『児戯笑談』 : 解題と翻刻(二) · 九州大学学術情報リポジトリ kyushu...
TRANSCRIPT
九州大学学術情報リポジトリKyushu University Institutional Repository
『児戯笑談』 : 解題と翻刻(二)
脇山, 真衣伊万里特別支援学校
http://hdl.handle.net/2324/1916253
出版情報:文獻探究. 55, pp.38-53, 2017-03-31. 文献探究の会バージョン:権利関係:
『児戯笑談』
解題と翻刻(一)
脇
山
真
衣
解
題
『児戯笑談』(寛延二年刊)は近世中期に活躍した庶民教導家、中
村三近子の作品である。徳川吉宗の改革によって庶民教化の機運が高
まった享保年間、佚斎樗山のような談義本の嚆矢ともいわれる人物が
登場したことは、はやく三田村鳶魚『教化と江戸文学』(大東出版社、
一九四二年)でも言及されるが、この他にも、京で神道講釈を行った
増穂残口や俳人常盤潭北、本論で後に言及する大坂の田中友水子など、
数多くの庶民教導家が登場する。その中の一人が京で庶民教導に精を
尽くした中村三近子である。
中村三近子。京都の人。号絅け
い
錦きん
斎さい
、称平吾、名一蒼、通称勘介、一
時名を一載とした。寛文十一年(一六七一)、平姓、式部少輔の家に
生まれ、寛保元年(一七四一)に没する。幼少期に山崎闇斎に師事し、
宝永五年(一七〇八)頃から二年ほど尾張に出仕した後、京で三近堂
なる私塾を開いたとみられる。『類聚名物考』(
1)
には
三近子
●享保の比、京都の士なり。中村平五と云ふ。三近子は
別號也。又は絅錦齋とも云へり。印章に楊居家印と云ふ四字有り。
柳の馬場に家有しか、節用集の作なり。道の紀も有り、寺子屋な
とにても有し歟。俗儒歟。
と寺子屋の師としても紹介され、著作は節用集の類や随想風教訓書な
ど三〇点近くに上る。
三近子については、中野三敏「静観房まで―
談義本研究(五)」(『戯
作研究』、中央公論社、一九八一年(初出は「樗山以後、静観坊まで」
(『近世文芸研究と評論』第五集、一九七三年))がその著作の概観を示
し、和田光弘が一連の論考の中で、教育・思想史的観点から三近子の
庶民教導論を明らかにしてきたが、両氏が指摘する三近子の特徴的な
思想が「善念」である。
「善念」とは、明から伝わり、荻生徂徠が和点を施した『六諭衍義』
に現れる語である。三近子はそれを「すべての人々に備わる善を嚙み
分ける心」と解釈し、談義説法や教訓によって涵養され、「善念」が
発揮されると、学問、孝行、尊敬、和睦等の善事につながると自らの
教化論を展開する。そして、教化対象を卑賤に広げたのが『児戯笑談』
であった。『児戯笑談』で三近子はすべての人が「善念」を有する「善
人」であることを根拠に、卑賤の学問の可能性や必要性を説く。のち
の絵本『絵本清水の池』に贈った序文を見ても、三近子が卑賤の教訓
に特に力を入れていたことが見て取れる。これだけの著作を残した三
近子が示す庶民教化論は、石門心学とも近接しながら、独自の展開を
見せる。吉宗政権の教化政策が興隆した近世中期に、その教化政策は
いかにして受容されたのか。思想、そして教訓色の強い談義本などの
文学といかに関わっていたのか。それを明らかにするためにも、『児
戯笑談』はその一端を知る手がかりとして、翻刻するに足る資料であ
ろう。
以下底本の書誌について報告する。
●底本書誌
【所蔵】九州大学附属中央図書館読本コレクション
(読本Ⅱ‐4/
寛延2/ナ‐1‐1~4)
【巻冊】四巻四冊。
【刊写】刊。
【書型】半紙本。縦二二、四糎×横一五、七糎
【表紙】紺色無地。原装。
【題簽】「児戯笑談
児(~談)」。刷題簽、子持ち枠、左肩貼付、
原装。
【序文】「児戯笑談序」寛延己巳冬十月
鈍全
【内題】「児戯笑談巻之一(~四)」
全巻二行目下に「中村平吾三近子撰」
【尾題】「児戯笑談巻之一(~四)終」
【跋文】なし
【刊記】寛延二年巳霜月
江戸通本町三丁目
西村源六
京堀川通錦小路上ル町
西村市郎右衛門
【広告】「射法一流」「六諭衍義大意」など全四十一点
末尾に「京都書林
西村市郎右衛門」
最終丁頭に「中村三近子選述
俗字指南車
全一冊
板行出来
六諭衍義小意
三冊
同出来
児戯笑談外篇
四冊
追而板行」
【構成】巻一
序文二丁、本文一九丁
巻二
本文一七丁
巻三
本文一七丁
巻四
本文一七丁、広告一丁、刊記一丁
【匡郭】四周単辺
【柱刻】「児戯笑談巻一(~四)」
注
(1)山岡浚明編、宝暦三年~安永九年にかけて編纂された類書。(古典文学大事
典第6巻)引用は、歴史図書社『類聚名物考1』巻四十二
人物部十一
名
家儒術
昭和四十九年、七〇三頁により、適宜句読点を補った。
-38-
の絵本『絵本清水の池』に贈った序文を見ても、三近子が卑賤の教訓
に特に力を入れていたことが見て取れる。これだけの著作を残した三
近子が示す庶民教化論は、石門心学とも近接しながら、独自の展開を
見せる。吉宗政権の教化政策が興隆した近世中期に、その教化政策は
いかにして受容されたのか。思想、そして教訓色の強い談義本などの
文学といかに関わっていたのか。それを明らかにするためにも、『児
戯笑談』はその一端を知る手がかりとして、翻刻するに足る資料であ
ろう。
以下底本の書誌について報告する。
●底本書誌
【所蔵】九州大学附属中央図書館読本コレクション
(読本Ⅱ‐4/
寛延2/ナ‐1‐1~4)
【巻冊】四巻四冊。
【刊写】刊。
【書型】半紙本。縦二二、四糎×横一五、七糎
【表紙】紺色無地。原装。
【題簽】「児戯笑談
児(~談)」。刷題簽、子持ち枠、左肩貼付、
原装。
【序文】「児戯笑談序」寛延己巳冬十月
鈍全
【内題】「児戯笑談巻之一(~四)」
全巻二行目下に「中村平吾三近子撰」
【尾題】「児戯笑談巻之一(~四)終」
【跋文】なし
【刊記】寛延二年巳霜月
江戸通本町三丁目
西村源六
京堀川通錦小路上ル町
西村市郎右衛門
【広告】「射法一流」「六諭衍義大意」など全四十一点
末尾に「京都書林
西村市郎右衛門」
最終丁頭に「中村三近子選述
俗字指南車
全一冊
板行出来
六諭衍義小意
三冊
同出来
児戯笑談外篇
四冊
追而板行」
【構成】巻一
序文二丁、本文一九丁
巻二
本文一七丁
巻三
本文一七丁
巻四
本文一七丁、広告一丁、刊記一丁
【匡郭】四周単辺
【柱刻】「児戯笑談巻一(~四)」
注
(1)山岡浚明編、宝暦三年~安永九年にかけて編纂された類書。(古典文学大事
典第6巻)引用は、歴史図書社『類聚名物考1』巻四十二
人物部十一
名
家儒術 昭和四十九年、七〇三頁により、適宜句読点を補った。
-39-
凡
例
一、本文には適宜、句読点、濁点、半濁点を付した。
一、字体は通行のものに改めた。
一、畳字は「ゝ」「ゞ」「々」等で表し、二字以上は「〳〵」「〴〵」
で表した。
一、ルビと送り仮名の一部が重複している箇所はそのまま翻字した。
一、本文・ルビ中の不審箇所には、ルビ中に(ママ)と記した。
一、本文・ルビのうち、虫食いによって判読不能な箇所は架蔵本『児
戯笑談
戯』(刊記不明)にて補った。
一、丁うつりは、」(丁数・オ/ウ)とし、原則底本の丁付に従った。
一、敬意を示す闕字は反映していない。
一、漢字に濁点があり、かつルビの無いものには、ルビの位置に(
)
を付し、ひらがなで読みを記した。
児戯笑談序
三教四庫の書はさら也、詩歌諸芸の巻々、大和唐土むなきにみち、牛
にあせする事いふもふるし。其書籍ことに序なきはまれ也。三近子の
あめる理会集のはしに一言をかうふらしめよ、とすゝめられ、辞する
もかへりておこがましく、まづ、一覧の一冊に始終をしはかられ、面
白草と名づけ給はん哉、とたはむれければ、はや児戯笑談と題せしよ
しを聞、例の興吟を書付るのみ。
すみ濁り世のものすきは題号のゑいとあしとにさうらふの水
寛延己巳冬十月
鈍全□印(「蘭」)
本
文
児戯笑談巻之一
中村平吾三近子撰
学がく
問もん
といふ物、万ま
ん
巻くわん
の書を積つ
み
ならべて見るを学問とはいふべからず。
たとひ百年の星と
し
霜つき
を経へ
て
普あまねく
く見亘わ
た
したりとも労ら
う
して功なし。米を粒り
う
々〳〵
磨とき
精しら
げるが如し。一ひ
と
臼うす
に壱斗の米は
凡をよそ
五六十万粒も有べし。杵き
ね
の数か
ず
二三百度にて、粒り
う
々〳〵
まんべんに
精しらげ
となる。古人の書一書なりとも杵に
して見るならば、百万巻の書ともいへ、みな融ゆ
通づう
して片か
た
行ゆき
は有まじ。太た
い
平へい
御ご
覧らん
・文ぶ
ん
献けん
通つう
考かう
・百
ひやく
川せん
学がく
海かい
・三さ
ん
才さい
図づ
会ゑ
・通つ
う
史し
などの書を見よ。皆頬ほ
う
を」(1・オ)顔か
ほ
へ直な
を
したるごとく、文字の居を
き
所どころ
を替か
へ
たるまでなり。
見ずとも事の欠か
く
べき品し
な
にあらず。
古より
膠ことぢに
レ
柱にかわする
といふ語ご
あり。
柱ことぢ
は十三の駒こ
ま
ありて、あなたこ
なたへうつして音ね
をとり、調て
う
子し
を合する物也。膠
にかわ
を付ておけば、調て
う
子し
くるふて琴こ
と
にあらず。人に
ん
間げん
の
生むまれ
稟つき
には賢け
ん
愚ぐ
智ち
鈍どん
をはじめ、得ゑ
手て
不ふ
得ゑ
手て
避す
愛き
禁きらひ
百千万差し
や
あり。それにいかに善ぜ
ん
事じ
なればとて、
生むまれ
質つき
の目かり
もなく、めつそうに学問をせよ〳〵とせこを入るゝ時は、善事がうる
さくなりて、結け
つ
句く
邪よこしま
になるべし。無二無三に学問をすゝむれば、柱
ことぢ
に
膠にかわ
して調子の
違たがふ
」(1・ウ)がごとし。
元もと
より学が
く
問もん
の道、四し
書しよ
六りく
経けい
の文も
ん
義ぎ
をさとし、古こ
事じ
来らい
歴れき
をよく覚お
ぼ
え、
古人の行か
う
跡せき
にのつとり、能よ
く
節せつ
義ぎ
を守ま
も
るを学が
く
問もん
といふ事、是は何かあら
ん。無む
上じやう
の学問といふべし。しかれども、さやうの綿密
めんみつ
の学問は、百
人が九十八人もつとめぬものなれば、畢
竟
ひっきやう
せまくして、諸人のために
成がたし。人間には相さ
う
応をう
にとりゑといふものあり。其とりゑある所よ
り身み
を脩を
さ
め、生せ
い
理り
を
勤つとむ
るすぢ、得と
く
心しん
すべきおしへかた有」(2・オ)
べし。いかなる姥う
ば
嚊かゝ
の茶ち
や
のみ付合にも、某そ
ん
所じよ
その子息
む
す
こ
はだまりものに
て、親を
や
に孝か
う
行〳〵
で性せ
う
がよいといへば、座ざ
中ちう
の男な
ん
女によ
もよい事は
魂たましゐ
によい
としるが
平びやう
等どう
ゆへ、誰た
れ
々〳〵
も是を聞き
い
て心中にうらやましくおもふ所は、
人々すべて、善ぜ
ん
念ねん
をそなへしゆへなり。其善ぜ
ん
念ねん
