社会運動論の方法論的レパートリーの拡充 : エス title ノメ …€¦ ·...

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Title <論文>社会運動論の方法論的レパートリーの拡充 : エス ノメソドロジー・構築主義・分析的括弧入れによる運動 研究 Author(s) 濱西, 栄司 Citation 京都社会学年報 : KJS = Kyoto journal of sociology (2006), 14: 59-74 Issue Date 2006-12-25 URL http://hdl.handle.net/2433/192677 Right Type Departmental Bulletin Paper Textversion publisher Kyoto University

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Page 1: 社会運動論の方法論的レパートリーの拡充 : エス Title ノメ …€¦ · 介しつつ整理する(4節)。 それらの運動研究と従来の運動研究の関係性について考察し、

Title<論文>社会運動論の方法論的レパートリーの拡充 : エスノメソドロジー・構築主義・分析的括弧入れによる運動研究

Author(s) 濱西, 栄司

Citation 京都社会学年報 : KJS = Kyoto journal of sociology (2006),14: 59-74

Issue Date 2006-12-25

URL http://hdl.handle.net/2433/192677

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社 会運動論 の方法論 的 レパ ー トリーの拡 充

一 エスノメソ ドロジー ・構築主義 ・分析的括弧入れによる運動研究 一

濱 西 栄 司

1.は じ め に

本稿 の目的は、社会運動論の 「分裂」 に対する、方法論的な整理 ・統合の試み を、その

問題点を修正するかたちで、発展 させることにある。

まず社会運動論 の 「分裂」状況 と、それに対する大畑(2004)の 方法論的整理の もつ意

義及びその問題点一..科 学方法論に依拠するがゆえに科学的営み とそれ以外の峻別 に懐疑

的なアプローチを排除す る一 について指摘する(2節)。 次に、科学 的営み とそれ以外

の峻別 を避 けるアプローチ として、具体的にエスノメソ ドロジー と一部の構築主義、そ し

て両者の混合形態 を挙 げ(3節)、 それ らにもとつ く運動研 究の具体的形態を、事例 を紹

介 しつつ整理する(4節)。 それ らの運動研究 と従来の運動研究の関係性について考察 し、

最終的に全体 を統合可能な、より包括的な方法論的枠組みを構築する(5節)。

2.社 会運動論の 「分裂」一 科学方法論にもとつく方法論的統合の試みとその限界

現 在 、 社 会 運 動 論 は 、 国 際 的 な レベ ル で は 大 き く二 分 され て い る(Wieviorka【2005111)。

一 つ 目 は、 い わ ゆ る 「新 し い 社 会 運 動 論 」 や モ ダ ニ テ ィ論 、 カ ル チ ュ ラ ル ス タ デ ィ ー ズ 、

そ し て と り わ け ト ゥ レ ー ヌ 学 派(Dに よ る 運 動 研 究 の 流 れ で あ り、80C`αZ1レfoひe隅e漉S

S如(漉s誌(2002年 ~)、 国 際 社 会 学 会 に お い て は リサ ー チ コ ミ ッ テ ィ ー47「 社 会 階 級 ・社

会 運 動 」(1992年 ~)を 中 心 とす る も の で あ る。 二 つ 目 は 、 お な じ く リサ ー チ コ ミ ッ テ ィ

{PTourainian。A.ト ゥ レー ヌ とそ の 後 継 者 た ち(現 国 際 社 会 学 会 長 【2006-2010年1のM.ヴ ィヴ ィオ

ル カ やF.デ ュ ベ 、K.マ ク ドナ ル ド【第 二 世 代 】、 お よ び そ の 弟 子 た ち[第 三 世 代Dか ら構 成 され 、 パ リ社 会科

学 高 等研 究 院(EHESS)の 社 会 学 的 分析 介 入 セ ン ター(CADIS)・ 社 会 運 動 研 究 セ ン ター(CEM)、 お よ

び フ ラ ンス 国 立 科 学 セ ン タ ー(CNRS)、 国 際社 会 学 会 リサ ー チ コ ミ ッテ ィー47「 社 会 階 級 ・社 会 運 動 」 な

ど を拠 点 に 活 動 して い る(Cf.稲 葉[20041;濱 西 【2005a】 【2005b】 【forthcoming])。 中 心 は 、CADIS

(http〃www.ehess.丘1cadisの 。

京 都社 会 学年 報 第14号(2006)

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60 濱 西:社 会運動 論の方法論 的 レパー トリーの拡 充

一48「 社 会 運 動 ・集 合 行 為 ・社 会 変 動 」(1993年 ~)や 、Mo6`Z`2α'`oπ 誌(1996年 ~)な ど

で展 開されている、資源動員論、政治的機会構造論、フ レーム論、およびそれ らの総合理

論 、 そ して と りわ け 近 年 の 「対 決 の 政 治 」(ContentiousPoli七ics)と 呼 ば れ る 学 際 的 研 究 〔2)

などの流れである。 どちらも欧州 と北米の長 い運動論の系譜 を受け継 ぐものであるが 〔3)、

とりわけ1980年 代以降、各々の系譜のなかで総合 ・精緻化がお こなわれて きた結果、今や、

互いに他 を相当程度 まで包摂で きているという自己理解 を形成す るに至 っている ω。 しか

しながら、その ような状況は、社会運動論の 「分裂」がいよい よ通約不能なほど激 しい レ

ベルに達 したということを意味 しているのである。

このような社会運動論の 「分裂」状況 に対 して、大畑(2004)の 議論は、 もっとも有効

な対処策 とな りうると筆者は考える(%G.H.フ ォン ・ウリク ト(Wright【1971】)(6)が 概略

的に整理 した説明/解 釈 とい う科学方法論上の区分 解釈 とは、rrこ れは何である』力三

という問いに答えることをめざす1も のであ り、説明 とは、「なぜデモ行進が行 われたの,

塑、あるいは何が革命の 『原因」だったのか1を 問うものである一 を、大畑 は本格的に

社会運動論に導入 した。彼 は、「運動の説明」の例 として資源動員論 を含 む中範囲の 「運

動社 会学」 を挙 げ、「運動 の解釈」の例 と して 「新 しい社 会運動」論、 「モ ダニテ ィ論」

(ベ ック、バ ウマ ン、ギデ ンズ、メルッチなど)を 挙げつつ、社会運動論の二つの流れの

一部 を、方法論的に位置づ け直 したのである ω。

12}1960年代 か ら発展 して きた資源動 員論 、政治的機会構 造論、 フ レーム分析 を統合 しつつ、 しか し

それ らの適用対象が 自由主義社会や社 会運動 に限定 されが ちであ った ことを自己批 判す るか たちで1995年

か ら本格 的に始動 し始 めた、政治学者 ・歴史学者 ・社 会学者(A.オ バ シ ョー ルやC.テ ィ リー)な どに よる

国際比較 ・歴史比較 の学 際的 プロジェク トの ことである。「対決 の政治」 とい う用 語は、議会 や政党な どに

よる制 度化 された政 治領 域 とは区別される、社会運 動や革命、 テロ リズム な どの非制度 的な政治領域 を指

している。 コロ ンビア大学、 メ リー ラン ド大学 、 コー ネル大学 な どを拠点 にプ ロジェク トが進め られ てい

る(CfMcAdam,Tarrow&Tilly[2001】;Tilly&Tarrow[2007];Tarrow[1998=2006】)。(3,概略を示せば、欧州で は主 として、市 民革:命論(19世 紀)か ら社 会主義 ・労働運動論(19世 紀半

