corneilleの《tite et berenice≫...

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275 Corneilleの《Tite et Berenice≫ itf -I!. (1) 1670年11月28日, Moliere一座がPalais Royal座で, Bとr色nice)を初漬したO 8日前の11月21日には, Racineの悲劇くBe Hotel de Bourgogne座で上演されているO この一致を偶然のせいと 迂い。仮に,偶然同じテーマを選んだとしても,狭い劇壇のことだから, 相手がどんな作品を執筆中かすぐに分る。それを承知の上で,執筆を中止 しないのは,競作する意志があったからに違いない。 くBritannicus)の上演以来,二人の対立は明白になった Racin くBritannicus)の序で,劇壇の老大家に対し激しい非社を浴びせかけた。と ころが不思議なことに, (Berenice)競作の理由は,同時代人によってほと んど口にされることがなかった。そのため18世紀以降,様々な伝説と解釈 が生れたが,未だ定説はない。 最も有名なのは, Louis XIVの義妹Henriette d'Angle らせずに二人に同一のテーマを与え,競作させたという説である Adam 1) によれば,説の起りはFontenelleの残した伝記にあるらしい Voltai 2) (Commentaires sur Corneille)でこの説を採用しており, じられてきた。 しかし今世記の始めに発表されたMichautの(La Berenice de が,この伝説をほほ完全に接すことになった Michautは, Racineが 31 neilleに競作をしかけたのではないかと考えている。 いずれにしろ, Picardが言うように,偶然でない限り,誰かが二人に このテーマを与えたか, CorneilleがRacineを真似たか,或いはその ケースは三通l)しかないニHenriette d'Angleterreにまつわる先程 第-のケースにti;するが,今仕掛こなってCoutonが,これとよく似た考 え方を示したO壬左の推理は次の通りである。

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  • 275

    Corneilleの《Tite et Berenice≫ について

    待 itf  延  -I!.

    (1)

    1670年11月28日, Moliere一座がPalais Royal座で, Corneilleの(Tite et

    Bとr色nice)を初漬したO 8日前の11月21日には, Racineの悲劇くBerenice)が

    Hotel de Bourgogne座で上演されているO この一致を偶然のせいとは考え

    迂い。仮に,偶然同じテーマを選んだとしても,狭い劇壇のことだから,

    相手がどんな作品を執筆中かすぐに分る。それを承知の上で,執筆を中止

    しないのは,競作する意志があったからに違いない。

    くBritannicus)の上演以来,二人の対立は明白になった Racineは,

    くBritannicus)の序で,劇壇の老大家に対し激しい非社を浴びせかけた。と

    ころが不思議なことに, (Berenice)競作の理由は,同時代人によってほと

    んど口にされることがなかった。そのため18世紀以降,様々な伝説と解釈

    が生れたが,未だ定説はない。

    最も有名なのは, Louis XIVの義妹Henriette d'Angleterreが,それと知

    らせずに二人に同一のテーマを与え,競作させたという説である Adam1)

    によれば,説の起りはFontenelleの残した伝記にあるらしい Voltaireも2)

    (Commentaires sur Corneille)でこの説を採用しており, 18世紀以降広く信

    じられてきた。

    しかし今世記の始めに発表されたMichautの(La Berenice de Racine)

    が,この伝説をほほ完全に接すことになった Michautは, RacineがCor-31

    neilleに競作をしかけたのではないかと考えている。

    いずれにしろ, Picardが言うように,偶然でない限り,誰かが二人に

    このテーマを与えたか, CorneilleがRacineを真似たか,或いはその逆か,

    ケースは三通l)しかないニHenriette d'Angleterreにまつわる先程の伝説は,

    第-のケースにti;するが,今仕掛こなってCoutonが,これとよく似た考

    え方を示したO壬左の推理は次の通りである。

  • 276 HE^Ka  夢  闇

    1665年頃 Pays-Basから,フランスの王室と言延の恋愛沙汰をテーマと

    したスキャンダル文学が,さかんに出版されたO王の品性まで卑しめるこ

    れら出版物に,フランス政府は頭を痛めていたらしい。従ってその村石の

    一環として,王に近い立場にある二人の人気作家に, Bereniceのテーマを

    提示し,王の素行を弁護する作品を書くよう依印した可能性が高い。 iTl語

    は国是のために恋を犠牲にする君主を主人公としているO観客が主人公の

    うちに, LouisXIVの似姿を兄い出すなら,宣伝効果は十分であろう。二

    つの作品は, 11年前のLouis XIVとllarie llanciniの悲恋を連想させるよ5)

    うに書かれている。

    だが, Coutonのこのプロパガンダ文学説も, Picardの故しい反論にあ62

    い,広い支持を得るまでに至っていない。

    現代の文学研究者のうちで, CorneilleがRacineに挑戦したとするのは,7)                   巨I I:

    AdamやD。r㌣であり,逆の場合を想定しているのは, Picard, Stegmann

    I&3E31

    (B色r色nice)の序で, Racine一流の痛苦引ま, (Critique de B色r色nice)の著者

    abbedeVillarsに専ら向けられている.しかし.演劇理論のレベルでは.

