監修を警察庁に要請 刀剣評価鑑定士令和元年11月15日発行(隔月刊) 刀 剣...

8
刀 剣 界 令和元年11月15日発行(隔月刊) 第50号 (1) NEWS, TOPICS, INFORMATION, OPINION & EDITORIAL 深 海 信 彦 全国刀剣商業協同組合 編集委員会 〒1690072 東京都新宿区大久保 2 −18−10 新宿スカイプラザ1302 TEL:03 (3205) 0601 FAX:03 (3205) 0089 http://www.zentosho.com/ 2019.11.15 No.50 第50号編集担当 赤荻 稔 飯田 慶雄 伊波 賢一 大平 岳子 大平 将広 嶋田 伸夫  清水 儀孝 生野 正 瀬下 明 土子 民夫  綱取 譲一 土肥 富康 服部 暁治 深海 信彦  松本 義行 冥賀 吉也 持田 具宏 ’89 調使使 先の台風・豪雨で被災された各地の皆さま方にお見舞いを申し上げますとともに、1日も早い復興を祈念いたします。 第 14 回「お守り刀展覧会」審査結果 全日本刀匠会(宮入恵会長)主催の第 14 回 「お守り刀展覧会」審査委員会(稲田和彦委員長) は 10 月 11 日、岡山市のテレビせとうち大会議 室で開催された。 審査結果は次の通り。 総合の部 1席 特賞:上山陽三(岡山県) 2席 特賞:安達茂文(和歌山県) 刀身の部 1席 特賞:上山陽三(岡山県) 2席 特賞:川㟢仁史(埼玉県) 3席 特賞:満足浩次(岡山県) 4席 入賞:木村光宏(熊本県) 5席 入賞:安達茂文(和歌山県) 6席 入賞:根津 啓(長野県) 7席 入賞:河内一平(長野県) 8席 入賞:松葉一路(宮崎県) 9席 入賞:明珍裕介(兵庫県) 10席 入賞:久保善博(広島県) 11席 入賞:宗 信安(福岡県) 佳作:加藤政也(栃木県) 佳作:田中 諭(滋賀県) 佳作:小宮国天(福岡県) 外装の部 1席 特賞:上山陽三(岡山県) 2席 特賞:安達茂文(和歌山県) 3席 特賞:藤澤良吉(香川県) 特別賞 日立金属賞:月山一郎(奈良県) ポーランド共和国駐日大使賞:上山陽三(岡山県) 西土肥豊久・土肥富康 〒940-0088 新潟県長岡市柏町1-2-16 TEL 0258-33-8510 FAX 0258-33-8511 http://wakeidou.com/ 刀剣・書画・骨董 連絡先 090-8845-2222 www.premi.co.jp 代表者 髙 島 吉 童 古名刀から現代刀、御刀のことならお任せください 東京都北区滝野川7-16-6 TEL 03-5394-1118 FAX 03-5394-1116 〒104-0061 東京都中央区銀座6-7-16 岩月ビル2階 ㈱銀座泰文堂  代表 川 島 貴 敏 TEL 03-3289-1366 FAX 03-3289-1367 http://www.taibundo.com 泰文堂 銀座日本刀ミュージアム 刀剣評価鑑定士について説明する深海理事長

Upload: others

Post on 24-Feb-2021

3 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

Page 1: 監修を警察庁に要請 刀剣評価鑑定士令和元年11月15日発行(隔月刊) 刀 剣 界 第50号 (2) 第四回 徳川家の刀剣 平成九年十月、東京国立博物館

刀 剣 界令和元年11月15日発行(隔月刊) 第50号

(1)

NEW

S, TOPICS, IN

FORM

ATION

, OPIN

ION

& ED

ITORIAL

発 行 人 深 海 信 彦発 行 所 全国刀剣商業協同組合�編集委員会

〒169−0072 東京都新宿区大久保 2 −18−10 新宿スカイプラザ1302

TEL:03(3205)0601 FAX:03(3205)0089http://www.zentosho.com/

2019.11.15 No.50

第50号編集担当    赤荻 稔  飯田 慶雄伊波 賢一 大平 岳子 大平 将広 嶋田 伸夫 清水 儀孝 生野 正  瀬下 明  土子 民夫 綱取 譲一 土肥 富康 服部 暁治 深海 信彦 松本 義行 冥賀 吉也 持田 具宏

 

お目にかかったのは、生活安

全局生活安全企画課小柳誠二課

長、同課犯罪抑止対策室谷島拓

人課長補佐、同課髙見昌志氏、

保安課小林弘和課長補佐、同課

世良匡司氏。両課はそれぞれ銃

砲刀剣類所持等取締法(銃刀

法)と古物営業法に関わる業務

を担当している。

 

全国刀剣商業協同組合は昭和

六十二年五月に設立総会を開催

し、同年九月に中曽根康弘内閣

総理大臣(当時)の正式認可を

受けて発足した。主務官庁は警

察庁である。

 

以来、当組合と警察庁とは連

携しつつ、刀剣業界の問題解決

や改善に当たっては指導と支援

を頂いてきた。総会などの折に

は来賓としてご出席を

願い、平成元年の「刀

剣フェスティバル’89」

開催の際には売上の一

部を出店者から浄財と

して寄託され、三十万

円を財団法人警察育英

会に寄付している。

 

また、役員がしばし

ば警察庁担当課に伺っ

て陳情書や要望書を提

出してきたほか、時に

は関係法令の改正や規制緩和に

ついて具体的提言を求められ、

協力したりもしてきた。

 

平成八年には、組合員の行商

従業者証および営業所標識の制

作申請に対して、国家公安委員

長から正式に認可されている。

 

こうした経緯とやりとりの一

つの成果が、警察庁の編集協力

で平成三年に刊行した『やさし

い刀』である。本書はその後、

銃刀法などの改正に合わせて二

回の改定を行い、約八万部が既

に全国に無償配布されている。

 

その結果、発見・登録の手続

きに関する知識が広まり、今や

無登録刀の所持はきわめて少な

くなっていると思われる。ま

た、刀を入手してから二十日以

内に所有者変更届を提出すべき

ことは、ほとんどの刀剣商に徹

底するところとなっている。

 

所有者変更届の提出数を警察

庁が経年で調べていただくとは

っきりするはずであるが、かつ

■去る九月九日、当組合・深

海信彦理事長は警察庁を訪問

し、生活安全局の五名の方々

と面談、業界の現状報告と刀剣

行政に関しての情報交換を行

うとともに、今後の組合活動

への理解と協力をお願いした。

ては有名無実であった届出義務

が今では厳格に守られている。

これも当組合が率先して業界に

呼びかけた結果である。

 

誰がどんな刀を持っているか

がわかれば、仮に犯罪に関係し

ていた時、捜査にも役立つ。先

年の富岡八幡宮の事件では日本

刀が凶器とされ(実は殺人には

使用されなかった)、所持刀と

入手ルートが一日で判明したの

は、一に所有者変更届の徹底に

よるものと言える。

 

刀剣が犯罪に使用される例は

きわめてまれである(マスコミ

が誤った解釈で取り上げる場合

はあるが)一方、最近では刀剣・

鑑定書などの偽造が見受けら

れ、将来的に一般の方々にも迷

惑を及ぼすことが危惧される。

業界として発生防止に取り組む

ことはもちろんであるが、犯罪

抑止は業界だけでは困難であ

る。いろいろな面で警察の協力

が不可欠であり、ぜひ本腰を入

れていただきたいものである。

 

組合では全国の警察から送ら

れてくる盗品などに関する「品

触れ」は、これを全ての組合関

係者に告知し、周知・発見に協

力している。言うまでもなく、

古物商が一般の人から入手した

古物が盗品または遺失品であっ

た場合、民法および古物営業法

の規定により、盗難または遺失

のときから二年間、無償で返還

しなくてはならない。

 

こうした知識や実践を総合的

に認定するのが「刀剣評価鑑定

士」である。古物商許可証・組

合員証(メンバーズカード)・

刀剣評価鑑定士認定証の三つが

揃えば、評価鑑定の刀剣エキス

パートと言える。一層の社会的

信頼が得られるよう、また防犯

行政のパートナーとしても機能

し得るよう、引き続き本資格の

充実に努めていきたい。

 

現行の認定試験問題は、刀剣

に関しては公益財団法人日本美

術刀剣保存協会に、作刀・研磨

などの刀職技術は公益財団法人

日本刀文化振興協会に、甲冑は

一般社団法人日本甲冑武具研究

保存会にそれぞれ監修をお願い

しているが、銃刀法と古物営業

法に関する問題についてはいま

だ公的機関の監修を経ていな

い。そこで、深海理事長から両

法について「監修か、編集協力

か、問題指導のいずれかをお願

いしたい」と要請した。

 

後日、警察庁から回答があ

り、警察庁の名称を表記するか

どうかは別として、協力してい

ただけることとなった。現在、

生活安全局の両課において問題

集の検討作業を行っているとこ

ろである。

 

なお、銃刀法に関連する銃砲

刀剣類登録規則や美術刀剣類製

作承認規則は文化庁の所管であ

り、内容によっては文化庁の確

認も必要ではないかとの助言

が、警察庁からあった。しかる

べく対応したい。また、これら

の件に関しては経過を次号以後

にも報告することとする。

 

当日は皆さまに長い時間を割

いていただき、ありがとうござ

いました。�

(報告/土子民夫)

先の台風・豪雨で被災された各地の皆さま方にお見舞いを申し上げますとともに、1日も早い復興を祈念いたします。

第14回「お守り刀展覧会」審査結果

 全日本刀匠会(宮入恵会長)主催の第 14 回「お守り刀展覧会」審査委員会(稲田和彦委員長)は 10 月 11 日、岡山市のテレビせとうち大会議室で開催された。審査結果は次の通り。

総合の部

1席 特賞:上山陽三(岡山県)2席 特賞:安達茂文(和歌山県)

刀身の部

1席 特賞:上山陽三(岡山県)2席 特賞:川㟢仁史(埼玉県)3席 特賞:満足浩次(岡山県)4席 入賞:木村光宏(熊本県)5席 入賞:安達茂文(和歌山県)6席 入賞:根津 啓(長野県)7席 入賞:河内一平(長野県)8席 入賞:松葉一路(宮崎県)9席 入賞:明珍裕介(兵庫県)10席 入賞:久保善博(広島県)11席 入賞:宗 信安(福岡県)

佳作:加藤政也(栃木県) 佳作:田中 諭(滋賀県) 佳作:小宮国天(福岡県)

外装の部

1席 特賞:上山陽三(岡山県)2席 特賞:安達茂文(和歌山県)3席 特賞:藤澤良吉(香川県)

特別賞

日立金属賞:月山一郎(奈良県)ポーランド共和国駐日大使賞:上山陽三(岡山県)

美術刀剣、小道具、武具類の

売買、加工及び御相談承ります

大阪市中央区日本橋二–七–一

TEL ○六–六六三一–二二一○

FAX ○六–六六四四–五四六四

刀剣古美術

三峯美術店

埼玉県秩父市野坂町一–十六–二

西武秩父駅連絡通路

町久ビル内

TEL ○四九四–二三–三○六七

FAX 町田

久雄

土肥豊久・土肥富康

〒940-0088 新潟県長岡市柏町1-2-16TEL 0258-33-8510FAX 0258-33-8511

http://wakeidou.com/

刀剣・書画・骨董

連絡先 090-8845-2222

www.premi.co.jp

代表者 髙 島 吉 童

古名刀から現代刀、御刀のことならお任せください!

