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Page 1: Heroes of Faith: St. Viator of Lyon (Japanese)

信仰の英雄

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リヨンの聖ヴィアトール 1830年代にルイ・ケルブ神父が聖ヴィアトール修道会を設立したとき、自分の故郷であるリヨンで愛される聖人、ヴィアトールを守護者にすることを決めました。ヴィアトールは現在でいえばフランスのリヨンで 4世紀初頭に生まれた聖人です。これから皆さんがよむ物語は1700年近く前のことですが、いくつかの資料によって分かっていることです。 ヴィアトールの時代、リヨンはローマ帝国支配下のガリアという地域に位置していました。この地域は広大で、ローマの支配者たちはそこを治めるための中心都市としてリヨンを発展させました。リヨンは面積においても重要性においても成長し、ガリアの最も重要な都市となりました。 リヨンはローマ皇帝を二人輩出したほか、聖イレネウスが生まれた場所でもあります。イレネウスがリヨン司教となったのは、前任者がマルクス・アウレリウス帝の手により殉教してのちのことです。アウレリウス帝による厳しい迫害ののち、三世紀や四世紀にはガリア中にキリスト教がだんだんと広がり始めました。 ヴィアトールは若い時から、リヨンの大聖堂の周りで子供たちに信仰について熱心に教えて回りました。信仰のうちに生きることを教えたのです。読師(ミサなどで聖書を朗読し、参列者にその内容を解説する人)、そしてカテキスト(カトリックの教えを易しく伝える人)としての彼の情熱は、リヨン司教であった聖ユストの目にとまりました。聖ユストはヴィアトールがキリスト・イエスに身をささげる覚悟があることを見抜き、二人は生涯の友となりました。この物語はその二人の友情と、彼らの信仰生活における友情の役割を描いたものです。

物語について いまから皆さんが読まれるこの物語はとても古い時代に起こったことです。ある場合には1800年も前に書かれた様々な聖人伝の中に見出されるものです。その時代は普通の人々であっても、信仰、希望、愛を示すために驚くべき行動をとりました。ですからカトリック教会は信仰に生きた彼らに敬意を払い、私たちの信仰の先祖たちの熱心な習慣を記憶に留めようと特別な努力を払っているのです。 聖ヴィアトールについてのこの物語は、1960年にスペインで書かれたものです。この物語はシンプルでかつ美しく書かれているので、イラストを書き直して、英語に翻訳されました。ゴイオ・エスキベル神父(ヴィアトール修道会スペイン管区長)が、原稿を与えてくださったことに感謝いたします。また聖ヴィアトールの生涯については E・L・リヴァード神父(ヴィアトール修道会)の「聖ヴィアトールとヴィアトール会員たち」(シカゴ、1916年)でも読むことができるほか、ジャック・リンナン神父(ヴィアトール修道会)によるパンフレット「聖ヴィアトール:私たちの守護聖人」にも掲載されています。このパンフレットは修道会のウェブサイトからも見ることができます。

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四世紀中頃、ローマのガリア地方にあった町リヨ

ンでは数々の驚くべき出来事が起こった。聖ヴィ

アトールの物語もその一つである。

この町では異教とキリスト教が混在していた。

「洗礼」のために牛の血を使う者さえいる始末…

混乱と無知の時代であった。

350年頃、マグネンティウスと名乗る一兵卒がローマ軍団

の一指導者として抜きん出た力を持ち始めた。

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多くの人々がマグネンティウスにひれ

伏した。 あなたは素晴らしい方、

我々はあなたに従いま

す。

その通り、わしは

偉大だ。

なんと素晴らし

い指導者だ…

ガリアではマグネンティウスが次のローマ皇帝

になるとのもっぱらの噂だった。

この男の言う通り、わしは人々の尊

敬に値する人物だ。すべての人がわ

しをほめたたえる宴を催そう!

兵士たちは彼を支持した。 ローマの神々を

復活させよう!

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マグネンティウスを褒め称える宴でのこと…

皆が酒をあおり酔いしれた…

マグネンティウスへの賛美が続く

… 何を望む? 皇帝にご即位

を!

群衆たちは祝杯をあげる…

マグネンティウス万歳!

ローマ皇帝、ガリアのマグネンティウス!

ローマは制圧の大軍を出してくる

だろう。ともに戦うか?

人々は続々とそれに呼応した…

ともに戦いま

す!

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ガリア人の支持をうけたマグネンティウスは、ローマとの戦いに備えた…

ローマ側は予想通り、準備万

端の体制で向かってきた。

マグネンティウスは二度にわたって敗北を喫した。 マグネンティウスは敗走 リヨンに助けを求めよう。

リヨンからの支持を期待してマグネンティウスは戻ってきた。

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若かりしヴィアトールはおそらくその時、異教徒の軍勢がリヨンに戻ってくるのをみただろう。 リヨンのヴェリシモ司教による説

教を聞いたかもしれない。 キリストの信仰を捨ててはならない!

