国で小口決済のキャッシュレス化が進展した場合 に銀行業に及ぶ影響について、キーとなる論点を提示し、結びに代える。

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Page 1: 第4章 キャッシュレス化が銀行業に及ぼす影響 - 一 …...―PB― ―83― 第4章 キャッシュレス化が銀行業に及ぼす影響 小 野 有 人 I.はじめに

― PB ― ― 83 ―

第 4章 キャッシュレス化が銀行業に及ぼす影響

小 野 有 人

I.はじめに 小口決済におけるキャッシュレス化の進展は、預金という伝統的な決済手段を提供してきた

銀行業にどのような影響を及ぼすだろうか。キャッシュレス化は、伝統的な銀行業にとって

「脅威」なのだろうか、それとも「機会」なのだろうか。これらの問いに対する答は、必ずしも自

明ではない。たとえば、電子マネーやスマートフォン等を用いたモバイル決済サービスの登場

と、それに伴うフィンテック・ベンチャー企業の決済業務への参入は、一見すると「脅威」のよ

うにも見えるが、これらの決済サービスの多くは、最終的に預金での決済を伴う支払い指図で

あり、預金を代替するものではない(内田(2018)、吉田(2002;第4章))。また、以下で述べる

ように、1960年代に米国で普及したクレジットカードは、現在では、米銀のリテール業務の

重要な収益源となっている。

 本稿では、冒頭の問いに対する答を探るため、小口決済におけるキャッシュレス化の進展が

銀行業の粗利益、コスト、収益に及ぼす影響に関する先行研究を概観する。銀行は、預金を通

じて利用者に決済サービスを提供し、流動性を創出しているが、その影響を定量的に計測した

先行研究はあまり多くない。たとえば、伝統的な銀行業の生産関数や費用関数の推定において

は、決済サービスは産出物に含まれていない(Rice(2003))。また、Berger and Bouwman

(2009;2016)は、銀行による流動性創出を定量的に計測した指標がないことを指摘し、独自

の指標を考案している。決済サービスは、歴史的には銀行の「本業」であったが、銀行論研究に

おいては「脇役扱い」だったといえる(吉田(2002;第1章))。このような限界はあるものの、本

稿では関連するいくつかの研究に基づきキャッシュレス化が銀行業に及ぼす影響について考察

したい。

 本稿の構成は、以下の通りである。第Ⅱ節では、そもそも銀行の決済関連業務の粗利益(以

下、決済関連粗利)はどれぐらいあるのかを、米国と日本を対象とする先行研究に基づき概観

する。第Ⅲ節では、決済関連粗利が多いと考えられるリテール銀行の収益性・安定性、及び決

済インフラと銀行の収益性・安定性について考察した先行研究を概観する。第Ⅳ節では、前節

までの先行研究のサーベイを踏まえて、わが国で小口決済のキャッシュレス化が進展した場合

に銀行業に及ぶ影響について、キーとなる論点を提示し、結びに代える。

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Ⅱ.銀行の決済関連粗利1.米国の先行研究 米国では、大手銀行持株会社(Bank Holding Companies、以下BHC)のアニュアルレポー