ば)と 群 集論(19世 紀末)、 大衆論(20世 紀 前半)を 経て、「新 しい社会運 動」 論(1960年 代以降)、 そ して

トゥレーヌ学派 の突出へ 、 とい う運動論の系譜が確 認で き、北 米では、主 と して、群衆 ・大衆 論(1920年

代)か ら集合行動論(1930年 代)へ 、相対的剥奪論(1940・50年 代)へ とす すみ、1960年 代以降 は資源動

員論、政治 的機会構 造論、 フ レーム論 、お よび総 合理論 な どが展開 され、90年 代半 ばか ら 「対 決の政治」

へ 、という系譜 が確認 で きる。く4)二つ の 流 れ を 意識 し

、 そ れ らを統 合 し よ う とす る 議 論 は 世 界 的 に 多 く存 在 した(Cf.

Touraine[1985】;Touraine【1991】;Klandermans[1986];Tarrow【1988];長 谷川[1990])。 そ の結果 、例えば、

Wieviorka(2005)は 、「対決の政治」 と トゥレー ヌた ちの研究で は、文化 的 レベ ルか政 治的 レベルか とい う

ように水準が異 なるのだ と して、最終 的には 自分た ちの理 論的枠組み のなか に他方 を回収 して い くかたち

で 自己理解 を形成 してい る。 反対 方 向へ 回収 して い く例 は数多 い が、 上述 のKlandermans(1986)、

Tarrow(1988)の 他、 日本では成 ・角(1998)、 渡辺(2000)、 長谷川(2004)な ど。㈲ ただ し

、大畑 自身 は、 日本 の社 会運動論の状況 につ いてのみ論 じてい る。本稿執筆 中に出版 され

た 『社 会学評論 』の社 会運動特 集(大 畑 ・木下[20061)も 参照。㈲ 師L .ウィ トゲ ンシュ タイ ンか らケ ンブ リッジ大学哲学教授職 後継に指名 された分析 哲学者。

Kyoto Journal of Sociology XIV / December 2006

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濱西 社 会運動 論の方法論 的 レパー トリーの拡 充 61

大畑の研究は、 日本の社会運動論者が一方に偏 らず に両系譜についての研究を進めて き

た成果であ り、世界的にみて もまだ例のない貴重 な成果だといえよう。筆者 自身も、別稿

(濱西2005b)に おいて、ウ リク ト=大 畑の方法論 的区分を、現代の国際的な 「分裂」に

適用するかたちで方法論的に下位区分 し、拡張 した 〔8)。下表はそれを若干修正 したもので

あるが、現段 階において、もっ とも広範な運動研究を方法論的に整理 したものだと考 えて

いる(表1)。

表1:運 動研究の科学方法論的 レパー トリー

運動の

説明 ㈲

運動の

解釈

「対決の政治」1総 合理論1…

動員構造 機会構造 フ レ ー ミ ング 対 決 レパー トリー

集合体レベル

個人レベルから

理論的解釈のみ(実 体論的)

ex)Habermas,Offe,

ex)Giddens,Beck,Bauman,

理論的解釈の経験的検証

ex)Touraine,Melucci,

ex)ト ゥ レ ー ヌ 学 派,…

とはいえ、このよ うな方法論的整理 ・統合の試みは、 まだ萌芽的なレベルに留 まってお

り、本稿 では、その更なる発展 を願って、あえて従来の方法論的検討 における問題点 を指

摘 し、その修正 を図ることにしたい。その問題点は、 これまでの方法論的整理 ・統合の試

みが、科学方法論に依拠 するこ とか ら生 じるものである。すなわち、科学方法論 とは、そ

もそ も科学的営みの成立条件を論 じるものであ り、科学的営み とそれ以外 とを峻別す るこ

と自体 を疑 うようなアプローチを、その射程か ら排 除 して しまうのである。た とえば、そ

の ような懐疑 をもっ とも鮮明に押 し出 しているアプローチ は、エスノメソ ドロジー(以 下

EMと 略記)で あ り、EMほ どではないにしろ一部の構築主義や、EMと その構築主義の混

m資 源動員論や政 治的機会構造論 の研究 を進めつつ、 同時 に運動 論の 「文化論 的転回」 を主張 し、

その延長上での 「新 しい社会運動論」の再評価(野 宮2002)に も関わった野宮大志郎 も、 ご く最近、「社会

運動論」 イ コー ル<社 会運 動の一般 的メ カニ ズムに関する中範 囲理論(資 源動 員論 ・政治的機会構 造論 ・

フレー ミング論 ・運動 レパー トリー論 など)〉 とい う見方を否定 し、「社会運動が現代社 会に とっていか な

る意味 を持 つのか、何 を もた らす のか」 を論 じる議 論 も 「社会運動論」 であ り、両 者は 「思考 の範疇」が

「異な る」のだ と述べてい る(野 宮[2006:234-235])。 後者 の範疇 にあたる もの として、ギデ ンズな どの グローバ ル化 と運 動 に関す る議 論を挙 げ、 また トゥレーヌやハーバマ ス もそ こに位置づ け られ ることを示唆 し

ている。野宮は、大畑(2004)に は まった く触れて いないが、「動員のプ ロセスや メカニ ズム を捉え る努力」

とは、 「運動 の説明」 の一局面 に他 な らず、「社会運 動が現代社会 に とっていか なる意味 を持つ のか、何 を

もた らす のか についての考究 」、「社会運 動現 象 を取 り巻 く世界の 中で社 会運動 はいかに働 くのか 、変革の

力はあ るのか 、それ はどこに由来す るのか」 を問 う議 論は、 まさに 「運 動の解釈」論(の ひとつ のバ ー ジ

ョン)だ といえるので あ り、野宮の 「思 考の範疇」 とい う区分 は、大畑 の方法論 的区分 とほぼ一致す る も

のである。㈲ ただ し、そ こでは 「運動の解釈」 をモ ダニ ティ論 と過度 に結 び付けて説明 してしまった。〔',本来 は、総合 理論(McAdam,Tarrow,andTilly【2001:14-17】)、 「対 決の政治 」(McAdam,