我々は偶像ではなく主にお仕えする身。暴力はイエスの道ではない。

マグネンティウスへの支持

は徐々になくなっていった。 兵士どもはわしを見捨ておったか…もはや孤立無援!

もはや希望もなくなったのを悟った彼は…

混乱と絶望のなかで自らの命を絶ったのである。

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この出来事は年老いた司教に大きな心の傷を残した。 司教様、少しはお休

みになって下さい。 今回の事件でわしはすっかり弱ってしまったよ、ユスト神父。

お 休 み を…

ヴェリシモ司教はその後他界し、教会の指導者たちは新しい司教

を選出するため聖堂に集まった。

そしてヴェリシモ司教の古くからの友人であるユスト神父が司教に選ばれた。

ユスト司教は人々から愛された。 ユスト司教は父

のようなお方

だ。

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実際、ユスト司教は人々に愛される有能な司祭であった。 教会は我々の聖所で

あり、家であり、学校

である。

ヴィアトールの母はある日、息子を司教に引き合わせた。

どうか息子をお

導き下さい

青年ヴィアトールよ、教会

へ来て、聖職者の勉強を

されるがよい

ユスト司教の後押しもあって、ヴィアトール青年は勉学に身を

ささげることとなった。

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ある日のこと

すでに読師となる準

備ができたじゃろ

う。

ありがとう

ご ざ い ま

す!

ヴィアトールは福音を述べ伝え、神の愛と真理を人々に教え

た。

その後 我々は真理を話さなくては

ええ

マグネンティウスは偶像崇拝で人々を

惑わせました。我々は人々にイエスの

真理を語らなくてはなりません。

雄弁だな。

人々に福音を伝えたいというこ

の思いはまさに私の生き甲斐

だ。イエスを知り、み言葉を伝え

たい。

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381年、ユスト司教はアキレイアで開かれ

た教会会議へと出かけた。

ヴィアトール

よ、留守中を頼

みますぞ。

ユスト司教が戻ってきてから間もな

く、リヨンでは重要な出来事が起ころ

うとしていた。

しばらくは今まで通り、司教とヴィアトールの間で

の研究の日々が続いた。

司教、これは聖典を

筆写したものです。

良い出来じゃ。

ところで外の騒ぎ

は何でしょう?

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リヨンの通りは突然叫びと混乱

が支配するところとなった。 何事じゃ 悪魔にとり憑かれ

ているぞ!

誰にも止められない!

ある狂人が通りすがりの人々をことごとく剣で襲っ

ているのだった。

逃げないと殺されるぞ

町の人々は集まって罠を仕

掛けることにした。

逃げ道をふさ

げ!

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しかしその男は強く、とらえようとした人々をうまくかわしていった。

そして大胆にも罠を突破してしまったのである。

危険のなかで男は理性を取り戻しつつあった。

俺は何をして

しまった…

教会に逃げよう。さもないと殺

されてしまう。

当時、教会は危険にさらされた人にとって安全

な場所であった。

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人々の興奮は怒りで最高潮に達していた。 その男を教会から

出せ!

教会を燃やして

しまえ!

ユスト司教は群衆の怒りを鎮めるために教会へと

赴いた。 神の聖域を心

に留めよ。

ユスト司教様、我々の正義を下すた

めに、あの悪魔に憑りつかれた男を

引き渡してください!

あなた方の正義とはあ

の男を殺すことだ。教会

は聖域となっているの

ですぞ…

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殺すのではありません。牢獄にまで護送するのです。

この男を尊重すると約束するか?

ユスト司教、お約束いたしましょう。

約束を信じて、この男の命をお預けいたしましょう。

しかしながら、男が教会を出るや否や、怒る群衆

たちは襲い掛かった。

ユスト司教の目の前で、その男は殺

されてしまったのである。 神よ、これは私の過ち

です。あなたではなく

人の言葉を信じてしま

いました。

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ユスト司教は自らを許すことができず、ますます老けていった。

私には分かりません。あなたは何も悪いことはしていません。

私は司教として失格だ。もう続

けられない。余生は砂漠に行っ

て隠者として過ごそう。

私は修道院に入り、自

らの過ちについて

神の許しを求めよう。

私はあなたのそばを離れま

せん。あなたなしでは無理

です。私も共に行き、神の完

全なる意思を求めたいので

す。

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ユスト司教は皆が寝静まった夜に一人で抜け出

した。

そしてたった一人でマルセイユの港を目指し

た。

砂漠へ旅立つの

だ。

すでに大聖堂にはユスト司教の姿はなか

った。 船でいけばまだ

追いつけるだろ

う。

ヴィアトールは二十余

歳にして砂漠で神を求

める決断をしたのだっ

た。

肩袋一つをひっさげローヌ川に達した。

この速さで行けば、ユスト司教より早く

マルセイユにつけるだろう。

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その旅の間中、ヴィアトールは景色の美しさに心を打たれるのだった。

マルセイユに着いて間もなく

司教! ヴィアトー

ル?

