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昔の人はえらかった
おがさわら なるひこ
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!!!注意!!!
■ 「実用的な話」「技術的な話」をする気は
これっぽっちもありませんこれっぽっちもありません
ので、そういう話を聞きたい人は今すぐ他の会場へどうぞ :-)
■ でも、しゃべる内容は「とても面白い時代のとても面白い人の話」です(面白く話せるよう努力はします)。よろしくね。
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自己紹介
■ 小笠原徳彦 (Ogasawara, Naruhiko)■ 1971 年 3 月 26 日生まれ花の 39 歳■ ついでにいうと花の独……
■ めんどいので中略
■ Prolog かわいいよ Prolog■ とかいうのはいいとして、カヤック川下り仲間募集!■ まあそんな感じで
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お願い
■ 私は「優秀な技術者」では「ありません」。■ 私は「模範的な社会人」では「ありません」。
■ 私から何かを学ぼうなどと、どうか思わないでください。■ 私の背中とか見られると困るので、お願いだからそん
なことはしないでね。つーか絶対すんな。
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おはなしの内容
■ 前フリ:知識と知恵
■ この人を知っていますか? 日本の○○自動化の幕開け 技術は社会のもの、ビジネスは会社のもの ○○○○○○ 自動化システムの構築 日本初○○業務オンライン化
■ まとめ
伏字だらけなのはこのあとクイズするからで、気にしないでね。
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前フリ知識と知恵
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「知」について考えてみた。
知
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「知」について考えてみた。
知知識knowledge
知恵wisdom
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「知」について考えてみた。
知知識knowledge
知恵wisdom
概念を言葉で説明することができること
テキストや人から学ぶことは比較的たやすい
言葉にはしにくい「考え方」「知識の使い方」とも言える
本質的にはリスクを負って自ら考えた経験から体得するしか
ない
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今は「知識の時代」?
知
知識 知恵世界は「知識」に溢れている
インターネット、参考書、勉強会テンプレート使ってチュートリアルに従えば、だれでもそこそこのことはできるそれはすごく幸せなこと……だけど。
失敗覚悟で本当に新しいものに挑戦する機
会が減ってない?知識を知恵に昇華で
きているのかな?
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始めてのことこそ、やる価値がある。
http://ascii.asciimw.jp/books/ books/detail/ 4-7561-4678-3.shtmlISBN: 978-4-7561-4678-6
■ まだコンピュータ、 IT といったものに対しての「知識」が整理されていなかった頃、ひたすら「知恵」を働かせて、がむしゃらに成果を出してきた人の話をします。
■ 刺激をうけて、みなさんも知恵をしぼってホントに新しいものを作る人になりたい! と、思って欲しい。 だれかさんみたいに蘊蓄で生きてちゃダメだよ……。
■ 今日のネタ本 死ぬほど面白い
ので○○を〇〇〇〇でも読め!
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この人を知っていますか?
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この人を知っていますか?
■ 国産電子計算機を作った人、ではありません。■ 計算機メーカーや大学の人でもありません。■ 今風にいえば「 IT 技術者」ではありません。
いわばいわば ITIT 産業の大恩人産業の大恩人
南澤 宣郎(みなみさわ のぶろう)さん(もうちょっとうつりが良い写真はなかったんでしょうか、 情報処理学会さん)コンピュータ博物館: http://museum.ipsj.or.jp/pioneer/minami.html
■ 小野田セメントという会社の「事務自動化担当部長」
■ 事務の自動化とはどうあるべきかを真剣に考え、ユーザーの立場から様々な提案をしていった人
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南澤氏の業績
1956 年 日本で始めて事務処理に半電子計算機を利用しかも擬似オンライン化も実現
1959年 日本の民間企業で始めて本格的事務処理用電子計算機「 UNIVAC File Computer 」導入
ー 上の二つから得られた事務の電子化のノウハウを著書や論文・講演で公開
1960 年 国鉄(現 JR )のオンライン予約システムMARS の開発コンサルタント
1965 年 日本初のリアルタイムオンラインバンキング実現(三井銀行)のコンサルタント
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日本の事務自動化の幕開け
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きっかけ
■ 1953 年のある日 社長の安藤豊禄氏に呼ばれて
■ 実は安藤社長は重役時代事務の機械化を二度主張して、当時の社長に却下されたことがある
■ 社長になっての夢の実現 それはいいけど、ムチャぶりされた方は……。 社長自ら「もう出世はできなくなるぞ」と言われた でも、若かった南澤さんは社長の熱意に感染して受けて
しまった
「事務処理の自動化について検討したい。「事務処理の自動化について検討したい。ついては最近雑誌に出ている、ついては最近雑誌に出ている、
電子計算機というものを調べてくれ」電子計算機というものを調べてくれ」
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「事務の自動化」といって何をやる?