トや決算報告書(Call report)を用いて、決済関連粗利の金額及び粗利益全体に占める割合に

ついて試算した先行研究が存在する。以下では、このうちRadecki (1999)及びRice and

Stanton (2003)を紹介する。なお、銀行業の粗利益(operating revenue)とは、一般企業で

いえば売上総利益に相当する概念であり、資金運用・調達(例:貸出と預金)に関する利払い

の受け払いである資金利益(net interest income)とそれ以外の非資金利益(noninterest

income)からなる。非資金利益は、役務取引に関する手数料の受け払いやトレーディング業

務に関する損益から構成される。

 Radecki (1999)は、1996年の大手BHC25社のアニュアルレポートに基づき、これら

BHCの決済関連粗利が粗利益全体の36 ~ 42%を占めると報告している(図表1左列)。決済

関連粗利の内訳をみると、最も金額が大きいのは預金スプレッド収益であり、粗利益全体の

20%強の比率となっている。預金スプレッド収益は、預金で調達した資金を短期金融市場で

運用した場合に得られる金利収益である。次いで多いのは、預金口座手数料(粗利益全体に

占める比率6.8%)、クレジットカード関連手数料(同3.4 ~ 5.0%)及びクレジットカードの

金利スプレッド(他の消費者ローン対比の上乗せ金利収益、同0.0 ~ 3.4%)、証券決済関連

手数料(同4.6%)である。これらの決済関連粗利は、個人向けの小口決済だけでなく法人向

けのものが含まれているが、米銀の粗利益の4割前後が決済関連業務から得られているとの

指摘は、銀行業における決済サービスの重要性を示唆するものである。

 これに対してRice and Stanton (2003)は、決済関連粗利が粗利益全体の約4割を占める

というRadecki (1999)の推計は過大であると指摘している。Rice and Stanton (2003)は、

フォーマットの改訂により手数料収入の内訳がよりきめ細かく分かるようになった2001年

時点の大手BHC40社の決算報告書を用いて、決済関連粗利が粗利益全体に占める比率は16

~ 17%と、Radecki (1999)の半分弱程度であると報告している(図表1右列) 1。

1 図表1ではRadecki (1999)とRice and Stanton (2003)を比較するため、両者の分類をできるだけ揃えた形で示している。しかし、以下に述べるように、各項目が示す具体的な内容は、両者で異なることに注意されたい。Radecki (1999)とRice and Stanton (2003)の項目内容については、図表1脚注を参照されたい。

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図表1 決済関連粗利/粗利益

Radecki (1999) Rice and Stanton (2003) 金額 (10億ドル) 対粗利益合計比率 金額 (10億ドル) 対粗利益合計比率

預金口座手数料 9.5 6.8% 19.6 7.3%

預金スプレッド収益 28.8 20.5% 14.6 5.5%

預金関連その他手数料 1.0 ~ 2.6 0.7% ~ 1.9% 3.7 1.4%

証券決済関連手数料 6.5 4.6% 0.9 ~ 1.8 0.4% ~ 0.7%

クレジットカード関連手数料 4.7 ~ 7 3.4% ~ 5.0% 5.1 1.9%

クレジットカード金利 スプレッド 0.0 ~ 4.8 0.0% ~ 3.4% n.a. n.a.

決済関連粗利合計 50.5 ~ 59.2 36.0% ~ 42.2% 43.9 ~ 44.7 16.4% ~ 16.7%

決済関連粗利合計 (除く預金スプレッド収益) 21.7 ~ 30.4 15.5% ~ 21.7% 29.3 ~ 30.1 10.9% ~ 11.2%

粗利益合計(非金利収益+ネット金利収益) 140.2 267.5

(注)各項目の具体的な内容は以下の通り(Radecki (1999)はR1999 、Rice and Stanton (2003)はRS 2003)。預金口座手数料……………………… R1999: Fees on deposit accounts, RS2003: Service charges on deposit

acounts預金スプレッド収益………………… …R1999: Interest foregone by deposit account holder, RS2003: Forgone

interest on transaction accounts預金関連その他手数料……………… R1999: Fees on deposit accounts recorded in "other fees", RS2003: ATM fees証券決済関連手数料………………… …R1999: Securities handling and processing fees, RS2003: Payment-related

trust revenuesクレジットカード関連手数料… …… R1999: Credit card fees, RS2003: Payment-driven credit card revenuesクレジットカード金利スプレッド…… R1999: Extra interest paid by credit card holders

(出所)Radecki (1999)、Rice and Stanton (2003)から筆者作成。

 Rice and Stanton (2003)は、Radecki (1999)の推定が過大である理由として以下の点を

あげている。第一に、Radecki (1999)が用いているアニュアルレポート上の証券決済関連手

数料の中には、投資アドバイザリー業務に対する手数料など、決済とは関連がないものが含

まれている可能性がある。Rice and Stanton (2003)は、信託勘定の預かり証券の決済手数

料や証券保管手数料など決済と関連のあるものだけに限定すれば、これらが粗利益全体に占

める比率は0.4 ~ 0.7%程度に低下すると報告している。第二に、アニュアルレポート上の

項目に何を計上するかは個々のBHCによって異なるため、二重計上が生じている可能性が

ある。たとえば、クレジットカードを発行している銀行に対してクレジットカード加盟店が

支払う手数料(interchange fee)は、interchange feeとして明示的に開示している銀行もあ

れば、より広義のクレジットカード手数料に含めている銀行もある。このため、分析対象と

する銀行すべてのinterchange fee、広義のクレジットカード手数料を決済関連粗利として

足し上げると、二重計上が生じる可能性が高い。

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 さらに図表1によれば、上記の点に加えてRice and Stanton (2003)とRadecki (1999)とで

