chaim potok...chaim potok (1929- )の作品は,一読して現代アメリカにおけるユダヤ...

14
Ch mPotok における「始まり」の意味について 49 Chaim Potok における「始まり」の意味について - In the Beginning を中心に一 j 畢伶維子 はじめに ChaimPotok (1929-)の作品は,一読して現代アメリカにおけるユダヤ 教と,それを道守しようとするユダヤ系アメリカ人の生活が,作品の中心と なっていることが明白である. Potok 自身がエッセイやインタビュー,講演 等で繰り返し述べているように,ユダヤ教オ}ソドックスというサブカルチ ャーの中心部にいた人聞が,西欧の世俗的ヒューマニズムの中心部に遭遇し た時に起こる葛藤“core-to-coreculture confrontation" が,作品のテ}マで あるそして“asmallandparticularAmericanworld" ( TheFirst EighteenYears"106)であるニューヨークのユダヤ教オーソドックスの世 界を描き続けることに固執してきた. 2 Potokが作品の中で問いかけている ことは,二つの文化の狭間で苦悩する“abetween person"がいカ冶にして世 俗的社会でユダヤ教を守って生活していくか,またどの程度までユダヤ教の 伝統を守れるか,ということである. Potok は“My subject istheattempt to fuse the cores of two cultures ,…" (Kr emer 85)と,彼の作品の創作意図 を明言している. Potok の作品を特徴づけるものとして二つの文化の葛藤以外に,歴史への 言及と,作品の希望的結末が挙げられる. Potok の歴史に対する関心の高さ は全作品を通じて現われている. 20 世紀ユダヤ人に影響を及ぼした歴史的 事件は,彼の前期の作品に描かれている。 TheChosen(1967) ではイスラエ ル建国に対するアメリカのユダヤ人の異なる立場をめぐっての論争,My

Upload: others

Post on 29-Jan-2020

1 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

Page 1: Chaim Potok...Chaim Potok (1929- )の作品は,一読して現代アメリカにおけるユダヤ 教と,それを道守しようとするユダヤ系アメリカ人の生活が,作品の中心と

Ch討mPotokにおける「始まり」の意味について 49

Chaim Potokにおける「始まり」の意味について

-In the Beginningを中心に一

杉 j畢伶維子

はじめに

Chaim Potok (1929-)の作品は,一読して現代アメリカにおけるユダヤ

教と,それを道守しようとするユダヤ系アメリカ人の生活が,作品の中心と

なっていることが明白である.Potok自身がエッセイやインタビュー,講演

等で繰り返し述べているように,ユダヤ教オ}ソドックスというサブカルチ

ャーの中心部にいた人聞が,西欧の世俗的ヒューマニズムの中心部に遭遇し

た時に起こる葛藤“core-to-coreculture confrontation"が,作品のテ}マで

あるそして“asmall and particular American world" (“The First

Eighteen Years" 106)であるニューヨークのユダヤ教オーソドックスの世

界を描き続けることに固執してきた.2 Potokが作品の中で問いかけている

ことは,二つの文化の狭間で苦悩する“abetween person"がいカ冶にして世

俗的社会でユダヤ教を守って生活していくか,またどの程度までユダヤ教の

伝統を守れるか,ということである.Potokは“Mysubject is the attempt

to fuse the cores of two cultures,…" (Kremer 85)と,彼の作品の創作意図

を明言している.

Potokの作品を特徴づけるものとして二つの文化の葛藤以外に,歴史への

言及と,作品の希望的結末が挙げられる.Potokの歴史に対する関心の高さ

は全作品を通じて現われている.20世紀ユダヤ人に影響を及ぼした歴史的

事件は,彼の前期の作品に描かれている。 TheChosen (1967)ではイスラエ

ル建国に対するアメリカのユダヤ人の異なる立場をめぐっての論争,My

Page 2: Chaim Potok...Chaim Potok (1929- )の作品は,一読して現代アメリカにおけるユダヤ 教と,それを道守しようとするユダヤ系アメリカ人の生活が,作品の中心と

