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DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈― 原田 泰 大和総研 佐藤 綾野 高崎経済大学 独立行政法人経済産業研究所 http://www.rieti.go.jp/jp/

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Page 1: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

DPRIETI Discussion Paper Series 09-J-025

昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか―テイラールールとマッカラムルールによる解釈―

原田 泰大和総研

佐藤 綾野高崎経済大学

独立行政法人経済産業研究所httpwwwrietigojpjp

1

RIETI Discussion Paper Series 09-J-025

昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか

―テイラールールとマッカラムルールによる解釈―part

原田泰

佐藤綾野

要旨

戦間期の金融政策は今日のようにインフレを避けつつ景気安定を図るという目標を

持っていたのだろうかまた当時の金融政策は金本位制への復帰を目標としていたのだ

ろうか

本稿は鎮目(2002)を参考にしつつテイラールールとマッカラムルールを用いて

戦間期の金融政策が何を目標として行われてきたかを分析する鎮目の分析は年次デー

タによることでデータ数が限られ期間ごとの分析が困難になっていることなどの問題が

あるそこで私たちは月次データを用いることによって特定の期間に焦点を置いた

分析が可能になると考えた

テイラールールによる分析の結果鎮目と同じく当時の金融政策はインフレまたは

デフレを増幅させる方向で働いてきたことが分かったしたがって現実の金融政策を見

る限り旧平価で金本位制への復帰を目指す目標を立てていたとは考えられないまた

貿易収支為替レートなど対外均衡に考慮した金融政策がある程度は行われていたこと

も分かった

マッカラムルールによる評価でも同じような結論となるマネタリーベースの成長率

を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行って

いたら日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できるまた旧

平価で金本位制に復帰するためには物価を下落させるためにマネタリーベースを縮小し

なければならなかったがそのようなことはなされていなかった

金旧平価で本位制に復帰するとは物価水準を戦前にもどすことである不思議なこと

に戦間期の金融政策ではこのことが全く理解されていなかったように思われる

RIETI ディスカッションペーパーは専門論文の形式でまとめられた研究成果を公開し活発な議論を喚起する

ことを目的としています論文に述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり(独)経済産業研

究所としての見解を示すものではありません part 本稿は(独)経済産業研究所におけるプロジェクト「新しいマクロ経済モデルの構築および経済危機におけ

る政策のあり方」の一環として執筆されたものである 原田泰(大和総研 yutakaharadarcdircojp) 佐藤綾野(高崎経済大学 ayano-satotcueacjp)

2

昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか

―テイラールールとマッカラムルールによる解釈―+

原田泰

佐藤綾野

はじめに

第 1 次世界大戦から昭和恐慌とその脱却にいたる金融政策がどのような目標をもって

また実際にどのように行われてきたかという分析は極めて少ないように思われる当時

の金融政策についてはすくなくとも2つの疑問がある第 1 に当時の金融政策は現

在の中央銀行の常識となっているインフレを避けつつ景気安定を図るという目標を持っ

ていたのだろうかという疑問である第 2 には金融政策は金本位制への復帰を目標とし

ていたのだろうかという疑問である

1920 年代から 1930 年 1 月の金解禁にいたるまでは金本位制への復帰が政府と日銀に

とって重要な政策課題であった旧平価での金本位制への復帰とは第 1 次大戦時に上

昇した日本の物価を引き下げることを意味していたはずであるそうであるなら20 年代

の金融政策は物価を明白に低下させていくことを目標とするべきであったこのような政

策目標をもって金融政策が行われてきたのだろうか

本稿は鎮目(2002)を参考にしつつ戦間期の金融の金融政策が何を目標として行われて

きたかを分析する鎮目は戦間期日本の金融政策をテイラールールを用いて分析し

ているこれによれば日本の金融政策はインフレまたはデフレを増幅させる方向で働

いてきたこと1931 年の金本位制離脱後国内経済の安定に繋がる金融政策が可能であっ

たにも関わらずそのような金融政策運営が行われていたとは言えないことを示している

しかし鎮目の分析には年次データを用いていることでデータ数が限られ期間ごとの分

析が困難になっていることまた金本位制という通貨体制を問題にしながら為替レート

を説明変数に入れていないという問題があるそこで私たちは月次データを用いるこ

とで特定の期間に焦点を置いた分析が可能になること為替レートを説明変数に入れる

ことで金本位制への対応を直接分析することができると考えたさらにマッカラムル

ールを用いて金融政策を判断することとした

テイラールールによる分析の結果から鎮目と同じく戦間期日本の金融政策はイン

フレまたはデフレを増幅させる方向で働いてきたことが分かったまた貿易収支為替

+ 本稿は日本金融学会 2009 年度春季大会(2009 年 5 月 17 日)財務省財務総合政策研究所の研究会(2009年 5 月 27 日)内閣府経済社会総合研究所の研究会(2009 年 6 月 1 日)経済産業研究所の研究会(2009年 7 月 6 日)において報告したこれらの研究会において日本銀行金融研究所の鎮目雅人企画役財務

省の玉木林太郎国際局長財務省財務総合政策研究所の津曲俊英次長後藤元之次長内閣府経済社会総

合研究所の岩田一政所長岡田靖主任研究官堀雅博主任研究官矢野浩一主任研究官田口博之総務部

長経済産業研究所の及川耕造理事長冨田秀昭研究コーディネーター小林慶一郎上席研究員(肩書は

当時のもの)はじめ多くの方々から貴重なコメントをいただいたことを感謝しますこれらのコメントは

本稿を改善する上で本質的に有益であったもちろん残る誤りは筆者の責任である 原田泰(大和総研 yutakaharadarcdircojp) 佐藤綾野(高崎経済大学 ayano-satotcueacjp)

3

レートなど対外均衡に考慮した金融政策がある程度は行われていたことが分かったた

だし金融政策は長期的な物価下落目標や経済状況に応じて機動的に金融政策を行うとい

うよりも金利を平準化することに力を注いでいたように思われるこの期間は金本位制

への復帰を目指していたといわれるが現実の金融政策を評価してみるとそのような目

標を立てていたとは考えられない

マッカラムルールによる評価でも同じような結論となるマネタリーベースの成長率

を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行って

いたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できるこ

れはテイラールールによって当時の金融政策がデフレまたはインフレ促進的なもので

あったと評価されたことを別の方向から裏付けるものであるまた旧平価で金本位制

に復帰するためには物価を下落させるためにマネタリーベースを縮小しなければならな

かったがそのようなことはなされていなかったことも明らかになった

1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き

11 -第 1次世界大戦から昭和恐慌とその回復まで

戦間期の日本経済についてはすでに多くの著作によって説明されているが本稿の問題

意識との関連でごく簡単に説明しておく(以下の記述は中村[1981]中村[1993]原田

香西[1987]第Ⅰ部第 3章第 4章などに基づく)

戦間期の日本経済とは第 1 次世界大戦の後の経済である日本は第 1 次世界大戦には

ほとんど参加しなかったので欧州の戦乱に乗じて輸出を拡大させ経済を活況に導い

たしかし戦後の欧州復興需要が終ると日本企業は過大な設備を抱えて苦しむことに

なったここにさらに為替レートの過大評価という問題もあった輸出増加とともにマネ

ーサプライが上昇して物価が上昇したが為替レートは物価上昇ほど下落せず日本は割

高な為替の中で国際収支の赤字に悩むことになったまた戦時の混乱の中で日本は世

界各国と同様に金本位制から 1917 年 9 月に離脱したので(ほとんどの国が 1914-15 年に離

脱していたアメリカの離脱は 17 年 9 月)戦後金本位制への復帰という問題が政治課

題となっていた主要な月次データは 1919 年からしか得られないのでここでは年次デー

タを用いて第 1次大戦から戦間期の状況を説明することにする

図1は1910 年から 1940 年までの実質 GNPGNP デフレータ経常収支を示したもので

ある第 1 次大戦のブームで実質 GNP の成長率が上昇した後成長率が低下したこと30

年代の世界恐慌の影響(日本では昭和恐慌)は軽微だったことが分かる実質 GNP の成長

率はマイナスにならず成長率がもっとも低下した 31 年でも 04の成長となっている

ただしこの時期の実質 GNP の推計には過大推計ではないかという批判がある名目 GNP

を見ると昭和恐慌期に大きく落ち込んでいるのでこの批判はデフレータに関するもの

である宇都宮[2007] はこの期間の消費デフレータの下落率が大きすぎるとしているそ

こで図には宇都宮の再推計した消費デフレータを用いた実質 GNP 系列も示してある

4

この系列によればGNP の成長率は小さくなり31 年には 12のマイナス成長になるた

だこの再推計によっても世界大恐慌期における日本の成長率の低下は小さく日本は

世界恐慌の影響がもっとも軽微だった国の一つであるという事実は変わらない

またGNP デフレータから第 1 次大戦期に物価が大きく上昇した後20 年代はデフレ

ーションが続いていたことが分かるさらに30 年の恐慌時には物価が大きく下落してい

たこと物価の落ち着きとともに実質 GNP の成長率が回復したこと30 年代の後半にはイ

ンフレになったことが分かる

経常収支に着目すると第 1次大戦とその復興期に経常黒字が急拡大したことが分かる

ヨーロッパの戦乱に乗じて輸出を拡大した結果であるただし前述のように混乱が

収まると日本の輸出の急増は続かず経常収支赤字に悩むことになる

図 1 実質 GNPデフレータ経常収支などの動き

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

-10000

-5000

0

5000

10000

15000

20000

25000

1910 1912 1914 1916 1918 1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1934 1936 1938 1940

経常収支times10 実質GNP 宇都宮推計実質GDP GNPデフレーター

出所)大川一司『長期経済統計1国民所得』東洋経済新報社1974年大川一司『長期経済統計14貿易と国際収支』東

洋経済新報社1979年宇都宮[2007]注)経常収支は動きを分かりやすくするために10倍してあるGNPデフレータは右軸その他は左軸(単位100万円)

金本位離脱 関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

また第 1 次大戦期はインフレの時期でもあった図2は日本とアメリカの卸売物価指

数日本を基準とした日米の相対物価(いずれも 1910 年=100)為替レート(100 円当たり

ドルこれは当時の通常の表記法である)を示したものである図に見るように1917 年

から日本の物価は激しく上昇し1921 年には 1910 年を 100 として 300 近いレベルにまで上

昇したその後20 年代は物価が下落するデフレ状況になっていたアメリカの物価も

上昇していたが日本ほどではなかったので日米相対物価は下落していた為替レート

は当然下落しなければならなかったが高いままにあったこれは日本が戦前の水準で金

5

本位制に復帰するだろうとの予想があったからであるグラフから見ると1929 年には

日本の為替レートはドルに対してほぼ3割切り下げる必要があったがこの割高なレート

で 1930 年 1 月日本は金本位制に復帰したことになる(当時小汀[1929]は1~2割石

橋[1929]は 2 割の切り下げが必要としていたがこれは当時の日米物価の相対的な動きか

ら得られたものだった)

図2 日米物価と為替レート

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

200

0

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100

150

200

250

300

350

日本卸売物価 アメリカ卸売物価 日米相対物価 為替レート

出所)日本銀行「本邦経済統計」BRミッチェル斎藤眞監訳『マクミラン 新編世界歴史統計[3] 南北アメリカ歴史

統計19750‐1993』東洋書林2001年注) 為替レートは右軸(単位USドル100円)その他は左軸 (1910年を100とした場合)

金本位離脱 関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

12 金解禁論争と政治の動向

このような状況で1920 年代には金本位制に復帰するという金解禁政策が政治的課題

となっていたこの間の金解禁論争は(1)金本位制の下で国際競争力を維持するためには

物価を下落させても本来の金平価(第 1 次大戦前の平価)に戻るべきという議論(旧平価

解禁論)と(2)金解禁を行うのであれば国内経済の安定に重点を置いてすでに上昇し

てしまった物価を前提とした新しい平価で戻るべきという議論(新平価解禁論)が対立し

ていた(この論争については若田部[2004]中村[2004]田中[2004]が詳しい)1現実に

1 国際連盟の主催で金本位制の復活に関する国際会議が1920 年(ブリュッセル会議)と

22 年(ジェノア会議)に開催されているブリュッセル会議は専門家のジェノア会議は政府

代表の会合であるただし決議はほぼ共通しており復帰する平価の水準に関しては旧平価

で復帰するか新平価で復帰するかは各国が決定すべきこととされていた(日本銀行[1983]第 5章3)

6

は民政党浜口雄幸内閣の井上準之助蔵相の下で 1930 年 1 月に旧平価解禁が行われ日本

は激しいデフレとなって昭和恐慌に突入するその後犬養毅政友会内閣の高橋是清蔵相

の下で金輸出が再禁止され日本は 31 年 12 月(正式には 32 年 1 月)金本位制から離

脱しデフレも収まり景気は急回復する29 年から 31 年の激しいデフレと昭和恐慌デ

フレ脱却と景気回復は前掲の図1にも明らかである

この論争で残念なのは旧平価での解禁は国内物価を下げることであるということが国

民に理解されていなかったことだもちろん旧平価解禁論者はそれが財界整理不況

をもたらすことを理解していたがどれだけの物価下落が必要かそのためには賃金も下

げなくてはならないことを理解していたとはとうてい考えられない確かに「当時の経済

政策を支配していた思想は正統的保守的であってこれは 1920 年代を通じて政府が

戦前平価で金本位制を再開することからも明白である」(佐藤和夫[1981]24 頁)とされる

問題はそれが何を意味するかを正統派保守派が理解していたとは思われないことだ2

旧平価解禁論が真剣なものであったのなら20 年代初期に高騰した物価を20 年代を通

じて下落させていくことが金融政策の課題でなければならないがそのような金融政策は

行われていたのだろうか本稿ではテイラールールとマッカラムルールを用いて

この問いに答えることとするがその前に日本の金本位制復帰への政治的な動きを概観

しておきたい

第 1 次大戦期の混乱が収まり主要国が金本位制に復帰するにつれて日本も金本位制

に復帰するべきだと議論が盛んになり金解禁すなわち金本位制復帰が日本の政策課題と

なったしかし当時の言論や政府高官の発言を見るとかならずしも一直線に金解禁を

目指すという議論が盛んだった訳ではない金解禁論争とはアメリカが金本位制に復帰

した1919年から現実に金解禁が決定される1929年まで10年にわたる論争だったのである

以下日本銀行[1983](第 5 章3第 6 章2)石橋[1929]により金解禁を巡る動きを

簡単に整理しておこう

世界の動きを見れば前述の 19 年のアメリカの旧平価での復帰に続いて24 年にはドイ

ツが新平価で(ドイツは金兌換を実施しておらず不完全なものだった)25 年にはイギリ

スが旧平価で27 年にイタリアが28 年にはフランスがそれぞれ新平価で金本位制に復

帰したフランスの復帰によって主要国のなかで復帰していないのは日本だけとなり

このことも日本の金解禁への動きを促進したと思われる金解禁論争は他国の復帰に刺激

を受けた論争でもあった

1919 年にはアメリカの復帰に刺激を受けて東洋経済新報などで金解禁論が唱えられ

たが政府の反応は低調であったこの理由として大戦後には対中国投資が盛んにな

りその際日本が影響力を持つために金準備を蓄積しておく必要があったからであると

2 ただし当時日本銀行理事副総裁を歴任していた深井英五はこの問題を理解していた

深井は「金本位を回復する為めに所謂貨幣の単位の切下を行うか(すなわち新平価解禁‐筆者

注)然らざれば通貨の縮小を図らなければならぬ」と書いている(深井[1928]第 9 章第 5 節単

位の切下げか通貨の縮小か)

7

されている(石橋[1929])1922 年ごろになると物価調整の見地から金解禁論が唱えられる

ようになった物価が第 1 次大戦の水準に比べると倍になっておりアメリカの物価に

比べても 4 割高い水準にあったこの割高の水準を金解禁通貨収縮のメカニズムによっ

て是正せよというのである確かに加藤友三郎内閣(22-23 年)は通貨縮小物価引き

下げの意志を示してはいたしかしその動きは 23 年 9 月の関東大震災によって葬られた

1925 年のイギリスの金解禁によって再び金解禁の動きが盛り上がったが当時の浜

口蔵相の発言によれば財界の整理安定を図り外国貿易の逆調を制し国際貸借を改善

しその結果として金解禁すると述べている(浜口雄幸「金融制度の整備と国際貸借につ

いて」(『銀行通信録』第 81 巻第 484 号1926 年 5 月 8日引用は日本銀行[1983]148 頁)

これは 22 年ごろの金解禁論とは政策の因果関係を逆にするものだっただが27 年の金融

恐慌により金解禁への動きはまったく頓挫したしかし 29 年になると財界においても金

解禁を求める声が高まり新たに政権についた浜口民政党内閣の下で金解禁が実施され

ることになるただしこの金解禁を行うための準備について当時日銀副総裁であった

深井英五は金解禁が不景気を忍ばなければならないことを大衆に理解させていたかに疑

問を呈している(深井英五『回顧七十年』岩波書店1941 年242-243 頁)

以上概括してみれば金本位制へ復帰しようという動きはあったが19 年から 29 年に

かけて 9 代の交代を経験した内閣を通じて金解禁とは通貨の収縮によって不況をもた

らし物価を引き下げることであるという理解の下に一貫した政策が行われていたとは信じ

がたいただし金解禁への動きが度々予想されていたので旧平価での金解禁の実施を

予想して為替が上昇しており(1923 年から 27 年にかけて為替は下落していたがそれ以外

はほぼ旧平価の水準にあった)それを通じて経済にデフレ圧力が現れていたのが 1920 年

代の経済と解釈できるだろう

ここで私たちの分析に戻ってまずテイラールールの分析から始めたい

2テイラールールによる金融政策の評価

21 テイラールールの意味と定式化

テイラールールとはGDP ギャップと現実のインフレ率と目標インフレ率の差に対して

金利をどの程度動かすべきかという金融政策について Taylor[1993]が提唱したルールであ

る金融政策当局が現実にどのように金融政策を行っているかを表すものとして様々に

実証されている日本における実証としては地主黒木宮尾[2001]などがあるが戦前

期の金融政策に適応したのは鎮目[2002]のみと思われる

テイラールールとは以下の式で表わされるものである

( )tart t t t ti x rπ α β π π= + + minus + (1)

8

この式においてiは政策金利π はインフレ率xは GDP ギャップπtarは目標インフレ

率rは均衡実質利子率を表しているテイラールールは(1)式に示されるように政

策金利の決定を物価と景気(GDP ギャップ)を睨みながら行われていることについてのルー

ルであるすなわちGDP ギャップが正の方向に動けば(景気が良くなれば)金利を引上げ

(αはプラス)インフレ率が目標インフレ率よりも高まれば金利を引き上げる(βはプラ

ス)というルールであるここでは目標インフレ率も均衡実質金利も分からないので

(1)式を変形して

( ) (1 )tart t t ti r xβπ β π α ε= minus + + + + (2)

を推計するここでベータが1以上であれば物価が望ましい水準よりも高くなれば物

価上昇率以上に金利を上げて物価上昇を抑えるというルールを適用していることになる

このような推計を行うことについて当時テイラールールなどという概念がなかった

のだから意味がないという批判があるかもしれない(これは3のマッカラムルールに

ついても当てはまる)しかしテイラールールとは景気が過熱するかインフレが高進

したら金利を引き上げ景気が悪化するかデフレになったら金利を引き下げるという素朴

なルールでありこのような考えは当時も広範に理解されていたと思われる在野のエコ

ノミストとして活躍していた高橋亀吉は「金利政策とはhellip物価が思惑的に騰貴し過ぎ又

は企業が投機的に濫設せられる惧れありと見ればこれを抑え物価が恐慌的に下落し過ぎ

たと見れば金利を引き下げて其の下げ足を止めるの類である」と書いている(高橋

[1929]190 頁)また日本銀行の要職を歴任していた深井英五(1918 年日本銀行理事1928

年日本銀行副総裁1935-36 年日本銀行総裁1937 年貴族院議員1938 年枢密顧問官)も

「(通貨調節の趣旨は)通貨の数量の過不足より来る通貨の価値の変動を防ぎなるべくそ

の安定を図ることhellip所謂景気の変動を緩和しその循環を成るべく円滑にすること」と

書いている(深井[1928]467 頁)(ただし両者とも上記の考えを実践する上での難しさ

は認めている)したがって素朴な意味のテイラールールは常識として理解されていた

と言ってよく当時の金融政策をテイラールールによって評価することは意味があると

考えられる3

22 戦前期のテイラールールについての先行研究

戦前期のテイラールールを推計した研究としては既に鎮目[2002]がある鎮目は

戦間期日本の経済変動に対して金融政策がどのように反応してきたかをテイラールー

ルを用いて分析しているこの分析によればこの間の日本の金融政策は(1)インフレ率

3 本稿の目的は日本銀行の行動を評価することではない当時日銀は政府から独立しておら

ず日銀の政策を単独で評価することは意味がない本稿で評価するのは総体として金融政策

を形作った日本銀行大蔵省政治家等当時のエリートたちが総体として行った政策である

9

の関係で見ると経済変動を増幅させる方向で働いてきたこと(2 金融政策は金本位制

という通貨体制と密接に関係しており国内経済の安定を犠牲にして為替レート目標を追

求してきたことを示しているさらに(3)1931 年の金本位制離脱後国内経済の安定に繋が

る金融政策が可能であったにも関わらずそのような金融政策運営が行われていたとは言

えないことを示している

私たちも戦間期の金融政策について昭和恐慌前後の時期に焦点を当てて分析を続

けてきた(原田中澤[2004]原田[2005]原田佐藤中澤[2008])鎮目の分析は年

次データを用いているので戦間期全体の金融政策を分析できるが昭和恐慌前後ある

いは第 1 次大戦直後など特定の時期に焦点を置いた分析とはなっていないそこで私

たちは月次データを用いることで特定の時期に焦点を置いた分析が可能になるとと考

えたまた鎮目は金本位制という通貨体制を問題にしながら為替レートを説明変数

に入れていないこれも私たちがさらなる分析が必要と判断した理由である

23 データの説明

戦間期の経済データは主に日本銀行「本邦経済統計」東洋経済新報社『経済統計年鑑』

大蔵省「大蔵省年報」一橋大学経済研究所日本経済統計文献センター統計資料シリーズ『景

気指数1888~1940 年』などから得ることができるここで用いるデータは1926 年 1 月

から 1936 年 12 月までのコールレート卸売物価指数鉱工業生産指数為替レート貿

易収支でありこれらの定義と出所を表1に整理しておく(ここで3のマッカラムル

ールの推計で用いるデータについても定義と出所を示しておく)

表 1 使用データ(月次)の出所

変数名 出所

コールレート 日本銀行『本邦経済統計』

鉱工業生産指数 東洋経済新報社『経済統計年鑑』各年版

卸売物価指数

藤野正三郎五十嵐副夫『景気指数1888~1940 年』一橋大

学経済研究所日本経済統計文献センター統計資料シリーズ

No2

為替レート 日本銀行「本邦経済統計」外国為替相場(横浜正金銀行建値)

ニューヨーク電信平均

貿易収支 輸出-輸入大蔵省「大蔵省年報」各年版

マネタリーベース

大蔵省理財局編『金融事項参考書』日本評論社(日本銀行兌換

券差引流通残高と日本銀行預金貸出金残高表「一般預金」の和)

及び 藤野五十嵐前掲書

10

現金通貨 藤野五十嵐前掲書

ニューヨーク卸売物価 日本銀行調査局『外国経済統計』

ニューヨーク市中金利 日本銀行調査局『外国経済統計』

ロンドン市中金利 日本銀行調査局『外国経済統計』

正貨準備高 日本銀行調査局『本邦経済統計』

これらのデータはなじみのないものであるのでそのグラフを図3図4に示しておく

鉱工業生産指数は 1930 年 1 月を 100 としているコールレートおよび卸売物価指数による

インフレ率(前年同期比)の単位は為替レートは 100 円当たりの 1 ドル価格貿易収支

は 100 万円単位であるまた鉱工業生産指数卸売物価指数および貿易収支を構成する輸

出と輸入は X12-ARIMA によって季節調整を行っている貿易収支は輸出輸入を季節調整

して差を取ったものである

図 3 使用データ(月次)のグラフ鉱工業指数貿易収支為替レート

-16E+08

-14E+08

-12E+08

-1E+08

-8000000

-6000000

-4000000

-2000000

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20000000

40000000

60000000

0

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60

80

100

120

140

160

180

200

貿易収支 鉱工業生産指数 為替レート

注)鉱工業生産指数と為替レート(ドル100円)は左軸貿易収支は右軸

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

11

図 4 使用データ(月次)のグラフインフレ率コールレート

0

2

4

6

8

10

12

-100

-50

0

50

100

150

200

1919M01

1919M05

1919M09

1920M01

1920M05

1920M09

1921M01

1921M05

1921M09

1922M01

1922M05

1922M09

1923M01

1923M05

1923M09

1924M01

1924M05

1924M09

1925M01

1925M05

1925M09

1926M01

1926M05

1926M09

1927M01

1927M05

1927M09

1928M01

1928M05

1928M09

1929M01

1929M05

1929M09

1930M01

1930M05

1930M09

1931M01

1931M05

1931M09

1932M01

1932M05

1932M09

1933M01

1933M05

1933M09

1934M01

1934M05

1934M09

1935M01

1935M05

1935M09

1936M01

1936M05

1936M09

卸売物価指数(前年同期比左軸) コールレート(右軸単位)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

本稿の目的であるテイラールールの推計では説明変数として GDP ギャップを用いる

がGDP は月次データでは入手できないのでここではGDP 1hp

IIPIIP

= minusギャップ を鉱工業

生産指数 IIP と IIPhpはのギャップで作成しているIIPhpは「潜在 GDP」の代理変数である

「潜在生産指数」で表わしており鉱工業生産指数に HP フィルター(Hodrick-Prescott

filter)をかけることによって作成した4作成した GDP ギャップは図5である

この GDP ギャップが実態と合っているかを考察するためにここで作成された GDP ギャ

ップの動きと藤野[1965](第 2-3 表)の認定した景気循環クロノロジーと比較してみる

藤野によれば1915 年 2-3 月~1920 年 1-2 月が拡張期21 年 5 月までが縮小期29 年 2

月までが拡大期31 年 7 月までが縮小期それ以降が拡大期となっているまた良く知

4 本稿では潜在 GDP 作成に際しHodrick and Prescott [1997以降 HP フィルターと呼ぶ]に

よるフィルタリング関数のスムージングパラメータλ=1166400 を選択してトレンドを抽出し

ているここでは報告されていないがHP フィルターのλ=12960014400移動平均のラグと

リードに関して対称な加重を計算するフィルタリング関数をもつ Baxter and King[1999]およ

び移動平均の加重に関して非対称な加重を許す Christiano and Fitzgerald [2003CF フィルタ

ー]を用いて比較検討しているCF フィルターでは季節調整済みの IIP 系列が単位根過程に従

っているためChristiano and Fitzgerald[1999]に従って平均なしトレンドなしドリフ

トなし平均トレンドドリフト全てなしの 4種類を使用して検討を行っている 終的に藤

野[1965]の景気循環周期と整合的になるように HP フィルターのλ=1166400 を選択したこれら

の結果を入手したい場合は筆者に連絡されたい

12

られているように20 年には第 1次世界大戦の終結による国際的経済反動があり23 年に

は関東大震災があり27 年には金融恐慌があった作成した GDP ギャップはこれらの変

動を基本的には捉えていると言えるだろう

さらに失業率の動きを前掲の図5に示す(失業率は内務省社会局社会部職業課「失業

状況推定月報概要」による)図に見るように失業率のデータがあるのは 1931 年 1 月か

ら 33 年 12 月までであるがその間の GDP ギャップと失業率の動きは正負逆でGDP ギャッ

プの変動が大きいという問題はあるがほぼ同じように動きをしているまた失業率の

動きが GDP ギャップの動きに遅れていることも雇用が景気の遅行指標であるという今日

の常識に照らして合理的であるしたがってHP フィルターで作成した潜在生産指数およ

び GDP ギャップも景気変動を反映した適切なもの判断できるだろう

図 5 使用データ(月次)のグラフGDP ギャップ

0

01

02

03

04

05

06

07

08

09

1

-20

-15

-10

-5

0

5

10

15

20

GDPギャップ lambda=1166400 藤野(1965)の景気後退期 失業率(単位)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

24 テイラールールの推計

241 推計結果

(2)式の推計結果は表2の通りである推計期間は全サンプルがそろう 1919 年 1 月か

ら 1936 年 12 月である36 年を終わりとしたのはそれ以降は軍の圧力によって政策が行

われ金融政策の自立的な動きを議論することはできないと考えたからである推計方法

は 小二乗法を使用しているなおダービンワトソン統計量からは系列相関が疑われるた

13

め 小二乗推定量が有効性を持たない可能性があるので標準誤差を Newey-West の方

法によって修正を加えて t検定を行っている5

推計結果の解釈としては1 β+ の推計値 0016 からβ は-0984 でありインフレ率が

目標インフレ率よりも高まれば金利を引き下げ逆にインフレ率が目標インフレ率よりも

低ければ金利を引き上げるという物価を不安定にするデフレ的な金融政策を採用していた

ことになる(インフレの時はインフレ促進的になる)ましてβはほぼマイナス1である

のでかなりインフレまたはデフレ促進的な金融政策を行っていたことになるこれを現

実の経済情勢に当てはめれば20 年代のデフレ期ではデフレ促進的な金融政策を行い30

年代のインフレ期ではインフレ促進的な金融政策を行っていたことになるただしこの

係数は 10レベルでも有意ではない

なお物価を下落させることを目標としてもデフレ促進的でなく長期的な目標をも

ってテイラールールに基づいて物価を下落させることができることを念のために指摘し

ておくすなわち物価上昇率の目標レベルを低くすれば目標より物価が上ったときは

引締め下がったときは緩めるという物価安定的でかつ長期的に物価を下落させる方法

は可能でありまたその方が望ましいだろう

一方α は 0108 なので GDP ギャップが正のとき金利を引き上げる景気安定的な政策を

とっていたことになるただしα は 10で有意であるが係数が小さいので(GDP ギャ

ップがマイナス 10でも金利を108下げるだけ)景気安定化効果が大きかったとは言え

ないだろう

表 2 (2)式のテイラールールの推計結果

係数

定数項 r -βπ tar 4669

(17711)インフレ率 1+β 0016

(0823)GDPギャップ α 0108

(1679)R2 0085自由度調整済みR2 0077標準誤差 1855DW統計量 0258

注)( )内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

全期間1919年1月~1936年12月

5 本稿には載せていないがここでは 尤法による推計も行っている 尤法による推計では誤

差項に正規分布を仮定した場合 小二乗推定値とほぼ等しい推定値でかつ漸近的 t値からが

1 β+ が 10αが 1で有意であることが確認されている

14

さらにサンプル期間を1930 年の昭和恐慌期を含む期間と含まない期間に分けて推計を

行う具体的には1919 年 1 月から 1931 年 12 月までと1932 年 1 月以降から 1936 年 12

月までの 2 期間に分割して(2)式の推計を行う金融政策は1931 年 12 月以前は金本位制

への復帰を求めていたがそれ以降は金本位制を離脱し金本位制に制約されることがな

くなったと考えての分割である(金本位制からの離脱は 31 年 12 月正式には 32 年 1 月)

推計結果は表 3 に示しているここでも標準誤差を Newey-West の方法によって修正して

いる

表 3 期間分割後のテイラールールの推計結果

係数 係数

定数項 r -βπ tar 5450 定数項 r-βπ tar 3113

(22627) (10790)インフレ率 1+β 0057 インフレ率 1+β -0009

(3877) (0644)GDPギャップ α 0061 GDPギャップ α -0182

(0898) (2307)R2 0313 R2 0175自由度調整済みR2 0304 自由度調整済みR2 0146標準誤差 1542 標準誤差 0862DW統計量 0475 DW統計量 0241

注)( )内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1931年12月 (2)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

推計結果表3-(1)を見ると1919年1月から1931年12月において(1+β)が1で有意であ

あるまた値は00567でありこれから1を引くとβ =-0943となる (1)式から考える

と物価が目標インフレ率以上に上昇したときには政策金利をほぼ物価上昇率と同じだ

け引き下げるという政策を行っていることがわかるこの期間はほぼ物価が下落してい

たのでデフレ促進的な政策を採っていたことになる

GDP ギャップに関しては有意ではないがギャップが1ポイント縮小すると政策金利

を 0061引き上げるすなわち景気が拡大したときには政策金利を引き上げるという景

気変動抑制的な政策が行われていたことがわかるもちろんその係数は小さいので実

際にどれだけそのような効果があったかは分からない

表3-(2)で1932年1月から1936年12月の推計結果をみる物価の係数(1+β)-0009か

ら1を引くと-1009となり物価が上ると金利を引き下げるという政策をとっていたこ

とが分かるこの期間は物価が回復または上昇していた時期であるのでインフレ促進的

な政策を行っていることがわかる

GDP ギャップに関しては 5で有意でありギャップが1ポイント縮小すると政策金

利を 0182 引き下げるという景気変動拡大的な政策が行われていたことがわかるただし

15

その係数は小さいので効果も小さかったと思われる

これらの結果を鎮目[2002]と比べるとインフレ促進的またデフレ促進的な政策が行

われていたということについては共通しているGDP ギャップについて 32 年以降マイナス

になるというのも鎮目と共通であるただし本稿の推計した係数値は鎮目に比べてき

わめて小さい

242 区間分けについての確認

これまでの期間分割は暫定的なものであったこの区間分割が合理的なものであるかを

どうかを確認するために逐次回帰法(recursive least squares)を行った結果が図6で

ある6

図6で 1+βαの動きをみると30 年以降に大きく動いておりこの期間分けは合理的

なものだったと分かる

図 6 逐次回帰推計

-08

-04

00

04

08

12

16

1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1934 1936-1

0

1

2

3

4

1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1934 1936

25 政策反応までのラグ

これまでの分析は当期の物価景気貿易収支為替が金融政策に影響を及ぼすとし

ていたしかし為替はともかく物価景気貿易収支については認知のラグがあり

また経済情勢を慎重に見極めながら政策を行っていると考えられるそこでここでは次

のようなモデルについて推計を行うことにする

6 ここで使用した逐次回帰法は推計期間として 1から説明変数の個数より大きいサンプル数を

選び係数を推計し次は 終期を 1期追加して係数を推計といった手順を繰り返す手法である

詳しくは森棟(1999)4 章を参照のこと

1+β α

16

1 1

1 1

0 0

( ) (1 )tart p t p q t q t t

p q

i r x iβπ β π α λ εminus minus minus= =

= minus + + + + +sum sum (3)

ここでは p=0 q=0 のケースp=0 q=1 のケースp=1 q=0 のケースp=1 q=1 の

ケースについて推計を行った結果自由度修正済み決定係数および赤池情報基準によって

モデルを選択すると全期間を対象とした場合は p=1q=0金本位離脱以前を対象期間に

した場合では p=q=1金本位離脱以降を対象とした場合では p=0 q=0 が選択されるした

がってここでは各期間において選択されたラグ(pq)に従って推計を行うスペースの節約

のため選択されたモデルの結果のみを表4に示す推計方法は 小二乗法を使用して

いる

17

表4 政策反応までのラグ

(1)全期間1919年1月~36年12月

(p=1q=0)

係数

定数項 r-βπ tar 0612

(3895)

当期インフレ率 (1+β )0 0042

(2220)

前期インフレ率 (1+β )1 -0047

(2463)

当期GDPギャップ α 0 0042

(2436)

前期の金利 λ 1 0867

(28290)

R2 0789

自由度調整済みR2 0785標準誤差 0895

DW統計量 2756

(2) 金本意離脱前1919年1月~31年12月(3) 金本意離脱後1932年1月~19年12月

(p=1q=1) (p=0q=0)

係数 係数

定数項 r-βπ tar 1392 定数項 r -βπ tar 0364 (3907) (2348)

当期インフレ率 (1+β )0 0076 当期インフレ率 (1+β ) -0002

(3149) (1048)

前期インフレ率 (1+β )1 -0066 前期インフレ率 (1+β )1

(2682)

当期GDPギャップ α 0 0022 当期GDPギャップ α 0 -0004

(0661) (0321)

前期GDPギャップ α 1 0009 前期GDPギャップ α 1

(0338)

前期の金利 λ 1 0748 前期の金利 λ 1 0867

(12691) (15181)

R2 0719 R2 0933

自由度調整済みR2 0710 自由度調整済みR2 0929

標準誤差 0997 標準誤差 0248

DW統計量 2643 DW統計量 2594

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法

によって修正を加えている

表4(1)の全期間を対象とした場合全ての変数が5で有意であるまた1+β の推計値か

ら計算されたβ は全て負となりインフレまたはデフレ促進的な政策が行われていたと解

釈されるGDPギャップについてはα が正であるが係数の値は非常に小さい一方金利

の平準化の程度を示す 1λ の係数は大きい

金本位制離脱以前の推計結果表 4(2)ではGDP ギャップの係数以外が有意である推計

18

された係数の値をみるとこの時期のβ も表 4(1)の全期間を対象とした値とあまり変わ

らないが 1λ はやや小さくなっているこの時期政策策定者は金利を平準化しつつイン

フレを促進するような政策をとっていた可能性がある

後に金本位制離脱以後の推計結果表 4(3)からは 1λ 以外は有意ではない

すなわち全期間を通していえることは金利の平準化の要素が強くまたインフレおよび

デフレを是認あるいは促進的な政策となっていた係数の値はいずれも小さくλの係数

をコイック型のラグと考えてそれぞれの係数を 1(1-λ)倍しても小さい

3拡張テイラールール

31 拡張テイラールールの定式化先行研究データ

これまでの結果は物価については鎮目[2002](図表7)とも共通であり物価を不安

定にする金融政策が行われていたことになるさらに鎮目では GDP ギャップの係数は 31

年までは正であり景気変動抑制的だったが32 年以降は負となり景気変動を拡大する

ような金融政策が行われていたことになる本稿の GDP ギャップの係数も正から負に変わ

っているただしいずれにしろその係数は小さいので景気変動を抑制するように金融

政策が行われていたとは言えない

以上の結果はむしろ戦間期の金融政策は金融政策は国内の経済安定に重点を置い

て物価と景気を見ながら行うべきというテイラールールでは説明することが難しいと解

釈すべきだろうこれは鎮目の結果とも共通しているそこで次に戦間期の金融政策は

経常収支為替レートの安定など対外均衡に重点を置いて行われていたのではないかと

いう常識に従いテイラールールを拡張して金融政策が経常収支や金外貨準備や海外

金利にも影響されて行われていたとする鎮目[2002]はテイラールールに金外貨準

備海外金利経常収支資本収支を加えている月次で資本収支(およびその代理変数)

のデータを得ることはできなかったので我々の推計式は鎮目[2002]を参考に

1 2 3 4 5 6( ) (1 )tar

t t t t t t t t ti r x TB S NYP fori reserveβπ β π α α α α α α ε= minus + + + + + + + + +

(4)

とする

ここで月次の経常収支はデータが得られないため輸出入の差を名目GDPで割った貿易収

支比率TBを使用している(ここで用いている名目GDPは鉱工業生産指数times卸売物価指数で

ある)貿易収支比率は実際の名目GNPで修正している7またSは為替レートの変化率を

7貿易収支比率 TBは具体的には以下である

1928t1928 GNP( ) 100

1928 t GDP( )GDP( ) 1928

tTB = times times

年の貿易収支合計

期の貿易収支年の名目 大川推計

月次貿易収支の 年平均 期の名目 の代理変数

月次名目 の代理変数 の 年平均

19

示しており値が増えるのが円高である8ニューヨーク物価NYPはニューヨークの卸売物価

指数の前年同月変化率()であるforiは外国の市中金利()を示しニューヨーク金利

あるいはロンドン金利のいずれかである貿易収支が赤字に円の為替レートが下落すれ

ば金利は引き締められるニューヨークの物価が下落すれば日本の金融も引き締めざ

るを得ないニューヨークまたはロンドンの金利に追随するしかないと考える正貨

reserveは金本位制であればこれが増大すれば金融を緩和し減少すれば金融を引き締め

ることになる(ただし正貨は21年3月から29年3月までのデータしかない)また正貨は

1924年1月から11月1925年289月のデータが欠損しているので線形補間によってデ

ータを補っている9

符号条件は貿易収支比率為替レート変化率ニューヨーク物価上昇率正貨が負

ニューヨークおよびロンドンの金利が正である

以上で為替レートニューヨーク物価が鎮目[2002]の分析に対し新たに追加した変

数である

ここで新しく追加した変数貿易収支比率と為替レートと名目GDPの代理変数とニュー

ヨーク物価とニューヨーク金利とロンドン金利と正貨準備を図7図8図9に示してお

くここで名目GDP(その代理変数)は鉱工業生産times卸売物価指数である

8第1節と同じように為替レートの水準は 100 円当たりのドルで表しているので変化率

に修正しても値が大きくなると円高を示すことになる 9 また日本銀行調査局『本邦経済統計』では1922 年 11 月の正貨準備高の値が 1386957540円と記載されているが前後月の数値から判断して 1836957540 円の誤記と推測し修正を加

えている

20

図 7 コールレートニューヨーク市中金利ロンドン市中金利

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

200

0

2

4

6

8

10

12

14

16

18

コールレート(右軸) ニューヨーク市中金利(右軸) ロンドン市中金利(右軸)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

図 8 貿易収支比率為替レート変化率名目 GDP(対数値)

0

2

4

6

8

10

12

14

-50

-40

-30

-20

-10

0

10

20

30

貿易収支比率 為替レート変化率 名目GDP

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

21

図 9 正貨準備高ニューヨークインフレ率

0

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

-60

-40

-20

0

20

40

60

正貨(単位億円) ニューヨークインフレ率(卸売り物価指数)

なお追加した説明変数貿易収支比率為替レートニューヨーク物価ニューヨー

ク金利ロンドン金利正貨準備が独立でないという問題があるうちニューヨーク金

利とロンドン金利は同時には入れず他の変数と代替的に入れることとするそれでも

貿易収支比率と為替レートが独立ではないという問題があるかもしれない単純に為替

レートが割安であれば経常収支が黒字に動き割高であれば経常収支が赤字に動くという

メカニズムによって為替レートと経常収支が独立ではないということになる

また為替レート関数の推計において自国と他国の物価マネーサプライ金利生

産に加えて経常収支またはその累積を説明変数に入れるのが通常であることを考えれ

ば当然に問題となるしかし多くの推計で為替レートに対して経常収支またはそ

の累積の説明力はそれほど高くはない10

ちなみに変数間の相関行列を取ると表5のようになる(推計期間は正貨を含む変数間

は 1919 年から 1929 年 3 月それ以外の変数間は 1919 年 1 月 1936 年 12 月まである)貿

易収支比率と為替レートの相関を取ると相関係数は 0029 でありマルチコリニアリティ

10 深尾[1983] (167 頁)は日本の米国に対する 100 億ドルの経常黒字は 64の円高ドル

安要因になるとしているこれは大きな効果だがその後の推計によると経常収支黒字が円高

をもたらす効果は大きくはない河合[1986](第 94 表214 頁)によれば経常収支累積額が

1の上昇は実質為替レートを 0068~0163上昇させるにすぎないその後も同様の推計

がなされているが(経済企画庁[1997]第 1-2-1 図③経済企画庁[1999]付図 1-5-2原田[2004])いずれの推計においても経常収支が為替レートに与える影響は大きなものではない

22

の問題は避けられていると判断できる当時のデータで為替と貿易収支の相関が弱い理

由として金解禁への動きが度々予想されていたので為替レートが貿易など実態経済

の状況にかかわらず高騰していたこともあげられる表 5 から説明変数間で(被説明変

数のコールレートを除く)相関係数の絶対値が 04 以上のものを上げると卸売物価と GDP

ギャップ卸売物価とニューヨーク卸売物価GDP ギャップとニューヨーク卸売物価ニュ

ーヨーク金利とロンドン金利貿易収支比率とコールレートがそうである卸売物価と GDP

ギャップはテイラールールの基本的な説明変数なので両者をともに入れるがニューヨ

ーク金利とロンドン金利については代替的にも推計することとする

表5 拡張テイラールールで使用された変数の相関行列

コールレート

インフレ率GDPギャッ

プ貿易収支比

率為替変化

率NYインフレ

率NY金利

ロンドン金利

正貨準備変化率

コールレート 1000 0222 0293 -0441 -0112 0082 0437 0264 -0113

インフレ率 1000 0437 0046 -0024 0482 0198 -0340 -0005

GDPギャップ 1000 -0056 0205 0605 0246 -0119 0042

貿易収支比率 1000 0029 0189 -0182 -0252 0183

為替変化率 1000 0259 0023 0019 0058

NYインフレ率 1000 -0071 -0378 -0084

NY金利 1000 0649 0291

ロンドン市中金利 1000 0092

正貨準備変化率 1000

32 拡張テイラールールの推計結果

推計期間は貿易収支が入手可能な1926年1月から1936年12月までの全期間と上述の(2)

式と比較するために1931年12月までとそれ以降の期間とする推計結果は表6の通り

である推計については上記3つの推計期間において 小二乗法を行っている新しく追

加した変数貿易収支比率為替レートの変化率ニューヨーク卸売物価上昇率ニュー

ヨーク金利ロンドン金利正貨準備の変化率の単位はである推計に当たっては系

列相関が疑われるためNewey-Westの方法によって標準誤差の修正を行っている

23

表6 拡張テイラールールの推計結果

係数 係数 係数 係数

定数項 r-βπ tar 3155 2980 定数項 r -βπ tar 5780 6596 (10072) (6939) (12603) (13464)

インフレ率 1+β 0008 0027 インフレ率 1+β 0041 0025

(0552) (1600) (1957) (1399)

GDPギャップ α 1 0036 0057 GDPギャップ α 1 0090 0083

(1156) (1798) (2584) (2412)

貿易収支比率 α 2 -0105 -0106 貿易収支比率 α 2 -0053 -0054

(5627) (4937) (2671) (3396)為替変化率 α 3 -0109 -0110 為替変化率 α 3 -0062 -0051

(3782) (3755) (1345) (0998)

NYインフレ率 α 4 0014 0011 NYインフレ率 α 4 0014 0012

(0820) (0645) (0651) (0682)

NY金利 α 5 0212 NY金利 α 5 -0133

(3002) (1599)

ロンドン金利 α 5 0399 ロンドン金利 α 5 -0466

(2870) (3071)R2 0397 0375 R2 0468 0503

自由度調整済みR2 0380 0357 自由度調整済みR2 0447 0483

標準誤差 1520 1548 標準誤差 1375 1329

DW統計量 0568 0531 DW統計量 0700 0794

係数 係数

定数項 r-βπ tar 2703 2617

(6657) (26032)

インフレ率 1+β -0018 -0016

(1920) (2396)

GDPギャップ α 1 -0052 -0059

(2353) (5464)

貿易収支比率 α 2 -0031 0004

(1779) (0381)

為替変化率 α 3 -0007 0028

(0423) (1526)

NYインフレ率 α 4 -0017 -0024

(3808) (5526)

NY金利 α 5 0423

(1421)

ロンドン金利 α 5 0742

(7283)

R2 0797 0899自由度調整済みR2 0774 0887

標準誤差 0443 0313

DW統計量 0757 0925

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とそれぞれの金利だけである

どちらの推計でもこれらの有意な変数は符号条件を満たしているインフレ率とGDPギャ

24

ップは5有意ではなくなり単純テイラールールでも小さかった係数はさらに小さ

くなるこれに対して貿易収支比率の係数は貿易収支比率が10ポイント分マイナス

に動けば1金利を引き上げることであるからある程度貿易収支に反応して金融政策

を行っていたと言えるだろう為替変化率の係数は為替レートが10下落したら金利

を1引き上げることであるからこちらもある程度は為替レートに反応して金融政策を

行っていたとも言えるだろうニューヨーク金利とロンドン金利が1上昇すると国内金

利をそれぞれ0204引き上げるということになっている

1926年1月から1931年12月までの推計ではニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれ

を用いた推計でも5で有意な変数はGDPギャップと貿易収支比率とロンドン金利であ

るがロンドン金利は符号条件を満たしていないGDPギャップは有意であるがその係数

は単純テイラールールの推計と同様に小さい貿易収支比率の係数は貿易収支比率で

10ポイント分赤字が増えれば金利を05引き上げることであるからある程度は貿易

収支に反応して金融政策を行っていたと言えるかもしれない

さらに1932年1月から1936年12月までの推計では物価GDPギャップニューヨーク物

価ロンドン金利が5で有意であるGDPギャップニューヨーク物価は符号条件を満た

していないロンドン金利は符号条件を満たしその係数も074と大きく日本の金融政

策はロンドンに追随して行われていたことになる

金本位制を意識して行われていたときには金融政策は対外均衡に重点を置き金本位

制を離脱した後はロンドンの金利に追随していたことになる日本の金融政策が英国

の金融政策に追随していたことは鎮目[2009]第2章の結果とも整合的である

さらに表7は以上の変数に正貨を追加したものであるデータの制約により1919年1

月から29年3月までしか推計できないのでこれは金本位制を意識して金融政策が行われて

いた期間の金融政策を評価していることになる

25

表7 (3)式の拡張テイラールールの推計結果(正貨準備の変化率追加)

係数 係数定数項 r-βπ tar 5431 7511

(7602) (8642)インフレ率 1+β 0028 0024

(1209) (1264)GDPギャップ α 1 0147 0095

(2352) (1698)貿易収支比率 α 2 -0050 -0034

(2522) (2089)為替変化率 α 3 0016 0097

(0173) (0989)NYインフレ率 α 4 0004 -0004

(0166) (0224)NY金利 α 5 -0071

(0665)ロンドン金利 α 5 -0662

(2795)正貨準備の変化率 α 6 -0071 -0087

(0796) (1138)R2 0410 0471自由度調整済みR2 0374 0438標準誤差 1451 1375DW統計量 0808 0934注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

正貨を追加した推計結果ではGDPギャップ貿易収支比率ロンドン金利が有意である

GDPギャップ貿易収支比率は符号条件を満たしているがロンドン金利は満たしていない

表7の1919年から31年の推計結果に比べてGDPギャップの係数の値は大きくなるが景気

安定化効果が大きかったとまでは言えない貿易収支の係数はほとんど変らず貿易収支

の状況を念頭に入れて政策を行っていたと言えるだろうロンドン金利符号が逆で海外

金利が下がると金利を上げるという結果になっている

以上の結果を鎮目[2002]と比べる鎮目は金外貨準備英国の短期金利経常収支

資本収支をテイラールールの式に追加していずれの変数も有意ではなかったと報告し

ているが本稿では追加した変数のうち貿易収支ニューヨーク金利(特にロンドン

金利)が符号条件を満たして有意になっている場合が多く対外均衡を意識した金融政策

が行われていた可能性を示唆している

33 拡張テイラールールに関する政策反応ラグ

以上の拡張テイラールールの推計では貿易収支比率為替変化率ニューヨークイ

26

ンフレ率ロンドン金利を追加したものが良好な推計結果をもたらしたそこで拡張テ

イラールールに関する政策反応ラグを考慮するために以上の変数に加えて被説明変数

の 1期ラグを追加したものを推計する11結果は表8のようになる

表8 拡張テイラールールの金利ラグ付き推計

係数 係数 係数 係数定数項 r-βπ tar 0623 0565 定数項 r-βπ tar 1806 2223

(3922) (3134) (3861) (3396)インフレ率 1+β -00001 0003 インフレ率 1+β 0012 0007

(0023) (0552) (1190) (0761)GDPギャップ α 1 0019 0023 GDPギャップ α 1 0044 0043

(1589) (1875) (2072) (2007)

貿易収支比率 α 2 -0024 -0023 貿易収支比率 α 2 -0019 -0020

(2312) (2239) (1514) (1767)

為替変化率 α 3 -0026 -0025 為替変化率 α 3 -0048 -0045

(1984) (2069) (1607) (1430)

NYインフレ率 α 4 -0002 -0002 NYインフレ率 α 4 -0004 -0004

(0277) (0388) (0337) (0389)NY金利 α 5 0040 NY金利 α 5 -0044

(1532) (1193)

ロンドン金利 α 5 0075 ロンドン金利 α 5 -0163

(1447) (1703)コールレート1期ラグ 0796 0802 コールレート1期ラグ 0680 0657

(18638) (20579) (9505) (8112)R2 0789 0788 R2 0707 0711自由度調整済みR2 0782 0781 自由度調整済みR2 0693 0697標準誤差 0902 0904 標準誤差 1023 1016DW統計量 2581 2574 DW統計量 2408 2415

係数 係数

定数項 r-βπ tar 0527 0900 (2552) (3391)

インフレ率 1+β -0004 -0005(1594) (1249)

GDPギャップ α 1 -0006 -0014

(1174) (1562)

貿易収支比率 α 2 -0001 0010

(0135) (1064)

為替変化率 α 3 0005 0019

(0542) (1247)

NYインフレ率 α 4 -0003 -0008

(1971) (2116)

NY金利 α 5 -0022

(0557)

ロンドン金利 α 5 0386

(3052)コールレート1期ラグ 0833 0608

(9986) (6019)R2 0934 0957自由度調整済みR2 0925 0951標準誤差 0255 0207DW統計量 2478 2362

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

11 単純テイラールールでは説明変数のラグを加えたがここではあまりにも煩雑になること

と単純テイラールールで被説明変数の 1 期ラグが重要であったことから被説明変数の 1 期

ラグのみを追加した

27

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とコールレートの1期ラグであ

る貿易収支比率と為替変化率のどちらの係数も符号条件を満たしているがコールレー

トの1期ラグがない場合と比べて係数の値は小さくなっているただしこの推計をコイ

ック型と考えて係数の長期の値を(1-コールレートの1期ラグの係数)で除すことによっ

て求めれば1期ラグがない場合の係数よりもかなり大きくなる

1926年1月から1931年12月までの推計ではGDPギャップとコールレートの1期ラグのみが

有意となるGDPギャップの長期係数を求めても値は小さいこの期間では金利を安定的

に維持することに金融政策が使われていたと言えるだろう

1932年1月から1936年12月までの推計では有意なものはロンドン金利とニューヨークイ

ンフレ率とコールレートの1期ラグとなってしまうニューヨークインフレ率は符号条件を

満たしているがその係数は小さいロンドン金利の係数は大きく日本の金融政策はロ

ンドンに追随して行われていたことになる

コールレートの1期ラグを入れるといずれの期の金融政策も金利の平準化の要素が大き

いと判断される金本位制を意識して行われていたときには金融政策はある程度は対外

均衡を考えていたようである金本位制を離脱した後はロンドンの金利を考慮していた

ようである

さらに表9は以上の変数に正貨を追加したものである(データの制約により1919年1

月から29年3月までの推計)これは金本位制を意識して金融政策が行われていた期間の金

融政策を評価していることになる

28

表9 正貨準備高の変化率を加えた場合

係数 係数定数項 r-βπ tar 1723 2771

(3126) (2898)インフレ率 1+β 0004 0005

(0356) (0518)GDPギャップ α 1 0088 0072

(2641) (2442)貿易収支比率 α 2 -0023 -0018

(1664) (1321)為替変化率 α 3 -0025 0008

(0544) (0189)NYインフレ率 α 4 -0007 -0010

(0617) (0924)NY金利 α 5 -0012

(0255)ロンドン金利 α 5 -0239

(1470)正貨準備の変化率 α 6 0001 -0005

(0013) (0079)コールレートの1期ラグ 0644 0603

(7451) (6371) R2 0652 0659自由度調整済みR2 0628 0635標準誤差 1119 1107DW統計量 2450 2452注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

有意なものはGDPギャップとコールレートの1期ラグであるGDPギャップは符号条件

を満たしている長期の係数を取ってもその係数は大きいとは言えない

34 対外均衡と対内均衡

対外均衡に重点を置いた金融政策を行うとは経常収支赤字や為替レート下落や外貨準

備の減少に対して金利を引き上げるというルールに従って金融政策を行うことである

通常であれば金本位制の下で国内がインフレになり競争力を失ったり景気が過熱

して輸入が増大したときには経常収支赤字や為替レート下落や外貨準備の減少が起きる

だろう経常収支の赤字や外貨準備の減少が起きたときには金融を引き締めるというルー

ルは国内がインフレになったり景気が過熱したときには引き締めるというルールでも

あるしたがって対外均衡に重点を置くことが国内均衡を必ず妨げるというわけではな

いこれは逆の場合も真実であるしかし1910 年代日本の経常収支や外貨準備は国

内の景気要因で変化したわけではない第 1 次世界大戦によって外需が増加し経常収支

29

が黒字となり外貨準備が増えた金本位制のルールに従って金融政策は緩和されマ

ネタリーベースは 1919 年 1 月から 1920 年 4 月までに 16 倍に増加した輸出超過の国は

金融緩和することによって輸入超過の国の不況を和らげることができる日本は金本

位制の正しいルールに基づいて金融を緩和しただけであるしかし戦争がおわりその

復興需要もなくなったとき経常収支は赤字となり外貨準備は減少したしかしかつ

て金準備に依存して増大していたマネタリーベースはそのままだった失われた外貨準備

に対してマネタリーベースを減少させなければならなかったしかし23 年までマネタリ

ーベースは増大し続けていた関東大震災という不幸もあってマネタリーベースを減少

させることはできなかったその後25 年まで引き下げていたが27 年には金融恐慌があ

りマネタリーベースを削減することができなかったその後28 年までマネタリーベ

ースはむしろ拡大していた29 年には金本位制復帰を目指してマネタリーベースを急減さ

せるがその結果は激しいデフレと不況だった

そもそも国内要因の変化によらない金準備の増加に対してマネタリーベースを拡大し

たことが誤りだった金本位制からの離脱は1917 年ではなくて欧米諸国が離脱した

1914-15 年になすべきだったそうであれば1910 年代末までのマネタリーベースの急増

はなかっただろうところが実際には金本位制から離脱したにも関わらず1920 年にか

けてマネタリーベースは拡大していた1920 年代からは失われた金準備に対してマネタリ

ーベースを削減することが試みられるようになるしかしそれは関東大震災や金融危機

によって頓挫するむしろマネタリーベースを削減するという試みがデフレと不況をも

たらしそれゆえに不良債権が増大してしまったということではないだろうか

35 小括1‐テイラールールの推計から得られた知見

以上のことから考えて1920 年代から 30 年代にかけては金融政策はインフレまたはデ

フレ促進的な政策を行っていた対外均衡にはある程度考慮した金融政策を行っていたこ

とが分かる

しかし1920 年代には金本位制に復帰するという政策が課題となっていたはずである

20 年代がデフレ促進的また対外均衡にある程度考慮した政策を行っていたことはこの

課題にとっては正しいものだろうしかし現実に採られたデフレ促進策では不十分だっ

た物価は旧平価で金本位制に復帰できるほど下がっていなかったのだからまた32 年

以降の金融政策についてもなぜ 32 年から急速な回復ができたのかそれと金融政策とは

どのよう関係しているかは分析できていない

これについて飯田岡田[2004]は昭和恐慌からの回復はデフレ脱却による実質金利

の下落が重要であって名目金利の低下は重要でなかったと分析しているこれによれば

名目金利の変化で金融政策の変化を見ることはできないことになるしたがって名目金

利の変化に着目するテイラールールでは31 年 12 月以降の高橋是清蔵相の金融政策の意

味を理解できないことになる

30

また金融政策が物価および景気安定を意図していなかったら何を意図していたのだ

ろうか本稿での結論は為替レートや経常収支に視点を置いた対外均衡を意識していた

ということになる

いずれにしろテイラールールだけでは戦前期の金融政策を十分には理解できない

ことになるそこで戦前期の金融政策を別の方法で評価してみよう

4マッカラムルールによる金融政策の評価

41 マッカラムルールの意味と定式化とデータ

以下ではマッカラムルールで戦間期の金融政策を評価することにするマッカラム

ルールを用いて金融政策の在り方を判断した研究としてはマッカラム自身の分析を始め

として多くのものがある(例えばMcCallum[1987][1988]マッカラム[1997]第 15 章)

日本のデータを用いたものにおいても McCallum[1987]岡田飯田[2004]などがあるし

かし日本の戦前期についてはおそらく安達[2006](第7章)しかないと思われる安

達は年データを用い目標値として設定された名目 GNP 成長率(5と設定している)

を達成するためのマネタリーベースを求め現実のマネタリーベースの成長率が 1936 年ま

で過小でそれ以降過大であることを示している本稿では月次データを用いているので

期間ごとの金融政策の在り方も検討することができる

マッカラムルールとはマネタリーベースの成長率を名目GDPの望ましい成長率に

依存させるルールである(McCallum[1987]マッカラム[1997]第 15 章)しかし貨幣の

流通速度 vは変化するので貨幣の流通速度の変化に応じてマネタリーベース bの動きを調

整することが必要となるこのようなルールはbvなどを対数値として望ましいマネタ

リーベースの成長率⊿bをマネタリーベースの流通速度Δvに応じて変化させるというルー

ルであるただしvは景気変動によって大きく変動しているのでそれが技術的な変化と

見なせる 2 年間の平均値 tvΔ であるとする12すなわちマッカラムルールに基づくマネタ

リーベースの成長率とは

tbΔ =マネタリーベースの望ましい成長率- tvΔ

であるここでマネタリーベースの望ましい成長率はサンプル期間(1919 年 1 月から 1933

年 12 月まで)のマネタリーベースの平均成長率とする13マッカラムはマネタリーベース

の望ましい成長率を名目 GDP の成長率としているがここではまずこの期間の経済を再現

することを目的としているので現実のマネタリーベースの成長率を採用したマネタリ

12 マッカラム(1997)第 15 章では流通速度として 4年平均を使用しているが本稿ではサンプル

期間が短いため 2年平均としている 13 サンプル期間は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月であるがマネタリーベースの流通速度の平

均値作成のため 初の 24 か月が失うのでここで計算された望ましいマネタリーベースの成長

率は 1921 年 1 月から 1933 年 12 月までの平均となっている

31

ーベースの動きを図 10 に示しているマネタリーベースは季節性が強いので季調値も図示

しているなお前述のように戦前期の月次名目 GDP のデータは存在しないのでIIP に

卸売物価を掛けたものを名目 GDP の代理変数とする(ここで使うデータの定義と出所は前

掲の表1にある)

図 10 マネタリーベース(原数値と季節調整値)の動き

0

50000

100000

150000

200000

250000

19191

19197

19201

19207

19211

19217

19221

19227

19231

19237

19241

19247

19251

19257

19261

19267

19271

19277

19281

19287

19291

19297

19301

19307

19311

19317

19321

19327

19331

19337

観察されたベースマネー(単位万円) 季節調整済マネタリーベース(単位万円)

作成されたマネタリーベースの成長率は1919 年 1 月から 33 年 12 月までで年率 12

月次では 01となるすなわち

tbΔ =0001- tvΔ

ここで考察する期間を 1919 年 1 月から 33 年 12 月までとしたのは34 年以降の GDP の伸び

が大きすぎトレンドの作成において歪みを生じさせるからであるまた33 年は昭和恐

慌から脱却し経済が安定していた時期でもある

さらに名目 GDP が何らかのショックによって平均的な成長経路よりも上回った時に

はマネタリーベースの伸び率を低下させるようなルール(下回った場合は逆)を導入し

ようすなわち

tbΔ =0001-

1 1( )t t tv y yλ minus minusΔ + minus

32

となるただし目標値

1ty minus は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月までの月次平均成長率 04

成長経路での名目 GDP の対数値であるまたマッカラムによればλは四半期データで 025

が望ましいとされているがここでは月次データを使用しているのでとりあえず 12 分の 1

とすることを考えたがこの期間の名目 GDP は戦後の日米名目 GDP のデータより大きく変

動しているのでさらに小さくする必要があるマッカラムも「λの値を選択する場合

もし間違えるとすれば小さな値を採るほうがよい」(マッカラム[1997]308 頁)としている

そこでλは 36 分の1とした 終的なルールは

tbΔ =0001-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (5)

となる

マッカラムは望ましいインフレ率をゼロとするマネタリールールを求めているがこ

こでは実際には大きく変動したマネタリーベースを安定的に動かしていたらどうなったか

を考えることにしているので名目 GDP の動きは現実のものを使いルールにもとづくマ

ネタリーベースと実際のマネタリーベースをまず比較することにする

次に名目 GDP の決定に関する次のようなモデルを 小二乗法により推計する結果は

1 1 2 3

2

0004 0295 0053 0110 0106 0071 - 0069 23- 0046 27(1596) (3634) (1054) (1404) (2300) (1831) (6731)

R 0109 SE=0029 BG(24)=33227

(1822) t t t t t t ty y b b b b dummy dummy eminus minus minus minusΔ = + Δ + Δ + Δ + Δ + Δ +

=

(6)

となる14但し yΔ は名目 GDP の変化率 bΔ はマネタリーベースの成長率dummy23 は関東

大震災の時の一時的な変動をとらえるために 1923 年 9 月を 1それ以外を 0 としたダミー

変数dummy27 は金融恐慌時の一時的な変動をとらえるために 1927 年 4 月 5 月を 1それ

以外を 0としたダミー変数サンプル期間は推計に使用する変数が全て揃う 1921 年 1 月か

ら 1933 年 12 月までまたここでの残差 te は攪乱項の推定値2R SE BG(p) はそれぞれ

自由度修正済み決定係数攪乱項の標準誤差p 次の Breuch-Godfrey テストのχ二乗統計

量( )内は Newey-West の方法により修正した t値を示している15

ここで当時マッカラムルールなどという議論がなかったのだからこのような分

14 ここでは bΔ は現実のマネタリーベースの成長率を使用して推計を行っている 15 研究の対象期間は 1919 年 1 月からであるが平均流通速度 tvΔ の計算のために 初の 24 ヶ

月分が使用できないそのため他のシミュレーションの対象期間と整合性を保つため 1921 年 1

月からとしているまたこの推計式にはラグ付き内生変数を含むためダービンワトソンテスト

ではなく Breush-Godfrey テストを報告しているこの Breush-Godfrey テストから系列相関が疑

われるためNewey-West の方法により標準誤差を修正している

33

析は意味がないという批判があるかもしれないがこれにはテイラールールの節で述べ

たのと同じ反論が可能であるマッカラムルールとは名目 GDP が上昇しすぎたら(そ

のときには景気が過熱するかインフレが高進していると考えられる)マネーを縮小し

名目 GDP が下降しすぎたら(そのときは景気が悪化するかデフレになっている)マネーを

拡大するという素朴なルールである当時このようなルールが意識されていなかったと

は考え難い

42 長期的な経済を再現するシミュレーション

まずマッカラムルールによって現実の長期的な経済の経路を再現してみようルー

ルにもとづくマネタリーベースと実際のマネタリーベースのレベルと成長率とを図

11(1)(2)に示す

政策ルール(5)式が実施された場合の名目 GDP(の代理変数)の動きを見るために(5)式

から得られる理論値 tbΔ (6)式の残差 te 初期値 1ty minusΔ に目標 GDP

1ty minusΔ を代入してマ

ッカラムルールに従った場合の名目 GDP y の系列を求める現実の xとマネタリーベース

のルールに従った場合の y の系列を比べてみたのが図 11-(3)である図 11-(3)からマ

ネタリーベースのルールに従った場合の y の系列が安定していることが分かるこのよう

に安定的な名目 GDP の系列を得るためには第 1 次世界大戦後の金融引締めが過大で20

年代初期の金融緩和が過大30 年の金融引締めが過大だったと判断される

図 11 マッカラムルール

(1)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

34

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT MBDOT

注)BDOT はマッカラムルールの下でのマネタリーべースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(2)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

35

100000

120000

140000

160000

180000

200000

220000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC MB_SA

注)MB_SA はマネタリーベース(季節調整済)の現実値

B_MC はマッカラムルールに従った場合のマネタリーベース水準

またマッカラムルールの下でのマネタリーベースの初期値は現実値を使用

単位は万円

(3)マッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

36

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULE XSTAR X

注)GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

43 物価を下落させるシミュレーション

以上の結果はマネタリーベースの伸びを安定的にしていれば経済変動はより少なく

なっていただろうということを示しているしかしもし第 1 次世界大戦前の旧平価で金

本位制に復帰することが目的であったとしたら1節で述べたように物価を 3 割下げな

ければならない名目 GDP(その代理変数)は実質 GDP の変化がないとして1919 年 12

月から 29 年 12 月までに 3割下がらなければならない

そこで名目 GDP(その代理変数) y は現実の値よりも毎月 03ずつ低下しなければ

ならないので(5)式の定数項 0001 から 0003 を引いて-0002 とするすなわち

tbΔ =-0002-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (7)

とならなければならないここでの系列 y も実際の値から毎月 03ずつ引き下げたも

のを使っているつぎに(7)式の bを(6)式に入れると図 12 のようになる図に見られるよ

うに名目 GDP は安定しかつ小さくなっているすなわち物価が 3 割下落していること

が分かる

37

図 12 物価を下落させた場合

(1) 名目 GDP の目標値とマッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULEXSTAR

XGDP3_RULE

XSTAR_3

注) GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

GDP3_RULE は物価を 3割下げたマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR_3 は物価を 3割下げた場合の目標となる名目 GDP(対数値)

38

(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

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  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 2: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

1

RIETI Discussion Paper Series 09-J-025

昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか

―テイラールールとマッカラムルールによる解釈―part

原田泰

佐藤綾野

要旨

戦間期の金融政策は今日のようにインフレを避けつつ景気安定を図るという目標を

持っていたのだろうかまた当時の金融政策は金本位制への復帰を目標としていたのだ

ろうか

本稿は鎮目(2002)を参考にしつつテイラールールとマッカラムルールを用いて

戦間期の金融政策が何を目標として行われてきたかを分析する鎮目の分析は年次デー

タによることでデータ数が限られ期間ごとの分析が困難になっていることなどの問題が

あるそこで私たちは月次データを用いることによって特定の期間に焦点を置いた

分析が可能になると考えた

テイラールールによる分析の結果鎮目と同じく当時の金融政策はインフレまたは

デフレを増幅させる方向で働いてきたことが分かったしたがって現実の金融政策を見

る限り旧平価で金本位制への復帰を目指す目標を立てていたとは考えられないまた

貿易収支為替レートなど対外均衡に考慮した金融政策がある程度は行われていたこと

も分かった

マッカラムルールによる評価でも同じような結論となるマネタリーベースの成長率

を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行って

いたら日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できるまた旧

平価で金本位制に復帰するためには物価を下落させるためにマネタリーベースを縮小し

なければならなかったがそのようなことはなされていなかった

金旧平価で本位制に復帰するとは物価水準を戦前にもどすことである不思議なこと

に戦間期の金融政策ではこのことが全く理解されていなかったように思われる

RIETI ディスカッションペーパーは専門論文の形式でまとめられた研究成果を公開し活発な議論を喚起する

ことを目的としています論文に述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり(独)経済産業研

究所としての見解を示すものではありません part 本稿は(独)経済産業研究所におけるプロジェクト「新しいマクロ経済モデルの構築および経済危機におけ

る政策のあり方」の一環として執筆されたものである 原田泰(大和総研 yutakaharadarcdircojp) 佐藤綾野(高崎経済大学 ayano-satotcueacjp)

2

昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか

―テイラールールとマッカラムルールによる解釈―+

原田泰

佐藤綾野

はじめに

第 1 次世界大戦から昭和恐慌とその脱却にいたる金融政策がどのような目標をもって

また実際にどのように行われてきたかという分析は極めて少ないように思われる当時

の金融政策についてはすくなくとも2つの疑問がある第 1 に当時の金融政策は現

在の中央銀行の常識となっているインフレを避けつつ景気安定を図るという目標を持っ

ていたのだろうかという疑問である第 2 には金融政策は金本位制への復帰を目標とし

ていたのだろうかという疑問である

1920 年代から 1930 年 1 月の金解禁にいたるまでは金本位制への復帰が政府と日銀に

とって重要な政策課題であった旧平価での金本位制への復帰とは第 1 次大戦時に上

昇した日本の物価を引き下げることを意味していたはずであるそうであるなら20 年代

の金融政策は物価を明白に低下させていくことを目標とするべきであったこのような政

策目標をもって金融政策が行われてきたのだろうか

本稿は鎮目(2002)を参考にしつつ戦間期の金融の金融政策が何を目標として行われて

きたかを分析する鎮目は戦間期日本の金融政策をテイラールールを用いて分析し

ているこれによれば日本の金融政策はインフレまたはデフレを増幅させる方向で働

いてきたこと1931 年の金本位制離脱後国内経済の安定に繋がる金融政策が可能であっ

たにも関わらずそのような金融政策運営が行われていたとは言えないことを示している

しかし鎮目の分析には年次データを用いていることでデータ数が限られ期間ごとの分

析が困難になっていることまた金本位制という通貨体制を問題にしながら為替レート

を説明変数に入れていないという問題があるそこで私たちは月次データを用いるこ

とで特定の期間に焦点を置いた分析が可能になること為替レートを説明変数に入れる

ことで金本位制への対応を直接分析することができると考えたさらにマッカラムル

ールを用いて金融政策を判断することとした

テイラールールによる分析の結果から鎮目と同じく戦間期日本の金融政策はイン

フレまたはデフレを増幅させる方向で働いてきたことが分かったまた貿易収支為替

+ 本稿は日本金融学会 2009 年度春季大会(2009 年 5 月 17 日)財務省財務総合政策研究所の研究会(2009年 5 月 27 日)内閣府経済社会総合研究所の研究会(2009 年 6 月 1 日)経済産業研究所の研究会(2009年 7 月 6 日)において報告したこれらの研究会において日本銀行金融研究所の鎮目雅人企画役財務

省の玉木林太郎国際局長財務省財務総合政策研究所の津曲俊英次長後藤元之次長内閣府経済社会総

合研究所の岩田一政所長岡田靖主任研究官堀雅博主任研究官矢野浩一主任研究官田口博之総務部

長経済産業研究所の及川耕造理事長冨田秀昭研究コーディネーター小林慶一郎上席研究員(肩書は

当時のもの)はじめ多くの方々から貴重なコメントをいただいたことを感謝しますこれらのコメントは

本稿を改善する上で本質的に有益であったもちろん残る誤りは筆者の責任である 原田泰(大和総研 yutakaharadarcdircojp) 佐藤綾野(高崎経済大学 ayano-satotcueacjp)

3

レートなど対外均衡に考慮した金融政策がある程度は行われていたことが分かったた

だし金融政策は長期的な物価下落目標や経済状況に応じて機動的に金融政策を行うとい

うよりも金利を平準化することに力を注いでいたように思われるこの期間は金本位制

への復帰を目指していたといわれるが現実の金融政策を評価してみるとそのような目

標を立てていたとは考えられない

マッカラムルールによる評価でも同じような結論となるマネタリーベースの成長率

を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行って

いたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できるこ

れはテイラールールによって当時の金融政策がデフレまたはインフレ促進的なもので

あったと評価されたことを別の方向から裏付けるものであるまた旧平価で金本位制

に復帰するためには物価を下落させるためにマネタリーベースを縮小しなければならな

かったがそのようなことはなされていなかったことも明らかになった

1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き

11 -第 1次世界大戦から昭和恐慌とその回復まで

戦間期の日本経済についてはすでに多くの著作によって説明されているが本稿の問題

意識との関連でごく簡単に説明しておく(以下の記述は中村[1981]中村[1993]原田

香西[1987]第Ⅰ部第 3章第 4章などに基づく)

戦間期の日本経済とは第 1 次世界大戦の後の経済である日本は第 1 次世界大戦には

ほとんど参加しなかったので欧州の戦乱に乗じて輸出を拡大させ経済を活況に導い

たしかし戦後の欧州復興需要が終ると日本企業は過大な設備を抱えて苦しむことに

なったここにさらに為替レートの過大評価という問題もあった輸出増加とともにマネ

ーサプライが上昇して物価が上昇したが為替レートは物価上昇ほど下落せず日本は割

高な為替の中で国際収支の赤字に悩むことになったまた戦時の混乱の中で日本は世

界各国と同様に金本位制から 1917 年 9 月に離脱したので(ほとんどの国が 1914-15 年に離

脱していたアメリカの離脱は 17 年 9 月)戦後金本位制への復帰という問題が政治課

題となっていた主要な月次データは 1919 年からしか得られないのでここでは年次デー

タを用いて第 1次大戦から戦間期の状況を説明することにする

図1は1910 年から 1940 年までの実質 GNPGNP デフレータ経常収支を示したもので

ある第 1 次大戦のブームで実質 GNP の成長率が上昇した後成長率が低下したこと30

年代の世界恐慌の影響(日本では昭和恐慌)は軽微だったことが分かる実質 GNP の成長

率はマイナスにならず成長率がもっとも低下した 31 年でも 04の成長となっている

ただしこの時期の実質 GNP の推計には過大推計ではないかという批判がある名目 GNP

を見ると昭和恐慌期に大きく落ち込んでいるのでこの批判はデフレータに関するもの

である宇都宮[2007] はこの期間の消費デフレータの下落率が大きすぎるとしているそ

こで図には宇都宮の再推計した消費デフレータを用いた実質 GNP 系列も示してある

4

この系列によればGNP の成長率は小さくなり31 年には 12のマイナス成長になるた

だこの再推計によっても世界大恐慌期における日本の成長率の低下は小さく日本は

世界恐慌の影響がもっとも軽微だった国の一つであるという事実は変わらない

またGNP デフレータから第 1 次大戦期に物価が大きく上昇した後20 年代はデフレ

ーションが続いていたことが分かるさらに30 年の恐慌時には物価が大きく下落してい

たこと物価の落ち着きとともに実質 GNP の成長率が回復したこと30 年代の後半にはイ

ンフレになったことが分かる

経常収支に着目すると第 1次大戦とその復興期に経常黒字が急拡大したことが分かる

ヨーロッパの戦乱に乗じて輸出を拡大した結果であるただし前述のように混乱が

収まると日本の輸出の急増は続かず経常収支赤字に悩むことになる

図 1 実質 GNPデフレータ経常収支などの動き

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

-10000

-5000

0

5000

10000

15000

20000

25000

1910 1912 1914 1916 1918 1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1934 1936 1938 1940

経常収支times10 実質GNP 宇都宮推計実質GDP GNPデフレーター

出所)大川一司『長期経済統計1国民所得』東洋経済新報社1974年大川一司『長期経済統計14貿易と国際収支』東

洋経済新報社1979年宇都宮[2007]注)経常収支は動きを分かりやすくするために10倍してあるGNPデフレータは右軸その他は左軸(単位100万円)

金本位離脱 関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

また第 1 次大戦期はインフレの時期でもあった図2は日本とアメリカの卸売物価指

数日本を基準とした日米の相対物価(いずれも 1910 年=100)為替レート(100 円当たり

ドルこれは当時の通常の表記法である)を示したものである図に見るように1917 年

から日本の物価は激しく上昇し1921 年には 1910 年を 100 として 300 近いレベルにまで上

昇したその後20 年代は物価が下落するデフレ状況になっていたアメリカの物価も

上昇していたが日本ほどではなかったので日米相対物価は下落していた為替レート

は当然下落しなければならなかったが高いままにあったこれは日本が戦前の水準で金

5

本位制に復帰するだろうとの予想があったからであるグラフから見ると1929 年には

日本の為替レートはドルに対してほぼ3割切り下げる必要があったがこの割高なレート

で 1930 年 1 月日本は金本位制に復帰したことになる(当時小汀[1929]は1~2割石

橋[1929]は 2 割の切り下げが必要としていたがこれは当時の日米物価の相対的な動きか

ら得られたものだった)

図2 日米物価と為替レート

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

200

0

50

100

150

200

250

300

350

日本卸売物価 アメリカ卸売物価 日米相対物価 為替レート

出所)日本銀行「本邦経済統計」BRミッチェル斎藤眞監訳『マクミラン 新編世界歴史統計[3] 南北アメリカ歴史

統計19750‐1993』東洋書林2001年注) 為替レートは右軸(単位USドル100円)その他は左軸 (1910年を100とした場合)

金本位離脱 関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

12 金解禁論争と政治の動向

このような状況で1920 年代には金本位制に復帰するという金解禁政策が政治的課題

となっていたこの間の金解禁論争は(1)金本位制の下で国際競争力を維持するためには

物価を下落させても本来の金平価(第 1 次大戦前の平価)に戻るべきという議論(旧平価

解禁論)と(2)金解禁を行うのであれば国内経済の安定に重点を置いてすでに上昇し

てしまった物価を前提とした新しい平価で戻るべきという議論(新平価解禁論)が対立し

ていた(この論争については若田部[2004]中村[2004]田中[2004]が詳しい)1現実に

1 国際連盟の主催で金本位制の復活に関する国際会議が1920 年(ブリュッセル会議)と

22 年(ジェノア会議)に開催されているブリュッセル会議は専門家のジェノア会議は政府

代表の会合であるただし決議はほぼ共通しており復帰する平価の水準に関しては旧平価

で復帰するか新平価で復帰するかは各国が決定すべきこととされていた(日本銀行[1983]第 5章3)

6

は民政党浜口雄幸内閣の井上準之助蔵相の下で 1930 年 1 月に旧平価解禁が行われ日本

は激しいデフレとなって昭和恐慌に突入するその後犬養毅政友会内閣の高橋是清蔵相

の下で金輸出が再禁止され日本は 31 年 12 月(正式には 32 年 1 月)金本位制から離

脱しデフレも収まり景気は急回復する29 年から 31 年の激しいデフレと昭和恐慌デ

フレ脱却と景気回復は前掲の図1にも明らかである

この論争で残念なのは旧平価での解禁は国内物価を下げることであるということが国

民に理解されていなかったことだもちろん旧平価解禁論者はそれが財界整理不況

をもたらすことを理解していたがどれだけの物価下落が必要かそのためには賃金も下

げなくてはならないことを理解していたとはとうてい考えられない確かに「当時の経済

政策を支配していた思想は正統的保守的であってこれは 1920 年代を通じて政府が

戦前平価で金本位制を再開することからも明白である」(佐藤和夫[1981]24 頁)とされる

問題はそれが何を意味するかを正統派保守派が理解していたとは思われないことだ2

旧平価解禁論が真剣なものであったのなら20 年代初期に高騰した物価を20 年代を通

じて下落させていくことが金融政策の課題でなければならないがそのような金融政策は

行われていたのだろうか本稿ではテイラールールとマッカラムルールを用いて

この問いに答えることとするがその前に日本の金本位制復帰への政治的な動きを概観

しておきたい

第 1 次大戦期の混乱が収まり主要国が金本位制に復帰するにつれて日本も金本位制

に復帰するべきだと議論が盛んになり金解禁すなわち金本位制復帰が日本の政策課題と

なったしかし当時の言論や政府高官の発言を見るとかならずしも一直線に金解禁を

目指すという議論が盛んだった訳ではない金解禁論争とはアメリカが金本位制に復帰

した1919年から現実に金解禁が決定される1929年まで10年にわたる論争だったのである

以下日本銀行[1983](第 5 章3第 6 章2)石橋[1929]により金解禁を巡る動きを

簡単に整理しておこう

世界の動きを見れば前述の 19 年のアメリカの旧平価での復帰に続いて24 年にはドイ

ツが新平価で(ドイツは金兌換を実施しておらず不完全なものだった)25 年にはイギリ

スが旧平価で27 年にイタリアが28 年にはフランスがそれぞれ新平価で金本位制に復

帰したフランスの復帰によって主要国のなかで復帰していないのは日本だけとなり

このことも日本の金解禁への動きを促進したと思われる金解禁論争は他国の復帰に刺激

を受けた論争でもあった

1919 年にはアメリカの復帰に刺激を受けて東洋経済新報などで金解禁論が唱えられ

たが政府の反応は低調であったこの理由として大戦後には対中国投資が盛んにな

りその際日本が影響力を持つために金準備を蓄積しておく必要があったからであると

2 ただし当時日本銀行理事副総裁を歴任していた深井英五はこの問題を理解していた

深井は「金本位を回復する為めに所謂貨幣の単位の切下を行うか(すなわち新平価解禁‐筆者

注)然らざれば通貨の縮小を図らなければならぬ」と書いている(深井[1928]第 9 章第 5 節単

位の切下げか通貨の縮小か)

7

されている(石橋[1929])1922 年ごろになると物価調整の見地から金解禁論が唱えられる

ようになった物価が第 1 次大戦の水準に比べると倍になっておりアメリカの物価に

比べても 4 割高い水準にあったこの割高の水準を金解禁通貨収縮のメカニズムによっ

て是正せよというのである確かに加藤友三郎内閣(22-23 年)は通貨縮小物価引き

下げの意志を示してはいたしかしその動きは 23 年 9 月の関東大震災によって葬られた

1925 年のイギリスの金解禁によって再び金解禁の動きが盛り上がったが当時の浜

口蔵相の発言によれば財界の整理安定を図り外国貿易の逆調を制し国際貸借を改善

しその結果として金解禁すると述べている(浜口雄幸「金融制度の整備と国際貸借につ

いて」(『銀行通信録』第 81 巻第 484 号1926 年 5 月 8日引用は日本銀行[1983]148 頁)

これは 22 年ごろの金解禁論とは政策の因果関係を逆にするものだっただが27 年の金融

恐慌により金解禁への動きはまったく頓挫したしかし 29 年になると財界においても金

解禁を求める声が高まり新たに政権についた浜口民政党内閣の下で金解禁が実施され

ることになるただしこの金解禁を行うための準備について当時日銀副総裁であった

深井英五は金解禁が不景気を忍ばなければならないことを大衆に理解させていたかに疑

問を呈している(深井英五『回顧七十年』岩波書店1941 年242-243 頁)

以上概括してみれば金本位制へ復帰しようという動きはあったが19 年から 29 年に

かけて 9 代の交代を経験した内閣を通じて金解禁とは通貨の収縮によって不況をもた

らし物価を引き下げることであるという理解の下に一貫した政策が行われていたとは信じ

がたいただし金解禁への動きが度々予想されていたので旧平価での金解禁の実施を

予想して為替が上昇しており(1923 年から 27 年にかけて為替は下落していたがそれ以外

はほぼ旧平価の水準にあった)それを通じて経済にデフレ圧力が現れていたのが 1920 年

代の経済と解釈できるだろう

ここで私たちの分析に戻ってまずテイラールールの分析から始めたい

2テイラールールによる金融政策の評価

21 テイラールールの意味と定式化

テイラールールとはGDP ギャップと現実のインフレ率と目標インフレ率の差に対して

金利をどの程度動かすべきかという金融政策について Taylor[1993]が提唱したルールであ

る金融政策当局が現実にどのように金融政策を行っているかを表すものとして様々に

実証されている日本における実証としては地主黒木宮尾[2001]などがあるが戦前

期の金融政策に適応したのは鎮目[2002]のみと思われる

テイラールールとは以下の式で表わされるものである

( )tart t t t ti x rπ α β π π= + + minus + (1)

8

この式においてiは政策金利π はインフレ率xは GDP ギャップπtarは目標インフレ

率rは均衡実質利子率を表しているテイラールールは(1)式に示されるように政

策金利の決定を物価と景気(GDP ギャップ)を睨みながら行われていることについてのルー

ルであるすなわちGDP ギャップが正の方向に動けば(景気が良くなれば)金利を引上げ

(αはプラス)インフレ率が目標インフレ率よりも高まれば金利を引き上げる(βはプラ

ス)というルールであるここでは目標インフレ率も均衡実質金利も分からないので

(1)式を変形して

( ) (1 )tart t t ti r xβπ β π α ε= minus + + + + (2)

を推計するここでベータが1以上であれば物価が望ましい水準よりも高くなれば物

価上昇率以上に金利を上げて物価上昇を抑えるというルールを適用していることになる

このような推計を行うことについて当時テイラールールなどという概念がなかった

のだから意味がないという批判があるかもしれない(これは3のマッカラムルールに

ついても当てはまる)しかしテイラールールとは景気が過熱するかインフレが高進

したら金利を引き上げ景気が悪化するかデフレになったら金利を引き下げるという素朴

なルールでありこのような考えは当時も広範に理解されていたと思われる在野のエコ

ノミストとして活躍していた高橋亀吉は「金利政策とはhellip物価が思惑的に騰貴し過ぎ又

は企業が投機的に濫設せられる惧れありと見ればこれを抑え物価が恐慌的に下落し過ぎ

たと見れば金利を引き下げて其の下げ足を止めるの類である」と書いている(高橋

[1929]190 頁)また日本銀行の要職を歴任していた深井英五(1918 年日本銀行理事1928

年日本銀行副総裁1935-36 年日本銀行総裁1937 年貴族院議員1938 年枢密顧問官)も

「(通貨調節の趣旨は)通貨の数量の過不足より来る通貨の価値の変動を防ぎなるべくそ

の安定を図ることhellip所謂景気の変動を緩和しその循環を成るべく円滑にすること」と

書いている(深井[1928]467 頁)(ただし両者とも上記の考えを実践する上での難しさ

は認めている)したがって素朴な意味のテイラールールは常識として理解されていた

と言ってよく当時の金融政策をテイラールールによって評価することは意味があると

考えられる3

22 戦前期のテイラールールについての先行研究

戦前期のテイラールールを推計した研究としては既に鎮目[2002]がある鎮目は

戦間期日本の経済変動に対して金融政策がどのように反応してきたかをテイラールー

ルを用いて分析しているこの分析によればこの間の日本の金融政策は(1)インフレ率

3 本稿の目的は日本銀行の行動を評価することではない当時日銀は政府から独立しておら

ず日銀の政策を単独で評価することは意味がない本稿で評価するのは総体として金融政策

を形作った日本銀行大蔵省政治家等当時のエリートたちが総体として行った政策である

9

の関係で見ると経済変動を増幅させる方向で働いてきたこと(2 金融政策は金本位制

という通貨体制と密接に関係しており国内経済の安定を犠牲にして為替レート目標を追

求してきたことを示しているさらに(3)1931 年の金本位制離脱後国内経済の安定に繋が

る金融政策が可能であったにも関わらずそのような金融政策運営が行われていたとは言

えないことを示している

私たちも戦間期の金融政策について昭和恐慌前後の時期に焦点を当てて分析を続

けてきた(原田中澤[2004]原田[2005]原田佐藤中澤[2008])鎮目の分析は年

次データを用いているので戦間期全体の金融政策を分析できるが昭和恐慌前後ある

いは第 1 次大戦直後など特定の時期に焦点を置いた分析とはなっていないそこで私

たちは月次データを用いることで特定の時期に焦点を置いた分析が可能になるとと考

えたまた鎮目は金本位制という通貨体制を問題にしながら為替レートを説明変数

に入れていないこれも私たちがさらなる分析が必要と判断した理由である

23 データの説明

戦間期の経済データは主に日本銀行「本邦経済統計」東洋経済新報社『経済統計年鑑』

大蔵省「大蔵省年報」一橋大学経済研究所日本経済統計文献センター統計資料シリーズ『景

気指数1888~1940 年』などから得ることができるここで用いるデータは1926 年 1 月

から 1936 年 12 月までのコールレート卸売物価指数鉱工業生産指数為替レート貿

易収支でありこれらの定義と出所を表1に整理しておく(ここで3のマッカラムル

ールの推計で用いるデータについても定義と出所を示しておく)

表 1 使用データ(月次)の出所

変数名 出所

コールレート 日本銀行『本邦経済統計』

鉱工業生産指数 東洋経済新報社『経済統計年鑑』各年版

卸売物価指数

藤野正三郎五十嵐副夫『景気指数1888~1940 年』一橋大

学経済研究所日本経済統計文献センター統計資料シリーズ

No2

為替レート 日本銀行「本邦経済統計」外国為替相場(横浜正金銀行建値)

ニューヨーク電信平均

貿易収支 輸出-輸入大蔵省「大蔵省年報」各年版

マネタリーベース

大蔵省理財局編『金融事項参考書』日本評論社(日本銀行兌換

券差引流通残高と日本銀行預金貸出金残高表「一般預金」の和)

及び 藤野五十嵐前掲書

10

現金通貨 藤野五十嵐前掲書

ニューヨーク卸売物価 日本銀行調査局『外国経済統計』

ニューヨーク市中金利 日本銀行調査局『外国経済統計』

ロンドン市中金利 日本銀行調査局『外国経済統計』

正貨準備高 日本銀行調査局『本邦経済統計』

これらのデータはなじみのないものであるのでそのグラフを図3図4に示しておく

鉱工業生産指数は 1930 年 1 月を 100 としているコールレートおよび卸売物価指数による

インフレ率(前年同期比)の単位は為替レートは 100 円当たりの 1 ドル価格貿易収支

は 100 万円単位であるまた鉱工業生産指数卸売物価指数および貿易収支を構成する輸

出と輸入は X12-ARIMA によって季節調整を行っている貿易収支は輸出輸入を季節調整

して差を取ったものである

図 3 使用データ(月次)のグラフ鉱工業指数貿易収支為替レート

-16E+08

-14E+08

-12E+08

-1E+08

-8000000

-6000000

-4000000

-2000000

0

20000000

40000000

60000000

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

200

貿易収支 鉱工業生産指数 為替レート

注)鉱工業生産指数と為替レート(ドル100円)は左軸貿易収支は右軸

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

11

図 4 使用データ(月次)のグラフインフレ率コールレート

0

2

4

6

8

10

12

-100

-50

0

50

100

150

200

1919M01

1919M05

1919M09

1920M01

1920M05

1920M09

1921M01

1921M05

1921M09

1922M01

1922M05

1922M09

1923M01

1923M05

1923M09

1924M01

1924M05

1924M09

1925M01

1925M05

1925M09

1926M01

1926M05

1926M09

1927M01

1927M05

1927M09

1928M01

1928M05

1928M09

1929M01

1929M05

1929M09

1930M01

1930M05

1930M09

1931M01

1931M05

1931M09

1932M01

1932M05

1932M09

1933M01

1933M05

1933M09

1934M01

1934M05

1934M09

1935M01

1935M05

1935M09

1936M01

1936M05

1936M09

卸売物価指数(前年同期比左軸) コールレート(右軸単位)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

本稿の目的であるテイラールールの推計では説明変数として GDP ギャップを用いる

がGDP は月次データでは入手できないのでここではGDP 1hp

IIPIIP

= minusギャップ を鉱工業

生産指数 IIP と IIPhpはのギャップで作成しているIIPhpは「潜在 GDP」の代理変数である

「潜在生産指数」で表わしており鉱工業生産指数に HP フィルター(Hodrick-Prescott

filter)をかけることによって作成した4作成した GDP ギャップは図5である

この GDP ギャップが実態と合っているかを考察するためにここで作成された GDP ギャ

ップの動きと藤野[1965](第 2-3 表)の認定した景気循環クロノロジーと比較してみる

藤野によれば1915 年 2-3 月~1920 年 1-2 月が拡張期21 年 5 月までが縮小期29 年 2

月までが拡大期31 年 7 月までが縮小期それ以降が拡大期となっているまた良く知

4 本稿では潜在 GDP 作成に際しHodrick and Prescott [1997以降 HP フィルターと呼ぶ]に

よるフィルタリング関数のスムージングパラメータλ=1166400 を選択してトレンドを抽出し

ているここでは報告されていないがHP フィルターのλ=12960014400移動平均のラグと

リードに関して対称な加重を計算するフィルタリング関数をもつ Baxter and King[1999]およ

び移動平均の加重に関して非対称な加重を許す Christiano and Fitzgerald [2003CF フィルタ

ー]を用いて比較検討しているCF フィルターでは季節調整済みの IIP 系列が単位根過程に従

っているためChristiano and Fitzgerald[1999]に従って平均なしトレンドなしドリフ

トなし平均トレンドドリフト全てなしの 4種類を使用して検討を行っている 終的に藤

野[1965]の景気循環周期と整合的になるように HP フィルターのλ=1166400 を選択したこれら

の結果を入手したい場合は筆者に連絡されたい

12

られているように20 年には第 1次世界大戦の終結による国際的経済反動があり23 年に

は関東大震災があり27 年には金融恐慌があった作成した GDP ギャップはこれらの変

動を基本的には捉えていると言えるだろう

さらに失業率の動きを前掲の図5に示す(失業率は内務省社会局社会部職業課「失業

状況推定月報概要」による)図に見るように失業率のデータがあるのは 1931 年 1 月か

ら 33 年 12 月までであるがその間の GDP ギャップと失業率の動きは正負逆でGDP ギャッ

プの変動が大きいという問題はあるがほぼ同じように動きをしているまた失業率の

動きが GDP ギャップの動きに遅れていることも雇用が景気の遅行指標であるという今日

の常識に照らして合理的であるしたがってHP フィルターで作成した潜在生産指数およ

び GDP ギャップも景気変動を反映した適切なもの判断できるだろう

図 5 使用データ(月次)のグラフGDP ギャップ

0

01

02

03

04

05

06

07

08

09

1

-20

-15

-10

-5

0

5

10

15

20

GDPギャップ lambda=1166400 藤野(1965)の景気後退期 失業率(単位)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

24 テイラールールの推計

241 推計結果

(2)式の推計結果は表2の通りである推計期間は全サンプルがそろう 1919 年 1 月か

ら 1936 年 12 月である36 年を終わりとしたのはそれ以降は軍の圧力によって政策が行

われ金融政策の自立的な動きを議論することはできないと考えたからである推計方法

は 小二乗法を使用しているなおダービンワトソン統計量からは系列相関が疑われるた

13

め 小二乗推定量が有効性を持たない可能性があるので標準誤差を Newey-West の方

法によって修正を加えて t検定を行っている5

推計結果の解釈としては1 β+ の推計値 0016 からβ は-0984 でありインフレ率が

目標インフレ率よりも高まれば金利を引き下げ逆にインフレ率が目標インフレ率よりも

低ければ金利を引き上げるという物価を不安定にするデフレ的な金融政策を採用していた

ことになる(インフレの時はインフレ促進的になる)ましてβはほぼマイナス1である

のでかなりインフレまたはデフレ促進的な金融政策を行っていたことになるこれを現

実の経済情勢に当てはめれば20 年代のデフレ期ではデフレ促進的な金融政策を行い30

年代のインフレ期ではインフレ促進的な金融政策を行っていたことになるただしこの

係数は 10レベルでも有意ではない

なお物価を下落させることを目標としてもデフレ促進的でなく長期的な目標をも

ってテイラールールに基づいて物価を下落させることができることを念のために指摘し

ておくすなわち物価上昇率の目標レベルを低くすれば目標より物価が上ったときは

引締め下がったときは緩めるという物価安定的でかつ長期的に物価を下落させる方法

は可能でありまたその方が望ましいだろう

一方α は 0108 なので GDP ギャップが正のとき金利を引き上げる景気安定的な政策を

とっていたことになるただしα は 10で有意であるが係数が小さいので(GDP ギャ

ップがマイナス 10でも金利を108下げるだけ)景気安定化効果が大きかったとは言え

ないだろう

表 2 (2)式のテイラールールの推計結果

係数

定数項 r -βπ tar 4669

(17711)インフレ率 1+β 0016

(0823)GDPギャップ α 0108

(1679)R2 0085自由度調整済みR2 0077標準誤差 1855DW統計量 0258

注)( )内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

全期間1919年1月~1936年12月

5 本稿には載せていないがここでは 尤法による推計も行っている 尤法による推計では誤

差項に正規分布を仮定した場合 小二乗推定値とほぼ等しい推定値でかつ漸近的 t値からが

1 β+ が 10αが 1で有意であることが確認されている

14

さらにサンプル期間を1930 年の昭和恐慌期を含む期間と含まない期間に分けて推計を

行う具体的には1919 年 1 月から 1931 年 12 月までと1932 年 1 月以降から 1936 年 12

月までの 2 期間に分割して(2)式の推計を行う金融政策は1931 年 12 月以前は金本位制

への復帰を求めていたがそれ以降は金本位制を離脱し金本位制に制約されることがな

くなったと考えての分割である(金本位制からの離脱は 31 年 12 月正式には 32 年 1 月)

推計結果は表 3 に示しているここでも標準誤差を Newey-West の方法によって修正して

いる

表 3 期間分割後のテイラールールの推計結果

係数 係数

定数項 r -βπ tar 5450 定数項 r-βπ tar 3113

(22627) (10790)インフレ率 1+β 0057 インフレ率 1+β -0009

(3877) (0644)GDPギャップ α 0061 GDPギャップ α -0182

(0898) (2307)R2 0313 R2 0175自由度調整済みR2 0304 自由度調整済みR2 0146標準誤差 1542 標準誤差 0862DW統計量 0475 DW統計量 0241

注)( )内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1931年12月 (2)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

推計結果表3-(1)を見ると1919年1月から1931年12月において(1+β)が1で有意であ

あるまた値は00567でありこれから1を引くとβ =-0943となる (1)式から考える

と物価が目標インフレ率以上に上昇したときには政策金利をほぼ物価上昇率と同じだ

け引き下げるという政策を行っていることがわかるこの期間はほぼ物価が下落してい

たのでデフレ促進的な政策を採っていたことになる

GDP ギャップに関しては有意ではないがギャップが1ポイント縮小すると政策金利

を 0061引き上げるすなわち景気が拡大したときには政策金利を引き上げるという景

気変動抑制的な政策が行われていたことがわかるもちろんその係数は小さいので実

際にどれだけそのような効果があったかは分からない

表3-(2)で1932年1月から1936年12月の推計結果をみる物価の係数(1+β)-0009か

ら1を引くと-1009となり物価が上ると金利を引き下げるという政策をとっていたこ

とが分かるこの期間は物価が回復または上昇していた時期であるのでインフレ促進的

な政策を行っていることがわかる

GDP ギャップに関しては 5で有意でありギャップが1ポイント縮小すると政策金

利を 0182 引き下げるという景気変動拡大的な政策が行われていたことがわかるただし

15

その係数は小さいので効果も小さかったと思われる

これらの結果を鎮目[2002]と比べるとインフレ促進的またデフレ促進的な政策が行

われていたということについては共通しているGDP ギャップについて 32 年以降マイナス

になるというのも鎮目と共通であるただし本稿の推計した係数値は鎮目に比べてき

わめて小さい

242 区間分けについての確認

これまでの期間分割は暫定的なものであったこの区間分割が合理的なものであるかを

どうかを確認するために逐次回帰法(recursive least squares)を行った結果が図6で

ある6

図6で 1+βαの動きをみると30 年以降に大きく動いておりこの期間分けは合理的

なものだったと分かる

図 6 逐次回帰推計

-08

-04

00

04

08

12

16

1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1934 1936-1

0

1

2

3

4

1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1934 1936

25 政策反応までのラグ

これまでの分析は当期の物価景気貿易収支為替が金融政策に影響を及ぼすとし

ていたしかし為替はともかく物価景気貿易収支については認知のラグがあり

また経済情勢を慎重に見極めながら政策を行っていると考えられるそこでここでは次

のようなモデルについて推計を行うことにする

6 ここで使用した逐次回帰法は推計期間として 1から説明変数の個数より大きいサンプル数を

選び係数を推計し次は 終期を 1期追加して係数を推計といった手順を繰り返す手法である

詳しくは森棟(1999)4 章を参照のこと

1+β α

16

1 1

1 1

0 0

( ) (1 )tart p t p q t q t t

p q

i r x iβπ β π α λ εminus minus minus= =

= minus + + + + +sum sum (3)

ここでは p=0 q=0 のケースp=0 q=1 のケースp=1 q=0 のケースp=1 q=1 の

ケースについて推計を行った結果自由度修正済み決定係数および赤池情報基準によって

モデルを選択すると全期間を対象とした場合は p=1q=0金本位離脱以前を対象期間に

した場合では p=q=1金本位離脱以降を対象とした場合では p=0 q=0 が選択されるした

がってここでは各期間において選択されたラグ(pq)に従って推計を行うスペースの節約

のため選択されたモデルの結果のみを表4に示す推計方法は 小二乗法を使用して

いる

17

表4 政策反応までのラグ

(1)全期間1919年1月~36年12月

(p=1q=0)

係数

定数項 r-βπ tar 0612

(3895)

当期インフレ率 (1+β )0 0042

(2220)

前期インフレ率 (1+β )1 -0047

(2463)

当期GDPギャップ α 0 0042

(2436)

前期の金利 λ 1 0867

(28290)

R2 0789

自由度調整済みR2 0785標準誤差 0895

DW統計量 2756

(2) 金本意離脱前1919年1月~31年12月(3) 金本意離脱後1932年1月~19年12月

(p=1q=1) (p=0q=0)

係数 係数

定数項 r-βπ tar 1392 定数項 r -βπ tar 0364 (3907) (2348)

当期インフレ率 (1+β )0 0076 当期インフレ率 (1+β ) -0002

(3149) (1048)

前期インフレ率 (1+β )1 -0066 前期インフレ率 (1+β )1

(2682)

当期GDPギャップ α 0 0022 当期GDPギャップ α 0 -0004

(0661) (0321)

前期GDPギャップ α 1 0009 前期GDPギャップ α 1

(0338)

前期の金利 λ 1 0748 前期の金利 λ 1 0867

(12691) (15181)

R2 0719 R2 0933

自由度調整済みR2 0710 自由度調整済みR2 0929

標準誤差 0997 標準誤差 0248

DW統計量 2643 DW統計量 2594

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法

によって修正を加えている

表4(1)の全期間を対象とした場合全ての変数が5で有意であるまた1+β の推計値か

ら計算されたβ は全て負となりインフレまたはデフレ促進的な政策が行われていたと解

釈されるGDPギャップについてはα が正であるが係数の値は非常に小さい一方金利

の平準化の程度を示す 1λ の係数は大きい

金本位制離脱以前の推計結果表 4(2)ではGDP ギャップの係数以外が有意である推計

18

された係数の値をみるとこの時期のβ も表 4(1)の全期間を対象とした値とあまり変わ

らないが 1λ はやや小さくなっているこの時期政策策定者は金利を平準化しつつイン

フレを促進するような政策をとっていた可能性がある

後に金本位制離脱以後の推計結果表 4(3)からは 1λ 以外は有意ではない

すなわち全期間を通していえることは金利の平準化の要素が強くまたインフレおよび

デフレを是認あるいは促進的な政策となっていた係数の値はいずれも小さくλの係数

をコイック型のラグと考えてそれぞれの係数を 1(1-λ)倍しても小さい

3拡張テイラールール

31 拡張テイラールールの定式化先行研究データ

これまでの結果は物価については鎮目[2002](図表7)とも共通であり物価を不安

定にする金融政策が行われていたことになるさらに鎮目では GDP ギャップの係数は 31

年までは正であり景気変動抑制的だったが32 年以降は負となり景気変動を拡大する

ような金融政策が行われていたことになる本稿の GDP ギャップの係数も正から負に変わ

っているただしいずれにしろその係数は小さいので景気変動を抑制するように金融

政策が行われていたとは言えない

以上の結果はむしろ戦間期の金融政策は金融政策は国内の経済安定に重点を置い

て物価と景気を見ながら行うべきというテイラールールでは説明することが難しいと解

釈すべきだろうこれは鎮目の結果とも共通しているそこで次に戦間期の金融政策は

経常収支為替レートの安定など対外均衡に重点を置いて行われていたのではないかと

いう常識に従いテイラールールを拡張して金融政策が経常収支や金外貨準備や海外

金利にも影響されて行われていたとする鎮目[2002]はテイラールールに金外貨準

備海外金利経常収支資本収支を加えている月次で資本収支(およびその代理変数)

のデータを得ることはできなかったので我々の推計式は鎮目[2002]を参考に

1 2 3 4 5 6( ) (1 )tar

t t t t t t t t ti r x TB S NYP fori reserveβπ β π α α α α α α ε= minus + + + + + + + + +

(4)

とする

ここで月次の経常収支はデータが得られないため輸出入の差を名目GDPで割った貿易収

支比率TBを使用している(ここで用いている名目GDPは鉱工業生産指数times卸売物価指数で

ある)貿易収支比率は実際の名目GNPで修正している7またSは為替レートの変化率を

7貿易収支比率 TBは具体的には以下である

1928t1928 GNP( ) 100

1928 t GDP( )GDP( ) 1928

tTB = times times

年の貿易収支合計

期の貿易収支年の名目 大川推計

月次貿易収支の 年平均 期の名目 の代理変数

月次名目 の代理変数 の 年平均

19

示しており値が増えるのが円高である8ニューヨーク物価NYPはニューヨークの卸売物価

指数の前年同月変化率()であるforiは外国の市中金利()を示しニューヨーク金利

あるいはロンドン金利のいずれかである貿易収支が赤字に円の為替レートが下落すれ

ば金利は引き締められるニューヨークの物価が下落すれば日本の金融も引き締めざ

るを得ないニューヨークまたはロンドンの金利に追随するしかないと考える正貨

reserveは金本位制であればこれが増大すれば金融を緩和し減少すれば金融を引き締め

ることになる(ただし正貨は21年3月から29年3月までのデータしかない)また正貨は

1924年1月から11月1925年289月のデータが欠損しているので線形補間によってデ

ータを補っている9

符号条件は貿易収支比率為替レート変化率ニューヨーク物価上昇率正貨が負

ニューヨークおよびロンドンの金利が正である

以上で為替レートニューヨーク物価が鎮目[2002]の分析に対し新たに追加した変

数である

ここで新しく追加した変数貿易収支比率と為替レートと名目GDPの代理変数とニュー

ヨーク物価とニューヨーク金利とロンドン金利と正貨準備を図7図8図9に示してお

くここで名目GDP(その代理変数)は鉱工業生産times卸売物価指数である

8第1節と同じように為替レートの水準は 100 円当たりのドルで表しているので変化率

に修正しても値が大きくなると円高を示すことになる 9 また日本銀行調査局『本邦経済統計』では1922 年 11 月の正貨準備高の値が 1386957540円と記載されているが前後月の数値から判断して 1836957540 円の誤記と推測し修正を加

えている

20

図 7 コールレートニューヨーク市中金利ロンドン市中金利

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

200

0

2

4

6

8

10

12

14

16

18

コールレート(右軸) ニューヨーク市中金利(右軸) ロンドン市中金利(右軸)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

図 8 貿易収支比率為替レート変化率名目 GDP(対数値)

0

2

4

6

8

10

12

14

-50

-40

-30

-20

-10

0

10

20

30

貿易収支比率 為替レート変化率 名目GDP

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

21

図 9 正貨準備高ニューヨークインフレ率

0

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

-60

-40

-20

0

20

40

60

正貨(単位億円) ニューヨークインフレ率(卸売り物価指数)

なお追加した説明変数貿易収支比率為替レートニューヨーク物価ニューヨー

ク金利ロンドン金利正貨準備が独立でないという問題があるうちニューヨーク金

利とロンドン金利は同時には入れず他の変数と代替的に入れることとするそれでも

貿易収支比率と為替レートが独立ではないという問題があるかもしれない単純に為替

レートが割安であれば経常収支が黒字に動き割高であれば経常収支が赤字に動くという

メカニズムによって為替レートと経常収支が独立ではないということになる

また為替レート関数の推計において自国と他国の物価マネーサプライ金利生

産に加えて経常収支またはその累積を説明変数に入れるのが通常であることを考えれ

ば当然に問題となるしかし多くの推計で為替レートに対して経常収支またはそ

の累積の説明力はそれほど高くはない10

ちなみに変数間の相関行列を取ると表5のようになる(推計期間は正貨を含む変数間

は 1919 年から 1929 年 3 月それ以外の変数間は 1919 年 1 月 1936 年 12 月まである)貿

易収支比率と為替レートの相関を取ると相関係数は 0029 でありマルチコリニアリティ

10 深尾[1983] (167 頁)は日本の米国に対する 100 億ドルの経常黒字は 64の円高ドル

安要因になるとしているこれは大きな効果だがその後の推計によると経常収支黒字が円高

をもたらす効果は大きくはない河合[1986](第 94 表214 頁)によれば経常収支累積額が

1の上昇は実質為替レートを 0068~0163上昇させるにすぎないその後も同様の推計

がなされているが(経済企画庁[1997]第 1-2-1 図③経済企画庁[1999]付図 1-5-2原田[2004])いずれの推計においても経常収支が為替レートに与える影響は大きなものではない

22

の問題は避けられていると判断できる当時のデータで為替と貿易収支の相関が弱い理

由として金解禁への動きが度々予想されていたので為替レートが貿易など実態経済

の状況にかかわらず高騰していたこともあげられる表 5 から説明変数間で(被説明変

数のコールレートを除く)相関係数の絶対値が 04 以上のものを上げると卸売物価と GDP

ギャップ卸売物価とニューヨーク卸売物価GDP ギャップとニューヨーク卸売物価ニュ

ーヨーク金利とロンドン金利貿易収支比率とコールレートがそうである卸売物価と GDP

ギャップはテイラールールの基本的な説明変数なので両者をともに入れるがニューヨ

ーク金利とロンドン金利については代替的にも推計することとする

表5 拡張テイラールールで使用された変数の相関行列

コールレート

インフレ率GDPギャッ

プ貿易収支比

率為替変化

率NYインフレ

率NY金利

ロンドン金利

正貨準備変化率

コールレート 1000 0222 0293 -0441 -0112 0082 0437 0264 -0113

インフレ率 1000 0437 0046 -0024 0482 0198 -0340 -0005

GDPギャップ 1000 -0056 0205 0605 0246 -0119 0042

貿易収支比率 1000 0029 0189 -0182 -0252 0183

為替変化率 1000 0259 0023 0019 0058

NYインフレ率 1000 -0071 -0378 -0084

NY金利 1000 0649 0291

ロンドン市中金利 1000 0092

正貨準備変化率 1000

32 拡張テイラールールの推計結果

推計期間は貿易収支が入手可能な1926年1月から1936年12月までの全期間と上述の(2)

式と比較するために1931年12月までとそれ以降の期間とする推計結果は表6の通り

である推計については上記3つの推計期間において 小二乗法を行っている新しく追

加した変数貿易収支比率為替レートの変化率ニューヨーク卸売物価上昇率ニュー

ヨーク金利ロンドン金利正貨準備の変化率の単位はである推計に当たっては系

列相関が疑われるためNewey-Westの方法によって標準誤差の修正を行っている

23

表6 拡張テイラールールの推計結果

係数 係数 係数 係数

定数項 r-βπ tar 3155 2980 定数項 r -βπ tar 5780 6596 (10072) (6939) (12603) (13464)

インフレ率 1+β 0008 0027 インフレ率 1+β 0041 0025

(0552) (1600) (1957) (1399)

GDPギャップ α 1 0036 0057 GDPギャップ α 1 0090 0083

(1156) (1798) (2584) (2412)

貿易収支比率 α 2 -0105 -0106 貿易収支比率 α 2 -0053 -0054

(5627) (4937) (2671) (3396)為替変化率 α 3 -0109 -0110 為替変化率 α 3 -0062 -0051

(3782) (3755) (1345) (0998)

NYインフレ率 α 4 0014 0011 NYインフレ率 α 4 0014 0012

(0820) (0645) (0651) (0682)

NY金利 α 5 0212 NY金利 α 5 -0133

(3002) (1599)

ロンドン金利 α 5 0399 ロンドン金利 α 5 -0466

(2870) (3071)R2 0397 0375 R2 0468 0503

自由度調整済みR2 0380 0357 自由度調整済みR2 0447 0483

標準誤差 1520 1548 標準誤差 1375 1329

DW統計量 0568 0531 DW統計量 0700 0794

係数 係数

定数項 r-βπ tar 2703 2617

(6657) (26032)

インフレ率 1+β -0018 -0016

(1920) (2396)

GDPギャップ α 1 -0052 -0059

(2353) (5464)

貿易収支比率 α 2 -0031 0004

(1779) (0381)

為替変化率 α 3 -0007 0028

(0423) (1526)

NYインフレ率 α 4 -0017 -0024

(3808) (5526)

NY金利 α 5 0423

(1421)

ロンドン金利 α 5 0742

(7283)

R2 0797 0899自由度調整済みR2 0774 0887

標準誤差 0443 0313

DW統計量 0757 0925

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とそれぞれの金利だけである

どちらの推計でもこれらの有意な変数は符号条件を満たしているインフレ率とGDPギャ

24

ップは5有意ではなくなり単純テイラールールでも小さかった係数はさらに小さ

くなるこれに対して貿易収支比率の係数は貿易収支比率が10ポイント分マイナス

に動けば1金利を引き上げることであるからある程度貿易収支に反応して金融政策

を行っていたと言えるだろう為替変化率の係数は為替レートが10下落したら金利

を1引き上げることであるからこちらもある程度は為替レートに反応して金融政策を

行っていたとも言えるだろうニューヨーク金利とロンドン金利が1上昇すると国内金

利をそれぞれ0204引き上げるということになっている

1926年1月から1931年12月までの推計ではニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれ

を用いた推計でも5で有意な変数はGDPギャップと貿易収支比率とロンドン金利であ

るがロンドン金利は符号条件を満たしていないGDPギャップは有意であるがその係数

は単純テイラールールの推計と同様に小さい貿易収支比率の係数は貿易収支比率で

10ポイント分赤字が増えれば金利を05引き上げることであるからある程度は貿易

収支に反応して金融政策を行っていたと言えるかもしれない

さらに1932年1月から1936年12月までの推計では物価GDPギャップニューヨーク物

価ロンドン金利が5で有意であるGDPギャップニューヨーク物価は符号条件を満た

していないロンドン金利は符号条件を満たしその係数も074と大きく日本の金融政

策はロンドンに追随して行われていたことになる

金本位制を意識して行われていたときには金融政策は対外均衡に重点を置き金本位

制を離脱した後はロンドンの金利に追随していたことになる日本の金融政策が英国

の金融政策に追随していたことは鎮目[2009]第2章の結果とも整合的である

さらに表7は以上の変数に正貨を追加したものであるデータの制約により1919年1

月から29年3月までしか推計できないのでこれは金本位制を意識して金融政策が行われて

いた期間の金融政策を評価していることになる

25

表7 (3)式の拡張テイラールールの推計結果(正貨準備の変化率追加)