決済関連粗利に大きな差が生じている要因として、預金スプレッド収益があることが分か

る。預金スプレッド収益/粗利益は、両者で計算方法に大きな差がないにもかかわらず、

Rice and Stanton (2003)では5.5%、Radecki (1999)では20.5%と15%ポイントもの差が生

じている(図表1)。これは、Rice and Stanton (2003)が分析対象とする2001年には、金融

緩和による政策金利の大幅な低下によって預金スプレッド収益が低水準であった一方、

Radecki (1999)が対象とする1996年の政策金利水準が5%超程度と高く、高水準の預金ス

プレッド収益が得られたためだと推測される(図表2)。

図表2 FF金利の推移

myf.red/g/fEWp

0

1

2

3

4

5

6

7

1994 1996 1998 2000 2002 2004 2006 2008 2010 2012 2014 2016

fred.stlouisfed.org

Source:BoardofGovernorsoftheFederalReserveSystem(US)

EffectiveFederalFundsRate

Percent

(出所)セントルイス連銀 FRED (Federal Reserve Economic Data)

 また、Rice and Stanton (2003)は、決済関連粗利の水準及び内訳は、銀行のビジネスモデル

によって大きく異なることも報告している。図表3は、Rice and Stanton (2003) Table 6により、

分析対象のBHC40社を、①多様なビジネスを総合的に提供するコングロマリット型(例:

Citigroup)、②グローバルな資産運用管理業務でプレゼンスを有するグローバル資産管理型(例:

Bank of NY)、③クレジットカード型(例:MBNA)、④特定の地域でプレゼンスを有するリー

ジョナルバンク(例:Wachovia)に分類して、決済関連粗利比率をみたものである。リージョナ

ルバンクの同比率が20%超と高い一方、クレジットカード型銀行は同9%程度と最も低くなって

いる。内訳をみると、リージョナルバンクで特に比率が高いのは、預金口座手数料及び預金ス

プレッド収益である一方、クレジットカード型銀行ではこれらの比率が低い。また、当然のこと

ながら、クレジットカード型銀行のクレジットカード関連手数料の比率は他のタイプの銀行より

も高い。コングロマリット型銀行はクレジットカード関連手数料を中心にバランスよく決済関連

粗利を稼いでおり、グローバル資産管理型銀行では証券決済関連手数料の比率が特に高い。

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図表3 決済関連粗利/粗利益:銀行タイプ別

コングロマリット型 (N=6)

グローバル資産 管理型 (N=4)

クレジットカード型 (N=4)

リージョナルバンク (N=26)