    Corneilleを意識したと思えるものがほとんどである。

    たとえばRacineは, (悲劇に流血や人の死が描かれねぼならぬ必然性はMl

    ない)と述べているO これは(Tite etB色r色nice)が,登場人物は悲劇の場合

    と同じく王侯貴族であるが,その行為が流血の惨事にまで至らないので.

    英雄喜劇(-- com色die herolque)と呼ばれたのを念頭においての発言であ

    る。

    また,単一の単純なストーリーの劇を称え, SophocleのくGdipe)をそ

    の例に加えているが,これもCorneilleの(旺dipe)を踏まえてのことであ

    ろう。数週間かかっても起り得ない多くのことを,一日のうちに生超させ

    てみせる複雑なストーリーを排し, (悲劇で胸をうつのは本当らしさだけIT!

    ど)と言う時, Racineの演劇理論はCorneilleの対極にある。

    これに対しCorneilleは,作品の冒頭に出典となった,史家Xiphilinの

    引用を掲げただけで,序の類いを一切つけなかった。この引用には, (Tite

    etBerenice)の四人の主要人物が登場する。劇中Bとreniceは,一度ローマ

    を追われた後,また戻ってくるという設定になっているが,これも引用通

    りである。つまりCorneilleは,自作がいかに史実に忠実で,劇の複雑さ

    もそのために生じたと言いたかったのであろう。

  • Corneilleの(Tite et B色renice)について 2TT

    競作の結果は,誰の日にも明らかであった。新々気鋭のRacineの前に.

    老作家は完全に敗北した。 (Berenice)は, (幸いにも国王陛下のお気に召13                               14

    した)上に, (三十回目の上演も初演と変りない入りを見せた)。一方の(Tite

    etBer色nice)は合計二十一回しか上演されなかったOしかも不人気をカバー

    するためか Moliereは初演直後の12月5日から(Bourgeois gentilhomme)

    と交互に上演し,さらに翌年3月1日からは,くTiteetBerenice)の後で

    farceを演じるようにした。不入りの程は, LaGrangeの残した帳簿が如

    実に示している。

    確かに, (TiteetBerenice)は作風のマンネリ化を強く感じさせる。過去

    の作品,特に(Sertorius)以降の作品で利用されたシチュエーションを倦き

    もせず繰返し,登場人物に同じような台詞を吐かせている。

    しかし,比較をどうしても免れない(B色r色nice)の栄光の前に, (Titeet

    Berenice)が過少評価されたきらいもあるO この作品だけを切り放して考

    えれば,必ずしも不出来という訳ではない。特にCorneilleの作品全体に

    通じている読者には,作者の晩年の変貌を窺わせて興味深い部分が多い。

    以下我々は,簡単に荒筋を述べた後, Corneille劇の英雄主義(-

    heroisme)の変貌という観点から,この作品を分析する.

    (2)

    舞台は西暦一世紀のローマ。父Vespasienの死後,皇帝に即位したばか

    りのTiteは四日後にDomitieとの結婚を控えている。だがTiteには,ユ

    ダヤの女王Berとniceという忘れ薙い恋人がいた。共和制の伝統が残るロー

    マは,帝政となった今も,王を憎んでいる。この伝統の故に,二人は結ば

    れることなく, Bereniceは祖国-追放された。

    一方のDomitieにも, Titeの弟でDomitianという恋人がいた。しかし,

    野心家の彼女は,昔の恋に殉ずる気など毛頭ない Domitianがどれほど

    口説いても,権力の座の魅力には勝てない。腹心のAlbinに入れ知恵され

    たDomitianは,兄の胸中に残るBereniceへの思慕の念をかき立てること

    によって,二人の結婚を妨げようと計画する(一幕)0

    TiteとDomitianフう Domitieに,二人のうちどちらを本当に愛している

    か問い正していると,突然Bereniceが現れる。皇帝即位の祝詞を述べる

  • 278 村  瀬  廷  筏

    という口実を作って,ローマに戻って来たのである。Domitieは穎th-に狂っ

    て錯乱状態に陥る(二幕)。

    DomitianはB色reniceに求婚してみせ. TiteやDomitieの箆,L石心を利激

    しようとする.女同志の間でも,ライバル意識をむき出しにした,羊諌な

    やりとりが交される。最後にTiteとB色reniceの会見が行われるが,Titeは.