50 ChaimPoωkにおける「始まりjの意味について

Nαme 1s Asher Lev (1972)ではロシアのユダヤ人政策についての記述など

がある.1n the Beginning (1975)ではポグロム,ホロコースト,そしてア

メリカ合衆国における反ユダヤ主義が,小説のなかで重要な役割を果たして

いる.さらに 1nthe Beginning以降,歴史的事件がプロットの展開や登場

人物の生き方に大きな影響を及ぼすようになってきている.The Book of

Lights (1981)では原爆投下,Dαvitα'sH,αrp(1985)ではスペイン内乱に始

まるファシズムの台頭とイデオロギーの対立,そして第二次世界大戦, 1

Am the Clαy (1992)では朝鮮戦争,といった具合にユダヤ民族の歴史にと

どまらず,歴史の視野は広がっていく.Potokは人生と歴史の関わりを次の

ように述べている. "... the motivating rhythm of life is a sense of

engagement with history-that dark ocean of human achievement and

tragedy." (“The First Eighteen Years" 104)

さらに Potokの作品の共通点として,終結部は全て主人公がそれまでい

た世界と決別して,新しい世界へと出発する場面となっている.即ち,エン

デイングは全て始まり (beginning)を描写するシーンである.The Chosen

のDannySaundersは父との対立の後,ハシデイムのツアデイツク 3の後

継者になるという責任から解放され,心理学の勉強をするためにコロンビア

大学へ進学する.The Promise (1969)のReuvenMalter は,ユダヤ教聖典

の研究方法をめぐっての葛藤を経た後,聖職に就く .MyNαme 1s Asher

Levにおいて, Asherはユダヤ教を冒漬する絵を描いたためブルックリンを

追放されるが,画家として活動するためにパリへ移住する .1n the

BeginningのDavidLurieはReuvenと同様の学問上の葛藤を経験した後,

聖書を科学的テキスト批評で研究するためシカゴの大学へ赴く .The Book

of LightsのGershonLoranは,アジアの文化と遭遇した後,タルムードで

はなく神秘思想カパラを勉強するためにイスラエルへ行く .Dαvitα'sH,αrp

のDavitaChandalはイデオロギーにも宗教にも幻滅するが,物語の創作を

始める.The Gift of Asher Lev (1990)では,主人公は息子を Rebbe4の後継

Page 3: Chaim Potok...Chaim Potok (1929- )の作品は,一読して現代アメリカにおけるユダヤ 教と,それを道守しようとするユダヤ系アメリカ人の生活が,作品の中心と

ChaimPoωkにおける「始まり」の意味について 51

者として育てるためブルックリンに戻すことを決心,一方で、妻 Devorahと

自らの苦悩を表現しうる新しい画風を確立し,創造性を復活させる .IAm

the Clのでは主人公の少年は,学校へ行くために村を離れてソウルに向け

て旅立つ.以上のように作品の全ては主人公の出発,つまり beginningで

終わっており,その最終場面の描写は明るく希望に満ちている

このような特徴を持つ 8編の長編小説の中で, 1975年に出版された In

the Beginningは,大恐慌の始まる年から第二次世界大戦終結直後のニュー

ヨークのブロンクスに時代と場所が設定されている.作品の前半では 1929

年頃アメリカに日常的にあった反ユダヤ主義の実態が,一人称の語り手であ

る6歳の主人公 DavidLurieの体験を通して描かれている.病弱な少年

Davidの日には,反ユダヤ主義的敵意に満ちた状況が“accident"に満ちた

世界として映る.また偶然見つけた一枚の古い写真をきっかけに, 1919年

頃のポーランドに広まったホ。グロムという歴史的事実が浮かび、上がってく

る.作品では写真や父の語る思い出,少年の空想によって,現在の中に過去

が挿入されてくる。さらに大恐慌が起きると,同郷の人々との連帯意識に支

えられてアメリカン・ドリームを実現させるべく,ポーランドから移住して

きた父達の信じていた世界が崩壊していく 30年代が描かれている.