預金口座手数料 6.3% 6.4% 3.5% 10.5%

クレジットカード 関連手数料 2.7% 0.0% 2.5% 0.3%

ATM手数料 1.4% 1.4% 1.4% 1.3%

預金スプレッド収益 4.6% 3.6% 1.6% 8.5%

証券決済関連手数料 0.0% ~ 0.2% 5.4% ~ 9.2% 0.0% ~ 0.1% 0.01% ~ 0.03%

決済関連粗利合計 15.0% ~ 15.1% 16.8% ~ 20.5% 9.1% ~ 9.1% 20.6% ~ 20.7%

(注)Nはサンプルとなる銀行持株会社数。(出所)Rice and Stanton (2003)から筆者作成。

2.日本の先行研究 日本の場合、銀行の開示資料から分かる決済関連粗利項目は、預金スプレッド収益と為替

手数料の2つである。このうち為替手数料については、日本銀行金融機構局(2017)が、

2016年度の為替手数料収益は大手行で約0.4兆円(業務粗利益全体に対する比率6%)、地域

銀行で約0.3兆円(同7%)であると報告している。項目の違いはあるが、邦銀の為替手数料/

粗利益の水準6 ~ 7%は、先述のRadecki (1999)、Rice and Stanton (2003)における預金口

座手数料比率(7%)と概ね同程度である2。ただし、日本では長期にわたる低金利によって、

分母の業務粗利益の水準自体が低下していることに留意する必要がある。

 図表4、5は、小野他(2012)をアップデートして、邦銀の為替手数料及び預金スプレッド

を米国と比較したものである。これらからは以下の点が読み取れる。第一に、日本では

1990年代後半以降、政策金利がゼロ近傍で推移してきたため、預金スプレッド収益は0 ~

0.5%ないしマイナス(赤字)であった。米国でも、グローバル金融危機後に非伝統的な金融

政策が採られたことにより、預金スプレッド収益は2009年以降一時的にマイナスになった

が、2015年以降は緩やかに上昇している(図表4)。第二に、邦銀の為替手数料の預金残高に

対する比率は、米国の預金口座手数料の預金残高に対する比率を大きく下回っており、預金

1単位の提供に対するグロスの手数料率という観点からみると、米銀対比、収益性が大きく

2 邦銀では預金口座手数料がほぼ徴収されない一方、米国では日本と異なり電信送金があまり一般的でなく為替手数料による収益が多くないという違いがあり、邦銀と米銀の手数料水準を、項目を揃えて比較することは困難である。

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見劣りしている(図表5)3。

図表4 日本と米国の預金・貸出・預貸スプレッド

-1.0%-0.5%0.0%0.5%1.0%1.5%2.0%2.5%3.0%

1995 97 99 01 03 05 07 09 11 13 15(年度)

預金スプレッド 貸出スプレッド預貸スプレッド 市場金利

(年)

預金スプレッド 貸出スプレッド預貸スプレッド 市場金利

-1.0%0.0%1.0%2.0%3.0%4.0%5.0%6.0%7.0%8.0%

1995 97 99 01 03 05 07 09 11 13 15 17

【日本】 【米国】

(注) 1.日本は国内店、米国は海外店を含む   2. 預金スプレッド=市場金利ー預金債券等利回り、貸出スプレッド=貸出金利回りー市場金利、預貸

スプレッド=預金スプレッド+貸出スプレッド、日本の市場金利はTIBOR3か月、米国の市場金利はユーロドル3か月

(出所)  全国銀行協会「全国銀行財務諸表分析」、FDIC「Historical Statistics on Banking」、日経Financial QUESTから筆者作成

図表5 日米の預金手数料率

0.0

0.1

0.2

0.3

0.4

0.5

0.6

0.7

0.8

0.9

1995 97 99 01 03 05 07 09 11 13 15 17

(%)

(年)

米国 日本

(注) 日本:(受入為替手数料-支払為替手数料)/預金残高(前期末・当期末平均) 米国:預金口座手数料/預金残高(前期末・当期末平均)

(出所) 全国銀行協会「全国銀行財務諸表分析」、FDIC「Historical Statistics on Banking」から筆者作成

3 日本銀行(2011;BOX5)は、邦銀大手3行と米銀4行について、1取引当たりの預金関連手数料を比較している。これによれば、邦銀と米銀のATM手数料(国内)はほぼ同程度である一方、電信送金にかかる手数料

(国内・個人向け)は邦銀の方が低く、口座維持手数料、当座貸越にかかる手数料は、邦銀では無料である。

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Ⅲ.リテール銀行の収益性・安定性 銀行の決済関連業務の収益性を考察するうえでは、そのコスト(人件費や物件費)を把握する