を事じ
々ゝ物も
つ
々〳〵
にうつすや
うに
心こゝろ
得へ
たる時は、是直す
ぐ
に学問也。
夷ゐ
中なか
ものは、
生むまれ
質つき
律りつ
儀ぎ
にして
偽いつわ
りなし。知れる人の家い
へ
に、奥お
く
丹たん
波ば
よりはじめて京へのぼりたる
百ひやく
性しやう
の
客きやく
あり。長兵衛となんいひしと
ぞ。」(2・ウ)今日
け
ふ
は日和
ひ
よ
り
もよしとて、かの長兵衛を四条で
う
がはらの芝し
ば
居ゐ
へやりけり。その時分、大を
ゝ
友とも
の真ま
鳥とり
の狂け
う
言げん
、殊こ
と
に大あたりにて、狂け
う
言げん
な
がく、長兵衛も日ぐれ過にかへれり。宿や
ど
の亭て
い
主しゆ
が、長兵衛殿はいかふ
おそく帰か
へ
り給ふと云ければ、されば其事
候(ぞろ)
。国もよく
治おさま
りて、何の
事もなかりし時、すみ前ま
へ
髪がみ
の男いでゝ、それより国もみだれ、もんだ
いもなく入い
り
組くみ
候ゆへ、かやうに暮く
れ
に及を
よ
びたり。角す
み
前まへ
髪がみ
さへ出い
で
申さねば、
我われ
々〳〵
もはやく四つ時にはかへり申にて候、と語か
た
り」(3・オ)しとぞ。
田舎
ゐ
な
か
の風俗
ふうぞく
おかしきはなしのやうなれども、かくのごとく質し
っ
素そ
淳じゆん
直ちよく
なる所に思し
慮りよ
を付れば、善ぜ
ん
にすゝむの学問の一い
つ
端たん
といふべし。
尺せき
蠖くわく
之の
屈かゞめるは
欲
のびんことを
レ
伸ほつす
といふて、喩
たとへ
ば
尺しやく
とり虫む
し
の背せ
を立てゝ屈か
ゞ
むは、伸の
び
て先さ
き
へ前す
ゝ
みゆかんがためなり。人間の万事屈伸
くつしん
の外なし。俚り
諺げん
に、一寸伸の
び
れば尋ひ
ろ
伸るといへり。易ゑ
き
に吉き
つ
凶けう
悔くわい
吝りん
をいひて、人生
じんせい
の万
事吉き
つ
は一にして凶け
う
は三つといへども、克よ
く
たちかへりて工く
夫ふう
を付れば、
吉にして伸の
ぶ
る方は多お
ゝ
く、凶け
う
にして屈か
ゞ
む方はすくなしと見えたり。」(3・
ウ)雨う
天てん
三日つゞけば、諸人
慵ものう
く思ひ、十日の
快くわい
晴せい
にはいさゝか気
を屈する人なし。人間の盛せ
い
衰すい
常つね
に屈か
ゞ
んで伸の
び
る事は希ま
れ
なり、と思へ共、
-40-
して見るならば、百万巻の書ともいへ、みな融ゆ
通づう
して片か
た
行ゆき
は有まじ。太た
い
平へい
御ご
覧らん
・文ぶ
ん
献けん
通つう
考かう
・百
ひやく
川せん
学がく
海かい
・三さ
ん
才さい
図づ
会ゑ
・通つ
う
史し
などの書を見よ。皆頬ほ
う
を」(1・オ)顔か
ほ
へ直な
を
したるごとく、文字の居を
き
所どころ
を替か
へ
たるまでなり。
見ずとも事の欠か
く
べき品し
な
にあらず。
古より
膠ことぢに
レ
柱にかわする
といふ語ご
あり。
柱ことぢ
は十三の駒こ
ま
ありて、あなたこ
なたへうつして音ね
をとり、調て
う
子し
を合する物也。膠
にかわ
を付ておけば、調て
う
子し
くるふて琴こ
と
にあらず。人に
ん
間げん
の
生むまれ
稟つき
には賢け
ん
愚ぐ
智ち
鈍どん
をはじめ、得ゑ
手て
不ふ
得ゑ
手て
避す
愛き
禁きらひ
百千万差し
や
あり。それにいかに善ぜ
ん
事じ
なればとて、
生むまれ
質つき
の目かり
もなく、めつそうに学問をせよ〳〵とせこを入るゝ時は、善事がうる
さくなりて、結け
つ
句く
邪よこしま
になるべし。無二無三に学問をすゝむれば、柱
ことぢ
に
膠にかわ
して調子の
違たがふ
」(1・ウ)がごとし。
元もと
より学が
く
問もん
の道、四し
書しよ
六りく
経けい
の文も
ん
義ぎ
をさとし、古こ
事じ
来らい
歴れき
をよく覚お
ぼ
え、
古人の行か
う
跡せき
にのつとり、能よ
く
節せつ
義ぎ
を守ま
も
るを学が
く
問もん
といふ事、是は何かあら
ん。無む
上じやう
の学問といふべし。しかれども、さやうの綿密
めんみつ
の学問は、百
人が九十八人もつとめぬものなれば、畢
竟
ひっきやう
せまくして、諸人のために
成がたし。人間には相さ
う
応をう
にとりゑといふものあり。其とりゑある所よ
り身み
を脩を
さ
め、生せ
い
理り
を
勤つとむ
るすぢ、得と
く
心しん
すべきおしへかた有」(2・オ)
べし。いかなる姥う
ば
嚊かゝ
の茶ち
や
のみ付合にも、某そ
ん
所じよ
その子息
む
す
こ
はだまりものに
て、親を
や
に孝か
う
行〳〵
で性せ
う
がよいといへば、座ざ
中ちう
の男な
ん
女によ
もよい事は
魂たましゐ
によい
としるが
平びやう
等どう
ゆへ、誰た
れ
々〳〵
も是を聞き
い
て心中にうらやましくおもふ所は、
人々すべて、善ぜ
ん
念ねん
をそなへしゆへなり。其善ぜ
ん
念ねん
を事じ
々ゝ物も
つ
々〳〵
にうつすや
うに
心こゝろ
得へ
たる時は、是直す
ぐ
に学問也。
夷ゐ
中なか
ものは、
生むまれ
質つき
律りつ
儀ぎ
にして
偽いつわ
りなし。知れる人の家い
へ
に、奥お
く
丹たん
波ば
よりはじめて京へのぼりたる
百ひやく
性しやう
の
客きやく
あり。長兵衛となんいひしと
ぞ。」(2・ウ)今日
け
ふ
は日和
ひ
よ
り
もよしとて、かの長兵衛を四条で
う
がはらの芝し
ば
居ゐ
へやりけり。その時分、大を
ゝ
友とも
の真ま
鳥とり
の狂け
う
言げん
、殊こ
と
に大あたりにて、狂け
う
言げん
な
がく、長兵衛も日ぐれ過にかへれり。宿や
ど
の亭て
い
主しゆ
が、長兵衛殿はいかふ
おそく帰か
へ
り給ふと云ければ、されば其事
候(ぞろ)
。国もよく
治おさま
りて、何の
事もなかりし時、すみ前ま
へ
髪がみ
の男いでゝ、それより国もみだれ、もんだ
いもなく入い
り
組くみ
候ゆへ、かやうに暮く
れ
に及を
よ
びたり。角す
み
前まへ
髪がみ
さへ出い
で
申さねば、
我われ
々〳〵
もはやく四つ時にはかへり申にて候、と語か
た
り」(3・オ)しとぞ。
田舎
ゐ
な
か
の風俗
ふうぞく
おかしきはなしのやうなれども、かくのごとく質し
っ
素そ
淳じゆん
直ちよく
なる所に思し
慮りよ
を付れば、善ぜ
ん
にすゝむの学問の一い
つ
端たん
といふべし。
尺せき
蠖くわく
之の
屈かゞめるは
欲
のびんことを
レ
伸ほつす
といふて、喩
たとへ
ば
尺しやく
とり虫む
し
の背せ
を立てゝ屈か
ゞ
むは、伸の
び
て先さ
き
へ前す
ゝ
みゆかんがためなり。人間の万事屈伸
くつしん
の外なし。俚り
諺げん
に、一寸伸の
び
れば尋ひ
ろ
伸るといへり。易ゑ
き
に吉き
つ
凶けう
悔くわい
吝りん
をいひて、人生
じんせい
の万
事吉き
つ
は一にして凶け
う
は三つといへども、克よ
く
たちかへりて工く
夫ふう
を付れば、
吉にして伸の
ぶ
る方は多お
ゝ
く、凶け
う
にして屈か
ゞ
む方はすくなしと見えたり。」(3・
ウ)雨う
天てん
三日つゞけば、諸人
慵ものう
く思ひ、十日の
快くわい
晴せい
にはいさゝか気
を屈する人なし。人間の盛せ
い
衰すい
常つね
に屈か
ゞ
んで伸の
び
る事は希ま
れ
なり、と思へ共、
-41-
諸人足る事をしらぬゆへ、一生を
誤あやま
りて過す
ぐ
ることおほし。卑ひ
劣れつ
なる
譬たとへ
なれども、此書し
よ
は一い
つ
向かう
下げ
賤せん
のための学問教訓なれば、上
じやう
品ひん
の人に説と
く
に
あらず。毎ま
い
年ねん
七月十四日極月晦日を二に
季き
の際き
わ
といふて、借
しやく
銭せん
乞こひ
といふ
商人
あきんど
家々
いへ〳〵
に入つどひ、別わ
け
て大晦日
をゝつごもり
の夜は夜半過まで催さ
い
促そく
してせがみ立た
て
、
喧けん
𠵅𠵅くわ
たら〴〵罵め
詈り
悪口、つかみ」(4・オ)合て立腹する時は、卑ひ
賤せん
と
して身も縮ち
ゞ
まり、屈か
ゞ
みて断だ
ん
末まつ
魔ま
の苦をなし、土の底そ
こ
へも入たき心こ
ゝ
地ち
す
る分あ
り
野さま
なり。かやうの体て
い
を嵯さ
峨が
の安あ
ん
入にう
といへる誹は
い
諧かい
師し
が
今いま
こゝにしばし死たき年と
し
の暮く
れ
卑ひ
賤せん
の
正しやう
直ぢき
にして突つ
き
詰つめ
たるものは、此瀬せ
にたへかねて自じ
害がい
に及び、縊く
び
れて死する者あり。近ち
か
比ごろ
文もん
盲もう
なる意い
気き
方かた
のこり多き事なり。宿よ
べ
まで果は
た
し
眼まなこ
に成たる
借しやく
銭せん
こひも、一天開ひ
ら
けて
元ぐわん
日にち
になれば、麻あ
さ
上下をいた
め付、」(4・ウ)先刻まで忿い
か
りたる顔もせず、御慶目出たく若やぎ給
ふとて、ゑがほよく祝義をのぶ。これ節季き
には、一日か三時ばかりの
間は屈か
ゞ
むといへども、明れば長閑
の
ど
か
にのび〳〵となる、又五十日も百日
も伸る品、これ一寸のびれば尋ひ
ろ
のびるの
理ことは
り、いやといはれず。然れ
ば、命はものだね、暫し
ば
しの苦痛
く
つ
う
を心し
ん
法ぼう
してかんにんすれば、又天のめ
ぐみにあふべき事ぞかし。此屈く
つ
伸しん
の道理をよく〳〵学問して
堪こたへ
るが
下賤
げ
せ
ん
の道なるべし。貧ひ
ん
家か
一飯の助た
す
けなしと」(5・オ)いへども、心を紊み
だ
さねば、塩をなめても七百日は性せ
い
命をたもつといへり。其日数のうち
には、などか天報ぽ
う
の助た
す
けなからんや。
楠くすのき
が水舟を三百軒の筧と
ゆ
になら
べて六十日の間には、などか雨降ふ
らざらんやと謀は
か
りし格か
く
也。
大黒こ
く
恵ゑ
美び
須す
の両神は福ふ
く
の神なれば、朝て
う
夕せき
に灯と
う
明めう
御み
酒き
などさゝげて、随ず
い
分ぶん
丹たん
誠せい
して福徳を祈い
の
るべし。遅ち
速そく
ははかるべからず。かならず納の
ふ
受じゆ
あ
るべし。丹た
ん
誠せい
になりては、曽か
つ
てむなしからざるもの也。勿も
ち
論ろん
古こ
釈しやく
なる
人は大黒神に」(5・ウ)福をいのる事、愚ぐ
痴ち
の至い
た
りとあざけり。大黒
にむかひて我身の勝手づくを
祈いのり
たりとも、労ら
う
して功あるまじきとてあ
ざわらふ人は、一理は聞えたるやうなれども、其見け
ん
識しき
もつとも未び
可か
也。
諸人ともに神に勝手づくをいのるは多お
ゝ
くは人に害が
い
妨さまたげ
ありて、己
おのれ
に益ゑ
き
あれども人に損そ
ん
がありて、利害平等
べうどう
にゆきわたらず。恵美び
須す
大黒に唯た
ゞ
福
をいのる事、第一人に害が
い
なし。人に害なき祈りは仁じ
ん
道どう
より出るといへ
り。古こ
釈しやく
人が身勝手と笑へども、天下の」(6・オ)人いづれか身の勝
手を思はざる者あらんや。後生ねがひ、仏の誓せ
い
願ぐわん
によりて、われら臨り
ん
終じう
に断だ
ん