船に乗ってリヨンへ帰り

なさい。砂漠には行けぬ。 お供させて下さい

ヴィアトールは自分の思いを次のように打ち明

けた。

母はあなたに仕えるようにと子供

の時に申しました。お供するのが私

の務めなのです。

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ユスト司教は承諾した…

共に来てもよか

ろう…

二人はエジプトへと向かった。

私はリヨンから離れた方がよいのです。

いつかリヨンに戻れ

る日も来るでしょう。

そのころまでには神の赦しも得ていることじゃろう。

長い航海の末、エジプトのアレクサンドリアに到着した。

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エジプトに着いた二人は徒歩でテバイスの砂漠

に向かった。

ケリア、ニトリア、スケティス

周辺の修道院をあたってみよ

う。

どこがよいでしょう? さあ…

パコミオスの門弟

らはタベニシに暮

らしておる。

またニトリアにはマカリオスという若い指導

者を中心とした共同体があると聞いておる。 この近くには砂漠の真珠とも呼ばれるスケティスがある。大変な暮らしらしい。

行ってみま

しょう。

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二人はナイルデルタへ向かうキャラバンに合流した。

スケティスへはどう行けばよいかの?

船で行くしかないが、とても危険ですぜ。

川にはワニがいっぱいいるから船で渡るのがいい。

二人はためらいもしなかった。

ワニに注意しながら筏で川を渡る二人だった。 襲われないよう、静かに移動します。

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ワニの近くではお静かに…

そのようにしてワニ地帯を通り抜けた。

その後二人はエジプトの砂漠

を通る長い道のりをひたすら

歩き続けた。

星たちが我々を

導いてくれる。

スケティスへの道

でしょうか?

そしてついに…

おお 修道院じ

ゃ!

入り口には次のような言葉があった。

立ち止まれ。

誰でも入ってよいが、

誰も出ては行けない。

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運命は神の手にある。

準備はよいか? はい

我々は自らの意志を捨て、

謙虚に神に仕えるのだ。

あなた方が私たちのや

り方を実践できると証

明しない限り、中に入る

ことはできません。

修道士が出迎えた。 修道院に入るためには、まず第一に私たち

がどのような生活を送っているのか、理解

していただかなくてはなりません。

一週間が経過したものの、依然とし

て修道院の扉は閉じられたままだっ

た。

この井戸水を

飲みなさい。

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ついに

皆さんの献身は明らかだ。道を究める手助けをいたしましょう。お入りください。

驕りや反抗心は外に置

いていきなさい。修道院

で重要なのは従順な気

持ちです。

修道院長はエジプトのマカリオスと呼ばれた人物で、当時、キリ

スト教の霊的指導者として最も卓越した人物の一人であった。

ヴィアトールとユスト司教は洞穴

に住みながら、隠修士としての修練

期を過ごした。 ヴィアトールは隠修士として剃髪を受

けた。

そしてマントをかぶり、砂漠で

の新しい生活を始めた。

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隠修士たちはみな自らの才能を共同体のために

役立てていた。

籠を編むものもいれば

ヴィアトールのように聖典の筆

写に励むものもいた。

そしてそれらをアレクサンドリアの市場に

持っていって売り、

共同作業で得たお金でもって、種やパン、布などを買い求める

のであった。

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なかでも時折集まって聖歌を歌うことなどはヴィ

アトールが好きなことの一つだった。 年月は平和のうちに過ぎ去って行った。勤労の間、ヴィアト

ールとユスト司教が話す機会もたびたび訪れた。

いつかあなたの司教と

しての立場をお明かし

になるときはあるので

しょうか?

ここで私が求めているも

のは更なる謙虚さだけ じゃよ。

ある祝日のこと、すべての修道士たちは会

食のために一堂に会することとなった。 修道院長は私たち

に席に着くように

と仰せです。

共に入るとしよう。

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しかしテーブルにあるのはスープだけの時もあれ

ば、パンと水だけの時さえもある有り様だった。

ある時、エヴァグリオスという修道士は喉

が渇いた様子で言った。 修道院長、

お願い事が

あります。

マカリオス院長は近づき尋ねた。

ブラザー、何か言ってみるがよい。

水を少しここで飲んでもよろしいで

しょうか?

喉が渇いておるのだな?

