Download - メキシコ旅行記chiricircle.michikusa.jp/kiku.pdf · 2016-03-01 · 山肌にへばりつく“新興住宅地”。いわゆるスラム。4合目~5合 目くらいまで
メキシコ旅行記 (2014 年 12 月 24 日~31 日) 立命館慶祥中・高等学校 講師 菊 正 敏
メキシコ基本情報 国旗:左は緑で独立、真ん中は白でカトリック、右
は赤でメキシコ人とス
ペイン人の統一を意味
する。中央には蛇をく
わえたワシがサボテン
の上にとまっている。
アステカ人の神話)
正式名称 :メキシコ合衆国(Estados Unidos
Mexicanos)独立戦争中の 1821 年に決定した。アス
テカの言語ナワトル語(nāhuatl)で、「メシトリの
地」という意味。*メシトリとは、アステカ族の守
護神であり、太陽と戦いと狩猟の神のこと。
面積:196.4万k㎡(日本の約 5倍)人口:1.22億万人(2013年) 独立:1821年
旧宗主国:スペイン 公用語:スペイン語
首都 :メキシコシティ(市域約 885 万人:都市圏約 2000 万人:標高 2240m)
領土問題:1845年~48年アメリカと戦い、敗北。テキサスからカリフォルニアまで国土の半
分を失う。 気候:中央の山岳部は(Cw/H気候) アメリカとの国境付近はBS/BW気候。沿岸
部・ユカタン半島 Aw,Af気候。宗教:90%以上がカトリック
民族構成:メスチソ約 60%、インディオ約 30%、スペイン系白
人 9%
一人あたりの国民総所得(2012年):9646ドル(日本 47870ドル)
歴史:氷河時代にベーリング海を渡ってきたモンゴロイド系の
人々が南北アメリカのそれぞれの地域に進出。メキシコ高原・ア
ンデス山脈では BC2 世紀にトウモロコシなどを栽培する農耕文化を形成。4c~9cにはマヤ文
明(ユカタン半島付近)が栄える。
メキシコ高原では12c~アステカ人によりテノチティトランを首都とするアステカ文明(メキ
シコシティ周辺)を発展させた。その後 1519年にコル
テス率いるスペイン人が進入、1521年スペインの植民
地となる。独立戦争を経て 1821年に独立。アメリカと
の戦争や独裁政権を経て 1910~34年メキシコ革命。
メキシコへの行き方:直行便はアエロメヒコ航空のみ
(帰路は経由便)。往路は追い風(偏西風)で 11時間
30分。復路はモンテレー経由で風は向かい風となり約
14~15時間かかる。他社も多く乗り入れている。
(地図類は「wikipedia 掲載画像」より転写)
1628 年のメキシコシティ、テスココ湖の干
拓地に首都が建設されている
メキシコ概念図
ラテンアメリカ最大級の教会。メトロ
ポリタンカテドラル。1681 年完成。
1 最悪!二回目のクリスマスイブ
24日・雨模様。メキシコシティは標高 2240
mで、この季節は雨が少ないはずだった。し
かしあいにくの雨。私は雨男?ホテル周辺を
散策。クリスマスイブで多くの人がマデロ通
りを行き交う。市の中心ソカロ広場に向かう。
雨天でも傘をさす人は少ない。そのまま濡れるに任せている。ソカロ
広場周辺はかつてのアステカ文明の都テノチティトランと同じ場所に位置する。だからアステ
カの聖地でもある。また大聖堂(カテドラル)、国立宮殿、近年発掘されたテノチティトランの
中央神殿跡(テンプルマヨール)など見所一杯の場所だ。明日ゆっくり見よう。この辺りは観
光客や参拝者、そして手作りの民芸品・雑貨類を売っている路上の商売人で活気が感じられる。
昨年ヨーロッパ旅行で大活躍してくれたタ
ブレットの調子が悪い。これで現地ツアーの
予約をするつもりでいたが、今回は悪戦苦