必要があるが、銀行の財務諸表等から決済関連業務のコストだけを抽出することは困難であ

り、筆者が知る限り、決済関連業務のコストを計測した先行研究はない。そこで本節では、銀

行のビジネスモデル、とりわけリテール銀行の収益性や安定性に着目した先行研究に焦点をあ

てる。Rice and Stanton (2003)が示したように、リージョナルバンクをはじめとするリテー

ル銀行は決済関連粗利が相対的に多いため、リテール銀行に着目することで、間接的に決済関

連業務の収益性を考察することが可能になると思われる。

1.米国の先行研究 Rice (2003)は、先述のRice and Stanton (2003)と同様の方法により、2001年の大手

BHC96社の決算報告書を用いて5つの決済関連粗利を抽出し、それらとトービンのQ(銀行価

値の代理変数)との相関係数を計測している。5つの決済関連粗利合計とトービンのQとの相

関係数は0.172(10%水準で有意)であり、緩やかな正の相関はあるものの強いものではない。

また、個別の決済関連粗利項目別にみると、有意な相関係数が得られるのは証券決済関連粗

利(相関係数0.368、10%水準で有意)のみである。総じて、決済関連粗利の銀行が多い銀行

ほど銀行価値が高いとの結果は得られていない。

 銀行のリテール集約度(retail intensity)が銀行の収益性・安定性に及ぼす影響を検証した

研究としては、Hirtle and Stiroh (2007)がある。彼らは、リテール集約度の指標として、

リテール貸出比率、リテール預金比率、資産当たり店舗数、主成分分析から抽出されたリ

テール集約度を表すと考えられる第一因子、の4つを用い、これらが銀行の収益性(リスク

調整後株価収益率、ROEの水準)及び安定性(リスク調整後株価収益率、ROEのボラティリ

ティ)に及ぼす影響を、回帰分析によって検証している。分析サンプルは、1997 ~ 2004年

の米国に所在するBHC708社である。主な分析結果は、以下の2点である。第一に、リテー

ル集約度の高い銀行の収益性は総じて低い。第二に、安定性については、リテール集約度の

高い銀行の安定性が高い(ローリスク・ローリターンの)傾向は、規模の大きな銀行でのみ観

察され、規模の小さな銀行ではリテール集約度と安定性の間に有意な関係は見いだされな

い。

 リテール集約度と安定性との関係が銀行規模別に異なる要因として、Hirtle and Stiroh

(2007)は、多くの地域を営業地盤とする大規模銀行では、地理的な分散により安定化効果

が期待できる一方、地理的な分散が不十分な小規模銀行ではこうした効果が期待できないた

めではないかと推測している。これに加えて、決済業務における固定費(規模の経済性)の問

題もあるかもしれない。米国では、クレジットカード業務や証券決済業務について、いくつ

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かの大手銀行が高い市場シェアを有しているが、その背景には、これらの業務には多額のシ