Tarrow,andTilly【2001:45])そ れぞれについて、詳細 な下位区分が存在 する。

京都社会学年報 第14号(2006)

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62 濱 西:社 会運動論の方法論 的 レパ ー トリーの拡 充

合形態 もその ような懐疑 を表 明しているqo)。 しか しなが ら、それ らにもとつ く運動研 究は

重要なものであ りなが ら、科学方法論 に依拠する方法論的検討においては取 り上げられる

ことがないのである。

もちろん、それ らを今後 も無視 してい くという方向性 もあ りえるか もしれない。だが、

科学方法論 という狭い枠組みに縛 られるよ りも、それをよ り包括的な方法論的枠組みへ と

拡張することによって、それ ら全体 を包摂することがで きるのであれば、そのほうが運動

研究の方法的 レパー トリーの拡充 という点で、社会運動論の更なる発展 につながる といえ

よう 〔1D。次節では、まずこれ ら3つ のアプローチがいかなる意味で懐疑的であるのかをよ

り具体的に確認 し、それ らの関係性 について考察 してい くことにしたい。

3.懐 疑 的 ア プ ローチ

(1)エ ス ノ メ ソ ドロ ジ ー

80年 代後半か ら90年 代 にかけてのガーフィンケルの論文集をコンパク トに まとめた、椎

野(1994)に よれば('2)、EMで あるか否かにかかわ らず、「社 会学的研究 プログラム」 の

研究対象の候補が 「秩序*ト ピック」であるとい う点は共通 しているという(ガ ーフィン

ケルは、「秩序(order)」 という言葉が独特 の意味 で用 い られてい ることを示す ために

「*」 を付 けている)。 秩序*ト ピックとは、「どの ようなものであれ何 らかの形式的構造の

合理 的特性 として考え られる無限の用語 ・述語」 のことであ り、具体的には、「理性 ・論

理 ・意味 ・証明 ・斉一性 ・一般化 ・普遍 ・比較可能性 ・明瞭性 ・一貫性 ・整合性 ・客観

㈹ 科 学的営みの特権化 を反省 しよ うとす る議論は他に も存在す る、 とい う見方 もあるか もしれ ない

が 、本稿 では、<科 学的営み とそれ以外 を峻別 した上で科学者 の特 権性 を自覚 的 ・反省 的に乗 り越 えよう

とす るアプ ローチ 〉 とく科学 的営 み とそれ以外 とを峻別す るこ と自体 を避 け ようとす るアプローチ 〉とを

区別 している。前者 は中河(2006:250)の いう 「折 り返す」 タイプの リフ レクシビテ ィに基づ くものであ

り、そ の リフ レク シビテ ィの典型例 と して、 中河 は、「グール ドナーや ブルデューの もの(自 己反省性、再

帰性 な どと訳 され る)」 を挙 げている。他 方、本稿 におい てこれ か ら検 討 されるの は、後者の く科学 的営 み

とそれ以外 とを峻 別す ることを避け ようとす るアプ ローチ 〉のほ うで あ り、中河の いう ところの 「折 り返

さない」 タイプの リフ レクシ ビテ ィに基づ くものであ る。そ の リフ レクシ ビテ ィの典型例 と して中河 は

「ガーフ ィンケル と、そ して ルーマ ンの もの(「 相互反映性 」 と訳 される)」 を挙げてい る。本稿 ではルーマ

ン理論 と運動研 究の関係 についての検 討はおこなわない。小松(2003:5章)な どをご覧頂 きたい。qD筆 者は基本的 に諸方法 の並存状 態 を好 ましい もの と捉 えている

。 実際、科学の発展の歴 史 とは方

法論 的収敏 の結果 というよ り、方法論 的並存 の結果 だとい うP.フ ァイァアーベ ン トの見 方 もあ る。(「複 数

主義的方法論」)「わ れわれが探 求 しよ うとする世界 は、大 部分は未知 の存在 だ というこ とであ る。 それゆ

えわれわれ は選択 の 自由を保持 しておか ねばな らないので あ り、前 もって 自己規制 を してはな らないので

ある」(Feyerabend【1975=1981:4-20])。u21他に北 澤(1991)

、Maynard&Claynlan(1991)、Atkin80n(1988)の 議論 も参照 してい る。

Kyoto Joumal of Sociology XIV / December 2006

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濱西:社 会運動論 の方法論 的 レパー トリーの拡充 63