作品の後半では,少年から青年へと成長過程にある Davidが,ユダヤ教

を学習する様子が示されている.Davidは授業で学ぶトーラやタルムード

以外に独自に聖書を勉強し,聖書への関心を強めていく.優秀な学生として

伝統的なタルムードの勉強を続けていた Davidが, Bible criticismという

科学的な聖書研究の方法に接して,子供の頃から慣れ親しんできた,絶対的

なユダヤ教オーソドックスの世界に安住できなくなった心の葛藤が描かれて

いる.この聞に第二次世界大戦勃発からヨーロッパ戦線終結,ポーランドの

親戚は全員ベルゼン収容所で死亡したことが知らされる.この悲報に接して,

Davidは伝統的なタルムード研究ではなく,独自の聖書研究の道を歩むこ

とを決心する.聖職位を受けた後,シカゴの大学のドクターコースで聖書研

Page 4: Chaim Potok...Chaim Potok (1929- )の作品は,一読して現代アメリカにおけるユダヤ 教と,それを道守しようとするユダヤ系アメリカ人の生活が,作品の中心と

52 αlaimPaωkにおける「始まりJの意味について

究を行うために家を離れる,というところで物語は終わる.

以上のように Inthe Beginningは,ユダヤ教オーソドックスの学聞がど

ういうものであるかが詳しく説明されていて,一般読者にユダヤ教について

啓蒙する教育的役割を果たしている.ユダヤ教の文献への学問的アプローチ

の方法をめぐって,神の言葉としてのトーラ,というユダヤ教オーソドック

スの伝統的な考え方と,科学的なテキスト批評の対象となりうる創作または

記録としてのトーラ,という近代的学問の対立である core-to-coreculture

confrontationが提示されている.この作品のもう一つの特長として,今世

紀初頭からイスラエル建国にいたるまでのユダヤ民族の受難の歴史的事件

が,作品に積極的に使われているということがある.具体的には,第一次世

界大戦直後のヨーロッパにおけるボグロム,第二次世界大戦中のヨーロッパ

におけるホロコースト,さらに大戦聞にアメリカ合衆国で高まった民ユダヤ

主義等である.

また Inthe Beginningは,タイトルに“beginning"という単語が含まれ

ていることからも示唆されるように,作品では''beginning''が意識的に使わ

れている.Core-to-core culture confrontationを経験した後,またホロコ}

ストという歴史の最大級の悲劇を写真によって目撃した後,主人公が何かを

「始める」地点に到達したことを描いた作品でもある. Core-to-core culture

confrontation,ユダヤ民族の歴史,そして「始める」ということの三つの

要素が,どのような関係にあるのかを明らかにしていくためにも Inthe

Beginningは重要な作品である.以降Inthe Beginningを中心に,先ずキ

ーワード“beginning"の使い方を分析し,次に作者のホロコーストへの関わ

り方について考察し,最後に「始めるJということが,ユダヤ民族の歴史,

宗教,文化に対する作者の信念とどのように関わっているのかを,ストーリ

ーテリングの要素を含めて論じていく.

Page 5: Chaim Potok...Chaim Potok (1929- )の作品は,一読して現代アメリカにおけるユダヤ 教と,それを道守しようとするユダヤ系アメリカ人の生活が,作品の中心と

ChaimPotokにおける「始まり」の意味について 53

Potokの作品は,幾つかのキーワードを何度も繰り返し多用することで,

作品のイメージを作り上げていく手法をとっている.例えば TheChosenで

は“silence,"The Book of Lightsでは“light"や“自re,"1 Am the Clayでは

“earth"や“clay"などが顕著な例である.In the Beginningにおいて,個人

における文化の対立・葛藤と,ユダヤ民族の歴史という三つの要素が互いに

融合して,一つの作品を作り上げていることを示すキーワードとして,

“beginning"という単語の使い方を検証していく.それによって,この

“beginning"という言葉が,作家 Potokの歴史とユダヤ教に対する中心的思

想に,深く関わっていることを示していきたい.

タイトルの Inthe Beginningが『創世記』の官頭からとられたものであ

ることは明白である.“Beginning"という単語は,第一章の最初の 1ページ

と,最終章の最後の 20ページに集中して見られる.この作品において『創

世記Jを思い起こさせる“beginning"という単語が,冒頭と終わりに集中し

て使われているのは,作品の構成上の芸術的統ーである.第 1ページではナ

レーターの現在の視点から現在と過去に言及されていて, 12回“beginning"

が使われている.“Allbeginnings are hardプ(3)という文で小説は始まるが,

“all beginnings"とはここでは出生時における人生の始まりと,新たに勉強

に取り組む時をさしている.