東京都北区滝野川7-16-6TEL 03-5394-1118FAX 03-5394-1116

〒104-0061 東京都中央区銀座6-7-16     岩月ビル2階

㈱銀座泰文堂  代表 川 島 貴 敏

TEL 03-3289-1366FAX 03-3289-1367

http://www.taibundo.com

泰文堂銀座日本刀ミュージアム

刀剣評価鑑定士」

認定試験問題の

監修を警察庁に要請

深海理事長が会談で

刀剣評価鑑定士について説明する深海理事長

Page 2: 監修を警察庁に要請 刀剣評価鑑定士令和元年11月15日発行(隔月刊) 刀 剣 界 第50号 (2) 第四回 徳川家の刀剣 平成九年十月、東京国立博物館

刀 剣 界令和元年11月15日発行(隔月刊) 第50号

(2)

▪第四回 徳川家の刀剣

 

平成九年十月、東京国立博物館

で特別展「日本のかたな︱鉄のわ

ざと武のこころ」が開催された。

国宝・重文・重美などの名刀を一

堂に展示する戦後最大級の展観で

あった。

 

開会に先駆けて開かれた内覧会

の席上、伊予西条松平様にお会い

した。その折、松平様が「飯田さ

んはお近くにお住まいの徳川様を

ご存じかな」とおっしゃるので、

「存じ上げませんが⋮」と申し上

げると、その場でご紹介いただく

こととなった。本紙第47号に記し

たように、松平様とは九鬼正宗の

一件以来親しくさせていただいて

いたが、徳川YS様に「こちらは

飯田高遠堂の社長で、私が絶大な

信頼を寄せている男なので、どう

かよろしくお見知りおきを」と紹

介されたのには恐縮した。

 

それから数カ月後、銀座松坂屋

で当店が展示即売会を開催した

時、会場に徳川YS様がお見えに

なった。お父上は昭和天皇にお仕

えし、宮内庁侍従長を務められた

徳川義寛様で、尾張徳川家の御分

家に当たる。当日は慌ただしかっ

たこともあり、私は初め、うかつ

にもYS様とは気づかなかった。

 

お持ちになった目貫や小柄五、

六点を見てほしいとのことで、拝

見すると、今作られたかと思える

ほど保存のいいものばかりだっ

た。「お宅様の品物はどれも保存

状態がよろしいですね」と言って

お顔を見て気がついた。

 

私が品物を拝見している間、徳

川様はずっとお立ちになっておら

れたのである。私は「大変失礼し

ました。徳川様でございましたか」

と謝罪し、ご説明をさせていただ

いた。その際、ご所蔵の刀剣を評

価鑑定することを依頼された。

 

ご自宅に伺ったのは、それから

数週間後だった。出してこられた

のは保昌貞吉の剣と相模守政常の

槍である。「どちらの方が価値が

高いですか」と問われ、剣の方を

挙げると、それぞれの評価につい

ても意見を求められた。

 

私は剣が重要刀剣に指定される

クラスと判断し、「三百万円ぐら

いでしょうか」と申し上げ、槍は

四十~五十万円の相場をお伝えし

た。「それでは、槍の方はお持ち

帰りください」と言われ、頂いて

きた。

 

帰社してからも剣のことが気に

なり、いろいろ調べてみた。する

と『日本刀重要美術品全集』に所

載されているではないか。私はす

ぐに電話をし、「先ほどは大変失

礼しました。保昌貞吉の剣は重美

に認定されており、一千万円以上

する名品です」とご説明した。さ

らに『徳川家康遺品集』にも紹介

されていて、家康公ゆかりの一振

であることが判明した。

 

徳川様は「家康にまつわる品は

今の当家にはこの剣以外にはない

ので、家宝として大事に伝えてい

きます」とおっしゃられていた。

 

その後しばらくして、平成十六

年のころ、刀を見てほしいとの依

頼を受け、再び徳川様のご自宅に

伺う機会があった。

 

拝見した太刀は優美な姿で身幅

広く、重ねも厚く、ただならぬ名

刀であることはすぐにわかった。

しかし、残念なことに銘の部分が

朽ちていて、「国俊」と見えるが

判然としない。うかつなことは言

えないと思い、「私の鑑識力では

判断がつかないので、刀剣博物館

で専門家に見ていただいてはいか

がでしょうか」と申し上げた。

 

その場で刀博の田野辺道宏先生

に連絡すると「おいでください」

とのことだったので、早速、徳川

様とともに太刀を持参した。

 

田野辺先生の鑑定は「二字国俊

の重文級の名刀」とのことで、徳

川様も大いに喜ばれた。それから

数年後、この太刀は縁あって私が

扱わせていただいた。ほかにも一

文字の太刀など数点をお譲りいた

だいたが、いずれも古鞘に蔵番の

ある尾張徳川家伝来の刀だった。

 

その後、あるパーティー会場で

水戸徳川家の徳川YH様にお目に

かかった。先ごろまで靖国神社の

宮司を務められた方である。「飯

田さんは私を知らないだろうが、

私はよく知っているんですよ」と

おっしゃり、「徳川YSからあな

たのことはよく聞いているし、わ

れわれ一族の集まりで刀の話にな

ると必ずあなたの話題になるんだ

よ」と、驚くばかりの話をされた。

 

ある時、徳川美術館の展覧会に

私どもから刀をお貸ししたことが

あり、学芸員の方が返却に見えら

れるとのことだったが、実際には

館長の徳川YT様がご一緒だっ

た。徳川美術館は名古屋にあり、

尾張徳川家が設立した公益財団法

人徳川黎明会が運営している。Y

T様は尾張徳川家のご当主であ

り、実は当店から徒歩四、五分の

所にお住まいなのである。

 「先日、親戚の集まりがあった

時、飯田さんの話になり、叔父・

叔母たちがみんな飯田さんを知っ

ているのに、近くに住む私が知ら

なかったとは大変失礼した」と恐

縮されておられたが、ご当主の

先代も先々代も存じ上げていたの

に、私の方こそご挨拶が遅れたこ

とをお詫びした。

 

それもこれも、九鬼正宗から始

まったご縁である。そして、徳川

家とのご縁もまだまだ続くのであ

る。

飯田慶久

(飯田高遠堂)

ある

ある

刀のの

刀刀刀刀刀刀屋刀屋履

歴書

 

今年の「大刀剣市」事前説明会

が八月二十三日の組合交換会終了

後、東京美術倶楽部で開催されま

した。

 

事前説明会は、十一月一日から

三日間開催される今年の大刀剣市

に出店する七十三店舗が、一堂に

会する唯一の機会です。大刀剣市

実行委員会が、出店規約やカタロ

グ・会場・新聞広告・カード利用

など催事に関する変更点や諸注意

などについて説明し、出店者から

の質問にも丁寧に対応して、大刀

剣市が無事に開催できるように確

認を行います。

 

同実行委員会にとっては、任命

された六月以降、今年の大刀剣市

をいかにして成功させるか協議を

重ね、努めている状況を出店者に

報告し、意見を伺う場となります。

 

各実行委員は、ともすれば自分

の商売を二の次にして、あくまで

ボランティアとして大刀剣市のた

めに時間を費やしています。

 

恒例の一大企画を限られた条件

の下で開催するために、実行委員

会は経験と知識を兼ね備えたベテ

ランを中核に据え、さらに後進が

育つように若手を随所に登用し、

継続性を意識した編成としていま

す。その結果、特定の組合員に頼

る実情となっています。

 

一方で、公平性の観点からも、

実行委員を出店者全員参加型にす

ることや交代制、輪番制にするべ

きという意見があります。

 

しかし現実的には、地理的な問

題や個々のさまざまな事情があっ

て、現状に代わる妙案は実現を見

ていません。

 

事前説明会に要するのは、わず

か一時間程度です。しかし、この

一時間は、出席者全員が勢揃いし

て、大刀剣市というビッグイベン

トが縁の下の力持ちにより支えら

れていることをあらためて認識

し、出席者全員が成功に向けての

思いや情報を共有する場、一丸と

なる大事な機会です。

 

来年こそは一人の欠席者も出さ

ずに全出店者が顔を揃え、一つに

まとまり、強固なスクラムを組む

場になることを願っています。

大刀剣市」

図録(カタログ)

編集委員会から、出店者の皆さま

にお知らせとお願いです。

 

今回は「カタログはいつ届くの

か」といった問い合わせが組合事

務局へ相次いだと聞いています。

 

これには、実行委員会の立ち上

がりが新執行部の確立に伴って例

年より若干ずれたこと、さらに掲

載内容の正確性を期し、全ての出

店者に郵送し、校正をしていただ

いたことが影響しました。編集委

員会はできるだけ納期を短縮しよ

うと努力しましたが、相応の時間

を要してしまいました。

 

本カタログの完成には、なかな

か複雑な制作工程を経ます。①出

店申込受付、②掲載作品の確定・

撮影、③掲載順の確定と台割り、

④原稿作成・レイアウト、⑤入稿、

⑥初校、⑦再校、⑧色校、⑨念校、

⑩下版、⑪印刷・製本、⑫納品。

 

私たちはそれぞれの工程におい

て、誤りの生じないように、より

良い品質が得られるように気を配

って作業しています。

 

現在は遠方の出店者に配慮し、

いわゆる自撮り写真やデータでの

入稿も可能としていますが、組合

で撮影したものとの間にできるだ

け不具合が生じないように努めて

います。

 

しかし、撮影環境と撮影手法の

違いにより、必ずしも同調させる

のが困難なものもあります。例え

ば、黒色系の拵が黒いバックで撮

影された場合、写真を切り抜いて

バックを差し替えなくてはなりま

せんが、その画像加工には余分な

手間と費用が発生します。少しだ

け工夫していただけると、完成度

はさらに高まると思います。

 