係数 係数定数項 r-βπ tar 5431 7511

(7602) (8642)インフレ率 1+β 0028 0024

(1209) (1264)GDPギャップ α 1 0147 0095

(2352) (1698)貿易収支比率 α 2 -0050 -0034

(2522) (2089)為替変化率 α 3 0016 0097

(0173) (0989)NYインフレ率 α 4 0004 -0004

(0166) (0224)NY金利 α 5 -0071

(0665)ロンドン金利 α 5 -0662

(2795)正貨準備の変化率 α 6 -0071 -0087

(0796) (1138)R2 0410 0471自由度調整済みR2 0374 0438標準誤差 1451 1375DW統計量 0808 0934注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

正貨を追加した推計結果ではGDPギャップ貿易収支比率ロンドン金利が有意である

GDPギャップ貿易収支比率は符号条件を満たしているがロンドン金利は満たしていない

表7の1919年から31年の推計結果に比べてGDPギャップの係数の値は大きくなるが景気

安定化効果が大きかったとまでは言えない貿易収支の係数はほとんど変らず貿易収支

の状況を念頭に入れて政策を行っていたと言えるだろうロンドン金利符号が逆で海外

金利が下がると金利を上げるという結果になっている

以上の結果を鎮目[2002]と比べる鎮目は金外貨準備英国の短期金利経常収支

資本収支をテイラールールの式に追加していずれの変数も有意ではなかったと報告し

ているが本稿では追加した変数のうち貿易収支ニューヨーク金利(特にロンドン

金利)が符号条件を満たして有意になっている場合が多く対外均衡を意識した金融政策

が行われていた可能性を示唆している

33 拡張テイラールールに関する政策反応ラグ

以上の拡張テイラールールの推計では貿易収支比率為替変化率ニューヨークイ

26

ンフレ率ロンドン金利を追加したものが良好な推計結果をもたらしたそこで拡張テ

イラールールに関する政策反応ラグを考慮するために以上の変数に加えて被説明変数

の 1期ラグを追加したものを推計する11結果は表8のようになる

表8 拡張テイラールールの金利ラグ付き推計

係数 係数 係数 係数定数項 r-βπ tar 0623 0565 定数項 r-βπ tar 1806 2223

(3922) (3134) (3861) (3396)インフレ率 1+β -00001 0003 インフレ率 1+β 0012 0007

(0023) (0552) (1190) (0761)GDPギャップ α 1 0019 0023 GDPギャップ α 1 0044 0043

(1589) (1875) (2072) (2007)

貿易収支比率 α 2 -0024 -0023 貿易収支比率 α 2 -0019 -0020

(2312) (2239) (1514) (1767)

為替変化率 α 3 -0026 -0025 為替変化率 α 3 -0048 -0045

(1984) (2069) (1607) (1430)

NYインフレ率 α 4 -0002 -0002 NYインフレ率 α 4 -0004 -0004

(0277) (0388) (0337) (0389)NY金利 α 5 0040 NY金利 α 5 -0044

(1532) (1193)

ロンドン金利 α 5 0075 ロンドン金利 α 5 -0163

(1447) (1703)コールレート1期ラグ 0796 0802 コールレート1期ラグ 0680 0657

(18638) (20579) (9505) (8112)R2 0789 0788 R2 0707 0711自由度調整済みR2 0782 0781 自由度調整済みR2 0693 0697標準誤差 0902 0904 標準誤差 1023 1016DW統計量 2581 2574 DW統計量 2408 2415

係数 係数

定数項 r-βπ tar 0527 0900 (2552) (3391)

インフレ率 1+β -0004 -0005(1594) (1249)

GDPギャップ α 1 -0006 -0014

(1174) (1562)

貿易収支比率 α 2 -0001 0010

(0135) (1064)

為替変化率 α 3 0005 0019

(0542) (1247)

NYインフレ率 α 4 -0003 -0008

(1971) (2116)

NY金利 α 5 -0022

(0557)

ロンドン金利 α 5 0386

(3052)コールレート1期ラグ 0833 0608

(9986) (6019)R2 0934 0957自由度調整済みR2 0925 0951標準誤差 0255 0207DW統計量 2478 2362

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

11 単純テイラールールでは説明変数のラグを加えたがここではあまりにも煩雑になること

と単純テイラールールで被説明変数の 1 期ラグが重要であったことから被説明変数の 1 期

ラグのみを追加した

27

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とコールレートの1期ラグであ

る貿易収支比率と為替変化率のどちらの係数も符号条件を満たしているがコールレー

トの1期ラグがない場合と比べて係数の値は小さくなっているただしこの推計をコイ

ック型と考えて係数の長期の値を(1-コールレートの1期ラグの係数)で除すことによっ

て求めれば1期ラグがない場合の係数よりもかなり大きくなる

1926年1月から1931年12月までの推計ではGDPギャップとコールレートの1期ラグのみが

有意となるGDPギャップの長期係数を求めても値は小さいこの期間では金利を安定的

に維持することに金融政策が使われていたと言えるだろう

1932年1月から1936年12月までの推計では有意なものはロンドン金利とニューヨークイ

ンフレ率とコールレートの1期ラグとなってしまうニューヨークインフレ率は符号条件を

満たしているがその係数は小さいロンドン金利の係数は大きく日本の金融政策はロ

ンドンに追随して行われていたことになる

コールレートの1期ラグを入れるといずれの期の金融政策も金利の平準化の要素が大き

いと判断される金本位制を意識して行われていたときには金融政策はある程度は対外

均衡を考えていたようである金本位制を離脱した後はロンドンの金利を考慮していた

ようである

さらに表9は以上の変数に正貨を追加したものである(データの制約により1919年1

月から29年3月までの推計)これは金本位制を意識して金融政策が行われていた期間の金

融政策を評価していることになる

28

表9 正貨準備高の変化率を加えた場合

係数 係数定数項 r-βπ tar 1723 2771

(3126) (2898)インフレ率 1+β 0004 0005

(0356) (0518)GDPギャップ α 1 0088 0072

(2641) (2442)貿易収支比率 α 2 -0023 -0018

(1664) (1321)為替変化率 α 3 -0025 0008

(0544) (0189)NYインフレ率 α 4 -0007 -0010

(0617) (0924)NY金利 α 5 -0012

(0255)ロンドン金利 α 5 -0239

(1470)正貨準備の変化率 α 6 0001 -0005

(0013) (0079)コールレートの1期ラグ 0644 0603

(7451) (6371) R2 0652 0659自由度調整済みR2 0628 0635標準誤差 1119 1107DW統計量 2450 2452注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

有意なものはGDPギャップとコールレートの1期ラグであるGDPギャップは符号条件

を満たしている長期の係数を取ってもその係数は大きいとは言えない

34 対外均衡と対内均衡

対外均衡に重点を置いた金融政策を行うとは経常収支赤字や為替レート下落や外貨準

備の減少に対して金利を引き上げるというルールに従って金融政策を行うことである

通常であれば金本位制の下で国内がインフレになり競争力を失ったり景気が過熱

して輸入が増大したときには経常収支赤字や為替レート下落や外貨準備の減少が起きる

だろう経常収支の赤字や外貨準備の減少が起きたときには金融を引き締めるというルー

ルは国内がインフレになったり景気が過熱したときには引き締めるというルールでも

あるしたがって対外均衡に重点を置くことが国内均衡を必ず妨げるというわけではな

いこれは逆の場合も真実であるしかし1910 年代日本の経常収支や外貨準備は国

内の景気要因で変化したわけではない第 1 次世界大戦によって外需が増加し経常収支

29

が黒字となり外貨準備が増えた金本位制のルールに従って金融政策は緩和されマ

ネタリーベースは 1919 年 1 月から 1920 年 4 月までに 16 倍に増加した輸出超過の国は

金融緩和することによって輸入超過の国の不況を和らげることができる日本は金本

位制の正しいルールに基づいて金融を緩和しただけであるしかし戦争がおわりその

復興需要もなくなったとき経常収支は赤字となり外貨準備は減少したしかしかつ

て金準備に依存して増大していたマネタリーベースはそのままだった失われた外貨準備

に対してマネタリーベースを減少させなければならなかったしかし23 年までマネタリ

ーベースは増大し続けていた関東大震災という不幸もあってマネタリーベースを減少

させることはできなかったその後25 年まで引き下げていたが27 年には金融恐慌があ

りマネタリーベースを削減することができなかったその後28 年までマネタリーベ

ースはむしろ拡大していた29 年には金本位制復帰を目指してマネタリーベースを急減さ

せるがその結果は激しいデフレと不況だった

そもそも国内要因の変化によらない金準備の増加に対してマネタリーベースを拡大し

たことが誤りだった金本位制からの離脱は1917 年ではなくて欧米諸国が離脱した

1914-15 年になすべきだったそうであれば1910 年代末までのマネタリーベースの急増

はなかっただろうところが実際には金本位制から離脱したにも関わらず1920 年にか

けてマネタリーベースは拡大していた1920 年代からは失われた金準備に対してマネタリ

ーベースを削減することが試みられるようになるしかしそれは関東大震災や金融危機

によって頓挫するむしろマネタリーベースを削減するという試みがデフレと不況をも

たらしそれゆえに不良債権が増大してしまったということではないだろうか

35 小括1‐テイラールールの推計から得られた知見

以上のことから考えて1920 年代から 30 年代にかけては金融政策はインフレまたはデ

フレ促進的な政策を行っていた対外均衡にはある程度考慮した金融政策を行っていたこ

とが分かる

しかし1920 年代には金本位制に復帰するという政策が課題となっていたはずである

20 年代がデフレ促進的また対外均衡にある程度考慮した政策を行っていたことはこの

課題にとっては正しいものだろうしかし現実に採られたデフレ促進策では不十分だっ

た物価は旧平価で金本位制に復帰できるほど下がっていなかったのだからまた32 年

以降の金融政策についてもなぜ 32 年から急速な回復ができたのかそれと金融政策とは

どのよう関係しているかは分析できていない

これについて飯田岡田[2004]は昭和恐慌からの回復はデフレ脱却による実質金利

の下落が重要であって名目金利の低下は重要でなかったと分析しているこれによれば

名目金利の変化で金融政策の変化を見ることはできないことになるしたがって名目金

利の変化に着目するテイラールールでは31 年 12 月以降の高橋是清蔵相の金融政策の意

味を理解できないことになる

30

また金融政策が物価および景気安定を意図していなかったら何を意図していたのだ

ろうか本稿での結論は為替レートや経常収支に視点を置いた対外均衡を意識していた

ということになる

いずれにしろテイラールールだけでは戦前期の金融政策を十分には理解できない

ことになるそこで戦前期の金融政策を別の方法で評価してみよう

4マッカラムルールによる金融政策の評価

41 マッカラムルールの意味と定式化とデータ

以下ではマッカラムルールで戦間期の金融政策を評価することにするマッカラム

ルールを用いて金融政策の在り方を判断した研究としてはマッカラム自身の分析を始め

として多くのものがある(例えばMcCallum[1987][1988]マッカラム[1997]第 15 章)

日本のデータを用いたものにおいても McCallum[1987]岡田飯田[2004]などがあるし

かし日本の戦前期についてはおそらく安達[2006](第7章)しかないと思われる安

達は年データを用い目標値として設定された名目 GNP 成長率(5と設定している)

を達成するためのマネタリーベースを求め現実のマネタリーベースの成長率が 1936 年ま

で過小でそれ以降過大であることを示している本稿では月次データを用いているので

期間ごとの金融政策の在り方も検討することができる

マッカラムルールとはマネタリーベースの成長率を名目GDPの望ましい成長率に

依存させるルールである(McCallum[1987]マッカラム[1997]第 15 章)しかし貨幣の

流通速度 vは変化するので貨幣の流通速度の変化に応じてマネタリーベース bの動きを調

整することが必要となるこのようなルールはbvなどを対数値として望ましいマネタ

リーベースの成長率⊿bをマネタリーベースの流通速度Δvに応じて変化させるというルー

ルであるただしvは景気変動によって大きく変動しているのでそれが技術的な変化と

見なせる 2 年間の平均値 tvΔ であるとする12すなわちマッカラムルールに基づくマネタ

リーベースの成長率とは

tbΔ =マネタリーベースの望ましい成長率- tvΔ

であるここでマネタリーベースの望ましい成長率はサンプル期間(1919 年 1 月から 1933

年 12 月まで)のマネタリーベースの平均成長率とする13マッカラムはマネタリーベース

の望ましい成長率を名目 GDP の成長率としているがここではまずこの期間の経済を再現

することを目的としているので現実のマネタリーベースの成長率を採用したマネタリ

12 マッカラム(1997)第 15 章では流通速度として 4年平均を使用しているが本稿ではサンプル

期間が短いため 2年平均としている 13 サンプル期間は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月であるがマネタリーベースの流通速度の平

均値作成のため 初の 24 か月が失うのでここで計算された望ましいマネタリーベースの成長

率は 1921 年 1 月から 1933 年 12 月までの平均となっている

31

ーベースの動きを図 10 に示しているマネタリーベースは季節性が強いので季調値も図示

しているなお前述のように戦前期の月次名目 GDP のデータは存在しないのでIIP に

卸売物価を掛けたものを名目 GDP の代理変数とする(ここで使うデータの定義と出所は前

掲の表1にある)

図 10 マネタリーベース(原数値と季節調整値)の動き

0

50000

100000

150000

200000

250000

19191

19197

19201

19207

19211

19217

19221

19227

19231

19237

19241

19247

19251

19257

19261

19267

19271

19277

19281

19287

19291

19297

19301

19307

19311

19317

19321

19327

19331

19337

観察されたベースマネー(単位万円) 季節調整済マネタリーベース(単位万円)

作成されたマネタリーベースの成長率は1919 年 1 月から 33 年 12 月までで年率 12

月次では 01となるすなわち

tbΔ =0001- tvΔ

ここで考察する期間を 1919 年 1 月から 33 年 12 月までとしたのは34 年以降の GDP の伸び

が大きすぎトレンドの作成において歪みを生じさせるからであるまた33 年は昭和恐

慌から脱却し経済が安定していた時期でもある

さらに名目 GDP が何らかのショックによって平均的な成長経路よりも上回った時に

はマネタリーベースの伸び率を低下させるようなルール(下回った場合は逆)を導入し

ようすなわち

tbΔ =0001-

1 1( )t t tv y yλ minus minusΔ + minus

32

となるただし目標値

1ty minus は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月までの月次平均成長率 04

成長経路での名目 GDP の対数値であるまたマッカラムによればλは四半期データで 025

が望ましいとされているがここでは月次データを使用しているのでとりあえず 12 分の 1

とすることを考えたがこの期間の名目 GDP は戦後の日米名目 GDP のデータより大きく変

動しているのでさらに小さくする必要があるマッカラムも「λの値を選択する場合

もし間違えるとすれば小さな値を採るほうがよい」(マッカラム[1997]308 頁)としている

そこでλは 36 分の1とした 終的なルールは

tbΔ =0001-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (5)

となる

マッカラムは望ましいインフレ率をゼロとするマネタリールールを求めているがこ

こでは実際には大きく変動したマネタリーベースを安定的に動かしていたらどうなったか

を考えることにしているので名目 GDP の動きは現実のものを使いルールにもとづくマ

ネタリーベースと実際のマネタリーベースをまず比較することにする

次に名目 GDP の決定に関する次のようなモデルを 小二乗法により推計する結果は

1 1 2 3

2

0004 0295 0053 0110 0106 0071 - 0069 23- 0046 27(1596) (3634) (1054) (1404) (2300) (1831) (6731)

R 0109 SE=0029 BG(24)=33227

(1822) t t t t t t ty y b b b b dummy dummy eminus minus minus minusΔ = + Δ + Δ + Δ + Δ + Δ +

=

(6)

となる14但し yΔ は名目 GDP の変化率 bΔ はマネタリーベースの成長率dummy23 は関東

大震災の時の一時的な変動をとらえるために 1923 年 9 月を 1それ以外を 0 としたダミー

変数dummy27 は金融恐慌時の一時的な変動をとらえるために 1927 年 4 月 5 月を 1それ

以外を 0としたダミー変数サンプル期間は推計に使用する変数が全て揃う 1921 年 1 月か

ら 1933 年 12 月までまたここでの残差 te は攪乱項の推定値2R SE BG(p) はそれぞれ

自由度修正済み決定係数攪乱項の標準誤差p 次の Breuch-Godfrey テストのχ二乗統計

量( )内は Newey-West の方法により修正した t値を示している15

ここで当時マッカラムルールなどという議論がなかったのだからこのような分

14 ここでは bΔ は現実のマネタリーベースの成長率を使用して推計を行っている 15 研究の対象期間は 1919 年 1 月からであるが平均流通速度 tvΔ の計算のために 初の 24 ヶ

月分が使用できないそのため他のシミュレーションの対象期間と整合性を保つため 1921 年 1

月からとしているまたこの推計式にはラグ付き内生変数を含むためダービンワトソンテスト

ではなく Breush-Godfrey テストを報告しているこの Breush-Godfrey テストから系列相関が疑

われるためNewey-West の方法により標準誤差を修正している

33

析は意味がないという批判があるかもしれないがこれにはテイラールールの節で述べ

たのと同じ反論が可能であるマッカラムルールとは名目 GDP が上昇しすぎたら(そ

のときには景気が過熱するかインフレが高進していると考えられる)マネーを縮小し

名目 GDP が下降しすぎたら(そのときは景気が悪化するかデフレになっている)マネーを

拡大するという素朴なルールである当時このようなルールが意識されていなかったと

は考え難い

42 長期的な経済を再現するシミュレーション

まずマッカラムルールによって現実の長期的な経済の経路を再現してみようルー

ルにもとづくマネタリーベースと実際のマネタリーベースのレベルと成長率とを図

11(1)(2)に示す

政策ルール(5)式が実施された場合の名目 GDP(の代理変数)の動きを見るために(5)式

から得られる理論値 tbΔ (6)式の残差 te 初期値 1ty minusΔ に目標 GDP

1ty minusΔ を代入してマ

ッカラムルールに従った場合の名目 GDP y の系列を求める現実の xとマネタリーベース

のルールに従った場合の y の系列を比べてみたのが図 11-(3)である図 11-(3)からマ

ネタリーベースのルールに従った場合の y の系列が安定していることが分かるこのよう

に安定的な名目 GDP の系列を得るためには第 1 次世界大戦後の金融引締めが過大で20

年代初期の金融緩和が過大30 年の金融引締めが過大だったと判断される

図 11 マッカラムルール

(1)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

34

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT MBDOT

注)BDOT はマッカラムルールの下でのマネタリーべースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(2)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

35

100000

120000

140000

160000

180000

200000

220000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC MB_SA

注)MB_SA はマネタリーベース(季節調整済)の現実値

B_MC はマッカラムルールに従った場合のマネタリーベース水準

またマッカラムルールの下でのマネタリーベースの初期値は現実値を使用

単位は万円

(3)マッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

36

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULE XSTAR X

注)GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

43 物価を下落させるシミュレーション

以上の結果はマネタリーベースの伸びを安定的にしていれば経済変動はより少なく

なっていただろうということを示しているしかしもし第 1 次世界大戦前の旧平価で金

本位制に復帰することが目的であったとしたら1節で述べたように物価を 3 割下げな

ければならない名目 GDP(その代理変数)は実質 GDP の変化がないとして1919 年 12

月から 29 年 12 月までに 3割下がらなければならない

そこで名目 GDP(その代理変数) y は現実の値よりも毎月 03ずつ低下しなければ

ならないので(5)式の定数項 0001 から 0003 を引いて-0002 とするすなわち

tbΔ =-0002-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (7)

とならなければならないここでの系列 y も実際の値から毎月 03ずつ引き下げたも

のを使っているつぎに(7)式の bを(6)式に入れると図 12 のようになる図に見られるよ

うに名目 GDP は安定しかつ小さくなっているすなわち物価が 3 割下落していること

が分かる

37

図 12 物価を下落させた場合

(1) 名目 GDP の目標値とマッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULEXSTAR

XGDP3_RULE

XSTAR_3

注) GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

GDP3_RULE は物価を 3割下げたマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR_3 は物価を 3割下げた場合の目標となる名目 GDP(対数値)

38

(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

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  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 3: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

2

昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか

―テイラールールとマッカラムルールによる解釈―+

原田泰

佐藤綾野

はじめに

第 1 次世界大戦から昭和恐慌とその脱却にいたる金融政策がどのような目標をもって

また実際にどのように行われてきたかという分析は極めて少ないように思われる当時

の金融政策についてはすくなくとも2つの疑問がある第 1 に当時の金融政策は現

在の中央銀行の常識となっているインフレを避けつつ景気安定を図るという目標を持っ

ていたのだろうかという疑問である第 2 には金融政策は金本位制への復帰を目標とし

ていたのだろうかという疑問である

1920 年代から 1930 年 1 月の金解禁にいたるまでは金本位制への復帰が政府と日銀に

とって重要な政策課題であった旧平価での金本位制への復帰とは第 1 次大戦時に上

昇した日本の物価を引き下げることを意味していたはずであるそうであるなら20 年代

の金融政策は物価を明白に低下させていくことを目標とするべきであったこのような政

策目標をもって金融政策が行われてきたのだろうか

本稿は鎮目(2002)を参考にしつつ戦間期の金融の金融政策が何を目標として行われて

きたかを分析する鎮目は戦間期日本の金融政策をテイラールールを用いて分析し

ているこれによれば日本の金融政策はインフレまたはデフレを増幅させる方向で働

いてきたこと1931 年の金本位制離脱後国内経済の安定に繋がる金融政策が可能であっ

たにも関わらずそのような金融政策運営が行われていたとは言えないことを示している

しかし鎮目の分析には年次データを用いていることでデータ数が限られ期間ごとの分

析が困難になっていることまた金本位制という通貨体制を問題にしながら為替レート

を説明変数に入れていないという問題があるそこで私たちは月次データを用いるこ

とで特定の期間に焦点を置いた分析が可能になること為替レートを説明変数に入れる

ことで金本位制への対応を直接分析することができると考えたさらにマッカラムル

ールを用いて金融政策を判断することとした

テイラールールによる分析の結果から鎮目と同じく戦間期日本の金融政策はイン

フレまたはデフレを増幅させる方向で働いてきたことが分かったまた貿易収支為替

+ 本稿は日本金融学会 2009 年度春季大会(2009 年 5 月 17 日)財務省財務総合政策研究所の研究会(2009年 5 月 27 日)内閣府経済社会総合研究所の研究会(2009 年 6 月 1 日)経済産業研究所の研究会(2009年 7 月 6 日)において報告したこれらの研究会において日本銀行金融研究所の鎮目雅人企画役財務

省の玉木林太郎国際局長財務省財務総合政策研究所の津曲俊英次長後藤元之次長内閣府経済社会総

合研究所の岩田一政所長岡田靖主任研究官堀雅博主任研究官矢野浩一主任研究官田口博之総務部

長経済産業研究所の及川耕造理事長冨田秀昭研究コーディネーター小林慶一郎上席研究員(肩書は

当時のもの)はじめ多くの方々から貴重なコメントをいただいたことを感謝しますこれらのコメントは

本稿を改善する上で本質的に有益であったもちろん残る誤りは筆者の責任である 原田泰(大和総研 yutakaharadarcdircojp) 佐藤綾野(高崎経済大学 ayano-satotcueacjp)

3

レートなど対外均衡に考慮した金融政策がある程度は行われていたことが分かったた

だし金融政策は長期的な物価下落目標や経済状況に応じて機動的に金融政策を行うとい

うよりも金利を平準化することに力を注いでいたように思われるこの期間は金本位制

への復帰を目指していたといわれるが現実の金融政策を評価してみるとそのような目

標を立てていたとは考えられない

マッカラムルールによる評価でも同じような結論となるマネタリーベースの成長率

を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行って

いたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できるこ

れはテイラールールによって当時の金融政策がデフレまたはインフレ促進的なもので

あったと評価されたことを別の方向から裏付けるものであるまた旧平価で金本位制

に復帰するためには物価を下落させるためにマネタリーベースを縮小しなければならな

かったがそのようなことはなされていなかったことも明らかになった

1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き

11 -第 1次世界大戦から昭和恐慌とその回復まで

戦間期の日本経済についてはすでに多くの著作によって説明されているが本稿の問題

意識との関連でごく簡単に説明しておく(以下の記述は中村[1981]中村[1993]原田

香西[1987]第Ⅰ部第 3章第 4章などに基づく)

戦間期の日本経済とは第 1 次世界大戦の後の経済である日本は第 1 次世界大戦には

ほとんど参加しなかったので欧州の戦乱に乗じて輸出を拡大させ経済を活況に導い

たしかし戦後の欧州復興需要が終ると日本企業は過大な設備を抱えて苦しむことに

なったここにさらに為替レートの過大評価という問題もあった輸出増加とともにマネ

ーサプライが上昇して物価が上昇したが為替レートは物価上昇ほど下落せず日本は割

高な為替の中で国際収支の赤字に悩むことになったまた戦時の混乱の中で日本は世

界各国と同様に金本位制から 1917 年 9 月に離脱したので(ほとんどの国が 1914-15 年に離

脱していたアメリカの離脱は 17 年 9 月)戦後金本位制への復帰という問題が政治課

題となっていた主要な月次データは 1919 年からしか得られないのでここでは年次デー

タを用いて第 1次大戦から戦間期の状況を説明することにする

図1は1910 年から 1940 年までの実質 GNPGNP デフレータ経常収支を示したもので

ある第 1 次大戦のブームで実質 GNP の成長率が上昇した後成長率が低下したこと30

年代の世界恐慌の影響(日本では昭和恐慌)は軽微だったことが分かる実質 GNP の成長

率はマイナスにならず成長率がもっとも低下した 31 年でも 04の成長となっている

ただしこの時期の実質 GNP の推計には過大推計ではないかという批判がある名目 GNP

を見ると昭和恐慌期に大きく落ち込んでいるのでこの批判はデフレータに関するもの

である宇都宮[2007] はこの期間の消費デフレータの下落率が大きすぎるとしているそ

こで図には宇都宮の再推計した消費デフレータを用いた実質 GNP 系列も示してある

4

この系列によればGNP の成長率は小さくなり31 年には 12のマイナス成長になるた

だこの再推計によっても世界大恐慌期における日本の成長率の低下は小さく日本は

世界恐慌の影響がもっとも軽微だった国の一つであるという事実は変わらない

またGNP デフレータから第 1 次大戦期に物価が大きく上昇した後20 年代はデフレ

ーションが続いていたことが分かるさらに30 年の恐慌時には物価が大きく下落してい

たこと物価の落ち着きとともに実質 GNP の成長率が回復したこと30 年代の後半にはイ

ンフレになったことが分かる

経常収支に着目すると第 1次大戦とその復興期に経常黒字が急拡大したことが分かる

ヨーロッパの戦乱に乗じて輸出を拡大した結果であるただし前述のように混乱が

収まると日本の輸出の急増は続かず経常収支赤字に悩むことになる

図 1 実質 GNPデフレータ経常収支などの動き

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

-10000

-5000

0

5000

10000

15000

20000

25000

1910 1912 1914 1916 1918 1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1934 1936 1938 1940

経常収支times10 実質GNP 宇都宮推計実質GDP GNPデフレーター

出所)大川一司『長期経済統計1国民所得』東洋経済新報社1974年大川一司『長期経済統計14貿易と国際収支』東

洋経済新報社1979年宇都宮[2007]注)経常収支は動きを分かりやすくするために10倍してあるGNPデフレータは右軸その他は左軸(単位100万円)

金本位離脱 関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

また第 1 次大戦期はインフレの時期でもあった図2は日本とアメリカの卸売物価指

数日本を基準とした日米の相対物価(いずれも 1910 年=100)為替レート(100 円当たり

ドルこれは当時の通常の表記法である)を示したものである図に見るように1917 年

から日本の物価は激しく上昇し1921 年には 1910 年を 100 として 300 近いレベルにまで上

昇したその後20 年代は物価が下落するデフレ状況になっていたアメリカの物価も

上昇していたが日本ほどではなかったので日米相対物価は下落していた為替レート

は当然下落しなければならなかったが高いままにあったこれは日本が戦前の水準で金

5

本位制に復帰するだろうとの予想があったからであるグラフから見ると1929 年には

日本の為替レートはドルに対してほぼ3割切り下げる必要があったがこの割高なレート

で 1930 年 1 月日本は金本位制に復帰したことになる(当時小汀[1929]は1~2割石

橋[1929]は 2 割の切り下げが必要としていたがこれは当時の日米物価の相対的な動きか

ら得られたものだった)

図2 日米物価と為替レート

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

200

0

50

100

150

200

250

300

350

日本卸売物価 アメリカ卸売物価 日米相対物価 為替レート

出所)日本銀行「本邦経済統計」BRミッチェル斎藤眞監訳『マクミラン 新編世界歴史統計[3] 南北アメリカ歴史

統計19750‐1993』東洋書林2001年注) 為替レートは右軸(単位USドル100円)その他は左軸 (1910年を100とした場合)

金本位離脱 関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

12 金解禁論争と政治の動向

このような状況で1920 年代には金本位制に復帰するという金解禁政策が政治的課題

となっていたこの間の金解禁論争は(1)金本位制の下で国際競争力を維持するためには

物価を下落させても本来の金平価(第 1 次大戦前の平価)に戻るべきという議論(旧平価

解禁論)と(2)金解禁を行うのであれば国内経済の安定に重点を置いてすでに上昇し

てしまった物価を前提とした新しい平価で戻るべきという議論(新平価解禁論)が対立し

ていた(この論争については若田部[2004]中村[2004]田中[2004]が詳しい)1現実に

1 国際連盟の主催で金本位制の復活に関する国際会議が1920 年(ブリュッセル会議)と

22 年(ジェノア会議)に開催されているブリュッセル会議は専門家のジェノア会議は政府

代表の会合であるただし決議はほぼ共通しており復帰する平価の水準に関しては旧平価

で復帰するか新平価で復帰するかは各国が決定すべきこととされていた(日本銀行[1983]第 5章3)

6

は民政党浜口雄幸内閣の井上準之助蔵相の下で 1930 年 1 月に旧平価解禁が行われ日本

は激しいデフレとなって昭和恐慌に突入するその後犬養毅政友会内閣の高橋是清蔵相

の下で金輸出が再禁止され日本は 31 年 12 月(正式には 32 年 1 月)金本位制から離

脱しデフレも収まり景気は急回復する29 年から 31 年の激しいデフレと昭和恐慌デ

フレ脱却と景気回復は前掲の図1にも明らかである

この論争で残念なのは旧平価での解禁は国内物価を下げることであるということが国

民に理解されていなかったことだもちろん旧平価解禁論者はそれが財界整理不況

をもたらすことを理解していたがどれだけの物価下落が必要かそのためには賃金も下

げなくてはならないことを理解していたとはとうてい考えられない確かに「当時の経済

政策を支配していた思想は正統的保守的であってこれは 1920 年代を通じて政府が

戦前平価で金本位制を再開することからも明白である」(佐藤和夫[1981]24 頁)とされる

問題はそれが何を意味するかを正統派保守派が理解していたとは思われないことだ2

旧平価解禁論が真剣なものであったのなら20 年代初期に高騰した物価を20 年代を通

じて下落させていくことが金融政策の課題でなければならないがそのような金融政策は

行われていたのだろうか本稿ではテイラールールとマッカラムルールを用いて

この問いに答えることとするがその前に日本の金本位制復帰への政治的な動きを概観

しておきたい

第 1 次大戦期の混乱が収まり主要国が金本位制に復帰するにつれて日本も金本位制

に復帰するべきだと議論が盛んになり金解禁すなわち金本位制復帰が日本の政策課題と

なったしかし当時の言論や政府高官の発言を見るとかならずしも一直線に金解禁を

目指すという議論が盛んだった訳ではない金解禁論争とはアメリカが金本位制に復帰

した1919年から現実に金解禁が決定される1929年まで10年にわたる論争だったのである

以下日本銀行[1983](第 5 章3第 6 章2)石橋[1929]により金解禁を巡る動きを

簡単に整理しておこう

世界の動きを見れば前述の 19 年のアメリカの旧平価での復帰に続いて24 年にはドイ

ツが新平価で(ドイツは金兌換を実施しておらず不完全なものだった)25 年にはイギリ

スが旧平価で27 年にイタリアが28 年にはフランスがそれぞれ新平価で金本位制に復

帰したフランスの復帰によって主要国のなかで復帰していないのは日本だけとなり

このことも日本の金解禁への動きを促進したと思われる金解禁論争は他国の復帰に刺激

を受けた論争でもあった

1919 年にはアメリカの復帰に刺激を受けて東洋経済新報などで金解禁論が唱えられ

たが政府の反応は低調であったこの理由として大戦後には対中国投資が盛んにな

りその際日本が影響力を持つために金準備を蓄積しておく必要があったからであると

2 ただし当時日本銀行理事副総裁を歴任していた深井英五はこの問題を理解していた

深井は「金本位を回復する為めに所謂貨幣の単位の切下を行うか(すなわち新平価解禁‐筆者

注)然らざれば通貨の縮小を図らなければならぬ」と書いている(深井[1928]第 9 章第 5 節単

位の切下げか通貨の縮小か)

7

されている(石橋[1929])1922 年ごろになると物価調整の見地から金解禁論が唱えられる

ようになった物価が第 1 次大戦の水準に比べると倍になっておりアメリカの物価に

比べても 4 割高い水準にあったこの割高の水準を金解禁通貨収縮のメカニズムによっ

て是正せよというのである確かに加藤友三郎内閣(22-23 年)は通貨縮小物価引き

下げの意志を示してはいたしかしその動きは 23 年 9 月の関東大震災によって葬られた

1925 年のイギリスの金解禁によって再び金解禁の動きが盛り上がったが当時の浜

口蔵相の発言によれば財界の整理安定を図り外国貿易の逆調を制し国際貸借を改善

しその結果として金解禁すると述べている(浜口雄幸「金融制度の整備と国際貸借につ

いて」(『銀行通信録』第 81 巻第 484 号1926 年 5 月 8日引用は日本銀行[1983]148 頁)

これは 22 年ごろの金解禁論とは政策の因果関係を逆にするものだっただが27 年の金融

恐慌により金解禁への動きはまったく頓挫したしかし 29 年になると財界においても金

解禁を求める声が高まり新たに政権についた浜口民政党内閣の下で金解禁が実施され

ることになるただしこの金解禁を行うための準備について当時日銀副総裁であった

深井英五は金解禁が不景気を忍ばなければならないことを大衆に理解させていたかに疑

問を呈している(深井英五『回顧七十年』岩波書店1941 年242-243 頁)

以上概括してみれば金本位制へ復帰しようという動きはあったが19 年から 29 年に

かけて 9 代の交代を経験した内閣を通じて金解禁とは通貨の収縮によって不況をもた

らし物価を引き下げることであるという理解の下に一貫した政策が行われていたとは信じ

がたいただし金解禁への動きが度々予想されていたので旧平価での金解禁の実施を

予想して為替が上昇しており(1923 年から 27 年にかけて為替は下落していたがそれ以外

はほぼ旧平価の水準にあった)それを通じて経済にデフレ圧力が現れていたのが 1920 年

代の経済と解釈できるだろう

ここで私たちの分析に戻ってまずテイラールールの分析から始めたい

2テイラールールによる金融政策の評価

21 テイラールールの意味と定式化

テイラールールとはGDP ギャップと現実のインフレ率と目標インフレ率の差に対して

金利をどの程度動かすべきかという金融政策について Taylor[1993]が提唱したルールであ

る金融政策当局が現実にどのように金融政策を行っているかを表すものとして様々に

実証されている日本における実証としては地主黒木宮尾[2001]などがあるが戦前

期の金融政策に適応したのは鎮目[2002]のみと思われる

テイラールールとは以下の式で表わされるものである

( )tart t t t ti x rπ α β π π= + + minus + (1)

8

この式においてiは政策金利π はインフレ率xは GDP ギャップπtarは目標インフレ

率rは均衡実質利子率を表しているテイラールールは(1)式に示されるように政

策金利の決定を物価と景気(GDP ギャップ)を睨みながら行われていることについてのルー

ルであるすなわちGDP ギャップが正の方向に動けば(景気が良くなれば)金利を引上げ

(αはプラス)インフレ率が目標インフレ率よりも高まれば金利を引き上げる(βはプラ

ス)というルールであるここでは目標インフレ率も均衡実質金利も分からないので

(1)式を変形して

( ) (1 )tart t t ti r xβπ β π α ε= minus + + + + (2)

を推計するここでベータが1以上であれば物価が望ましい水準よりも高くなれば物

価上昇率以上に金利を上げて物価上昇を抑えるというルールを適用していることになる

このような推計を行うことについて当時テイラールールなどという概念がなかった

のだから意味がないという批判があるかもしれない(これは3のマッカラムルールに

ついても当てはまる)しかしテイラールールとは景気が過熱するかインフレが高進

したら金利を引き上げ景気が悪化するかデフレになったら金利を引き下げるという素朴

なルールでありこのような考えは当時も広範に理解されていたと思われる在野のエコ

ノミストとして活躍していた高橋亀吉は「金利政策とはhellip物価が思惑的に騰貴し過ぎ又

は企業が投機的に濫設せられる惧れありと見ればこれを抑え物価が恐慌的に下落し過ぎ

たと見れば金利を引き下げて其の下げ足を止めるの類である」と書いている(高橋

[1929]190 頁)また日本銀行の要職を歴任していた深井英五(1918 年日本銀行理事1928

年日本銀行副総裁1935-36 年日本銀行総裁1937 年貴族院議員1938 年枢密顧問官)も

「(通貨調節の趣旨は)通貨の数量の過不足より来る通貨の価値の変動を防ぎなるべくそ

の安定を図ることhellip所謂景気の変動を緩和しその循環を成るべく円滑にすること」と

書いている(深井[1928]467 頁)(ただし両者とも上記の考えを実践する上での難しさ

は認めている)したがって素朴な意味のテイラールールは常識として理解されていた

と言ってよく当時の金融政策をテイラールールによって評価することは意味があると

考えられる3

22 戦前期のテイラールールについての先行研究

戦前期のテイラールールを推計した研究としては既に鎮目[2002]がある鎮目は

戦間期日本の経済変動に対して金融政策がどのように反応してきたかをテイラールー

ルを用いて分析しているこの分析によればこの間の日本の金融政策は(1)インフレ率

3 本稿の目的は日本銀行の行動を評価することではない当時日銀は政府から独立しておら

ず日銀の政策を単独で評価することは意味がない本稿で評価するのは総体として金融政策

を形作った日本銀行大蔵省政治家等当時のエリートたちが総体として行った政策である

9

の関係で見ると経済変動を増幅させる方向で働いてきたこと(2 金融政策は金本位制

という通貨体制と密接に関係しており国内経済の安定を犠牲にして為替レート目標を追

求してきたことを示しているさらに(3)1931 年の金本位制離脱後国内経済の安定に繋が

る金融政策が可能であったにも関わらずそのような金融政策運営が行われていたとは言

えないことを示している

私たちも戦間期の金融政策について昭和恐慌前後の時期に焦点を当てて分析を続

けてきた(原田中澤[2004]原田[2005]原田佐藤中澤[2008])鎮目の分析は年

次データを用いているので戦間期全体の金融政策を分析できるが昭和恐慌前後ある

いは第 1 次大戦直後など特定の時期に焦点を置いた分析とはなっていないそこで私

たちは月次データを用いることで特定の時期に焦点を置いた分析が可能になるとと考

えたまた鎮目は金本位制という通貨体制を問題にしながら為替レートを説明変数

に入れていないこれも私たちがさらなる分析が必要と判断した理由である

23 データの説明

戦間期の経済データは主に日本銀行「本邦経済統計」東洋経済新報社『経済統計年鑑』

大蔵省「大蔵省年報」一橋大学経済研究所日本経済統計文献センター統計資料シリーズ『景

気指数1888~1940 年』などから得ることができるここで用いるデータは1926 年 1 月

から 1936 年 12 月までのコールレート卸売物価指数鉱工業生産指数為替レート貿

易収支でありこれらの定義と出所を表1に整理しておく(ここで3のマッカラムル

ールの推計で用いるデータについても定義と出所を示しておく)

表 1 使用データ(月次)の出所

変数名 出所

コールレート 日本銀行『本邦経済統計』

鉱工業生産指数 東洋経済新報社『経済統計年鑑』各年版

卸売物価指数

藤野正三郎五十嵐副夫『景気指数1888~1940 年』一橋大

学経済研究所日本経済統計文献センター統計資料シリーズ

No2

為替レート 日本銀行「本邦経済統計」外国為替相場(横浜正金銀行建値)

ニューヨーク電信平均

貿易収支 輸出-輸入大蔵省「大蔵省年報」各年版

マネタリーベース

大蔵省理財局編『金融事項参考書』日本評論社(日本銀行兌換

券差引流通残高と日本銀行預金貸出金残高表「一般預金」の和)

及び 藤野五十嵐前掲書

10

現金通貨 藤野五十嵐前掲書

ニューヨーク卸売物価 日本銀行調査局『外国経済統計』

ニューヨーク市中金利 日本銀行調査局『外国経済統計』

ロンドン市中金利 日本銀行調査局『外国経済統計』

正貨準備高 日本銀行調査局『本邦経済統計』

これらのデータはなじみのないものであるのでそのグラフを図3図4に示しておく

鉱工業生産指数は 1930 年 1 月を 100 としているコールレートおよび卸売物価指数による

インフレ率(前年同期比)の単位は為替レートは 100 円当たりの 1 ドル価格貿易収支

は 100 万円単位であるまた鉱工業生産指数卸売物価指数および貿易収支を構成する輸

出と輸入は X12-ARIMA によって季節調整を行っている貿易収支は輸出輸入を季節調整

して差を取ったものである

図 3 使用データ(月次)のグラフ鉱工業指数貿易収支為替レート

-16E+08

-14E+08

-12E+08

-1E+08

-8000000

-6000000

-4000000

-2000000

0

20000000

40000000

60000000

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

200

貿易収支 鉱工業生産指数 為替レート

注)鉱工業生産指数と為替レート(ドル100円)は左軸貿易収支は右軸

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

11

図 4 使用データ(月次)のグラフインフレ率コールレート

0

2

4

6

8

10

12

-100

-50

0

50

100

150

200

1919M01

1919M05

1919M09

1920M01

1920M05

1920M09

1921M01

1921M05

1921M09

1922M01

1922M05

1922M09

1923M01

1923M05

1923M09

1924M01

1924M05

1924M09

1925M01

1925M05

1925M09

1926M01

1926M05

1926M09

1927M01

1927M05

1927M09

1928M01

1928M05

1928M09

1929M01

1929M05

1929M09

1930M01

1930M05

1930M09

1931M01

1931M05

1931M09

1932M01

1932M05

1932M09

1933M01

1933M05

1933M09

1934M01

1934M05

1934M09

1935M01

1935M05

1935M09

1936M01

1936M05

1936M09

卸売物価指数(前年同期比左軸) コールレート(右軸単位)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

本稿の目的であるテイラールールの推計では説明変数として GDP ギャップを用いる

がGDP は月次データでは入手できないのでここではGDP 1hp

IIPIIP

= minusギャップ を鉱工業

生産指数 IIP と IIPhpはのギャップで作成しているIIPhpは「潜在 GDP」の代理変数である

「潜在生産指数」で表わしており鉱工業生産指数に HP フィルター(Hodrick-Prescott

filter)をかけることによって作成した4作成した GDP ギャップは図5である

この GDP ギャップが実態と合っているかを考察するためにここで作成された GDP ギャ

ップの動きと藤野[1965](第 2-3 表)の認定した景気循環クロノロジーと比較してみる

藤野によれば1915 年 2-3 月~1920 年 1-2 月が拡張期21 年 5 月までが縮小期29 年 2

月までが拡大期31 年 7 月までが縮小期それ以降が拡大期となっているまた良く知

4 本稿では潜在 GDP 作成に際しHodrick and Prescott [1997以降 HP フィルターと呼ぶ]に

よるフィルタリング関数のスムージングパラメータλ=1166400 を選択してトレンドを抽出し

ているここでは報告されていないがHP フィルターのλ=12960014400移動平均のラグと

リードに関して対称な加重を計算するフィルタリング関数をもつ Baxter and King[1999]およ

び移動平均の加重に関して非対称な加重を許す Christiano and Fitzgerald [2003CF フィルタ

ー]を用いて比較検討しているCF フィルターでは季節調整済みの IIP 系列が単位根過程に従

っているためChristiano and Fitzgerald[1999]に従って平均なしトレンドなしドリフ

トなし平均トレンドドリフト全てなしの 4種類を使用して検討を行っている 終的に藤

野[1965]の景気循環周期と整合的になるように HP フィルターのλ=1166400 を選択したこれら

の結果を入手したい場合は筆者に連絡されたい

12

られているように20 年には第 1次世界大戦の終結による国際的経済反動があり23 年に

は関東大震災があり27 年には金融恐慌があった作成した GDP ギャップはこれらの変

動を基本的には捉えていると言えるだろう

さらに失業率の動きを前掲の図5に示す(失業率は内務省社会局社会部職業課「失業

状況推定月報概要」による)図に見るように失業率のデータがあるのは 1931 年 1 月か

ら 33 年 12 月までであるがその間の GDP ギャップと失業率の動きは正負逆でGDP ギャッ

プの変動が大きいという問題はあるがほぼ同じように動きをしているまた失業率の

動きが GDP ギャップの動きに遅れていることも雇用が景気の遅行指標であるという今日

の常識に照らして合理的であるしたがってHP フィルターで作成した潜在生産指数およ

び GDP ギャップも景気変動を反映した適切なもの判断できるだろう

図 5 使用データ(月次)のグラフGDP ギャップ

0

01

02

03

04

05

06

07

08

09

1

-20

-15

-10

-5

0

5

10

15

20

GDPギャップ lambda=1166400 藤野(1965)の景気後退期 失業率(単位)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

24 テイラールールの推計

241 推計結果

(2)式の推計結果は表2の通りである推計期間は全サンプルがそろう 1919 年 1 月か

ら 1936 年 12 月である36 年を終わりとしたのはそれ以降は軍の圧力によって政策が行

われ金融政策の自立的な動きを議論することはできないと考えたからである推計方法

は 小二乗法を使用しているなおダービンワトソン統計量からは系列相関が疑われるた

13

め 小二乗推定量が有効性を持たない可能性があるので標準誤差を Newey-West の方

法によって修正を加えて t検定を行っている5

推計結果の解釈としては1 β+ の推計値 0016 からβ は-0984 でありインフレ率が

目標インフレ率よりも高まれば金利を引き下げ逆にインフレ率が目標インフレ率よりも

低ければ金利を引き上げるという物価を不安定にするデフレ的な金融政策を採用していた

ことになる(インフレの時はインフレ促進的になる)ましてβはほぼマイナス1である

のでかなりインフレまたはデフレ促進的な金融政策を行っていたことになるこれを現

実の経済情勢に当てはめれば20 年代のデフレ期ではデフレ促進的な金融政策を行い30

年代のインフレ期ではインフレ促進的な金融政策を行っていたことになるただしこの

係数は 10レベルでも有意ではない

なお物価を下落させることを目標としてもデフレ促進的でなく長期的な目標をも

ってテイラールールに基づいて物価を下落させることができることを念のために指摘し

ておくすなわち物価上昇率の目標レベルを低くすれば目標より物価が上ったときは

引締め下がったときは緩めるという物価安定的でかつ長期的に物価を下落させる方法

は可能でありまたその方が望ましいだろう

一方α は 0108 なので GDP ギャップが正のとき金利を引き上げる景気安定的な政策を

とっていたことになるただしα は 10で有意であるが係数が小さいので(GDP ギャ

ップがマイナス 10でも金利を108下げるだけ)景気安定化効果が大きかったとは言え

ないだろう

表 2 (2)式のテイラールールの推計結果

係数

定数項 r -βπ tar 4669

(17711)インフレ率 1+β 0016

(0823)GDPギャップ α 0108

(1679)R2 0085自由度調整済みR2 0077標準誤差 1855DW統計量 0258

注)( )内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

全期間1919年1月~1936年12月

5 本稿には載せていないがここでは 尤法による推計も行っている 尤法による推計では誤

差項に正規分布を仮定した場合 小二乗推定値とほぼ等しい推定値でかつ漸近的 t値からが

1 β+ が 10αが 1で有意であることが確認されている

14

さらにサンプル期間を1930 年の昭和恐慌期を含む期間と含まない期間に分けて推計を

行う具体的には1919 年 1 月から 1931 年 12 月までと1932 年 1 月以降から 1936 年 12

月までの 2 期間に分割して(2)式の推計を行う金融政策は1931 年 12 月以前は金本位制

への復帰を求めていたがそれ以降は金本位制を離脱し金本位制に制約されることがな

くなったと考えての分割である(金本位制からの離脱は 31 年 12 月正式には 32 年 1 月)

推計結果は表 3 に示しているここでも標準誤差を Newey-West の方法によって修正して

いる

表 3 期間分割後のテイラールールの推計結果

係数 係数

定数項 r -βπ tar 5450 定数項 r-βπ tar 3113

(22627) (10790)インフレ率 1+β 0057 インフレ率 1+β -0009

(3877) (0644)GDPギャップ α 0061 GDPギャップ α -0182

(0898) (2307)R2 0313 R2 0175自由度調整済みR2 0304 自由度調整済みR2 0146標準誤差 1542 標準誤差 0862DW統計量 0475 DW統計量 0241

注)( )内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1931年12月 (2)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

推計結果表3-(1)を見ると1919年1月から1931年12月において(1+β)が1で有意であ

あるまた値は00567でありこれから1を引くとβ =-0943となる (1)式から考える

と物価が目標インフレ率以上に上昇したときには政策金利をほぼ物価上昇率と同じだ

け引き下げるという政策を行っていることがわかるこの期間はほぼ物価が下落してい

たのでデフレ促進的な政策を採っていたことになる

GDP ギャップに関しては有意ではないがギャップが1ポイント縮小すると政策金利

を 0061引き上げるすなわち景気が拡大したときには政策金利を引き上げるという景

気変動抑制的な政策が行われていたことがわかるもちろんその係数は小さいので実

際にどれだけそのような効果があったかは分からない

表3-(2)で1932年1月から1936年12月の推計結果をみる物価の係数(1+β)-0009か

ら1を引くと-1009となり物価が上ると金利を引き下げるという政策をとっていたこ

とが分かるこの期間は物価が回復または上昇していた時期であるのでインフレ促進的

な政策を行っていることがわかる

GDP ギャップに関しては 5で有意でありギャップが1ポイント縮小すると政策金

利を 0182 引き下げるという景気変動拡大的な政策が行われていたことがわかるただし

15

その係数は小さいので効果も小さかったと思われる

これらの結果を鎮目[2002]と比べるとインフレ促進的またデフレ促進的な政策が行

われていたということについては共通しているGDP ギャップについて 32 年以降マイナス

になるというのも鎮目と共通であるただし本稿の推計した係数値は鎮目に比べてき

わめて小さい

242 区間分けについての確認

これまでの期間分割は暫定的なものであったこの区間分割が合理的なものであるかを

どうかを確認するために逐次回帰法(recursive least squares)を行った結果が図6で

ある6

図6で 1+βαの動きをみると30 年以降に大きく動いておりこの期間分けは合理的

なものだったと分かる

図 6 逐次回帰推計

-08

-04

00

04

08

12

16

1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1934 1936-1

0

1

2

3

4

1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1934 1936

25 政策反応までのラグ

これまでの分析は当期の物価景気貿易収支為替が金融政策に影響を及ぼすとし

ていたしかし為替はともかく物価景気貿易収支については認知のラグがあり

また経済情勢を慎重に見極めながら政策を行っていると考えられるそこでここでは次

のようなモデルについて推計を行うことにする

6 ここで使用した逐次回帰法は推計期間として 1から説明変数の個数より大きいサンプル数を

選び係数を推計し次は 終期を 1期追加して係数を推計といった手順を繰り返す手法である

詳しくは森棟(1999)4 章を参照のこと

1+β α

16

1 1

1 1

0 0

( ) (1 )tart p t p q t q t t

p q

i r x iβπ β π α λ εminus minus minus= =

= minus + + + + +sum sum (3)

ここでは p=0 q=0 のケースp=0 q=1 のケースp=1 q=0 のケースp=1 q=1 の

ケースについて推計を行った結果自由度修正済み決定係数および赤池情報基準によって

モデルを選択すると全期間を対象とした場合は p=1q=0金本位離脱以前を対象期間に

した場合では p=q=1金本位離脱以降を対象とした場合では p=0 q=0 が選択されるした

がってここでは各期間において選択されたラグ(pq)に従って推計を行うスペースの節約

のため選択されたモデルの結果のみを表4に示す推計方法は 小二乗法を使用して

いる

17

表4 政策反応までのラグ

(1)全期間1919年1月~36年12月

(p=1q=0)

係数

定数項 r-βπ tar 0612

(3895)

当期インフレ率 (1+β )0 0042

(2220)

前期インフレ率 (1+β )1 -0047

(2463)

当期GDPギャップ α 0 0042

(2436)

前期の金利 λ 1 0867

(28290)

R2 0789

自由度調整済みR2 0785標準誤差 0895

DW統計量 2756

(2) 金本意離脱前1919年1月~31年12月(3) 金本意離脱後1932年1月~19年12月

(p=1q=1) (p=0q=0)

係数 係数

定数項 r-βπ tar 1392 定数項 r -βπ tar 0364 (3907) (2348)

当期インフレ率 (1+β )0 0076 当期インフレ率 (1+β ) -0002

(3149) (1048)

前期インフレ率 (1+β )1 -0066 前期インフレ率 (1+β )1

(2682)

当期GDPギャップ α 0 0022 当期GDPギャップ α 0 -0004

(0661) (0321)

前期GDPギャップ α 1 0009 前期GDPギャップ α 1

(0338)

前期の金利 λ 1 0748 前期の金利 λ 1 0867

(12691) (15181)

R2 0719 R2 0933

自由度調整済みR2 0710 自由度調整済みR2 0929

標準誤差 0997 標準誤差 0248

DW統計量 2643 DW統計量 2594

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法

によって修正を加えている

表4(1)の全期間を対象とした場合全ての変数が5で有意であるまた1+β の推計値か

ら計算されたβ は全て負となりインフレまたはデフレ促進的な政策が行われていたと解

釈されるGDPギャップについてはα が正であるが係数の値は非常に小さい一方金利

の平準化の程度を示す 1λ の係数は大きい

金本位制離脱以前の推計結果表 4(2)ではGDP ギャップの係数以外が有意である推計

18

された係数の値をみるとこの時期のβ も表 4(1)の全期間を対象とした値とあまり変わ

らないが 1λ はやや小さくなっているこの時期政策策定者は金利を平準化しつつイン

フレを促進するような政策をとっていた可能性がある

後に金本位制離脱以後の推計結果表 4(3)からは 1λ 以外は有意ではない

すなわち全期間を通していえることは金利の平準化の要素が強くまたインフレおよび

デフレを是認あるいは促進的な政策となっていた係数の値はいずれも小さくλの係数

をコイック型のラグと考えてそれぞれの係数を 1(1-λ)倍しても小さい

3拡張テイラールール

31 拡張テイラールールの定式化先行研究データ

これまでの結果は物価については鎮目[2002](図表7)とも共通であり物価を不安

定にする金融政策が行われていたことになるさらに鎮目では GDP ギャップの係数は 31

年までは正であり景気変動抑制的だったが32 年以降は負となり景気変動を拡大する

ような金融政策が行われていたことになる本稿の GDP ギャップの係数も正から負に変わ

っているただしいずれにしろその係数は小さいので景気変動を抑制するように金融

政策が行われていたとは言えない

以上の結果はむしろ戦間期の金融政策は金融政策は国内の経済安定に重点を置い

て物価と景気を見ながら行うべきというテイラールールでは説明することが難しいと解

釈すべきだろうこれは鎮目の結果とも共通しているそこで次に戦間期の金融政策は

経常収支為替レートの安定など対外均衡に重点を置いて行われていたのではないかと

いう常識に従いテイラールールを拡張して金融政策が経常収支や金外貨準備や海外

金利にも影響されて行われていたとする鎮目[2002]はテイラールールに金外貨準

備海外金利経常収支資本収支を加えている月次で資本収支(およびその代理変数)

のデータを得ることはできなかったので我々の推計式は鎮目[2002]を参考に

1 2 3 4 5 6( ) (1 )tar

t t t t t t t t ti r x TB S NYP fori reserveβπ β π α α α α α α ε= minus + + + + + + + + +

(4)

とする

ここで月次の経常収支はデータが得られないため輸出入の差を名目GDPで割った貿易収

支比率TBを使用している(ここで用いている名目GDPは鉱工業生産指数times卸売物価指数で

ある)貿易収支比率は実際の名目GNPで修正している7またSは為替レートの変化率を

7貿易収支比率 TBは具体的には以下である

1928t1928 GNP( ) 100

1928 t GDP( )GDP( ) 1928

tTB = times times

年の貿易収支合計

期の貿易収支年の名目 大川推計

月次貿易収支の 年平均 期の名目 の代理変数

月次名目 の代理変数 の 年平均

19

示しており値が増えるのが円高である8ニューヨーク物価NYPはニューヨークの卸売物価

指数の前年同月変化率()であるforiは外国の市中金利()を示しニューヨーク金利

あるいはロンドン金利のいずれかである貿易収支が赤字に円の為替レートが下落すれ

ば金利は引き締められるニューヨークの物価が下落すれば日本の金融も引き締めざ

るを得ないニューヨークまたはロンドンの金利に追随するしかないと考える正貨

reserveは金本位制であればこれが増大すれば金融を緩和し減少すれば金融を引き締め

ることになる(ただし正貨は21年3月から29年3月までのデータしかない)また正貨は

1924年1月から11月1925年289月のデータが欠損しているので線形補間によってデ

ータを補っている9

符号条件は貿易収支比率為替レート変化率ニューヨーク物価上昇率正貨が負

ニューヨークおよびロンドンの金利が正である

以上で為替レートニューヨーク物価が鎮目[2002]の分析に対し新たに追加した変

数である

ここで新しく追加した変数貿易収支比率と為替レートと名目GDPの代理変数とニュー

ヨーク物価とニューヨーク金利とロンドン金利と正貨準備を図7図8図9に示してお

くここで名目GDP(その代理変数)は鉱工業生産times卸売物価指数である

8第1節と同じように為替レートの水準は 100 円当たりのドルで表しているので変化率

に修正しても値が大きくなると円高を示すことになる 9 また日本銀行調査局『本邦経済統計』では1922 年 11 月の正貨準備高の値が 1386957540円と記載されているが前後月の数値から判断して 1836957540 円の誤記と推測し修正を加

えている

20

図 7 コールレートニューヨーク市中金利ロンドン市中金利

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

200

0

2

4

6

8

10

12

14

16

18

コールレート(右軸) ニューヨーク市中金利(右軸) ロンドン市中金利(右軸)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

図 8 貿易収支比率為替レート変化率名目 GDP(対数値)

0

2

4

6

8

10

12

14

-50

-40

-30

-20

-10

0

10

20

30

貿易収支比率 為替レート変化率 名目GDP

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

21

図 9 正貨準備高ニューヨークインフレ率

0

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

-60

-40

-20

0

20

40

60

正貨(単位億円) ニューヨークインフレ率(卸売り物価指数)

なお追加した説明変数貿易収支比率為替レートニューヨーク物価ニューヨー

ク金利ロンドン金利正貨準備が独立でないという問題があるうちニューヨーク金

利とロンドン金利は同時には入れず他の変数と代替的に入れることとするそれでも

貿易収支比率と為替レートが独立ではないという問題があるかもしれない単純に為替

レートが割安であれば経常収支が黒字に動き割高であれば経常収支が赤字に動くという

メカニズムによって為替レートと経常収支が独立ではないということになる

また為替レート関数の推計において自国と他国の物価マネーサプライ金利生

産に加えて経常収支またはその累積を説明変数に入れるのが通常であることを考えれ

ば当然に問題となるしかし多くの推計で為替レートに対して経常収支またはそ

の累積の説明力はそれほど高くはない10

ちなみに変数間の相関行列を取ると表5のようになる(推計期間は正貨を含む変数間

は 1919 年から 1929 年 3 月それ以外の変数間は 1919 年 1 月 1936 年 12 月まである)貿

易収支比率と為替レートの相関を取ると相関係数は 0029 でありマルチコリニアリティ

10 深尾[1983] (167 頁)は日本の米国に対する 100 億ドルの経常黒字は 64の円高ドル

安要因になるとしているこれは大きな効果だがその後の推計によると経常収支黒字が円高

をもたらす効果は大きくはない河合[1986](第 94 表214 頁)によれば経常収支累積額が

1の上昇は実質為替レートを 0068~0163上昇させるにすぎないその後も同様の推計

がなされているが(経済企画庁[1997]第 1-2-1 図③経済企画庁[1999]付図 1-5-2原田[2004])いずれの推計においても経常収支が為替レートに与える影響は大きなものではない

22

の問題は避けられていると判断できる当時のデータで為替と貿易収支の相関が弱い理

由として金解禁への動きが度々予想されていたので為替レートが貿易など実態経済

の状況にかかわらず高騰していたこともあげられる表 5 から説明変数間で(被説明変

数のコールレートを除く)相関係数の絶対値が 04 以上のものを上げると卸売物価と GDP

ギャップ卸売物価とニューヨーク卸売物価GDP ギャップとニューヨーク卸売物価ニュ

ーヨーク金利とロンドン金利貿易収支比率とコールレートがそうである卸売物価と GDP

ギャップはテイラールールの基本的な説明変数なので両者をともに入れるがニューヨ

ーク金利とロンドン金利については代替的にも推計することとする

表5 拡張テイラールールで使用された変数の相関行列

コールレート

インフレ率GDPギャッ

プ貿易収支比

率為替変化

率NYインフレ

率NY金利

ロンドン金利

正貨準備変化率

コールレート 1000 0222 0293 -0441 -0112 0082 0437 0264 -0113

インフレ率 1000 0437 0046 -0024 0482 0198 -0340 -0005

GDPギャップ 1000 -0056 0205 0605 0246 -0119 0042

貿易収支比率 1000 0029 0189 -0182 -0252 0183

為替変化率 1000 0259 0023 0019 0058

NYインフレ率 1000 -0071 -0378 -0084

NY金利 1000 0649 0291

ロンドン市中金利 1000 0092

正貨準備変化率 1000

32 拡張テイラールールの推計結果

推計期間は貿易収支が入手可能な1926年1月から1936年12月までの全期間と上述の(2)

式と比較するために1931年12月までとそれ以降の期間とする推計結果は表6の通り

である推計については上記3つの推計期間において 小二乗法を行っている新しく追

加した変数貿易収支比率為替レートの変化率ニューヨーク卸売物価上昇率ニュー

ヨーク金利ロンドン金利正貨準備の変化率の単位はである推計に当たっては系

列相関が疑われるためNewey-Westの方法によって標準誤差の修正を行っている

23

表6 拡張テイラールールの推計結果

係数 係数 係数 係数

定数項 r-βπ tar 3155 2980 定数項 r -βπ tar 5780 6596 (10072) (6939) (12603) (13464)

インフレ率 1+β 0008 0027 インフレ率 1+β 0041 0025

(0552) (1600) (1957) (1399)

GDPギャップ α 1 0036 0057 GDPギャップ α 1 0090 0083

(1156) (1798) (2584) (2412)

貿易収支比率 α 2 -0105 -0106 貿易収支比率 α 2 -0053 -0054

(5627) (4937) (2671) (3396)為替変化率 α 3 -0109 -0110 為替変化率 α 3 -0062 -0051

(3782) (3755) (1345) (0998)

NYインフレ率 α 4 0014 0011 NYインフレ率 α 4 0014 0012

(0820) (0645) (0651) (0682)

NY金利 α 5 0212 NY金利 α 5 -0133

(3002) (1599)

ロンドン金利 α 5 0399 ロンドン金利 α 5 -0466

(2870) (3071)R2 0397 0375 R2 0468 0503

自由度調整済みR2 0380 0357 自由度調整済みR2 0447 0483

標準誤差 1520 1548 標準誤差 1375 1329

DW統計量 0568 0531 DW統計量 0700 0794

係数 係数

定数項 r-βπ tar 2703 2617

(6657) (26032)

インフレ率 1+β -0018 -0016

(1920) (2396)

GDPギャップ α 1 -0052 -0059

(2353) (5464)

貿易収支比率 α 2 -0031 0004

(1779) (0381)

為替変化率 α 3 -0007 0028

(0423) (1526)

NYインフレ率 α 4 -0017 -0024

(3808) (5526)

NY金利 α 5 0423

(1421)

ロンドン金利 α 5 0742

(7283)

R2 0797 0899自由度調整済みR2 0774 0887

標準誤差 0443 0313

DW統計量 0757 0925

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とそれぞれの金利だけである

どちらの推計でもこれらの有意な変数は符号条件を満たしているインフレ率とGDPギャ

24

ップは5有意ではなくなり単純テイラールールでも小さかった係数はさらに小さ

くなるこれに対して貿易収支比率の係数は貿易収支比率が10ポイント分マイナス

に動けば1金利を引き上げることであるからある程度貿易収支に反応して金融政策

を行っていたと言えるだろう為替変化率の係数は為替レートが10下落したら金利

を1引き上げることであるからこちらもある程度は為替レートに反応して金融政策を

行っていたとも言えるだろうニューヨーク金利とロンドン金利が1上昇すると国内金

利をそれぞれ0204引き上げるということになっている

1926年1月から1931年12月までの推計ではニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれ

を用いた推計でも5で有意な変数はGDPギャップと貿易収支比率とロンドン金利であ

るがロンドン金利は符号条件を満たしていないGDPギャップは有意であるがその係数

は単純テイラールールの推計と同様に小さい貿易収支比率の係数は貿易収支比率で

10ポイント分赤字が増えれば金利を05引き上げることであるからある程度は貿易

収支に反応して金融政策を行っていたと言えるかもしれない

さらに1932年1月から1936年12月までの推計では物価GDPギャップニューヨーク物

価ロンドン金利が5で有意であるGDPギャップニューヨーク物価は符号条件を満た

していないロンドン金利は符号条件を満たしその係数も074と大きく日本の金融政

策はロンドンに追随して行われていたことになる

金本位制を意識して行われていたときには金融政策は対外均衡に重点を置き金本位

制を離脱した後はロンドンの金利に追随していたことになる日本の金融政策が英国

の金融政策に追随していたことは鎮目[2009]第2章の結果とも整合的である

さらに表7は以上の変数に正貨を追加したものであるデータの制約により1919年1

月から29年3月までしか推計できないのでこれは金本位制を意識して金融政策が行われて

いた期間の金融政策を評価していることになる

25

表7 (3)式の拡張テイラールールの推計結果(正貨準備の変化率追加)

係数 係数定数項 r-βπ tar 5431 7511

(7602) (8642)インフレ率 1+β 0028 0024

(1209) (1264)GDPギャップ α 1 0147 0095

(2352) (1698)貿易収支比率 α 2 -0050 -0034

(2522) (2089)為替変化率 α 3 0016 0097

(0173) (0989)NYインフレ率 α 4 0004 -0004

(0166) (0224)NY金利 α 5 -0071

(0665)ロンドン金利 α 5 -0662

(2795)正貨準備の変化率 α 6 -0071 -0087

(0796) (1138)R2 0410 0471自由度調整済みR2 0374 0438標準誤差 1451 1375DW統計量 0808 0934注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

正貨を追加した推計結果ではGDPギャップ貿易収支比率ロンドン金利が有意である

GDPギャップ貿易収支比率は符号条件を満たしているがロンドン金利は満たしていない

表7の1919年から31年の推計結果に比べてGDPギャップの係数の値は大きくなるが景気

安定化効果が大きかったとまでは言えない貿易収支の係数はほとんど変らず貿易収支

の状況を念頭に入れて政策を行っていたと言えるだろうロンドン金利符号が逆で海外

金利が下がると金利を上げるという結果になっている

以上の結果を鎮目[2002]と比べる鎮目は金外貨準備英国の短期金利経常収支

資本収支をテイラールールの式に追加していずれの変数も有意ではなかったと報告し

ているが本稿では追加した変数のうち貿易収支ニューヨーク金利(特にロンドン

金利)が符号条件を満たして有意になっている場合が多く対外均衡を意識した金融政策

が行われていた可能性を示唆している

33 拡張テイラールールに関する政策反応ラグ

以上の拡張テイラールールの推計では貿易収支比率為替変化率ニューヨークイ

26

ンフレ率ロンドン金利を追加したものが良好な推計結果をもたらしたそこで拡張テ

イラールールに関する政策反応ラグを考慮するために以上の変数に加えて被説明変数

の 1期ラグを追加したものを推計する11結果は表8のようになる

表8 拡張テイラールールの金利ラグ付き推計

係数 係数 係数 係数定数項 r-βπ tar 0623 0565 定数項 r-βπ tar 1806 2223

(3922) (3134) (3861) (3396)インフレ率 1+β -00001 0003 インフレ率 1+β 0012 0007

(0023) (0552) (1190) (0761)GDPギャップ α 1 0019 0023 GDPギャップ α 1 0044 0043

(1589) (1875) (2072) (2007)

貿易収支比率 α 2 -0024 -0023 貿易収支比率 α 2 -0019 -0020

(2312) (2239) (1514) (1767)

為替変化率 α 3 -0026 -0025 為替変化率 α 3 -0048 -0045

(1984) (2069) (1607) (1430)

NYインフレ率 α 4 -0002 -0002 NYインフレ率 α 4 -0004 -0004

(0277) (0388) (0337) (0389)NY金利 α 5 0040 NY金利 α 5 -0044

(1532) (1193)

ロンドン金利 α 5 0075 ロンドン金利 α 5 -0163

(1447) (1703)コールレート1期ラグ 0796 0802 コールレート1期ラグ 0680 0657

(18638) (20579) (9505) (8112)R2 0789 0788 R2 0707 0711自由度調整済みR2 0782 0781 自由度調整済みR2 0693 0697標準誤差 0902 0904 標準誤差 1023 1016DW統計量 2581 2574 DW統計量 2408 2415

係数 係数

定数項 r-βπ tar 0527 0900 (2552) (3391)

インフレ率 1+β -0004 -0005(1594) (1249)

GDPギャップ α 1 -0006 -0014

(1174) (1562)

貿易収支比率 α 2 -0001 0010

(0135) (1064)

為替変化率 α 3 0005 0019

(0542) (1247)

NYインフレ率 α 4 -0003 -0008

(1971) (2116)

NY金利 α 5 -0022

(0557)

ロンドン金利 α 5 0386

(3052)コールレート1期ラグ 0833 0608

(9986) (6019)R2 0934 0957自由度調整済みR2 0925 0951標準誤差 0255 0207DW統計量 2478 2362

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

11 単純テイラールールでは説明変数のラグを加えたがここではあまりにも煩雑になること

と単純テイラールールで被説明変数の 1 期ラグが重要であったことから被説明変数の 1 期

ラグのみを追加した

27

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とコールレートの1期ラグであ

る貿易収支比率と為替変化率のどちらの係数も符号条件を満たしているがコールレー

トの1期ラグがない場合と比べて係数の値は小さくなっているただしこの推計をコイ

ック型と考えて係数の長期の値を(1-コールレートの1期ラグの係数)で除すことによっ

て求めれば1期ラグがない場合の係数よりもかなり大きくなる

1926年1月から1931年12月までの推計ではGDPギャップとコールレートの1期ラグのみが

有意となるGDPギャップの長期係数を求めても値は小さいこの期間では金利を安定的

に維持することに金融政策が使われていたと言えるだろう

1932年1月から1936年12月までの推計では有意なものはロンドン金利とニューヨークイ

ンフレ率とコールレートの1期ラグとなってしまうニューヨークインフレ率は符号条件を

満たしているがその係数は小さいロンドン金利の係数は大きく日本の金融政策はロ

ンドンに追随して行われていたことになる

コールレートの1期ラグを入れるといずれの期の金融政策も金利の平準化の要素が大き

いと判断される金本位制を意識して行われていたときには金融政策はある程度は対外

均衡を考えていたようである金本位制を離脱した後はロンドンの金利を考慮していた

ようである

さらに表9は以上の変数に正貨を追加したものである(データの制約により1919年1

月から29年3月までの推計)これは金本位制を意識して金融政策が行われていた期間の金

融政策を評価していることになる

28

表9 正貨準備高の変化率を加えた場合

係数 係数定数項 r-βπ tar 1723 2771

(3126) (2898)インフレ率 1+β 0004 0005

(0356) (0518)GDPギャップ α 1 0088 0072

(2641) (2442)貿易収支比率 α 2 -0023 -0018

(1664) (1321)為替変化率 α 3 -0025 0008

(0544) (0189)NYインフレ率 α 4 -0007 -0010

(0617) (0924)NY金利 α 5 -0012

(0255)ロンドン金利 α 5 -0239

(1470)正貨準備の変化率 α 6 0001 -0005

(0013) (0079)コールレートの1期ラグ 0644 0603

(7451) (6371) R2 0652 0659自由度調整済みR2 0628 0635標準誤差 1119 1107DW統計量 2450 2452注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

有意なものはGDPギャップとコールレートの1期ラグであるGDPギャップは符号条件

を満たしている長期の係数を取ってもその係数は大きいとは言えない

34 対外均衡と対内均衡

対外均衡に重点を置いた金融政策を行うとは経常収支赤字や為替レート下落や外貨準

備の減少に対して金利を引き上げるというルールに従って金融政策を行うことである

通常であれば金本位制の下で国内がインフレになり競争力を失ったり景気が過熱

して輸入が増大したときには経常収支赤字や為替レート下落や外貨準備の減少が起きる

だろう経常収支の赤字や外貨準備の減少が起きたときには金融を引き締めるというルー

ルは国内がインフレになったり景気が過熱したときには引き締めるというルールでも

あるしたがって対外均衡に重点を置くことが国内均衡を必ず妨げるというわけではな

いこれは逆の場合も真実であるしかし1910 年代日本の経常収支や外貨準備は国

内の景気要因で変化したわけではない第 1 次世界大戦によって外需が増加し経常収支

29

が黒字となり外貨準備が増えた金本位制のルールに従って金融政策は緩和されマ

ネタリーベースは 1919 年 1 月から 1920 年 4 月までに 16 倍に増加した輸出超過の国は

金融緩和することによって輸入超過の国の不況を和らげることができる日本は金本

位制の正しいルールに基づいて金融を緩和しただけであるしかし戦争がおわりその

復興需要もなくなったとき経常収支は赤字となり外貨準備は減少したしかしかつ

て金準備に依存して増大していたマネタリーベースはそのままだった失われた外貨準備

に対してマネタリーベースを減少させなければならなかったしかし23 年までマネタリ

ーベースは増大し続けていた関東大震災という不幸もあってマネタリーベースを減少

させることはできなかったその後25 年まで引き下げていたが27 年には金融恐慌があ

りマネタリーベースを削減することができなかったその後28 年までマネタリーベ

ースはむしろ拡大していた29 年には金本位制復帰を目指してマネタリーベースを急減さ

せるがその結果は激しいデフレと不況だった

そもそも国内要因の変化によらない金準備の増加に対してマネタリーベースを拡大し

たことが誤りだった金本位制からの離脱は1917 年ではなくて欧米諸国が離脱した

1914-15 年になすべきだったそうであれば1910 年代末までのマネタリーベースの急増

はなかっただろうところが実際には金本位制から離脱したにも関わらず1920 年にか

けてマネタリーベースは拡大していた1920 年代からは失われた金準備に対してマネタリ

ーベースを削減することが試みられるようになるしかしそれは関東大震災や金融危機

によって頓挫するむしろマネタリーベースを削減するという試みがデフレと不況をも

たらしそれゆえに不良債権が増大してしまったということではないだろうか

35 小括1‐テイラールールの推計から得られた知見

以上のことから考えて1920 年代から 30 年代にかけては金融政策はインフレまたはデ

フレ促進的な政策を行っていた対外均衡にはある程度考慮した金融政策を行っていたこ

とが分かる

しかし1920 年代には金本位制に復帰するという政策が課題となっていたはずである

20 年代がデフレ促進的また対外均衡にある程度考慮した政策を行っていたことはこの

課題にとっては正しいものだろうしかし現実に採られたデフレ促進策では不十分だっ

た物価は旧平価で金本位制に復帰できるほど下がっていなかったのだからまた32 年

以降の金融政策についてもなぜ 32 年から急速な回復ができたのかそれと金融政策とは

どのよう関係しているかは分析できていない

これについて飯田岡田[2004]は昭和恐慌からの回復はデフレ脱却による実質金利

の下落が重要であって名目金利の低下は重要でなかったと分析しているこれによれば

名目金利の変化で金融政策の変化を見ることはできないことになるしたがって名目金

利の変化に着目するテイラールールでは31 年 12 月以降の高橋是清蔵相の金融政策の意

味を理解できないことになる

30

また金融政策が物価および景気安定を意図していなかったら何を意図していたのだ

ろうか本稿での結論は為替レートや経常収支に視点を置いた対外均衡を意識していた

ということになる

いずれにしろテイラールールだけでは戦前期の金融政策を十分には理解できない

ことになるそこで戦前期の金融政策を別の方法で評価してみよう

4マッカラムルールによる金融政策の評価

41 マッカラムルールの意味と定式化とデータ

以下ではマッカラムルールで戦間期の金融政策を評価することにするマッカラム

ルールを用いて金融政策の在り方を判断した研究としてはマッカラム自身の分析を始め

として多くのものがある(例えばMcCallum[1987][1988]マッカラム[1997]第 15 章)

日本のデータを用いたものにおいても McCallum[1987]岡田飯田[2004]などがあるし

かし日本の戦前期についてはおそらく安達[2006](第7章)しかないと思われる安

達は年データを用い目標値として設定された名目 GNP 成長率(5と設定している)

を達成するためのマネタリーベースを求め現実のマネタリーベースの成長率が 1936 年ま

で過小でそれ以降過大であることを示している本稿では月次データを用いているので

期間ごとの金融政策の在り方も検討することができる

マッカラムルールとはマネタリーベースの成長率を名目GDPの望ましい成長率に

依存させるルールである(McCallum[1987]マッカラム[1997]第 15 章)しかし貨幣の

流通速度 vは変化するので貨幣の流通速度の変化に応じてマネタリーベース bの動きを調

整することが必要となるこのようなルールはbvなどを対数値として望ましいマネタ

リーベースの成長率⊿bをマネタリーベースの流通速度Δvに応じて変化させるというルー

ルであるただしvは景気変動によって大きく変動しているのでそれが技術的な変化と

見なせる 2 年間の平均値 tvΔ であるとする12すなわちマッカラムルールに基づくマネタ

リーベースの成長率とは

tbΔ =マネタリーベースの望ましい成長率- tvΔ

であるここでマネタリーベースの望ましい成長率はサンプル期間(1919 年 1 月から 1933

年 12 月まで)のマネタリーベースの平均成長率とする13マッカラムはマネタリーベース

の望ましい成長率を名目 GDP の成長率としているがここではまずこの期間の経済を再現

することを目的としているので現実のマネタリーベースの成長率を採用したマネタリ

12 マッカラム(1997)第 15 章では流通速度として 4年平均を使用しているが本稿ではサンプル

期間が短いため 2年平均としている 13 サンプル期間は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月であるがマネタリーベースの流通速度の平

均値作成のため 初の 24 か月が失うのでここで計算された望ましいマネタリーベースの成長

率は 1921 年 1 月から 1933 年 12 月までの平均となっている

31

ーベースの動きを図 10 に示しているマネタリーベースは季節性が強いので季調値も図示

しているなお前述のように戦前期の月次名目 GDP のデータは存在しないのでIIP に

卸売物価を掛けたものを名目 GDP の代理変数とする(ここで使うデータの定義と出所は前

掲の表1にある)

図 10 マネタリーベース(原数値と季節調整値)の動き

0

50000

100000

150000

200000

250000

19191

19197

19201

19207

19211

19217

19221

19227

19231

19237

19241

19247

19251

19257

19261

19267

19271

19277

19281

19287

19291

19297

19301

19307

19311

19317

19321

19327

19331

19337

観察されたベースマネー(単位万円) 季節調整済マネタリーベース(単位万円)

作成されたマネタリーベースの成長率は1919 年 1 月から 33 年 12 月までで年率 12

月次では 01となるすなわち

tbΔ =0001- tvΔ

ここで考察する期間を 1919 年 1 月から 33 年 12 月までとしたのは34 年以降の GDP の伸び

が大きすぎトレンドの作成において歪みを生じさせるからであるまた33 年は昭和恐

慌から脱却し経済が安定していた時期でもある

さらに名目 GDP が何らかのショックによって平均的な成長経路よりも上回った時に

はマネタリーベースの伸び率を低下させるようなルール(下回った場合は逆)を導入し

ようすなわち

tbΔ =0001-

1 1( )t t tv y yλ minus minusΔ + minus

32

となるただし目標値

1ty minus は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月までの月次平均成長率 04

成長経路での名目 GDP の対数値であるまたマッカラムによればλは四半期データで 025

が望ましいとされているがここでは月次データを使用しているのでとりあえず 12 分の 1

とすることを考えたがこの期間の名目 GDP は戦後の日米名目 GDP のデータより大きく変

動しているのでさらに小さくする必要があるマッカラムも「λの値を選択する場合

もし間違えるとすれば小さな値を採るほうがよい」(マッカラム[1997]308 頁)としている

そこでλは 36 分の1とした 終的なルールは

tbΔ =0001-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (5)

となる

マッカラムは望ましいインフレ率をゼロとするマネタリールールを求めているがこ

こでは実際には大きく変動したマネタリーベースを安定的に動かしていたらどうなったか

を考えることにしているので名目 GDP の動きは現実のものを使いルールにもとづくマ

ネタリーベースと実際のマネタリーベースをまず比較することにする

次に名目 GDP の決定に関する次のようなモデルを 小二乗法により推計する結果は

1 1 2 3

2

0004 0295 0053 0110 0106 0071 - 0069 23- 0046 27(1596) (3634) (1054) (1404) (2300) (1831) (6731)

R 0109 SE=0029 BG(24)=33227

(1822) t t t t t t ty y b b b b dummy dummy eminus minus minus minusΔ = + Δ + Δ + Δ + Δ + Δ +

=

(6)

となる14但し yΔ は名目 GDP の変化率 bΔ はマネタリーベースの成長率dummy23 は関東

大震災の時の一時的な変動をとらえるために 1923 年 9 月を 1それ以外を 0 としたダミー

変数dummy27 は金融恐慌時の一時的な変動をとらえるために 1927 年 4 月 5 月を 1それ

以外を 0としたダミー変数サンプル期間は推計に使用する変数が全て揃う 1921 年 1 月か

ら 1933 年 12 月までまたここでの残差 te は攪乱項の推定値2R SE BG(p) はそれぞれ

自由度修正済み決定係数攪乱項の標準誤差p 次の Breuch-Godfrey テストのχ二乗統計

量( )内は Newey-West の方法により修正した t値を示している15

ここで当時マッカラムルールなどという議論がなかったのだからこのような分

14 ここでは bΔ は現実のマネタリーベースの成長率を使用して推計を行っている 15 研究の対象期間は 1919 年 1 月からであるが平均流通速度 tvΔ の計算のために 初の 24 ヶ

月分が使用できないそのため他のシミュレーションの対象期間と整合性を保つため 1921 年 1

月からとしているまたこの推計式にはラグ付き内生変数を含むためダービンワトソンテスト

ではなく Breush-Godfrey テストを報告しているこの Breush-Godfrey テストから系列相関が疑

われるためNewey-West の方法により標準誤差を修正している

33

析は意味がないという批判があるかもしれないがこれにはテイラールールの節で述べ

たのと同じ反論が可能であるマッカラムルールとは名目 GDP が上昇しすぎたら(そ

のときには景気が過熱するかインフレが高進していると考えられる)マネーを縮小し

名目 GDP が下降しすぎたら(そのときは景気が悪化するかデフレになっている)マネーを

拡大するという素朴なルールである当時このようなルールが意識されていなかったと

は考え難い

42 長期的な経済を再現するシミュレーション

まずマッカラムルールによって現実の長期的な経済の経路を再現してみようルー

ルにもとづくマネタリーベースと実際のマネタリーベースのレベルと成長率とを図

11(1)(2)に示す

政策ルール(5)式が実施された場合の名目 GDP(の代理変数)の動きを見るために(5)式

から得られる理論値 tbΔ (6)式の残差 te 初期値 1ty minusΔ に目標 GDP

1ty minusΔ を代入してマ

ッカラムルールに従った場合の名目 GDP y の系列を求める現実の xとマネタリーベース

のルールに従った場合の y の系列を比べてみたのが図 11-(3)である図 11-(3)からマ

ネタリーベースのルールに従った場合の y の系列が安定していることが分かるこのよう

に安定的な名目 GDP の系列を得るためには第 1 次世界大戦後の金融引締めが過大で20

年代初期の金融緩和が過大30 年の金融引締めが過大だったと判断される

図 11 マッカラムルール

(1)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

34

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT MBDOT

注)BDOT はマッカラムルールの下でのマネタリーべースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(2)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

35

100000

120000

140000

160000

180000

200000

220000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC MB_SA

注)MB_SA はマネタリーベース(季節調整済)の現実値

B_MC はマッカラムルールに従った場合のマネタリーベース水準

またマッカラムルールの下でのマネタリーベースの初期値は現実値を使用

単位は万円

(3)マッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

36

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULE XSTAR X

注)GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

43 物価を下落させるシミュレーション

以上の結果はマネタリーベースの伸びを安定的にしていれば経済変動はより少なく

なっていただろうということを示しているしかしもし第 1 次世界大戦前の旧平価で金

本位制に復帰することが目的であったとしたら1節で述べたように物価を 3 割下げな

ければならない名目 GDP(その代理変数)は実質 GDP の変化がないとして1919 年 12

月から 29 年 12 月までに 3割下がらなければならない

そこで名目 GDP(その代理変数) y は現実の値よりも毎月 03ずつ低下しなければ

ならないので(5)式の定数項 0001 から 0003 を引いて-0002 とするすなわち

tbΔ =-0002-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (7)

とならなければならないここでの系列 y も実際の値から毎月 03ずつ引き下げたも

のを使っているつぎに(7)式の bを(6)式に入れると図 12 のようになる図に見られるよ

うに名目 GDP は安定しかつ小さくなっているすなわち物価が 3 割下落していること

が分かる

37

図 12 物価を下落させた場合

(1) 名目 GDP の目標値とマッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULEXSTAR

XGDP3_RULE

XSTAR_3

注) GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

GDP3_RULE は物価を 3割下げたマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR_3 は物価を 3割下げた場合の目標となる名目 GDP(対数値)

38

(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

参考文献

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飯田泰之岡田靖「第 6章 昭和恐慌と予想インフレ率の推計」岩田[2004]

石橋湛山「金輸出解禁論史」『週刊東洋経済』1929 年 3 月 16 日号

岩田規久男編著『昭和恐慌の研究』東洋経済新報社2004 年

宇都宮浄人「個人消費支出からみた戦間期の景気変動-LTES個人消費支出の再推計-」

日本銀行金融研究所 Discussion Paper No 2007-J-262007 年

小汀利得「速に金解禁を行ふには平価切下の外なし」『週刊東洋経済』1929 年 3 月 16 日号

岡田靖飯田泰之「金融政策の失敗が招いた長期停滞」浜田堀内内閣府経済社会総合

41

研究所編[2004]所収

河合正弘『国際金融と開放マクロ経済学』東洋経済新報社1986 年

経済企画庁「経済白書」1997 年

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  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 4: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

3

レートなど対外均衡に考慮した金融政策がある程度は行われていたことが分かったた

だし金融政策は長期的な物価下落目標や経済状況に応じて機動的に金融政策を行うとい

うよりも金利を平準化することに力を注いでいたように思われるこの期間は金本位制

への復帰を目指していたといわれるが現実の金融政策を評価してみるとそのような目

標を立てていたとは考えられない

マッカラムルールによる評価でも同じような結論となるマネタリーベースの成長率

を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行って

いたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できるこ

れはテイラールールによって当時の金融政策がデフレまたはインフレ促進的なもので

あったと評価されたことを別の方向から裏付けるものであるまた旧平価で金本位制

に復帰するためには物価を下落させるためにマネタリーベースを縮小しなければならな

かったがそのようなことはなされていなかったことも明らかになった

1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き

11 -第 1次世界大戦から昭和恐慌とその回復まで

戦間期の日本経済についてはすでに多くの著作によって説明されているが本稿の問題

意識との関連でごく簡単に説明しておく(以下の記述は中村[1981]中村[1993]原田

香西[1987]第Ⅰ部第 3章第 4章などに基づく)

戦間期の日本経済とは第 1 次世界大戦の後の経済である日本は第 1 次世界大戦には

ほとんど参加しなかったので欧州の戦乱に乗じて輸出を拡大させ経済を活況に導い

たしかし戦後の欧州復興需要が終ると日本企業は過大な設備を抱えて苦しむことに

なったここにさらに為替レートの過大評価という問題もあった輸出増加とともにマネ

ーサプライが上昇して物価が上昇したが為替レートは物価上昇ほど下落せず日本は割

高な為替の中で国際収支の赤字に悩むことになったまた戦時の混乱の中で日本は世

界各国と同様に金本位制から 1917 年 9 月に離脱したので(ほとんどの国が 1914-15 年に離

脱していたアメリカの離脱は 17 年 9 月)戦後金本位制への復帰という問題が政治課

題となっていた主要な月次データは 1919 年からしか得られないのでここでは年次デー

タを用いて第 1次大戦から戦間期の状況を説明することにする

図1は1910 年から 1940 年までの実質 GNPGNP デフレータ経常収支を示したもので

ある第 1 次大戦のブームで実質 GNP の成長率が上昇した後成長率が低下したこと30

年代の世界恐慌の影響(日本では昭和恐慌)は軽微だったことが分かる実質 GNP の成長

率はマイナスにならず成長率がもっとも低下した 31 年でも 04の成長となっている

ただしこの時期の実質 GNP の推計には過大推計ではないかという批判がある名目 GNP

を見ると昭和恐慌期に大きく落ち込んでいるのでこの批判はデフレータに関するもの

である宇都宮[2007] はこの期間の消費デフレータの下落率が大きすぎるとしているそ

こで図には宇都宮の再推計した消費デフレータを用いた実質 GNP 系列も示してある

4

この系列によればGNP の成長率は小さくなり31 年には 12のマイナス成長になるた

だこの再推計によっても世界大恐慌期における日本の成長率の低下は小さく日本は

世界恐慌の影響がもっとも軽微だった国の一つであるという事実は変わらない

またGNP デフレータから第 1 次大戦期に物価が大きく上昇した後20 年代はデフレ

ーションが続いていたことが分かるさらに30 年の恐慌時には物価が大きく下落してい

たこと物価の落ち着きとともに実質 GNP の成長率が回復したこと30 年代の後半にはイ

ンフレになったことが分かる

経常収支に着目すると第 1次大戦とその復興期に経常黒字が急拡大したことが分かる

ヨーロッパの戦乱に乗じて輸出を拡大した結果であるただし前述のように混乱が

収まると日本の輸出の急増は続かず経常収支赤字に悩むことになる

図 1 実質 GNPデフレータ経常収支などの動き

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

-10000

-5000

0

5000

10000

15000

20000

25000

1910 1912 1914 1916 1918 1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1934 1936 1938 1940

経常収支times10 実質GNP 宇都宮推計実質GDP GNPデフレーター

出所)大川一司『長期経済統計1国民所得』東洋経済新報社1974年大川一司『長期経済統計14貿易と国際収支』東

洋経済新報社1979年宇都宮[2007]注)経常収支は動きを分かりやすくするために10倍してあるGNPデフレータは右軸その他は左軸(単位100万円)

金本位離脱 関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

また第 1 次大戦期はインフレの時期でもあった図2は日本とアメリカの卸売物価指

数日本を基準とした日米の相対物価(いずれも 1910 年=100)為替レート(100 円当たり

ドルこれは当時の通常の表記法である)を示したものである図に見るように1917 年

から日本の物価は激しく上昇し1921 年には 1910 年を 100 として 300 近いレベルにまで上

昇したその後20 年代は物価が下落するデフレ状況になっていたアメリカの物価も

上昇していたが日本ほどではなかったので日米相対物価は下落していた為替レート

は当然下落しなければならなかったが高いままにあったこれは日本が戦前の水準で金

5

本位制に復帰するだろうとの予想があったからであるグラフから見ると1929 年には

日本の為替レートはドルに対してほぼ3割切り下げる必要があったがこの割高なレート

で 1930 年 1 月日本は金本位制に復帰したことになる(当時小汀[1929]は1~2割石

橋[1929]は 2 割の切り下げが必要としていたがこれは当時の日米物価の相対的な動きか

ら得られたものだった)

図2 日米物価と為替レート

0

20

40

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100

120

140

160

180

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0

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100

150

200

250

300

350

日本卸売物価 アメリカ卸売物価 日米相対物価 為替レート

出所)日本銀行「本邦経済統計」BRミッチェル斎藤眞監訳『マクミラン 新編世界歴史統計[3] 南北アメリカ歴史

統計19750‐1993』東洋書林2001年注) 為替レートは右軸(単位USドル100円)その他は左軸 (1910年を100とした場合)

金本位離脱 関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

12 金解禁論争と政治の動向

このような状況で1920 年代には金本位制に復帰するという金解禁政策が政治的課題

となっていたこの間の金解禁論争は(1)金本位制の下で国際競争力を維持するためには

物価を下落させても本来の金平価(第 1 次大戦前の平価)に戻るべきという議論(旧平価

解禁論)と(2)金解禁を行うのであれば国内経済の安定に重点を置いてすでに上昇し

てしまった物価を前提とした新しい平価で戻るべきという議論(新平価解禁論)が対立し

ていた(この論争については若田部[2004]中村[2004]田中[2004]が詳しい)1現実に

1 国際連盟の主催で金本位制の復活に関する国際会議が1920 年(ブリュッセル会議)と

22 年(ジェノア会議)に開催されているブリュッセル会議は専門家のジェノア会議は政府

代表の会合であるただし決議はほぼ共通しており復帰する平価の水準に関しては旧平価

で復帰するか新平価で復帰するかは各国が決定すべきこととされていた(日本銀行[1983]第 5章3)

6

は民政党浜口雄幸内閣の井上準之助蔵相の下で 1930 年 1 月に旧平価解禁が行われ日本

は激しいデフレとなって昭和恐慌に突入するその後犬養毅政友会内閣の高橋是清蔵相

の下で金輸出が再禁止され日本は 31 年 12 月(正式には 32 年 1 月)金本位制から離

脱しデフレも収まり景気は急回復する29 年から 31 年の激しいデフレと昭和恐慌デ

フレ脱却と景気回復は前掲の図1にも明らかである

この論争で残念なのは旧平価での解禁は国内物価を下げることであるということが国

民に理解されていなかったことだもちろん旧平価解禁論者はそれが財界整理不況

をもたらすことを理解していたがどれだけの物価下落が必要かそのためには賃金も下

げなくてはならないことを理解していたとはとうてい考えられない確かに「当時の経済

政策を支配していた思想は正統的保守的であってこれは 1920 年代を通じて政府が

戦前平価で金本位制を再開することからも明白である」(佐藤和夫[1981]24 頁)とされる

問題はそれが何を意味するかを正統派保守派が理解していたとは思われないことだ2

旧平価解禁論が真剣なものであったのなら20 年代初期に高騰した物価を20 年代を通

じて下落させていくことが金融政策の課題でなければならないがそのような金融政策は

行われていたのだろうか本稿ではテイラールールとマッカラムルールを用いて

この問いに答えることとするがその前に日本の金本位制復帰への政治的な動きを概観

しておきたい

第 1 次大戦期の混乱が収まり主要国が金本位制に復帰するにつれて日本も金本位制

に復帰するべきだと議論が盛んになり金解禁すなわち金本位制復帰が日本の政策課題と

なったしかし当時の言論や政府高官の発言を見るとかならずしも一直線に金解禁を

目指すという議論が盛んだった訳ではない金解禁論争とはアメリカが金本位制に復帰

した1919年から現実に金解禁が決定される1929年まで10年にわたる論争だったのである

以下日本銀行[1983](第 5 章3第 6 章2)石橋[1929]により金解禁を巡る動きを

簡単に整理しておこう

世界の動きを見れば前述の 19 年のアメリカの旧平価での復帰に続いて24 年にはドイ

ツが新平価で(ドイツは金兌換を実施しておらず不完全なものだった)25 年にはイギリ

スが旧平価で27 年にイタリアが28 年にはフランスがそれぞれ新平価で金本位制に復

帰したフランスの復帰によって主要国のなかで復帰していないのは日本だけとなり

このことも日本の金解禁への動きを促進したと思われる金解禁論争は他国の復帰に刺激

を受けた論争でもあった

1919 年にはアメリカの復帰に刺激を受けて東洋経済新報などで金解禁論が唱えられ

たが政府の反応は低調であったこの理由として大戦後には対中国投資が盛んにな

りその際日本が影響力を持つために金準備を蓄積しておく必要があったからであると

2 ただし当時日本銀行理事副総裁を歴任していた深井英五はこの問題を理解していた

深井は「金本位を回復する為めに所謂貨幣の単位の切下を行うか(すなわち新平価解禁‐筆者

注)然らざれば通貨の縮小を図らなければならぬ」と書いている(深井[1928]第 9 章第 5 節単

位の切下げか通貨の縮小か)

7

されている(石橋[1929])1922 年ごろになると物価調整の見地から金解禁論が唱えられる

ようになった物価が第 1 次大戦の水準に比べると倍になっておりアメリカの物価に

比べても 4 割高い水準にあったこの割高の水準を金解禁通貨収縮のメカニズムによっ

て是正せよというのである確かに加藤友三郎内閣(22-23 年)は通貨縮小物価引き

下げの意志を示してはいたしかしその動きは 23 年 9 月の関東大震災によって葬られた

1925 年のイギリスの金解禁によって再び金解禁の動きが盛り上がったが当時の浜

口蔵相の発言によれば財界の整理安定を図り外国貿易の逆調を制し国際貸借を改善

しその結果として金解禁すると述べている(浜口雄幸「金融制度の整備と国際貸借につ

いて」(『銀行通信録』第 81 巻第 484 号1926 年 5 月 8日引用は日本銀行[1983]148 頁)

これは 22 年ごろの金解禁論とは政策の因果関係を逆にするものだっただが27 年の金融

恐慌により金解禁への動きはまったく頓挫したしかし 29 年になると財界においても金

解禁を求める声が高まり新たに政権についた浜口民政党内閣の下で金解禁が実施され

ることになるただしこの金解禁を行うための準備について当時日銀副総裁であった

深井英五は金解禁が不景気を忍ばなければならないことを大衆に理解させていたかに疑

問を呈している(深井英五『回顧七十年』岩波書店1941 年242-243 頁)

以上概括してみれば金本位制へ復帰しようという動きはあったが19 年から 29 年に

かけて 9 代の交代を経験した内閣を通じて金解禁とは通貨の収縮によって不況をもた

らし物価を引き下げることであるという理解の下に一貫した政策が行われていたとは信じ

がたいただし金解禁への動きが度々予想されていたので旧平価での金解禁の実施を

予想して為替が上昇しており(1923 年から 27 年にかけて為替は下落していたがそれ以外

はほぼ旧平価の水準にあった)それを通じて経済にデフレ圧力が現れていたのが 1920 年

代の経済と解釈できるだろう

ここで私たちの分析に戻ってまずテイラールールの分析から始めたい

2テイラールールによる金融政策の評価

21 テイラールールの意味と定式化

テイラールールとはGDP ギャップと現実のインフレ率と目標インフレ率の差に対して

金利をどの程度動かすべきかという金融政策について Taylor[1993]が提唱したルールであ

る金融政策当局が現実にどのように金融政策を行っているかを表すものとして様々に

実証されている日本における実証としては地主黒木宮尾[2001]などがあるが戦前

期の金融政策に適応したのは鎮目[2002]のみと思われる

テイラールールとは以下の式で表わされるものである

( )tart t t t ti x rπ α β π π= + + minus + (1)

8

この式においてiは政策金利π はインフレ率xは GDP ギャップπtarは目標インフレ

率rは均衡実質利子率を表しているテイラールールは(1)式に示されるように政

策金利の決定を物価と景気(GDP ギャップ)を睨みながら行われていることについてのルー

ルであるすなわちGDP ギャップが正の方向に動けば(景気が良くなれば)金利を引上げ

(αはプラス)インフレ率が目標インフレ率よりも高まれば金利を引き上げる(βはプラ

ス)というルールであるここでは目標インフレ率も均衡実質金利も分からないので

(1)式を変形して

( ) (1 )tart t t ti r xβπ β π α ε= minus + + + + (2)

を推計するここでベータが1以上であれば物価が望ましい水準よりも高くなれば物

価上昇率以上に金利を上げて物価上昇を抑えるというルールを適用していることになる

このような推計を行うことについて当時テイラールールなどという概念がなかった

のだから意味がないという批判があるかもしれない(これは3のマッカラムルールに

ついても当てはまる)しかしテイラールールとは景気が過熱するかインフレが高進

したら金利を引き上げ景気が悪化するかデフレになったら金利を引き下げるという素朴

なルールでありこのような考えは当時も広範に理解されていたと思われる在野のエコ

ノミストとして活躍していた高橋亀吉は「金利政策とはhellip物価が思惑的に騰貴し過ぎ又

は企業が投機的に濫設せられる惧れありと見ればこれを抑え物価が恐慌的に下落し過ぎ

たと見れば金利を引き下げて其の下げ足を止めるの類である」と書いている(高橋

[1929]190 頁)また日本銀行の要職を歴任していた深井英五(1918 年日本銀行理事1928

年日本銀行副総裁1935-36 年日本銀行総裁1937 年貴族院議員1938 年枢密顧問官)も

「(通貨調節の趣旨は)通貨の数量の過不足より来る通貨の価値の変動を防ぎなるべくそ

の安定を図ることhellip所謂景気の変動を緩和しその循環を成るべく円滑にすること」と

書いている(深井[1928]467 頁)(ただし両者とも上記の考えを実践する上での難しさ

は認めている)したがって素朴な意味のテイラールールは常識として理解されていた

と言ってよく当時の金融政策をテイラールールによって評価することは意味があると

考えられる3

22 戦前期のテイラールールについての先行研究

戦前期のテイラールールを推計した研究としては既に鎮目[2002]がある鎮目は

戦間期日本の経済変動に対して金融政策がどのように反応してきたかをテイラールー

ルを用いて分析しているこの分析によればこの間の日本の金融政策は(1)インフレ率

3 本稿の目的は日本銀行の行動を評価することではない当時日銀は政府から独立しておら

ず日銀の政策を単独で評価することは意味がない本稿で評価するのは総体として金融政策

を形作った日本銀行大蔵省政治家等当時のエリートたちが総体として行った政策である

9

の関係で見ると経済変動を増幅させる方向で働いてきたこと(2 金融政策は金本位制

という通貨体制と密接に関係しており国内経済の安定を犠牲にして為替レート目標を追

求してきたことを示しているさらに(3)1931 年の金本位制離脱後国内経済の安定に繋が

る金融政策が可能であったにも関わらずそのような金融政策運営が行われていたとは言

えないことを示している

私たちも戦間期の金融政策について昭和恐慌前後の時期に焦点を当てて分析を続

けてきた(原田中澤[2004]原田[2005]原田佐藤中澤[2008])鎮目の分析は年

次データを用いているので戦間期全体の金融政策を分析できるが昭和恐慌前後ある

いは第 1 次大戦直後など特定の時期に焦点を置いた分析とはなっていないそこで私

たちは月次データを用いることで特定の時期に焦点を置いた分析が可能になるとと考

えたまた鎮目は金本位制という通貨体制を問題にしながら為替レートを説明変数

に入れていないこれも私たちがさらなる分析が必要と判断した理由である

23 データの説明

戦間期の経済データは主に日本銀行「本邦経済統計」東洋経済新報社『経済統計年鑑』

大蔵省「大蔵省年報」一橋大学経済研究所日本経済統計文献センター統計資料シリーズ『景

気指数1888~1940 年』などから得ることができるここで用いるデータは1926 年 1 月

から 1936 年 12 月までのコールレート卸売物価指数鉱工業生産指数為替レート貿

易収支でありこれらの定義と出所を表1に整理しておく(ここで3のマッカラムル

ールの推計で用いるデータについても定義と出所を示しておく)

表 1 使用データ(月次)の出所

変数名 出所

コールレート 日本銀行『本邦経済統計』

鉱工業生産指数 東洋経済新報社『経済統計年鑑』各年版

卸売物価指数

藤野正三郎五十嵐副夫『景気指数1888~1940 年』一橋大

学経済研究所日本経済統計文献センター統計資料シリーズ

No2

為替レート 日本銀行「本邦経済統計」外国為替相場(横浜正金銀行建値)

ニューヨーク電信平均

貿易収支 輸出-輸入大蔵省「大蔵省年報」各年版

マネタリーベース

大蔵省理財局編『金融事項参考書』日本評論社(日本銀行兌換

券差引流通残高と日本銀行預金貸出金残高表「一般預金」の和)

及び 藤野五十嵐前掲書

10

現金通貨 藤野五十嵐前掲書

ニューヨーク卸売物価 日本銀行調査局『外国経済統計』

ニューヨーク市中金利 日本銀行調査局『外国経済統計』

ロンドン市中金利 日本銀行調査局『外国経済統計』

正貨準備高 日本銀行調査局『本邦経済統計』

これらのデータはなじみのないものであるのでそのグラフを図3図4に示しておく

鉱工業生産指数は 1930 年 1 月を 100 としているコールレートおよび卸売物価指数による

インフレ率(前年同期比)の単位は為替レートは 100 円当たりの 1 ドル価格貿易収支

は 100 万円単位であるまた鉱工業生産指数卸売物価指数および貿易収支を構成する輸

出と輸入は X12-ARIMA によって季節調整を行っている貿易収支は輸出輸入を季節調整

して差を取ったものである

図 3 使用データ(月次)のグラフ鉱工業指数貿易収支為替レート

-16E+08

-14E+08

-12E+08

-1E+08

-8000000

-6000000

-4000000

-2000000

0

20000000

40000000

60000000

0

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60

80

100

120

140

160

180

200

貿易収支 鉱工業生産指数 為替レート

注)鉱工業生産指数と為替レート(ドル100円)は左軸貿易収支は右軸

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

11

図 4 使用データ(月次)のグラフインフレ率コールレート

0

2

4

6

8

10

12

-100

-50

0

50

100

150

200

1919M01

1919M05

1919M09

1920M01

1920M05

1920M09

1921M01

1921M05

1921M09

1922M01

1922M05

1922M09

1923M01

1923M05

1923M09

1924M01

1924M05

1924M09

1925M01

1925M05

1925M09

1926M01

1926M05

1926M09

1927M01

1927M05

1927M09

1928M01

1928M05

1928M09

1929M01

1929M05

1929M09

1930M01

1930M05

1930M09

1931M01

1931M05

1931M09

1932M01

1932M05

1932M09

1933M01

1933M05

1933M09

1934M01

1934M05

1934M09

1935M01

1935M05

1935M09

1936M01

1936M05

1936M09

卸売物価指数(前年同期比左軸) コールレート(右軸単位)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

本稿の目的であるテイラールールの推計では説明変数として GDP ギャップを用いる

がGDP は月次データでは入手できないのでここではGDP 1hp

IIPIIP

= minusギャップ を鉱工業

生産指数 IIP と IIPhpはのギャップで作成しているIIPhpは「潜在 GDP」の代理変数である

「潜在生産指数」で表わしており鉱工業生産指数に HP フィルター(Hodrick-Prescott

filter)をかけることによって作成した4作成した GDP ギャップは図5である

この GDP ギャップが実態と合っているかを考察するためにここで作成された GDP ギャ

ップの動きと藤野[1965](第 2-3 表)の認定した景気循環クロノロジーと比較してみる

藤野によれば1915 年 2-3 月~1920 年 1-2 月が拡張期21 年 5 月までが縮小期29 年 2

月までが拡大期31 年 7 月までが縮小期それ以降が拡大期となっているまた良く知

4 本稿では潜在 GDP 作成に際しHodrick and Prescott [1997以降 HP フィルターと呼ぶ]に

よるフィルタリング関数のスムージングパラメータλ=1166400 を選択してトレンドを抽出し

ているここでは報告されていないがHP フィルターのλ=12960014400移動平均のラグと

リードに関して対称な加重を計算するフィルタリング関数をもつ Baxter and King[1999]およ

び移動平均の加重に関して非対称な加重を許す Christiano and Fitzgerald [2003CF フィルタ

ー]を用いて比較検討しているCF フィルターでは季節調整済みの IIP 系列が単位根過程に従

っているためChristiano and Fitzgerald[1999]に従って平均なしトレンドなしドリフ

トなし平均トレンドドリフト全てなしの 4種類を使用して検討を行っている 終的に藤

野[1965]の景気循環周期と整合的になるように HP フィルターのλ=1166400 を選択したこれら

の結果を入手したい場合は筆者に連絡されたい

12

られているように20 年には第 1次世界大戦の終結による国際的経済反動があり23 年に

は関東大震災があり27 年には金融恐慌があった作成した GDP ギャップはこれらの変

動を基本的には捉えていると言えるだろう

さらに失業率の動きを前掲の図5に示す(失業率は内務省社会局社会部職業課「失業

状況推定月報概要」による)図に見るように失業率のデータがあるのは 1931 年 1 月か

ら 33 年 12 月までであるがその間の GDP ギャップと失業率の動きは正負逆でGDP ギャッ

プの変動が大きいという問題はあるがほぼ同じように動きをしているまた失業率の

動きが GDP ギャップの動きに遅れていることも雇用が景気の遅行指標であるという今日

の常識に照らして合理的であるしたがってHP フィルターで作成した潜在生産指数およ

び GDP ギャップも景気変動を反映した適切なもの判断できるだろう

図 5 使用データ(月次)のグラフGDP ギャップ

0

01

02

03

04

05

06

07

08

09

1

-20

-15

-10

-5

0

5

10

15

20

GDPギャップ lambda=1166400 藤野(1965)の景気後退期 失業率(単位)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

24 テイラールールの推計

241 推計結果

(2)式の推計結果は表2の通りである推計期間は全サンプルがそろう 1919 年 1 月か

ら 1936 年 12 月である36 年を終わりとしたのはそれ以降は軍の圧力によって政策が行

われ金融政策の自立的な動きを議論することはできないと考えたからである推計方法

は 小二乗法を使用しているなおダービンワトソン統計量からは系列相関が疑われるた

13

め 小二乗推定量が有効性を持たない可能性があるので標準誤差を Newey-West の方

法によって修正を加えて t検定を行っている5

推計結果の解釈としては1 β+ の推計値 0016 からβ は-0984 でありインフレ率が

目標インフレ率よりも高まれば金利を引き下げ逆にインフレ率が目標インフレ率よりも

低ければ金利を引き上げるという物価を不安定にするデフレ的な金融政策を採用していた

ことになる(インフレの時はインフレ促進的になる)ましてβはほぼマイナス1である

のでかなりインフレまたはデフレ促進的な金融政策を行っていたことになるこれを現

実の経済情勢に当てはめれば20 年代のデフレ期ではデフレ促進的な金融政策を行い30

年代のインフレ期ではインフレ促進的な金融政策を行っていたことになるただしこの

係数は 10レベルでも有意ではない

なお物価を下落させることを目標としてもデフレ促進的でなく長期的な目標をも

ってテイラールールに基づいて物価を下落させることができることを念のために指摘し

ておくすなわち物価上昇率の目標レベルを低くすれば目標より物価が上ったときは

引締め下がったときは緩めるという物価安定的でかつ長期的に物価を下落させる方法

は可能でありまたその方が望ましいだろう

一方α は 0108 なので GDP ギャップが正のとき金利を引き上げる景気安定的な政策を

とっていたことになるただしα は 10で有意であるが係数が小さいので(GDP ギャ

ップがマイナス 10でも金利を108下げるだけ)景気安定化効果が大きかったとは言え

ないだろう

表 2 (2)式のテイラールールの推計結果

係数

定数項 r -βπ tar 4669

(17711)インフレ率 1+β 0016

(0823)GDPギャップ α 0108

(1679)R2 0085自由度調整済みR2 0077標準誤差 1855DW統計量 0258

注)( )内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

全期間1919年1月~1936年12月

5 本稿には載せていないがここでは 尤法による推計も行っている 尤法による推計では誤

差項に正規分布を仮定した場合 小二乗推定値とほぼ等しい推定値でかつ漸近的 t値からが

1 β+ が 10αが 1で有意であることが確認されている

14

さらにサンプル期間を1930 年の昭和恐慌期を含む期間と含まない期間に分けて推計を

行う具体的には1919 年 1 月から 1931 年 12 月までと1932 年 1 月以降から 1936 年 12

月までの 2 期間に分割して(2)式の推計を行う金融政策は1931 年 12 月以前は金本位制

への復帰を求めていたがそれ以降は金本位制を離脱し金本位制に制約されることがな

くなったと考えての分割である(金本位制からの離脱は 31 年 12 月正式には 32 年 1 月)

推計結果は表 3 に示しているここでも標準誤差を Newey-West の方法によって修正して

いる

表 3 期間分割後のテイラールールの推計結果

係数 係数

定数項 r -βπ tar 5450 定数項 r-βπ tar 3113

(22627) (10790)インフレ率 1+β 0057 インフレ率 1+β -0009

(3877) (0644)GDPギャップ α 0061 GDPギャップ α -0182

(0898) (2307)R2 0313 R2 0175自由度調整済みR2 0304 自由度調整済みR2 0146標準誤差 1542 標準誤差 0862DW統計量 0475 DW統計量 0241

注)( )内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1931年12月 (2)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

推計結果表3-(1)を見ると1919年1月から1931年12月において(1+β)が1で有意であ

あるまた値は00567でありこれから1を引くとβ =-0943となる (1)式から考える

と物価が目標インフレ率以上に上昇したときには政策金利をほぼ物価上昇率と同じだ

け引き下げるという政策を行っていることがわかるこの期間はほぼ物価が下落してい

たのでデフレ促進的な政策を採っていたことになる

GDP ギャップに関しては有意ではないがギャップが1ポイント縮小すると政策金利

を 0061引き上げるすなわち景気が拡大したときには政策金利を引き上げるという景

気変動抑制的な政策が行われていたことがわかるもちろんその係数は小さいので実

際にどれだけそのような効果があったかは分からない

表3-(2)で1932年1月から1936年12月の推計結果をみる物価の係数(1+β)-0009か

ら1を引くと-1009となり物価が上ると金利を引き下げるという政策をとっていたこ

とが分かるこの期間は物価が回復または上昇していた時期であるのでインフレ促進的

な政策を行っていることがわかる

GDP ギャップに関しては 5で有意でありギャップが1ポイント縮小すると政策金

利を 0182 引き下げるという景気変動拡大的な政策が行われていたことがわかるただし

15

その係数は小さいので効果も小さかったと思われる

これらの結果を鎮目[2002]と比べるとインフレ促進的またデフレ促進的な政策が行

われていたということについては共通しているGDP ギャップについて 32 年以降マイナス

になるというのも鎮目と共通であるただし本稿の推計した係数値は鎮目に比べてき

わめて小さい

242 区間分けについての確認

これまでの期間分割は暫定的なものであったこの区間分割が合理的なものであるかを

どうかを確認するために逐次回帰法(recursive least squares)を行った結果が図6で

ある6

図6で 1+βαの動きをみると30 年以降に大きく動いておりこの期間分けは合理的

なものだったと分かる

図 6 逐次回帰推計

-08

-04

00

04

08

12

16

1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1934 1936-1

0

1

2

3

4

1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1934 1936

25 政策反応までのラグ

これまでの分析は当期の物価景気貿易収支為替が金融政策に影響を及ぼすとし

ていたしかし為替はともかく物価景気貿易収支については認知のラグがあり

また経済情勢を慎重に見極めながら政策を行っていると考えられるそこでここでは次

のようなモデルについて推計を行うことにする

6 ここで使用した逐次回帰法は推計期間として 1から説明変数の個数より大きいサンプル数を

選び係数を推計し次は 終期を 1期追加して係数を推計といった手順を繰り返す手法である

詳しくは森棟(1999)4 章を参照のこと

1+β α

16

1 1

1 1

0 0

( ) (1 )tart p t p q t q t t

p q

i r x iβπ β π α λ εminus minus minus= =

= minus + + + + +sum sum (3)

ここでは p=0 q=0 のケースp=0 q=1 のケースp=1 q=0 のケースp=1 q=1 の

ケースについて推計を行った結果自由度修正済み決定係数および赤池情報基準によって

モデルを選択すると全期間を対象とした場合は p=1q=0金本位離脱以前を対象期間に

した場合では p=q=1金本位離脱以降を対象とした場合では p=0 q=0 が選択されるした

がってここでは各期間において選択されたラグ(pq)に従って推計を行うスペースの節約

のため選択されたモデルの結果のみを表4に示す推計方法は 小二乗法を使用して

いる

17

表4 政策反応までのラグ

(1)全期間1919年1月~36年12月

(p=1q=0)

係数

定数項 r-βπ tar 0612

(3895)

当期インフレ率 (1+β )0 0042

(2220)

前期インフレ率 (1+β )1 -0047

(2463)

当期GDPギャップ α 0 0042

(2436)

前期の金利 λ 1 0867

(28290)

R2 0789

自由度調整済みR2 0785標準誤差 0895

DW統計量 2756

(2) 金本意離脱前1919年1月~31年12月(3) 金本意離脱後1932年1月~19年12月

(p=1q=1) (p=0q=0)

係数 係数

定数項 r-βπ tar 1392 定数項 r -βπ tar 0364 (3907) (2348)

当期インフレ率 (1+β )0 0076 当期インフレ率 (1+β ) -0002

(3149) (1048)

前期インフレ率 (1+β )1 -0066 前期インフレ率 (1+β )1

(2682)

当期GDPギャップ α 0 0022 当期GDPギャップ α 0 -0004

(0661) (0321)

前期GDPギャップ α 1 0009 前期GDPギャップ α 1

(0338)

前期の金利 λ 1 0748 前期の金利 λ 1 0867

(12691) (15181)