作品の終わり近くで主人公がベルゼン収容所の写真を見た後,川の崖を滑

り降りてそこでささやき声を聞いた時から再び“beginning"が現われ, 14

回使われる.慣れ親しんだユダヤ教の世界を離れて,西欧の世俗的ヒューマ

ニズムの世界で学問を始めることに恐れを抱いていた Davidだ、ったが,さ

さやき声に励まされて一旦決心すると,全ての希望には始まりがある(“the

hopes of all beginnings" (434)) ことを川の流れの音に聞きとる.科学的テ

キスト批評によって聖書研究を始める決心は,The Promiseの主人公

Page 6: Chaim Potok...Chaim Potok (1929- )の作品は,一読して現代アメリカにおけるユダヤ 教と,それを道守しようとするユダヤ系アメリカ人の生活が,作品の中心と

54 ChaimPoωkにおける「始まりJの意味について

Reuvenが聖職叙任試験に合格した後,“But1 was part of the chain of the

tradition nowぃ・ 1had won the right to make my own beginning...."

(Promise 326)と決意する希望的な場面に共通している.

作品の最後の二十数ページに現われるもeginning"は幾つかの意味を含ん

でいる.その第一は,上述のように主人公が独自の聖書研究の道を歩み始め

ることである.第二は, w創世記』に記されたユダヤ民族の起源である第

三は,イスラエル建国でもある民族として新たに始めるということは,

必然的に政治的にはシオニズムに発展するからである.さらに第四の意味は,

主人公の親戚達がベルゼンで絶滅したこと,つまり死をきしている何故

「始まりJが「死J,つまり「終わり」を意味するのだろうか.それは先ず¥

ユダヤ教を信奉するため,あるいはユダヤ人であるために迫害されて死ぬこ

とは, トーラのために死ぬということである.そしてトーラとは世界の始ま

り,人類の始まり,歴史の始まりを記した書物であるから, トーラのために

死ぬことは「始まり」に繋がることといえる.ホロコーストで死亡したユダ

ヤ人達は,この地上での生命を終えたことによって, r始まり」へ帰ってい

ったわけで、ある.

そもそもユダヤ教でトーラを読むということは,一つの円環をたどり続け

ることでもある.これを象徴する儀式がシムハット・トーラ (Simchat

Torah),即ちトーラ朗読の一年の周期の完了を祝う儀式である. トーラの

最後つまり『申命記』の最後の部分であるモーセの死を読み終えると, トー

ラの最初即ち天地創造に戻る.これを祝ってトーラを抱いて踊る楽しい祭り

がシムハット・トーラである.円になって踊るのもトーラの円環を象徴して

いるといえる.In the Beginningには次のように書かれている.

An old cycle ending; a new cycle beginning. Tomorrow morning

Moses would die, and the old man would read the words recounting

his death; a few minutes later he would read the first chapter and

Page 7: Chaim Potok...Chaim Potok (1929- )の作品は,一読して現代アメリカにおけるユダヤ 教と,それを道守しようとするユダヤ系アメリカ人の生活が,作品の中心と

ChaimPotokにおける「始まり」の意味について 55

the beginning three verses of the second chapter of Genesis. Death

and birth without separation. Endings leading to beginnings.

(400, emphasis added)

シムハット・トーラの場面は,The Gift of Asher Levの中でも,主人公が

その息子をユダヤ教オーソドックスの世界の coreへ回帰させる,という重

要な決心を示す時に使われている.

作品の中で、シムハット・トーラについての記述は,主人公がギボンの『ロ

ーマ帝国衰亡史』を読み終えたことの後になされている.時間や,歴史や記

憶について学びかけていた Davidは, rローマ帝国衰亡史』の読破によって

“1 understood now, finally, the texture and dimension of historyプ(399)

と感じる。 Davidはこうした読書を通じて,西欧文明の coreである歴史を

知識として吸収する.歴史即ち直線的時聞を理解したという主人公の告白に

続いて,宗教的儀式即ち円環的時間の祝福場面があることは,極めて興味深

いことといえる.ユダヤ民族の歴史における災厄とは,即ち西欧の世俗的文

明との暴力的遭遇を意味している.数ある歴史的事件の中でも,最も激烈な

そして一方的な暴力行為としての西欧文明との遭遇であったホロコースト

は,特別な位置を占めているように思われる.それでは今世紀人類が犯した

最大級の罪ともいえるホロコーストを, Potokはユダヤ民族の歴史という観

点からどのようにとらえているのであろうか.