■ 「全社の生産管理」を独学で検討
本社支社
伝票処理などをタイプライタで行うと、その結果が自動的に
本社に送られる
電子計算機
記録
送信された結果を全自動で処理し、
本社・支社からアクセス可
■ 社長に具申新しいこととは他がやっていないから新しいのだ。
しかし提案した人間が実現しなければ意味がない。君がやれ。
が、専門家・メーカーともども「前例がない」と反対
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1950 年代の電子計算機事情
■ 国産の電子計算機はまだまだ研究段階■ 「電子計算機」は「科学技術計算のため」、というのが常識で、事務への応用など考えられなかったENIAC(1946)
世界初の実用的真空管計算機
砲弾の弾道計算
FACOM100(1954)
日本産業界初のリレー式計算機
試作・技術検証機
FUJIC(1956)
日本初の真空管式計算機
富士写真フイルムにてレンズの設計用計算
HIPAC MK-1(1958)
日立初のパラメトロン式計算機
電線の張力計算
NEAC 1101(1958)
日本電気初のパラメトロン式計算機
社内での技術計算用(東北大にも納入)
他にも研究所や大学におけるプロジェクトもあったが、技術検証向け
1953
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とにかく今あるものを
■ 日本アイ・ビー・エムへ 「事務なら PCS (Punch CardSystem) がオススメです」
➔パンチカードに入力された帳簿データを集計解析するもの
➔一つの機械を指すのではなく、一つの機能を持つ複数の機械の間をカードデッキをオペレータがかけかえて用いるシステム
計算工程を全自動化しなければ望んだシステムにならない!
穿孔機 検孔機 分類機会計機製表機 照合機 翻訳機
集団穿孔機
計算穿孔機
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あきらめない!
■粘り強く交渉すると、ドイツ製の「カードプログラム式準計算機 (CPC) 」ではどうだということに 即発注 (1953 年)、1956年導入
■ CPC とは? Card-Programming Electronic Calculator PCSの演算処理機構の部分
を、パンチカードによりプログラム可能にしたもの
メモリはリレー式でごく小さい でもまあ、これでやるしかない
Photo by Computer History Museumhttp://www.computerhistory.org/collections /accession/102693344
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CPC を中核に、システムを実現に移す
■問題は通信ですよ、通信! 昔はインターネットはおろか電話回線で通信する手段すら
なかったんでございますわよ奥様……。
立ちふさがる壁「日本電信電話公社」(今の NTT )■ 「電話とは音声を通すためのものである。公衆回線に
電子計算機からの信号を流すなど許されない」 蛇足ですがこれは 1980年、村井純先生らが JUNET の
実証実験を行うまで破られなかった壁
■ どうしてもというのであれば、電信の専用線であれば許してやらなくもない …… 電信?