次に、編集委員会からのお願い

事項を記します。併せて、やや専

門的になりますが、データ入稿に

ついては次のような要望も印刷現

場から上がっています。

①刀身の本体画像が天地二二〇ミ

リ時に最低解像度が三五〇dpi

あるように作成してください。

②刀装具についても、本体が原寸

時に最低解像度が三五〇dpiある

ようにデータ作成願います。

③一カットに数点の掲載品を入れ

てあると、その後のレイアウト

の作業に支障が生じたり、印刷

解像度が不足する場合があるの

で、一カット一点を基本として

ください。

④データは必要なものだけを、コ

ピーしてお送りください。提出

されたディスクは返却しません。

⑤提出期日は厳守してください。

内容確認には時間がかかりま

す。掲載不可な品がデータ入稿

されても、すぐには判断できま

せん。また、印刷仕様に耐えら

れない画質の確認も同様です。

⑥申込書と鑑定証のコピーは必ず

データと一緒に送ってください。

また、原寸掲載の寸法はデータ

を見ただけでは全くわからない

ので、寸法が確認できるスケー

ルなどを必ずお付けください。

 

そのほかにも改善点を検討して

おり、来年の大刀剣市にはあらた

めてご協力をお願いします。

事前説明会を開催

カタログ制作の現場から

 

浜松刀剣愛好会(御室健一郎会

長)と浜松市は九月二十九日、同

市天竜区春野町の秋葉山本宮秋葉

神社上社で「日本刀入門公開講座」

を開催した。参加者は七十六人。

 

佐野美術館の渡邉妙子理事長が

講師を務め、「日本刀の美と技」

と題する講演では「鉄を磨き上げ

ることでできる刀の光を愛でると

いう楽しみが日本人によって見い

だされた」ことなどが述べられた。

 

その後、参加者は同神社が所蔵

する鎌倉から江戸時代にかけての

日本刀六振を鑑賞した。

秋葉神社「日本刀公開講座」に

七十余人が参加

〈報告〉「大刀剣市2019」実行員会

ほとんどの出店者が出席した事前説明会

より良いカタログを目指しての作業風景

Page 3: 監修を警察庁に要請 刀剣評価鑑定士令和元年11月15日発行(隔月刊) 刀 剣 界 第50号 (2) 第四回 徳川家の刀剣 平成九年十月、東京国立博物館

刀 剣 界令和元年11月15日発行(隔月刊) 第50号

(3)

 

今回は横浜市の「馬の博物館」

で十月五日(土)から十二月八日

(日)まで開催されている企画展

「名馬と武将」を紹介します。

 

展示品は絵巻物・文書類・馬具・

甲冑を中心として、鎌倉時代ごろ

から江戸時代にかけての武士たち

と馬との関係性を紹介する内容と

なっています。甲冑は特に室町時

代の後期から桃山時代の胴鎧・兜

が展示されています。

 

小田原北条氏一門の北条氏規

(北条氏康四男、一五四五~一六

〇〇年)所用との伝来がある「本

小札紫糸素懸威腹巻」(小田原城

天守閣蔵)をはじめ、日本甲冑武

具研究保存会の会員が所蔵してい

る甲冑・馬具(鐙あ

ぶみ

や鞍く

)も展示さ

れています。

 

兜は東国で製作されたもの(相

州鉢、別称小田原鉢)が多めかと

思います。馬具についても戦国時

代に製作された鞍を中心に展示さ

れており、普段まとめて展示され

ることの少ないものです。

 

また今回の展示は、甲冑をはじ

め武具類の重さに着目している点

も特徴で、展示解説に重量が記載

されています。当時の武装階級の

人たちがどのようなものを身にま

とい、あるいは使用して戦場に赴

いたかをよりリアリティをもって

想像させてくれるので、見学する

人にとっては大変興味深い内容に

なっているのではないでしょう

か。

 

常設展では日本人と馬の関わり

についてさまざまな情報を通史で

知ることができる「馬の博物館」

ならではの展示となっており、こ

れもなかなか見る機会のないもの

です。この機会にぜひ足を運んで

みてください。

■馬の博物館=〒231︲

085

3神奈川県横浜市中区根岸台一︲

三 

公益財団法人馬事文化財団

☎〇四五︲

六六二︲

七五八一

https://www.bajibunka.jrao.ne.jp/uma/

(一般社団法人日本甲冑武具研究

保存会評議員・佐々木亮)

甲冑の話題│││❹

︵一社︶日本甲冑武具研究保存会

対応の違い

 

銘文などの記載に間違いがなく

ても、登録月日だけが異なる例が

ある。昭和二十六年から三十年代

に交付された登録証にままあるも

のである。今回、越前守国次の槍

の登録証の内容確認をしたとこ

ろ、日付が異なるとの回答を得た。

 

こういう事例は少なくない。問

題は、その時の対応が都道府県に

よってまちまちということであ

る。東京都は「日付が異なります

が、古い登録証にはよくあります

から」「コピーを添えていただけ

れば、所有者変更届出書を受理し

ます」という回答をすることが多

い。ところが、東京都以外の教育

委員会の場合、日付が異なるから

受理できません、と言われること

が多々ある。

 

兼友の平造脇差は、昭和二十六

年大阪府で交付されていた。内容

は一致するが、日付が異なるので

所有者変更届出書は受理しませ

ん、と言う。これなど、東京都で

あれば、前述したような柔軟な対

応をするはずである。が、大阪府

はそうではなかった。

 

大阪府は以前にも同じような事

例があった。昭和二十六年登録で、

登録月日が異なっている。もちろ

ん、どう異なっているかは教えて

くれないし、所有者変更届出も受

理しない。それで東京都に資料を

送ってもらって現物を審査し、ま

た大阪に資料を送付し、ようやく

訂正交付となった。実に一か月半

ほどの手間暇がかかったことを本

欄で紹介した。初期の登録証の日

付の記載間違いについて、東京都

のように柔軟な対応をするところ

は少ない。

 

東京都でも、日付の違いで現物

確認を求められたことがあった。

買取希望で持参されたその脇差

は、発見届から登録までを、現所

持者のお父上がなさったのだとい

う。一応、内容確認をしたところ、

日付が異なるとの回答。しかも現

物確認が必要になるという。これ

は初期登録ではなかったのかもし

れない。が、登録の事情はかなり

明確であった。それでも現物確認

を求められた。

 

結局、訂正交付されたが、要す

るに三十日を三十一日と書いてし

まった、というような本当に初歩

的なミスが原因と判明。そんなこ

とのために、多大な時間がかかっ

てしまった。訂正交付された登録

証を手渡しする際、職員の「すみ

ません」、の一言はなかった。

 「当時の登録業務のミスであっ

て、私のせいじゃないし、なんで

謝んなきゃいけないの?」という

ことなのかもしれない。現物確認

を担当したY先生だけは「こんな

初歩的な昔の間違いのために、半

日費やさせてしまって⋮申し訳な

いですね」と詫びてくださったが。

 

初期の登録証の記載ミスについ

て、どう対応するか、許容する交

付年をいつごろとするか、など、

全国の都道府県教育委員会で意見

交換して、対応がまちまちになら

ないように、悪意がないと思われ

る場合、柔軟に対応するようにし

てほしいと切に思う。

 

ただ、東京都の場合も、日付だ

けで、銘文に初歩的な記載ミスが

あったり、長さの測り間違いがあ

った場合、やはり現物確認という

手続きを踏まねばならない。困っ

たことである。

 

今後、登録の際にデジタル写真

資料を残しておき、初歩的なミス

であれば、写真を照合することで、

確認のために登録審査会に出向か

なくても訂正交付できるようにな

ってほしいと希望している。

 登録証の種別

 

奈良県の登録証の付された康継

の脇差が買い取り相談で持ち込ま

れた。奈良県教育委員会に電話を

かけて、問い合わせたところ、長

さ・反り・銘文・登録年月日、す

べて大丈夫であった。ただ、一カ

所問題があった。この登録証は、

脇差とすべきところを「刀」と記

載しているのである。

 

私「内容は合っていますね。し

かしこれ、脇差ではなく、刀って

書かれていますね」

 

担当者「はい、登録台帳はその

ようになっていますね。はい」

 

私「でも、これ、脇差ですよね。

刃長は一尺六寸六分だし⋮ねえ」

 

担当者「えー、さー、どうでし

ょう。ともあれ、台帳では刀とな

っていますので」

 

この担当者は、刀・脇差・短刀

の種別の定義がわかってないので

ある。これ以上は話をしても無駄

だなあ、と思いながら、受話器を

置いた。奈良県の昭和二十六年、

刀⋮何となく以前に見たような気

がして調べてみると、あった!

 

刃長一尺なので、脇差と記され

るところだが、「刀」と書かれて

いる。同年月日で、同筆である。

同じ日に、同じ人により登

録証が書かれたことは歴然

である。この人は、刀・脇

差・短刀、その日に登録さ

れた刀剣のあらかたの登録

証の種別を「刀」と書いて

しまったのだろうか。その

日だけ、体調不良で間違え

てしまったのだろうか。そ

れともそういう間違いを数

カ月、数年にわたって繰り

返していたのだろうか。

 

となると、今後、奈良県

発行の同様の登録証にお目

にかかる可能性があるのかもしれ

ない。困ったことである。

 「昔の登録証にはよく間違いが

ありますから⋮」という。が、現

在、奈良県で銃砲刀剣類登録の事

務に関わっている人は、先に示し

た脇差康継の登録証について、何

ら疑念を持たなかった。部署の配

置で、たまたま登録行政に関わる

ことになったのであり、刀に全く

関心はないのだろう。それでも種

別くらいは理解しておく必要はあ

るのではなかろうか。

 

令和元年の現在も新規に刀が登

録されているはずだが、その際、

脇差や短刀に対して、「刀」と記

載されてしまっても、そもそも種

別について理解がなければ、その

まま発行されてしまうであろう。

 

こんな単純な間違いであって

も、登録証の記載内容を正すなら

ば、型通りの手続きを要するは

ずである。①現物確認依頼書を奈

良県が送付。②受け取ったら、必

要事項を書き込んで返送。③東京

都から登録審査会の案内を受け取

る。④都庁で現物確認。⑤東京都

から奈良県へ報告書。⑥奈良県が

訂正交付。

 

一連の手続きが完了するのに、

場合によっては、一カ月から一カ

月半かかるのではなかろうか。何

とも残念な話ではある。

(登録証問題研究会)

事例31

事例32

登録証問題」

を考える

登録証問題」

を考える21

刀剣業界の情報紙である『刀剣界』では、記事を募集しています。ニュースや催事情報、イベント・リポート、ブック・レビュー、随筆・意見・感想など、何でも結構です。写真も添えてください。組合員・賛助会員以外の方も歓迎です。ただし、採否は編集委員会に諮り、紙面の関係で編集させていただくことがあります。

