腐食センターニュース No. 051 2009 年 10 月
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潤滑油と腐食(その1) -潤滑油の概要及び水・グリコール作動液における防食性-
出光興産(株)営業研究所 金森英夫
1.はじめに 潤滑油の種類は多岐にわたり,様々な箇所で用いられる.例えば,自動車,船舶,航空
機などの内燃機関にはエンジンオイルを,駆動系には歯車,軸受などを潤滑する専用オイ
ルを用いる.またこれら内燃機関や外燃機関,自動車のフレームやボディーを製造する産
業機械には歯車や軸受,油圧機器などに潤滑油を使用する.油圧駆動装置には,圧力媒体
とポンプの潤滑を司る油圧作動油,また圧延,切削,絞り,鍛造などの金属加工,最近で
は電子部品のシリコン基板の切断などの加工用途には加工用潤滑油剤を使用する.これら
の潤滑油剤には摩擦を低減,及び摩擦を適切に制御する潤滑作用の他,ピストンの密封,
エンジン内の燃えカスなどを除去,切削面から切り屑を除去,摩擦面から異物を除去,熱
の除去(冷却作用)など用途に応じ様々な機能1)が求められる.こうした中で,金属材料
を腐食から守る防食作用2)は,全ての潤滑剤に共通で重要な性能といえる. 現在では,様々な使用条件に耐える多くの潤滑油を投入する結果,世界需要は 4,000 万
トン/年,其の種類は 3000 以上に及ぶ市場を形成しているといわれている.参考までに,
弊社における潤滑油剤の分類を表 1 に示す. 表 1. 潤滑油分類の一例(出光興産).
それぞれの分類ごとに製品がラインアップされ,製品総数は弊社だけで約 2000 種ある.
http://www.idemitsu.co.jp/lube/products/use/index.html
○設備用潤滑油 シリンダ ・システム 兼用油 流動パラフィン 自動車用
メークアップ 用油 電気絶縁油 トランス 油 工業用ガソリン ・ ディーゼル 兼用
多目的 ・汎用油 シリンダ 専用油 ゴム配合油ディーゼル 油
摺動面油 システム 専用油 溶剤・ ソルベルトLPG用 エンジン 油
タービン 油 船外機油 一般潤滑油コージェネ 専用油
油圧作動油 ギヤ油 軸受油 ミッション 油ミスト給油用潤滑油
農業機械油
ギヤ油 トルコン 油 圧縮機油 冷凍機油 真空 ポンプ 油 トラクション 油 エアフィルター 油さく岩機油
○金属加工油 熱処理油 熱媒体油 不水溶性切削油 水溶性切削油 圧延油 絞 り・ 抽伸油防錆油 洗浄油
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このような油の設計は機械設計とともに重要であり,それぞれの用途に応じ設計された
潤滑油剤を適切に選定し,トラブルを未然に防ぐ管理を行うことを提案している.英国ト
ライボロジー委員会は,潤滑トラブルによって直接・間接に影響した経済損失は GHP のお
よそ 3%に相当することを報告している脚注1).これは,腐食損失に匹敵する膨大なもので,
両者は互いに重なる事例も多くあると推察される一方,腐食作用を活用した摩擦制御への
取り組みによって,トラブルを軽減し得ることを示唆している7). 1.1.金属材料と潤滑油
多くの内燃機関,外燃機関,産業機械などの機械要素を構成する材料の主体は炭素鋼で
ある.摩擦部分には炭素鋼同士の摩擦が多い.これを緩和するためや軽量化などの目的で
様々な銅合金,アルミ,アルミ合金なども用いられる.タンクや配管は炭素鋼主体で,ポ
ンプ材料などには各種銅合金なども用いられる.したがって,潤滑油中では,炭素鋼同士,
及び異種金属接触の状態が混在しながら金属材料が存在する.摩擦部分以外の金属表面に
おける減肉や腐食生成物発生は通常観察されない.顕著な腐食の認められない状態を実現
させたのは,材料,設計,そして潤滑油の三つ巴の取り組みの成果といえる. 因みに,自動車一台の平均走行距離は 13 万 km を越え,使用期間では 10 年とも 20 年
とも言われ,この間エンジン内部に錆や腐食のない状態に保たれる.油圧タンクやポンプ
なども 10、20、30 年に亘り使用され,炭素鋼は金属光沢を維持する.大気暴露状態であれ
ば発錆していると推測される場合にも,潤滑油中ではその発生はない.今後,さらなる信
頼性や生産効率,走行性能向上や静粛性を求める上では,材料,設計,潤滑三者間の協力
や共同開発は益々重要になると考えられる. 1.2.潤滑油の組成
潤滑油はその目的に応じ,石油から精製される基油(ベースオイル)に様々な添加剤を
