Download - バージニア州議会議事堂とキャピトル・スクエア...1779年、バージニア州議会はウィリアムズバーグに代わってリッチモンドに州都を置くことを決議しました。正式な州議会議事堂が完成するまで、現在の14丁目
1779年、バージニア州議会はウィリアムズバーグに代わってリッチモンドに州都を置くことを決議しました。正式な州議会議事堂が完成するまで、現在の14丁目とケーリー・ストリートが交わる場所に建てられた、木造骨組みの建物2棟でバージニア州議会が開かれることになりました。そして、リッチモンドが新しい州都になるのにあわせて、正式な公共施設の用地として6区画を選定。1788年には、トーマス・ジェファーソン設計の州議会議事堂はほぼ完成し、バージニア州議会の開催に十分だと判断されました。ジェファーソンによるローマ神殿風の建物は、現州議会議事堂の中央部となっています。1906年、建設当時の建物に翼棟2棟が、また2007年には地下部分が増築されました。建築学的にも歴史的にも重要なこの建物は米国国定歴史建造物に指定されており、ユネスコの世界遺産にも仮登録されています。
州議会議事堂周辺の公共エリアは元々、自然にできた通りや小道が走る、草に覆われた広場でした。1816年、バージニア州議会はフランス出身のマクシミリアン・ゴドフロワを雇い入れ、正式な公園の設計を依頼。その2年後、美しく生まれ変わった敷地の周りには現在も残る鋳鉄と錬鉄の柵が張り巡らされ、やがてそ
の一角がキャピトル・スクエアと呼ばれるようになりました。そしてゴドフロワの構想をそのまま活かしながら、スコットランド出身のジョン・ノットマンは曲がりくねった散歩道や自生の木々・低木を取り入れて、1850年に景観計画を策定しました。現在でも見られるキャピトル・スクエアならではの魅力は主にこのときに誕生したものです。計画に基づいて作られたこの歴史ある景観は、米国内でも大きな意味を持っています。
州議会議事堂バージニア生命保険会社の元社屋設計:1912年増築:1922・1955・1964年
旧市庁舎建設:1887~94年現在は州有施設
パトリック・ヘンリー・ビル
元のバージニア州立図書館・文書館およびバージニア州最高裁判所
建設:1938~40年
モーソンズ・ロー
アルミナム・ビル
ジンク・ビル
ポカホンタス州政府ビル
連邦裁判所
連邦裁判所
バージニア州最高裁判所
聖パウロ聖公会教会
聖ペトロカトリック教会
9丁目オフィスビル旧ホテル・リッチモンド
建設:1904年増築:1911年
州知事公邸
コテージ
オリバー・W・ヒル・ビル元の州立図書館および最高裁判所ビル
建設:1893~95年 最近の増築:2005年
ジェファーソン・ビル
建設:1955~56年
ワシントン・ビル
建設:1922~23年
バージニア州上院
バージニア州議会議事堂
柱廊式玄関
下院
地下の増築部
ハリー・F・バード・シニア米国上院議員の像
ウィリアム・スミス州知事の像
トーマス・J・ジャクソン将軍の像
ハンター・ホームズ・マグワイア医師の家
公民権記念碑
階段
階段
階段
階段 階段
階段
階段
噴水噴水
見学者用入口
ベル・タワー
式典用の歩道
鉄柵
エドガー・アラン・ポーの像
0マイル標石 ワシン
トン乗馬像
ブロード・ストリート12丁
目
ガバナー・ストリート
12丁目
10丁目
9丁目
キャピトル・ストリート
バンク・ストリート
8丁目
フランクリン・ストリート
階段
グレイス・ストリート
階段
Capitol Square Preservation Councilの協力のもと、House of Delegates Clerk’s OfficeのInformation & Communication Services(ICS)が作成(State Capitol, P.O. Box 406, Richmond, Virginia 23218 USA)+1 (804) 698-1500または+1-877-391-FACT(通話料無料)· [email protected] · virginiageneralassembly.gov · G. Paul Nardo, Clerk of the House of Delegates
バージニア州下院が著作権を保有 2015年9月
バージニア州議会議事堂とキャピトル・スクエア
治安メモリアルダーデン・ ガーデン