性 ・客観的知識 ・細部 ・構造 などといったあ らゆる トピックの代理物」、「目的 ・合理的行

為 ・同一性 ・方法 ・意識」、「規則 ・記号 ・産出 ・原因 ・探求 ・証拠 ・知識 ・実践的行為 ・

信 頼 性 ・妥 当性 ・観 察可 能 性 」、 「説得 力 ・分析 ・秩 序 ・事 実 性 」 な ど、 「知識 史

(intellectualhistory)に おけるあ らゆる トピック」 を指す とされる(椎 野[1994:189])。

そ して、その 「秩序*ト ピック」 を、「秩序*現 象」 として読解す る作業が、「社会学的研究

プ ログラム」 であるという。「秩序*現 象」 とは、 「不朽の普通の社会 において/に つ い

て/と して(in,about,andasimmortalordinarysociety)」 あるいは 「普通の社会のワ

ーキ ングにおいて/か ら成 る もの として(in・and-as-ofLthe-workings-of=ordinary-

society)」 という形容詞がつ くものであ り、(日 常の実際の)実 践的な活動=行 為 としてあ

るもの、 とされる。それゆえEMで あるか否か に関わ らず、「社会学的研究 プログラム」 と

は、「普通の社会の産出 とその説明=叙 述可能性 を、す なわち実践 的活動=行 為の形式的構

造の合理的な説明=叙 述可能性 を再特定化す る」作業なのだ とい う(ibid:1go)。

では、EMと それ以外の違いはどこにあるのか。ガー フィンケルによれば、「秩序*ト ピ

ック」 を 「秩序*現 象」 として読解す る仕方が違 うのだという。EMと は異なる社会学的研

究 プログラムの代表 として挙げ られているT.パ ーソンズの行為理論は、 ガーフィンケルに

よれば、「具体的な活動=行 為」 と 「分析 的な活動=行 為」 を区別 した上で、「具体性vs分

析のペ アを用いて、具体的な活動=行 為 には秩序性がない」 ということを主張す るもので

ある(ibid:191-192)。 つ ま り、形式的分析 的社会学においては、秩序*ト ピックは、具体

的な活動=行aラ においては、秩序*現 象 として組織化 されず、構築的分析 を通 して産出さ

れた分析的な活動=行 為 においては じめて組織化 されるとみなされる。つ ま り、髄

分析的活動は、当事者の活動 とは別種のもの として位置づ けられている。

それに対 してEMは 、「どのような秩序*ト ピックも、ただ単 に局所的 に相互反映的に産

出され、 自然に叙述可能な秩序*現 象 として、発見 され発見可能であ り、再特定化 され再

特定化可能なものである」 と考える(13)(つ ま り、研 究対象 は共通で、読解の仕方だけが異

なる)。 ただ、「そ うした秩序*現 象 とは、伝統的研究か ら見れば、不朽 の普通の社会の陳

腐 な平俗 な見慣れた不可避で矯正不能な、興味のわかない 「市井の ワーク」 なのである」

(ibid:193)。 もちろん、EMに おいて も、「方法=手 続 き=実 践」 だけに分析 ・記述の焦点

をあてるために、「自然的態度」の括弧入れは行 われる(Maynard&Clayman[1991D。

㈹EM初 期のエ スノグ ラフィーや、 ワー クの研究で は、その場が特定 の制 度的状況であ るとい うこ

とを前提 に している ようにみえる し、会話 に先立つ あ らゆる背景 カテゴ リー を括弧 に入 れる ラデ ィカルな

会話分析 にお いて もまった く状 況が書 かれない というこ とは滅多 にない(Maynard&Claylnan【1991])。

とはいえ、EMは 、 自らの方法 的規 準 と、 「社 会学 」 として成 り立つ もの との あいだのギ リギ リの ライ ンを

見つけ出そう としているのである。

京都社 会学年報 第14号(2006)

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s4 濱西:社 会運動論の方法論的 レパー トリーの拡充

だがその ような括弧入 れは研究者 だけでな く誰 しもが行 うことの出来る作業 とみなされて

いる(会 話 で も 「言い間違 い」がある ように、上達や技能の程度 はあるが)。 それゆえ、

研究者の活動 と人びとの活動は、習熟 の違いはあれ、基本的に同種の活動 とみ なされてい

る の で あ る 。

(2)構 築主義

構築主義 にはい くつかのバージ ョンがあるが、ここでは最 も明確な議論 を展開 している

と思われる 「社 会問題の構築主義」を取 り上げる(そ のバ ージョンがいわゆる 「構築主義」

の中心だと言っているのではない)。 とりわけ、いわゆる 「構築主義論争」を経た後のバ

ージ ョンで、 しか もその提唱者 を著者の一人 として含 む、 イバ ラ とキツセ(Ibarra&

Kitsuse【1993】)の バージ ョンを紹介 しよう。それに よれば、社会問題の構築主義者が関心

をもつのは、「クレイム申し立て」(claim-makillg)で あ り、分析 の出発点 となるものは、

「クレイム申し立 て活動 の参加者が提示す る想定 された状態についての記述 と、その状態

の問題 とされる性質 をめ ぐる主張(つ ま り定義)」 である。その調査課題は、社会問題 に

関する 「メ ンバーの定義が 「その問題」 についてのメ ンバーの概念 をどの ように表現す る

か、それは どのように して、誰に対 してクレイムとして提示 され、その提示 にあたってどリソ ス

のような材料が動員されるか」 とい うことである(Ibarra&Kitsuse【1993:51】)。

このような 「(社会問題の)構 築主義」アプローチは、科学的営み とそれ以外 とを峻別

す るものであろうか。 その間いの答えは、 この場合の 「秩序*ト ピック」が何 であ るかに

依存 している。 もし 「クレイム申 し立て」が 「秩序*ト ピック」であるとすれば、「クレイ

ム申し立て」 という活動が人びとによって自然に組織化 されていると考 えるか否かが重要

になるが、そのような概念は研究者側がつ くったものであ り、従 って誰が 「クレイム申 し

立て活動の参加者」であるかを判断できるの は研究者だけだということになるだろう。他

方、 もし 「人び とが提示する想定 された状態 についての記述 と、その状態の問題 とされる

性質 をめ ぐる主張(つ まり定義)」、つ まり 「状態の カテゴリー」 を 「秩序*ト ピック」 と

みなすならば、それ らは人びとによって自然 に組織化されていると考えてもおか しくはな

い 。 の に 参 て い る ・ど'・ は び と

カ の で あ り 、 ミ当'当 と 身 .外を嵯

自身によって 然に.認識する二 どの可能

別す ることはなくなる。実際、イバ ラとキツセ

は、人びとにそのような能力があると考えているようだ。例 えば 「社会のメ ンバーは、社

会の状態(も しくは 「状態 と想定 されるもの」)を 道徳的な客体 として構築する作 業に積

極的に携 わる、知覚 を備 えた主体」(ibid:48-49)と いうような記述や、「[メンバーの:訳

Kyoto Journal of Sociology XIV / December 2006

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濱西 社会運動論の方法論的 レパー トリーの拡充 65

者注】実践 と知覚の組織化の方法」 というような記述か らそう言える(ibid:49)〔'4)。その場

合、「クレイム申 し立 て」(活 動)と いう概念 をわざわざ持ち出す意味が見えづ らくなるわ

けだが、例えば、上記のような人び との活動が起 こりやすい場面 ・状況 をぼんや りと指 し

示す概念(15)と して理解することも可能である。 それは、後述す るEMの ワークの研究にお

ける個 々の 「制度状況」を指 し示す概念(「 裁判所」や 「陪審員室」)と 同 じような役割を

もつ だろ う。ただいずれにせ よ、構築主義 は、(こ の ような補足 を要する点 にみ られ るよ

うに)EMほ どは明確な懐疑 的な態度を示 しているわけではない といえよう。

(3)分 析的括弧入れ

最後に、相対 的にEM寄 りの構築主義的立場を取 っているJ.グ ブリアムやJ.ホ ルス タイ

ンらによって考案された 「分析的括弧入れ」(analyticbracketing)と いうアプローチ に

ついて考えたい。彼 らは、そのアプローチにつ いて以下の ように言 う。

「われ われ は 、 分析 へ の準 備 と して 現象 を括 弧入 れ す る よ りもむ しろ、 分析 と と もに作 動す る、

分 析 的括 弧 入 れ と呼 ぶ もの を使 用 す る。 そ の手 続 きは、 つ まる とこ ろ、 実践 に関す る よ り完 全 な

描 像 を作 り上 げ る ため に、 二 者択 一的 に、whatsを 、 つ ぎにhowsを 括 弧入 れ す る。 そ の 目的 は、

二 者択 一 的 に各 々を記 述 し、 その 過程 で他 方 を有 意味 に参 照 しなが ら、構 成 的 な活 動 と実 質 的 な

資 源 との問 を往 復す る こ とにあ る。」(Gublium&Holstein[1997:119】)