溶解させ調合する1),2).高度に生成され不純物の少ないベースオイルほど添加剤の溶解性
は低く,摩擦面をはじめとする金属表面に多く押し出され,その結果添加剤は金属表面に
強固に吸着3),4)し潤滑や防錆作用をより高いレベルで実現する.最近では合成潤滑油基油
も多く用いられるようになった5). 表 2 に主な基油精製方法と,精製度の目安となる硫黄分含有量を示す.また表 3 には
エンジンオイルを例にそこに使用される添加剤を示す. 精製方法により硫黄分の含有量は異なる5).硫黄分は原油中に多く含まれ,高度に精製
するほど減少するため精製度の目安となる.白土処理や水素化仕上げに比べ,水素化改質
を二度行う二次水素化改質処理は硫黄分含有量を減少させ,合成基油と同等レベルに向上
していることを表 2 は示している.硫黄分は銅系金属の腐食を促進するので注意を要する.
脚注1)英国トライボロジー委員会の Jost Report として有名. Department of Education and Science, “Lubrication(Tribology)” HER Majesty’s Stationery Office, p.78(1966)
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表 2. 主な潤滑油ベースオイルの精製方法と硫黄含有量
精製方法 硫黄分含有量 ,wt%
分類 使用例
溶剤精製後,白土処理 0.1 - 3 G1 一般機械油 溶剤精製後,水素化仕上げ 0.01 – 0.1 G2 一般エンジンオイル 一次水素化改質 0.01 – 0.1 G3 一般エンジンオイル 二次水素化改質 0.0001(1ppm)以下 G3+ 低燃費エンジンオイル 合成潤滑油基油 0.0001(1ppm)以下 G4 低燃費エンジンオイル
http://www.idemitsu.co.jp/lube/understand/history02.html 表 3. エンジンオイルに用いられる添加剤
脚注1) 清浄分散剤:Detergent,Dispersant;エンジン内部で発生するスラッジや堆積物を抑
制する中和作用,また,発生した場合にもそれを分散,可溶化させる作用を持つ潤
滑油添加剤(潤滑油用語集,養賢堂,p138(1981) 脚注2) 極圧剤:Extreme Pressure Agent;金属との反応により,表面に皮膜を形成し,こ
れにより摩耗を少なくし焼き付きを防止する潤滑油添加剤(同上p118) http://www.idemitsu.co.jp/lube/understand/history02.html
潤滑油 には、その 使用目的によってさまざまな添加剤 が配合されています。例として自動車用エンジンオイルを考えてみましょう。
エンジンオイル は 、エンジン下部にあるオイルパン からポンプで送られて、エンジン各部を潤滑したり冷却したりして、エンジンの滑 らかな運転 を助 けています 。例 えば 毎分数千回転 で回 っている軸受 や 、 高速で 上下 に往復運動しているピストン部、動弁部や歯車部などがエンジンオイルの世話 になっています。
また エンジンは 、 寒 い冬 の朝の 始動時 から 真夏 の 高速走行時まで、使用される範囲が広く、要求される性能も多岐にわたっています。
このように 広 い条件下 でも十分 な 性能 を発揮させるため、エンジンオイルには次のような添加剤が配合されています。
清浄分散剤 脚注1) 高温 のピストン部で生成したススやスラッジを油中に分散させ、ピストン やエンジン内部 をきれいに保つ
粘度指数向上剤・流動点降下剤 低温 から高温まで広い温度範囲で潤滑油としての性能を発揮させる
酸化防止剤 潤滑油の劣化変質を防ぎ、長期間安定した性能を維持させる
極圧剤 脚注2) 歯車 や動弁部の磨耗や焼け付きを低減させる
摩擦調整剤 エンジン内部の摩擦を低減し、燃費を向上させる
防錆剤 エンジン内部の錆を防ぐ
消泡剤 激しい撹拌(かくはん)によって発生したオイルパンの油面の泡を、すみやかに消す
その他潤滑油には、その 使用目的 に応じて 、 油性剤・ 乳化剤・金属不活性化剤・着色剤などの添加剤が配合されています。
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1.3.潤滑油の腐食防止機能 潤滑油中の炭素鋼は,良く手入れされながら刀の鞘に収まって適切に管理・保管され使
用される日本刀のごとく長期にわたりその金属光沢を維持する.その作用機構は,鋼表面
を緻密な酸化膜,即ち不動態膜に覆われるため,防食を達成できていると考えられている.