末まつ
魔ま
の苦く
患げん
もなく、すぐに安あ
ん
楽らく
浄じやう
土ど
に成仏ぶ
つ
するやうにといふ
は、皆身の勝手にあらずしてなんぞや。善事はもとより盗と
う
賊ぞく
をするも、
皆身の勝手よりする事なるべし。同じ身勝手ならば、他人に少も
妨さまたげ
の
なき大黒神にいのりて、上見ぬ鷲わ
し
とさかへたらば、中々おもしろかる
べし。
梅干のはなしを聞ば、忽
たちま
ち口に津涎がたまる。」(6・ウ)是を感か
ん
通つう
といへり。むかいに離は
な
れ居る人の口上に唾つ
がたまるといふ物は、梅干
は酸す
い
といふ実が有ゆへ、端た
ん
的てき
に感通す。これを梅酸さ
ん
の渇か
つ
と名づく。軍
事は元より平日急所にはしるに、息絶
いきゞれ
の時梅干を思へば、そのまゝ口
中にうるほひ出来る事、菅か
ん
神じん
の発は
つ
明めい
し給ふよりおこれり。殊に天神は
梅を好こ
の
ませ給ひ、塩ゑ
ん
梅ばい
の臣とも仰あ
ふ
ぎ奉りし故に、丹誠の実を以て祈い
の
れ
ば、梅酸の口にうつりて感通利生、端的ならずといふ事なし。」(7・
オ)神前には鏡をかけて、邪じ
や
生しやう
曲きよく
直ちよく
を示す。かゞみは向はねばうつ
らず。梅干は向ふに及ばず。臥ふ
し
て居ながら一念ね
ん
思ひ出しても、其まゝ
うつりて津のたまるを理の
み
会こむ
べし。此実といふ物を
慮おもんぱか
るが学問にして、
外に
需もとむ
る事にあらず。いとたふとき事也。
人間におしなべて一代の
守まもり
本ほん
尊ぞん
といふが有て、其身を守し
ゆ
護ご
し給ふの
よし也。是程たしかなる守護は有べからず。殊に大日不動
観くわん
音おん
普賢な
どいへる奇す
ぐ
れたる一枚看板の仏」(7・ウ)菩ぼ
薩さつ
たちが乗うつりて付つ
き
添そひ
給
ふに、いかなれば悪あ
く
逆ぎやく
不道をなし、家や
ゝ
焼き
人殺盗賊蜜み
つ
夫ぷ
などいふ大それ
たる事を仕出し、多た
病べう
早そう
世せい
貧ひん
苦く
横わう
難なん
の不幸のかぎりなし。これらを守本ほ
ん
尊ぞん
として見給ひながら、きよろりとして居給ひ、今はこふよと見へし
場も極す
く
はず、むなしく見のがしにし給ふ事、何を守り給ふ事ぞ。不審し
ん
は
れがたし。人間にても、或は喧け
ん
𠵅𠵅くわ
口こう
論ろん
の場に行かゝりては、双方無事
に取納め、武士たるものは時宜によりて」(8・オ)助太刀をなす。ま
して況い
わ
んや守本尊をや。男女の色にせまりて、心中とて、二つともな
きいのちをたがいにつきつらぬかれて死する程の場ば
所しよ
に、守本尊は何
をして居給ふ事ぞ。大経師おさん茂兵衛が蜜ま
夫をとこ
の時分も、おさんは勢せ
い
至し
菩ぼ
薩さつ
、茂兵衛は普ふ
賢げん
菩ぼさつ
が守り本尊のよし、一代のつき添そ
ひ
なれば、た
ま〳〵本尊衆留る
守す
なる事もある内に、蜜夫せまじき物にもあらず。其
後ながき牢ら
う
舎しや
、さて、御お
仕し
置をき
の時分いかなりとも守り本尊」(8・ウ)
かけ付て、こゝは助た
す
け給ふ筈は
づ
なるに、やはりその通りに見捨す
て
給ふは守
本尊の役義がたゝぬ事ぞ。かくいへばとて、わる口にても理り
屈くつ
ばりて
詰なじる
といふにあらず。学問の道究き
う
理り
といひて、
疑うたがは
しき事はいづく迄も
繹たづね
究きは
むるを格か
く
物ぶつ
致ち
知ゝといへり。僧に問へば、悪人貧ひ
ん
者じや
には守本尊もの
き給ふといへり。それは近比水くさき挨あ
い
拶さつ
仏ほとけ
も縁ゑ
り
に付給ふ道ど
う
理り
なり。
善人はさして加く
は
ふる事もなきゆへ、守し
ゆ
護ご
に及ばず。悪人にこそ守りに」
(9・オ)油ゆ
断だん
なく、不道をさせぬやうに世話やきたまふこそ本意なる
べし。かしくといへる辻放ほ
う
下か
が、人間一代の守本尊は仏ぶ
つ
菩ぼさつ
より飯と汁
との二つ也。貴き
賤せん
ともに此二つの守り本尊に見かぎらるゝと、此世の
暇いとま
乞ごひ
といひしは名め
い
言ごん
なり。
文字の数三万三千字の多を
ゝ
き中に、勤の一字こそ人間一生の守本尊な
るべし。天道の運う
ん
旋せん
一息の間か
ん
断だん
なく、さもいそがわしき勤なり。地に在あ
つ
て川せ
ん
流りう
昼ちう
夜や
を不す
てレ
舎ざる
の」(9・ウ)もやう、君と成ては日夜臣し
ん
民みん
を哀あ
い
憐れん
撫ぶ
育いく
するの勤め、臣としては陰日なたなくつとめ、農の
う
工かう
商しやう
も面々の生す
ぎ
理わひ
を勤め、僧は読ど
く
経きやう
して仏に不ふ
退たい
の勤き
ん
行ぎやう
をなし、女は縫針をつとめ、
たとひ貧ひ
ん
人菰こ
も
かぶりともいへ、正
しやう
道どう
律りつ
義を守りて、人の情を囉も
ら
嚌ふ
て今
日を助かり、勤て油ゆ
断だん
なければ、終つ
ゐ
には天報ぽ
う
の
祥さいわい
を得う
る事、これ勤
-42-
事は元より平日急所にはしるに、息絶
いきゞれ
の時梅干を思へば、そのまゝ口
中にうるほひ出来る事、菅か
ん
神じん
の発は
つ
明めい
し給ふよりおこれり。殊に天神は
梅を好こ
の
ませ給ひ、塩ゑ
ん
梅ばい
の臣とも仰あ
ふ
ぎ奉りし故に、丹誠の実を以て祈い
の
れ
ば、梅酸の口にうつりて感通利生、端的ならずといふ事なし。」(7・
オ)神前には鏡をかけて、邪じ
や
生しやう
曲きよく
直ちよく
を示す。かゞみは向はねばうつ
らず。梅干は向ふに及ばず。臥ふ
し
て居ながら一念ね
ん
思ひ出しても、其まゝ
うつりて津のたまるを理の
み
会こむ
べし。此実といふ物を
慮おもんぱか
るが学問にして、
外に
需もとむ
る事にあらず。いとたふとき事也。
人間におしなべて一代の
守まもり
本ほん
尊ぞん
といふが有て、其身を守し
ゆ
護ご
し給ふの
よし也。是程たしかなる守護は有べからず。殊に大日不動
観くわん
音おん
普賢な
どいへる奇す
ぐ
れたる一枚看板の仏」(7・ウ)菩ぼ
薩さつ
たちが乗うつりて付つ
き
添そひ
給
ふに、いかなれば悪あ
く
逆ぎやく
不道をなし、家や
ゝ
焼き
人殺盗賊蜜み
つ
夫ぷ
などいふ大それ
たる事を仕出し、多た
病べう
早そう
世せい
貧ひん
苦く
横わう
難なん
の不幸のかぎりなし。これらを守本ほ
ん
尊ぞん
として見給ひながら、きよろりとして居給ひ、今はこふよと見へし
場も極す
く
はず、むなしく見のがしにし給ふ事、何を守り給ふ事ぞ。不審し
ん
は
れがたし。人間にても、或は喧け
ん
𠵅𠵅くわ
口こう
論ろん
の場に行かゝりては、双方無事
に取納め、武士たるものは時宜によりて」(8・オ)助太刀をなす。ま
して況い
わ
んや守本尊をや。男女の色にせまりて、心中とて、二つともな
きいのちをたがいにつきつらぬかれて死する程の場ば
所しよ
に、守本尊は何
をして居給ふ事ぞ。大経師おさん茂兵衛が蜜ま
夫をとこ
の時分も、おさんは勢せ
い
至し
菩ぼ
薩さつ
、茂兵衛は普ふ
賢げん
菩ぼさつ
が守り本尊のよし、一代のつき添そ
ひ
なれば、た
ま〳〵本尊衆留る
守す
なる事もある内に、蜜夫せまじき物にもあらず。其
後ながき牢ら
う
舎しや
、さて、御お
仕し
置をき
の時分いかなりとも守り本尊」(8・ウ)
かけ付て、こゝは助た
す
け給ふ筈は
づ
なるに、やはりその通りに見捨す
て
給ふは守
本尊の役義がたゝぬ事ぞ。かくいへばとて、わる口にても理り
屈くつ
ばりて
詰なじる
といふにあらず。学問の道究き
う
理り
といひて、
疑うたがは
しき事はいづく迄も
繹たづね
究きは
むるを格か
く
物ぶつ
致ち
知ゝといへり。僧に問へば、悪人貧ひ
ん
者じや
には守本尊もの
き給ふといへり。それは近比水くさき挨あ
い
拶さつ
仏ほとけ
も縁ゑ
り
に付給ふ道ど
う
理り
なり。
善人はさして加く
は
ふる事もなきゆへ、守し
ゆ
護ご
に及ばず。悪人にこそ守りに」
(9・オ)油ゆ
断だん
なく、不道をさせぬやうに世話やきたまふこそ本意なる
べし。かしくといへる辻放ほ
う
下か
が、人間一代の守本尊は仏ぶ
つ
菩ぼさつ
より飯と汁
との二つ也。貴き
賤せん
ともに此二つの守り本尊に見かぎらるゝと、此世の
暇いとま
乞ごひ
といひしは名め
い
言ごん
なり。
文字の数三万三千字の多を
ゝ
き中に、勤の一字こそ人間一生の守本尊な
るべし。天道の運う
ん
旋せん
一息の間か
ん
断だん
なく、さもいそがわしき勤なり。地に在あ
つ
て川せ
ん
流りう
昼ちう
夜や
を不す
てレ
舎ざる
の」(9・ウ)もやう、君と成ては日夜臣し
ん
民みん
を哀あ
い
憐れん
撫ぶ
育いく
するの勤め、臣としては陰日なたなくつとめ、農の
う
工かう
商しやう
も面々の生す
ぎ
理わひ
を勤め、僧は読ど
く
経きやう
して仏に不ふ
退たい
の勤き
ん
行ぎやう
をなし、女は縫針をつとめ、
たとひ貧ひ
ん
人菰こ
も
かぶりともいへ、正
しやう
道どう
律りつ
義を守りて、人の情を囉も
ら
嚌ふ
て今
日を助かり、勤て油ゆ
断だん
なければ、終つ
ゐ
には天報ぽ
う
の
祥さいわい
を得う
る事、これ勤
-43-
の一字は一生の守り本尊にして、人倫り
ん
の
魁さきがけ
の学問なり。されば勤の
字を大原大明神託た
く
して曰、」(10・オ)
折を待ず時をしらぬはあわれなり
勤めてもみよ暮く
るゝ日やなき
古人の学問にすゝめる語に、最初
さいしょ
に学ぶ事の正せ
い
、其次つ
ぎ
は
志こゝろざし
を立る、
此二つを第一にときいましめたり。志をたつるは善悪にあるべき事也。
諸芸ともに先づ正た
ゞ
しき流り
う
義を吟味して、夫そ
れ
から志をたてゝ、怠た
い
慢まん
なく稽け
い
古するが干か
ん
要やう
なり。すぐならぬ道、よろしからぬ芸など、吟味もなく
ふか〳〵と習な
ら
ひ、志を立る時はもとが不ふ
正せい
なる故、その道」(10・ウ)
熟じゆく
しても利する所なし。
初に吟味正た
ゞ
しくする事、大切なる事也。たとへば、下々の子共を商家
しやうか
の町人へ年季き
奉公をさせるに、親方をも吟味せずして奉公に出す時は、
其町家身
上
しんしやう
もよろしく、万ば
ん
端たん
倹けん
約やく
をもちいておごる事なき家へ年季き
つ
とむれば、身上を別にもちかため、親方同前にもなる事也。かやうな
るは学ぶ事正た
ゞ
しき類なり。又町家としておごりを極め、遊ゆ
ふ
楽らく
遊女ぐる
ひなどに放は
う
埓らつ
なるを親方にいたしたる時は、年季」(11・オ)つとめお
らせても、何のやくにたゝざる仕し
廻まひ
に成て、主人のおごりを平へ
い
生ぜい
くせ
に見み
来きた
れば、其身のはて口、親をはごくみ、妻子をやしなふ事もなら
ず、貧ひ
ん
人同前になる類、これははじめまなぶ事の正しからぬ不吟味な
る所よりかくのごとし。よろづの事に学ぶ事の正しくといふ初の念ね
ん
、
第一に入る事也。学問ばかりの事とおもふべからず。
凡およそ
学問には、初学より次第に階か
い
級きう
あるべき事なり。しかし、万書教け