つ まり 「分析的括弧入れ」 とは、現象学やEM、 構築主義などにみ られる<「 自然的態

度」の括弧入れ 〉のア ・プ リオリ性に対 して、分析 にそって括弧入れの対象 を変える新 し

い作業 を提示す るものである ㈹。 グブリアム とホルス タインによれば、「分析的括弧入れ」

個 他方で キッセ らは、構築 主義にお いては、「メンバ ーが言語的 な生 産物 と活動(シ ュ ッッの用語

で言 えば第一次的構築)を 提供 し、次 に社会学 者がそれ を対象 に して(実 践 的な吟味 とは相容 れない)分

析 的な吟味(つ ま り第二次 的構築)を 行 う」 とい う記述 や、「メンバ ーは、記述や解 釈や評価 とい った活動

を通 じて、 間主観的 なシ ンボル を使 って構 築 し、 それに道徳的 な性格 を付与」 し、研 究者 は 「こ うした相

互作用の現場で メンバ ーが使 う定式化や記述、解釈 な どの手段 を、 … 分析的 にいいかえ」、そ して 「イ

デ ィオ ム慣用語 法を使 って生み出 され る社 会問題の構 成をめ ぐる前提 や コンベ ンシ ョン慣 行、 カテゴ リー

やセ ンシビリテ ィ感受性が どのよ うな形 をとるか を明 らかにす る」、 といった記述 をお こなって いる(ibid:

52-53)。 そ こで は、構築主義 は、科学 的営み とそれ以外 とのあいだに、単に関心 や熟 達の違 いにお さまらな

い根 本的な区分線 を引いてい るようにみ える(た だ し、それで も、EMの ように 「実践的推論」 という能力

は共有 されてい て単 に関心 の持 ち方 や熟達 度が異 なる とい うこ とを意味 している と読めな くもない)。q5,中河(2006=170 ・171)や 平 ・中河(2006:314-315)は 、「クレイム申 し立て」 とい う用語がH .ブ

ルーマーの 「感受概念」(sensitizingconcept)の ようなものであ り、 「人々の社会 問題活動へ の入 り口を探

すための、一つの発見 的な道具」であ り、 「それに依拠 して、い ったん調べ たい人び との活動の観察 を開始

した ら、その先の記述や考察 にあたっては捨 てて しまってかまわない」 ものだ といっている。

京都社会学年報 箪14号(2006)

Page 9: 社会運動論の方法論的レパートリーの拡充 : エス Title ノメ …€¦ · 介しつつ整理する(4節)。 それらの運動研究と従来の運動研究の関係性について考察し、

66 濱西:社 会運動論 の方法論 的 レパー トリーの拡 充

は、例えば社会問題研究の場合には、「what」 に関わる 「社会問題の構築主義」的研究 と、

「how」 に関わる 「社会問題の ワーク」117)の研 究 とを二者択一的 に組み合わせた ものだ と

い う。 そ して、彼 らは 「分析 的括弧入れ」 によって、 「相互作用や会話の実践、解釈 の資

源 に焦点 を合わせ」つつ、「ローカルな達成への分析 的関心 を、た とえば集合表象へ のデ

ュルケムの関心 … やデ ィスコース とまなざしへのフー コーの関心 … のような、 も

っ と構 造的な関心や文化 的な関心へ と結 び付ける」 ことも可能にな り、 「社会問題の構築

主義」における 「公共性 や社会問題の レ トリックについて」の関心 と、 「社会問題の ワー

ク」における 「社会問題が ローカルに運営 され相互作用的 に産出 され るとい う側面」へ の

関心が結びつ くことで 「社会問題の構築についての研究を豊饒化 し、多様化する」 と期待

している(ibid:116-117)。

グブリアムとホルスタイ ンは、「社会問題の カテゴリー(イ バ ラとキツセの用語で言え

ば 「状態のカテゴリー」)は 、対象やで きご とを理解す るため に採 用される可能性があ る

構造にす ぎない」 として、 ワークの研究 と結 び付 ける準備段 階として、構築主義を「状態

の カテゴ庖梶[」に焦点 を合わせ、「方法 ・手続 き」等 を括弧入れするひとつのアプローチと

して洗練 させ ているq8)。 その上で彼 らは、構築主義アプローチ を、 「方法 ・手続 き」 に焦

点 をあわせ、様々な 「自然的態度」 を括弧入れす るワー クの研究 と組 み合わせている。 ま

た、 どちらの括弧入れの作業 も、そしてそれらを往復す る作業 も、研 究者だけでな く誰 し

も行 うこ との出来るもの としている。それゆえ、 「分析 的括弧入れ1は 、科学的営み とそ

£ と1る こと ここついてEMほ どではカい ミ ・ だ とい'る ので る

4.方 法 論的 レパ ー トリーの拡 充

前節での検討か ら、EM、 構築主義、「分析的括弧入れ」のそれぞれが、科学的営みとそ

れ以外の峻別に対す る懐疑的姿勢 を維持 しつつ、経験的研究のプログラムの構築 に取 り組

んでいることが確認 されただろ う。 また、懐疑の度合いにお いてEMを 頂点 としたグラデ

〔16,中河(2001)の 提案 する 「howとwhatを 問 う」構築主義 アプローチ は、 この 「分析 的括 弧入れ」

と似てい るが異 なる。 グブ リアム らは、「how」 を問 う研 究 と 「what」 を問 う研究の関係 を、互いの成果 を

前提 に して積み重 ねをお こな ってい くようなイメージで とらえてい る(「 よ り完全 な描像 を作 り上げ る」 と

い う記述)。 だが、 中河の場合 は、「how」 を問 う研 究 と 「what」 を問 う研究のあいだ にあるのは、「言説 の

連鎖」の関係性であ る。q7)「社 会問題の ワー ク」 とは

、 ホルス タイ ンとミラーに よれば、 「社 会問題のデ ィス コー スにお いて

同定す る ことがで きる対象 を産 出するため に、す でに公共的 に確 立 され た社 会問題の カテゴ リー を経験 に

貼 り付 ける解釈活動」 のことである(Holstein&Miller[1993:116-1171)。ω つ まり、注14で 示 されている ような曖昧 な側面 を除 くか たちでの洗練 がな されている。とはいえ、