    二人が結婚すれば,必ずローマに反乱が生じると予言する。しかし.子宝は

    帝位を放棄しても,彼女と共に暮したいという夢を捨てきれない(三幕)。

    Titeの説明を聞'き,また部下からローマの政情報告を受けたBer色nice

    は,彼との結婚をあきらめる。だが, TiteとDomitieの結婚を妨げ,二度

    に渡ってローマから追放される恥辱を避けるために, Domitianと手を結

    ぶ DomitieもDomitianの協力を要請するが,拒否される。 Domitianは,

    Albinの忠告に従い, Titeに再び, Berとniceと結婚させてくれと要求する

    (四幕)0

    Titeの優柔不断は続く。 Domitiei{婚約履行を迫った時も,誰を皇后

    にするかは元老院の決定に従う積りだと述べるo 別誰の覚悟を固めた

    Bereniceが,元老院の決議でローマ追放になるのは耐えられぬから,皇帝

    自ら命令を下してくれとTiteに求める。そこにDomitian7う,',二人の結婚

    が元老院で認められたと知らせる。彼女は,これほどの名誉を受けた以上思

    い残すことはない Titeとの結婚は,以前の決心通りあきらめると,管

    を驚かす決断をする Titeは生涯独身を通す覚悟だと述べ,またDomi-

    tianは兄と帝位を分ち, Domitieと結婚することになる(五幕)0

    (3)

    明らかに,劇の見せ場は終幕のB色reniceの決断にあるOこの点で,くTite15

    etBerenice)は,同じ作者の(Cinna)を連想させる。 Augusteもまた,長い

    達巡と苦悩の後に謀叛人を許し,ローマに平和をもたらした0万人の幸福

    を招く寛容に満ちた,犠牲的な決断は,観客をそれまで強いられていた緊

    張から解放し,高揚した,賛嘆の念を呼び起す。しかし,このことは,くTite

    etBとr色nice)が(Cinna)の二番煎じであることも意味するo しかも前者の結

  • Corneilleの(Tite et Berenice)について 279

    末は後者の結末が持つ純粋な至福感とでも呼ぶべきものに,及ばないとこ

    ろがある。この点については後程触れよう。

    (Tite et B色renice)の面白さは, Corneille劇の特徴であったheroismeを,

    反対の視点から見直したかの如くに,描いていることであろう。高貴にみ

    える行為の内幕を情容赦なく暴露した感がある。神聖なものに対する痛烈

    な皮肉という意味で,喜劇的とも言えよう Corneilleの過去の作品で,

    人間の行為の根底にこれほどエゴイスムを見出そうとしたものは,恐らく

    なかった。

    四人の主要人物の行動,心理を追いながら,具体的に検討してみよう。

    ※       ※       ※

    劇の題名からすれば, TiteとBとreniceが主人公のはずであるが,

    Domitian,Domitieもそれに劣らず,あるいはそれ以上に重要な人物である。

    作者はこの二人を通して,人間の欲望を赤裸々な形で措いてみせる。16

    Domitianが恋人の不実を憤って, (彼女は自分自身しか愛していない)

    と非牲した時. Albinはこう返答する。

    L'amour-propre est la source en nous de tous les autres; / C'en est le

    sentiment qui forme tous les notres; Vous-meme, qui brulez d'une

    ardeur si fidele, / Aimez-vous Domitie, ou vos plaisirs en elle? / Et

    quand vous aspirez云des liens si doux, / Est-ce pour l'amour d'elle ou71

    pour 1 amour de vous?