闘!あと一歩で予約ができるのだが…。相性
が悪いのか。あっという間に時間が経ち時計
は 8時。結局最後はホテルから直接電話で申し込む。さぁクリスマ
スディナー、と張り切ってホテルを出たが、日中は人また人であふれかえったマデロ通りは真
っ暗で、人っ子一人いないではないか!ホテルのレストランはイブということで早じまい。し
かたなくメキシコ・セブンイレブンでビール、牛乳、を購入。機内食のパンと水で我慢。史上最
悪のクリスマスディナーとなった。
2 教科書と同じだ!メキシコシティの大気汚染
25 日。昨日の雨が打って変わって青空に!よかった!高原のサンパワーで肌に感じる空気も暖
かい。マデロ通りの「安心のスタバ」で朝食。とはいえ出入り口には銃を持った警備員に緊張
する。市内いたるところに警察官が配置。安心?いやいや、地元民には評判が良くないらしい。
頼りにならないという。(とガイドブックにも記載されていた)
食後、ラテンアメリカン・タワーへ。1956 年
建築で高さ 182m。当時の耐震構造建築だが
1985 年のあの巨大メキシコ大地震にも見事耐え
抜いた優れものだ。41 階から見学。眼前に 360
度パノラマ画像。全体的に茶色の色合いの旧市街、
ビジネス街に官庁街、古い歴史地区など。教科書の掲載写真と同じス
モッグが山を覆う。盆地で車が多く、おまけに排気ガス規制が緩い。
さらに 2240mに位置するため空気が薄く、エンジンからは不完全燃
焼の排気ガス。条件がそろいすぎている。
山肌にへばりつく “新興住宅地”。いわゆるスラム。4 合目~5 合
目くらいまで
どんどんと家
が建っていく。10 年後に来たら山肌は
どうなっているのだろう。人口流入が多
く、人口 2000 万人を抱えるメキシコシ
ティを象徴する風景だ。
ラテンアメリカンタワー41階よりメキシコシティ市内
教科書で見たとおり、山がスモッグで覆われていた山肌にへばりつく “新興住宅地”
クリスマスのマデロ通りクリスマスイブのディナー
日中のマデロ通り
市内巡り1:1905 年に建築された総大理石の大劇場、ベジャス・アルテ
ス宮殿がど~んと控える。レフォルマ通りには革命記念館に独立記念塔
が続く。ここは有名ホテルやオフィスが並ぶメキシコシティ随一の目
抜き通り。フランス・パリのシャンレリゼ通りがイメージらしい。お
っと、1612 年仙台藩の使節団支倉常長が泊まったタイル・ハウス発見!
3 衝撃のレポート!やられた!ケチャップ強盗未遂事件!
とうとう事件は起こった!!12 月 25 日のクリスマスの夜。マデ
ロ通りの賑わいを動画に収めたいと、ホテルの出入り口付近でカメ
ラを上に構え撮影。少し離れてワイフは雑踏を眺めている。突然、
人ごみから出てきたおじさんが「○×△□…!」と言って私のブル
ゾンを指さす。カメラを下す。ウッ!臭う!ケチャップ臭!…ブル
ゾンの脇の下から背中にかけて液体がピチャピチャ…アレーやら
れた!ケチャップだ。これがかの有名な『ケチャップ強盗』の手口
と推察。教えてくれたおじさんが「これでふきなさい」と、何故がタイミン
グよくティッシュ1枚こちらに差し出す。そして「あっちに逃げて行った!」
というジェスチャ。とっさに危険を感じた。「結構です」というしぐさでホテル入口の明かりの下へ。
ワイフはすかざず、と私の腕を引っ張りロビーに避難。興奮しながらも、とりあえずケチャップを
拭い取った。かなり水っぽいケチャップだったので飛びやすいように水で薄めていた?。腹は立つ
がまあ大きな被害もなく済んだ。希少な経験をしたということで、これは帰ってからの土産話だ。
ガイドブックなどで事前準備をしていたおかげだ。
4 アステカ帝国の土台がメキシコシティ?