脇差がいずれも刀とされている

 厳島神社所蔵の「錦包藤巻太刀・腰刀」(重要文化財)を復元し、奉納するプロジェクトがクラウドファンディングを活用して開始された。期限は12月28日、目標金額は250万円。 外装の錦が剥落しているだけでなく、鐔も金具も失われた状態を憂い、三上貞直刀匠が錦研究家や染織専門家・研師・鞘師・白銀師・金工・柄巻師らの協力の下に刀身と外装の復元に挑戦する。 詳細と支援の申し込みは下記まで。 https://casanell.com/projects/view/13

 

JR九州は九州鉄道の開業百三

十周年を記念し、人気のD&S列

車「A列車で行こう」を使って当

時開業した五駅の駅長と一緒に明

治日本の世界遺産等を巡る「九州

鉄道と明治日本の世界遺産を訪ね

て」日帰りツアーを実施する。

 

九州鉄道は九州初の鉄道として

明治二十二年十二月十一日に博多

駅から千歳川仮停車場まで開業。

今年は百三十周年に当たる。

 

今回のツアーは、当時開業した

博多駅・南福岡駅(雑ざ

っしょのくま

餉隈駅)・

二日市駅・原田駅・鳥と

栖す

駅の駅長

と一緒に、明治日本の世界遺産等

を巡る特別なツアーとなる。博多

駅から大牟田駅・荒尾駅まで特急

「A列車で行こう」で往復するほ

か、その間、郷土刀の鬼塚吉国を

鑑賞、チャーター船に乗って三池

港を海上から特別見学、宮原坑か

ら万田坑までの三池炭鉱専用鉄道

敷跡を特別に歩いて移動し、松永

日本刀剣鍛錬所で日本刀での試し

斬り・火造り体験なども予定して

いる。

 

十二月十一日のみの日帰りツア

ーで、募集人員は七十六名。旅行

代金は博多駅発のみで大人一万

円。申込みはJR九州営業部旅の

予約グループにて、電話で受け付

ける。

刀にも触れる…

明治日本の世界遺産を訪ねるツアー

JR九州の「A列車で行こう」

「錦包藤巻太刀・腰刀」 復元プロジェクト始動

Page 4: 監修を警察庁に要請 刀剣評価鑑定士令和元年11月15日発行(隔月刊) 刀 剣 界 第50号 (2) 第四回 徳川家の刀剣 平成九年十月、東京国立博物館

刀 剣 界令和元年11月15日発行(隔月刊) 第50号

(4)

 

①については、おのおのの流派

などの「祖」と言われる刀工の出

現の時期が異なっているためで

す。

 

②についてですが、生ぶ無銘の

太刀や大磨上げ無銘の刀を極める

場合、刀工の個名で極めることが

難しい時に、何時代のどの国のど

の流派に属するかが判断できれ

ば、古某で極めることが多いもの

です。

 

古い時代の刀剣には特に在銘品

が少ないことも、理由の一つです。

 

次に、古某極めのものはたくさ

んありますが、代表的な極めを挙

げてみると、前述の古伯耆や古千

手院、古京物、古波平、古備前、

古青江、古一文字と続き、古宇多、

古三原、古吉井、古金剛兵衛、さ

らにやや時代の下った古水田など

も見られます。

 

それでは、おのおのについて詳

しく見てみましょう。

■古伯耆

 

古伯耆とは、伯耆国において平

安時代後期から鎌倉時代初期にか

けて活躍した刀工群およびその作

刀を指す。安綱が最も有名で、そ

の子と伝える大原真守、一門の有

綱・貞綱・安家・真景などがいる。

 

作風については、姿は同時代共

通のものであるが、身幅の割に鎬

がやや高く、鎬幅が狭い。加えて、

平肉のよくついた造り込みが特徴

とも言える。地鉄は板目肌立ち、

地沸がつき、地斑・地景を交えて、

地鉄が黒みを帯びている。

 

刃文は小沸出来にて、匂口がう

るみ心に刃肌が立って、金筋・砂

流しなどがしきりにかかり、とこ

ろどころに小互の目や小湾れが独

立して交じり、加えて区際に腰刃

とか焼き落としのある点が古備前

とは異なる。帽子は焼き詰めか沸

崩れて火焔が多い。

■古京物

 

平安時代末期から鎌倉時代初期

にかけて、京には宗近・吉家らの

三条派、包永・国永らの五条派、

また久国・国安らの初期粟田口派

の刀工たちがいた。古京物極めの

太刀類は、にわかに流派・個名を

指摘し得ないまでも、鎌倉初期を

大きく下らぬ古い京物と鑑するこ

とができる作品を言う。

 

作風は、優美で古典的な形状に、

地鉄は小板目肌よく詰み、地沸微

塵に厚くつき、細かな地景入り沸

映り立つ精美な肌合いとなる。刃

文は直調にさまざまな小模様の乱

れを交え、匂口明るく小沸のよく

ついた古雅な格調のあるものであ

る。

■古備前

 

古備前とは、平安時代末期から

鎌倉時代初期にかけて備前国に出

現した刀工群を言う。同派の中で

は友成と正恒が最も有名で、特に

正恒系には在銘作が多く、恒光・

利恒・包平・吉包・助包・光忠・

景安・信房など多くの名工が存在

した。

 

古備前の一般的な作風は、生ぶ

の姿はやや長寸にて腰反り強く踏

ん張りあり、先に行って伏し心を

見せ小切先に結び、優美な太刀姿

が多い。地鉄は板目に地沸つき、

①古伯耆極めの刀剣は平安時

代後期~鎌倉時代初期と言

われ、古吉井は鎌倉末期か

ら南北朝期と言われていま

す。同じ﹁古﹂が付くのに、

なぜ時代が異なるのです

か。

②古某の付いている流派等に

ついて、その特徴を詳しく

教えてください。

地景交じり乱れ映り立つ。刃文

は小乱れ・小丁子・互の目が交じ

り、沸づき、金筋のかかるもので、

総じて華やかに乱れるものは少な

く、直刃調か浅い湾れを基調とす

るのが通例であり、総じて古雅で

ある。

■古一文字

 

福岡一文字は備前国福岡庄にお

いて鎌倉時代初期から中期まで栄

えた。その中で、則宗をはじめと

して助宗・宗吉・成宗・宗忠・重

久・貞真など鎌倉初期に活躍した

刀工たちを、別に古一文字と称し

ている。

 

作風は、古備前に比して丁子が

目立って整い、映りが鮮明となる

が、鎌倉中期の福岡一文字ほど華

やかではなく、古備前同様に小沸

出来のものである。

■古青江

 

備中国は古くから鉄の産地とし

て知られ、青江派の刀工は同国の

子こ

位い

や万ま

寿す

の地で作刀した。青江

とは在地の地名である。

 『日本古刀史』によると、古青

江とは平安最末期から鎌倉初期ま

でのものを一括して言うとある

が、現在では平安末期から鎌倉中

期ごろまでのものとされている。

 

古青江の名だたる刀工としては

守次・貞次・恒次・次家・包次・

為次・康次・俊次・助次・次忠な

どがおり、「次」を通

とおり

字じ

としている。

なお、守次・貞次・恒次には名跡

を襲うものが数代ある。

 

作風は、小板目がよく詰まって

地鉄のきれいなものと、縮ち

緬めん

肌はだ

言ってチリチリと肌立ち、澄肌と

言う一種の地斑があり黒みのある

ものとがあって、後者に特色を見

る。刃文は小沸のついた直刃仕立

てで、歯の中に小乱れ・小足の入

るものがあり、古備前に比して地

刃ともに地味で渋い感じのもので

ある。

 

なお、銘は佩裏に切り、鑢目が

大筋違である点も、古備前とは相

違する。

■古波平

 

平安時代後期、正国なる刀工が

大和国から薩摩国谷た

山やま

郡波平の地

に来住して波平派の祖となったと

伝え、その子を行安といい、その

流れは幕末にまで及んでいる。同

派の中でも南北朝期を下らぬ刀工

およびその作刀を総称し、古波平

と言う。刀工としては行安・家安・

久安などが挙げられる。

 

波平の作風はすこぶる保守的で

あり、時代が下っても平安後期の

大和物の特徴を継続し、これに九

州物の特色を加味した独特の作風

としている。

 

鎬高く、板目が総体に流れて柾

がかり、地鉄はネットリとして軟

らかみを帯び、鉄か

が白けている。

刃文は細直刃調を主調にうるみ心

を見せ、小沸つき、総体にほつれ

て匂口は沈み心となる。鎺元を焼

き落とす特徴があり、帽子は焼き

詰め二重刃がかる。

■古宇多

 

宇多派は鎌倉時代末期の古入道

国光を祖として、南北朝期に国房・

国宗・国次らの刀工がおり、同名

相次いで室町時代末期にわたり越

中国で栄えている。このうち、南

北朝時代を下らぬ作品を古宇多と

汎称している。しかし、南北朝期

の在銘品はほとんどなく、無銘極

めのものが大半を占める。

 

同派は大和国宇陀郡の出身であ

ることから自然、大和気質の強い

ものが多く見られるが、同時に越

中の先達の則重や江に倣ったと見

られる相州伝風のものも存在す

る。

 

古宇多極めの作風は、姿は南北

朝期の延文・貞治形が多く、地鉄

は板目に杢流れ肌交じり、やや肌

立つ鍛えに地沸厚くつき、太い地

景がしきりに入り、鉄か

色いろ

黒みを帯

び、肌目が粕立つところがある。

 

刃文は中直刃調に沸がよくつ

き、刃縁がしきりにほつれ、金筋・

砂流しが激しくかかり、粗めのつ

ぶらな沸がつき、匂口は沈み心と

なる。

 

大和伝・相州伝を加味し、加え

て黒みを帯びた地鉄には北ほ

国こく

気質

も見られる作風である。

■古三原

 

備後国三原派は鎌倉時代末期に

興り、以後、室町時代末期に至る

まで繁栄した。一派のうち、鎌倉

時代末期から南北朝期にかけての

ものを古三原と汎称しており、代

表刀工として正家・正広が挙げら

れる。

 

三原の地は中央の社寺の荘園が

多くあった関係で、大和気質の作

風が多く見られるが、まれに段映

りの現れた隣国の青江に似た作風

も見られる。

 

古三原極めの作風は、姿の点で

は南北朝前期ごろのものと延文・

貞治ごろのものの二様があるが、

共に鎬地の高い造り込みである。

 

地刃の点では大和本国のものに

比べて沸の弱いのが一般的で、鍛

えは白け心があり、まま板目の肌

合いの中に杢が目立って肌立ち、

刃文は直刃にて匂口が締まり心と

なり刃縁が盛んにほつれ、ところ

どころ食い違い刃を見せ、匂口は

沈み心となる。帽子は穏やかとな

り、直ぐに小丸にて返りが長くな

るのも特徴の一つである。

■古吉井

 

備前吉井派は鎌倉時代後期に為

則を祖として始まると伝え、鎌倉

末期から室町時代にわたって繁栄

した。同派のうち、南北朝期まで

の作を特に古吉井と称し、室町期

のものは単に吉井と呼んで区別し

ている。古吉井の代表刀工として

景則・真則・則縄・盛則らがいる。

 

吉井派の作風は、互の目が規則

的に連れるところが見どころであ

り、また映りは備前物の中でも独

特で、刃文の形がそのまま影にな

ったように見えるものである。

 

中でも古吉井はこれらの特徴に

加え、さらに沸がつき、刃中に砂

流し・金筋が働くところが見どこ

ろであり、さらに帽子が掃き掛け

ることもある。

︿

参考文献﹀

『日本古刀史』『重要

刀剣図譜』『日本刀大鑑』

質問箱

回答者◉冥賀

吉也

第三回・

質問箱

????????????