う
道どう
端はし
をゝくどぎ〳〵」(11・ウ)して、いづれよりまなび、いづれより
至る筋定めがたし。まづ、学問は博は
く
聞ぶん
約やく
礼れい
の二つを呑の
み
込たらば、然る
べからんか。博聞はひろく万書を閲み
亘わた
す方なれば、誰もいたし安から
ん。かの博ひ
ろ
き所を一つに引しめて、約礼にする事がおぼつかなきもの
なり。約とは千筋の藁わ
ら
といへども、手て
本もと
を縄な
は
にてからげる時は、一束
につゞまるゆへ、まづ事おほからずして、万事に処し
よ
するに労する事な
かるべし。千筋のわらを一所につかねもせず、ばら〳〵取ちらかした
る」(12・オ)までにて、何の用にもたゝざる事なれば、博聞約礼の掟
は欠か
け
まじき事なり。
往古
む
か
し
よりの
教きやう
書しよ
に、武士たらん者は一言にても異い
見けん
を聞、かりそめ
の咄しにも忠ち
う
孝かう
文武の吟味をなし、小歌三味せん等の楽ら
く
舞ぶ
ときかば、
行べからず。たとひ行かゝりても、外の事に託た
く
して
退しりぞ
くべし、との教
訓一々理を詰たる
詞ことば
なれば、教訓におゐて
加くはゝ
る事なし。しかし、武
士まじはりとても、若き者の付合に義理を談だ
ん
じ、異い
見けん
を互にいたし合
ふばかりにては、」(12・ウ)結け
つ
句く
和くわ
をうしなひ、又例れ
い
の子し
細さい
らしき異い
見けん
に来き
たかと異見に異い
名みやう
が付て、あなたこなたにても留る
守す
をつかふ様に
なりて、人じ
ん
心しん
はなれて
却かへつ
てにくしみを取る人に
ん
情じやう
なり。三近子が見け
ん
に
よらば、武士の付合に、若わ
か
き者は腕う
で
押おし
首くび
引ゝき
力ちから
業わざ
とんづ
躍をどり
つの楽ら
く
舞ぶ
の
所へ行かゝりたらば、同じく楽舞にまじわり、興け
う
を
催もよほ
し、又折々はし
まりて忠孝義理ばなしを催す時は、朋ほ
う
友ゆう
も飽あ
き
目め
なく異見も出で
来き
ばへし
て、結句利り
益やく
多おゝ
からんか。余あ
ま
り」(13・オ)古こ
工く
面めん
過すぐ
れば、人に
ん
情じやう
には
なれて独ど
く
夫ふ
の意い
気き
かた、水清き
よ
ければ魚う
を
住すま
ずの一理ならん。家中どし、
我より目め
下した
の近き
ん
親しん
などの若わ
か
き
士さむらい
五人三人などへは、異ゐ
見けん
等とう
もうつる
事あらんか。日本国の諸し
よ
士し
へは、平べ
う
等どう
にうつりがたからん。上世さへ孟も
う
子し
の大賢け
ん
に色い
ろ
を
好このむ
とあれば、孟子
少すこし
もそむかず。それこそ
尤もつとも
にて
候とて相あ
い
手て
のすき〴〵次第に教け
う
訓くん
せられしは尤なる
示しめし
なり。
或あるひと
三近子に問ていわく、貴き
下か
は山や
ま
崎さき
垂すい
加か
翁をう
の膝ひ
ざ
下もと
に育そ
だ
ち給ひしと
いへば、幼よ
う
年ねん
ともいへ、儒じ
ゆ
学がく
」(13・ウ)も少し聞はつり給はん。夫に念ね
ん
仏ぶつ
題だい
目もく
読どく
経きやう
供く
仏の経い
と
営なみ
は、面め
ん
々心一ぱいにいたすべし。せめての孝か
う
養やう
なるべしと小意ゐ
の中にも書給へり。貴下は武ぶ
門もん
なるゆへ、学問しなが
ら後ご
生しやう
をふかくねがひ給ふや。仏法をそしり給はず、すこしあまき様
に見ゆるはいかん。三近子
答こたへて
曰いわく
、古こ
語ゞに
不いやしくも
二
荀訾
そしらず
一
不いやしくも
二
荀哂
わらはず
一
といへり。
苟いやしくも
といふは麁そ
相ゝう
にして念を入れず、うか〳〵としたる手て
尓に
葉は
をいふ。わが胃ゐ
の腑ふ
に落お
ち
ず、不ぶ
案あん
内ない
なる事を、出るまかせに
訾そしり
笑わら
はぬものなり。惣じて人を訾」(14・オ)
謗そしる
といふも、能よ
く
々〳〵
内外ねんご
ろになじみて、気質し
つ
も知し
り
あひてこそ、其間か
ん
隙げき
をうかゞひ見付て謗る事
も有べし。見ずしらぬ事をそしるは、其実にあたらぬゆへ、これを滅め
つ
相そう
と名づく。殊に我々は儒じ
ゆ
者しや
にあらず、家か
業げう
の武ぶ
備び
さへ疎う
と
ければ、まし
て仏ぶ
つ
教きやう
は猶な
を
更さら
不ぶ
案あん
内ない
なり。仏書し
よ
をもしらず、不案内なる事を謗るはこ
れ滅め
つ
相そう
にあらずや。其うへ今の世に先せ
ん
祖ぞ
の忌き
日にち
命めい
日にあたりて、何を
して孝か
う
養やう
にいとなむべきや。位ゐ
牌はい
にむかいて大だ
い
学がく
朱しゆ
熹き
章しやう
句く
も読よ
ま
れま
じ。書」(14・ウ)
経きやう
春しゆん
秋じう
どころにても有まじ。念ね
ん
仏ぶつ
読どく
経きやう
の孝か
う
養やう
が
てうど相さ
う
応をふ
なるべしとおもはるゝ也。念仏題だ
い
目もく
たつとしといへども、
これをとなへて、一気をはなれたる先せ
ん
祖ぞ
の
尸しかばね
に金こ
ん
色じき
のひかりもさす
まじ。父母の忌日につくねんとして居らるゝものにあらず。後ご
生しやう
沙さ
汰た
は
暫しばら
くやめて、忌日には灯と
う
香かう
合がつ
掌しやう
の拝は
い
が似に
合あい
相応といふべし。殊に
いかなる大儒じ
ゆ
といへ、今時に死しては、其尸は寺て
ら
へならではゆくべか
らず。我わ
が
どふで遺ゆ
い
骸がい
のゆく寺の作さ
法ほう
をそしるは、血ち
を血であらふ道理。
これ
苟いやしく
も」(15・オ)
訾そしる
といふものにあらずや。右の心入ゆへ、我わ
れ
に
仏ぶつ
法ぽう
をそしるべき力り
き
量れう
なし。又世の学者として仏法は
偽いつわ
り也、なき事
なりとて、息い
き
筋すじ
をはりて世せ
話わ
をやくものあり。有たらば、何な
に
程ほど
の邪じ
や
魔ま
ぞ。
無事をいふはいか程の害が
い
ぞ。さして苦く
にもならぬ事に瞋し
ん
恚ゐ
をもやすは、
さし当り其身の損そ
ん
なるべし。
北ほく
国こく
方がた
の陪ば
い
臣しん
に家か
禄ろく
千石の
士さむらい
ありしが、無ひ
比るい
類なき
後ご
生しやう
ねがひにて
有し。たゞ一跡せ
き
に一人の男子を僧そ
う
にして、永ゑ
い
平へい
寺じ
にのぼせ、仏ぶ
つ
学がく
相
勤つとめ
」
(15・ウ)よとの事なり。親し
ん
族ぞく
家か
従じう
ともに家か
督とく
の絶ぜ
つ
する事をいたく悲か
な
し
み、さま〴〵と諫い
さ
めけれ共、かの
士さむらい
いさゝか承せ
う
引いん
せず。一子も
力ちから
お
よばず
出しゆつ
家け
となり、三年永平寺に勤き
ん
学がく
して父の方へ来れり。父もめづ
-44-
所へ行かゝりたらば、同じく楽舞にまじわり、興け
う
を
催もよほ
し、又折々はし
まりて忠孝義理ばなしを催す時は、朋ほ
う
友ゆう
も飽あ
き
目め
なく異見も出で
来き
ばへし
て、結句利り
益やく
多おゝ
からんか。余あ
ま
り」(13・オ)古こ
工く
面めん
過すぐ
れば、人に
ん
情じやう
には
なれて独ど
く
夫ふ
の意い
気き
かた、水清き
よ
ければ魚う
を
住すま
ずの一理ならん。家中どし、
我より目め
下した
の近き
ん
親しん
などの若わ
か
き
士さむらい
五人三人などへは、異ゐ
見けん
等とう
もうつる
事あらんか。日本国の諸し
よ
士し
へは、平べ
う
等どう
にうつりがたからん。上世さへ孟も
う
子し
の大賢け
ん
に色い
ろ
を
好このむ
とあれば、孟子
少すこし
もそむかず。それこそ
尤もつとも
にて
候とて相あ
い
手て
のすき〴〵次第に教け
う
訓くん
せられしは尤なる
示しめし
なり。
或あるひと
三近子に問ていわく、貴き
下か
は山や
ま
崎さき
垂すい
加か
翁をう
の膝ひ
ざ
下もと
に育そ
だ
ち給ひしと
いへば、幼よ
う
年ねん
ともいへ、儒じ
ゆ
学がく
」(13・ウ)も少し聞はつり給はん。夫に念ね
ん
仏ぶつ
題だい
目もく
読どく
経きやう
供く
仏の経い
と
営なみ
は、面め
ん
々心一ぱいにいたすべし。せめての孝か
う
養やう
なるべしと小意ゐ
の中にも書給へり。貴下は武ぶ
門もん
なるゆへ、学問しなが
ら後ご
生しやう
をふかくねがひ給ふや。仏法をそしり給はず、すこしあまき様
に見ゆるはいかん。三近子
答こたへて
曰いわく
、古こ
語ゞに
不いやしくも
二
荀訾
そしらず
一
不いやしくも
二
荀哂
わらはず
一
といへり。
苟いやしくも
といふは麁そ
相ゝう
にして念を入れず、うか〳〵としたる手て
尓に
葉は
をいふ。わが胃ゐ
の腑ふ
に落お
ち
ず、不ぶ
案あん
内ない
なる事を、出るまかせに
訾そしり
笑わら
はぬものなり。惣じて人を訾」(14・オ)
謗そしる
といふも、能よ
く
々〳〵
内外ねんご
ろになじみて、気質し
つ
も知し
り
あひてこそ、其間か
ん
隙げき
をうかゞひ見付て謗る事
も有べし。見ずしらぬ事をそしるは、其実にあたらぬゆへ、これを滅め
つ
相そう
と名づく。殊に我々は儒じ
ゆ
者しや
にあらず、家か
業げう
の武ぶ
備び
さへ疎う
と
ければ、まし
て仏ぶ
つ
教きやう
は猶な
を
更さら
不ぶ
案あん
内ない
なり。仏書し
よ
をもしらず、不案内なる事を謗るはこ
れ滅め
つ
相そう
にあらずや。其うへ今の世に先せ
ん
祖ぞ
の忌き
日にち
命めい
日にあたりて、何を
して孝か
う
養やう
にいとなむべきや。位ゐ
牌はい
にむかいて大だ
い
学がく
朱しゆ
熹き
章しやう
句く
も読よ
ま
れま
じ。書」(14・ウ)
経きやう
春しゆん
秋じう
どころにても有まじ。念ね
ん
仏ぶつ
読どく
経きやう
の孝か
う
養やう
が
てうど相さ
う
応をふ
なるべしとおもはるゝ也。念仏題だ
い
目もく
たつとしといへども、
これをとなへて、一気をはなれたる先せ
ん
祖ぞ
の
尸しかばね
に金こ
ん
色じき
のひかりもさす
まじ。父母の忌日につくねんとして居らるゝものにあらず。後ご
生しやう
沙さ
汰た
は
暫しばら
くやめて、忌日には灯と
う
香かう
合がつ
掌しやう
の拝は
い
が似に
合あい
相応といふべし。殊に
いかなる大儒じ
ゆ
といへ、今時に死しては、其尸は寺て
ら
へならではゆくべか
らず。我わ
が
どふで遺ゆ
い
骸がい
のゆく寺の作さ
法ほう
をそしるは、血ち
を血であらふ道理。
これ
苟いやしく
も」(15・オ)
訾そしる
といふものにあらずや。右の心入ゆへ、我わ
れ
に
仏ぶつ
法ぽう
をそしるべき力り
き
量れう
なし。又世の学者として仏法は
偽いつわ
り也、なき事
なりとて、息い
き
筋すじ
をはりて世せ
話わ
をやくものあり。有たらば、何な
に
程ほど
の邪じ
や
魔ま
ぞ。
無事をいふはいか程の害が
い
ぞ。さして苦く
にもならぬ事に瞋し
ん
恚ゐ
をもやすは、
さし当り其身の損そ
ん
なるべし。
北ほ
く
国こく
方がた
の陪ば
い
臣しん
に家か