26 日、アステカ帝国の都テオティワカンの中央神殿跡であるテ
ンプロ・マヨール(スペイン語で大神殿または主神殿)見学。59
$(約 500 円)1978 年、地下鉄工事中に偶然見つかる。何が凄い
かというと、1519 年、
スペイン軍がアステカ
帝国に侵略。1521 年、
スペインは、アステカ
帝国の宮殿を破壊。破壊された
テノチティラトンの上に現在
のメキシコシティを建設した
ことだ。16 世紀にはテスココ湖(塩湖)を埋め立てる。そして、ソカロ広
場を中心に現在のメキシコシティの中心部が形成された。隣接博物館は最
神の使者蛇の頭の像 近できたが、その充実度は目を見張る。
伊達藩使節団支倉常長が泊まったタ
イル・ハウス
革命記念館前にて近代的なレフォルマ通り
メキシコ芸術の華麗なる大劇場ベジャス・アルテス宮殿
レフォルマ通り独立記念塔
事件現場のマデロ通り。
生け贄の心臓を置く器。チャックモール像左は勇敢なアステカ戦士
5 白い街並みに心をいやす~クエルナパカ~鉱山都市タスコへ~
今日はタスコツアー。ナワトル語で "野球の試合の場所"を意味する
"Tlachco"という言葉から派生。途中、州都クエルナパカ(スペイン語
「牛の角」)に到着。標高 1511m、人口 37 万人。平均記温 20℃の「常
春の町」として有名。1529 年に建設のカテドラルやコルテス宮殿な
どが見所。何れも征服者コルテスの命令で建設された。バ
スを降りる。むわ~っと夏の暑さが肌に纏まと
わりつく。
防御のため壁は高い 24~25℃はあるだろう。Tシャツで十分。日差しがきつい。
探検家・地理学者フンボルトの像発見!→
1803 年にメキシコを探検している
←カテドラルの中に秀吉に
よって処刑されたキリスト
教徒の壁画!
1530 年、征服者エルナン・コルテスが建築させた城塞風のコルテス宮殿 →
タスコはメキシコシティから約 170㎞南西に位
置する標高 1783mで人口約 10 万人。18 世紀に繁栄した鉱山都市で高
山都市。坂の街小樽を超える坂の街だ。傾斜地のコロニアル調の古い街
並みが美しい。コロニアルはスペイン統治時代のことを指す。もともと
先住民が住んでいたタスコで 1743年フランス出
身の鉱夫ボルダが大銀脈を発見、その後いわゆる
「シルバーラッシュ」が始まる。国中から一攫千
金を夢見て人々が集まり街は一気に拡大。大富豪となった第一発見者ボ
ルダが教会や庭園を次々建てていった。その後閉山するものの、今も銀
細工と美しい町並みで観光地としての人気が高い。当日は狭い道を上り
下りの行き交う車と観光客で大渋滞だった。
市内巡り2:東京の「はとバス」メキシコバージョンの市内周遊二階建観光バスに乗車。二階はオープンになっており、眺めもいい。二階席はほぼ満員で英語での案内バス。まあ。チケットは 140M$(約 1100 円)。歩道からみる街並みではなく、やはり上から眺める街並みは新鮮。このバス、チケットを購入しバンドを腕に着ける。あとは乗り降り自由の便利なチケット。
開放感抜群、写真も撮りやすい 二階建てビートルズ号登場! 信号待ちのすごい人並み ブレスレット型チケット
タスコの町並 白い町並が
疲れた旅人の心を癒す
コロニアル建築の白壁の
レストランと美しい庭
タスコの銀鉱王ボルダが寄
付したサンタプリスカ教会。
内部の壁画も素晴らしい
6 テオティワカンは大混雑!ああ悔し!太陽のピラミッド登頂ならず!!無念の時間切れ
は日曜日で、さらに日曜日はメキシコ人は無料とのこと。相当混むことが予想される。太陽の
ピラミッドは無理かも…とガイドさん。エ~車内は微妙な雰囲気。駐車場の関係で入場場所を
変更。予定より 30~40分くらい遅れる。バスを降りた瞬間、紫外線の強い高原の日差しが我々
を襲う。帽子をかぶることをお勧めする。