ザ・アベニュー
州知事公邸国定歴史建造物の州知事公邸(K)は、州議会議事堂からすぐ北東のキャピトル・スクエア敷地内にあります。ボストンの建築家アレクサンダー・パリスが設計したフェデラル様式の同邸宅は、1813年3月の落成からバージニア州知事とその家族の公邸として使われてきました。1906・1914両年の増築を経て、米国内で 最古の州知事公邸として現在でも州知事が使用しています。
この州知事公邸は、州が保有する州知事の公邸としては3番目のものです。1776年憲法のもとで初めに州知事を務めたパトリック・ヘンリーとトーマス・ジェファーソンの2人は、ウィリアムズバーグの州知事公邸に住んでいました。1780年春、ジェファーソン州知事は新州都となったリッチモンドに政府とともに移動。その後短期間、バージニア州知事は賃貸の家屋を利用しました。
1781年頃、リッチモンドの現州知事公邸とほぼ同じ場所で、2番目となる州知事公邸が購入されました。この2番目の公邸には後に米国大統領となった3人の住居として使用され、ジェームズ・モンローは州知事として、ジョン・タイラー・ジュニアとウィリアム・ヘンリー・ハリソンは父親が州知事だった時に住んでいました。1811年、ジョン・タイラー・シニア州知事は現公邸の建設を決定。バージニア州議会は、「現在の州知事公邸が立つ敷地に州知事の居宅を建設」するよう指示しました。
ワシントン乗馬像州議会議事堂からすぐ北西の正式な広場入口にある、御影石の台座に載ったジョージ・ワシントンの大きな乗馬像です(A)。この像はワシントン、そして米国の独立に貢献したバージニア州を称えるために建てられました。米国独立革命で果たしたバージニア州の役割は、御影石の記念碑の上に立つワシントン将軍の乗馬像を取り囲んだ、兵士と政治家のブロンズ像6体に表現されています。6体の立像の下にある小さな擬人像は各愛国者の貢献を表しており、アンドリュー・ルイスには植民地時代、パトリック・ヘンリーには革命、ジョージ・メイソンには権利章典、トーマス・ジェファーソンには独立、トマス・ネルソン・ジュニアには財政、そしてジョン・マーシャルには司法と刻まれています。
この記念碑はアメリカ人彫刻家のトーマス・クロフォードがデザインし、自らもワシントンとジェファーソン、ヘンリーの像を手がけました。ワシントンの誕生日と同じ1850年2月22日に礎石が置かれ、ワシントン像の除幕式は1858年2月22日に行われています。しかし、クロフォード自身は記念碑完成前の1857年に亡くなりました。その後、アメリカ人彫刻家のランドルフ・ロジャースがメイソンとマーシャル、ネルソン、ルイスの像とともに擬人像を作成し、最後の像は1869年に設置されました。
像・記念碑・記念樹 バージニア州軍の施設として1825年に完成したベル・タワー(B)に近い、キャピトル・スクエアの南西角には、エドガー・アラン・ポーの座像(C)があります。ポーはリッチモンドで育ち、後年には『サザン・リテラリー・メッセンジャー』誌の編集者としてこの地に戻ってきました。また州議会議事堂の北側には、リッチモンドから高速道路の距離を測る際に用いられた0マイル標石(D)、バージニア州知事と米国上院議員を務めたハリー・F・バード・シニアのブロンズ像(E)、バージニア州知事と南軍准将を務めたウィリアム・ 「エクストラ・ビリー」・スミスのブロンズ像(F)、南軍少将のトーマス・J・「ストーンウォール」・ジャクソンのブロンズ像(G)、そして外科医として南部で尊敬を集めたハンター・ホームズ・マグワイア医師のブロンズ像(H)があります。
ワシントンとタイラー両大統領、コルゲート・ダーデン、チャールズ・ロブ、ジェラルド・バライルズ各州知事、そしてノーベル賞を受賞したマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの記念樹もあります。また、キャピトル・スクエアには、1950・60年代の公民権 運動で活躍したバージニア人を称える(I)新しい記 念碑なども建てられています。さらに柵の外には、公共安全の職務中に殉職した人々を称える新しい記念碑 (J)を見ることができます。今後もウェスト・デルに、バージニア州の女性たちの功績を称える記念碑や、バージニア・インディアンに敬意を表する記念碑が予定されています。
キャピトル・スクエア
A K
IH
GFE
B C D
J