禄ろく
千石の
士さむらい
ありしが、無ひ
比るい
類なき
後ご
生しやう
ねがひにて
有し。たゞ一跡せ
き
に一人の男子を僧そ
う
にして、永ゑ
い
平へい
寺じ
にのぼせ、仏ぶ
つ
学がく
相
勤つとめ
」
(15・ウ)よとの事なり。親し
ん
族ぞく
家か
従じう
ともに家か
督とく
の絶ぜ
つ
する事をいたく悲か
な
し
み、さま〴〵と諫い
さ
めけれ共、かの
士さむらい
いさゝか承せ
う
引いん
せず。一子も
力ちから
お
よばず
出しゆつ
家け
となり、三年永平寺に勤き
ん
学がく
して父の方へ来れり。父もめづ
-45-
らしく
悦よろこ
ばしく対た
い
面めん
し、さて仏ぶ
つ
学はよく
務つとめ
たりや。嘸さ
ぞ
々〳〵
たふとき事
のみにて有らん。咄は
な
しに成とも、きかん事を
欲ほつす
ると云ければ、子のい
わく、日に
ち
夜や
三年と申す星せ
い
霜そう
を、仏書し
よ
に
眼まなこ
をさらし候へば、恐を
そ
らく見残の
こ
したる書も候はず。さて〳〵仏法ぱ
う
と申ものは莫ば
く
大なる」(16・オ)
偽いつは
り
をいたしたるものにて候。釈
しやく
尊そん
の説と
き
置をき
給へる事、一つとして其実じ
つ
御座
なく、うそにてかためたるものにて候と云ければ、父大におどろき、
扨は仏法は浮う
説そ
ばかりかや。さやうの事とは、いさゝか知りわきまへ
ず、うか〳〵と暮く
ら
したる浅あ
さ
ましさよ。さやうの事ならば、其方事はい
よ〳〵道ど
う
心しん
堅けん
固ご
にして、仏学を精せ
い
出し、名め
い
僧そう
にも成り候へと、思の外展て
ん
転〴〵
の言葉なりしかば、家内のもの上下に至い
た
るまで乱ら
ん
心しん
かとおもひて、
父の顔が
ん
色しよく
をながめき。暫
しばら
くして、かの
士さむらい
申けるは、凡
をよそ
」(16・ウ)
うそといふものは世界か
い
の人かしこくして、三日とは其うそ
行をこな
はれざる
物なり。ましてうその十日とつゞきたる
例ためし
なし。しかるに仏涅槃
ね
は
ん
に入
給ひてより、凡そ三千年の
間あいだ
、其うその化ば
け
があらはれぬ仏法なれば、
誠まこと
より有がたきうそとて感か
ん
涙るい
をながせしと也。時にとりては、尤なる
理り
屈くつ
なり。又其隣り
ん
国に家禄ろ
く
弐百石ばかりの貧ひ
ん
士し
あり。男子九人ありて、
食しよく
服ふく
ともに難な
ん
儀身にせまれり。ある禅ぜ
ん
僧そう
一人来りて曰く、大勢ぜ
い
の男子
の内一人
出しゆつ
家け
にし給へ。一子出家すれば九き
う
族ぞく
」(17・オ)天に
生しやう
ずる
と申は如来
によらい
の金言にて候とすゝめけり。士し
のいわく、近比御を
志こゝろざ
し信し
ん
切せつ
にて、謝じ
や
する所を知らず候。しかし、一子出家して九き
う
族ぞく
まで天に生れ
申義ならば、釈
しやく
尊そん
の直じ
き
弟で
子し
神しん
通つう
第一とよばれし。目も
く
連れん
の母は
ゝ
は無む
間げん
地ぢ
獄ごく
に堕だ
する筈は
づ
は無こ
れレ
之なく
候。阿あ
羅ら
漢かん
の化く
わ
を受う
け
たる出家の母は
ゝ
親おや
が、地ぢ
獄ごく
に堕だ
し
てもろ〳〵の苦く
患げん
をうけられしゆへ、目も
く
連れん
もたへ忍し
の
びがたく、亡ぼ
う
母ほ
の為た
め
に盂う
蘭ら
盆ぼん
会ゑ
をまふけられしとなん。いわんや、我ら如ご
と
きの大凡ぼ
ん
下け
の人、
二子三子を」(17・ウ)出家にせし共、地獄ご
く
の釜の釜こげに成可申候
間あいだ
、
我らが子共は、やはりなじみたる武ぶ
士し
にいたし申より外に了簡け
ん
なく候
と答こ
た
へしと也。是も遁と
ん
辞じ
なるべけれ共、時にとるとては、おもしろき見け
ん
識しき
ともいふべし。
神道と
う
は、天あ
ま
津つ
日嗣つ
ぎ
の至道ど
う
を説と
き
て
崇たつと
き道、又幽ゆ
う
高かう
にしてたやすくは
入がたし。万ば
ん
国こく
にすぐれて有がたき道なり。神道は心道なり。心は仁義ぎ
の徳と
く
をそなへて、たつとく自然に正直なるものなり。神道は外ほ
か
にもと
むるにあらず。」(18・オ)心のまゝ、うら
表をもて
なくすぐなる道也。干木
もまがらず、かた衣木ぎ
もそらずとあるも、正
しやう
直ぢき
をいふ。随ず
い
分簡か
ん
古こ
なる
物なれば、上下ともに信し
ん
じまなびたき物ぞかし。垂す
い
加か
翁をう
洛らく
西さい
芦よし
屋町に
て平生諸門も
ん
弟てい
に
教きやう
訓くん
せられしにも、日本に五こ
行ぎやう
をうけて神道を学ま
な
ば
ざるは日本の唐人なりと云て笑れし。神書は神秘ぴ
も多を
ゝ
ければ、人によ
り機き
根こん
の
強きやう
弱じやく
あり。唯ゆ
い
一
両りやう
部ぶ
の差別べ
つ
ほどの義はかみわくべき事なる
べしとぞ。
祈いのり
といふ事、無ぶ
事じ
幸かう
福ふく
の人には有まじ。なんぞ」(18・ウ)
災わざわい
か
病気かに神慮り
よ
の
冥みやう
加が
を頼た
の
む筋す
じ
尤もつとも
なり。唐にても子路ろ
の英ゑ
い
才孔か
う
子の
御病の時祈らんと請こ
は
れし事、信し
ん
切せつ
の迫せ
ま
りなり。非ひ
常じやう
の時には随分丹誠せ
い
すべき事にや。皇太神宮ぐ
う
の詫た
く
宣せん
にも神至るに祈い
の
るべし。冥
くらき
を加く
わ
ふるに、
正まさ
に
直すなを
なるを以て本とすとあり。祈祷
い
の
り
は神につぐるの謂い
ひ
なり。
徴しるし
あ
るを
冥みやう
加が
といふ也。祈祷
い
の
り
をするに即そ
く
時じ
にきく物にあらず。目に見へず、
心にも覚お
ぼ
へずして、自し
然ぜん
とかなふを
冥くらき
を加く
わ
とは
(ママ)
いふなり。草さ
う
木の発は
つ
生しやう
するがごとし。」(19・オ)毎日見つめて居ゐ
ても伸の
ぶ
る
形かたち
は見へず。
日数を経ふ
る程生せ
い
長ちやう
する。これを
冥みやう
加が
といふべし。
児戯笑談巻之一終」(19・ウ)
児戯笑談巻之二
中村平吾三近子撰
時じ
勢せい
をしらざれば、無む
用やう
の
費つゐへ
あり。人々、今日さし当り重て
う
宝ほう
になる
物は
暦こよみ
なり。かほどのたからも、去こ
年ぞ
の
暦こよみ
は
再ふたゝ
び見る者もなく、貧ひ
ん
家か
はこし張ば
り
にはり、紙か
み
くず籠か
ご
の住居
す
ま
ゐ
となんぬ。人間の用よ
う
捨しや
も
暦こよみ
のごと
し。いかなる勇ゆ
ふ
猛もふ
奮ふん
迅じん
の四天王ともいへ、七十八十になりては、みな去こ
年ぞ
の
暦こよみ
といふべし。
俗ぞく
間かん
に道理そこのけ無理の
通とほる
にといふ事、面お
も
白しろ
き」(1・オ)こと
葉なり。常
じやう
道どう
をかたれば、邪じ
や
は正せ
い
に勝か
つ
事あたはず。無理は道理にかつ
事あたはざれども、又理の劫こ
う
ずるは非の一倍ば
い
なる事ありて、あまり理
がすぎればおこなはれざる事あり。博は
く
学がく
の人山さ
ん
川せん
地ち
理り
を論ろ
ん
ずるにも、
今上か
み
方がた
筋すじ
大和川
やまとがわ
など土ど
砂しや
高たか
くなりて、切せ
つ
々〳〵
川ざらゑなどありても、其
まゝ川どこ高た
か
くなる事は、諸し
よ
山ざん
の木を切つくしたるゆへ、草さ
う
木もく
に水を
ふくまず。大雨う
の時もはげ山へおちて、其雨あ
め
をとゞむべき枝ゑ
だ
葉は
なけれ
ば、其山の雨あ
め
のあしすぐに、土ど
砂しや
ども河へ流な
が
れ入て、」(1・ウ)大和
や
ま
と
川がわ
などの様にさらへても、又あとより土ど
砂しゃ
、大雨ごとに川上より流な
が
れこ
む。草さ
う
木もく
なきゆへ、雨をふくむべきものなき故なり。禿
かぶろ
のかしらに水
をかけたると、坊ぼ
う
主ず
のかしらに水をかけたるごときとのたとへなど、始し
終ゞう
山さん
川せん
地ち
理り
じまんに聞き
こ
ゆれども、是も学が
く
者しや
の見け
ん
識しき
、理のこうずるは非
の一倍ば
い
といふべきか。
尤もつとも
たとへをとり、理り
屈くつ
をいふたる所、いやと
いはれざる様に書か
き
なせども、理とわざに成ては、又大小違ち
が
ふたるもの
なり。先ま
づ
草くさ
木き
は切ても跡あ
と
より段だ
ん
々〳〵
生ずる」(2・オ)もの、せんぐり星と
し
霜つき
をつめば枝ゑ
だ
葉は
もしげる。是天地生せ
い
々〳〵
の道理なり。草木に雨あ
め
をふくまず、
大雨ごとに山より土砂をながしこむならば、山は次第に平ひ
ら
地ち
にもなる
べし。曽か
つ
て草木の雨をふくむなどのわざにてなし。むかしと違ち
が
ひ、山
川の分別、今はかしこく成て、川はゞを
夥をびたゞ
しくひろげたるゆへ、大
水おし来りても、川はゞのせまき時とちがひ、水す
い
勢せい
ひろがりて、おの
づから
堤つゝみ
ももちこたへる事也。水はゞひろきゆへ、川どこ高た
か
くなる筈は
づ
なり。たとへば、今はゞ一間の」(2・ウ)舟ふ
ね
に水を一ぱい入て、其水
-46-
御病の時祈らんと請こ
は
れし事、信し
ん
切せつ
の迫せ
ま
りなり。非ひ
常じやう
の時には随分丹誠せ
い
すべき事にや。皇太神宮ぐ
う
の詫た
く
宣せん
にも神至るに祈い
の
るべし。冥
くらき
を加く
わ
ふるに、
正まさ
に
直すなを
なるを以て本とすとあり。祈祷
い
の
り
は神につぐるの謂い
ひ
なり。
徴しるし
あ
るを
冥みやう
加が
といふ也。祈祷
い
の
り
をするに即そ
く
時じ
にきく物にあらず。目に見へず、
心にも覚お
ぼ
へずして、自し
然ぜん
とかなふを
冥くらき
を加く
わ
とは
(ママ)
いふなり。草さ
う
木の発は
つ
生しやう
するがごとし。」(19・オ)毎日見つめて居ゐ
ても伸の
ぶ
る
形かたち
は見へず。
日数を経ふ
る程生せ
い
長ちやう
する。これを
冥みやう
加が
といふべし。
児戯笑談巻之一終」(19・ウ)
児戯笑談巻之二
中村平吾三近子撰
時じ
勢せい
をしらざれば、無む
用やう
の
費つゐへ
あり。人々、今日さし当り重て
う
宝ほう
になる
物は
暦こよみ
なり。かほどのたからも、去こ
年ぞ
の
暦こよみ
は
再ふたゝ
び見る者もなく、貧ひ
ん
家か
はこし張ば
り
にはり、紙か
み
くず籠か
ご
の住居
す
ま
ゐ
となんぬ。人間の用よ
う
捨しや
も
暦こよみ
のごと
し。いかなる勇ゆ
ふ
猛もふ
奮ふん
迅じん
の四天王ともいへ、七十八十になりては、みな去こ
年ぞ
の
暦こよみ
といふべし。
俗ぞく
間かん
に道理そこのけ無理の
通とほる
にといふ事、面お
も
白しろ
き」(1・オ)こと
葉なり。常
じやう
道どう
をかたれば、邪じ
や
は正せ
い
に勝か
つ
事あたはず。無理は道理にかつ
事あたはざれども、又理の劫こ
う
ずるは非の一倍ば
い
なる事ありて、あまり理
がすぎればおこなはれざる事あり。博は
く
