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Fossils The Palaeontological Society of Japan 化石 94,1‒2,2013 − 1 − 太古の生物の生体復元:三葉虫の例 鈴木雄太郎 静岡大学大学院理学研究科 Reconstructing ancient organism: a case of trilobites Yutaro Suzuki Department of Geosciences, Shizuoka University, 836 Oya, Suruga-ku, Shizuoka, 422-8529 ([email protected]) Key word: reconstruction 百科事典や児童向け科学書籍では,三葉虫など太古の 生物が生命感あふれる姿で描かれている.その姿の参照 元を調べると,化石鉱脈(Fossil Lägerstätte)産化石の研 究論文へと行きつくことが少なくない.このような生物 学的な情報量が際立つ標本をもとに生体復元を行うには, 標本から有用な情報を的確に選定する観察眼と,その情 報を生物学的に意味づける洞察力が必要である. 北米の化石鉱脈のひとつ,Beecherʼs Trilobite Bedから は,付属肢が交代作用で黄鉄鉱となった三葉虫の化石が 産出する(図1).この化石鉱脈産三葉虫の生物学的研究 は,Beecher(1893)を皮切りにこれまで 20 件ほどの研 究例がある.例えばWhittington and Almond(1986)は, 付属肢の配置様式を背板に隠れるように更新した.しか し,古生物の愛好家などを対象とした復元模型の中には, 1 世紀前の解釈を採用した図 2 に挙げたものなど,研究の 進展が十分には反映されていない物も多い. 一方,古い論文中で秀逸な観察事例に出会うこともあ る.三葉虫の付属肢は内肢と外肢に分かれており,前者 は歩行,後者はガス交換(呼吸)の機能を持つと紹介さ れていた(図3).しかし実際の化石鉱脈産の三葉虫標本 では,Beecherʼs Trilobite Bed 産以外の標本においても, 内肢と外肢の保存状態に顕著な差は認められない.この ことは,両者のクチクラの厚さ(硬度)が同程度であり, 外肢のクチクラはガス交換に機能できる薄さ(軟らかさ) ではなかったことを示唆している(Lane, 1981).推理に のみ基づいた結論であるが,観察に基づく洞察で三葉虫 の生体生理機構を解明する糸口を 30 年前に見出してい た. このような情報の更新は,生き生きと描かれた復元像 と比べると,非専門家にはわかりづらくて敬遠されがち である.それでも専門家は,常に最新の知見を社会へと 喚起し続けて,復元の根拠となる観察や推論の科学的な 醍醐味を伝える努力をするべきだろう. (2013 年 8 月 30 日受付,2013 年 9 月 9 日受理) Beecher, C. E., 1893. On the thoracic legs of Triarthrus. American Journal of Science, 46, 467‒470. Lane, P. D., 1981. The biology of trilobites. Proceedings of the Shropshire Geological Society, 1, 9‒12. Whittington, H. B. and Almond, J. E., 1986. Appendages and habits of the Upper Ordovician trilobite Triarthrus eatoni. Philosophical Transaction of Royal Society, London B, 317, 1‒46. 図 1.Beecherʼs Trilobite Bed から産出する三葉虫Triarthrus eatoni. 付属肢が背板とともに黄鉄鉱化して保存されている.内肢の先端 部が,圧密作用によって二次的に背軸方向へ押し延ばされた状態 で化石化している.本標本では図 2 の復元模型とは異なり,背面 から外肢は確認できない.本種は防御姿勢をとる際に,連結した 背板をダンゴムシのように球体化することができる.仮に付属肢 が図 2 のように内外肢ともに背板から大きく突出すると,反射的 な球体化の際に付属肢を背板に折り畳む動作が必要となり,行動 としては非合理的となる.さらに,折り畳んだ付属肢の収納空間 を球体化の際に確保する必要もあるが,これは現実的には極めて 困難である.