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電信とはなんぞや。
■元はモールス信号用■ その後、機械式キーと紙テープやプリンタが付いた「テレタイプ」が開発された 20年ぐらい前までは通信事情が悪い国(例えばロシア)の
大使館で現役で使われてました Unix の tty はこいつが起源
■問題 40/10000字ぐらいでデータが化ける
➔ 人間同士の通信ならいいけど、お金を扱うんじゃ困る! 交換機がないので、線をいっぱいひかないといけない そもそも電信と計算機をつなぐしくみが世の中にない
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本社支社
ないなら作るのだ。
■通信の両端とタイプライタは新興製作所というテレタイプの会社と共同開発 テープ←→カードの変換はUNIVACの既製品が使えた
■ これで各拠点から CPCに(人手は介するが)つながるようになった! 日本初の(擬似)オンラインシステム
CPC
SL ・ TK逆送自動誤字検出送受信装置
通信エラー補正機能
変換
変換器
STO 電信テープ穿孔自動タイプライター
かなに加え漢字 70 文字入出力可能
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お金の話
■ 社長曰く「技術については君の思うとおりやりなさい、ただし費用の枠は私が決める」
こんなに開発コストかけてるのに、こんなに開発コストかけてるのに、どうやって枠におさめよう???どうやって枠におさめよう???
■ しかし会社は道楽や慈善事業ではないので、どんなに画期的なことであっても投資対効果がなければ重役会や株主に説明がつかない
■ ので、頑張った
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どうやって投資回収したの?
■ポイント1:広告費に換算 「事務処理自動化の記事が新聞に出たら、その大きさの広告を出したのと同じ効果がある」
■ポイント2:アイディアと開発コストの引換え 「ウチが出したアイディアでオタクは自由にモノを作って良
い、その代わり大幅値引きしてくれ」 「ウチを見学しに来た人たちにはオタクから買えというから」
■ポイント3:セメントの売上に貢献する 「機材購入費や開発費をセメントで支払わせてくれ」
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セメントで開発費を払う ?!
■普通ならこんな発想は出てこない 「作れ、だが予算はない」といわれたら諦める それでなくても昨今「やらない言い訳」をさがす人は多いし
ね……。
■ でも実際に数億分のセメントを売り上げて、システム開発を行った
彼の業績は多々あれど、「セメント担いで売ってでも思い通りのシステムを
構築するんだ」というバイタリティが、もっとも尊敬したいところです!
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アメリカ視察旅行
■ 1955年に設立された「電子計算機調査委員会」に、事務自動化の専門家として参加 このメンバーもそうそうたる顔ぶれなんですが時間の都合
で省略します……。
■ 1956年にアメリカに視察へ 米国では事務処理に対して電子計算機を使うことへの模索が始まっていた
NY郊外ラガーディア空港でオンライン予約システム見学➔無人 24時間運転、リアルタイム方式こそ理想➔プログラミングの重要性を意識
- 電子計算機にオペレータは要らない- 必要なのは大量のプログラマ
➔現場の利用者に負担を強いないシステムに感銘
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UNIVAC File Computer 導入
■ 1955 年に「電信テープに直接入出力できる電子計算機」を IBMとUNIVACにそれぞれ見積り
■ 1959 年、UNIVAC File Computer (UFC) 導入 世界初の事務処理専用機
➔演算速度を犠牲にしてもメモリだけは大量に増設できた- 小野田セメント導入機は 1600万キャラクタ
ほぼリアルタイムの(準)オンラインシステム実現
本社支社
UFC
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UFC 苦労話
■重すぎて普通に部屋に入れると床が抜けるので、強度がある梁の部分に置くために壁をぶち抜いて半分廊下に出した
■設置した冷房をフル稼働しても冷却能力が足りないので、カバーを開けて直接風を当てた 人間様には寒すぎたがしょうがない
■起動直後は真空管が安定しないので 24時間運転にした そしたら、磁気ドラムメモリが膨張して動かなくなったり
■ という問題を輸入元と一つ一つクリアしていった
■UFCは日本に4台輸入されたが、小野田セメントが第一号だったので、このノウハウがいろいろ役立った
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技術は社会のもの、ビジネスは会社のもの
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ノウハウの公開
■著書 1957 年「経営オートメーション」 1958年「オートメーションと経済学」 同年「オートメーションと会計学」
■論文 CiNiiで「南沢 宣郎」と検索すると20件以上ひっかかる
http://ci.nii.ac.jp/author?q=南沢 宣郎&count=20&sortorder=1
■ 南澤さんもえらいが安藤社長もえらい
技術は社会のもの、ビジネスは会社のもの
楽天の吉岡 (hyoshiok) さんのセリフですが、それを1950年代にやっていたのだ!