不動態膜は潤滑油によって水は排除される2)ことに助けられ,大気暴露下よりも遥か長期
間その機能は維持されると考えられる.複数の添加剤を配合6)することによりさらに安定
に保たれるものと推測される.潤滑油中での金属の防食には,防錆剤のほか,清浄分散剤,
酸化防止剤,極圧剤,摩擦調整剤,金属不活性化剤などと呼ばれる添加剤を複合的に作用
させ,目的の性能を得ている. 本稿では,その作用機構の一部を解明するため,金属表面から水を排除できない水系潤
滑剤,これには水溶性切削油8)9)など多くの種類がある中で,今回は液圧駆動機械の動力
伝達媒体となる水・グリコール系作動液にスポットを当て,その防食性メカニズムに迫る.
2.水・グリコール作動液にみる水系潤滑剤の防食性 2.1.水・グリコール作動液の使用状況と組成 2.1.1.現在の使用状況
現在,弊社では数百箇所での使用実績のある中で,進行性すきま腐食の報告はない.水・
グリコール系作動液中の塩化物濃度を上昇させない管理を行い使用されている. 2009 年 9 月 17 日,水・グリコール系作動液を 20 年以上にわたり使用している某自動
車メーカーの鍛造工場を訪問した.熱間鍛造設備の加熱炉をもつ工場の天井に,炉で熱し
た材料を,ロボットアームでつかみ,空中を次工程に移動している光景が目に飛び込んで
きた.油系作動油や加工油に引火する危険を感じる中,それを回避するため,難燃性の水・
グリコール系作動液を使用する対応を行っている.ただし使用に当たってはいくつかの注
意点を守っている.たとえば,水・グリコール系作動液は,ウレタンゴムパッキンを溶か
してしまうため使用できない.水グリ仕様と呼ばれるNBRパッキンへの交換を,また塗
料も溶かしてしまうため,あらかじめ塗装をはがして作動液を充填することをお願いして
いる.他にも金属亜鉛を溶かしこむために亜鉛めっき管である白ガス管は,内面めっきの
ない黒ガス管仕様とするなどの注意を要する. ポンプの金属材料は,通常の油系作動油の場合と同様,炭素鋼を中心とする材料を用い
ている.メンテナンス時に確認した外観は金属光沢を維持し,腐食によるトラブルは経験
していないということであった.唯一,流速の早い配管部分には,水・グリコール系作動
液の種類によっては,エロージョンの発生を認めるという.ファージストGという弊社製
品には,このエロージョン発生はないということであった. このように,水・グリコール系作動液は,水溶液でありながら,そこに使用されている
炭素鋼材料のベーンポンプのベーンやカムリングの金属光沢は 10年以上に亘り維持しされ
ていることが確認されている.