古」

極めの

定義と特徴

古某の所在地および時代区分

古伯耆(伯耆国、平安後期~鎌倉初期)

古金剛兵衛(筑前国、南北朝期)

古千手院(大和国、平安後期~鎌倉初期)

古京物(山城国京、平安末期~鎌倉初期)

古宇多(越中国、鎌倉後期~南北朝期)

古波平(薩摩国谷山郡、平安後期~南北朝期)

古青江(備中国子位庄・万寿庄、平安末期~鎌倉中期)古水田(備中国松山・呰部、享禄ごろ)

古備前(備前国、平安末期~鎌倉初期)古一文字(備前国福岡庄、鎌倉初期)古吉井(備前国吉井庄、鎌倉末期~南北朝期)

古三原(備後国三原庄、鎌倉末期~南北朝期)

あざえ

Page 5: 監修を警察庁に要請 刀剣評価鑑定士令和元年11月15日発行(隔月刊) 刀 剣 界 第50号 (2) 第四回 徳川家の刀剣 平成九年十月、東京国立博物館

刀 剣 界令和元年11月15日発行(隔月刊) 第50号

(5)

 

今日の俺の行き先は岐阜県中津

川市の刀剣商、お刀処恵那秋水会

の松原正勝氏。そこまで自転車で

行くのかって?まさか!クルマ

に積んで秋水会を訪ね、そこから

松原氏がアシストカーを出し、木

曽路のヒルクライムを手伝ってく

れる。氏から頂いた手紙「銀輪の

寅さんへ」に氏のこの構想が書か

れ、思わず立ち上がった観光ツア

ー調の半日だ。

 

氏は海上自衛隊員だった若き日

に、広島県呉の駐屯地に勤務。そ

こで組合黎明期を支えた一人、福

永昭二氏の刀剣店の門戸を叩い

た。定年後、和歌山県にて「南紀

刀剣店」の暖の

簾れん

を掲げ、現在は旧

中山道と国道19号バイパスが重な

るここ、氏の故郷に「お刀処恵那

秋水会」を開いている。また呉の

勤務時代に出会った千原義夫・小

山勇という二人の剣人の教える海

軍高山流抜刀術に傾倒。氏は今や、

この流派の宗家だ。

 

店内に入ると、まず高い天井に

気づく。件く

だんの抜刀術の道場も視野

に入れていたという店内は商品が

綺麗に整理され、刀剣類・刀装具

も見やすい配慮となっている。

 

五平餅をごちそうに

なったキッチンも独身

男子の割には整理が行

き届いており、だらし

ない俺には身につまさ

れる。そして岩村歴史

資料館で展示される予

定の、氏の鮫革の資料

も見せていただき嬉し

い限り。

 

一方⋮俺は木曽路を

なめていた。松原氏が

設定してくれたコース

は馬ま

籠ごめ

宿陣馬下から馬

籠峠までの標高差二〇〇㍍と、還

暦過ぎの俺には嬉しいイージーコ

ース。小雨の中軽く走破で、外国

人観光客さんからねぎらいの声。

ここでアシストカーに乗ればよか

ったのだが断り、妻つ

籠ご

宿までの下

山も自転車を選んだ俺は後悔する

ことになる。

 

小雨だった雨が次第に強くなり

土砂降りに。沢の水が大量に路面

にはみ出し、横切っている。名勝、

男瀧・女瀧の近くではもはや自転

車か水泳かわからない状態に。山

の天気は変わりやすい。そして木

曽路はすべて山の中である⋮。

 

氏の職場に戻る時、一〇㌔も離

れていないのに路面は乾き、降っ

た様子はない。氏はアシストカー

の中でニヤニヤしながら俺に言

う。「何か反省すべき生活態度で

もあるんじゃないの? 

木曽路の

神様はよく見ているよ」と。

 

はい。その通りです。整理整頓

できていません。職場で紛失物が

頻繁に出ます。反省です。

(綱取譲一)

■連絡先=〒508︲

0001岐

阜県中津川市中津川上金一二四八

二 

☎〇五七三︲

六五︲

四六一八

26

木曽路

馬籠の峠の茶屋にて松原正勝さん(右)と筆者

25第 回

●木曽路(長野県)

松原正勝

●木曽路(長野県)

松原正勝

馬籠峠は街道の最難所

馬籠峠は街道の最難所

 

私のふるさとは日本の中央部、

岐阜県中津川市で、隣の信州まで

車で十五分ぐらいで行けますの

で、岐阜県人という意識はなく、

お客さまが来ると木曽路を案内す

るのが慣例となっています。

 

当地の自然豊かな山川が喜ばれ

るのは、誰もが持っている郷愁の

琴線に触れるからだと思います。

 

わが家の前を中山道が通ってお

り、江戸時代から馬う

宿やど

(馬と馬子

を泊める宿)を経営し、戦前まで

続けていました。しかし、戦後は

車時代になって畜力輸送は幕を閉

じ、源平の昔から主動力であった

木曽馬の出番はなくなりました。

 

中山道のうち、江戸方の贄に

川かわ

宿

から馬籠までの十一宿を木曽街道

と言い、とりわけ険阻な山坂であ

りましたが、東海道のような川止

めがなく、馬籠(孫目)・妻つ

籠ご

(妻

子)といった縁起の良い宿場名も

好まれていたようです。

 

木曽路最大の難所は信濃国と美

濃国の分水嶺・馬籠峠で、標高は

八〇〇メートル、八・四キロの長

距離です。冬の道中は殊の外難儀

だったと聞いており、明治末年ご

ろまでは山賊や熊が出たので、庶

民や僧侶までも脇指を差して越え

たそうです。

 

令和元年秋、この難関に挑戦し

たのが刀剣界の銀輪スター"あさ

ってのジョー"こと綱取譲一氏。

小糠雨降る峠の急坂を愛輪駆って

上り下りするも、十月と言えど寒

気厳しく、ようやく妻籠宿までた

どり着いたが武者震いが出たよう

で、先回りしたわが軽四駆に座乗

して事無きを得ました。

 

帰りは木曽川の清流を見ながら

日差しの出

る上天気で

したが、数

十分前のあ

の木曽が嶽

の怒りは何

だったの

か、今も不

思議な旅路

でした。

中山道に面した店舗兼住宅

 

十月四日から六日まで東京・新

橋の東京美術倶楽部において「二

〇一九東美アートフェア」が開催

された。

 

東美アートフェアは、東京美術

商協同組合(以下、東美)の加盟

四八五のうち一〇二の美術商が一

堂に会し、自慢の逸品を披露する

毎年恒例の展示販売会。古美術・

近代美術・現代美術・茶道具・工

芸など多彩なジャンルの芸術が間

近で見られる機会として多くの来

場者を楽しませている。東美の会

員は厳しい審査を通過した美術商

のみ。つまり、プロ中のプロから

お墨付きを受けた美術商のみが集

まっていることも、東美アートフェ

アの価値を表すポイントである。

 

近年では来場者を楽しませるプ

ログラムとしてトークショーや体

験イベントなども充実してきてお

り、今年は「はじめての刀剣~本

阿彌家が伝える所作体験~」と題

して日本刀鑑賞の作法を学ぶイベ

ントが行われた。講師には人間国

宝である研師・本阿彌光洲氏の次

男・雅夫氏と三男・毅氏を招き、

株式会社日本刀剣・伊波賢一氏の

軽快な進行のもと、和やかな雰囲

気で実際の作品を前に鑑賞の作法

を伺った。

 

最近の刀剣文化への関心の高ま

りを反映してか、予約制の会場は

事前申し込みの時点で三十名の枠

は満員となった。ほとんどが初め

て刀剣を鑑賞する美術愛好家の

方々だったが、真剣に鑑賞の作法

を学び、自らが刀を扱う姿を記念

に撮影してもらうなど楽しんでい

た。

(飯田慶雄)「はじめての刀剣~本阿彌家が伝える所作体験~」の参加風景

東美アートフェアで

日本刀鑑賞の作法を学ぶ

 

昭和十四年初版発行の岩波新

書、本間順治著『日本刀』が復刊

され、話題となっている。

 

本書は今回が第六刷とのことだ

が、前回の第五刷は昭和十八年の

発行で、実に七十六年ぶりの復刊

となる。今年六月に刊行開始した

「岩波新書クラシックス」の一環

で、過去の名著を毎月一冊ずつ限

定復刊するもの。第一弾の『戦争

と気象』も、昭和十九年の初版以

来という。

 

当時、文部省宗教局保存課に所

属し、日本刀の研究では既に第一

人者であった著者が蘊う

蓄ちく

を傾け、

平易明快に説いた書。日本刀の歴

史・特色・鍛錬・研磨・鑑定・取

り扱い・保存まで多岐にわたり解

説。国宝・名物、名刀正宗や妖刀

村正をはじめとした著名な刀剣に

も論及している。

 

復刊が公になるとすぐにSNS

で反応があり、刀剣乱舞関連のサ

イトがツイートして以来、反響は

増大。一時は同社のオンラインシ

ョップに『広辞苑』に次ぐ最大級

の注文が殺到、さらに発売からわ

ずか三日で重版が決定したとい

う。利用者は普段の岩波新書購入

層に比べ、圧倒的に女性が多いこ

ともあり、岩波新書編集部も「刀

剣乱舞がなかったら復刊はなかっ

たでしょう」とコメントしている。

本間順治著『日本刀』が76年ぶりに復刊帯以外は全て

初版と同じ『日本刀』

 