R2 0719 R2 0933

自由度調整済みR2 0710 自由度調整済みR2 0929

標準誤差 0997 標準誤差 0248

DW統計量 2643 DW統計量 2594

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法

によって修正を加えている

表4(1)の全期間を対象とした場合全ての変数が5で有意であるまた1+β の推計値か

ら計算されたβ は全て負となりインフレまたはデフレ促進的な政策が行われていたと解

釈されるGDPギャップについてはα が正であるが係数の値は非常に小さい一方金利

の平準化の程度を示す 1λ の係数は大きい

金本位制離脱以前の推計結果表 4(2)ではGDP ギャップの係数以外が有意である推計

18

された係数の値をみるとこの時期のβ も表 4(1)の全期間を対象とした値とあまり変わ

らないが 1λ はやや小さくなっているこの時期政策策定者は金利を平準化しつつイン

フレを促進するような政策をとっていた可能性がある

後に金本位制離脱以後の推計結果表 4(3)からは 1λ 以外は有意ではない

すなわち全期間を通していえることは金利の平準化の要素が強くまたインフレおよび

デフレを是認あるいは促進的な政策となっていた係数の値はいずれも小さくλの係数

をコイック型のラグと考えてそれぞれの係数を 1(1-λ)倍しても小さい

3拡張テイラールール

31 拡張テイラールールの定式化先行研究データ

これまでの結果は物価については鎮目[2002](図表7)とも共通であり物価を不安

定にする金融政策が行われていたことになるさらに鎮目では GDP ギャップの係数は 31

年までは正であり景気変動抑制的だったが32 年以降は負となり景気変動を拡大する

ような金融政策が行われていたことになる本稿の GDP ギャップの係数も正から負に変わ

っているただしいずれにしろその係数は小さいので景気変動を抑制するように金融

政策が行われていたとは言えない

以上の結果はむしろ戦間期の金融政策は金融政策は国内の経済安定に重点を置い

て物価と景気を見ながら行うべきというテイラールールでは説明することが難しいと解

釈すべきだろうこれは鎮目の結果とも共通しているそこで次に戦間期の金融政策は

経常収支為替レートの安定など対外均衡に重点を置いて行われていたのではないかと

いう常識に従いテイラールールを拡張して金融政策が経常収支や金外貨準備や海外

金利にも影響されて行われていたとする鎮目[2002]はテイラールールに金外貨準

備海外金利経常収支資本収支を加えている月次で資本収支(およびその代理変数)

のデータを得ることはできなかったので我々の推計式は鎮目[2002]を参考に

1 2 3 4 5 6( ) (1 )tar

t t t t t t t t ti r x TB S NYP fori reserveβπ β π α α α α α α ε= minus + + + + + + + + +

(4)

とする

ここで月次の経常収支はデータが得られないため輸出入の差を名目GDPで割った貿易収

支比率TBを使用している(ここで用いている名目GDPは鉱工業生産指数times卸売物価指数で

ある)貿易収支比率は実際の名目GNPで修正している7またSは為替レートの変化率を

7貿易収支比率 TBは具体的には以下である

1928t1928 GNP( ) 100

1928 t GDP( )GDP( ) 1928

tTB = times times

年の貿易収支合計

期の貿易収支年の名目 大川推計

月次貿易収支の 年平均 期の名目 の代理変数

月次名目 の代理変数 の 年平均

19

示しており値が増えるのが円高である8ニューヨーク物価NYPはニューヨークの卸売物価

指数の前年同月変化率()であるforiは外国の市中金利()を示しニューヨーク金利

あるいはロンドン金利のいずれかである貿易収支が赤字に円の為替レートが下落すれ

ば金利は引き締められるニューヨークの物価が下落すれば日本の金融も引き締めざ

るを得ないニューヨークまたはロンドンの金利に追随するしかないと考える正貨

reserveは金本位制であればこれが増大すれば金融を緩和し減少すれば金融を引き締め

ることになる(ただし正貨は21年3月から29年3月までのデータしかない)また正貨は

1924年1月から11月1925年289月のデータが欠損しているので線形補間によってデ

ータを補っている9

符号条件は貿易収支比率為替レート変化率ニューヨーク物価上昇率正貨が負

ニューヨークおよびロンドンの金利が正である

以上で為替レートニューヨーク物価が鎮目[2002]の分析に対し新たに追加した変

数である

ここで新しく追加した変数貿易収支比率と為替レートと名目GDPの代理変数とニュー

ヨーク物価とニューヨーク金利とロンドン金利と正貨準備を図7図8図9に示してお

くここで名目GDP(その代理変数)は鉱工業生産times卸売物価指数である

8第1節と同じように為替レートの水準は 100 円当たりのドルで表しているので変化率

に修正しても値が大きくなると円高を示すことになる 9 また日本銀行調査局『本邦経済統計』では1922 年 11 月の正貨準備高の値が 1386957540円と記載されているが前後月の数値から判断して 1836957540 円の誤記と推測し修正を加

えている

20

図 7 コールレートニューヨーク市中金利ロンドン市中金利

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

200

0

2

4

6

8

10

12

14

16

18

コールレート(右軸) ニューヨーク市中金利(右軸) ロンドン市中金利(右軸)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

図 8 貿易収支比率為替レート変化率名目 GDP(対数値)

0

2

4

6

8

10

12

14

-50

-40

-30

-20

-10

0

10

20

30

貿易収支比率 為替レート変化率 名目GDP

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

21

図 9 正貨準備高ニューヨークインフレ率

0

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

-60

-40

-20

0

20

40

60

正貨(単位億円) ニューヨークインフレ率(卸売り物価指数)

なお追加した説明変数貿易収支比率為替レートニューヨーク物価ニューヨー

ク金利ロンドン金利正貨準備が独立でないという問題があるうちニューヨーク金

利とロンドン金利は同時には入れず他の変数と代替的に入れることとするそれでも

貿易収支比率と為替レートが独立ではないという問題があるかもしれない単純に為替

レートが割安であれば経常収支が黒字に動き割高であれば経常収支が赤字に動くという

メカニズムによって為替レートと経常収支が独立ではないということになる

また為替レート関数の推計において自国と他国の物価マネーサプライ金利生

産に加えて経常収支またはその累積を説明変数に入れるのが通常であることを考えれ

ば当然に問題となるしかし多くの推計で為替レートに対して経常収支またはそ

の累積の説明力はそれほど高くはない10

ちなみに変数間の相関行列を取ると表5のようになる(推計期間は正貨を含む変数間

は 1919 年から 1929 年 3 月それ以外の変数間は 1919 年 1 月 1936 年 12 月まである)貿

易収支比率と為替レートの相関を取ると相関係数は 0029 でありマルチコリニアリティ

10 深尾[1983] (167 頁)は日本の米国に対する 100 億ドルの経常黒字は 64の円高ドル

安要因になるとしているこれは大きな効果だがその後の推計によると経常収支黒字が円高

をもたらす効果は大きくはない河合[1986](第 94 表214 頁)によれば経常収支累積額が

1の上昇は実質為替レートを 0068~0163上昇させるにすぎないその後も同様の推計

がなされているが(経済企画庁[1997]第 1-2-1 図③経済企画庁[1999]付図 1-5-2原田[2004])いずれの推計においても経常収支が為替レートに与える影響は大きなものではない

22

の問題は避けられていると判断できる当時のデータで為替と貿易収支の相関が弱い理

由として金解禁への動きが度々予想されていたので為替レートが貿易など実態経済

の状況にかかわらず高騰していたこともあげられる表 5 から説明変数間で(被説明変

数のコールレートを除く)相関係数の絶対値が 04 以上のものを上げると卸売物価と GDP

ギャップ卸売物価とニューヨーク卸売物価GDP ギャップとニューヨーク卸売物価ニュ

ーヨーク金利とロンドン金利貿易収支比率とコールレートがそうである卸売物価と GDP

ギャップはテイラールールの基本的な説明変数なので両者をともに入れるがニューヨ

ーク金利とロンドン金利については代替的にも推計することとする

表5 拡張テイラールールで使用された変数の相関行列

コールレート

インフレ率GDPギャッ

プ貿易収支比

率為替変化

率NYインフレ

率NY金利

ロンドン金利

正貨準備変化率

コールレート 1000 0222 0293 -0441 -0112 0082 0437 0264 -0113

インフレ率 1000 0437 0046 -0024 0482 0198 -0340 -0005

GDPギャップ 1000 -0056 0205 0605 0246 -0119 0042

貿易収支比率 1000 0029 0189 -0182 -0252 0183

為替変化率 1000 0259 0023 0019 0058

NYインフレ率 1000 -0071 -0378 -0084

NY金利 1000 0649 0291

ロンドン市中金利 1000 0092

正貨準備変化率 1000

32 拡張テイラールールの推計結果

推計期間は貿易収支が入手可能な1926年1月から1936年12月までの全期間と上述の(2)

式と比較するために1931年12月までとそれ以降の期間とする推計結果は表6の通り

である推計については上記3つの推計期間において 小二乗法を行っている新しく追

加した変数貿易収支比率為替レートの変化率ニューヨーク卸売物価上昇率ニュー

ヨーク金利ロンドン金利正貨準備の変化率の単位はである推計に当たっては系

列相関が疑われるためNewey-Westの方法によって標準誤差の修正を行っている

23

表6 拡張テイラールールの推計結果

係数 係数 係数 係数

定数項 r-βπ tar 3155 2980 定数項 r -βπ tar 5780 6596 (10072) (6939) (12603) (13464)

インフレ率 1+β 0008 0027 インフレ率 1+β 0041 0025

(0552) (1600) (1957) (1399)

GDPギャップ α 1 0036 0057 GDPギャップ α 1 0090 0083

(1156) (1798) (2584) (2412)

貿易収支比率 α 2 -0105 -0106 貿易収支比率 α 2 -0053 -0054

(5627) (4937) (2671) (3396)為替変化率 α 3 -0109 -0110 為替変化率 α 3 -0062 -0051

(3782) (3755) (1345) (0998)

NYインフレ率 α 4 0014 0011 NYインフレ率 α 4 0014 0012

(0820) (0645) (0651) (0682)

NY金利 α 5 0212 NY金利 α 5 -0133

(3002) (1599)

ロンドン金利 α 5 0399 ロンドン金利 α 5 -0466

(2870) (3071)R2 0397 0375 R2 0468 0503

自由度調整済みR2 0380 0357 自由度調整済みR2 0447 0483

標準誤差 1520 1548 標準誤差 1375 1329

DW統計量 0568 0531 DW統計量 0700 0794

係数 係数

定数項 r-βπ tar 2703 2617

(6657) (26032)

インフレ率 1+β -0018 -0016

(1920) (2396)

GDPギャップ α 1 -0052 -0059

(2353) (5464)

貿易収支比率 α 2 -0031 0004

(1779) (0381)

為替変化率 α 3 -0007 0028

(0423) (1526)

NYインフレ率 α 4 -0017 -0024

(3808) (5526)

NY金利 α 5 0423

(1421)

ロンドン金利 α 5 0742

(7283)

R2 0797 0899自由度調整済みR2 0774 0887

標準誤差 0443 0313

DW統計量 0757 0925

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とそれぞれの金利だけである

どちらの推計でもこれらの有意な変数は符号条件を満たしているインフレ率とGDPギャ

24

ップは5有意ではなくなり単純テイラールールでも小さかった係数はさらに小さ

くなるこれに対して貿易収支比率の係数は貿易収支比率が10ポイント分マイナス

に動けば1金利を引き上げることであるからある程度貿易収支に反応して金融政策

を行っていたと言えるだろう為替変化率の係数は為替レートが10下落したら金利

を1引き上げることであるからこちらもある程度は為替レートに反応して金融政策を

行っていたとも言えるだろうニューヨーク金利とロンドン金利が1上昇すると国内金

利をそれぞれ0204引き上げるということになっている

1926年1月から1931年12月までの推計ではニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれ

を用いた推計でも5で有意な変数はGDPギャップと貿易収支比率とロンドン金利であ

るがロンドン金利は符号条件を満たしていないGDPギャップは有意であるがその係数

は単純テイラールールの推計と同様に小さい貿易収支比率の係数は貿易収支比率で

10ポイント分赤字が増えれば金利を05引き上げることであるからある程度は貿易

収支に反応して金融政策を行っていたと言えるかもしれない

さらに1932年1月から1936年12月までの推計では物価GDPギャップニューヨーク物

価ロンドン金利が5で有意であるGDPギャップニューヨーク物価は符号条件を満た

していないロンドン金利は符号条件を満たしその係数も074と大きく日本の金融政

策はロンドンに追随して行われていたことになる

金本位制を意識して行われていたときには金融政策は対外均衡に重点を置き金本位

制を離脱した後はロンドンの金利に追随していたことになる日本の金融政策が英国

の金融政策に追随していたことは鎮目[2009]第2章の結果とも整合的である

さらに表7は以上の変数に正貨を追加したものであるデータの制約により1919年1

月から29年3月までしか推計できないのでこれは金本位制を意識して金融政策が行われて

いた期間の金融政策を評価していることになる

25

表7 (3)式の拡張テイラールールの推計結果(正貨準備の変化率追加)

係数 係数定数項 r-βπ tar 5431 7511

(7602) (8642)インフレ率 1+β 0028 0024

(1209) (1264)GDPギャップ α 1 0147 0095

(2352) (1698)貿易収支比率 α 2 -0050 -0034

(2522) (2089)為替変化率 α 3 0016 0097

(0173) (0989)NYインフレ率 α 4 0004 -0004

(0166) (0224)NY金利 α 5 -0071

(0665)ロンドン金利 α 5 -0662

(2795)正貨準備の変化率 α 6 -0071 -0087

(0796) (1138)R2 0410 0471自由度調整済みR2 0374 0438標準誤差 1451 1375DW統計量 0808 0934注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

正貨を追加した推計結果ではGDPギャップ貿易収支比率ロンドン金利が有意である

GDPギャップ貿易収支比率は符号条件を満たしているがロンドン金利は満たしていない

表7の1919年から31年の推計結果に比べてGDPギャップの係数の値は大きくなるが景気

安定化効果が大きかったとまでは言えない貿易収支の係数はほとんど変らず貿易収支

の状況を念頭に入れて政策を行っていたと言えるだろうロンドン金利符号が逆で海外

金利が下がると金利を上げるという結果になっている

以上の結果を鎮目[2002]と比べる鎮目は金外貨準備英国の短期金利経常収支

資本収支をテイラールールの式に追加していずれの変数も有意ではなかったと報告し

ているが本稿では追加した変数のうち貿易収支ニューヨーク金利(特にロンドン

金利)が符号条件を満たして有意になっている場合が多く対外均衡を意識した金融政策

が行われていた可能性を示唆している

33 拡張テイラールールに関する政策反応ラグ

以上の拡張テイラールールの推計では貿易収支比率為替変化率ニューヨークイ

26

ンフレ率ロンドン金利を追加したものが良好な推計結果をもたらしたそこで拡張テ

イラールールに関する政策反応ラグを考慮するために以上の変数に加えて被説明変数

の 1期ラグを追加したものを推計する11結果は表8のようになる

表8 拡張テイラールールの金利ラグ付き推計

係数 係数 係数 係数定数項 r-βπ tar 0623 0565 定数項 r-βπ tar 1806 2223

(3922) (3134) (3861) (3396)インフレ率 1+β -00001 0003 インフレ率 1+β 0012 0007

(0023) (0552) (1190) (0761)GDPギャップ α 1 0019 0023 GDPギャップ α 1 0044 0043

(1589) (1875) (2072) (2007)

貿易収支比率 α 2 -0024 -0023 貿易収支比率 α 2 -0019 -0020

(2312) (2239) (1514) (1767)

為替変化率 α 3 -0026 -0025 為替変化率 α 3 -0048 -0045

(1984) (2069) (1607) (1430)

NYインフレ率 α 4 -0002 -0002 NYインフレ率 α 4 -0004 -0004

(0277) (0388) (0337) (0389)NY金利 α 5 0040 NY金利 α 5 -0044

(1532) (1193)

ロンドン金利 α 5 0075 ロンドン金利 α 5 -0163

(1447) (1703)コールレート1期ラグ 0796 0802 コールレート1期ラグ 0680 0657

(18638) (20579) (9505) (8112)R2 0789 0788 R2 0707 0711自由度調整済みR2 0782 0781 自由度調整済みR2 0693 0697標準誤差 0902 0904 標準誤差 1023 1016DW統計量 2581 2574 DW統計量 2408 2415

係数 係数

定数項 r-βπ tar 0527 0900 (2552) (3391)

インフレ率 1+β -0004 -0005(1594) (1249)

GDPギャップ α 1 -0006 -0014

(1174) (1562)

貿易収支比率 α 2 -0001 0010

(0135) (1064)

為替変化率 α 3 0005 0019

(0542) (1247)

NYインフレ率 α 4 -0003 -0008

(1971) (2116)

NY金利 α 5 -0022

(0557)

ロンドン金利 α 5 0386

(3052)コールレート1期ラグ 0833 0608

(9986) (6019)R2 0934 0957自由度調整済みR2 0925 0951標準誤差 0255 0207DW統計量 2478 2362

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

11 単純テイラールールでは説明変数のラグを加えたがここではあまりにも煩雑になること

と単純テイラールールで被説明変数の 1 期ラグが重要であったことから被説明変数の 1 期

ラグのみを追加した

27

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とコールレートの1期ラグであ

る貿易収支比率と為替変化率のどちらの係数も符号条件を満たしているがコールレー

トの1期ラグがない場合と比べて係数の値は小さくなっているただしこの推計をコイ

ック型と考えて係数の長期の値を(1-コールレートの1期ラグの係数)で除すことによっ

て求めれば1期ラグがない場合の係数よりもかなり大きくなる

1926年1月から1931年12月までの推計ではGDPギャップとコールレートの1期ラグのみが

有意となるGDPギャップの長期係数を求めても値は小さいこの期間では金利を安定的

に維持することに金融政策が使われていたと言えるだろう

1932年1月から1936年12月までの推計では有意なものはロンドン金利とニューヨークイ

ンフレ率とコールレートの1期ラグとなってしまうニューヨークインフレ率は符号条件を

満たしているがその係数は小さいロンドン金利の係数は大きく日本の金融政策はロ

ンドンに追随して行われていたことになる

コールレートの1期ラグを入れるといずれの期の金融政策も金利の平準化の要素が大き

いと判断される金本位制を意識して行われていたときには金融政策はある程度は対外

均衡を考えていたようである金本位制を離脱した後はロンドンの金利を考慮していた

ようである

さらに表9は以上の変数に正貨を追加したものである(データの制約により1919年1

月から29年3月までの推計)これは金本位制を意識して金融政策が行われていた期間の金

融政策を評価していることになる

28

表9 正貨準備高の変化率を加えた場合

係数 係数定数項 r-βπ tar 1723 2771

(3126) (2898)インフレ率 1+β 0004 0005

(0356) (0518)GDPギャップ α 1 0088 0072

(2641) (2442)貿易収支比率 α 2 -0023 -0018

(1664) (1321)為替変化率 α 3 -0025 0008

(0544) (0189)NYインフレ率 α 4 -0007 -0010

(0617) (0924)NY金利 α 5 -0012

(0255)ロンドン金利 α 5 -0239

(1470)正貨準備の変化率 α 6 0001 -0005

(0013) (0079)コールレートの1期ラグ 0644 0603

(7451) (6371) R2 0652 0659自由度調整済みR2 0628 0635標準誤差 1119 1107DW統計量 2450 2452注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

有意なものはGDPギャップとコールレートの1期ラグであるGDPギャップは符号条件

を満たしている長期の係数を取ってもその係数は大きいとは言えない

34 対外均衡と対内均衡

対外均衡に重点を置いた金融政策を行うとは経常収支赤字や為替レート下落や外貨準

備の減少に対して金利を引き上げるというルールに従って金融政策を行うことである

通常であれば金本位制の下で国内がインフレになり競争力を失ったり景気が過熱

して輸入が増大したときには経常収支赤字や為替レート下落や外貨準備の減少が起きる

だろう経常収支の赤字や外貨準備の減少が起きたときには金融を引き締めるというルー

ルは国内がインフレになったり景気が過熱したときには引き締めるというルールでも

あるしたがって対外均衡に重点を置くことが国内均衡を必ず妨げるというわけではな

いこれは逆の場合も真実であるしかし1910 年代日本の経常収支や外貨準備は国

内の景気要因で変化したわけではない第 1 次世界大戦によって外需が増加し経常収支

29

が黒字となり外貨準備が増えた金本位制のルールに従って金融政策は緩和されマ

ネタリーベースは 1919 年 1 月から 1920 年 4 月までに 16 倍に増加した輸出超過の国は

金融緩和することによって輸入超過の国の不況を和らげることができる日本は金本

位制の正しいルールに基づいて金融を緩和しただけであるしかし戦争がおわりその

復興需要もなくなったとき経常収支は赤字となり外貨準備は減少したしかしかつ

て金準備に依存して増大していたマネタリーベースはそのままだった失われた外貨準備

に対してマネタリーベースを減少させなければならなかったしかし23 年までマネタリ

ーベースは増大し続けていた関東大震災という不幸もあってマネタリーベースを減少

させることはできなかったその後25 年まで引き下げていたが27 年には金融恐慌があ

りマネタリーベースを削減することができなかったその後28 年までマネタリーベ

ースはむしろ拡大していた29 年には金本位制復帰を目指してマネタリーベースを急減さ

せるがその結果は激しいデフレと不況だった

そもそも国内要因の変化によらない金準備の増加に対してマネタリーベースを拡大し

たことが誤りだった金本位制からの離脱は1917 年ではなくて欧米諸国が離脱した

1914-15 年になすべきだったそうであれば1910 年代末までのマネタリーベースの急増

はなかっただろうところが実際には金本位制から離脱したにも関わらず1920 年にか

けてマネタリーベースは拡大していた1920 年代からは失われた金準備に対してマネタリ

ーベースを削減することが試みられるようになるしかしそれは関東大震災や金融危機

によって頓挫するむしろマネタリーベースを削減するという試みがデフレと不況をも

たらしそれゆえに不良債権が増大してしまったということではないだろうか

35 小括1‐テイラールールの推計から得られた知見

以上のことから考えて1920 年代から 30 年代にかけては金融政策はインフレまたはデ

フレ促進的な政策を行っていた対外均衡にはある程度考慮した金融政策を行っていたこ

とが分かる

しかし1920 年代には金本位制に復帰するという政策が課題となっていたはずである

20 年代がデフレ促進的また対外均衡にある程度考慮した政策を行っていたことはこの

課題にとっては正しいものだろうしかし現実に採られたデフレ促進策では不十分だっ

た物価は旧平価で金本位制に復帰できるほど下がっていなかったのだからまた32 年

以降の金融政策についてもなぜ 32 年から急速な回復ができたのかそれと金融政策とは

どのよう関係しているかは分析できていない

これについて飯田岡田[2004]は昭和恐慌からの回復はデフレ脱却による実質金利

の下落が重要であって名目金利の低下は重要でなかったと分析しているこれによれば

名目金利の変化で金融政策の変化を見ることはできないことになるしたがって名目金

利の変化に着目するテイラールールでは31 年 12 月以降の高橋是清蔵相の金融政策の意

味を理解できないことになる

30

また金融政策が物価および景気安定を意図していなかったら何を意図していたのだ

ろうか本稿での結論は為替レートや経常収支に視点を置いた対外均衡を意識していた

ということになる

いずれにしろテイラールールだけでは戦前期の金融政策を十分には理解できない

ことになるそこで戦前期の金融政策を別の方法で評価してみよう

4マッカラムルールによる金融政策の評価

41 マッカラムルールの意味と定式化とデータ

以下ではマッカラムルールで戦間期の金融政策を評価することにするマッカラム

ルールを用いて金融政策の在り方を判断した研究としてはマッカラム自身の分析を始め

として多くのものがある(例えばMcCallum[1987][1988]マッカラム[1997]第 15 章)

日本のデータを用いたものにおいても McCallum[1987]岡田飯田[2004]などがあるし

かし日本の戦前期についてはおそらく安達[2006](第7章)しかないと思われる安

達は年データを用い目標値として設定された名目 GNP 成長率(5と設定している)

を達成するためのマネタリーベースを求め現実のマネタリーベースの成長率が 1936 年ま

で過小でそれ以降過大であることを示している本稿では月次データを用いているので

期間ごとの金融政策の在り方も検討することができる

マッカラムルールとはマネタリーベースの成長率を名目GDPの望ましい成長率に

依存させるルールである(McCallum[1987]マッカラム[1997]第 15 章)しかし貨幣の

流通速度 vは変化するので貨幣の流通速度の変化に応じてマネタリーベース bの動きを調

整することが必要となるこのようなルールはbvなどを対数値として望ましいマネタ

リーベースの成長率⊿bをマネタリーベースの流通速度Δvに応じて変化させるというルー

ルであるただしvは景気変動によって大きく変動しているのでそれが技術的な変化と

見なせる 2 年間の平均値 tvΔ であるとする12すなわちマッカラムルールに基づくマネタ

リーベースの成長率とは

tbΔ =マネタリーベースの望ましい成長率- tvΔ

であるここでマネタリーベースの望ましい成長率はサンプル期間(1919 年 1 月から 1933

年 12 月まで)のマネタリーベースの平均成長率とする13マッカラムはマネタリーベース

の望ましい成長率を名目 GDP の成長率としているがここではまずこの期間の経済を再現

することを目的としているので現実のマネタリーベースの成長率を採用したマネタリ

12 マッカラム(1997)第 15 章では流通速度として 4年平均を使用しているが本稿ではサンプル

期間が短いため 2年平均としている 13 サンプル期間は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月であるがマネタリーベースの流通速度の平

均値作成のため 初の 24 か月が失うのでここで計算された望ましいマネタリーベースの成長

率は 1921 年 1 月から 1933 年 12 月までの平均となっている

31

ーベースの動きを図 10 に示しているマネタリーベースは季節性が強いので季調値も図示

しているなお前述のように戦前期の月次名目 GDP のデータは存在しないのでIIP に

卸売物価を掛けたものを名目 GDP の代理変数とする(ここで使うデータの定義と出所は前

掲の表1にある)

図 10 マネタリーベース(原数値と季節調整値)の動き

0

50000

100000

150000

200000

250000

19191

19197

19201

19207

19211

19217

19221

19227

19231

19237

19241

19247

19251

19257

19261

19267

19271

19277

19281

19287

19291

19297

19301

19307

19311

19317

19321

19327

19331

19337

観察されたベースマネー(単位万円) 季節調整済マネタリーベース(単位万円)

作成されたマネタリーベースの成長率は1919 年 1 月から 33 年 12 月までで年率 12

月次では 01となるすなわち

tbΔ =0001- tvΔ

ここで考察する期間を 1919 年 1 月から 33 年 12 月までとしたのは34 年以降の GDP の伸び

が大きすぎトレンドの作成において歪みを生じさせるからであるまた33 年は昭和恐

慌から脱却し経済が安定していた時期でもある

さらに名目 GDP が何らかのショックによって平均的な成長経路よりも上回った時に

はマネタリーベースの伸び率を低下させるようなルール(下回った場合は逆)を導入し

ようすなわち

tbΔ =0001-

1 1( )t t tv y yλ minus minusΔ + minus

32

となるただし目標値

1ty minus は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月までの月次平均成長率 04

成長経路での名目 GDP の対数値であるまたマッカラムによればλは四半期データで 025

が望ましいとされているがここでは月次データを使用しているのでとりあえず 12 分の 1

とすることを考えたがこの期間の名目 GDP は戦後の日米名目 GDP のデータより大きく変

動しているのでさらに小さくする必要があるマッカラムも「λの値を選択する場合

もし間違えるとすれば小さな値を採るほうがよい」(マッカラム[1997]308 頁)としている

そこでλは 36 分の1とした 終的なルールは

tbΔ =0001-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (5)

となる

マッカラムは望ましいインフレ率をゼロとするマネタリールールを求めているがこ

こでは実際には大きく変動したマネタリーベースを安定的に動かしていたらどうなったか

を考えることにしているので名目 GDP の動きは現実のものを使いルールにもとづくマ

ネタリーベースと実際のマネタリーベースをまず比較することにする

次に名目 GDP の決定に関する次のようなモデルを 小二乗法により推計する結果は

1 1 2 3

2

0004 0295 0053 0110 0106 0071 - 0069 23- 0046 27(1596) (3634) (1054) (1404) (2300) (1831) (6731)

R 0109 SE=0029 BG(24)=33227

(1822) t t t t t t ty y b b b b dummy dummy eminus minus minus minusΔ = + Δ + Δ + Δ + Δ + Δ +

=

(6)

となる14但し yΔ は名目 GDP の変化率 bΔ はマネタリーベースの成長率dummy23 は関東

大震災の時の一時的な変動をとらえるために 1923 年 9 月を 1それ以外を 0 としたダミー

変数dummy27 は金融恐慌時の一時的な変動をとらえるために 1927 年 4 月 5 月を 1それ

以外を 0としたダミー変数サンプル期間は推計に使用する変数が全て揃う 1921 年 1 月か

ら 1933 年 12 月までまたここでの残差 te は攪乱項の推定値2R SE BG(p) はそれぞれ

自由度修正済み決定係数攪乱項の標準誤差p 次の Breuch-Godfrey テストのχ二乗統計

量( )内は Newey-West の方法により修正した t値を示している15

ここで当時マッカラムルールなどという議論がなかったのだからこのような分

14 ここでは bΔ は現実のマネタリーベースの成長率を使用して推計を行っている 15 研究の対象期間は 1919 年 1 月からであるが平均流通速度 tvΔ の計算のために 初の 24 ヶ

月分が使用できないそのため他のシミュレーションの対象期間と整合性を保つため 1921 年 1

月からとしているまたこの推計式にはラグ付き内生変数を含むためダービンワトソンテスト

ではなく Breush-Godfrey テストを報告しているこの Breush-Godfrey テストから系列相関が疑

われるためNewey-West の方法により標準誤差を修正している

33

析は意味がないという批判があるかもしれないがこれにはテイラールールの節で述べ

たのと同じ反論が可能であるマッカラムルールとは名目 GDP が上昇しすぎたら(そ

のときには景気が過熱するかインフレが高進していると考えられる)マネーを縮小し

名目 GDP が下降しすぎたら(そのときは景気が悪化するかデフレになっている)マネーを

拡大するという素朴なルールである当時このようなルールが意識されていなかったと

は考え難い

42 長期的な経済を再現するシミュレーション

まずマッカラムルールによって現実の長期的な経済の経路を再現してみようルー

ルにもとづくマネタリーベースと実際のマネタリーベースのレベルと成長率とを図

11(1)(2)に示す

政策ルール(5)式が実施された場合の名目 GDP(の代理変数)の動きを見るために(5)式

から得られる理論値 tbΔ (6)式の残差 te 初期値 1ty minusΔ に目標 GDP

1ty minusΔ を代入してマ

ッカラムルールに従った場合の名目 GDP y の系列を求める現実の xとマネタリーベース

のルールに従った場合の y の系列を比べてみたのが図 11-(3)である図 11-(3)からマ

ネタリーベースのルールに従った場合の y の系列が安定していることが分かるこのよう

に安定的な名目 GDP の系列を得るためには第 1 次世界大戦後の金融引締めが過大で20

年代初期の金融緩和が過大30 年の金融引締めが過大だったと判断される

図 11 マッカラムルール

(1)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

34

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT MBDOT

注)BDOT はマッカラムルールの下でのマネタリーべースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(2)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

35

100000

120000

140000

160000

180000

200000

220000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC MB_SA

注)MB_SA はマネタリーベース(季節調整済)の現実値

B_MC はマッカラムルールに従った場合のマネタリーベース水準

またマッカラムルールの下でのマネタリーベースの初期値は現実値を使用

単位は万円

(3)マッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

36

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULE XSTAR X

注)GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

43 物価を下落させるシミュレーション

以上の結果はマネタリーベースの伸びを安定的にしていれば経済変動はより少なく

なっていただろうということを示しているしかしもし第 1 次世界大戦前の旧平価で金

本位制に復帰することが目的であったとしたら1節で述べたように物価を 3 割下げな

ければならない名目 GDP(その代理変数)は実質 GDP の変化がないとして1919 年 12

月から 29 年 12 月までに 3割下がらなければならない

そこで名目 GDP(その代理変数) y は現実の値よりも毎月 03ずつ低下しなければ

ならないので(5)式の定数項 0001 から 0003 を引いて-0002 とするすなわち

tbΔ =-0002-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (7)

とならなければならないここでの系列 y も実際の値から毎月 03ずつ引き下げたも

のを使っているつぎに(7)式の bを(6)式に入れると図 12 のようになる図に見られるよ

うに名目 GDP は安定しかつ小さくなっているすなわち物価が 3 割下落していること

が分かる

37

図 12 物価を下落させた場合

(1) 名目 GDP の目標値とマッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

45

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48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULEXSTAR

XGDP3_RULE

XSTAR_3

注) GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

GDP3_RULE は物価を 3割下げたマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR_3 は物価を 3割下げた場合の目標となる名目 GDP(対数値)

38

(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

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  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 5: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

4

この系列によればGNP の成長率は小さくなり31 年には 12のマイナス成長になるた

だこの再推計によっても世界大恐慌期における日本の成長率の低下は小さく日本は

世界恐慌の影響がもっとも軽微だった国の一つであるという事実は変わらない

またGNP デフレータから第 1 次大戦期に物価が大きく上昇した後20 年代はデフレ

ーションが続いていたことが分かるさらに30 年の恐慌時には物価が大きく下落してい

たこと物価の落ち着きとともに実質 GNP の成長率が回復したこと30 年代の後半にはイ

ンフレになったことが分かる

経常収支に着目すると第 1次大戦とその復興期に経常黒字が急拡大したことが分かる

ヨーロッパの戦乱に乗じて輸出を拡大した結果であるただし前述のように混乱が

収まると日本の輸出の急増は続かず経常収支赤字に悩むことになる

図 1 実質 GNPデフレータ経常収支などの動き

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

-10000

-5000

0

5000

10000

15000

20000

25000

1910 1912 1914 1916 1918 1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1934 1936 1938 1940

経常収支times10 実質GNP 宇都宮推計実質GDP GNPデフレーター

出所)大川一司『長期経済統計1国民所得』東洋経済新報社1974年大川一司『長期経済統計14貿易と国際収支』東

洋経済新報社1979年宇都宮[2007]注)経常収支は動きを分かりやすくするために10倍してあるGNPデフレータは右軸その他は左軸(単位100万円)

金本位離脱 関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

また第 1 次大戦期はインフレの時期でもあった図2は日本とアメリカの卸売物価指

数日本を基準とした日米の相対物価(いずれも 1910 年=100)為替レート(100 円当たり

ドルこれは当時の通常の表記法である)を示したものである図に見るように1917 年

から日本の物価は激しく上昇し1921 年には 1910 年を 100 として 300 近いレベルにまで上

昇したその後20 年代は物価が下落するデフレ状況になっていたアメリカの物価も

上昇していたが日本ほどではなかったので日米相対物価は下落していた為替レート

は当然下落しなければならなかったが高いままにあったこれは日本が戦前の水準で金

5

本位制に復帰するだろうとの予想があったからであるグラフから見ると1929 年には

日本の為替レートはドルに対してほぼ3割切り下げる必要があったがこの割高なレート

で 1930 年 1 月日本は金本位制に復帰したことになる(当時小汀[1929]は1~2割石

橋[1929]は 2 割の切り下げが必要としていたがこれは当時の日米物価の相対的な動きか

ら得られたものだった)

図2 日米物価と為替レート

0

20

40

60

80

100

120

140

160

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0

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100

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200

250

300

350

日本卸売物価 アメリカ卸売物価 日米相対物価 為替レート

出所)日本銀行「本邦経済統計」BRミッチェル斎藤眞監訳『マクミラン 新編世界歴史統計[3] 南北アメリカ歴史

統計19750‐1993』東洋書林2001年注) 為替レートは右軸(単位USドル100円)その他は左軸 (1910年を100とした場合)

金本位離脱 関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

12 金解禁論争と政治の動向

このような状況で1920 年代には金本位制に復帰するという金解禁政策が政治的課題

となっていたこの間の金解禁論争は(1)金本位制の下で国際競争力を維持するためには

物価を下落させても本来の金平価(第 1 次大戦前の平価)に戻るべきという議論(旧平価

解禁論)と(2)金解禁を行うのであれば国内経済の安定に重点を置いてすでに上昇し

てしまった物価を前提とした新しい平価で戻るべきという議論(新平価解禁論)が対立し

ていた(この論争については若田部[2004]中村[2004]田中[2004]が詳しい)1現実に

1 国際連盟の主催で金本位制の復活に関する国際会議が1920 年(ブリュッセル会議)と

22 年(ジェノア会議)に開催されているブリュッセル会議は専門家のジェノア会議は政府

代表の会合であるただし決議はほぼ共通しており復帰する平価の水準に関しては旧平価

で復帰するか新平価で復帰するかは各国が決定すべきこととされていた(日本銀行[1983]第 5章3)

6

は民政党浜口雄幸内閣の井上準之助蔵相の下で 1930 年 1 月に旧平価解禁が行われ日本

は激しいデフレとなって昭和恐慌に突入するその後犬養毅政友会内閣の高橋是清蔵相

の下で金輸出が再禁止され日本は 31 年 12 月(正式には 32 年 1 月)金本位制から離

脱しデフレも収まり景気は急回復する29 年から 31 年の激しいデフレと昭和恐慌デ

フレ脱却と景気回復は前掲の図1にも明らかである

この論争で残念なのは旧平価での解禁は国内物価を下げることであるということが国

民に理解されていなかったことだもちろん旧平価解禁論者はそれが財界整理不況

をもたらすことを理解していたがどれだけの物価下落が必要かそのためには賃金も下

げなくてはならないことを理解していたとはとうてい考えられない確かに「当時の経済

政策を支配していた思想は正統的保守的であってこれは 1920 年代を通じて政府が

戦前平価で金本位制を再開することからも明白である」(佐藤和夫[1981]24 頁)とされる

問題はそれが何を意味するかを正統派保守派が理解していたとは思われないことだ2

旧平価解禁論が真剣なものであったのなら20 年代初期に高騰した物価を20 年代を通

じて下落させていくことが金融政策の課題でなければならないがそのような金融政策は

行われていたのだろうか本稿ではテイラールールとマッカラムルールを用いて

この問いに答えることとするがその前に日本の金本位制復帰への政治的な動きを概観

しておきたい

第 1 次大戦期の混乱が収まり主要国が金本位制に復帰するにつれて日本も金本位制

に復帰するべきだと議論が盛んになり金解禁すなわち金本位制復帰が日本の政策課題と

なったしかし当時の言論や政府高官の発言を見るとかならずしも一直線に金解禁を

目指すという議論が盛んだった訳ではない金解禁論争とはアメリカが金本位制に復帰

した1919年から現実に金解禁が決定される1929年まで10年にわたる論争だったのである

以下日本銀行[1983](第 5 章3第 6 章2)石橋[1929]により金解禁を巡る動きを

簡単に整理しておこう

世界の動きを見れば前述の 19 年のアメリカの旧平価での復帰に続いて24 年にはドイ

ツが新平価で(ドイツは金兌換を実施しておらず不完全なものだった)25 年にはイギリ

スが旧平価で27 年にイタリアが28 年にはフランスがそれぞれ新平価で金本位制に復

帰したフランスの復帰によって主要国のなかで復帰していないのは日本だけとなり

このことも日本の金解禁への動きを促進したと思われる金解禁論争は他国の復帰に刺激

を受けた論争でもあった

1919 年にはアメリカの復帰に刺激を受けて東洋経済新報などで金解禁論が唱えられ

たが政府の反応は低調であったこの理由として大戦後には対中国投資が盛んにな

りその際日本が影響力を持つために金準備を蓄積しておく必要があったからであると

2 ただし当時日本銀行理事副総裁を歴任していた深井英五はこの問題を理解していた

深井は「金本位を回復する為めに所謂貨幣の単位の切下を行うか(すなわち新平価解禁‐筆者

注)然らざれば通貨の縮小を図らなければならぬ」と書いている(深井[1928]第 9 章第 5 節単

位の切下げか通貨の縮小か)

7

されている(石橋[1929])1922 年ごろになると物価調整の見地から金解禁論が唱えられる

ようになった物価が第 1 次大戦の水準に比べると倍になっておりアメリカの物価に

比べても 4 割高い水準にあったこの割高の水準を金解禁通貨収縮のメカニズムによっ

て是正せよというのである確かに加藤友三郎内閣(22-23 年)は通貨縮小物価引き

下げの意志を示してはいたしかしその動きは 23 年 9 月の関東大震災によって葬られた

1925 年のイギリスの金解禁によって再び金解禁の動きが盛り上がったが当時の浜

口蔵相の発言によれば財界の整理安定を図り外国貿易の逆調を制し国際貸借を改善

しその結果として金解禁すると述べている(浜口雄幸「金融制度の整備と国際貸借につ

いて」(『銀行通信録』第 81 巻第 484 号1926 年 5 月 8日引用は日本銀行[1983]148 頁)

これは 22 年ごろの金解禁論とは政策の因果関係を逆にするものだっただが27 年の金融

恐慌により金解禁への動きはまったく頓挫したしかし 29 年になると財界においても金

解禁を求める声が高まり新たに政権についた浜口民政党内閣の下で金解禁が実施され

ることになるただしこの金解禁を行うための準備について当時日銀副総裁であった

深井英五は金解禁が不景気を忍ばなければならないことを大衆に理解させていたかに疑

問を呈している(深井英五『回顧七十年』岩波書店1941 年242-243 頁)

以上概括してみれば金本位制へ復帰しようという動きはあったが19 年から 29 年に

かけて 9 代の交代を経験した内閣を通じて金解禁とは通貨の収縮によって不況をもた

らし物価を引き下げることであるという理解の下に一貫した政策が行われていたとは信じ

がたいただし金解禁への動きが度々予想されていたので旧平価での金解禁の実施を

予想して為替が上昇しており(1923 年から 27 年にかけて為替は下落していたがそれ以外

はほぼ旧平価の水準にあった)それを通じて経済にデフレ圧力が現れていたのが 1920 年

代の経済と解釈できるだろう

ここで私たちの分析に戻ってまずテイラールールの分析から始めたい

2テイラールールによる金融政策の評価

21 テイラールールの意味と定式化

テイラールールとはGDP ギャップと現実のインフレ率と目標インフレ率の差に対して

金利をどの程度動かすべきかという金融政策について Taylor[1993]が提唱したルールであ

る金融政策当局が現実にどのように金融政策を行っているかを表すものとして様々に

実証されている日本における実証としては地主黒木宮尾[2001]などがあるが戦前

期の金融政策に適応したのは鎮目[2002]のみと思われる

テイラールールとは以下の式で表わされるものである

( )tart t t t ti x rπ α β π π= + + minus + (1)

8

この式においてiは政策金利π はインフレ率xは GDP ギャップπtarは目標インフレ

率rは均衡実質利子率を表しているテイラールールは(1)式に示されるように政

策金利の決定を物価と景気(GDP ギャップ)を睨みながら行われていることについてのルー

ルであるすなわちGDP ギャップが正の方向に動けば(景気が良くなれば)金利を引上げ

(αはプラス)インフレ率が目標インフレ率よりも高まれば金利を引き上げる(βはプラ

ス)というルールであるここでは目標インフレ率も均衡実質金利も分からないので

(1)式を変形して

( ) (1 )tart t t ti r xβπ β π α ε= minus + + + + (2)

を推計するここでベータが1以上であれば物価が望ましい水準よりも高くなれば物

価上昇率以上に金利を上げて物価上昇を抑えるというルールを適用していることになる

このような推計を行うことについて当時テイラールールなどという概念がなかった

のだから意味がないという批判があるかもしれない(これは3のマッカラムルールに

ついても当てはまる)しかしテイラールールとは景気が過熱するかインフレが高進

したら金利を引き上げ景気が悪化するかデフレになったら金利を引き下げるという素朴

なルールでありこのような考えは当時も広範に理解されていたと思われる在野のエコ

ノミストとして活躍していた高橋亀吉は「金利政策とはhellip物価が思惑的に騰貴し過ぎ又

は企業が投機的に濫設せられる惧れありと見ればこれを抑え物価が恐慌的に下落し過ぎ

たと見れば金利を引き下げて其の下げ足を止めるの類である」と書いている(高橋

[1929]190 頁)また日本銀行の要職を歴任していた深井英五(1918 年日本銀行理事1928

年日本銀行副総裁1935-36 年日本銀行総裁1937 年貴族院議員1938 年枢密顧問官)も

「(通貨調節の趣旨は)通貨の数量の過不足より来る通貨の価値の変動を防ぎなるべくそ

の安定を図ることhellip所謂景気の変動を緩和しその循環を成るべく円滑にすること」と

書いている(深井[1928]467 頁)(ただし両者とも上記の考えを実践する上での難しさ

は認めている)したがって素朴な意味のテイラールールは常識として理解されていた

と言ってよく当時の金融政策をテイラールールによって評価することは意味があると

考えられる3

22 戦前期のテイラールールについての先行研究

戦前期のテイラールールを推計した研究としては既に鎮目[2002]がある鎮目は

戦間期日本の経済変動に対して金融政策がどのように反応してきたかをテイラールー

ルを用いて分析しているこの分析によればこの間の日本の金融政策は(1)インフレ率

3 本稿の目的は日本銀行の行動を評価することではない当時日銀は政府から独立しておら

ず日銀の政策を単独で評価することは意味がない本稿で評価するのは総体として金融政策

を形作った日本銀行大蔵省政治家等当時のエリートたちが総体として行った政策である

9

の関係で見ると経済変動を増幅させる方向で働いてきたこと(2 金融政策は金本位制

という通貨体制と密接に関係しており国内経済の安定を犠牲にして為替レート目標を追

求してきたことを示しているさらに(3)1931 年の金本位制離脱後国内経済の安定に繋が

る金融政策が可能であったにも関わらずそのような金融政策運営が行われていたとは言

えないことを示している

私たちも戦間期の金融政策について昭和恐慌前後の時期に焦点を当てて分析を続

けてきた(原田中澤[2004]原田[2005]原田佐藤中澤[2008])鎮目の分析は年

次データを用いているので戦間期全体の金融政策を分析できるが昭和恐慌前後ある

いは第 1 次大戦直後など特定の時期に焦点を置いた分析とはなっていないそこで私

たちは月次データを用いることで特定の時期に焦点を置いた分析が可能になるとと考

えたまた鎮目は金本位制という通貨体制を問題にしながら為替レートを説明変数

に入れていないこれも私たちがさらなる分析が必要と判断した理由である

23 データの説明

戦間期の経済データは主に日本銀行「本邦経済統計」東洋経済新報社『経済統計年鑑』

大蔵省「大蔵省年報」一橋大学経済研究所日本経済統計文献センター統計資料シリーズ『景

気指数1888~1940 年』などから得ることができるここで用いるデータは1926 年 1 月

から 1936 年 12 月までのコールレート卸売物価指数鉱工業生産指数為替レート貿

易収支でありこれらの定義と出所を表1に整理しておく(ここで3のマッカラムル

ールの推計で用いるデータについても定義と出所を示しておく)

表 1 使用データ(月次)の出所

変数名 出所

コールレート 日本銀行『本邦経済統計』

鉱工業生産指数 東洋経済新報社『経済統計年鑑』各年版

卸売物価指数

藤野正三郎五十嵐副夫『景気指数1888~1940 年』一橋大

学経済研究所日本経済統計文献センター統計資料シリーズ

No2

為替レート 日本銀行「本邦経済統計」外国為替相場(横浜正金銀行建値)

ニューヨーク電信平均

貿易収支 輸出-輸入大蔵省「大蔵省年報」各年版

マネタリーベース

大蔵省理財局編『金融事項参考書』日本評論社(日本銀行兌換

券差引流通残高と日本銀行預金貸出金残高表「一般預金」の和)

及び 藤野五十嵐前掲書

10

現金通貨 藤野五十嵐前掲書

ニューヨーク卸売物価 日本銀行調査局『外国経済統計』

ニューヨーク市中金利 日本銀行調査局『外国経済統計』

ロンドン市中金利 日本銀行調査局『外国経済統計』

正貨準備高 日本銀行調査局『本邦経済統計』

これらのデータはなじみのないものであるのでそのグラフを図3図4に示しておく

鉱工業生産指数は 1930 年 1 月を 100 としているコールレートおよび卸売物価指数による

インフレ率(前年同期比)の単位は為替レートは 100 円当たりの 1 ドル価格貿易収支

は 100 万円単位であるまた鉱工業生産指数卸売物価指数および貿易収支を構成する輸

出と輸入は X12-ARIMA によって季節調整を行っている貿易収支は輸出輸入を季節調整

して差を取ったものである

図 3 使用データ(月次)のグラフ鉱工業指数貿易収支為替レート

-16E+08

-14E+08

-12E+08

-1E+08

-8000000

-6000000

-4000000

-2000000

0

20000000

40000000

60000000

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

200

貿易収支 鉱工業生産指数 為替レート

注)鉱工業生産指数と為替レート(ドル100円)は左軸貿易収支は右軸

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

11

図 4 使用データ(月次)のグラフインフレ率コールレート

0

2

4

6

8

10

12

-100

-50

0

50

100

150

200

1919M01

1919M05

1919M09

1920M01

1920M05

1920M09

1921M01

1921M05

1921M09

1922M01

1922M05

1922M09

1923M01

1923M05

1923M09

1924M01

1924M05

1924M09

1925M01

1925M05

1925M09

1926M01

1926M05

1926M09

1927M01

1927M05

1927M09

1928M01

1928M05

1928M09

1929M01

1929M05

1929M09

1930M01

1930M05

1930M09

1931M01

1931M05

1931M09

1932M01

1932M05

1932M09

1933M01

1933M05

1933M09

1934M01

1934M05

1934M09

1935M01

1935M05

1935M09

1936M01

1936M05

1936M09

卸売物価指数(前年同期比左軸) コールレート(右軸単位)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

本稿の目的であるテイラールールの推計では説明変数として GDP ギャップを用いる

がGDP は月次データでは入手できないのでここではGDP 1hp

IIPIIP

= minusギャップ を鉱工業

生産指数 IIP と IIPhpはのギャップで作成しているIIPhpは「潜在 GDP」の代理変数である

「潜在生産指数」で表わしており鉱工業生産指数に HP フィルター(Hodrick-Prescott

filter)をかけることによって作成した4作成した GDP ギャップは図5である

この GDP ギャップが実態と合っているかを考察するためにここで作成された GDP ギャ

ップの動きと藤野[1965](第 2-3 表)の認定した景気循環クロノロジーと比較してみる

藤野によれば1915 年 2-3 月~1920 年 1-2 月が拡張期21 年 5 月までが縮小期29 年 2

月までが拡大期31 年 7 月までが縮小期それ以降が拡大期となっているまた良く知

4 本稿では潜在 GDP 作成に際しHodrick and Prescott [1997以降 HP フィルターと呼ぶ]に

よるフィルタリング関数のスムージングパラメータλ=1166400 を選択してトレンドを抽出し

ているここでは報告されていないがHP フィルターのλ=12960014400移動平均のラグと

リードに関して対称な加重を計算するフィルタリング関数をもつ Baxter and King[1999]およ

び移動平均の加重に関して非対称な加重を許す Christiano and Fitzgerald [2003CF フィルタ

ー]を用いて比較検討しているCF フィルターでは季節調整済みの IIP 系列が単位根過程に従

っているためChristiano and Fitzgerald[1999]に従って平均なしトレンドなしドリフ

トなし平均トレンドドリフト全てなしの 4種類を使用して検討を行っている 終的に藤

野[1965]の景気循環周期と整合的になるように HP フィルターのλ=1166400 を選択したこれら

の結果を入手したい場合は筆者に連絡されたい

12

られているように20 年には第 1次世界大戦の終結による国際的経済反動があり23 年に

は関東大震災があり27 年には金融恐慌があった作成した GDP ギャップはこれらの変

動を基本的には捉えていると言えるだろう

さらに失業率の動きを前掲の図5に示す(失業率は内務省社会局社会部職業課「失業

状況推定月報概要」による)図に見るように失業率のデータがあるのは 1931 年 1 月か

ら 33 年 12 月までであるがその間の GDP ギャップと失業率の動きは正負逆でGDP ギャッ

プの変動が大きいという問題はあるがほぼ同じように動きをしているまた失業率の

動きが GDP ギャップの動きに遅れていることも雇用が景気の遅行指標であるという今日

の常識に照らして合理的であるしたがってHP フィルターで作成した潜在生産指数およ

び GDP ギャップも景気変動を反映した適切なもの判断できるだろう

図 5 使用データ(月次)のグラフGDP ギャップ

0

01

02

03

04

05

06

07

08

09

1

-20

-15

-10

-5

0

5

10

15

20

GDPギャップ lambda=1166400 藤野(1965)の景気後退期 失業率(単位)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

24 テイラールールの推計

241 推計結果

(2)式の推計結果は表2の通りである推計期間は全サンプルがそろう 1919 年 1 月か

ら 1936 年 12 月である36 年を終わりとしたのはそれ以降は軍の圧力によって政策が行

われ金融政策の自立的な動きを議論することはできないと考えたからである推計方法

は 小二乗法を使用しているなおダービンワトソン統計量からは系列相関が疑われるた

13

め 小二乗推定量が有効性を持たない可能性があるので標準誤差を Newey-West の方

法によって修正を加えて t検定を行っている5

推計結果の解釈としては1 β+ の推計値 0016 からβ は-0984 でありインフレ率が

目標インフレ率よりも高まれば金利を引き下げ逆にインフレ率が目標インフレ率よりも

低ければ金利を引き上げるという物価を不安定にするデフレ的な金融政策を採用していた

ことになる(インフレの時はインフレ促進的になる)ましてβはほぼマイナス1である

のでかなりインフレまたはデフレ促進的な金融政策を行っていたことになるこれを現

実の経済情勢に当てはめれば20 年代のデフレ期ではデフレ促進的な金融政策を行い30

年代のインフレ期ではインフレ促進的な金融政策を行っていたことになるただしこの

係数は 10レベルでも有意ではない

なお物価を下落させることを目標としてもデフレ促進的でなく長期的な目標をも

ってテイラールールに基づいて物価を下落させることができることを念のために指摘し

ておくすなわち物価上昇率の目標レベルを低くすれば目標より物価が上ったときは

引締め下がったときは緩めるという物価安定的でかつ長期的に物価を下落させる方法

は可能でありまたその方が望ましいだろう

一方α は 0108 なので GDP ギャップが正のとき金利を引き上げる景気安定的な政策を

とっていたことになるただしα は 10で有意であるが係数が小さいので(GDP ギャ

ップがマイナス 10でも金利を108下げるだけ)景気安定化効果が大きかったとは言え

ないだろう

表 2 (2)式のテイラールールの推計結果

係数

定数項 r -βπ tar 4669

(17711)インフレ率 1+β 0016

(0823)GDPギャップ α 0108

(1679)R2 0085自由度調整済みR2 0077標準誤差 1855DW統計量 0258

注)( )内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

全期間1919年1月~1936年12月

5 本稿には載せていないがここでは 尤法による推計も行っている 尤法による推計では誤

差項に正規分布を仮定した場合 小二乗推定値とほぼ等しい推定値でかつ漸近的 t値からが

1 β+ が 10αが 1で有意であることが確認されている

14

さらにサンプル期間を1930 年の昭和恐慌期を含む期間と含まない期間に分けて推計を

行う具体的には1919 年 1 月から 1931 年 12 月までと1932 年 1 月以降から 1936 年 12

月までの 2 期間に分割して(2)式の推計を行う金融政策は1931 年 12 月以前は金本位制

への復帰を求めていたがそれ以降は金本位制を離脱し金本位制に制約されることがな

くなったと考えての分割である(金本位制からの離脱は 31 年 12 月正式には 32 年 1 月)

推計結果は表 3 に示しているここでも標準誤差を Newey-West の方法によって修正して

いる

表 3 期間分割後のテイラールールの推計結果

係数 係数

定数項 r -βπ tar 5450 定数項 r-βπ tar 3113

(22627) (10790)インフレ率 1+β 0057 インフレ率 1+β -0009

(3877) (0644)GDPギャップ α 0061 GDPギャップ α -0182

(0898) (2307)R2 0313 R2 0175自由度調整済みR2 0304 自由度調整済みR2 0146標準誤差 1542 標準誤差 0862DW統計量 0475 DW統計量 0241

注)( )内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1931年12月 (2)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

推計結果表3-(1)を見ると1919年1月から1931年12月において(1+β)が1で有意であ

あるまた値は00567でありこれから1を引くとβ =-0943となる (1)式から考える

と物価が目標インフレ率以上に上昇したときには政策金利をほぼ物価上昇率と同じだ

け引き下げるという政策を行っていることがわかるこの期間はほぼ物価が下落してい

たのでデフレ促進的な政策を採っていたことになる

GDP ギャップに関しては有意ではないがギャップが1ポイント縮小すると政策金利

を 0061引き上げるすなわち景気が拡大したときには政策金利を引き上げるという景

気変動抑制的な政策が行われていたことがわかるもちろんその係数は小さいので実

際にどれだけそのような効果があったかは分からない

表3-(2)で1932年1月から1936年12月の推計結果をみる物価の係数(1+β)-0009か

ら1を引くと-1009となり物価が上ると金利を引き下げるという政策をとっていたこ

とが分かるこの期間は物価が回復または上昇していた時期であるのでインフレ促進的

な政策を行っていることがわかる

GDP ギャップに関しては 5で有意でありギャップが1ポイント縮小すると政策金

利を 0182 引き下げるという景気変動拡大的な政策が行われていたことがわかるただし

15

その係数は小さいので効果も小さかったと思われる

これらの結果を鎮目[2002]と比べるとインフレ促進的またデフレ促進的な政策が行

われていたということについては共通しているGDP ギャップについて 32 年以降マイナス

になるというのも鎮目と共通であるただし本稿の推計した係数値は鎮目に比べてき

わめて小さい

242 区間分けについての確認

これまでの期間分割は暫定的なものであったこの区間分割が合理的なものであるかを

どうかを確認するために逐次回帰法(recursive least squares)を行った結果が図6で

ある6

図6で 1+βαの動きをみると30 年以降に大きく動いておりこの期間分けは合理的

なものだったと分かる

図 6 逐次回帰推計

-08

-04

00

04

08

12

16

1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1934 1936-1

0

1

2

3

4

1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1934 1936

25 政策反応までのラグ

これまでの分析は当期の物価景気貿易収支為替が金融政策に影響を及ぼすとし

ていたしかし為替はともかく物価景気貿易収支については認知のラグがあり

また経済情勢を慎重に見極めながら政策を行っていると考えられるそこでここでは次

のようなモデルについて推計を行うことにする

6 ここで使用した逐次回帰法は推計期間として 1から説明変数の個数より大きいサンプル数を

選び係数を推計し次は 終期を 1期追加して係数を推計といった手順を繰り返す手法である

詳しくは森棟(1999)4 章を参照のこと

1+β α

16

1 1

1 1

0 0

( ) (1 )tart p t p q t q t t

p q

i r x iβπ β π α λ εminus minus minus= =

= minus + + + + +sum sum (3)

ここでは p=0 q=0 のケースp=0 q=1 のケースp=1 q=0 のケースp=1 q=1 の

ケースについて推計を行った結果自由度修正済み決定係数および赤池情報基準によって

モデルを選択すると全期間を対象とした場合は p=1q=0金本位離脱以前を対象期間に

した場合では p=q=1金本位離脱以降を対象とした場合では p=0 q=0 が選択されるした

がってここでは各期間において選択されたラグ(pq)に従って推計を行うスペースの節約

のため選択されたモデルの結果のみを表4に示す推計方法は 小二乗法を使用して

いる

17

表4 政策反応までのラグ

(1)全期間1919年1月~36年12月

(p=1q=0)

係数

定数項 r-βπ tar 0612

(3895)

当期インフレ率 (1+β )0 0042

(2220)

前期インフレ率 (1+β )1 -0047

(2463)

当期GDPギャップ α 0 0042

(2436)

前期の金利 λ 1 0867

(28290)

R2 0789

自由度調整済みR2 0785標準誤差 0895

DW統計量 2756

(2) 金本意離脱前1919年1月~31年12月(3) 金本意離脱後1932年1月~19年12月

(p=1q=1) (p=0q=0)

係数 係数

定数項 r-βπ tar 1392 定数項 r -βπ tar 0364 (3907) (2348)

当期インフレ率 (1+β )0 0076 当期インフレ率 (1+β ) -0002

(3149) (1048)

前期インフレ率 (1+β )1 -0066 前期インフレ率 (1+β )1

(2682)

当期GDPギャップ α 0 0022 当期GDPギャップ α 0 -0004

(0661) (0321)

前期GDPギャップ α 1 0009 前期GDPギャップ α 1

(0338)

前期の金利 λ 1 0748 前期の金利 λ 1 0867

(12691) (15181)

R2 0719 R2 0933

自由度調整済みR2 0710 自由度調整済みR2 0929

標準誤差 0997 標準誤差 0248

DW統計量 2643 DW統計量 2594

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法

によって修正を加えている

表4(1)の全期間を対象とした場合全ての変数が5で有意であるまた1+β の推計値か

ら計算されたβ は全て負となりインフレまたはデフレ促進的な政策が行われていたと解

釈されるGDPギャップについてはα が正であるが係数の値は非常に小さい一方金利

の平準化の程度を示す 1λ の係数は大きい

金本位制離脱以前の推計結果表 4(2)ではGDP ギャップの係数以外が有意である推計

18

された係数の値をみるとこの時期のβ も表 4(1)の全期間を対象とした値とあまり変わ

らないが 1λ はやや小さくなっているこの時期政策策定者は金利を平準化しつつイン

フレを促進するような政策をとっていた可能性がある

後に金本位制離脱以後の推計結果表 4(3)からは 1λ 以外は有意ではない

すなわち全期間を通していえることは金利の平準化の要素が強くまたインフレおよび

デフレを是認あるいは促進的な政策となっていた係数の値はいずれも小さくλの係数

をコイック型のラグと考えてそれぞれの係数を 1(1-λ)倍しても小さい

3拡張テイラールール

31 拡張テイラールールの定式化先行研究データ

これまでの結果は物価については鎮目[2002](図表7)とも共通であり物価を不安

定にする金融政策が行われていたことになるさらに鎮目では GDP ギャップの係数は 31

年までは正であり景気変動抑制的だったが32 年以降は負となり景気変動を拡大する

ような金融政策が行われていたことになる本稿の GDP ギャップの係数も正から負に変わ

っているただしいずれにしろその係数は小さいので景気変動を抑制するように金融

政策が行われていたとは言えない

以上の結果はむしろ戦間期の金融政策は金融政策は国内の経済安定に重点を置い

て物価と景気を見ながら行うべきというテイラールールでは説明することが難しいと解

釈すべきだろうこれは鎮目の結果とも共通しているそこで次に戦間期の金融政策は

経常収支為替レートの安定など対外均衡に重点を置いて行われていたのではないかと

いう常識に従いテイラールールを拡張して金融政策が経常収支や金外貨準備や海外

金利にも影響されて行われていたとする鎮目[2002]はテイラールールに金外貨準

備海外金利経常収支資本収支を加えている月次で資本収支(およびその代理変数)

のデータを得ることはできなかったので我々の推計式は鎮目[2002]を参考に

1 2 3 4 5 6( ) (1 )tar

t t t t t t t t ti r x TB S NYP fori reserveβπ β π α α α α α α ε= minus + + + + + + + + +

(4)

とする

ここで月次の経常収支はデータが得られないため輸出入の差を名目GDPで割った貿易収

支比率TBを使用している(ここで用いている名目GDPは鉱工業生産指数times卸売物価指数で

ある)貿易収支比率は実際の名目GNPで修正している7またSは為替レートの変化率を

7貿易収支比率 TBは具体的には以下である

1928t1928 GNP( ) 100

1928 t GDP( )GDP( ) 1928

tTB = times times

年の貿易収支合計

期の貿易収支年の名目 大川推計

月次貿易収支の 年平均 期の名目 の代理変数

月次名目 の代理変数 の 年平均

19

示しており値が増えるのが円高である8ニューヨーク物価NYPはニューヨークの卸売物価

指数の前年同月変化率()であるforiは外国の市中金利()を示しニューヨーク金利

あるいはロンドン金利のいずれかである貿易収支が赤字に円の為替レートが下落すれ

ば金利は引き締められるニューヨークの物価が下落すれば日本の金融も引き締めざ

るを得ないニューヨークまたはロンドンの金利に追随するしかないと考える正貨

reserveは金本位制であればこれが増大すれば金融を緩和し減少すれば金融を引き締め

ることになる(ただし正貨は21年3月から29年3月までのデータしかない)また正貨は

1924年1月から11月1925年289月のデータが欠損しているので線形補間によってデ

ータを補っている9

符号条件は貿易収支比率為替レート変化率ニューヨーク物価上昇率正貨が負

ニューヨークおよびロンドンの金利が正である

以上で為替レートニューヨーク物価が鎮目[2002]の分析に対し新たに追加した変

数である

ここで新しく追加した変数貿易収支比率と為替レートと名目GDPの代理変数とニュー

ヨーク物価とニューヨーク金利とロンドン金利と正貨準備を図7図8図9に示してお

くここで名目GDP(その代理変数)は鉱工業生産times卸売物価指数である

8第1節と同じように為替レートの水準は 100 円当たりのドルで表しているので変化率

に修正しても値が大きくなると円高を示すことになる 9 また日本銀行調査局『本邦経済統計』では1922 年 11 月の正貨準備高の値が 1386957540円と記載されているが前後月の数値から判断して 1836957540 円の誤記と推測し修正を加

えている

20

図 7 コールレートニューヨーク市中金利ロンドン市中金利

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

200

0

2

4

6

8

10

12

14

16

18

コールレート(右軸) ニューヨーク市中金利(右軸) ロンドン市中金利(右軸)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

図 8 貿易収支比率為替レート変化率名目 GDP(対数値)

0

2

4

6

8

10

12

14

-50

-40

-30

-20

-10

0

10

20

30

貿易収支比率 為替レート変化率 名目GDP

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

21

図 9 正貨準備高ニューヨークインフレ率

0

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

-60

-40

-20

0

20

40

60

正貨(単位億円) ニューヨークインフレ率(卸売り物価指数)

なお追加した説明変数貿易収支比率為替レートニューヨーク物価ニューヨー

ク金利ロンドン金利正貨準備が独立でないという問題があるうちニューヨーク金

利とロンドン金利は同時には入れず他の変数と代替的に入れることとするそれでも

貿易収支比率と為替レートが独立ではないという問題があるかもしれない単純に為替

レートが割安であれば経常収支が黒字に動き割高であれば経常収支が赤字に動くという

メカニズムによって為替レートと経常収支が独立ではないということになる

また為替レート関数の推計において自国と他国の物価マネーサプライ金利生

産に加えて経常収支またはその累積を説明変数に入れるのが通常であることを考えれ

ば当然に問題となるしかし多くの推計で為替レートに対して経常収支またはそ

の累積の説明力はそれほど高くはない10

ちなみに変数間の相関行列を取ると表5のようになる(推計期間は正貨を含む変数間

は 1919 年から 1929 年 3 月それ以外の変数間は 1919 年 1 月 1936 年 12 月まである)貿

易収支比率と為替レートの相関を取ると相関係数は 0029 でありマルチコリニアリティ

10 深尾[1983] (167 頁)は日本の米国に対する 100 億ドルの経常黒字は 64の円高ドル

安要因になるとしているこれは大きな効果だがその後の推計によると経常収支黒字が円高

をもたらす効果は大きくはない河合[1986](第 94 表214 頁)によれば経常収支累積額が

1の上昇は実質為替レートを 0068~0163上昇させるにすぎないその後も同様の推計

がなされているが(経済企画庁[1997]第 1-2-1 図③経済企画庁[1999]付図 1-5-2原田[2004])いずれの推計においても経常収支が為替レートに与える影響は大きなものではない

22

の問題は避けられていると判断できる当時のデータで為替と貿易収支の相関が弱い理

由として金解禁への動きが度々予想されていたので為替レートが貿易など実態経済

の状況にかかわらず高騰していたこともあげられる表 5 から説明変数間で(被説明変

数のコールレートを除く)相関係数の絶対値が 04 以上のものを上げると卸売物価と GDP

ギャップ卸売物価とニューヨーク卸売物価GDP ギャップとニューヨーク卸売物価ニュ

ーヨーク金利とロンドン金利貿易収支比率とコールレートがそうである卸売物価と GDP

ギャップはテイラールールの基本的な説明変数なので両者をともに入れるがニューヨ

ーク金利とロンドン金利については代替的にも推計することとする

表5 拡張テイラールールで使用された変数の相関行列

コールレート

インフレ率GDPギャッ

プ貿易収支比

率為替変化

率NYインフレ

率NY金利

ロンドン金利

正貨準備変化率

コールレート 1000 0222 0293 -0441 -0112 0082 0437 0264 -0113

インフレ率 1000 0437 0046 -0024 0482 0198 -0340 -0005

GDPギャップ 1000 -0056 0205 0605 0246 -0119 0042

貿易収支比率 1000 0029 0189 -0182 -0252 0183

為替変化率 1000 0259 0023 0019 0058

NYインフレ率 1000 -0071 -0378 -0084

NY金利 1000 0649 0291

ロンドン市中金利 1000 0092

正貨準備変化率 1000

32 拡張テイラールールの推計結果

推計期間は貿易収支が入手可能な1926年1月から1936年12月までの全期間と上述の(2)

式と比較するために1931年12月までとそれ以降の期間とする推計結果は表6の通り

である推計については上記3つの推計期間において 小二乗法を行っている新しく追

加した変数貿易収支比率為替レートの変化率ニューヨーク卸売物価上昇率ニュー

ヨーク金利ロンドン金利正貨準備の変化率の単位はである推計に当たっては系

列相関が疑われるためNewey-Westの方法によって標準誤差の修正を行っている

23

表6 拡張テイラールールの推計結果

係数 係数 係数 係数

定数項 r-βπ tar 3155 2980 定数項 r -βπ tar 5780 6596 (10072) (6939) (12603) (13464)

インフレ率 1+β 0008 0027 インフレ率 1+β 0041 0025

(0552) (1600) (1957) (1399)

GDPギャップ α 1 0036 0057 GDPギャップ α 1 0090 0083

(1156) (1798) (2584) (2412)

貿易収支比率 α 2 -0105 -0106 貿易収支比率 α 2 -0053 -0054

(5627) (4937) (2671) (3396)為替変化率 α 3 -0109 -0110 為替変化率 α 3 -0062 -0051

(3782) (3755) (1345) (0998)

NYインフレ率 α 4 0014 0011 NYインフレ率 α 4 0014 0012

(0820) (0645) (0651) (0682)

NY金利 α 5 0212 NY金利 α 5 -0133

(3002) (1599)

ロンドン金利 α 5 0399 ロンドン金利 α 5 -0466

(2870) (3071)R2 0397 0375 R2 0468 0503

自由度調整済みR2 0380 0357 自由度調整済みR2 0447 0483

標準誤差 1520 1548 標準誤差 1375 1329

DW統計量 0568 0531 DW統計量 0700 0794

係数 係数

定数項 r-βπ tar 2703 2617

(6657) (26032)

インフレ率 1+β -0018 -0016

(1920) (2396)

GDPギャップ α 1 -0052 -0059

(2353) (5464)

貿易収支比率 α 2 -0031 0004

(1779) (0381)

為替変化率 α 3 -0007 0028

(0423) (1526)

NYインフレ率 α 4 -0017 -0024

(3808) (5526)

NY金利 α 5 0423

(1421)

ロンドン金利 α 5 0742

(7283)

R2 0797 0899自由度調整済みR2 0774 0887

標準誤差 0443 0313

DW統計量 0757 0925

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とそれぞれの金利だけである

どちらの推計でもこれらの有意な変数は符号条件を満たしているインフレ率とGDPギャ

24

ップは5有意ではなくなり単純テイラールールでも小さかった係数はさらに小さ

くなるこれに対して貿易収支比率の係数は貿易収支比率が10ポイント分マイナス

に動けば1金利を引き上げることであるからある程度貿易収支に反応して金融政策

を行っていたと言えるだろう為替変化率の係数は為替レートが10下落したら金利

を1引き上げることであるからこちらもある程度は為替レートに反応して金融政策を

行っていたとも言えるだろうニューヨーク金利とロンドン金利が1上昇すると国内金

利をそれぞれ0204引き上げるということになっている

1926年1月から1931年12月までの推計ではニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれ

を用いた推計でも5で有意な変数はGDPギャップと貿易収支比率とロンドン金利であ

るがロンドン金利は符号条件を満たしていないGDPギャップは有意であるがその係数

は単純テイラールールの推計と同様に小さい貿易収支比率の係数は貿易収支比率で

10ポイント分赤字が増えれば金利を05引き上げることであるからある程度は貿易

収支に反応して金融政策を行っていたと言えるかもしれない

さらに1932年1月から1936年12月までの推計では物価GDPギャップニューヨーク物

価ロンドン金利が5で有意であるGDPギャップニューヨーク物価は符号条件を満た

していないロンドン金利は符号条件を満たしその係数も074と大きく日本の金融政

策はロンドンに追随して行われていたことになる

金本位制を意識して行われていたときには金融政策は対外均衡に重点を置き金本位

制を離脱した後はロンドンの金利に追随していたことになる日本の金融政策が英国

の金融政策に追随していたことは鎮目[2009]第2章の結果とも整合的である

さらに表7は以上の変数に正貨を追加したものであるデータの制約により1919年1

月から29年3月までしか推計できないのでこれは金本位制を意識して金融政策が行われて

いた期間の金融政策を評価していることになる

25

表7 (3)式の拡張テイラールールの推計結果(正貨準備の変化率追加)

係数 係数定数項 r-βπ tar 5431 7511

(7602) (8642)インフレ率 1+β 0028 0024

(1209) (1264)GDPギャップ α 1 0147 0095

(2352) (1698)貿易収支比率 α 2 -0050 -0034

(2522) (2089)為替変化率 α 3 0016 0097

(0173) (0989)NYインフレ率 α 4 0004 -0004

(0166) (0224)NY金利 α 5 -0071

(0665)ロンドン金利 α 5 -0662

(2795)正貨準備の変化率 α 6 -0071 -0087

(0796) (1138)R2 0410 0471自由度調整済みR2 0374 0438標準誤差 1451 1375DW統計量 0808 0934注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

正貨を追加した推計結果ではGDPギャップ貿易収支比率ロンドン金利が有意である

GDPギャップ貿易収支比率は符号条件を満たしているがロンドン金利は満たしていない

表7の1919年から31年の推計結果に比べてGDPギャップの係数の値は大きくなるが景気

安定化効果が大きかったとまでは言えない貿易収支の係数はほとんど変らず貿易収支

の状況を念頭に入れて政策を行っていたと言えるだろうロンドン金利符号が逆で海外

金利が下がると金利を上げるという結果になっている

以上の結果を鎮目[2002]と比べる鎮目は金外貨準備英国の短期金利経常収支

資本収支をテイラールールの式に追加していずれの変数も有意ではなかったと報告し

ているが本稿では追加した変数のうち貿易収支ニューヨーク金利(特にロンドン

金利)が符号条件を満たして有意になっている場合が多く対外均衡を意識した金融政策

が行われていた可能性を示唆している

33 拡張テイラールールに関する政策反応ラグ

以上の拡張テイラールールの推計では貿易収支比率為替変化率ニューヨークイ

26

ンフレ率ロンドン金利を追加したものが良好な推計結果をもたらしたそこで拡張テ

イラールールに関する政策反応ラグを考慮するために以上の変数に加えて被説明変数

の 1期ラグを追加したものを推計する11結果は表8のようになる

表8 拡張テイラールールの金利ラグ付き推計

係数 係数 係数 係数定数項 r-βπ tar 0623 0565 定数項 r-βπ tar 1806 2223

(3922) (3134) (3861) (3396)インフレ率 1+β -00001 0003 インフレ率 1+β 0012 0007

(0023) (0552) (1190) (0761)GDPギャップ α 1 0019 0023 GDPギャップ α 1 0044 0043

(1589) (1875) (2072) (2007)

貿易収支比率 α 2 -0024 -0023 貿易収支比率 α 2 -0019 -0020

(2312) (2239) (1514) (1767)

為替変化率 α 3 -0026 -0025 為替変化率 α 3 -0048 -0045

(1984) (2069) (1607) (1430)

NYインフレ率 α 4 -0002 -0002 NYインフレ率 α 4 -0004 -0004

(0277) (0388) (0337) (0389)NY金利 α 5 0040 NY金利 α 5 -0044

(1532) (1193)

ロンドン金利 α 5 0075 ロンドン金利 α 5 -0163

(1447) (1703)コールレート1期ラグ 0796 0802 コールレート1期ラグ 0680 0657

(18638) (20579) (9505) (8112)R2 0789 0788 R2 0707 0711自由度調整済みR2 0782 0781 自由度調整済みR2 0693 0697標準誤差 0902 0904 標準誤差 1023 1016DW統計量 2581 2574 DW統計量 2408 2415

係数 係数

定数項 r-βπ tar 0527 0900 (2552) (3391)

インフレ率 1+β -0004 -0005(1594) (1249)

GDPギャップ α 1 -0006 -0014

(1174) (1562)

貿易収支比率 α 2 -0001 0010

(0135) (1064)

為替変化率 α 3 0005 0019

(0542) (1247)

NYインフレ率 α 4 -0003 -0008

(1971) (2116)

NY金利 α 5 -0022

(0557)

ロンドン金利 α 5 0386

(3052)コールレート1期ラグ 0833 0608

(9986) (6019)R2 0934 0957自由度調整済みR2 0925 0951標準誤差 0255 0207DW統計量 2478 2362

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

11 単純テイラールールでは説明変数のラグを加えたがここではあまりにも煩雑になること

と単純テイラールールで被説明変数の 1 期ラグが重要であったことから被説明変数の 1 期

ラグのみを追加した

27

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とコールレートの1期ラグであ

る貿易収支比率と為替変化率のどちらの係数も符号条件を満たしているがコールレー

トの1期ラグがない場合と比べて係数の値は小さくなっているただしこの推計をコイ

ック型と考えて係数の長期の値を(1-コールレートの1期ラグの係数)で除すことによっ

て求めれば1期ラグがない場合の係数よりもかなり大きくなる

1926年1月から1931年12月までの推計ではGDPギャップとコールレートの1期ラグのみが

有意となるGDPギャップの長期係数を求めても値は小さいこの期間では金利を安定的

に維持することに金融政策が使われていたと言えるだろう

1932年1月から1936年12月までの推計では有意なものはロンドン金利とニューヨークイ

ンフレ率とコールレートの1期ラグとなってしまうニューヨークインフレ率は符号条件を

満たしているがその係数は小さいロンドン金利の係数は大きく日本の金融政策はロ

ンドンに追随して行われていたことになる

コールレートの1期ラグを入れるといずれの期の金融政策も金利の平準化の要素が大き

いと判断される金本位制を意識して行われていたときには金融政策はある程度は対外

均衡を考えていたようである金本位制を離脱した後はロンドンの金利を考慮していた

ようである

さらに表9は以上の変数に正貨を追加したものである(データの制約により1919年1

月から29年3月までの推計)これは金本位制を意識して金融政策が行われていた期間の金

融政策を評価していることになる

28

表9 正貨準備高の変化率を加えた場合

係数 係数定数項 r-βπ tar 1723 2771

(3126) (2898)インフレ率 1+β 0004 0005

(0356) (0518)GDPギャップ α 1 0088 0072

(2641) (2442)貿易収支比率 α 2 -0023 -0018

(1664) (1321)為替変化率 α 3 -0025 0008

(0544) (0189)NYインフレ率 α 4 -0007 -0010

(0617) (0924)NY金利 α 5 -0012

(0255)ロンドン金利 α 5 -0239

(1470)正貨準備の変化率 α 6 0001 -0005

(0013) (0079)コールレートの1期ラグ 0644 0603

(7451) (6371) R2 0652 0659自由度調整済みR2 0628 0635標準誤差 1119 1107DW統計量 2450 2452注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

有意なものはGDPギャップとコールレートの1期ラグであるGDPギャップは符号条件

を満たしている長期の係数を取ってもその係数は大きいとは言えない

34 対外均衡と対内均衡

対外均衡に重点を置いた金融政策を行うとは経常収支赤字や為替レート下落や外貨準

備の減少に対して金利を引き上げるというルールに従って金融政策を行うことである

通常であれば金本位制の下で国内がインフレになり競争力を失ったり景気が過熱

して輸入が増大したときには経常収支赤字や為替レート下落や外貨準備の減少が起きる

だろう経常収支の赤字や外貨準備の減少が起きたときには金融を引き締めるというルー

ルは国内がインフレになったり景気が過熱したときには引き締めるというルールでも

あるしたがって対外均衡に重点を置くことが国内均衡を必ず妨げるというわけではな

いこれは逆の場合も真実であるしかし1910 年代日本の経常収支や外貨準備は国

内の景気要因で変化したわけではない第 1 次世界大戦によって外需が増加し経常収支

29

が黒字となり外貨準備が増えた金本位制のルールに従って金融政策は緩和されマ

ネタリーベースは 1919 年 1 月から 1920 年 4 月までに 16 倍に増加した輸出超過の国は

金融緩和することによって輸入超過の国の不況を和らげることができる日本は金本

位制の正しいルールに基づいて金融を緩和しただけであるしかし戦争がおわりその

復興需要もなくなったとき経常収支は赤字となり外貨準備は減少したしかしかつ

て金準備に依存して増大していたマネタリーベースはそのままだった失われた外貨準備

に対してマネタリーベースを減少させなければならなかったしかし23 年までマネタリ

ーベースは増大し続けていた関東大震災という不幸もあってマネタリーベースを減少

させることはできなかったその後25 年まで引き下げていたが27 年には金融恐慌があ

りマネタリーベースを削減することができなかったその後28 年までマネタリーベ

ースはむしろ拡大していた29 年には金本位制復帰を目指してマネタリーベースを急減さ

せるがその結果は激しいデフレと不況だった

そもそも国内要因の変化によらない金準備の増加に対してマネタリーベースを拡大し

たことが誤りだった金本位制からの離脱は1917 年ではなくて欧米諸国が離脱した

1914-15 年になすべきだったそうであれば1910 年代末までのマネタリーベースの急増

はなかっただろうところが実際には金本位制から離脱したにも関わらず1920 年にか

けてマネタリーベースは拡大していた1920 年代からは失われた金準備に対してマネタリ

ーベースを削減することが試みられるようになるしかしそれは関東大震災や金融危機

によって頓挫するむしろマネタリーベースを削減するという試みがデフレと不況をも

たらしそれゆえに不良債権が増大してしまったということではないだろうか

35 小括1‐テイラールールの推計から得られた知見

以上のことから考えて1920 年代から 30 年代にかけては金融政策はインフレまたはデ

フレ促進的な政策を行っていた対外均衡にはある程度考慮した金融政策を行っていたこ

とが分かる

しかし1920 年代には金本位制に復帰するという政策が課題となっていたはずである

20 年代がデフレ促進的また対外均衡にある程度考慮した政策を行っていたことはこの

課題にとっては正しいものだろうしかし現実に採られたデフレ促進策では不十分だっ

た物価は旧平価で金本位制に復帰できるほど下がっていなかったのだからまた32 年

以降の金融政策についてもなぜ 32 年から急速な回復ができたのかそれと金融政策とは

どのよう関係しているかは分析できていない

これについて飯田岡田[2004]は昭和恐慌からの回復はデフレ脱却による実質金利

の下落が重要であって名目金利の低下は重要でなかったと分析しているこれによれば

名目金利の変化で金融政策の変化を見ることはできないことになるしたがって名目金

利の変化に着目するテイラールールでは31 年 12 月以降の高橋是清蔵相の金融政策の意

味を理解できないことになる

30

また金融政策が物価および景気安定を意図していなかったら何を意図していたのだ

ろうか本稿での結論は為替レートや経常収支に視点を置いた対外均衡を意識していた

ということになる

いずれにしろテイラールールだけでは戦前期の金融政策を十分には理解できない

ことになるそこで戦前期の金融政策を別の方法で評価してみよう

4マッカラムルールによる金融政策の評価

41 マッカラムルールの意味と定式化とデータ

以下ではマッカラムルールで戦間期の金融政策を評価することにするマッカラム

ルールを用いて金融政策の在り方を判断した研究としてはマッカラム自身の分析を始め

として多くのものがある(例えばMcCallum[1987][1988]マッカラム[1997]第 15 章)

日本のデータを用いたものにおいても McCallum[1987]岡田飯田[2004]などがあるし

かし日本の戦前期についてはおそらく安達[2006](第7章)しかないと思われる安

達は年データを用い目標値として設定された名目 GNP 成長率(5と設定している)

を達成するためのマネタリーベースを求め現実のマネタリーベースの成長率が 1936 年ま

で過小でそれ以降過大であることを示している本稿では月次データを用いているので

期間ごとの金融政策の在り方も検討することができる

マッカラムルールとはマネタリーベースの成長率を名目GDPの望ましい成長率に

依存させるルールである(McCallum[1987]マッカラム[1997]第 15 章)しかし貨幣の

流通速度 vは変化するので貨幣の流通速度の変化に応じてマネタリーベース bの動きを調

整することが必要となるこのようなルールはbvなどを対数値として望ましいマネタ

リーベースの成長率⊿bをマネタリーベースの流通速度Δvに応じて変化させるというルー

ルであるただしvは景気変動によって大きく変動しているのでそれが技術的な変化と

見なせる 2 年間の平均値 tvΔ であるとする12すなわちマッカラムルールに基づくマネタ

リーベースの成長率とは

tbΔ =マネタリーベースの望ましい成長率- tvΔ

であるここでマネタリーベースの望ましい成長率はサンプル期間(1919 年 1 月から 1933

年 12 月まで)のマネタリーベースの平均成長率とする13マッカラムはマネタリーベース

の望ましい成長率を名目 GDP の成長率としているがここではまずこの期間の経済を再現

することを目的としているので現実のマネタリーベースの成長率を採用したマネタリ

12 マッカラム(1997)第 15 章では流通速度として 4年平均を使用しているが本稿ではサンプル

期間が短いため 2年平均としている 13 サンプル期間は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月であるがマネタリーベースの流通速度の平

均値作成のため 初の 24 か月が失うのでここで計算された望ましいマネタリーベースの成長

率は 1921 年 1 月から 1933 年 12 月までの平均となっている

31

ーベースの動きを図 10 に示しているマネタリーベースは季節性が強いので季調値も図示

しているなお前述のように戦前期の月次名目 GDP のデータは存在しないのでIIP に

卸売物価を掛けたものを名目 GDP の代理変数とする(ここで使うデータの定義と出所は前

掲の表1にある)

図 10 マネタリーベース(原数値と季節調整値)の動き

0

50000

100000

150000

200000

250000

19191

19197

19201

19207

19211

19217

19221

19227

19231

19237

19241

19247

19251

19257

19261

19267

19271

19277

19281

19287

19291

19297

19301

19307

19311

19317

19321

19327

19331

19337

観察されたベースマネー(単位万円) 季節調整済マネタリーベース(単位万円)

作成されたマネタリーベースの成長率は1919 年 1 月から 33 年 12 月までで年率 12

月次では 01となるすなわち

tbΔ =0001- tvΔ

ここで考察する期間を 1919 年 1 月から 33 年 12 月までとしたのは34 年以降の GDP の伸び

が大きすぎトレンドの作成において歪みを生じさせるからであるまた33 年は昭和恐

慌から脱却し経済が安定していた時期でもある

さらに名目 GDP が何らかのショックによって平均的な成長経路よりも上回った時に

はマネタリーベースの伸び率を低下させるようなルール(下回った場合は逆)を導入し

ようすなわち

tbΔ =0001-

1 1( )t t tv y yλ minus minusΔ + minus

32

となるただし目標値

1ty minus は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月までの月次平均成長率 04

成長経路での名目 GDP の対数値であるまたマッカラムによればλは四半期データで 025

が望ましいとされているがここでは月次データを使用しているのでとりあえず 12 分の 1

とすることを考えたがこの期間の名目 GDP は戦後の日米名目 GDP のデータより大きく変

動しているのでさらに小さくする必要があるマッカラムも「λの値を選択する場合

もし間違えるとすれば小さな値を採るほうがよい」(マッカラム[1997]308 頁)としている

そこでλは 36 分の1とした 終的なルールは

tbΔ =0001-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (5)

となる

マッカラムは望ましいインフレ率をゼロとするマネタリールールを求めているがこ

こでは実際には大きく変動したマネタリーベースを安定的に動かしていたらどうなったか

を考えることにしているので名目 GDP の動きは現実のものを使いルールにもとづくマ

ネタリーベースと実際のマネタリーベースをまず比較することにする

次に名目 GDP の決定に関する次のようなモデルを 小二乗法により推計する結果は

1 1 2 3

2

0004 0295 0053 0110 0106 0071 - 0069 23- 0046 27(1596) (3634) (1054) (1404) (2300) (1831) (6731)

R 0109 SE=0029 BG(24)=33227

(1822) t t t t t t ty y b b b b dummy dummy eminus minus minus minusΔ = + Δ + Δ + Δ + Δ + Δ +

=

(6)

となる14但し yΔ は名目 GDP の変化率 bΔ はマネタリーベースの成長率dummy23 は関東

大震災の時の一時的な変動をとらえるために 1923 年 9 月を 1それ以外を 0 としたダミー

変数dummy27 は金融恐慌時の一時的な変動をとらえるために 1927 年 4 月 5 月を 1それ

以外を 0としたダミー変数サンプル期間は推計に使用する変数が全て揃う 1921 年 1 月か

ら 1933 年 12 月までまたここでの残差 te は攪乱項の推定値2R SE BG(p) はそれぞれ

自由度修正済み決定係数攪乱項の標準誤差p 次の Breuch-Godfrey テストのχ二乗統計

量( )内は Newey-West の方法により修正した t値を示している15

ここで当時マッカラムルールなどという議論がなかったのだからこのような分

14 ここでは bΔ は現実のマネタリーベースの成長率を使用して推計を行っている 15 研究の対象期間は 1919 年 1 月からであるが平均流通速度 tvΔ の計算のために 初の 24 ヶ

月分が使用できないそのため他のシミュレーションの対象期間と整合性を保つため 1921 年 1

月からとしているまたこの推計式にはラグ付き内生変数を含むためダービンワトソンテスト

ではなく Breush-Godfrey テストを報告しているこの Breush-Godfrey テストから系列相関が疑

われるためNewey-West の方法により標準誤差を修正している

33

析は意味がないという批判があるかもしれないがこれにはテイラールールの節で述べ

たのと同じ反論が可能であるマッカラムルールとは名目 GDP が上昇しすぎたら(そ

のときには景気が過熱するかインフレが高進していると考えられる)マネーを縮小し

名目 GDP が下降しすぎたら(そのときは景気が悪化するかデフレになっている)マネーを

拡大するという素朴なルールである当時このようなルールが意識されていなかったと

は考え難い

42 長期的な経済を再現するシミュレーション

まずマッカラムルールによって現実の長期的な経済の経路を再現してみようルー

ルにもとづくマネタリーベースと実際のマネタリーベースのレベルと成長率とを図

11(1)(2)に示す

政策ルール(5)式が実施された場合の名目 GDP(の代理変数)の動きを見るために(5)式

から得られる理論値 tbΔ (6)式の残差 te 初期値 1ty minusΔ に目標 GDP

1ty minusΔ を代入してマ

ッカラムルールに従った場合の名目 GDP y の系列を求める現実の xとマネタリーベース

のルールに従った場合の y の系列を比べてみたのが図 11-(3)である図 11-(3)からマ

ネタリーベースのルールに従った場合の y の系列が安定していることが分かるこのよう

に安定的な名目 GDP の系列を得るためには第 1 次世界大戦後の金融引締めが過大で20

年代初期の金融緩和が過大30 年の金融引締めが過大だったと判断される

図 11 マッカラムルール

(1)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

34

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT MBDOT

注)BDOT はマッカラムルールの下でのマネタリーべースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(2)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

35

100000

120000

140000

160000

180000

200000

220000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC MB_SA

注)MB_SA はマネタリーベース(季節調整済)の現実値

B_MC はマッカラムルールに従った場合のマネタリーベース水準

またマッカラムルールの下でのマネタリーベースの初期値は現実値を使用

単位は万円

(3)マッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

36

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULE XSTAR X

注)GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

43 物価を下落させるシミュレーション

以上の結果はマネタリーベースの伸びを安定的にしていれば経済変動はより少なく

なっていただろうということを示しているしかしもし第 1 次世界大戦前の旧平価で金

本位制に復帰することが目的であったとしたら1節で述べたように物価を 3 割下げな

ければならない名目 GDP(その代理変数)は実質 GDP の変化がないとして1919 年 12

月から 29 年 12 月までに 3割下がらなければならない

そこで名目 GDP(その代理変数) y は現実の値よりも毎月 03ずつ低下しなければ

ならないので(5)式の定数項 0001 から 0003 を引いて-0002 とするすなわち

tbΔ =-0002-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (7)

とならなければならないここでの系列 y も実際の値から毎月 03ずつ引き下げたも

のを使っているつぎに(7)式の bを(6)式に入れると図 12 のようになる図に見られるよ

うに名目 GDP は安定しかつ小さくなっているすなわち物価が 3 割下落していること

が分かる

37

図 12 物価を下落させた場合

(1) 名目 GDP の目標値とマッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULEXSTAR

XGDP3_RULE

XSTAR_3

注) GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

GDP3_RULE は物価を 3割下げたマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR_3 は物価を 3割下げた場合の目標となる名目 GDP(対数値)

38

(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

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  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 6: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

5

本位制に復帰するだろうとの予想があったからであるグラフから見ると1929 年には

日本の為替レートはドルに対してほぼ3割切り下げる必要があったがこの割高なレート

で 1930 年 1 月日本は金本位制に復帰したことになる(当時小汀[1929]は1~2割石

橋[1929]は 2 割の切り下げが必要としていたがこれは当時の日米物価の相対的な動きか

ら得られたものだった)

図2 日米物価と為替レート

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

200

0

50

100

150

200

250

300

350

日本卸売物価 アメリカ卸売物価 日米相対物価 為替レート

出所)日本銀行「本邦経済統計」BRミッチェル斎藤眞監訳『マクミラン 新編世界歴史統計[3] 南北アメリカ歴史

統計19750‐1993』東洋書林2001年注) 為替レートは右軸(単位USドル100円)その他は左軸 (1910年を100とした場合)

金本位離脱 関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

12 金解禁論争と政治の動向

このような状況で1920 年代には金本位制に復帰するという金解禁政策が政治的課題

となっていたこの間の金解禁論争は(1)金本位制の下で国際競争力を維持するためには

物価を下落させても本来の金平価(第 1 次大戦前の平価)に戻るべきという議論(旧平価

解禁論)と(2)金解禁を行うのであれば国内経済の安定に重点を置いてすでに上昇し

てしまった物価を前提とした新しい平価で戻るべきという議論(新平価解禁論)が対立し

ていた(この論争については若田部[2004]中村[2004]田中[2004]が詳しい)1現実に

1 国際連盟の主催で金本位制の復活に関する国際会議が1920 年(ブリュッセル会議)と

22 年(ジェノア会議)に開催されているブリュッセル会議は専門家のジェノア会議は政府

代表の会合であるただし決議はほぼ共通しており復帰する平価の水準に関しては旧平価

で復帰するか新平価で復帰するかは各国が決定すべきこととされていた(日本銀行[1983]第 5章3)

6

は民政党浜口雄幸内閣の井上準之助蔵相の下で 1930 年 1 月に旧平価解禁が行われ日本

は激しいデフレとなって昭和恐慌に突入するその後犬養毅政友会内閣の高橋是清蔵相

の下で金輸出が再禁止され日本は 31 年 12 月(正式には 32 年 1 月)金本位制から離

脱しデフレも収まり景気は急回復する29 年から 31 年の激しいデフレと昭和恐慌デ

フレ脱却と景気回復は前掲の図1にも明らかである

この論争で残念なのは旧平価での解禁は国内物価を下げることであるということが国

民に理解されていなかったことだもちろん旧平価解禁論者はそれが財界整理不況

をもたらすことを理解していたがどれだけの物価下落が必要かそのためには賃金も下

げなくてはならないことを理解していたとはとうてい考えられない確かに「当時の経済

政策を支配していた思想は正統的保守的であってこれは 1920 年代を通じて政府が

戦前平価で金本位制を再開することからも明白である」(佐藤和夫[1981]24 頁)とされる

問題はそれが何を意味するかを正統派保守派が理解していたとは思われないことだ2

旧平価解禁論が真剣なものであったのなら20 年代初期に高騰した物価を20 年代を通

じて下落させていくことが金融政策の課題でなければならないがそのような金融政策は

行われていたのだろうか本稿ではテイラールールとマッカラムルールを用いて

この問いに答えることとするがその前に日本の金本位制復帰への政治的な動きを概観

しておきたい

第 1 次大戦期の混乱が収まり主要国が金本位制に復帰するにつれて日本も金本位制

に復帰するべきだと議論が盛んになり金解禁すなわち金本位制復帰が日本の政策課題と

なったしかし当時の言論や政府高官の発言を見るとかならずしも一直線に金解禁を

目指すという議論が盛んだった訳ではない金解禁論争とはアメリカが金本位制に復帰

した1919年から現実に金解禁が決定される1929年まで10年にわたる論争だったのである

以下日本銀行[1983](第 5 章3第 6 章2)石橋[1929]により金解禁を巡る動きを

簡単に整理しておこう

世界の動きを見れば前述の 19 年のアメリカの旧平価での復帰に続いて24 年にはドイ

ツが新平価で(ドイツは金兌換を実施しておらず不完全なものだった)25 年にはイギリ

スが旧平価で27 年にイタリアが28 年にはフランスがそれぞれ新平価で金本位制に復

帰したフランスの復帰によって主要国のなかで復帰していないのは日本だけとなり

このことも日本の金解禁への動きを促進したと思われる金解禁論争は他国の復帰に刺激

を受けた論争でもあった

1919 年にはアメリカの復帰に刺激を受けて東洋経済新報などで金解禁論が唱えられ

たが政府の反応は低調であったこの理由として大戦後には対中国投資が盛んにな

りその際日本が影響力を持つために金準備を蓄積しておく必要があったからであると

2 ただし当時日本銀行理事副総裁を歴任していた深井英五はこの問題を理解していた

深井は「金本位を回復する為めに所謂貨幣の単位の切下を行うか(すなわち新平価解禁‐筆者

注)然らざれば通貨の縮小を図らなければならぬ」と書いている(深井[1928]第 9 章第 5 節単

位の切下げか通貨の縮小か)

7

されている(石橋[1929])1922 年ごろになると物価調整の見地から金解禁論が唱えられる

ようになった物価が第 1 次大戦の水準に比べると倍になっておりアメリカの物価に

比べても 4 割高い水準にあったこの割高の水準を金解禁通貨収縮のメカニズムによっ

て是正せよというのである確かに加藤友三郎内閣(22-23 年)は通貨縮小物価引き

下げの意志を示してはいたしかしその動きは 23 年 9 月の関東大震災によって葬られた

1925 年のイギリスの金解禁によって再び金解禁の動きが盛り上がったが当時の浜

口蔵相の発言によれば財界の整理安定を図り外国貿易の逆調を制し国際貸借を改善

しその結果として金解禁すると述べている(浜口雄幸「金融制度の整備と国際貸借につ

いて」(『銀行通信録』第 81 巻第 484 号1926 年 5 月 8日引用は日本銀行[1983]148 頁)

これは 22 年ごろの金解禁論とは政策の因果関係を逆にするものだっただが27 年の金融

恐慌により金解禁への動きはまったく頓挫したしかし 29 年になると財界においても金

解禁を求める声が高まり新たに政権についた浜口民政党内閣の下で金解禁が実施され

ることになるただしこの金解禁を行うための準備について当時日銀副総裁であった

深井英五は金解禁が不景気を忍ばなければならないことを大衆に理解させていたかに疑

問を呈している(深井英五『回顧七十年』岩波書店1941 年242-243 頁)

以上概括してみれば金本位制へ復帰しようという動きはあったが19 年から 29 年に

かけて 9 代の交代を経験した内閣を通じて金解禁とは通貨の収縮によって不況をもた

らし物価を引き下げることであるという理解の下に一貫した政策が行われていたとは信じ

がたいただし金解禁への動きが度々予想されていたので旧平価での金解禁の実施を

予想して為替が上昇しており(1923 年から 27 年にかけて為替は下落していたがそれ以外

はほぼ旧平価の水準にあった)それを通じて経済にデフレ圧力が現れていたのが 1920 年

代の経済と解釈できるだろう

ここで私たちの分析に戻ってまずテイラールールの分析から始めたい

2テイラールールによる金融政策の評価

21 テイラールールの意味と定式化

テイラールールとはGDP ギャップと現実のインフレ率と目標インフレ率の差に対して

金利をどの程度動かすべきかという金融政策について Taylor[1993]が提唱したルールであ

る金融政策当局が現実にどのように金融政策を行っているかを表すものとして様々に

実証されている日本における実証としては地主黒木宮尾[2001]などがあるが戦前

期の金融政策に適応したのは鎮目[2002]のみと思われる

テイラールールとは以下の式で表わされるものである

( )tart t t t ti x rπ α β π π= + + minus + (1)

8

この式においてiは政策金利π はインフレ率xは GDP ギャップπtarは目標インフレ

率rは均衡実質利子率を表しているテイラールールは(1)式に示されるように政

策金利の決定を物価と景気(GDP ギャップ)を睨みながら行われていることについてのルー

ルであるすなわちGDP ギャップが正の方向に動けば(景気が良くなれば)金利を引上げ

(αはプラス)インフレ率が目標インフレ率よりも高まれば金利を引き上げる(βはプラ

ス)というルールであるここでは目標インフレ率も均衡実質金利も分からないので

(1)式を変形して

( ) (1 )tart t t ti r xβπ β π α ε= minus + + + + (2)

を推計するここでベータが1以上であれば物価が望ましい水準よりも高くなれば物

価上昇率以上に金利を上げて物価上昇を抑えるというルールを適用していることになる

このような推計を行うことについて当時テイラールールなどという概念がなかった

のだから意味がないという批判があるかもしれない(これは3のマッカラムルールに

ついても当てはまる)しかしテイラールールとは景気が過熱するかインフレが高進

したら金利を引き上げ景気が悪化するかデフレになったら金利を引き下げるという素朴

なルールでありこのような考えは当時も広範に理解されていたと思われる在野のエコ

ノミストとして活躍していた高橋亀吉は「金利政策とはhellip物価が思惑的に騰貴し過ぎ又

は企業が投機的に濫設せられる惧れありと見ればこれを抑え物価が恐慌的に下落し過ぎ

たと見れば金利を引き下げて其の下げ足を止めるの類である」と書いている(高橋

[1929]190 頁)また日本銀行の要職を歴任していた深井英五(1918 年日本銀行理事1928

年日本銀行副総裁1935-36 年日本銀行総裁1937 年貴族院議員1938 年枢密顧問官)も

「(通貨調節の趣旨は)通貨の数量の過不足より来る通貨の価値の変動を防ぎなるべくそ

の安定を図ることhellip所謂景気の変動を緩和しその循環を成るべく円滑にすること」と

書いている(深井[1928]467 頁)(ただし両者とも上記の考えを実践する上での難しさ

は認めている)したがって素朴な意味のテイラールールは常識として理解されていた

と言ってよく当時の金融政策をテイラールールによって評価することは意味があると

考えられる3

22 戦前期のテイラールールについての先行研究

戦前期のテイラールールを推計した研究としては既に鎮目[2002]がある鎮目は

戦間期日本の経済変動に対して金融政策がどのように反応してきたかをテイラールー

ルを用いて分析しているこの分析によればこの間の日本の金融政策は(1)インフレ率

3 本稿の目的は日本銀行の行動を評価することではない当時日銀は政府から独立しておら

ず日銀の政策を単独で評価することは意味がない本稿で評価するのは総体として金融政策

を形作った日本銀行大蔵省政治家等当時のエリートたちが総体として行った政策である

9

の関係で見ると経済変動を増幅させる方向で働いてきたこと(2 金融政策は金本位制

という通貨体制と密接に関係しており国内経済の安定を犠牲にして為替レート目標を追

求してきたことを示しているさらに(3)1931 年の金本位制離脱後国内経済の安定に繋が

る金融政策が可能であったにも関わらずそのような金融政策運営が行われていたとは言

えないことを示している

私たちも戦間期の金融政策について昭和恐慌前後の時期に焦点を当てて分析を続

けてきた(原田中澤[2004]原田[2005]原田佐藤中澤[2008])鎮目の分析は年

次データを用いているので戦間期全体の金融政策を分析できるが昭和恐慌前後ある

いは第 1 次大戦直後など特定の時期に焦点を置いた分析とはなっていないそこで私

たちは月次データを用いることで特定の時期に焦点を置いた分析が可能になるとと考

えたまた鎮目は金本位制という通貨体制を問題にしながら為替レートを説明変数

に入れていないこれも私たちがさらなる分析が必要と判断した理由である

23 データの説明

戦間期の経済データは主に日本銀行「本邦経済統計」東洋経済新報社『経済統計年鑑』

大蔵省「大蔵省年報」一橋大学経済研究所日本経済統計文献センター統計資料シリーズ『景

気指数1888~1940 年』などから得ることができるここで用いるデータは1926 年 1 月

から 1936 年 12 月までのコールレート卸売物価指数鉱工業生産指数為替レート貿

易収支でありこれらの定義と出所を表1に整理しておく(ここで3のマッカラムル

ールの推計で用いるデータについても定義と出所を示しておく)

表 1 使用データ(月次)の出所

変数名 出所

コールレート 日本銀行『本邦経済統計』

鉱工業生産指数 東洋経済新報社『経済統計年鑑』各年版

卸売物価指数

藤野正三郎五十嵐副夫『景気指数1888~1940 年』一橋大

学経済研究所日本経済統計文献センター統計資料シリーズ

No2

為替レート 日本銀行「本邦経済統計」外国為替相場(横浜正金銀行建値)

ニューヨーク電信平均

貿易収支 輸出-輸入大蔵省「大蔵省年報」各年版

マネタリーベース

大蔵省理財局編『金融事項参考書』日本評論社(日本銀行兌換

券差引流通残高と日本銀行預金貸出金残高表「一般預金」の和)

及び 藤野五十嵐前掲書

10

現金通貨 藤野五十嵐前掲書

ニューヨーク卸売物価 日本銀行調査局『外国経済統計』

ニューヨーク市中金利 日本銀行調査局『外国経済統計』

ロンドン市中金利 日本銀行調査局『外国経済統計』

正貨準備高 日本銀行調査局『本邦経済統計』

これらのデータはなじみのないものであるのでそのグラフを図3図4に示しておく

鉱工業生産指数は 1930 年 1 月を 100 としているコールレートおよび卸売物価指数による

インフレ率(前年同期比)の単位は為替レートは 100 円当たりの 1 ドル価格貿易収支

は 100 万円単位であるまた鉱工業生産指数卸売物価指数および貿易収支を構成する輸

出と輸入は X12-ARIMA によって季節調整を行っている貿易収支は輸出輸入を季節調整

して差を取ったものである

図 3 使用データ(月次)のグラフ鉱工業指数貿易収支為替レート

-16E+08

-14E+08

-12E+08

-1E+08

-8000000

-6000000

-4000000

-2000000

0

20000000

40000000

60000000

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

200

貿易収支 鉱工業生産指数 為替レート

注)鉱工業生産指数と為替レート(ドル100円)は左軸貿易収支は右軸

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

11

図 4 使用データ(月次)のグラフインフレ率コールレート

0

2

4

6

8

10

12

-100

-50

0

50

100

150

200

1919M01

1919M05

1919M09

1920M01

1920M05

1920M09

1921M01

1921M05

1921M09

1922M01

1922M05

1922M09

1923M01

1923M05

1923M09

1924M01

1924M05

1924M09

1925M01

1925M05

1925M09

1926M01

1926M05

1926M09

1927M01

1927M05

1927M09

1928M01

1928M05

1928M09

1929M01

1929M05

1929M09

1930M01

1930M05

1930M09

1931M01

1931M05

1931M09

1932M01

1932M05

1932M09

1933M01

1933M05

1933M09

1934M01

1934M05

1934M09

1935M01

1935M05

1935M09

1936M01

1936M05

1936M09

卸売物価指数(前年同期比左軸) コールレート(右軸単位)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

本稿の目的であるテイラールールの推計では説明変数として GDP ギャップを用いる

がGDP は月次データでは入手できないのでここではGDP 1hp

IIPIIP

= minusギャップ を鉱工業

生産指数 IIP と IIPhpはのギャップで作成しているIIPhpは「潜在 GDP」の代理変数である

「潜在生産指数」で表わしており鉱工業生産指数に HP フィルター(Hodrick-Prescott

filter)をかけることによって作成した4作成した GDP ギャップは図5である

この GDP ギャップが実態と合っているかを考察するためにここで作成された GDP ギャ

ップの動きと藤野[1965](第 2-3 表)の認定した景気循環クロノロジーと比較してみる

藤野によれば1915 年 2-3 月~1920 年 1-2 月が拡張期21 年 5 月までが縮小期29 年 2

月までが拡大期31 年 7 月までが縮小期それ以降が拡大期となっているまた良く知

4 本稿では潜在 GDP 作成に際しHodrick and Prescott [1997以降 HP フィルターと呼ぶ]に

よるフィルタリング関数のスムージングパラメータλ=1166400 を選択してトレンドを抽出し

ているここでは報告されていないがHP フィルターのλ=12960014400移動平均のラグと

リードに関して対称な加重を計算するフィルタリング関数をもつ Baxter and King[1999]およ

び移動平均の加重に関して非対称な加重を許す Christiano and Fitzgerald [2003CF フィルタ

ー]を用いて比較検討しているCF フィルターでは季節調整済みの IIP 系列が単位根過程に従

っているためChristiano and Fitzgerald[1999]に従って平均なしトレンドなしドリフ

トなし平均トレンドドリフト全てなしの 4種類を使用して検討を行っている 終的に藤

野[1965]の景気循環周期と整合的になるように HP フィルターのλ=1166400 を選択したこれら

の結果を入手したい場合は筆者に連絡されたい

12

られているように20 年には第 1次世界大戦の終結による国際的経済反動があり23 年に

は関東大震災があり27 年には金融恐慌があった作成した GDP ギャップはこれらの変

動を基本的には捉えていると言えるだろう

さらに失業率の動きを前掲の図5に示す(失業率は内務省社会局社会部職業課「失業

状況推定月報概要」による)図に見るように失業率のデータがあるのは 1931 年 1 月か

ら 33 年 12 月までであるがその間の GDP ギャップと失業率の動きは正負逆でGDP ギャッ

プの変動が大きいという問題はあるがほぼ同じように動きをしているまた失業率の

動きが GDP ギャップの動きに遅れていることも雇用が景気の遅行指標であるという今日

の常識に照らして合理的であるしたがってHP フィルターで作成した潜在生産指数およ

び GDP ギャップも景気変動を反映した適切なもの判断できるだろう

図 5 使用データ(月次)のグラフGDP ギャップ

0

01

02

03

04

05

06

07

08

09

1

-20

-15

-10

-5

0

5

10

15

20

GDPギャップ lambda=1166400 藤野(1965)の景気後退期 失業率(単位)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

24 テイラールールの推計

241 推計結果

(2)式の推計結果は表2の通りである推計期間は全サンプルがそろう 1919 年 1 月か

ら 1936 年 12 月である36 年を終わりとしたのはそれ以降は軍の圧力によって政策が行

われ金融政策の自立的な動きを議論することはできないと考えたからである推計方法

は 小二乗法を使用しているなおダービンワトソン統計量からは系列相関が疑われるた

13

め 小二乗推定量が有効性を持たない可能性があるので標準誤差を Newey-West の方

法によって修正を加えて t検定を行っている5

推計結果の解釈としては1 β+ の推計値 0016 からβ は-0984 でありインフレ率が

目標インフレ率よりも高まれば金利を引き下げ逆にインフレ率が目標インフレ率よりも

低ければ金利を引き上げるという物価を不安定にするデフレ的な金融政策を採用していた

ことになる(インフレの時はインフレ促進的になる)ましてβはほぼマイナス1である

のでかなりインフレまたはデフレ促進的な金融政策を行っていたことになるこれを現

実の経済情勢に当てはめれば20 年代のデフレ期ではデフレ促進的な金融政策を行い30

年代のインフレ期ではインフレ促進的な金融政策を行っていたことになるただしこの

係数は 10レベルでも有意ではない

なお物価を下落させることを目標としてもデフレ促進的でなく長期的な目標をも

ってテイラールールに基づいて物価を下落させることができることを念のために指摘し

ておくすなわち物価上昇率の目標レベルを低くすれば目標より物価が上ったときは

引締め下がったときは緩めるという物価安定的でかつ長期的に物価を下落させる方法

は可能でありまたその方が望ましいだろう

一方α は 0108 なので GDP ギャップが正のとき金利を引き上げる景気安定的な政策を

とっていたことになるただしα は 10で有意であるが係数が小さいので(GDP ギャ

ップがマイナス 10でも金利を108下げるだけ)景気安定化効果が大きかったとは言え

ないだろう

表 2 (2)式のテイラールールの推計結果

係数

定数項 r -βπ tar 4669

(17711)インフレ率 1+β 0016

(0823)GDPギャップ α 0108

(1679)R2 0085自由度調整済みR2 0077標準誤差 1855DW統計量 0258

注)( )内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

全期間1919年1月~1936年12月

5 本稿には載せていないがここでは 尤法による推計も行っている 尤法による推計では誤

差項に正規分布を仮定した場合 小二乗推定値とほぼ等しい推定値でかつ漸近的 t値からが

1 β+ が 10αが 1で有意であることが確認されている

14

さらにサンプル期間を1930 年の昭和恐慌期を含む期間と含まない期間に分けて推計を

行う具体的には1919 年 1 月から 1931 年 12 月までと1932 年 1 月以降から 1936 年 12

月までの 2 期間に分割して(2)式の推計を行う金融政策は1931 年 12 月以前は金本位制

への復帰を求めていたがそれ以降は金本位制を離脱し金本位制に制約されることがな

くなったと考えての分割である(金本位制からの離脱は 31 年 12 月正式には 32 年 1 月)

推計結果は表 3 に示しているここでも標準誤差を Newey-West の方法によって修正して

いる

表 3 期間分割後のテイラールールの推計結果

係数 係数

定数項 r -βπ tar 5450 定数項 r-βπ tar 3113

(22627) (10790)インフレ率 1+β 0057 インフレ率 1+β -0009

(3877) (0644)GDPギャップ α 0061 GDPギャップ α -0182

(0898) (2307)R2 0313 R2 0175自由度調整済みR2 0304 自由度調整済みR2 0146標準誤差 1542 標準誤差 0862DW統計量 0475 DW統計量 0241

注)( )内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1931年12月 (2)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

推計結果表3-(1)を見ると1919年1月から1931年12月において(1+β)が1で有意であ

あるまた値は00567でありこれから1を引くとβ =-0943となる (1)式から考える

と物価が目標インフレ率以上に上昇したときには政策金利をほぼ物価上昇率と同じだ

け引き下げるという政策を行っていることがわかるこの期間はほぼ物価が下落してい

たのでデフレ促進的な政策を採っていたことになる

GDP ギャップに関しては有意ではないがギャップが1ポイント縮小すると政策金利

を 0061引き上げるすなわち景気が拡大したときには政策金利を引き上げるという景

気変動抑制的な政策が行われていたことがわかるもちろんその係数は小さいので実

際にどれだけそのような効果があったかは分からない

表3-(2)で1932年1月から1936年12月の推計結果をみる物価の係数(1+β)-0009か

ら1を引くと-1009となり物価が上ると金利を引き下げるという政策をとっていたこ

とが分かるこの期間は物価が回復または上昇していた時期であるのでインフレ促進的

な政策を行っていることがわかる

GDP ギャップに関しては 5で有意でありギャップが1ポイント縮小すると政策金

利を 0182 引き下げるという景気変動拡大的な政策が行われていたことがわかるただし

15

その係数は小さいので効果も小さかったと思われる

これらの結果を鎮目[2002]と比べるとインフレ促進的またデフレ促進的な政策が行

われていたということについては共通しているGDP ギャップについて 32 年以降マイナス

になるというのも鎮目と共通であるただし本稿の推計した係数値は鎮目に比べてき

わめて小さい

242 区間分けについての確認

これまでの期間分割は暫定的なものであったこの区間分割が合理的なものであるかを

どうかを確認するために逐次回帰法(recursive least squares)を行った結果が図6で

ある6

図6で 1+βαの動きをみると30 年以降に大きく動いておりこの期間分けは合理的

なものだったと分かる

図 6 逐次回帰推計

-08

-04

00

04

08

12

16

1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1934 1936-1

0

1

2

3

4

1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1934 1936

25 政策反応までのラグ

これまでの分析は当期の物価景気貿易収支為替が金融政策に影響を及ぼすとし

ていたしかし為替はともかく物価景気貿易収支については認知のラグがあり

また経済情勢を慎重に見極めながら政策を行っていると考えられるそこでここでは次

のようなモデルについて推計を行うことにする

6 ここで使用した逐次回帰法は推計期間として 1から説明変数の個数より大きいサンプル数を

選び係数を推計し次は 終期を 1期追加して係数を推計といった手順を繰り返す手法である

詳しくは森棟(1999)4 章を参照のこと

1+β α

16

1 1

1 1

0 0

( ) (1 )tart p t p q t q t t

p q

i r x iβπ β π α λ εminus minus minus= =

= minus + + + + +sum sum (3)