ステム費用が伴うことがある。固定費用が大きい場合、売上の変動以上に収益のボラティリ

ティが高まるため、市場構造が寡占化しやすく(規模の経済)、このことが、大規模銀行にお

いてのみリテール集約度と安定性との関係性が見いだされる一因となっている可能性が考え

られる。

2.欧州の先行研究 欧州を分析対象とする研究としては、Mergaerts and Vander Vennet (2016)がある。彼

らは、1998 ~ 2013年の欧州30か国に所在する505の銀行のパネルデータを用いて、銀行

のビジネスモデルが、収益性(ROE、ROA、金利マージン)及び安定性(Zスコア4)に及ぼす

影響を分析している。彼らは因子分析によって銀行のビジネスモデルを特徴づける2つの因

子、リテール因子と分散因子、を抽出している。また、パネルデータを用いることで、短期

的な影響(個々の銀行ごとの時間を通じた因子変化の影響、within効果)と長期的な影響(銀

行間の因子の違いによる影響、between効果)を識別し、後者をビジネスモデルの影響と解

釈している。

 Mergaerts and Vander Vennet (2016)の主な分析結果は、以下の2点である。第一に、リ

テール因子が高い値をとる銀行ほど、ROAや金利マージンが高い。ただし、リテール因子

が高い銀行は自己資本比率も高いため、ROEには有意な違いが見いだされない。また、リ

テール因子が高い銀行は安定性を表すZスコアが有意に高い。これらの結果は、リテール銀

行の収益性・安定性が総じて高いことを示しており、先述の米銀を分析対象としたHirtle

and Stiroh (2007)とは対照的である。第二に、ROAの内訳をより詳細にみると、リテール

因子が高い銀行は、経費率が高く、またROAのボラティリティ(不安定性)も高い。これら

の結果は、Hirtle and Stiroh (2007)と整合的である。それにもかかわらず、欧州のリテー

ル銀行の収益性・安定性が、Hirtle and Stiroh (2007)とは異なり高くなっている理由は、

リテール銀行の資金調達コストが低い一方で非金利収益が高く、これらの効果が高い経費率

やROAボラティリティといった負の影響を打ち消しているためである。このことは、欧州

のリテール銀行が、米国のリテール銀行以上に高水準の預金スプレッド収益や決済関連手数

料を得ている可能性を示唆している。

 次に、小口決済インフラが銀行の収益性・安定性に及ぼした影響を検証した研究として、

Hasan et al. (2012)の概要を紹介する。彼らは、1998 ~ 2013年の欧州27か国に所在する

3370の銀行を分析サンプルとして、国レベルの小口決済インフラの発展度合いが、銀行の

収益性・効率性(ROA、ROE、コスト効率性、利潤効率性)及び安定性(ROA及びROEの標準

偏差、Zスコア)に及ぼす影響を分析している。各国の小口決済インフラの発展度合いを示4 Zスコアは(自己資本比率+ROAの平均値(3期分))/ ROAの標準偏差(3期分)として定義されている。

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― 90 ― ― 91 ―

す代理変数として彼らが用いているのは、人口一人当たりでみた決済件数、POS(Point Of

Sales)端末数、小口決済店舗数の3つである。また、クレジットカード、デビットカード、

電子送金、電子マネー、小切手等の様々な小口決済手段の利用度が国によって異なることを

考慮するため、決済手段の集中度を示す指標として小口決済手段のハーフィンダール指数、

小口決済手段の電子化が遅れていることを示す指標として小切手決済比率を用いている。

 彼らの主な分析結果は、以下の3点である。第一に、小口決済インフラが発達している(具

体的には、人口一人当たりでみた小口決済件数やPOS端末数が多い)国では、総じて銀行の

収益性・効率性が高い。また、小口決済手段のハーフィンダール指数が低く小口決済手段の

利用について多様化が進んでいる国や、小切手決済比率が低く小口決済手段の電子化が進ん

でいる国では、銀行の収益性・効率性が高い。これらは、小口決済インフラの発達や決済手

段の多様化・電子化が、ネットワーク効果を通じて銀行パフォーマンスに好影響を与えてい

ることを示唆するものである。第二に、ROAやROEの分子に含まれる粗利益を金利収入と

手数料収入に分けてみると、小口決済インフラが銀行パフォーマンスに及ぼすプラスの影響

は、主に手数料収入の増大を通じて生じている。第三に、小口決済インフラが発達している

国では、銀行の安定性が高い。総じて、小口決済インフラの発達は、銀行の収益性と安定性

を高めているとの結果が得られており、同じ欧州のリテール銀行の収益性・安定性が高いと

報告しているMergaerts and Vander Vennet (2016)とも整合的といえる。ただし、上記の

結果は、銀行の収益性・安定性が高い国では、小口決済インフラが発達するという逆の因果

関係を意味している可能性もあることには、留意が必要である。

Ⅳ.キャッシュレス化が邦銀に及ぼす影響 前節までのサーベイを踏まえて、本節では、わが国で小口決済のキャッシュレス化が進展し

た場合に銀行業に及ぶ影響を、粗利益、コスト、収益に分けて考察する。

1.粗利益 キャッシュレス化が銀行の粗利益に及ぼす影響を考えるうえでのポイントは、以下の3点

である。第一は、キャッシュレス化による預金の増減である。この点は、キャッシュレス化

を担う支払手段にも依存するが、現存するクレジットカード、デビットカード、電子マネー

を前提とする限り、これらは最終的に預金での決済を伴う補完的なものであることから、預

金は増大するのではないかと考えられる。こうした推論と整合的な研究として、イタリアの

データを用いたColumba (2009)は、ATM・POS端末の普及によって現金流通高が減少する

一方、預金(M1)は増加したことを報告している。

 第二は、金利環境である。第Ⅱ節でみたように、米国でも日本でも、銀行の決済関連粗利

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の主要項目の一つは預金スプレッド収益である。現在の日本のように短期金利がマイナスの