九月十二日、岡山大学で開催さ

れた日本鉄鋼協会「鉄の技術と歴

史」研究フォーラムにおいて、三

上貞直刀匠(全日本刀匠会前会長)

が「全日本刀匠会のあゆみ」と題

し、昭和五十年に設立された同会

の前史から今日に至る長い歴史を

講演された。

 

刀匠会結成の動きは、作刀材料

の払底という切実な問題に触発さ

れて始まる。自家製鋼研究会が四

回にわたって開催されるとともに、

新玉鋼などの新材料も模索される

一方で、四十八年に政財界のメン

バーによる「新作刀を守る会」が

発会、財団法人日本美術刀剣保存

協会(当時、本間順治会長)が中

心となってたたらの復活操業を構

想するところとなる。そして、日

刀保たたらは五十二年に始まる。

 

刀匠会は日刀保に所属しつつ

も、自助努力をもって新たな地平

を切り開いてきたと言える。「お

守り刀展」やアニメとのコラボ「エ

ヴァンゲリヲンと日本刀展」など

はおなじみだが、ほかに後継者の

育成支援や製炭などの周辺技術の

保存にも意を注いできた。

 

四十余年の歩みは先人たちの思

いに立脚し、まさに戦後刀剣史を

物語るストーリーである。つい先

ごろまで会長を務めてこられた三

上刀匠ならではの、聴き応えのあ

るお話しであった。

 

なお、今回のフォーラムは開催

地にちなんで「中国地方の鉄と関

連産業の技術と歴史を探る」をテ

ーマとし、合わせて七本の講演が

あった。

(土子民夫)三上刀匠の講演に約100名が耳を傾けた

三上貞直前会長が

「全日本刀匠会のあゆみ」を講演

「木曽街道六十九次」

の馬籠峠(英泉画)

Page 6: 監修を警察庁に要請 刀剣評価鑑定士令和元年11月15日発行(隔月刊) 刀 剣 界 第50号 (2) 第四回 徳川家の刀剣 平成九年十月、東京国立博物館

刀 剣 界令和元年11月15日発行(隔月刊) 第50号

(6)

ブック・レビュー BOOK REVIEW 「加賀百万石」︱何とも絢爛豪

華な響き。刀剣や金工を専門とす

るわれわれには、何かと縁が深い。

三代前田利常の時に後藤顕乗を招

き、加賀金工を指導させて金工文

化が開花。刀工も越中守高平や兼

若、加州清光、陀羅尼勝国、そし

て人間国宝・隅谷正峯師と、刀剣

の歴史上に名を遺した名工・優工

を輩出したのが加賀である。

 

では、加賀前田家とはどのよう

な家なのか︱。家康・秀吉に仕え、

江戸時代は新徳川の大名として続

いたということは周知のこととは

思うが、それ以上のこととなると

怪しくなる人は多いのではないだ

ろうか。筆者も例外ではない。

 

これまでに、家老の今枝民部が

主君の差料に相応しいかどうか、

京都の本阿弥光山に刀の鑑定を依

頼した旨、史料が付帯する法城寺

無銘の刀や、やはり家老の横山氏

の家紋入りの金具で装われた応永

盛光の脇差と出会った際に、いろ

いろ調べた経験がある。が、前田

利家やその子供たちの話となる

と、「あまりよく知らない」とい

うのが正直なところである。

 

実は、加州長次の立派な薙刀に

ついて調べる機会を得た。前田利

常が、後見する孫綱紀の藩政十年

目の承応三年(一六五四)、兄利

長を祀る高岡瑞龍寺に兼若・家重

ら領内二十二工の刀を奉納し、綱

紀の武運長久と家運隆盛を祈って

制論」、義時側の主張を「東国国

家論」と言うそうですが、繰り返

しになりますが、本書を読んでい

ただければと思います。

 「これでいいのか」という危機

意識は、義時に代表される御家人

たちの間に広がっていき、実朝暗

殺という衝撃的な形で現実のもの

となります。

 

実朝の暗殺という事態を知っ

て、後鳥羽上皇は「義時を討て」

という命令を各地の御家人たちに

与えました。後鳥羽上皇と「義時

とその仲間たち」との間で承久の

乱が起こります。結果は「義時と

その仲間たち」の勝ちとなります。

東国の武士たちは生き残りをかけ

た戦いに、京都に攻めていきまし

た。後鳥羽上皇側の武士には東国

武士たちのような覚悟もなく、ま

た、兵の動員数も幕府側一万七千

人以上、後鳥羽上皇側一千七百人

と、義時方の圧勝でした。

 

これにより「義時とその仲間た

ち」は、本当に鎌倉幕府となりま

す。つまり、後鳥羽上皇を隠岐に

配流とするなど、むき出しの暴力

を見せることで朝廷の人事に介入

していきます。

 

承久の乱以後、日本という国の

メインプレーヤーが、貴族から武

士という在地領主へと変わってい

ったのです。

 

小生は本書を読んだことで、今

までよくわからなかった鎌倉時代

のことが少し理解できたような気

がします。あなたもぜひ読んでみ

てください。

(持田具宏)

いる。長次はこの時の刀工の一人な

のであった。刃長二尺六分九厘で、

地刃明るく、なかなかの出来栄えで

ある。

 

利常はなぜ孫の後見をしているの

か。なぜ兄利長の菩提寺瑞龍寺に刀

を奉納したのか。兄弟の生涯はどん

なだったのか。何も知らない。それ

で最寄りの図書館で手にしたのが、

この本であった。

 

この本は前田家三代、利家・利長・

利常の人物、そして業績について述

べた書である。利家は「かぶき者」。

威勢のいい感じがするが、それゆえ

に数々の試練があった。そして比叡

山焼き討ちを決行した信長同様、一

向一揆衆への苛烈な処罰(磔や釜煎

りを行ったらしい)を実行したこ

と(武生小丸城跡出土の文字瓦があ

る)。そして賤ケ岳の戦で柴田勝家

が敗れた後の身の振り方(要するに

秀吉旗下の有力武将として生まれ変

わった)。その後の、北陸における

領主としての日々⋮。草創期の苦労

がわかりやすく記されている。

 

利長と弟利常の時代は、徳川氏と

どう折り合いをつけて生き残るかが

問題であった。利家とは別の意味で、

苦難続きであった。老獪な家康に無

理難題を突き付けられる利長は、ど

うやって耐え忍んだのか。三代利常

も積極的に徳川氏の普請にお金を出

し、親徳川として態度を明確にして

いる。だが、その結果、深刻な財政

難という厳しい現実が待っていた。

 

利常はどうしたか⋮。

彼は実にいいところに目

を付けた(重臣二人には

「何とまあ欲の深いこと」

と言われて呆れられたら

しいが)。この利常が、

しかし、なかなかの人で

ある。彼は加賀藩主とし

ては唯一人質となった経

験のある人だという。切れ者なのに

(いや、切れ者故に)暗愚を装って、

平素から鼻毛を長く伸ばしていたと

いうから面白い。こんなやり手の殿

に年貢を搾り取られる側は⋮たまっ

たものではない。

 

利家が、太閤の勘気を被ったキリ

シタン大名高山右近の身柄を預か

り、利長も高山右近を尊敬して大事

にしていたことも興味深かった。加

賀藩領内には武士を中心にキリシタ

ンがかなり増えた。しかし、幕府が

禁教の姿勢を明確にするや、一転し

てキリシタンへの厳しい態度となる

のである。とはいえ、棄教はそう簡

単にはいかない。転んだふりをして

内心では⋮という例は多々あったは

ずである。

 

そういうひそかな信仰を物語る金

工作品などはないのだろうか。隠れ

キリシタン鐔が埋もれているのでは

なかろうか⋮。

 

加賀前田家と筆者は、無縁ではな

い。前田三代の時代に、遠祖・小嶋

七郎兵衛は微禄をもって召し抱えら

れ、家老大音主馬の家中として、小

立野というところに住んでいた。し

かし、祖先はもちろん、ご主君前田

家について知らぬことばかり⋮。

 

そういえば、学生時代、単位交換

制度で、慶応大学院の大音さんと机

を並べた。「祖先は由緒ある武家ら

しい」との評があり、何となく上品

な大音さんは、まさに大音主馬の家

系だったに違いない。ただただ無知

を恥じるばかりである。(小

島つとむ)

■見瀬和雄(みせ・かずお) 

一九

五二年石川県珠洲市生まれ。七七年

金沢大学法文学部史学科卒業。八五

年國學院大学大学院文学研究科博士

後期課程修了。金沢学院大学名誉教

授・富山工業高等専門学校教授。

 

前々号に続いて、本郷和人先生の

本です。この本は、著者が鎌倉時代

を専門とする研究者であり、承久の

乱は資料が少ない中、この時代をき

ちんと理解していないと書けないそ

うです。何しろ「あとがき」で、構

想二十年、鎌倉幕府とは何か、をず

っと考え続けていたからこそ書けた

本だ、とまで言い切っています。

 

ということで『承久の乱』を読み

ました。

 

最初に作者が言うのは、鎌倉時代

に「幕府」というきちんとした政治

システムが確立していたわけではな

かったということです。源頼朝を棟

梁と仰ぎ、そこに結集することで自

分たちの利益、特に土地の保障(安

堵)を得る。それが「御恩」であり、

報いるために頼朝の命令の下に闘う

ことが「奉公」です。それを受け入

れた武士たちは、頼朝の子分として

「御家人」と呼ばれました。

 

つまり鎌倉幕府とは、一言で言え

ば、保証人・頼朝と主従契約を結ん

だ仲間たちが、東国に築き上げた安

全保障体制なのです。あくまで東国

ですから、朝廷にはほとんど影響は

ありませんでした。しかし、頼朝が

亡くなると、幕府に大きな政変があ

りました。

 

頼朝の死後、二代将軍となったの

は、二十一歳の嫡男源頼家でした。

これまでの頼家の評価は、非常に低

いものでした。経験不足で未熟な将

軍だったために、御家人の離反を招

き、最後には幽閉され、政権から排

除されてしまうのです。

 

しかしながら、これは『吾妻鏡』

に書かれていることなのです。同書

は北条氏支配を正当化するための歴

史書です。つまり、北条氏が実権を

握っていく歴史を正当化するために

も、頼家は暗君として描かれなけれ

ばならなかったのです。

 

何しろ頼家が将軍になってから、

北条政子の父親である北条時政が、

梶原景時・比企氏・畠山重忠といっ

たライバルたちを次々に謀略で滅ぼ

し、将軍頼家までも修善寺に幽閉し

てしまいます。

 