E

ホロコーストについて Potokは,ホロコーストを抜きにしては今世紀の

世界を語れない,とその歴史的意義の重要性を強調している.

1 don't see how it is possible to think the world through Jewish eyes

without having the blood-screen of the Holocaust in front of your

eyes as part of the filtering. 1'11 go even further and say that for

Page 8: Chaim Potok...Chaim Potok (1929- )の作品は,一読して現代アメリカにおけるユダヤ 教と,それを道守しようとするユダヤ系アメリカ人の生活が,作品の中心と

56 Cha泊lPOωkにおける「始まり」の意味について

thinking people, Jew or non-Jew, 1 don't think it is possible to think

the world anymore in this century without thinking Holocaust.

(Kremer 92)

しかし,作品にはホロコースト体験者は多く存在しない.例えば The

Promiseに登場するタルムード教師 RavJacob Kalmanのように,強制収

容所を脱走して生き延びた人間もいるが,彼らは決してその体験を語ろうと

しない.ナチス・ドイツによるホロコースト体験が言及されているのは The

G排 ofAsherLevだけである.両親をナチスによって殺され,明かりのない

隠れ家で 2年間生き延びた DevorahLevと彼女の従兄弟 MaxLobe達が体

験したことの思い出と,その後の心的外傷がTheGift of Asher Levで扱わ

れている.

Potok自身,In the BeginningのLurie家と同様,ホロコーストでヨーロ

ツパにいた親類全員を失っている.しかし彼自身生身の体でホロコースト

を体験していないので,ホロコーストについて小説を書くことは蒔賭する,

とも述べている.(Kremer 92) In the Beginningの主人公は子供の頃,ポー

ランドでホ。グロムから自衛するためにユダヤ人が武器をとっている写真を見

たり,父親の体験を聞いたりして,空想の世界を膨らませていくことができ

たが,ホロコーストの報道写真はあまりの壮絶きのゆえに,主人公がその世

界に入り空想を広げていくことを許さない.アメリカのユダヤ系作家は,大

虐殺をヨーロッパでの実体験から書くことはできないが,文献より把握した

内容を想像力を通して描いている.例えば EdwardLewis Wallantの

Pαwnbroker (1961), Saul BellowのMr.Sαmmler'sPlαnet (1970), Isaac

Bashevis SingerのEnemies:A Love Stoη(1972)等では,登場人物の回想

や悪夢を通して大虐殺の状況が挿入されている.Potokが作品の中でホロコ

ーストの現場を再現しなかったのは,それが彼のイマジネーションの及ばな

い現実だったからであろうか.

Page 9: Chaim Potok...Chaim Potok (1929- )の作品は,一読して現代アメリカにおけるユダヤ 教と,それを道守しようとするユダヤ系アメリカ人の生活が,作品の中心と

ChaimPoωkにおける「始まり」の意味について 57

ホロコーストが現代に生きるユダヤ人に与えた意味について,

To be a Jew in this century is to understand fully the possibility of

the end of mankind, while at the same time be1ieving with certain

faith that we will survive. (Wαnderings 13)

とPotokは書いている.人類は滅びるかもしれないという危機感を認識す

ると同時に,生き延びるという信念を持ち続けることが,ユダヤ民族の歴史

を語る上で欠くことのできない要素である,という主張である。それゆえ作

品は,ホロコーストの事実を再現してその苦痛を再体験することよりも,惨

禍の後将来に向けて生き続けようという意志を,具体的な形で示すことが中

心となる.具体的な形で示すとは,生き残った人々が個人として,と同時に

集団としての再生をめざして何かを新しく「始める」ことである.Potokは

次のようにも発言している."The bottom line to all of this would be that

somehow out of the αshes something new hαs to be built." (Kremer 94,

emphasis added)

In the Beginningでは次のようにして主人公は灰の中から新しいものを作

り上げる作業に挑戦する.危険な崖を滑り降りた Davidに“Doyou see the

roots, my David?...Who will water the roots? ...Who will give them new

life? The leaves are already dead." (433)というささやき声が聞こえてく

る.枯れた棄とはヒットラーによって滅ぼされたヨーロッパのユダヤ人とそ

の文化・社会をきしている.Davidにとって「根に水をやるjとは,ホロ

コーストで絶滅に近い状態に追いやられたユダヤ人の伝統文化を再生させる

ために, トーラ,特に『創世記』を従来排除されてきた非ユダヤ的方法で研

究することによって,ユダヤ民族の教典を蘇らせることを意味している.西

欧文明から水分を補給されて,伝統的サブカルチャーが再生される,という

ユダヤ民族の孤立でも同化でもない新しい生き方が示されている.

