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165 イスラーム地域研究ジャーナル Vol. 5(2013.3)

早稲田大学イスラーム地域研究機構拠点強化事業を振り返って

真道 

洋子

早稲田大学イスラーム地域研究機構

招聘研究員

 

二〇〇八年一〇月、文部科学省委託事業

として研究者間ネットワーク構築のための

拠点強化事業が開始された。広くイスラー

ム研究者にとどまらず、異分野とも連携を

深めるという目的のために、我々考古学の

分野に白羽の矢が立ったのである。佐藤次

高先生が中心となって始められた「イス

ラーム地域研究」は、先生の言によれば、

「イスラーム地域研究の新しさは、地域を

こえて拡大してきた宗教および文明として

の『イスラーム』と伝統的に一定の境界を

もつ『地域』とを結びつけた」ところにあ

る。そして、「イスラームを宗教ばかりで

なく、生活文化や広く文明の意味に解釈す

れば、イスラーム世界の範囲は、東は中

国、東南アジアから中東諸国や東欧をへ

て、西はマグリブ諸国やアフリカ中西部に

まで及んでいる」。この拠点強化事業は、

これらの具体的事象を「モノ」を通じて検

早稲田大学イスラーム地域研究機構

拠点強化事業を振り返って

 ――「モノ」の世界から見たイスラーム

文部科学省委託事業「特色ある共同研究拠点の整備の推進事業」

証しようという試みでもあった。

 

この事業のベースにあったのは、一九七八

年以来、現在のイスラーム考古学研究所所

長川床睦夫先生が中心になって精力的に実

施されてこられた調査や事業である。そこ

で、その足跡を少し振り返ってみたい。

 

中心となるのは「イスラーム都市」、「物

質文化の変容」、「東西交流」の研究に基軸

をおいた、フスタート、トゥール・キー

ラーニー、ラーヤなどのエジプトを中心と

したイスラーム時代の遺跡の発掘調査であ

る。これらの遺跡からはイスラーム世界に

とどまらず、アジアやヨーロッパに至る

様々な地域からの製品や情報を集結させて

いたことが出土遺物などから明瞭に見て取

れる。調査手法としても、空中撮影や写真

測量に基づく遺構の図化を早い段階から取

り入れ、発掘に伴う工学的システム開発な

どを行った。また、発掘されたトゥール文

書という第一級の文献史料の研究や岩壁碑

文学という新たなジャンルにも着手した。

その調査研究活動は、考古学にとどまら

ず、歴史学、美術史学、文化人類学、建築

学、言語学、形質人類学、植物学、文化財

保存学、分析化学などの諸分野と連携した

学際的なものであった。これは、とりもな

おさず、考古学の目的は過去の人間の生活

文化の復元にあり、人間に関わるすべての

事象が研究対象となるのは当然の帰結で

あった。

 

さらに、川床先生は板垣雄三先生ととも

に、一九八〇年より中近東文化センターに

おいて、「フスタート」、「東西交流」、「ア

ラブとアジャム」、「イスラームの族的結

合」、「十字軍」、「モンゴル」などのテーマ

で次々とイスラーム関係のシンポジウムを

開催された(写真一)。現在ほどイスラー

ム関係の研究会やセミナー、シンポジウム

などが開催されていない頃のことである。

三上次男先生、嶋田襄平先生、佐藤次高先

生、湯川武先生、後藤明先生、家島彦一先

生ら多くのイスラーム研究の第一人者の先

生方が集われ、中近東文化センター本館の

地下の講堂には熱気とたばこの煙が満ち、

ある時は台風の中で実施された会もあった

ことを懐かしく思い出す。その後、川床先

生は、ご自身の調査に関連して、「物質文

化」、「東西海上交流」、「港」に関する三つ

の研究会を立ち上げ、異分野の研究者を取

り込んだ新たなプロジェクトを積極的に展

開された。この研究会に参加された研究者

の方々が、今回の拠点事業の研究発表に参

加されたことは、私にとって大きな喜びで

あった。

 

イスラーム地域研究という観点で考える

と、重点領域研究に始まる「イスラームの

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166イスラーム地域研究ジャーナル Vol. 5(2013.3)

Center Reinforcement Project: Learning through Objects: Lifestyle Changes and Interactions