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2.1.2.1980 年当時の検討事例 もともと火薬類や危険物を多く扱う船舶の火災防止を担う作動液として 1940 年代に軍
用に開発された水・グリコール系作動液10)は,1950 年以降,難燃性を重視する工場設備
の要求に合致し,1980 年代には多くの使用実績を有していた. 水溶液であり,使用中に水分が蒸発するなどの影響で,一部の滞留箇所などに添加剤の
変質や析出が生じることへの対応で,装置設計や保守管理には、鉱油とは異なる対応が必
要となる場合があった。防食への対応もそのひとつであった. 防食の対象となる装置材料は,主に鋳鉄や軟鋼で,水・グリコール系作動液はそれらの
金属光沢を 10 年以上にわたり維持した.すきま腐食は通常にも認められたものの,それら
のほとんどは進行性ではなかった. しかし,進行性の腐食に転じ,大きな損傷をもたらす場合がある.ここでは,鋳鉄フラ
ンジの O-リングパッキンに接触する部分を基点に,鋳鉄地肌が著しく侵食されていくと
いう 30 年前の事例をもとに検討された16)結果について解説する.このような腐食損傷は
通常は起こらないものの,いくつかの条件が成立した時に発生するものと考えられた. 筆者らの調査事例を表 4 に示した. 通常に問題なく使用された水・グリコール系作動液(Case 1~5)と,すきま腐食を起
した水・グリコール系作動液(Case 6~9)を比較すると,すきま腐食を起した液は pH 値
が新液に比べ,0.3~0.7 ほど低下し,また導電率は上昇し,Cl-濃度は 16~32ppm と高い
値を示している. 表4.水・グリコール作動液の使用液調査事例(1980 年)
使用温度40~60℃で使用されたCase 1~9について,液性状とフランジ部を開放
したときの進行性すきま腐食発生の有無を示した.また,Case 1~4 については,充
填されたサービスタンク壁の自然電極電位,Espを SCE 基準で測定した.
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十分にアルカリ性の水環境では,大気酸素の共存下に鉄も自己不動態化することがよく
知られ11),この不動態からの離脱をもたらすと考えられる pH 低下または Cl-による局部
腐食の双方について,前者は脱不動態化 pH,pHd概念を,後者はステンレス鋼12)13)や
チタン14)で確立されたすきま再不動態化電位 ER, CREV概念が適用され15)当時原因検討が
なされた16). 2.1.3.水・グリコール系作動液の組成
実験には,組成の調整が可能なグリコール系作動液 A(以降図表中では WG Solution A と記す)を使用した.-40℃でも氷結しないよう不凍液成分の低分子アルキレングリコ
ール,粘性を鉱油タイプレベルまで増加させるポリアルキレングリコール,pH コントロー
ルと摩擦を低減する目的で,オレイン酸カリウムなどの金属石鹸,また,タンクの天井面
に対し,揮発し防錆力を発揮する気化性のアルキルまたはアリルアミン,少量の着色剤か
ら構成されている16).その結果,流動点は-40℃に低下,粘度は 40℃で水の約 46 倍の
45.7mm2/s に増加,pH はこの場合 60℃で 9.5,20℃で 10.0 を示している. モデル液性状を表 5 に示す.この液に対し,脱不動態化 pH を測定するための pH 調整
は,気化性防錆剤,N,N-dimethyl-ethanolamine(以下 DEEA と略記)とカリウム石鹸の
成分である Caprylic acid をその添加量を変えることにより行った.また,Cl-濃度の調整
は,NaCl 特級試薬を用いて,実験は全て 60℃のもとで実施した. 表 5.実験に用いたモデル液(pH 調整前)の性状
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2.2.実験方法概略 2.2.1.再不動態化概念
図.1(a)に示す金属/NBR-すきま試験片,及び(b)自由表面試験片を作成し,実
験を行い,状況の再現と解析を行っている.腐食生成物の除去が困難であったため,チタ
ン14)で行った方法と同様,ビッカース硬度計圧痕凹みを基準に用いる研磨法によりすきま
腐食による侵食部分の最大深さを測定し,これが 20μm をこえる進行性すきま腐食を発生
する下限界電位 VCREVをもとめた.また,自動化測定法15)に準じ,ER,CREVを測定した.
自由表面試験片については,電位を貴方向に 10mV/10min で段階的に行い,電流密度が
10μA/cm2に達した電位より,動電位法孔食電位,V’C,10を決定し孔食域の概要を明ら
かにした.