    (自己愛は我々の内で,他のすべての感情の原因となっている。我々

    のあらゆる感情を生み出すのは自己愛の感情なのだ。 --変ることな

    く恋の熱情に身を焦すあなた自身,ドミシイを愛しているのか,ある

    いは彼女の内に味わうあなたの快楽を愛しているのか。あなたが恋の

    甘美な拝に焦るのは,ドミシイ-の愛のためか,あなた自身への愛の

    ためか。)

    自己愛に基づくAlbinの人間観は1665年に発表されたLa Roche-

    foucauldの(Rとflexions ou Sentences et Maximes morales)を思い起させる。

    この自己愛の観念こそ,くTiteetBerenice)を理解する錠となろうo

    Domitianは,劇中終始一貫Domitieを愛している。しかし彼の愛は,な

    により激しい所有欲に特故づけられるのであって,献身とか自己犠牲とか

  • 280 相  月 11 'X

    いった昇華された感情とは程遠い。少々卑劣な手段を用いようと, Doコi・

    tie自身を傷つけることになろうと.とにかく手芸女を自分のものにすれ;ご

    よいというのが,彼の遥口である。 Titeの心をDomitieから引き歳すため

    には,彼女が実際に愛しているのは自分だと,富吾するのも買わない-;

    Bereniceのローマ追放を画策するDomitieに対し.壬完は前者と手を結び.

    密かに元老院でTiteとB色reniceの結嶋が可託になるよう工作を進める。

    Domitieが援助を求めると,どんな韻刑が,q待できるのかと反語する,以

    下二人の間で,次のようなやり方がある。

    - Voulez-vous pour servir芭tre s也r du salaire. / Seigneur, et n'al蝣ez-

    vous qu un amour mercenaire?

    -Je n'en connais point d'autre. et ne concois pas bien / Qu'un amant

    puisse plaire en ne prとtendant nen.1;

    - Que ces pretentions sentent les云mes basses!

    (-あなたは恋人に仕えるのに,報酬が確かであってほしいのですか,

    殿下。あなたは欲得づくの愛情しか持っていないのですか。

    -私は他の愛を知りませんO恋する男が,女性に何も要求せずに.

    彼女の愛を得られるとは思いません。

    -その厚かましさには,何と卑しさが感じられることでしよう。)

    Domitieの心が自分に戻ってこないと知ったDomitianは.脅迫まがいの遣

    り方に訴える。

    彼は恋愛における一種のマキャベリストであり,最後のBereniceの決

    断を別にすれば,劇中の小波乱はほとんど彼によってもたらされる。最終的

    には恋人を手に入れるが,これほど傷つけ合った二人が結ばれてどうなる

    かという不安を,観客に与える。

    Domitianが愛欲に支配されているのと対照的に, Domitieを動かすのは

    専ら権勢欲であるo彼女は暴君Neronの縁戚にあたり,皇帝に擁立され

    たこともある歴戦の名将Corbulonを父として生れた。このような環境の

    中で,彼女は幼くして権力への憧れを抱くようになる Neronの妻達でさ

    え,彼女には羨ましく思えた。

  • CorneilleのくTite et Berenice)について 281

    Je vis d'un (Pil jaloux Octavie et Popp色e; / Et Neron, des mortels et

    l'horreur et l'effroi, / M'eut paru grand h芭ros, s'il m'eut offert sa20)

    foi.

    (私は嫉妬のまなざしで,オクタヴイやポペ-を眺めた。命ある者の

    妹悪と恐怖の的であるネロンですら,もし彼が私に愛を誓ってくれた

    ら,偉大な英雄にみえたでしょう。)

    Titeを知るまでの彼女は, Domitianとの恋に酔い痴れていた。しかし

    一度次期皇帝を約束された人物が現れると,持前の権力志向が目をさまし

    た。 Vespasienが二人の婚約をとり決めた時,彼女に逆らう気持はさらさ

    らなかった。

    Et ie n'ai point une急meえse laisser charmer / Du ridicule honneur de

    savoir bien aimer. / La passion du trone est seule touiours belle, /21)

    Seule A qui l五me doive une ardeur immortelle.

    (見事に恋をまっとうしたと誉められて,愚かにも喜ぶような心を私

    は持ち合わせていませんo玉座への情熱が常に唯一美しいものであり,

    永遠の情熱を傾けるべき唯一つのものです.)

    四幕三場のDomitianとの対話が,彼女の偽善性を暴露する。 BErとnice

    追放に手を貸すよう求める時, Domitieは,異国の女王が帝国の玉座に登

    る恥辱からローマを教うという大義名分をたてる。これに対するDomi-

    tianの皮肉な答は,正鵠を得ているo

    Et cest du nom romain la gloire qui vous touche, / Madame? et vous

    l.al・ez au ccだur comme en la bouche? / Ah! que le nom de Rome est un

    nom precieux. / Alors qu'en la servant on se sert encor mieux, /

    Qu'al;ec nos intとr色ts ce grand del・oir conspire, / Et que pour rec0m-22;

    pense on se promet 1 empire!