ここでは p=0 q=0 のケースp=0 q=1 のケースp=1 q=0 のケースp=1 q=1 の

ケースについて推計を行った結果自由度修正済み決定係数および赤池情報基準によって

モデルを選択すると全期間を対象とした場合は p=1q=0金本位離脱以前を対象期間に

した場合では p=q=1金本位離脱以降を対象とした場合では p=0 q=0 が選択されるした

がってここでは各期間において選択されたラグ(pq)に従って推計を行うスペースの節約

のため選択されたモデルの結果のみを表4に示す推計方法は 小二乗法を使用して

いる

17

表4 政策反応までのラグ

(1)全期間1919年1月~36年12月

(p=1q=0)

係数

定数項 r-βπ tar 0612

(3895)

当期インフレ率 (1+β )0 0042

(2220)

前期インフレ率 (1+β )1 -0047

(2463)

当期GDPギャップ α 0 0042

(2436)

前期の金利 λ 1 0867

(28290)

R2 0789

自由度調整済みR2 0785標準誤差 0895

DW統計量 2756

(2) 金本意離脱前1919年1月~31年12月(3) 金本意離脱後1932年1月~19年12月

(p=1q=1) (p=0q=0)

係数 係数

定数項 r-βπ tar 1392 定数項 r -βπ tar 0364 (3907) (2348)

当期インフレ率 (1+β )0 0076 当期インフレ率 (1+β ) -0002

(3149) (1048)

前期インフレ率 (1+β )1 -0066 前期インフレ率 (1+β )1

(2682)

当期GDPギャップ α 0 0022 当期GDPギャップ α 0 -0004

(0661) (0321)

前期GDPギャップ α 1 0009 前期GDPギャップ α 1

(0338)

前期の金利 λ 1 0748 前期の金利 λ 1 0867

(12691) (15181)

R2 0719 R2 0933

自由度調整済みR2 0710 自由度調整済みR2 0929

標準誤差 0997 標準誤差 0248

DW統計量 2643 DW統計量 2594

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法

によって修正を加えている

表4(1)の全期間を対象とした場合全ての変数が5で有意であるまた1+β の推計値か

ら計算されたβ は全て負となりインフレまたはデフレ促進的な政策が行われていたと解

釈されるGDPギャップについてはα が正であるが係数の値は非常に小さい一方金利

の平準化の程度を示す 1λ の係数は大きい

金本位制離脱以前の推計結果表 4(2)ではGDP ギャップの係数以外が有意である推計

18

された係数の値をみるとこの時期のβ も表 4(1)の全期間を対象とした値とあまり変わ

らないが 1λ はやや小さくなっているこの時期政策策定者は金利を平準化しつつイン

フレを促進するような政策をとっていた可能性がある

後に金本位制離脱以後の推計結果表 4(3)からは 1λ 以外は有意ではない

すなわち全期間を通していえることは金利の平準化の要素が強くまたインフレおよび

デフレを是認あるいは促進的な政策となっていた係数の値はいずれも小さくλの係数

をコイック型のラグと考えてそれぞれの係数を 1(1-λ)倍しても小さい

3拡張テイラールール

31 拡張テイラールールの定式化先行研究データ

これまでの結果は物価については鎮目[2002](図表7)とも共通であり物価を不安

定にする金融政策が行われていたことになるさらに鎮目では GDP ギャップの係数は 31

年までは正であり景気変動抑制的だったが32 年以降は負となり景気変動を拡大する

ような金融政策が行われていたことになる本稿の GDP ギャップの係数も正から負に変わ

っているただしいずれにしろその係数は小さいので景気変動を抑制するように金融

政策が行われていたとは言えない

以上の結果はむしろ戦間期の金融政策は金融政策は国内の経済安定に重点を置い

て物価と景気を見ながら行うべきというテイラールールでは説明することが難しいと解

釈すべきだろうこれは鎮目の結果とも共通しているそこで次に戦間期の金融政策は

経常収支為替レートの安定など対外均衡に重点を置いて行われていたのではないかと

いう常識に従いテイラールールを拡張して金融政策が経常収支や金外貨準備や海外

金利にも影響されて行われていたとする鎮目[2002]はテイラールールに金外貨準

備海外金利経常収支資本収支を加えている月次で資本収支(およびその代理変数)

のデータを得ることはできなかったので我々の推計式は鎮目[2002]を参考に

1 2 3 4 5 6( ) (1 )tar

t t t t t t t t ti r x TB S NYP fori reserveβπ β π α α α α α α ε= minus + + + + + + + + +

(4)

とする

ここで月次の経常収支はデータが得られないため輸出入の差を名目GDPで割った貿易収

支比率TBを使用している(ここで用いている名目GDPは鉱工業生産指数times卸売物価指数で

ある)貿易収支比率は実際の名目GNPで修正している7またSは為替レートの変化率を

7貿易収支比率 TBは具体的には以下である

1928t1928 GNP( ) 100

1928 t GDP( )GDP( ) 1928

tTB = times times

年の貿易収支合計

期の貿易収支年の名目 大川推計

月次貿易収支の 年平均 期の名目 の代理変数

月次名目 の代理変数 の 年平均

19

示しており値が増えるのが円高である8ニューヨーク物価NYPはニューヨークの卸売物価

指数の前年同月変化率()であるforiは外国の市中金利()を示しニューヨーク金利

あるいはロンドン金利のいずれかである貿易収支が赤字に円の為替レートが下落すれ

ば金利は引き締められるニューヨークの物価が下落すれば日本の金融も引き締めざ

るを得ないニューヨークまたはロンドンの金利に追随するしかないと考える正貨

reserveは金本位制であればこれが増大すれば金融を緩和し減少すれば金融を引き締め

ることになる(ただし正貨は21年3月から29年3月までのデータしかない)また正貨は

1924年1月から11月1925年289月のデータが欠損しているので線形補間によってデ

ータを補っている9

符号条件は貿易収支比率為替レート変化率ニューヨーク物価上昇率正貨が負

ニューヨークおよびロンドンの金利が正である

以上で為替レートニューヨーク物価が鎮目[2002]の分析に対し新たに追加した変

数である

ここで新しく追加した変数貿易収支比率と為替レートと名目GDPの代理変数とニュー

ヨーク物価とニューヨーク金利とロンドン金利と正貨準備を図7図8図9に示してお

くここで名目GDP(その代理変数)は鉱工業生産times卸売物価指数である

8第1節と同じように為替レートの水準は 100 円当たりのドルで表しているので変化率

に修正しても値が大きくなると円高を示すことになる 9 また日本銀行調査局『本邦経済統計』では1922 年 11 月の正貨準備高の値が 1386957540円と記載されているが前後月の数値から判断して 1836957540 円の誤記と推測し修正を加

えている

20

図 7 コールレートニューヨーク市中金利ロンドン市中金利

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

200

0

2

4

6

8

10

12

14

16

18

コールレート(右軸) ニューヨーク市中金利(右軸) ロンドン市中金利(右軸)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

図 8 貿易収支比率為替レート変化率名目 GDP(対数値)

0

2

4

6

8

10

12

14

-50

-40

-30

-20

-10

0

10

20

30

貿易収支比率 為替レート変化率 名目GDP

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

21

図 9 正貨準備高ニューヨークインフレ率

0

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

-60

-40

-20

0

20

40

60

正貨(単位億円) ニューヨークインフレ率(卸売り物価指数)

なお追加した説明変数貿易収支比率為替レートニューヨーク物価ニューヨー

ク金利ロンドン金利正貨準備が独立でないという問題があるうちニューヨーク金

利とロンドン金利は同時には入れず他の変数と代替的に入れることとするそれでも

貿易収支比率と為替レートが独立ではないという問題があるかもしれない単純に為替

レートが割安であれば経常収支が黒字に動き割高であれば経常収支が赤字に動くという

メカニズムによって為替レートと経常収支が独立ではないということになる

また為替レート関数の推計において自国と他国の物価マネーサプライ金利生

産に加えて経常収支またはその累積を説明変数に入れるのが通常であることを考えれ

ば当然に問題となるしかし多くの推計で為替レートに対して経常収支またはそ

の累積の説明力はそれほど高くはない10

ちなみに変数間の相関行列を取ると表5のようになる(推計期間は正貨を含む変数間

は 1919 年から 1929 年 3 月それ以外の変数間は 1919 年 1 月 1936 年 12 月まである)貿

易収支比率と為替レートの相関を取ると相関係数は 0029 でありマルチコリニアリティ

10 深尾[1983] (167 頁)は日本の米国に対する 100 億ドルの経常黒字は 64の円高ドル

安要因になるとしているこれは大きな効果だがその後の推計によると経常収支黒字が円高

をもたらす効果は大きくはない河合[1986](第 94 表214 頁)によれば経常収支累積額が

1の上昇は実質為替レートを 0068~0163上昇させるにすぎないその後も同様の推計

がなされているが(経済企画庁[1997]第 1-2-1 図③経済企画庁[1999]付図 1-5-2原田[2004])いずれの推計においても経常収支が為替レートに与える影響は大きなものではない

22

の問題は避けられていると判断できる当時のデータで為替と貿易収支の相関が弱い理

由として金解禁への動きが度々予想されていたので為替レートが貿易など実態経済

の状況にかかわらず高騰していたこともあげられる表 5 から説明変数間で(被説明変

数のコールレートを除く)相関係数の絶対値が 04 以上のものを上げると卸売物価と GDP

ギャップ卸売物価とニューヨーク卸売物価GDP ギャップとニューヨーク卸売物価ニュ

ーヨーク金利とロンドン金利貿易収支比率とコールレートがそうである卸売物価と GDP

ギャップはテイラールールの基本的な説明変数なので両者をともに入れるがニューヨ

ーク金利とロンドン金利については代替的にも推計することとする

表5 拡張テイラールールで使用された変数の相関行列

コールレート

インフレ率GDPギャッ

プ貿易収支比

率為替変化

率NYインフレ

率NY金利

ロンドン金利

正貨準備変化率

コールレート 1000 0222 0293 -0441 -0112 0082 0437 0264 -0113

インフレ率 1000 0437 0046 -0024 0482 0198 -0340 -0005

GDPギャップ 1000 -0056 0205 0605 0246 -0119 0042

貿易収支比率 1000 0029 0189 -0182 -0252 0183

為替変化率 1000 0259 0023 0019 0058

NYインフレ率 1000 -0071 -0378 -0084

NY金利 1000 0649 0291

ロンドン市中金利 1000 0092

正貨準備変化率 1000

32 拡張テイラールールの推計結果

推計期間は貿易収支が入手可能な1926年1月から1936年12月までの全期間と上述の(2)

式と比較するために1931年12月までとそれ以降の期間とする推計結果は表6の通り

である推計については上記3つの推計期間において 小二乗法を行っている新しく追

加した変数貿易収支比率為替レートの変化率ニューヨーク卸売物価上昇率ニュー

ヨーク金利ロンドン金利正貨準備の変化率の単位はである推計に当たっては系

列相関が疑われるためNewey-Westの方法によって標準誤差の修正を行っている

23

表6 拡張テイラールールの推計結果

係数 係数 係数 係数

定数項 r-βπ tar 3155 2980 定数項 r -βπ tar 5780 6596 (10072) (6939) (12603) (13464)

インフレ率 1+β 0008 0027 インフレ率 1+β 0041 0025

(0552) (1600) (1957) (1399)

GDPギャップ α 1 0036 0057 GDPギャップ α 1 0090 0083

(1156) (1798) (2584) (2412)

貿易収支比率 α 2 -0105 -0106 貿易収支比率 α 2 -0053 -0054

(5627) (4937) (2671) (3396)為替変化率 α 3 -0109 -0110 為替変化率 α 3 -0062 -0051

(3782) (3755) (1345) (0998)

NYインフレ率 α 4 0014 0011 NYインフレ率 α 4 0014 0012

(0820) (0645) (0651) (0682)

NY金利 α 5 0212 NY金利 α 5 -0133

(3002) (1599)

ロンドン金利 α 5 0399 ロンドン金利 α 5 -0466

(2870) (3071)R2 0397 0375 R2 0468 0503

自由度調整済みR2 0380 0357 自由度調整済みR2 0447 0483

標準誤差 1520 1548 標準誤差 1375 1329

DW統計量 0568 0531 DW統計量 0700 0794

係数 係数

定数項 r-βπ tar 2703 2617

(6657) (26032)

インフレ率 1+β -0018 -0016

(1920) (2396)

GDPギャップ α 1 -0052 -0059

(2353) (5464)

貿易収支比率 α 2 -0031 0004

(1779) (0381)

為替変化率 α 3 -0007 0028

(0423) (1526)

NYインフレ率 α 4 -0017 -0024

(3808) (5526)

NY金利 α 5 0423

(1421)

ロンドン金利 α 5 0742

(7283)

R2 0797 0899自由度調整済みR2 0774 0887

標準誤差 0443 0313

DW統計量 0757 0925

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とそれぞれの金利だけである

どちらの推計でもこれらの有意な変数は符号条件を満たしているインフレ率とGDPギャ

24

ップは5有意ではなくなり単純テイラールールでも小さかった係数はさらに小さ

くなるこれに対して貿易収支比率の係数は貿易収支比率が10ポイント分マイナス

に動けば1金利を引き上げることであるからある程度貿易収支に反応して金融政策

を行っていたと言えるだろう為替変化率の係数は為替レートが10下落したら金利

を1引き上げることであるからこちらもある程度は為替レートに反応して金融政策を

行っていたとも言えるだろうニューヨーク金利とロンドン金利が1上昇すると国内金

利をそれぞれ0204引き上げるということになっている

1926年1月から1931年12月までの推計ではニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれ

を用いた推計でも5で有意な変数はGDPギャップと貿易収支比率とロンドン金利であ

るがロンドン金利は符号条件を満たしていないGDPギャップは有意であるがその係数

は単純テイラールールの推計と同様に小さい貿易収支比率の係数は貿易収支比率で

10ポイント分赤字が増えれば金利を05引き上げることであるからある程度は貿易

収支に反応して金融政策を行っていたと言えるかもしれない

さらに1932年1月から1936年12月までの推計では物価GDPギャップニューヨーク物

価ロンドン金利が5で有意であるGDPギャップニューヨーク物価は符号条件を満た

していないロンドン金利は符号条件を満たしその係数も074と大きく日本の金融政

策はロンドンに追随して行われていたことになる

金本位制を意識して行われていたときには金融政策は対外均衡に重点を置き金本位

制を離脱した後はロンドンの金利に追随していたことになる日本の金融政策が英国

の金融政策に追随していたことは鎮目[2009]第2章の結果とも整合的である

さらに表7は以上の変数に正貨を追加したものであるデータの制約により1919年1

月から29年3月までしか推計できないのでこれは金本位制を意識して金融政策が行われて

いた期間の金融政策を評価していることになる

25

表7 (3)式の拡張テイラールールの推計結果(正貨準備の変化率追加)

係数 係数定数項 r-βπ tar 5431 7511

(7602) (8642)インフレ率 1+β 0028 0024

(1209) (1264)GDPギャップ α 1 0147 0095

(2352) (1698)貿易収支比率 α 2 -0050 -0034

(2522) (2089)為替変化率 α 3 0016 0097

(0173) (0989)NYインフレ率 α 4 0004 -0004

(0166) (0224)NY金利 α 5 -0071

(0665)ロンドン金利 α 5 -0662

(2795)正貨準備の変化率 α 6 -0071 -0087

(0796) (1138)R2 0410 0471自由度調整済みR2 0374 0438標準誤差 1451 1375DW統計量 0808 0934注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

正貨を追加した推計結果ではGDPギャップ貿易収支比率ロンドン金利が有意である

GDPギャップ貿易収支比率は符号条件を満たしているがロンドン金利は満たしていない

表7の1919年から31年の推計結果に比べてGDPギャップの係数の値は大きくなるが景気

安定化効果が大きかったとまでは言えない貿易収支の係数はほとんど変らず貿易収支

の状況を念頭に入れて政策を行っていたと言えるだろうロンドン金利符号が逆で海外

金利が下がると金利を上げるという結果になっている

以上の結果を鎮目[2002]と比べる鎮目は金外貨準備英国の短期金利経常収支

資本収支をテイラールールの式に追加していずれの変数も有意ではなかったと報告し

ているが本稿では追加した変数のうち貿易収支ニューヨーク金利(特にロンドン

金利)が符号条件を満たして有意になっている場合が多く対外均衡を意識した金融政策

が行われていた可能性を示唆している

33 拡張テイラールールに関する政策反応ラグ

以上の拡張テイラールールの推計では貿易収支比率為替変化率ニューヨークイ

26

ンフレ率ロンドン金利を追加したものが良好な推計結果をもたらしたそこで拡張テ

イラールールに関する政策反応ラグを考慮するために以上の変数に加えて被説明変数

の 1期ラグを追加したものを推計する11結果は表8のようになる

表8 拡張テイラールールの金利ラグ付き推計

係数 係数 係数 係数定数項 r-βπ tar 0623 0565 定数項 r-βπ tar 1806 2223

(3922) (3134) (3861) (3396)インフレ率 1+β -00001 0003 インフレ率 1+β 0012 0007

(0023) (0552) (1190) (0761)GDPギャップ α 1 0019 0023 GDPギャップ α 1 0044 0043

(1589) (1875) (2072) (2007)

貿易収支比率 α 2 -0024 -0023 貿易収支比率 α 2 -0019 -0020

(2312) (2239) (1514) (1767)

為替変化率 α 3 -0026 -0025 為替変化率 α 3 -0048 -0045

(1984) (2069) (1607) (1430)

NYインフレ率 α 4 -0002 -0002 NYインフレ率 α 4 -0004 -0004

(0277) (0388) (0337) (0389)NY金利 α 5 0040 NY金利 α 5 -0044

(1532) (1193)

ロンドン金利 α 5 0075 ロンドン金利 α 5 -0163

(1447) (1703)コールレート1期ラグ 0796 0802 コールレート1期ラグ 0680 0657

(18638) (20579) (9505) (8112)R2 0789 0788 R2 0707 0711自由度調整済みR2 0782 0781 自由度調整済みR2 0693 0697標準誤差 0902 0904 標準誤差 1023 1016DW統計量 2581 2574 DW統計量 2408 2415

係数 係数

定数項 r-βπ tar 0527 0900 (2552) (3391)

インフレ率 1+β -0004 -0005(1594) (1249)

GDPギャップ α 1 -0006 -0014

(1174) (1562)

貿易収支比率 α 2 -0001 0010

(0135) (1064)

為替変化率 α 3 0005 0019

(0542) (1247)

NYインフレ率 α 4 -0003 -0008

(1971) (2116)

NY金利 α 5 -0022

(0557)

ロンドン金利 α 5 0386

(3052)コールレート1期ラグ 0833 0608

(9986) (6019)R2 0934 0957自由度調整済みR2 0925 0951標準誤差 0255 0207DW統計量 2478 2362

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

11 単純テイラールールでは説明変数のラグを加えたがここではあまりにも煩雑になること

と単純テイラールールで被説明変数の 1 期ラグが重要であったことから被説明変数の 1 期

ラグのみを追加した

27

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とコールレートの1期ラグであ

る貿易収支比率と為替変化率のどちらの係数も符号条件を満たしているがコールレー

トの1期ラグがない場合と比べて係数の値は小さくなっているただしこの推計をコイ

ック型と考えて係数の長期の値を(1-コールレートの1期ラグの係数)で除すことによっ

て求めれば1期ラグがない場合の係数よりもかなり大きくなる

1926年1月から1931年12月までの推計ではGDPギャップとコールレートの1期ラグのみが

有意となるGDPギャップの長期係数を求めても値は小さいこの期間では金利を安定的

に維持することに金融政策が使われていたと言えるだろう

1932年1月から1936年12月までの推計では有意なものはロンドン金利とニューヨークイ

ンフレ率とコールレートの1期ラグとなってしまうニューヨークインフレ率は符号条件を

満たしているがその係数は小さいロンドン金利の係数は大きく日本の金融政策はロ

ンドンに追随して行われていたことになる

コールレートの1期ラグを入れるといずれの期の金融政策も金利の平準化の要素が大き

いと判断される金本位制を意識して行われていたときには金融政策はある程度は対外

均衡を考えていたようである金本位制を離脱した後はロンドンの金利を考慮していた

ようである

さらに表9は以上の変数に正貨を追加したものである(データの制約により1919年1

月から29年3月までの推計)これは金本位制を意識して金融政策が行われていた期間の金

融政策を評価していることになる

28

表9 正貨準備高の変化率を加えた場合

係数 係数定数項 r-βπ tar 1723 2771

(3126) (2898)インフレ率 1+β 0004 0005

(0356) (0518)GDPギャップ α 1 0088 0072

(2641) (2442)貿易収支比率 α 2 -0023 -0018

(1664) (1321)為替変化率 α 3 -0025 0008

(0544) (0189)NYインフレ率 α 4 -0007 -0010

(0617) (0924)NY金利 α 5 -0012

(0255)ロンドン金利 α 5 -0239

(1470)正貨準備の変化率 α 6 0001 -0005

(0013) (0079)コールレートの1期ラグ 0644 0603

(7451) (6371) R2 0652 0659自由度調整済みR2 0628 0635標準誤差 1119 1107DW統計量 2450 2452注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

有意なものはGDPギャップとコールレートの1期ラグであるGDPギャップは符号条件

を満たしている長期の係数を取ってもその係数は大きいとは言えない

34 対外均衡と対内均衡

対外均衡に重点を置いた金融政策を行うとは経常収支赤字や為替レート下落や外貨準

備の減少に対して金利を引き上げるというルールに従って金融政策を行うことである

通常であれば金本位制の下で国内がインフレになり競争力を失ったり景気が過熱

して輸入が増大したときには経常収支赤字や為替レート下落や外貨準備の減少が起きる

だろう経常収支の赤字や外貨準備の減少が起きたときには金融を引き締めるというルー

ルは国内がインフレになったり景気が過熱したときには引き締めるというルールでも

あるしたがって対外均衡に重点を置くことが国内均衡を必ず妨げるというわけではな

いこれは逆の場合も真実であるしかし1910 年代日本の経常収支や外貨準備は国

内の景気要因で変化したわけではない第 1 次世界大戦によって外需が増加し経常収支

29

が黒字となり外貨準備が増えた金本位制のルールに従って金融政策は緩和されマ

ネタリーベースは 1919 年 1 月から 1920 年 4 月までに 16 倍に増加した輸出超過の国は

金融緩和することによって輸入超過の国の不況を和らげることができる日本は金本

位制の正しいルールに基づいて金融を緩和しただけであるしかし戦争がおわりその

復興需要もなくなったとき経常収支は赤字となり外貨準備は減少したしかしかつ

て金準備に依存して増大していたマネタリーベースはそのままだった失われた外貨準備

に対してマネタリーベースを減少させなければならなかったしかし23 年までマネタリ

ーベースは増大し続けていた関東大震災という不幸もあってマネタリーベースを減少

させることはできなかったその後25 年まで引き下げていたが27 年には金融恐慌があ

りマネタリーベースを削減することができなかったその後28 年までマネタリーベ

ースはむしろ拡大していた29 年には金本位制復帰を目指してマネタリーベースを急減さ

せるがその結果は激しいデフレと不況だった

そもそも国内要因の変化によらない金準備の増加に対してマネタリーベースを拡大し

たことが誤りだった金本位制からの離脱は1917 年ではなくて欧米諸国が離脱した

1914-15 年になすべきだったそうであれば1910 年代末までのマネタリーベースの急増

はなかっただろうところが実際には金本位制から離脱したにも関わらず1920 年にか

けてマネタリーベースは拡大していた1920 年代からは失われた金準備に対してマネタリ

ーベースを削減することが試みられるようになるしかしそれは関東大震災や金融危機

によって頓挫するむしろマネタリーベースを削減するという試みがデフレと不況をも

たらしそれゆえに不良債権が増大してしまったということではないだろうか

35 小括1‐テイラールールの推計から得られた知見

以上のことから考えて1920 年代から 30 年代にかけては金融政策はインフレまたはデ

フレ促進的な政策を行っていた対外均衡にはある程度考慮した金融政策を行っていたこ

とが分かる

しかし1920 年代には金本位制に復帰するという政策が課題となっていたはずである

20 年代がデフレ促進的また対外均衡にある程度考慮した政策を行っていたことはこの

課題にとっては正しいものだろうしかし現実に採られたデフレ促進策では不十分だっ

た物価は旧平価で金本位制に復帰できるほど下がっていなかったのだからまた32 年

以降の金融政策についてもなぜ 32 年から急速な回復ができたのかそれと金融政策とは

どのよう関係しているかは分析できていない

これについて飯田岡田[2004]は昭和恐慌からの回復はデフレ脱却による実質金利

の下落が重要であって名目金利の低下は重要でなかったと分析しているこれによれば

名目金利の変化で金融政策の変化を見ることはできないことになるしたがって名目金

利の変化に着目するテイラールールでは31 年 12 月以降の高橋是清蔵相の金融政策の意

味を理解できないことになる

30

また金融政策が物価および景気安定を意図していなかったら何を意図していたのだ

ろうか本稿での結論は為替レートや経常収支に視点を置いた対外均衡を意識していた

ということになる

いずれにしろテイラールールだけでは戦前期の金融政策を十分には理解できない

ことになるそこで戦前期の金融政策を別の方法で評価してみよう

4マッカラムルールによる金融政策の評価

41 マッカラムルールの意味と定式化とデータ

以下ではマッカラムルールで戦間期の金融政策を評価することにするマッカラム

ルールを用いて金融政策の在り方を判断した研究としてはマッカラム自身の分析を始め

として多くのものがある(例えばMcCallum[1987][1988]マッカラム[1997]第 15 章)

日本のデータを用いたものにおいても McCallum[1987]岡田飯田[2004]などがあるし

かし日本の戦前期についてはおそらく安達[2006](第7章)しかないと思われる安

達は年データを用い目標値として設定された名目 GNP 成長率(5と設定している)

を達成するためのマネタリーベースを求め現実のマネタリーベースの成長率が 1936 年ま

で過小でそれ以降過大であることを示している本稿では月次データを用いているので

期間ごとの金融政策の在り方も検討することができる

マッカラムルールとはマネタリーベースの成長率を名目GDPの望ましい成長率に

依存させるルールである(McCallum[1987]マッカラム[1997]第 15 章)しかし貨幣の

流通速度 vは変化するので貨幣の流通速度の変化に応じてマネタリーベース bの動きを調

整することが必要となるこのようなルールはbvなどを対数値として望ましいマネタ

リーベースの成長率⊿bをマネタリーベースの流通速度Δvに応じて変化させるというルー

ルであるただしvは景気変動によって大きく変動しているのでそれが技術的な変化と

見なせる 2 年間の平均値 tvΔ であるとする12すなわちマッカラムルールに基づくマネタ

リーベースの成長率とは

tbΔ =マネタリーベースの望ましい成長率- tvΔ

であるここでマネタリーベースの望ましい成長率はサンプル期間(1919 年 1 月から 1933

年 12 月まで)のマネタリーベースの平均成長率とする13マッカラムはマネタリーベース

の望ましい成長率を名目 GDP の成長率としているがここではまずこの期間の経済を再現

することを目的としているので現実のマネタリーベースの成長率を採用したマネタリ

12 マッカラム(1997)第 15 章では流通速度として 4年平均を使用しているが本稿ではサンプル

期間が短いため 2年平均としている 13 サンプル期間は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月であるがマネタリーベースの流通速度の平

均値作成のため 初の 24 か月が失うのでここで計算された望ましいマネタリーベースの成長

率は 1921 年 1 月から 1933 年 12 月までの平均となっている

31

ーベースの動きを図 10 に示しているマネタリーベースは季節性が強いので季調値も図示

しているなお前述のように戦前期の月次名目 GDP のデータは存在しないのでIIP に

卸売物価を掛けたものを名目 GDP の代理変数とする(ここで使うデータの定義と出所は前

掲の表1にある)

図 10 マネタリーベース(原数値と季節調整値)の動き

0

50000

100000

150000

200000

250000

19191

19197

19201

19207

19211

19217

19221

19227

19231

19237

19241

19247

19251

19257

19261

19267

19271

19277

19281

19287

19291

19297

19301

19307

19311

19317

19321

19327

19331

19337

観察されたベースマネー(単位万円) 季節調整済マネタリーベース(単位万円)

作成されたマネタリーベースの成長率は1919 年 1 月から 33 年 12 月までで年率 12

月次では 01となるすなわち

tbΔ =0001- tvΔ

ここで考察する期間を 1919 年 1 月から 33 年 12 月までとしたのは34 年以降の GDP の伸び

が大きすぎトレンドの作成において歪みを生じさせるからであるまた33 年は昭和恐

慌から脱却し経済が安定していた時期でもある

さらに名目 GDP が何らかのショックによって平均的な成長経路よりも上回った時に

はマネタリーベースの伸び率を低下させるようなルール(下回った場合は逆)を導入し

ようすなわち

tbΔ =0001-

1 1( )t t tv y yλ minus minusΔ + minus

32

となるただし目標値

1ty minus は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月までの月次平均成長率 04

成長経路での名目 GDP の対数値であるまたマッカラムによればλは四半期データで 025

が望ましいとされているがここでは月次データを使用しているのでとりあえず 12 分の 1

とすることを考えたがこの期間の名目 GDP は戦後の日米名目 GDP のデータより大きく変

動しているのでさらに小さくする必要があるマッカラムも「λの値を選択する場合

もし間違えるとすれば小さな値を採るほうがよい」(マッカラム[1997]308 頁)としている

そこでλは 36 分の1とした 終的なルールは

tbΔ =0001-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (5)

となる

マッカラムは望ましいインフレ率をゼロとするマネタリールールを求めているがこ

こでは実際には大きく変動したマネタリーベースを安定的に動かしていたらどうなったか

を考えることにしているので名目 GDP の動きは現実のものを使いルールにもとづくマ

ネタリーベースと実際のマネタリーベースをまず比較することにする

次に名目 GDP の決定に関する次のようなモデルを 小二乗法により推計する結果は

1 1 2 3

2

0004 0295 0053 0110 0106 0071 - 0069 23- 0046 27(1596) (3634) (1054) (1404) (2300) (1831) (6731)

R 0109 SE=0029 BG(24)=33227

(1822) t t t t t t ty y b b b b dummy dummy eminus minus minus minusΔ = + Δ + Δ + Δ + Δ + Δ +

=

(6)

となる14但し yΔ は名目 GDP の変化率 bΔ はマネタリーベースの成長率dummy23 は関東

大震災の時の一時的な変動をとらえるために 1923 年 9 月を 1それ以外を 0 としたダミー

変数dummy27 は金融恐慌時の一時的な変動をとらえるために 1927 年 4 月 5 月を 1それ

以外を 0としたダミー変数サンプル期間は推計に使用する変数が全て揃う 1921 年 1 月か

ら 1933 年 12 月までまたここでの残差 te は攪乱項の推定値2R SE BG(p) はそれぞれ

自由度修正済み決定係数攪乱項の標準誤差p 次の Breuch-Godfrey テストのχ二乗統計

量( )内は Newey-West の方法により修正した t値を示している15

ここで当時マッカラムルールなどという議論がなかったのだからこのような分

14 ここでは bΔ は現実のマネタリーベースの成長率を使用して推計を行っている 15 研究の対象期間は 1919 年 1 月からであるが平均流通速度 tvΔ の計算のために 初の 24 ヶ

月分が使用できないそのため他のシミュレーションの対象期間と整合性を保つため 1921 年 1

月からとしているまたこの推計式にはラグ付き内生変数を含むためダービンワトソンテスト

ではなく Breush-Godfrey テストを報告しているこの Breush-Godfrey テストから系列相関が疑

われるためNewey-West の方法により標準誤差を修正している

33

析は意味がないという批判があるかもしれないがこれにはテイラールールの節で述べ

たのと同じ反論が可能であるマッカラムルールとは名目 GDP が上昇しすぎたら(そ

のときには景気が過熱するかインフレが高進していると考えられる)マネーを縮小し

名目 GDP が下降しすぎたら(そのときは景気が悪化するかデフレになっている)マネーを

拡大するという素朴なルールである当時このようなルールが意識されていなかったと

は考え難い

42 長期的な経済を再現するシミュレーション

まずマッカラムルールによって現実の長期的な経済の経路を再現してみようルー

ルにもとづくマネタリーベースと実際のマネタリーベースのレベルと成長率とを図

11(1)(2)に示す

政策ルール(5)式が実施された場合の名目 GDP(の代理変数)の動きを見るために(5)式

から得られる理論値 tbΔ (6)式の残差 te 初期値 1ty minusΔ に目標 GDP

1ty minusΔ を代入してマ

ッカラムルールに従った場合の名目 GDP y の系列を求める現実の xとマネタリーベース

のルールに従った場合の y の系列を比べてみたのが図 11-(3)である図 11-(3)からマ

ネタリーベースのルールに従った場合の y の系列が安定していることが分かるこのよう

に安定的な名目 GDP の系列を得るためには第 1 次世界大戦後の金融引締めが過大で20

年代初期の金融緩和が過大30 年の金融引締めが過大だったと判断される

図 11 マッカラムルール

(1)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

34

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT MBDOT

注)BDOT はマッカラムルールの下でのマネタリーべースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(2)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

35

100000

120000

140000

160000

180000

200000

220000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC MB_SA

注)MB_SA はマネタリーベース(季節調整済)の現実値

B_MC はマッカラムルールに従った場合のマネタリーベース水準

またマッカラムルールの下でのマネタリーベースの初期値は現実値を使用

単位は万円

(3)マッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

36

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULE XSTAR X

注)GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

43 物価を下落させるシミュレーション

以上の結果はマネタリーベースの伸びを安定的にしていれば経済変動はより少なく

なっていただろうということを示しているしかしもし第 1 次世界大戦前の旧平価で金

本位制に復帰することが目的であったとしたら1節で述べたように物価を 3 割下げな

ければならない名目 GDP(その代理変数)は実質 GDP の変化がないとして1919 年 12

月から 29 年 12 月までに 3割下がらなければならない

そこで名目 GDP(その代理変数) y は現実の値よりも毎月 03ずつ低下しなければ

ならないので(5)式の定数項 0001 から 0003 を引いて-0002 とするすなわち

tbΔ =-0002-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (7)

とならなければならないここでの系列 y も実際の値から毎月 03ずつ引き下げたも

のを使っているつぎに(7)式の bを(6)式に入れると図 12 のようになる図に見られるよ

うに名目 GDP は安定しかつ小さくなっているすなわち物価が 3 割下落していること

が分かる

37

図 12 物価を下落させた場合

(1) 名目 GDP の目標値とマッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULEXSTAR

XGDP3_RULE

XSTAR_3

注) GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

GDP3_RULE は物価を 3割下げたマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR_3 は物価を 3割下げた場合の目標となる名目 GDP(対数値)

38

(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

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  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 7: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

6

は民政党浜口雄幸内閣の井上準之助蔵相の下で 1930 年 1 月に旧平価解禁が行われ日本

は激しいデフレとなって昭和恐慌に突入するその後犬養毅政友会内閣の高橋是清蔵相

の下で金輸出が再禁止され日本は 31 年 12 月(正式には 32 年 1 月)金本位制から離

脱しデフレも収まり景気は急回復する29 年から 31 年の激しいデフレと昭和恐慌デ

フレ脱却と景気回復は前掲の図1にも明らかである

この論争で残念なのは旧平価での解禁は国内物価を下げることであるということが国

民に理解されていなかったことだもちろん旧平価解禁論者はそれが財界整理不況

をもたらすことを理解していたがどれだけの物価下落が必要かそのためには賃金も下

げなくてはならないことを理解していたとはとうてい考えられない確かに「当時の経済

政策を支配していた思想は正統的保守的であってこれは 1920 年代を通じて政府が

戦前平価で金本位制を再開することからも明白である」(佐藤和夫[1981]24 頁)とされる

問題はそれが何を意味するかを正統派保守派が理解していたとは思われないことだ2

旧平価解禁論が真剣なものであったのなら20 年代初期に高騰した物価を20 年代を通

じて下落させていくことが金融政策の課題でなければならないがそのような金融政策は

行われていたのだろうか本稿ではテイラールールとマッカラムルールを用いて

この問いに答えることとするがその前に日本の金本位制復帰への政治的な動きを概観

しておきたい

第 1 次大戦期の混乱が収まり主要国が金本位制に復帰するにつれて日本も金本位制

に復帰するべきだと議論が盛んになり金解禁すなわち金本位制復帰が日本の政策課題と

なったしかし当時の言論や政府高官の発言を見るとかならずしも一直線に金解禁を

目指すという議論が盛んだった訳ではない金解禁論争とはアメリカが金本位制に復帰

した1919年から現実に金解禁が決定される1929年まで10年にわたる論争だったのである

以下日本銀行[1983](第 5 章3第 6 章2)石橋[1929]により金解禁を巡る動きを

簡単に整理しておこう

世界の動きを見れば前述の 19 年のアメリカの旧平価での復帰に続いて24 年にはドイ

ツが新平価で(ドイツは金兌換を実施しておらず不完全なものだった)25 年にはイギリ

スが旧平価で27 年にイタリアが28 年にはフランスがそれぞれ新平価で金本位制に復

帰したフランスの復帰によって主要国のなかで復帰していないのは日本だけとなり

このことも日本の金解禁への動きを促進したと思われる金解禁論争は他国の復帰に刺激

を受けた論争でもあった

1919 年にはアメリカの復帰に刺激を受けて東洋経済新報などで金解禁論が唱えられ

たが政府の反応は低調であったこの理由として大戦後には対中国投資が盛んにな

りその際日本が影響力を持つために金準備を蓄積しておく必要があったからであると

2 ただし当時日本銀行理事副総裁を歴任していた深井英五はこの問題を理解していた

深井は「金本位を回復する為めに所謂貨幣の単位の切下を行うか(すなわち新平価解禁‐筆者

注)然らざれば通貨の縮小を図らなければならぬ」と書いている(深井[1928]第 9 章第 5 節単

位の切下げか通貨の縮小か)

7

されている(石橋[1929])1922 年ごろになると物価調整の見地から金解禁論が唱えられる

ようになった物価が第 1 次大戦の水準に比べると倍になっておりアメリカの物価に

比べても 4 割高い水準にあったこの割高の水準を金解禁通貨収縮のメカニズムによっ

て是正せよというのである確かに加藤友三郎内閣(22-23 年)は通貨縮小物価引き

下げの意志を示してはいたしかしその動きは 23 年 9 月の関東大震災によって葬られた

1925 年のイギリスの金解禁によって再び金解禁の動きが盛り上がったが当時の浜

口蔵相の発言によれば財界の整理安定を図り外国貿易の逆調を制し国際貸借を改善

しその結果として金解禁すると述べている(浜口雄幸「金融制度の整備と国際貸借につ

いて」(『銀行通信録』第 81 巻第 484 号1926 年 5 月 8日引用は日本銀行[1983]148 頁)

これは 22 年ごろの金解禁論とは政策の因果関係を逆にするものだっただが27 年の金融

恐慌により金解禁への動きはまったく頓挫したしかし 29 年になると財界においても金

解禁を求める声が高まり新たに政権についた浜口民政党内閣の下で金解禁が実施され

ることになるただしこの金解禁を行うための準備について当時日銀副総裁であった

深井英五は金解禁が不景気を忍ばなければならないことを大衆に理解させていたかに疑

問を呈している(深井英五『回顧七十年』岩波書店1941 年242-243 頁)

以上概括してみれば金本位制へ復帰しようという動きはあったが19 年から 29 年に

かけて 9 代の交代を経験した内閣を通じて金解禁とは通貨の収縮によって不況をもた

らし物価を引き下げることであるという理解の下に一貫した政策が行われていたとは信じ

がたいただし金解禁への動きが度々予想されていたので旧平価での金解禁の実施を

予想して為替が上昇しており(1923 年から 27 年にかけて為替は下落していたがそれ以外

はほぼ旧平価の水準にあった)それを通じて経済にデフレ圧力が現れていたのが 1920 年

代の経済と解釈できるだろう

ここで私たちの分析に戻ってまずテイラールールの分析から始めたい

2テイラールールによる金融政策の評価

21 テイラールールの意味と定式化

テイラールールとはGDP ギャップと現実のインフレ率と目標インフレ率の差に対して

金利をどの程度動かすべきかという金融政策について Taylor[1993]が提唱したルールであ

る金融政策当局が現実にどのように金融政策を行っているかを表すものとして様々に

実証されている日本における実証としては地主黒木宮尾[2001]などがあるが戦前

期の金融政策に適応したのは鎮目[2002]のみと思われる

テイラールールとは以下の式で表わされるものである

( )tart t t t ti x rπ α β π π= + + minus + (1)

8

この式においてiは政策金利π はインフレ率xは GDP ギャップπtarは目標インフレ

率rは均衡実質利子率を表しているテイラールールは(1)式に示されるように政

策金利の決定を物価と景気(GDP ギャップ)を睨みながら行われていることについてのルー

ルであるすなわちGDP ギャップが正の方向に動けば(景気が良くなれば)金利を引上げ

(αはプラス)インフレ率が目標インフレ率よりも高まれば金利を引き上げる(βはプラ

ス)というルールであるここでは目標インフレ率も均衡実質金利も分からないので

(1)式を変形して

( ) (1 )tart t t ti r xβπ β π α ε= minus + + + + (2)

を推計するここでベータが1以上であれば物価が望ましい水準よりも高くなれば物

価上昇率以上に金利を上げて物価上昇を抑えるというルールを適用していることになる

このような推計を行うことについて当時テイラールールなどという概念がなかった

のだから意味がないという批判があるかもしれない(これは3のマッカラムルールに

ついても当てはまる)しかしテイラールールとは景気が過熱するかインフレが高進

したら金利を引き上げ景気が悪化するかデフレになったら金利を引き下げるという素朴

なルールでありこのような考えは当時も広範に理解されていたと思われる在野のエコ

ノミストとして活躍していた高橋亀吉は「金利政策とはhellip物価が思惑的に騰貴し過ぎ又

は企業が投機的に濫設せられる惧れありと見ればこれを抑え物価が恐慌的に下落し過ぎ

たと見れば金利を引き下げて其の下げ足を止めるの類である」と書いている(高橋

[1929]190 頁)また日本銀行の要職を歴任していた深井英五(1918 年日本銀行理事1928

年日本銀行副総裁1935-36 年日本銀行総裁1937 年貴族院議員1938 年枢密顧問官)も

「(通貨調節の趣旨は)通貨の数量の過不足より来る通貨の価値の変動を防ぎなるべくそ

の安定を図ることhellip所謂景気の変動を緩和しその循環を成るべく円滑にすること」と

書いている(深井[1928]467 頁)(ただし両者とも上記の考えを実践する上での難しさ

は認めている)したがって素朴な意味のテイラールールは常識として理解されていた

と言ってよく当時の金融政策をテイラールールによって評価することは意味があると

考えられる3

22 戦前期のテイラールールについての先行研究

戦前期のテイラールールを推計した研究としては既に鎮目[2002]がある鎮目は

戦間期日本の経済変動に対して金融政策がどのように反応してきたかをテイラールー

ルを用いて分析しているこの分析によればこの間の日本の金融政策は(1)インフレ率

3 本稿の目的は日本銀行の行動を評価することではない当時日銀は政府から独立しておら

ず日銀の政策を単独で評価することは意味がない本稿で評価するのは総体として金融政策

を形作った日本銀行大蔵省政治家等当時のエリートたちが総体として行った政策である

9

の関係で見ると経済変動を増幅させる方向で働いてきたこと(2 金融政策は金本位制

という通貨体制と密接に関係しており国内経済の安定を犠牲にして為替レート目標を追

求してきたことを示しているさらに(3)1931 年の金本位制離脱後国内経済の安定に繋が

る金融政策が可能であったにも関わらずそのような金融政策運営が行われていたとは言

えないことを示している

私たちも戦間期の金融政策について昭和恐慌前後の時期に焦点を当てて分析を続

けてきた(原田中澤[2004]原田[2005]原田佐藤中澤[2008])鎮目の分析は年

次データを用いているので戦間期全体の金融政策を分析できるが昭和恐慌前後ある

いは第 1 次大戦直後など特定の時期に焦点を置いた分析とはなっていないそこで私

たちは月次データを用いることで特定の時期に焦点を置いた分析が可能になるとと考

えたまた鎮目は金本位制という通貨体制を問題にしながら為替レートを説明変数

に入れていないこれも私たちがさらなる分析が必要と判断した理由である

23 データの説明

戦間期の経済データは主に日本銀行「本邦経済統計」東洋経済新報社『経済統計年鑑』

大蔵省「大蔵省年報」一橋大学経済研究所日本経済統計文献センター統計資料シリーズ『景

気指数1888~1940 年』などから得ることができるここで用いるデータは1926 年 1 月

から 1936 年 12 月までのコールレート卸売物価指数鉱工業生産指数為替レート貿

易収支でありこれらの定義と出所を表1に整理しておく(ここで3のマッカラムル

ールの推計で用いるデータについても定義と出所を示しておく)

表 1 使用データ(月次)の出所

変数名 出所

コールレート 日本銀行『本邦経済統計』

鉱工業生産指数 東洋経済新報社『経済統計年鑑』各年版

卸売物価指数

藤野正三郎五十嵐副夫『景気指数1888~1940 年』一橋大

学経済研究所日本経済統計文献センター統計資料シリーズ

No2

為替レート 日本銀行「本邦経済統計」外国為替相場(横浜正金銀行建値)

ニューヨーク電信平均

貿易収支 輸出-輸入大蔵省「大蔵省年報」各年版

マネタリーベース

大蔵省理財局編『金融事項参考書』日本評論社(日本銀行兌換

券差引流通残高と日本銀行預金貸出金残高表「一般預金」の和)

及び 藤野五十嵐前掲書

10

現金通貨 藤野五十嵐前掲書

ニューヨーク卸売物価 日本銀行調査局『外国経済統計』

ニューヨーク市中金利 日本銀行調査局『外国経済統計』

ロンドン市中金利 日本銀行調査局『外国経済統計』

正貨準備高 日本銀行調査局『本邦経済統計』

これらのデータはなじみのないものであるのでそのグラフを図3図4に示しておく

鉱工業生産指数は 1930 年 1 月を 100 としているコールレートおよび卸売物価指数による

インフレ率(前年同期比)の単位は為替レートは 100 円当たりの 1 ドル価格貿易収支

は 100 万円単位であるまた鉱工業生産指数卸売物価指数および貿易収支を構成する輸

出と輸入は X12-ARIMA によって季節調整を行っている貿易収支は輸出輸入を季節調整

して差を取ったものである

図 3 使用データ(月次)のグラフ鉱工業指数貿易収支為替レート

-16E+08

-14E+08

-12E+08

-1E+08

-8000000

-6000000

-4000000

-2000000

0

20000000

40000000

60000000

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

200

貿易収支 鉱工業生産指数 為替レート

注)鉱工業生産指数と為替レート(ドル100円)は左軸貿易収支は右軸

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

11

図 4 使用データ(月次)のグラフインフレ率コールレート

0

2

4

6

8

10

12

-100

-50

0

50

100

150

200

1919M01

1919M05

1919M09

1920M01

1920M05

1920M09

1921M01

1921M05

1921M09

1922M01

1922M05

1922M09

1923M01

1923M05

1923M09

1924M01

1924M05

1924M09

1925M01

1925M05

1925M09

1926M01

1926M05

1926M09

1927M01

1927M05

1927M09

1928M01

1928M05

1928M09

1929M01

1929M05

1929M09

1930M01

1930M05

1930M09

1931M01

1931M05

1931M09

1932M01

1932M05

1932M09

1933M01

1933M05

1933M09

1934M01

1934M05

1934M09

1935M01

1935M05

1935M09

1936M01

1936M05

1936M09

卸売物価指数(前年同期比左軸) コールレート(右軸単位)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

本稿の目的であるテイラールールの推計では説明変数として GDP ギャップを用いる

がGDP は月次データでは入手できないのでここではGDP 1hp

IIPIIP

= minusギャップ を鉱工業

生産指数 IIP と IIPhpはのギャップで作成しているIIPhpは「潜在 GDP」の代理変数である

「潜在生産指数」で表わしており鉱工業生産指数に HP フィルター(Hodrick-Prescott

filter)をかけることによって作成した4作成した GDP ギャップは図5である

この GDP ギャップが実態と合っているかを考察するためにここで作成された GDP ギャ

ップの動きと藤野[1965](第 2-3 表)の認定した景気循環クロノロジーと比較してみる

藤野によれば1915 年 2-3 月~1920 年 1-2 月が拡張期21 年 5 月までが縮小期29 年 2

月までが拡大期31 年 7 月までが縮小期それ以降が拡大期となっているまた良く知

4 本稿では潜在 GDP 作成に際しHodrick and Prescott [1997以降 HP フィルターと呼ぶ]に

よるフィルタリング関数のスムージングパラメータλ=1166400 を選択してトレンドを抽出し

ているここでは報告されていないがHP フィルターのλ=12960014400移動平均のラグと

リードに関して対称な加重を計算するフィルタリング関数をもつ Baxter and King[1999]およ

び移動平均の加重に関して非対称な加重を許す Christiano and Fitzgerald [2003CF フィルタ

ー]を用いて比較検討しているCF フィルターでは季節調整済みの IIP 系列が単位根過程に従

っているためChristiano and Fitzgerald[1999]に従って平均なしトレンドなしドリフ

トなし平均トレンドドリフト全てなしの 4種類を使用して検討を行っている 終的に藤

野[1965]の景気循環周期と整合的になるように HP フィルターのλ=1166400 を選択したこれら

の結果を入手したい場合は筆者に連絡されたい

12

られているように20 年には第 1次世界大戦の終結による国際的経済反動があり23 年に

は関東大震災があり27 年には金融恐慌があった作成した GDP ギャップはこれらの変

動を基本的には捉えていると言えるだろう

さらに失業率の動きを前掲の図5に示す(失業率は内務省社会局社会部職業課「失業

状況推定月報概要」による)図に見るように失業率のデータがあるのは 1931 年 1 月か

ら 33 年 12 月までであるがその間の GDP ギャップと失業率の動きは正負逆でGDP ギャッ

プの変動が大きいという問題はあるがほぼ同じように動きをしているまた失業率の

動きが GDP ギャップの動きに遅れていることも雇用が景気の遅行指標であるという今日

の常識に照らして合理的であるしたがってHP フィルターで作成した潜在生産指数およ

び GDP ギャップも景気変動を反映した適切なもの判断できるだろう

図 5 使用データ(月次)のグラフGDP ギャップ

0

01

02

03

04

05

06

07

08

09

1

-20

-15

-10

-5

0

5

10

15

20

GDPギャップ lambda=1166400 藤野(1965)の景気後退期 失業率(単位)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

24 テイラールールの推計

241 推計結果

(2)式の推計結果は表2の通りである推計期間は全サンプルがそろう 1919 年 1 月か

ら 1936 年 12 月である36 年を終わりとしたのはそれ以降は軍の圧力によって政策が行

われ金融政策の自立的な動きを議論することはできないと考えたからである推計方法

は 小二乗法を使用しているなおダービンワトソン統計量からは系列相関が疑われるた

13

め 小二乗推定量が有効性を持たない可能性があるので標準誤差を Newey-West の方

法によって修正を加えて t検定を行っている5

推計結果の解釈としては1 β+ の推計値 0016 からβ は-0984 でありインフレ率が

目標インフレ率よりも高まれば金利を引き下げ逆にインフレ率が目標インフレ率よりも

低ければ金利を引き上げるという物価を不安定にするデフレ的な金融政策を採用していた

ことになる(インフレの時はインフレ促進的になる)ましてβはほぼマイナス1である

のでかなりインフレまたはデフレ促進的な金融政策を行っていたことになるこれを現

実の経済情勢に当てはめれば20 年代のデフレ期ではデフレ促進的な金融政策を行い30

年代のインフレ期ではインフレ促進的な金融政策を行っていたことになるただしこの

係数は 10レベルでも有意ではない

なお物価を下落させることを目標としてもデフレ促進的でなく長期的な目標をも

ってテイラールールに基づいて物価を下落させることができることを念のために指摘し

ておくすなわち物価上昇率の目標レベルを低くすれば目標より物価が上ったときは

引締め下がったときは緩めるという物価安定的でかつ長期的に物価を下落させる方法

は可能でありまたその方が望ましいだろう

一方α は 0108 なので GDP ギャップが正のとき金利を引き上げる景気安定的な政策を

とっていたことになるただしα は 10で有意であるが係数が小さいので(GDP ギャ

ップがマイナス 10でも金利を108下げるだけ)景気安定化効果が大きかったとは言え

ないだろう

表 2 (2)式のテイラールールの推計結果

係数

定数項 r -βπ tar 4669

(17711)インフレ率 1+β 0016

(0823)GDPギャップ α 0108

(1679)R2 0085自由度調整済みR2 0077標準誤差 1855DW統計量 0258

注)( )内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

全期間1919年1月~1936年12月

5 本稿には載せていないがここでは 尤法による推計も行っている 尤法による推計では誤

差項に正規分布を仮定した場合 小二乗推定値とほぼ等しい推定値でかつ漸近的 t値からが

1 β+ が 10αが 1で有意であることが確認されている

14

さらにサンプル期間を1930 年の昭和恐慌期を含む期間と含まない期間に分けて推計を

行う具体的には1919 年 1 月から 1931 年 12 月までと1932 年 1 月以降から 1936 年 12

月までの 2 期間に分割して(2)式の推計を行う金融政策は1931 年 12 月以前は金本位制

への復帰を求めていたがそれ以降は金本位制を離脱し金本位制に制約されることがな

くなったと考えての分割である(金本位制からの離脱は 31 年 12 月正式には 32 年 1 月)

推計結果は表 3 に示しているここでも標準誤差を Newey-West の方法によって修正して

いる

表 3 期間分割後のテイラールールの推計結果

係数 係数

定数項 r -βπ tar 5450 定数項 r-βπ tar 3113

(22627) (10790)インフレ率 1+β 0057 インフレ率 1+β -0009

(3877) (0644)GDPギャップ α 0061 GDPギャップ α -0182

(0898) (2307)R2 0313 R2 0175自由度調整済みR2 0304 自由度調整済みR2 0146標準誤差 1542 標準誤差 0862DW統計量 0475 DW統計量 0241

注)( )内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1931年12月 (2)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

推計結果表3-(1)を見ると1919年1月から1931年12月において(1+β)が1で有意であ

あるまた値は00567でありこれから1を引くとβ =-0943となる (1)式から考える

と物価が目標インフレ率以上に上昇したときには政策金利をほぼ物価上昇率と同じだ

け引き下げるという政策を行っていることがわかるこの期間はほぼ物価が下落してい

たのでデフレ促進的な政策を採っていたことになる

GDP ギャップに関しては有意ではないがギャップが1ポイント縮小すると政策金利

を 0061引き上げるすなわち景気が拡大したときには政策金利を引き上げるという景

気変動抑制的な政策が行われていたことがわかるもちろんその係数は小さいので実

際にどれだけそのような効果があったかは分からない

表3-(2)で1932年1月から1936年12月の推計結果をみる物価の係数(1+β)-0009か

ら1を引くと-1009となり物価が上ると金利を引き下げるという政策をとっていたこ

とが分かるこの期間は物価が回復または上昇していた時期であるのでインフレ促進的

な政策を行っていることがわかる

GDP ギャップに関しては 5で有意でありギャップが1ポイント縮小すると政策金

利を 0182 引き下げるという景気変動拡大的な政策が行われていたことがわかるただし

15

その係数は小さいので効果も小さかったと思われる

これらの結果を鎮目[2002]と比べるとインフレ促進的またデフレ促進的な政策が行

われていたということについては共通しているGDP ギャップについて 32 年以降マイナス

になるというのも鎮目と共通であるただし本稿の推計した係数値は鎮目に比べてき

わめて小さい

242 区間分けについての確認

これまでの期間分割は暫定的なものであったこの区間分割が合理的なものであるかを

どうかを確認するために逐次回帰法(recursive least squares)を行った結果が図6で

ある6

図6で 1+βαの動きをみると30 年以降に大きく動いておりこの期間分けは合理的

なものだったと分かる

図 6 逐次回帰推計

-08

-04

00

04

08

12

16

1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1934 1936-1

0

1

2

3

4

1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1934 1936

25 政策反応までのラグ

これまでの分析は当期の物価景気貿易収支為替が金融政策に影響を及ぼすとし

ていたしかし為替はともかく物価景気貿易収支については認知のラグがあり

また経済情勢を慎重に見極めながら政策を行っていると考えられるそこでここでは次

のようなモデルについて推計を行うことにする

6 ここで使用した逐次回帰法は推計期間として 1から説明変数の個数より大きいサンプル数を

選び係数を推計し次は 終期を 1期追加して係数を推計といった手順を繰り返す手法である

詳しくは森棟(1999)4 章を参照のこと

1+β α

16

1 1

1 1

0 0

( ) (1 )tart p t p q t q t t

p q

i r x iβπ β π α λ εminus minus minus= =

= minus + + + + +sum sum (3)

ここでは p=0 q=0 のケースp=0 q=1 のケースp=1 q=0 のケースp=1 q=1 の

ケースについて推計を行った結果自由度修正済み決定係数および赤池情報基準によって

モデルを選択すると全期間を対象とした場合は p=1q=0金本位離脱以前を対象期間に

した場合では p=q=1金本位離脱以降を対象とした場合では p=0 q=0 が選択されるした

がってここでは各期間において選択されたラグ(pq)に従って推計を行うスペースの節約

のため選択されたモデルの結果のみを表4に示す推計方法は 小二乗法を使用して

いる

17

表4 政策反応までのラグ

(1)全期間1919年1月~36年12月

(p=1q=0)

係数

定数項 r-βπ tar 0612

(3895)

当期インフレ率 (1+β )0 0042

(2220)

前期インフレ率 (1+β )1 -0047

(2463)

当期GDPギャップ α 0 0042

(2436)

前期の金利 λ 1 0867

(28290)

R2 0789

自由度調整済みR2 0785標準誤差 0895

DW統計量 2756

(2) 金本意離脱前1919年1月~31年12月(3) 金本意離脱後1932年1月~19年12月

(p=1q=1) (p=0q=0)

係数 係数

定数項 r-βπ tar 1392 定数項 r -βπ tar 0364 (3907) (2348)

当期インフレ率 (1+β )0 0076 当期インフレ率 (1+β ) -0002

(3149) (1048)

前期インフレ率 (1+β )1 -0066 前期インフレ率 (1+β )1

(2682)

当期GDPギャップ α 0 0022 当期GDPギャップ α 0 -0004

(0661) (0321)

前期GDPギャップ α 1 0009 前期GDPギャップ α 1

(0338)

前期の金利 λ 1 0748 前期の金利 λ 1 0867

(12691) (15181)

R2 0719 R2 0933

自由度調整済みR2 0710 自由度調整済みR2 0929

標準誤差 0997 標準誤差 0248

DW統計量 2643 DW統計量 2594

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法

によって修正を加えている

表4(1)の全期間を対象とした場合全ての変数が5で有意であるまた1+β の推計値か

ら計算されたβ は全て負となりインフレまたはデフレ促進的な政策が行われていたと解

釈されるGDPギャップについてはα が正であるが係数の値は非常に小さい一方金利

の平準化の程度を示す 1λ の係数は大きい

金本位制離脱以前の推計結果表 4(2)ではGDP ギャップの係数以外が有意である推計

18

された係数の値をみるとこの時期のβ も表 4(1)の全期間を対象とした値とあまり変わ

らないが 1λ はやや小さくなっているこの時期政策策定者は金利を平準化しつつイン

フレを促進するような政策をとっていた可能性がある

後に金本位制離脱以後の推計結果表 4(3)からは 1λ 以外は有意ではない

すなわち全期間を通していえることは金利の平準化の要素が強くまたインフレおよび

デフレを是認あるいは促進的な政策となっていた係数の値はいずれも小さくλの係数

をコイック型のラグと考えてそれぞれの係数を 1(1-λ)倍しても小さい

3拡張テイラールール

31 拡張テイラールールの定式化先行研究データ

これまでの結果は物価については鎮目[2002](図表7)とも共通であり物価を不安

定にする金融政策が行われていたことになるさらに鎮目では GDP ギャップの係数は 31

年までは正であり景気変動抑制的だったが32 年以降は負となり景気変動を拡大する

ような金融政策が行われていたことになる本稿の GDP ギャップの係数も正から負に変わ

っているただしいずれにしろその係数は小さいので景気変動を抑制するように金融

政策が行われていたとは言えない

以上の結果はむしろ戦間期の金融政策は金融政策は国内の経済安定に重点を置い

て物価と景気を見ながら行うべきというテイラールールでは説明することが難しいと解

釈すべきだろうこれは鎮目の結果とも共通しているそこで次に戦間期の金融政策は

経常収支為替レートの安定など対外均衡に重点を置いて行われていたのではないかと

いう常識に従いテイラールールを拡張して金融政策が経常収支や金外貨準備や海外

金利にも影響されて行われていたとする鎮目[2002]はテイラールールに金外貨準

備海外金利経常収支資本収支を加えている月次で資本収支(およびその代理変数)

のデータを得ることはできなかったので我々の推計式は鎮目[2002]を参考に

1 2 3 4 5 6( ) (1 )tar

t t t t t t t t ti r x TB S NYP fori reserveβπ β π α α α α α α ε= minus + + + + + + + + +

(4)

とする

ここで月次の経常収支はデータが得られないため輸出入の差を名目GDPで割った貿易収

支比率TBを使用している(ここで用いている名目GDPは鉱工業生産指数times卸売物価指数で

ある)貿易収支比率は実際の名目GNPで修正している7またSは為替レートの変化率を

7貿易収支比率 TBは具体的には以下である

1928t1928 GNP( ) 100

1928 t GDP( )GDP( ) 1928

tTB = times times

年の貿易収支合計

期の貿易収支年の名目 大川推計

月次貿易収支の 年平均 期の名目 の代理変数

月次名目 の代理変数 の 年平均

19

示しており値が増えるのが円高である8ニューヨーク物価NYPはニューヨークの卸売物価

指数の前年同月変化率()であるforiは外国の市中金利()を示しニューヨーク金利

あるいはロンドン金利のいずれかである貿易収支が赤字に円の為替レートが下落すれ

ば金利は引き締められるニューヨークの物価が下落すれば日本の金融も引き締めざ

るを得ないニューヨークまたはロンドンの金利に追随するしかないと考える正貨

reserveは金本位制であればこれが増大すれば金融を緩和し減少すれば金融を引き締め

ることになる(ただし正貨は21年3月から29年3月までのデータしかない)また正貨は

1924年1月から11月1925年289月のデータが欠損しているので線形補間によってデ

ータを補っている9

符号条件は貿易収支比率為替レート変化率ニューヨーク物価上昇率正貨が負

ニューヨークおよびロンドンの金利が正である

以上で為替レートニューヨーク物価が鎮目[2002]の分析に対し新たに追加した変

数である

ここで新しく追加した変数貿易収支比率と為替レートと名目GDPの代理変数とニュー

ヨーク物価とニューヨーク金利とロンドン金利と正貨準備を図7図8図9に示してお

くここで名目GDP(その代理変数)は鉱工業生産times卸売物価指数である

8第1節と同じように為替レートの水準は 100 円当たりのドルで表しているので変化率

に修正しても値が大きくなると円高を示すことになる 9 また日本銀行調査局『本邦経済統計』では1922 年 11 月の正貨準備高の値が 1386957540円と記載されているが前後月の数値から判断して 1836957540 円の誤記と推測し修正を加

えている

20

図 7 コールレートニューヨーク市中金利ロンドン市中金利

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

200

0

2

4

6

8

10

12

14

16

18

コールレート(右軸) ニューヨーク市中金利(右軸) ロンドン市中金利(右軸)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

図 8 貿易収支比率為替レート変化率名目 GDP(対数値)

0

2

4

6

8

10

12

14

-50

-40

-30

-20

-10

0

10

20

30

貿易収支比率 為替レート変化率 名目GDP

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

21

図 9 正貨準備高ニューヨークインフレ率

0

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

-60

-40

-20

0

20

40

60

正貨(単位億円) ニューヨークインフレ率(卸売り物価指数)

なお追加した説明変数貿易収支比率為替レートニューヨーク物価ニューヨー

ク金利ロンドン金利正貨準備が独立でないという問題があるうちニューヨーク金

利とロンドン金利は同時には入れず他の変数と代替的に入れることとするそれでも

貿易収支比率と為替レートが独立ではないという問題があるかもしれない単純に為替

レートが割安であれば経常収支が黒字に動き割高であれば経常収支が赤字に動くという

メカニズムによって為替レートと経常収支が独立ではないということになる

また為替レート関数の推計において自国と他国の物価マネーサプライ金利生

産に加えて経常収支またはその累積を説明変数に入れるのが通常であることを考えれ

ば当然に問題となるしかし多くの推計で為替レートに対して経常収支またはそ

の累積の説明力はそれほど高くはない10

ちなみに変数間の相関行列を取ると表5のようになる(推計期間は正貨を含む変数間

は 1919 年から 1929 年 3 月それ以外の変数間は 1919 年 1 月 1936 年 12 月まである)貿

易収支比率と為替レートの相関を取ると相関係数は 0029 でありマルチコリニアリティ

10 深尾[1983] (167 頁)は日本の米国に対する 100 億ドルの経常黒字は 64の円高ドル

安要因になるとしているこれは大きな効果だがその後の推計によると経常収支黒字が円高

をもたらす効果は大きくはない河合[1986](第 94 表214 頁)によれば経常収支累積額が

1の上昇は実質為替レートを 0068~0163上昇させるにすぎないその後も同様の推計

がなされているが(経済企画庁[1997]第 1-2-1 図③経済企画庁[1999]付図 1-5-2原田[2004])いずれの推計においても経常収支が為替レートに与える影響は大きなものではない

22

の問題は避けられていると判断できる当時のデータで為替と貿易収支の相関が弱い理

由として金解禁への動きが度々予想されていたので為替レートが貿易など実態経済

の状況にかかわらず高騰していたこともあげられる表 5 から説明変数間で(被説明変

数のコールレートを除く)相関係数の絶対値が 04 以上のものを上げると卸売物価と GDP

ギャップ卸売物価とニューヨーク卸売物価GDP ギャップとニューヨーク卸売物価ニュ

ーヨーク金利とロンドン金利貿易収支比率とコールレートがそうである卸売物価と GDP

ギャップはテイラールールの基本的な説明変数なので両者をともに入れるがニューヨ

ーク金利とロンドン金利については代替的にも推計することとする

表5 拡張テイラールールで使用された変数の相関行列

コールレート

インフレ率GDPギャッ

プ貿易収支比

率為替変化

率NYインフレ

率NY金利

ロンドン金利

正貨準備変化率

コールレート 1000 0222 0293 -0441 -0112 0082 0437 0264 -0113

インフレ率 1000 0437 0046 -0024 0482 0198 -0340 -0005

GDPギャップ 1000 -0056 0205 0605 0246 -0119 0042

貿易収支比率 1000 0029 0189 -0182 -0252 0183

為替変化率 1000 0259 0023 0019 0058

NYインフレ率 1000 -0071 -0378 -0084

NY金利 1000 0649 0291

ロンドン市中金利 1000 0092

正貨準備変化率 1000

32 拡張テイラールールの推計結果

推計期間は貿易収支が入手可能な1926年1月から1936年12月までの全期間と上述の(2)

式と比較するために1931年12月までとそれ以降の期間とする推計結果は表6の通り

である推計については上記3つの推計期間において 小二乗法を行っている新しく追

加した変数貿易収支比率為替レートの変化率ニューヨーク卸売物価上昇率ニュー

ヨーク金利ロンドン金利正貨準備の変化率の単位はである推計に当たっては系

列相関が疑われるためNewey-Westの方法によって標準誤差の修正を行っている

23

表6 拡張テイラールールの推計結果

係数 係数 係数 係数

定数項 r-βπ tar 3155 2980 定数項 r -βπ tar 5780 6596 (10072) (6939) (12603) (13464)

インフレ率 1+β 0008 0027 インフレ率 1+β 0041 0025

(0552) (1600) (1957) (1399)

GDPギャップ α 1 0036 0057 GDPギャップ α 1 0090 0083

(1156) (1798) (2584) (2412)

貿易収支比率 α 2 -0105 -0106 貿易収支比率 α 2 -0053 -0054

(5627) (4937) (2671) (3396)為替変化率 α 3 -0109 -0110 為替変化率 α 3 -0062 -0051

(3782) (3755) (1345) (0998)

NYインフレ率 α 4 0014 0011 NYインフレ率 α 4 0014 0012

(0820) (0645) (0651) (0682)

NY金利 α 5 0212 NY金利 α 5 -0133

(3002) (1599)

ロンドン金利 α 5 0399 ロンドン金利 α 5 -0466

(2870) (3071)R2 0397 0375 R2 0468 0503

自由度調整済みR2 0380 0357 自由度調整済みR2 0447 0483

標準誤差 1520 1548 標準誤差 1375 1329

DW統計量 0568 0531 DW統計量 0700 0794

係数 係数

定数項 r-βπ tar 2703 2617

(6657) (26032)

インフレ率 1+β -0018 -0016

(1920) (2396)

GDPギャップ α 1 -0052 -0059

(2353) (5464)

貿易収支比率 α 2 -0031 0004

(1779) (0381)

為替変化率 α 3 -0007 0028

(0423) (1526)

NYインフレ率 α 4 -0017 -0024

(3808) (5526)

NY金利 α 5 0423

(1421)

ロンドン金利 α 5 0742

(7283)

R2 0797 0899自由度調整済みR2 0774 0887

標準誤差 0443 0313

DW統計量 0757 0925

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とそれぞれの金利だけである

どちらの推計でもこれらの有意な変数は符号条件を満たしているインフレ率とGDPギャ

24

ップは5有意ではなくなり単純テイラールールでも小さかった係数はさらに小さ

くなるこれに対して貿易収支比率の係数は貿易収支比率が10ポイント分マイナス

に動けば1金利を引き上げることであるからある程度貿易収支に反応して金融政策

を行っていたと言えるだろう為替変化率の係数は為替レートが10下落したら金利

を1引き上げることであるからこちらもある程度は為替レートに反応して金融政策を

行っていたとも言えるだろうニューヨーク金利とロンドン金利が1上昇すると国内金

利をそれぞれ0204引き上げるということになっている

1926年1月から1931年12月までの推計ではニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれ

を用いた推計でも5で有意な変数はGDPギャップと貿易収支比率とロンドン金利であ

るがロンドン金利は符号条件を満たしていないGDPギャップは有意であるがその係数

は単純テイラールールの推計と同様に小さい貿易収支比率の係数は貿易収支比率で

10ポイント分赤字が増えれば金利を05引き上げることであるからある程度は貿易

収支に反応して金融政策を行っていたと言えるかもしれない

さらに1932年1月から1936年12月までの推計では物価GDPギャップニューヨーク物

価ロンドン金利が5で有意であるGDPギャップニューヨーク物価は符号条件を満た

していないロンドン金利は符号条件を満たしその係数も074と大きく日本の金融政

策はロンドンに追随して行われていたことになる

金本位制を意識して行われていたときには金融政策は対外均衡に重点を置き金本位

制を離脱した後はロンドンの金利に追随していたことになる日本の金融政策が英国

の金融政策に追随していたことは鎮目[2009]第2章の結果とも整合的である

さらに表7は以上の変数に正貨を追加したものであるデータの制約により1919年1

月から29年3月までしか推計できないのでこれは金本位制を意識して金融政策が行われて

いた期間の金融政策を評価していることになる

25

表7 (3)式の拡張テイラールールの推計結果(正貨準備の変化率追加)

係数 係数定数項 r-βπ tar 5431 7511

(7602) (8642)インフレ率 1+β 0028 0024

(1209) (1264)GDPギャップ α 1 0147 0095

(2352) (1698)貿易収支比率 α 2 -0050 -0034

(2522) (2089)為替変化率 α 3 0016 0097

(0173) (0989)NYインフレ率 α 4 0004 -0004

(0166) (0224)NY金利 α 5 -0071

(0665)ロンドン金利 α 5 -0662

(2795)正貨準備の変化率 α 6 -0071 -0087

(0796) (1138)R2 0410 0471自由度調整済みR2 0374 0438標準誤差 1451 1375DW統計量 0808 0934注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

正貨を追加した推計結果ではGDPギャップ貿易収支比率ロンドン金利が有意である

GDPギャップ貿易収支比率は符号条件を満たしているがロンドン金利は満たしていない

表7の1919年から31年の推計結果に比べてGDPギャップの係数の値は大きくなるが景気

安定化効果が大きかったとまでは言えない貿易収支の係数はほとんど変らず貿易収支

の状況を念頭に入れて政策を行っていたと言えるだろうロンドン金利符号が逆で海外

金利が下がると金利を上げるという結果になっている

以上の結果を鎮目[2002]と比べる鎮目は金外貨準備英国の短期金利経常収支

資本収支をテイラールールの式に追加していずれの変数も有意ではなかったと報告し

ているが本稿では追加した変数のうち貿易収支ニューヨーク金利(特にロンドン

金利)が符号条件を満たして有意になっている場合が多く対外均衡を意識した金融政策

が行われていた可能性を示唆している

33 拡張テイラールールに関する政策反応ラグ

以上の拡張テイラールールの推計では貿易収支比率為替変化率ニューヨークイ

26

ンフレ率ロンドン金利を追加したものが良好な推計結果をもたらしたそこで拡張テ

イラールールに関する政策反応ラグを考慮するために以上の変数に加えて被説明変数

の 1期ラグを追加したものを推計する11結果は表8のようになる

表8 拡張テイラールールの金利ラグ付き推計

係数 係数 係数 係数定数項 r-βπ tar 0623 0565 定数項 r-βπ tar 1806 2223

(3922) (3134) (3861) (3396)インフレ率 1+β -00001 0003 インフレ率 1+β 0012 0007

(0023) (0552) (1190) (0761)GDPギャップ α 1 0019 0023 GDPギャップ α 1 0044 0043

(1589) (1875) (2072) (2007)

貿易収支比率 α 2 -0024 -0023 貿易収支比率 α 2 -0019 -0020

(2312) (2239) (1514) (1767)

為替変化率 α 3 -0026 -0025 為替変化率 α 3 -0048 -0045

(1984) (2069) (1607) (1430)

NYインフレ率 α 4 -0002 -0002 NYインフレ率 α 4 -0004 -0004

(0277) (0388) (0337) (0389)NY金利 α 5 0040 NY金利 α 5 -0044

(1532) (1193)

ロンドン金利 α 5 0075 ロンドン金利 α 5 -0163

(1447) (1703)コールレート1期ラグ 0796 0802 コールレート1期ラグ 0680 0657

(18638) (20579) (9505) (8112)R2 0789 0788 R2 0707 0711自由度調整済みR2 0782 0781 自由度調整済みR2 0693 0697標準誤差 0902 0904 標準誤差 1023 1016DW統計量 2581 2574 DW統計量 2408 2415

係数 係数

定数項 r-βπ tar 0527 0900 (2552) (3391)

インフレ率 1+β -0004 -0005(1594) (1249)

GDPギャップ α 1 -0006 -0014

(1174) (1562)

貿易収支比率 α 2 -0001 0010

(0135) (1064)

為替変化率 α 3 0005 0019

(0542) (1247)

NYインフレ率 α 4 -0003 -0008

(1971) (2116)

NY金利 α 5 -0022

(0557)

ロンドン金利 α 5 0386

(3052)コールレート1期ラグ 0833 0608

(9986) (6019)R2 0934 0957自由度調整済みR2 0925 0951標準誤差 0255 0207DW統計量 2478 2362

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

11 単純テイラールールでは説明変数のラグを加えたがここではあまりにも煩雑になること

と単純テイラールールで被説明変数の 1 期ラグが重要であったことから被説明変数の 1 期

ラグのみを追加した

27

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とコールレートの1期ラグであ

る貿易収支比率と為替変化率のどちらの係数も符号条件を満たしているがコールレー

トの1期ラグがない場合と比べて係数の値は小さくなっているただしこの推計をコイ

ック型と考えて係数の長期の値を(1-コールレートの1期ラグの係数)で除すことによっ

て求めれば1期ラグがない場合の係数よりもかなり大きくなる

1926年1月から1931年12月までの推計ではGDPギャップとコールレートの1期ラグのみが

有意となるGDPギャップの長期係数を求めても値は小さいこの期間では金利を安定的

に維持することに金融政策が使われていたと言えるだろう

1932年1月から1936年12月までの推計では有意なものはロンドン金利とニューヨークイ

ンフレ率とコールレートの1期ラグとなってしまうニューヨークインフレ率は符号条件を

満たしているがその係数は小さいロンドン金利の係数は大きく日本の金融政策はロ

ンドンに追随して行われていたことになる

コールレートの1期ラグを入れるといずれの期の金融政策も金利の平準化の要素が大き

いと判断される金本位制を意識して行われていたときには金融政策はある程度は対外

均衡を考えていたようである金本位制を離脱した後はロンドンの金利を考慮していた

ようである

さらに表9は以上の変数に正貨を追加したものである(データの制約により1919年1

月から29年3月までの推計)これは金本位制を意識して金融政策が行われていた期間の金

融政策を評価していることになる

28

表9 正貨準備高の変化率を加えた場合

係数 係数定数項 r-βπ tar 1723 2771

(3126) (2898)インフレ率 1+β 0004 0005

(0356) (0518)GDPギャップ α 1 0088 0072

(2641) (2442)貿易収支比率 α 2 -0023 -0018

(1664) (1321)為替変化率 α 3 -0025 0008

(0544) (0189)NYインフレ率 α 4 -0007 -0010

(0617) (0924)NY金利 α 5 -0012

(0255)ロンドン金利 α 5 -0239

(1470)正貨準備の変化率 α 6 0001 -0005

(0013) (0079)コールレートの1期ラグ 0644 0603

(7451) (6371) R2 0652 0659自由度調整済みR2 0628 0635標準誤差 1119 1107DW統計量 2450 2452注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

有意なものはGDPギャップとコールレートの1期ラグであるGDPギャップは符号条件

を満たしている長期の係数を取ってもその係数は大きいとは言えない

34 対外均衡と対内均衡

対外均衡に重点を置いた金融政策を行うとは経常収支赤字や為替レート下落や外貨準

備の減少に対して金利を引き上げるというルールに従って金融政策を行うことである

通常であれば金本位制の下で国内がインフレになり競争力を失ったり景気が過熱

して輸入が増大したときには経常収支赤字や為替レート下落や外貨準備の減少が起きる

だろう経常収支の赤字や外貨準備の減少が起きたときには金融を引き締めるというルー

ルは国内がインフレになったり景気が過熱したときには引き締めるというルールでも

あるしたがって対外均衡に重点を置くことが国内均衡を必ず妨げるというわけではな

いこれは逆の場合も真実であるしかし1910 年代日本の経常収支や外貨準備は国

内の景気要因で変化したわけではない第 1 次世界大戦によって外需が増加し経常収支

29

が黒字となり外貨準備が増えた金本位制のルールに従って金融政策は緩和されマ

ネタリーベースは 1919 年 1 月から 1920 年 4 月までに 16 倍に増加した輸出超過の国は

金融緩和することによって輸入超過の国の不況を和らげることができる日本は金本

位制の正しいルールに基づいて金融を緩和しただけであるしかし戦争がおわりその

復興需要もなくなったとき経常収支は赤字となり外貨準備は減少したしかしかつ

て金準備に依存して増大していたマネタリーベースはそのままだった失われた外貨準備

に対してマネタリーベースを減少させなければならなかったしかし23 年までマネタリ

ーベースは増大し続けていた関東大震災という不幸もあってマネタリーベースを減少

させることはできなかったその後25 年まで引き下げていたが27 年には金融恐慌があ

りマネタリーベースを削減することができなかったその後28 年までマネタリーベ

ースはむしろ拡大していた29 年には金本位制復帰を目指してマネタリーベースを急減さ

せるがその結果は激しいデフレと不況だった

そもそも国内要因の変化によらない金準備の増加に対してマネタリーベースを拡大し

たことが誤りだった金本位制からの離脱は1917 年ではなくて欧米諸国が離脱した

1914-15 年になすべきだったそうであれば1910 年代末までのマネタリーベースの急増

はなかっただろうところが実際には金本位制から離脱したにも関わらず1920 年にか

けてマネタリーベースは拡大していた1920 年代からは失われた金準備に対してマネタリ

ーベースを削減することが試みられるようになるしかしそれは関東大震災や金融危機

によって頓挫するむしろマネタリーベースを削減するという試みがデフレと不況をも

たらしそれゆえに不良債権が増大してしまったということではないだろうか

35 小括1‐テイラールールの推計から得られた知見

以上のことから考えて1920 年代から 30 年代にかけては金融政策はインフレまたはデ

フレ促進的な政策を行っていた対外均衡にはある程度考慮した金融政策を行っていたこ

とが分かる

しかし1920 年代には金本位制に復帰するという政策が課題となっていたはずである

20 年代がデフレ促進的また対外均衡にある程度考慮した政策を行っていたことはこの

課題にとっては正しいものだろうしかし現実に採られたデフレ促進策では不十分だっ

た物価は旧平価で金本位制に復帰できるほど下がっていなかったのだからまた32 年

以降の金融政策についてもなぜ 32 年から急速な回復ができたのかそれと金融政策とは

どのよう関係しているかは分析できていない

これについて飯田岡田[2004]は昭和恐慌からの回復はデフレ脱却による実質金利

の下落が重要であって名目金利の低下は重要でなかったと分析しているこれによれば

名目金利の変化で金融政策の変化を見ることはできないことになるしたがって名目金

利の変化に着目するテイラールールでは31 年 12 月以降の高橋是清蔵相の金融政策の意

味を理解できないことになる

30

また金融政策が物価および景気安定を意図していなかったら何を意図していたのだ

ろうか本稿での結論は為替レートや経常収支に視点を置いた対外均衡を意識していた

ということになる

いずれにしろテイラールールだけでは戦前期の金融政策を十分には理解できない

ことになるそこで戦前期の金融政策を別の方法で評価してみよう

4マッカラムルールによる金融政策の評価

41 マッカラムルールの意味と定式化とデータ

以下ではマッカラムルールで戦間期の金融政策を評価することにするマッカラム

ルールを用いて金融政策の在り方を判断した研究としてはマッカラム自身の分析を始め

として多くのものがある(例えばMcCallum[1987][1988]マッカラム[1997]第 15 章)

日本のデータを用いたものにおいても McCallum[1987]岡田飯田[2004]などがあるし

かし日本の戦前期についてはおそらく安達[2006](第7章)しかないと思われる安

達は年データを用い目標値として設定された名目 GNP 成長率(5と設定している)

を達成するためのマネタリーベースを求め現実のマネタリーベースの成長率が 1936 年ま

で過小でそれ以降過大であることを示している本稿では月次データを用いているので

期間ごとの金融政策の在り方も検討することができる

マッカラムルールとはマネタリーベースの成長率を名目GDPの望ましい成長率に

依存させるルールである(McCallum[1987]マッカラム[1997]第 15 章)しかし貨幣の

流通速度 vは変化するので貨幣の流通速度の変化に応じてマネタリーベース bの動きを調

整することが必要となるこのようなルールはbvなどを対数値として望ましいマネタ

リーベースの成長率⊿bをマネタリーベースの流通速度Δvに応じて変化させるというルー

ルであるただしvは景気変動によって大きく変動しているのでそれが技術的な変化と

見なせる 2 年間の平均値 tvΔ であるとする12すなわちマッカラムルールに基づくマネタ

リーベースの成長率とは

tbΔ =マネタリーベースの望ましい成長率- tvΔ

であるここでマネタリーベースの望ましい成長率はサンプル期間(1919 年 1 月から 1933

年 12 月まで)のマネタリーベースの平均成長率とする13マッカラムはマネタリーベース

の望ましい成長率を名目 GDP の成長率としているがここではまずこの期間の経済を再現

することを目的としているので現実のマネタリーベースの成長率を採用したマネタリ

12 マッカラム(1997)第 15 章では流通速度として 4年平均を使用しているが本稿ではサンプル

期間が短いため 2年平均としている 13 サンプル期間は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月であるがマネタリーベースの流通速度の平

均値作成のため 初の 24 か月が失うのでここで計算された望ましいマネタリーベースの成長

率は 1921 年 1 月から 1933 年 12 月までの平均となっている

31

ーベースの動きを図 10 に示しているマネタリーベースは季節性が強いので季調値も図示

しているなお前述のように戦前期の月次名目 GDP のデータは存在しないのでIIP に

卸売物価を掛けたものを名目 GDP の代理変数とする(ここで使うデータの定義と出所は前

掲の表1にある)

図 10 マネタリーベース(原数値と季節調整値)の動き

0

50000

100000

150000

200000

250000

19191

19197

19201

19207

19211

19217

19221

19227

19231

19237

19241

19247

19251

19257

19261

19267

19271

19277

19281

19287

19291

19297

19301

19307

19311

19317

19321

19327

19331

19337

観察されたベースマネー(単位万円) 季節調整済マネタリーベース(単位万円)

作成されたマネタリーベースの成長率は1919 年 1 月から 33 年 12 月までで年率 12

月次では 01となるすなわち

tbΔ =0001- tvΔ

ここで考察する期間を 1919 年 1 月から 33 年 12 月までとしたのは34 年以降の GDP の伸び

が大きすぎトレンドの作成において歪みを生じさせるからであるまた33 年は昭和恐

慌から脱却し経済が安定していた時期でもある

さらに名目 GDP が何らかのショックによって平均的な成長経路よりも上回った時に

はマネタリーベースの伸び率を低下させるようなルール(下回った場合は逆)を導入し

ようすなわち

tbΔ =0001-

1 1( )t t tv y yλ minus minusΔ + minus

32

となるただし目標値

1ty minus は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月までの月次平均成長率 04

成長経路での名目 GDP の対数値であるまたマッカラムによればλは四半期データで 025

が望ましいとされているがここでは月次データを使用しているのでとりあえず 12 分の 1

とすることを考えたがこの期間の名目 GDP は戦後の日米名目 GDP のデータより大きく変

動しているのでさらに小さくする必要があるマッカラムも「λの値を選択する場合

もし間違えるとすれば小さな値を採るほうがよい」(マッカラム[1997]308 頁)としている

そこでλは 36 分の1とした 終的なルールは

tbΔ =0001-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (5)

となる

マッカラムは望ましいインフレ率をゼロとするマネタリールールを求めているがこ

こでは実際には大きく変動したマネタリーベースを安定的に動かしていたらどうなったか

を考えることにしているので名目 GDP の動きは現実のものを使いルールにもとづくマ

ネタリーベースと実際のマネタリーベースをまず比較することにする

次に名目 GDP の決定に関する次のようなモデルを 小二乗法により推計する結果は

1 1 2 3

2

0004 0295 0053 0110 0106 0071 - 0069 23- 0046 27(1596) (3634) (1054) (1404) (2300) (1831) (6731)

R 0109 SE=0029 BG(24)=33227

(1822) t t t t t t ty y b b b b dummy dummy eminus minus minus minusΔ = + Δ + Δ + Δ + Δ + Δ +

=

(6)

となる14但し yΔ は名目 GDP の変化率 bΔ はマネタリーベースの成長率dummy23 は関東

大震災の時の一時的な変動をとらえるために 1923 年 9 月を 1それ以外を 0 としたダミー

変数dummy27 は金融恐慌時の一時的な変動をとらえるために 1927 年 4 月 5 月を 1それ

以外を 0としたダミー変数サンプル期間は推計に使用する変数が全て揃う 1921 年 1 月か

ら 1933 年 12 月までまたここでの残差 te は攪乱項の推定値2R SE BG(p) はそれぞれ

自由度修正済み決定係数攪乱項の標準誤差p 次の Breuch-Godfrey テストのχ二乗統計

量( )内は Newey-West の方法により修正した t値を示している15

ここで当時マッカラムルールなどという議論がなかったのだからこのような分

14 ここでは bΔ は現実のマネタリーベースの成長率を使用して推計を行っている 15 研究の対象期間は 1919 年 1 月からであるが平均流通速度 tvΔ の計算のために 初の 24 ヶ

月分が使用できないそのため他のシミュレーションの対象期間と整合性を保つため 1921 年 1

月からとしているまたこの推計式にはラグ付き内生変数を含むためダービンワトソンテスト

ではなく Breush-Godfrey テストを報告しているこの Breush-Godfrey テストから系列相関が疑

われるためNewey-West の方法により標準誤差を修正している

33

析は意味がないという批判があるかもしれないがこれにはテイラールールの節で述べ

たのと同じ反論が可能であるマッカラムルールとは名目 GDP が上昇しすぎたら(そ

のときには景気が過熱するかインフレが高進していると考えられる)マネーを縮小し

名目 GDP が下降しすぎたら(そのときは景気が悪化するかデフレになっている)マネーを

拡大するという素朴なルールである当時このようなルールが意識されていなかったと

は考え難い

42 長期的な経済を再現するシミュレーション

まずマッカラムルールによって現実の長期的な経済の経路を再現してみようルー

ルにもとづくマネタリーベースと実際のマネタリーベースのレベルと成長率とを図

11(1)(2)に示す

政策ルール(5)式が実施された場合の名目 GDP(の代理変数)の動きを見るために(5)式

から得られる理論値 tbΔ (6)式の残差 te 初期値 1ty minusΔ に目標 GDP

1ty minusΔ を代入してマ

ッカラムルールに従った場合の名目 GDP y の系列を求める現実の xとマネタリーベース

のルールに従った場合の y の系列を比べてみたのが図 11-(3)である図 11-(3)からマ

ネタリーベースのルールに従った場合の y の系列が安定していることが分かるこのよう

に安定的な名目 GDP の系列を得るためには第 1 次世界大戦後の金融引締めが過大で20

年代初期の金融緩和が過大30 年の金融引締めが過大だったと判断される

図 11 マッカラムルール

(1)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

34

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT MBDOT

注)BDOT はマッカラムルールの下でのマネタリーべースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(2)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

35

100000

120000

140000

160000

180000

200000

220000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC MB_SA

注)MB_SA はマネタリーベース(季節調整済)の現実値

B_MC はマッカラムルールに従った場合のマネタリーベース水準

またマッカラムルールの下でのマネタリーベースの初期値は現実値を使用

単位は万円

(3)マッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

36

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULE XSTAR X

注)GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

43 物価を下落させるシミュレーション

以上の結果はマネタリーベースの伸びを安定的にしていれば経済変動はより少なく

なっていただろうということを示しているしかしもし第 1 次世界大戦前の旧平価で金

本位制に復帰することが目的であったとしたら1節で述べたように物価を 3 割下げな

ければならない名目 GDP(その代理変数)は実質 GDP の変化がないとして1919 年 12

月から 29 年 12 月までに 3割下がらなければならない

そこで名目 GDP(その代理変数) y は現実の値よりも毎月 03ずつ低下しなければ

ならないので(5)式の定数項 0001 から 0003 を引いて-0002 とするすなわち

tbΔ =-0002-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (7)

とならなければならないここでの系列 y も実際の値から毎月 03ずつ引き下げたも

のを使っているつぎに(7)式の bを(6)式に入れると図 12 のようになる図に見られるよ

うに名目 GDP は安定しかつ小さくなっているすなわち物価が 3 割下落していること

が分かる

37

図 12 物価を下落させた場合

(1) 名目 GDP の目標値とマッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULEXSTAR

XGDP3_RULE

XSTAR_3

注) GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

GDP3_RULE は物価を 3割下げたマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR_3 は物価を 3割下げた場合の目標となる名目 GDP(対数値)

38

(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

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  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 8: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

7

されている(石橋[1929])1922 年ごろになると物価調整の見地から金解禁論が唱えられる

ようになった物価が第 1 次大戦の水準に比べると倍になっておりアメリカの物価に

比べても 4 割高い水準にあったこの割高の水準を金解禁通貨収縮のメカニズムによっ

て是正せよというのである確かに加藤友三郎内閣(22-23 年)は通貨縮小物価引き

下げの意志を示してはいたしかしその動きは 23 年 9 月の関東大震災によって葬られた

1925 年のイギリスの金解禁によって再び金解禁の動きが盛り上がったが当時の浜

口蔵相の発言によれば財界の整理安定を図り外国貿易の逆調を制し国際貸借を改善

しその結果として金解禁すると述べている(浜口雄幸「金融制度の整備と国際貸借につ

いて」(『銀行通信録』第 81 巻第 484 号1926 年 5 月 8日引用は日本銀行[1983]148 頁)

これは 22 年ごろの金解禁論とは政策の因果関係を逆にするものだっただが27 年の金融

恐慌により金解禁への動きはまったく頓挫したしかし 29 年になると財界においても金

解禁を求める声が高まり新たに政権についた浜口民政党内閣の下で金解禁が実施され

ることになるただしこの金解禁を行うための準備について当時日銀副総裁であった

深井英五は金解禁が不景気を忍ばなければならないことを大衆に理解させていたかに疑

問を呈している(深井英五『回顧七十年』岩波書店1941 年242-243 頁)

以上概括してみれば金本位制へ復帰しようという動きはあったが19 年から 29 年に

かけて 9 代の交代を経験した内閣を通じて金解禁とは通貨の収縮によって不況をもた

らし物価を引き下げることであるという理解の下に一貫した政策が行われていたとは信じ

がたいただし金解禁への動きが度々予想されていたので旧平価での金解禁の実施を

予想して為替が上昇しており(1923 年から 27 年にかけて為替は下落していたがそれ以外

はほぼ旧平価の水準にあった)それを通じて経済にデフレ圧力が現れていたのが 1920 年

代の経済と解釈できるだろう

ここで私たちの分析に戻ってまずテイラールールの分析から始めたい

2テイラールールによる金融政策の評価

21 テイラールールの意味と定式化

テイラールールとはGDP ギャップと現実のインフレ率と目標インフレ率の差に対して

金利をどの程度動かすべきかという金融政策について Taylor[1993]が提唱したルールであ

る金融政策当局が現実にどのように金融政策を行っているかを表すものとして様々に

実証されている日本における実証としては地主黒木宮尾[2001]などがあるが戦前

期の金融政策に適応したのは鎮目[2002]のみと思われる

テイラールールとは以下の式で表わされるものである

( )tart t t t ti x rπ α β π π= + + minus + (1)

8

この式においてiは政策金利π はインフレ率xは GDP ギャップπtarは目標インフレ

率rは均衡実質利子率を表しているテイラールールは(1)式に示されるように政

策金利の決定を物価と景気(GDP ギャップ)を睨みながら行われていることについてのルー

ルであるすなわちGDP ギャップが正の方向に動けば(景気が良くなれば)金利を引上げ

(αはプラス)インフレ率が目標インフレ率よりも高まれば金利を引き上げる(βはプラ

ス)というルールであるここでは目標インフレ率も均衡実質金利も分からないので

(1)式を変形して

( ) (1 )tart t t ti r xβπ β π α ε= minus + + + + (2)

を推計するここでベータが1以上であれば物価が望ましい水準よりも高くなれば物

価上昇率以上に金利を上げて物価上昇を抑えるというルールを適用していることになる

このような推計を行うことについて当時テイラールールなどという概念がなかった

のだから意味がないという批判があるかもしれない(これは3のマッカラムルールに

ついても当てはまる)しかしテイラールールとは景気が過熱するかインフレが高進

したら金利を引き上げ景気が悪化するかデフレになったら金利を引き下げるという素朴

なルールでありこのような考えは当時も広範に理解されていたと思われる在野のエコ

ノミストとして活躍していた高橋亀吉は「金利政策とはhellip物価が思惑的に騰貴し過ぎ又

は企業が投機的に濫設せられる惧れありと見ればこれを抑え物価が恐慌的に下落し過ぎ

たと見れば金利を引き下げて其の下げ足を止めるの類である」と書いている(高橋

[1929]190 頁)また日本銀行の要職を歴任していた深井英五(1918 年日本銀行理事1928

年日本銀行副総裁1935-36 年日本銀行総裁1937 年貴族院議員1938 年枢密顧問官)も

「(通貨調節の趣旨は)通貨の数量の過不足より来る通貨の価値の変動を防ぎなるべくそ

の安定を図ることhellip所謂景気の変動を緩和しその循環を成るべく円滑にすること」と

書いている(深井[1928]467 頁)(ただし両者とも上記の考えを実践する上での難しさ

は認めている)したがって素朴な意味のテイラールールは常識として理解されていた

と言ってよく当時の金融政策をテイラールールによって評価することは意味があると

考えられる3

22 戦前期のテイラールールについての先行研究

戦前期のテイラールールを推計した研究としては既に鎮目[2002]がある鎮目は

戦間期日本の経済変動に対して金融政策がどのように反応してきたかをテイラールー

ルを用いて分析しているこの分析によればこの間の日本の金融政策は(1)インフレ率

3 本稿の目的は日本銀行の行動を評価することではない当時日銀は政府から独立しておら

ず日銀の政策を単独で評価することは意味がない本稿で評価するのは総体として金融政策

を形作った日本銀行大蔵省政治家等当時のエリートたちが総体として行った政策である

9

の関係で見ると経済変動を増幅させる方向で働いてきたこと(2 金融政策は金本位制

という通貨体制と密接に関係しており国内経済の安定を犠牲にして為替レート目標を追

求してきたことを示しているさらに(3)1931 年の金本位制離脱後国内経済の安定に繋が

る金融政策が可能であったにも関わらずそのような金融政策運営が行われていたとは言

えないことを示している

私たちも戦間期の金融政策について昭和恐慌前後の時期に焦点を当てて分析を続

けてきた(原田中澤[2004]原田[2005]原田佐藤中澤[2008])鎮目の分析は年

次データを用いているので戦間期全体の金融政策を分析できるが昭和恐慌前後ある

いは第 1 次大戦直後など特定の時期に焦点を置いた分析とはなっていないそこで私

たちは月次データを用いることで特定の時期に焦点を置いた分析が可能になるとと考

えたまた鎮目は金本位制という通貨体制を問題にしながら為替レートを説明変数

に入れていないこれも私たちがさらなる分析が必要と判断した理由である

23 データの説明

戦間期の経済データは主に日本銀行「本邦経済統計」東洋経済新報社『経済統計年鑑』

大蔵省「大蔵省年報」一橋大学経済研究所日本経済統計文献センター統計資料シリーズ『景

気指数1888~1940 年』などから得ることができるここで用いるデータは1926 年 1 月

から 1936 年 12 月までのコールレート卸売物価指数鉱工業生産指数為替レート貿

易収支でありこれらの定義と出所を表1に整理しておく(ここで3のマッカラムル

ールの推計で用いるデータについても定義と出所を示しておく)

表 1 使用データ(月次)の出所

変数名 出所

コールレート 日本銀行『本邦経済統計』

鉱工業生産指数 東洋経済新報社『経済統計年鑑』各年版

卸売物価指数

藤野正三郎五十嵐副夫『景気指数1888~1940 年』一橋大

学経済研究所日本経済統計文献センター統計資料シリーズ

No2

為替レート 日本銀行「本邦経済統計」外国為替相場(横浜正金銀行建値)

ニューヨーク電信平均

貿易収支 輸出-輸入大蔵省「大蔵省年報」各年版

マネタリーベース

大蔵省理財局編『金融事項参考書』日本評論社(日本銀行兌換

券差引流通残高と日本銀行預金貸出金残高表「一般預金」の和)

及び 藤野五十嵐前掲書

10

現金通貨 藤野五十嵐前掲書

ニューヨーク卸売物価 日本銀行調査局『外国経済統計』

ニューヨーク市中金利 日本銀行調査局『外国経済統計』

ロンドン市中金利 日本銀行調査局『外国経済統計』

正貨準備高 日本銀行調査局『本邦経済統計』

これらのデータはなじみのないものであるのでそのグラフを図3図4に示しておく

鉱工業生産指数は 1930 年 1 月を 100 としているコールレートおよび卸売物価指数による

インフレ率(前年同期比)の単位は為替レートは 100 円当たりの 1 ドル価格貿易収支

は 100 万円単位であるまた鉱工業生産指数卸売物価指数および貿易収支を構成する輸

出と輸入は X12-ARIMA によって季節調整を行っている貿易収支は輸出輸入を季節調整

して差を取ったものである

図 3 使用データ(月次)のグラフ鉱工業指数貿易収支為替レート

-16E+08

-14E+08

-12E+08

-1E+08

-8000000

-6000000

-4000000

-2000000

0

20000000

40000000

60000000

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

200

貿易収支 鉱工業生産指数 為替レート

注)鉱工業生産指数と為替レート(ドル100円)は左軸貿易収支は右軸

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

11

図 4 使用データ(月次)のグラフインフレ率コールレート

0

2

4

6

8

10

12

-100

-50

0

50

100

150

200

1919M01

1919M05

1919M09

1920M01

1920M05

1920M09

1921M01

1921M05

1921M09

1922M01

1922M05

1922M09

1923M01

1923M05

1923M09

1924M01

1924M05

1924M09

1925M01

1925M05

1925M09

1926M01

1926M05

1926M09

1927M01

1927M05

1927M09

1928M01

1928M05

1928M09

1929M01

1929M05

1929M09

1930M01

1930M05

1930M09

1931M01

1931M05

1931M09

1932M01

1932M05

1932M09

1933M01

1933M05

1933M09

1934M01

1934M05

1934M09

1935M01

1935M05

1935M09

1936M01

1936M05

1936M09

卸売物価指数(前年同期比左軸) コールレート(右軸単位)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

本稿の目的であるテイラールールの推計では説明変数として GDP ギャップを用いる

がGDP は月次データでは入手できないのでここではGDP 1hp

IIPIIP

= minusギャップ を鉱工業

生産指数 IIP と IIPhpはのギャップで作成しているIIPhpは「潜在 GDP」の代理変数である

「潜在生産指数」で表わしており鉱工業生産指数に HP フィルター(Hodrick-Prescott

filter)をかけることによって作成した4作成した GDP ギャップは図5である

この GDP ギャップが実態と合っているかを考察するためにここで作成された GDP ギャ

ップの動きと藤野[1965](第 2-3 表)の認定した景気循環クロノロジーと比較してみる

藤野によれば1915 年 2-3 月~1920 年 1-2 月が拡張期21 年 5 月までが縮小期29 年 2

月までが拡大期31 年 7 月までが縮小期それ以降が拡大期となっているまた良く知

4 本稿では潜在 GDP 作成に際しHodrick and Prescott [1997以降 HP フィルターと呼ぶ]に

よるフィルタリング関数のスムージングパラメータλ=1166400 を選択してトレンドを抽出し

ているここでは報告されていないがHP フィルターのλ=12960014400移動平均のラグと

リードに関して対称な加重を計算するフィルタリング関数をもつ Baxter and King[1999]およ

び移動平均の加重に関して非対称な加重を許す Christiano and Fitzgerald [2003CF フィルタ

ー]を用いて比較検討しているCF フィルターでは季節調整済みの IIP 系列が単位根過程に従

っているためChristiano and Fitzgerald[1999]に従って平均なしトレンドなしドリフ

トなし平均トレンドドリフト全てなしの 4種類を使用して検討を行っている 終的に藤

野[1965]の景気循環周期と整合的になるように HP フィルターのλ=1166400 を選択したこれら

の結果を入手したい場合は筆者に連絡されたい

12

られているように20 年には第 1次世界大戦の終結による国際的経済反動があり23 年に

は関東大震災があり27 年には金融恐慌があった作成した GDP ギャップはこれらの変

動を基本的には捉えていると言えるだろう

さらに失業率の動きを前掲の図5に示す(失業率は内務省社会局社会部職業課「失業

状況推定月報概要」による)図に見るように失業率のデータがあるのは 1931 年 1 月か

ら 33 年 12 月までであるがその間の GDP ギャップと失業率の動きは正負逆でGDP ギャッ

プの変動が大きいという問題はあるがほぼ同じように動きをしているまた失業率の

動きが GDP ギャップの動きに遅れていることも雇用が景気の遅行指標であるという今日

の常識に照らして合理的であるしたがってHP フィルターで作成した潜在生産指数およ

び GDP ギャップも景気変動を反映した適切なもの判断できるだろう

図 5 使用データ(月次)のグラフGDP ギャップ

0

01

02

03

04

05

06

07

08

09

1

-20

-15

-10

-5

0

5

10

15

20

GDPギャップ lambda=1166400 藤野(1965)の景気後退期 失業率(単位)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

24 テイラールールの推計

241 推計結果

(2)式の推計結果は表2の通りである推計期間は全サンプルがそろう 1919 年 1 月か

ら 1936 年 12 月である36 年を終わりとしたのはそれ以降は軍の圧力によって政策が行

われ金融政策の自立的な動きを議論することはできないと考えたからである推計方法

は 小二乗法を使用しているなおダービンワトソン統計量からは系列相関が疑われるた

13

め 小二乗推定量が有効性を持たない可能性があるので標準誤差を Newey-West の方

法によって修正を加えて t検定を行っている5

推計結果の解釈としては1 β+ の推計値 0016 からβ は-0984 でありインフレ率が

目標インフレ率よりも高まれば金利を引き下げ逆にインフレ率が目標インフレ率よりも

低ければ金利を引き上げるという物価を不安定にするデフレ的な金融政策を採用していた

ことになる(インフレの時はインフレ促進的になる)ましてβはほぼマイナス1である

のでかなりインフレまたはデフレ促進的な金融政策を行っていたことになるこれを現

実の経済情勢に当てはめれば20 年代のデフレ期ではデフレ促進的な金融政策を行い30

年代のインフレ期ではインフレ促進的な金融政策を行っていたことになるただしこの

係数は 10レベルでも有意ではない

なお物価を下落させることを目標としてもデフレ促進的でなく長期的な目標をも

ってテイラールールに基づいて物価を下落させることができることを念のために指摘し

ておくすなわち物価上昇率の目標レベルを低くすれば目標より物価が上ったときは

引締め下がったときは緩めるという物価安定的でかつ長期的に物価を下落させる方法

は可能でありまたその方が望ましいだろう

一方α は 0108 なので GDP ギャップが正のとき金利を引き上げる景気安定的な政策を

とっていたことになるただしα は 10で有意であるが係数が小さいので(GDP ギャ

ップがマイナス 10でも金利を108下げるだけ)景気安定化効果が大きかったとは言え

ないだろう

表 2 (2)式のテイラールールの推計結果

係数

定数項 r -βπ tar 4669

(17711)インフレ率 1+β 0016

(0823)GDPギャップ α 0108

(1679)R2 0085自由度調整済みR2 0077標準誤差 1855DW統計量 0258

注)( )内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

全期間1919年1月~1936年12月

5 本稿には載せていないがここでは 尤法による推計も行っている 尤法による推計では誤

差項に正規分布を仮定した場合 小二乗推定値とほぼ等しい推定値でかつ漸近的 t値からが

1 β+ が 10αが 1で有意であることが確認されている

14

さらにサンプル期間を1930 年の昭和恐慌期を含む期間と含まない期間に分けて推計を

行う具体的には1919 年 1 月から 1931 年 12 月までと1932 年 1 月以降から 1936 年 12

月までの 2 期間に分割して(2)式の推計を行う金融政策は1931 年 12 月以前は金本位制

への復帰を求めていたがそれ以降は金本位制を離脱し金本位制に制約されることがな

くなったと考えての分割である(金本位制からの離脱は 31 年 12 月正式には 32 年 1 月)

推計結果は表 3 に示しているここでも標準誤差を Newey-West の方法によって修正して

いる

表 3 期間分割後のテイラールールの推計結果

係数 係数

定数項 r -βπ tar 5450 定数項 r-βπ tar 3113

(22627) (10790)インフレ率 1+β 0057 インフレ率 1+β -0009

(3877) (0644)GDPギャップ α 0061 GDPギャップ α -0182

(0898) (2307)R2 0313 R2 0175自由度調整済みR2 0304 自由度調整済みR2 0146標準誤差 1542 標準誤差 0862DW統計量 0475 DW統計量 0241

注)( )内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1931年12月 (2)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

推計結果表3-(1)を見ると1919年1月から1931年12月において(1+β)が1で有意であ

あるまた値は00567でありこれから1を引くとβ =-0943となる (1)式から考える

と物価が目標インフレ率以上に上昇したときには政策金利をほぼ物価上昇率と同じだ

け引き下げるという政策を行っていることがわかるこの期間はほぼ物価が下落してい

たのでデフレ促進的な政策を採っていたことになる

GDP ギャップに関しては有意ではないがギャップが1ポイント縮小すると政策金利

を 0061引き上げるすなわち景気が拡大したときには政策金利を引き上げるという景

気変動抑制的な政策が行われていたことがわかるもちろんその係数は小さいので実

際にどれだけそのような効果があったかは分からない

表3-(2)で1932年1月から1936年12月の推計結果をみる物価の係数(1+β)-0009か

ら1を引くと-1009となり物価が上ると金利を引き下げるという政策をとっていたこ

とが分かるこの期間は物価が回復または上昇していた時期であるのでインフレ促進的

な政策を行っていることがわかる

GDP ギャップに関しては 5で有意でありギャップが1ポイント縮小すると政策金

利を 0182 引き下げるという景気変動拡大的な政策が行われていたことがわかるただし

15

その係数は小さいので効果も小さかったと思われる

これらの結果を鎮目[2002]と比べるとインフレ促進的またデフレ促進的な政策が行

われていたということについては共通しているGDP ギャップについて 32 年以降マイナス

になるというのも鎮目と共通であるただし本稿の推計した係数値は鎮目に比べてき

わめて小さい

242 区間分けについての確認

これまでの期間分割は暫定的なものであったこの区間分割が合理的なものであるかを

どうかを確認するために逐次回帰法(recursive least squares)を行った結果が図6で

ある6

図6で 1+βαの動きをみると30 年以降に大きく動いておりこの期間分けは合理的

なものだったと分かる

図 6 逐次回帰推計

-08

-04

00

04

08

12

16

1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1934 1936-1

0

1

2

3

4

1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1934 1936

25 政策反応までのラグ

これまでの分析は当期の物価景気貿易収支為替が金融政策に影響を及ぼすとし

ていたしかし為替はともかく物価景気貿易収支については認知のラグがあり

また経済情勢を慎重に見極めながら政策を行っていると考えられるそこでここでは次

のようなモデルについて推計を行うことにする

6 ここで使用した逐次回帰法は推計期間として 1から説明変数の個数より大きいサンプル数を

選び係数を推計し次は 終期を 1期追加して係数を推計といった手順を繰り返す手法である

詳しくは森棟(1999)4 章を参照のこと

1+β α

16

1 1

1 1

0 0

( ) (1 )tart p t p q t q t t

p q

i r x iβπ β π α λ εminus minus minus= =

= minus + + + + +sum sum (3)

ここでは p=0 q=0 のケースp=0 q=1 のケースp=1 q=0 のケースp=1 q=1 の

ケースについて推計を行った結果自由度修正済み決定係数および赤池情報基準によって

モデルを選択すると全期間を対象とした場合は p=1q=0金本位離脱以前を対象期間に

した場合では p=q=1金本位離脱以降を対象とした場合では p=0 q=0 が選択されるした

がってここでは各期間において選択されたラグ(pq)に従って推計を行うスペースの節約

のため選択されたモデルの結果のみを表4に示す推計方法は 小二乗法を使用して

いる

17

表4 政策反応までのラグ

(1)全期間1919年1月~36年12月

(p=1q=0)

係数

定数項 r-βπ tar 0612

(3895)

当期インフレ率 (1+β )0 0042

(2220)

前期インフレ率 (1+β )1 -0047

(2463)

当期GDPギャップ α 0 0042

(2436)

前期の金利 λ 1 0867

(28290)

R2 0789

自由度調整済みR2 0785標準誤差 0895

DW統計量 2756

(2) 金本意離脱前1919年1月~31年12月(3) 金本意離脱後1932年1月~19年12月

(p=1q=1) (p=0q=0)

係数 係数

定数項 r-βπ tar 1392 定数項 r -βπ tar 0364 (3907) (2348)

当期インフレ率 (1+β )0 0076 当期インフレ率 (1+β ) -0002

(3149) (1048)

前期インフレ率 (1+β )1 -0066 前期インフレ率 (1+β )1

(2682)

当期GDPギャップ α 0 0022 当期GDPギャップ α 0 -0004

(0661) (0321)

前期GDPギャップ α 1 0009 前期GDPギャップ α 1

(0338)

前期の金利 λ 1 0748 前期の金利 λ 1 0867

(12691) (15181)

R2 0719 R2 0933

自由度調整済みR2 0710 自由度調整済みR2 0929

標準誤差 0997 標準誤差 0248

DW統計量 2643 DW統計量 2594

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法

によって修正を加えている

表4(1)の全期間を対象とした場合全ての変数が5で有意であるまた1+β の推計値か

ら計算されたβ は全て負となりインフレまたはデフレ促進的な政策が行われていたと解

釈されるGDPギャップについてはα が正であるが係数の値は非常に小さい一方金利

の平準化の程度を示す 1λ の係数は大きい

金本位制離脱以前の推計結果表 4(2)ではGDP ギャップの係数以外が有意である推計

18

された係数の値をみるとこの時期のβ も表 4(1)の全期間を対象とした値とあまり変わ

らないが 1λ はやや小さくなっているこの時期政策策定者は金利を平準化しつつイン

フレを促進するような政策をとっていた可能性がある

後に金本位制離脱以後の推計結果表 4(3)からは 1λ 以外は有意ではない

すなわち全期間を通していえることは金利の平準化の要素が強くまたインフレおよび

デフレを是認あるいは促進的な政策となっていた係数の値はいずれも小さくλの係数

をコイック型のラグと考えてそれぞれの係数を 1(1-λ)倍しても小さい

3拡張テイラールール

31 拡張テイラールールの定式化先行研究データ

これまでの結果は物価については鎮目[2002](図表7)とも共通であり物価を不安

定にする金融政策が行われていたことになるさらに鎮目では GDP ギャップの係数は 31

年までは正であり景気変動抑制的だったが32 年以降は負となり景気変動を拡大する

ような金融政策が行われていたことになる本稿の GDP ギャップの係数も正から負に変わ

っているただしいずれにしろその係数は小さいので景気変動を抑制するように金融

政策が行われていたとは言えない

以上の結果はむしろ戦間期の金融政策は金融政策は国内の経済安定に重点を置い

て物価と景気を見ながら行うべきというテイラールールでは説明することが難しいと解

釈すべきだろうこれは鎮目の結果とも共通しているそこで次に戦間期の金融政策は

経常収支為替レートの安定など対外均衡に重点を置いて行われていたのではないかと

いう常識に従いテイラールールを拡張して金融政策が経常収支や金外貨準備や海外

金利にも影響されて行われていたとする鎮目[2002]はテイラールールに金外貨準

備海外金利経常収支資本収支を加えている月次で資本収支(およびその代理変数)

のデータを得ることはできなかったので我々の推計式は鎮目[2002]を参考に

1 2 3 4 5 6( ) (1 )tar

t t t t t t t t ti r x TB S NYP fori reserveβπ β π α α α α α α ε= minus + + + + + + + + +

(4)

とする

ここで月次の経常収支はデータが得られないため輸出入の差を名目GDPで割った貿易収

支比率TBを使用している(ここで用いている名目GDPは鉱工業生産指数times卸売物価指数で

ある)貿易収支比率は実際の名目GNPで修正している7またSは為替レートの変化率を

7貿易収支比率 TBは具体的には以下である

1928t1928 GNP( ) 100

1928 t GDP( )GDP( ) 1928

tTB = times times

年の貿易収支合計

期の貿易収支年の名目 大川推計

月次貿易収支の 年平均 期の名目 の代理変数

月次名目 の代理変数 の 年平均

19

示しており値が増えるのが円高である8ニューヨーク物価NYPはニューヨークの卸売物価

指数の前年同月変化率()であるforiは外国の市中金利()を示しニューヨーク金利

あるいはロンドン金利のいずれかである貿易収支が赤字に円の為替レートが下落すれ

ば金利は引き締められるニューヨークの物価が下落すれば日本の金融も引き締めざ

るを得ないニューヨークまたはロンドンの金利に追随するしかないと考える正貨

reserveは金本位制であればこれが増大すれば金融を緩和し減少すれば金融を引き締め

ることになる(ただし正貨は21年3月から29年3月までのデータしかない)また正貨は

1924年1月から11月1925年289月のデータが欠損しているので線形補間によってデ

ータを補っている9

符号条件は貿易収支比率為替レート変化率ニューヨーク物価上昇率正貨が負

ニューヨークおよびロンドンの金利が正である

以上で為替レートニューヨーク物価が鎮目[2002]の分析に対し新たに追加した変

数である

ここで新しく追加した変数貿易収支比率と為替レートと名目GDPの代理変数とニュー

ヨーク物価とニューヨーク金利とロンドン金利と正貨準備を図7図8図9に示してお

くここで名目GDP(その代理変数)は鉱工業生産times卸売物価指数である

8第1節と同じように為替レートの水準は 100 円当たりのドルで表しているので変化率

に修正しても値が大きくなると円高を示すことになる 9 また日本銀行調査局『本邦経済統計』では1922 年 11 月の正貨準備高の値が 1386957540円と記載されているが前後月の数値から判断して 1836957540 円の誤記と推測し修正を加

えている

20

図 7 コールレートニューヨーク市中金利ロンドン市中金利

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

200

0

2

4

6

8

10

12

14

16

18

コールレート(右軸) ニューヨーク市中金利(右軸) ロンドン市中金利(右軸)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

図 8 貿易収支比率為替レート変化率名目 GDP(対数値)

0

2

4

6

8

10

12

14

-50

-40

-30

-20

-10

0

10

20

30

貿易収支比率 為替レート変化率 名目GDP

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

21

図 9 正貨準備高ニューヨークインフレ率

0

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

-60

-40

-20

0

20

40

60

正貨(単位億円) ニューヨークインフレ率(卸売り物価指数)