注16で 紹介 した中河(2001)の 試み の:方が さらに洗練 されて いる。

Kyoto Journal of Sociology XIV / December 2006

Page 10: 社会運動論の方法論的レパートリーの拡充 : エス Title ノメ …€¦ · 介しつつ整理する(4節)。 それらの運動研究と従来の運動研究の関係性について考察し、

濱西:社 会運動論の方法論 的 レパ ー トリーの拡 充 67

一シ ョンが存在する ことも示唆 された。本節 では、EM、 構 築主義、「分析的括弧入 れ」、

それぞれにおける運動研究の具体的形態 につ いて、事例 を交えなが ら整理 してい きたい。

(1)社 会運動のエスノメソ ドロジー

EMに おける運動研究 とはいかなる ものになるだろうか。会話分析やEM的 言説分析q9}、

論理文法分析、成員性 カテゴリー化分析(Cf4節(2)で 紹介するHester&Eglh1【2003】)

な ど様 々な方法 を運動研究 に適用す るこ とはおそ らく可能であろ う。その中で もと りわ

け、〈制度的状況の ワークの研究 〉は、運動組織やNPO、NGOを フィー ル ドにして実施

しやすいだろう。す でに 「社会問題のワー ク」につ いては3節(3)で 少 し紹介 したが、

「ワークの研 究」 とは、EM初 期の制度的状況下のエスノグラフィーの延長線上にあるもの

であ り、た とえば、「彼 らの どの ような活動が彼 らを陪審員た らしめているのか」 といっ

た 「実践的推理 と具現化 された活動=行 為の経過 をより正確 に記述す る」アプローチであ

る(Maynard&Clayman【1991:408】)。 このアプローチを 「社会運動」「NPO」 「NGO」 と

いった制度的状況に適用 するこ とで、 その状況に固有の実践(相 互作用や会話)を 、通常

の 日常的な実践を参照 しつつ、明らかにするこ とで きるだろう ⑳。運動参加者に よってい

かに状況が解釈 され場が組織化されてい くかが、研究者によって記述 されてい くのである。

たとえば、筆者がおこなったフィール ドワーク(Cf濱 西[2005a】)に 関連付 けていえば、

学生・運動家中心の 「団体B」 と地元名士 ・コンサルタン ト中心の 「団体C」 という2つ の

異なるLETS(地 域通貨)団 体に関するワークの研究か らは、時間のルー ズさ/こ まかい

議題設定、議論の沸騰/議 論の打ち切 り、予定のあいまいさ/明 確 さ、時限的プロジェク

ト中心/持 続的役割分担 といった違いが、両団体のあいだで、 さまざまな事例を とお して

浮かび上がる可能性がある。その際、それ らが どこまでその文脈 に固有の現象であるか ど

うかは人々の実践 を非常 に細か くみて、その実践 を通 して示されな くてはいけない し ⑳、

また 「学生」 「運動家」「地元名士」「コ ンサル タン ト」 といった参加者の属性 自体が前 も

q9)た とえば、「産児調 整運動の特 に前期(1910年 代 中頃か ら1920年 代 中頃まで)に 集 中的に産出 さ

れた、運動 の状 況理解、 自己理解 を語 る言説 を考察す るこ とで、産 児調 整運動が いかなる言説 によって編

成 される運動であ ったのか」等 を明 らかに しよ うとする石井(2003)の 研究 などは、EM的 言説分析の好例

だ といえる。⑳ ただ し、会話分析 の厳格 派(シ ェ グロフなど)が 心 配する ように、 日常的 な実践 それ自体が まだ

まだ蓄積 が足 りない状 況 にあっては、往 々に してそ ういった比較分析 は非 常に高い確率 で 「勇み足」 にな

りやす く、慎重 さを要す る。⑳ 実 際には順序が逆で、 人々がそ うい う呈示 を しているが ゆえに、その状況が 固有 なもの として現

れる とい うこ とである。

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68 濱西:社 会運動論の方法論 的 レパ ー トリーの拡充

って述べ られるのではな く、やは り具体的な実践(=ワ ーク)を 通 して示 されな くてはな

らない。それが局所 的に産 出され自然言語 において編成 された、相互反映的 に叙述可能な

秩序*現 象 を記述す るとい うことである。

(2)社 会運動への構築主義アプローチ

社会問題の構築主義者が、社会問題の 「状態」 から 「クレイム申 し立て」へ と対象 をず

らしたのは、「社会の メンバーは、社会の状態(も しくは 「状態 と想定される もの」)を 道

徳的な客体 として構築する作業 に積極的に携わる、知覚を備 えた主体 として観察 され解釈

の対象にされる」 という考え方 にたった場合、「定義過程が研究対象の中心 にな り、メン

バーの解釈実践 こそが研究の優先課題であるべ きだ とい うことに」 なったか らであった。

まった くおな じこ とが、社会運動への構築主義アプローチにも言えよう。つ ま り、<人 々

が 自分たちの活動やほかの人々の活動(あ るいはそ うみ なされた 「状態の カテゴ リー」)

を 「運動」 として解釈す る定義的実践〉こそが、研究の優先課題 となるはずである。社会

問題への構築主義アプローチ とアナロジーに考 えるなら、社会運動への構築主義アプロー

チにおいて も、言語的や り取 りのプロセスの時間的空間的範囲が さまざまにと りうるし、

個人が まった く単独で社会運動に関す る発言をするケース も対象 にす ることできる。また、

その定義的実践の過程 に、 「習慣化 した想定や解釈実践、 レ トリックの装置 、協同活動、フ ォ   ラ ム

そ して、様々な公開討論の場」、加えて具体的な直接 的衝突、身体的暴力な どが 「一役 をイ デ ィ オ ム

買う」 ことにな り、研究者の仕事 は、「慣用語法 を使 って生み出される社会問題の構成をコンベ ンション センシビリティ

め ぐる前提や 慣 行 、 カテ ゴリーや感受性が どの ような形 をとるかを明 らか にする こと」

だ とい うことになる。

この ように社会運動の構築主義アプローチを定めるな らば、従来、構築主義的運動研究

とみなされて きた ものの なかで、「集合行為 フレーム分析」 や一部の 「集合的 アイデ ンテ

ィテ ィ」分析な どはそこか ら除外 されることになろ う。なぜな らそれ らは、ある活動(あ

るいはそのようにみ なされた 「状態の カテゴリー」)を 「社会運動」 として解釈する定義

的実践 を対象にす るのではな く、 〈実体 としての集合行為がその要素 である個 々人の言

説 ・相互作用な どか ら構 成されるプロセス 〉を対象 に しているにす ぎないか らである(22)。

(22)栗田(2002)は 、「懐 疑的な認識論」の立場か ら、 資源動 員論の素朴実在論 を批判 し、「構 築主義

の視座か ら1の1「社会運動 と文化」研究への アプローチ」(那 須 【1990]のい う 「現実構 成パ ラダイム」 もそれ

に近い)を 提案 してい るが 、その際、本稿 とお な じく、キ ツセ らの社会 問題の構築 主義にお ける研 究対象

の定式化 とアナ ロジーなかた ちで、社 会運動の構築 主義の研究対象 を定式化 している。た だ し、その事例

と して、足 立(1998)に 加 えて、荻 野(1998)を 挙 げてい る点 は本稿の議論 と異な る。荻野 の研 究は 「運

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濱西:社 会運動論 の方法論的 レパー トリーの拡充 69