    (あなたの心を動かしているのはローマという名が持つ栄光なのです

    か,姫君。あなたは口先と同じように心の底でも,それを信じていらっ

    しゃるのですか。あー,ローマの名はなんと重宝なものなのでしょう.

    ローマに仕えることが,なお一層自分自身に仕えることになり,この

  • 282 村  瀬 is a

    偉大な義務と我々の利益が一致して.程前として帝国を期待できるの

    なら。)

    Domitieは野心にとりつかれた女性であるが,一方でCorneilleの人顎と

    しては稀なほど,脆さをさらけ出すO野心の権化といえば. fず連想され

    るくRodogune)のCl色opatreの冷撒きに比べれば,子左女は,行動の伴わない

    無力な絶叫を,ヒステリックに繰返すだけである。 Bereniceの姿を見た

    Titeが二幕六場で,榛に言葉もかけずにDomitieの許を去って行く。この

    後彼女は狂乱状態に陥り,女性の誇りをかなぐl)捨てたととれるほど露骨23)

    に,嫉妬心を表明する。

    ※       ※       ※

    Domitian,Domitieのカップルは,Corneille劇の英雄達の克己心をなくし.

    欲望のままに悉く存在に堕しているO一方, TiteとB色r芭niceはといえば,

    彼らもまた,必ずしもherolsmeの体現者と言い琵い。

    自己の情念を支配する能力を失~っているという意味で, Titeと

    Domitian, Domitieは共通している Bereniceへの思いを断ち切れず,

    21)

    Ma壬tre de l'univers sans l'etre de moi-meme.

    (世界の支配者でありながら自分自身の支配者でない)

    と詠嘆するTiteは,文字通りAugusteの対極に位置する。

    25J

    Je suis maitre de moi comme de 1-univers,

    (私は世界の支配者であるように,自己の支配者でもある。)

    Titeは皇帝の責任の重さに耐えかねている。人も羨む権力も,己れの

    恋一つ満足させられないでは何の価値があろう.

    De quoi s'enorgueillit un souverain de Rome, / Si par respect pour elle26)

    il doit cesser dァtre homme,

    (ローマの君主は,ローマを敬う余り,人間であることをやめねぽな

    らぬなら,何の誇るところがあろう。)

  • CorneilleのくTite et Berenice)について 283

    万人の幸福を計るために,自分の幸福を犠牲にしなければならぬのなら,

    いっそ帝位を捨てて, Bereniceとの恋をまっとうしたい。 Titeは,遂にこ27)

    の誘惑から逃れられない。

    (B色renice)のTitusの態度は正反対である。二人のうちで所謂Corneille

    的なのは,皮肉なことながら, TitusであってTiteではない Titusは責28)

    任の重さを知っている。それに耐える勇気を持っている。間違っても,帝29)

    位を捨ててBer色niceの後を追ったりしない。

    Doubrovskyは, (Berenice)とくTiteetBer色nice)の大きな違いとして,

    前者では主人公が最初からBereniceとの別雑を決意しているのに,後者30)

    では最後まで迷い続ける点をあげている。

    二幕-場で舞台に始めて登場した時, Titeは, Domitieとの婚礼準備が

    進んでいることに触れて,

    dangereux sonhaits / De preparer toujours et n'achever jamais.31)

    (婚礼準備がいつまでも続いて,決して終らぬようにという危険な願

    い)

    に囚われていると口にする。ところが,彼の優柔不断は,五幕になっても

    まったく変化していない。今さらB芭reniceに会って何を期待するのかと

    尋ねられたTiteは,

    L en aimer davantage, et ne r色soudre rien.

    (彼女をますます愛し,何も決定しないことを)

    と答える。

    一方Titeは,晩年のCorneilleの作品に特徴的な無常感に,しばしば囚

    われる。

    La vie est peu de chose; et tot ou tard, qu'importe / Qu'un traitre me

    l arrache ou que ll云ge l'emporte? / Nous mouronsえtoute heure; et dans33)

    le plus doux sort / Chaque instant de la vie est un pas vers la mort.

    (生はとるに足らぬものだ。早晩,妾切者が私の命を奪おうと,天寿

    をまっとうしようと,たいした違いがあろうか。我々は絶えず死に近

  • 284 村  瀬  廷  哉

    づいている。最も幸福な境遇にあってさえ,人坐の-刻一刻は死への

    一歩なのだ。)

    生涯独身を誓ったTiteに, Bereniceは,彼の面影を伝え,シーザーと

    なるべき子孫を残す義務があると説く。これに対し彼は,

    ユI

    Pour revivre en des his nous nen mourons pas moms.