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例を二つほど……
経営事務における総合的機械化への動向日本機械学會誌 60(461), 606-613, 1957-06-05■ 1957年当時の事務機器における自動化について
代表的な機器の紹介、のみならず 自社の事務処理の計算機導入前のワークフローと、計算機導入後のワークフローの概略を説明
1956年の米国視察旅行を踏まえた、米国の先進的な事務処理自動化・オンラインシステムの紹介
事務用データ処理の点から見た機器への要求情報処理 2(1), 39-42, 1961-02-25■ 自社の経験からつぎのような提言を行っている
事務処理の自動化の障壁を除くために、価格を安くし、レンタル制度を導入すること
➔ これについては通産省の取りまとめで JECCというレンタル会社をメーカー共同出資で作ることで実現
事務処理は処理速度よりもデータ容量
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国鉄座席予約自動化システムの構築
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「国鉄事務近代化委員会」の発足
■ 国鉄は日本の中でも数少ない、事務の自動化に理解があるところだった 「国鉄事務近代化委員会」を発足(1956年 ) ほとんどが電子計算機のメーカーあるいは大学の研究者 事務畑からは南澤氏がただ一人選ばれる
■東海道本線電車特急「こだま」を前に、予約システムの構築を検討 「電子計算機で予約システムを構築すべき」と主張
➔ 1956年に見たラガーディア空港の予約システムが頭に➔ 国鉄には国鉄電話という専用線があるからオンラインシステ
ムへの課題はない➔ 中央集権でやるべき、電子計算機なら分散する必要はない
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MARS 開発における南澤氏の業績①
電子計算機を使っているということをユーザーに意識させないシステムづくり■現場から「電子計算機化なんて対応できない、駅名の
代わりにコードを入力するなんて不可能」■答えて曰く「約束します、コードもキーボードも一切使
いません」
対 策■駅に対応するゴム印を用意し、東京なら「東京」のゴム印を押し付ける 横に溝が切ってあり、その溝で駅名を判断
■ 事務屋の発想に立ったUI の提供
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MARS 開発における南澤氏の業績②
「電子計算機は必ずトラブルを起こすもの」と想定したシステム運用■ 国鉄の役員は怒る「必ずトラブルが起こるようなものを使うことができるか!」
■ しかし完璧なシステムを実現するのは高コスト ならばある程度のリスクは許容し、リスクが顕在化したとき
の対策を用意しておいた方がよいときもある➔ これは今に至るまでリスクマネジメントの真理!
対 策■客は「予約したい」のではない
座席に座りたいから、その手段として予約をする だから、予約が失敗したとしても、座れればそれでいい
■調べてみると入り口付近の席は人気がない そこは車掌に任せ、席がない人に割り当てる
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今も続く MARS の系譜
■ 1960年サービスイン 完成した1959年当初は磁気ドラムメモリの故障などあり運
用は苦労したが、サービスインまでには安定➔ もちろん南澤さんだけの業績ではない➔ これだけの大規模オンラインシステムは日本で始めて➔ 国鉄の関係者も、大学の先生も、メーカー(日立)の人間も、必死になって頑張ったはず
しかしそれも「オンライン予約システムをやる!」という判断がまずあってこそ!