金属/NBR-すきま試験片 自由表面試験片
図1.実験に用いた試験片
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2.2.2.脱不動態化 pH 概念 水・グリコール系作動液 A から気化性防錆剤,DEEA を配合しない試験液を調合して
pH を 7.9 とし,自由表面試験片における電極電位の時間変化を ESP’として測定した.以降
は DEEA を添加し試験液 pH が上昇するときの ESP’を,また新液に Caprylic acid を添加し
て pH を下げていく時の電極電位 ESP’を測定した.
2.3.結果と考察 2.3.1.自然電位に及ぼす pH の影響(脱不動態化 pH 概念)
鋳鉄試験片では,pH7.9 の液において,-0.62V と卑な電位を示し,金属光沢も維持し
ていなかった.また,8.9 以上の pH での金属光沢を維持している鋳鉄の自然電位は-0.21~-0.12V と観測された.一方,軟鋼試験片は, pH7.9~10.6 において金属光沢を維持し,
ESP=-0.29 ~ -0.10V を示した.これらの結果を,60℃の Fe-H2O 系 E-pH 図17)
上にプロットし,図2.に示した.pH 変化の向きを矢印で示している.
図2.自由表面試験片による自然電極電位の測定結果
試験液 : WG Solution A
pH 上昇過程は気化性防錆剤 DEEA を,pH 低下過程では Caprylic Acid を添加し,
それぞれのpH における自然電極電位と試験片観察結果を 60℃E-pH 図上にプロ
ットした.金属光沢のある場合(□,○表示で),金属光沢なしの場合(■,●表示
で)試験片表面の観察結果を図中に示した.
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鋳鉄の自然電極電位は pH7.9 から 8.3 にとなる過程で 50mV/h以上の速度で急激に貴
化し-0.25V に達する.鋳鉄の場合には 8.3 以上の pH 領域で自己不動態化が達成されると
いえる.また,自己不動態化がすでに達成されている領域から pH を低下させると,pH が
7.0 では-0.17V から,pH6.8 では急激に-0.72V まで卑化し,Fe2+が安定な腐食域に入っ
てしまう.上述より鋳鉄の場合,pH の上昇過程では脱不動態化 pH,pHdは 8.3,また pHの低下過程で測定されるそれは 6.8 と求められた.一方軟鋼の自然電位は,pH が 7.0 から
6.8 に低下する過程において鋳鉄と同様に卑化するが,その程度は鋳鉄の場合ほど大きくは
なく,かつ Fe2+安定域には入らず,Fe2O3安定域内を Fe2+との境界にそう挙動を pH5.5までとる.
表 4 に示した Case 6~9 の鋳鉄の腐食事例の場合,使用中の水・グリコール系作動液
の pH 値は 60℃で 8.9~9.2 と,新液の 9.5 より低下しているものの,上に求めた pHd≒8.3より高い値に維持されていた.従って,Case 6~9 の腐食が pH 値の低下が原因で起きたと
は考えにくいと解析された. 2.3.2.すきま腐食発生・成長挙動(再不動態化概念)
Cl-濃度を 30ppm に調整した緩密閉条件の水・グリコール系作動液 A 中に,すきま試
験片を各種の電位にそれぞれの時間浸漬保持したあとの侵食深さの測定結果を,鋳鉄及び
軟鋼について,それぞれ図3.(a)及び図3.(b)に示す.また,-0.1V に 1000h保持
後取り出した鋳鉄,軟鋼試験片の観察結果を図4.に示す.
図3.鋳鉄(a),軟鋼(b)すきま試験片における最大侵食深さの測定結果
試験液 : WG Solution A,Cl-=30ppm,pH=9.5 at 60℃
保持電位:-0.9,-0.6,-0.4,-0.3,-0.2,-0.1,0,+0.4,V vs. SCE
保持時間:3~4992h.