学がく
の人山さ
ん
川せん
地ち
理り
を論ろ
ん
ずるにも、
今上か
み
方がた
筋すじ
大和川
やまとがわ
など土ど
砂しや
高たか
くなりて、切せ
つ
々〳〵
川ざらゑなどありても、其
まゝ川どこ高た
か
くなる事は、諸し
よ
山ざん
の木を切つくしたるゆへ、草さ
う
木もく
に水を
ふくまず。大雨う
の時もはげ山へおちて、其雨あ
め
をとゞむべき枝ゑ
だ
葉は
なけれ
ば、其山の雨あ
め
のあしすぐに、土ど
砂しや
ども河へ流な
が
れ入て、」(1・ウ)大和
や
ま
と
川がわ
などの様にさらへても、又あとより土ど
砂しゃ
、大雨ごとに川上より流な
が
れこ
む。草さ
う
木もく
なきゆへ、雨をふくむべきものなき故なり。禿
かぶろ
のかしらに水
をかけたると、坊ぼ
う
主ず
のかしらに水をかけたるごときとのたとへなど、始し
終ゞう
山さん
川せん
地ち
理り
じまんに聞き
こ
ゆれども、是も学が
く
者しや
の見け
ん
識しき
、理のこうずるは非
の一倍ば
い
といふべきか。
尤もつとも
たとへをとり、理り
屈くつ
をいふたる所、いやと
いはれざる様に書か
き
なせども、理とわざに成ては、又大小違ち
が
ふたるもの
なり。先ま
づ
草くさ
木き
は切ても跡あ
と
より段だ
ん
々〳〵
生ずる」(2・オ)もの、せんぐり星と
し
霜つき
をつめば枝ゑ
だ
葉は
もしげる。是天地生せ
い
々〳〵
の道理なり。草木に雨あ
め
をふくまず、
大雨ごとに山より土砂をながしこむならば、山は次第に平ひ
ら
地ち
にもなる
べし。曽か
つ
て草木の雨をふくむなどのわざにてなし。むかしと違ち
が
ひ、山
川の分別、今はかしこく成て、川はゞを
夥をびたゞ
しくひろげたるゆへ、大
水おし来りても、川はゞのせまき時とちがひ、水す
い
勢せい
ひろがりて、おの
づから
堤つゝみ
ももちこたへる事也。水はゞひろきゆへ、川どこ高た
か
くなる筈は
づ
なり。たとへば、今はゞ一間の」(2・ウ)舟ふ
ね
に水を一ぱい入て、其水
-47-
をはゞ一倍ば
い
のひろきふねにうつす時は、水ひろがりて舟ふ
ね
半ぶんにあさ
くなる道理なり。平日は水す
い
流りう
は増ぞ
う
減げん
なし。わざもなさず、たま〳〵の洪か
う
水ずい
になりては、いかほど川上の山に草木しげりたり共、川はゞせまく
ば、田で
ん
所しよ
の分ぶ
ん
みな土砂入こみて、何の用にも立まじ。いま川はゞひろ
く成て、水勢せ
い
もおのづからひろがり、それゆへ川床ど
こ
たかくなる事には
気をつけず、たゞ山川の理をおしたるまでにては、わざに成ては
塞ふさがつ
て
通つう
ぜざる事おほし。医い
学がく
綿めん
蜜みつ
にして、」(3・オ)万書にくらからず、博は
く
識しき
多た
才さい
の医い
者しや
は理がつみすぎて、かならず
療りやう
治じ
のわざになりては、学が
く
問もん
ほどにきゝめのなきやうになるものなり。
正法に不ふ
思し
議ぎ
なしといふ事、おそらくは意ゐ
味み
の取ちがへなるべし。不ふ
思し
議ぎ
とは神し
ん
妙みやう
不ふ
測しぎ
にして、他よりはかりしられざる事なれば、正法こ
そ不思議あるべし。
浄じやう
土ど
真しん
宗しう
に九字十字といふあり。如に
よ
来らい
甚じん
深じん
微み
妙みやう
の徳と
く
を称せ
う
美び
して、南無不可思し
議ぎ
光くわう
如によ
来らい
と名づく如来は正法なり。定
さだめ
て
正法に
怪あやしみ
なしの心を取ちがへたる妄も
ふ
言げん
なるべし。」(3・ウ)
身は親を
や
の遺い
体てい
なれば、すこしも身をそこなはず、大事にかくるを孝
とすとあり。もつともなる事なり。しかし、一概が
い
に心得たる時は、事
にのぞんで
妨さまた
げる事あり。それは人にもより、場ば
所しよ
にもよるべし。い
かに身を大事にかけるとて、今日武ぶ
士し
とて死すべき場ば
も、いのちをお
しみのがるゝ時は、節せ
つ
義ぎ
をうしなふのみならず、孝道にも漏も
る
る事なり。
かるがゆへに、戦せ
ん
陣ぢん
に
勇いさみ
なきは孝にあらずとしめし給ふは、武ぶ
門もん
の孝
道なり。くらゐにより、人により、
尤もつとも
心得あるべき事なり。」(4・
オ)
古の聖せ
い
賢けん
孝道を説と
き
しめし給ふ事、十分尽じ
ん
頭とう
なり。聖せ
い
人じん
の
教おしへ
にてさ
へきかぬ人情なれば、今更何を説と
き
たり共、不孝者は三世の諸仏も捨す
て
は
て給ふといへば、まして凡ぼ
ん
夫ぷ
の手ぎわにて、ゆきとゞく事あるべから
ず。然りといへども、不孝を勝か
つ
手て
次第にせよとは、みす〳〵の不ふ
仁じん
な
れば、ならぬまでも孝をすゝむるが教け
う
訓くん
の法なり。いか程不孝なる悪
人にても、我子の不孝はこのむ者あるまじ。是程になりやすき孝行、無む
造ざう
作さ
なる事をかへつて逆さ
か
にゆくは何ぞや。成よき善事をきらひ、手て
間ま
」
(4・ウ)のいる悪あ
く
事じ
をするは、人情に異ゐ
を好む意い
地ぢ
づくより、りきみ
が出てかくのごとし。古人も悪には入やすく、善にはうつりがたしと説と
き
しかども、却
かへつ
ておもふ悪は水を逆さ
か
倒しま
に流な
が
すごとく、よほどむつかしく
大儀なる物なり。善は水の流れにしたがふごとく、何のむつかしき事
なく、無む
造ざう
作さ
なり。今日悪事をおもひたゝんに、先づ人目をふかく忍
び、呼こ
吸きう
をつめ、心中の辛し
ん
苦く
もや〳〵として、さり迚と
て
はせわなる事な
らん。善道は人にかくす事もなく、おしはれたるわざ」(5・オ)にし
て、心中に労ら
う
もなく、ずら〳〵としたる物なれば、勝手づくには善道
が近ち
か
道みち
なるべし。人間異ゐ
を好む意地よりはじまりて、幼童
わらわべ
までが川と
いへば海とさからひ、その避く
愛せ
つゐに不孝といふ悪事にいたる事なり。
婦ふ
人じん
人に嫁か
しては、
嫜
しうとしうとめ
に孝行をする事、家に有し。父母よりも
なを大切につかゆるはづの事ぞかし。俗ぞ
く
間かん
動やゝもす
れば姑と婦との中あし
くなりて、たがひにいかり
憤いきどほ
る事の多はいかん。これこそ有まじき
事にて、畢ひ
つ
竟けう
はみな婦たる」(5・ウ)人の咎と
が
なるべし。其本を推を
し
繹たづ
ぬ
るに、婦よ
め
たるもの、最さ
い
初しよ
結ゆひ
納ゐれ
をうけし日より、やがて夫の家へゆきな
ば、恐を
そ
らく
姑しうとめ
に不孝をなすべしとたくむ悪あ
く
念ねん
は、万人に一人も有ま
じ。姑もやがて婦よ
め
来りなば、中わろくしてにくむべしとおもふ悪心は、
決けつ
してあるまじ。双さ
う
方ほう
此所みな善念なり。殊更
姑しうとめ
は、国にもかへじ
とおもふ恩を
ん
愛あい
の子の妻たるものをにくみふづくむべきいはれなしとい
へども、なじみかさなり、心やすくなりて夫の心に入たるを、女心に功こ
う
にきて、」(6・オ)
姑しうとめ
に麁そ
末まつ
にあたる所より、つゐには不孝の場に
いたる事と見えたり。此所を古の聖人も察さ
つ
し給ひしにや。教
よめを
レ
婦おしゆるは
初しよ
来らい
と説と
き
給へり。婦よ
め
におしゆる道は、婚礼の初め、いまだ家の勝手をし
らず、弁わ
き
まへず、うゐ〳〵しき内に教お
し
へきかせよとありて、姑には教
の言こ
と
葉ば
なし。しかる時は邪侫
ひ
が
む
ところ、全
まつた
く婦に有と見へたり。愚ぐ
痴ち
無
智ち
の婦ともいへ、
舅しうと
姑に孝行をするすべはしるべし。今不孝の婦に、
なんぢ姑に不孝ものといはゞ、覚へありとて、よろこぶべきや。又」(6・
ウ)孝行なる婦よ
め
といはゞ、不孝の覚へはありながら、大に悦ぶべし。し
かれば、孝行もかみわけたる善念あれば、婦として
舅しうと
姑しうとめ
には真実心
に孝行をつくし、舅姑のたんなふするやうに勤むるが婦ふ
徳とく
の第一ぞか
し。卑ひ
賤せん
の卑ひ
俗ぞく
、何とわきまへたる事もなく、
姑しうとめ
は婦をにくむはづ
の物と法式し
き
のやうにいひならはす事、なげかはしき事にあらずや。
むかし奥州の国こ
く
守しゆ
田か
猟り
に出られしに、道の
傍かたわら
に老を
ひ
たる母を負を
ひ
なが
ら、平へ
い
伏ふく
せし人あり。国守」(7・オ)いかなる者ぞと問給ふに、かの
人曰い
わ
く、此
辺あたり
に住ものにて候。老母、国守を拝し奉らんとねがふによ
り、母の心をなぐさめたきこゝろざしにてかくのごとし、と答こ
た
へけれ
ば、国守も其孝心に感か
ん
じて、いろ〳〵引手物を
賜たまは
りて家に帰か
へ
りぬ。そ
の後、程を経へ
て、国守田か
猟り
に出られしに、又前日の如ご
と
く老母をせなか
に負を
ひ
て、平へ
い
伏ふく
したる男あり。国守そのゆへを問給へば、しか〴〵の孝
心を答へたり。時にかたへの人のもふさく、彼か
れ
は悪あ
く
逆ぎやく
不孝のものなり。
はじめの孝子を贋に
せ
てかくのごとし。急度」(7・ウ)罪つ
み
し給へといふ。
国守のいわく、不可なり。此もの不孝の悪人なりといへども、すでに
孝行を似せたるは、能まねといふべし。
舜しゆん
を学ぶは舜の徒なりとて、
いろ〳〵の引出物を
賜たまわり
しとなり。かりそめにも孝のまねをすれば、
かくのごとき善報あり。
下々の俚り
諺げん
に、大名の火にくばりたるごとしといふ事、大を
ゝ
容やう
なるた
とへにいふ事なり。しかし、いかなる大名ともいへ、火にくばりてよ
い物か。是は大明の火にくばるといふ事なり。大明は日月なり。」(8・
オ)日月の
光くわう
気き
火にくばりても、自じ
若ぢゃく
として其本ほ
ん
体たい
うごかぬといふ
心なり。
世に善人は少く、悪人ばかり多しと口ぐせの様にいふ。甚だ心得ち
-48-
なを大切につかゆるはづの事ぞかし。俗ぞ
く
間かん
動やゝもす
れば姑と婦との中あし
くなりて、たがひにいかり
憤いきどほ
る事の多はいかん。これこそ有まじき
事にて、畢ひ
つ
竟けう
はみな婦たる」(5・ウ)人の咎と
が
なるべし。其本を推を
し
繹たづ
ぬ
るに、婦よ
め
たるもの、最さ
い
初しよ
結ゆひ
納ゐれ
をうけし日より、やがて夫の家へゆきな
ば、恐を
そ
らく
姑しうとめ
に不孝をなすべしとたくむ悪あ
く
念ねん
は、万人に一人も有ま
じ。姑もやがて婦よ
め
来りなば、中わろくしてにくむべしとおもふ悪心は、
決けつ
してあるまじ。双さ
う
方ほう
此所みな善念なり。殊更
姑しうとめ
は、国にもかへじ
とおもふ恩を
ん
愛あい
の子の妻たるものをにくみふづくむべきいはれなしとい
へども、なじみかさなり、心やすくなりて夫の心に入たるを、女心に功こ
う
にきて、」(6・オ)
姑しうとめ
に麁そ
末まつ
にあたる所より、つゐには不孝の場に
いたる事と見えたり。此所を古の聖人も察さ
つ
し給ひしにや。教
よめを
レ
婦おしゆるは
初しよ
来らい
と説と
き
給へり。婦よ
め
におしゆる道は、婚礼の初め、いまだ家の勝手をし
らず、弁わ