■ ちなみに後に初代MARS計算機を入れ替えて高速化・安定化を図り、端末を全国に撒いたのが「みどりの窓口」 JRになった今でも予約発券システムにはMARSの名が残っています。
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日本初銀行業務オンライン化
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日本初銀行オンライン化
■ 小野田セメントの主要銀行である三井銀行(現・三井住友銀行)が「 PCSを入れているが活用できていないのでなんとかしたい」したい旨、相談してきた ここでもコンサルとして入ることに (1959 年 )
■調べてみると 各拠点でバラバラに PCSその他の機械を入れているが、
まったく連携がない それをただ単にオンライン化してもいいけど、けど……
■ せっかくだからリアルタイムオンラインバンキングをやりましょう!
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作戦
■ まずは本社に計算機を入れて、支店には端末を入れるだけという中央集権システムにすることから始める
■ リアルタイムオンライン化の当座の目標は「普通預金」に設定する 顧客の70%を占める 受払件数が非常に大きい 一件ごとの金額が小さい
■ ただし一番最初は「送金業務」に限定し、電信で行う 「送金時間の劇的な削減」を顧客アピールに用いる
■ これで準オンラインシステムを構築しておいて待機 普通預金のリアルタイムオンライン化は遠からず来るはず
の交換機不要な電話通信網の開放を待って導入
作業削減効果が大きい
リスクが小さい
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ところが……
■横並び意識が強い業界なので、全国銀行協会(全銀協)からクレーム
■全銀協幹事行曰く「銀行ではミスは絶対に許されない。米国にもリアルタイムオンラインバンキングの前例はない。電子計算機で絶対に間違えない保証はあるのか」
■答えて曰く「ではこうしましょう。 '64年の東京五輪向けに、日本アイ・ビー・エムが記録の集計用にリアルタイムオンラインシステムを構築しています。五輪だって間違いは許されません。そこで一度もトラブルを起こさなかったら、そのシステムをそっくりそのまま納入するようにしましょう」
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三井銀行オンラインバンキング立ち上げ
■東京オリンピックのために、電電公社もついに折れて電話専用線による通信を許可(!) 読み大当たり モデムによる通信が可能になった 高価な交換機が不要になった上、速度も向上!
■東京オリンピックのシステムは日本アイ・ビー・エムの努力によりノートラブルで稼働!
■ このシステムがまるごと三井銀行に納入 (1965 年 ) 稼動後もトラブルなし
■三井の成功を見て、他行もオンライン化へ 今の世の中は南澤さんの予言した通りになっている
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まとめ
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南澤さんの「これがすげー」ポイント
■ 「今あるもの」から考えないで、あるべき姿を描く あるものを活用し、ないものは共同開発も辞さず、あるべき姿を実現する
専門家の意見を鵜呑みにしない
■ ちゃんと採算という結果も残す 会社は道楽ではない。開発費はなんとしても回収する セメント売ってでも作るべきものは作る!
■ ノウハウを社会にフィードバックする 多くの著書・論文・講演・コンサルティング
ユーザー視点で「電子計算機」からユーザー視点で「電子計算機」から「コンピュータシステム」に発展させた「コンピュータシステム」に発展させた日本のシステムインテグレータ第一号日本のシステムインテグレータ第一号
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ワタクシ思うのです。
■現在、技術は進化し、フレームワークは整備され、ノウハウは蓄積されて、ゼロからのモノづくりをしなければならないケースは減ってきました。
■ しかし、だからこそ、「ノウハウがない」「実績がない」「技術的に困難である」ことから、安易に「できない」という結論に飛びついてやしないでしょうか?
■ できないことに固執するより、できる範囲のことでなにかお客様の役に立てないか、それを考えられる人になりたいですよね。
■ 60年以上前の人たちができて、ぼくらにできないなどということはない!
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二十一世紀の奴らも頑張ったな、と言われるように頑張ろうではありませんか!
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おしまい。
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おまけの雑学コーナー
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パンチカードって?