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図中の左写真(1)は,-0.1V 保持後の開放外観,右写真(2)はその腐食部分断面
の光学顕微鏡写真である.図3.(a)に示した鋳鉄の場合には,-0.2V 以上の貴な電位に
保持すると,すきま腐食は深さ方向に 20μm をこえて進行し,電位が貴であるほど,進行
速度が大きい.侵食が電位に応じたそれぞれの深さに達したあとは深さ方向へは進行しに
くくなる.この時,図4.上写真(a)に示すように,横方向に侵食が進行し,すきま部を
起点として大量の腐食生成物が発生することを観察した.一方,-0.3~-0.6Vの電位に保
持した場合には,侵食深さは 20μm 以上には進行せず,-0.4V では,208 日=4992h後
も侵食深さは 20μm 以下であった.さらに卑な電位の-0.9V の場合には 1000h後でもす
図4.鋳鉄(a)軟鋼(b)すきま試験片の試験後の観察結果
試験液 : WG Solution A,Cl-=30ppm,pH=9.5 at 60℃
保持電位:-0.1 V vs. SCE
保持時間:1000h.
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きま腐食をほとんど認めなかった.なお,-0.3V 以下の卑な電位に保持した場合には貴な
電位域でのような大量の腐食生成物の生成も認められなかった. 図3.(b)に示した軟鋼の場合にも鋳鉄と同様に-0.2V 以上の貴な電位に保持した場
合には,侵食速度が大きく,24hで 20~100μm に達する挙動のあることがわかる.しか
し鋳鉄とは異なり,電位に応じた一定深さ以上には進行しにくい傾向はなく,侵食は図4.
上写真(b)に示すようにもっぱら深さ方向に進行し,横方向への侵食,及びすきま部を
起点とした大量の腐食性生物生成は観察されなかった.なお,0.3V 以下の卑な電位に保持
した場合,侵食は 20μm 以上には進行しないこと,及び大量の腐食生成物が認められない
ことは,鋳鉄と同様であった. 以上の鋳鉄,軟鋼いずれも,侵食深さが 20μm を臨界として,すきま腐食が進行する
貴な電位域が観察された.この進行性すきま腐食発生下限界電位,VCREVは図3.に示した
30ppm Cl-を含む液において約-0.25V とみなし得る.
図5.鋳鉄(■)と軟鋼(○)試験片におけるすきま再不動態化電位,ER,CREV と,試験
後,最大侵食深さの測定結果
試験液 : WG Solution A,Cl-=30ppm,pH=9.5 at 60℃
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2.3.3.すきま再不動態化電位,ER,CREVの測定 ER,CREV(進行性)と ER*,CREV(非進行性)測定後の試験片の侵食深さとの関係を図5.
に示す.鋳鉄(■),軟鋼(○)ともに侵食深さ 20μm に臨界値が存在し,この臨界値よ り浅いすきま腐食について,その再不動態化電位,ER*,CREVは,鋳鉄で-0.22~-0.24V と,
侵食深さ,測定方法に依存しない一定値として求められる.この値は,図3.で求めた,
すきま腐食発生の下限界電位,VCREV≒-0.25V にほぼ一致する.したがって,20μm より
浅い侵食は,仮に生成しても ER*,CREV≒-0.25V 以下の卑な電位では必ず不動態化してし
まう.この意味で両者の一致は,求めた VCREV値の信頼性を保証している. 2.3.4.腐食領域図
水・グリコール作動液 A 中の塩化物を種々の濃度に設定し,動電位法孔食電位, V’C,10と,非進行性すきま再不動態化電位 ER*,CREVとを鋳鉄について測定した結果を図6.
(a)に,軟鋼の結果を図6.(b)に示す.また,すきま試験片の定電位浸漬試験を 2 週
間=336h.実施したあとの結果(×:20μm 以上の侵食,△:20μm 以下の侵食,○:
侵食なし)もあわせ示した.図6.(a)の鋳鉄,図6.(b)の軟鋼とも Cl-濃度が 30~100ppm では,×/△の境界電位としての VCREVが ER*,CREV(■印)と一致することがわ
図6.鋳鉄(a)と軟鋼(b)における腐食領域図
試験液 : WG Solution A,Cl-=2~1000ppm,pH=9.5 at 60℃
動電位法孔食電位,V’C,10 :自由表面試験片
非進行性すきま再不動態化電位 ER*
,CREV :すきま試験片
定電位浸漬試験
・ 保持電位:-1.0,-0.9,-0.8,-0.7,-0.6,-0.5,-0.45,-0.4,-02,-0.1,0,+0.1,
+0.2,+0.3 V vs. SCE
・試験時間:2 週間=336h.