Page 10: Chaim Potok...Chaim Potok (1929- )の作品は,一読して現代アメリカにおけるユダヤ 教と,それを道守しようとするユダヤ系アメリカ人の生活が,作品の中心と

58 Ch且imPo加kにおける「始まり」の意味について

E

主人公 Davidが西欧の世俗的手法で学聞を追及することによってユダヤ

教を守ろうとしたのと同様,作者 Potokはボグロムやホロコーストという

歴史的事件を,西欧文明の中心的表現形式であるストーリーに創造すること

によって,それを人々の記憶にとどめてユダヤ民族の歴史が風化するのを防

ごうとしたといえる.Potokの描く作品は近代的な自我の形成に主眼をおい

た伺の文学というより, 20世紀にユダヤ人が共通して経験した苦難の記録

である.しかしその記録をノンフィクションではなくストーリーにしたのは,

ストーリーのナレーション,プロット,イメージの持つ強さ,人々を感動さ

せる力を信じていたからである. Potokは core開 to-corecu1ture

confrontationはこれまでしばしば創造性を開花させてきた,と述べている.

(“Culture Confrontation" 165) Potok自身は少年の頃絵画に才能を示したも

のの,絵画は偶像を禁止するユダヤ教と相いれないものとして,周囲から画

家になることを反対された)しかし 16歳の時, Evelyn Waughの

Bridesheαd Revisited (1945)を読み,文学が core-to圃 coreculture

confrontationを表現できることを発見し,この西欧文明との遭遇が彼の創

造性を触発したという.

文学は絵画とともに西欧の世俗的丈明の中心にあるものである.一方伝統

的ユダヤ教オーソドックスにおいては,文学はほとんど顧みられることがな

かった.しかしユダヤ教の聖典テキスト,即ち聖書,タルムード,ミドラッ

シュ等には既に強力なナラテイブが存在していた. (“lnvisible Map" 20)ユ

ダヤ教の聖典テキストにあるナラテイブの力強さを熟読していた Potokは,

ストーリーの持つ力によって歴史を人々の心にとどめようとした.ユダヤ民

族 4000年の歴史をストーリにしたノンフィクションが, 1978年に出版され

たwαnderings:Chαim Potok's History of the Jewsである.三十世紀の現

代史については,フィクションに創造することで,枯れかけていたサブカル

Page 11: Chaim Potok...Chaim Potok (1929- )の作品は,一読して現代アメリカにおけるユダヤ 教と,それを道守しようとするユダヤ系アメリカ人の生活が,作品の中心と

ChaimPo七okにおける「始まり」の意味について 59

チャー,つまりユダヤ教オーソドックスの根に水をやるという仕事に取り組

んだのである.

1 Am the Clayを除けば, Potokの作品は複雑な技巧を使用せず,わかり

やすい短文で書かれていること,多くが子供の視点を通していること等によ

り,読みやすい文体になっている.モダニスムの影響を受けていない平易な

スタイルの作風は,伝統的で単純明快なストーリーテリングの要素を意識し

たもののように思われる 10ストーリーテラーは肉声によって伝えることの

できる経験,つまり記憶にあるものを伝えることで,自己の可能性に対する

人類の希望を伝承する.真の物語には読者への忠告,助言,教訓!といった有

益なものが含まれている.物語の結末は生に向かつて関かれていて,そこに

は常に希望がある。 Potokの作品に見られる人類全体の経験の記憶の伝達,

そして人類の犯した歴史的悪を描きながらも希望を発見していく展開には,

伝統的ストーリーテリングの要素を見いだすことができる.