    (自分にそっくりの息子を残したからといって,我々が死ぬことに変

    りありません。)

    と答える。

    人生の孤独と虚無を語るTiteの台詞は,恐らく年老いた作者の心境を

    強く反映しているのであろう。読者の胸をうつものがある。

    (Tite et Berenice)に英雄が存在するとすれば, Ber丘niceをおいてない。

    彼女だけが理性と意志をもって行動し,他人の幸福まで慮っているように

    みえる。だが,このきわめて理性の勝った女性を真に動かしているのは愛

    だけであろうか。

    二幕五場で始めてBerenicetう,'登場する.どういう目的でローマに現れ35)

    たのか Albinと計って,恋人に会いたい一念から, (軽卒にも)ローマに36

    やって来たのか。彼女のその後のローマでの振舞いをみていると,軽卒に

    物事を行う女性とは到底思えない。しかし,彼女が登場しないことには劇

    が成立しないのだから,この点について深く詮索しないことにする。

    TiteとBereniceの第-回目の対話が実現するのは三幕五場である。彼

    女は Tite7うす皇帝となった今も,二人の結婚は叶わないのかO ローマの

    世論を恐れてDomitieと結婚する気なのかと詰問する Domitie以外なら

    ともかく,名門の生れで,女性としての魅力にあふれた彼女との結婚は許

    せない。せめて, Titeの心だけは自分のものにしておきたいのに,それ

    も叶わぬことになりそうだからだ。

    しかし,もしBereniceとの結婚を強硬するなら,反乱を誘発して,二

    人の命も危くなると間かされると,彼女の態度は一変する。

    La plus illustre ardeur de p色rir l'un pour l'autre / N'a rien de glorieux

    pour mon rang et le votre: / L'amour de nos pareils la traite de

  • corneilleの(Tite et Berenice)について 285

    37)

    fureur;

    (互いのために命を捨てる輝しい情熱も,あなたや私の地位には名誉

    あるものではありません。我々王者の恋は,この情熱を狂気とみなす

    のです。)

    この後, Titeが帝位を捨てて, Bereniceの阻国で共に暮らそうと言っても,

    彼女は, Titeの命と地位を考えて,頑として承知しない。

    次の場でBとreniceは,用心深く,先程のTiteの政情分析が的確かどうか,

    大臣のPhilonに探らせ,報告を受ける。報告はTiteの言葉を基づける。

    DomitianとDomitieが結ばれれば,謀叛の企みがそこから生れることは必

    至である。 B色reniceは,それならせめてTiteがDomitieと結婚するのだけ

    は阻止したいと考える。彼の妻を,彼女自らが選び,ローマ市民を見返し

    てやりたいと思う。

    彼女は,利害の一致するDomitianと手を組む。彼が元老院工作を行う間,

    Bereniceは, Titeが弱気になってDomitianの努力を無にすることがない

    よう,監視役を引き受ける。四幕二場の最後で彼女は,仮に元老院が彼女

    を皇后に選んでも,受けるかどうか分らぬという意味のことを述べる。こ

    れが終幕の伏線となっている。

    大詰めの五幕四場で, Bereniceはかねて覚悟の通り, Titeに向って結婚

    を諦めたと明言する。だが,その代償として,彼女の気が済むまでローマ

    滞在を許し,その間はDomitieとの結婚を延期して欲しい。特に,元老院

    の命令でローマから追放される耳lt辱は避けたい.こう言われてTiteは,

    ただちに元老院の会議を中止させようとするが,それより早くDomitian

    が, Bとreniceの勝利を伝えに現われる。元老院は,彼女にローマ市民と同

    等の貴格を与え, Titeとの結婚を認めた。恋人の心が自分のものである

    と確信できた上に,望みさえすれば皇后の位にもつける。彼女の名誉は完

    全に守られた。この勝利の絶頂にあって, Titeとローマの安泰のために

    身を引くなら,二人の名は後世まで記憶されるであろう。結婚を選べば,

    名声を維持することは杜しいOかくて彼女は出発を決意する。

    mais laissez-moi partir. / Ma gloire ne peut croitre, et peut se

    d色mentir. / Elle passe aujourd hui celle du plus grand homme.