なお追加した説明変数貿易収支比率為替レートニューヨーク物価ニューヨー

ク金利ロンドン金利正貨準備が独立でないという問題があるうちニューヨーク金

利とロンドン金利は同時には入れず他の変数と代替的に入れることとするそれでも

貿易収支比率と為替レートが独立ではないという問題があるかもしれない単純に為替

レートが割安であれば経常収支が黒字に動き割高であれば経常収支が赤字に動くという

メカニズムによって為替レートと経常収支が独立ではないということになる

また為替レート関数の推計において自国と他国の物価マネーサプライ金利生

産に加えて経常収支またはその累積を説明変数に入れるのが通常であることを考えれ

ば当然に問題となるしかし多くの推計で為替レートに対して経常収支またはそ

の累積の説明力はそれほど高くはない10

ちなみに変数間の相関行列を取ると表5のようになる(推計期間は正貨を含む変数間

は 1919 年から 1929 年 3 月それ以外の変数間は 1919 年 1 月 1936 年 12 月まである)貿

易収支比率と為替レートの相関を取ると相関係数は 0029 でありマルチコリニアリティ

10 深尾[1983] (167 頁)は日本の米国に対する 100 億ドルの経常黒字は 64の円高ドル

安要因になるとしているこれは大きな効果だがその後の推計によると経常収支黒字が円高

をもたらす効果は大きくはない河合[1986](第 94 表214 頁)によれば経常収支累積額が

1の上昇は実質為替レートを 0068~0163上昇させるにすぎないその後も同様の推計

がなされているが(経済企画庁[1997]第 1-2-1 図③経済企画庁[1999]付図 1-5-2原田[2004])いずれの推計においても経常収支が為替レートに与える影響は大きなものではない

22

の問題は避けられていると判断できる当時のデータで為替と貿易収支の相関が弱い理

由として金解禁への動きが度々予想されていたので為替レートが貿易など実態経済

の状況にかかわらず高騰していたこともあげられる表 5 から説明変数間で(被説明変

数のコールレートを除く)相関係数の絶対値が 04 以上のものを上げると卸売物価と GDP

ギャップ卸売物価とニューヨーク卸売物価GDP ギャップとニューヨーク卸売物価ニュ

ーヨーク金利とロンドン金利貿易収支比率とコールレートがそうである卸売物価と GDP

ギャップはテイラールールの基本的な説明変数なので両者をともに入れるがニューヨ

ーク金利とロンドン金利については代替的にも推計することとする

表5 拡張テイラールールで使用された変数の相関行列

コールレート

インフレ率GDPギャッ

プ貿易収支比

率為替変化

率NYインフレ

率NY金利

ロンドン金利

正貨準備変化率

コールレート 1000 0222 0293 -0441 -0112 0082 0437 0264 -0113

インフレ率 1000 0437 0046 -0024 0482 0198 -0340 -0005

GDPギャップ 1000 -0056 0205 0605 0246 -0119 0042

貿易収支比率 1000 0029 0189 -0182 -0252 0183

為替変化率 1000 0259 0023 0019 0058

NYインフレ率 1000 -0071 -0378 -0084

NY金利 1000 0649 0291

ロンドン市中金利 1000 0092

正貨準備変化率 1000

32 拡張テイラールールの推計結果

推計期間は貿易収支が入手可能な1926年1月から1936年12月までの全期間と上述の(2)

式と比較するために1931年12月までとそれ以降の期間とする推計結果は表6の通り

である推計については上記3つの推計期間において 小二乗法を行っている新しく追

加した変数貿易収支比率為替レートの変化率ニューヨーク卸売物価上昇率ニュー

ヨーク金利ロンドン金利正貨準備の変化率の単位はである推計に当たっては系

列相関が疑われるためNewey-Westの方法によって標準誤差の修正を行っている

23

表6 拡張テイラールールの推計結果

係数 係数 係数 係数

定数項 r-βπ tar 3155 2980 定数項 r -βπ tar 5780 6596 (10072) (6939) (12603) (13464)

インフレ率 1+β 0008 0027 インフレ率 1+β 0041 0025

(0552) (1600) (1957) (1399)

GDPギャップ α 1 0036 0057 GDPギャップ α 1 0090 0083

(1156) (1798) (2584) (2412)

貿易収支比率 α 2 -0105 -0106 貿易収支比率 α 2 -0053 -0054

(5627) (4937) (2671) (3396)為替変化率 α 3 -0109 -0110 為替変化率 α 3 -0062 -0051

(3782) (3755) (1345) (0998)

NYインフレ率 α 4 0014 0011 NYインフレ率 α 4 0014 0012

(0820) (0645) (0651) (0682)

NY金利 α 5 0212 NY金利 α 5 -0133

(3002) (1599)

ロンドン金利 α 5 0399 ロンドン金利 α 5 -0466

(2870) (3071)R2 0397 0375 R2 0468 0503

自由度調整済みR2 0380 0357 自由度調整済みR2 0447 0483

標準誤差 1520 1548 標準誤差 1375 1329

DW統計量 0568 0531 DW統計量 0700 0794

係数 係数

定数項 r-βπ tar 2703 2617

(6657) (26032)

インフレ率 1+β -0018 -0016

(1920) (2396)

GDPギャップ α 1 -0052 -0059

(2353) (5464)

貿易収支比率 α 2 -0031 0004

(1779) (0381)

為替変化率 α 3 -0007 0028

(0423) (1526)

NYインフレ率 α 4 -0017 -0024

(3808) (5526)

NY金利 α 5 0423

(1421)

ロンドン金利 α 5 0742

(7283)

R2 0797 0899自由度調整済みR2 0774 0887

標準誤差 0443 0313

DW統計量 0757 0925

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とそれぞれの金利だけである

どちらの推計でもこれらの有意な変数は符号条件を満たしているインフレ率とGDPギャ

24

ップは5有意ではなくなり単純テイラールールでも小さかった係数はさらに小さ

くなるこれに対して貿易収支比率の係数は貿易収支比率が10ポイント分マイナス

に動けば1金利を引き上げることであるからある程度貿易収支に反応して金融政策

を行っていたと言えるだろう為替変化率の係数は為替レートが10下落したら金利

を1引き上げることであるからこちらもある程度は為替レートに反応して金融政策を

行っていたとも言えるだろうニューヨーク金利とロンドン金利が1上昇すると国内金

利をそれぞれ0204引き上げるということになっている

1926年1月から1931年12月までの推計ではニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれ

を用いた推計でも5で有意な変数はGDPギャップと貿易収支比率とロンドン金利であ

るがロンドン金利は符号条件を満たしていないGDPギャップは有意であるがその係数

は単純テイラールールの推計と同様に小さい貿易収支比率の係数は貿易収支比率で

10ポイント分赤字が増えれば金利を05引き上げることであるからある程度は貿易

収支に反応して金融政策を行っていたと言えるかもしれない

さらに1932年1月から1936年12月までの推計では物価GDPギャップニューヨーク物

価ロンドン金利が5で有意であるGDPギャップニューヨーク物価は符号条件を満た

していないロンドン金利は符号条件を満たしその係数も074と大きく日本の金融政

策はロンドンに追随して行われていたことになる

金本位制を意識して行われていたときには金融政策は対外均衡に重点を置き金本位

制を離脱した後はロンドンの金利に追随していたことになる日本の金融政策が英国

の金融政策に追随していたことは鎮目[2009]第2章の結果とも整合的である

さらに表7は以上の変数に正貨を追加したものであるデータの制約により1919年1

月から29年3月までしか推計できないのでこれは金本位制を意識して金融政策が行われて

いた期間の金融政策を評価していることになる

25

表7 (3)式の拡張テイラールールの推計結果(正貨準備の変化率追加)

係数 係数定数項 r-βπ tar 5431 7511

(7602) (8642)インフレ率 1+β 0028 0024

(1209) (1264)GDPギャップ α 1 0147 0095

(2352) (1698)貿易収支比率 α 2 -0050 -0034

(2522) (2089)為替変化率 α 3 0016 0097

(0173) (0989)NYインフレ率 α 4 0004 -0004

(0166) (0224)NY金利 α 5 -0071

(0665)ロンドン金利 α 5 -0662

(2795)正貨準備の変化率 α 6 -0071 -0087

(0796) (1138)R2 0410 0471自由度調整済みR2 0374 0438標準誤差 1451 1375DW統計量 0808 0934注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

正貨を追加した推計結果ではGDPギャップ貿易収支比率ロンドン金利が有意である

GDPギャップ貿易収支比率は符号条件を満たしているがロンドン金利は満たしていない

表7の1919年から31年の推計結果に比べてGDPギャップの係数の値は大きくなるが景気

安定化効果が大きかったとまでは言えない貿易収支の係数はほとんど変らず貿易収支

の状況を念頭に入れて政策を行っていたと言えるだろうロンドン金利符号が逆で海外

金利が下がると金利を上げるという結果になっている

以上の結果を鎮目[2002]と比べる鎮目は金外貨準備英国の短期金利経常収支

資本収支をテイラールールの式に追加していずれの変数も有意ではなかったと報告し

ているが本稿では追加した変数のうち貿易収支ニューヨーク金利(特にロンドン

金利)が符号条件を満たして有意になっている場合が多く対外均衡を意識した金融政策

が行われていた可能性を示唆している

33 拡張テイラールールに関する政策反応ラグ

以上の拡張テイラールールの推計では貿易収支比率為替変化率ニューヨークイ

26

ンフレ率ロンドン金利を追加したものが良好な推計結果をもたらしたそこで拡張テ

イラールールに関する政策反応ラグを考慮するために以上の変数に加えて被説明変数

の 1期ラグを追加したものを推計する11結果は表8のようになる

表8 拡張テイラールールの金利ラグ付き推計

係数 係数 係数 係数定数項 r-βπ tar 0623 0565 定数項 r-βπ tar 1806 2223

(3922) (3134) (3861) (3396)インフレ率 1+β -00001 0003 インフレ率 1+β 0012 0007

(0023) (0552) (1190) (0761)GDPギャップ α 1 0019 0023 GDPギャップ α 1 0044 0043

(1589) (1875) (2072) (2007)

貿易収支比率 α 2 -0024 -0023 貿易収支比率 α 2 -0019 -0020

(2312) (2239) (1514) (1767)

為替変化率 α 3 -0026 -0025 為替変化率 α 3 -0048 -0045

(1984) (2069) (1607) (1430)

NYインフレ率 α 4 -0002 -0002 NYインフレ率 α 4 -0004 -0004

(0277) (0388) (0337) (0389)NY金利 α 5 0040 NY金利 α 5 -0044

(1532) (1193)

ロンドン金利 α 5 0075 ロンドン金利 α 5 -0163

(1447) (1703)コールレート1期ラグ 0796 0802 コールレート1期ラグ 0680 0657

(18638) (20579) (9505) (8112)R2 0789 0788 R2 0707 0711自由度調整済みR2 0782 0781 自由度調整済みR2 0693 0697標準誤差 0902 0904 標準誤差 1023 1016DW統計量 2581 2574 DW統計量 2408 2415

係数 係数

定数項 r-βπ tar 0527 0900 (2552) (3391)

インフレ率 1+β -0004 -0005(1594) (1249)

GDPギャップ α 1 -0006 -0014

(1174) (1562)

貿易収支比率 α 2 -0001 0010

(0135) (1064)

為替変化率 α 3 0005 0019

(0542) (1247)

NYインフレ率 α 4 -0003 -0008

(1971) (2116)

NY金利 α 5 -0022

(0557)

ロンドン金利 α 5 0386

(3052)コールレート1期ラグ 0833 0608

(9986) (6019)R2 0934 0957自由度調整済みR2 0925 0951標準誤差 0255 0207DW統計量 2478 2362

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

11 単純テイラールールでは説明変数のラグを加えたがここではあまりにも煩雑になること

と単純テイラールールで被説明変数の 1 期ラグが重要であったことから被説明変数の 1 期

ラグのみを追加した

27

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とコールレートの1期ラグであ

る貿易収支比率と為替変化率のどちらの係数も符号条件を満たしているがコールレー

トの1期ラグがない場合と比べて係数の値は小さくなっているただしこの推計をコイ

ック型と考えて係数の長期の値を(1-コールレートの1期ラグの係数)で除すことによっ

て求めれば1期ラグがない場合の係数よりもかなり大きくなる

1926年1月から1931年12月までの推計ではGDPギャップとコールレートの1期ラグのみが

有意となるGDPギャップの長期係数を求めても値は小さいこの期間では金利を安定的

に維持することに金融政策が使われていたと言えるだろう

1932年1月から1936年12月までの推計では有意なものはロンドン金利とニューヨークイ

ンフレ率とコールレートの1期ラグとなってしまうニューヨークインフレ率は符号条件を

満たしているがその係数は小さいロンドン金利の係数は大きく日本の金融政策はロ

ンドンに追随して行われていたことになる

コールレートの1期ラグを入れるといずれの期の金融政策も金利の平準化の要素が大き

いと判断される金本位制を意識して行われていたときには金融政策はある程度は対外

均衡を考えていたようである金本位制を離脱した後はロンドンの金利を考慮していた

ようである

さらに表9は以上の変数に正貨を追加したものである(データの制約により1919年1

月から29年3月までの推計)これは金本位制を意識して金融政策が行われていた期間の金

融政策を評価していることになる

28

表9 正貨準備高の変化率を加えた場合

係数 係数定数項 r-βπ tar 1723 2771

(3126) (2898)インフレ率 1+β 0004 0005

(0356) (0518)GDPギャップ α 1 0088 0072

(2641) (2442)貿易収支比率 α 2 -0023 -0018

(1664) (1321)為替変化率 α 3 -0025 0008

(0544) (0189)NYインフレ率 α 4 -0007 -0010

(0617) (0924)NY金利 α 5 -0012

(0255)ロンドン金利 α 5 -0239

(1470)正貨準備の変化率 α 6 0001 -0005

(0013) (0079)コールレートの1期ラグ 0644 0603

(7451) (6371) R2 0652 0659自由度調整済みR2 0628 0635標準誤差 1119 1107DW統計量 2450 2452注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

有意なものはGDPギャップとコールレートの1期ラグであるGDPギャップは符号条件

を満たしている長期の係数を取ってもその係数は大きいとは言えない

34 対外均衡と対内均衡

対外均衡に重点を置いた金融政策を行うとは経常収支赤字や為替レート下落や外貨準

備の減少に対して金利を引き上げるというルールに従って金融政策を行うことである

通常であれば金本位制の下で国内がインフレになり競争力を失ったり景気が過熱

して輸入が増大したときには経常収支赤字や為替レート下落や外貨準備の減少が起きる

だろう経常収支の赤字や外貨準備の減少が起きたときには金融を引き締めるというルー

ルは国内がインフレになったり景気が過熱したときには引き締めるというルールでも

あるしたがって対外均衡に重点を置くことが国内均衡を必ず妨げるというわけではな

いこれは逆の場合も真実であるしかし1910 年代日本の経常収支や外貨準備は国

内の景気要因で変化したわけではない第 1 次世界大戦によって外需が増加し経常収支

29

が黒字となり外貨準備が増えた金本位制のルールに従って金融政策は緩和されマ

ネタリーベースは 1919 年 1 月から 1920 年 4 月までに 16 倍に増加した輸出超過の国は

金融緩和することによって輸入超過の国の不況を和らげることができる日本は金本

位制の正しいルールに基づいて金融を緩和しただけであるしかし戦争がおわりその

復興需要もなくなったとき経常収支は赤字となり外貨準備は減少したしかしかつ

て金準備に依存して増大していたマネタリーベースはそのままだった失われた外貨準備

に対してマネタリーベースを減少させなければならなかったしかし23 年までマネタリ

ーベースは増大し続けていた関東大震災という不幸もあってマネタリーベースを減少

させることはできなかったその後25 年まで引き下げていたが27 年には金融恐慌があ

りマネタリーベースを削減することができなかったその後28 年までマネタリーベ

ースはむしろ拡大していた29 年には金本位制復帰を目指してマネタリーベースを急減さ

せるがその結果は激しいデフレと不況だった

そもそも国内要因の変化によらない金準備の増加に対してマネタリーベースを拡大し

たことが誤りだった金本位制からの離脱は1917 年ではなくて欧米諸国が離脱した

1914-15 年になすべきだったそうであれば1910 年代末までのマネタリーベースの急増

はなかっただろうところが実際には金本位制から離脱したにも関わらず1920 年にか

けてマネタリーベースは拡大していた1920 年代からは失われた金準備に対してマネタリ

ーベースを削減することが試みられるようになるしかしそれは関東大震災や金融危機

によって頓挫するむしろマネタリーベースを削減するという試みがデフレと不況をも

たらしそれゆえに不良債権が増大してしまったということではないだろうか

35 小括1‐テイラールールの推計から得られた知見

以上のことから考えて1920 年代から 30 年代にかけては金融政策はインフレまたはデ

フレ促進的な政策を行っていた対外均衡にはある程度考慮した金融政策を行っていたこ

とが分かる

しかし1920 年代には金本位制に復帰するという政策が課題となっていたはずである

20 年代がデフレ促進的また対外均衡にある程度考慮した政策を行っていたことはこの

課題にとっては正しいものだろうしかし現実に採られたデフレ促進策では不十分だっ

た物価は旧平価で金本位制に復帰できるほど下がっていなかったのだからまた32 年

以降の金融政策についてもなぜ 32 年から急速な回復ができたのかそれと金融政策とは

どのよう関係しているかは分析できていない

これについて飯田岡田[2004]は昭和恐慌からの回復はデフレ脱却による実質金利

の下落が重要であって名目金利の低下は重要でなかったと分析しているこれによれば

名目金利の変化で金融政策の変化を見ることはできないことになるしたがって名目金

利の変化に着目するテイラールールでは31 年 12 月以降の高橋是清蔵相の金融政策の意

味を理解できないことになる

30

また金融政策が物価および景気安定を意図していなかったら何を意図していたのだ

ろうか本稿での結論は為替レートや経常収支に視点を置いた対外均衡を意識していた

ということになる

いずれにしろテイラールールだけでは戦前期の金融政策を十分には理解できない

ことになるそこで戦前期の金融政策を別の方法で評価してみよう

4マッカラムルールによる金融政策の評価

41 マッカラムルールの意味と定式化とデータ

以下ではマッカラムルールで戦間期の金融政策を評価することにするマッカラム

ルールを用いて金融政策の在り方を判断した研究としてはマッカラム自身の分析を始め

として多くのものがある(例えばMcCallum[1987][1988]マッカラム[1997]第 15 章)

日本のデータを用いたものにおいても McCallum[1987]岡田飯田[2004]などがあるし

かし日本の戦前期についてはおそらく安達[2006](第7章)しかないと思われる安

達は年データを用い目標値として設定された名目 GNP 成長率(5と設定している)

を達成するためのマネタリーベースを求め現実のマネタリーベースの成長率が 1936 年ま

で過小でそれ以降過大であることを示している本稿では月次データを用いているので

期間ごとの金融政策の在り方も検討することができる

マッカラムルールとはマネタリーベースの成長率を名目GDPの望ましい成長率に

依存させるルールである(McCallum[1987]マッカラム[1997]第 15 章)しかし貨幣の

流通速度 vは変化するので貨幣の流通速度の変化に応じてマネタリーベース bの動きを調

整することが必要となるこのようなルールはbvなどを対数値として望ましいマネタ

リーベースの成長率⊿bをマネタリーベースの流通速度Δvに応じて変化させるというルー

ルであるただしvは景気変動によって大きく変動しているのでそれが技術的な変化と

見なせる 2 年間の平均値 tvΔ であるとする12すなわちマッカラムルールに基づくマネタ

リーベースの成長率とは

tbΔ =マネタリーベースの望ましい成長率- tvΔ

であるここでマネタリーベースの望ましい成長率はサンプル期間(1919 年 1 月から 1933

年 12 月まで)のマネタリーベースの平均成長率とする13マッカラムはマネタリーベース

の望ましい成長率を名目 GDP の成長率としているがここではまずこの期間の経済を再現

することを目的としているので現実のマネタリーベースの成長率を採用したマネタリ

12 マッカラム(1997)第 15 章では流通速度として 4年平均を使用しているが本稿ではサンプル

期間が短いため 2年平均としている 13 サンプル期間は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月であるがマネタリーベースの流通速度の平

均値作成のため 初の 24 か月が失うのでここで計算された望ましいマネタリーベースの成長

率は 1921 年 1 月から 1933 年 12 月までの平均となっている

31

ーベースの動きを図 10 に示しているマネタリーベースは季節性が強いので季調値も図示

しているなお前述のように戦前期の月次名目 GDP のデータは存在しないのでIIP に

卸売物価を掛けたものを名目 GDP の代理変数とする(ここで使うデータの定義と出所は前

掲の表1にある)

図 10 マネタリーベース(原数値と季節調整値)の動き

0

50000

100000

150000

200000

250000

19191

19197

19201

19207

19211

19217

19221

19227

19231

19237

19241

19247

19251

19257

19261

19267

19271

19277

19281

19287

19291

19297

19301

19307

19311

19317

19321

19327

19331

19337

観察されたベースマネー(単位万円) 季節調整済マネタリーベース(単位万円)

作成されたマネタリーベースの成長率は1919 年 1 月から 33 年 12 月までで年率 12

月次では 01となるすなわち

tbΔ =0001- tvΔ

ここで考察する期間を 1919 年 1 月から 33 年 12 月までとしたのは34 年以降の GDP の伸び

が大きすぎトレンドの作成において歪みを生じさせるからであるまた33 年は昭和恐

慌から脱却し経済が安定していた時期でもある

さらに名目 GDP が何らかのショックによって平均的な成長経路よりも上回った時に

はマネタリーベースの伸び率を低下させるようなルール(下回った場合は逆)を導入し

ようすなわち

tbΔ =0001-

1 1( )t t tv y yλ minus minusΔ + minus

32

となるただし目標値

1ty minus は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月までの月次平均成長率 04

成長経路での名目 GDP の対数値であるまたマッカラムによればλは四半期データで 025

が望ましいとされているがここでは月次データを使用しているのでとりあえず 12 分の 1

とすることを考えたがこの期間の名目 GDP は戦後の日米名目 GDP のデータより大きく変

動しているのでさらに小さくする必要があるマッカラムも「λの値を選択する場合

もし間違えるとすれば小さな値を採るほうがよい」(マッカラム[1997]308 頁)としている

そこでλは 36 分の1とした 終的なルールは

tbΔ =0001-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (5)

となる

マッカラムは望ましいインフレ率をゼロとするマネタリールールを求めているがこ

こでは実際には大きく変動したマネタリーベースを安定的に動かしていたらどうなったか

を考えることにしているので名目 GDP の動きは現実のものを使いルールにもとづくマ

ネタリーベースと実際のマネタリーベースをまず比較することにする

次に名目 GDP の決定に関する次のようなモデルを 小二乗法により推計する結果は

1 1 2 3

2

0004 0295 0053 0110 0106 0071 - 0069 23- 0046 27(1596) (3634) (1054) (1404) (2300) (1831) (6731)

R 0109 SE=0029 BG(24)=33227

(1822) t t t t t t ty y b b b b dummy dummy eminus minus minus minusΔ = + Δ + Δ + Δ + Δ + Δ +

=

(6)

となる14但し yΔ は名目 GDP の変化率 bΔ はマネタリーベースの成長率dummy23 は関東

大震災の時の一時的な変動をとらえるために 1923 年 9 月を 1それ以外を 0 としたダミー

変数dummy27 は金融恐慌時の一時的な変動をとらえるために 1927 年 4 月 5 月を 1それ

以外を 0としたダミー変数サンプル期間は推計に使用する変数が全て揃う 1921 年 1 月か

ら 1933 年 12 月までまたここでの残差 te は攪乱項の推定値2R SE BG(p) はそれぞれ

自由度修正済み決定係数攪乱項の標準誤差p 次の Breuch-Godfrey テストのχ二乗統計

量( )内は Newey-West の方法により修正した t値を示している15

ここで当時マッカラムルールなどという議論がなかったのだからこのような分

14 ここでは bΔ は現実のマネタリーベースの成長率を使用して推計を行っている 15 研究の対象期間は 1919 年 1 月からであるが平均流通速度 tvΔ の計算のために 初の 24 ヶ

月分が使用できないそのため他のシミュレーションの対象期間と整合性を保つため 1921 年 1

月からとしているまたこの推計式にはラグ付き内生変数を含むためダービンワトソンテスト

ではなく Breush-Godfrey テストを報告しているこの Breush-Godfrey テストから系列相関が疑

われるためNewey-West の方法により標準誤差を修正している

33

析は意味がないという批判があるかもしれないがこれにはテイラールールの節で述べ

たのと同じ反論が可能であるマッカラムルールとは名目 GDP が上昇しすぎたら(そ

のときには景気が過熱するかインフレが高進していると考えられる)マネーを縮小し

名目 GDP が下降しすぎたら(そのときは景気が悪化するかデフレになっている)マネーを

拡大するという素朴なルールである当時このようなルールが意識されていなかったと

は考え難い

42 長期的な経済を再現するシミュレーション

まずマッカラムルールによって現実の長期的な経済の経路を再現してみようルー

ルにもとづくマネタリーベースと実際のマネタリーベースのレベルと成長率とを図

11(1)(2)に示す

政策ルール(5)式が実施された場合の名目 GDP(の代理変数)の動きを見るために(5)式

から得られる理論値 tbΔ (6)式の残差 te 初期値 1ty minusΔ に目標 GDP

1ty minusΔ を代入してマ

ッカラムルールに従った場合の名目 GDP y の系列を求める現実の xとマネタリーベース

のルールに従った場合の y の系列を比べてみたのが図 11-(3)である図 11-(3)からマ

ネタリーベースのルールに従った場合の y の系列が安定していることが分かるこのよう

に安定的な名目 GDP の系列を得るためには第 1 次世界大戦後の金融引締めが過大で20

年代初期の金融緩和が過大30 年の金融引締めが過大だったと判断される

図 11 マッカラムルール

(1)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

34

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT MBDOT

注)BDOT はマッカラムルールの下でのマネタリーべースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(2)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

35

100000

120000

140000

160000

180000

200000

220000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC MB_SA

注)MB_SA はマネタリーベース(季節調整済)の現実値

B_MC はマッカラムルールに従った場合のマネタリーベース水準

またマッカラムルールの下でのマネタリーベースの初期値は現実値を使用

単位は万円

(3)マッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

36

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULE XSTAR X

注)GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

43 物価を下落させるシミュレーション

以上の結果はマネタリーベースの伸びを安定的にしていれば経済変動はより少なく

なっていただろうということを示しているしかしもし第 1 次世界大戦前の旧平価で金

本位制に復帰することが目的であったとしたら1節で述べたように物価を 3 割下げな

ければならない名目 GDP(その代理変数)は実質 GDP の変化がないとして1919 年 12

月から 29 年 12 月までに 3割下がらなければならない

そこで名目 GDP(その代理変数) y は現実の値よりも毎月 03ずつ低下しなければ

ならないので(5)式の定数項 0001 から 0003 を引いて-0002 とするすなわち

tbΔ =-0002-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (7)

とならなければならないここでの系列 y も実際の値から毎月 03ずつ引き下げたも

のを使っているつぎに(7)式の bを(6)式に入れると図 12 のようになる図に見られるよ

うに名目 GDP は安定しかつ小さくなっているすなわち物価が 3 割下落していること

が分かる

37

図 12 物価を下落させた場合

(1) 名目 GDP の目標値とマッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULEXSTAR

XGDP3_RULE

XSTAR_3

注) GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

GDP3_RULE は物価を 3割下げたマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR_3 は物価を 3割下げた場合の目標となる名目 GDP(対数値)

38

(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

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  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 9: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

8

この式においてiは政策金利π はインフレ率xは GDP ギャップπtarは目標インフレ

率rは均衡実質利子率を表しているテイラールールは(1)式に示されるように政

策金利の決定を物価と景気(GDP ギャップ)を睨みながら行われていることについてのルー

ルであるすなわちGDP ギャップが正の方向に動けば(景気が良くなれば)金利を引上げ

(αはプラス)インフレ率が目標インフレ率よりも高まれば金利を引き上げる(βはプラ

ス)というルールであるここでは目標インフレ率も均衡実質金利も分からないので

(1)式を変形して

( ) (1 )tart t t ti r xβπ β π α ε= minus + + + + (2)

を推計するここでベータが1以上であれば物価が望ましい水準よりも高くなれば物

価上昇率以上に金利を上げて物価上昇を抑えるというルールを適用していることになる

このような推計を行うことについて当時テイラールールなどという概念がなかった

のだから意味がないという批判があるかもしれない(これは3のマッカラムルールに

ついても当てはまる)しかしテイラールールとは景気が過熱するかインフレが高進

したら金利を引き上げ景気が悪化するかデフレになったら金利を引き下げるという素朴

なルールでありこのような考えは当時も広範に理解されていたと思われる在野のエコ

ノミストとして活躍していた高橋亀吉は「金利政策とはhellip物価が思惑的に騰貴し過ぎ又

は企業が投機的に濫設せられる惧れありと見ればこれを抑え物価が恐慌的に下落し過ぎ

たと見れば金利を引き下げて其の下げ足を止めるの類である」と書いている(高橋

[1929]190 頁)また日本銀行の要職を歴任していた深井英五(1918 年日本銀行理事1928

年日本銀行副総裁1935-36 年日本銀行総裁1937 年貴族院議員1938 年枢密顧問官)も

「(通貨調節の趣旨は)通貨の数量の過不足より来る通貨の価値の変動を防ぎなるべくそ

の安定を図ることhellip所謂景気の変動を緩和しその循環を成るべく円滑にすること」と

書いている(深井[1928]467 頁)(ただし両者とも上記の考えを実践する上での難しさ

は認めている)したがって素朴な意味のテイラールールは常識として理解されていた

と言ってよく当時の金融政策をテイラールールによって評価することは意味があると

考えられる3

22 戦前期のテイラールールについての先行研究

戦前期のテイラールールを推計した研究としては既に鎮目[2002]がある鎮目は

戦間期日本の経済変動に対して金融政策がどのように反応してきたかをテイラールー

ルを用いて分析しているこの分析によればこの間の日本の金融政策は(1)インフレ率

3 本稿の目的は日本銀行の行動を評価することではない当時日銀は政府から独立しておら

ず日銀の政策を単独で評価することは意味がない本稿で評価するのは総体として金融政策

を形作った日本銀行大蔵省政治家等当時のエリートたちが総体として行った政策である

9

の関係で見ると経済変動を増幅させる方向で働いてきたこと(2 金融政策は金本位制

という通貨体制と密接に関係しており国内経済の安定を犠牲にして為替レート目標を追

求してきたことを示しているさらに(3)1931 年の金本位制離脱後国内経済の安定に繋が

る金融政策が可能であったにも関わらずそのような金融政策運営が行われていたとは言

えないことを示している

私たちも戦間期の金融政策について昭和恐慌前後の時期に焦点を当てて分析を続

けてきた(原田中澤[2004]原田[2005]原田佐藤中澤[2008])鎮目の分析は年

次データを用いているので戦間期全体の金融政策を分析できるが昭和恐慌前後ある

いは第 1 次大戦直後など特定の時期に焦点を置いた分析とはなっていないそこで私

たちは月次データを用いることで特定の時期に焦点を置いた分析が可能になるとと考

えたまた鎮目は金本位制という通貨体制を問題にしながら為替レートを説明変数

に入れていないこれも私たちがさらなる分析が必要と判断した理由である

23 データの説明

戦間期の経済データは主に日本銀行「本邦経済統計」東洋経済新報社『経済統計年鑑』

大蔵省「大蔵省年報」一橋大学経済研究所日本経済統計文献センター統計資料シリーズ『景

気指数1888~1940 年』などから得ることができるここで用いるデータは1926 年 1 月

から 1936 年 12 月までのコールレート卸売物価指数鉱工業生産指数為替レート貿

易収支でありこれらの定義と出所を表1に整理しておく(ここで3のマッカラムル

ールの推計で用いるデータについても定義と出所を示しておく)

表 1 使用データ(月次)の出所

変数名 出所

コールレート 日本銀行『本邦経済統計』

鉱工業生産指数 東洋経済新報社『経済統計年鑑』各年版

卸売物価指数

藤野正三郎五十嵐副夫『景気指数1888~1940 年』一橋大

学経済研究所日本経済統計文献センター統計資料シリーズ

No2

為替レート 日本銀行「本邦経済統計」外国為替相場(横浜正金銀行建値)

ニューヨーク電信平均

貿易収支 輸出-輸入大蔵省「大蔵省年報」各年版

マネタリーベース

大蔵省理財局編『金融事項参考書』日本評論社(日本銀行兌換

券差引流通残高と日本銀行預金貸出金残高表「一般預金」の和)

及び 藤野五十嵐前掲書

10

現金通貨 藤野五十嵐前掲書

ニューヨーク卸売物価 日本銀行調査局『外国経済統計』

ニューヨーク市中金利 日本銀行調査局『外国経済統計』

ロンドン市中金利 日本銀行調査局『外国経済統計』

正貨準備高 日本銀行調査局『本邦経済統計』

これらのデータはなじみのないものであるのでそのグラフを図3図4に示しておく

鉱工業生産指数は 1930 年 1 月を 100 としているコールレートおよび卸売物価指数による

インフレ率(前年同期比)の単位は為替レートは 100 円当たりの 1 ドル価格貿易収支

は 100 万円単位であるまた鉱工業生産指数卸売物価指数および貿易収支を構成する輸

出と輸入は X12-ARIMA によって季節調整を行っている貿易収支は輸出輸入を季節調整

して差を取ったものである

図 3 使用データ(月次)のグラフ鉱工業指数貿易収支為替レート

-16E+08

-14E+08

-12E+08

-1E+08

-8000000

-6000000

-4000000

-2000000

0

20000000

40000000

60000000

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

200

貿易収支 鉱工業生産指数 為替レート

注)鉱工業生産指数と為替レート(ドル100円)は左軸貿易収支は右軸

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

11

図 4 使用データ(月次)のグラフインフレ率コールレート

0

2

4

6

8

10

12

-100

-50

0

50

100

150

200

1919M01

1919M05

1919M09

1920M01

1920M05

1920M09

1921M01

1921M05

1921M09

1922M01

1922M05

1922M09

1923M01

1923M05

1923M09

1924M01

1924M05

1924M09

1925M01

1925M05

1925M09

1926M01

1926M05

1926M09

1927M01

1927M05

1927M09

1928M01

1928M05

1928M09

1929M01

1929M05

1929M09

1930M01

1930M05

1930M09

1931M01

1931M05

1931M09

1932M01

1932M05

1932M09

1933M01

1933M05

1933M09

1934M01

1934M05

1934M09

1935M01

1935M05

1935M09

1936M01

1936M05

1936M09

卸売物価指数(前年同期比左軸) コールレート(右軸単位)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

本稿の目的であるテイラールールの推計では説明変数として GDP ギャップを用いる

がGDP は月次データでは入手できないのでここではGDP 1hp

IIPIIP

= minusギャップ を鉱工業

生産指数 IIP と IIPhpはのギャップで作成しているIIPhpは「潜在 GDP」の代理変数である

「潜在生産指数」で表わしており鉱工業生産指数に HP フィルター(Hodrick-Prescott

filter)をかけることによって作成した4作成した GDP ギャップは図5である

この GDP ギャップが実態と合っているかを考察するためにここで作成された GDP ギャ

ップの動きと藤野[1965](第 2-3 表)の認定した景気循環クロノロジーと比較してみる

藤野によれば1915 年 2-3 月~1920 年 1-2 月が拡張期21 年 5 月までが縮小期29 年 2

月までが拡大期31 年 7 月までが縮小期それ以降が拡大期となっているまた良く知

4 本稿では潜在 GDP 作成に際しHodrick and Prescott [1997以降 HP フィルターと呼ぶ]に

よるフィルタリング関数のスムージングパラメータλ=1166400 を選択してトレンドを抽出し

ているここでは報告されていないがHP フィルターのλ=12960014400移動平均のラグと

リードに関して対称な加重を計算するフィルタリング関数をもつ Baxter and King[1999]およ

び移動平均の加重に関して非対称な加重を許す Christiano and Fitzgerald [2003CF フィルタ

ー]を用いて比較検討しているCF フィルターでは季節調整済みの IIP 系列が単位根過程に従

っているためChristiano and Fitzgerald[1999]に従って平均なしトレンドなしドリフ

トなし平均トレンドドリフト全てなしの 4種類を使用して検討を行っている 終的に藤

野[1965]の景気循環周期と整合的になるように HP フィルターのλ=1166400 を選択したこれら

の結果を入手したい場合は筆者に連絡されたい

12

られているように20 年には第 1次世界大戦の終結による国際的経済反動があり23 年に

は関東大震災があり27 年には金融恐慌があった作成した GDP ギャップはこれらの変

動を基本的には捉えていると言えるだろう

さらに失業率の動きを前掲の図5に示す(失業率は内務省社会局社会部職業課「失業

状況推定月報概要」による)図に見るように失業率のデータがあるのは 1931 年 1 月か

ら 33 年 12 月までであるがその間の GDP ギャップと失業率の動きは正負逆でGDP ギャッ

プの変動が大きいという問題はあるがほぼ同じように動きをしているまた失業率の

動きが GDP ギャップの動きに遅れていることも雇用が景気の遅行指標であるという今日

の常識に照らして合理的であるしたがってHP フィルターで作成した潜在生産指数およ

び GDP ギャップも景気変動を反映した適切なもの判断できるだろう

図 5 使用データ(月次)のグラフGDP ギャップ

0

01

02

03

04

05

06

07

08

09

1

-20

-15

-10

-5

0

5

10

15

20

GDPギャップ lambda=1166400 藤野(1965)の景気後退期 失業率(単位)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

24 テイラールールの推計

241 推計結果

(2)式の推計結果は表2の通りである推計期間は全サンプルがそろう 1919 年 1 月か

ら 1936 年 12 月である36 年を終わりとしたのはそれ以降は軍の圧力によって政策が行

われ金融政策の自立的な動きを議論することはできないと考えたからである推計方法

は 小二乗法を使用しているなおダービンワトソン統計量からは系列相関が疑われるた

13

め 小二乗推定量が有効性を持たない可能性があるので標準誤差を Newey-West の方

法によって修正を加えて t検定を行っている5

推計結果の解釈としては1 β+ の推計値 0016 からβ は-0984 でありインフレ率が

目標インフレ率よりも高まれば金利を引き下げ逆にインフレ率が目標インフレ率よりも

低ければ金利を引き上げるという物価を不安定にするデフレ的な金融政策を採用していた

ことになる(インフレの時はインフレ促進的になる)ましてβはほぼマイナス1である

のでかなりインフレまたはデフレ促進的な金融政策を行っていたことになるこれを現

実の経済情勢に当てはめれば20 年代のデフレ期ではデフレ促進的な金融政策を行い30

年代のインフレ期ではインフレ促進的な金融政策を行っていたことになるただしこの

係数は 10レベルでも有意ではない

なお物価を下落させることを目標としてもデフレ促進的でなく長期的な目標をも

ってテイラールールに基づいて物価を下落させることができることを念のために指摘し

ておくすなわち物価上昇率の目標レベルを低くすれば目標より物価が上ったときは

引締め下がったときは緩めるという物価安定的でかつ長期的に物価を下落させる方法

は可能でありまたその方が望ましいだろう

一方α は 0108 なので GDP ギャップが正のとき金利を引き上げる景気安定的な政策を

とっていたことになるただしα は 10で有意であるが係数が小さいので(GDP ギャ

ップがマイナス 10でも金利を108下げるだけ)景気安定化効果が大きかったとは言え

ないだろう

表 2 (2)式のテイラールールの推計結果

係数

定数項 r -βπ tar 4669

(17711)インフレ率 1+β 0016

(0823)GDPギャップ α 0108

(1679)R2 0085自由度調整済みR2 0077標準誤差 1855DW統計量 0258

注)( )内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

全期間1919年1月~1936年12月

5 本稿には載せていないがここでは 尤法による推計も行っている 尤法による推計では誤

差項に正規分布を仮定した場合 小二乗推定値とほぼ等しい推定値でかつ漸近的 t値からが

1 β+ が 10αが 1で有意であることが確認されている

14

さらにサンプル期間を1930 年の昭和恐慌期を含む期間と含まない期間に分けて推計を

行う具体的には1919 年 1 月から 1931 年 12 月までと1932 年 1 月以降から 1936 年 12

月までの 2 期間に分割して(2)式の推計を行う金融政策は1931 年 12 月以前は金本位制

への復帰を求めていたがそれ以降は金本位制を離脱し金本位制に制約されることがな

くなったと考えての分割である(金本位制からの離脱は 31 年 12 月正式には 32 年 1 月)

推計結果は表 3 に示しているここでも標準誤差を Newey-West の方法によって修正して

いる

表 3 期間分割後のテイラールールの推計結果

係数 係数

定数項 r -βπ tar 5450 定数項 r-βπ tar 3113

(22627) (10790)インフレ率 1+β 0057 インフレ率 1+β -0009

(3877) (0644)GDPギャップ α 0061 GDPギャップ α -0182

(0898) (2307)R2 0313 R2 0175自由度調整済みR2 0304 自由度調整済みR2 0146標準誤差 1542 標準誤差 0862DW統計量 0475 DW統計量 0241

注)( )内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1931年12月 (2)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

推計結果表3-(1)を見ると1919年1月から1931年12月において(1+β)が1で有意であ

あるまた値は00567でありこれから1を引くとβ =-0943となる (1)式から考える

と物価が目標インフレ率以上に上昇したときには政策金利をほぼ物価上昇率と同じだ

け引き下げるという政策を行っていることがわかるこの期間はほぼ物価が下落してい

たのでデフレ促進的な政策を採っていたことになる

GDP ギャップに関しては有意ではないがギャップが1ポイント縮小すると政策金利

を 0061引き上げるすなわち景気が拡大したときには政策金利を引き上げるという景

気変動抑制的な政策が行われていたことがわかるもちろんその係数は小さいので実

際にどれだけそのような効果があったかは分からない

表3-(2)で1932年1月から1936年12月の推計結果をみる物価の係数(1+β)-0009か

ら1を引くと-1009となり物価が上ると金利を引き下げるという政策をとっていたこ

とが分かるこの期間は物価が回復または上昇していた時期であるのでインフレ促進的

な政策を行っていることがわかる

GDP ギャップに関しては 5で有意でありギャップが1ポイント縮小すると政策金

利を 0182 引き下げるという景気変動拡大的な政策が行われていたことがわかるただし

15

その係数は小さいので効果も小さかったと思われる

これらの結果を鎮目[2002]と比べるとインフレ促進的またデフレ促進的な政策が行

われていたということについては共通しているGDP ギャップについて 32 年以降マイナス

になるというのも鎮目と共通であるただし本稿の推計した係数値は鎮目に比べてき

わめて小さい

242 区間分けについての確認

これまでの期間分割は暫定的なものであったこの区間分割が合理的なものであるかを

どうかを確認するために逐次回帰法(recursive least squares)を行った結果が図6で

ある6

図6で 1+βαの動きをみると30 年以降に大きく動いておりこの期間分けは合理的

なものだったと分かる

図 6 逐次回帰推計

-08

-04

00

04

08

12

16

1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1934 1936-1

0

1

2

3

4

1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1934 1936

25 政策反応までのラグ

これまでの分析は当期の物価景気貿易収支為替が金融政策に影響を及ぼすとし

ていたしかし為替はともかく物価景気貿易収支については認知のラグがあり

また経済情勢を慎重に見極めながら政策を行っていると考えられるそこでここでは次

のようなモデルについて推計を行うことにする

6 ここで使用した逐次回帰法は推計期間として 1から説明変数の個数より大きいサンプル数を

選び係数を推計し次は 終期を 1期追加して係数を推計といった手順を繰り返す手法である

詳しくは森棟(1999)4 章を参照のこと

1+β α

16

1 1

1 1

0 0

( ) (1 )tart p t p q t q t t

p q

i r x iβπ β π α λ εminus minus minus= =

= minus + + + + +sum sum (3)

ここでは p=0 q=0 のケースp=0 q=1 のケースp=1 q=0 のケースp=1 q=1 の

ケースについて推計を行った結果自由度修正済み決定係数および赤池情報基準によって

モデルを選択すると全期間を対象とした場合は p=1q=0金本位離脱以前を対象期間に

した場合では p=q=1金本位離脱以降を対象とした場合では p=0 q=0 が選択されるした

がってここでは各期間において選択されたラグ(pq)に従って推計を行うスペースの節約

のため選択されたモデルの結果のみを表4に示す推計方法は 小二乗法を使用して

いる

17

表4 政策反応までのラグ

(1)全期間1919年1月~36年12月

(p=1q=0)

係数

定数項 r-βπ tar 0612

(3895)

当期インフレ率 (1+β )0 0042

(2220)

前期インフレ率 (1+β )1 -0047

(2463)

当期GDPギャップ α 0 0042

(2436)

前期の金利 λ 1 0867

(28290)

R2 0789

自由度調整済みR2 0785標準誤差 0895

DW統計量 2756

(2) 金本意離脱前1919年1月~31年12月(3) 金本意離脱後1932年1月~19年12月

(p=1q=1) (p=0q=0)

係数 係数

定数項 r-βπ tar 1392 定数項 r -βπ tar 0364 (3907) (2348)

当期インフレ率 (1+β )0 0076 当期インフレ率 (1+β ) -0002

(3149) (1048)

前期インフレ率 (1+β )1 -0066 前期インフレ率 (1+β )1

(2682)

当期GDPギャップ α 0 0022 当期GDPギャップ α 0 -0004

(0661) (0321)

前期GDPギャップ α 1 0009 前期GDPギャップ α 1

(0338)

前期の金利 λ 1 0748 前期の金利 λ 1 0867

(12691) (15181)

R2 0719 R2 0933

自由度調整済みR2 0710 自由度調整済みR2 0929

標準誤差 0997 標準誤差 0248

DW統計量 2643 DW統計量 2594

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法

によって修正を加えている

表4(1)の全期間を対象とした場合全ての変数が5で有意であるまた1+β の推計値か

ら計算されたβ は全て負となりインフレまたはデフレ促進的な政策が行われていたと解

釈されるGDPギャップについてはα が正であるが係数の値は非常に小さい一方金利

の平準化の程度を示す 1λ の係数は大きい

金本位制離脱以前の推計結果表 4(2)ではGDP ギャップの係数以外が有意である推計

18

された係数の値をみるとこの時期のβ も表 4(1)の全期間を対象とした値とあまり変わ

らないが 1λ はやや小さくなっているこの時期政策策定者は金利を平準化しつつイン

フレを促進するような政策をとっていた可能性がある

後に金本位制離脱以後の推計結果表 4(3)からは 1λ 以外は有意ではない

すなわち全期間を通していえることは金利の平準化の要素が強くまたインフレおよび

デフレを是認あるいは促進的な政策となっていた係数の値はいずれも小さくλの係数

をコイック型のラグと考えてそれぞれの係数を 1(1-λ)倍しても小さい

3拡張テイラールール

31 拡張テイラールールの定式化先行研究データ

これまでの結果は物価については鎮目[2002](図表7)とも共通であり物価を不安

定にする金融政策が行われていたことになるさらに鎮目では GDP ギャップの係数は 31

年までは正であり景気変動抑制的だったが32 年以降は負となり景気変動を拡大する

ような金融政策が行われていたことになる本稿の GDP ギャップの係数も正から負に変わ

っているただしいずれにしろその係数は小さいので景気変動を抑制するように金融

政策が行われていたとは言えない

以上の結果はむしろ戦間期の金融政策は金融政策は国内の経済安定に重点を置い

て物価と景気を見ながら行うべきというテイラールールでは説明することが難しいと解

釈すべきだろうこれは鎮目の結果とも共通しているそこで次に戦間期の金融政策は

経常収支為替レートの安定など対外均衡に重点を置いて行われていたのではないかと

いう常識に従いテイラールールを拡張して金融政策が経常収支や金外貨準備や海外

金利にも影響されて行われていたとする鎮目[2002]はテイラールールに金外貨準

備海外金利経常収支資本収支を加えている月次で資本収支(およびその代理変数)

のデータを得ることはできなかったので我々の推計式は鎮目[2002]を参考に

1 2 3 4 5 6( ) (1 )tar

t t t t t t t t ti r x TB S NYP fori reserveβπ β π α α α α α α ε= minus + + + + + + + + +

(4)

とする

ここで月次の経常収支はデータが得られないため輸出入の差を名目GDPで割った貿易収

支比率TBを使用している(ここで用いている名目GDPは鉱工業生産指数times卸売物価指数で

ある)貿易収支比率は実際の名目GNPで修正している7またSは為替レートの変化率を

7貿易収支比率 TBは具体的には以下である

1928t1928 GNP( ) 100

1928 t GDP( )GDP( ) 1928

tTB = times times

年の貿易収支合計

期の貿易収支年の名目 大川推計

月次貿易収支の 年平均 期の名目 の代理変数

月次名目 の代理変数 の 年平均

19

示しており値が増えるのが円高である8ニューヨーク物価NYPはニューヨークの卸売物価

指数の前年同月変化率()であるforiは外国の市中金利()を示しニューヨーク金利

あるいはロンドン金利のいずれかである貿易収支が赤字に円の為替レートが下落すれ

ば金利は引き締められるニューヨークの物価が下落すれば日本の金融も引き締めざ

るを得ないニューヨークまたはロンドンの金利に追随するしかないと考える正貨

reserveは金本位制であればこれが増大すれば金融を緩和し減少すれば金融を引き締め

ることになる(ただし正貨は21年3月から29年3月までのデータしかない)また正貨は

1924年1月から11月1925年289月のデータが欠損しているので線形補間によってデ

ータを補っている9

符号条件は貿易収支比率為替レート変化率ニューヨーク物価上昇率正貨が負

ニューヨークおよびロンドンの金利が正である

以上で為替レートニューヨーク物価が鎮目[2002]の分析に対し新たに追加した変

数である

ここで新しく追加した変数貿易収支比率と為替レートと名目GDPの代理変数とニュー

ヨーク物価とニューヨーク金利とロンドン金利と正貨準備を図7図8図9に示してお

くここで名目GDP(その代理変数)は鉱工業生産times卸売物価指数である

8第1節と同じように為替レートの水準は 100 円当たりのドルで表しているので変化率

に修正しても値が大きくなると円高を示すことになる 9 また日本銀行調査局『本邦経済統計』では1922 年 11 月の正貨準備高の値が 1386957540円と記載されているが前後月の数値から判断して 1836957540 円の誤記と推測し修正を加

えている

20

図 7 コールレートニューヨーク市中金利ロンドン市中金利

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

200

0

2

4

6

8

10

12

14

16

18

コールレート(右軸) ニューヨーク市中金利(右軸) ロンドン市中金利(右軸)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

図 8 貿易収支比率為替レート変化率名目 GDP(対数値)

0

2

4

6

8

10

12

14

-50

-40

-30

-20

-10

0

10

20

30

貿易収支比率 為替レート変化率 名目GDP

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

21

図 9 正貨準備高ニューヨークインフレ率

0

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

-60

-40

-20

0

20

40

60

正貨(単位億円) ニューヨークインフレ率(卸売り物価指数)

なお追加した説明変数貿易収支比率為替レートニューヨーク物価ニューヨー

ク金利ロンドン金利正貨準備が独立でないという問題があるうちニューヨーク金

利とロンドン金利は同時には入れず他の変数と代替的に入れることとするそれでも

貿易収支比率と為替レートが独立ではないという問題があるかもしれない単純に為替

レートが割安であれば経常収支が黒字に動き割高であれば経常収支が赤字に動くという

メカニズムによって為替レートと経常収支が独立ではないということになる

また為替レート関数の推計において自国と他国の物価マネーサプライ金利生

産に加えて経常収支またはその累積を説明変数に入れるのが通常であることを考えれ

ば当然に問題となるしかし多くの推計で為替レートに対して経常収支またはそ

の累積の説明力はそれほど高くはない10

ちなみに変数間の相関行列を取ると表5のようになる(推計期間は正貨を含む変数間

は 1919 年から 1929 年 3 月それ以外の変数間は 1919 年 1 月 1936 年 12 月まである)貿

易収支比率と為替レートの相関を取ると相関係数は 0029 でありマルチコリニアリティ

10 深尾[1983] (167 頁)は日本の米国に対する 100 億ドルの経常黒字は 64の円高ドル

安要因になるとしているこれは大きな効果だがその後の推計によると経常収支黒字が円高

をもたらす効果は大きくはない河合[1986](第 94 表214 頁)によれば経常収支累積額が

1の上昇は実質為替レートを 0068~0163上昇させるにすぎないその後も同様の推計

がなされているが(経済企画庁[1997]第 1-2-1 図③経済企画庁[1999]付図 1-5-2原田[2004])いずれの推計においても経常収支が為替レートに与える影響は大きなものではない

22

の問題は避けられていると判断できる当時のデータで為替と貿易収支の相関が弱い理

由として金解禁への動きが度々予想されていたので為替レートが貿易など実態経済

の状況にかかわらず高騰していたこともあげられる表 5 から説明変数間で(被説明変

数のコールレートを除く)相関係数の絶対値が 04 以上のものを上げると卸売物価と GDP

ギャップ卸売物価とニューヨーク卸売物価GDP ギャップとニューヨーク卸売物価ニュ

ーヨーク金利とロンドン金利貿易収支比率とコールレートがそうである卸売物価と GDP

ギャップはテイラールールの基本的な説明変数なので両者をともに入れるがニューヨ

ーク金利とロンドン金利については代替的にも推計することとする

表5 拡張テイラールールで使用された変数の相関行列

コールレート

インフレ率GDPギャッ

プ貿易収支比

率為替変化

率NYインフレ

率NY金利

ロンドン金利

正貨準備変化率

コールレート 1000 0222 0293 -0441 -0112 0082 0437 0264 -0113

インフレ率 1000 0437 0046 -0024 0482 0198 -0340 -0005

GDPギャップ 1000 -0056 0205 0605 0246 -0119 0042

貿易収支比率 1000 0029 0189 -0182 -0252 0183

為替変化率 1000 0259 0023 0019 0058

NYインフレ率 1000 -0071 -0378 -0084

NY金利 1000 0649 0291

ロンドン市中金利 1000 0092

正貨準備変化率 1000

32 拡張テイラールールの推計結果

推計期間は貿易収支が入手可能な1926年1月から1936年12月までの全期間と上述の(2)

式と比較するために1931年12月までとそれ以降の期間とする推計結果は表6の通り

である推計については上記3つの推計期間において 小二乗法を行っている新しく追

加した変数貿易収支比率為替レートの変化率ニューヨーク卸売物価上昇率ニュー

ヨーク金利ロンドン金利正貨準備の変化率の単位はである推計に当たっては系

列相関が疑われるためNewey-Westの方法によって標準誤差の修正を行っている

23

表6 拡張テイラールールの推計結果

係数 係数 係数 係数

定数項 r-βπ tar 3155 2980 定数項 r -βπ tar 5780 6596 (10072) (6939) (12603) (13464)

インフレ率 1+β 0008 0027 インフレ率 1+β 0041 0025

(0552) (1600) (1957) (1399)

GDPギャップ α 1 0036 0057 GDPギャップ α 1 0090 0083

(1156) (1798) (2584) (2412)

貿易収支比率 α 2 -0105 -0106 貿易収支比率 α 2 -0053 -0054

(5627) (4937) (2671) (3396)為替変化率 α 3 -0109 -0110 為替変化率 α 3 -0062 -0051

(3782) (3755) (1345) (0998)

NYインフレ率 α 4 0014 0011 NYインフレ率 α 4 0014 0012

(0820) (0645) (0651) (0682)

NY金利 α 5 0212 NY金利 α 5 -0133

(3002) (1599)

ロンドン金利 α 5 0399 ロンドン金利 α 5 -0466

(2870) (3071)R2 0397 0375 R2 0468 0503

自由度調整済みR2 0380 0357 自由度調整済みR2 0447 0483

標準誤差 1520 1548 標準誤差 1375 1329

DW統計量 0568 0531 DW統計量 0700 0794

係数 係数

定数項 r-βπ tar 2703 2617

(6657) (26032)

インフレ率 1+β -0018 -0016

(1920) (2396)

GDPギャップ α 1 -0052 -0059

(2353) (5464)

貿易収支比率 α 2 -0031 0004

(1779) (0381)

為替変化率 α 3 -0007 0028

(0423) (1526)

NYインフレ率 α 4 -0017 -0024

(3808) (5526)

NY金利 α 5 0423

(1421)

ロンドン金利 α 5 0742

(7283)

R2 0797 0899自由度調整済みR2 0774 0887

標準誤差 0443 0313

DW統計量 0757 0925

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とそれぞれの金利だけである

どちらの推計でもこれらの有意な変数は符号条件を満たしているインフレ率とGDPギャ

24

ップは5有意ではなくなり単純テイラールールでも小さかった係数はさらに小さ

くなるこれに対して貿易収支比率の係数は貿易収支比率が10ポイント分マイナス

に動けば1金利を引き上げることであるからある程度貿易収支に反応して金融政策

を行っていたと言えるだろう為替変化率の係数は為替レートが10下落したら金利

を1引き上げることであるからこちらもある程度は為替レートに反応して金融政策を

行っていたとも言えるだろうニューヨーク金利とロンドン金利が1上昇すると国内金

利をそれぞれ0204引き上げるということになっている

1926年1月から1931年12月までの推計ではニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれ

を用いた推計でも5で有意な変数はGDPギャップと貿易収支比率とロンドン金利であ

るがロンドン金利は符号条件を満たしていないGDPギャップは有意であるがその係数

は単純テイラールールの推計と同様に小さい貿易収支比率の係数は貿易収支比率で

10ポイント分赤字が増えれば金利を05引き上げることであるからある程度は貿易

収支に反応して金融政策を行っていたと言えるかもしれない

さらに1932年1月から1936年12月までの推計では物価GDPギャップニューヨーク物

価ロンドン金利が5で有意であるGDPギャップニューヨーク物価は符号条件を満た

していないロンドン金利は符号条件を満たしその係数も074と大きく日本の金融政

策はロンドンに追随して行われていたことになる

金本位制を意識して行われていたときには金融政策は対外均衡に重点を置き金本位

制を離脱した後はロンドンの金利に追随していたことになる日本の金融政策が英国

の金融政策に追随していたことは鎮目[2009]第2章の結果とも整合的である

さらに表7は以上の変数に正貨を追加したものであるデータの制約により1919年1

月から29年3月までしか推計できないのでこれは金本位制を意識して金融政策が行われて

いた期間の金融政策を評価していることになる

25

表7 (3)式の拡張テイラールールの推計結果(正貨準備の変化率追加)

係数 係数定数項 r-βπ tar 5431 7511

(7602) (8642)インフレ率 1+β 0028 0024

(1209) (1264)GDPギャップ α 1 0147 0095

(2352) (1698)貿易収支比率 α 2 -0050 -0034

(2522) (2089)為替変化率 α 3 0016 0097

(0173) (0989)NYインフレ率 α 4 0004 -0004

(0166) (0224)NY金利 α 5 -0071

(0665)ロンドン金利 α 5 -0662

(2795)正貨準備の変化率 α 6 -0071 -0087

(0796) (1138)R2 0410 0471自由度調整済みR2 0374 0438標準誤差 1451 1375DW統計量 0808 0934注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

正貨を追加した推計結果ではGDPギャップ貿易収支比率ロンドン金利が有意である

GDPギャップ貿易収支比率は符号条件を満たしているがロンドン金利は満たしていない

表7の1919年から31年の推計結果に比べてGDPギャップの係数の値は大きくなるが景気

安定化効果が大きかったとまでは言えない貿易収支の係数はほとんど変らず貿易収支

の状況を念頭に入れて政策を行っていたと言えるだろうロンドン金利符号が逆で海外

金利が下がると金利を上げるという結果になっている

以上の結果を鎮目[2002]と比べる鎮目は金外貨準備英国の短期金利経常収支

資本収支をテイラールールの式に追加していずれの変数も有意ではなかったと報告し

ているが本稿では追加した変数のうち貿易収支ニューヨーク金利(特にロンドン

金利)が符号条件を満たして有意になっている場合が多く対外均衡を意識した金融政策

が行われていた可能性を示唆している

33 拡張テイラールールに関する政策反応ラグ

以上の拡張テイラールールの推計では貿易収支比率為替変化率ニューヨークイ

26

ンフレ率ロンドン金利を追加したものが良好な推計結果をもたらしたそこで拡張テ

イラールールに関する政策反応ラグを考慮するために以上の変数に加えて被説明変数

の 1期ラグを追加したものを推計する11結果は表8のようになる

表8 拡張テイラールールの金利ラグ付き推計

係数 係数 係数 係数定数項 r-βπ tar 0623 0565 定数項 r-βπ tar 1806 2223

(3922) (3134) (3861) (3396)インフレ率 1+β -00001 0003 インフレ率 1+β 0012 0007

(0023) (0552) (1190) (0761)GDPギャップ α 1 0019 0023 GDPギャップ α 1 0044 0043

(1589) (1875) (2072) (2007)

貿易収支比率 α 2 -0024 -0023 貿易収支比率 α 2 -0019 -0020

(2312) (2239) (1514) (1767)

為替変化率 α 3 -0026 -0025 為替変化率 α 3 -0048 -0045

(1984) (2069) (1607) (1430)

NYインフレ率 α 4 -0002 -0002 NYインフレ率 α 4 -0004 -0004

(0277) (0388) (0337) (0389)NY金利 α 5 0040 NY金利 α 5 -0044

(1532) (1193)

ロンドン金利 α 5 0075 ロンドン金利 α 5 -0163

(1447) (1703)コールレート1期ラグ 0796 0802 コールレート1期ラグ 0680 0657

(18638) (20579) (9505) (8112)R2 0789 0788 R2 0707 0711自由度調整済みR2 0782 0781 自由度調整済みR2 0693 0697標準誤差 0902 0904 標準誤差 1023 1016DW統計量 2581 2574 DW統計量 2408 2415

係数 係数

定数項 r-βπ tar 0527 0900 (2552) (3391)

インフレ率 1+β -0004 -0005(1594) (1249)

GDPギャップ α 1 -0006 -0014

(1174) (1562)

貿易収支比率 α 2 -0001 0010

(0135) (1064)

為替変化率 α 3 0005 0019

(0542) (1247)

NYインフレ率 α 4 -0003 -0008

(1971) (2116)

NY金利 α 5 -0022

(0557)

ロンドン金利 α 5 0386

(3052)コールレート1期ラグ 0833 0608

(9986) (6019)R2 0934 0957自由度調整済みR2 0925 0951標準誤差 0255 0207DW統計量 2478 2362

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

11 単純テイラールールでは説明変数のラグを加えたがここではあまりにも煩雑になること

と単純テイラールールで被説明変数の 1 期ラグが重要であったことから被説明変数の 1 期

ラグのみを追加した

27

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とコールレートの1期ラグであ

る貿易収支比率と為替変化率のどちらの係数も符号条件を満たしているがコールレー

トの1期ラグがない場合と比べて係数の値は小さくなっているただしこの推計をコイ

ック型と考えて係数の長期の値を(1-コールレートの1期ラグの係数)で除すことによっ

て求めれば1期ラグがない場合の係数よりもかなり大きくなる

1926年1月から1931年12月までの推計ではGDPギャップとコールレートの1期ラグのみが

有意となるGDPギャップの長期係数を求めても値は小さいこの期間では金利を安定的

に維持することに金融政策が使われていたと言えるだろう

1932年1月から1936年12月までの推計では有意なものはロンドン金利とニューヨークイ

ンフレ率とコールレートの1期ラグとなってしまうニューヨークインフレ率は符号条件を

満たしているがその係数は小さいロンドン金利の係数は大きく日本の金融政策はロ

ンドンに追随して行われていたことになる

コールレートの1期ラグを入れるといずれの期の金融政策も金利の平準化の要素が大き

いと判断される金本位制を意識して行われていたときには金融政策はある程度は対外

均衡を考えていたようである金本位制を離脱した後はロンドンの金利を考慮していた

ようである

さらに表9は以上の変数に正貨を追加したものである(データの制約により1919年1

月から29年3月までの推計)これは金本位制を意識して金融政策が行われていた期間の金

融政策を評価していることになる

28

表9 正貨準備高の変化率を加えた場合

係数 係数定数項 r-βπ tar 1723 2771

(3126) (2898)インフレ率 1+β 0004 0005

(0356) (0518)GDPギャップ α 1 0088 0072

(2641) (2442)貿易収支比率 α 2 -0023 -0018

(1664) (1321)為替変化率 α 3 -0025 0008

(0544) (0189)NYインフレ率 α 4 -0007 -0010

(0617) (0924)NY金利 α 5 -0012

(0255)ロンドン金利 α 5 -0239

(1470)正貨準備の変化率 α 6 0001 -0005

(0013) (0079)コールレートの1期ラグ 0644 0603

(7451) (6371) R2 0652 0659自由度調整済みR2 0628 0635標準誤差 1119 1107DW統計量 2450 2452注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

有意なものはGDPギャップとコールレートの1期ラグであるGDPギャップは符号条件

を満たしている長期の係数を取ってもその係数は大きいとは言えない

34 対外均衡と対内均衡

対外均衡に重点を置いた金融政策を行うとは経常収支赤字や為替レート下落や外貨準

備の減少に対して金利を引き上げるというルールに従って金融政策を行うことである

通常であれば金本位制の下で国内がインフレになり競争力を失ったり景気が過熱

して輸入が増大したときには経常収支赤字や為替レート下落や外貨準備の減少が起きる

だろう経常収支の赤字や外貨準備の減少が起きたときには金融を引き締めるというルー

ルは国内がインフレになったり景気が過熱したときには引き締めるというルールでも

あるしたがって対外均衡に重点を置くことが国内均衡を必ず妨げるというわけではな

いこれは逆の場合も真実であるしかし1910 年代日本の経常収支や外貨準備は国

内の景気要因で変化したわけではない第 1 次世界大戦によって外需が増加し経常収支

29

が黒字となり外貨準備が増えた金本位制のルールに従って金融政策は緩和されマ

ネタリーベースは 1919 年 1 月から 1920 年 4 月までに 16 倍に増加した輸出超過の国は

金融緩和することによって輸入超過の国の不況を和らげることができる日本は金本

位制の正しいルールに基づいて金融を緩和しただけであるしかし戦争がおわりその

復興需要もなくなったとき経常収支は赤字となり外貨準備は減少したしかしかつ

て金準備に依存して増大していたマネタリーベースはそのままだった失われた外貨準備

に対してマネタリーベースを減少させなければならなかったしかし23 年までマネタリ

ーベースは増大し続けていた関東大震災という不幸もあってマネタリーベースを減少

させることはできなかったその後25 年まで引き下げていたが27 年には金融恐慌があ

りマネタリーベースを削減することができなかったその後28 年までマネタリーベ

ースはむしろ拡大していた29 年には金本位制復帰を目指してマネタリーベースを急減さ

せるがその結果は激しいデフレと不況だった

そもそも国内要因の変化によらない金準備の増加に対してマネタリーベースを拡大し

たことが誤りだった金本位制からの離脱は1917 年ではなくて欧米諸国が離脱した

1914-15 年になすべきだったそうであれば1910 年代末までのマネタリーベースの急増

はなかっただろうところが実際には金本位制から離脱したにも関わらず1920 年にか

けてマネタリーベースは拡大していた1920 年代からは失われた金準備に対してマネタリ

ーベースを削減することが試みられるようになるしかしそれは関東大震災や金融危機

によって頓挫するむしろマネタリーベースを削減するという試みがデフレと不況をも

たらしそれゆえに不良債権が増大してしまったということではないだろうか

35 小括1‐テイラールールの推計から得られた知見

以上のことから考えて1920 年代から 30 年代にかけては金融政策はインフレまたはデ

フレ促進的な政策を行っていた対外均衡にはある程度考慮した金融政策を行っていたこ

とが分かる

しかし1920 年代には金本位制に復帰するという政策が課題となっていたはずである

20 年代がデフレ促進的また対外均衡にある程度考慮した政策を行っていたことはこの

課題にとっては正しいものだろうしかし現実に採られたデフレ促進策では不十分だっ

た物価は旧平価で金本位制に復帰できるほど下がっていなかったのだからまた32 年

以降の金融政策についてもなぜ 32 年から急速な回復ができたのかそれと金融政策とは

どのよう関係しているかは分析できていない

これについて飯田岡田[2004]は昭和恐慌からの回復はデフレ脱却による実質金利

の下落が重要であって名目金利の低下は重要でなかったと分析しているこれによれば

名目金利の変化で金融政策の変化を見ることはできないことになるしたがって名目金

利の変化に着目するテイラールールでは31 年 12 月以降の高橋是清蔵相の金融政策の意

味を理解できないことになる

30

また金融政策が物価および景気安定を意図していなかったら何を意図していたのだ

ろうか本稿での結論は為替レートや経常収支に視点を置いた対外均衡を意識していた

ということになる

いずれにしろテイラールールだけでは戦前期の金融政策を十分には理解できない

ことになるそこで戦前期の金融政策を別の方法で評価してみよう

4マッカラムルールによる金融政策の評価

41 マッカラムルールの意味と定式化とデータ

以下ではマッカラムルールで戦間期の金融政策を評価することにするマッカラム

ルールを用いて金融政策の在り方を判断した研究としてはマッカラム自身の分析を始め

として多くのものがある(例えばMcCallum[1987][1988]マッカラム[1997]第 15 章)

日本のデータを用いたものにおいても McCallum[1987]岡田飯田[2004]などがあるし

かし日本の戦前期についてはおそらく安達[2006](第7章)しかないと思われる安

達は年データを用い目標値として設定された名目 GNP 成長率(5と設定している)

を達成するためのマネタリーベースを求め現実のマネタリーベースの成長率が 1936 年ま

で過小でそれ以降過大であることを示している本稿では月次データを用いているので

期間ごとの金融政策の在り方も検討することができる

マッカラムルールとはマネタリーベースの成長率を名目GDPの望ましい成長率に

依存させるルールである(McCallum[1987]マッカラム[1997]第 15 章)しかし貨幣の

流通速度 vは変化するので貨幣の流通速度の変化に応じてマネタリーベース bの動きを調

整することが必要となるこのようなルールはbvなどを対数値として望ましいマネタ

リーベースの成長率⊿bをマネタリーベースの流通速度Δvに応じて変化させるというルー

ルであるただしvは景気変動によって大きく変動しているのでそれが技術的な変化と

見なせる 2 年間の平均値 tvΔ であるとする12すなわちマッカラムルールに基づくマネタ

リーベースの成長率とは

tbΔ =マネタリーベースの望ましい成長率- tvΔ

であるここでマネタリーベースの望ましい成長率はサンプル期間(1919 年 1 月から 1933

年 12 月まで)のマネタリーベースの平均成長率とする13マッカラムはマネタリーベース

の望ましい成長率を名目 GDP の成長率としているがここではまずこの期間の経済を再現

することを目的としているので現実のマネタリーベースの成長率を採用したマネタリ

12 マッカラム(1997)第 15 章では流通速度として 4年平均を使用しているが本稿ではサンプル

期間が短いため 2年平均としている 13 サンプル期間は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月であるがマネタリーベースの流通速度の平

均値作成のため 初の 24 か月が失うのでここで計算された望ましいマネタリーベースの成長

率は 1921 年 1 月から 1933 年 12 月までの平均となっている

31

ーベースの動きを図 10 に示しているマネタリーベースは季節性が強いので季調値も図示

しているなお前述のように戦前期の月次名目 GDP のデータは存在しないのでIIP に

卸売物価を掛けたものを名目 GDP の代理変数とする(ここで使うデータの定義と出所は前

掲の表1にある)

図 10 マネタリーベース(原数値と季節調整値)の動き

0

50000

100000

150000

200000

250000

19191

19197

19201

19207

19211

19217

19221

19227

19231

19237

19241

19247

19251

19257

19261

19267

19271

19277

19281

19287

19291

19297

19301

19307

19311

19317

19321

19327

19331

19337

観察されたベースマネー(単位万円) 季節調整済マネタリーベース(単位万円)

作成されたマネタリーベースの成長率は1919 年 1 月から 33 年 12 月までで年率 12

月次では 01となるすなわち

tbΔ =0001- tvΔ

ここで考察する期間を 1919 年 1 月から 33 年 12 月までとしたのは34 年以降の GDP の伸び

が大きすぎトレンドの作成において歪みを生じさせるからであるまた33 年は昭和恐

慌から脱却し経済が安定していた時期でもある

さらに名目 GDP が何らかのショックによって平均的な成長経路よりも上回った時に

はマネタリーベースの伸び率を低下させるようなルール(下回った場合は逆)を導入し

ようすなわち

tbΔ =0001-

1 1( )t t tv y yλ minus minusΔ + minus

32

となるただし目標値

1ty minus は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月までの月次平均成長率 04

成長経路での名目 GDP の対数値であるまたマッカラムによればλは四半期データで 025

が望ましいとされているがここでは月次データを使用しているのでとりあえず 12 分の 1

とすることを考えたがこの期間の名目 GDP は戦後の日米名目 GDP のデータより大きく変

動しているのでさらに小さくする必要があるマッカラムも「λの値を選択する場合

もし間違えるとすれば小さな値を採るほうがよい」(マッカラム[1997]308 頁)としている

そこでλは 36 分の1とした 終的なルールは

tbΔ =0001-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (5)

となる

マッカラムは望ましいインフレ率をゼロとするマネタリールールを求めているがこ

こでは実際には大きく変動したマネタリーベースを安定的に動かしていたらどうなったか

を考えることにしているので名目 GDP の動きは現実のものを使いルールにもとづくマ

ネタリーベースと実際のマネタリーベースをまず比較することにする

次に名目 GDP の決定に関する次のようなモデルを 小二乗法により推計する結果は

1 1 2 3

2

0004 0295 0053 0110 0106 0071 - 0069 23- 0046 27(1596) (3634) (1054) (1404) (2300) (1831) (6731)

R 0109 SE=0029 BG(24)=33227

(1822) t t t t t t ty y b b b b dummy dummy eminus minus minus minusΔ = + Δ + Δ + Δ + Δ + Δ +

=

(6)

となる14但し yΔ は名目 GDP の変化率 bΔ はマネタリーベースの成長率dummy23 は関東

大震災の時の一時的な変動をとらえるために 1923 年 9 月を 1それ以外を 0 としたダミー

変数dummy27 は金融恐慌時の一時的な変動をとらえるために 1927 年 4 月 5 月を 1それ

以外を 0としたダミー変数サンプル期間は推計に使用する変数が全て揃う 1921 年 1 月か

ら 1933 年 12 月までまたここでの残差 te は攪乱項の推定値2R SE BG(p) はそれぞれ

自由度修正済み決定係数攪乱項の標準誤差p 次の Breuch-Godfrey テストのχ二乗統計

量( )内は Newey-West の方法により修正した t値を示している15

ここで当時マッカラムルールなどという議論がなかったのだからこのような分

14 ここでは bΔ は現実のマネタリーベースの成長率を使用して推計を行っている 15 研究の対象期間は 1919 年 1 月からであるが平均流通速度 tvΔ の計算のために 初の 24 ヶ

月分が使用できないそのため他のシミュレーションの対象期間と整合性を保つため 1921 年 1

月からとしているまたこの推計式にはラグ付き内生変数を含むためダービンワトソンテスト

ではなく Breush-Godfrey テストを報告しているこの Breush-Godfrey テストから系列相関が疑

われるためNewey-West の方法により標準誤差を修正している

33

析は意味がないという批判があるかもしれないがこれにはテイラールールの節で述べ

たのと同じ反論が可能であるマッカラムルールとは名目 GDP が上昇しすぎたら(そ

のときには景気が過熱するかインフレが高進していると考えられる)マネーを縮小し

名目 GDP が下降しすぎたら(そのときは景気が悪化するかデフレになっている)マネーを

拡大するという素朴なルールである当時このようなルールが意識されていなかったと

は考え難い

42 長期的な経済を再現するシミュレーション

まずマッカラムルールによって現実の長期的な経済の経路を再現してみようルー

ルにもとづくマネタリーベースと実際のマネタリーベースのレベルと成長率とを図

11(1)(2)に示す

政策ルール(5)式が実施された場合の名目 GDP(の代理変数)の動きを見るために(5)式

から得られる理論値 tbΔ (6)式の残差 te 初期値 1ty minusΔ に目標 GDP

1ty minusΔ を代入してマ

ッカラムルールに従った場合の名目 GDP y の系列を求める現実の xとマネタリーベース

のルールに従った場合の y の系列を比べてみたのが図 11-(3)である図 11-(3)からマ

ネタリーベースのルールに従った場合の y の系列が安定していることが分かるこのよう

に安定的な名目 GDP の系列を得るためには第 1 次世界大戦後の金融引締めが過大で20

年代初期の金融緩和が過大30 年の金融引締めが過大だったと判断される

図 11 マッカラムルール

(1)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

34

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT MBDOT

注)BDOT はマッカラムルールの下でのマネタリーべースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(2)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

35

100000

120000

140000

160000

180000

200000

220000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC MB_SA

注)MB_SA はマネタリーベース(季節調整済)の現実値

B_MC はマッカラムルールに従った場合のマネタリーベース水準

またマッカラムルールの下でのマネタリーベースの初期値は現実値を使用

単位は万円

(3)マッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

36

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULE XSTAR X

注)GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

43 物価を下落させるシミュレーション

以上の結果はマネタリーベースの伸びを安定的にしていれば経済変動はより少なく

なっていただろうということを示しているしかしもし第 1 次世界大戦前の旧平価で金

本位制に復帰することが目的であったとしたら1節で述べたように物価を 3 割下げな

ければならない名目 GDP(その代理変数)は実質 GDP の変化がないとして1919 年 12

月から 29 年 12 月までに 3割下がらなければならない

そこで名目 GDP(その代理変数) y は現実の値よりも毎月 03ずつ低下しなければ

ならないので(5)式の定数項 0001 から 0003 を引いて-0002 とするすなわち

tbΔ =-0002-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (7)

とならなければならないここでの系列 y も実際の値から毎月 03ずつ引き下げたも

のを使っているつぎに(7)式の bを(6)式に入れると図 12 のようになる図に見られるよ

うに名目 GDP は安定しかつ小さくなっているすなわち物価が 3 割下落していること

が分かる

37

図 12 物価を下落させた場合

(1) 名目 GDP の目標値とマッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULEXSTAR

XGDP3_RULE

XSTAR_3

注) GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

GDP3_RULE は物価を 3割下げたマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR_3 は物価を 3割下げた場合の目標となる名目 GDP(対数値)

38

(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

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  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 10: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

9

の関係で見ると経済変動を増幅させる方向で働いてきたこと(2 金融政策は金本位制

という通貨体制と密接に関係しており国内経済の安定を犠牲にして為替レート目標を追

求してきたことを示しているさらに(3)1931 年の金本位制離脱後国内経済の安定に繋が

る金融政策が可能であったにも関わらずそのような金融政策運営が行われていたとは言

えないことを示している

私たちも戦間期の金融政策について昭和恐慌前後の時期に焦点を当てて分析を続

けてきた(原田中澤[2004]原田[2005]原田佐藤中澤[2008])鎮目の分析は年

次データを用いているので戦間期全体の金融政策を分析できるが昭和恐慌前後ある

いは第 1 次大戦直後など特定の時期に焦点を置いた分析とはなっていないそこで私

たちは月次データを用いることで特定の時期に焦点を置いた分析が可能になるとと考

えたまた鎮目は金本位制という通貨体制を問題にしながら為替レートを説明変数

に入れていないこれも私たちがさらなる分析が必要と判断した理由である

23 データの説明

戦間期の経済データは主に日本銀行「本邦経済統計」東洋経済新報社『経済統計年鑑』

大蔵省「大蔵省年報」一橋大学経済研究所日本経済統計文献センター統計資料シリーズ『景

気指数1888~1940 年』などから得ることができるここで用いるデータは1926 年 1 月

から 1936 年 12 月までのコールレート卸売物価指数鉱工業生産指数為替レート貿

易収支でありこれらの定義と出所を表1に整理しておく(ここで3のマッカラムル

ールの推計で用いるデータについても定義と出所を示しておく)

表 1 使用データ(月次)の出所

変数名 出所

コールレート 日本銀行『本邦経済統計』

鉱工業生産指数 東洋経済新報社『経済統計年鑑』各年版

卸売物価指数

藤野正三郎五十嵐副夫『景気指数1888~1940 年』一橋大

学経済研究所日本経済統計文献センター統計資料シリーズ

No2

為替レート 日本銀行「本邦経済統計」外国為替相場(横浜正金銀行建値)

ニューヨーク電信平均

貿易収支 輸出-輸入大蔵省「大蔵省年報」各年版

マネタリーベース

大蔵省理財局編『金融事項参考書』日本評論社(日本銀行兌換

券差引流通残高と日本銀行預金貸出金残高表「一般預金」の和)

及び 藤野五十嵐前掲書

10

現金通貨 藤野五十嵐前掲書

ニューヨーク卸売物価 日本銀行調査局『外国経済統計』

ニューヨーク市中金利 日本銀行調査局『外国経済統計』

ロンドン市中金利 日本銀行調査局『外国経済統計』

正貨準備高 日本銀行調査局『本邦経済統計』

これらのデータはなじみのないものであるのでそのグラフを図3図4に示しておく

鉱工業生産指数は 1930 年 1 月を 100 としているコールレートおよび卸売物価指数による

インフレ率(前年同期比)の単位は為替レートは 100 円当たりの 1 ドル価格貿易収支

は 100 万円単位であるまた鉱工業生産指数卸売物価指数および貿易収支を構成する輸

出と輸入は X12-ARIMA によって季節調整を行っている貿易収支は輸出輸入を季節調整

して差を取ったものである

図 3 使用データ(月次)のグラフ鉱工業指数貿易収支為替レート

-16E+08

-14E+08

-12E+08

-1E+08

-8000000

-6000000

-4000000

-2000000

0

20000000

40000000

60000000

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

200

貿易収支 鉱工業生産指数 為替レート

注)鉱工業生産指数と為替レート(ドル100円)は左軸貿易収支は右軸

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

11

図 4 使用データ(月次)のグラフインフレ率コールレート

0

2

4

6

8

10

12

-100

-50

0

50

100

150

200

1919M01

1919M05

1919M09

1920M01

1920M05

1920M09

1921M01

1921M05

1921M09

1922M01

1922M05

1922M09

1923M01

1923M05

1923M09

1924M01

1924M05

1924M09

1925M01

1925M05

1925M09

1926M01

1926M05

1926M09

1927M01

1927M05

1927M09

1928M01

1928M05

1928M09

1929M01

1929M05

1929M09

1930M01

1930M05

1930M09

1931M01

1931M05

1931M09

1932M01

1932M05

1932M09

1933M01

1933M05

1933M09

1934M01

1934M05

1934M09

1935M01

1935M05

1935M09

1936M01

1936M05

1936M09

卸売物価指数(前年同期比左軸) コールレート(右軸単位)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

本稿の目的であるテイラールールの推計では説明変数として GDP ギャップを用いる

がGDP は月次データでは入手できないのでここではGDP 1hp

IIPIIP

= minusギャップ を鉱工業

生産指数 IIP と IIPhpはのギャップで作成しているIIPhpは「潜在 GDP」の代理変数である

「潜在生産指数」で表わしており鉱工業生産指数に HP フィルター(Hodrick-Prescott

filter)をかけることによって作成した4作成した GDP ギャップは図5である

この GDP ギャップが実態と合っているかを考察するためにここで作成された GDP ギャ

ップの動きと藤野[1965](第 2-3 表)の認定した景気循環クロノロジーと比較してみる

藤野によれば1915 年 2-3 月~1920 年 1-2 月が拡張期21 年 5 月までが縮小期29 年 2

月までが拡大期31 年 7 月までが縮小期それ以降が拡大期となっているまた良く知

4 本稿では潜在 GDP 作成に際しHodrick and Prescott [1997以降 HP フィルターと呼ぶ]に

よるフィルタリング関数のスムージングパラメータλ=1166400 を選択してトレンドを抽出し

ているここでは報告されていないがHP フィルターのλ=12960014400移動平均のラグと

リードに関して対称な加重を計算するフィルタリング関数をもつ Baxter and King[1999]およ

び移動平均の加重に関して非対称な加重を許す Christiano and Fitzgerald [2003CF フィルタ

ー]を用いて比較検討しているCF フィルターでは季節調整済みの IIP 系列が単位根過程に従

っているためChristiano and Fitzgerald[1999]に従って平均なしトレンドなしドリフ

トなし平均トレンドドリフト全てなしの 4種類を使用して検討を行っている 終的に藤

野[1965]の景気循環周期と整合的になるように HP フィルターのλ=1166400 を選択したこれら

の結果を入手したい場合は筆者に連絡されたい

12

られているように20 年には第 1次世界大戦の終結による国際的経済反動があり23 年に

は関東大震災があり27 年には金融恐慌があった作成した GDP ギャップはこれらの変

動を基本的には捉えていると言えるだろう

さらに失業率の動きを前掲の図5に示す(失業率は内務省社会局社会部職業課「失業

状況推定月報概要」による)図に見るように失業率のデータがあるのは 1931 年 1 月か

ら 33 年 12 月までであるがその間の GDP ギャップと失業率の動きは正負逆でGDP ギャッ

プの変動が大きいという問題はあるがほぼ同じように動きをしているまた失業率の

動きが GDP ギャップの動きに遅れていることも雇用が景気の遅行指標であるという今日

の常識に照らして合理的であるしたがってHP フィルターで作成した潜在生産指数およ

び GDP ギャップも景気変動を反映した適切なもの判断できるだろう

図 5 使用データ(月次)のグラフGDP ギャップ

0

01

02

03

04

05

06

07

08

09

1

-20

-15

-10

-5

0

5

10

15

20

GDPギャップ lambda=1166400 藤野(1965)の景気後退期 失業率(単位)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

24 テイラールールの推計

241 推計結果

(2)式の推計結果は表2の通りである推計期間は全サンプルがそろう 1919 年 1 月か

ら 1936 年 12 月である36 年を終わりとしたのはそれ以降は軍の圧力によって政策が行

われ金融政策の自立的な動きを議論することはできないと考えたからである推計方法

は 小二乗法を使用しているなおダービンワトソン統計量からは系列相関が疑われるた

13

め 小二乗推定量が有効性を持たない可能性があるので標準誤差を Newey-West の方

法によって修正を加えて t検定を行っている5

推計結果の解釈としては1 β+ の推計値 0016 からβ は-0984 でありインフレ率が

目標インフレ率よりも高まれば金利を引き下げ逆にインフレ率が目標インフレ率よりも

低ければ金利を引き上げるという物価を不安定にするデフレ的な金融政策を採用していた

ことになる(インフレの時はインフレ促進的になる)ましてβはほぼマイナス1である

のでかなりインフレまたはデフレ促進的な金融政策を行っていたことになるこれを現

実の経済情勢に当てはめれば20 年代のデフレ期ではデフレ促進的な金融政策を行い30

年代のインフレ期ではインフレ促進的な金融政策を行っていたことになるただしこの

係数は 10レベルでも有意ではない

なお物価を下落させることを目標としてもデフレ促進的でなく長期的な目標をも

ってテイラールールに基づいて物価を下落させることができることを念のために指摘し

ておくすなわち物価上昇率の目標レベルを低くすれば目標より物価が上ったときは

引締め下がったときは緩めるという物価安定的でかつ長期的に物価を下落させる方法

は可能でありまたその方が望ましいだろう

一方α は 0108 なので GDP ギャップが正のとき金利を引き上げる景気安定的な政策を

とっていたことになるただしα は 10で有意であるが係数が小さいので(GDP ギャ

ップがマイナス 10でも金利を108下げるだけ)景気安定化効果が大きかったとは言え

ないだろう

表 2 (2)式のテイラールールの推計結果

係数

定数項 r -βπ tar 4669

(17711)インフレ率 1+β 0016

(0823)GDPギャップ α 0108

(1679)R2 0085自由度調整済みR2 0077標準誤差 1855DW統計量 0258

注)( )内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

全期間1919年1月~1936年12月

5 本稿には載せていないがここでは 尤法による推計も行っている 尤法による推計では誤

差項に正規分布を仮定した場合 小二乗推定値とほぼ等しい推定値でかつ漸近的 t値からが

1 β+ が 10αが 1で有意であることが確認されている

14

さらにサンプル期間を1930 年の昭和恐慌期を含む期間と含まない期間に分けて推計を

行う具体的には1919 年 1 月から 1931 年 12 月までと1932 年 1 月以降から 1936 年 12

月までの 2 期間に分割して(2)式の推計を行う金融政策は1931 年 12 月以前は金本位制

への復帰を求めていたがそれ以降は金本位制を離脱し金本位制に制約されることがな

くなったと考えての分割である(金本位制からの離脱は 31 年 12 月正式には 32 年 1 月)

推計結果は表 3 に示しているここでも標準誤差を Newey-West の方法によって修正して

いる

表 3 期間分割後のテイラールールの推計結果

係数 係数

定数項 r -βπ tar 5450 定数項 r-βπ tar 3113

(22627) (10790)インフレ率 1+β 0057 インフレ率 1+β -0009

(3877) (0644)GDPギャップ α 0061 GDPギャップ α -0182

(0898) (2307)R2 0313 R2 0175自由度調整済みR2 0304 自由度調整済みR2 0146標準誤差 1542 標準誤差 0862DW統計量 0475 DW統計量 0241

注)( )内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1931年12月 (2)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

推計結果表3-(1)を見ると1919年1月から1931年12月において(1+β)が1で有意であ

あるまた値は00567でありこれから1を引くとβ =-0943となる (1)式から考える

と物価が目標インフレ率以上に上昇したときには政策金利をほぼ物価上昇率と同じだ

け引き下げるという政策を行っていることがわかるこの期間はほぼ物価が下落してい

たのでデフレ促進的な政策を採っていたことになる

GDP ギャップに関しては有意ではないがギャップが1ポイント縮小すると政策金利

を 0061引き上げるすなわち景気が拡大したときには政策金利を引き上げるという景

気変動抑制的な政策が行われていたことがわかるもちろんその係数は小さいので実

際にどれだけそのような効果があったかは分からない

表3-(2)で1932年1月から1936年12月の推計結果をみる物価の係数(1+β)-0009か

ら1を引くと-1009となり物価が上ると金利を引き下げるという政策をとっていたこ

とが分かるこの期間は物価が回復または上昇していた時期であるのでインフレ促進的

な政策を行っていることがわかる

GDP ギャップに関しては 5で有意でありギャップが1ポイント縮小すると政策金

利を 0182 引き下げるという景気変動拡大的な政策が行われていたことがわかるただし

15

その係数は小さいので効果も小さかったと思われる

これらの結果を鎮目[2002]と比べるとインフレ促進的またデフレ促進的な政策が行

われていたということについては共通しているGDP ギャップについて 32 年以降マイナス

になるというのも鎮目と共通であるただし本稿の推計した係数値は鎮目に比べてき

わめて小さい

242 区間分けについての確認

これまでの期間分割は暫定的なものであったこの区間分割が合理的なものであるかを

どうかを確認するために逐次回帰法(recursive least squares)を行った結果が図6で

ある6

図6で 1+βαの動きをみると30 年以降に大きく動いておりこの期間分けは合理的

なものだったと分かる

図 6 逐次回帰推計

-08

-04

00

04

08

12

16

1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1934 1936-1

0

1

2

3

4

1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1934 1936

25 政策反応までのラグ

これまでの分析は当期の物価景気貿易収支為替が金融政策に影響を及ぼすとし

ていたしかし為替はともかく物価景気貿易収支については認知のラグがあり

また経済情勢を慎重に見極めながら政策を行っていると考えられるそこでここでは次

のようなモデルについて推計を行うことにする

6 ここで使用した逐次回帰法は推計期間として 1から説明変数の個数より大きいサンプル数を

選び係数を推計し次は 終期を 1期追加して係数を推計といった手順を繰り返す手法である

詳しくは森棟(1999)4 章を参照のこと

1+β α

16

1 1

1 1

0 0

( ) (1 )tart p t p q t q t t

p q

i r x iβπ β π α λ εminus minus minus= =

= minus + + + + +sum sum (3)

ここでは p=0 q=0 のケースp=0 q=1 のケースp=1 q=0 のケースp=1 q=1 の

ケースについて推計を行った結果自由度修正済み決定係数および赤池情報基準によって

モデルを選択すると全期間を対象とした場合は p=1q=0金本位離脱以前を対象期間に

した場合では p=q=1金本位離脱以降を対象とした場合では p=0 q=0 が選択されるした

がってここでは各期間において選択されたラグ(pq)に従って推計を行うスペースの節約

のため選択されたモデルの結果のみを表4に示す推計方法は 小二乗法を使用して

いる

17

表4 政策反応までのラグ

(1)全期間1919年1月~36年12月

(p=1q=0)

係数

定数項 r-βπ tar 0612

(3895)

当期インフレ率 (1+β )0 0042

(2220)

前期インフレ率 (1+β )1 -0047

(2463)

当期GDPギャップ α 0 0042

(2436)

前期の金利 λ 1 0867

(28290)

R2 0789

自由度調整済みR2 0785標準誤差 0895

DW統計量 2756

(2) 金本意離脱前1919年1月~31年12月(3) 金本意離脱後1932年1月~19年12月

(p=1q=1) (p=0q=0)

係数 係数

定数項 r-βπ tar 1392 定数項 r -βπ tar 0364 (3907) (2348)

当期インフレ率 (1+β )0 0076 当期インフレ率 (1+β ) -0002

(3149) (1048)

前期インフレ率 (1+β )1 -0066 前期インフレ率 (1+β )1

(2682)

当期GDPギャップ α 0 0022 当期GDPギャップ α 0 -0004

(0661) (0321)

前期GDPギャップ α 1 0009 前期GDPギャップ α 1

(0338)

前期の金利 λ 1 0748 前期の金利 λ 1 0867

(12691) (15181)

R2 0719 R2 0933

自由度調整済みR2 0710 自由度調整済みR2 0929

標準誤差 0997 標準誤差 0248

DW統計量 2643 DW統計量 2594

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法

によって修正を加えている

表4(1)の全期間を対象とした場合全ての変数が5で有意であるまた1+β の推計値か

ら計算されたβ は全て負となりインフレまたはデフレ促進的な政策が行われていたと解

釈されるGDPギャップについてはα が正であるが係数の値は非常に小さい一方金利

の平準化の程度を示す 1λ の係数は大きい

金本位制離脱以前の推計結果表 4(2)ではGDP ギャップの係数以外が有意である推計

18

された係数の値をみるとこの時期のβ も表 4(1)の全期間を対象とした値とあまり変わ

らないが 1λ はやや小さくなっているこの時期政策策定者は金利を平準化しつつイン

フレを促進するような政策をとっていた可能性がある

後に金本位制離脱以後の推計結果表 4(3)からは 1λ 以外は有意ではない

すなわち全期間を通していえることは金利の平準化の要素が強くまたインフレおよび

デフレを是認あるいは促進的な政策となっていた係数の値はいずれも小さくλの係数

をコイック型のラグと考えてそれぞれの係数を 1(1-λ)倍しても小さい

3拡張テイラールール

31 拡張テイラールールの定式化先行研究データ

これまでの結果は物価については鎮目[2002](図表7)とも共通であり物価を不安

定にする金融政策が行われていたことになるさらに鎮目では GDP ギャップの係数は 31

年までは正であり景気変動抑制的だったが32 年以降は負となり景気変動を拡大する

ような金融政策が行われていたことになる本稿の GDP ギャップの係数も正から負に変わ

っているただしいずれにしろその係数は小さいので景気変動を抑制するように金融

政策が行われていたとは言えない

以上の結果はむしろ戦間期の金融政策は金融政策は国内の経済安定に重点を置い

て物価と景気を見ながら行うべきというテイラールールでは説明することが難しいと解

釈すべきだろうこれは鎮目の結果とも共通しているそこで次に戦間期の金融政策は

経常収支為替レートの安定など対外均衡に重点を置いて行われていたのではないかと

いう常識に従いテイラールールを拡張して金融政策が経常収支や金外貨準備や海外

金利にも影響されて行われていたとする鎮目[2002]はテイラールールに金外貨準

備海外金利経常収支資本収支を加えている月次で資本収支(およびその代理変数)

のデータを得ることはできなかったので我々の推計式は鎮目[2002]を参考に

1 2 3 4 5 6( ) (1 )tar

t t t t t t t t ti r x TB S NYP fori reserveβπ β π α α α α α α ε= minus + + + + + + + + +

(4)

とする

ここで月次の経常収支はデータが得られないため輸出入の差を名目GDPで割った貿易収

支比率TBを使用している(ここで用いている名目GDPは鉱工業生産指数times卸売物価指数で

ある)貿易収支比率は実際の名目GNPで修正している7またSは為替レートの変化率を

7貿易収支比率 TBは具体的には以下である

1928t1928 GNP( ) 100

1928 t GDP( )GDP( ) 1928

tTB = times times

年の貿易収支合計

期の貿易収支年の名目 大川推計

月次貿易収支の 年平均 期の名目 の代理変数

月次名目 の代理変数 の 年平均

19

示しており値が増えるのが円高である8ニューヨーク物価NYPはニューヨークの卸売物価

指数の前年同月変化率()であるforiは外国の市中金利()を示しニューヨーク金利

あるいはロンドン金利のいずれかである貿易収支が赤字に円の為替レートが下落すれ

ば金利は引き締められるニューヨークの物価が下落すれば日本の金融も引き締めざ

るを得ないニューヨークまたはロンドンの金利に追随するしかないと考える正貨

reserveは金本位制であればこれが増大すれば金融を緩和し減少すれば金融を引き締め

ることになる(ただし正貨は21年3月から29年3月までのデータしかない)また正貨は

1924年1月から11月1925年289月のデータが欠損しているので線形補間によってデ

ータを補っている9

符号条件は貿易収支比率為替レート変化率ニューヨーク物価上昇率正貨が負

ニューヨークおよびロンドンの金利が正である

以上で為替レートニューヨーク物価が鎮目[2002]の分析に対し新たに追加した変

数である

ここで新しく追加した変数貿易収支比率と為替レートと名目GDPの代理変数とニュー

ヨーク物価とニューヨーク金利とロンドン金利と正貨準備を図7図8図9に示してお

くここで名目GDP(その代理変数)は鉱工業生産times卸売物価指数である

8第1節と同じように為替レートの水準は 100 円当たりのドルで表しているので変化率

に修正しても値が大きくなると円高を示すことになる 9 また日本銀行調査局『本邦経済統計』では1922 年 11 月の正貨準備高の値が 1386957540円と記載されているが前後月の数値から判断して 1836957540 円の誤記と推測し修正を加

えている

20

図 7 コールレートニューヨーク市中金利ロンドン市中金利

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

200

0

2

4

6

8

10

12

14

16

18

コールレート(右軸) ニューヨーク市中金利(右軸) ロンドン市中金利(右軸)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

図 8 貿易収支比率為替レート変化率名目 GDP(対数値)

0

2

4

6

8

10

12

14

-50

-40

-30

-20

-10

0

10

20

30

貿易収支比率 為替レート変化率 名目GDP

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

21

図 9 正貨準備高ニューヨークインフレ率

0

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

-60

-40

-20

0

20

40

60

正貨(単位億円) ニューヨークインフレ率(卸売り物価指数)

なお追加した説明変数貿易収支比率為替レートニューヨーク物価ニューヨー

ク金利ロンドン金利正貨準備が独立でないという問題があるうちニューヨーク金

利とロンドン金利は同時には入れず他の変数と代替的に入れることとするそれでも

貿易収支比率と為替レートが独立ではないという問題があるかもしれない単純に為替

レートが割安であれば経常収支が黒字に動き割高であれば経常収支が赤字に動くという

メカニズムによって為替レートと経常収支が独立ではないということになる

また為替レート関数の推計において自国と他国の物価マネーサプライ金利生

産に加えて経常収支またはその累積を説明変数に入れるのが通常であることを考えれ

ば当然に問題となるしかし多くの推計で為替レートに対して経常収支またはそ

の累積の説明力はそれほど高くはない10

ちなみに変数間の相関行列を取ると表5のようになる(推計期間は正貨を含む変数間

は 1919 年から 1929 年 3 月それ以外の変数間は 1919 年 1 月 1936 年 12 月まである)貿

易収支比率と為替レートの相関を取ると相関係数は 0029 でありマルチコリニアリティ

10 深尾[1983] (167 頁)は日本の米国に対する 100 億ドルの経常黒字は 64の円高ドル

安要因になるとしているこれは大きな効果だがその後の推計によると経常収支黒字が円高

をもたらす効果は大きくはない河合[1986](第 94 表214 頁)によれば経常収支累積額が

1の上昇は実質為替レートを 0068~0163上昇させるにすぎないその後も同様の推計

がなされているが(経済企画庁[1997]第 1-2-1 図③経済企画庁[1999]付図 1-5-2原田[2004])いずれの推計においても経常収支が為替レートに与える影響は大きなものではない

22

の問題は避けられていると判断できる当時のデータで為替と貿易収支の相関が弱い理

由として金解禁への動きが度々予想されていたので為替レートが貿易など実態経済

の状況にかかわらず高騰していたこともあげられる表 5 から説明変数間で(被説明変

数のコールレートを除く)相関係数の絶対値が 04 以上のものを上げると卸売物価と GDP

ギャップ卸売物価とニューヨーク卸売物価GDP ギャップとニューヨーク卸売物価ニュ

ーヨーク金利とロンドン金利貿易収支比率とコールレートがそうである卸売物価と GDP

ギャップはテイラールールの基本的な説明変数なので両者をともに入れるがニューヨ

ーク金利とロンドン金利については代替的にも推計することとする

表5 拡張テイラールールで使用された変数の相関行列

コールレート

インフレ率GDPギャッ

プ貿易収支比

率為替変化

率NYインフレ

率NY金利

ロンドン金利

正貨準備変化率

コールレート 1000 0222 0293 -0441 -0112 0082 0437 0264 -0113

インフレ率 1000 0437 0046 -0024 0482 0198 -0340 -0005

GDPギャップ 1000 -0056 0205 0605 0246 -0119 0042

貿易収支比率 1000 0029 0189 -0182 -0252 0183

為替変化率 1000 0259 0023 0019 0058

NYインフレ率 1000 -0071 -0378 -0084

NY金利 1000 0649 0291

ロンドン市中金利 1000 0092

正貨準備変化率 1000

32 拡張テイラールールの推計結果

推計期間は貿易収支が入手可能な1926年1月から1936年12月までの全期間と上述の(2)

式と比較するために1931年12月までとそれ以降の期間とする推計結果は表6の通り

である推計については上記3つの推計期間において 小二乗法を行っている新しく追

加した変数貿易収支比率為替レートの変化率ニューヨーク卸売物価上昇率ニュー

ヨーク金利ロンドン金利正貨準備の変化率の単位はである推計に当たっては系

列相関が疑われるためNewey-Westの方法によって標準誤差の修正を行っている

23

表6 拡張テイラールールの推計結果

係数 係数 係数 係数

定数項 r-βπ tar 3155 2980 定数項 r -βπ tar 5780 6596 (10072) (6939) (12603) (13464)

インフレ率 1+β 0008 0027 インフレ率 1+β 0041 0025

(0552) (1600) (1957) (1399)

GDPギャップ α 1 0036 0057 GDPギャップ α 1 0090 0083

(1156) (1798) (2584) (2412)

貿易収支比率 α 2 -0105 -0106 貿易収支比率 α 2 -0053 -0054

(5627) (4937) (2671) (3396)為替変化率 α 3 -0109 -0110 為替変化率 α 3 -0062 -0051

(3782) (3755) (1345) (0998)

NYインフレ率 α 4 0014 0011 NYインフレ率 α 4 0014 0012

(0820) (0645) (0651) (0682)

NY金利 α 5 0212 NY金利 α 5 -0133

(3002) (1599)

ロンドン金利 α 5 0399 ロンドン金利 α 5 -0466

(2870) (3071)R2 0397 0375 R2 0468 0503

自由度調整済みR2 0380 0357 自由度調整済みR2 0447 0483

標準誤差 1520 1548 標準誤差 1375 1329

DW統計量 0568 0531 DW統計量 0700 0794

係数 係数

定数項 r-βπ tar 2703 2617

(6657) (26032)

インフレ率 1+β -0018 -0016

(1920) (2396)

GDPギャップ α 1 -0052 -0059

(2353) (5464)

貿易収支比率 α 2 -0031 0004

(1779) (0381)

為替変化率 α 3 -0007 0028

(0423) (1526)

NYインフレ率 α 4 -0017 -0024

(3808) (5526)

NY金利 α 5 0423

(1421)

ロンドン金利 α 5 0742

(7283)

R2 0797 0899自由度調整済みR2 0774 0887

標準誤差 0443 0313

DW統計量 0757 0925

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とそれぞれの金利だけである

どちらの推計でもこれらの有意な変数は符号条件を満たしているインフレ率とGDPギャ

24

ップは5有意ではなくなり単純テイラールールでも小さかった係数はさらに小さ

くなるこれに対して貿易収支比率の係数は貿易収支比率が10ポイント分マイナス

に動けば1金利を引き上げることであるからある程度貿易収支に反応して金融政策

を行っていたと言えるだろう為替変化率の係数は為替レートが10下落したら金利

を1引き上げることであるからこちらもある程度は為替レートに反応して金融政策を

行っていたとも言えるだろうニューヨーク金利とロンドン金利が1上昇すると国内金

利をそれぞれ0204引き上げるということになっている

1926年1月から1931年12月までの推計ではニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれ

を用いた推計でも5で有意な変数はGDPギャップと貿易収支比率とロンドン金利であ

るがロンドン金利は符号条件を満たしていないGDPギャップは有意であるがその係数

は単純テイラールールの推計と同様に小さい貿易収支比率の係数は貿易収支比率で

10ポイント分赤字が増えれば金利を05引き上げることであるからある程度は貿易

収支に反応して金融政策を行っていたと言えるかもしれない

さらに1932年1月から1936年12月までの推計では物価GDPギャップニューヨーク物

価ロンドン金利が5で有意であるGDPギャップニューヨーク物価は符号条件を満た

していないロンドン金利は符号条件を満たしその係数も074と大きく日本の金融政

策はロンドンに追随して行われていたことになる

金本位制を意識して行われていたときには金融政策は対外均衡に重点を置き金本位

制を離脱した後はロンドンの金利に追随していたことになる日本の金融政策が英国

の金融政策に追随していたことは鎮目[2009]第2章の結果とも整合的である

さらに表7は以上の変数に正貨を追加したものであるデータの制約により1919年1

月から29年3月までしか推計できないのでこれは金本位制を意識して金融政策が行われて

いた期間の金融政策を評価していることになる

25

表7 (3)式の拡張テイラールールの推計結果(正貨準備の変化率追加)

係数 係数定数項 r-βπ tar 5431 7511

(7602) (8642)インフレ率 1+β 0028 0024

(1209) (1264)GDPギャップ α 1 0147 0095

(2352) (1698)貿易収支比率 α 2 -0050 -0034

(2522) (2089)為替変化率 α 3 0016 0097

(0173) (0989)NYインフレ率 α 4 0004 -0004

(0166) (0224)NY金利 α 5 -0071

(0665)ロンドン金利 α 5 -0662

(2795)正貨準備の変化率 α 6 -0071 -0087

(0796) (1138)R2 0410 0471自由度調整済みR2 0374 0438標準誤差 1451 1375DW統計量 0808 0934注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

正貨を追加した推計結果ではGDPギャップ貿易収支比率ロンドン金利が有意である

GDPギャップ貿易収支比率は符号条件を満たしているがロンドン金利は満たしていない

表7の1919年から31年の推計結果に比べてGDPギャップの係数の値は大きくなるが景気

安定化効果が大きかったとまでは言えない貿易収支の係数はほとんど変らず貿易収支

の状況を念頭に入れて政策を行っていたと言えるだろうロンドン金利符号が逆で海外

金利が下がると金利を上げるという結果になっている

以上の結果を鎮目[2002]と比べる鎮目は金外貨準備英国の短期金利経常収支

資本収支をテイラールールの式に追加していずれの変数も有意ではなかったと報告し

ているが本稿では追加した変数のうち貿易収支ニューヨーク金利(特にロンドン

金利)が符号条件を満たして有意になっている場合が多く対外均衡を意識した金融政策

が行われていた可能性を示唆している

33 拡張テイラールールに関する政策反応ラグ

以上の拡張テイラールールの推計では貿易収支比率為替変化率ニューヨークイ

26

ンフレ率ロンドン金利を追加したものが良好な推計結果をもたらしたそこで拡張テ

イラールールに関する政策反応ラグを考慮するために以上の変数に加えて被説明変数

の 1期ラグを追加したものを推計する11結果は表8のようになる

表8 拡張テイラールールの金利ラグ付き推計

係数 係数 係数 係数定数項 r-βπ tar 0623 0565 定数項 r-βπ tar 1806 2223

(3922) (3134) (3861) (3396)インフレ率 1+β -00001 0003 インフレ率 1+β 0012 0007

(0023) (0552) (1190) (0761)GDPギャップ α 1 0019 0023 GDPギャップ α 1 0044 0043

(1589) (1875) (2072) (2007)

貿易収支比率 α 2 -0024 -0023 貿易収支比率 α 2 -0019 -0020

(2312) (2239) (1514) (1767)

為替変化率 α 3 -0026 -0025 為替変化率 α 3 -0048 -0045

(1984) (2069) (1607) (1430)

NYインフレ率 α 4 -0002 -0002 NYインフレ率 α 4 -0004 -0004

(0277) (0388) (0337) (0389)NY金利 α 5 0040 NY金利 α 5 -0044

(1532) (1193)

ロンドン金利 α 5 0075 ロンドン金利 α 5 -0163

(1447) (1703)コールレート1期ラグ 0796 0802 コールレート1期ラグ 0680 0657

(18638) (20579) (9505) (8112)R2 0789 0788 R2 0707 0711自由度調整済みR2 0782 0781 自由度調整済みR2 0693 0697標準誤差 0902 0904 標準誤差 1023 1016DW統計量 2581 2574 DW統計量 2408 2415

係数 係数

定数項 r-βπ tar 0527 0900 (2552) (3391)

インフレ率 1+β -0004 -0005(1594) (1249)

GDPギャップ α 1 -0006 -0014

(1174) (1562)

貿易収支比率 α 2 -0001 0010

(0135) (1064)

為替変化率 α 3 0005 0019

(0542) (1247)

NYインフレ率 α 4 -0003 -0008

(1971) (2116)

NY金利 α 5 -0022

(0557)

ロンドン金利 α 5 0386

(3052)コールレート1期ラグ 0833 0608

(9986) (6019)R2 0934 0957自由度調整済みR2 0925 0951標準誤差 0255 0207DW統計量 2478 2362

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

11 単純テイラールールでは説明変数のラグを加えたがここではあまりにも煩雑になること

と単純テイラールールで被説明変数の 1 期ラグが重要であったことから被説明変数の 1 期

ラグのみを追加した

27

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とコールレートの1期ラグであ

る貿易収支比率と為替変化率のどちらの係数も符号条件を満たしているがコールレー

トの1期ラグがない場合と比べて係数の値は小さくなっているただしこの推計をコイ

ック型と考えて係数の長期の値を(1-コールレートの1期ラグの係数)で除すことによっ

て求めれば1期ラグがない場合の係数よりもかなり大きくなる

1926年1月から1931年12月までの推計ではGDPギャップとコールレートの1期ラグのみが

有意となるGDPギャップの長期係数を求めても値は小さいこの期間では金利を安定的

に維持することに金融政策が使われていたと言えるだろう

1932年1月から1936年12月までの推計では有意なものはロンドン金利とニューヨークイ

ンフレ率とコールレートの1期ラグとなってしまうニューヨークインフレ率は符号条件を

満たしているがその係数は小さいロンドン金利の係数は大きく日本の金融政策はロ

ンドンに追随して行われていたことになる

コールレートの1期ラグを入れるといずれの期の金融政策も金利の平準化の要素が大き

いと判断される金本位制を意識して行われていたときには金融政策はある程度は対外

均衡を考えていたようである金本位制を離脱した後はロンドンの金利を考慮していた

ようである

さらに表9は以上の変数に正貨を追加したものである(データの制約により1919年1

月から29年3月までの推計)これは金本位制を意識して金融政策が行われていた期間の金

融政策を評価していることになる

28

表9 正貨準備高の変化率を加えた場合

係数 係数定数項 r-βπ tar 1723 2771

(3126) (2898)インフレ率 1+β 0004 0005

(0356) (0518)GDPギャップ α 1 0088 0072

(2641) (2442)貿易収支比率 α 2 -0023 -0018

(1664) (1321)為替変化率 α 3 -0025 0008

(0544) (0189)NYインフレ率 α 4 -0007 -0010

(0617) (0924)NY金利 α 5 -0012

(0255)ロンドン金利 α 5 -0239

(1470)正貨準備の変化率 α 6 0001 -0005

(0013) (0079)コールレートの1期ラグ 0644 0603

(7451) (6371) R2 0652 0659自由度調整済みR2 0628 0635標準誤差 1119 1107DW統計量 2450 2452注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

有意なものはGDPギャップとコールレートの1期ラグであるGDPギャップは符号条件

を満たしている長期の係数を取ってもその係数は大きいとは言えない

34 対外均衡と対内均衡

対外均衡に重点を置いた金融政策を行うとは経常収支赤字や為替レート下落や外貨準

備の減少に対して金利を引き上げるというルールに従って金融政策を行うことである

通常であれば金本位制の下で国内がインフレになり競争力を失ったり景気が過熱

して輸入が増大したときには経常収支赤字や為替レート下落や外貨準備の減少が起きる

だろう経常収支の赤字や外貨準備の減少が起きたときには金融を引き締めるというルー

ルは国内がインフレになったり景気が過熱したときには引き締めるというルールでも

あるしたがって対外均衡に重点を置くことが国内均衡を必ず妨げるというわけではな

いこれは逆の場合も真実であるしかし1910 年代日本の経常収支や外貨準備は国

内の景気要因で変化したわけではない第 1 次世界大戦によって外需が増加し経常収支

29

が黒字となり外貨準備が増えた金本位制のルールに従って金融政策は緩和されマ

ネタリーベースは 1919 年 1 月から 1920 年 4 月までに 16 倍に増加した輸出超過の国は

金融緩和することによって輸入超過の国の不況を和らげることができる日本は金本

位制の正しいルールに基づいて金融を緩和しただけであるしかし戦争がおわりその

復興需要もなくなったとき経常収支は赤字となり外貨準備は減少したしかしかつ

て金準備に依存して増大していたマネタリーベースはそのままだった失われた外貨準備

に対してマネタリーベースを減少させなければならなかったしかし23 年までマネタリ

ーベースは増大し続けていた関東大震災という不幸もあってマネタリーベースを減少

させることはできなかったその後25 年まで引き下げていたが27 年には金融恐慌があ

りマネタリーベースを削減することができなかったその後28 年までマネタリーベ

ースはむしろ拡大していた29 年には金本位制復帰を目指してマネタリーベースを急減さ

せるがその結果は激しいデフレと不況だった

そもそも国内要因の変化によらない金準備の増加に対してマネタリーベースを拡大し

たことが誤りだった金本位制からの離脱は1917 年ではなくて欧米諸国が離脱した

1914-15 年になすべきだったそうであれば1910 年代末までのマネタリーベースの急増

はなかっただろうところが実際には金本位制から離脱したにも関わらず1920 年にか

けてマネタリーベースは拡大していた1920 年代からは失われた金準備に対してマネタリ

ーベースを削減することが試みられるようになるしかしそれは関東大震災や金融危機

によって頓挫するむしろマネタリーベースを削減するという試みがデフレと不況をも

たらしそれゆえに不良債権が増大してしまったということではないだろうか

35 小括1‐テイラールールの推計から得られた知見

以上のことから考えて1920 年代から 30 年代にかけては金融政策はインフレまたはデ

フレ促進的な政策を行っていた対外均衡にはある程度考慮した金融政策を行っていたこ

とが分かる

しかし1920 年代には金本位制に復帰するという政策が課題となっていたはずである

20 年代がデフレ促進的また対外均衡にある程度考慮した政策を行っていたことはこの

課題にとっては正しいものだろうしかし現実に採られたデフレ促進策では不十分だっ

た物価は旧平価で金本位制に復帰できるほど下がっていなかったのだからまた32 年

以降の金融政策についてもなぜ 32 年から急速な回復ができたのかそれと金融政策とは

どのよう関係しているかは分析できていない

これについて飯田岡田[2004]は昭和恐慌からの回復はデフレ脱却による実質金利

の下落が重要であって名目金利の低下は重要でなかったと分析しているこれによれば

名目金利の変化で金融政策の変化を見ることはできないことになるしたがって名目金

利の変化に着目するテイラールールでは31 年 12 月以降の高橋是清蔵相の金融政策の意

味を理解できないことになる

30

また金融政策が物価および景気安定を意図していなかったら何を意図していたのだ

ろうか本稿での結論は為替レートや経常収支に視点を置いた対外均衡を意識していた

ということになる

いずれにしろテイラールールだけでは戦前期の金融政策を十分には理解できない

ことになるそこで戦前期の金融政策を別の方法で評価してみよう

4マッカラムルールによる金融政策の評価

41 マッカラムルールの意味と定式化とデータ

以下ではマッカラムルールで戦間期の金融政策を評価することにするマッカラム

ルールを用いて金融政策の在り方を判断した研究としてはマッカラム自身の分析を始め

として多くのものがある(例えばMcCallum[1987][1988]マッカラム[1997]第 15 章)

日本のデータを用いたものにおいても McCallum[1987]岡田飯田[2004]などがあるし

かし日本の戦前期についてはおそらく安達[2006](第7章)しかないと思われる安

達は年データを用い目標値として設定された名目 GNP 成長率(5と設定している)

を達成するためのマネタリーベースを求め現実のマネタリーベースの成長率が 1936 年ま

で過小でそれ以降過大であることを示している本稿では月次データを用いているので

期間ごとの金融政策の在り方も検討することができる

マッカラムルールとはマネタリーベースの成長率を名目GDPの望ましい成長率に

依存させるルールである(McCallum[1987]マッカラム[1997]第 15 章)しかし貨幣の

流通速度 vは変化するので貨幣の流通速度の変化に応じてマネタリーベース bの動きを調

整することが必要となるこのようなルールはbvなどを対数値として望ましいマネタ

リーベースの成長率⊿bをマネタリーベースの流通速度Δvに応じて変化させるというルー

ルであるただしvは景気変動によって大きく変動しているのでそれが技術的な変化と

見なせる 2 年間の平均値 tvΔ であるとする12すなわちマッカラムルールに基づくマネタ

リーベースの成長率とは

tbΔ =マネタリーベースの望ましい成長率- tvΔ

であるここでマネタリーベースの望ましい成長率はサンプル期間(1919 年 1 月から 1933

年 12 月まで)のマネタリーベースの平均成長率とする13マッカラムはマネタリーベース

の望ましい成長率を名目 GDP の成長率としているがここではまずこの期間の経済を再現

することを目的としているので現実のマネタリーベースの成長率を採用したマネタリ

12 マッカラム(1997)第 15 章では流通速度として 4年平均を使用しているが本稿ではサンプル

期間が短いため 2年平均としている 13 サンプル期間は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月であるがマネタリーベースの流通速度の平