き
まへず、うゐ〳〵しき内に教お
し
へきかせよとありて、姑には教
の言こ
と
葉ば
なし。しかる時は邪侫
ひ
が
む
ところ、全
まつた
く婦に有と見へたり。愚ぐ
痴ち
無
智ち
の婦ともいへ、
舅しうと
姑に孝行をするすべはしるべし。今不孝の婦に、
なんぢ姑に不孝ものといはゞ、覚へありとて、よろこぶべきや。又」(6・
ウ)孝行なる婦よ
め
といはゞ、不孝の覚へはありながら、大に悦ぶべし。し
かれば、孝行もかみわけたる善念あれば、婦として
舅しうと
姑しうとめ
には真実心
に孝行をつくし、舅姑のたんなふするやうに勤むるが婦ふ
徳とく
の第一ぞか
し。卑ひ
賤せん
の卑ひ
俗ぞく
、何とわきまへたる事もなく、
姑しうとめ
は婦をにくむはづ
の物と法式し
き
のやうにいひならはす事、なげかはしき事にあらずや。
むかし奥州の国こ
く
守しゆ
田か
猟り
に出られしに、道の
傍かたわら
に老を
ひ
たる母を負を
ひ
なが
ら、平へ
い
伏ふく
せし人あり。国守」(7・オ)いかなる者ぞと問給ふに、かの
人曰い
わ
く、此
辺あたり
に住ものにて候。老母、国守を拝し奉らんとねがふによ
り、母の心をなぐさめたきこゝろざしにてかくのごとし、と答こ
た
へけれ
ば、国守も其孝心に感か
ん
じて、いろ〳〵引手物を
賜たまは
りて家に帰か
へ
りぬ。そ
の後、程を経へ
て、国守田か
猟り
に出られしに、又前日の如ご
と
く老母をせなか
に負を
ひ
て、平へ
い
伏ふく
したる男あり。国守そのゆへを問給へば、しか〴〵の孝
心を答へたり。時にかたへの人のもふさく、彼か
れ
は悪あ
く
逆ぎやく
不孝のものなり。
はじめの孝子を贋に
せ
てかくのごとし。急度」(7・ウ)罪つ
み
し給へといふ。
国守のいわく、不可なり。此もの不孝の悪人なりといへども、すでに
孝行を似せたるは、能まねといふべし。
舜しゆん
を学ぶは舜の徒なりとて、
いろ〳〵の引出物を
賜たまわり
しとなり。かりそめにも孝のまねをすれば、
かくのごとき善報あり。
下々の俚り
諺げん
に、大名の火にくばりたるごとしといふ事、大を
ゝ
容やう
なるた
とへにいふ事なり。しかし、いかなる大名ともいへ、火にくばりてよ
い物か。是は大明の火にくばるといふ事なり。大明は日月なり。」(8・
オ)日月の
光くわう
気き
火にくばりても、自じ
若ぢゃく
として其本ほ
ん
体たい
うごかぬといふ
心なり。
世に善人は少く、悪人ばかり多しと口ぐせの様にいふ。甚だ心得ち
-49-
がひなり。今現げ
ん
に京ばかりを以ていはゞ、男女の数凡を
よ
そ二百万人も有
べし。此多き中に大それたる悪人は一人か二人かに、悪のものわづか
十人廿人を以てかぞへつべし。残りたる人はみな善人なり。一つ〳〵
心内をさがさば、聖せ
い
賢けん
もあるまじけれども、夫はいにしへにもまれ也。
聖人は生せ
い
民みん
有てより、後にも先にも孔か
う
子し
の」(8・ウ)様なるはなし。
大概が
い
人間の吟ぎ
ん
味み
、百万人の内に三五人の出入こじ
(ママ)
もあれども、残りた
る人間みな善人なれば、卑ひ
賤せん
といへども学問といふ事わきまへずんば
あるべからず。
成立
せいりつ
難
如
のかたきは
レ
升
てんにのぼる
レ
天がごとし
、
覆
墜
易
ふくつゐのやすきは
如けを
レ
燎やくが
レ
毛ごとし
といへり。相続の
成しがたき事、天に升の
ぼ
るごとく、破や
ぶ
る事は一筋す
じ
の毛をやくより無造作
なり。俚り
諺げん
に、家を覆こ
ぼ
てば釘く
ぎ
の
値あたひ
といふも此心なり。金銀をかりて耳み
ゝ
をそろへて返へ
ん
弁べん
するは天に升るより大儀に、不埒をするは毛をやくよ
りも心やすきならひ」(9・オ)なり。然れども、人情の欲といふ物は、
はなれがたきものにて、莫ば
く
大だい
の利り
足を寝ね
ながら儲も
う
ける事なれば、やめ
られぬも理りなるべし。世の中は一損そ
ん
一徳にて、彼か
れ
に得と
く
あれば是に損
あり。
長ちやう
短たん
得とく
失しつ
平べう
等どう
に行わたらぬが世の分あ
り
野さま
なるべし。
利り
口こう
の邦ほ
う
家か
をくつがへす事をにくむと古人もいへり。何にてもいへ
ばいはるゝ物。糟ぬ
糠か
のくづれたる事にも理を付ていへば、いはるゝ口
上は重て
う
宝ほう
なる物よなふ。
紫むらさき
野の
の一休き
う
小僧ぞ
う
の時、外より檀だ
ん
那な
が来り、
是小僧どの、袂
たもと
屎くそ
はどこ」(9・ウ)から出るぞ。小僧の曰い
わ
く、臂ひ
じ
臀しり
と
いふ尻し
り
からこく。目め
屎くそ
はいかん。眦
まじり
といふ尻し
り
からこく。ぼんのくぼは
いかん。あたまにおどり有ゆへと
答こたへ
られき。口く
ち
器き
用やう
なる物は、いろ〳
〵にいひまはす事なり。右の檀だ
ん
那な
我が
を折、いそぎ立かへる時、一休き
う
の
曰いわく
、
なんぢ是より何い
づ
方かた
へ行や。檀だ
ん
那な
腰こし
の
扇をゝぎ
をぬき見せれば、一休それはあ
て字なりといはれき。扇
をゝぎ
は戸羽
と
ば
と書か
け
り。夫ゆへ、とばへ行心をしめす
といへ共、元来とばは鳥の羽とかくゆへ、あて字といはれたる。一休
の頓と
ん
智ち
、口きゝの上もり、いへばいはるゝ言葉のたねなるべし。」(10・
オ)
楊やう
貴き
妃ひ
、一旦た
ん
玄げん
宗そう
の心にたがふて芙ふ
蓉やう
宮きう
に居ゐ
たりし時、君き
み
に思し召
出されて、高か
う
力りき
士し
に楊や
う
貴き
妃ひ
が安あ
ん
否ぴ
を問と
は
しめ給ふ。楊や
う
貴き
妃ひ
君恩の有がた
き
余あまり
、
涙なみだ
と共に我わ
が
黒くろ
髪かみ
をきり、恩を謝じ
や
す。高か
う
力りき
士し
、そのゆへをとへ
ば、楊貴妃が
曰いわく
、我にある所の万ば
ん
器き
衣ゐ
食しよく
玉ぎよく
帛はく
、いづれか君の物にあ
らざる事なし。君の物を以て君の恩を謝じ
や
する道理なし。我一身のうち、
髪かみ
は我父母よりもらひし物なれば、是ばかりは我所持の物ゆへ、是に
て恩を
ん
を謝じ
や
し奉ると言ければ、玄げ
ん
宗そう
も是に感か
ん
嘆たん
し給ふて、再
ふたゝ
び寵て
う
愛あい
厚あつ
か
りしといへり。女」(10・ウ)ながらも理り
一分ぶ
ん
殊しゆ
をよくわきまへたりと
いふべし。
人間は貴き
賤せん
ともに
冥みやう
加が
といふものを能々理の
み
会こみ
て体た
い
認にん
すべき事なり。
此二字が学問の吉き
つ
粋すい
なり。唐と
う
土ど
には
冥みやう
加が
の二字を説おとせしゆへ、学
問の心にしまりなし。冥加は神し
ん
慮りよ
にあづかる所にして、貴賤一
生しやう
長ちやう
寿じゆ
百ひやく
祥しやう
の
基もとひ
と知べし。大人じ
ん
の冥加あり。下げ
民みん
の冥加あり。悪人は冥加
につきて一生をたもたず。俗ぞ
く
間かん
に、信し
ん
あれば徳と
く
ありといへり。信し
ん
徳とく
を兼か
ね
たるを冥加といへり。大人は太た
い
平へい
治ち
化くわ
に居て、
枕まくら
を高くして
楽たのしみ
を」
(11・オ)極き
わ
め、下民は太平治化をいたゞゐて、生せ
い
理り
を安や
す
んじて心
静しづか
な
り。こゝに気を付て、せめて一日に一度づゝは有がたき事とおもふ所
が冥加といふものなり。上う
へ
つかたより仁じ
ん
慈じ
を
施ほどこ
し給て、愛あ
い
慇みん
ゆきわた
るといへども、下民うか〳〵として、結け
つ
句く
疎そ
懶らい
の
情じやう
をいだく時は、民
に七年の
惶くわう
損そん
有あり
といへり。
足たる
事をしるを俗ぞ
く
呼よん
で足た
ん
納のふ
といふ。四民僧そ
う
俗ぞく
共に我にそなはりたる
職しよく
分ぶん
にたんなふして、外をねがはぬを
勤つとめ
といひて、是直す
ぐ
に学問なり。
かの」(11・ウ)瘖を
し
聾つんぼ
を見るべし。人間とは六根こ
ん
の内う
ち
二根不足して、片か
た
輪わ
にて不ふ
自じ
由ゆ
なる事なれども、仕し
形かた
にて会ゑ
釈しやく
すれば、何もかも理が
会てん
し
て、いさゝか不自由なることもなし。これ仕し
形かた
は瘖を
し
聾つんぼ
のための学問な
り。六根そなはりたる人間には、動や
ゝ
もすれば非道をたくむ者もあり。
むかしより瘖聾の悪事仕出したることを聞ず。六根揃そ
ろ
ふたる身にして
不ふ
正せい
をなすは、浅ましき事にあらずや。
近年は天台だ
い
宗しう
・華け
厳ごん
宗しう
・法ほ
つ
花け
・浄
じやう
土ど
、諸宗の」(12・オ)博は
く
僧そう
出て、
是ぜ
非ひ
得とく
失しつ
の討と
う
論ろん
、説せ
つ
派わ
筆ひつ
陣ぢん
の印ゐ
ん
行かう
、若そ
こ
許ばく
出しが、釈
しやく
尊そん
なければ、面々
いひ勝が
ち
高名にて、一決け
つ
せし事もなし。大かたは円ゑ
ん
寂じやく
して、跡あ
と
に生き残
りし僧が勝か
ち
になりたるもおかし。ある隠ゐ
ん
者じや
の五人、連れ
ん
歌が
の
会くわい
に出て、
打つれ帰るさに、一人は四つ辻にて相わかれり。残り四人が評へ
う
じて、
今の仁の今日の詠ゑ
い
草さう
、おもひきやの五文字は、あまり古めかしき歌と
そしり合行しが、又一人寺て
ら
町まち
にてわかれ行けり。のこり三人が、あの
八文字やの今日の歌、見わたせばの」(12・ウ)五字は、どふやら和歌
の三夕せ
き
を似せたる様などそしり合、又一人四条にて相わかれけり。残
り二人が此素そ
伯はく
の今日の歌は、つきにけるかなのとまり、どふやら高た
か
砂さご
の小うたひの格か
く
と評し、程なく今一人宝町の辻にてわかれけり。一人
の遁と
ん
世せい
者じや
が堀ほ
り
川かわ
の辻にて小者にむかひ、今け
日ふ
の連れ
ん
衆じゆ
はみな下へ
手た
なりと
いひければ、小者が返へ
ん
答じ
に、あとにのこりたるみちの遠き御方が御上
手と見へたりといひしとぞ。近年の論ろ
ん
僧そう
もながいきして、あとに残り
たるが関せ
き
取とり
と見へたり。」(13・オ)
人として不ふ
成じやう
日び
をゑらび、又男女の縁ゑ
ん
に相生を吟味する事、よく〳
〵気を付て見れば、面々の得ゑ
手て
勝かつ
手て
よりおこる事と見へたり。不成日
など児女の当分の心やすめは各か
く
別べつ
の事、丈
じやう
夫ぶ
たるもの、あながちに用
ゆる事、用捨あるべき事也。人間の大事は誕た
ん
生じやう
日にち
なるべし。我が生れ
出る日にして、一生の安あ
ん
否ぴ
のあづかる所なり。幾い
く
千万人か不成日に生
れる人あり。これゑらびて不成日を
除のぞい
て翌よ
く
日じつ
までのばす事ならざる所
あれば、此一大事の不成日は、人々しらぬふりにて、」(13・ウ)うち
過ぬ。義よ
し
経つね
生いく
田た
の森も
り
の矢や
合あわせ
の日は、往わ
う
亡日
もうにち
にあたれり。軍ぐ
ん
士し
みな往わ
う
亡もう
日にち
は往ゆ
き
て
亡ほろぶ