    (私を行かせて下さい。私の誉れはこれ以上高くはなりませんが,失

  • 286 村  瀬  廷  哉

    われる可能性はあるのですから。それは今日ただ今最大の住人の誉れ

    をしのぐほどです。)

    Ber色niceの行動はきわめて理路整然としている,Titeとの最初の会見で,

    既に彼との結婚を諦めている。以後は,言わば,いかにしてローマから名

    誉ある撤退をするかということが,彼女の関心事である。確かに終幕の

    Bereniceの犠牲的行為は,感動を呼ぶ。しかしこれは,瞬間的に思いつい

    た無償の行為ではない.冷静な計算が働いているO愛する者-の思いやり

    と,自分の名誉という異った要求を満足させる方法を,幸福を犠牲にする

    ことによって兄い出したのである。

    Titeを諦めることで,彼女がどれほど犠牲を払うことになったかは,

    彼女以外には分らないOだが, CorneilleのBereniceは,余りにも分別が

    勝ち過ぎていて,恋する乙女というには程遠い。人生の苦楽を味わい,こ

    の世の幸福のはかなさをわきまえた者でなければ,これほど容易に恋人と

    の別離を決意できまいo さらに彼女は,他人の幸福だけでなく,自分の利

    益を守ることを忘れぬしたたかさを備えている。こうした特徴は, Bとr色I

    niceから分別盛りの中年女性を連想させる。この意味で, Corneilleの

    B色reniceは, Titeより二十才も年上であったと伝えられる史実のB色r色nice

    のイメージに近い。

    ※       ※       ※

    以上,我々はheroismeの失墜という観点から,主要な登場人物を分析

    した。彼らの行動は往々にして,所謂自己愛の働きに左右されており,そ

    の動機において, herolsmeと呼ぶにふさわしい純粋さを持ち得ないo

    ほとんど本能のレベルに終始しているDomitianの恋愛については,言

    うまでもない。 Domitieは激しい権勢欲を持つ。彼女の名誉-の執着は,

    ある意味で Ber芭niceや, Corneille劇の過去の英雄達と共通すると考え

    ることもできよう。しかし彼女の場合,名誉心は家族,祖国,宗教などの

    共同体への愛や理想と結びついていない。まったくのエゴイスムの表れに

    すぎない。そのため,彼女が名誉を口にする度に,彼女の偽善性と厚顔さ

    が暴露される。彼女は英雄のカリカチュールと言えよう。

    Titeは,帝位の空しさ,人生の空しさの観念にとりつかれた無力な人

    物である。その故に,一種の恋愛至上主義者でもある。彼もまた,厳密な

    意味で,自己愛の作用を免れていない。

  • CorneilleのくTite et B色renice)について 287

    最後にBとreniceは,劇中唯一人英雄の名に伍する人物である。だが,

    犠牲的行為の陰で,自己の名誉を守ることを決して忘れてはいない。この

    点で彼女も,強い自己愛に囚われている。読者が,彼女の行為の崇高さに

    うたれながらも,同時に白けたものを感じるのは,これもまた,純粋の他

    者愛から生れたのでないと分っているからである。

    しかし,老いたるCorneilleの日には,このことは自明の理であったの

    かもしれない。この世に一切の自己愛を免れた,無償の行為など存在しな

    い。それがクライマックスの感動を弱めはしても,現実の重みが持つ苦い

    感銘を,読者の胸に残すのである。

    〔注〕1 ) Cf. A. Adam : Histoire de la literaturefruncaise au XVW siecle, del Duca, 1968,

    t.4.p.335.

    2) Cf. Voltaire : Les CEuvres completes de Voltaire, The Voltaire Foundation, 1975,

    t.55, pp.1938-1939.

    3) Cf. G. Couton : La Vieillesse de Comeille, Maloine, 1949, p.171.

    4 ) Cf. R. Picard : La Camlre deJean Racine, Gallimard, 1961, p.156.

    5) Cf. G. Couton,op.cit., pp.177-182.

    6) Cf. R. Picard,坤.titりpp.157-158.

    7) Cf. A.Adam,坤.cit.,p.336.

    8) Cf. B. Dort : Comeille dramaturge, L'Arche. 1972, p.129.

    9) Cf. R. Picard.呼.cit.. p.159.

    10) Cf. A. Stegmann : L'Heroisme comelien. Genese et sigrlification, A Colin, 1968,

    t.l.p.196.

    ll)坤ce de BeめIice.12) Ibid.

    13) Epilre dedicatoire de Be勅ice.

    14) Preface de BeめIice.