外の日陰にいくがよい。

マカリオスはいかなる弱音も不服従も一切許さない厳格な人物であった。

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その時、入り口から一人の修道士が声を上げた。

恐れながら、院

長様。

ガリアの巡礼者たちが修道院に泊まらせてもらいたいといっております。

この聖なる場所の名前を聞き、リヨンか

ら参りました.

あなた方のように砂漠に暮らし、世俗を離れて、心を清めたい

と考えております.

修道士たちが持ち場に戻っ

てから話すことにしよう.

食事が終わり、修道士たちは沈黙のうちに退場を始めた.

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その時ユスト司教が前を通りかかった。

神父様!ここにおら

れましたか? この者を知っておるのか?!

この方は美徳と謙虚さで知られる リヨンの司教様です!

なぜ隠されておられた?あなたは司教様なのですか?

それは…

皆の者、灯台下暗しじゃ。ここに謙虚さの最高の模範があったではないか。

そして読師のヴィアトール

様には甥や姪が大変お世話

になりました。

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なぜお前もいままで自分のことを隠しておったのだ?

謙遜がイエスの道ですから。

この高貴なる弟子が生きるべき道

を示してくれたのだ。謙遜こそが

イエスの道なのだ。

神のご意思によりユスト司教とヴィアトー

ルの美徳は世界に知られることとなった。

ユスト司教が砂漠で生きていると

いう知らせはリヨンにも届いた。

司教様は聖

人だ。

聖人の鏡だ!

リヨン全体が沸き返った。

司教様は生きておられる!

リヨンを導くために戻ってこられるだろう!

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ヴィアトールにも戻ってきてほしい。イエス様のこと、もっと知りたい。

アンティオクスという司祭は約束した。 皆さん、私はユスト司教とヴィアトールを探しに行きます。

我々の喜びと帰国の願いを伝えて来よう。

二人をリヨンへ!

二人をリヨンへ返して来てください!

二人に万歳!

出発前、アンティオクスは言った。

神の御前で二人の帰還に全力を尽くそう。ユスト司教は私の教師であり、ヴィアトールは友なのだから。

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この時、ユスト司教は予言を授かった。

何と!

アンティオクスが来る、か。

毎日、アンティオクスの行動をユス

ト司教は報告した。 アンティオクスは船に乗ったようだ。

見えるのですか?

そうじゃ、船はアレクサンドリアに近づいておる。

ユスト司教はアンティオクスの動きを手に取るようにわかっているようだった。

いまはラクダに乗って砂漠を横断しておる。商人のキャラバン隊と一緒だ。

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三日以内に修道院へやってくるだろう。

予言はその通りになり、教師と弟子は再会した。

リヨンへお戻りを!

いや、ここを去るのは聖な

る道をあきらめることにな

る。リヨンへは戻らん。

神が我々をここへお遣わしになったのです。そのまま去ること

はできません。

お前もここへ残ったらどうだ。いつでも新しい仲間は歓迎だ。

マカリオス修道院長もアンティオクスをやさしく説得した。

彼らは正しいのが分かるだろう。

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聖なる生活に惹かれたアンティオクスも修道

院に残ることとなった。

しかしついに…

死が近い。 いままでになく神の声が

近づいておる。いままでず

っと聞いてきた声だ。

390年、ユスト司教は帰天された。ヴィアトールもすぐに司教の後を追って亡くなった。

1830年代になって、リヨンのルイ・ケルブ神父はカテキスト(教理教育者)

らからなる修道会を設立した。その守護聖人がヴィアトールである。彼の聖人

としての生涯は永遠に人々の記憶に刻まれている。10月21日が聖ヴィアトー

ル記念日となっている。

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聖ヴィアトール修道会

聖ヴィアトール修道会はフランス革命間もない 19世紀、フランスのヴールで誕生しまし

た。当時、政治は定まらず、社会不安が渦巻いていました。特に地方におけるキリスト教教育

はそのような状況のなかで顧みられることはなかったのです。

そこでルイ・ケルブ神父(1793ー1859)は聖ヴィアトール修道会を創設しました。青少

年に教育を施す必要性を感じたケルブ神父は、信仰深く学識に富む聖職者および世俗カテキス

トたちを地方の教区学校へ派遣することを考え出しました。同時に、教区の司祭を助けること

も役割のひとつでした。

1831年 11月 3日に司教が修道会を承認したことに続き、1838年 9月 21日には教皇

が修道会を承認しました。

聖ヴィアトール修道会の会章にはケルブ神父由来のシンボルが描かれており、IHSという文

字と十字架のシンボル、そしていばらの冠に沿って「Sinite parvulos venire ad me (子供

たちを私のほうへ来させなさい)」というモットーが刻まれています。

現在、聖ヴィアトール修道会はボリビア、ブルキナファソ、カナダ、チリ、フランス、ハイ

チ、ホンジュラス、イタリア、コートジボワール、日本、ペルー、スペイン、台湾に広がって

います。


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