均値作成のため 初の 24 か月が失うのでここで計算された望ましいマネタリーベースの成長

率は 1921 年 1 月から 1933 年 12 月までの平均となっている

31

ーベースの動きを図 10 に示しているマネタリーベースは季節性が強いので季調値も図示

しているなお前述のように戦前期の月次名目 GDP のデータは存在しないのでIIP に

卸売物価を掛けたものを名目 GDP の代理変数とする(ここで使うデータの定義と出所は前

掲の表1にある)

図 10 マネタリーベース(原数値と季節調整値)の動き

0

50000

100000

150000

200000

250000

19191

19197

19201

19207

19211

19217

19221

19227

19231

19237

19241

19247

19251

19257

19261

19267

19271

19277

19281

19287

19291

19297

19301

19307

19311

19317

19321

19327

19331

19337

観察されたベースマネー(単位万円) 季節調整済マネタリーベース(単位万円)

作成されたマネタリーベースの成長率は1919 年 1 月から 33 年 12 月までで年率 12

月次では 01となるすなわち

tbΔ =0001- tvΔ

ここで考察する期間を 1919 年 1 月から 33 年 12 月までとしたのは34 年以降の GDP の伸び

が大きすぎトレンドの作成において歪みを生じさせるからであるまた33 年は昭和恐

慌から脱却し経済が安定していた時期でもある

さらに名目 GDP が何らかのショックによって平均的な成長経路よりも上回った時に

はマネタリーベースの伸び率を低下させるようなルール(下回った場合は逆)を導入し

ようすなわち

tbΔ =0001-

1 1( )t t tv y yλ minus minusΔ + minus

32

となるただし目標値

1ty minus は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月までの月次平均成長率 04

成長経路での名目 GDP の対数値であるまたマッカラムによればλは四半期データで 025

が望ましいとされているがここでは月次データを使用しているのでとりあえず 12 分の 1

とすることを考えたがこの期間の名目 GDP は戦後の日米名目 GDP のデータより大きく変

動しているのでさらに小さくする必要があるマッカラムも「λの値を選択する場合

もし間違えるとすれば小さな値を採るほうがよい」(マッカラム[1997]308 頁)としている

そこでλは 36 分の1とした 終的なルールは

tbΔ =0001-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (5)

となる

マッカラムは望ましいインフレ率をゼロとするマネタリールールを求めているがこ

こでは実際には大きく変動したマネタリーベースを安定的に動かしていたらどうなったか

を考えることにしているので名目 GDP の動きは現実のものを使いルールにもとづくマ

ネタリーベースと実際のマネタリーベースをまず比較することにする

次に名目 GDP の決定に関する次のようなモデルを 小二乗法により推計する結果は

1 1 2 3

2

0004 0295 0053 0110 0106 0071 - 0069 23- 0046 27(1596) (3634) (1054) (1404) (2300) (1831) (6731)

R 0109 SE=0029 BG(24)=33227

(1822) t t t t t t ty y b b b b dummy dummy eminus minus minus minusΔ = + Δ + Δ + Δ + Δ + Δ +

=

(6)

となる14但し yΔ は名目 GDP の変化率 bΔ はマネタリーベースの成長率dummy23 は関東

大震災の時の一時的な変動をとらえるために 1923 年 9 月を 1それ以外を 0 としたダミー

変数dummy27 は金融恐慌時の一時的な変動をとらえるために 1927 年 4 月 5 月を 1それ

以外を 0としたダミー変数サンプル期間は推計に使用する変数が全て揃う 1921 年 1 月か

ら 1933 年 12 月までまたここでの残差 te は攪乱項の推定値2R SE BG(p) はそれぞれ

自由度修正済み決定係数攪乱項の標準誤差p 次の Breuch-Godfrey テストのχ二乗統計

量( )内は Newey-West の方法により修正した t値を示している15

ここで当時マッカラムルールなどという議論がなかったのだからこのような分

14 ここでは bΔ は現実のマネタリーベースの成長率を使用して推計を行っている 15 研究の対象期間は 1919 年 1 月からであるが平均流通速度 tvΔ の計算のために 初の 24 ヶ

月分が使用できないそのため他のシミュレーションの対象期間と整合性を保つため 1921 年 1

月からとしているまたこの推計式にはラグ付き内生変数を含むためダービンワトソンテスト

ではなく Breush-Godfrey テストを報告しているこの Breush-Godfrey テストから系列相関が疑

われるためNewey-West の方法により標準誤差を修正している

33

析は意味がないという批判があるかもしれないがこれにはテイラールールの節で述べ

たのと同じ反論が可能であるマッカラムルールとは名目 GDP が上昇しすぎたら(そ

のときには景気が過熱するかインフレが高進していると考えられる)マネーを縮小し

名目 GDP が下降しすぎたら(そのときは景気が悪化するかデフレになっている)マネーを

拡大するという素朴なルールである当時このようなルールが意識されていなかったと

は考え難い

42 長期的な経済を再現するシミュレーション

まずマッカラムルールによって現実の長期的な経済の経路を再現してみようルー

ルにもとづくマネタリーベースと実際のマネタリーベースのレベルと成長率とを図

11(1)(2)に示す

政策ルール(5)式が実施された場合の名目 GDP(の代理変数)の動きを見るために(5)式

から得られる理論値 tbΔ (6)式の残差 te 初期値 1ty minusΔ に目標 GDP

1ty minusΔ を代入してマ

ッカラムルールに従った場合の名目 GDP y の系列を求める現実の xとマネタリーベース

のルールに従った場合の y の系列を比べてみたのが図 11-(3)である図 11-(3)からマ

ネタリーベースのルールに従った場合の y の系列が安定していることが分かるこのよう

に安定的な名目 GDP の系列を得るためには第 1 次世界大戦後の金融引締めが過大で20

年代初期の金融緩和が過大30 年の金融引締めが過大だったと判断される

図 11 マッカラムルール

(1)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

34

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT MBDOT

注)BDOT はマッカラムルールの下でのマネタリーべースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(2)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

35

100000

120000

140000

160000

180000

200000

220000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC MB_SA

注)MB_SA はマネタリーベース(季節調整済)の現実値

B_MC はマッカラムルールに従った場合のマネタリーベース水準

またマッカラムルールの下でのマネタリーベースの初期値は現実値を使用

単位は万円

(3)マッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

36

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULE XSTAR X

注)GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

43 物価を下落させるシミュレーション

以上の結果はマネタリーベースの伸びを安定的にしていれば経済変動はより少なく

なっていただろうということを示しているしかしもし第 1 次世界大戦前の旧平価で金

本位制に復帰することが目的であったとしたら1節で述べたように物価を 3 割下げな

ければならない名目 GDP(その代理変数)は実質 GDP の変化がないとして1919 年 12

月から 29 年 12 月までに 3割下がらなければならない

そこで名目 GDP(その代理変数) y は現実の値よりも毎月 03ずつ低下しなければ

ならないので(5)式の定数項 0001 から 0003 を引いて-0002 とするすなわち

tbΔ =-0002-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (7)

とならなければならないここでの系列 y も実際の値から毎月 03ずつ引き下げたも

のを使っているつぎに(7)式の bを(6)式に入れると図 12 のようになる図に見られるよ

うに名目 GDP は安定しかつ小さくなっているすなわち物価が 3 割下落していること

が分かる

37

図 12 物価を下落させた場合

(1) 名目 GDP の目標値とマッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULEXSTAR

XGDP3_RULE

XSTAR_3

注) GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

GDP3_RULE は物価を 3割下げたマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR_3 は物価を 3割下げた場合の目標となる名目 GDP(対数値)

38

(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

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  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 11: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

10

現金通貨 藤野五十嵐前掲書

ニューヨーク卸売物価 日本銀行調査局『外国経済統計』

ニューヨーク市中金利 日本銀行調査局『外国経済統計』

ロンドン市中金利 日本銀行調査局『外国経済統計』

正貨準備高 日本銀行調査局『本邦経済統計』

これらのデータはなじみのないものであるのでそのグラフを図3図4に示しておく

鉱工業生産指数は 1930 年 1 月を 100 としているコールレートおよび卸売物価指数による

インフレ率(前年同期比)の単位は為替レートは 100 円当たりの 1 ドル価格貿易収支

は 100 万円単位であるまた鉱工業生産指数卸売物価指数および貿易収支を構成する輸

出と輸入は X12-ARIMA によって季節調整を行っている貿易収支は輸出輸入を季節調整

して差を取ったものである

図 3 使用データ(月次)のグラフ鉱工業指数貿易収支為替レート

-16E+08

-14E+08

-12E+08

-1E+08

-8000000

-6000000

-4000000

-2000000

0

20000000

40000000

60000000

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

200

貿易収支 鉱工業生産指数 為替レート

注)鉱工業生産指数と為替レート(ドル100円)は左軸貿易収支は右軸

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

11

図 4 使用データ(月次)のグラフインフレ率コールレート

0

2

4

6

8

10

12

-100

-50

0

50

100

150

200

1919M01

1919M05

1919M09

1920M01

1920M05

1920M09

1921M01

1921M05

1921M09

1922M01

1922M05

1922M09

1923M01

1923M05

1923M09

1924M01

1924M05

1924M09

1925M01

1925M05

1925M09

1926M01

1926M05

1926M09

1927M01

1927M05

1927M09

1928M01

1928M05

1928M09

1929M01

1929M05

1929M09

1930M01

1930M05

1930M09

1931M01

1931M05

1931M09

1932M01

1932M05

1932M09

1933M01

1933M05

1933M09

1934M01

1934M05

1934M09

1935M01

1935M05

1935M09

1936M01

1936M05

1936M09

卸売物価指数(前年同期比左軸) コールレート(右軸単位)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

本稿の目的であるテイラールールの推計では説明変数として GDP ギャップを用いる

がGDP は月次データでは入手できないのでここではGDP 1hp

IIPIIP

= minusギャップ を鉱工業

生産指数 IIP と IIPhpはのギャップで作成しているIIPhpは「潜在 GDP」の代理変数である

「潜在生産指数」で表わしており鉱工業生産指数に HP フィルター(Hodrick-Prescott

filter)をかけることによって作成した4作成した GDP ギャップは図5である

この GDP ギャップが実態と合っているかを考察するためにここで作成された GDP ギャ

ップの動きと藤野[1965](第 2-3 表)の認定した景気循環クロノロジーと比較してみる

藤野によれば1915 年 2-3 月~1920 年 1-2 月が拡張期21 年 5 月までが縮小期29 年 2

月までが拡大期31 年 7 月までが縮小期それ以降が拡大期となっているまた良く知

4 本稿では潜在 GDP 作成に際しHodrick and Prescott [1997以降 HP フィルターと呼ぶ]に

よるフィルタリング関数のスムージングパラメータλ=1166400 を選択してトレンドを抽出し

ているここでは報告されていないがHP フィルターのλ=12960014400移動平均のラグと

リードに関して対称な加重を計算するフィルタリング関数をもつ Baxter and King[1999]およ

び移動平均の加重に関して非対称な加重を許す Christiano and Fitzgerald [2003CF フィルタ

ー]を用いて比較検討しているCF フィルターでは季節調整済みの IIP 系列が単位根過程に従

っているためChristiano and Fitzgerald[1999]に従って平均なしトレンドなしドリフ

トなし平均トレンドドリフト全てなしの 4種類を使用して検討を行っている 終的に藤

野[1965]の景気循環周期と整合的になるように HP フィルターのλ=1166400 を選択したこれら

の結果を入手したい場合は筆者に連絡されたい

12

られているように20 年には第 1次世界大戦の終結による国際的経済反動があり23 年に

は関東大震災があり27 年には金融恐慌があった作成した GDP ギャップはこれらの変

動を基本的には捉えていると言えるだろう

さらに失業率の動きを前掲の図5に示す(失業率は内務省社会局社会部職業課「失業

状況推定月報概要」による)図に見るように失業率のデータがあるのは 1931 年 1 月か

ら 33 年 12 月までであるがその間の GDP ギャップと失業率の動きは正負逆でGDP ギャッ

プの変動が大きいという問題はあるがほぼ同じように動きをしているまた失業率の

動きが GDP ギャップの動きに遅れていることも雇用が景気の遅行指標であるという今日

の常識に照らして合理的であるしたがってHP フィルターで作成した潜在生産指数およ

び GDP ギャップも景気変動を反映した適切なもの判断できるだろう

図 5 使用データ(月次)のグラフGDP ギャップ

0

01

02

03

04

05

06

07

08

09

1

-20

-15

-10

-5

0

5

10

15

20

GDPギャップ lambda=1166400 藤野(1965)の景気後退期 失業率(単位)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

24 テイラールールの推計

241 推計結果

(2)式の推計結果は表2の通りである推計期間は全サンプルがそろう 1919 年 1 月か

ら 1936 年 12 月である36 年を終わりとしたのはそれ以降は軍の圧力によって政策が行

われ金融政策の自立的な動きを議論することはできないと考えたからである推計方法

は 小二乗法を使用しているなおダービンワトソン統計量からは系列相関が疑われるた

13

め 小二乗推定量が有効性を持たない可能性があるので標準誤差を Newey-West の方

法によって修正を加えて t検定を行っている5

推計結果の解釈としては1 β+ の推計値 0016 からβ は-0984 でありインフレ率が

目標インフレ率よりも高まれば金利を引き下げ逆にインフレ率が目標インフレ率よりも

低ければ金利を引き上げるという物価を不安定にするデフレ的な金融政策を採用していた

ことになる(インフレの時はインフレ促進的になる)ましてβはほぼマイナス1である

のでかなりインフレまたはデフレ促進的な金融政策を行っていたことになるこれを現

実の経済情勢に当てはめれば20 年代のデフレ期ではデフレ促進的な金融政策を行い30

年代のインフレ期ではインフレ促進的な金融政策を行っていたことになるただしこの

係数は 10レベルでも有意ではない

なお物価を下落させることを目標としてもデフレ促進的でなく長期的な目標をも

ってテイラールールに基づいて物価を下落させることができることを念のために指摘し

ておくすなわち物価上昇率の目標レベルを低くすれば目標より物価が上ったときは

引締め下がったときは緩めるという物価安定的でかつ長期的に物価を下落させる方法

は可能でありまたその方が望ましいだろう

一方α は 0108 なので GDP ギャップが正のとき金利を引き上げる景気安定的な政策を

とっていたことになるただしα は 10で有意であるが係数が小さいので(GDP ギャ

ップがマイナス 10でも金利を108下げるだけ)景気安定化効果が大きかったとは言え

ないだろう

表 2 (2)式のテイラールールの推計結果

係数

定数項 r -βπ tar 4669

(17711)インフレ率 1+β 0016

(0823)GDPギャップ α 0108

(1679)R2 0085自由度調整済みR2 0077標準誤差 1855DW統計量 0258

注)( )内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

全期間1919年1月~1936年12月

5 本稿には載せていないがここでは 尤法による推計も行っている 尤法による推計では誤

差項に正規分布を仮定した場合 小二乗推定値とほぼ等しい推定値でかつ漸近的 t値からが

1 β+ が 10αが 1で有意であることが確認されている

14

さらにサンプル期間を1930 年の昭和恐慌期を含む期間と含まない期間に分けて推計を

行う具体的には1919 年 1 月から 1931 年 12 月までと1932 年 1 月以降から 1936 年 12

月までの 2 期間に分割して(2)式の推計を行う金融政策は1931 年 12 月以前は金本位制

への復帰を求めていたがそれ以降は金本位制を離脱し金本位制に制約されることがな

くなったと考えての分割である(金本位制からの離脱は 31 年 12 月正式には 32 年 1 月)

推計結果は表 3 に示しているここでも標準誤差を Newey-West の方法によって修正して

いる

表 3 期間分割後のテイラールールの推計結果

係数 係数

定数項 r -βπ tar 5450 定数項 r-βπ tar 3113

(22627) (10790)インフレ率 1+β 0057 インフレ率 1+β -0009

(3877) (0644)GDPギャップ α 0061 GDPギャップ α -0182

(0898) (2307)R2 0313 R2 0175自由度調整済みR2 0304 自由度調整済みR2 0146標準誤差 1542 標準誤差 0862DW統計量 0475 DW統計量 0241

注)( )内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1931年12月 (2)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

推計結果表3-(1)を見ると1919年1月から1931年12月において(1+β)が1で有意であ

あるまた値は00567でありこれから1を引くとβ =-0943となる (1)式から考える

と物価が目標インフレ率以上に上昇したときには政策金利をほぼ物価上昇率と同じだ

け引き下げるという政策を行っていることがわかるこの期間はほぼ物価が下落してい

たのでデフレ促進的な政策を採っていたことになる

GDP ギャップに関しては有意ではないがギャップが1ポイント縮小すると政策金利

を 0061引き上げるすなわち景気が拡大したときには政策金利を引き上げるという景

気変動抑制的な政策が行われていたことがわかるもちろんその係数は小さいので実

際にどれだけそのような効果があったかは分からない

表3-(2)で1932年1月から1936年12月の推計結果をみる物価の係数(1+β)-0009か

ら1を引くと-1009となり物価が上ると金利を引き下げるという政策をとっていたこ

とが分かるこの期間は物価が回復または上昇していた時期であるのでインフレ促進的

な政策を行っていることがわかる

GDP ギャップに関しては 5で有意でありギャップが1ポイント縮小すると政策金

利を 0182 引き下げるという景気変動拡大的な政策が行われていたことがわかるただし

15

その係数は小さいので効果も小さかったと思われる

これらの結果を鎮目[2002]と比べるとインフレ促進的またデフレ促進的な政策が行

われていたということについては共通しているGDP ギャップについて 32 年以降マイナス

になるというのも鎮目と共通であるただし本稿の推計した係数値は鎮目に比べてき

わめて小さい

242 区間分けについての確認

これまでの期間分割は暫定的なものであったこの区間分割が合理的なものであるかを

どうかを確認するために逐次回帰法(recursive least squares)を行った結果が図6で

ある6

図6で 1+βαの動きをみると30 年以降に大きく動いておりこの期間分けは合理的

なものだったと分かる

図 6 逐次回帰推計

-08

-04

00

04

08

12

16

1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1934 1936-1

0

1

2

3

4

1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1934 1936

25 政策反応までのラグ

これまでの分析は当期の物価景気貿易収支為替が金融政策に影響を及ぼすとし

ていたしかし為替はともかく物価景気貿易収支については認知のラグがあり

また経済情勢を慎重に見極めながら政策を行っていると考えられるそこでここでは次

のようなモデルについて推計を行うことにする

6 ここで使用した逐次回帰法は推計期間として 1から説明変数の個数より大きいサンプル数を

選び係数を推計し次は 終期を 1期追加して係数を推計といった手順を繰り返す手法である

詳しくは森棟(1999)4 章を参照のこと

1+β α

16

1 1

1 1

0 0

( ) (1 )tart p t p q t q t t

p q

i r x iβπ β π α λ εminus minus minus= =

= minus + + + + +sum sum (3)

ここでは p=0 q=0 のケースp=0 q=1 のケースp=1 q=0 のケースp=1 q=1 の

ケースについて推計を行った結果自由度修正済み決定係数および赤池情報基準によって

モデルを選択すると全期間を対象とした場合は p=1q=0金本位離脱以前を対象期間に

した場合では p=q=1金本位離脱以降を対象とした場合では p=0 q=0 が選択されるした

がってここでは各期間において選択されたラグ(pq)に従って推計を行うスペースの節約

のため選択されたモデルの結果のみを表4に示す推計方法は 小二乗法を使用して

いる

17

表4 政策反応までのラグ

(1)全期間1919年1月~36年12月

(p=1q=0)

係数

定数項 r-βπ tar 0612

(3895)

当期インフレ率 (1+β )0 0042

(2220)

前期インフレ率 (1+β )1 -0047

(2463)

当期GDPギャップ α 0 0042

(2436)

前期の金利 λ 1 0867

(28290)

R2 0789

自由度調整済みR2 0785標準誤差 0895

DW統計量 2756

(2) 金本意離脱前1919年1月~31年12月(3) 金本意離脱後1932年1月~19年12月

(p=1q=1) (p=0q=0)

係数 係数

定数項 r-βπ tar 1392 定数項 r -βπ tar 0364 (3907) (2348)

当期インフレ率 (1+β )0 0076 当期インフレ率 (1+β ) -0002

(3149) (1048)

前期インフレ率 (1+β )1 -0066 前期インフレ率 (1+β )1

(2682)

当期GDPギャップ α 0 0022 当期GDPギャップ α 0 -0004

(0661) (0321)

前期GDPギャップ α 1 0009 前期GDPギャップ α 1

(0338)

前期の金利 λ 1 0748 前期の金利 λ 1 0867

(12691) (15181)

R2 0719 R2 0933

自由度調整済みR2 0710 自由度調整済みR2 0929

標準誤差 0997 標準誤差 0248

DW統計量 2643 DW統計量 2594

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法

によって修正を加えている

表4(1)の全期間を対象とした場合全ての変数が5で有意であるまた1+β の推計値か

ら計算されたβ は全て負となりインフレまたはデフレ促進的な政策が行われていたと解

釈されるGDPギャップについてはα が正であるが係数の値は非常に小さい一方金利

の平準化の程度を示す 1λ の係数は大きい

金本位制離脱以前の推計結果表 4(2)ではGDP ギャップの係数以外が有意である推計

18

された係数の値をみるとこの時期のβ も表 4(1)の全期間を対象とした値とあまり変わ

らないが 1λ はやや小さくなっているこの時期政策策定者は金利を平準化しつつイン

フレを促進するような政策をとっていた可能性がある

後に金本位制離脱以後の推計結果表 4(3)からは 1λ 以外は有意ではない

すなわち全期間を通していえることは金利の平準化の要素が強くまたインフレおよび

デフレを是認あるいは促進的な政策となっていた係数の値はいずれも小さくλの係数

をコイック型のラグと考えてそれぞれの係数を 1(1-λ)倍しても小さい

3拡張テイラールール

31 拡張テイラールールの定式化先行研究データ

これまでの結果は物価については鎮目[2002](図表7)とも共通であり物価を不安

定にする金融政策が行われていたことになるさらに鎮目では GDP ギャップの係数は 31

年までは正であり景気変動抑制的だったが32 年以降は負となり景気変動を拡大する

ような金融政策が行われていたことになる本稿の GDP ギャップの係数も正から負に変わ

っているただしいずれにしろその係数は小さいので景気変動を抑制するように金融

政策が行われていたとは言えない

以上の結果はむしろ戦間期の金融政策は金融政策は国内の経済安定に重点を置い

て物価と景気を見ながら行うべきというテイラールールでは説明することが難しいと解

釈すべきだろうこれは鎮目の結果とも共通しているそこで次に戦間期の金融政策は

経常収支為替レートの安定など対外均衡に重点を置いて行われていたのではないかと

いう常識に従いテイラールールを拡張して金融政策が経常収支や金外貨準備や海外

金利にも影響されて行われていたとする鎮目[2002]はテイラールールに金外貨準

備海外金利経常収支資本収支を加えている月次で資本収支(およびその代理変数)

のデータを得ることはできなかったので我々の推計式は鎮目[2002]を参考に

1 2 3 4 5 6( ) (1 )tar

t t t t t t t t ti r x TB S NYP fori reserveβπ β π α α α α α α ε= minus + + + + + + + + +

(4)

とする

ここで月次の経常収支はデータが得られないため輸出入の差を名目GDPで割った貿易収

支比率TBを使用している(ここで用いている名目GDPは鉱工業生産指数times卸売物価指数で

ある)貿易収支比率は実際の名目GNPで修正している7またSは為替レートの変化率を

7貿易収支比率 TBは具体的には以下である

1928t1928 GNP( ) 100

1928 t GDP( )GDP( ) 1928

tTB = times times

年の貿易収支合計

期の貿易収支年の名目 大川推計

月次貿易収支の 年平均 期の名目 の代理変数

月次名目 の代理変数 の 年平均

19

示しており値が増えるのが円高である8ニューヨーク物価NYPはニューヨークの卸売物価

指数の前年同月変化率()であるforiは外国の市中金利()を示しニューヨーク金利

あるいはロンドン金利のいずれかである貿易収支が赤字に円の為替レートが下落すれ

ば金利は引き締められるニューヨークの物価が下落すれば日本の金融も引き締めざ

るを得ないニューヨークまたはロンドンの金利に追随するしかないと考える正貨

reserveは金本位制であればこれが増大すれば金融を緩和し減少すれば金融を引き締め

ることになる(ただし正貨は21年3月から29年3月までのデータしかない)また正貨は

1924年1月から11月1925年289月のデータが欠損しているので線形補間によってデ

ータを補っている9

符号条件は貿易収支比率為替レート変化率ニューヨーク物価上昇率正貨が負

ニューヨークおよびロンドンの金利が正である

以上で為替レートニューヨーク物価が鎮目[2002]の分析に対し新たに追加した変

数である

ここで新しく追加した変数貿易収支比率と為替レートと名目GDPの代理変数とニュー

ヨーク物価とニューヨーク金利とロンドン金利と正貨準備を図7図8図9に示してお

くここで名目GDP(その代理変数)は鉱工業生産times卸売物価指数である

8第1節と同じように為替レートの水準は 100 円当たりのドルで表しているので変化率

に修正しても値が大きくなると円高を示すことになる 9 また日本銀行調査局『本邦経済統計』では1922 年 11 月の正貨準備高の値が 1386957540円と記載されているが前後月の数値から判断して 1836957540 円の誤記と推測し修正を加

えている

20

図 7 コールレートニューヨーク市中金利ロンドン市中金利

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

200

0

2

4

6

8

10

12

14

16

18

コールレート(右軸) ニューヨーク市中金利(右軸) ロンドン市中金利(右軸)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

図 8 貿易収支比率為替レート変化率名目 GDP(対数値)

0

2

4

6

8

10

12

14

-50

-40

-30

-20

-10

0

10

20

30

貿易収支比率 為替レート変化率 名目GDP

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

21

図 9 正貨準備高ニューヨークインフレ率

0

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

-60

-40

-20

0

20

40

60

正貨(単位億円) ニューヨークインフレ率(卸売り物価指数)

なお追加した説明変数貿易収支比率為替レートニューヨーク物価ニューヨー

ク金利ロンドン金利正貨準備が独立でないという問題があるうちニューヨーク金

利とロンドン金利は同時には入れず他の変数と代替的に入れることとするそれでも

貿易収支比率と為替レートが独立ではないという問題があるかもしれない単純に為替

レートが割安であれば経常収支が黒字に動き割高であれば経常収支が赤字に動くという

メカニズムによって為替レートと経常収支が独立ではないということになる

また為替レート関数の推計において自国と他国の物価マネーサプライ金利生

産に加えて経常収支またはその累積を説明変数に入れるのが通常であることを考えれ

ば当然に問題となるしかし多くの推計で為替レートに対して経常収支またはそ

の累積の説明力はそれほど高くはない10

ちなみに変数間の相関行列を取ると表5のようになる(推計期間は正貨を含む変数間

は 1919 年から 1929 年 3 月それ以外の変数間は 1919 年 1 月 1936 年 12 月まである)貿

易収支比率と為替レートの相関を取ると相関係数は 0029 でありマルチコリニアリティ

10 深尾[1983] (167 頁)は日本の米国に対する 100 億ドルの経常黒字は 64の円高ドル

安要因になるとしているこれは大きな効果だがその後の推計によると経常収支黒字が円高

をもたらす効果は大きくはない河合[1986](第 94 表214 頁)によれば経常収支累積額が

1の上昇は実質為替レートを 0068~0163上昇させるにすぎないその後も同様の推計

がなされているが(経済企画庁[1997]第 1-2-1 図③経済企画庁[1999]付図 1-5-2原田[2004])いずれの推計においても経常収支が為替レートに与える影響は大きなものではない

22

の問題は避けられていると判断できる当時のデータで為替と貿易収支の相関が弱い理

由として金解禁への動きが度々予想されていたので為替レートが貿易など実態経済

の状況にかかわらず高騰していたこともあげられる表 5 から説明変数間で(被説明変

数のコールレートを除く)相関係数の絶対値が 04 以上のものを上げると卸売物価と GDP

ギャップ卸売物価とニューヨーク卸売物価GDP ギャップとニューヨーク卸売物価ニュ

ーヨーク金利とロンドン金利貿易収支比率とコールレートがそうである卸売物価と GDP

ギャップはテイラールールの基本的な説明変数なので両者をともに入れるがニューヨ

ーク金利とロンドン金利については代替的にも推計することとする

表5 拡張テイラールールで使用された変数の相関行列

コールレート

インフレ率GDPギャッ

プ貿易収支比

率為替変化

率NYインフレ

率NY金利

ロンドン金利

正貨準備変化率

コールレート 1000 0222 0293 -0441 -0112 0082 0437 0264 -0113

インフレ率 1000 0437 0046 -0024 0482 0198 -0340 -0005

GDPギャップ 1000 -0056 0205 0605 0246 -0119 0042

貿易収支比率 1000 0029 0189 -0182 -0252 0183

為替変化率 1000 0259 0023 0019 0058

NYインフレ率 1000 -0071 -0378 -0084

NY金利 1000 0649 0291

ロンドン市中金利 1000 0092

正貨準備変化率 1000

32 拡張テイラールールの推計結果

推計期間は貿易収支が入手可能な1926年1月から1936年12月までの全期間と上述の(2)

式と比較するために1931年12月までとそれ以降の期間とする推計結果は表6の通り

である推計については上記3つの推計期間において 小二乗法を行っている新しく追

加した変数貿易収支比率為替レートの変化率ニューヨーク卸売物価上昇率ニュー

ヨーク金利ロンドン金利正貨準備の変化率の単位はである推計に当たっては系

列相関が疑われるためNewey-Westの方法によって標準誤差の修正を行っている

23

表6 拡張テイラールールの推計結果

係数 係数 係数 係数

定数項 r-βπ tar 3155 2980 定数項 r -βπ tar 5780 6596 (10072) (6939) (12603) (13464)

インフレ率 1+β 0008 0027 インフレ率 1+β 0041 0025

(0552) (1600) (1957) (1399)

GDPギャップ α 1 0036 0057 GDPギャップ α 1 0090 0083

(1156) (1798) (2584) (2412)

貿易収支比率 α 2 -0105 -0106 貿易収支比率 α 2 -0053 -0054

(5627) (4937) (2671) (3396)為替変化率 α 3 -0109 -0110 為替変化率 α 3 -0062 -0051

(3782) (3755) (1345) (0998)

NYインフレ率 α 4 0014 0011 NYインフレ率 α 4 0014 0012

(0820) (0645) (0651) (0682)

NY金利 α 5 0212 NY金利 α 5 -0133

(3002) (1599)

ロンドン金利 α 5 0399 ロンドン金利 α 5 -0466

(2870) (3071)R2 0397 0375 R2 0468 0503

自由度調整済みR2 0380 0357 自由度調整済みR2 0447 0483

標準誤差 1520 1548 標準誤差 1375 1329

DW統計量 0568 0531 DW統計量 0700 0794

係数 係数

定数項 r-βπ tar 2703 2617

(6657) (26032)

インフレ率 1+β -0018 -0016

(1920) (2396)

GDPギャップ α 1 -0052 -0059

(2353) (5464)

貿易収支比率 α 2 -0031 0004

(1779) (0381)

為替変化率 α 3 -0007 0028

(0423) (1526)

NYインフレ率 α 4 -0017 -0024

(3808) (5526)

NY金利 α 5 0423

(1421)

ロンドン金利 α 5 0742

(7283)

R2 0797 0899自由度調整済みR2 0774 0887

標準誤差 0443 0313

DW統計量 0757 0925

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とそれぞれの金利だけである

どちらの推計でもこれらの有意な変数は符号条件を満たしているインフレ率とGDPギャ

24

ップは5有意ではなくなり単純テイラールールでも小さかった係数はさらに小さ

くなるこれに対して貿易収支比率の係数は貿易収支比率が10ポイント分マイナス

に動けば1金利を引き上げることであるからある程度貿易収支に反応して金融政策

を行っていたと言えるだろう為替変化率の係数は為替レートが10下落したら金利

を1引き上げることであるからこちらもある程度は為替レートに反応して金融政策を

行っていたとも言えるだろうニューヨーク金利とロンドン金利が1上昇すると国内金

利をそれぞれ0204引き上げるということになっている

1926年1月から1931年12月までの推計ではニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれ

を用いた推計でも5で有意な変数はGDPギャップと貿易収支比率とロンドン金利であ

るがロンドン金利は符号条件を満たしていないGDPギャップは有意であるがその係数

は単純テイラールールの推計と同様に小さい貿易収支比率の係数は貿易収支比率で

10ポイント分赤字が増えれば金利を05引き上げることであるからある程度は貿易

収支に反応して金融政策を行っていたと言えるかもしれない

さらに1932年1月から1936年12月までの推計では物価GDPギャップニューヨーク物

価ロンドン金利が5で有意であるGDPギャップニューヨーク物価は符号条件を満た

していないロンドン金利は符号条件を満たしその係数も074と大きく日本の金融政

策はロンドンに追随して行われていたことになる

金本位制を意識して行われていたときには金融政策は対外均衡に重点を置き金本位

制を離脱した後はロンドンの金利に追随していたことになる日本の金融政策が英国

の金融政策に追随していたことは鎮目[2009]第2章の結果とも整合的である

さらに表7は以上の変数に正貨を追加したものであるデータの制約により1919年1

月から29年3月までしか推計できないのでこれは金本位制を意識して金融政策が行われて

いた期間の金融政策を評価していることになる

25

表7 (3)式の拡張テイラールールの推計結果(正貨準備の変化率追加)

係数 係数定数項 r-βπ tar 5431 7511

(7602) (8642)インフレ率 1+β 0028 0024

(1209) (1264)GDPギャップ α 1 0147 0095

(2352) (1698)貿易収支比率 α 2 -0050 -0034

(2522) (2089)為替変化率 α 3 0016 0097

(0173) (0989)NYインフレ率 α 4 0004 -0004

(0166) (0224)NY金利 α 5 -0071

(0665)ロンドン金利 α 5 -0662

(2795)正貨準備の変化率 α 6 -0071 -0087

(0796) (1138)R2 0410 0471自由度調整済みR2 0374 0438標準誤差 1451 1375DW統計量 0808 0934注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

正貨を追加した推計結果ではGDPギャップ貿易収支比率ロンドン金利が有意である

GDPギャップ貿易収支比率は符号条件を満たしているがロンドン金利は満たしていない

表7の1919年から31年の推計結果に比べてGDPギャップの係数の値は大きくなるが景気

安定化効果が大きかったとまでは言えない貿易収支の係数はほとんど変らず貿易収支

の状況を念頭に入れて政策を行っていたと言えるだろうロンドン金利符号が逆で海外

金利が下がると金利を上げるという結果になっている

以上の結果を鎮目[2002]と比べる鎮目は金外貨準備英国の短期金利経常収支

資本収支をテイラールールの式に追加していずれの変数も有意ではなかったと報告し

ているが本稿では追加した変数のうち貿易収支ニューヨーク金利(特にロンドン

金利)が符号条件を満たして有意になっている場合が多く対外均衡を意識した金融政策

が行われていた可能性を示唆している

33 拡張テイラールールに関する政策反応ラグ

以上の拡張テイラールールの推計では貿易収支比率為替変化率ニューヨークイ

26

ンフレ率ロンドン金利を追加したものが良好な推計結果をもたらしたそこで拡張テ

イラールールに関する政策反応ラグを考慮するために以上の変数に加えて被説明変数

の 1期ラグを追加したものを推計する11結果は表8のようになる

表8 拡張テイラールールの金利ラグ付き推計

係数 係数 係数 係数定数項 r-βπ tar 0623 0565 定数項 r-βπ tar 1806 2223

(3922) (3134) (3861) (3396)インフレ率 1+β -00001 0003 インフレ率 1+β 0012 0007

(0023) (0552) (1190) (0761)GDPギャップ α 1 0019 0023 GDPギャップ α 1 0044 0043

(1589) (1875) (2072) (2007)

貿易収支比率 α 2 -0024 -0023 貿易収支比率 α 2 -0019 -0020

(2312) (2239) (1514) (1767)

為替変化率 α 3 -0026 -0025 為替変化率 α 3 -0048 -0045

(1984) (2069) (1607) (1430)

NYインフレ率 α 4 -0002 -0002 NYインフレ率 α 4 -0004 -0004

(0277) (0388) (0337) (0389)NY金利 α 5 0040 NY金利 α 5 -0044

(1532) (1193)

ロンドン金利 α 5 0075 ロンドン金利 α 5 -0163

(1447) (1703)コールレート1期ラグ 0796 0802 コールレート1期ラグ 0680 0657

(18638) (20579) (9505) (8112)R2 0789 0788 R2 0707 0711自由度調整済みR2 0782 0781 自由度調整済みR2 0693 0697標準誤差 0902 0904 標準誤差 1023 1016DW統計量 2581 2574 DW統計量 2408 2415

係数 係数

定数項 r-βπ tar 0527 0900 (2552) (3391)

インフレ率 1+β -0004 -0005(1594) (1249)

GDPギャップ α 1 -0006 -0014

(1174) (1562)

貿易収支比率 α 2 -0001 0010

(0135) (1064)

為替変化率 α 3 0005 0019

(0542) (1247)

NYインフレ率 α 4 -0003 -0008

(1971) (2116)

NY金利 α 5 -0022

(0557)

ロンドン金利 α 5 0386

(3052)コールレート1期ラグ 0833 0608

(9986) (6019)R2 0934 0957自由度調整済みR2 0925 0951標準誤差 0255 0207DW統計量 2478 2362

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

11 単純テイラールールでは説明変数のラグを加えたがここではあまりにも煩雑になること

と単純テイラールールで被説明変数の 1 期ラグが重要であったことから被説明変数の 1 期

ラグのみを追加した

27

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とコールレートの1期ラグであ

る貿易収支比率と為替変化率のどちらの係数も符号条件を満たしているがコールレー

トの1期ラグがない場合と比べて係数の値は小さくなっているただしこの推計をコイ

ック型と考えて係数の長期の値を(1-コールレートの1期ラグの係数)で除すことによっ

て求めれば1期ラグがない場合の係数よりもかなり大きくなる

1926年1月から1931年12月までの推計ではGDPギャップとコールレートの1期ラグのみが

有意となるGDPギャップの長期係数を求めても値は小さいこの期間では金利を安定的

に維持することに金融政策が使われていたと言えるだろう

1932年1月から1936年12月までの推計では有意なものはロンドン金利とニューヨークイ

ンフレ率とコールレートの1期ラグとなってしまうニューヨークインフレ率は符号条件を

満たしているがその係数は小さいロンドン金利の係数は大きく日本の金融政策はロ

ンドンに追随して行われていたことになる

コールレートの1期ラグを入れるといずれの期の金融政策も金利の平準化の要素が大き

いと判断される金本位制を意識して行われていたときには金融政策はある程度は対外

均衡を考えていたようである金本位制を離脱した後はロンドンの金利を考慮していた

ようである

さらに表9は以上の変数に正貨を追加したものである(データの制約により1919年1

月から29年3月までの推計)これは金本位制を意識して金融政策が行われていた期間の金

融政策を評価していることになる

28

表9 正貨準備高の変化率を加えた場合

係数 係数定数項 r-βπ tar 1723 2771

(3126) (2898)インフレ率 1+β 0004 0005

(0356) (0518)GDPギャップ α 1 0088 0072

(2641) (2442)貿易収支比率 α 2 -0023 -0018

(1664) (1321)為替変化率 α 3 -0025 0008

(0544) (0189)NYインフレ率 α 4 -0007 -0010

(0617) (0924)NY金利 α 5 -0012

(0255)ロンドン金利 α 5 -0239

(1470)正貨準備の変化率 α 6 0001 -0005

(0013) (0079)コールレートの1期ラグ 0644 0603

(7451) (6371) R2 0652 0659自由度調整済みR2 0628 0635標準誤差 1119 1107DW統計量 2450 2452注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

有意なものはGDPギャップとコールレートの1期ラグであるGDPギャップは符号条件

を満たしている長期の係数を取ってもその係数は大きいとは言えない

34 対外均衡と対内均衡

対外均衡に重点を置いた金融政策を行うとは経常収支赤字や為替レート下落や外貨準

備の減少に対して金利を引き上げるというルールに従って金融政策を行うことである

通常であれば金本位制の下で国内がインフレになり競争力を失ったり景気が過熱

して輸入が増大したときには経常収支赤字や為替レート下落や外貨準備の減少が起きる

だろう経常収支の赤字や外貨準備の減少が起きたときには金融を引き締めるというルー

ルは国内がインフレになったり景気が過熱したときには引き締めるというルールでも

あるしたがって対外均衡に重点を置くことが国内均衡を必ず妨げるというわけではな

いこれは逆の場合も真実であるしかし1910 年代日本の経常収支や外貨準備は国

内の景気要因で変化したわけではない第 1 次世界大戦によって外需が増加し経常収支

29

が黒字となり外貨準備が増えた金本位制のルールに従って金融政策は緩和されマ

ネタリーベースは 1919 年 1 月から 1920 年 4 月までに 16 倍に増加した輸出超過の国は

金融緩和することによって輸入超過の国の不況を和らげることができる日本は金本

位制の正しいルールに基づいて金融を緩和しただけであるしかし戦争がおわりその

復興需要もなくなったとき経常収支は赤字となり外貨準備は減少したしかしかつ

て金準備に依存して増大していたマネタリーベースはそのままだった失われた外貨準備

に対してマネタリーベースを減少させなければならなかったしかし23 年までマネタリ

ーベースは増大し続けていた関東大震災という不幸もあってマネタリーベースを減少

させることはできなかったその後25 年まで引き下げていたが27 年には金融恐慌があ

りマネタリーベースを削減することができなかったその後28 年までマネタリーベ

ースはむしろ拡大していた29 年には金本位制復帰を目指してマネタリーベースを急減さ

せるがその結果は激しいデフレと不況だった

そもそも国内要因の変化によらない金準備の増加に対してマネタリーベースを拡大し

たことが誤りだった金本位制からの離脱は1917 年ではなくて欧米諸国が離脱した

1914-15 年になすべきだったそうであれば1910 年代末までのマネタリーベースの急増

はなかっただろうところが実際には金本位制から離脱したにも関わらず1920 年にか

けてマネタリーベースは拡大していた1920 年代からは失われた金準備に対してマネタリ

ーベースを削減することが試みられるようになるしかしそれは関東大震災や金融危機

によって頓挫するむしろマネタリーベースを削減するという試みがデフレと不況をも

たらしそれゆえに不良債権が増大してしまったということではないだろうか

35 小括1‐テイラールールの推計から得られた知見

以上のことから考えて1920 年代から 30 年代にかけては金融政策はインフレまたはデ

フレ促進的な政策を行っていた対外均衡にはある程度考慮した金融政策を行っていたこ

とが分かる

しかし1920 年代には金本位制に復帰するという政策が課題となっていたはずである

20 年代がデフレ促進的また対外均衡にある程度考慮した政策を行っていたことはこの

課題にとっては正しいものだろうしかし現実に採られたデフレ促進策では不十分だっ

た物価は旧平価で金本位制に復帰できるほど下がっていなかったのだからまた32 年

以降の金融政策についてもなぜ 32 年から急速な回復ができたのかそれと金融政策とは

どのよう関係しているかは分析できていない

これについて飯田岡田[2004]は昭和恐慌からの回復はデフレ脱却による実質金利

の下落が重要であって名目金利の低下は重要でなかったと分析しているこれによれば

名目金利の変化で金融政策の変化を見ることはできないことになるしたがって名目金

利の変化に着目するテイラールールでは31 年 12 月以降の高橋是清蔵相の金融政策の意

味を理解できないことになる

30

また金融政策が物価および景気安定を意図していなかったら何を意図していたのだ

ろうか本稿での結論は為替レートや経常収支に視点を置いた対外均衡を意識していた

ということになる

いずれにしろテイラールールだけでは戦前期の金融政策を十分には理解できない

ことになるそこで戦前期の金融政策を別の方法で評価してみよう

4マッカラムルールによる金融政策の評価

41 マッカラムルールの意味と定式化とデータ

以下ではマッカラムルールで戦間期の金融政策を評価することにするマッカラム

ルールを用いて金融政策の在り方を判断した研究としてはマッカラム自身の分析を始め

として多くのものがある(例えばMcCallum[1987][1988]マッカラム[1997]第 15 章)

日本のデータを用いたものにおいても McCallum[1987]岡田飯田[2004]などがあるし

かし日本の戦前期についてはおそらく安達[2006](第7章)しかないと思われる安

達は年データを用い目標値として設定された名目 GNP 成長率(5と設定している)

を達成するためのマネタリーベースを求め現実のマネタリーベースの成長率が 1936 年ま

で過小でそれ以降過大であることを示している本稿では月次データを用いているので

期間ごとの金融政策の在り方も検討することができる

マッカラムルールとはマネタリーベースの成長率を名目GDPの望ましい成長率に

依存させるルールである(McCallum[1987]マッカラム[1997]第 15 章)しかし貨幣の

流通速度 vは変化するので貨幣の流通速度の変化に応じてマネタリーベース bの動きを調

整することが必要となるこのようなルールはbvなどを対数値として望ましいマネタ

リーベースの成長率⊿bをマネタリーベースの流通速度Δvに応じて変化させるというルー

ルであるただしvは景気変動によって大きく変動しているのでそれが技術的な変化と

見なせる 2 年間の平均値 tvΔ であるとする12すなわちマッカラムルールに基づくマネタ

リーベースの成長率とは

tbΔ =マネタリーベースの望ましい成長率- tvΔ

であるここでマネタリーベースの望ましい成長率はサンプル期間(1919 年 1 月から 1933

年 12 月まで)のマネタリーベースの平均成長率とする13マッカラムはマネタリーベース

の望ましい成長率を名目 GDP の成長率としているがここではまずこの期間の経済を再現

することを目的としているので現実のマネタリーベースの成長率を採用したマネタリ

12 マッカラム(1997)第 15 章では流通速度として 4年平均を使用しているが本稿ではサンプル

期間が短いため 2年平均としている 13 サンプル期間は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月であるがマネタリーベースの流通速度の平

均値作成のため 初の 24 か月が失うのでここで計算された望ましいマネタリーベースの成長

率は 1921 年 1 月から 1933 年 12 月までの平均となっている

31

ーベースの動きを図 10 に示しているマネタリーベースは季節性が強いので季調値も図示

しているなお前述のように戦前期の月次名目 GDP のデータは存在しないのでIIP に

卸売物価を掛けたものを名目 GDP の代理変数とする(ここで使うデータの定義と出所は前

掲の表1にある)

図 10 マネタリーベース(原数値と季節調整値)の動き

0

50000

100000

150000

200000

250000

19191

19197

19201

19207

19211

19217

19221

19227

19231

19237

19241

19247

19251

19257

19261

19267

19271

19277

19281

19287

19291

19297

19301

19307

19311

19317

19321

19327

19331

19337

観察されたベースマネー(単位万円) 季節調整済マネタリーベース(単位万円)

作成されたマネタリーベースの成長率は1919 年 1 月から 33 年 12 月までで年率 12

月次では 01となるすなわち

tbΔ =0001- tvΔ

ここで考察する期間を 1919 年 1 月から 33 年 12 月までとしたのは34 年以降の GDP の伸び

が大きすぎトレンドの作成において歪みを生じさせるからであるまた33 年は昭和恐

慌から脱却し経済が安定していた時期でもある

さらに名目 GDP が何らかのショックによって平均的な成長経路よりも上回った時に

はマネタリーベースの伸び率を低下させるようなルール(下回った場合は逆)を導入し

ようすなわち

tbΔ =0001-

1 1( )t t tv y yλ minus minusΔ + minus

32

となるただし目標値

1ty minus は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月までの月次平均成長率 04

成長経路での名目 GDP の対数値であるまたマッカラムによればλは四半期データで 025

が望ましいとされているがここでは月次データを使用しているのでとりあえず 12 分の 1

とすることを考えたがこの期間の名目 GDP は戦後の日米名目 GDP のデータより大きく変

動しているのでさらに小さくする必要があるマッカラムも「λの値を選択する場合

もし間違えるとすれば小さな値を採るほうがよい」(マッカラム[1997]308 頁)としている

そこでλは 36 分の1とした 終的なルールは

tbΔ =0001-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (5)

となる

マッカラムは望ましいインフレ率をゼロとするマネタリールールを求めているがこ

こでは実際には大きく変動したマネタリーベースを安定的に動かしていたらどうなったか

を考えることにしているので名目 GDP の動きは現実のものを使いルールにもとづくマ

ネタリーベースと実際のマネタリーベースをまず比較することにする

次に名目 GDP の決定に関する次のようなモデルを 小二乗法により推計する結果は

1 1 2 3

2

0004 0295 0053 0110 0106 0071 - 0069 23- 0046 27(1596) (3634) (1054) (1404) (2300) (1831) (6731)

R 0109 SE=0029 BG(24)=33227

(1822) t t t t t t ty y b b b b dummy dummy eminus minus minus minusΔ = + Δ + Δ + Δ + Δ + Δ +

=

(6)

となる14但し yΔ は名目 GDP の変化率 bΔ はマネタリーベースの成長率dummy23 は関東

大震災の時の一時的な変動をとらえるために 1923 年 9 月を 1それ以外を 0 としたダミー

変数dummy27 は金融恐慌時の一時的な変動をとらえるために 1927 年 4 月 5 月を 1それ

以外を 0としたダミー変数サンプル期間は推計に使用する変数が全て揃う 1921 年 1 月か

ら 1933 年 12 月までまたここでの残差 te は攪乱項の推定値2R SE BG(p) はそれぞれ

自由度修正済み決定係数攪乱項の標準誤差p 次の Breuch-Godfrey テストのχ二乗統計

量( )内は Newey-West の方法により修正した t値を示している15

ここで当時マッカラムルールなどという議論がなかったのだからこのような分

14 ここでは bΔ は現実のマネタリーベースの成長率を使用して推計を行っている 15 研究の対象期間は 1919 年 1 月からであるが平均流通速度 tvΔ の計算のために 初の 24 ヶ

月分が使用できないそのため他のシミュレーションの対象期間と整合性を保つため 1921 年 1

月からとしているまたこの推計式にはラグ付き内生変数を含むためダービンワトソンテスト

ではなく Breush-Godfrey テストを報告しているこの Breush-Godfrey テストから系列相関が疑

われるためNewey-West の方法により標準誤差を修正している

33

析は意味がないという批判があるかもしれないがこれにはテイラールールの節で述べ

たのと同じ反論が可能であるマッカラムルールとは名目 GDP が上昇しすぎたら(そ

のときには景気が過熱するかインフレが高進していると考えられる)マネーを縮小し

名目 GDP が下降しすぎたら(そのときは景気が悪化するかデフレになっている)マネーを

拡大するという素朴なルールである当時このようなルールが意識されていなかったと

は考え難い

42 長期的な経済を再現するシミュレーション

まずマッカラムルールによって現実の長期的な経済の経路を再現してみようルー

ルにもとづくマネタリーベースと実際のマネタリーベースのレベルと成長率とを図

11(1)(2)に示す

政策ルール(5)式が実施された場合の名目 GDP(の代理変数)の動きを見るために(5)式

から得られる理論値 tbΔ (6)式の残差 te 初期値 1ty minusΔ に目標 GDP

1ty minusΔ を代入してマ

ッカラムルールに従った場合の名目 GDP y の系列を求める現実の xとマネタリーベース

のルールに従った場合の y の系列を比べてみたのが図 11-(3)である図 11-(3)からマ

ネタリーベースのルールに従った場合の y の系列が安定していることが分かるこのよう

に安定的な名目 GDP の系列を得るためには第 1 次世界大戦後の金融引締めが過大で20

年代初期の金融緩和が過大30 年の金融引締めが過大だったと判断される

図 11 マッカラムルール

(1)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

34

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT MBDOT

注)BDOT はマッカラムルールの下でのマネタリーべースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(2)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

35

100000

120000

140000

160000

180000

200000

220000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC MB_SA

注)MB_SA はマネタリーベース(季節調整済)の現実値

B_MC はマッカラムルールに従った場合のマネタリーベース水準

またマッカラムルールの下でのマネタリーベースの初期値は現実値を使用

単位は万円

(3)マッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

36

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULE XSTAR X

注)GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

43 物価を下落させるシミュレーション

以上の結果はマネタリーベースの伸びを安定的にしていれば経済変動はより少なく

なっていただろうということを示しているしかしもし第 1 次世界大戦前の旧平価で金

本位制に復帰することが目的であったとしたら1節で述べたように物価を 3 割下げな

ければならない名目 GDP(その代理変数)は実質 GDP の変化がないとして1919 年 12

月から 29 年 12 月までに 3割下がらなければならない

そこで名目 GDP(その代理変数) y は現実の値よりも毎月 03ずつ低下しなければ

ならないので(5)式の定数項 0001 から 0003 を引いて-0002 とするすなわち

tbΔ =-0002-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (7)

とならなければならないここでの系列 y も実際の値から毎月 03ずつ引き下げたも

のを使っているつぎに(7)式の bを(6)式に入れると図 12 のようになる図に見られるよ

うに名目 GDP は安定しかつ小さくなっているすなわち物価が 3 割下落していること

が分かる

37

図 12 物価を下落させた場合

(1) 名目 GDP の目標値とマッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULEXSTAR

XGDP3_RULE

XSTAR_3

注) GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

GDP3_RULE は物価を 3割下げたマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR_3 は物価を 3割下げた場合の目標となる名目 GDP(対数値)

38

(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

参考文献

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飯田泰之岡田靖「第 6章 昭和恐慌と予想インフレ率の推計」岩田[2004]

石橋湛山「金輸出解禁論史」『週刊東洋経済』1929 年 3 月 16 日号

岩田規久男編著『昭和恐慌の研究』東洋経済新報社2004 年

宇都宮浄人「個人消費支出からみた戦間期の景気変動-LTES個人消費支出の再推計-」

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小汀利得「速に金解禁を行ふには平価切下の外なし」『週刊東洋経済』1929 年 3 月 16 日号

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研究所編[2004]所収

河合正弘『国際金融と開放マクロ経済学』東洋経済新報社1986 年

経済企画庁「経済白書」1997 年

経済企画庁「経済白書」1999 年

佐藤和夫「戦間期日本のマクロ経済とミクロ経済」中村[1981]所収

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Taylor John B rdquoDiscretion versus Policy Rules in Practicerdquo Carnegie-Rochester

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  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 12: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

11

図 4 使用データ(月次)のグラフインフレ率コールレート

0

2

4

6

8

10

12

-100

-50

0

50

100

150

200

1919M01

1919M05

1919M09

1920M01

1920M05

1920M09

1921M01

1921M05

1921M09

1922M01

1922M05

1922M09

1923M01

1923M05

1923M09

1924M01

1924M05

1924M09

1925M01

1925M05

1925M09

1926M01

1926M05

1926M09

1927M01

1927M05

1927M09

1928M01

1928M05

1928M09

1929M01

1929M05

1929M09

1930M01

1930M05

1930M09

1931M01

1931M05

1931M09

1932M01

1932M05

1932M09

1933M01

1933M05

1933M09

1934M01

1934M05

1934M09

1935M01

1935M05

1935M09

1936M01

1936M05

1936M09

卸売物価指数(前年同期比左軸) コールレート(右軸単位)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

本稿の目的であるテイラールールの推計では説明変数として GDP ギャップを用いる

がGDP は月次データでは入手できないのでここではGDP 1hp

IIPIIP

= minusギャップ を鉱工業

生産指数 IIP と IIPhpはのギャップで作成しているIIPhpは「潜在 GDP」の代理変数である

「潜在生産指数」で表わしており鉱工業生産指数に HP フィルター(Hodrick-Prescott

filter)をかけることによって作成した4作成した GDP ギャップは図5である

この GDP ギャップが実態と合っているかを考察するためにここで作成された GDP ギャ

ップの動きと藤野[1965](第 2-3 表)の認定した景気循環クロノロジーと比較してみる

藤野によれば1915 年 2-3 月~1920 年 1-2 月が拡張期21 年 5 月までが縮小期29 年 2

月までが拡大期31 年 7 月までが縮小期それ以降が拡大期となっているまた良く知

4 本稿では潜在 GDP 作成に際しHodrick and Prescott [1997以降 HP フィルターと呼ぶ]に

よるフィルタリング関数のスムージングパラメータλ=1166400 を選択してトレンドを抽出し

ているここでは報告されていないがHP フィルターのλ=12960014400移動平均のラグと

リードに関して対称な加重を計算するフィルタリング関数をもつ Baxter and King[1999]およ

び移動平均の加重に関して非対称な加重を許す Christiano and Fitzgerald [2003CF フィルタ

ー]を用いて比較検討しているCF フィルターでは季節調整済みの IIP 系列が単位根過程に従

っているためChristiano and Fitzgerald[1999]に従って平均なしトレンドなしドリフ

トなし平均トレンドドリフト全てなしの 4種類を使用して検討を行っている 終的に藤

野[1965]の景気循環周期と整合的になるように HP フィルターのλ=1166400 を選択したこれら

の結果を入手したい場合は筆者に連絡されたい

12

られているように20 年には第 1次世界大戦の終結による国際的経済反動があり23 年に

は関東大震災があり27 年には金融恐慌があった作成した GDP ギャップはこれらの変

動を基本的には捉えていると言えるだろう

さらに失業率の動きを前掲の図5に示す(失業率は内務省社会局社会部職業課「失業

状況推定月報概要」による)図に見るように失業率のデータがあるのは 1931 年 1 月か

ら 33 年 12 月までであるがその間の GDP ギャップと失業率の動きは正負逆でGDP ギャッ

プの変動が大きいという問題はあるがほぼ同じように動きをしているまた失業率の

動きが GDP ギャップの動きに遅れていることも雇用が景気の遅行指標であるという今日

の常識に照らして合理的であるしたがってHP フィルターで作成した潜在生産指数およ

び GDP ギャップも景気変動を反映した適切なもの判断できるだろう

図 5 使用データ(月次)のグラフGDP ギャップ

0

01

02

03

04

05

06

07

08

09

1

-20

-15

-10

-5

0

5

10

15

20

GDPギャップ lambda=1166400 藤野(1965)の景気後退期 失業率(単位)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

24 テイラールールの推計

241 推計結果

(2)式の推計結果は表2の通りである推計期間は全サンプルがそろう 1919 年 1 月か

ら 1936 年 12 月である36 年を終わりとしたのはそれ以降は軍の圧力によって政策が行

われ金融政策の自立的な動きを議論することはできないと考えたからである推計方法

は 小二乗法を使用しているなおダービンワトソン統計量からは系列相関が疑われるた

13

め 小二乗推定量が有効性を持たない可能性があるので標準誤差を Newey-West の方

法によって修正を加えて t検定を行っている5

推計結果の解釈としては1 β+ の推計値 0016 からβ は-0984 でありインフレ率が

目標インフレ率よりも高まれば金利を引き下げ逆にインフレ率が目標インフレ率よりも

低ければ金利を引き上げるという物価を不安定にするデフレ的な金融政策を採用していた

ことになる(インフレの時はインフレ促進的になる)ましてβはほぼマイナス1である

のでかなりインフレまたはデフレ促進的な金融政策を行っていたことになるこれを現

実の経済情勢に当てはめれば20 年代のデフレ期ではデフレ促進的な金融政策を行い30

年代のインフレ期ではインフレ促進的な金融政策を行っていたことになるただしこの

係数は 10レベルでも有意ではない

なお物価を下落させることを目標としてもデフレ促進的でなく長期的な目標をも

ってテイラールールに基づいて物価を下落させることができることを念のために指摘し

ておくすなわち物価上昇率の目標レベルを低くすれば目標より物価が上ったときは

引締め下がったときは緩めるという物価安定的でかつ長期的に物価を下落させる方法

は可能でありまたその方が望ましいだろう

一方α は 0108 なので GDP ギャップが正のとき金利を引き上げる景気安定的な政策を

とっていたことになるただしα は 10で有意であるが係数が小さいので(GDP ギャ

ップがマイナス 10でも金利を108下げるだけ)景気安定化効果が大きかったとは言え

ないだろう

表 2 (2)式のテイラールールの推計結果

係数

定数項 r -βπ tar 4669

(17711)インフレ率 1+β 0016

(0823)GDPギャップ α 0108

(1679)R2 0085自由度調整済みR2 0077標準誤差 1855DW統計量 0258

注)( )内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

全期間1919年1月~1936年12月

5 本稿には載せていないがここでは 尤法による推計も行っている 尤法による推計では誤

差項に正規分布を仮定した場合 小二乗推定値とほぼ等しい推定値でかつ漸近的 t値からが

1 β+ が 10αが 1で有意であることが確認されている

14

さらにサンプル期間を1930 年の昭和恐慌期を含む期間と含まない期間に分けて推計を

行う具体的には1919 年 1 月から 1931 年 12 月までと1932 年 1 月以降から 1936 年 12

月までの 2 期間に分割して(2)式の推計を行う金融政策は1931 年 12 月以前は金本位制

への復帰を求めていたがそれ以降は金本位制を離脱し金本位制に制約されることがな

くなったと考えての分割である(金本位制からの離脱は 31 年 12 月正式には 32 年 1 月)

推計結果は表 3 に示しているここでも標準誤差を Newey-West の方法によって修正して

いる

表 3 期間分割後のテイラールールの推計結果

係数 係数

定数項 r -βπ tar 5450 定数項 r-βπ tar 3113

(22627) (10790)インフレ率 1+β 0057 インフレ率 1+β -0009

(3877) (0644)GDPギャップ α 0061 GDPギャップ α -0182

(0898) (2307)R2 0313 R2 0175自由度調整済みR2 0304 自由度調整済みR2 0146標準誤差 1542 標準誤差 0862DW統計量 0475 DW統計量 0241

注)( )内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1931年12月 (2)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

推計結果表3-(1)を見ると1919年1月から1931年12月において(1+β)が1で有意であ

あるまた値は00567でありこれから1を引くとβ =-0943となる (1)式から考える

と物価が目標インフレ率以上に上昇したときには政策金利をほぼ物価上昇率と同じだ

け引き下げるという政策を行っていることがわかるこの期間はほぼ物価が下落してい

たのでデフレ促進的な政策を採っていたことになる

GDP ギャップに関しては有意ではないがギャップが1ポイント縮小すると政策金利

を 0061引き上げるすなわち景気が拡大したときには政策金利を引き上げるという景

気変動抑制的な政策が行われていたことがわかるもちろんその係数は小さいので実

際にどれだけそのような効果があったかは分からない

表3-(2)で1932年1月から1936年12月の推計結果をみる物価の係数(1+β)-0009か

ら1を引くと-1009となり物価が上ると金利を引き下げるという政策をとっていたこ

とが分かるこの期間は物価が回復または上昇していた時期であるのでインフレ促進的

な政策を行っていることがわかる

GDP ギャップに関しては 5で有意でありギャップが1ポイント縮小すると政策金

利を 0182 引き下げるという景気変動拡大的な政策が行われていたことがわかるただし

15

その係数は小さいので効果も小さかったと思われる

これらの結果を鎮目[2002]と比べるとインフレ促進的またデフレ促進的な政策が行

われていたということについては共通しているGDP ギャップについて 32 年以降マイナス

になるというのも鎮目と共通であるただし本稿の推計した係数値は鎮目に比べてき

わめて小さい

242 区間分けについての確認

これまでの期間分割は暫定的なものであったこの区間分割が合理的なものであるかを

どうかを確認するために逐次回帰法(recursive least squares)を行った結果が図6で

ある6

図6で 1+βαの動きをみると30 年以降に大きく動いておりこの期間分けは合理的

なものだったと分かる

図 6 逐次回帰推計

-08

-04

00

04

08

12

16

1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1934 1936-1

0

1

2

3

4

1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1934 1936

25 政策反応までのラグ

これまでの分析は当期の物価景気貿易収支為替が金融政策に影響を及ぼすとし

ていたしかし為替はともかく物価景気貿易収支については認知のラグがあり

また経済情勢を慎重に見極めながら政策を行っていると考えられるそこでここでは次

のようなモデルについて推計を行うことにする

6 ここで使用した逐次回帰法は推計期間として 1から説明変数の個数より大きいサンプル数を

選び係数を推計し次は 終期を 1期追加して係数を推計といった手順を繰り返す手法である

詳しくは森棟(1999)4 章を参照のこと

1+β α

16

1 1

1 1

0 0

( ) (1 )tart p t p q t q t t

p q

i r x iβπ β π α λ εminus minus minus= =

= minus + + + + +sum sum (3)

ここでは p=0 q=0 のケースp=0 q=1 のケースp=1 q=0 のケースp=1 q=1 の

ケースについて推計を行った結果自由度修正済み決定係数および赤池情報基準によって

モデルを選択すると全期間を対象とした場合は p=1q=0金本位離脱以前を対象期間に

した場合では p=q=1金本位離脱以降を対象とした場合では p=0 q=0 が選択されるした

がってここでは各期間において選択されたラグ(pq)に従って推計を行うスペースの節約

のため選択されたモデルの結果のみを表4に示す推計方法は 小二乗法を使用して

いる

17

表4 政策反応までのラグ

(1)全期間1919年1月~36年12月

(p=1q=0)

係数

定数項 r-βπ tar 0612

(3895)

当期インフレ率 (1+β )0 0042

(2220)

前期インフレ率 (1+β )1 -0047

(2463)

当期GDPギャップ α 0 0042

(2436)

前期の金利 λ 1 0867

(28290)

R2 0789

自由度調整済みR2 0785標準誤差 0895

DW統計量 2756

(2) 金本意離脱前1919年1月~31年12月(3) 金本意離脱後1932年1月~19年12月

(p=1q=1) (p=0q=0)

係数 係数

定数項 r-βπ tar 1392 定数項 r -βπ tar 0364 (3907) (2348)

当期インフレ率 (1+β )0 0076 当期インフレ率 (1+β ) -0002

(3149) (1048)

前期インフレ率 (1+β )1 -0066 前期インフレ率 (1+β )1

(2682)

当期GDPギャップ α 0 0022 当期GDPギャップ α 0 -0004

(0661) (0321)

前期GDPギャップ α 1 0009 前期GDPギャップ α 1

(0338)

前期の金利 λ 1 0748 前期の金利 λ 1 0867

(12691) (15181)

R2 0719 R2 0933

自由度調整済みR2 0710 自由度調整済みR2 0929

標準誤差 0997 標準誤差 0248

DW統計量 2643 DW統計量 2594

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法

によって修正を加えている

表4(1)の全期間を対象とした場合全ての変数が5で有意であるまた1+β の推計値か

ら計算されたβ は全て負となりインフレまたはデフレ促進的な政策が行われていたと解

釈されるGDPギャップについてはα が正であるが係数の値は非常に小さい一方金利

の平準化の程度を示す 1λ の係数は大きい

金本位制離脱以前の推計結果表 4(2)ではGDP ギャップの係数以外が有意である推計

18

された係数の値をみるとこの時期のβ も表 4(1)の全期間を対象とした値とあまり変わ

らないが 1λ はやや小さくなっているこの時期政策策定者は金利を平準化しつつイン

フレを促進するような政策をとっていた可能性がある

後に金本位制離脱以後の推計結果表 4(3)からは 1λ 以外は有意ではない

すなわち全期間を通していえることは金利の平準化の要素が強くまたインフレおよび

デフレを是認あるいは促進的な政策となっていた係数の値はいずれも小さくλの係数

をコイック型のラグと考えてそれぞれの係数を 1(1-λ)倍しても小さい

3拡張テイラールール

31 拡張テイラールールの定式化先行研究データ

これまでの結果は物価については鎮目[2002](図表7)とも共通であり物価を不安

定にする金融政策が行われていたことになるさらに鎮目では GDP ギャップの係数は 31

年までは正であり景気変動抑制的だったが32 年以降は負となり景気変動を拡大する

ような金融政策が行われていたことになる本稿の GDP ギャップの係数も正から負に変わ

っているただしいずれにしろその係数は小さいので景気変動を抑制するように金融

政策が行われていたとは言えない

以上の結果はむしろ戦間期の金融政策は金融政策は国内の経済安定に重点を置い

て物価と景気を見ながら行うべきというテイラールールでは説明することが難しいと解

釈すべきだろうこれは鎮目の結果とも共通しているそこで次に戦間期の金融政策は

経常収支為替レートの安定など対外均衡に重点を置いて行われていたのではないかと

いう常識に従いテイラールールを拡張して金融政策が経常収支や金外貨準備や海外

金利にも影響されて行われていたとする鎮目[2002]はテイラールールに金外貨準

備海外金利経常収支資本収支を加えている月次で資本収支(およびその代理変数)

のデータを得ることはできなかったので我々の推計式は鎮目[2002]を参考に

1 2 3 4 5 6( ) (1 )tar

t t t t t t t t ti r x TB S NYP fori reserveβπ β π α α α α α α ε= minus + + + + + + + + +

(4)

とする

ここで月次の経常収支はデータが得られないため輸出入の差を名目GDPで割った貿易収

支比率TBを使用している(ここで用いている名目GDPは鉱工業生産指数times卸売物価指数で

ある)貿易収支比率は実際の名目GNPで修正している7またSは為替レートの変化率を

7貿易収支比率 TBは具体的には以下である

1928t1928 GNP( ) 100

1928 t GDP( )GDP( ) 1928

tTB = times times

年の貿易収支合計

期の貿易収支年の名目 大川推計

月次貿易収支の 年平均 期の名目 の代理変数

月次名目 の代理変数 の 年平均

19

示しており値が増えるのが円高である8ニューヨーク物価NYPはニューヨークの卸売物価

指数の前年同月変化率()であるforiは外国の市中金利()を示しニューヨーク金利

あるいはロンドン金利のいずれかである貿易収支が赤字に円の為替レートが下落すれ

ば金利は引き締められるニューヨークの物価が下落すれば日本の金融も引き締めざ

るを得ないニューヨークまたはロンドンの金利に追随するしかないと考える正貨

reserveは金本位制であればこれが増大すれば金融を緩和し減少すれば金融を引き締め

ることになる(ただし正貨は21年3月から29年3月までのデータしかない)また正貨は

1924年1月から11月1925年289月のデータが欠損しているので線形補間によってデ

ータを補っている9

符号条件は貿易収支比率為替レート変化率ニューヨーク物価上昇率正貨が負

ニューヨークおよびロンドンの金利が正である

以上で為替レートニューヨーク物価が鎮目[2002]の分析に対し新たに追加した変

数である

ここで新しく追加した変数貿易収支比率と為替レートと名目GDPの代理変数とニュー

ヨーク物価とニューヨーク金利とロンドン金利と正貨準備を図7図8図9に示してお

くここで名目GDP(その代理変数)は鉱工業生産times卸売物価指数である

8第1節と同じように為替レートの水準は 100 円当たりのドルで表しているので変化率

に修正しても値が大きくなると円高を示すことになる 9 また日本銀行調査局『本邦経済統計』では1922 年 11 月の正貨準備高の値が 1386957540円と記載されているが前後月の数値から判断して 1836957540 円の誤記と推測し修正を加

えている

20

図 7 コールレートニューヨーク市中金利ロンドン市中金利

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

200

0

2

4

6

8

10

12

14

16

18

コールレート(右軸) ニューヨーク市中金利(右軸) ロンドン市中金利(右軸)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

図 8 貿易収支比率為替レート変化率名目 GDP(対数値)

0

2

4

6

8

10

12

14

-50

-40

-30

-20

-10

0

10

20

30

貿易収支比率 為替レート変化率 名目GDP

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

21

図 9 正貨準備高ニューヨークインフレ率

0

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

-60

-40

-20

0

20

40

60

正貨(単位億円) ニューヨークインフレ率(卸売り物価指数)

なお追加した説明変数貿易収支比率為替レートニューヨーク物価ニューヨー

ク金利ロンドン金利正貨準備が独立でないという問題があるうちニューヨーク金

利とロンドン金利は同時には入れず他の変数と代替的に入れることとするそれでも

貿易収支比率と為替レートが独立ではないという問題があるかもしれない単純に為替

レートが割安であれば経常収支が黒字に動き割高であれば経常収支が赤字に動くという

メカニズムによって為替レートと経常収支が独立ではないということになる

また為替レート関数の推計において自国と他国の物価マネーサプライ金利生

産に加えて経常収支またはその累積を説明変数に入れるのが通常であることを考えれ

ば当然に問題となるしかし多くの推計で為替レートに対して経常収支またはそ

の累積の説明力はそれほど高くはない10

ちなみに変数間の相関行列を取ると表5のようになる(推計期間は正貨を含む変数間

は 1919 年から 1929 年 3 月それ以外の変数間は 1919 年 1 月 1936 年 12 月まである)貿

易収支比率と為替レートの相関を取ると相関係数は 0029 でありマルチコリニアリティ

10 深尾[1983] (167 頁)は日本の米国に対する 100 億ドルの経常黒字は 64の円高ドル

安要因になるとしているこれは大きな効果だがその後の推計によると経常収支黒字が円高

をもたらす効果は大きくはない河合[1986](第 94 表214 頁)によれば経常収支累積額が

1の上昇は実質為替レートを 0068~0163上昇させるにすぎないその後も同様の推計

がなされているが(経済企画庁[1997]第 1-2-1 図③経済企画庁[1999]付図 1-5-2原田[2004])いずれの推計においても経常収支が為替レートに与える影響は大きなものではない

22

の問題は避けられていると判断できる当時のデータで為替と貿易収支の相関が弱い理

由として金解禁への動きが度々予想されていたので為替レートが貿易など実態経済

の状況にかかわらず高騰していたこともあげられる表 5 から説明変数間で(被説明変

数のコールレートを除く)相関係数の絶対値が 04 以上のものを上げると卸売物価と GDP

ギャップ卸売物価とニューヨーク卸売物価GDP ギャップとニューヨーク卸売物価ニュ

ーヨーク金利とロンドン金利貿易収支比率とコールレートがそうである卸売物価と GDP

ギャップはテイラールールの基本的な説明変数なので両者をともに入れるがニューヨ

ーク金利とロンドン金利については代替的にも推計することとする

表5 拡張テイラールールで使用された変数の相関行列

コールレート

インフレ率GDPギャッ

プ貿易収支比

率為替変化

率NYインフレ

率NY金利

ロンドン金利

正貨準備変化率

コールレート 1000 0222 0293 -0441 -0112 0082 0437 0264 -0113

インフレ率 1000 0437 0046 -0024 0482 0198 -0340 -0005

GDPギャップ 1000 -0056 0205 0605 0246 -0119 0042

貿易収支比率 1000 0029 0189 -0182 -0252 0183

為替変化率 1000 0259 0023 0019 0058

NYインフレ率 1000 -0071 -0378 -0084

NY金利 1000 0649 0291

ロンドン市中金利 1000 0092

正貨準備変化率 1000

32 拡張テイラールールの推計結果

推計期間は貿易収支が入手可能な1926年1月から1936年12月までの全期間と上述の(2)

式と比較するために1931年12月までとそれ以降の期間とする推計結果は表6の通り

である推計については上記3つの推計期間において 小二乗法を行っている新しく追

加した変数貿易収支比率為替レートの変化率ニューヨーク卸売物価上昇率ニュー

ヨーク金利ロンドン金利正貨準備の変化率の単位はである推計に当たっては系

列相関が疑われるためNewey-Westの方法によって標準誤差の修正を行っている

23

表6 拡張テイラールールの推計結果

係数 係数 係数 係数

定数項 r-βπ tar 3155 2980 定数項 r -βπ tar 5780 6596 (10072) (6939) (12603) (13464)

インフレ率 1+β 0008 0027 インフレ率 1+β 0041 0025

(0552) (1600) (1957) (1399)

GDPギャップ α 1 0036 0057 GDPギャップ α 1 0090 0083

(1156) (1798) (2584) (2412)

貿易収支比率 α 2 -0105 -0106 貿易収支比率 α 2 -0053 -0054

(5627) (4937) (2671) (3396)為替変化率 α 3 -0109 -0110 為替変化率 α 3 -0062 -0051

(3782) (3755) (1345) (0998)

NYインフレ率 α 4 0014 0011 NYインフレ率 α 4 0014 0012

(0820) (0645) (0651) (0682)

NY金利 α 5 0212 NY金利 α 5 -0133

(3002) (1599)

ロンドン金利 α 5 0399 ロンドン金利 α 5 -0466

(2870) (3071)R2 0397 0375 R2 0468 0503

自由度調整済みR2 0380 0357 自由度調整済みR2 0447 0483

標準誤差 1520 1548 標準誤差 1375 1329

DW統計量 0568 0531 DW統計量 0700 0794

係数 係数

定数項 r-βπ tar 2703 2617

(6657) (26032)

インフレ率 1+β -0018 -0016

(1920) (2396)

GDPギャップ α 1 -0052 -0059

(2353) (5464)

貿易収支比率 α 2 -0031 0004

(1779) (0381)

為替変化率 α 3 -0007 0028

(0423) (1526)

NYインフレ率 α 4 -0017 -0024

(3808) (5526)

NY金利 α 5 0423

(1421)

ロンドン金利 α 5 0742

(7283)

R2 0797 0899自由度調整済みR2 0774 0887

標準誤差 0443 0313

DW統計量 0757 0925

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とそれぞれの金利だけである

どちらの推計でもこれらの有意な変数は符号条件を満たしているインフレ率とGDPギャ

24

ップは5有意ではなくなり単純テイラールールでも小さかった係数はさらに小さ

くなるこれに対して貿易収支比率の係数は貿易収支比率が10ポイント分マイナス

に動けば1金利を引き上げることであるからある程度貿易収支に反応して金融政策

を行っていたと言えるだろう為替変化率の係数は為替レートが10下落したら金利

を1引き上げることであるからこちらもある程度は為替レートに反応して金融政策を

行っていたとも言えるだろうニューヨーク金利とロンドン金利が1上昇すると国内金

利をそれぞれ0204引き上げるということになっている

1926年1月から1931年12月までの推計ではニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれ

を用いた推計でも5で有意な変数はGDPギャップと貿易収支比率とロンドン金利であ

るがロンドン金利は符号条件を満たしていないGDPギャップは有意であるがその係数

は単純テイラールールの推計と同様に小さい貿易収支比率の係数は貿易収支比率で

10ポイント分赤字が増えれば金利を05引き上げることであるからある程度は貿易

収支に反応して金融政策を行っていたと言えるかもしれない

さらに1932年1月から1936年12月までの推計では物価GDPギャップニューヨーク物

価ロンドン金利が5で有意であるGDPギャップニューヨーク物価は符号条件を満た

していないロンドン金利は符号条件を満たしその係数も074と大きく日本の金融政

策はロンドンに追随して行われていたことになる

金本位制を意識して行われていたときには金融政策は対外均衡に重点を置き金本位

制を離脱した後はロンドンの金利に追随していたことになる日本の金融政策が英国

の金融政策に追随していたことは鎮目[2009]第2章の結果とも整合的である

さらに表7は以上の変数に正貨を追加したものであるデータの制約により1919年1

月から29年3月までしか推計できないのでこれは金本位制を意識して金融政策が行われて

いた期間の金融政策を評価していることになる

25

表7 (3)式の拡張テイラールールの推計結果(正貨準備の変化率追加)

係数 係数定数項 r-βπ tar 5431 7511

(7602) (8642)インフレ率 1+β 0028 0024

(1209) (1264)GDPギャップ α 1 0147 0095

(2352) (1698)貿易収支比率 α 2 -0050 -0034

(2522) (2089)為替変化率 α 3 0016 0097

(0173) (0989)NYインフレ率 α 4 0004 -0004

(0166) (0224)NY金利 α 5 -0071

(0665)ロンドン金利 α 5 -0662

(2795)正貨準備の変化率 α 6 -0071 -0087

(0796) (1138)R2 0410 0471自由度調整済みR2 0374 0438標準誤差 1451 1375DW統計量 0808 0934注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

正貨を追加した推計結果ではGDPギャップ貿易収支比率ロンドン金利が有意である

GDPギャップ貿易収支比率は符号条件を満たしているがロンドン金利は満たしていない

表7の1919年から31年の推計結果に比べてGDPギャップの係数の値は大きくなるが景気

安定化効果が大きかったとまでは言えない貿易収支の係数はほとんど変らず貿易収支

の状況を念頭に入れて政策を行っていたと言えるだろうロンドン金利符号が逆で海外

金利が下がると金利を上げるという結果になっている

以上の結果を鎮目[2002]と比べる鎮目は金外貨準備英国の短期金利経常収支

資本収支をテイラールールの式に追加していずれの変数も有意ではなかったと報告し

ているが本稿では追加した変数のうち貿易収支ニューヨーク金利(特にロンドン

金利)が符号条件を満たして有意になっている場合が多く対外均衡を意識した金融政策

が行われていた可能性を示唆している

33 拡張テイラールールに関する政策反応ラグ

以上の拡張テイラールールの推計では貿易収支比率為替変化率ニューヨークイ

26

ンフレ率ロンドン金利を追加したものが良好な推計結果をもたらしたそこで拡張テ

イラールールに関する政策反応ラグを考慮するために以上の変数に加えて被説明変数

の 1期ラグを追加したものを推計する11結果は表8のようになる

表8 拡張テイラールールの金利ラグ付き推計

係数 係数 係数 係数定数項 r-βπ tar 0623 0565 定数項 r-βπ tar 1806 2223

(3922) (3134) (3861) (3396)インフレ率 1+β -00001 0003 インフレ率 1+β 0012 0007

(0023) (0552) (1190) (0761)GDPギャップ α 1 0019 0023 GDPギャップ α 1 0044 0043

(1589) (1875) (2072) (2007)

貿易収支比率 α 2 -0024 -0023 貿易収支比率 α 2 -0019 -0020

(2312) (2239) (1514) (1767)

為替変化率 α 3 -0026 -0025 為替変化率 α 3 -0048 -0045

(1984) (2069) (1607) (1430)

NYインフレ率 α 4 -0002 -0002 NYインフレ率 α 4 -0004 -0004

(0277) (0388) (0337) (0389)NY金利 α 5 0040 NY金利 α 5 -0044

(1532) (1193)

ロンドン金利 α 5 0075 ロンドン金利 α 5 -0163

(1447) (1703)コールレート1期ラグ 0796 0802 コールレート1期ラグ 0680 0657

(18638) (20579) (9505) (8112)R2 0789 0788 R2 0707 0711自由度調整済みR2 0782 0781 自由度調整済みR2 0693 0697標準誤差 0902 0904 標準誤差 1023 1016DW統計量 2581 2574 DW統計量 2408 2415

係数 係数

定数項 r-βπ tar 0527 0900 (2552) (3391)

インフレ率 1+β -0004 -0005(1594) (1249)

GDPギャップ α 1 -0006 -0014

(1174) (1562)

貿易収支比率 α 2 -0001 0010

(0135) (1064)

為替変化率 α 3 0005 0019

(0542) (1247)

NYインフレ率 α 4 -0003 -0008

(1971) (2116)

NY金利 α 5 -0022

(0557)

ロンドン金利 α 5 0386

(3052)コールレート1期ラグ 0833 0608

(9986) (6019)R2 0934 0957自由度調整済みR2 0925 0951標準誤差 0255 0207DW統計量 2478 2362

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

11 単純テイラールールでは説明変数のラグを加えたがここではあまりにも煩雑になること

と単純テイラールールで被説明変数の 1 期ラグが重要であったことから被説明変数の 1 期

ラグのみを追加した

27

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とコールレートの1期ラグであ

る貿易収支比率と為替変化率のどちらの係数も符号条件を満たしているがコールレー

トの1期ラグがない場合と比べて係数の値は小さくなっているただしこの推計をコイ

ック型と考えて係数の長期の値を(1-コールレートの1期ラグの係数)で除すことによっ

て求めれば1期ラグがない場合の係数よりもかなり大きくなる

1926年1月から1931年12月までの推計ではGDPギャップとコールレートの1期ラグのみが

有意となるGDPギャップの長期係数を求めても値は小さいこの期間では金利を安定的

に維持することに金融政策が使われていたと言えるだろう

1932年1月から1936年12月までの推計では有意なものはロンドン金利とニューヨークイ

ンフレ率とコールレートの1期ラグとなってしまうニューヨークインフレ率は符号条件を

満たしているがその係数は小さいロンドン金利の係数は大きく日本の金融政策はロ

ンドンに追随して行われていたことになる

コールレートの1期ラグを入れるといずれの期の金融政策も金利の平準化の要素が大き

いと判断される金本位制を意識して行われていたときには金融政策はある程度は対外

均衡を考えていたようである金本位制を離脱した後はロンドンの金利を考慮していた

ようである

さらに表9は以上の変数に正貨を追加したものである(データの制約により1919年1

月から29年3月までの推計)これは金本位制を意識して金融政策が行われていた期間の金

融政策を評価していることになる

28

表9 正貨準備高の変化率を加えた場合

係数 係数定数項 r-βπ tar 1723 2771

(3126) (2898)インフレ率 1+β 0004 0005

(0356) (0518)GDPギャップ α 1 0088 0072

(2641) (2442)貿易収支比率 α 2 -0023 -0018

(1664) (1321)為替変化率 α 3 -0025 0008

(0544) (0189)NYインフレ率 α 4 -0007 -0010

(0617) (0924)NY金利 α 5 -0012

(0255)ロンドン金利 α 5 -0239

(1470)正貨準備の変化率 α 6 0001 -0005

(0013) (0079)コールレートの1期ラグ 0644 0603

(7451) (6371) R2 0652 0659自由度調整済みR2 0628 0635標準誤差 1119 1107DW統計量 2450 2452注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

有意なものはGDPギャップとコールレートの1期ラグであるGDPギャップは符号条件

を満たしている長期の係数を取ってもその係数は大きいとは言えない

34 対外均衡と対内均衡

対外均衡に重点を置いた金融政策を行うとは経常収支赤字や為替レート下落や外貨準

備の減少に対して金利を引き上げるというルールに従って金融政策を行うことである

通常であれば金本位制の下で国内がインフレになり競争力を失ったり景気が過熱

して輸入が増大したときには経常収支赤字や為替レート下落や外貨準備の減少が起きる

だろう経常収支の赤字や外貨準備の減少が起きたときには金融を引き締めるというルー

ルは国内がインフレになったり景気が過熱したときには引き締めるというルールでも

あるしたがって対外均衡に重点を置くことが国内均衡を必ず妨げるというわけではな

いこれは逆の場合も真実であるしかし1910 年代日本の経常収支や外貨準備は国

内の景気要因で変化したわけではない第 1 次世界大戦によって外需が増加し経常収支

29

が黒字となり外貨準備が増えた金本位制のルールに従って金融政策は緩和されマ

ネタリーベースは 1919 年 1 月から 1920 年 4 月までに 16 倍に増加した輸出超過の国は

金融緩和することによって輸入超過の国の不況を和らげることができる日本は金本

位制の正しいルールに基づいて金融を緩和しただけであるしかし戦争がおわりその

復興需要もなくなったとき経常収支は赤字となり外貨準備は減少したしかしかつ

て金準備に依存して増大していたマネタリーベースはそのままだった失われた外貨準備

に対してマネタリーベースを減少させなければならなかったしかし23 年までマネタリ

ーベースは増大し続けていた関東大震災という不幸もあってマネタリーベースを減少

させることはできなかったその後25 年まで引き下げていたが27 年には金融恐慌があ

りマネタリーベースを削減することができなかったその後28 年までマネタリーベ

ースはむしろ拡大していた29 年には金本位制復帰を目指してマネタリーベースを急減さ

せるがその結果は激しいデフレと不況だった

そもそも国内要因の変化によらない金準備の増加に対してマネタリーベースを拡大し

たことが誤りだった金本位制からの離脱は1917 年ではなくて欧米諸国が離脱した

1914-15 年になすべきだったそうであれば1910 年代末までのマネタリーベースの急増

はなかっただろうところが実際には金本位制から離脱したにも関わらず1920 年にか

けてマネタリーベースは拡大していた1920 年代からは失われた金準備に対してマネタリ

ーベースを削減することが試みられるようになるしかしそれは関東大震災や金融危機

によって頓挫するむしろマネタリーベースを削減するという試みがデフレと不況をも

たらしそれゆえに不良債権が増大してしまったということではないだろうか

35 小括1‐テイラールールの推計から得られた知見

以上のことから考えて1920 年代から 30 年代にかけては金融政策はインフレまたはデ

フレ促進的な政策を行っていた対外均衡にはある程度考慮した金融政策を行っていたこ

とが分かる

しかし1920 年代には金本位制に復帰するという政策が課題となっていたはずである

20 年代がデフレ促進的また対外均衡にある程度考慮した政策を行っていたことはこの

課題にとっては正しいものだろうしかし現実に採られたデフレ促進策では不十分だっ

た物価は旧平価で金本位制に復帰できるほど下がっていなかったのだからまた32 年

以降の金融政策についてもなぜ 32 年から急速な回復ができたのかそれと金融政策とは

どのよう関係しているかは分析できていない

これについて飯田岡田[2004]は昭和恐慌からの回復はデフレ脱却による実質金利

の下落が重要であって名目金利の低下は重要でなかったと分析しているこれによれば

名目金利の変化で金融政策の変化を見ることはできないことになるしたがって名目金

利の変化に着目するテイラールールでは31 年 12 月以降の高橋是清蔵相の金融政策の意

味を理解できないことになる

30

また金融政策が物価および景気安定を意図していなかったら何を意図していたのだ

ろうか本稿での結論は為替レートや経常収支に視点を置いた対外均衡を意識していた

ということになる

いずれにしろテイラールールだけでは戦前期の金融政策を十分には理解できない

ことになるそこで戦前期の金融政策を別の方法で評価してみよう

4マッカラムルールによる金融政策の評価

41 マッカラムルールの意味と定式化とデータ

以下ではマッカラムルールで戦間期の金融政策を評価することにするマッカラム

ルールを用いて金融政策の在り方を判断した研究としてはマッカラム自身の分析を始め

として多くのものがある(例えばMcCallum[1987][1988]マッカラム[1997]第 15 章)

日本のデータを用いたものにおいても McCallum[1987]岡田飯田[2004]などがあるし

かし日本の戦前期についてはおそらく安達[2006](第7章)しかないと思われる安

達は年データを用い目標値として設定された名目 GNP 成長率(5と設定している)

を達成するためのマネタリーベースを求め現実のマネタリーベースの成長率が 1936 年ま

で過小でそれ以降過大であることを示している本稿では月次データを用いているので

期間ごとの金融政策の在り方も検討することができる

マッカラムルールとはマネタリーベースの成長率を名目GDPの望ましい成長率に

依存させるルールである(McCallum[1987]マッカラム[1997]第 15 章)しかし貨幣の

流通速度 vは変化するので貨幣の流通速度の変化に応じてマネタリーベース bの動きを調

整することが必要となるこのようなルールはbvなどを対数値として望ましいマネタ

リーベースの成長率⊿bをマネタリーベースの流通速度Δvに応じて変化させるというルー

ルであるただしvは景気変動によって大きく変動しているのでそれが技術的な変化と

見なせる 2 年間の平均値 tvΔ であるとする12すなわちマッカラムルールに基づくマネタ

リーベースの成長率とは

tbΔ =マネタリーベースの望ましい成長率- tvΔ

であるここでマネタリーベースの望ましい成長率はサンプル期間(1919 年 1 月から 1933

年 12 月まで)のマネタリーベースの平均成長率とする13マッカラムはマネタリーベース

の望ましい成長率を名目 GDP の成長率としているがここではまずこの期間の経済を再現

することを目的としているので現実のマネタリーベースの成長率を採用したマネタリ

12 マッカラム(1997)第 15 章では流通速度として 4年平均を使用しているが本稿ではサンプル

期間が短いため 2年平均としている 13 サンプル期間は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月であるがマネタリーベースの流通速度の平

均値作成のため 初の 24 か月が失うのでここで計算された望ましいマネタリーベースの成長

率は 1921 年 1 月から 1933 年 12 月までの平均となっている

31

ーベースの動きを図 10 に示しているマネタリーベースは季節性が強いので季調値も図示

しているなお前述のように戦前期の月次名目 GDP のデータは存在しないのでIIP に

卸売物価を掛けたものを名目 GDP の代理変数とする(ここで使うデータの定義と出所は前

掲の表1にある)

図 10 マネタリーベース(原数値と季節調整値)の動き

0

50000

100000

150000

200000

250000

19191

19197

19201

19207

19211

19217

19221

19227

19231

19237

19241

19247

19251

19257

19261

19267

19271

19277

19281

19287

19291

19297

19301

19307

19311

19317

19321

19327

19331

19337

観察されたベースマネー(単位万円) 季節調整済マネタリーベース(単位万円)

作成されたマネタリーベースの成長率は1919 年 1 月から 33 年 12 月までで年率 12

月次では 01となるすなわち

tbΔ =0001- tvΔ

ここで考察する期間を 1919 年 1 月から 33 年 12 月までとしたのは34 年以降の GDP の伸び

が大きすぎトレンドの作成において歪みを生じさせるからであるまた33 年は昭和恐

慌から脱却し経済が安定していた時期でもある

さらに名目 GDP が何らかのショックによって平均的な成長経路よりも上回った時に

はマネタリーベースの伸び率を低下させるようなルール(下回った場合は逆)を導入し

ようすなわち

tbΔ =0001-

1 1( )t t tv y yλ minus minusΔ + minus

32

となるただし目標値

1ty minus は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月までの月次平均成長率 04

成長経路での名目 GDP の対数値であるまたマッカラムによればλは四半期データで 025

が望ましいとされているがここでは月次データを使用しているのでとりあえず 12 分の 1

とすることを考えたがこの期間の名目 GDP は戦後の日米名目 GDP のデータより大きく変

動しているのでさらに小さくする必要があるマッカラムも「λの値を選択する場合

もし間違えるとすれば小さな値を採るほうがよい」(マッカラム[1997]308 頁)としている

そこでλは 36 分の1とした 終的なルールは

tbΔ =0001-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (5)

となる

マッカラムは望ましいインフレ率をゼロとするマネタリールールを求めているがこ

こでは実際には大きく変動したマネタリーベースを安定的に動かしていたらどうなったか

を考えることにしているので名目 GDP の動きは現実のものを使いルールにもとづくマ

ネタリーベースと実際のマネタリーベースをまず比較することにする

次に名目 GDP の決定に関する次のようなモデルを 小二乗法により推計する結果は

1 1 2 3

2

0004 0295 0053 0110 0106 0071 - 0069 23- 0046 27(1596) (3634) (1054) (1404) (2300) (1831) (6731)

R 0109 SE=0029 BG(24)=33227

(1822) t t t t t t ty y b b b b dummy dummy eminus minus minus minusΔ = + Δ + Δ + Δ + Δ + Δ +

=

(6)

となる14但し yΔ は名目 GDP の変化率 bΔ はマネタリーベースの成長率dummy23 は関東

大震災の時の一時的な変動をとらえるために 1923 年 9 月を 1それ以外を 0 としたダミー

変数dummy27 は金融恐慌時の一時的な変動をとらえるために 1927 年 4 月 5 月を 1それ

以外を 0としたダミー変数サンプル期間は推計に使用する変数が全て揃う 1921 年 1 月か

ら 1933 年 12 月までまたここでの残差 te は攪乱項の推定値2R SE BG(p) はそれぞれ

自由度修正済み決定係数攪乱項の標準誤差p 次の Breuch-Godfrey テストのχ二乗統計

量( )内は Newey-West の方法により修正した t値を示している15

ここで当時マッカラムルールなどという議論がなかったのだからこのような分

14 ここでは bΔ は現実のマネタリーベースの成長率を使用して推計を行っている 15 研究の対象期間は 1919 年 1 月からであるが平均流通速度 tvΔ の計算のために 初の 24 ヶ

月分が使用できないそのため他のシミュレーションの対象期間と整合性を保つため 1921 年 1

月からとしているまたこの推計式にはラグ付き内生変数を含むためダービンワトソンテスト

ではなく Breush-Godfrey テストを報告しているこの Breush-Godfrey テストから系列相関が疑

われるためNewey-West の方法により標準誤差を修正している

33

析は意味がないという批判があるかもしれないがこれにはテイラールールの節で述べ

たのと同じ反論が可能であるマッカラムルールとは名目 GDP が上昇しすぎたら(そ

のときには景気が過熱するかインフレが高進していると考えられる)マネーを縮小し

名目 GDP が下降しすぎたら(そのときは景気が悪化するかデフレになっている)マネーを

拡大するという素朴なルールである当時このようなルールが意識されていなかったと

は考え難い

42 長期的な経済を再現するシミュレーション

まずマッカラムルールによって現実の長期的な経済の経路を再現してみようルー

ルにもとづくマネタリーベースと実際のマネタリーベースのレベルと成長率とを図

11(1)(2)に示す

政策ルール(5)式が実施された場合の名目 GDP(の代理変数)の動きを見るために(5)式

から得られる理論値 tbΔ (6)式の残差 te 初期値 1ty minusΔ に目標 GDP

1ty minusΔ を代入してマ

ッカラムルールに従った場合の名目 GDP y の系列を求める現実の xとマネタリーベース

のルールに従った場合の y の系列を比べてみたのが図 11-(3)である図 11-(3)からマ

ネタリーベースのルールに従った場合の y の系列が安定していることが分かるこのよう

に安定的な名目 GDP の系列を得るためには第 1 次世界大戦後の金融引締めが過大で20

年代初期の金融緩和が過大30 年の金融引締めが過大だったと判断される

図 11 マッカラムルール

(1)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

34

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT MBDOT

注)BDOT はマッカラムルールの下でのマネタリーべースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(2)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

35

100000

120000

140000

160000

180000

200000

220000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC MB_SA

注)MB_SA はマネタリーベース(季節調整済)の現実値

B_MC はマッカラムルールに従った場合のマネタリーベース水準

またマッカラムルールの下でのマネタリーベースの初期値は現実値を使用

単位は万円

(3)マッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

36

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULE XSTAR X

注)GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

43 物価を下落させるシミュレーション

以上の結果はマネタリーベースの伸びを安定的にしていれば経済変動はより少なく

なっていただろうということを示しているしかしもし第 1 次世界大戦前の旧平価で金

本位制に復帰することが目的であったとしたら1節で述べたように物価を 3 割下げな

ければならない名目 GDP(その代理変数)は実質 GDP の変化がないとして1919 年 12

月から 29 年 12 月までに 3割下がらなければならない

そこで名目 GDP(その代理変数) y は現実の値よりも毎月 03ずつ低下しなければ

ならないので(5)式の定数項 0001 から 0003 を引いて-0002 とするすなわち

tbΔ =-0002-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (7)

とならなければならないここでの系列 y も実際の値から毎月 03ずつ引き下げたも

のを使っているつぎに(7)式の bを(6)式に入れると図 12 のようになる図に見られるよ

うに名目 GDP は安定しかつ小さくなっているすなわち物価が 3 割下落していること

が分かる

37

図 12 物価を下落させた場合

(1) 名目 GDP の目標値とマッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULEXSTAR

XGDP3_RULE

XSTAR_3

注) GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

GDP3_RULE は物価を 3割下げたマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR_3 は物価を 3割下げた場合の目標となる名目 GDP(対数値)

38

(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

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  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 13: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

12

られているように20 年には第 1次世界大戦の終結による国際的経済反動があり23 年に

は関東大震災があり27 年には金融恐慌があった作成した GDP ギャップはこれらの変

動を基本的には捉えていると言えるだろう

さらに失業率の動きを前掲の図5に示す(失業率は内務省社会局社会部職業課「失業

状況推定月報概要」による)図に見るように失業率のデータがあるのは 1931 年 1 月か

ら 33 年 12 月までであるがその間の GDP ギャップと失業率の動きは正負逆でGDP ギャッ

プの変動が大きいという問題はあるがほぼ同じように動きをしているまた失業率の

動きが GDP ギャップの動きに遅れていることも雇用が景気の遅行指標であるという今日

の常識に照らして合理的であるしたがってHP フィルターで作成した潜在生産指数およ

び GDP ギャップも景気変動を反映した適切なもの判断できるだろう

図 5 使用データ(月次)のグラフGDP ギャップ

0

01

02

03

04

05

06

07

08

09

1

-20

-15

-10

-5

0

5

10

15

20

GDPギャップ lambda=1166400 藤野(1965)の景気後退期 失業率(単位)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

24 テイラールールの推計

241 推計結果

(2)式の推計結果は表2の通りである推計期間は全サンプルがそろう 1919 年 1 月か

ら 1936 年 12 月である36 年を終わりとしたのはそれ以降は軍の圧力によって政策が行

われ金融政策の自立的な動きを議論することはできないと考えたからである推計方法

は 小二乗法を使用しているなおダービンワトソン統計量からは系列相関が疑われるた

13

め 小二乗推定量が有効性を持たない可能性があるので標準誤差を Newey-West の方

法によって修正を加えて t検定を行っている5

推計結果の解釈としては1 β+ の推計値 0016 からβ は-0984 でありインフレ率が

目標インフレ率よりも高まれば金利を引き下げ逆にインフレ率が目標インフレ率よりも

低ければ金利を引き上げるという物価を不安定にするデフレ的な金融政策を採用していた

ことになる(インフレの時はインフレ促進的になる)ましてβはほぼマイナス1である

のでかなりインフレまたはデフレ促進的な金融政策を行っていたことになるこれを現

実の経済情勢に当てはめれば20 年代のデフレ期ではデフレ促進的な金融政策を行い30

年代のインフレ期ではインフレ促進的な金融政策を行っていたことになるただしこの

係数は 10レベルでも有意ではない

なお物価を下落させることを目標としてもデフレ促進的でなく長期的な目標をも

ってテイラールールに基づいて物価を下落させることができることを念のために指摘し

ておくすなわち物価上昇率の目標レベルを低くすれば目標より物価が上ったときは

引締め下がったときは緩めるという物価安定的でかつ長期的に物価を下落させる方法

は可能でありまたその方が望ましいだろう

一方α は 0108 なので GDP ギャップが正のとき金利を引き上げる景気安定的な政策を

とっていたことになるただしα は 10で有意であるが係数が小さいので(GDP ギャ

ップがマイナス 10でも金利を108下げるだけ)景気安定化効果が大きかったとは言え

ないだろう

表 2 (2)式のテイラールールの推計結果

係数

定数項 r -βπ tar 4669

(17711)インフレ率 1+β 0016

(0823)GDPギャップ α 0108

(1679)R2 0085自由度調整済みR2 0077標準誤差 1855DW統計量 0258

注)( )内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

全期間1919年1月~1936年12月

5 本稿には載せていないがここでは 尤法による推計も行っている 尤法による推計では誤

差項に正規分布を仮定した場合 小二乗推定値とほぼ等しい推定値でかつ漸近的 t値からが

1 β+ が 10αが 1で有意であることが確認されている

14

さらにサンプル期間を1930 年の昭和恐慌期を含む期間と含まない期間に分けて推計を

行う具体的には1919 年 1 月から 1931 年 12 月までと1932 年 1 月以降から 1936 年 12

月までの 2 期間に分割して(2)式の推計を行う金融政策は1931 年 12 月以前は金本位制

への復帰を求めていたがそれ以降は金本位制を離脱し金本位制に制約されることがな

くなったと考えての分割である(金本位制からの離脱は 31 年 12 月正式には 32 年 1 月)

推計結果は表 3 に示しているここでも標準誤差を Newey-West の方法によって修正して

いる

表 3 期間分割後のテイラールールの推計結果

係数 係数

定数項 r -βπ tar 5450 定数項 r-βπ tar 3113

(22627) (10790)インフレ率 1+β 0057 インフレ率 1+β -0009

(3877) (0644)GDPギャップ α 0061 GDPギャップ α -0182

(0898) (2307)R2 0313 R2 0175自由度調整済みR2 0304 自由度調整済みR2 0146標準誤差 1542 標準誤差 0862DW統計量 0475 DW統計量 0241

注)( )内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1931年12月 (2)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

推計結果表3-(1)を見ると1919年1月から1931年12月において(1+β)が1で有意であ

あるまた値は00567でありこれから1を引くとβ =-0943となる (1)式から考える

と物価が目標インフレ率以上に上昇したときには政策金利をほぼ物価上昇率と同じだ

け引き下げるという政策を行っていることがわかるこの期間はほぼ物価が下落してい

たのでデフレ促進的な政策を採っていたことになる

GDP ギャップに関しては有意ではないがギャップが1ポイント縮小すると政策金利

を 0061引き上げるすなわち景気が拡大したときには政策金利を引き上げるという景

気変動抑制的な政策が行われていたことがわかるもちろんその係数は小さいので実

際にどれだけそのような効果があったかは分からない

表3-(2)で1932年1月から1936年12月の推計結果をみる物価の係数(1+β)-0009か

ら1を引くと-1009となり物価が上ると金利を引き下げるという政策をとっていたこ

とが分かるこの期間は物価が回復または上昇していた時期であるのでインフレ促進的

な政策を行っていることがわかる

GDP ギャップに関しては 5で有意でありギャップが1ポイント縮小すると政策金

利を 0182 引き下げるという景気変動拡大的な政策が行われていたことがわかるただし

15

その係数は小さいので効果も小さかったと思われる

これらの結果を鎮目[2002]と比べるとインフレ促進的またデフレ促進的な政策が行

われていたということについては共通しているGDP ギャップについて 32 年以降マイナス

になるというのも鎮目と共通であるただし本稿の推計した係数値は鎮目に比べてき

わめて小さい

242 区間分けについての確認

これまでの期間分割は暫定的なものであったこの区間分割が合理的なものであるかを

どうかを確認するために逐次回帰法(recursive least squares)を行った結果が図6で

ある6

図6で 1+βαの動きをみると30 年以降に大きく動いておりこの期間分けは合理的

なものだったと分かる

図 6 逐次回帰推計

-08

-04

00

04

08

12

16

1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1934 1936-1

0

1

2

3

4

1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1934 1936

25 政策反応までのラグ

これまでの分析は当期の物価景気貿易収支為替が金融政策に影響を及ぼすとし

ていたしかし為替はともかく物価景気貿易収支については認知のラグがあり

また経済情勢を慎重に見極めながら政策を行っていると考えられるそこでここでは次

のようなモデルについて推計を行うことにする

6 ここで使用した逐次回帰法は推計期間として 1から説明変数の個数より大きいサンプル数を

選び係数を推計し次は 終期を 1期追加して係数を推計といった手順を繰り返す手法である

詳しくは森棟(1999)4 章を参照のこと

1+β α

16

1 1

1 1

0 0

( ) (1 )tart p t p q t q t t

p q

i r x iβπ β π α λ εminus minus minus= =

= minus + + + + +sum sum (3)

ここでは p=0 q=0 のケースp=0 q=1 のケースp=1 q=0 のケースp=1 q=1 の

ケースについて推計を行った結果自由度修正済み決定係数および赤池情報基準によって

モデルを選択すると全期間を対象とした場合は p=1q=0金本位離脱以前を対象期間に

した場合では p=q=1金本位離脱以降を対象とした場合では p=0 q=0 が選択されるした

がってここでは各期間において選択されたラグ(pq)に従って推計を行うスペースの節約

のため選択されたモデルの結果のみを表4に示す推計方法は 小二乗法を使用して

いる

17

表4 政策反応までのラグ

(1)全期間1919年1月~36年12月

(p=1q=0)

係数

定数項 r-βπ tar 0612

(3895)

当期インフレ率 (1+β )0 0042

(2220)

前期インフレ率 (1+β )1 -0047

(2463)

当期GDPギャップ α 0 0042

(2436)

前期の金利 λ 1 0867

(28290)

R2 0789

自由度調整済みR2 0785標準誤差 0895

DW統計量 2756

(2) 金本意離脱前1919年1月~31年12月(3) 金本意離脱後1932年1月~19年12月

(p=1q=1) (p=0q=0)

係数 係数

定数項 r-βπ tar 1392 定数項 r -βπ tar 0364 (3907) (2348)

当期インフレ率 (1+β )0 0076 当期インフレ率 (1+β ) -0002

(3149) (1048)

前期インフレ率 (1+β )1 -0066 前期インフレ率 (1+β )1

(2682)

当期GDPギャップ α 0 0022 当期GDPギャップ α 0 -0004

(0661) (0321)

前期GDPギャップ α 1 0009 前期GDPギャップ α 1

(0338)

前期の金利 λ 1 0748 前期の金利 λ 1 0867

(12691) (15181)

R2 0719 R2 0933

自由度調整済みR2 0710 自由度調整済みR2 0929

標準誤差 0997 標準誤差 0248

DW統計量 2643 DW統計量 2594

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法

によって修正を加えている

表4(1)の全期間を対象とした場合全ての変数が5で有意であるまた1+β の推計値か

ら計算されたβ は全て負となりインフレまたはデフレ促進的な政策が行われていたと解

釈されるGDPギャップについてはα が正であるが係数の値は非常に小さい一方金利

の平準化の程度を示す 1λ の係数は大きい

金本位制離脱以前の推計結果表 4(2)ではGDP ギャップの係数以外が有意である推計

18

された係数の値をみるとこの時期のβ も表 4(1)の全期間を対象とした値とあまり変わ

らないが 1λ はやや小さくなっているこの時期政策策定者は金利を平準化しつつイン

フレを促進するような政策をとっていた可能性がある

後に金本位制離脱以後の推計結果表 4(3)からは 1λ 以外は有意ではない

すなわち全期間を通していえることは金利の平準化の要素が強くまたインフレおよび

デフレを是認あるいは促進的な政策となっていた係数の値はいずれも小さくλの係数

をコイック型のラグと考えてそれぞれの係数を 1(1-λ)倍しても小さい

3拡張テイラールール

31 拡張テイラールールの定式化先行研究データ

これまでの結果は物価については鎮目[2002](図表7)とも共通であり物価を不安

定にする金融政策が行われていたことになるさらに鎮目では GDP ギャップの係数は 31

年までは正であり景気変動抑制的だったが32 年以降は負となり景気変動を拡大する

ような金融政策が行われていたことになる本稿の GDP ギャップの係数も正から負に変わ

っているただしいずれにしろその係数は小さいので景気変動を抑制するように金融

政策が行われていたとは言えない

以上の結果はむしろ戦間期の金融政策は金融政策は国内の経済安定に重点を置い

て物価と景気を見ながら行うべきというテイラールールでは説明することが難しいと解

釈すべきだろうこれは鎮目の結果とも共通しているそこで次に戦間期の金融政策は

経常収支為替レートの安定など対外均衡に重点を置いて行われていたのではないかと

いう常識に従いテイラールールを拡張して金融政策が経常収支や金外貨準備や海外

金利にも影響されて行われていたとする鎮目[2002]はテイラールールに金外貨準

備海外金利経常収支資本収支を加えている月次で資本収支(およびその代理変数)

のデータを得ることはできなかったので我々の推計式は鎮目[2002]を参考に

1 2 3 4 5 6( ) (1 )tar

t t t t t t t t ti r x TB S NYP fori reserveβπ β π α α α α α α ε= minus + + + + + + + + +

(4)

とする

ここで月次の経常収支はデータが得られないため輸出入の差を名目GDPで割った貿易収

支比率TBを使用している(ここで用いている名目GDPは鉱工業生産指数times卸売物価指数で

ある)貿易収支比率は実際の名目GNPで修正している7またSは為替レートの変化率を

7貿易収支比率 TBは具体的には以下である

1928t1928 GNP( ) 100

1928 t GDP( )GDP( ) 1928

tTB = times times

年の貿易収支合計

期の貿易収支年の名目 大川推計

月次貿易収支の 年平均 期の名目 の代理変数

月次名目 の代理変数 の 年平均

19

示しており値が増えるのが円高である8ニューヨーク物価NYPはニューヨークの卸売物価

指数の前年同月変化率()であるforiは外国の市中金利()を示しニューヨーク金利

あるいはロンドン金利のいずれかである貿易収支が赤字に円の為替レートが下落すれ

ば金利は引き締められるニューヨークの物価が下落すれば日本の金融も引き締めざ

るを得ないニューヨークまたはロンドンの金利に追随するしかないと考える正貨

reserveは金本位制であればこれが増大すれば金融を緩和し減少すれば金融を引き締め

ることになる(ただし正貨は21年3月から29年3月までのデータしかない)また正貨は

1924年1月から11月1925年289月のデータが欠損しているので線形補間によってデ

ータを補っている9

符号条件は貿易収支比率為替レート変化率ニューヨーク物価上昇率正貨が負

ニューヨークおよびロンドンの金利が正である

以上で為替レートニューヨーク物価が鎮目[2002]の分析に対し新たに追加した変

数である

ここで新しく追加した変数貿易収支比率と為替レートと名目GDPの代理変数とニュー

ヨーク物価とニューヨーク金利とロンドン金利と正貨準備を図7図8図9に示してお

くここで名目GDP(その代理変数)は鉱工業生産times卸売物価指数である

8第1節と同じように為替レートの水準は 100 円当たりのドルで表しているので変化率

に修正しても値が大きくなると円高を示すことになる 9 また日本銀行調査局『本邦経済統計』では1922 年 11 月の正貨準備高の値が 1386957540円と記載されているが前後月の数値から判断して 1836957540 円の誤記と推測し修正を加

えている

20

図 7 コールレートニューヨーク市中金利ロンドン市中金利

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

200

0

2

4

6

8

10

12

14

16

18

コールレート(右軸) ニューヨーク市中金利(右軸) ロンドン市中金利(右軸)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

図 8 貿易収支比率為替レート変化率名目 GDP(対数値)

0

2

4

6

8

10

12

14

-50

-40

-30

-20

-10

0

10

20

30

貿易収支比率 為替レート変化率 名目GDP

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

21

図 9 正貨準備高ニューヨークインフレ率

0

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

-60

-40

-20

0

20

40

60

正貨(単位億円) ニューヨークインフレ率(卸売り物価指数)

なお追加した説明変数貿易収支比率為替レートニューヨーク物価ニューヨー

ク金利ロンドン金利正貨準備が独立でないという問題があるうちニューヨーク金

利とロンドン金利は同時には入れず他の変数と代替的に入れることとするそれでも

貿易収支比率と為替レートが独立ではないという問題があるかもしれない単純に為替

レートが割安であれば経常収支が黒字に動き割高であれば経常収支が赤字に動くという

メカニズムによって為替レートと経常収支が独立ではないということになる

また為替レート関数の推計において自国と他国の物価マネーサプライ金利生

産に加えて経常収支またはその累積を説明変数に入れるのが通常であることを考えれ

ば当然に問題となるしかし多くの推計で為替レートに対して経常収支またはそ

の累積の説明力はそれほど高くはない10

ちなみに変数間の相関行列を取ると表5のようになる(推計期間は正貨を含む変数間

は 1919 年から 1929 年 3 月それ以外の変数間は 1919 年 1 月 1936 年 12 月まである)貿

易収支比率と為替レートの相関を取ると相関係数は 0029 でありマルチコリニアリティ

10 深尾[1983] (167 頁)は日本の米国に対する 100 億ドルの経常黒字は 64の円高ドル

安要因になるとしているこれは大きな効果だがその後の推計によると経常収支黒字が円高

をもたらす効果は大きくはない河合[1986](第 94 表214 頁)によれば経常収支累積額が

1の上昇は実質為替レートを 0068~0163上昇させるにすぎないその後も同様の推計

がなされているが(経済企画庁[1997]第 1-2-1 図③経済企画庁[1999]付図 1-5-2原田[2004])いずれの推計においても経常収支が為替レートに与える影響は大きなものではない

22

の問題は避けられていると判断できる当時のデータで為替と貿易収支の相関が弱い理

由として金解禁への動きが度々予想されていたので為替レートが貿易など実態経済

の状況にかかわらず高騰していたこともあげられる表 5 から説明変数間で(被説明変

数のコールレートを除く)相関係数の絶対値が 04 以上のものを上げると卸売物価と GDP

ギャップ卸売物価とニューヨーク卸売物価GDP ギャップとニューヨーク卸売物価ニュ

ーヨーク金利とロンドン金利貿易収支比率とコールレートがそうである卸売物価と GDP

ギャップはテイラールールの基本的な説明変数なので両者をともに入れるがニューヨ

ーク金利とロンドン金利については代替的にも推計することとする

表5 拡張テイラールールで使用された変数の相関行列

コールレート

インフレ率GDPギャッ

プ貿易収支比

率為替変化

率NYインフレ

率NY金利

ロンドン金利

正貨準備変化率

コールレート 1000 0222 0293 -0441 -0112 0082 0437 0264 -0113

インフレ率 1000 0437 0046 -0024 0482 0198 -0340 -0005

GDPギャップ 1000 -0056 0205 0605 0246 -0119 0042

貿易収支比率 1000 0029 0189 -0182 -0252 0183

為替変化率 1000 0259 0023 0019 0058

NYインフレ率 1000 -0071 -0378 -0084

NY金利 1000 0649 0291

ロンドン市中金利 1000 0092

正貨準備変化率 1000

32 拡張テイラールールの推計結果

推計期間は貿易収支が入手可能な1926年1月から1936年12月までの全期間と上述の(2)

式と比較するために1931年12月までとそれ以降の期間とする推計結果は表6の通り

である推計については上記3つの推計期間において 小二乗法を行っている新しく追

加した変数貿易収支比率為替レートの変化率ニューヨーク卸売物価上昇率ニュー

ヨーク金利ロンドン金利正貨準備の変化率の単位はである推計に当たっては系

列相関が疑われるためNewey-Westの方法によって標準誤差の修正を行っている

23

表6 拡張テイラールールの推計結果

係数 係数 係数 係数

定数項 r-βπ tar 3155 2980 定数項 r -βπ tar 5780 6596 (10072) (6939) (12603) (13464)