都市性」のプロジェクトを忘れることはで

きない。板垣先生を中心に推進されたこの

事業は、当時のイスラーム研究者が参集

し、さらに地域を拡大し、海外の研究者を

加えた大プロジェクトであった。その当時

のわくわくとした思いと、そこに集った先

生方の嬉々としたお顔が今も思い起こされ

る。そして、日本中東学会が設立され、川

床先生も板垣会長、佐藤会長のもとで六年

間もの長きにわたって学会の事務局担当理

事をされ、中東研究の発展を支えてこられ

た。この時に学生だった方々が今は第一線

で活躍されているのを見るのは感慨深いも

のがある。

 

先人たちのご努力のおかげで、現在、日

本のイスラーム研究は、研究者の数や研究

対象も格段に広がり、専門的な深い研究が

なされるようになった。そのような中で、

研究者間のネットワークの拠点作りとして

イスラーム地域研究機構が創設され、さら

にこのネットワーク構築事業を強化する文

部科学省委託事業が実施されることとなっ

た。この中で、筆者を研究代表として、

二〇〇八年一〇月から文部科学省委託事業

早稲田大学イスラーム地域研究機構拠点強

化事業『「モノ」から見た知の技術と生活

文化の変容と交流』が開始した。これは平

たく言えば、考古学的調査などによって現

れた物質文化を通じてイスラーム時代の生

活文化が歴史的に如何に変容したか、そし

てそれがどのように広がり、影響を与えて

いったかをテーマとしている。研究分担者

には、考古学の高橋信雄(花巻市立博物

館)、分析化学の中井泉(東京理科大学)、

建築史の西本真一(サイバー大学)、歴史

学の尾崎貴久子(防衛大学校)の各先生を

迎えた。

 

主な活動としては、(一)研究会・講演

会の開催、(二)出版事業、(三)イスラー

ム関連画像資料のデジタルデータ化、(四)

情報収集のための海外出張、(五)アラビ

ア語書籍の購入を柱とした。

一 

研究会・講演会の開催

 

現在、世界でおきている政治、経済、戦

争、思想、文化、芸術などの諸事象は、歴

史の中で積み上げられ、人々の生活の営み

の中で生み出されてきている。その根幹に

は、精神文化と物質文化を分け隔てること

のない生活文化が存在している。その活動

が表現された形として「

モノ」

が存在する

という観点から、考古学、建築史、美術

史、民族誌、文献史学、分析化学などの諸

分野の研究者を招聘し、毎回異分野の研究

発表を組み合わせた研究会および公開講演

会を実施した。

 

開催した研究会および講演会は、公開講

演会三回、公開研究会一回、研究会九回で

ある。発表者数は延べ三一名、参加者総数

はのべ三九〇名を超える。対象地域は、エ

ジプト、シリア、トルコ、湾岸、マグリ

ブ、アンダルシア、イタリア、インド、パ

キスタン、タイ、中国におよび、時代も初

期イスラーム時代から現代に亘った。具体

的な発表タイトル等に関しては、各年度の

写真1 中近東文化センターで開催された国際セミナー(2004年11月)

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早稲田大学イスラーム地域研究機構拠点強化事業を振り返って

『イスラーム地域研究ジャーナル』の事業

活動を参照されたい。

二 

出版事業

 

出版事業としては、以下に挙げた三冊の

欧文学術報告書と和文冊子、文献目録を各

一冊作成した(写真二)。ここにまとめて

タイトルのみ列挙したい。

・Artifacts of the Islamic Period Excavated in

the Rāya / al-Ṭūr Area, South Sinai, Egypt: C

eramics / G

lass / Painted Plaster

・Artifacts of the Medieval Islam

ic Period Excavated in al-Fusṭāṭ, Egypt

・Introduction to Islamic Archaeology and Art:

Egypt/Iran/Southeast Asia

・『エジプトのイスラーム時代の遺跡

フス

タート/トゥール・キーラーニー/ラーヤ』

・『日本調査隊によるエジプトおよび紅海

沿岸地域におけるイスラーム考古学調

査・研究関連文献目録』(Bibliography of

Islamic Archaeological Research in Egypt

and the Red Sea A

rea by the Japanese M

ission

 