・試験後最大侵食深さ測定(×:20μm 以上,△:20μm 以下,○:侵食なし)
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かる.実験室で求められた自然電位17)と,表4.に示した実際事例における鋳鉄製タンク
壁の自然電位とは,-0.1~-0.2V の範囲にあった.これらの平均値-0.15V を図中に ESP
として記入すると,いずれにおいても,Cl-濃度を約 10ppm 以下に管理すれば,耐食域に
入ることがわかる.表4.に示した腐食事例の水・グリコール作動液は,Cl-濃度が 16~32ppm が検出されており,上述の ESPでは進行性すきま腐食域(×)に入ることが予測さ
れる.すなわち表4.の事例は,Cl-によるすきま腐食と判定しうる.使用中に Cl-が増加
した原因は,例えば水道水,工業用水などの塩化物含有水を補給したのではないかと考え
られる. 2.4.まとめ
弱アルカリ性水溶液に調整され,グリコール類を主成分とする市販水・グリコール作動
液中における鉄の脱不動態を,pH と Cl-条件において調査し,また腐食事例の原因を検討
した.その結果次を明らかにした. (1) 実験に使用した水・グリコール系作動液 A における脱不動態化 pH,pHdは鋳鉄で
約 8.3,軟鋼で 7.9 以下と測定された.水・グリコール使用液の pH 値をこの pHd
より高い値に管理すれば,通常の使用条件で期待される程度の大気中酸素の効果に
よって,両者とも自己不動態化する. (2) すきま腐食の予測に,再不動態化電位概念を利用できることを確認した.侵食深さ
20μm をこえない浅いすきま腐食についてその再不動態化電位,ER*,CREVは, ① 成長度合いに依存しない一定値としてもとめられる. ② 侵食深さが20μmをこえる進行性すきま腐食発生の下限界電位,VCREVに一致する. ③ 環境中不動態化鋼の自然電位,ESP との比較により,すきま腐食生起を予測するこ
とができる. (3)(2)-③に基づいて,通常の使用環境においてすきま腐食を防止するには,Cl-濃度
を約 10ppm 以下に管理すればよいことを予測する結果を得た. (4)腐食事例の水・グリコール使用液における pH 値は水・グリコール作動液 A(新液)
の pHd値以上に管理されていたものの,Cl-濃度が 10ppm をこえて使用されたため,進行
性すきま腐食を起したと推定された. (5)中性 pH 環境中のステンレス鋼に対するすきま腐食挙動を捉える pHd 概念,再不動
態化電位概念12)13)14)15)を pH7~11,粘度 46mm2/s(at 40℃)のアミン・カリ石鹸・
アルキレングリコール水溶液中の軟鋼,鋳鉄に適用し,ER,CREV は,進行性すきま腐食発生
の下限界電位,VCREVに一致するなど,ステンレス鋼の手法を適用できることを明らかにし
た.今後,すきま形状や種類による影響12)13),ガスケットの SP 値依存18)などは中性
の鉄では同じように影響するか,pHdに対し,液中のアミン,カリ石鹸,アルキレングリコ
ールはどのように関係するか,また合金元素の影響9)10)11)に相当する影響は VCREV,
ER,CREVにどのように反映されるかなど,耐食性向上の課題となると考えられる.
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3.おわりに (1)本稿の大部分は,1988 年に防食技術に投稿した「鋳鉄及び軟鋼に対する水・グリコ
ール作動液の防食性」17)の内容である.これを今に当てはめ,必要な部分を解説するつも
りであったが,不動態化,脱不動態,再不動態化について,全て連動するため重複した内
容になってしまったことをお許しいただきたい. (2)現在その見解に基づき,水・グリコール系作動液の管理が実施され,大きいトラブ
ルを発生することなく推移している. (3)その後,水・グリコール系作動液はより改良され,上述の進行性すきま腐食発生下
限界 Cl-濃度は上昇している. (4)潤滑剤には冒頭に述べたように,多くの添加剤が配合される.また,多くの規格,
試験方法がありこれらを用いて開発を行っている.ここで述べた不動態,脱不動態,再不
動態化概念はまさに表面を制御する技術であり,活用できれば,耐食性,摩擦制御などの
目標レベル実現に有望な技術であるといえる.鉱油系では測定に困難が伴う.しかし,こ
れを克服し根幹をなすE-pH概念,再不動態化電位概念を適用し,開発力を向上させたい.