BC1c~2cころ、多くのピラミッド型神殿をもつテオティワカン文明が生まれ 6 世紀ま
で繁栄。しかし、この時代に建設された都市群はある時期突然衰退する。気候変動による食糧
不足、食糧をめぐる争いが起こり、8世紀頃謎のままどこかに消えてしまった文明。ところが、
その滅亡後に訪れたアステカ人がこのピラミッド群に驚く。これはきっと神々建てた都市と信
じ込み、彼らの
宇宙観『太陽と
月の神話』の舞
台となった。太
陽のピラミッ
ド月のピラミ
ッドもアステ
カ人が命名し
た言葉。太陽の
ピラミッドは高
さ 65m、底辺の
一辺は 225mの巨大な神殿。
あまりの登頂者数に時間
的に今回は断念。世界で 3
番目の大きさ(高さ)を誇
る。
(世界一はエジプト・クフ王)
28 日はテオティワカンツアー。今日も天気は快晴!途中グアダルーペ寺院へ。ここはメキシ
コ人にとって重要な信仰の地であり、ローマ・カトリック教会公認の三大奇跡(聖母の出現)の
場所。何が?…奇跡が起こった場所。何の奇跡?…1531 年 12 月 9 日に聖母マリアがこの地に
現れたという。ディエゴという現地人のマントに浮かび上がったことに由来。この日も凄い数の
参拝者で、入り口へ向かう狭い通路はまるで初詣のようにごった返す。危うく迷子になるところ
だった。参拝者が立ち止まらないよう,聖母マリア像の前には動く歩道が設置されている。これ
も凄い!ちなみに三大奇跡のあと二つはルルド(フランス)、ファーティマ(ポルトガル)。
大混雑のグアダルーペ寺院からテオティワカンへ。12:00 過ぎ頃から車の大渋滞。この日
旧聖堂は地盤沈下で影響を受け
ている。
太陽は諦め、月のピラミッドに登頂。実はここからの景色は素晴らしい。写真右は観光客で賑わう
死者の道(真ん中)。正面は月のピラミッド。高さ 42m、底辺は 150m×130m。
褐色のマリア様」。小さくてよくわ
からなかった奇跡のマント.
マントにマリア像が
この日も多くの(初詣状態)
参拝者が押し寄せていた
余りの登山客の多さで、登頂できなかった太陽のピラミッド。無念。
こんな急斜面を多くの人が上り下り。女性はスラックス系を。
再び国立人類学博物館へ(テオティワカンツアーの最後に寄る)
7 何故壁画が?メキシコ文部省内の回廊壁画に圧倒される!
29 日。メキシコ最終日。メキシコ文部省内の回廊に飾っている壁画を見学。何故壁画が有名
か?それはメキシコ革命の後、壁画を通して革命の意義や民族意識を伝えようとしたそうだ。
なぜ壁画?それは、文字の読めない人々も、絵なら理解できるからだそうだ。その壁画では国
立宮殿、国立自治大学、メキシコ文部省などが有名とのこと。最終日だったので時間や距離か
らして、メキシコ文部省が近い。日本で言えば文科
省の建物の中に巨大な絵画が飾られている、という
ことだ。日本では治安上簡単に見学できないだろう。
ここがメキシコの凄い
ところ!受付では国名
や氏名を記入し、簡単な
持ち物検査をして入場。
革命後を生きる人々
をテーマにした壁画が
多い。一階の階段にある
シケイロスの迫力ある壁画(写真左)が我々を迎えてくれた。2階、3階にはリベラの壁画(真中・
右)がずらりと並ぶ。特に 3階部分にはメキシコ革命を人々に再認識させる壁画が多かった。
8 テキーラ博物館へ
その後、三文化広場へ。なんで「三文化」?征服当時の 16世紀
のサンティアゴ教会、アステカ時代のトラテロルコ遺跡、現代的な
高層団地が建っているので三文化広場。なるほど。見学は無料!う
れしいね。おまけ施設も整備されていた。
(手前がアステカ時代の遺跡、中央部に教会、後ろに高層アパート)
13:30 テキーラ博物館へ。博物館の中に入る。1 階は、入場チケット売り場と、インフォメ
ーションカウンター、ショップがある。ショップではメキシコ各地の*テキーラやメスカルが