インフレ率 1+β 0008 0027 インフレ率 1+β 0041 0025

(0552) (1600) (1957) (1399)

GDPギャップ α 1 0036 0057 GDPギャップ α 1 0090 0083

(1156) (1798) (2584) (2412)

貿易収支比率 α 2 -0105 -0106 貿易収支比率 α 2 -0053 -0054

(5627) (4937) (2671) (3396)為替変化率 α 3 -0109 -0110 為替変化率 α 3 -0062 -0051

(3782) (3755) (1345) (0998)

NYインフレ率 α 4 0014 0011 NYインフレ率 α 4 0014 0012

(0820) (0645) (0651) (0682)

NY金利 α 5 0212 NY金利 α 5 -0133

(3002) (1599)

ロンドン金利 α 5 0399 ロンドン金利 α 5 -0466

(2870) (3071)R2 0397 0375 R2 0468 0503

自由度調整済みR2 0380 0357 自由度調整済みR2 0447 0483

標準誤差 1520 1548 標準誤差 1375 1329

DW統計量 0568 0531 DW統計量 0700 0794

係数 係数

定数項 r-βπ tar 2703 2617

(6657) (26032)

インフレ率 1+β -0018 -0016

(1920) (2396)

GDPギャップ α 1 -0052 -0059

(2353) (5464)

貿易収支比率 α 2 -0031 0004

(1779) (0381)

為替変化率 α 3 -0007 0028

(0423) (1526)

NYインフレ率 α 4 -0017 -0024

(3808) (5526)

NY金利 α 5 0423

(1421)

ロンドン金利 α 5 0742

(7283)

R2 0797 0899自由度調整済みR2 0774 0887

標準誤差 0443 0313

DW統計量 0757 0925

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とそれぞれの金利だけである

どちらの推計でもこれらの有意な変数は符号条件を満たしているインフレ率とGDPギャ

24

ップは5有意ではなくなり単純テイラールールでも小さかった係数はさらに小さ

くなるこれに対して貿易収支比率の係数は貿易収支比率が10ポイント分マイナス

に動けば1金利を引き上げることであるからある程度貿易収支に反応して金融政策

を行っていたと言えるだろう為替変化率の係数は為替レートが10下落したら金利

を1引き上げることであるからこちらもある程度は為替レートに反応して金融政策を

行っていたとも言えるだろうニューヨーク金利とロンドン金利が1上昇すると国内金

利をそれぞれ0204引き上げるということになっている

1926年1月から1931年12月までの推計ではニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれ

を用いた推計でも5で有意な変数はGDPギャップと貿易収支比率とロンドン金利であ

るがロンドン金利は符号条件を満たしていないGDPギャップは有意であるがその係数

は単純テイラールールの推計と同様に小さい貿易収支比率の係数は貿易収支比率で

10ポイント分赤字が増えれば金利を05引き上げることであるからある程度は貿易

収支に反応して金融政策を行っていたと言えるかもしれない

さらに1932年1月から1936年12月までの推計では物価GDPギャップニューヨーク物

価ロンドン金利が5で有意であるGDPギャップニューヨーク物価は符号条件を満た

していないロンドン金利は符号条件を満たしその係数も074と大きく日本の金融政

策はロンドンに追随して行われていたことになる

金本位制を意識して行われていたときには金融政策は対外均衡に重点を置き金本位

制を離脱した後はロンドンの金利に追随していたことになる日本の金融政策が英国

の金融政策に追随していたことは鎮目[2009]第2章の結果とも整合的である

さらに表7は以上の変数に正貨を追加したものであるデータの制約により1919年1

月から29年3月までしか推計できないのでこれは金本位制を意識して金融政策が行われて

いた期間の金融政策を評価していることになる

25

表7 (3)式の拡張テイラールールの推計結果(正貨準備の変化率追加)

係数 係数定数項 r-βπ tar 5431 7511

(7602) (8642)インフレ率 1+β 0028 0024

(1209) (1264)GDPギャップ α 1 0147 0095

(2352) (1698)貿易収支比率 α 2 -0050 -0034

(2522) (2089)為替変化率 α 3 0016 0097

(0173) (0989)NYインフレ率 α 4 0004 -0004

(0166) (0224)NY金利 α 5 -0071

(0665)ロンドン金利 α 5 -0662

(2795)正貨準備の変化率 α 6 -0071 -0087

(0796) (1138)R2 0410 0471自由度調整済みR2 0374 0438標準誤差 1451 1375DW統計量 0808 0934注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

正貨を追加した推計結果ではGDPギャップ貿易収支比率ロンドン金利が有意である

GDPギャップ貿易収支比率は符号条件を満たしているがロンドン金利は満たしていない

表7の1919年から31年の推計結果に比べてGDPギャップの係数の値は大きくなるが景気

安定化効果が大きかったとまでは言えない貿易収支の係数はほとんど変らず貿易収支

の状況を念頭に入れて政策を行っていたと言えるだろうロンドン金利符号が逆で海外

金利が下がると金利を上げるという結果になっている

以上の結果を鎮目[2002]と比べる鎮目は金外貨準備英国の短期金利経常収支

資本収支をテイラールールの式に追加していずれの変数も有意ではなかったと報告し

ているが本稿では追加した変数のうち貿易収支ニューヨーク金利(特にロンドン

金利)が符号条件を満たして有意になっている場合が多く対外均衡を意識した金融政策

が行われていた可能性を示唆している

33 拡張テイラールールに関する政策反応ラグ

以上の拡張テイラールールの推計では貿易収支比率為替変化率ニューヨークイ

26

ンフレ率ロンドン金利を追加したものが良好な推計結果をもたらしたそこで拡張テ

イラールールに関する政策反応ラグを考慮するために以上の変数に加えて被説明変数

の 1期ラグを追加したものを推計する11結果は表8のようになる

表8 拡張テイラールールの金利ラグ付き推計

係数 係数 係数 係数定数項 r-βπ tar 0623 0565 定数項 r-βπ tar 1806 2223

(3922) (3134) (3861) (3396)インフレ率 1+β -00001 0003 インフレ率 1+β 0012 0007

(0023) (0552) (1190) (0761)GDPギャップ α 1 0019 0023 GDPギャップ α 1 0044 0043

(1589) (1875) (2072) (2007)

貿易収支比率 α 2 -0024 -0023 貿易収支比率 α 2 -0019 -0020

(2312) (2239) (1514) (1767)

為替変化率 α 3 -0026 -0025 為替変化率 α 3 -0048 -0045

(1984) (2069) (1607) (1430)

NYインフレ率 α 4 -0002 -0002 NYインフレ率 α 4 -0004 -0004

(0277) (0388) (0337) (0389)NY金利 α 5 0040 NY金利 α 5 -0044

(1532) (1193)

ロンドン金利 α 5 0075 ロンドン金利 α 5 -0163

(1447) (1703)コールレート1期ラグ 0796 0802 コールレート1期ラグ 0680 0657

(18638) (20579) (9505) (8112)R2 0789 0788 R2 0707 0711自由度調整済みR2 0782 0781 自由度調整済みR2 0693 0697標準誤差 0902 0904 標準誤差 1023 1016DW統計量 2581 2574 DW統計量 2408 2415

係数 係数

定数項 r-βπ tar 0527 0900 (2552) (3391)

インフレ率 1+β -0004 -0005(1594) (1249)

GDPギャップ α 1 -0006 -0014

(1174) (1562)

貿易収支比率 α 2 -0001 0010

(0135) (1064)

為替変化率 α 3 0005 0019

(0542) (1247)

NYインフレ率 α 4 -0003 -0008

(1971) (2116)

NY金利 α 5 -0022

(0557)

ロンドン金利 α 5 0386

(3052)コールレート1期ラグ 0833 0608

(9986) (6019)R2 0934 0957自由度調整済みR2 0925 0951標準誤差 0255 0207DW統計量 2478 2362

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

11 単純テイラールールでは説明変数のラグを加えたがここではあまりにも煩雑になること

と単純テイラールールで被説明変数の 1 期ラグが重要であったことから被説明変数の 1 期

ラグのみを追加した

27

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とコールレートの1期ラグであ

る貿易収支比率と為替変化率のどちらの係数も符号条件を満たしているがコールレー

トの1期ラグがない場合と比べて係数の値は小さくなっているただしこの推計をコイ

ック型と考えて係数の長期の値を(1-コールレートの1期ラグの係数)で除すことによっ

て求めれば1期ラグがない場合の係数よりもかなり大きくなる

1926年1月から1931年12月までの推計ではGDPギャップとコールレートの1期ラグのみが

有意となるGDPギャップの長期係数を求めても値は小さいこの期間では金利を安定的

に維持することに金融政策が使われていたと言えるだろう

1932年1月から1936年12月までの推計では有意なものはロンドン金利とニューヨークイ

ンフレ率とコールレートの1期ラグとなってしまうニューヨークインフレ率は符号条件を

満たしているがその係数は小さいロンドン金利の係数は大きく日本の金融政策はロ

ンドンに追随して行われていたことになる

コールレートの1期ラグを入れるといずれの期の金融政策も金利の平準化の要素が大き

いと判断される金本位制を意識して行われていたときには金融政策はある程度は対外

均衡を考えていたようである金本位制を離脱した後はロンドンの金利を考慮していた

ようである

さらに表9は以上の変数に正貨を追加したものである(データの制約により1919年1

月から29年3月までの推計)これは金本位制を意識して金融政策が行われていた期間の金

融政策を評価していることになる

28

表9 正貨準備高の変化率を加えた場合

係数 係数定数項 r-βπ tar 1723 2771

(3126) (2898)インフレ率 1+β 0004 0005

(0356) (0518)GDPギャップ α 1 0088 0072

(2641) (2442)貿易収支比率 α 2 -0023 -0018

(1664) (1321)為替変化率 α 3 -0025 0008

(0544) (0189)NYインフレ率 α 4 -0007 -0010

(0617) (0924)NY金利 α 5 -0012

(0255)ロンドン金利 α 5 -0239

(1470)正貨準備の変化率 α 6 0001 -0005

(0013) (0079)コールレートの1期ラグ 0644 0603

(7451) (6371) R2 0652 0659自由度調整済みR2 0628 0635標準誤差 1119 1107DW統計量 2450 2452注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

有意なものはGDPギャップとコールレートの1期ラグであるGDPギャップは符号条件

を満たしている長期の係数を取ってもその係数は大きいとは言えない

34 対外均衡と対内均衡

対外均衡に重点を置いた金融政策を行うとは経常収支赤字や為替レート下落や外貨準

備の減少に対して金利を引き上げるというルールに従って金融政策を行うことである

通常であれば金本位制の下で国内がインフレになり競争力を失ったり景気が過熱

して輸入が増大したときには経常収支赤字や為替レート下落や外貨準備の減少が起きる

だろう経常収支の赤字や外貨準備の減少が起きたときには金融を引き締めるというルー

ルは国内がインフレになったり景気が過熱したときには引き締めるというルールでも

あるしたがって対外均衡に重点を置くことが国内均衡を必ず妨げるというわけではな

いこれは逆の場合も真実であるしかし1910 年代日本の経常収支や外貨準備は国

内の景気要因で変化したわけではない第 1 次世界大戦によって外需が増加し経常収支

29

が黒字となり外貨準備が増えた金本位制のルールに従って金融政策は緩和されマ

ネタリーベースは 1919 年 1 月から 1920 年 4 月までに 16 倍に増加した輸出超過の国は

金融緩和することによって輸入超過の国の不況を和らげることができる日本は金本

位制の正しいルールに基づいて金融を緩和しただけであるしかし戦争がおわりその

復興需要もなくなったとき経常収支は赤字となり外貨準備は減少したしかしかつ

て金準備に依存して増大していたマネタリーベースはそのままだった失われた外貨準備

に対してマネタリーベースを減少させなければならなかったしかし23 年までマネタリ

ーベースは増大し続けていた関東大震災という不幸もあってマネタリーベースを減少

させることはできなかったその後25 年まで引き下げていたが27 年には金融恐慌があ

りマネタリーベースを削減することができなかったその後28 年までマネタリーベ

ースはむしろ拡大していた29 年には金本位制復帰を目指してマネタリーベースを急減さ

せるがその結果は激しいデフレと不況だった

そもそも国内要因の変化によらない金準備の増加に対してマネタリーベースを拡大し

たことが誤りだった金本位制からの離脱は1917 年ではなくて欧米諸国が離脱した

1914-15 年になすべきだったそうであれば1910 年代末までのマネタリーベースの急増

はなかっただろうところが実際には金本位制から離脱したにも関わらず1920 年にか

けてマネタリーベースは拡大していた1920 年代からは失われた金準備に対してマネタリ

ーベースを削減することが試みられるようになるしかしそれは関東大震災や金融危機

によって頓挫するむしろマネタリーベースを削減するという試みがデフレと不況をも

たらしそれゆえに不良債権が増大してしまったということではないだろうか

35 小括1‐テイラールールの推計から得られた知見

以上のことから考えて1920 年代から 30 年代にかけては金融政策はインフレまたはデ

フレ促進的な政策を行っていた対外均衡にはある程度考慮した金融政策を行っていたこ

とが分かる

しかし1920 年代には金本位制に復帰するという政策が課題となっていたはずである

20 年代がデフレ促進的また対外均衡にある程度考慮した政策を行っていたことはこの

課題にとっては正しいものだろうしかし現実に採られたデフレ促進策では不十分だっ

た物価は旧平価で金本位制に復帰できるほど下がっていなかったのだからまた32 年

以降の金融政策についてもなぜ 32 年から急速な回復ができたのかそれと金融政策とは

どのよう関係しているかは分析できていない

これについて飯田岡田[2004]は昭和恐慌からの回復はデフレ脱却による実質金利

の下落が重要であって名目金利の低下は重要でなかったと分析しているこれによれば

名目金利の変化で金融政策の変化を見ることはできないことになるしたがって名目金

利の変化に着目するテイラールールでは31 年 12 月以降の高橋是清蔵相の金融政策の意

味を理解できないことになる

30

また金融政策が物価および景気安定を意図していなかったら何を意図していたのだ

ろうか本稿での結論は為替レートや経常収支に視点を置いた対外均衡を意識していた

ということになる

いずれにしろテイラールールだけでは戦前期の金融政策を十分には理解できない

ことになるそこで戦前期の金融政策を別の方法で評価してみよう

4マッカラムルールによる金融政策の評価

41 マッカラムルールの意味と定式化とデータ

以下ではマッカラムルールで戦間期の金融政策を評価することにするマッカラム

ルールを用いて金融政策の在り方を判断した研究としてはマッカラム自身の分析を始め

として多くのものがある(例えばMcCallum[1987][1988]マッカラム[1997]第 15 章)

日本のデータを用いたものにおいても McCallum[1987]岡田飯田[2004]などがあるし

かし日本の戦前期についてはおそらく安達[2006](第7章)しかないと思われる安

達は年データを用い目標値として設定された名目 GNP 成長率(5と設定している)

を達成するためのマネタリーベースを求め現実のマネタリーベースの成長率が 1936 年ま

で過小でそれ以降過大であることを示している本稿では月次データを用いているので

期間ごとの金融政策の在り方も検討することができる

マッカラムルールとはマネタリーベースの成長率を名目GDPの望ましい成長率に

依存させるルールである(McCallum[1987]マッカラム[1997]第 15 章)しかし貨幣の

流通速度 vは変化するので貨幣の流通速度の変化に応じてマネタリーベース bの動きを調

整することが必要となるこのようなルールはbvなどを対数値として望ましいマネタ

リーベースの成長率⊿bをマネタリーベースの流通速度Δvに応じて変化させるというルー

ルであるただしvは景気変動によって大きく変動しているのでそれが技術的な変化と

見なせる 2 年間の平均値 tvΔ であるとする12すなわちマッカラムルールに基づくマネタ

リーベースの成長率とは

tbΔ =マネタリーベースの望ましい成長率- tvΔ

であるここでマネタリーベースの望ましい成長率はサンプル期間(1919 年 1 月から 1933

年 12 月まで)のマネタリーベースの平均成長率とする13マッカラムはマネタリーベース

の望ましい成長率を名目 GDP の成長率としているがここではまずこの期間の経済を再現

することを目的としているので現実のマネタリーベースの成長率を採用したマネタリ

12 マッカラム(1997)第 15 章では流通速度として 4年平均を使用しているが本稿ではサンプル

期間が短いため 2年平均としている 13 サンプル期間は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月であるがマネタリーベースの流通速度の平

均値作成のため 初の 24 か月が失うのでここで計算された望ましいマネタリーベースの成長

率は 1921 年 1 月から 1933 年 12 月までの平均となっている

31

ーベースの動きを図 10 に示しているマネタリーベースは季節性が強いので季調値も図示

しているなお前述のように戦前期の月次名目 GDP のデータは存在しないのでIIP に

卸売物価を掛けたものを名目 GDP の代理変数とする(ここで使うデータの定義と出所は前

掲の表1にある)

図 10 マネタリーベース(原数値と季節調整値)の動き

0

50000

100000

150000

200000

250000

19191

19197

19201

19207

19211

19217

19221

19227

19231

19237

19241

19247

19251

19257

19261

19267

19271

19277

19281

19287

19291

19297

19301

19307

19311

19317

19321

19327

19331

19337

観察されたベースマネー(単位万円) 季節調整済マネタリーベース(単位万円)

作成されたマネタリーベースの成長率は1919 年 1 月から 33 年 12 月までで年率 12

月次では 01となるすなわち

tbΔ =0001- tvΔ

ここで考察する期間を 1919 年 1 月から 33 年 12 月までとしたのは34 年以降の GDP の伸び

が大きすぎトレンドの作成において歪みを生じさせるからであるまた33 年は昭和恐

慌から脱却し経済が安定していた時期でもある

さらに名目 GDP が何らかのショックによって平均的な成長経路よりも上回った時に

はマネタリーベースの伸び率を低下させるようなルール(下回った場合は逆)を導入し

ようすなわち

tbΔ =0001-

1 1( )t t tv y yλ minus minusΔ + minus

32

となるただし目標値

1ty minus は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月までの月次平均成長率 04

成長経路での名目 GDP の対数値であるまたマッカラムによればλは四半期データで 025

が望ましいとされているがここでは月次データを使用しているのでとりあえず 12 分の 1

とすることを考えたがこの期間の名目 GDP は戦後の日米名目 GDP のデータより大きく変

動しているのでさらに小さくする必要があるマッカラムも「λの値を選択する場合

もし間違えるとすれば小さな値を採るほうがよい」(マッカラム[1997]308 頁)としている

そこでλは 36 分の1とした 終的なルールは

tbΔ =0001-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (5)

となる

マッカラムは望ましいインフレ率をゼロとするマネタリールールを求めているがこ

こでは実際には大きく変動したマネタリーベースを安定的に動かしていたらどうなったか

を考えることにしているので名目 GDP の動きは現実のものを使いルールにもとづくマ

ネタリーベースと実際のマネタリーベースをまず比較することにする

次に名目 GDP の決定に関する次のようなモデルを 小二乗法により推計する結果は

1 1 2 3

2

0004 0295 0053 0110 0106 0071 - 0069 23- 0046 27(1596) (3634) (1054) (1404) (2300) (1831) (6731)

R 0109 SE=0029 BG(24)=33227

(1822) t t t t t t ty y b b b b dummy dummy eminus minus minus minusΔ = + Δ + Δ + Δ + Δ + Δ +

=

(6)

となる14但し yΔ は名目 GDP の変化率 bΔ はマネタリーベースの成長率dummy23 は関東

大震災の時の一時的な変動をとらえるために 1923 年 9 月を 1それ以外を 0 としたダミー

変数dummy27 は金融恐慌時の一時的な変動をとらえるために 1927 年 4 月 5 月を 1それ

以外を 0としたダミー変数サンプル期間は推計に使用する変数が全て揃う 1921 年 1 月か

ら 1933 年 12 月までまたここでの残差 te は攪乱項の推定値2R SE BG(p) はそれぞれ

自由度修正済み決定係数攪乱項の標準誤差p 次の Breuch-Godfrey テストのχ二乗統計

量( )内は Newey-West の方法により修正した t値を示している15

ここで当時マッカラムルールなどという議論がなかったのだからこのような分

14 ここでは bΔ は現実のマネタリーベースの成長率を使用して推計を行っている 15 研究の対象期間は 1919 年 1 月からであるが平均流通速度 tvΔ の計算のために 初の 24 ヶ

月分が使用できないそのため他のシミュレーションの対象期間と整合性を保つため 1921 年 1

月からとしているまたこの推計式にはラグ付き内生変数を含むためダービンワトソンテスト

ではなく Breush-Godfrey テストを報告しているこの Breush-Godfrey テストから系列相関が疑

われるためNewey-West の方法により標準誤差を修正している

33

析は意味がないという批判があるかもしれないがこれにはテイラールールの節で述べ

たのと同じ反論が可能であるマッカラムルールとは名目 GDP が上昇しすぎたら(そ

のときには景気が過熱するかインフレが高進していると考えられる)マネーを縮小し

名目 GDP が下降しすぎたら(そのときは景気が悪化するかデフレになっている)マネーを

拡大するという素朴なルールである当時このようなルールが意識されていなかったと

は考え難い

42 長期的な経済を再現するシミュレーション

まずマッカラムルールによって現実の長期的な経済の経路を再現してみようルー

ルにもとづくマネタリーベースと実際のマネタリーベースのレベルと成長率とを図

11(1)(2)に示す

政策ルール(5)式が実施された場合の名目 GDP(の代理変数)の動きを見るために(5)式

から得られる理論値 tbΔ (6)式の残差 te 初期値 1ty minusΔ に目標 GDP

1ty minusΔ を代入してマ

ッカラムルールに従った場合の名目 GDP y の系列を求める現実の xとマネタリーベース

のルールに従った場合の y の系列を比べてみたのが図 11-(3)である図 11-(3)からマ

ネタリーベースのルールに従った場合の y の系列が安定していることが分かるこのよう

に安定的な名目 GDP の系列を得るためには第 1 次世界大戦後の金融引締めが過大で20

年代初期の金融緩和が過大30 年の金融引締めが過大だったと判断される

図 11 マッカラムルール

(1)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

34

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT MBDOT

注)BDOT はマッカラムルールの下でのマネタリーべースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(2)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

35

100000

120000

140000

160000

180000

200000

220000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC MB_SA

注)MB_SA はマネタリーベース(季節調整済)の現実値

B_MC はマッカラムルールに従った場合のマネタリーベース水準

またマッカラムルールの下でのマネタリーベースの初期値は現実値を使用

単位は万円

(3)マッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

36

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULE XSTAR X

注)GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

43 物価を下落させるシミュレーション

以上の結果はマネタリーベースの伸びを安定的にしていれば経済変動はより少なく

なっていただろうということを示しているしかしもし第 1 次世界大戦前の旧平価で金

本位制に復帰することが目的であったとしたら1節で述べたように物価を 3 割下げな

ければならない名目 GDP(その代理変数)は実質 GDP の変化がないとして1919 年 12

月から 29 年 12 月までに 3割下がらなければならない

そこで名目 GDP(その代理変数) y は現実の値よりも毎月 03ずつ低下しなければ

ならないので(5)式の定数項 0001 から 0003 を引いて-0002 とするすなわち

tbΔ =-0002-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (7)

とならなければならないここでの系列 y も実際の値から毎月 03ずつ引き下げたも

のを使っているつぎに(7)式の bを(6)式に入れると図 12 のようになる図に見られるよ

うに名目 GDP は安定しかつ小さくなっているすなわち物価が 3 割下落していること

が分かる

37

図 12 物価を下落させた場合

(1) 名目 GDP の目標値とマッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULEXSTAR

XGDP3_RULE

XSTAR_3

注) GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

GDP3_RULE は物価を 3割下げたマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR_3 は物価を 3割下げた場合の目標となる名目 GDP(対数値)

38

(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

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  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 14: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

13

め 小二乗推定量が有効性を持たない可能性があるので標準誤差を Newey-West の方

法によって修正を加えて t検定を行っている5

推計結果の解釈としては1 β+ の推計値 0016 からβ は-0984 でありインフレ率が

目標インフレ率よりも高まれば金利を引き下げ逆にインフレ率が目標インフレ率よりも

低ければ金利を引き上げるという物価を不安定にするデフレ的な金融政策を採用していた

ことになる(インフレの時はインフレ促進的になる)ましてβはほぼマイナス1である

のでかなりインフレまたはデフレ促進的な金融政策を行っていたことになるこれを現

実の経済情勢に当てはめれば20 年代のデフレ期ではデフレ促進的な金融政策を行い30

年代のインフレ期ではインフレ促進的な金融政策を行っていたことになるただしこの

係数は 10レベルでも有意ではない

なお物価を下落させることを目標としてもデフレ促進的でなく長期的な目標をも

ってテイラールールに基づいて物価を下落させることができることを念のために指摘し

ておくすなわち物価上昇率の目標レベルを低くすれば目標より物価が上ったときは

引締め下がったときは緩めるという物価安定的でかつ長期的に物価を下落させる方法

は可能でありまたその方が望ましいだろう

一方α は 0108 なので GDP ギャップが正のとき金利を引き上げる景気安定的な政策を

とっていたことになるただしα は 10で有意であるが係数が小さいので(GDP ギャ

ップがマイナス 10でも金利を108下げるだけ)景気安定化効果が大きかったとは言え

ないだろう

表 2 (2)式のテイラールールの推計結果

係数

定数項 r -βπ tar 4669

(17711)インフレ率 1+β 0016

(0823)GDPギャップ α 0108

(1679)R2 0085自由度調整済みR2 0077標準誤差 1855DW統計量 0258

注)( )内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

全期間1919年1月~1936年12月

5 本稿には載せていないがここでは 尤法による推計も行っている 尤法による推計では誤

差項に正規分布を仮定した場合 小二乗推定値とほぼ等しい推定値でかつ漸近的 t値からが

1 β+ が 10αが 1で有意であることが確認されている

14

さらにサンプル期間を1930 年の昭和恐慌期を含む期間と含まない期間に分けて推計を

行う具体的には1919 年 1 月から 1931 年 12 月までと1932 年 1 月以降から 1936 年 12

月までの 2 期間に分割して(2)式の推計を行う金融政策は1931 年 12 月以前は金本位制

への復帰を求めていたがそれ以降は金本位制を離脱し金本位制に制約されることがな

くなったと考えての分割である(金本位制からの離脱は 31 年 12 月正式には 32 年 1 月)

推計結果は表 3 に示しているここでも標準誤差を Newey-West の方法によって修正して

いる

表 3 期間分割後のテイラールールの推計結果

係数 係数

定数項 r -βπ tar 5450 定数項 r-βπ tar 3113

(22627) (10790)インフレ率 1+β 0057 インフレ率 1+β -0009

(3877) (0644)GDPギャップ α 0061 GDPギャップ α -0182

(0898) (2307)R2 0313 R2 0175自由度調整済みR2 0304 自由度調整済みR2 0146標準誤差 1542 標準誤差 0862DW統計量 0475 DW統計量 0241

注)( )内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1931年12月 (2)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

推計結果表3-(1)を見ると1919年1月から1931年12月において(1+β)が1で有意であ

あるまた値は00567でありこれから1を引くとβ =-0943となる (1)式から考える

と物価が目標インフレ率以上に上昇したときには政策金利をほぼ物価上昇率と同じだ

け引き下げるという政策を行っていることがわかるこの期間はほぼ物価が下落してい

たのでデフレ促進的な政策を採っていたことになる

GDP ギャップに関しては有意ではないがギャップが1ポイント縮小すると政策金利

を 0061引き上げるすなわち景気が拡大したときには政策金利を引き上げるという景

気変動抑制的な政策が行われていたことがわかるもちろんその係数は小さいので実

際にどれだけそのような効果があったかは分からない

表3-(2)で1932年1月から1936年12月の推計結果をみる物価の係数(1+β)-0009か

ら1を引くと-1009となり物価が上ると金利を引き下げるという政策をとっていたこ

とが分かるこの期間は物価が回復または上昇していた時期であるのでインフレ促進的

な政策を行っていることがわかる

GDP ギャップに関しては 5で有意でありギャップが1ポイント縮小すると政策金

利を 0182 引き下げるという景気変動拡大的な政策が行われていたことがわかるただし

15

その係数は小さいので効果も小さかったと思われる

これらの結果を鎮目[2002]と比べるとインフレ促進的またデフレ促進的な政策が行

われていたということについては共通しているGDP ギャップについて 32 年以降マイナス

になるというのも鎮目と共通であるただし本稿の推計した係数値は鎮目に比べてき

わめて小さい

242 区間分けについての確認

これまでの期間分割は暫定的なものであったこの区間分割が合理的なものであるかを

どうかを確認するために逐次回帰法(recursive least squares)を行った結果が図6で

ある6

図6で 1+βαの動きをみると30 年以降に大きく動いておりこの期間分けは合理的

なものだったと分かる

図 6 逐次回帰推計

-08

-04

00

04

08

12

16

1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1934 1936-1

0

1

2

3

4

1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1934 1936

25 政策反応までのラグ

これまでの分析は当期の物価景気貿易収支為替が金融政策に影響を及ぼすとし

ていたしかし為替はともかく物価景気貿易収支については認知のラグがあり

また経済情勢を慎重に見極めながら政策を行っていると考えられるそこでここでは次

のようなモデルについて推計を行うことにする

6 ここで使用した逐次回帰法は推計期間として 1から説明変数の個数より大きいサンプル数を

選び係数を推計し次は 終期を 1期追加して係数を推計といった手順を繰り返す手法である

詳しくは森棟(1999)4 章を参照のこと

1+β α

16

1 1

1 1

0 0

( ) (1 )tart p t p q t q t t

p q

i r x iβπ β π α λ εminus minus minus= =

= minus + + + + +sum sum (3)

ここでは p=0 q=0 のケースp=0 q=1 のケースp=1 q=0 のケースp=1 q=1 の

ケースについて推計を行った結果自由度修正済み決定係数および赤池情報基準によって

モデルを選択すると全期間を対象とした場合は p=1q=0金本位離脱以前を対象期間に

した場合では p=q=1金本位離脱以降を対象とした場合では p=0 q=0 が選択されるした

がってここでは各期間において選択されたラグ(pq)に従って推計を行うスペースの節約

のため選択されたモデルの結果のみを表4に示す推計方法は 小二乗法を使用して

いる

17

表4 政策反応までのラグ

(1)全期間1919年1月~36年12月

(p=1q=0)

係数

定数項 r-βπ tar 0612

(3895)

当期インフレ率 (1+β )0 0042

(2220)

前期インフレ率 (1+β )1 -0047

(2463)

当期GDPギャップ α 0 0042

(2436)

前期の金利 λ 1 0867

(28290)

R2 0789

自由度調整済みR2 0785標準誤差 0895

DW統計量 2756

(2) 金本意離脱前1919年1月~31年12月(3) 金本意離脱後1932年1月~19年12月

(p=1q=1) (p=0q=0)

係数 係数

定数項 r-βπ tar 1392 定数項 r -βπ tar 0364 (3907) (2348)

当期インフレ率 (1+β )0 0076 当期インフレ率 (1+β ) -0002

(3149) (1048)

前期インフレ率 (1+β )1 -0066 前期インフレ率 (1+β )1

(2682)

当期GDPギャップ α 0 0022 当期GDPギャップ α 0 -0004

(0661) (0321)

前期GDPギャップ α 1 0009 前期GDPギャップ α 1

(0338)

前期の金利 λ 1 0748 前期の金利 λ 1 0867

(12691) (15181)

R2 0719 R2 0933

自由度調整済みR2 0710 自由度調整済みR2 0929

標準誤差 0997 標準誤差 0248

DW統計量 2643 DW統計量 2594

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法

によって修正を加えている

表4(1)の全期間を対象とした場合全ての変数が5で有意であるまた1+β の推計値か

ら計算されたβ は全て負となりインフレまたはデフレ促進的な政策が行われていたと解

釈されるGDPギャップについてはα が正であるが係数の値は非常に小さい一方金利

の平準化の程度を示す 1λ の係数は大きい

金本位制離脱以前の推計結果表 4(2)ではGDP ギャップの係数以外が有意である推計

18

された係数の値をみるとこの時期のβ も表 4(1)の全期間を対象とした値とあまり変わ

らないが 1λ はやや小さくなっているこの時期政策策定者は金利を平準化しつつイン

フレを促進するような政策をとっていた可能性がある

後に金本位制離脱以後の推計結果表 4(3)からは 1λ 以外は有意ではない

すなわち全期間を通していえることは金利の平準化の要素が強くまたインフレおよび

デフレを是認あるいは促進的な政策となっていた係数の値はいずれも小さくλの係数

をコイック型のラグと考えてそれぞれの係数を 1(1-λ)倍しても小さい

3拡張テイラールール

31 拡張テイラールールの定式化先行研究データ

これまでの結果は物価については鎮目[2002](図表7)とも共通であり物価を不安

定にする金融政策が行われていたことになるさらに鎮目では GDP ギャップの係数は 31

年までは正であり景気変動抑制的だったが32 年以降は負となり景気変動を拡大する

ような金融政策が行われていたことになる本稿の GDP ギャップの係数も正から負に変わ

っているただしいずれにしろその係数は小さいので景気変動を抑制するように金融

政策が行われていたとは言えない

以上の結果はむしろ戦間期の金融政策は金融政策は国内の経済安定に重点を置い

て物価と景気を見ながら行うべきというテイラールールでは説明することが難しいと解

釈すべきだろうこれは鎮目の結果とも共通しているそこで次に戦間期の金融政策は

経常収支為替レートの安定など対外均衡に重点を置いて行われていたのではないかと

いう常識に従いテイラールールを拡張して金融政策が経常収支や金外貨準備や海外

金利にも影響されて行われていたとする鎮目[2002]はテイラールールに金外貨準

備海外金利経常収支資本収支を加えている月次で資本収支(およびその代理変数)

のデータを得ることはできなかったので我々の推計式は鎮目[2002]を参考に

1 2 3 4 5 6( ) (1 )tar

t t t t t t t t ti r x TB S NYP fori reserveβπ β π α α α α α α ε= minus + + + + + + + + +

(4)

とする

ここで月次の経常収支はデータが得られないため輸出入の差を名目GDPで割った貿易収

支比率TBを使用している(ここで用いている名目GDPは鉱工業生産指数times卸売物価指数で

ある)貿易収支比率は実際の名目GNPで修正している7またSは為替レートの変化率を

7貿易収支比率 TBは具体的には以下である

1928t1928 GNP( ) 100

1928 t GDP( )GDP( ) 1928

tTB = times times

年の貿易収支合計

期の貿易収支年の名目 大川推計

月次貿易収支の 年平均 期の名目 の代理変数

月次名目 の代理変数 の 年平均

19

示しており値が増えるのが円高である8ニューヨーク物価NYPはニューヨークの卸売物価

指数の前年同月変化率()であるforiは外国の市中金利()を示しニューヨーク金利

あるいはロンドン金利のいずれかである貿易収支が赤字に円の為替レートが下落すれ

ば金利は引き締められるニューヨークの物価が下落すれば日本の金融も引き締めざ

るを得ないニューヨークまたはロンドンの金利に追随するしかないと考える正貨

reserveは金本位制であればこれが増大すれば金融を緩和し減少すれば金融を引き締め

ることになる(ただし正貨は21年3月から29年3月までのデータしかない)また正貨は

1924年1月から11月1925年289月のデータが欠損しているので線形補間によってデ

ータを補っている9

符号条件は貿易収支比率為替レート変化率ニューヨーク物価上昇率正貨が負

ニューヨークおよびロンドンの金利が正である

以上で為替レートニューヨーク物価が鎮目[2002]の分析に対し新たに追加した変

数である

ここで新しく追加した変数貿易収支比率と為替レートと名目GDPの代理変数とニュー

ヨーク物価とニューヨーク金利とロンドン金利と正貨準備を図7図8図9に示してお

くここで名目GDP(その代理変数)は鉱工業生産times卸売物価指数である

8第1節と同じように為替レートの水準は 100 円当たりのドルで表しているので変化率

に修正しても値が大きくなると円高を示すことになる 9 また日本銀行調査局『本邦経済統計』では1922 年 11 月の正貨準備高の値が 1386957540円と記載されているが前後月の数値から判断して 1836957540 円の誤記と推測し修正を加

えている

20

図 7 コールレートニューヨーク市中金利ロンドン市中金利

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

200

0

2

4

6

8

10

12

14

16

18

コールレート(右軸) ニューヨーク市中金利(右軸) ロンドン市中金利(右軸)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

図 8 貿易収支比率為替レート変化率名目 GDP(対数値)

0

2

4

6

8

10

12

14

-50

-40

-30

-20

-10

0

10

20

30

貿易収支比率 為替レート変化率 名目GDP

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

21

図 9 正貨準備高ニューヨークインフレ率

0

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

-60

-40

-20

0

20

40

60

正貨(単位億円) ニューヨークインフレ率(卸売り物価指数)

なお追加した説明変数貿易収支比率為替レートニューヨーク物価ニューヨー

ク金利ロンドン金利正貨準備が独立でないという問題があるうちニューヨーク金

利とロンドン金利は同時には入れず他の変数と代替的に入れることとするそれでも

貿易収支比率と為替レートが独立ではないという問題があるかもしれない単純に為替

レートが割安であれば経常収支が黒字に動き割高であれば経常収支が赤字に動くという

メカニズムによって為替レートと経常収支が独立ではないということになる

また為替レート関数の推計において自国と他国の物価マネーサプライ金利生

産に加えて経常収支またはその累積を説明変数に入れるのが通常であることを考えれ

ば当然に問題となるしかし多くの推計で為替レートに対して経常収支またはそ

の累積の説明力はそれほど高くはない10

ちなみに変数間の相関行列を取ると表5のようになる(推計期間は正貨を含む変数間

は 1919 年から 1929 年 3 月それ以外の変数間は 1919 年 1 月 1936 年 12 月まである)貿

易収支比率と為替レートの相関を取ると相関係数は 0029 でありマルチコリニアリティ

10 深尾[1983] (167 頁)は日本の米国に対する 100 億ドルの経常黒字は 64の円高ドル

安要因になるとしているこれは大きな効果だがその後の推計によると経常収支黒字が円高

をもたらす効果は大きくはない河合[1986](第 94 表214 頁)によれば経常収支累積額が

1の上昇は実質為替レートを 0068~0163上昇させるにすぎないその後も同様の推計

がなされているが(経済企画庁[1997]第 1-2-1 図③経済企画庁[1999]付図 1-5-2原田[2004])いずれの推計においても経常収支が為替レートに与える影響は大きなものではない

22

の問題は避けられていると判断できる当時のデータで為替と貿易収支の相関が弱い理

由として金解禁への動きが度々予想されていたので為替レートが貿易など実態経済

の状況にかかわらず高騰していたこともあげられる表 5 から説明変数間で(被説明変

数のコールレートを除く)相関係数の絶対値が 04 以上のものを上げると卸売物価と GDP

ギャップ卸売物価とニューヨーク卸売物価GDP ギャップとニューヨーク卸売物価ニュ

ーヨーク金利とロンドン金利貿易収支比率とコールレートがそうである卸売物価と GDP

ギャップはテイラールールの基本的な説明変数なので両者をともに入れるがニューヨ

ーク金利とロンドン金利については代替的にも推計することとする

表5 拡張テイラールールで使用された変数の相関行列

コールレート

インフレ率GDPギャッ

プ貿易収支比

率為替変化

率NYインフレ

率NY金利

ロンドン金利

正貨準備変化率

コールレート 1000 0222 0293 -0441 -0112 0082 0437 0264 -0113

インフレ率 1000 0437 0046 -0024 0482 0198 -0340 -0005

GDPギャップ 1000 -0056 0205 0605 0246 -0119 0042

貿易収支比率 1000 0029 0189 -0182 -0252 0183

為替変化率 1000 0259 0023 0019 0058

NYインフレ率 1000 -0071 -0378 -0084

NY金利 1000 0649 0291

ロンドン市中金利 1000 0092

正貨準備変化率 1000

32 拡張テイラールールの推計結果

推計期間は貿易収支が入手可能な1926年1月から1936年12月までの全期間と上述の(2)

式と比較するために1931年12月までとそれ以降の期間とする推計結果は表6の通り

である推計については上記3つの推計期間において 小二乗法を行っている新しく追

加した変数貿易収支比率為替レートの変化率ニューヨーク卸売物価上昇率ニュー

ヨーク金利ロンドン金利正貨準備の変化率の単位はである推計に当たっては系

列相関が疑われるためNewey-Westの方法によって標準誤差の修正を行っている

23

表6 拡張テイラールールの推計結果

係数 係数 係数 係数

定数項 r-βπ tar 3155 2980 定数項 r -βπ tar 5780 6596 (10072) (6939) (12603) (13464)

インフレ率 1+β 0008 0027 インフレ率 1+β 0041 0025

(0552) (1600) (1957) (1399)

GDPギャップ α 1 0036 0057 GDPギャップ α 1 0090 0083

(1156) (1798) (2584) (2412)

貿易収支比率 α 2 -0105 -0106 貿易収支比率 α 2 -0053 -0054

(5627) (4937) (2671) (3396)為替変化率 α 3 -0109 -0110 為替変化率 α 3 -0062 -0051

(3782) (3755) (1345) (0998)

NYインフレ率 α 4 0014 0011 NYインフレ率 α 4 0014 0012

(0820) (0645) (0651) (0682)

NY金利 α 5 0212 NY金利 α 5 -0133

(3002) (1599)

ロンドン金利 α 5 0399 ロンドン金利 α 5 -0466

(2870) (3071)R2 0397 0375 R2 0468 0503

自由度調整済みR2 0380 0357 自由度調整済みR2 0447 0483

標準誤差 1520 1548 標準誤差 1375 1329

DW統計量 0568 0531 DW統計量 0700 0794

係数 係数

定数項 r-βπ tar 2703 2617

(6657) (26032)

インフレ率 1+β -0018 -0016

(1920) (2396)

GDPギャップ α 1 -0052 -0059

(2353) (5464)

貿易収支比率 α 2 -0031 0004

(1779) (0381)

為替変化率 α 3 -0007 0028

(0423) (1526)

NYインフレ率 α 4 -0017 -0024

(3808) (5526)

NY金利 α 5 0423

(1421)

ロンドン金利 α 5 0742

(7283)

R2 0797 0899自由度調整済みR2 0774 0887

標準誤差 0443 0313

DW統計量 0757 0925

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とそれぞれの金利だけである

どちらの推計でもこれらの有意な変数は符号条件を満たしているインフレ率とGDPギャ

24

ップは5有意ではなくなり単純テイラールールでも小さかった係数はさらに小さ

くなるこれに対して貿易収支比率の係数は貿易収支比率が10ポイント分マイナス

に動けば1金利を引き上げることであるからある程度貿易収支に反応して金融政策

を行っていたと言えるだろう為替変化率の係数は為替レートが10下落したら金利

を1引き上げることであるからこちらもある程度は為替レートに反応して金融政策を

行っていたとも言えるだろうニューヨーク金利とロンドン金利が1上昇すると国内金

利をそれぞれ0204引き上げるということになっている

1926年1月から1931年12月までの推計ではニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれ

を用いた推計でも5で有意な変数はGDPギャップと貿易収支比率とロンドン金利であ

るがロンドン金利は符号条件を満たしていないGDPギャップは有意であるがその係数

は単純テイラールールの推計と同様に小さい貿易収支比率の係数は貿易収支比率で

10ポイント分赤字が増えれば金利を05引き上げることであるからある程度は貿易

収支に反応して金融政策を行っていたと言えるかもしれない

さらに1932年1月から1936年12月までの推計では物価GDPギャップニューヨーク物

価ロンドン金利が5で有意であるGDPギャップニューヨーク物価は符号条件を満た

していないロンドン金利は符号条件を満たしその係数も074と大きく日本の金融政

策はロンドンに追随して行われていたことになる

金本位制を意識して行われていたときには金融政策は対外均衡に重点を置き金本位

制を離脱した後はロンドンの金利に追随していたことになる日本の金融政策が英国

の金融政策に追随していたことは鎮目[2009]第2章の結果とも整合的である

さらに表7は以上の変数に正貨を追加したものであるデータの制約により1919年1

月から29年3月までしか推計できないのでこれは金本位制を意識して金融政策が行われて

いた期間の金融政策を評価していることになる

25

表7 (3)式の拡張テイラールールの推計結果(正貨準備の変化率追加)

係数 係数定数項 r-βπ tar 5431 7511

(7602) (8642)インフレ率 1+β 0028 0024

(1209) (1264)GDPギャップ α 1 0147 0095

(2352) (1698)貿易収支比率 α 2 -0050 -0034

(2522) (2089)為替変化率 α 3 0016 0097

(0173) (0989)NYインフレ率 α 4 0004 -0004

(0166) (0224)NY金利 α 5 -0071

(0665)ロンドン金利 α 5 -0662

(2795)正貨準備の変化率 α 6 -0071 -0087

(0796) (1138)R2 0410 0471自由度調整済みR2 0374 0438標準誤差 1451 1375DW統計量 0808 0934注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

正貨を追加した推計結果ではGDPギャップ貿易収支比率ロンドン金利が有意である

GDPギャップ貿易収支比率は符号条件を満たしているがロンドン金利は満たしていない

表7の1919年から31年の推計結果に比べてGDPギャップの係数の値は大きくなるが景気

安定化効果が大きかったとまでは言えない貿易収支の係数はほとんど変らず貿易収支

の状況を念頭に入れて政策を行っていたと言えるだろうロンドン金利符号が逆で海外

金利が下がると金利を上げるという結果になっている

以上の結果を鎮目[2002]と比べる鎮目は金外貨準備英国の短期金利経常収支

資本収支をテイラールールの式に追加していずれの変数も有意ではなかったと報告し

ているが本稿では追加した変数のうち貿易収支ニューヨーク金利(特にロンドン

金利)が符号条件を満たして有意になっている場合が多く対外均衡を意識した金融政策

が行われていた可能性を示唆している

33 拡張テイラールールに関する政策反応ラグ

以上の拡張テイラールールの推計では貿易収支比率為替変化率ニューヨークイ

26

ンフレ率ロンドン金利を追加したものが良好な推計結果をもたらしたそこで拡張テ

イラールールに関する政策反応ラグを考慮するために以上の変数に加えて被説明変数

の 1期ラグを追加したものを推計する11結果は表8のようになる

表8 拡張テイラールールの金利ラグ付き推計

係数 係数 係数 係数定数項 r-βπ tar 0623 0565 定数項 r-βπ tar 1806 2223

(3922) (3134) (3861) (3396)インフレ率 1+β -00001 0003 インフレ率 1+β 0012 0007

(0023) (0552) (1190) (0761)GDPギャップ α 1 0019 0023 GDPギャップ α 1 0044 0043

(1589) (1875) (2072) (2007)

貿易収支比率 α 2 -0024 -0023 貿易収支比率 α 2 -0019 -0020

(2312) (2239) (1514) (1767)

為替変化率 α 3 -0026 -0025 為替変化率 α 3 -0048 -0045

(1984) (2069) (1607) (1430)

NYインフレ率 α 4 -0002 -0002 NYインフレ率 α 4 -0004 -0004

(0277) (0388) (0337) (0389)NY金利 α 5 0040 NY金利 α 5 -0044

(1532) (1193)

ロンドン金利 α 5 0075 ロンドン金利 α 5 -0163

(1447) (1703)コールレート1期ラグ 0796 0802 コールレート1期ラグ 0680 0657

(18638) (20579) (9505) (8112)R2 0789 0788 R2 0707 0711自由度調整済みR2 0782 0781 自由度調整済みR2 0693 0697標準誤差 0902 0904 標準誤差 1023 1016DW統計量 2581 2574 DW統計量 2408 2415

係数 係数

定数項 r-βπ tar 0527 0900 (2552) (3391)

インフレ率 1+β -0004 -0005(1594) (1249)

GDPギャップ α 1 -0006 -0014

(1174) (1562)

貿易収支比率 α 2 -0001 0010

(0135) (1064)

為替変化率 α 3 0005 0019

(0542) (1247)

NYインフレ率 α 4 -0003 -0008

(1971) (2116)

NY金利 α 5 -0022

(0557)

ロンドン金利 α 5 0386

(3052)コールレート1期ラグ 0833 0608

(9986) (6019)R2 0934 0957自由度調整済みR2 0925 0951標準誤差 0255 0207DW統計量 2478 2362

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

11 単純テイラールールでは説明変数のラグを加えたがここではあまりにも煩雑になること

と単純テイラールールで被説明変数の 1 期ラグが重要であったことから被説明変数の 1 期

ラグのみを追加した

27

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とコールレートの1期ラグであ

る貿易収支比率と為替変化率のどちらの係数も符号条件を満たしているがコールレー

トの1期ラグがない場合と比べて係数の値は小さくなっているただしこの推計をコイ

ック型と考えて係数の長期の値を(1-コールレートの1期ラグの係数)で除すことによっ

て求めれば1期ラグがない場合の係数よりもかなり大きくなる

1926年1月から1931年12月までの推計ではGDPギャップとコールレートの1期ラグのみが

有意となるGDPギャップの長期係数を求めても値は小さいこの期間では金利を安定的

に維持することに金融政策が使われていたと言えるだろう

1932年1月から1936年12月までの推計では有意なものはロンドン金利とニューヨークイ

ンフレ率とコールレートの1期ラグとなってしまうニューヨークインフレ率は符号条件を

満たしているがその係数は小さいロンドン金利の係数は大きく日本の金融政策はロ

ンドンに追随して行われていたことになる

コールレートの1期ラグを入れるといずれの期の金融政策も金利の平準化の要素が大き

いと判断される金本位制を意識して行われていたときには金融政策はある程度は対外

均衡を考えていたようである金本位制を離脱した後はロンドンの金利を考慮していた

ようである

さらに表9は以上の変数に正貨を追加したものである(データの制約により1919年1

月から29年3月までの推計)これは金本位制を意識して金融政策が行われていた期間の金

融政策を評価していることになる

28

表9 正貨準備高の変化率を加えた場合

係数 係数定数項 r-βπ tar 1723 2771

(3126) (2898)インフレ率 1+β 0004 0005

(0356) (0518)GDPギャップ α 1 0088 0072

(2641) (2442)貿易収支比率 α 2 -0023 -0018

(1664) (1321)為替変化率 α 3 -0025 0008

(0544) (0189)NYインフレ率 α 4 -0007 -0010

(0617) (0924)NY金利 α 5 -0012

(0255)ロンドン金利 α 5 -0239

(1470)正貨準備の変化率 α 6 0001 -0005

(0013) (0079)コールレートの1期ラグ 0644 0603

(7451) (6371) R2 0652 0659自由度調整済みR2 0628 0635標準誤差 1119 1107DW統計量 2450 2452注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

有意なものはGDPギャップとコールレートの1期ラグであるGDPギャップは符号条件

を満たしている長期の係数を取ってもその係数は大きいとは言えない

34 対外均衡と対内均衡

対外均衡に重点を置いた金融政策を行うとは経常収支赤字や為替レート下落や外貨準

備の減少に対して金利を引き上げるというルールに従って金融政策を行うことである

通常であれば金本位制の下で国内がインフレになり競争力を失ったり景気が過熱

して輸入が増大したときには経常収支赤字や為替レート下落や外貨準備の減少が起きる

だろう経常収支の赤字や外貨準備の減少が起きたときには金融を引き締めるというルー

ルは国内がインフレになったり景気が過熱したときには引き締めるというルールでも

あるしたがって対外均衡に重点を置くことが国内均衡を必ず妨げるというわけではな

いこれは逆の場合も真実であるしかし1910 年代日本の経常収支や外貨準備は国

内の景気要因で変化したわけではない第 1 次世界大戦によって外需が増加し経常収支

29

が黒字となり外貨準備が増えた金本位制のルールに従って金融政策は緩和されマ

ネタリーベースは 1919 年 1 月から 1920 年 4 月までに 16 倍に増加した輸出超過の国は

金融緩和することによって輸入超過の国の不況を和らげることができる日本は金本

位制の正しいルールに基づいて金融を緩和しただけであるしかし戦争がおわりその

復興需要もなくなったとき経常収支は赤字となり外貨準備は減少したしかしかつ

て金準備に依存して増大していたマネタリーベースはそのままだった失われた外貨準備

に対してマネタリーベースを減少させなければならなかったしかし23 年までマネタリ

ーベースは増大し続けていた関東大震災という不幸もあってマネタリーベースを減少

させることはできなかったその後25 年まで引き下げていたが27 年には金融恐慌があ

りマネタリーベースを削減することができなかったその後28 年までマネタリーベ

ースはむしろ拡大していた29 年には金本位制復帰を目指してマネタリーベースを急減さ

せるがその結果は激しいデフレと不況だった

そもそも国内要因の変化によらない金準備の増加に対してマネタリーベースを拡大し

たことが誤りだった金本位制からの離脱は1917 年ではなくて欧米諸国が離脱した

1914-15 年になすべきだったそうであれば1910 年代末までのマネタリーベースの急増

はなかっただろうところが実際には金本位制から離脱したにも関わらず1920 年にか

けてマネタリーベースは拡大していた1920 年代からは失われた金準備に対してマネタリ

ーベースを削減することが試みられるようになるしかしそれは関東大震災や金融危機

によって頓挫するむしろマネタリーベースを削減するという試みがデフレと不況をも

たらしそれゆえに不良債権が増大してしまったということではないだろうか

35 小括1‐テイラールールの推計から得られた知見

以上のことから考えて1920 年代から 30 年代にかけては金融政策はインフレまたはデ

フレ促進的な政策を行っていた対外均衡にはある程度考慮した金融政策を行っていたこ

とが分かる

しかし1920 年代には金本位制に復帰するという政策が課題となっていたはずである

20 年代がデフレ促進的また対外均衡にある程度考慮した政策を行っていたことはこの

課題にとっては正しいものだろうしかし現実に採られたデフレ促進策では不十分だっ

た物価は旧平価で金本位制に復帰できるほど下がっていなかったのだからまた32 年

以降の金融政策についてもなぜ 32 年から急速な回復ができたのかそれと金融政策とは

どのよう関係しているかは分析できていない

これについて飯田岡田[2004]は昭和恐慌からの回復はデフレ脱却による実質金利

の下落が重要であって名目金利の低下は重要でなかったと分析しているこれによれば

名目金利の変化で金融政策の変化を見ることはできないことになるしたがって名目金

利の変化に着目するテイラールールでは31 年 12 月以降の高橋是清蔵相の金融政策の意

味を理解できないことになる

30

また金融政策が物価および景気安定を意図していなかったら何を意図していたのだ

ろうか本稿での結論は為替レートや経常収支に視点を置いた対外均衡を意識していた

ということになる

いずれにしろテイラールールだけでは戦前期の金融政策を十分には理解できない

ことになるそこで戦前期の金融政策を別の方法で評価してみよう

4マッカラムルールによる金融政策の評価

41 マッカラムルールの意味と定式化とデータ

以下ではマッカラムルールで戦間期の金融政策を評価することにするマッカラム

ルールを用いて金融政策の在り方を判断した研究としてはマッカラム自身の分析を始め

として多くのものがある(例えばMcCallum[1987][1988]マッカラム[1997]第 15 章)

日本のデータを用いたものにおいても McCallum[1987]岡田飯田[2004]などがあるし

かし日本の戦前期についてはおそらく安達[2006](第7章)しかないと思われる安

達は年データを用い目標値として設定された名目 GNP 成長率(5と設定している)

を達成するためのマネタリーベースを求め現実のマネタリーベースの成長率が 1936 年ま

で過小でそれ以降過大であることを示している本稿では月次データを用いているので

期間ごとの金融政策の在り方も検討することができる

マッカラムルールとはマネタリーベースの成長率を名目GDPの望ましい成長率に

依存させるルールである(McCallum[1987]マッカラム[1997]第 15 章)しかし貨幣の

流通速度 vは変化するので貨幣の流通速度の変化に応じてマネタリーベース bの動きを調

整することが必要となるこのようなルールはbvなどを対数値として望ましいマネタ

リーベースの成長率⊿bをマネタリーベースの流通速度Δvに応じて変化させるというルー

ルであるただしvは景気変動によって大きく変動しているのでそれが技術的な変化と

見なせる 2 年間の平均値 tvΔ であるとする12すなわちマッカラムルールに基づくマネタ

リーベースの成長率とは

tbΔ =マネタリーベースの望ましい成長率- tvΔ

であるここでマネタリーベースの望ましい成長率はサンプル期間(1919 年 1 月から 1933

年 12 月まで)のマネタリーベースの平均成長率とする13マッカラムはマネタリーベース

の望ましい成長率を名目 GDP の成長率としているがここではまずこの期間の経済を再現

することを目的としているので現実のマネタリーベースの成長率を採用したマネタリ

12 マッカラム(1997)第 15 章では流通速度として 4年平均を使用しているが本稿ではサンプル

期間が短いため 2年平均としている 13 サンプル期間は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月であるがマネタリーベースの流通速度の平

均値作成のため 初の 24 か月が失うのでここで計算された望ましいマネタリーベースの成長

率は 1921 年 1 月から 1933 年 12 月までの平均となっている

31

ーベースの動きを図 10 に示しているマネタリーベースは季節性が強いので季調値も図示

しているなお前述のように戦前期の月次名目 GDP のデータは存在しないのでIIP に

卸売物価を掛けたものを名目 GDP の代理変数とする(ここで使うデータの定義と出所は前

掲の表1にある)

図 10 マネタリーベース(原数値と季節調整値)の動き

0

50000

100000

150000

200000

250000

19191

19197

19201

19207

19211

19217

19221

19227

19231

19237

19241

19247

19251

19257

19261

19267

19271

19277

19281

19287

19291

19297

19301

19307

19311

19317

19321

19327

19331

19337

観察されたベースマネー(単位万円) 季節調整済マネタリーベース(単位万円)

作成されたマネタリーベースの成長率は1919 年 1 月から 33 年 12 月までで年率 12

月次では 01となるすなわち

tbΔ =0001- tvΔ

ここで考察する期間を 1919 年 1 月から 33 年 12 月までとしたのは34 年以降の GDP の伸び

が大きすぎトレンドの作成において歪みを生じさせるからであるまた33 年は昭和恐

慌から脱却し経済が安定していた時期でもある

さらに名目 GDP が何らかのショックによって平均的な成長経路よりも上回った時に

はマネタリーベースの伸び率を低下させるようなルール(下回った場合は逆)を導入し

ようすなわち

tbΔ =0001-

1 1( )t t tv y yλ minus minusΔ + minus

32

となるただし目標値

1ty minus は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月までの月次平均成長率 04

成長経路での名目 GDP の対数値であるまたマッカラムによればλは四半期データで 025

が望ましいとされているがここでは月次データを使用しているのでとりあえず 12 分の 1

とすることを考えたがこの期間の名目 GDP は戦後の日米名目 GDP のデータより大きく変

動しているのでさらに小さくする必要があるマッカラムも「λの値を選択する場合

もし間違えるとすれば小さな値を採るほうがよい」(マッカラム[1997]308 頁)としている

そこでλは 36 分の1とした 終的なルールは

tbΔ =0001-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (5)

となる

マッカラムは望ましいインフレ率をゼロとするマネタリールールを求めているがこ

こでは実際には大きく変動したマネタリーベースを安定的に動かしていたらどうなったか

を考えることにしているので名目 GDP の動きは現実のものを使いルールにもとづくマ

ネタリーベースと実際のマネタリーベースをまず比較することにする

次に名目 GDP の決定に関する次のようなモデルを 小二乗法により推計する結果は

1 1 2 3

2

0004 0295 0053 0110 0106 0071 - 0069 23- 0046 27(1596) (3634) (1054) (1404) (2300) (1831) (6731)

R 0109 SE=0029 BG(24)=33227

(1822) t t t t t t ty y b b b b dummy dummy eminus minus minus minusΔ = + Δ + Δ + Δ + Δ + Δ +

=

(6)

となる14但し yΔ は名目 GDP の変化率 bΔ はマネタリーベースの成長率dummy23 は関東

大震災の時の一時的な変動をとらえるために 1923 年 9 月を 1それ以外を 0 としたダミー

変数dummy27 は金融恐慌時の一時的な変動をとらえるために 1927 年 4 月 5 月を 1それ

以外を 0としたダミー変数サンプル期間は推計に使用する変数が全て揃う 1921 年 1 月か

ら 1933 年 12 月までまたここでの残差 te は攪乱項の推定値2R SE BG(p) はそれぞれ

自由度修正済み決定係数攪乱項の標準誤差p 次の Breuch-Godfrey テストのχ二乗統計

量( )内は Newey-West の方法により修正した t値を示している15

ここで当時マッカラムルールなどという議論がなかったのだからこのような分

14 ここでは bΔ は現実のマネタリーベースの成長率を使用して推計を行っている 15 研究の対象期間は 1919 年 1 月からであるが平均流通速度 tvΔ の計算のために 初の 24 ヶ

月分が使用できないそのため他のシミュレーションの対象期間と整合性を保つため 1921 年 1

月からとしているまたこの推計式にはラグ付き内生変数を含むためダービンワトソンテスト

ではなく Breush-Godfrey テストを報告しているこの Breush-Godfrey テストから系列相関が疑

われるためNewey-West の方法により標準誤差を修正している

33

析は意味がないという批判があるかもしれないがこれにはテイラールールの節で述べ

たのと同じ反論が可能であるマッカラムルールとは名目 GDP が上昇しすぎたら(そ

のときには景気が過熱するかインフレが高進していると考えられる)マネーを縮小し

名目 GDP が下降しすぎたら(そのときは景気が悪化するかデフレになっている)マネーを

拡大するという素朴なルールである当時このようなルールが意識されていなかったと

は考え難い

42 長期的な経済を再現するシミュレーション

まずマッカラムルールによって現実の長期的な経済の経路を再現してみようルー

ルにもとづくマネタリーベースと実際のマネタリーベースのレベルと成長率とを図

11(1)(2)に示す

政策ルール(5)式が実施された場合の名目 GDP(の代理変数)の動きを見るために(5)式

から得られる理論値 tbΔ (6)式の残差 te 初期値 1ty minusΔ に目標 GDP

1ty minusΔ を代入してマ

ッカラムルールに従った場合の名目 GDP y の系列を求める現実の xとマネタリーベース

のルールに従った場合の y の系列を比べてみたのが図 11-(3)である図 11-(3)からマ

ネタリーベースのルールに従った場合の y の系列が安定していることが分かるこのよう

に安定的な名目 GDP の系列を得るためには第 1 次世界大戦後の金融引締めが過大で20

年代初期の金融緩和が過大30 年の金融引締めが過大だったと判断される

図 11 マッカラムルール

(1)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

34

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT MBDOT

注)BDOT はマッカラムルールの下でのマネタリーべースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(2)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

35

100000

120000

140000

160000

180000

200000

220000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC MB_SA

注)MB_SA はマネタリーベース(季節調整済)の現実値

B_MC はマッカラムルールに従った場合のマネタリーベース水準

またマッカラムルールの下でのマネタリーベースの初期値は現実値を使用

単位は万円

(3)マッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

36

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULE XSTAR X

注)GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

43 物価を下落させるシミュレーション

以上の結果はマネタリーベースの伸びを安定的にしていれば経済変動はより少なく

なっていただろうということを示しているしかしもし第 1 次世界大戦前の旧平価で金

本位制に復帰することが目的であったとしたら1節で述べたように物価を 3 割下げな

ければならない名目 GDP(その代理変数)は実質 GDP の変化がないとして1919 年 12

月から 29 年 12 月までに 3割下がらなければならない

そこで名目 GDP(その代理変数) y は現実の値よりも毎月 03ずつ低下しなければ

ならないので(5)式の定数項 0001 から 0003 を引いて-0002 とするすなわち

tbΔ =-0002-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (7)

とならなければならないここでの系列 y も実際の値から毎月 03ずつ引き下げたも

のを使っているつぎに(7)式の bを(6)式に入れると図 12 のようになる図に見られるよ

うに名目 GDP は安定しかつ小さくなっているすなわち物価が 3 割下落していること

が分かる

37

図 12 物価を下落させた場合

(1) 名目 GDP の目標値とマッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULEXSTAR

XGDP3_RULE

XSTAR_3

注) GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

GDP3_RULE は物価を 3割下げたマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR_3 は物価を 3割下げた場合の目標となる名目 GDP(対数値)

38

(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

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  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 15: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

14

さらにサンプル期間を1930 年の昭和恐慌期を含む期間と含まない期間に分けて推計を

行う具体的には1919 年 1 月から 1931 年 12 月までと1932 年 1 月以降から 1936 年 12

月までの 2 期間に分割して(2)式の推計を行う金融政策は1931 年 12 月以前は金本位制

への復帰を求めていたがそれ以降は金本位制を離脱し金本位制に制約されることがな

くなったと考えての分割である(金本位制からの離脱は 31 年 12 月正式には 32 年 1 月)

推計結果は表 3 に示しているここでも標準誤差を Newey-West の方法によって修正して

いる

表 3 期間分割後のテイラールールの推計結果

係数 係数

定数項 r -βπ tar 5450 定数項 r-βπ tar 3113

(22627) (10790)インフレ率 1+β 0057 インフレ率 1+β -0009

(3877) (0644)GDPギャップ α 0061 GDPギャップ α -0182

(0898) (2307)R2 0313 R2 0175自由度調整済みR2 0304 自由度調整済みR2 0146標準誤差 1542 標準誤差 0862DW統計量 0475 DW統計量 0241

注)( )内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1931年12月 (2)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

推計結果表3-(1)を見ると1919年1月から1931年12月において(1+β)が1で有意であ

あるまた値は00567でありこれから1を引くとβ =-0943となる (1)式から考える

と物価が目標インフレ率以上に上昇したときには政策金利をほぼ物価上昇率と同じだ

け引き下げるという政策を行っていることがわかるこの期間はほぼ物価が下落してい

たのでデフレ促進的な政策を採っていたことになる

GDP ギャップに関しては有意ではないがギャップが1ポイント縮小すると政策金利

を 0061引き上げるすなわち景気が拡大したときには政策金利を引き上げるという景

気変動抑制的な政策が行われていたことがわかるもちろんその係数は小さいので実

際にどれだけそのような効果があったかは分からない

表3-(2)で1932年1月から1936年12月の推計結果をみる物価の係数(1+β)-0009か

ら1を引くと-1009となり物価が上ると金利を引き下げるという政策をとっていたこ

とが分かるこの期間は物価が回復または上昇していた時期であるのでインフレ促進的

な政策を行っていることがわかる

GDP ギャップに関しては 5で有意でありギャップが1ポイント縮小すると政策金

利を 0182 引き下げるという景気変動拡大的な政策が行われていたことがわかるただし

15

その係数は小さいので効果も小さかったと思われる

これらの結果を鎮目[2002]と比べるとインフレ促進的またデフレ促進的な政策が行

われていたということについては共通しているGDP ギャップについて 32 年以降マイナス

になるというのも鎮目と共通であるただし本稿の推計した係数値は鎮目に比べてき

わめて小さい

242 区間分けについての確認

これまでの期間分割は暫定的なものであったこの区間分割が合理的なものであるかを

どうかを確認するために逐次回帰法(recursive least squares)を行った結果が図6で

ある6

図6で 1+βαの動きをみると30 年以降に大きく動いておりこの期間分けは合理的

なものだったと分かる

図 6 逐次回帰推計

-08

-04

00

04

08

12

16

1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1934 1936-1

0

1

2

3

4

1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1934 1936

25 政策反応までのラグ

これまでの分析は当期の物価景気貿易収支為替が金融政策に影響を及ぼすとし

ていたしかし為替はともかく物価景気貿易収支については認知のラグがあり

また経済情勢を慎重に見極めながら政策を行っていると考えられるそこでここでは次

のようなモデルについて推計を行うことにする

6 ここで使用した逐次回帰法は推計期間として 1から説明変数の個数より大きいサンプル数を

選び係数を推計し次は 終期を 1期追加して係数を推計といった手順を繰り返す手法である

詳しくは森棟(1999)4 章を参照のこと

1+β α

16

1 1

1 1

0 0

( ) (1 )tart p t p q t q t t

p q

i r x iβπ β π α λ εminus minus minus= =

= minus + + + + +sum sum (3)

ここでは p=0 q=0 のケースp=0 q=1 のケースp=1 q=0 のケースp=1 q=1 の

ケースについて推計を行った結果自由度修正済み決定係数および赤池情報基準によって

モデルを選択すると全期間を対象とした場合は p=1q=0金本位離脱以前を対象期間に

した場合では p=q=1金本位離脱以降を対象とした場合では p=0 q=0 が選択されるした

がってここでは各期間において選択されたラグ(pq)に従って推計を行うスペースの節約

のため選択されたモデルの結果のみを表4に示す推計方法は 小二乗法を使用して

いる

17

表4 政策反応までのラグ

(1)全期間1919年1月~36年12月

(p=1q=0)

係数

定数項 r-βπ tar 0612

(3895)

当期インフレ率 (1+β )0 0042

(2220)

前期インフレ率 (1+β )1 -0047

(2463)

当期GDPギャップ α 0 0042

(2436)

前期の金利 λ 1 0867

(28290)

R2 0789

自由度調整済みR2 0785標準誤差 0895

DW統計量 2756

(2) 金本意離脱前1919年1月~31年12月(3) 金本意離脱後1932年1月~19年12月

(p=1q=1) (p=0q=0)

係数 係数

定数項 r-βπ tar 1392 定数項 r -βπ tar 0364 (3907) (2348)

当期インフレ率 (1+β )0 0076 当期インフレ率 (1+β ) -0002

(3149) (1048)

前期インフレ率 (1+β )1 -0066 前期インフレ率 (1+β )1

(2682)

当期GDPギャップ α 0 0022 当期GDPギャップ α 0 -0004

(0661) (0321)

前期GDPギャップ α 1 0009 前期GDPギャップ α 1

(0338)

前期の金利 λ 1 0748 前期の金利 λ 1 0867

(12691) (15181)

R2 0719 R2 0933

自由度調整済みR2 0710 自由度調整済みR2 0929

標準誤差 0997 標準誤差 0248

DW統計量 2643 DW統計量 2594

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法

によって修正を加えている

表4(1)の全期間を対象とした場合全ての変数が5で有意であるまた1+β の推計値か

ら計算されたβ は全て負となりインフレまたはデフレ促進的な政策が行われていたと解

釈されるGDPギャップについてはα が正であるが係数の値は非常に小さい一方金利

の平準化の程度を示す 1λ の係数は大きい

金本位制離脱以前の推計結果表 4(2)ではGDP ギャップの係数以外が有意である推計

18

された係数の値をみるとこの時期のβ も表 4(1)の全期間を対象とした値とあまり変わ

らないが 1λ はやや小さくなっているこの時期政策策定者は金利を平準化しつつイン

フレを促進するような政策をとっていた可能性がある

後に金本位制離脱以後の推計結果表 4(3)からは 1λ 以外は有意ではない

すなわち全期間を通していえることは金利の平準化の要素が強くまたインフレおよび

デフレを是認あるいは促進的な政策となっていた係数の値はいずれも小さくλの係数

をコイック型のラグと考えてそれぞれの係数を 1(1-λ)倍しても小さい

3拡張テイラールール

31 拡張テイラールールの定式化先行研究データ

これまでの結果は物価については鎮目[2002](図表7)とも共通であり物価を不安

定にする金融政策が行われていたことになるさらに鎮目では GDP ギャップの係数は 31

年までは正であり景気変動抑制的だったが32 年以降は負となり景気変動を拡大する

ような金融政策が行われていたことになる本稿の GDP ギャップの係数も正から負に変わ

っているただしいずれにしろその係数は小さいので景気変動を抑制するように金融

政策が行われていたとは言えない

以上の結果はむしろ戦間期の金融政策は金融政策は国内の経済安定に重点を置い

て物価と景気を見ながら行うべきというテイラールールでは説明することが難しいと解

釈すべきだろうこれは鎮目の結果とも共通しているそこで次に戦間期の金融政策は

経常収支為替レートの安定など対外均衡に重点を置いて行われていたのではないかと

いう常識に従いテイラールールを拡張して金融政策が経常収支や金外貨準備や海外

金利にも影響されて行われていたとする鎮目[2002]はテイラールールに金外貨準

備海外金利経常収支資本収支を加えている月次で資本収支(およびその代理変数)

のデータを得ることはできなかったので我々の推計式は鎮目[2002]を参考に

1 2 3 4 5 6( ) (1 )tar

t t t t t t t t ti r x TB S NYP fori reserveβπ β π α α α α α α ε= minus + + + + + + + + +

(4)

とする

ここで月次の経常収支はデータが得られないため輸出入の差を名目GDPで割った貿易収

支比率TBを使用している(ここで用いている名目GDPは鉱工業生産指数times卸売物価指数で

ある)貿易収支比率は実際の名目GNPで修正している7またSは為替レートの変化率を

7貿易収支比率 TBは具体的には以下である

1928t1928 GNP( ) 100

1928 t GDP( )GDP( ) 1928

tTB = times times

年の貿易収支合計

期の貿易収支年の名目 大川推計

月次貿易収支の 年平均 期の名目 の代理変数

月次名目 の代理変数 の 年平均

19

示しており値が増えるのが円高である8ニューヨーク物価NYPはニューヨークの卸売物価

指数の前年同月変化率()であるforiは外国の市中金利()を示しニューヨーク金利

あるいはロンドン金利のいずれかである貿易収支が赤字に円の為替レートが下落すれ

ば金利は引き締められるニューヨークの物価が下落すれば日本の金融も引き締めざ

るを得ないニューヨークまたはロンドンの金利に追随するしかないと考える正貨

reserveは金本位制であればこれが増大すれば金融を緩和し減少すれば金融を引き締め

ることになる(ただし正貨は21年3月から29年3月までのデータしかない)また正貨は

1924年1月から11月1925年289月のデータが欠損しているので線形補間によってデ

ータを補っている9

符号条件は貿易収支比率為替レート変化率ニューヨーク物価上昇率正貨が負

ニューヨークおよびロンドンの金利が正である

以上で為替レートニューヨーク物価が鎮目[2002]の分析に対し新たに追加した変

数である

ここで新しく追加した変数貿易収支比率と為替レートと名目GDPの代理変数とニュー

ヨーク物価とニューヨーク金利とロンドン金利と正貨準備を図7図8図9に示してお

くここで名目GDP(その代理変数)は鉱工業生産times卸売物価指数である

8第1節と同じように為替レートの水準は 100 円当たりのドルで表しているので変化率

に修正しても値が大きくなると円高を示すことになる 9 また日本銀行調査局『本邦経済統計』では1922 年 11 月の正貨準備高の値が 1386957540円と記載されているが前後月の数値から判断して 1836957540 円の誤記と推測し修正を加

えている

20

図 7 コールレートニューヨーク市中金利ロンドン市中金利

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

200

0

2

4

6

8

10

12

14

16

18

コールレート(右軸) ニューヨーク市中金利(右軸) ロンドン市中金利(右軸)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

図 8 貿易収支比率為替レート変化率名目 GDP(対数値)

0

2

4

6

8

10

12

14

-50

-40

-30

-20

-10

0

10

20

30

貿易収支比率 為替レート変化率 名目GDP

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

21

図 9 正貨準備高ニューヨークインフレ率

0

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

-60

-40

-20

0

20

40

60

正貨(単位億円) ニューヨークインフレ率(卸売り物価指数)

なお追加した説明変数貿易収支比率為替レートニューヨーク物価ニューヨー

ク金利ロンドン金利正貨準備が独立でないという問題があるうちニューヨーク金

利とロンドン金利は同時には入れず他の変数と代替的に入れることとするそれでも

貿易収支比率と為替レートが独立ではないという問題があるかもしれない単純に為替

レートが割安であれば経常収支が黒字に動き割高であれば経常収支が赤字に動くという

メカニズムによって為替レートと経常収支が独立ではないということになる

また為替レート関数の推計において自国と他国の物価マネーサプライ金利生

産に加えて経常収支またはその累積を説明変数に入れるのが通常であることを考えれ

ば当然に問題となるしかし多くの推計で為替レートに対して経常収支またはそ

の累積の説明力はそれほど高くはない10

ちなみに変数間の相関行列を取ると表5のようになる(推計期間は正貨を含む変数間

は 1919 年から 1929 年 3 月それ以外の変数間は 1919 年 1 月 1936 年 12 月まである)貿

易収支比率と為替レートの相関を取ると相関係数は 0029 でありマルチコリニアリティ

10 深尾[1983] (167 頁)は日本の米国に対する 100 億ドルの経常黒字は 64の円高ドル

安要因になるとしているこれは大きな効果だがその後の推計によると経常収支黒字が円高

をもたらす効果は大きくはない河合[1986](第 94 表214 頁)によれば経常収支累積額が

1の上昇は実質為替レートを 0068~0163上昇させるにすぎないその後も同様の推計

がなされているが(経済企画庁[1997]第 1-2-1 図③経済企画庁[1999]付図 1-5-2原田[2004])いずれの推計においても経常収支が為替レートに与える影響は大きなものではない

22

の問題は避けられていると判断できる当時のデータで為替と貿易収支の相関が弱い理

由として金解禁への動きが度々予想されていたので為替レートが貿易など実態経済

の状況にかかわらず高騰していたこともあげられる表 5 から説明変数間で(被説明変

数のコールレートを除く)相関係数の絶対値が 04 以上のものを上げると卸売物価と GDP

ギャップ卸売物価とニューヨーク卸売物価GDP ギャップとニューヨーク卸売物価ニュ

ーヨーク金利とロンドン金利貿易収支比率とコールレートがそうである卸売物価と GDP

ギャップはテイラールールの基本的な説明変数なので両者をともに入れるがニューヨ

ーク金利とロンドン金利については代替的にも推計することとする

表5 拡張テイラールールで使用された変数の相関行列

コールレート

インフレ率GDPギャッ

プ貿易収支比

率為替変化

率NYインフレ

率NY金利

ロンドン金利

正貨準備変化率

コールレート 1000 0222 0293 -0441 -0112 0082 0437 0264 -0113

インフレ率 1000 0437 0046 -0024 0482 0198 -0340 -0005

GDPギャップ 1000 -0056 0205 0605 0246 -0119 0042

貿易収支比率 1000 0029 0189 -0182 -0252 0183

為替変化率 1000 0259 0023 0019 0058

NYインフレ率 1000 -0071 -0378 -0084

NY金利 1000 0649 0291

ロンドン市中金利 1000 0092

正貨準備変化率 1000

32 拡張テイラールールの推計結果

推計期間は貿易収支が入手可能な1926年1月から1936年12月までの全期間と上述の(2)

式と比較するために1931年12月までとそれ以降の期間とする推計結果は表6の通り

である推計については上記3つの推計期間において 小二乗法を行っている新しく追

加した変数貿易収支比率為替レートの変化率ニューヨーク卸売物価上昇率ニュー

ヨーク金利ロンドン金利正貨準備の変化率の単位はである推計に当たっては系

列相関が疑われるためNewey-Westの方法によって標準誤差の修正を行っている

23

表6 拡張テイラールールの推計結果

係数 係数 係数 係数

定数項 r-βπ tar 3155 2980 定数項 r -βπ tar 5780 6596 (10072) (6939) (12603) (13464)

インフレ率 1+β 0008 0027 インフレ率 1+β 0041 0025

(0552) (1600) (1957) (1399)

GDPギャップ α 1 0036 0057 GDPギャップ α 1 0090 0083

(1156) (1798) (2584) (2412)

貿易収支比率 α 2 -0105 -0106 貿易収支比率 α 2 -0053 -0054

(5627) (4937) (2671) (3396)為替変化率 α 3 -0109 -0110 為替変化率 α 3 -0062 -0051

(3782) (3755) (1345) (0998)

NYインフレ率 α 4 0014 0011 NYインフレ率 α 4 0014 0012

(0820) (0645) (0651) (0682)

NY金利 α 5 0212 NY金利 α 5 -0133

(3002) (1599)

ロンドン金利 α 5 0399 ロンドン金利 α 5 -0466

(2870) (3071)R2 0397 0375 R2 0468 0503

自由度調整済みR2 0380 0357 自由度調整済みR2 0447 0483

標準誤差 1520 1548 標準誤差 1375 1329

DW統計量 0568 0531 DW統計量 0700 0794

係数 係数

定数項 r-βπ tar 2703 2617

(6657) (26032)

インフレ率 1+β -0018 -0016

(1920) (2396)

GDPギャップ α 1 -0052 -0059

(2353) (5464)

貿易収支比率 α 2 -0031 0004

(1779) (0381)

為替変化率 α 3 -0007 0028

(0423) (1526)

NYインフレ率 α 4 -0017 -0024

(3808) (5526)

NY金利 α 5 0423

(1421)

ロンドン金利 α 5 0742

(7283)

R2 0797 0899自由度調整済みR2 0774 0887

標準誤差 0443 0313

DW統計量 0757 0925

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とそれぞれの金利だけである

どちらの推計でもこれらの有意な変数は符号条件を満たしているインフレ率とGDPギャ

24

ップは5有意ではなくなり単純テイラールールでも小さかった係数はさらに小さ

くなるこれに対して貿易収支比率の係数は貿易収支比率が10ポイント分マイナス

に動けば1金利を引き上げることであるからある程度貿易収支に反応して金融政策

を行っていたと言えるだろう為替変化率の係数は為替レートが10下落したら金利

を1引き上げることであるからこちらもある程度は為替レートに反応して金融政策を

行っていたとも言えるだろうニューヨーク金利とロンドン金利が1上昇すると国内金

利をそれぞれ0204引き上げるということになっている

1926年1月から1931年12月までの推計ではニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれ

を用いた推計でも5で有意な変数はGDPギャップと貿易収支比率とロンドン金利であ

るがロンドン金利は符号条件を満たしていないGDPギャップは有意であるがその係数

は単純テイラールールの推計と同様に小さい貿易収支比率の係数は貿易収支比率で

10ポイント分赤字が増えれば金利を05引き上げることであるからある程度は貿易

収支に反応して金融政策を行っていたと言えるかもしれない

さらに1932年1月から1936年12月までの推計では物価GDPギャップニューヨーク物

価ロンドン金利が5で有意であるGDPギャップニューヨーク物価は符号条件を満た

していないロンドン金利は符号条件を満たしその係数も074と大きく日本の金融政

策はロンドンに追随して行われていたことになる

金本位制を意識して行われていたときには金融政策は対外均衡に重点を置き金本位

制を離脱した後はロンドンの金利に追随していたことになる日本の金融政策が英国

の金融政策に追随していたことは鎮目[2009]第2章の結果とも整合的である

さらに表7は以上の変数に正貨を追加したものであるデータの制約により1919年1

月から29年3月までしか推計できないのでこれは金本位制を意識して金融政策が行われて

いた期間の金融政策を評価していることになる

25

表7 (3)式の拡張テイラールールの推計結果(正貨準備の変化率追加)

係数 係数定数項 r-βπ tar 5431 7511

(7602) (8642)インフレ率 1+β 0028 0024

(1209) (1264)GDPギャップ α 1 0147 0095

(2352) (1698)貿易収支比率 α 2 -0050 -0034

(2522) (2089)為替変化率 α 3 0016 0097

(0173) (0989)NYインフレ率 α 4 0004 -0004

(0166) (0224)NY金利 α 5 -0071

(0665)ロンドン金利 α 5 -0662

(2795)正貨準備の変化率 α 6 -0071 -0087

(0796) (1138)R2 0410 0471自由度調整済みR2 0374 0438標準誤差 1451 1375DW統計量 0808 0934注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

正貨を追加した推計結果ではGDPギャップ貿易収支比率ロンドン金利が有意である

GDPギャップ貿易収支比率は符号条件を満たしているがロンドン金利は満たしていない

表7の1919年から31年の推計結果に比べてGDPギャップの係数の値は大きくなるが景気

安定化効果が大きかったとまでは言えない貿易収支の係数はほとんど変らず貿易収支

の状況を念頭に入れて政策を行っていたと言えるだろうロンドン金利符号が逆で海外

金利が下がると金利を上げるという結果になっている

以上の結果を鎮目[2002]と比べる鎮目は金外貨準備英国の短期金利経常収支

資本収支をテイラールールの式に追加していずれの変数も有意ではなかったと報告し

ているが本稿では追加した変数のうち貿易収支ニューヨーク金利(特にロンドン

金利)が符号条件を満たして有意になっている場合が多く対外均衡を意識した金融政策

が行われていた可能性を示唆している

33 拡張テイラールールに関する政策反応ラグ

以上の拡張テイラールールの推計では貿易収支比率為替変化率ニューヨークイ

26

ンフレ率ロンドン金利を追加したものが良好な推計結果をもたらしたそこで拡張テ

イラールールに関する政策反応ラグを考慮するために以上の変数に加えて被説明変数

の 1期ラグを追加したものを推計する11結果は表8のようになる

表8 拡張テイラールールの金利ラグ付き推計

係数 係数 係数 係数定数項 r-βπ tar 0623 0565 定数項 r-βπ tar 1806 2223

(3922) (3134) (3861) (3396)インフレ率 1+β -00001 0003 インフレ率 1+β 0012 0007

(0023) (0552) (1190) (0761)GDPギャップ α 1 0019 0023 GDPギャップ α 1 0044 0043

(1589) (1875) (2072) (2007)

貿易収支比率 α 2 -0024 -0023 貿易収支比率 α 2 -0019 -0020

(2312) (2239) (1514) (1767)

為替変化率 α 3 -0026 -0025 為替変化率 α 3 -0048 -0045

(1984) (2069) (1607) (1430)

NYインフレ率 α 4 -0002 -0002 NYインフレ率 α 4 -0004 -0004

(0277) (0388) (0337) (0389)NY金利 α 5 0040 NY金利 α 5 -0044

(1532) (1193)

ロンドン金利 α 5 0075 ロンドン金利 α 5 -0163

(1447) (1703)コールレート1期ラグ 0796 0802 コールレート1期ラグ 0680 0657

(18638) (20579) (9505) (8112)R2 0789 0788 R2 0707 0711自由度調整済みR2 0782 0781 自由度調整済みR2 0693 0697標準誤差 0902 0904 標準誤差 1023 1016DW統計量 2581 2574 DW統計量 2408 2415

係数 係数

定数項 r-βπ tar 0527 0900 (2552) (3391)

インフレ率 1+β -0004 -0005(1594) (1249)

GDPギャップ α 1 -0006 -0014

(1174) (1562)

貿易収支比率 α 2 -0001 0010

(0135) (1064)

為替変化率 α 3 0005 0019

(0542) (1247)

NYインフレ率 α 4 -0003 -0008

(1971) (2116)

NY金利 α 5 -0022

(0557)

ロンドン金利 α 5 0386

(3052)コールレート1期ラグ 0833 0608

(9986) (6019)R2 0934 0957自由度調整済みR2 0925 0951標準誤差 0255 0207DW統計量 2478 2362

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

11 単純テイラールールでは説明変数のラグを加えたがここではあまりにも煩雑になること

と単純テイラールールで被説明変数の 1 期ラグが重要であったことから被説明変数の 1 期

ラグのみを追加した

27

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とコールレートの1期ラグであ

る貿易収支比率と為替変化率のどちらの係数も符号条件を満たしているがコールレー

トの1期ラグがない場合と比べて係数の値は小さくなっているただしこの推計をコイ

ック型と考えて係数の長期の値を(1-コールレートの1期ラグの係数)で除すことによっ

て求めれば1期ラグがない場合の係数よりもかなり大きくなる

1926年1月から1931年12月までの推計ではGDPギャップとコールレートの1期ラグのみが

有意となるGDPギャップの長期係数を求めても値は小さいこの期間では金利を安定的

に維持することに金融政策が使われていたと言えるだろう

1932年1月から1936年12月までの推計では有意なものはロンドン金利とニューヨークイ

ンフレ率とコールレートの1期ラグとなってしまうニューヨークインフレ率は符号条件を

満たしているがその係数は小さいロンドン金利の係数は大きく日本の金融政策はロ

ンドンに追随して行われていたことになる

コールレートの1期ラグを入れるといずれの期の金融政策も金利の平準化の要素が大き

いと判断される金本位制を意識して行われていたときには金融政策はある程度は対外

均衡を考えていたようである金本位制を離脱した後はロンドンの金利を考慮していた

ようである

さらに表9は以上の変数に正貨を追加したものである(データの制約により1919年1

月から29年3月までの推計)これは金本位制を意識して金融政策が行われていた期間の金

融政策を評価していることになる

28

表9 正貨準備高の変化率を加えた場合

係数 係数定数項 r-βπ tar 1723 2771

(3126) (2898)インフレ率 1+β 0004 0005

(0356) (0518)GDPギャップ α 1 0088 0072

(2641) (2442)貿易収支比率 α 2 -0023 -0018

(1664) (1321)為替変化率 α 3 -0025 0008

(0544) (0189)NYインフレ率 α 4 -0007 -0010

(0617) (0924)NY金利 α 5 -0012

(0255)ロンドン金利 α 5 -0239

(1470)正貨準備の変化率 α 6 0001 -0005

(0013) (0079)コールレートの1期ラグ 0644 0603

(7451) (6371) R2 0652 0659自由度調整済みR2 0628 0635標準誤差 1119 1107DW統計量 2450 2452注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

有意なものはGDPギャップとコールレートの1期ラグであるGDPギャップは符号条件

を満たしている長期の係数を取ってもその係数は大きいとは言えない

34 対外均衡と対内均衡

対外均衡に重点を置いた金融政策を行うとは経常収支赤字や為替レート下落や外貨準

備の減少に対して金利を引き上げるというルールに従って金融政策を行うことである

通常であれば金本位制の下で国内がインフレになり競争力を失ったり景気が過熱

して輸入が増大したときには経常収支赤字や為替レート下落や外貨準備の減少が起きる

だろう経常収支の赤字や外貨準備の減少が起きたときには金融を引き締めるというルー

ルは国内がインフレになったり景気が過熱したときには引き締めるというルールでも

あるしたがって対外均衡に重点を置くことが国内均衡を必ず妨げるというわけではな

いこれは逆の場合も真実であるしかし1910 年代日本の経常収支や外貨準備は国

内の景気要因で変化したわけではない第 1 次世界大戦によって外需が増加し経常収支

29

が黒字となり外貨準備が増えた金本位制のルールに従って金融政策は緩和されマ

ネタリーベースは 1919 年 1 月から 1920 年 4 月までに 16 倍に増加した輸出超過の国は

金融緩和することによって輸入超過の国の不況を和らげることができる日本は金本

位制の正しいルールに基づいて金融を緩和しただけであるしかし戦争がおわりその

復興需要もなくなったとき経常収支は赤字となり外貨準備は減少したしかしかつ

て金準備に依存して増大していたマネタリーベースはそのままだった失われた外貨準備

に対してマネタリーベースを減少させなければならなかったしかし23 年までマネタリ

ーベースは増大し続けていた関東大震災という不幸もあってマネタリーベースを減少

させることはできなかったその後25 年まで引き下げていたが27 年には金融恐慌があ

りマネタリーベースを削減することができなかったその後28 年までマネタリーベ

ースはむしろ拡大していた29 年には金本位制復帰を目指してマネタリーベースを急減さ

せるがその結果は激しいデフレと不況だった

そもそも国内要因の変化によらない金準備の増加に対してマネタリーベースを拡大し

たことが誤りだった金本位制からの離脱は1917 年ではなくて欧米諸国が離脱した

1914-15 年になすべきだったそうであれば1910 年代末までのマネタリーベースの急増

はなかっただろうところが実際には金本位制から離脱したにも関わらず1920 年にか

けてマネタリーベースは拡大していた1920 年代からは失われた金準備に対してマネタリ

ーベースを削減することが試みられるようになるしかしそれは関東大震災や金融危機

によって頓挫するむしろマネタリーベースを削減するという試みがデフレと不況をも

たらしそれゆえに不良債権が増大してしまったということではないだろうか

35 小括1‐テイラールールの推計から得られた知見

以上のことから考えて1920 年代から 30 年代にかけては金融政策はインフレまたはデ

フレ促進的な政策を行っていた対外均衡にはある程度考慮した金融政策を行っていたこ

とが分かる

しかし1920 年代には金本位制に復帰するという政策が課題となっていたはずである

20 年代がデフレ促進的また対外均衡にある程度考慮した政策を行っていたことはこの

課題にとっては正しいものだろうしかし現実に採られたデフレ促進策では不十分だっ

た物価は旧平価で金本位制に復帰できるほど下がっていなかったのだからまた32 年

以降の金融政策についてもなぜ 32 年から急速な回復ができたのかそれと金融政策とは

どのよう関係しているかは分析できていない

これについて飯田岡田[2004]は昭和恐慌からの回復はデフレ脱却による実質金利

の下落が重要であって名目金利の低下は重要でなかったと分析しているこれによれば

名目金利の変化で金融政策の変化を見ることはできないことになるしたがって名目金

利の変化に着目するテイラールールでは31 年 12 月以降の高橋是清蔵相の金融政策の意

味を理解できないことになる

30

また金融政策が物価および景気安定を意図していなかったら何を意図していたのだ

ろうか本稿での結論は為替レートや経常収支に視点を置いた対外均衡を意識していた

ということになる

いずれにしろテイラールールだけでは戦前期の金融政策を十分には理解できない

ことになるそこで戦前期の金融政策を別の方法で評価してみよう

4マッカラムルールによる金融政策の評価

41 マッカラムルールの意味と定式化とデータ

以下ではマッカラムルールで戦間期の金融政策を評価することにするマッカラム

ルールを用いて金融政策の在り方を判断した研究としてはマッカラム自身の分析を始め

として多くのものがある(例えばMcCallum[1987][1988]マッカラム[1997]第 15 章)

日本のデータを用いたものにおいても McCallum[1987]岡田飯田[2004]などがあるし

かし日本の戦前期についてはおそらく安達[2006](第7章)しかないと思われる安

達は年データを用い目標値として設定された名目 GNP 成長率(5と設定している)

を達成するためのマネタリーベースを求め現実のマネタリーベースの成長率が 1936 年ま

で過小でそれ以降過大であることを示している本稿では月次データを用いているので

期間ごとの金融政策の在り方も検討することができる

マッカラムルールとはマネタリーベースの成長率を名目GDPの望ましい成長率に

依存させるルールである(McCallum[1987]マッカラム[1997]第 15 章)しかし貨幣の

流通速度 vは変化するので貨幣の流通速度の変化に応じてマネタリーベース bの動きを調

整することが必要となるこのようなルールはbvなどを対数値として望ましいマネタ

リーベースの成長率⊿bをマネタリーベースの流通速度Δvに応じて変化させるというルー

ルであるただしvは景気変動によって大きく変動しているのでそれが技術的な変化と

見なせる 2 年間の平均値 tvΔ であるとする12すなわちマッカラムルールに基づくマネタ

リーベースの成長率とは

tbΔ =マネタリーベースの望ましい成長率- tvΔ

であるここでマネタリーベースの望ましい成長率はサンプル期間(1919 年 1 月から 1933

年 12 月まで)のマネタリーベースの平均成長率とする13マッカラムはマネタリーベース

の望ましい成長率を名目 GDP の成長率としているがここではまずこの期間の経済を再現

することを目的としているので現実のマネタリーベースの成長率を採用したマネタリ

12 マッカラム(1997)第 15 章では流通速度として 4年平均を使用しているが本稿ではサンプル

期間が短いため 2年平均としている 13 サンプル期間は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月であるがマネタリーベースの流通速度の平

均値作成のため 初の 24 か月が失うのでここで計算された望ましいマネタリーベースの成長

率は 1921 年 1 月から 1933 年 12 月までの平均となっている

31

ーベースの動きを図 10 に示しているマネタリーベースは季節性が強いので季調値も図示

しているなお前述のように戦前期の月次名目 GDP のデータは存在しないのでIIP に

卸売物価を掛けたものを名目 GDP の代理変数とする(ここで使うデータの定義と出所は前

掲の表1にある)

図 10 マネタリーベース(原数値と季節調整値)の動き

0

50000

100000

150000

200000

250000

19191

19197

19201

19207

19211

19217

19221

19227

19231

19237

19241

19247

19251

19257

19261

19267

19271

19277

19281

19287

19291

19297

19301

19307

19311

19317

19321

19327

19331

19337

観察されたベースマネー(単位万円) 季節調整済マネタリーベース(単位万円)

作成されたマネタリーベースの成長率は1919 年 1 月から 33 年 12 月までで年率 12

月次では 01となるすなわち

tbΔ =0001- tvΔ

ここで考察する期間を 1919 年 1 月から 33 年 12 月までとしたのは34 年以降の GDP の伸び

が大きすぎトレンドの作成において歪みを生じさせるからであるまた33 年は昭和恐

慌から脱却し経済が安定していた時期でもある

さらに名目 GDP が何らかのショックによって平均的な成長経路よりも上回った時に

はマネタリーベースの伸び率を低下させるようなルール(下回った場合は逆)を導入し

ようすなわち

tbΔ =0001-

1 1( )t t tv y yλ minus minusΔ + minus

32

となるただし目標値

1ty minus は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月までの月次平均成長率 04

成長経路での名目 GDP の対数値であるまたマッカラムによればλは四半期データで 025

が望ましいとされているがここでは月次データを使用しているのでとりあえず 12 分の 1

とすることを考えたがこの期間の名目 GDP は戦後の日米名目 GDP のデータより大きく変

動しているのでさらに小さくする必要があるマッカラムも「λの値を選択する場合

もし間違えるとすれば小さな値を採るほうがよい」(マッカラム[1997]308 頁)としている

そこでλは 36 分の1とした 終的なルールは

tbΔ =0001-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (5)

となる

マッカラムは望ましいインフレ率をゼロとするマネタリールールを求めているがこ

こでは実際には大きく変動したマネタリーベースを安定的に動かしていたらどうなったか

を考えることにしているので名目 GDP の動きは現実のものを使いルールにもとづくマ

ネタリーベースと実際のマネタリーベースをまず比較することにする

次に名目 GDP の決定に関する次のようなモデルを 小二乗法により推計する結果は

1 1 2 3

2

0004 0295 0053 0110 0106 0071 - 0069 23- 0046 27(1596) (3634) (1054) (1404) (2300) (1831) (6731)

R 0109 SE=0029 BG(24)=33227

(1822) t t t t t t ty y b b b b dummy dummy eminus minus minus minusΔ = + Δ + Δ + Δ + Δ + Δ +

=

(6)

となる14但し yΔ は名目 GDP の変化率 bΔ はマネタリーベースの成長率dummy23 は関東

大震災の時の一時的な変動をとらえるために 1923 年 9 月を 1それ以外を 0 としたダミー

変数dummy27 は金融恐慌時の一時的な変動をとらえるために 1927 年 4 月 5 月を 1それ

以外を 0としたダミー変数サンプル期間は推計に使用する変数が全て揃う 1921 年 1 月か

ら 1933 年 12 月までまたここでの残差 te は攪乱項の推定値2R SE BG(p) はそれぞれ

自由度修正済み決定係数攪乱項の標準誤差p 次の Breuch-Godfrey テストのχ二乗統計

量( )内は Newey-West の方法により修正した t値を示している15

ここで当時マッカラムルールなどという議論がなかったのだからこのような分

14 ここでは bΔ は現実のマネタリーベースの成長率を使用して推計を行っている 15 研究の対象期間は 1919 年 1 月からであるが平均流通速度 tvΔ の計算のために 初の 24 ヶ

月分が使用できないそのため他のシミュレーションの対象期間と整合性を保つため 1921 年 1

月からとしているまたこの推計式にはラグ付き内生変数を含むためダービンワトソンテスト

ではなく Breush-Godfrey テストを報告しているこの Breush-Godfrey テストから系列相関が疑

われるためNewey-West の方法により標準誤差を修正している

33

析は意味がないという批判があるかもしれないがこれにはテイラールールの節で述べ

たのと同じ反論が可能であるマッカラムルールとは名目 GDP が上昇しすぎたら(そ

のときには景気が過熱するかインフレが高進していると考えられる)マネーを縮小し

名目 GDP が下降しすぎたら(そのときは景気が悪化するかデフレになっている)マネーを

拡大するという素朴なルールである当時このようなルールが意識されていなかったと

は考え難い

42 長期的な経済を再現するシミュレーション

まずマッカラムルールによって現実の長期的な経済の経路を再現してみようルー

ルにもとづくマネタリーベースと実際のマネタリーベースのレベルと成長率とを図

11(1)(2)に示す

政策ルール(5)式が実施された場合の名目 GDP(の代理変数)の動きを見るために(5)式

から得られる理論値 tbΔ (6)式の残差 te 初期値 1ty minusΔ に目標 GDP

1ty minusΔ を代入してマ

ッカラムルールに従った場合の名目 GDP y の系列を求める現実の xとマネタリーベース

のルールに従った場合の y の系列を比べてみたのが図 11-(3)である図 11-(3)からマ

ネタリーベースのルールに従った場合の y の系列が安定していることが分かるこのよう

に安定的な名目 GDP の系列を得るためには第 1 次世界大戦後の金融引締めが過大で20

年代初期の金融緩和が過大30 年の金融引締めが過大だったと判断される

図 11 マッカラムルール

(1)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

34

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT MBDOT

注)BDOT はマッカラムルールの下でのマネタリーべースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(2)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

35

100000

120000

140000

160000

180000

200000

220000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC MB_SA

注)MB_SA はマネタリーベース(季節調整済)の現実値

B_MC はマッカラムルールに従った場合のマネタリーベース水準

またマッカラムルールの下でのマネタリーベースの初期値は現実値を使用

単位は万円

(3)マッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

36

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULE XSTAR X

注)GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

43 物価を下落させるシミュレーション

以上の結果はマネタリーベースの伸びを安定的にしていれば経済変動はより少なく

なっていただろうということを示しているしかしもし第 1 次世界大戦前の旧平価で金

本位制に復帰することが目的であったとしたら1節で述べたように物価を 3 割下げな

ければならない名目 GDP(その代理変数)は実質 GDP の変化がないとして1919 年 12

月から 29 年 12 月までに 3割下がらなければならない

そこで名目 GDP(その代理変数) y は現実の値よりも毎月 03ずつ低下しなければ

ならないので(5)式の定数項 0001 から 0003 を引いて-0002 とするすなわち

tbΔ =-0002-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (7)

とならなければならないここでの系列 y も実際の値から毎月 03ずつ引き下げたも

のを使っているつぎに(7)式の bを(6)式に入れると図 12 のようになる図に見られるよ

うに名目 GDP は安定しかつ小さくなっているすなわち物価が 3 割下落していること

が分かる

37

図 12 物価を下落させた場合

(1) 名目 GDP の目標値とマッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULEXSTAR

XGDP3_RULE

XSTAR_3

注) GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

GDP3_RULE は物価を 3割下げたマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR_3 は物価を 3割下げた場合の目標となる名目 GDP(対数値)

38

(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

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  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 16: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

15

その係数は小さいので効果も小さかったと思われる

これらの結果を鎮目[2002]と比べるとインフレ促進的またデフレ促進的な政策が行

われていたということについては共通しているGDP ギャップについて 32 年以降マイナス

になるというのも鎮目と共通であるただし本稿の推計した係数値は鎮目に比べてき

わめて小さい

242 区間分けについての確認

これまでの期間分割は暫定的なものであったこの区間分割が合理的なものであるかを

どうかを確認するために逐次回帰法(recursive least squares)を行った結果が図6で

ある6

図6で 1+βαの動きをみると30 年以降に大きく動いておりこの期間分けは合理的

なものだったと分かる

図 6 逐次回帰推計

-08

-04

00

04

08

12

16

1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1934 1936-1

0

1

2

3

4

1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1934 1936

25 政策反応までのラグ

これまでの分析は当期の物価景気貿易収支為替が金融政策に影響を及ぼすとし

ていたしかし為替はともかく物価景気貿易収支については認知のラグがあり

また経済情勢を慎重に見極めながら政策を行っていると考えられるそこでここでは次

のようなモデルについて推計を行うことにする

6 ここで使用した逐次回帰法は推計期間として 1から説明変数の個数より大きいサンプル数を

選び係数を推計し次は 終期を 1期追加して係数を推計といった手順を繰り返す手法である

詳しくは森棟(1999)4 章を参照のこと

1+β α

16

1 1

1 1

0 0

( ) (1 )tart p t p q t q t t

p q

i r x iβπ β π α λ εminus minus minus= =

= minus + + + + +sum sum (3)

ここでは p=0 q=0 のケースp=0 q=1 のケースp=1 q=0 のケースp=1 q=1 の

ケースについて推計を行った結果自由度修正済み決定係数および赤池情報基準によって

モデルを選択すると全期間を対象とした場合は p=1q=0金本位離脱以前を対象期間に

した場合では p=q=1金本位離脱以降を対象とした場合では p=0 q=0 が選択されるした

がってここでは各期間において選択されたラグ(pq)に従って推計を行うスペースの節約

のため選択されたモデルの結果のみを表4に示す推計方法は 小二乗法を使用して

いる

17

表4 政策反応までのラグ

(1)全期間1919年1月~36年12月

(p=1q=0)

係数

定数項 r-βπ tar 0612

(3895)

当期インフレ率 (1+β )0 0042

(2220)

前期インフレ率 (1+β )1 -0047

(2463)

当期GDPギャップ α 0 0042

(2436)

前期の金利 λ 1 0867

(28290)

R2 0789

自由度調整済みR2 0785標準誤差 0895

DW統計量 2756

(2) 金本意離脱前1919年1月~31年12月(3) 金本意離脱後1932年1月~19年12月

(p=1q=1) (p=0q=0)

係数 係数

定数項 r-βπ tar 1392 定数項 r -βπ tar 0364 (3907) (2348)

当期インフレ率 (1+β )0 0076 当期インフレ率 (1+β ) -0002

(3149) (1048)

前期インフレ率 (1+β )1 -0066 前期インフレ率 (1+β )1

(2682)

当期GDPギャップ α 0 0022 当期GDPギャップ α 0 -0004

(0661) (0321)

前期GDPギャップ α 1 0009 前期GDPギャップ α 1

(0338)

前期の金利 λ 1 0748 前期の金利 λ 1 0867

(12691) (15181)

R2 0719 R2 0933

自由度調整済みR2 0710 自由度調整済みR2 0929

標準誤差 0997 標準誤差 0248

DW統計量 2643 DW統計量 2594

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法

によって修正を加えている

表4(1)の全期間を対象とした場合全ての変数が5で有意であるまた1+β の推計値か

ら計算されたβ は全て負となりインフレまたはデフレ促進的な政策が行われていたと解

釈されるGDPギャップについてはα が正であるが係数の値は非常に小さい一方金利

の平準化の程度を示す 1λ の係数は大きい

金本位制離脱以前の推計結果表 4(2)ではGDP ギャップの係数以外が有意である推計

18

された係数の値をみるとこの時期のβ も表 4(1)の全期間を対象とした値とあまり変わ

らないが 1λ はやや小さくなっているこの時期政策策定者は金利を平準化しつつイン

フレを促進するような政策をとっていた可能性がある

後に金本位制離脱以後の推計結果表 4(3)からは 1λ 以外は有意ではない

すなわち全期間を通していえることは金利の平準化の要素が強くまたインフレおよび

デフレを是認あるいは促進的な政策となっていた係数の値はいずれも小さくλの係数

をコイック型のラグと考えてそれぞれの係数を 1(1-λ)倍しても小さい

3拡張テイラールール

31 拡張テイラールールの定式化先行研究データ

これまでの結果は物価については鎮目[2002](図表7)とも共通であり物価を不安

定にする金融政策が行われていたことになるさらに鎮目では GDP ギャップの係数は 31

年までは正であり景気変動抑制的だったが32 年以降は負となり景気変動を拡大する

ような金融政策が行われていたことになる本稿の GDP ギャップの係数も正から負に変わ

っているただしいずれにしろその係数は小さいので景気変動を抑制するように金融

政策が行われていたとは言えない

以上の結果はむしろ戦間期の金融政策は金融政策は国内の経済安定に重点を置い

て物価と景気を見ながら行うべきというテイラールールでは説明することが難しいと解

釈すべきだろうこれは鎮目の結果とも共通しているそこで次に戦間期の金融政策は

経常収支為替レートの安定など対外均衡に重点を置いて行われていたのではないかと

いう常識に従いテイラールールを拡張して金融政策が経常収支や金外貨準備や海外

金利にも影響されて行われていたとする鎮目[2002]はテイラールールに金外貨準

備海外金利経常収支資本収支を加えている月次で資本収支(およびその代理変数)

のデータを得ることはできなかったので我々の推計式は鎮目[2002]を参考に

1 2 3 4 5 6( ) (1 )tar

t t t t t t t t ti r x TB S NYP fori reserveβπ β π α α α α α α ε= minus + + + + + + + + +

(4)

とする

ここで月次の経常収支はデータが得られないため輸出入の差を名目GDPで割った貿易収

支比率TBを使用している(ここで用いている名目GDPは鉱工業生産指数times卸売物価指数で

ある)貿易収支比率は実際の名目GNPで修正している7またSは為替レートの変化率を

7貿易収支比率 TBは具体的には以下である

1928t1928 GNP( ) 100

1928 t GDP( )GDP( ) 1928

tTB = times times

年の貿易収支合計

期の貿易収支年の名目 大川推計

月次貿易収支の 年平均 期の名目 の代理変数

月次名目 の代理変数 の 年平均

19

示しており値が増えるのが円高である8ニューヨーク物価NYPはニューヨークの卸売物価

指数の前年同月変化率()であるforiは外国の市中金利()を示しニューヨーク金利

あるいはロンドン金利のいずれかである貿易収支が赤字に円の為替レートが下落すれ

ば金利は引き締められるニューヨークの物価が下落すれば日本の金融も引き締めざ

るを得ないニューヨークまたはロンドンの金利に追随するしかないと考える正貨

reserveは金本位制であればこれが増大すれば金融を緩和し減少すれば金融を引き締め

ることになる(ただし正貨は21年3月から29年3月までのデータしかない)また正貨は

1924年1月から11月1925年289月のデータが欠損しているので線形補間によってデ

ータを補っている9

符号条件は貿易収支比率為替レート変化率ニューヨーク物価上昇率正貨が負

ニューヨークおよびロンドンの金利が正である

以上で為替レートニューヨーク物価が鎮目[2002]の分析に対し新たに追加した変

数である

ここで新しく追加した変数貿易収支比率と為替レートと名目GDPの代理変数とニュー

ヨーク物価とニューヨーク金利とロンドン金利と正貨準備を図7図8図9に示してお

くここで名目GDP(その代理変数)は鉱工業生産times卸売物価指数である

8第1節と同じように為替レートの水準は 100 円当たりのドルで表しているので変化率

に修正しても値が大きくなると円高を示すことになる 9 また日本銀行調査局『本邦経済統計』では1922 年 11 月の正貨準備高の値が 1386957540円と記載されているが前後月の数値から判断して 1836957540 円の誤記と推測し修正を加

えている

20

図 7 コールレートニューヨーク市中金利ロンドン市中金利

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

200

0

2

4

6

8

10

12

14

16

18

コールレート(右軸) ニューヨーク市中金利(右軸) ロンドン市中金利(右軸)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

図 8 貿易収支比率為替レート変化率名目 GDP(対数値)

0

2

4

6

8

10

12

14

-50

-40

-30

-20

-10

0

10

20

30

貿易収支比率 為替レート変化率 名目GDP

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

21

図 9 正貨準備高ニューヨークインフレ率

0

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

-60

-40

-20

0

20

40

60

正貨(単位億円) ニューヨークインフレ率(卸売り物価指数)

なお追加した説明変数貿易収支比率為替レートニューヨーク物価ニューヨー

ク金利ロンドン金利正貨準備が独立でないという問題があるうちニューヨーク金

利とロンドン金利は同時には入れず他の変数と代替的に入れることとするそれでも

貿易収支比率と為替レートが独立ではないという問題があるかもしれない単純に為替

レートが割安であれば経常収支が黒字に動き割高であれば経常収支が赤字に動くという

メカニズムによって為替レートと経常収支が独立ではないということになる

また為替レート関数の推計において自国と他国の物価マネーサプライ金利生

産に加えて経常収支またはその累積を説明変数に入れるのが通常であることを考えれ

ば当然に問題となるしかし多くの推計で為替レートに対して経常収支またはそ

の累積の説明力はそれほど高くはない10

ちなみに変数間の相関行列を取ると表5のようになる(推計期間は正貨を含む変数間

は 1919 年から 1929 年 3 月それ以外の変数間は 1919 年 1 月 1936 年 12 月まである)貿

易収支比率と為替レートの相関を取ると相関係数は 0029 でありマルチコリニアリティ

10 深尾[1983] (167 頁)は日本の米国に対する 100 億ドルの経常黒字は 64の円高ドル

安要因になるとしているこれは大きな効果だがその後の推計によると経常収支黒字が円高

をもたらす効果は大きくはない河合[1986](第 94 表214 頁)によれば経常収支累積額が

1の上昇は実質為替レートを 0068~0163上昇させるにすぎないその後も同様の推計

がなされているが(経済企画庁[1997]第 1-2-1 図③経済企画庁[1999]付図 1-5-2原田[2004])いずれの推計においても経常収支が為替レートに与える影響は大きなものではない

22

の問題は避けられていると判断できる当時のデータで為替と貿易収支の相関が弱い理

由として金解禁への動きが度々予想されていたので為替レートが貿易など実態経済

の状況にかかわらず高騰していたこともあげられる表 5 から説明変数間で(被説明変

数のコールレートを除く)相関係数の絶対値が 04 以上のものを上げると卸売物価と GDP

ギャップ卸売物価とニューヨーク卸売物価GDP ギャップとニューヨーク卸売物価ニュ

ーヨーク金利とロンドン金利貿易収支比率とコールレートがそうである卸売物価と GDP

ギャップはテイラールールの基本的な説明変数なので両者をともに入れるがニューヨ

ーク金利とロンドン金利については代替的にも推計することとする

表5 拡張テイラールールで使用された変数の相関行列

コールレート

インフレ率GDPギャッ

プ貿易収支比

率為替変化

率NYインフレ

率NY金利

ロンドン金利

正貨準備変化率

コールレート 1000 0222 0293 -0441 -0112 0082 0437 0264 -0113

インフレ率 1000 0437 0046 -0024 0482 0198 -0340 -0005

GDPギャップ 1000 -0056 0205 0605 0246 -0119 0042

貿易収支比率 1000 0029 0189 -0182 -0252 0183

為替変化率 1000 0259 0023 0019 0058

NYインフレ率 1000 -0071 -0378 -0084

NY金利 1000 0649 0291

ロンドン市中金利 1000 0092

正貨準備変化率 1000

32 拡張テイラールールの推計結果

推計期間は貿易収支が入手可能な1926年1月から1936年12月までの全期間と上述の(2)

式と比較するために1931年12月までとそれ以降の期間とする推計結果は表6の通り

である推計については上記3つの推計期間において 小二乗法を行っている新しく追

加した変数貿易収支比率為替レートの変化率ニューヨーク卸売物価上昇率ニュー

ヨーク金利ロンドン金利正貨準備の変化率の単位はである推計に当たっては系

列相関が疑われるためNewey-Westの方法によって標準誤差の修正を行っている

23

表6 拡張テイラールールの推計結果

係数 係数 係数 係数

定数項 r-βπ tar 3155 2980 定数項 r -βπ tar 5780 6596 (10072) (6939) (12603) (13464)

インフレ率 1+β 0008 0027 インフレ率 1+β 0041 0025

(0552) (1600) (1957) (1399)

GDPギャップ α 1 0036 0057 GDPギャップ α 1 0090 0083

(1156) (1798) (2584) (2412)

貿易収支比率 α 2 -0105 -0106 貿易収支比率 α 2 -0053 -0054

(5627) (4937) (2671) (3396)為替変化率 α 3 -0109 -0110 為替変化率 α 3 -0062 -0051

(3782) (3755) (1345) (0998)

NYインフレ率 α 4 0014 0011 NYインフレ率 α 4 0014 0012

(0820) (0645) (0651) (0682)

NY金利 α 5 0212 NY金利 α 5 -0133

(3002) (1599)

ロンドン金利 α 5 0399 ロンドン金利 α 5 -0466

(2870) (3071)R2 0397 0375 R2 0468 0503

自由度調整済みR2 0380 0357 自由度調整済みR2 0447 0483

標準誤差 1520 1548 標準誤差 1375 1329

DW統計量 0568 0531 DW統計量 0700 0794

係数 係数

定数項 r-βπ tar 2703 2617

(6657) (26032)

インフレ率 1+β -0018 -0016

(1920) (2396)

GDPギャップ α 1 -0052 -0059

(2353) (5464)

貿易収支比率 α 2 -0031 0004

(1779) (0381)

為替変化率 α 3 -0007 0028

(0423) (1526)

NYインフレ率 α 4 -0017 -0024

(3808) (5526)

NY金利 α 5 0423

(1421)

ロンドン金利 α 5 0742

(7283)

R2 0797 0899自由度調整済みR2 0774 0887

標準誤差 0443 0313

DW統計量 0757 0925

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とそれぞれの金利だけである

どちらの推計でもこれらの有意な変数は符号条件を満たしているインフレ率とGDPギャ

24

ップは5有意ではなくなり単純テイラールールでも小さかった係数はさらに小さ

くなるこれに対して貿易収支比率の係数は貿易収支比率が10ポイント分マイナス

に動けば1金利を引き上げることであるからある程度貿易収支に反応して金融政策

を行っていたと言えるだろう為替変化率の係数は為替レートが10下落したら金利

を1引き上げることであるからこちらもある程度は為替レートに反応して金融政策を

行っていたとも言えるだろうニューヨーク金利とロンドン金利が1上昇すると国内金

利をそれぞれ0204引き上げるということになっている

1926年1月から1931年12月までの推計ではニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれ

を用いた推計でも5で有意な変数はGDPギャップと貿易収支比率とロンドン金利であ

るがロンドン金利は符号条件を満たしていないGDPギャップは有意であるがその係数

は単純テイラールールの推計と同様に小さい貿易収支比率の係数は貿易収支比率で

10ポイント分赤字が増えれば金利を05引き上げることであるからある程度は貿易

収支に反応して金融政策を行っていたと言えるかもしれない

さらに1932年1月から1936年12月までの推計では物価GDPギャップニューヨーク物

価ロンドン金利が5で有意であるGDPギャップニューヨーク物価は符号条件を満た

していないロンドン金利は符号条件を満たしその係数も074と大きく日本の金融政

策はロンドンに追随して行われていたことになる

金本位制を意識して行われていたときには金融政策は対外均衡に重点を置き金本位

制を離脱した後はロンドンの金利に追随していたことになる日本の金融政策が英国

の金融政策に追随していたことは鎮目[2009]第2章の結果とも整合的である

さらに表7は以上の変数に正貨を追加したものであるデータの制約により1919年1

月から29年3月までしか推計できないのでこれは金本位制を意識して金融政策が行われて

いた期間の金融政策を評価していることになる

25

表7 (3)式の拡張テイラールールの推計結果(正貨準備の変化率追加)