    15) Cf. S. Doubrovsky : Comeille et la dialectique du heros, Gallimard, 1963. p.393.

    16) Tite etBeめIice. I. 3. 276.

    17) Jbid.. 279-280. 283-286.

    18 Cf. ibid.. II.2.545-550.

    19) Ibid.. IV. 3. 1215-1219.

    20) Ibid.. I. 1. 84-86.

    21) Ibid.. I. 2. 221-224.

    22) Ibid.. I\'. 3. 1207-1212.

  • 288 村  瀬  廷  哉

    23) Cf. ibid., II, 7. 697-700.

    24) Jbid.. II, 1. 407.

    25) Cinna, V. 3, 1696.

    26) Tite etBerenice, V, 1, 1451-1452.

    27) Cf. ibid.. Ill, 5, 1027-1034, V. 4. 1639-1642.

    28) Cf. Berenice, IV, 4, 1029-1039.

    29) Cf. ibid.,V,6, 1399-1402.

    30) Cf. S. Doubrovsky.坤. cit.. p.397.

    31) TiteetBeめi:ce, II. 1. 413-414.

    31) Ibid., V, 1, 1426.

    33) Ibid., 1483-1486.

    34) Ibid., V. 5, 1753.

    35) Cf. ibid.,I, 3, 343-346.

    36) Cf. ibid.,V,5, 1609-1612.

    37) Ibid., Ill, 5, 1011-1013.

    38) Ibid.. V. 5. 1717-1719.

  • Tite et Bérénice de Corneille

    Nobuya MURASE

    Le 28 novembre 1670, on présenta Tite et Bérénice huit jours après la première de Bérénice. Le résultat de cette confrontation ne se fit pas attendre: le vieux poète subit une défaite complète. Depuis, Racine a tenu le premier rang dans le domaine de la tragédie classique.

    L'incontestable perfection de Bérénice a nui à la pièce de Corneille. Si l'on évite la mise en parallèle, Tite et Bérénice de- meure l'une des grandes œuvres de Corneille.

    On dit que le poète peint les hommes tels qu'ils devraient être. En vérité, d'un bout à l'autre de sa vie, il n'a pas fait que peindre des héros idéalisés. Vers la fin de sa vie, surtout il tend à se mé- fier un peu de l'héroïsme exacerbé dont il a fait tant d'éloges dans ses chefs-d'œuvre.

    Ce qui nous intéresse dans Tite et Bérénice, c'est que l'héroïsme y apparaît privé de son masque plus encore qu'ailleurs. En ce sens, les paroles dlAlbin. confident de Domitian, constituent la clé de la

    pièce : "L'amour-propre est la smtrce en nozts de tmts les autres ; Cén est le seiztilnelzt qui jonlte tais les nôtres." En effet, les quatre per- sonnages principaux voient leur conduite plus ou moins déterminée

    par leur amour-propre. bien qu'elle ait souvent l'apparence de véri- table héroîsme.

    Domitian ne s e conduit pas comme le "parfait amant" qui se sacri- fie pour s a bien-aimée ; son seul but est de la posséder.

    Domitie souhaite de devenir impératrice en épousant Tite. Son ambition ne se fonde sur aucune valeur morale : accomplissement du devoir, altruisme, patriotisme. etc. Il s'agit seulement de vanité. Elle se montre donc hypocrite quand elle s e réfère à la gloire de Rome. alors qu'elle n'a pour but que de monter sur le trône.

  • Tite ne montre pas de courage dans l'acceptation de son impérial

    destin. Hanté par des pensées nihistes. il considère l'amour comme une valeur absolue et reste dans l'incapacité de prendre la décision de se séparer de Bérénice. Il est aux antipodes du Titus de Béré- nice, qui, pour ainsi dire, est un véritable héros cornélien.

    Bérénice seule donne l'impression d'une héroine généreuse. Elle décide de quitter Tite pour sauver sa vie. Peut-être prend-elle cette

    décision au milieu de la pièce (acte III, scène V). Par la suite. Bérénice est préoccupée d'un autre problème : comment rentrer dans sa patrie tout en sauvegardant sa propre gloire. Donc. son adieu à Tite, à la fin de la scène. est plutôt un cri de triomphe. puis- que les Romains l'ont acceptée comme impératrice. On peut donc dire qu'elle aussi est guidée par l'amour-propre.

    Aux yeux du vieux Corneille, il n'est pas d'être humain qui ne

    soit victime de l'amour-propre. C'est cette amère constatation qui ressort avec une force inégalée du spectacle de la pièce.