並び、酒屋やスーパーの店頭では見ないような珍しいものも扱っている。
*テキーラとは竜舌蘭(リュウゼツラン)を主原料とするメキシコ特産蒸留酒の総称。和名
で「蘭」という字が入っているが「ラン科」でもなく、アロエに似ていて
もアロエの仲間ではない。リュウゼツラン科リュウゼツラン属単子葉植物
の総称。リュウゼツランの蒸留酒であり(いわゆるメスカル)、なおかつ
テキーラ商工会議所の傘下のテキーラ規制委員会(CTR)での産地・原
料・製法などの基準を満たしたメスカルをテキーラとよび、販売・流通が
許される。
大地の女神コアトリクエ。死の神。
頭は二匹の蛇で人の手首と心臓を繋いだ首飾りをしている。
チャックモール像。生け贄の心
臓をくりぬきこの皿の上に置い
た…
博物館の目玉。直径 3.2mの女神
コヨルシャウキ像。アステカの天地創造神。
ちょっとかわいい像
竜舌蘭(リュウゼツラン)
2 階の常設展示は 2つのセクションに分かれている。ひとつはテキーラとメスカルの展示セク
ション。コレクターから提供されたテキーラとメスカルのボトルが数多く展示。おおよそ 400
本以上はあるとのこと。形や絵柄を見ているだけでも楽しい!また、かつてと現代のテキーラ
(メスカル)の製造行程がモニターの映像で紹介されている。試飲前、しっかり学習する。
カウンターで試飲券(入場券に付属)を渡す。二つの小さなグラスに透明の液体が入っている。
どっちがテキーラか?試飲する。アルコール度数 40度、でも意外にあっさりとして飲みやすい。
やや癖のあるのがメスカルで、スーッと口の中に溶けていくのがテキーラ?まあ、どっちでも
いい。ワイフはアルコールが苦手。この後市場でのショッピングに支障をきたすので、私が“残
量”整理する。歩き疲れた体に少量だがテキーラが注入される。身体がホットになる。眼下の
広場ではお客のリクエストでマリアッチが野外演奏。軽快な音色が広場中に響き渡る。思わず
口走る。「ああここはやっぱりメキシコだ!」
9 メキシコ・アラカルト
★どこに泊まって、何を食べていたか?
「メキシコシティ 8 日間フリープラン」を利用し、ホテルはホテル・リッツで食事なし。食
事は少し高いが安心のスタバで朝昼兼用か、近くのメキシコ・セブン・イレブンで夕食・朝食
購入(牛乳やパンなど)。日本のように種類が豊富ではなく、値段は高いが利用し、時々レスト
ランへ。メキシコ料理は 2010 年日本食より先に世界遺産。宿泊したホテルのメキシコ料理。
ビールは地元のドス・エキス XX。
料理はガイドブックのメニュ
ー図鑑で写真を指さす。チョコ
レートソースをベースのモー
レソースのかかった鶏肉料
ドス・エキス XX ポージョ・エンモーレソ パ・デ・トルティージャ 理ポージョ・エンモーレと、ソ
パ・デ・トルティージャというトマトスープにトルティージャ(トルティーヤともいう:トウモ
ロコシを使ったスペイン風オムレツ)を浮かべたメキシコ料理を注文。黒っぽいソースのかかっ
たポージョは見た目は、えっと思ったが、チョコ味はなく食べてみると結構いけた。
安心の中華料理。大きくはないがテイクアウトも
でき、中でも食事できる店。決められた料金の皿に
好みの料理を注文する。楽である。(写真左側 2 枚)
タコスはメキシコの名物料理。最終日、行列のあ
るタコス料理店で並ぶ。生地を作る時点から気合が
あり、手際いい。4~5 分くらいで座れた。トウモロコシの生地を焼いたトルティージャに肉等
の具材を乗せたり巻いたりしたものがタスコ。具やソースは様々。手軽で旨い!
二階のフロアーには多
く の ボ ト ル が 展 示
(左)、中央はガイコツ
をモチーフとしたボト
ル。テキーラ類はレモ
ンやオレンジを添えて飲む。空腹時はキク~。
行列のできるタコス屋。気合いが入り、手際がいい!牛肉タコスが一般的。旨い!