水系からのアプローチが重要と考えている.pHdはできる限り低い値に,そして腐食発生
下限界 Cl-濃度をさらに高い値とすることにより耐食域を広げる課題に積極的に取り組む
必要があると考えている. 文献 1)桜井敏男著:潤滑の物理化学,幸書房,24(1974) 2)桜井敏男著:石油製品添加剤,幸書房,227(1979) 3)近藤保著 :界面化学,三共出版,21(1969) 4)W.A. Zisman :J.Colloid Sci,2,563(1947) 5)田中明示 :トライボロジスト,52,249(2007) 6)桜井敏男著:石油製品添加剤,幸書房,187-475(1979) 7)飯野光明:防食技術,32,672(1983) 8)伊藤尚志:月間トライボロジー,3,28(2009) 9)齊藤利幸:トライボロジスト,54,665(2009) 10)金森英夫、岩田光弘:出光トライボレビュー,17,1044(1990) 11)M. Pourbaix :Corrosion-NACE,26,431(1970) 12)辻川茂男,久松敬弘:防食技術,29,37(1980) 13)辻川茂男,柏瀬正晴,玉置克臣,久松敬弘:防食技術,30,62(1981) 14)壱岐史章,辻川茂男:鉄と鋼,72,292(1986) 15)篠原 正,辻川茂男,久松敬弘,高野太刀雄,岡村弘之:防食技術,31,650(1982) 16)金森英夫,飯野光明,辻川茂男:防食技術,37,601(1988)
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17)H.E.Townsend,Jr:Corr. Sci.,10,343(1970) 18)辻川茂男,久松敬弘:防食技術,30,243(1981) 19)篠原 正,辻川茂男,増子 昇:防食技術,39,238(1990) 20)S.Tsujikawa:Critical Factors in Localized Corrosion,p.378,ECS(1992) 21)ピーター・哲生・チェン,篠原 正,辻川茂男:Zairyo-to-Kankyo,45,420(1966) 22)深谷祐一,明石正恒,佐々木英次,辻川茂男:Zairyo-to-Kankyo,56,406(2007)
最近の問合わせから―NACE規格への適合?
Q:客先より下記米国腐食技術者協会にて定められている規格について問い合わせを受けており
ます。
NACE MR0175 規格は炭素鋼材料 A105 にて認定取得可能なのでしょうか?
どの様な文献を閲覧すればよいのでしょうか?
A:NACE MR0175 規格は今は ISO, NACE の共同規格(下記)となっております。
NACE MR0175/ISO15156
Petroleum and natural gas industries
- Materials for use in H2S-containing environments in oil and gas production –
これには Part 1(General principle), Part 2(炭素鋼&低合金鋼),Part 3(13Cr 以上の耐食材料)が
あり、Part 2 に今回お問い合わせの材料 ASTM A 105 が書かれております。
規格は本来ご質問者が購入して頂いて読んで、それでも内容がわからないときに問い合わせをして
頂かないといけないと思います。
この規格は、財)日本規格協会から購入できますし、NACE International の Home page から download
して購入(NACE International の会員は無料で購入できます)ができますので、手にいれてください。
なお、ASTM A105 は Part 2 の page 18 に以下のように書かれています;
Forgings produced in accordance with ASTM A 105 are
acceptable if the hardness does not exceed 187 HBW
しかし、この規格全体を理解しないと、どのような環境で使えるのか、ご質問者の使用目的に耐え
られるのかわかりませんので、購入してこの規格を読んでください。この規格には、規格にのって
いない条件や環境で使いたい場合の認定の手法も書かれております。