出版の目的は、日本における最新のイス

ラーム考古学の成果を国内外に紹介し、情

報発信することであった。これらは、科学

的発掘調査に基づく第一級資料であり、一

冊目にシナイ半島ラーヤおよびトゥール地

域のイスラーム時代の港市遺跡の発掘調

査、二冊目にフスタート遺跡の発掘調査に

関連した論文を掲載した。内容は、総論、

考古遺物、建築、分析化学、文献史学の分

野を含んでいる。三冊目には、フランスお

よびエジプトの研究者も迎え、考古、美

術、建築、分析化学等多岐にわたるテーマ

の論文を収録した論文集とした。二冊目を

出版したところで、突然、ルーヴル美術

館、ヴィクトリア&アルバート美術館、カ

イロのフランス考古学研究所、コペンハー

ゲン大学をはじめとする海外の諸博物館、

研究所、大学、など海外から入手希望や情

報提供の問い合わせが早稲田大学に相次い

だ。そのいきさつを探ってみると、国際イ

スラーム美術史学会(HIAA)のニュー

スでこの出版物が紹介され、欧米の研究者

の知るところになったということであっ

た。これを契機に、二冊の出版物の増刷を

行うこととした。その後も二〇一二年に刊

行されたドーハのイスラーム美術館のガラ

スカタログに参考文献の中で紹介されるな

ど、海外で認知されている。

 

さらに、国内のイスラーム研究の枠を超

えて考古学や歴史学の分野にもさらに働き

かけるため、英文で刊行した第一冊目と第

二冊目の基本となる和文冊子を作成した。

これはオールカラーのビジュアル版で、

「モノ」自体のもつ発信力を前面に打ち出

した。そして、最終年度となる二〇一三年

度には、今後のさらなる情報発信の手立て

となる和英を含む調査関連総合文献目録を

作成した。

三 

イスラーム関連画像資

料のデジタルデータ化

 

学術報告書や和文冊子、研究発表に使用

する目的で、発掘調査の資料やイスラーム

都市など既存のネガやポジフィルムの形の

写真の画像のデジタルデータ化を推進し

た。

 

とくに、一九七八年から早稲田大学が発

掘調査を開始したフスタート遺跡の調査

は、すでに三〇年が経過しており、フィル

ムの老朽化が懸念されることからフスター

ト関連資料を中心に進めた。また、フス

タート出土遺物の一部は早稲田大学が保管

していることから、今後この画像アーカイ

ブを公開データベースとして活用できるよ

うに、来年度以降の新規事業としての道を

模索している。

写真2 拠点強化事業出版物

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168イスラーム地域研究ジャーナル Vol. 5(2013.3)

Center Reinforcement Project: Learning through Objects: Lifestyle Changes and Interactions

四 

海外出張

 

地域研究において現地調査は不可欠であ

り、研究代表者及び分担者がイスラーム地

域の情報収集のため、エジプト、チュニジ

ア、トルコ、ギリシャなどへの出張を行っ

た。また、博物館や図書館の所蔵資料の調

査および海外研究者との交流、学術報告書

執筆に関する打ち合わせなどのためフラン

スへの出張も行った。それぞれの出張は、

研究会での研究発表や学術報告書の中に反

映されている(写真三)。

五 

アラビア語書籍の購入

 

この事業における書籍購入は、日本の図

書館で所蔵していない図書の収集が求めら

れるということで、カイロにおいて、イス

ラーム考古学、建築、美術関係のアラビア

語図書の購入を行った。これらの分野にお

ける研究はこれまで欧米に先導されていた

が、今回の書籍の購入は、現地で行われて

いる研究成果を取り上げて紹介するという

目的に即したものである。

おわりに

 

以上のように、四年半に及ぶ拠点強化事

業では、実に多くの研究者にご参加いただ

き、在野の研究者も含めた末広がりの事業

展開を行うことができた。

 

二〇〇八年三月、板垣先生、佐藤先生と

ともにクウェイトを訪問した際(写真四、

五)、今は亡き佐藤先生とホテルで食事をと

りながら「生活文化」の視点に即したイス

ラーム文化研究のあり方について語り合っ

たことを懐かしく思い出す。一緒にクウェ

イトのスークを歩きながら、先生が研究を

されていた聖イブラーヒーム伝説に関係す

るサマク・ムーサや、当時執筆中であられ

た砂糖に関連してナツメヤシから作る甘味

料ディブスなどをスークで捜しておられる

のを目の当たりにして、その学問的情熱の

深さと幅の広さに頭が下がる思いであった。

「私が興味を持っているので、皆さんが方々

で撮ってきたサマク・ムーサの写真をくだ

さるんです」というお言葉に、多くの方達

に敬愛されていた先生のお人柄が偲ばれる。

その時に撮って差し上げた、先生のご著書

『砂糖のイスラーム世界史』に掲載されてい

るディブスの写真を見るたびに思い出す。

あらためて先生のご冥福をお祈りしたい。

写真3 フスタート遺跡倉庫にて(2009年7月)

写真5 クウェイトの魚市場(2008年3月) 写真4 クウェイト、カーズィマ遺跡にて、佐藤先生とスルターン氏    (2008年3月)