その時政に従い、血なまぐさい政

争に明け暮れながら、最後には父を

追い落とした北条義時。血で血を洗

うサバイバルの最終勝者となった義

時こそ、知謀と武力で勝ち上がった

「鎌倉の王」であると、東国武士の

誰もが認めたはずです。

 

頼朝が東国の武士団を率い、平家

を打ち破って「武士による、武士の

ための政治を実現する場」として、

鎌倉幕府は生まれました。その幕府

内の権力闘争に勝利した義時は、頼

朝の真の後継者として、鎌倉幕府は

「頼朝とその仲間たち」から「頼家

とその仲間たち」による政権になっ

たのです。

 

三代将軍は、頼家の弟である実朝

が継承します。実朝は十二歳でした。

 

ここから、朝廷、

すなわち後鳥羽上

皇が登場します。

 

後鳥羽上皇は、

学問好きの実朝の

ために、都の一流

の知識人を家庭教

師にすることを認

めます。優れた歌

人でもあった実朝

は、『新古今和歌集』の選者である

超一流の歌人・藤原定家に歌を送り、

定家が添削をして返す形で個人レッ

スンを続けました。また、学問的な

能力に秀でていた下級貴族・源仲章

を鎌倉に送り込みます。彼は実朝の

学問の師になったばかりか、幕府内

の政治にも関与しました。

 

後鳥羽上皇は実朝の婚姻関係にも

深く関与していきます。自身の母親

の実家である坊門家の信子を、実朝

の正室にすることを認めたのです。

 

さらに官位です。実朝は驚くべき

スピードで宮廷での地位を上げてい

き、ついには父頼朝をしのいで右大

臣にまで昇っています。

 

後鳥羽上皇は実朝に好条件を与

え、実朝が後鳥羽上皇に積極的に仕

えることこそ、幕府と朝廷の正しい

あり方だと考えていました。

 

後鳥羽上皇にしてみると、鎌倉武

士のトップを自分の考える秩序の中

に完全に囲い込んだという認識があ

ったはずです。しかし、そこに落と

し穴がありました。

 

実朝は、朝廷に接近することによ

るデメリットに目を向けていません

でした。それは、在地領主である御

家人たちとの間にギャップが生まれ

ることです。

 

承久の乱が起きた根本的な原因

は、ここにあります。詳しくは本書

を読んでいただくしかないのです

が、後鳥羽上皇の国家観は、全

ての頂点には皇家(天皇・上皇)

が存在します。それに対して、

頼朝や義時が考えていたのは

「在地領主による、在地領主の

ための政権」です。朝廷を否

定するわけではありませんが、

東国には東国のやり方がある、

という主張で、交わるわけもあ

りません。

 

後鳥羽上皇の主張を「権門体

百万石を築いた領主三代の実像に迫る

『利家・利長・利常―前田三代の人と政治』

見瀬和雄著 

北国新聞社 

定価一、九四四円(税込)

後鳥羽上皇vs﹁北条義時とその仲間たち﹂

『承久の乱―日本史のターニングポイント』

本郷和人著 

文春新書 

定価(本体八二〇円+税)

古銭·

切手·

刀剣 売買 評価鑑定

㈱城南堂古美術店

〒153–0051

東京都目黒区上目黒四–三一–一○

TEL ○三–三七一○–六七七六

    ○九○–三二○八–九六一二

FAX ○三–三七一○–六七七七

代表田中

勝憲

Page 7: 監修を警察庁に要請 刀剣評価鑑定士令和元年11月15日発行(隔月刊) 刀 剣 界 第50号 (2) 第四回 徳川家の刀剣 平成九年十月、東京国立博物館

刀 剣 界令和元年11月15日発行(隔月刊) 第50号

(7)

 

サムライという言葉、何かと耳

にする。サッカーや野球の日本代

表チームには「侍(サムライ)」

が冠される。しかし、日本をイメ

ージするキーワードとして多く用

いられるサムライという言葉につ

いて、歴史的な実態を踏まえて使

用しているとは言い難いのではな

いか。そこで、この企画展では、

徳川将軍膝下の江戸で、サムライ

がどのように活動していたのか、

さまざまな史料を紹介し、そこに

垣間見られる「生のサムライの生

活」を通して、サムライの実像に

迫ろうというのである。

 

紹介されている史料は、屛風絵

の中に描かれたサムライ、文書に

見るサムライ、雑兵たち、そして

幕末にフェリーチェ・

ベアトが撮

影した写真などである。

 

ベアトの写真は一つの目玉であ

る。この企画展のポスターに使用

された写真は薩摩藩の武士たち

で、一八六三~七〇年ごろの撮影

と推考されている。よく見ると、

中央の武士の拵に薩摩拵独特の返

しが付いている! 

人物もさるこ

とながら、永代橋の美しいこと⋮。

こうした江戸の風景に、おそらく、

『大君の都』のオールコックをは

じめ、来日した欧米人の多くが魅

せられていたに違いない。

 

もう一つの目玉は、江戸勤番の

生活を描いた絵巻である。明治期

に、幕政時代を懐かしんで描かれ

たもので、舞台は久留米藩の武士

の勤番長屋、通称「田楽」である。

なぜ田楽というか⋮これもぜひ展

示品を見て探ってほしいが、そこ

に出入りする人々は酒を飲み、俳

句の集まりを催し、また酒を飲み

⋮。絵巻には、藩主の帰国が延期

になったために長屋で発生した乱

痴気騒ぎまで描かれている。

 「あー、こんなこともあったな

あ」という製作者の思いが伝わっ

てくる。

 

刀も何点か展示されていた。中

でも注目されるのは、山岡鉄舟

が、江戸城の開城直前の交渉で薩

摩方に赴いた際、腰に差していた

と伝える家吉の刀だろう。先反り

がついて切先付近の焼きが深く、

一枚帽子になっている。地鉄は総

じて黒味があり、映りも観察され

る。棟には無数の受け疵があるよ

うだ。「これは切れそう⋮」。

 

まじまじと眺めている背後を、

若者三人が、「こんなんで切られ

たら痛いだろうなあ」と言いなが

ら、ほとんど見もせずに通り過ぎ

ていった。

辣らつ

腕わん

の名主で、幕臣になった川

崎平右衛門の史料も展示されてい

た。興味を引かれたのは武蔵野小

金井界隈の絵図であった。玉川上

水に桜を植えて観光客を呼び込も

うという企画にまつわる絵図で、

井之頭の池や調布の地名も見え、

まさに筆者の生活圏なので、とて

も面白かった。

 

農民や町人から武士へという身

分の移動は、案外少なくなかった

らしい。身分の移動、二重の身分

に関する本を読んでいる最中だっ

たので、実に興

味深かった。

 

江戸の武芸の

項では、勝小吉

の師匠・平山行

蔵が修業した井

上貫流が取り上

げられていた。

また幕末の洋式

兵学の影響で衣

服が変わったこ

とを示す展示では、江川太郎左衛

門が考案した「韮山笠」が展示さ

れていた。紙縒こ

りで編んで黒漆塗

とされ、たたんで収納できるとい

う。実に緻密な造り。感動して鳥

肌が立つ。

 

ただ、筆者は、サムライという

言葉にいささか違和感を覚える。

「軍事人︿イクサビト﹀、侍︿サム

ライ﹀、武士︿ブシ・モノノフ﹀、

武家︿ブケ﹀、士︿サムライ﹀など、

その呼称はさまざまであるが、本

質的に武装する人という点に違い

はない」(図録)とあるが、本当

にそうなのだろうか。本紙で先に

紹介した高橋昌明先生の『武士の

日本史』(岩波新書)では「古代・

中世では、武士の大多数は侍だが、

侍は武士以外にもたくさんいる」

と述べられていた。また帯刀が必

ずしも武士に限らなかった事実を

明らかにした尾脇秀和氏の『刀の

明治維新』(吉川弘文館)も脳裏

に去来し、「サムライ」ですべて

まとめてしまうことには引っ掛か

りを覚えてしまうのだ。

 「サムライでいいじゃないの、

それで丸く収まるのだから」と言

われればそうなのだが、でもやっ

ぱり気になる。

 

全体に、大変、面白い企画展で

あった。

(小島つとむ)

 

刀身彫刻作家の橋本太郎(号

琇しゅう

巴は

)氏の個展を、まだまだ猛

暑が続く八月十九日に見に行きま

した。

 

小生、同じ埼玉県民同士なの

で、日ごろから鎺の製作などで何

かとお世話になっています。何し

ろ小生の小銭入れに付けている目

釘抜きは先生の作品で、これが何

とも使いやすく、もう一つ買って

もいいかな、なんて暢気な心持ち

で出かけていったのですが、いざ

行ってみると、そこはすごい空間

でありました。

 

横浜髙島屋の美術品売り場の一

角で個展は行われていました。入

って最初に目にしたのが、山口清

房刀匠の短刀に倶利伽羅と羂け

索さく

彫りを施した作品。次に二号刀か

ら五号刀までは、吉原国家刀匠の

平造りの短刀と脇指に観世音菩

薩・倶利伽羅・火焔倶利伽羅・不

動明王と彫りが続きます。

 

その後は、これも現代刀匠の小

刀に彫りをした作品十点。続い

て、ご自身で製作された銀の小刀

に彫りをした作品十二点。さらに

根付として製作された作品が数多

く続くのであるが、驚いたのは、

その根付が女性の上半身形のマネ

キンにペンダントとして飾られて

いたことです。橋本先生はこれを

見た途端に「こいつは売れるな」

と直感したそうで、事実、お客さ

まが喜んで買ってくださったそう

です。

 「自分では根付以外の用途は考

えられなかったんだが、ペンダン

トとして売るなんてさすがだよ。

この個展を開いてくれた伊波さん

のおかげだな」とのことなので、

伊波賢一さんに伝えたところ「あ

れは僕がしたのではなく、横浜髙

島屋の美術部員の仕事ですよ」と

笑って受け流されてしまいまし

た。

 

しかし、橋本ワールドと言って

いい、この濃厚な展示空間が出来

上がったのはひとえに伊波さんの

おかげだと、橋本先生は思ってい

るようです。

 

先生の根付コレクションは、獅し

嚙かみ

・亥の目・九く

字じ

などを金・銀・

赤銅・素銅で製作しますが、中で

も九字を彫ったものが面白いので

す。九字とは、難行苦行に立ち向

かう時、行者が唱える「臨・兵・

闘・者・皆・陣・烈・在・前」の

呪文です(別掲)。

 

先生がこれを彫りのテーマに取

り入れたのは、埼玉県立歴史と民

俗の博物館(旧埼玉県立博物館)

所蔵の国宝短刀「謙信景光」の鎺

からだそうです。この鎺には、表

に烏う

枢す

沙さ

摩ま

明みょう

王おう

の梵字が彫られ

ていることは知られていますが、

裏には九字が彫ってあるそうで

す。これを自分の作品にも取り入

れたいと思い、苦心惨憺の末、よ

うやく出来上がったそうです。

 

橋本先生は七十歳を過ぎました

が、刀身彫刻・金工細工アクセサ

リー作家として、まだまだ活躍し

てくれるでしょう。

 

ちなみに、小生が買おうと思っ

ていた目釘抜きは、今回は出品さ

れなかったそうで、何も買えずに

帰りました。スミマセン。

(持田具宏)

イベント・リポート

橋本琇巴展の会場

九字

サムライという一語でまとめてしまって本当にいいのか!?