特に第 6作目 Dαvitα'sH,αrpでは,ストーリーの創造ということが作品の

テーマとして強調されている.主人公Davitaは,スペイン内乱でファシズ

ムの犠牲となって命を奪われた父親の思い出を保つために,空想を物語とし

て創造し,創造によって永遠性を獲得しようとする.さらに Davitaは色々

な人々から聞いた物語や自分が創作した物語を,生まれて聞もない小さな妹

に語りかける.最後のシーンでは, Davitaはエンデイングのないストーリ

ーを語り始める.それは新しい世代が物語を記憶し,受け継ぐための行為,

つまりストーリーテリングである.Davitα'sH,αrpは,過去を記憶し未来へ

と語り継ぐ芸術形式としてのストーリーテリングを,積極的に扱った作品で

ある.

ストーリーテリングは,作者の信念一一つまり個人,文明,人類は罪悪を

犯し続けるかもしれず,人々は昔しみ続けるかもしれないが,それでもそこ

から希望を見いだしていくことができるという信念一ーを表現するスタイル

である.本論の最初に述べたように Potokの作品において,全てのエンデ

Page 12: Chaim Potok...Chaim Potok (1929- )の作品は,一読して現代アメリカにおけるユダヤ 教と,それを道守しようとするユダヤ系アメリカ人の生活が,作品の中心と

60 ChaimPoωkにおける「始まり」の意味について

イングは主人公が希望を見いだす始まり (beginning)として可能性に向かつ

て聞かれている.銀難に直面してこれで終わりだと感じたときこそが「始ま

りJであり,始めることで希望が生まれてくる,という作者のメッセージが

ストーリーに託されている.The Gift of Asher Levの中で,ユダヤ教の指

導者Rebbeは次のように言っている.

ぺ.Whenone thinks there is only an end, that is when one must

struggle for the new beginning. This is true, Asher Lev, not only for

the individual but also for the community.…" (Gift 203, empasis

added)

逆境が苦しければ苦しいほど,希望への願いは強烈になり,新しく始めるこ

とは,個人においても民族においてもその意義を増していく.

かつてユダヤ民族の歴史において,様々な事件がその存続に終止符を打つ

ことなく, I始まり」を繰り返してきたように, 20世紀最大の災厄ホロコー

ストを経験した現在,人々が,文明が,歴史が再び自らを「始める」時を迎

えている,という信念が Potokの創作のエネルギーとなっている. トーラ

が繰り返し読まれ,常にその冒頭部分である『創世記』の“Inthe

beginning"という語句に戻ってくることの意味を,In the Beginningとい

うタイトルによって喚起している.Potokがユダヤ系アメリカ作家としてそ

の価値が評価されるのは,ユダヤ教とユダヤ民族の文化を描いたことだけで

はなく,ユダヤ民族の歴史において始めることの大切さを,常に肯定的にと

らえて書き続けてきたことにあるのではないだろうか.

Potokの主題は,個人における core-to・coreculture confrontationにとど

まらず,文明もしくは人類が犯した罪悪と,それにもかかわらず生まれてく

る希望の「始まり」を物語として書き残すことであった.P。ωkは小さなあ

る特定の世界を描きながら大きな歴史を物語り,語り継ぐことによって常に

Page 13: Chaim Potok...Chaim Potok (1929- )の作品は,一読して現代アメリカにおけるユダヤ 教と,それを道守しようとするユダヤ系アメリカ人の生活が,作品の中心と

Ch組mPotokにおける「始まりJの意味について 61

新たなる「始まり」を始めることを意図していた作家であると結論できる.

そして Inthe Beginningはその意図を最も明確に表している作品である.

i主

*本稿は,日本マラマッド協会第 28会月例会(於:青山学院大学, 1996年 11月 16

日)において口頭発表したものに加執・修正したものである.

1 Potokの説明によれば,ユダヤ人にとって対立するこつの文化とは,ユダヤ教オ

ーソドックスと西欧の世俗的ヒユ}マニズムである.Potokはユダヤ教オーソドッ

クスのような小さな特定の世界の文化を“asub-culturザ,西欧の世俗的ヒューマニ

ズムのことを“theumbrella civilization"と呼んだ.この theumbrella civiliza-

tionは傘のように複数の sub-culturesを覆い,支配的かっ保護的役割を果たして

いる.そして sub-cultureの中心部にいた人がtheumbrella civilizationの中心部

に出会うと,その対立は“core-to-coreculture confrontation"となる.さらに,こ

のような二つの文化の coreの対立する狭間で苦悩する人のことを“a

Zwischenmensch"即ち“abetween person"と呼んでいる.