ると書たれば、此軍よろしかるまじといひければ、義経の
-50-
百ひやく
祥しやう
の
基もとひ
と知べし。大人じ
ん
の冥加あり。下げ
民みん
の冥加あり。悪人は冥加
につきて一生をたもたず。俗ぞ
く
間かん
に、信し
ん
あれば徳と
く
ありといへり。信し
ん
徳とく
を兼か
ね
たるを冥加といへり。大人は太た
い
平へい
治ち
化くわ
に居て、
枕まくら
を高くして
楽たのしみ
を」
(11・オ)極き
わ
め、下民は太平治化をいたゞゐて、生せ
い
理り
を安や
す
んじて心
静しづか
な
り。こゝに気を付て、せめて一日に一度づゝは有がたき事とおもふ所
が冥加といふものなり。上う
へ
つかたより仁じ
ん
慈じ
を
施ほどこ
し給て、愛あ
い
慇みん
ゆきわた
るといへども、下民うか〳〵として、結け
つ
句く
疎そ
懶らい
の
情じやう
をいだく時は、民
に七年の
惶くわう
損そん
有あり
といへり。
足たる
事をしるを俗ぞ
く
呼よん
で足た
ん
納のふ
といふ。四民僧そ
う
俗ぞく
共に我にそなはりたる
職しよく
分ぶん
にたんなふして、外をねがはぬを
勤つとめ
といひて、是直す
ぐ
に学問なり。
かの」(11・ウ)瘖を
し
聾つんぼ
を見るべし。人間とは六根こ
ん
の内う
ち
二根不足して、片か
た
輪わ
にて不ふ
自じ
由ゆ
なる事なれども、仕し
形かた
にて会ゑ
釈しやく
すれば、何もかも理が
会てん
し
て、いさゝか不自由なることもなし。これ仕し
形かた
は瘖を
し
聾つんぼ
のための学問な
り。六根そなはりたる人間には、動や
ゝ
もすれば非道をたくむ者もあり。
むかしより瘖聾の悪事仕出したることを聞ず。六根揃そ
ろ
ふたる身にして
不ふ
正せい
をなすは、浅ましき事にあらずや。
近年は天台だ
い
宗しう
・華け
厳ごん
宗しう
・法ほ
つ
花け
・浄
じやう
土ど
、諸宗の」(12・オ)博は
く
僧そう
出て、
是ぜ
非ひ
得とく
失しつ
の討と
う
論ろん
、説せ
つ
派わ
筆ひつ
陣ぢん
の印ゐ
ん
行かう
、若そ
こ
許ばく
出しが、釈
しやく
尊そん
なければ、面々
いひ勝が
ち
高名にて、一決け
つ
せし事もなし。大かたは円ゑ
ん
寂じやく
して、跡あ
と
に生き残
りし僧が勝か
ち
になりたるもおかし。ある隠ゐ
ん
者じや
の五人、連れ
ん
歌が
の
会くわい
に出て、
打つれ帰るさに、一人は四つ辻にて相わかれり。残り四人が評へ
う
じて、
今の仁の今日の詠ゑ
い
草さう
、おもひきやの五文字は、あまり古めかしき歌と
そしり合行しが、又一人寺て
ら
町まち
にてわかれ行けり。のこり三人が、あの
八文字やの今日の歌、見わたせばの」(12・ウ)五字は、どふやら和歌
の三夕せ
き
を似せたる様などそしり合、又一人四条にて相わかれけり。残
り二人が此素そ
伯はく
の今日の歌は、つきにけるかなのとまり、どふやら高た
か
砂さご
の小うたひの格か
く
と評し、程なく今一人宝町の辻にてわかれけり。一人
の遁と
ん
世せい
者じや
が堀ほ
り
川かわ
の辻にて小者にむかひ、今け
日ふ
の連れ
ん
衆じゆ
はみな下へ
手た
なりと
いひければ、小者が返へ
ん
答じ
に、あとにのこりたるみちの遠き御方が御上
手と見へたりといひしとぞ。近年の論ろ
ん
僧そう
もながいきして、あとに残り
たるが関せ
き
取とり
と見へたり。」(13・オ)
人として不ふ
成じやう
日び
をゑらび、又男女の縁ゑ
ん
に相生を吟味する事、よく〳
〵気を付て見れば、面々の得ゑ
手て
勝かつ
手て
よりおこる事と見へたり。不成日
など児女の当分の心やすめは各か
く
別べつ
の事、丈
じやう
夫ぶ
たるもの、あながちに用
ゆる事、用捨あるべき事也。人間の大事は誕た
ん
生じやう
日にち
なるべし。我が生れ
出る日にして、一生の安あ
ん
否ぴ
のあづかる所なり。幾い
く
千万人か不成日に生
れる人あり。これゑらびて不成日を
除のぞい
て翌よ
く
日じつ
までのばす事ならざる所
あれば、此一大事の不成日は、人々しらぬふりにて、」(13・ウ)うち
過ぬ。義よ
し
経つね
生いく
田た
の森も
り
の矢や
合あわせ
の日は、往わ
う
亡日
もうにち
にあたれり。軍ぐ
ん
士し
みな往わ
う
亡もう
日にち
は往ゆ
き
て
亡ほろぶ
ると書たれば、此軍よろしかるまじといひければ、義経の
-51-
曰いわ
く、みな〳〵点て
ん
の付やうあしく、往ゆ
き
てほろぼすといふの吉日なりと
て打立、つゐにその日のいくさに十分の
勝しやう
利り
を得給ひけり。夫婦の縁ゑ
ん
はさる事なれども、五倫り
ん
のうち君く
ん
臣しん
ほどおもきものなし。いにしへよ
り君臣の間に、相生を見てめしかゝへたる事もつかへたる事もなし。
父子の間も火ひ
性しやう
の父に水性金性の子あり。」(14・オ)いかんともする
事なければ、男女の縁組相生を見るに及ばぬ事とおもふなり。かくい
へばとて、物事かきやぶりなるもよろしからず。万事かきやぶりにな
れば、凡ぼ
ん
俗ぞく
のならひ
必かなら
ず悔く
や
みに成事もおほし。もつとも、目かり了れ
う
簡けん
をつけて、物ごと相さ
う
応をう
をもちいたし、念ね
ん
仏ぶつ
功く
徳どく
ふかしとて、正月の元
日に、大を
ゝ
福ぶく
を南無阿弥陀仏にてもいはゝれまじ。先ま
づ
不相応なり。易ゑ
き
に吉き
ち
凶けう
悔くわい
吝りん
の四つをとく事、其むねふかいかな。四つの内、ことに
悔くわい
の
事を聖人
せいじん
もおもく語給へり。それ」(14・ウ)人は、吉にあふては当惑
とうわく
も
なく、相談相手もなく、みんごと我と我手に処し
よ
する事也。凶け
う
に成ては
悪ゆへ、当惑してみづからさばく事なりがたく、人と相談のみする事
なり。悔とは後こ
う
悔くわい
といふ心なり。人々毎日の所為
し
わ
ざ
、その跡は大かた後
悔になる事なり。吝り
ん
は決け
つ
断だん
なき事、仏ぶ
つ
者しや
の迷ま
よ
ひといふと同じ。易ゑ
き
道どう
は
天地万物の理をこめたる物にて、中々凡ぼ
ん
俗ぞく
の理り
会くわい
しやすき事にあらず。
其徳と
く
なければ、占
うらな
ふといへども、一つもあわぬ物なり。易ゑ
き
の理をあし
く心得たる人はかろく」(15・オ)おもふて、俗ぞ
く
にいふ、ごまのがうの穿せ
ん
議ぎ
に落る事おほし。梅ば
い
花くわ
心しん
易ゑき
所々の御み
籤くじ
等は、みな児女のごまのがう
を引だす筋と見へたり。
諭ゆ
伽が
論ろん
一百
巻くわん
にも多く相さ
う
応をう
の二字を解と
き
たり。相さ
う
応をう
といふ事、仏説に
いでゝ、古きこと葉なり。日本の俗ぞ
く
、分ぶ
ん
際ざい
相応といへり。相応は恰か
つ
好かう
す
ること葉にて、大小厚か
う
薄はく
万ばん
端たん
によくかなふたること葉なり。儒じ
ゆ
道どう
にこ
れを節せ
つ
と名づく。節はほどよしと訓く
ん
じて、竹のふしのよきほど、つゝ
に間くばりたる心なり。人間」(15・ウ)この相応一日もかけては万事
に通つ
う
達たつ
する事あたはず。いかに義ぎ
が結け
っ
構かう
なる道なれども、父母へ義を
以てする時は不相応ゆへ、父母には仁じ
ん
道どう
の孝か
う
順じゆん
を以てつかへるが父子
の間の相応なり。四書六経至し
極ごく
の書物といへども、火事場ば
にて見るは
よき道を不相応になる事也。人よく相応を用ゆる時は、一生の内あや
まちなかるべし。
日本の唐と
う
土ど
天竺ぢ
く
より奇勝
す
ぐ
れ
たるは、神道あるをもつてなり。異ゐ
国こく
は長
上の人ほど狐こ
狢かく
など」(16・オ)いひて、畜ち
く
生しやう
の皮か
わ
を上服ふ
く
とす。日本
は神国ゆへ、けだものゝ皮は火く
わ
事じ
羽は
織おり
、或はさいふ、又は敷もの大鼓こ
等
には用ゆといへども、礼れ
い
服ふく
には用ひず。異ゐ
国こく
には牛う
し
を
料りやう
理り
して大牢ら
う
の
滋じ
味み
とて本朝の七五三よりおもしとす。日本にては牛を
食しよく
すれば、神
前へ一百日むかふ事ふかくけがれとす。これ我わ
が
朝てう
の他た
邦ほう
にすぐれたる
事かくのごとし。世上の学者たるもの、多くは唐と
う
の風を好み、おのれ
は五行を日本にうけながら、書面は唐か
ら
流りう
などをかき、服ふ
く
には深し
ん
衣ゑ
」(16・
ウ)などを
着ちやく
する儒じ
ゆ
者しや
もあり。これ日本の唐と
う
人といふべし。書し
よ
筆ひつ
の事、
唐流あしきといふにあらず。しかれども、今日書し
よ
状ぢやう
手て
紙がみ
の往来ら
い
用事を
弁べん
ずるを以て第一とす。夫に唐流を以て、書状を
認したゝ
めたる時は、俗ぞ
く
家
よむ事あたはず。まづ我生国の和流を能よ
く
書して用事をたし、其後は唐
流なりとも何成とも、心まかせに書が書筆の
順じゆん
道どう
なるべし。
俗間に、両
りやう
雄ゆふ
は
必かなら
ず
争あらそ
ふといふ事、人ことにひたといふこと葉な
り。此語、智者の語にあらず。」(17・オ)もつとも文盲も
う
なる筋よりい
ひ出せり。雄とは英ゑ
い
雄の雄にして、智ち
勇ゆう
兼けん
備び
したる人ならでは雄とゆ
るす事なし。相あ
い
役やく
にもせよ、同役にもせよ、両雄ほどの智ち
勇ゆう
の人が中
をわろくしあらそふなどいふ
若ぢやく
輩はい
なる事あるべき様なし。
故かるがゆへ
に、
三近子此語を飜ほ
ん
じて、両愚はかならずあらそふといひたしといふ。
児戯笑談巻之二」(17・ウ)
(次号につづく)
謝辞
本稿の翻字の再確認を九州大学大学院博士後期課程吉田宰氏にして頂いた。
この場を借りて感謝の意を表したい。
(わきやま
まい・伊万里特別支援学校)
-52-
唐流あしきといふにあらず。しかれども、今日書し
よ
状ぢやう
手て
紙がみ
の往来ら
い
用事を
弁べん
ずるを以て第一とす。夫に唐流を以て、書状を
認したゝ
めたる時は、俗ぞ
く
家
よむ事あたはず。まづ我生国の和流を能よ
く
書して用事をたし、其後は唐
流なりとも何成とも、心まかせに書が書筆の
順じゆん
道どう
なるべし。
俗間に、両
りやう
雄ゆふ
は
必かなら
ず
争あらそ
ふといふ事、人ことにひたといふこと葉な
り。此語、智者の語にあらず。」(17・オ)もつとも文盲も
う
なる筋よりい
ひ出せり。雄とは英ゑ
い
雄の雄にして、智ち
勇ゆう
兼けん
備び
したる人ならでは雄とゆ
るす事なし。相あ
い
役やく
にもせよ、同役にもせよ、両雄ほどの智ち
勇ゆう
の人が中
をわろくしあらそふなどいふ
若ぢやく
輩はい
なる事あるべき様なし。
故かるがゆへ
に、
三近子此語を飜ほ
ん
じて、両愚はかならずあらそふといひたしといふ。
児戯笑談巻之二」(17・ウ)
(次号につづく)
謝辞
本稿の翻字の再確認を九州大学大学院博士後期課程吉田宰氏にして頂いた。
この場を借りて感謝の意を表したい。
(わきやま
まい・伊万里特別支援学校)
-53-