■ 「ジャカード織り機」という自動織り機の模様指定カードを元に考案
■元は統計処理用■ コンピュータへの入力装置として使われた
簡単な制御コマンド+プログラム+データをひとまとめにして計算機に放り込む=バッチ処理
この紙一枚で80文字の表現能力が➔桁を「フィールド」と区切ってそれぞれに意味を持たせるとい
う考えが COBOLで採用=Record➔ Pascal を経て Cの構造体へ
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真空管? リレー? パラメトロン?
■ どれも「論理素子」と呼ばれる電気的スイッチV
IN OUT V に電圧をかけた状態で IN に電圧をかけるとスイッチが入り OUT に通電
GND
名称 利点 欠点
真空管 製造技術が確立、動作が高速
寿命が短い (3000〜4000時間 ) 、内部にヒーターを持つので消費電力が大きい
リレー(継電器 )
比較的丈夫、製造技術が確立
所詮電磁石なので速度が出ない、うるさい
パラメトロン フェライトコアが主材料なので安価、安定
非常に遅い ( 真空管の1/100 )
トランジスタ 非常に高速、省電力、小型化が可能
1950年代にはまだ品質が安定していなかった
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ここでちょっとしたクイズ
■世界初の実用的な汎用電子計算機とされているENIACには真空管が 17648本使用されていました’(簡単のために 18000本にします)。
■ 真空管の寿命は3000〜4000時間といわれていますが、簡単のために3000時間とします。
■ さて、 ENIACを24時間連続稼動したときに破損する真空管は何本ぐらいと想定されるでしょう?
■答え: 18000 x 24 / 3000 = 144本 仮に1本の真空管の交換に1時間かかるとすると、24時間
の計算のためには 24+144 = 168 時間かかる計算 ので、遅くても故障がない素子(=パラメトロン)を使ったり、
真空管の数を減らす( FUJIC :1700本)工夫は有効だった
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ついでの蘊蓄
■ もっとも古い論理素子はリレー そもそもは電信向けに考案 交換機などにも大量に使われていたので、膨大なノウハウ 世界初のプログラム記憶式計算機 Zuse z3 (1941) はリレーを2200個利用
■ 日本独自の素子、パラメトロンの意義 東大の院生、後藤英夫が発明した、フェライトコアを元にし
た論理素子 安価、物性的に安定、壊れにくい
➔ 真空管より二桁遅かったが、メリットの前には些細なこと これにより電子計算機開発のリスクを下げることができ、開発のノウハウ蓄積に役立った
➔ 日立HIPAC103 、日本電気 NEAC 1101など 後にMIT のMcCathyに「面白いことを考えたね、なんで
あんなに遅い素子を作ったんだい?」と言われたとか。
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メモリの話も
■論理素子さえできてしまえばメモリもできる いわゆるフリップフロップ 今で云うところの SRAM 詳しい説明は kwappa
さんでも聞いてね
■ でも論理素子が増えると消費電力・信頼性の低下などに繋がる
■ 、ということで、別の方法も考えられた 水銀遅延線 ブラウン管メモリ 磁気ドラム 磁気コア
書いてると止まらなくなっちゃうので
Wikipedia でも読んでねっ。
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UNIVAC とはなんじゃらほい
■ ENIACのエッカートとモークリーが商用計算機を作るために立ち上げた会社が、資金難のためにレミントンランドという会社に買収されて(さらに RRはスペリー社に買収される)、最初に作られた「電子計算機」の名前 UNIVersal Automatic Computer 後にこの機械は UNIVAC I と呼ばれることに
■ IBMが PCSの強みを失うことを恐れて事務処理用電子計算機を出さなかった隙間を縫う形で、事務処理用マシンのスマッシュヒットを次々と発表
■ IBMが PCSとの一貫性を強みに攻勢に出ると経営が厳しくなり、 Burroughs (バローズ)と合併して UNISYSに 今は SI屋さんで、コンピュータは作ってません……。