2 1992年に出版された 1Am the Clαyは朝鮮半島が舞台で,アジア人が主人公であ

る.その後Potokは現代世界史に題材を求めている.

3 18世紀ヨーロッパで広まったユダヤ教の一派であるハシズム (Hasidism)は,次

第に閉鎖的社会を形成するようになったが,ツァデイツク (tzaddik)はその指導者

である.ツアデイックは神と人間の聞をとりもっ宗教的,精神的,学問的,また世

俗的リーダーで,その地位は父から息子へと継承される.

4 Rebbeとは一般にはユダヤ教指導者ラピ (rabbi)のことであるが,この作品では

Ladoverと呼ばれるハシズムの一派(実在する Lubavitch派をモデルにして創作

されている)の世襲的指導者を呼んでいる.

5 例えばThePromiseの最終場面は,主人公が精神障害から回復した少年と,太陽

と雲と風のもとでセーリングを楽しんでいる様子の描写である.The Book of

Lightsの最終場面では,主人公は黄色のジャスミン,紫のブーゲンビリア,白いパ

ラの咲き誇る花壇の中にいて,烏がどこからともなく飛ぴ立つのを眺めている.1

Am the Clαyでは少年の出発した後,鷹が空高く円を描きながら舞い上がり,やが

て姿を消す様子が描写されている.

6 その例として以下の文を引用する.“1want to understand the Torah as it was

understood by those who wrote it. 1 need to learn this new critical method 80 1

can discover the truth about the beginnings of my people. 1 want to know who 1

was so 1 can understand better who 1 want to be." (447, emphasis added)

Page 14: Chaim Potok...Chaim Potok (1929- )の作品は,一読して現代アメリカにおけるユダヤ 教と,それを道守しようとするユダヤ系アメリカ人の生活が,作品の中心と

62 Chaim Potokにおける「始まり」の意味について

7 その例として以下の文を引用する.“Thefollowing year was 1947 and, with

millions of our people everywhere, I exult疋din the new beginning we were mak-

ing on our ancient land." (451, emphasis added)

8 その例として以下の文を引用する.“引len,finally, 1 set out on my journey into

the final beginnings of my family....Come, he [Rav Sharfman's visionl mur-

mured. You must see the remnants ofthe beginning ofyour family's love for the

Torah." (451-52, emphasis added)

9 この経緯はMyName Is Asher Levにおいてフィクション化されている.

10 ストーリーテリングについては,ヴァルター・ベンヤミンとその影響を受けたフ

ェルナンド・サパテールを参照した.

引用文献

ベンヤミン,ヴァルター.r物語作者」高木久雄・佐藤康彦訳『文学の危機J東京:

品文社, 1969. 177司221.

Kremer, S. Lillian.“An Interview with Chaim PotokグStudiesin Americαn Jewish

Literature 4(1985): 84-99.

Potok, Chaim.“Culture Con仕ontationin Urban Anlerica: A Writer's Beginnings."

Literαture & the American Urbαn Experience: EssαYS on the City and

Literature. Eds. Michael C. Jaye and Ann Chalmers Watts. Manchester:

Manchester UP, 1981. 161-67.

一一-'“TheFirst Eighteen Years." Studies in Americαn Jewish Litenαture 4 (1985):

100-06.

一一・ TheGift of Asher Lev. New York: Fawcett Crest, 1990.

一一一.ln the Beginning・1975.Harmondsworth: Penguin, 1976.

一一一・“TheInvisible Map of Meaning: A Writer's Confrontations."肝 iquαrterly84

(Spring 1992): 17-45.

一一一.The Promise. 1969. Harmondsworth: Penguin, 1971.

一一一_'W,αnderings: Chαim Potok's History of the Jews. New York: Fawcett Crest, 1978.

サバテ}ル,フェルナンド.r物語作家の技法一一よみがえる子供時代』渡辺洋・橋本

尚江訳東京:みすず書房, 1992.