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Page 1: 太古の生物の生体復元:三葉虫の例 Reconstructing … Suzuki FP.pdfReconstructing ancient organism: a case of trilobites Yutaro Suzuki Department of Geosciences, Shizuoka

FossilsThe Palaeontological Society of Japan化石 94,1‒2,2013

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太古の生物の生体復元:三葉虫の例鈴木雄太郎

静岡大学大学院理学研究科

Reconstructing ancient organism: a case of trilobitesYutaro Suzuki

Department of Geosciences, Shizuoka University, 836 Oya, Suruga-ku, Shizuoka, 422-8529 ([email protected])

Key word: reconstruction

百科事典や児童向け科学書籍では,三葉虫など太古の生物が生命感あふれる姿で描かれている.その姿の参照元を調べると,化石鉱脈(Fossil Lägerstätte)産化石の研究論文へと行きつくことが少なくない.このような生物学的な情報量が際立つ標本をもとに生体復元を行うには,標本から有用な情報を的確に選定する観察眼と,その情報を生物学的に意味づける洞察力が必要である.

北米の化石鉱脈のひとつ,Beecherʼs Trilobite Bedからは,付属肢が交代作用で黄鉄鉱となった三葉虫の化石が産出する(図1).この化石鉱脈産三葉虫の生物学的研究は,Beecher(1893)を皮切りにこれまで20件ほどの研究例がある.例えばWhittington and Almond(1986)は,付属肢の配置様式を背板に隠れるように更新した.しかし,古生物の愛好家などを対象とした復元模型の中には,1世紀前の解釈を採用した図2に挙げたものなど,研究の進展が十分には反映されていない物も多い.

一方,古い論文中で秀逸な観察事例に出会うこともある.三葉虫の付属肢は内肢と外肢に分かれており,前者は歩行,後者はガス交換(呼吸)の機能を持つと紹介されていた(図3).しかし実際の化石鉱脈産の三葉虫標本では,Beecherʼs Trilobite Bed産以外の標本においても,内肢と外肢の保存状態に顕著な差は認められない.このことは,両者のクチクラの厚さ(硬度)が同程度であり,外肢のクチクラはガス交換に機能できる薄さ(軟らかさ)ではなかったことを示唆している(Lane, 1981).推理にのみ基づいた結論であるが,観察に基づく洞察で三葉虫の生体生理機構を解明する糸口を30年前に見出していた.

このような情報の更新は,生き生きと描かれた復元像と比べると,非専門家にはわかりづらくて敬遠されがちである.それでも専門家は,常に最新の知見を社会へと喚起し続けて,復元の根拠となる観察や推論の科学的な醍醐味を伝える努力をするべきだろう.

(2013年8月30日受付,2013年9月9日受理)

Beecher, C. E., 1893. On the thoracic legs of Triarthrus. American Journal of Science, 46, 467‒470.

Lane, P. D., 1981. The biology of trilobites. Proceedings of the Shropshire Geological Society, 1, 9‒12.

Whittington, H. B. and Almond, J. E., 1986. Appendages and habits of the Upper Ordovician trilobite Triarthrus eatoni. Philosophical Transaction of Royal Society, London B, 317, 1‒46.

図1.Beecherʼs Trilobite Bedから産出する三葉虫Triarthrus eatoni.付属肢が背板とともに黄鉄鉱化して保存されている.内肢の先端部が,圧密作用によって二次的に背軸方向へ押し延ばされた状態で化石化している.本標本では図2の復元模型とは異なり,背面から外肢は確認できない.本種は防御姿勢をとる際に,連結した背板をダンゴムシのように球体化することができる.仮に付属肢が図2のように内外肢ともに背板から大きく突出すると,反射的な球体化の際に付属肢を背板に折り畳む動作が必要となり,行動としては非合理的となる.さらに,折り畳んだ付属肢の収納空間を球体化の際に確保する必要もあるが,これは現実的には極めて困難である.

Page 2: 太古の生物の生体復元:三葉虫の例 Reconstructing … Suzuki FP.pdfReconstructing ancient organism: a case of trilobites Yutaro Suzuki Department of Geosciences, Shizuoka

化石94号 鈴木雄太郎

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内肢外肢

背板

図3.三葉虫の体制の模式断面図.方解石質の背板(黒色部)が通常は化石化する.いわゆる軟組織(グレー部)でも,保存される可能性は部位毎に異なる.Beecherʼs Trilobite Bedでは,外骨格である濃いグレーで示した付属肢が背板とともに保存される.また,様々な埋没姿勢の標本観察に基づき,内肢の先端部が下方へと湾曲する状態に復元されている.

図2.近年食玩として市販された三葉虫Triarthrus eatoniの復元模型の背側(左)と腹側(右).1世紀前のBeecher (1893)による復元を踏襲している.