前述の意味での構築主義的運動研究においては、いわばく個 々人の言語的や り取 りによっ

て社会運動(の ある局面)が 構成 される〉のではなく、<言 語的や り取 りとして 「社会運

動」が構築 される〉のでな くてはな らない{23}。

他方、EMの なかの 「成員性 カテゴリー化分析」(MCA)の 手法 を用 いたヘスター とエ

グリンの 「テロリズム」研究(Hester&Eglin【2003】)は 、ある活動が 「社会運動」 と定

義 された り、「テロリズム」 と定義 された りする実際の状況に照 らせ ば、社 会運動をめ ぐ

る言説的や り取 りに間接的に関わるレ トリック的な装置の分析 と見 なす ことがで きる。そ

れゆえ、構築主義的な運動研究の一例 とみ なすこ とがで きる(24)。また構築主義(Ibarra

&Kitsuse【1993】)の 枠 組 をもちいて 「テロ リズム」言説 を分析 したW.J.ス ウォー ト

(Swart【1994】)やP.ジ ェンキンス(Jenkins[1999】)の 研究 も、同 じく構築主義的な運動研

究とみなせるだろう。

(3)「 分析的括弧入れ」による運動研究

最後 に、「分析 的括弧入れ」 を用いた運動研究 は、社 会問題研究の場合 と同 じように、

社会運動への構築主義アプローチ と、社会運動状況のワークの研究が組み合わさったもの

になる。 この方法を適用 した事例 としては、 グブリアム とホルスタインに指導に受けたク

ローリーとブロー ドによる、LGBT(レ ズ ・ゲイ ・バイセクシャル ・トランスセクシャル)

団体研究(Crawley&Broad[20041)が 挙げ られるだろう。 クロー リー らによれば、ある

LGBT団 体は、大学の教室で、LGBTへ のステレオ タイプな見方 を変えさせ るべ く、会員

が 自らのライフス トー リー(whats)を 、団体のガイ ドラインにそって、あるいはズラし

て語 り、参加者 と質疑応答するという実践(hows)を 行 ってい る。そこで、LGBTに つい

ての人々のステ レオ タイプを解体すべ く 「個人」 を呈示 し 「性」以外の ことを呈示する語

りの内容(whats)が レ トリック とともに記述 され、つ ぎに団体のガイ ドラインと(ス テ

レオタイプに縛 られていると団体 メンバーか ら想定されている)敵 手 としての聴衆の存在

をリソースとして類型化(一 員として語る/感 情をこめて語 る/他 の人[Lで あればGBT]

を語る/抑 圧 されている人として語 る)さ れた語 りの方法(hows)が 、 さまざまな戦術

動の説 明」 に属す る 「集合行為 フ レーム分析」 であ り、 よ く程 度の違い(「 極端 さ」)の ように誤解 され て

いるが、 キツセ らの構築主義的 アプローチ とは根 本的に異 なる ものである。⑳ 実際には、キ ツセ らの構築 主義 が 「言説行為(ク レイム申 し立 て)に よる相互作用 をつ う じて問

題が構成 されると考 える立場」(帯 谷[2004:9Dと 理解 されているこ とは少な くない。脚 逆に本稿で定式化 した ような意味でのEM的 研 究の範疇 に

、 彼 らの研究が完全 に包摂 され るか と

いうそ うで はあるまい。

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70 濱西:社 会運動論 の方法論 的 レパー トリーの拡 充

として記述されるのだ。

クロー リー らによれば、このような運動研究は、伝統 的な運動研究 とも結 びつ くとい う。

たとえば、公の問題の産出やアクテ ィヴィズムにおいて、LGBTメ ンバーの 「私的」であ

ると同時 に 「政治的」な語 りかけがその内容 と方法 において どの ようになされるのか とい

う問い、 よ り一般的には、「社会運動のス トー リーは、外部の聴衆に向けて どの ように語

られるのか」、運動の 「参加者は自分たちのライフス トー リーを、敵対者 とみなされる外

部の聴衆 にむけてどのように語るか」 といった問題へ と接続 されるという。加えて、それ

らの問題は、運動論の重要な課題であると同時に、社会問題の構築主義 にとっての研究対

象に も関わるのであ り、クロー リー らは、 ライフス トー リーを語 る団体 メンバーが個 々人

であるようなこの ような運動事例においては、社会運動論 と構築主義社会問題論 は重 なっ

て くると述べている(2%

また 「分析 的括弧入れ」のイ ンタビュー ・バー ジョンといえる、有名な 「アクテ ィヴ ・

インタビュー」法(Gubrium&Holstein[1995=2004Dを もちいた運動研究 も考え られる

だろう。 さらにその グループ ・インタビューのバージョンは、 トゥレーヌの 「社会学的介

入」 を土台に して、 メルッチが考案 した 「実験的性質分析」(Melucci[1989=1997:318-

346];濱 西[2004])と 形式的には近 くなる。 とい うの も、その方法 には、現象学的段階 と解

釈的段階 という二つの段階があ り、現象学的段 階は、アクティヴ ・インタビューが析 出さ

せ る 「多声性」をさらに強化するリソース として、「刺激」(グ ループワークや敵手の語 り

など)を グループに与 え、人び とが どのような相互作用を通 じて集合的アイデ ンテ ィティ

を構築 してい くか をヴィデ オ録画 して観察する、その名 も 「how」(方 法)と い う小段階

を中心 とした ものであるし、続 く解釈的段階は、い くつかの運動団体 におけるの集合的ア

イデ ンティテ ィの構築過程 を比較す るものであ り、それは構築 されたものの 「内容」 を検

討する段階 とみなせるか らである ㈱。

5.結 論

大畑 は運動研究を 「運動の説明」 と 「運動の解釈」に区別 し、筆者(濱 西2005b)は そ

の下位区分 をおこなった。それ らの試みの問題点は、科学的営 み とそれ以外 とを峻別す る

㈲ 同 じことが 、た とえば、 「ヒロ シマ」や 「従 軍慰安婦」 の一人一人の語 り部の活動や 内部告発者

の孤独 な活動な どを対象 にした運動研究に もいえるか もしれない。㈱ ただ しメル ッチの実験 的性 質分析 では

、「内容」 と 「方法」の分析が往復せず、「方法」 と 「内容」

が 断絶 して いる。 む しろそれは、注10で 紹 介 した ような、<科 学的営み とそれ以外 を峻 別 した上で科学 者

の特権性 を自覚 的 ・反省 的に乗 り越 え ようとするアプローチ〉に近いのか もしれない。

Kyoto Journal of Sociology XIV / December 2006

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濱西:社 会運動論の方法論的 レパー トリーの拡充 71