状況の下では預金スプレッド収益は赤字であり、キャッシュレス化によって預金が増大して

も赤字が増えるだけということになりかねない。

 第三は、キャッシュレス化を担う支払手段に銀行がどのように関わるかである。米国で

は、クレジットカードのイッシュイング業務(カード発行)とアクワイアリング業務(カード

加盟店に対してカード決済の仕組みを提供)の双方において、銀行が主要なプレイヤーと

なっている(淵田(2017))。このため、第Ⅱ節でみたように、クレジットカード関連手数料が

決済関連粗利の主要な項目となっている。一方日本の場合、銀行のクレジットカードビジネ

スへの関与はこれまで限定的であり、銀行が手数料を得られるのは銀行発行のデビットカー

ド(J-Debit)等のケースに限定される。

2.コスト キャッシュレス化は、労働集約的な現金取扱い事務の減少を通じて、銀行のコスト効率を

改善させる可能性がある。ある試算では、日本の銀行が負担しているATMの維持・管理コ

スト、現金取扱い事務等のコストは年間2兆円にのぼるという(日本経済新聞2017年12月25

日)。試算の対象となっている銀行の範囲は不明だが、全国銀行の2016年度の営業経費が

6.8兆円であることを踏まえると、銀行は現金取扱い事務に少なからぬコストをかけている

と推測される。

 ただし、キャッシュレス化が銀行のコストに及ぼす影響を考えるに当たっては、以下の点

に留意が必要である。第一は、現金を代替する支払手段にもコストがかかることである。た

とえば、カナダにおける決済サービスの社会的コストを推計したKosse et al. (2017)は、広

義の金融機関が人件費・物件費・決済インフラ等の形で負担している資源コスト(resource

cost)は、現金38.2億ドル(名目GDP比0.19%)、デビットカード15.8億ドル(同0.08%)、ク

レジットカード47.6億ドル(同0.24%)と試算している。現金は、デビットカードに比べれば

高コストだが、クレジットカードよりはコストが低くなっている。

 第二は、現金を代替する支払い手段の固定費(たとえばシステム費用等)が大きい場合、規

模の経済によって大手銀行が有利になる可能性が高いことである(Berger (2003))。実際、

米銀のクレジットカードビジネスは、「システムに多大な投資を要する装置産業とも言えるた

め、・・・大手銀行の他、カード業務を中核とする銀行への業務の集約化」(淵田(2017;

p.231))が進んだといわれている。このことは、キャッシュレス化の進展によって銀行のコ

スト効率が改善したとしても、その便益が主に及ぶのは一部の銀行に限られる可能性がある

ことを示唆している。

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3.収益 キャッシュレス化によって銀行の粗利益やコストが改善するかどうかは、これまでみてき

たいくつかの要素に依存しており、必ずしも明らかではない。さらに、銀行収益への影響を

考えるに当たっては、キャッシュレス化による付加価値の改善(このこと自体必ずしも自明

ではないが、たとえば技術革新による決済サービスのコスト効率の改善)の便益が、生産者

と需要者のどちらに帰着するかにも依存する。たとえばBerger (2003)は、米国でのATM普

及による便益の多くは最終的に顧客に帰着した(例:決済サービスの低価格化)と報告してい

る。また、個々の銀行にとっては、先述のように現金を代替する支払い手段の固定費用が大

きい場合、収益のボラティリティが増大するリスクがある点にも留意が必要である

(DeYoung and Rice (2004), Stiroh (2006))。

 第Ⅲ節でみたように、米欧の先行研究では、決済関連粗利の比率が高いリテール銀行の収

益性・安定性が他のビジネスモデルの銀行よりも高いかどうかについて、コンセンサスが得

られていない。これは、決済サービスの収益性・安定性が、本節でみたいくつかの要因に依

存することが一因ではないかと考えられる。キャッシュレス化の進展を銀行にとっての「機

会」とするには、銀行自身が決済サービスの質を改善して価格体系を見直すことや、コスト

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