★車中にアコーデオン音が隣りの車両から聞こえてきた。そして我々の車両にやってきたのは何と幼い兄妹。男の子がアコーデオンを弾きながら車内を回り、妹がチップを集める。これ
が日常なのだろう。お客も慣れており、お金を渡す人、無視する人様々。
メキシコシティを歩くと物乞いが意外と多く、乳飲み子を抱えた母親、
老婆、手足に障害を持つ人、そして車内で見たアコーデオン親子や姉妹
が街角で多くみられた。最近のベトナムでもあまり見かけなくなって
(左写真:街角で見た親子)いるのでちょっと驚いた。
★郵便事情…ガイドブックを見ると「郵便ポストはあまり信用されていない。手紙は郵便局の
窓口から出そう」との記載。何これ?到着
まで1~2週間。試しに自宅あてに絵葉書
を送った。到着は約一か月後だった…。
★お土産…あまりに種類が多すぎて難儀
した。アンデスが本場のポンチョ購入。こ
こは“商談”には慣れているワイフが女
性店主と交渉。商談成立。
メキシコはガイコツグッズが多い。何でメキシコが「ガイコツ」なのか。ここでウンチク。
メキシコには日本でいえばお盆にあたる『死者の日』というのがある。故人の魂がこの世に戻
ってくるとされ、各家庭では祭壇を設けたり、先祖の墓を飾り付ける。つまり死んだ人がガイ
コツとなって死者の日に自分を訪ねてやってくるので、ガイコツたちと楽しく過ごそうという
のが、死者の日。
メキシコのスポーツといえば…プロレスでしょう。私は子供のころからのプロレスファン。
観戦しなかったのが心残り。若い男性店員が笑顔でやってきて、これはミル・マスカラスの覆
面、これはどうだ?とかいろいろかぶってくれた。次への期待を込めて 5 枚まとめてマスクを
購入。商談開始。プライスダウン!おまけに本来写真は禁止なのだが、店の写真OKがでた。
10 おわりに
メキシコでいろいろ事件が発生していた時期だったので、「メキシコ危ないでしょう!」「何
でメキシコ?」と出発前に言われたが、何とか無事に旅を終えた。実は私はメキシコは 2 回目。
25 年くらい前、アメリカとの国境にあるティファナにツアーで 3 時間ほどだけ訪れたことがあ
った。実際は初めてに等しいメキシコ訪問。短い期間だったが少しだけメキシコ文化に触れる
ことができ、危険に遭遇しながらも、実に印象深い旅であった。帰路はメキシコ・モンテレー
経由。向かい風でやや時間はかかったが、12月 31 日大晦日の夜、成田に無地到着した。
参考・引用文献:地球の歩き方「メキシコ」(ダイヤモンド社)、世界地名語源辞典(蟻川明夫:古今書院)
メキシコ・メキシコ観光・メキシコ料理などWikipediaより、地理B(帝国書院・東京書籍)
参考:受験のメキシコ…教科書からセンター地理レベルで確認してみた。
①地形:ロッキー山脈に続くメキシコ高原は新期造山帯。気候:海岸地域は Awや Am で内陸部は
Cw 気候。 ②歴史:インディオの文明。マヤ文明(4c)、アステカ文明(12c)
③アメリカ合衆国との境界は河川国境。リオグランデ川。環境項目でメキシコシティは高山都市で
大気汚染。 ④社会:スペイン語が公用語、人口の 97%以上→カトリック(キリスト旧教)人口はブ
ラジルに次いで第2位1.2億人。 ⑤農業:とうもろこし→主食、全耕地の半分以上→ほぼ自給
可能。甘蔗・バナナ・コーヒー・綿花→輸出作物 ⑥鉱産資源:銀→世界1位(2011 年:4150t,17.8%)
他に金・鉛・亜鉛・鉄鉱。石油(原油産出世界 9 位)→メキシコ湾岸のタンピコ・ポサリカ→国有化
→PEMEX が管理地名: ⑦都市ではモンテレー、グワダラハラ、アカプルコ 輸出入はNAFTAナ フ タ
、プラ
イメートシティーとしてバンコクに並び有名。最新では 2015 年センターで、MERCOSURメ ル コ スー ル
(南米南部共
同市場)に関して出題されている
覆面グッズの店、まとめ買いで写真もOkでした
ポンチョの店。ワイフが交渉