こ とに懐疑的なアプローチを排除 して しまうことにあ り、本稿ではその点を修正するべ く、

排 除される運動研究の具体的形態を紹介 してきた。これ まで大畑や筆者が扱 ってきたのが、

いわば 殖 こ ・ 瀞 と ての'の 茎日 ・ の だとすれば、本

稿で検討 して きた懐疑的なアプローチ による運動研 究は、ム び とによる 「運動の解釈1と

呼べ るような関係 にあるといえる。 というの も、EMに 代表 される懐疑的 アプローチの関

心は、人びとによってその状況が 「何であるか」解釈 され、その状況が組織化 されるプロ

セスにあるのであ り、 また研究者の営み もそれ と基本的に区別 されない解釈 ・組織化 の過

程 として考えられているので、研究者による営みであった として も広 く 「人びとによる運

動の解釈(・ 組織化)」 と呼ぶ しかないか らである{2"。 また、懐疑的アプローチの内部に

も、懐疑の度合いにおいてEMを 頂点 としたグラデー ションが存在することも確認 された。

上述の科学方法論 にもとつ く方法論的整理(表1)に 、これ まで考察 して きたEM、 構築

主義、分析 的括弧入れにもとつ く運動研究 を位置づけ、方法論的 レパー トリーを拡充する

と、表2の ようになるだろう。

表2:運 動研究の新 しい方法論的 レパー トリー

運動の

説明

運動の

解釈

人々の

「運動

の解釈」

「対決の政治」1総 合理論!…

動員構造 政治的機会構造 文化 的 フ レー ミング

集合体レベル

個人レベルから

理論的解釈のみ(実 体論的)

ex)Habermas,Offe,

ex)Giddens,Beck,Bauman,…

理論的解釈の経験的検証

ex)Touraine,Melucci,

ex)ト ゥ レ ー ヌ学 派,…

社会運動への構築主義アプローチ

「分析的括弧入れ」による運動研究

社会 運 動の エ ス ノメ ソ ドロジー

ex)Swart,Hester&Eglin,

ex)Crawley&Broad,

ex)運 動状 況下 の ワー ク研 究,…

本稿でおこなった社会運動論の方法論的検討 は、さらに展 開することができる。例えば、

よ り伝統的な、すでに乗 り越え られた と思われているようなアプローチについて も、方法

論の観点か ら再検討することができる ⑳。〈伝統的運動研究は、資源動員論によって乗 り

越 えられた〉といわれることは多いが、伝統 的な運動研究の中で、明確 に 「運動の説明」

とい え る もの は 「相 対 的剥奪 論 」(Gurr,Geshevender)や 一 部の 「大衆 社 会論」

(Kornhauser)だ けであ り、運動 の類 型論 を展 開 しつつ運動参加者の意味世界(宝 月

⑳ よ り正確 には、「運動状況下 にお ける人び との解釈(・ 組織化)」 と呼ぶべ きか もしれない。

伽〕その他 にも歴 史学 者に よる膨大 な運動研究(C£ 広 川 ・山田12006】)の なかに は福 島(2006)の ように

「抵抗の く声〉 を具体 的に追い、その意味 を具体 的に分析 」す る歴史的解釈 の試みがある し、人類学の 「抵

抗論」 に もその ような試 みが存在 してい る。そ れ らもまた 「運動 の解 釈」の一 形態 として位置付 け られ る

か もしれ ない。

京都社会 学年報 第14号(2006)

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72 濱西:社 会運動論の方法論的 レパー トリーの拡充

[1990];吉 田【1991】;Zygmunt[1986】)を 探求する相互作用論的集合行動論や、機能主義的

集合行動論の類型論部分(曽 良中[1967])、 そ して全体主義的運動(ナ チズムや コミュニズ

ム)の 否定的解釈を試みるH.Arendtら の大衆社会論は、む しろ 「運動の解釈」の範疇 に

含めるべ きであろ う。運動論史全体の根本的な方法論的再考が求め られる。

謝辞:本 稿準備段階において、中河伸俊先生(大 阪府立大学)や 大学院の先輩方、 レフ

ェリーの方々か ら貴重 なご意見 を頂いた。

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New Methodological Repertoires in Social

Movement Studies: Ethnomethodology,

Constructionism and Analytic-Bracketing

Eiji HAMANISHI

This paper aims at developing a methodological framework for ordering the

various kinds of social movement studies.

First, it outlines the present condition of social movement studies. From the

early 1980s, there has been a radical theoretical conflict. To illustrate, the

International Sociological Association (ISA) now has two research committees on

Social Movements, the definitions and orientations of each corresponding to either of

the two poles of this theoretical opposition. Furthermore, this paper also points out the

significance of Hiroshi Ohata's methodological examination in explaining and

interpreting social movements and the problems concerning the standpoint of Ohata.

In Ohata's scientific methodological framework, approaches that do not make a

distinction between scientific and non-scientific activities are excluded.

Second, I discuss ethnomethodology, constructionism and the analytic-bracketing

method, since all these three approaches avoid the rigid distinction between scientific

and non-scientific activities without making epistemological "folding-backs". By putting

a distinctive emphasis on the production and accountability of phenomena of order*,

one can distinguish ethnomethodological studies from classic studies. Constructionist

approaches to social problems focus on the claim-making activities of individuals or

groups about putative conditions. The analytic-bracketing approach addresses the

whats (from contructionism) and hows (from ethnomethodology) alternately in order to

assemble a more complete picture of social activities.

Third, I touch upon the concrete forms of social movement studies following

these three approaches above, as well as the relations between them and the

conventional social movement studies.

Finally, I attempt to build a more comprehensive framework that could unify all

these three approaches and scientific methodological approaches.

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