東京江戸東京博物館特別展「サムライ―天下太平を支えた人々」

意外性も楽しい根付コレクション

横浜髙島屋美術画廊「刀身彫刻橋本琇巴展」

『山陰中央日報』令和元年9月₂₈日

 靖國神社御創立150年を記念する短刀を、10月11日に靖國神

社へ奉納させていただきました。昨年11月11日に境内で行われ

た奉納鞴祭にて鍛錬した和鋼をもって製作した短刀は、藤代興

里・藤代竜哉両師が見事に研ぎ上げてくださいました。

 まずは到着殿にて「全日本刀匠会関東支部�支部長�川﨑晶平」

と記帳。短刀は目録とともに山口建史宮司にお渡しした後、少し

だけ解説をさせていただきました。「日本の平和と弥いや

栄さか

を祈り8

寸8分の直刃、小杢目・小板目が肌立ち地沸厚くつき、刃中の働

きも盛ん。鎺は銀無垢で表地に靖國神社の紋を彫り、白鞘は水野

美行師が製作」と。その後、奉納鞴祭に奉仕させていただいた刀

匠7名らとともに昇殿参拝し、荘重な奉納式となりました。

 靖國神社の皆さま、奉納に携わった皆さまに心より感謝申し

上げます。� (文/川﨑晶平 撮影/トム岸田)

Page 8: 監修を警察庁に要請 刀剣評価鑑定士令和元年11月15日発行(隔月刊) 刀 剣 界 第50号 (2) 第四回 徳川家の刀剣 平成九年十月、東京国立博物館

刀 剣 界令和元年11月15日発行(隔月刊) 第50号

(8)

催 事 情 報

 甲冑、弓矢そして刀剣…。日本社会を長らく支配し続けた武士階級は、基本的に軍事をつかさどる存在でした。武士にとっての価値観は、古代以来「弓馬の道」とうたわれ、南北朝や戦国の動乱期を通じて、甲冑や刀剣の形態もさまざまに変化してゆきます。武士の戦装束である「武具」は、生死に関わる実用の道具であるのと同時に威信財としての機能も持ち続けたのでした。 当館所蔵の武具類は、上田藩主所用の甲冑や弓矢、藩のお抱え刀鍛冶が鍛えた刀剣、陣羽織などを中心としていますが、当地域の方が収集・寄贈されたものなど、いずれも上田にゆかりの深いものばかりです。本展を通じて、上田の地には多くの貴重な文化財があるということ、そしてそれらを現代まで長く伝えてきた人々の思いを感じ取っていただけると幸いです。会期:10月26日㈯~12月1日㈰

■上田市立博物館 〒386-0026�長野県上田市二の丸3-3 上田城跡内 ☎0268-22-1274https://www.city.ueda.nagano.jp/hakubutukan/tanoshimu/hakubutsukan/uedashi.html

開館90周年記念特別展 「武士の魂─上田ゆかりの武具と刀剣」  この度の展示では原点に立ち返り、日本刀鑑賞の基礎たる点にスポットを当てることにいたしました。 近年、増えている若い刀剣愛好家からの声もあり、日本刀はどのように見ればよいのか、どこが見所なのかをわかりやすく示し、日本刀の魅力を存分に楽しんでいただこうと思います。 そこで「日本刀の見方」と題し「姿」「地鉄」「刃文」それぞれに焦点を当て、全3回に分けて日本刀鑑賞のポイントを解説するシリーズ展示を企画しました。本展覧会では(公財)日本美術刀剣保存協会の所蔵品を中心に各時代の名刀や、彩りを添える刀装・刀装具を展示いたします。初心者も玄人も共に肩を並べて心置きなく、名品をご賞翫ください。会期:10月12日㈯~12月23日㈪

■刀剣博物館 〒130-0015�東京都墨田区横網1-12-9 ☎03-6284-1000 https://www.touken.or.jp/museum/

日本刀の見方 パートⅡ地鉄

印刷/株式会社キタジマ

会場によって休館日が異なります。事前に確認の上、お出かけください。

 平成28年の熊本地震により被災した熊本城大天守の外観修理完成を記念して、熊本城主・加藤家、細川家の「武」にまつわる歴史資料や美術工芸品を、主に熊本城との関わりに沿って紹介します。 加藤清正によって築かれた熊本城は、加藤家改易後に熊本藩主となった細川忠利によって整備され、明治維新を迎えるまで細川家の居城として用いられました。難攻不落の城造りを目指し、度重なる改修によって強化された熊本城の防衛力は、明治10年(1877)に勃発した西南戦争で、50余日に及ぶ過酷な籠城戦を耐え抜いたことにより、図らずも証明されることになります。 本展では、桃山時代の築城から、江戸時代の改修を経て、明治時代に至る熊本城の歴史と、それを取り巻く「武」の世界を、加藤家・細川家ゆかりの甲冑や刀剣と、城絵図や古文書をはじめとした歴史資料からたどります。また、菊地地域で活動した延寿派の刀剣と、肥後の豪刀・同田貫、肥後鐔をはじめとした刀装具の美をご紹介します。会期:10月26日㈯~12月15日㈰

■熊本県立美術館 〒860-0008�熊本市中央区二の丸2 ☎096-352-2111 https://www.museum.pref.kumamoto.jp/

熊本城大天守外観復旧記念 「熊本城と武の世界」  平安時代に伯耆国(現在の鳥取県中・西部地域)に現れた鬼才、安綱とその一門。武家社会でその太刀は尊ばれ、秘蔵され、そして神へと捧げられました。しかしその門流はいつしか途絶え、その作品は多くは残っていません。平成29年に春日大社で存在が確認された古伯耆の太刀もまた、中世の有力武将の奉納と伝わってきました。この話題を呼んだ太刀の発見を契機に、春日大社では、安綱をはじめ真守、安家、有綱など古伯耆の名刀の原像を調査してきました。 本展は国宝・重要文化財に指定された安綱・古伯耆のほぼすべての作品が、900年の時空を超えて、春日大社国宝殿に集結する画期的な展覧会となります。また日本刀は、正倉院宝物などに見られる直刀から、刀工の祖とされる大和国(奈良県)の天国が作ったとされる小烏造(鋒両刃造)や毛抜形太刀といわれる様式を経て、平安時代中期から後期にかけて美しい反りを持つ日本刀が成立しました。こうした日本刀が成立する過程で安綱は、京都の三条宗近・古備前刀工と並んで、最古級の刀匠とされていることから、国学院大学所蔵の直刀(6世紀)から、春日大社が所蔵する鋒両刃造の国宝「黒漆平文飾剣」�や国宝「金地螺鈿毛抜形太刀」、大山祇神社(愛媛県)所蔵の「古神宝太刀」をはじめ、日本刀の発祥の地とされる大和、山城、備前の名刀を併せて展示し、日本刀成立の謎に迫ります。なお、今回展示される作品には、素晴らしい拵(太刀拵)が付いているものが多く、刀身とともに拵(外装)も併せ展示します。 また、一説に安�綱は奈良市杣ノ川町の出身で、刀剣に反りをつけた最初の刀工という伝承が残されています。こうした説話が生まれる背景など、文化的側面からも安綱の謎、魅力にせまる画期的な展示となります。�会期:12月28日㈯~3月1日㈰

■春日大社国宝殿 〒630-8212�奈良市春日野町160 ☎0742-22-7788 http://www.kasugataisha.or.jp/

最古の日本刀の世界 安綱・古伯耆展

 

十五世紀にたたら製鉄を開始

し、約四百年にわたり操業、現在

も屈指の山林地主である田部家が

経営する株式会社田部(島根県雲

南市吉田町)は、昨年約百年ぶり

にたたら製鉄を再開、これを契機

に、島根県奥出雲地方の重要な資

源である「たたら」を起点とした

地域づくり「たたらの里づくりプ

ロジェクト」を推進して、話題と

なっている。

 

同プロジェクトは、①環境、②

名品、③食品、④観光・文化の四

つのプロダクション事業で構成さ

れ、産官学連携でたたら製鉄の文

化発信に取り組んでいる。

 

田部の本拠地である吉田町には

奥出雲前綿屋鐵泉堂がオープン、

旗艦店として、復活操業で得た鉧

から作った包丁やゴルフパターな

ど十二種類の商品を販売している。

 

ちなみに、パターは地元の小林

俊司刀匠が折り返し鍛錬した玉鋼

をフェイスインサート。ヘッド部

分は最高級ステンレスSU316

Lのインゴット削り出し、ハンド

ミルで鱗模様を一つ一つ刻み込ん

だ一品である。

 

ピン型とマレット型の二タイプ

があり、カラーはシルバー、ゴー

ルド、ブラックの三色。定価は三

十二万四千円。

玉鋼を刀匠が鍛えた32万円のパター

刀匠が鍛えた玉鋼を使用

〒278-0043 千葉県野田市清水199-1TEL 04-7122-1122FAX 04-7122-1950

美術日本刀・鐔・小道具・甲冑

日本の伝統文化を彩るJAPAN SWORD CO., LTD.

〒105-0001 東京都港区虎ノ門 3-8-1TEL 03-3434-4321FAX 03-3434-4324

伊波賢一 Ken-ichi Inami㈱ 日 本 刀 剣

㈱美術刀剣松本

松本 富夫義行〒161-0033

東京都新宿区下落合3-17-33TEL 03-3951-3312FAX 03-3951-3615

http://www.iidakoendo.com

刀剣・小道具・甲冑武具

飯田高遠堂目白

代表取締役 飯 田 慶 雄

アオバ企画㈱

〒130–0012

墨田区大平四–一九–二–一三○八

TEL ○三–三六二二–二二三一

FAX ○三–三六二二–二二五一

メール aobakk@

pj8.so-net.ne.jp

〒529–1315

滋賀県愛知郡愛荘町沓掛80–1

TEL 0749–42–2736

携帯 090–3162–7641

http://www.goushuya-nihontou.com

小暮

曻一

店主

日本刀の

名品・名刀を販売

『中日新聞』令和元年10月29日