係数 係数定数項 r-βπ tar 5431 7511

(7602) (8642)インフレ率 1+β 0028 0024

(1209) (1264)GDPギャップ α 1 0147 0095

(2352) (1698)貿易収支比率 α 2 -0050 -0034

(2522) (2089)為替変化率 α 3 0016 0097

(0173) (0989)NYインフレ率 α 4 0004 -0004

(0166) (0224)NY金利 α 5 -0071

(0665)ロンドン金利 α 5 -0662

(2795)正貨準備の変化率 α 6 -0071 -0087

(0796) (1138)R2 0410 0471自由度調整済みR2 0374 0438標準誤差 1451 1375DW統計量 0808 0934注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

正貨を追加した推計結果ではGDPギャップ貿易収支比率ロンドン金利が有意である

GDPギャップ貿易収支比率は符号条件を満たしているがロンドン金利は満たしていない

表7の1919年から31年の推計結果に比べてGDPギャップの係数の値は大きくなるが景気

安定化効果が大きかったとまでは言えない貿易収支の係数はほとんど変らず貿易収支

の状況を念頭に入れて政策を行っていたと言えるだろうロンドン金利符号が逆で海外

金利が下がると金利を上げるという結果になっている

以上の結果を鎮目[2002]と比べる鎮目は金外貨準備英国の短期金利経常収支

資本収支をテイラールールの式に追加していずれの変数も有意ではなかったと報告し

ているが本稿では追加した変数のうち貿易収支ニューヨーク金利(特にロンドン

金利)が符号条件を満たして有意になっている場合が多く対外均衡を意識した金融政策

が行われていた可能性を示唆している

33 拡張テイラールールに関する政策反応ラグ

以上の拡張テイラールールの推計では貿易収支比率為替変化率ニューヨークイ

26

ンフレ率ロンドン金利を追加したものが良好な推計結果をもたらしたそこで拡張テ

イラールールに関する政策反応ラグを考慮するために以上の変数に加えて被説明変数

の 1期ラグを追加したものを推計する11結果は表8のようになる

表8 拡張テイラールールの金利ラグ付き推計

係数 係数 係数 係数定数項 r-βπ tar 0623 0565 定数項 r-βπ tar 1806 2223

(3922) (3134) (3861) (3396)インフレ率 1+β -00001 0003 インフレ率 1+β 0012 0007

(0023) (0552) (1190) (0761)GDPギャップ α 1 0019 0023 GDPギャップ α 1 0044 0043

(1589) (1875) (2072) (2007)

貿易収支比率 α 2 -0024 -0023 貿易収支比率 α 2 -0019 -0020

(2312) (2239) (1514) (1767)

為替変化率 α 3 -0026 -0025 為替変化率 α 3 -0048 -0045

(1984) (2069) (1607) (1430)

NYインフレ率 α 4 -0002 -0002 NYインフレ率 α 4 -0004 -0004

(0277) (0388) (0337) (0389)NY金利 α 5 0040 NY金利 α 5 -0044

(1532) (1193)

ロンドン金利 α 5 0075 ロンドン金利 α 5 -0163

(1447) (1703)コールレート1期ラグ 0796 0802 コールレート1期ラグ 0680 0657

(18638) (20579) (9505) (8112)R2 0789 0788 R2 0707 0711自由度調整済みR2 0782 0781 自由度調整済みR2 0693 0697標準誤差 0902 0904 標準誤差 1023 1016DW統計量 2581 2574 DW統計量 2408 2415

係数 係数

定数項 r-βπ tar 0527 0900 (2552) (3391)

インフレ率 1+β -0004 -0005(1594) (1249)

GDPギャップ α 1 -0006 -0014

(1174) (1562)

貿易収支比率 α 2 -0001 0010

(0135) (1064)

為替変化率 α 3 0005 0019

(0542) (1247)

NYインフレ率 α 4 -0003 -0008

(1971) (2116)

NY金利 α 5 -0022

(0557)

ロンドン金利 α 5 0386

(3052)コールレート1期ラグ 0833 0608

(9986) (6019)R2 0934 0957自由度調整済みR2 0925 0951標準誤差 0255 0207DW統計量 2478 2362

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

11 単純テイラールールでは説明変数のラグを加えたがここではあまりにも煩雑になること

と単純テイラールールで被説明変数の 1 期ラグが重要であったことから被説明変数の 1 期

ラグのみを追加した

27

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とコールレートの1期ラグであ

る貿易収支比率と為替変化率のどちらの係数も符号条件を満たしているがコールレー

トの1期ラグがない場合と比べて係数の値は小さくなっているただしこの推計をコイ

ック型と考えて係数の長期の値を(1-コールレートの1期ラグの係数)で除すことによっ

て求めれば1期ラグがない場合の係数よりもかなり大きくなる

1926年1月から1931年12月までの推計ではGDPギャップとコールレートの1期ラグのみが

有意となるGDPギャップの長期係数を求めても値は小さいこの期間では金利を安定的

に維持することに金融政策が使われていたと言えるだろう

1932年1月から1936年12月までの推計では有意なものはロンドン金利とニューヨークイ

ンフレ率とコールレートの1期ラグとなってしまうニューヨークインフレ率は符号条件を

満たしているがその係数は小さいロンドン金利の係数は大きく日本の金融政策はロ

ンドンに追随して行われていたことになる

コールレートの1期ラグを入れるといずれの期の金融政策も金利の平準化の要素が大き

いと判断される金本位制を意識して行われていたときには金融政策はある程度は対外

均衡を考えていたようである金本位制を離脱した後はロンドンの金利を考慮していた

ようである

さらに表9は以上の変数に正貨を追加したものである(データの制約により1919年1

月から29年3月までの推計)これは金本位制を意識して金融政策が行われていた期間の金

融政策を評価していることになる

28

表9 正貨準備高の変化率を加えた場合

係数 係数定数項 r-βπ tar 1723 2771

(3126) (2898)インフレ率 1+β 0004 0005

(0356) (0518)GDPギャップ α 1 0088 0072

(2641) (2442)貿易収支比率 α 2 -0023 -0018

(1664) (1321)為替変化率 α 3 -0025 0008

(0544) (0189)NYインフレ率 α 4 -0007 -0010

(0617) (0924)NY金利 α 5 -0012

(0255)ロンドン金利 α 5 -0239

(1470)正貨準備の変化率 α 6 0001 -0005

(0013) (0079)コールレートの1期ラグ 0644 0603

(7451) (6371) R2 0652 0659自由度調整済みR2 0628 0635標準誤差 1119 1107DW統計量 2450 2452注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

有意なものはGDPギャップとコールレートの1期ラグであるGDPギャップは符号条件

を満たしている長期の係数を取ってもその係数は大きいとは言えない

34 対外均衡と対内均衡

対外均衡に重点を置いた金融政策を行うとは経常収支赤字や為替レート下落や外貨準

備の減少に対して金利を引き上げるというルールに従って金融政策を行うことである

通常であれば金本位制の下で国内がインフレになり競争力を失ったり景気が過熱

して輸入が増大したときには経常収支赤字や為替レート下落や外貨準備の減少が起きる

だろう経常収支の赤字や外貨準備の減少が起きたときには金融を引き締めるというルー

ルは国内がインフレになったり景気が過熱したときには引き締めるというルールでも

あるしたがって対外均衡に重点を置くことが国内均衡を必ず妨げるというわけではな

いこれは逆の場合も真実であるしかし1910 年代日本の経常収支や外貨準備は国

内の景気要因で変化したわけではない第 1 次世界大戦によって外需が増加し経常収支

29

が黒字となり外貨準備が増えた金本位制のルールに従って金融政策は緩和されマ

ネタリーベースは 1919 年 1 月から 1920 年 4 月までに 16 倍に増加した輸出超過の国は

金融緩和することによって輸入超過の国の不況を和らげることができる日本は金本

位制の正しいルールに基づいて金融を緩和しただけであるしかし戦争がおわりその

復興需要もなくなったとき経常収支は赤字となり外貨準備は減少したしかしかつ

て金準備に依存して増大していたマネタリーベースはそのままだった失われた外貨準備

に対してマネタリーベースを減少させなければならなかったしかし23 年までマネタリ

ーベースは増大し続けていた関東大震災という不幸もあってマネタリーベースを減少

させることはできなかったその後25 年まで引き下げていたが27 年には金融恐慌があ

りマネタリーベースを削減することができなかったその後28 年までマネタリーベ

ースはむしろ拡大していた29 年には金本位制復帰を目指してマネタリーベースを急減さ

せるがその結果は激しいデフレと不況だった

そもそも国内要因の変化によらない金準備の増加に対してマネタリーベースを拡大し

たことが誤りだった金本位制からの離脱は1917 年ではなくて欧米諸国が離脱した

1914-15 年になすべきだったそうであれば1910 年代末までのマネタリーベースの急増

はなかっただろうところが実際には金本位制から離脱したにも関わらず1920 年にか

けてマネタリーベースは拡大していた1920 年代からは失われた金準備に対してマネタリ

ーベースを削減することが試みられるようになるしかしそれは関東大震災や金融危機

によって頓挫するむしろマネタリーベースを削減するという試みがデフレと不況をも

たらしそれゆえに不良債権が増大してしまったということではないだろうか

35 小括1‐テイラールールの推計から得られた知見

以上のことから考えて1920 年代から 30 年代にかけては金融政策はインフレまたはデ

フレ促進的な政策を行っていた対外均衡にはある程度考慮した金融政策を行っていたこ

とが分かる

しかし1920 年代には金本位制に復帰するという政策が課題となっていたはずである

20 年代がデフレ促進的また対外均衡にある程度考慮した政策を行っていたことはこの

課題にとっては正しいものだろうしかし現実に採られたデフレ促進策では不十分だっ

た物価は旧平価で金本位制に復帰できるほど下がっていなかったのだからまた32 年

以降の金融政策についてもなぜ 32 年から急速な回復ができたのかそれと金融政策とは

どのよう関係しているかは分析できていない

これについて飯田岡田[2004]は昭和恐慌からの回復はデフレ脱却による実質金利

の下落が重要であって名目金利の低下は重要でなかったと分析しているこれによれば

名目金利の変化で金融政策の変化を見ることはできないことになるしたがって名目金

利の変化に着目するテイラールールでは31 年 12 月以降の高橋是清蔵相の金融政策の意

味を理解できないことになる

30

また金融政策が物価および景気安定を意図していなかったら何を意図していたのだ

ろうか本稿での結論は為替レートや経常収支に視点を置いた対外均衡を意識していた

ということになる

いずれにしろテイラールールだけでは戦前期の金融政策を十分には理解できない

ことになるそこで戦前期の金融政策を別の方法で評価してみよう

4マッカラムルールによる金融政策の評価

41 マッカラムルールの意味と定式化とデータ

以下ではマッカラムルールで戦間期の金融政策を評価することにするマッカラム

ルールを用いて金融政策の在り方を判断した研究としてはマッカラム自身の分析を始め

として多くのものがある(例えばMcCallum[1987][1988]マッカラム[1997]第 15 章)

日本のデータを用いたものにおいても McCallum[1987]岡田飯田[2004]などがあるし

かし日本の戦前期についてはおそらく安達[2006](第7章)しかないと思われる安

達は年データを用い目標値として設定された名目 GNP 成長率(5と設定している)

を達成するためのマネタリーベースを求め現実のマネタリーベースの成長率が 1936 年ま

で過小でそれ以降過大であることを示している本稿では月次データを用いているので

期間ごとの金融政策の在り方も検討することができる

マッカラムルールとはマネタリーベースの成長率を名目GDPの望ましい成長率に

依存させるルールである(McCallum[1987]マッカラム[1997]第 15 章)しかし貨幣の

流通速度 vは変化するので貨幣の流通速度の変化に応じてマネタリーベース bの動きを調

整することが必要となるこのようなルールはbvなどを対数値として望ましいマネタ

リーベースの成長率⊿bをマネタリーベースの流通速度Δvに応じて変化させるというルー

ルであるただしvは景気変動によって大きく変動しているのでそれが技術的な変化と

見なせる 2 年間の平均値 tvΔ であるとする12すなわちマッカラムルールに基づくマネタ

リーベースの成長率とは

tbΔ =マネタリーベースの望ましい成長率- tvΔ

であるここでマネタリーベースの望ましい成長率はサンプル期間(1919 年 1 月から 1933

年 12 月まで)のマネタリーベースの平均成長率とする13マッカラムはマネタリーベース

の望ましい成長率を名目 GDP の成長率としているがここではまずこの期間の経済を再現

することを目的としているので現実のマネタリーベースの成長率を採用したマネタリ

12 マッカラム(1997)第 15 章では流通速度として 4年平均を使用しているが本稿ではサンプル

期間が短いため 2年平均としている 13 サンプル期間は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月であるがマネタリーベースの流通速度の平

均値作成のため 初の 24 か月が失うのでここで計算された望ましいマネタリーベースの成長

率は 1921 年 1 月から 1933 年 12 月までの平均となっている

31

ーベースの動きを図 10 に示しているマネタリーベースは季節性が強いので季調値も図示

しているなお前述のように戦前期の月次名目 GDP のデータは存在しないのでIIP に

卸売物価を掛けたものを名目 GDP の代理変数とする(ここで使うデータの定義と出所は前

掲の表1にある)

図 10 マネタリーベース(原数値と季節調整値)の動き

0

50000

100000

150000

200000

250000

19191

19197

19201

19207

19211

19217

19221

19227

19231

19237

19241

19247

19251

19257

19261

19267

19271

19277

19281

19287

19291

19297

19301

19307

19311

19317

19321

19327

19331

19337

観察されたベースマネー(単位万円) 季節調整済マネタリーベース(単位万円)

作成されたマネタリーベースの成長率は1919 年 1 月から 33 年 12 月までで年率 12

月次では 01となるすなわち

tbΔ =0001- tvΔ

ここで考察する期間を 1919 年 1 月から 33 年 12 月までとしたのは34 年以降の GDP の伸び

が大きすぎトレンドの作成において歪みを生じさせるからであるまた33 年は昭和恐

慌から脱却し経済が安定していた時期でもある

さらに名目 GDP が何らかのショックによって平均的な成長経路よりも上回った時に

はマネタリーベースの伸び率を低下させるようなルール(下回った場合は逆)を導入し

ようすなわち

tbΔ =0001-

1 1( )t t tv y yλ minus minusΔ + minus

32

となるただし目標値

1ty minus は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月までの月次平均成長率 04

成長経路での名目 GDP の対数値であるまたマッカラムによればλは四半期データで 025

が望ましいとされているがここでは月次データを使用しているのでとりあえず 12 分の 1

とすることを考えたがこの期間の名目 GDP は戦後の日米名目 GDP のデータより大きく変

動しているのでさらに小さくする必要があるマッカラムも「λの値を選択する場合

もし間違えるとすれば小さな値を採るほうがよい」(マッカラム[1997]308 頁)としている

そこでλは 36 分の1とした 終的なルールは

tbΔ =0001-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (5)

となる

マッカラムは望ましいインフレ率をゼロとするマネタリールールを求めているがこ

こでは実際には大きく変動したマネタリーベースを安定的に動かしていたらどうなったか

を考えることにしているので名目 GDP の動きは現実のものを使いルールにもとづくマ

ネタリーベースと実際のマネタリーベースをまず比較することにする

次に名目 GDP の決定に関する次のようなモデルを 小二乗法により推計する結果は

1 1 2 3

2

0004 0295 0053 0110 0106 0071 - 0069 23- 0046 27(1596) (3634) (1054) (1404) (2300) (1831) (6731)

R 0109 SE=0029 BG(24)=33227

(1822) t t t t t t ty y b b b b dummy dummy eminus minus minus minusΔ = + Δ + Δ + Δ + Δ + Δ +

=

(6)

となる14但し yΔ は名目 GDP の変化率 bΔ はマネタリーベースの成長率dummy23 は関東

大震災の時の一時的な変動をとらえるために 1923 年 9 月を 1それ以外を 0 としたダミー

変数dummy27 は金融恐慌時の一時的な変動をとらえるために 1927 年 4 月 5 月を 1それ

以外を 0としたダミー変数サンプル期間は推計に使用する変数が全て揃う 1921 年 1 月か

ら 1933 年 12 月までまたここでの残差 te は攪乱項の推定値2R SE BG(p) はそれぞれ

自由度修正済み決定係数攪乱項の標準誤差p 次の Breuch-Godfrey テストのχ二乗統計

量( )内は Newey-West の方法により修正した t値を示している15

ここで当時マッカラムルールなどという議論がなかったのだからこのような分

14 ここでは bΔ は現実のマネタリーベースの成長率を使用して推計を行っている 15 研究の対象期間は 1919 年 1 月からであるが平均流通速度 tvΔ の計算のために 初の 24 ヶ

月分が使用できないそのため他のシミュレーションの対象期間と整合性を保つため 1921 年 1

月からとしているまたこの推計式にはラグ付き内生変数を含むためダービンワトソンテスト

ではなく Breush-Godfrey テストを報告しているこの Breush-Godfrey テストから系列相関が疑

われるためNewey-West の方法により標準誤差を修正している

33

析は意味がないという批判があるかもしれないがこれにはテイラールールの節で述べ

たのと同じ反論が可能であるマッカラムルールとは名目 GDP が上昇しすぎたら(そ

のときには景気が過熱するかインフレが高進していると考えられる)マネーを縮小し

名目 GDP が下降しすぎたら(そのときは景気が悪化するかデフレになっている)マネーを

拡大するという素朴なルールである当時このようなルールが意識されていなかったと

は考え難い

42 長期的な経済を再現するシミュレーション

まずマッカラムルールによって現実の長期的な経済の経路を再現してみようルー

ルにもとづくマネタリーベースと実際のマネタリーベースのレベルと成長率とを図

11(1)(2)に示す

政策ルール(5)式が実施された場合の名目 GDP(の代理変数)の動きを見るために(5)式

から得られる理論値 tbΔ (6)式の残差 te 初期値 1ty minusΔ に目標 GDP

1ty minusΔ を代入してマ

ッカラムルールに従った場合の名目 GDP y の系列を求める現実の xとマネタリーベース

のルールに従った場合の y の系列を比べてみたのが図 11-(3)である図 11-(3)からマ

ネタリーベースのルールに従った場合の y の系列が安定していることが分かるこのよう

に安定的な名目 GDP の系列を得るためには第 1 次世界大戦後の金融引締めが過大で20

年代初期の金融緩和が過大30 年の金融引締めが過大だったと判断される

図 11 マッカラムルール

(1)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

34

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT MBDOT

注)BDOT はマッカラムルールの下でのマネタリーべースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(2)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

35

100000

120000

140000

160000

180000

200000

220000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC MB_SA

注)MB_SA はマネタリーベース(季節調整済)の現実値

B_MC はマッカラムルールに従った場合のマネタリーベース水準

またマッカラムルールの下でのマネタリーベースの初期値は現実値を使用

単位は万円

(3)マッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

36

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULE XSTAR X

注)GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

43 物価を下落させるシミュレーション

以上の結果はマネタリーベースの伸びを安定的にしていれば経済変動はより少なく

なっていただろうということを示しているしかしもし第 1 次世界大戦前の旧平価で金

本位制に復帰することが目的であったとしたら1節で述べたように物価を 3 割下げな

ければならない名目 GDP(その代理変数)は実質 GDP の変化がないとして1919 年 12

月から 29 年 12 月までに 3割下がらなければならない

そこで名目 GDP(その代理変数) y は現実の値よりも毎月 03ずつ低下しなければ

ならないので(5)式の定数項 0001 から 0003 を引いて-0002 とするすなわち

tbΔ =-0002-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (7)

とならなければならないここでの系列 y も実際の値から毎月 03ずつ引き下げたも

のを使っているつぎに(7)式の bを(6)式に入れると図 12 のようになる図に見られるよ

うに名目 GDP は安定しかつ小さくなっているすなわち物価が 3 割下落していること

が分かる

37

図 12 物価を下落させた場合

(1) 名目 GDP の目標値とマッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULEXSTAR

XGDP3_RULE

XSTAR_3

注) GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

GDP3_RULE は物価を 3割下げたマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR_3 は物価を 3割下げた場合の目標となる名目 GDP(対数値)

38

(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

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  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 17: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

16

1 1

1 1

0 0

( ) (1 )tart p t p q t q t t

p q

i r x iβπ β π α λ εminus minus minus= =

= minus + + + + +sum sum (3)

ここでは p=0 q=0 のケースp=0 q=1 のケースp=1 q=0 のケースp=1 q=1 の

ケースについて推計を行った結果自由度修正済み決定係数および赤池情報基準によって

モデルを選択すると全期間を対象とした場合は p=1q=0金本位離脱以前を対象期間に

した場合では p=q=1金本位離脱以降を対象とした場合では p=0 q=0 が選択されるした

がってここでは各期間において選択されたラグ(pq)に従って推計を行うスペースの節約

のため選択されたモデルの結果のみを表4に示す推計方法は 小二乗法を使用して

いる

17

表4 政策反応までのラグ

(1)全期間1919年1月~36年12月

(p=1q=0)

係数

定数項 r-βπ tar 0612

(3895)

当期インフレ率 (1+β )0 0042

(2220)

前期インフレ率 (1+β )1 -0047

(2463)

当期GDPギャップ α 0 0042

(2436)

前期の金利 λ 1 0867

(28290)

R2 0789

自由度調整済みR2 0785標準誤差 0895

DW統計量 2756

(2) 金本意離脱前1919年1月~31年12月(3) 金本意離脱後1932年1月~19年12月

(p=1q=1) (p=0q=0)

係数 係数

定数項 r-βπ tar 1392 定数項 r -βπ tar 0364 (3907) (2348)

当期インフレ率 (1+β )0 0076 当期インフレ率 (1+β ) -0002

(3149) (1048)

前期インフレ率 (1+β )1 -0066 前期インフレ率 (1+β )1

(2682)

当期GDPギャップ α 0 0022 当期GDPギャップ α 0 -0004

(0661) (0321)

前期GDPギャップ α 1 0009 前期GDPギャップ α 1

(0338)

前期の金利 λ 1 0748 前期の金利 λ 1 0867

(12691) (15181)

R2 0719 R2 0933

自由度調整済みR2 0710 自由度調整済みR2 0929

標準誤差 0997 標準誤差 0248

DW統計量 2643 DW統計量 2594

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法

によって修正を加えている

表4(1)の全期間を対象とした場合全ての変数が5で有意であるまた1+β の推計値か

ら計算されたβ は全て負となりインフレまたはデフレ促進的な政策が行われていたと解

釈されるGDPギャップについてはα が正であるが係数の値は非常に小さい一方金利

の平準化の程度を示す 1λ の係数は大きい

金本位制離脱以前の推計結果表 4(2)ではGDP ギャップの係数以外が有意である推計

18

された係数の値をみるとこの時期のβ も表 4(1)の全期間を対象とした値とあまり変わ

らないが 1λ はやや小さくなっているこの時期政策策定者は金利を平準化しつつイン

フレを促進するような政策をとっていた可能性がある

後に金本位制離脱以後の推計結果表 4(3)からは 1λ 以外は有意ではない

すなわち全期間を通していえることは金利の平準化の要素が強くまたインフレおよび

デフレを是認あるいは促進的な政策となっていた係数の値はいずれも小さくλの係数

をコイック型のラグと考えてそれぞれの係数を 1(1-λ)倍しても小さい

3拡張テイラールール

31 拡張テイラールールの定式化先行研究データ

これまでの結果は物価については鎮目[2002](図表7)とも共通であり物価を不安

定にする金融政策が行われていたことになるさらに鎮目では GDP ギャップの係数は 31

年までは正であり景気変動抑制的だったが32 年以降は負となり景気変動を拡大する

ような金融政策が行われていたことになる本稿の GDP ギャップの係数も正から負に変わ

っているただしいずれにしろその係数は小さいので景気変動を抑制するように金融

政策が行われていたとは言えない

以上の結果はむしろ戦間期の金融政策は金融政策は国内の経済安定に重点を置い

て物価と景気を見ながら行うべきというテイラールールでは説明することが難しいと解

釈すべきだろうこれは鎮目の結果とも共通しているそこで次に戦間期の金融政策は

経常収支為替レートの安定など対外均衡に重点を置いて行われていたのではないかと

いう常識に従いテイラールールを拡張して金融政策が経常収支や金外貨準備や海外

金利にも影響されて行われていたとする鎮目[2002]はテイラールールに金外貨準

備海外金利経常収支資本収支を加えている月次で資本収支(およびその代理変数)

のデータを得ることはできなかったので我々の推計式は鎮目[2002]を参考に

1 2 3 4 5 6( ) (1 )tar

t t t t t t t t ti r x TB S NYP fori reserveβπ β π α α α α α α ε= minus + + + + + + + + +

(4)

とする

ここで月次の経常収支はデータが得られないため輸出入の差を名目GDPで割った貿易収

支比率TBを使用している(ここで用いている名目GDPは鉱工業生産指数times卸売物価指数で

ある)貿易収支比率は実際の名目GNPで修正している7またSは為替レートの変化率を

7貿易収支比率 TBは具体的には以下である

1928t1928 GNP( ) 100

1928 t GDP( )GDP( ) 1928

tTB = times times

年の貿易収支合計

期の貿易収支年の名目 大川推計

月次貿易収支の 年平均 期の名目 の代理変数

月次名目 の代理変数 の 年平均

19

示しており値が増えるのが円高である8ニューヨーク物価NYPはニューヨークの卸売物価

指数の前年同月変化率()であるforiは外国の市中金利()を示しニューヨーク金利

あるいはロンドン金利のいずれかである貿易収支が赤字に円の為替レートが下落すれ

ば金利は引き締められるニューヨークの物価が下落すれば日本の金融も引き締めざ

るを得ないニューヨークまたはロンドンの金利に追随するしかないと考える正貨

reserveは金本位制であればこれが増大すれば金融を緩和し減少すれば金融を引き締め

ることになる(ただし正貨は21年3月から29年3月までのデータしかない)また正貨は

1924年1月から11月1925年289月のデータが欠損しているので線形補間によってデ

ータを補っている9

符号条件は貿易収支比率為替レート変化率ニューヨーク物価上昇率正貨が負

ニューヨークおよびロンドンの金利が正である

以上で為替レートニューヨーク物価が鎮目[2002]の分析に対し新たに追加した変

数である

ここで新しく追加した変数貿易収支比率と為替レートと名目GDPの代理変数とニュー

ヨーク物価とニューヨーク金利とロンドン金利と正貨準備を図7図8図9に示してお

くここで名目GDP(その代理変数)は鉱工業生産times卸売物価指数である

8第1節と同じように為替レートの水準は 100 円当たりのドルで表しているので変化率

に修正しても値が大きくなると円高を示すことになる 9 また日本銀行調査局『本邦経済統計』では1922 年 11 月の正貨準備高の値が 1386957540円と記載されているが前後月の数値から判断して 1836957540 円の誤記と推測し修正を加

えている

20

図 7 コールレートニューヨーク市中金利ロンドン市中金利

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

200

0

2

4

6

8

10

12

14

16

18

コールレート(右軸) ニューヨーク市中金利(右軸) ロンドン市中金利(右軸)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

図 8 貿易収支比率為替レート変化率名目 GDP(対数値)

0

2

4

6

8

10

12

14

-50

-40

-30

-20

-10

0

10

20

30

貿易収支比率 為替レート変化率 名目GDP

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

21

図 9 正貨準備高ニューヨークインフレ率

0

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

-60

-40

-20

0

20

40

60

正貨(単位億円) ニューヨークインフレ率(卸売り物価指数)

なお追加した説明変数貿易収支比率為替レートニューヨーク物価ニューヨー

ク金利ロンドン金利正貨準備が独立でないという問題があるうちニューヨーク金

利とロンドン金利は同時には入れず他の変数と代替的に入れることとするそれでも

貿易収支比率と為替レートが独立ではないという問題があるかもしれない単純に為替

レートが割安であれば経常収支が黒字に動き割高であれば経常収支が赤字に動くという

メカニズムによって為替レートと経常収支が独立ではないということになる

また為替レート関数の推計において自国と他国の物価マネーサプライ金利生

産に加えて経常収支またはその累積を説明変数に入れるのが通常であることを考えれ

ば当然に問題となるしかし多くの推計で為替レートに対して経常収支またはそ

の累積の説明力はそれほど高くはない10

ちなみに変数間の相関行列を取ると表5のようになる(推計期間は正貨を含む変数間

は 1919 年から 1929 年 3 月それ以外の変数間は 1919 年 1 月 1936 年 12 月まである)貿

易収支比率と為替レートの相関を取ると相関係数は 0029 でありマルチコリニアリティ

10 深尾[1983] (167 頁)は日本の米国に対する 100 億ドルの経常黒字は 64の円高ドル

安要因になるとしているこれは大きな効果だがその後の推計によると経常収支黒字が円高

をもたらす効果は大きくはない河合[1986](第 94 表214 頁)によれば経常収支累積額が

1の上昇は実質為替レートを 0068~0163上昇させるにすぎないその後も同様の推計

がなされているが(経済企画庁[1997]第 1-2-1 図③経済企画庁[1999]付図 1-5-2原田[2004])いずれの推計においても経常収支が為替レートに与える影響は大きなものではない

22

の問題は避けられていると判断できる当時のデータで為替と貿易収支の相関が弱い理

由として金解禁への動きが度々予想されていたので為替レートが貿易など実態経済

の状況にかかわらず高騰していたこともあげられる表 5 から説明変数間で(被説明変

数のコールレートを除く)相関係数の絶対値が 04 以上のものを上げると卸売物価と GDP

ギャップ卸売物価とニューヨーク卸売物価GDP ギャップとニューヨーク卸売物価ニュ

ーヨーク金利とロンドン金利貿易収支比率とコールレートがそうである卸売物価と GDP

ギャップはテイラールールの基本的な説明変数なので両者をともに入れるがニューヨ

ーク金利とロンドン金利については代替的にも推計することとする

表5 拡張テイラールールで使用された変数の相関行列

コールレート

インフレ率GDPギャッ

プ貿易収支比

率為替変化

率NYインフレ

率NY金利

ロンドン金利

正貨準備変化率

コールレート 1000 0222 0293 -0441 -0112 0082 0437 0264 -0113

インフレ率 1000 0437 0046 -0024 0482 0198 -0340 -0005

GDPギャップ 1000 -0056 0205 0605 0246 -0119 0042

貿易収支比率 1000 0029 0189 -0182 -0252 0183

為替変化率 1000 0259 0023 0019 0058

NYインフレ率 1000 -0071 -0378 -0084

NY金利 1000 0649 0291

ロンドン市中金利 1000 0092

正貨準備変化率 1000

32 拡張テイラールールの推計結果

推計期間は貿易収支が入手可能な1926年1月から1936年12月までの全期間と上述の(2)

式と比較するために1931年12月までとそれ以降の期間とする推計結果は表6の通り

である推計については上記3つの推計期間において 小二乗法を行っている新しく追

加した変数貿易収支比率為替レートの変化率ニューヨーク卸売物価上昇率ニュー

ヨーク金利ロンドン金利正貨準備の変化率の単位はである推計に当たっては系

列相関が疑われるためNewey-Westの方法によって標準誤差の修正を行っている

23

表6 拡張テイラールールの推計結果

係数 係数 係数 係数

定数項 r-βπ tar 3155 2980 定数項 r -βπ tar 5780 6596 (10072) (6939) (12603) (13464)

インフレ率 1+β 0008 0027 インフレ率 1+β 0041 0025

(0552) (1600) (1957) (1399)

GDPギャップ α 1 0036 0057 GDPギャップ α 1 0090 0083

(1156) (1798) (2584) (2412)

貿易収支比率 α 2 -0105 -0106 貿易収支比率 α 2 -0053 -0054

(5627) (4937) (2671) (3396)為替変化率 α 3 -0109 -0110 為替変化率 α 3 -0062 -0051

(3782) (3755) (1345) (0998)

NYインフレ率 α 4 0014 0011 NYインフレ率 α 4 0014 0012

(0820) (0645) (0651) (0682)

NY金利 α 5 0212 NY金利 α 5 -0133

(3002) (1599)

ロンドン金利 α 5 0399 ロンドン金利 α 5 -0466

(2870) (3071)R2 0397 0375 R2 0468 0503

自由度調整済みR2 0380 0357 自由度調整済みR2 0447 0483

標準誤差 1520 1548 標準誤差 1375 1329

DW統計量 0568 0531 DW統計量 0700 0794

係数 係数

定数項 r-βπ tar 2703 2617

(6657) (26032)

インフレ率 1+β -0018 -0016

(1920) (2396)

GDPギャップ α 1 -0052 -0059

(2353) (5464)

貿易収支比率 α 2 -0031 0004

(1779) (0381)

為替変化率 α 3 -0007 0028

(0423) (1526)

NYインフレ率 α 4 -0017 -0024

(3808) (5526)

NY金利 α 5 0423

(1421)

ロンドン金利 α 5 0742

(7283)

R2 0797 0899自由度調整済みR2 0774 0887

標準誤差 0443 0313

DW統計量 0757 0925

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とそれぞれの金利だけである

どちらの推計でもこれらの有意な変数は符号条件を満たしているインフレ率とGDPギャ

24

ップは5有意ではなくなり単純テイラールールでも小さかった係数はさらに小さ

くなるこれに対して貿易収支比率の係数は貿易収支比率が10ポイント分マイナス

に動けば1金利を引き上げることであるからある程度貿易収支に反応して金融政策

を行っていたと言えるだろう為替変化率の係数は為替レートが10下落したら金利

を1引き上げることであるからこちらもある程度は為替レートに反応して金融政策を

行っていたとも言えるだろうニューヨーク金利とロンドン金利が1上昇すると国内金

利をそれぞれ0204引き上げるということになっている

1926年1月から1931年12月までの推計ではニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれ

を用いた推計でも5で有意な変数はGDPギャップと貿易収支比率とロンドン金利であ

るがロンドン金利は符号条件を満たしていないGDPギャップは有意であるがその係数

は単純テイラールールの推計と同様に小さい貿易収支比率の係数は貿易収支比率で

10ポイント分赤字が増えれば金利を05引き上げることであるからある程度は貿易

収支に反応して金融政策を行っていたと言えるかもしれない

さらに1932年1月から1936年12月までの推計では物価GDPギャップニューヨーク物

価ロンドン金利が5で有意であるGDPギャップニューヨーク物価は符号条件を満た

していないロンドン金利は符号条件を満たしその係数も074と大きく日本の金融政

策はロンドンに追随して行われていたことになる

金本位制を意識して行われていたときには金融政策は対外均衡に重点を置き金本位

制を離脱した後はロンドンの金利に追随していたことになる日本の金融政策が英国

の金融政策に追随していたことは鎮目[2009]第2章の結果とも整合的である

さらに表7は以上の変数に正貨を追加したものであるデータの制約により1919年1

月から29年3月までしか推計できないのでこれは金本位制を意識して金融政策が行われて

いた期間の金融政策を評価していることになる

25

表7 (3)式の拡張テイラールールの推計結果(正貨準備の変化率追加)

係数 係数定数項 r-βπ tar 5431 7511

(7602) (8642)インフレ率 1+β 0028 0024

(1209) (1264)GDPギャップ α 1 0147 0095

(2352) (1698)貿易収支比率 α 2 -0050 -0034

(2522) (2089)為替変化率 α 3 0016 0097

(0173) (0989)NYインフレ率 α 4 0004 -0004

(0166) (0224)NY金利 α 5 -0071

(0665)ロンドン金利 α 5 -0662

(2795)正貨準備の変化率 α 6 -0071 -0087

(0796) (1138)R2 0410 0471自由度調整済みR2 0374 0438標準誤差 1451 1375DW統計量 0808 0934注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

正貨を追加した推計結果ではGDPギャップ貿易収支比率ロンドン金利が有意である

GDPギャップ貿易収支比率は符号条件を満たしているがロンドン金利は満たしていない

表7の1919年から31年の推計結果に比べてGDPギャップの係数の値は大きくなるが景気

安定化効果が大きかったとまでは言えない貿易収支の係数はほとんど変らず貿易収支

の状況を念頭に入れて政策を行っていたと言えるだろうロンドン金利符号が逆で海外

金利が下がると金利を上げるという結果になっている

以上の結果を鎮目[2002]と比べる鎮目は金外貨準備英国の短期金利経常収支

資本収支をテイラールールの式に追加していずれの変数も有意ではなかったと報告し

ているが本稿では追加した変数のうち貿易収支ニューヨーク金利(特にロンドン

金利)が符号条件を満たして有意になっている場合が多く対外均衡を意識した金融政策

が行われていた可能性を示唆している

33 拡張テイラールールに関する政策反応ラグ

以上の拡張テイラールールの推計では貿易収支比率為替変化率ニューヨークイ

26

ンフレ率ロンドン金利を追加したものが良好な推計結果をもたらしたそこで拡張テ

イラールールに関する政策反応ラグを考慮するために以上の変数に加えて被説明変数

の 1期ラグを追加したものを推計する11結果は表8のようになる

表8 拡張テイラールールの金利ラグ付き推計

係数 係数 係数 係数定数項 r-βπ tar 0623 0565 定数項 r-βπ tar 1806 2223

(3922) (3134) (3861) (3396)インフレ率 1+β -00001 0003 インフレ率 1+β 0012 0007

(0023) (0552) (1190) (0761)GDPギャップ α 1 0019 0023 GDPギャップ α 1 0044 0043

(1589) (1875) (2072) (2007)

貿易収支比率 α 2 -0024 -0023 貿易収支比率 α 2 -0019 -0020

(2312) (2239) (1514) (1767)

為替変化率 α 3 -0026 -0025 為替変化率 α 3 -0048 -0045

(1984) (2069) (1607) (1430)

NYインフレ率 α 4 -0002 -0002 NYインフレ率 α 4 -0004 -0004

(0277) (0388) (0337) (0389)NY金利 α 5 0040 NY金利 α 5 -0044

(1532) (1193)

ロンドン金利 α 5 0075 ロンドン金利 α 5 -0163

(1447) (1703)コールレート1期ラグ 0796 0802 コールレート1期ラグ 0680 0657

(18638) (20579) (9505) (8112)R2 0789 0788 R2 0707 0711自由度調整済みR2 0782 0781 自由度調整済みR2 0693 0697標準誤差 0902 0904 標準誤差 1023 1016DW統計量 2581 2574 DW統計量 2408 2415

係数 係数

定数項 r-βπ tar 0527 0900 (2552) (3391)

インフレ率 1+β -0004 -0005(1594) (1249)

GDPギャップ α 1 -0006 -0014

(1174) (1562)

貿易収支比率 α 2 -0001 0010

(0135) (1064)

為替変化率 α 3 0005 0019

(0542) (1247)

NYインフレ率 α 4 -0003 -0008

(1971) (2116)

NY金利 α 5 -0022

(0557)

ロンドン金利 α 5 0386

(3052)コールレート1期ラグ 0833 0608

(9986) (6019)R2 0934 0957自由度調整済みR2 0925 0951標準誤差 0255 0207DW統計量 2478 2362

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

11 単純テイラールールでは説明変数のラグを加えたがここではあまりにも煩雑になること

と単純テイラールールで被説明変数の 1 期ラグが重要であったことから被説明変数の 1 期

ラグのみを追加した

27

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とコールレートの1期ラグであ

る貿易収支比率と為替変化率のどちらの係数も符号条件を満たしているがコールレー

トの1期ラグがない場合と比べて係数の値は小さくなっているただしこの推計をコイ

ック型と考えて係数の長期の値を(1-コールレートの1期ラグの係数)で除すことによっ

て求めれば1期ラグがない場合の係数よりもかなり大きくなる

1926年1月から1931年12月までの推計ではGDPギャップとコールレートの1期ラグのみが

有意となるGDPギャップの長期係数を求めても値は小さいこの期間では金利を安定的

に維持することに金融政策が使われていたと言えるだろう

1932年1月から1936年12月までの推計では有意なものはロンドン金利とニューヨークイ

ンフレ率とコールレートの1期ラグとなってしまうニューヨークインフレ率は符号条件を

満たしているがその係数は小さいロンドン金利の係数は大きく日本の金融政策はロ

ンドンに追随して行われていたことになる

コールレートの1期ラグを入れるといずれの期の金融政策も金利の平準化の要素が大き

いと判断される金本位制を意識して行われていたときには金融政策はある程度は対外

均衡を考えていたようである金本位制を離脱した後はロンドンの金利を考慮していた

ようである

さらに表9は以上の変数に正貨を追加したものである(データの制約により1919年1

月から29年3月までの推計)これは金本位制を意識して金融政策が行われていた期間の金

融政策を評価していることになる

28

表9 正貨準備高の変化率を加えた場合

係数 係数定数項 r-βπ tar 1723 2771

(3126) (2898)インフレ率 1+β 0004 0005

(0356) (0518)GDPギャップ α 1 0088 0072

(2641) (2442)貿易収支比率 α 2 -0023 -0018

(1664) (1321)為替変化率 α 3 -0025 0008

(0544) (0189)NYインフレ率 α 4 -0007 -0010

(0617) (0924)NY金利 α 5 -0012

(0255)ロンドン金利 α 5 -0239

(1470)正貨準備の変化率 α 6 0001 -0005

(0013) (0079)コールレートの1期ラグ 0644 0603

(7451) (6371) R2 0652 0659自由度調整済みR2 0628 0635標準誤差 1119 1107DW統計量 2450 2452注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

有意なものはGDPギャップとコールレートの1期ラグであるGDPギャップは符号条件

を満たしている長期の係数を取ってもその係数は大きいとは言えない

34 対外均衡と対内均衡

対外均衡に重点を置いた金融政策を行うとは経常収支赤字や為替レート下落や外貨準

備の減少に対して金利を引き上げるというルールに従って金融政策を行うことである

通常であれば金本位制の下で国内がインフレになり競争力を失ったり景気が過熱

して輸入が増大したときには経常収支赤字や為替レート下落や外貨準備の減少が起きる

だろう経常収支の赤字や外貨準備の減少が起きたときには金融を引き締めるというルー

ルは国内がインフレになったり景気が過熱したときには引き締めるというルールでも

あるしたがって対外均衡に重点を置くことが国内均衡を必ず妨げるというわけではな

いこれは逆の場合も真実であるしかし1910 年代日本の経常収支や外貨準備は国

内の景気要因で変化したわけではない第 1 次世界大戦によって外需が増加し経常収支

29

が黒字となり外貨準備が増えた金本位制のルールに従って金融政策は緩和されマ

ネタリーベースは 1919 年 1 月から 1920 年 4 月までに 16 倍に増加した輸出超過の国は

金融緩和することによって輸入超過の国の不況を和らげることができる日本は金本

位制の正しいルールに基づいて金融を緩和しただけであるしかし戦争がおわりその

復興需要もなくなったとき経常収支は赤字となり外貨準備は減少したしかしかつ

て金準備に依存して増大していたマネタリーベースはそのままだった失われた外貨準備

に対してマネタリーベースを減少させなければならなかったしかし23 年までマネタリ

ーベースは増大し続けていた関東大震災という不幸もあってマネタリーベースを減少

させることはできなかったその後25 年まで引き下げていたが27 年には金融恐慌があ

りマネタリーベースを削減することができなかったその後28 年までマネタリーベ

ースはむしろ拡大していた29 年には金本位制復帰を目指してマネタリーベースを急減さ

せるがその結果は激しいデフレと不況だった

そもそも国内要因の変化によらない金準備の増加に対してマネタリーベースを拡大し

たことが誤りだった金本位制からの離脱は1917 年ではなくて欧米諸国が離脱した

1914-15 年になすべきだったそうであれば1910 年代末までのマネタリーベースの急増

はなかっただろうところが実際には金本位制から離脱したにも関わらず1920 年にか

けてマネタリーベースは拡大していた1920 年代からは失われた金準備に対してマネタリ

ーベースを削減することが試みられるようになるしかしそれは関東大震災や金融危機

によって頓挫するむしろマネタリーベースを削減するという試みがデフレと不況をも

たらしそれゆえに不良債権が増大してしまったということではないだろうか

35 小括1‐テイラールールの推計から得られた知見

以上のことから考えて1920 年代から 30 年代にかけては金融政策はインフレまたはデ

フレ促進的な政策を行っていた対外均衡にはある程度考慮した金融政策を行っていたこ

とが分かる

しかし1920 年代には金本位制に復帰するという政策が課題となっていたはずである

20 年代がデフレ促進的また対外均衡にある程度考慮した政策を行っていたことはこの

課題にとっては正しいものだろうしかし現実に採られたデフレ促進策では不十分だっ

た物価は旧平価で金本位制に復帰できるほど下がっていなかったのだからまた32 年

以降の金融政策についてもなぜ 32 年から急速な回復ができたのかそれと金融政策とは

どのよう関係しているかは分析できていない

これについて飯田岡田[2004]は昭和恐慌からの回復はデフレ脱却による実質金利

の下落が重要であって名目金利の低下は重要でなかったと分析しているこれによれば

名目金利の変化で金融政策の変化を見ることはできないことになるしたがって名目金

利の変化に着目するテイラールールでは31 年 12 月以降の高橋是清蔵相の金融政策の意

味を理解できないことになる

30

また金融政策が物価および景気安定を意図していなかったら何を意図していたのだ

ろうか本稿での結論は為替レートや経常収支に視点を置いた対外均衡を意識していた

ということになる

いずれにしろテイラールールだけでは戦前期の金融政策を十分には理解できない

ことになるそこで戦前期の金融政策を別の方法で評価してみよう

4マッカラムルールによる金融政策の評価

41 マッカラムルールの意味と定式化とデータ

以下ではマッカラムルールで戦間期の金融政策を評価することにするマッカラム

ルールを用いて金融政策の在り方を判断した研究としてはマッカラム自身の分析を始め

として多くのものがある(例えばMcCallum[1987][1988]マッカラム[1997]第 15 章)

日本のデータを用いたものにおいても McCallum[1987]岡田飯田[2004]などがあるし

かし日本の戦前期についてはおそらく安達[2006](第7章)しかないと思われる安

達は年データを用い目標値として設定された名目 GNP 成長率(5と設定している)

を達成するためのマネタリーベースを求め現実のマネタリーベースの成長率が 1936 年ま

で過小でそれ以降過大であることを示している本稿では月次データを用いているので

期間ごとの金融政策の在り方も検討することができる

マッカラムルールとはマネタリーベースの成長率を名目GDPの望ましい成長率に

依存させるルールである(McCallum[1987]マッカラム[1997]第 15 章)しかし貨幣の

流通速度 vは変化するので貨幣の流通速度の変化に応じてマネタリーベース bの動きを調

整することが必要となるこのようなルールはbvなどを対数値として望ましいマネタ

リーベースの成長率⊿bをマネタリーベースの流通速度Δvに応じて変化させるというルー

ルであるただしvは景気変動によって大きく変動しているのでそれが技術的な変化と

見なせる 2 年間の平均値 tvΔ であるとする12すなわちマッカラムルールに基づくマネタ

リーベースの成長率とは

tbΔ =マネタリーベースの望ましい成長率- tvΔ

であるここでマネタリーベースの望ましい成長率はサンプル期間(1919 年 1 月から 1933

年 12 月まで)のマネタリーベースの平均成長率とする13マッカラムはマネタリーベース

の望ましい成長率を名目 GDP の成長率としているがここではまずこの期間の経済を再現

することを目的としているので現実のマネタリーベースの成長率を採用したマネタリ

12 マッカラム(1997)第 15 章では流通速度として 4年平均を使用しているが本稿ではサンプル

期間が短いため 2年平均としている 13 サンプル期間は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月であるがマネタリーベースの流通速度の平

均値作成のため 初の 24 か月が失うのでここで計算された望ましいマネタリーベースの成長

率は 1921 年 1 月から 1933 年 12 月までの平均となっている

31

ーベースの動きを図 10 に示しているマネタリーベースは季節性が強いので季調値も図示

しているなお前述のように戦前期の月次名目 GDP のデータは存在しないのでIIP に

卸売物価を掛けたものを名目 GDP の代理変数とする(ここで使うデータの定義と出所は前

掲の表1にある)

図 10 マネタリーベース(原数値と季節調整値)の動き

0

50000

100000

150000

200000

250000

19191

19197

19201

19207

19211

19217

19221

19227

19231

19237

19241

19247

19251

19257

19261

19267

19271

19277

19281

19287

19291

19297

19301

19307

19311

19317

19321

19327

19331

19337

観察されたベースマネー(単位万円) 季節調整済マネタリーベース(単位万円)

作成されたマネタリーベースの成長率は1919 年 1 月から 33 年 12 月までで年率 12

月次では 01となるすなわち

tbΔ =0001- tvΔ

ここで考察する期間を 1919 年 1 月から 33 年 12 月までとしたのは34 年以降の GDP の伸び

が大きすぎトレンドの作成において歪みを生じさせるからであるまた33 年は昭和恐

慌から脱却し経済が安定していた時期でもある

さらに名目 GDP が何らかのショックによって平均的な成長経路よりも上回った時に

はマネタリーベースの伸び率を低下させるようなルール(下回った場合は逆)を導入し

ようすなわち

tbΔ =0001-

1 1( )t t tv y yλ minus minusΔ + minus

32

となるただし目標値

1ty minus は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月までの月次平均成長率 04

成長経路での名目 GDP の対数値であるまたマッカラムによればλは四半期データで 025

が望ましいとされているがここでは月次データを使用しているのでとりあえず 12 分の 1

とすることを考えたがこの期間の名目 GDP は戦後の日米名目 GDP のデータより大きく変

動しているのでさらに小さくする必要があるマッカラムも「λの値を選択する場合

もし間違えるとすれば小さな値を採るほうがよい」(マッカラム[1997]308 頁)としている

そこでλは 36 分の1とした 終的なルールは

tbΔ =0001-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (5)

となる

マッカラムは望ましいインフレ率をゼロとするマネタリールールを求めているがこ

こでは実際には大きく変動したマネタリーベースを安定的に動かしていたらどうなったか

を考えることにしているので名目 GDP の動きは現実のものを使いルールにもとづくマ

ネタリーベースと実際のマネタリーベースをまず比較することにする

次に名目 GDP の決定に関する次のようなモデルを 小二乗法により推計する結果は

1 1 2 3

2

0004 0295 0053 0110 0106 0071 - 0069 23- 0046 27(1596) (3634) (1054) (1404) (2300) (1831) (6731)

R 0109 SE=0029 BG(24)=33227

(1822) t t t t t t ty y b b b b dummy dummy eminus minus minus minusΔ = + Δ + Δ + Δ + Δ + Δ +

=

(6)

となる14但し yΔ は名目 GDP の変化率 bΔ はマネタリーベースの成長率dummy23 は関東

大震災の時の一時的な変動をとらえるために 1923 年 9 月を 1それ以外を 0 としたダミー

変数dummy27 は金融恐慌時の一時的な変動をとらえるために 1927 年 4 月 5 月を 1それ

以外を 0としたダミー変数サンプル期間は推計に使用する変数が全て揃う 1921 年 1 月か

ら 1933 年 12 月までまたここでの残差 te は攪乱項の推定値2R SE BG(p) はそれぞれ

自由度修正済み決定係数攪乱項の標準誤差p 次の Breuch-Godfrey テストのχ二乗統計

量( )内は Newey-West の方法により修正した t値を示している15

ここで当時マッカラムルールなどという議論がなかったのだからこのような分

14 ここでは bΔ は現実のマネタリーベースの成長率を使用して推計を行っている 15 研究の対象期間は 1919 年 1 月からであるが平均流通速度 tvΔ の計算のために 初の 24 ヶ

月分が使用できないそのため他のシミュレーションの対象期間と整合性を保つため 1921 年 1

月からとしているまたこの推計式にはラグ付き内生変数を含むためダービンワトソンテスト

ではなく Breush-Godfrey テストを報告しているこの Breush-Godfrey テストから系列相関が疑

われるためNewey-West の方法により標準誤差を修正している

33

析は意味がないという批判があるかもしれないがこれにはテイラールールの節で述べ

たのと同じ反論が可能であるマッカラムルールとは名目 GDP が上昇しすぎたら(そ

のときには景気が過熱するかインフレが高進していると考えられる)マネーを縮小し

名目 GDP が下降しすぎたら(そのときは景気が悪化するかデフレになっている)マネーを

拡大するという素朴なルールである当時このようなルールが意識されていなかったと

は考え難い

42 長期的な経済を再現するシミュレーション

まずマッカラムルールによって現実の長期的な経済の経路を再現してみようルー

ルにもとづくマネタリーベースと実際のマネタリーベースのレベルと成長率とを図

11(1)(2)に示す

政策ルール(5)式が実施された場合の名目 GDP(の代理変数)の動きを見るために(5)式

から得られる理論値 tbΔ (6)式の残差 te 初期値 1ty minusΔ に目標 GDP

1ty minusΔ を代入してマ

ッカラムルールに従った場合の名目 GDP y の系列を求める現実の xとマネタリーベース

のルールに従った場合の y の系列を比べてみたのが図 11-(3)である図 11-(3)からマ

ネタリーベースのルールに従った場合の y の系列が安定していることが分かるこのよう

に安定的な名目 GDP の系列を得るためには第 1 次世界大戦後の金融引締めが過大で20

年代初期の金融緩和が過大30 年の金融引締めが過大だったと判断される

図 11 マッカラムルール

(1)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

34

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT MBDOT

注)BDOT はマッカラムルールの下でのマネタリーべースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(2)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

35

100000

120000

140000

160000

180000

200000

220000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC MB_SA

注)MB_SA はマネタリーベース(季節調整済)の現実値

B_MC はマッカラムルールに従った場合のマネタリーベース水準

またマッカラムルールの下でのマネタリーベースの初期値は現実値を使用

単位は万円

(3)マッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

36

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULE XSTAR X

注)GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

43 物価を下落させるシミュレーション

以上の結果はマネタリーベースの伸びを安定的にしていれば経済変動はより少なく

なっていただろうということを示しているしかしもし第 1 次世界大戦前の旧平価で金

本位制に復帰することが目的であったとしたら1節で述べたように物価を 3 割下げな

ければならない名目 GDP(その代理変数)は実質 GDP の変化がないとして1919 年 12

月から 29 年 12 月までに 3割下がらなければならない

そこで名目 GDP(その代理変数) y は現実の値よりも毎月 03ずつ低下しなければ

ならないので(5)式の定数項 0001 から 0003 を引いて-0002 とするすなわち

tbΔ =-0002-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (7)

とならなければならないここでの系列 y も実際の値から毎月 03ずつ引き下げたも

のを使っているつぎに(7)式の bを(6)式に入れると図 12 のようになる図に見られるよ

うに名目 GDP は安定しかつ小さくなっているすなわち物価が 3 割下落していること

が分かる

37

図 12 物価を下落させた場合

(1) 名目 GDP の目標値とマッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULEXSTAR

XGDP3_RULE

XSTAR_3

注) GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

GDP3_RULE は物価を 3割下げたマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR_3 は物価を 3割下げた場合の目標となる名目 GDP(対数値)

38

(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

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  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 18: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

17

表4 政策反応までのラグ

(1)全期間1919年1月~36年12月

(p=1q=0)

係数

定数項 r-βπ tar 0612

(3895)

当期インフレ率 (1+β )0 0042

(2220)

前期インフレ率 (1+β )1 -0047

(2463)

当期GDPギャップ α 0 0042

(2436)

前期の金利 λ 1 0867

(28290)

R2 0789

自由度調整済みR2 0785標準誤差 0895

DW統計量 2756

(2) 金本意離脱前1919年1月~31年12月(3) 金本意離脱後1932年1月~19年12月

(p=1q=1) (p=0q=0)

係数 係数

定数項 r-βπ tar 1392 定数項 r -βπ tar 0364 (3907) (2348)

当期インフレ率 (1+β )0 0076 当期インフレ率 (1+β ) -0002

(3149) (1048)

前期インフレ率 (1+β )1 -0066 前期インフレ率 (1+β )1

(2682)

当期GDPギャップ α 0 0022 当期GDPギャップ α 0 -0004

(0661) (0321)

前期GDPギャップ α 1 0009 前期GDPギャップ α 1

(0338)

前期の金利 λ 1 0748 前期の金利 λ 1 0867

(12691) (15181)

R2 0719 R2 0933

自由度調整済みR2 0710 自由度調整済みR2 0929

標準誤差 0997 標準誤差 0248

DW統計量 2643 DW統計量 2594

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法

によって修正を加えている

表4(1)の全期間を対象とした場合全ての変数が5で有意であるまた1+β の推計値か

ら計算されたβ は全て負となりインフレまたはデフレ促進的な政策が行われていたと解

釈されるGDPギャップについてはα が正であるが係数の値は非常に小さい一方金利

の平準化の程度を示す 1λ の係数は大きい

金本位制離脱以前の推計結果表 4(2)ではGDP ギャップの係数以外が有意である推計

18

された係数の値をみるとこの時期のβ も表 4(1)の全期間を対象とした値とあまり変わ

らないが 1λ はやや小さくなっているこの時期政策策定者は金利を平準化しつつイン

フレを促進するような政策をとっていた可能性がある

後に金本位制離脱以後の推計結果表 4(3)からは 1λ 以外は有意ではない

すなわち全期間を通していえることは金利の平準化の要素が強くまたインフレおよび

デフレを是認あるいは促進的な政策となっていた係数の値はいずれも小さくλの係数

をコイック型のラグと考えてそれぞれの係数を 1(1-λ)倍しても小さい

3拡張テイラールール

31 拡張テイラールールの定式化先行研究データ

これまでの結果は物価については鎮目[2002](図表7)とも共通であり物価を不安

定にする金融政策が行われていたことになるさらに鎮目では GDP ギャップの係数は 31

年までは正であり景気変動抑制的だったが32 年以降は負となり景気変動を拡大する

ような金融政策が行われていたことになる本稿の GDP ギャップの係数も正から負に変わ

っているただしいずれにしろその係数は小さいので景気変動を抑制するように金融

政策が行われていたとは言えない

以上の結果はむしろ戦間期の金融政策は金融政策は国内の経済安定に重点を置い

て物価と景気を見ながら行うべきというテイラールールでは説明することが難しいと解

釈すべきだろうこれは鎮目の結果とも共通しているそこで次に戦間期の金融政策は

経常収支為替レートの安定など対外均衡に重点を置いて行われていたのではないかと

いう常識に従いテイラールールを拡張して金融政策が経常収支や金外貨準備や海外

金利にも影響されて行われていたとする鎮目[2002]はテイラールールに金外貨準

備海外金利経常収支資本収支を加えている月次で資本収支(およびその代理変数)

のデータを得ることはできなかったので我々の推計式は鎮目[2002]を参考に

1 2 3 4 5 6( ) (1 )tar

t t t t t t t t ti r x TB S NYP fori reserveβπ β π α α α α α α ε= minus + + + + + + + + +

(4)

とする

ここで月次の経常収支はデータが得られないため輸出入の差を名目GDPで割った貿易収

支比率TBを使用している(ここで用いている名目GDPは鉱工業生産指数times卸売物価指数で

ある)貿易収支比率は実際の名目GNPで修正している7またSは為替レートの変化率を

7貿易収支比率 TBは具体的には以下である

1928t1928 GNP( ) 100

1928 t GDP( )GDP( ) 1928

tTB = times times

年の貿易収支合計

期の貿易収支年の名目 大川推計

月次貿易収支の 年平均 期の名目 の代理変数

月次名目 の代理変数 の 年平均

19

示しており値が増えるのが円高である8ニューヨーク物価NYPはニューヨークの卸売物価

指数の前年同月変化率()であるforiは外国の市中金利()を示しニューヨーク金利

あるいはロンドン金利のいずれかである貿易収支が赤字に円の為替レートが下落すれ

ば金利は引き締められるニューヨークの物価が下落すれば日本の金融も引き締めざ

るを得ないニューヨークまたはロンドンの金利に追随するしかないと考える正貨

reserveは金本位制であればこれが増大すれば金融を緩和し減少すれば金融を引き締め

ることになる(ただし正貨は21年3月から29年3月までのデータしかない)また正貨は

1924年1月から11月1925年289月のデータが欠損しているので線形補間によってデ

ータを補っている9

符号条件は貿易収支比率為替レート変化率ニューヨーク物価上昇率正貨が負

ニューヨークおよびロンドンの金利が正である

以上で為替レートニューヨーク物価が鎮目[2002]の分析に対し新たに追加した変

数である

ここで新しく追加した変数貿易収支比率と為替レートと名目GDPの代理変数とニュー

ヨーク物価とニューヨーク金利とロンドン金利と正貨準備を図7図8図9に示してお

くここで名目GDP(その代理変数)は鉱工業生産times卸売物価指数である

8第1節と同じように為替レートの水準は 100 円当たりのドルで表しているので変化率

に修正しても値が大きくなると円高を示すことになる 9 また日本銀行調査局『本邦経済統計』では1922 年 11 月の正貨準備高の値が 1386957540円と記載されているが前後月の数値から判断して 1836957540 円の誤記と推測し修正を加

えている

20

図 7 コールレートニューヨーク市中金利ロンドン市中金利

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

200

0

2

4

6

8

10

12

14

16

18

コールレート(右軸) ニューヨーク市中金利(右軸) ロンドン市中金利(右軸)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

図 8 貿易収支比率為替レート変化率名目 GDP(対数値)

0

2

4

6

8

10

12

14

-50

-40

-30

-20

-10

0

10

20

30

貿易収支比率 為替レート変化率 名目GDP

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

21

図 9 正貨準備高ニューヨークインフレ率

0

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

-60

-40

-20

0

20

40

60

正貨(単位億円) ニューヨークインフレ率(卸売り物価指数)

なお追加した説明変数貿易収支比率為替レートニューヨーク物価ニューヨー

ク金利ロンドン金利正貨準備が独立でないという問題があるうちニューヨーク金

利とロンドン金利は同時には入れず他の変数と代替的に入れることとするそれでも

貿易収支比率と為替レートが独立ではないという問題があるかもしれない単純に為替

レートが割安であれば経常収支が黒字に動き割高であれば経常収支が赤字に動くという

メカニズムによって為替レートと経常収支が独立ではないということになる

また為替レート関数の推計において自国と他国の物価マネーサプライ金利生

産に加えて経常収支またはその累積を説明変数に入れるのが通常であることを考えれ

ば当然に問題となるしかし多くの推計で為替レートに対して経常収支またはそ

の累積の説明力はそれほど高くはない10

ちなみに変数間の相関行列を取ると表5のようになる(推計期間は正貨を含む変数間

は 1919 年から 1929 年 3 月それ以外の変数間は 1919 年 1 月 1936 年 12 月まである)貿

易収支比率と為替レートの相関を取ると相関係数は 0029 でありマルチコリニアリティ

10 深尾[1983] (167 頁)は日本の米国に対する 100 億ドルの経常黒字は 64の円高ドル

安要因になるとしているこれは大きな効果だがその後の推計によると経常収支黒字が円高

をもたらす効果は大きくはない河合[1986](第 94 表214 頁)によれば経常収支累積額が

1の上昇は実質為替レートを 0068~0163上昇させるにすぎないその後も同様の推計

がなされているが(経済企画庁[1997]第 1-2-1 図③経済企画庁[1999]付図 1-5-2原田[2004])いずれの推計においても経常収支が為替レートに与える影響は大きなものではない

22

の問題は避けられていると判断できる当時のデータで為替と貿易収支の相関が弱い理

由として金解禁への動きが度々予想されていたので為替レートが貿易など実態経済

の状況にかかわらず高騰していたこともあげられる表 5 から説明変数間で(被説明変

数のコールレートを除く)相関係数の絶対値が 04 以上のものを上げると卸売物価と GDP

ギャップ卸売物価とニューヨーク卸売物価GDP ギャップとニューヨーク卸売物価ニュ

ーヨーク金利とロンドン金利貿易収支比率とコールレートがそうである卸売物価と GDP

ギャップはテイラールールの基本的な説明変数なので両者をともに入れるがニューヨ

ーク金利とロンドン金利については代替的にも推計することとする

表5 拡張テイラールールで使用された変数の相関行列

コールレート

インフレ率GDPギャッ

プ貿易収支比

率為替変化

率NYインフレ

率NY金利

ロンドン金利

正貨準備変化率

コールレート 1000 0222 0293 -0441 -0112 0082 0437 0264 -0113

インフレ率 1000 0437 0046 -0024 0482 0198 -0340 -0005

GDPギャップ 1000 -0056 0205 0605 0246 -0119 0042

貿易収支比率 1000 0029 0189 -0182 -0252 0183

為替変化率 1000 0259 0023 0019 0058

NYインフレ率 1000 -0071 -0378 -0084

NY金利 1000 0649 0291

ロンドン市中金利 1000 0092

正貨準備変化率 1000

32 拡張テイラールールの推計結果

推計期間は貿易収支が入手可能な1926年1月から1936年12月までの全期間と上述の(2)

式と比較するために1931年12月までとそれ以降の期間とする推計結果は表6の通り

である推計については上記3つの推計期間において 小二乗法を行っている新しく追

加した変数貿易収支比率為替レートの変化率ニューヨーク卸売物価上昇率ニュー

ヨーク金利ロンドン金利正貨準備の変化率の単位はである推計に当たっては系

列相関が疑われるためNewey-Westの方法によって標準誤差の修正を行っている

23

表6 拡張テイラールールの推計結果

係数 係数 係数 係数

定数項 r-βπ tar 3155 2980 定数項 r -βπ tar 5780 6596 (10072) (6939) (12603) (13464)

インフレ率 1+β 0008 0027 インフレ率 1+β 0041 0025

(0552) (1600) (1957) (1399)

GDPギャップ α 1 0036 0057 GDPギャップ α 1 0090 0083

(1156) (1798) (2584) (2412)

貿易収支比率 α 2 -0105 -0106 貿易収支比率 α 2 -0053 -0054

(5627) (4937) (2671) (3396)為替変化率 α 3 -0109 -0110 為替変化率 α 3 -0062 -0051

(3782) (3755) (1345) (0998)

NYインフレ率 α 4 0014 0011 NYインフレ率 α 4 0014 0012

(0820) (0645) (0651) (0682)

NY金利 α 5 0212 NY金利 α 5 -0133

(3002) (1599)

ロンドン金利 α 5 0399 ロンドン金利 α 5 -0466

(2870) (3071)R2 0397 0375 R2 0468 0503

自由度調整済みR2 0380 0357 自由度調整済みR2 0447 0483

標準誤差 1520 1548 標準誤差 1375 1329

DW統計量 0568 0531 DW統計量 0700 0794

係数 係数

定数項 r-βπ tar 2703 2617

(6657) (26032)

インフレ率 1+β -0018 -0016

(1920) (2396)

GDPギャップ α 1 -0052 -0059

(2353) (5464)

貿易収支比率 α 2 -0031 0004

(1779) (0381)

為替変化率 α 3 -0007 0028

(0423) (1526)

NYインフレ率 α 4 -0017 -0024

(3808) (5526)

NY金利 α 5 0423

(1421)

ロンドン金利 α 5 0742

(7283)

R2 0797 0899自由度調整済みR2 0774 0887

標準誤差 0443 0313

DW統計量 0757 0925

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とそれぞれの金利だけである

どちらの推計でもこれらの有意な変数は符号条件を満たしているインフレ率とGDPギャ

24

ップは5有意ではなくなり単純テイラールールでも小さかった係数はさらに小さ

くなるこれに対して貿易収支比率の係数は貿易収支比率が10ポイント分マイナス

に動けば1金利を引き上げることであるからある程度貿易収支に反応して金融政策

を行っていたと言えるだろう為替変化率の係数は為替レートが10下落したら金利

を1引き上げることであるからこちらもある程度は為替レートに反応して金融政策を

行っていたとも言えるだろうニューヨーク金利とロンドン金利が1上昇すると国内金

利をそれぞれ0204引き上げるということになっている

1926年1月から1931年12月までの推計ではニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれ

を用いた推計でも5で有意な変数はGDPギャップと貿易収支比率とロンドン金利であ

るがロンドン金利は符号条件を満たしていないGDPギャップは有意であるがその係数

は単純テイラールールの推計と同様に小さい貿易収支比率の係数は貿易収支比率で

10ポイント分赤字が増えれば金利を05引き上げることであるからある程度は貿易

収支に反応して金融政策を行っていたと言えるかもしれない

さらに1932年1月から1936年12月までの推計では物価GDPギャップニューヨーク物

価ロンドン金利が5で有意であるGDPギャップニューヨーク物価は符号条件を満た

していないロンドン金利は符号条件を満たしその係数も074と大きく日本の金融政

策はロンドンに追随して行われていたことになる

金本位制を意識して行われていたときには金融政策は対外均衡に重点を置き金本位

制を離脱した後はロンドンの金利に追随していたことになる日本の金融政策が英国

の金融政策に追随していたことは鎮目[2009]第2章の結果とも整合的である

さらに表7は以上の変数に正貨を追加したものであるデータの制約により1919年1

月から29年3月までしか推計できないのでこれは金本位制を意識して金融政策が行われて

いた期間の金融政策を評価していることになる

25

表7 (3)式の拡張テイラールールの推計結果(正貨準備の変化率追加)

係数 係数定数項 r-βπ tar 5431 7511

(7602) (8642)インフレ率 1+β 0028 0024

(1209) (1264)GDPギャップ α 1 0147 0095

(2352) (1698)貿易収支比率 α 2 -0050 -0034

(2522) (2089)為替変化率 α 3 0016 0097

(0173) (0989)NYインフレ率 α 4 0004 -0004

(0166) (0224)NY金利 α 5 -0071

(0665)ロンドン金利 α 5 -0662

(2795)正貨準備の変化率 α 6 -0071 -0087

(0796) (1138)R2 0410 0471自由度調整済みR2 0374 0438標準誤差 1451 1375DW統計量 0808 0934注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

正貨を追加した推計結果ではGDPギャップ貿易収支比率ロンドン金利が有意である

GDPギャップ貿易収支比率は符号条件を満たしているがロンドン金利は満たしていない

表7の1919年から31年の推計結果に比べてGDPギャップの係数の値は大きくなるが景気

安定化効果が大きかったとまでは言えない貿易収支の係数はほとんど変らず貿易収支

の状況を念頭に入れて政策を行っていたと言えるだろうロンドン金利符号が逆で海外

金利が下がると金利を上げるという結果になっている

以上の結果を鎮目[2002]と比べる鎮目は金外貨準備英国の短期金利経常収支

資本収支をテイラールールの式に追加していずれの変数も有意ではなかったと報告し

ているが本稿では追加した変数のうち貿易収支ニューヨーク金利(特にロンドン

金利)が符号条件を満たして有意になっている場合が多く対外均衡を意識した金融政策

が行われていた可能性を示唆している

33 拡張テイラールールに関する政策反応ラグ

以上の拡張テイラールールの推計では貿易収支比率為替変化率ニューヨークイ

26

ンフレ率ロンドン金利を追加したものが良好な推計結果をもたらしたそこで拡張テ

イラールールに関する政策反応ラグを考慮するために以上の変数に加えて被説明変数

の 1期ラグを追加したものを推計する11結果は表8のようになる

表8 拡張テイラールールの金利ラグ付き推計

係数 係数 係数 係数定数項 r-βπ tar 0623 0565 定数項 r-βπ tar 1806 2223

(3922) (3134) (3861) (3396)インフレ率 1+β -00001 0003 インフレ率 1+β 0012 0007

(0023) (0552) (1190) (0761)GDPギャップ α 1 0019 0023 GDPギャップ α 1 0044 0043

(1589) (1875) (2072) (2007)

貿易収支比率 α 2 -0024 -0023 貿易収支比率 α 2 -0019 -0020

(2312) (2239) (1514) (1767)

為替変化率 α 3 -0026 -0025 為替変化率 α 3 -0048 -0045

(1984) (2069) (1607) (1430)

NYインフレ率 α 4 -0002 -0002 NYインフレ率 α 4 -0004 -0004

(0277) (0388) (0337) (0389)NY金利 α 5 0040 NY金利 α 5 -0044

(1532) (1193)

ロンドン金利 α 5 0075 ロンドン金利 α 5 -0163

(1447) (1703)コールレート1期ラグ 0796 0802 コールレート1期ラグ 0680 0657

(18638) (20579) (9505) (8112)R2 0789 0788 R2 0707 0711自由度調整済みR2 0782 0781 自由度調整済みR2 0693 0697標準誤差 0902 0904 標準誤差 1023 1016DW統計量 2581 2574 DW統計量 2408 2415

係数 係数

定数項 r-βπ tar 0527 0900 (2552) (3391)

インフレ率 1+β -0004 -0005(1594) (1249)

GDPギャップ α 1 -0006 -0014

(1174) (1562)

貿易収支比率 α 2 -0001 0010

(0135) (1064)

為替変化率 α 3 0005 0019

(0542) (1247)

NYインフレ率 α 4 -0003 -0008

(1971) (2116)

NY金利 α 5 -0022

(0557)

ロンドン金利 α 5 0386

(3052)コールレート1期ラグ 0833 0608

(9986) (6019)R2 0934 0957自由度調整済みR2 0925 0951標準誤差 0255 0207DW統計量 2478 2362

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

11 単純テイラールールでは説明変数のラグを加えたがここではあまりにも煩雑になること

と単純テイラールールで被説明変数の 1 期ラグが重要であったことから被説明変数の 1 期

ラグのみを追加した

27

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とコールレートの1期ラグであ

る貿易収支比率と為替変化率のどちらの係数も符号条件を満たしているがコールレー

トの1期ラグがない場合と比べて係数の値は小さくなっているただしこの推計をコイ

ック型と考えて係数の長期の値を(1-コールレートの1期ラグの係数)で除すことによっ

て求めれば1期ラグがない場合の係数よりもかなり大きくなる

1926年1月から1931年12月までの推計ではGDPギャップとコールレートの1期ラグのみが

有意となるGDPギャップの長期係数を求めても値は小さいこの期間では金利を安定的

に維持することに金融政策が使われていたと言えるだろう

1932年1月から1936年12月までの推計では有意なものはロンドン金利とニューヨークイ

ンフレ率とコールレートの1期ラグとなってしまうニューヨークインフレ率は符号条件を

満たしているがその係数は小さいロンドン金利の係数は大きく日本の金融政策はロ

ンドンに追随して行われていたことになる

コールレートの1期ラグを入れるといずれの期の金融政策も金利の平準化の要素が大き

いと判断される金本位制を意識して行われていたときには金融政策はある程度は対外

均衡を考えていたようである金本位制を離脱した後はロンドンの金利を考慮していた

ようである

さらに表9は以上の変数に正貨を追加したものである(データの制約により1919年1

月から29年3月までの推計)これは金本位制を意識して金融政策が行われていた期間の金

融政策を評価していることになる

28

表9 正貨準備高の変化率を加えた場合

係数 係数定数項 r-βπ tar 1723 2771

(3126) (2898)インフレ率 1+β 0004 0005

(0356) (0518)GDPギャップ α 1 0088 0072

(2641) (2442)貿易収支比率 α 2 -0023 -0018

(1664) (1321)為替変化率 α 3 -0025 0008

(0544) (0189)NYインフレ率 α 4 -0007 -0010

(0617) (0924)NY金利 α 5 -0012

(0255)ロンドン金利 α 5 -0239

(1470)正貨準備の変化率 α 6 0001 -0005

(0013) (0079)コールレートの1期ラグ 0644 0603

(7451) (6371) R2 0652 0659自由度調整済みR2 0628 0635標準誤差 1119 1107DW統計量 2450 2452注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

有意なものはGDPギャップとコールレートの1期ラグであるGDPギャップは符号条件

を満たしている長期の係数を取ってもその係数は大きいとは言えない

34 対外均衡と対内均衡

対外均衡に重点を置いた金融政策を行うとは経常収支赤字や為替レート下落や外貨準

備の減少に対して金利を引き上げるというルールに従って金融政策を行うことである

通常であれば金本位制の下で国内がインフレになり競争力を失ったり景気が過熱

して輸入が増大したときには経常収支赤字や為替レート下落や外貨準備の減少が起きる

だろう経常収支の赤字や外貨準備の減少が起きたときには金融を引き締めるというルー

ルは国内がインフレになったり景気が過熱したときには引き締めるというルールでも

あるしたがって対外均衡に重点を置くことが国内均衡を必ず妨げるというわけではな

いこれは逆の場合も真実であるしかし1910 年代日本の経常収支や外貨準備は国

内の景気要因で変化したわけではない第 1 次世界大戦によって外需が増加し経常収支

29

が黒字となり外貨準備が増えた金本位制のルールに従って金融政策は緩和されマ

ネタリーベースは 1919 年 1 月から 1920 年 4 月までに 16 倍に増加した輸出超過の国は

金融緩和することによって輸入超過の国の不況を和らげることができる日本は金本

位制の正しいルールに基づいて金融を緩和しただけであるしかし戦争がおわりその

復興需要もなくなったとき経常収支は赤字となり外貨準備は減少したしかしかつ

て金準備に依存して増大していたマネタリーベースはそのままだった失われた外貨準備

に対してマネタリーベースを減少させなければならなかったしかし23 年までマネタリ

ーベースは増大し続けていた関東大震災という不幸もあってマネタリーベースを減少

させることはできなかったその後25 年まで引き下げていたが27 年には金融恐慌があ

りマネタリーベースを削減することができなかったその後28 年までマネタリーベ

ースはむしろ拡大していた29 年には金本位制復帰を目指してマネタリーベースを急減さ

せるがその結果は激しいデフレと不況だった

そもそも国内要因の変化によらない金準備の増加に対してマネタリーベースを拡大し

たことが誤りだった金本位制からの離脱は1917 年ではなくて欧米諸国が離脱した

1914-15 年になすべきだったそうであれば1910 年代末までのマネタリーベースの急増

はなかっただろうところが実際には金本位制から離脱したにも関わらず1920 年にか

けてマネタリーベースは拡大していた1920 年代からは失われた金準備に対してマネタリ

ーベースを削減することが試みられるようになるしかしそれは関東大震災や金融危機

によって頓挫するむしろマネタリーベースを削減するという試みがデフレと不況をも

たらしそれゆえに不良債権が増大してしまったということではないだろうか

35 小括1‐テイラールールの推計から得られた知見

以上のことから考えて1920 年代から 30 年代にかけては金融政策はインフレまたはデ

フレ促進的な政策を行っていた対外均衡にはある程度考慮した金融政策を行っていたこ

とが分かる

しかし1920 年代には金本位制に復帰するという政策が課題となっていたはずである

20 年代がデフレ促進的また対外均衡にある程度考慮した政策を行っていたことはこの

課題にとっては正しいものだろうしかし現実に採られたデフレ促進策では不十分だっ

た物価は旧平価で金本位制に復帰できるほど下がっていなかったのだからまた32 年

以降の金融政策についてもなぜ 32 年から急速な回復ができたのかそれと金融政策とは

どのよう関係しているかは分析できていない

これについて飯田岡田[2004]は昭和恐慌からの回復はデフレ脱却による実質金利

の下落が重要であって名目金利の低下は重要でなかったと分析しているこれによれば

名目金利の変化で金融政策の変化を見ることはできないことになるしたがって名目金

利の変化に着目するテイラールールでは31 年 12 月以降の高橋是清蔵相の金融政策の意

味を理解できないことになる

30

また金融政策が物価および景気安定を意図していなかったら何を意図していたのだ

ろうか本稿での結論は為替レートや経常収支に視点を置いた対外均衡を意識していた

ということになる

いずれにしろテイラールールだけでは戦前期の金融政策を十分には理解できない

ことになるそこで戦前期の金融政策を別の方法で評価してみよう

4マッカラムルールによる金融政策の評価

41 マッカラムルールの意味と定式化とデータ

以下ではマッカラムルールで戦間期の金融政策を評価することにするマッカラム

ルールを用いて金融政策の在り方を判断した研究としてはマッカラム自身の分析を始め

として多くのものがある(例えばMcCallum[1987][1988]マッカラム[1997]第 15 章)

日本のデータを用いたものにおいても McCallum[1987]岡田飯田[2004]などがあるし

かし日本の戦前期についてはおそらく安達[2006](第7章)しかないと思われる安

達は年データを用い目標値として設定された名目 GNP 成長率(5と設定している)

を達成するためのマネタリーベースを求め現実のマネタリーベースの成長率が 1936 年ま

で過小でそれ以降過大であることを示している本稿では月次データを用いているので

期間ごとの金融政策の在り方も検討することができる

マッカラムルールとはマネタリーベースの成長率を名目GDPの望ましい成長率に

依存させるルールである(McCallum[1987]マッカラム[1997]第 15 章)しかし貨幣の

流通速度 vは変化するので貨幣の流通速度の変化に応じてマネタリーベース bの動きを調

整することが必要となるこのようなルールはbvなどを対数値として望ましいマネタ

リーベースの成長率⊿bをマネタリーベースの流通速度Δvに応じて変化させるというルー

ルであるただしvは景気変動によって大きく変動しているのでそれが技術的な変化と

見なせる 2 年間の平均値 tvΔ であるとする12すなわちマッカラムルールに基づくマネタ

リーベースの成長率とは

tbΔ =マネタリーベースの望ましい成長率- tvΔ

であるここでマネタリーベースの望ましい成長率はサンプル期間(1919 年 1 月から 1933

年 12 月まで)のマネタリーベースの平均成長率とする13マッカラムはマネタリーベース

の望ましい成長率を名目 GDP の成長率としているがここではまずこの期間の経済を再現

することを目的としているので現実のマネタリーベースの成長率を採用したマネタリ

12 マッカラム(1997)第 15 章では流通速度として 4年平均を使用しているが本稿ではサンプル

期間が短いため 2年平均としている 13 サンプル期間は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月であるがマネタリーベースの流通速度の平

均値作成のため 初の 24 か月が失うのでここで計算された望ましいマネタリーベースの成長

率は 1921 年 1 月から 1933 年 12 月までの平均となっている

31

ーベースの動きを図 10 に示しているマネタリーベースは季節性が強いので季調値も図示

しているなお前述のように戦前期の月次名目 GDP のデータは存在しないのでIIP に

卸売物価を掛けたものを名目 GDP の代理変数とする(ここで使うデータの定義と出所は前

掲の表1にある)

図 10 マネタリーベース(原数値と季節調整値)の動き

0

50000

100000

150000

200000

250000

19191

19197

19201

19207

19211

19217

19221

19227

19231

19237

19241

19247

19251

19257

19261

19267

19271

19277

19281

19287

19291

19297

19301

19307

19311

19317

19321

19327

19331

19337

観察されたベースマネー(単位万円) 季節調整済マネタリーベース(単位万円)

作成されたマネタリーベースの成長率は1919 年 1 月から 33 年 12 月までで年率 12

月次では 01となるすなわち

tbΔ =0001- tvΔ

ここで考察する期間を 1919 年 1 月から 33 年 12 月までとしたのは34 年以降の GDP の伸び

が大きすぎトレンドの作成において歪みを生じさせるからであるまた33 年は昭和恐

慌から脱却し経済が安定していた時期でもある

さらに名目 GDP が何らかのショックによって平均的な成長経路よりも上回った時に

はマネタリーベースの伸び率を低下させるようなルール(下回った場合は逆)を導入し

ようすなわち

tbΔ =0001-

1 1( )t t tv y yλ minus minusΔ + minus

32

となるただし目標値

1ty minus は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月までの月次平均成長率 04

成長経路での名目 GDP の対数値であるまたマッカラムによればλは四半期データで 025

が望ましいとされているがここでは月次データを使用しているのでとりあえず 12 分の 1

とすることを考えたがこの期間の名目 GDP は戦後の日米名目 GDP のデータより大きく変

動しているのでさらに小さくする必要があるマッカラムも「λの値を選択する場合

もし間違えるとすれば小さな値を採るほうがよい」(マッカラム[1997]308 頁)としている

そこでλは 36 分の1とした 終的なルールは

tbΔ =0001-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (5)

となる

マッカラムは望ましいインフレ率をゼロとするマネタリールールを求めているがこ

こでは実際には大きく変動したマネタリーベースを安定的に動かしていたらどうなったか

を考えることにしているので名目 GDP の動きは現実のものを使いルールにもとづくマ

ネタリーベースと実際のマネタリーベースをまず比較することにする

次に名目 GDP の決定に関する次のようなモデルを 小二乗法により推計する結果は

1 1 2 3

2

0004 0295 0053 0110 0106 0071 - 0069 23- 0046 27(1596) (3634) (1054) (1404) (2300) (1831) (6731)

R 0109 SE=0029 BG(24)=33227

(1822) t t t t t t ty y b b b b dummy dummy eminus minus minus minusΔ = + Δ + Δ + Δ + Δ + Δ +

=

(6)

となる14但し yΔ は名目 GDP の変化率 bΔ はマネタリーベースの成長率dummy23 は関東

大震災の時の一時的な変動をとらえるために 1923 年 9 月を 1それ以外を 0 としたダミー

変数dummy27 は金融恐慌時の一時的な変動をとらえるために 1927 年 4 月 5 月を 1それ

以外を 0としたダミー変数サンプル期間は推計に使用する変数が全て揃う 1921 年 1 月か

ら 1933 年 12 月までまたここでの残差 te は攪乱項の推定値2R SE BG(p) はそれぞれ

自由度修正済み決定係数攪乱項の標準誤差p 次の Breuch-Godfrey テストのχ二乗統計

量( )内は Newey-West の方法により修正した t値を示している15

ここで当時マッカラムルールなどという議論がなかったのだからこのような分

14 ここでは bΔ は現実のマネタリーベースの成長率を使用して推計を行っている 15 研究の対象期間は 1919 年 1 月からであるが平均流通速度 tvΔ の計算のために 初の 24 ヶ

月分が使用できないそのため他のシミュレーションの対象期間と整合性を保つため 1921 年 1

月からとしているまたこの推計式にはラグ付き内生変数を含むためダービンワトソンテスト

ではなく Breush-Godfrey テストを報告しているこの Breush-Godfrey テストから系列相関が疑

われるためNewey-West の方法により標準誤差を修正している

33

析は意味がないという批判があるかもしれないがこれにはテイラールールの節で述べ

たのと同じ反論が可能であるマッカラムルールとは名目 GDP が上昇しすぎたら(そ

のときには景気が過熱するかインフレが高進していると考えられる)マネーを縮小し

名目 GDP が下降しすぎたら(そのときは景気が悪化するかデフレになっている)マネーを

拡大するという素朴なルールである当時このようなルールが意識されていなかったと

は考え難い

42 長期的な経済を再現するシミュレーション

まずマッカラムルールによって現実の長期的な経済の経路を再現してみようルー

ルにもとづくマネタリーベースと実際のマネタリーベースのレベルと成長率とを図

11(1)(2)に示す

政策ルール(5)式が実施された場合の名目 GDP(の代理変数)の動きを見るために(5)式

から得られる理論値 tbΔ (6)式の残差 te 初期値 1ty minusΔ に目標 GDP

1ty minusΔ を代入してマ

ッカラムルールに従った場合の名目 GDP y の系列を求める現実の xとマネタリーベース

のルールに従った場合の y の系列を比べてみたのが図 11-(3)である図 11-(3)からマ

ネタリーベースのルールに従った場合の y の系列が安定していることが分かるこのよう

に安定的な名目 GDP の系列を得るためには第 1 次世界大戦後の金融引締めが過大で20

年代初期の金融緩和が過大30 年の金融引締めが過大だったと判断される

図 11 マッカラムルール

(1)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

34

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT MBDOT

注)BDOT はマッカラムルールの下でのマネタリーべースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(2)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

35

100000

120000

140000

160000

180000

200000

220000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC MB_SA

注)MB_SA はマネタリーベース(季節調整済)の現実値

B_MC はマッカラムルールに従った場合のマネタリーベース水準

またマッカラムルールの下でのマネタリーベースの初期値は現実値を使用

単位は万円

(3)マッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

36

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULE XSTAR X

注)GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

43 物価を下落させるシミュレーション

以上の結果はマネタリーベースの伸びを安定的にしていれば経済変動はより少なく

なっていただろうということを示しているしかしもし第 1 次世界大戦前の旧平価で金

本位制に復帰することが目的であったとしたら1節で述べたように物価を 3 割下げな

ければならない名目 GDP(その代理変数)は実質 GDP の変化がないとして1919 年 12

月から 29 年 12 月までに 3割下がらなければならない

そこで名目 GDP(その代理変数) y は現実の値よりも毎月 03ずつ低下しなければ

ならないので(5)式の定数項 0001 から 0003 を引いて-0002 とするすなわち

tbΔ =-0002-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (7)

とならなければならないここでの系列 y も実際の値から毎月 03ずつ引き下げたも

のを使っているつぎに(7)式の bを(6)式に入れると図 12 のようになる図に見られるよ

うに名目 GDP は安定しかつ小さくなっているすなわち物価が 3 割下落していること

が分かる

37

図 12 物価を下落させた場合

(1) 名目 GDP の目標値とマッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULEXSTAR

XGDP3_RULE

XSTAR_3

注) GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

GDP3_RULE は物価を 3割下げたマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR_3 は物価を 3割下げた場合の目標となる名目 GDP(対数値)

38

(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

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  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 19: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

18

された係数の値をみるとこの時期のβ も表 4(1)の全期間を対象とした値とあまり変わ

らないが 1λ はやや小さくなっているこの時期政策策定者は金利を平準化しつつイン

フレを促進するような政策をとっていた可能性がある

後に金本位制離脱以後の推計結果表 4(3)からは 1λ 以外は有意ではない

すなわち全期間を通していえることは金利の平準化の要素が強くまたインフレおよび

デフレを是認あるいは促進的な政策となっていた係数の値はいずれも小さくλの係数

をコイック型のラグと考えてそれぞれの係数を 1(1-λ)倍しても小さい

3拡張テイラールール

31 拡張テイラールールの定式化先行研究データ

これまでの結果は物価については鎮目[2002](図表7)とも共通であり物価を不安

定にする金融政策が行われていたことになるさらに鎮目では GDP ギャップの係数は 31

年までは正であり景気変動抑制的だったが32 年以降は負となり景気変動を拡大する

ような金融政策が行われていたことになる本稿の GDP ギャップの係数も正から負に変わ

っているただしいずれにしろその係数は小さいので景気変動を抑制するように金融

政策が行われていたとは言えない

以上の結果はむしろ戦間期の金融政策は金融政策は国内の経済安定に重点を置い

て物価と景気を見ながら行うべきというテイラールールでは説明することが難しいと解

釈すべきだろうこれは鎮目の結果とも共通しているそこで次に戦間期の金融政策は

経常収支為替レートの安定など対外均衡に重点を置いて行われていたのではないかと

いう常識に従いテイラールールを拡張して金融政策が経常収支や金外貨準備や海外

金利にも影響されて行われていたとする鎮目[2002]はテイラールールに金外貨準

備海外金利経常収支資本収支を加えている月次で資本収支(およびその代理変数)

のデータを得ることはできなかったので我々の推計式は鎮目[2002]を参考に

1 2 3 4 5 6( ) (1 )tar

t t t t t t t t ti r x TB S NYP fori reserveβπ β π α α α α α α ε= minus + + + + + + + + +

(4)

とする

ここで月次の経常収支はデータが得られないため輸出入の差を名目GDPで割った貿易収

支比率TBを使用している(ここで用いている名目GDPは鉱工業生産指数times卸売物価指数で

ある)貿易収支比率は実際の名目GNPで修正している7またSは為替レートの変化率を

7貿易収支比率 TBは具体的には以下である

1928t1928 GNP( ) 100

1928 t GDP( )GDP( ) 1928

tTB = times times

年の貿易収支合計

期の貿易収支年の名目 大川推計

月次貿易収支の 年平均 期の名目 の代理変数

月次名目 の代理変数 の 年平均

19

示しており値が増えるのが円高である8ニューヨーク物価NYPはニューヨークの卸売物価

指数の前年同月変化率()であるforiは外国の市中金利()を示しニューヨーク金利

あるいはロンドン金利のいずれかである貿易収支が赤字に円の為替レートが下落すれ

ば金利は引き締められるニューヨークの物価が下落すれば日本の金融も引き締めざ

るを得ないニューヨークまたはロンドンの金利に追随するしかないと考える正貨

reserveは金本位制であればこれが増大すれば金融を緩和し減少すれば金融を引き締め

ることになる(ただし正貨は21年3月から29年3月までのデータしかない)また正貨は

1924年1月から11月1925年289月のデータが欠損しているので線形補間によってデ

ータを補っている9

符号条件は貿易収支比率為替レート変化率ニューヨーク物価上昇率正貨が負

ニューヨークおよびロンドンの金利が正である

以上で為替レートニューヨーク物価が鎮目[2002]の分析に対し新たに追加した変

数である

ここで新しく追加した変数貿易収支比率と為替レートと名目GDPの代理変数とニュー

ヨーク物価とニューヨーク金利とロンドン金利と正貨準備を図7図8図9に示してお

くここで名目GDP(その代理変数)は鉱工業生産times卸売物価指数である

8第1節と同じように為替レートの水準は 100 円当たりのドルで表しているので変化率

に修正しても値が大きくなると円高を示すことになる 9 また日本銀行調査局『本邦経済統計』では1922 年 11 月の正貨準備高の値が 1386957540円と記載されているが前後月の数値から判断して 1836957540 円の誤記と推測し修正を加

えている

20

図 7 コールレートニューヨーク市中金利ロンドン市中金利

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

200

0

2

4

6

8

10

12

14

16

18

コールレート(右軸) ニューヨーク市中金利(右軸) ロンドン市中金利(右軸)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

図 8 貿易収支比率為替レート変化率名目 GDP(対数値)

0

2

4

6

8

10

12

14

-50

-40

-30

-20

-10

0

10

20

30

貿易収支比率 為替レート変化率 名目GDP

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

21

図 9 正貨準備高ニューヨークインフレ率

0

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

-60

-40

-20

0

20

40

60

正貨(単位億円) ニューヨークインフレ率(卸売り物価指数)

なお追加した説明変数貿易収支比率為替レートニューヨーク物価ニューヨー

ク金利ロンドン金利正貨準備が独立でないという問題があるうちニューヨーク金

利とロンドン金利は同時には入れず他の変数と代替的に入れることとするそれでも

貿易収支比率と為替レートが独立ではないという問題があるかもしれない単純に為替

レートが割安であれば経常収支が黒字に動き割高であれば経常収支が赤字に動くという

メカニズムによって為替レートと経常収支が独立ではないということになる

また為替レート関数の推計において自国と他国の物価マネーサプライ金利生

産に加えて経常収支またはその累積を説明変数に入れるのが通常であることを考えれ

ば当然に問題となるしかし多くの推計で為替レートに対して経常収支またはそ

の累積の説明力はそれほど高くはない10

ちなみに変数間の相関行列を取ると表5のようになる(推計期間は正貨を含む変数間

は 1919 年から 1929 年 3 月それ以外の変数間は 1919 年 1 月 1936 年 12 月まである)貿

易収支比率と為替レートの相関を取ると相関係数は 0029 でありマルチコリニアリティ

10 深尾[1983] (167 頁)は日本の米国に対する 100 億ドルの経常黒字は 64の円高ドル

安要因になるとしているこれは大きな効果だがその後の推計によると経常収支黒字が円高

をもたらす効果は大きくはない河合[1986](第 94 表214 頁)によれば経常収支累積額が

1の上昇は実質為替レートを 0068~0163上昇させるにすぎないその後も同様の推計

がなされているが(経済企画庁[1997]第 1-2-1 図③経済企画庁[1999]付図 1-5-2原田[2004])いずれの推計においても経常収支が為替レートに与える影響は大きなものではない

22

の問題は避けられていると判断できる当時のデータで為替と貿易収支の相関が弱い理

由として金解禁への動きが度々予想されていたので為替レートが貿易など実態経済

の状況にかかわらず高騰していたこともあげられる表 5 から説明変数間で(被説明変

数のコールレートを除く)相関係数の絶対値が 04 以上のものを上げると卸売物価と GDP

ギャップ卸売物価とニューヨーク卸売物価GDP ギャップとニューヨーク卸売物価ニュ

ーヨーク金利とロンドン金利貿易収支比率とコールレートがそうである卸売物価と GDP

ギャップはテイラールールの基本的な説明変数なので両者をともに入れるがニューヨ

ーク金利とロンドン金利については代替的にも推計することとする

表5 拡張テイラールールで使用された変数の相関行列

コールレート

インフレ率GDPギャッ

プ貿易収支比

率為替変化

率NYインフレ

率NY金利

ロンドン金利

正貨準備変化率

コールレート 1000 0222 0293 -0441 -0112 0082 0437 0264 -0113

インフレ率 1000 0437 0046 -0024 0482 0198 -0340 -0005

GDPギャップ 1000 -0056 0205 0605 0246 -0119 0042

貿易収支比率 1000 0029 0189 -0182 -0252 0183

為替変化率 1000 0259 0023 0019 0058

NYインフレ率 1000 -0071 -0378 -0084

NY金利 1000 0649 0291

ロンドン市中金利 1000 0092

正貨準備変化率 1000

32 拡張テイラールールの推計結果

推計期間は貿易収支が入手可能な1926年1月から1936年12月までの全期間と上述の(2)

式と比較するために1931年12月までとそれ以降の期間とする推計結果は表6の通り

である推計については上記3つの推計期間において 小二乗法を行っている新しく追

加した変数貿易収支比率為替レートの変化率ニューヨーク卸売物価上昇率ニュー

ヨーク金利ロンドン金利正貨準備の変化率の単位はである推計に当たっては系

列相関が疑われるためNewey-Westの方法によって標準誤差の修正を行っている

23

表6 拡張テイラールールの推計結果

係数 係数 係数 係数

定数項 r-βπ tar 3155 2980 定数項 r -βπ tar 5780 6596 (10072) (6939) (12603) (13464)

インフレ率 1+β 0008 0027 インフレ率 1+β 0041 0025

(0552) (1600) (1957) (1399)

GDPギャップ α 1 0036 0057 GDPギャップ α 1 0090 0083

(1156) (1798) (2584) (2412)

貿易収支比率 α 2 -0105 -0106 貿易収支比率 α 2 -0053 -0054

(5627) (4937) (2671) (3396)為替変化率 α 3 -0109 -0110 為替変化率 α 3 -0062 -0051

(3782) (3755) (1345) (0998)

NYインフレ率 α 4 0014 0011 NYインフレ率 α 4 0014 0012

(0820) (0645) (0651) (0682)

NY金利 α 5 0212 NY金利 α 5 -0133

(3002) (1599)

ロンドン金利 α 5 0399 ロンドン金利 α 5 -0466

(2870) (3071)R2 0397 0375 R2 0468 0503

自由度調整済みR2 0380 0357 自由度調整済みR2 0447 0483

標準誤差 1520 1548 標準誤差 1375 1329

DW統計量 0568 0531 DW統計量 0700 0794

係数 係数

定数項 r-βπ tar 2703 2617

(6657) (26032)

インフレ率 1+β -0018 -0016

(1920) (2396)

GDPギャップ α 1 -0052 -0059

(2353) (5464)

貿易収支比率 α 2 -0031 0004

(1779) (0381)

為替変化率 α 3 -0007 0028

(0423) (1526)

NYインフレ率 α 4 -0017 -0024

(3808) (5526)

NY金利 α 5 0423

(1421)

ロンドン金利 α 5 0742

(7283)

R2 0797 0899自由度調整済みR2 0774 0887

標準誤差 0443 0313

DW統計量 0757 0925

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とそれぞれの金利だけである

どちらの推計でもこれらの有意な変数は符号条件を満たしているインフレ率とGDPギャ

24

ップは5有意ではなくなり単純テイラールールでも小さかった係数はさらに小さ

くなるこれに対して貿易収支比率の係数は貿易収支比率が10ポイント分マイナス

に動けば1金利を引き上げることであるからある程度貿易収支に反応して金融政策

を行っていたと言えるだろう為替変化率の係数は為替レートが10下落したら金利

を1引き上げることであるからこちらもある程度は為替レートに反応して金融政策を

行っていたとも言えるだろうニューヨーク金利とロンドン金利が1上昇すると国内金

利をそれぞれ0204引き上げるということになっている

1926年1月から1931年12月までの推計ではニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれ

を用いた推計でも5で有意な変数はGDPギャップと貿易収支比率とロンドン金利であ

るがロンドン金利は符号条件を満たしていないGDPギャップは有意であるがその係数

は単純テイラールールの推計と同様に小さい貿易収支比率の係数は貿易収支比率で

10ポイント分赤字が増えれば金利を05引き上げることであるからある程度は貿易

収支に反応して金融政策を行っていたと言えるかもしれない

さらに1932年1月から1936年12月までの推計では物価GDPギャップニューヨーク物

価ロンドン金利が5で有意であるGDPギャップニューヨーク物価は符号条件を満た

していないロンドン金利は符号条件を満たしその係数も074と大きく日本の金融政

策はロンドンに追随して行われていたことになる

金本位制を意識して行われていたときには金融政策は対外均衡に重点を置き金本位

制を離脱した後はロンドンの金利に追随していたことになる日本の金融政策が英国

の金融政策に追随していたことは鎮目[2009]第2章の結果とも整合的である

さらに表7は以上の変数に正貨を追加したものであるデータの制約により1919年1

月から29年3月までしか推計できないのでこれは金本位制を意識して金融政策が行われて

いた期間の金融政策を評価していることになる

25

表7 (3)式の拡張テイラールールの推計結果(正貨準備の変化率追加)

係数 係数定数項 r-βπ tar 5431 7511

(7602) (8642)インフレ率 1+β 0028 0024

(1209) (1264)GDPギャップ α 1 0147 0095

(2352) (1698)貿易収支比率 α 2 -0050 -0034

(2522) (2089)為替変化率 α 3 0016 0097

(0173) (0989)NYインフレ率 α 4 0004 -0004

(0166) (0224)NY金利 α 5 -0071

(0665)ロンドン金利 α 5 -0662

(2795)正貨準備の変化率 α 6 -0071 -0087

(0796) (1138)R2 0410 0471自由度調整済みR2 0374 0438標準誤差 1451 1375DW統計量 0808 0934注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

正貨を追加した推計結果ではGDPギャップ貿易収支比率ロンドン金利が有意である

GDPギャップ貿易収支比率は符号条件を満たしているがロンドン金利は満たしていない

表7の1919年から31年の推計結果に比べてGDPギャップの係数の値は大きくなるが景気

安定化効果が大きかったとまでは言えない貿易収支の係数はほとんど変らず貿易収支

の状況を念頭に入れて政策を行っていたと言えるだろうロンドン金利符号が逆で海外

金利が下がると金利を上げるという結果になっている

以上の結果を鎮目[2002]と比べる鎮目は金外貨準備英国の短期金利経常収支

資本収支をテイラールールの式に追加していずれの変数も有意ではなかったと報告し

ているが本稿では追加した変数のうち貿易収支ニューヨーク金利(特にロンドン

金利)が符号条件を満たして有意になっている場合が多く対外均衡を意識した金融政策

が行われていた可能性を示唆している

33 拡張テイラールールに関する政策反応ラグ

以上の拡張テイラールールの推計では貿易収支比率為替変化率ニューヨークイ

26

ンフレ率ロンドン金利を追加したものが良好な推計結果をもたらしたそこで拡張テ

イラールールに関する政策反応ラグを考慮するために以上の変数に加えて被説明変数

の 1期ラグを追加したものを推計する11結果は表8のようになる

表8 拡張テイラールールの金利ラグ付き推計

係数 係数 係数 係数定数項 r-βπ tar 0623 0565 定数項 r-βπ tar 1806 2223

(3922) (3134) (3861) (3396)インフレ率 1+β -00001 0003 インフレ率 1+β 0012 0007

(0023) (0552) (1190) (0761)GDPギャップ α 1 0019 0023 GDPギャップ α 1 0044 0043

(1589) (1875) (2072) (2007)

貿易収支比率 α 2 -0024 -0023 貿易収支比率 α 2 -0019 -0020

(2312) (2239) (1514) (1767)

為替変化率 α 3 -0026 -0025 為替変化率 α 3 -0048 -0045

(1984) (2069) (1607) (1430)

NYインフレ率 α 4 -0002 -0002 NYインフレ率 α 4 -0004 -0004

(0277) (0388) (0337) (0389)NY金利 α 5 0040 NY金利 α 5 -0044

(1532) (1193)

ロンドン金利 α 5 0075 ロンドン金利 α 5 -0163

(1447) (1703)コールレート1期ラグ 0796 0802 コールレート1期ラグ 0680 0657

(18638) (20579) (9505) (8112)R2 0789 0788 R2 0707 0711自由度調整済みR2 0782 0781 自由度調整済みR2 0693 0697標準誤差 0902 0904 標準誤差 1023 1016DW統計量 2581 2574 DW統計量 2408 2415

係数 係数

定数項 r-βπ tar 0527 0900 (2552) (3391)

インフレ率 1+β -0004 -0005(1594) (1249)

GDPギャップ α 1 -0006 -0014

(1174) (1562)

貿易収支比率 α 2 -0001 0010

(0135) (1064)

為替変化率 α 3 0005 0019

(0542) (1247)

NYインフレ率 α 4 -0003 -0008

(1971) (2116)

NY金利 α 5 -0022

(0557)

ロンドン金利 α 5 0386

(3052)コールレート1期ラグ 0833 0608

(9986) (6019)R2 0934 0957自由度調整済みR2 0925 0951標準誤差 0255 0207DW統計量 2478 2362

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

11 単純テイラールールでは説明変数のラグを加えたがここではあまりにも煩雑になること

と単純テイラールールで被説明変数の 1 期ラグが重要であったことから被説明変数の 1 期

ラグのみを追加した

27

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とコールレートの1期ラグであ

る貿易収支比率と為替変化率のどちらの係数も符号条件を満たしているがコールレー

トの1期ラグがない場合と比べて係数の値は小さくなっているただしこの推計をコイ

ック型と考えて係数の長期の値を(1-コールレートの1期ラグの係数)で除すことによっ

て求めれば1期ラグがない場合の係数よりもかなり大きくなる

1926年1月から1931年12月までの推計ではGDPギャップとコールレートの1期ラグのみが

有意となるGDPギャップの長期係数を求めても値は小さいこの期間では金利を安定的

に維持することに金融政策が使われていたと言えるだろう

1932年1月から1936年12月までの推計では有意なものはロンドン金利とニューヨークイ

ンフレ率とコールレートの1期ラグとなってしまうニューヨークインフレ率は符号条件を

満たしているがその係数は小さいロンドン金利の係数は大きく日本の金融政策はロ

ンドンに追随して行われていたことになる

コールレートの1期ラグを入れるといずれの期の金融政策も金利の平準化の要素が大き

いと判断される金本位制を意識して行われていたときには金融政策はある程度は対外

均衡を考えていたようである金本位制を離脱した後はロンドンの金利を考慮していた

ようである

さらに表9は以上の変数に正貨を追加したものである(データの制約により1919年1

月から29年3月までの推計)これは金本位制を意識して金融政策が行われていた期間の金

融政策を評価していることになる

28

表9 正貨準備高の変化率を加えた場合

係数 係数定数項 r-βπ tar 1723 2771

(3126) (2898)インフレ率 1+β 0004 0005

(0356) (0518)GDPギャップ α 1 0088 0072

(2641) (2442)貿易収支比率 α 2 -0023 -0018

(1664) (1321)為替変化率 α 3 -0025 0008

(0544) (0189)NYインフレ率 α 4 -0007 -0010

(0617) (0924)NY金利 α 5 -0012

(0255)ロンドン金利 α 5 -0239

(1470)正貨準備の変化率 α 6 0001 -0005

(0013) (0079)コールレートの1期ラグ 0644 0603

(7451) (6371) R2 0652 0659自由度調整済みR2 0628 0635標準誤差 1119 1107DW統計量 2450 2452注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

有意なものはGDPギャップとコールレートの1期ラグであるGDPギャップは符号条件

を満たしている長期の係数を取ってもその係数は大きいとは言えない

34 対外均衡と対内均衡

対外均衡に重点を置いた金融政策を行うとは経常収支赤字や為替レート下落や外貨準

備の減少に対して金利を引き上げるというルールに従って金融政策を行うことである

通常であれば金本位制の下で国内がインフレになり競争力を失ったり景気が過熱

して輸入が増大したときには経常収支赤字や為替レート下落や外貨準備の減少が起きる

だろう経常収支の赤字や外貨準備の減少が起きたときには金融を引き締めるというルー

ルは国内がインフレになったり景気が過熱したときには引き締めるというルールでも

あるしたがって対外均衡に重点を置くことが国内均衡を必ず妨げるというわけではな

いこれは逆の場合も真実であるしかし1910 年代日本の経常収支や外貨準備は国

内の景気要因で変化したわけではない第 1 次世界大戦によって外需が増加し経常収支

29

が黒字となり外貨準備が増えた金本位制のルールに従って金融政策は緩和されマ

ネタリーベースは 1919 年 1 月から 1920 年 4 月までに 16 倍に増加した輸出超過の国は

金融緩和することによって輸入超過の国の不況を和らげることができる日本は金本

位制の正しいルールに基づいて金融を緩和しただけであるしかし戦争がおわりその

復興需要もなくなったとき経常収支は赤字となり外貨準備は減少したしかしかつ

て金準備に依存して増大していたマネタリーベースはそのままだった失われた外貨準備

に対してマネタリーベースを減少させなければならなかったしかし23 年までマネタリ

ーベースは増大し続けていた関東大震災という不幸もあってマネタリーベースを減少

させることはできなかったその後25 年まで引き下げていたが27 年には金融恐慌があ

りマネタリーベースを削減することができなかったその後28 年までマネタリーベ

ースはむしろ拡大していた29 年には金本位制復帰を目指してマネタリーベースを急減さ

せるがその結果は激しいデフレと不況だった

そもそも国内要因の変化によらない金準備の増加に対してマネタリーベースを拡大し

たことが誤りだった金本位制からの離脱は1917 年ではなくて欧米諸国が離脱した

1914-15 年になすべきだったそうであれば1910 年代末までのマネタリーベースの急増

はなかっただろうところが実際には金本位制から離脱したにも関わらず1920 年にか

けてマネタリーベースは拡大していた1920 年代からは失われた金準備に対してマネタリ

ーベースを削減することが試みられるようになるしかしそれは関東大震災や金融危機

によって頓挫するむしろマネタリーベースを削減するという試みがデフレと不況をも

たらしそれゆえに不良債権が増大してしまったということではないだろうか

35 小括1‐テイラールールの推計から得られた知見

以上のことから考えて1920 年代から 30 年代にかけては金融政策はインフレまたはデ

フレ促進的な政策を行っていた対外均衡にはある程度考慮した金融政策を行っていたこ

とが分かる

しかし1920 年代には金本位制に復帰するという政策が課題となっていたはずである

20 年代がデフレ促進的また対外均衡にある程度考慮した政策を行っていたことはこの

課題にとっては正しいものだろうしかし現実に採られたデフレ促進策では不十分だっ

た物価は旧平価で金本位制に復帰できるほど下がっていなかったのだからまた32 年

以降の金融政策についてもなぜ 32 年から急速な回復ができたのかそれと金融政策とは

どのよう関係しているかは分析できていない

これについて飯田岡田[2004]は昭和恐慌からの回復はデフレ脱却による実質金利

の下落が重要であって名目金利の低下は重要でなかったと分析しているこれによれば

名目金利の変化で金融政策の変化を見ることはできないことになるしたがって名目金

利の変化に着目するテイラールールでは31 年 12 月以降の高橋是清蔵相の金融政策の意

味を理解できないことになる

30

また金融政策が物価および景気安定を意図していなかったら何を意図していたのだ

ろうか本稿での結論は為替レートや経常収支に視点を置いた対外均衡を意識していた

ということになる

いずれにしろテイラールールだけでは戦前期の金融政策を十分には理解できない

ことになるそこで戦前期の金融政策を別の方法で評価してみよう

4マッカラムルールによる金融政策の評価

41 マッカラムルールの意味と定式化とデータ

以下ではマッカラムルールで戦間期の金融政策を評価することにするマッカラム

ルールを用いて金融政策の在り方を判断した研究としてはマッカラム自身の分析を始め

として多くのものがある(例えばMcCallum[1987][1988]マッカラム[1997]第 15 章)

日本のデータを用いたものにおいても McCallum[1987]岡田飯田[2004]などがあるし

かし日本の戦前期についてはおそらく安達[2006](第7章)しかないと思われる安

達は年データを用い目標値として設定された名目 GNP 成長率(5と設定している)

を達成するためのマネタリーベースを求め現実のマネタリーベースの成長率が 1936 年ま

で過小でそれ以降過大であることを示している本稿では月次データを用いているので

期間ごとの金融政策の在り方も検討することができる

マッカラムルールとはマネタリーベースの成長率を名目GDPの望ましい成長率に

依存させるルールである(McCallum[1987]マッカラム[1997]第 15 章)しかし貨幣の

流通速度 vは変化するので貨幣の流通速度の変化に応じてマネタリーベース bの動きを調

整することが必要となるこのようなルールはbvなどを対数値として望ましいマネタ

リーベースの成長率⊿bをマネタリーベースの流通速度Δvに応じて変化させるというルー

ルであるただしvは景気変動によって大きく変動しているのでそれが技術的な変化と

見なせる 2 年間の平均値 tvΔ であるとする12すなわちマッカラムルールに基づくマネタ

リーベースの成長率とは

tbΔ =マネタリーベースの望ましい成長率- tvΔ

であるここでマネタリーベースの望ましい成長率はサンプル期間(1919 年 1 月から 1933

年 12 月まで)のマネタリーベースの平均成長率とする13マッカラムはマネタリーベース

の望ましい成長率を名目 GDP の成長率としているがここではまずこの期間の経済を再現

することを目的としているので現実のマネタリーベースの成長率を採用したマネタリ

12 マッカラム(1997)第 15 章では流通速度として 4年平均を使用しているが本稿ではサンプル

期間が短いため 2年平均としている 13 サンプル期間は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月であるがマネタリーベースの流通速度の平

均値作成のため 初の 24 か月が失うのでここで計算された望ましいマネタリーベースの成長

率は 1921 年 1 月から 1933 年 12 月までの平均となっている

31

ーベースの動きを図 10 に示しているマネタリーベースは季節性が強いので季調値も図示

しているなお前述のように戦前期の月次名目 GDP のデータは存在しないのでIIP に

卸売物価を掛けたものを名目 GDP の代理変数とする(ここで使うデータの定義と出所は前

掲の表1にある)

図 10 マネタリーベース(原数値と季節調整値)の動き

0

50000

100000

150000

200000

250000

19191

19197

19201

19207

19211

19217

19221

19227

19231

19237

19241

19247

19251

19257

19261

19267

19271

19277

19281

19287

19291

19297

19301

19307

19311

19317

19321

19327

19331

19337

観察されたベースマネー(単位万円) 季節調整済マネタリーベース(単位万円)

作成されたマネタリーベースの成長率は1919 年 1 月から 33 年 12 月までで年率 12

月次では 01となるすなわち

tbΔ =0001- tvΔ

ここで考察する期間を 1919 年 1 月から 33 年 12 月までとしたのは34 年以降の GDP の伸び

が大きすぎトレンドの作成において歪みを生じさせるからであるまた33 年は昭和恐

慌から脱却し経済が安定していた時期でもある

さらに名目 GDP が何らかのショックによって平均的な成長経路よりも上回った時に

はマネタリーベースの伸び率を低下させるようなルール(下回った場合は逆)を導入し

ようすなわち

tbΔ =0001-

1 1( )t t tv y yλ minus minusΔ + minus

32

となるただし目標値

1ty minus は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月までの月次平均成長率 04

成長経路での名目 GDP の対数値であるまたマッカラムによればλは四半期データで 025

が望ましいとされているがここでは月次データを使用しているのでとりあえず 12 分の 1

とすることを考えたがこの期間の名目 GDP は戦後の日米名目 GDP のデータより大きく変

動しているのでさらに小さくする必要があるマッカラムも「λの値を選択する場合

もし間違えるとすれば小さな値を採るほうがよい」(マッカラム[1997]308 頁)としている

そこでλは 36 分の1とした 終的なルールは

tbΔ =0001-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (5)

となる

マッカラムは望ましいインフレ率をゼロとするマネタリールールを求めているがこ

こでは実際には大きく変動したマネタリーベースを安定的に動かしていたらどうなったか

を考えることにしているので名目 GDP の動きは現実のものを使いルールにもとづくマ

ネタリーベースと実際のマネタリーベースをまず比較することにする

次に名目 GDP の決定に関する次のようなモデルを 小二乗法により推計する結果は

1 1 2 3

2

0004 0295 0053 0110 0106 0071 - 0069 23- 0046 27(1596) (3634) (1054) (1404) (2300) (1831) (6731)

R 0109 SE=0029 BG(24)=33227

(1822) t t t t t t ty y b b b b dummy dummy eminus minus minus minusΔ = + Δ + Δ + Δ + Δ + Δ +

=

(6)

となる14但し yΔ は名目 GDP の変化率 bΔ はマネタリーベースの成長率dummy23 は関東

大震災の時の一時的な変動をとらえるために 1923 年 9 月を 1それ以外を 0 としたダミー

変数dummy27 は金融恐慌時の一時的な変動をとらえるために 1927 年 4 月 5 月を 1それ

以外を 0としたダミー変数サンプル期間は推計に使用する変数が全て揃う 1921 年 1 月か

ら 1933 年 12 月までまたここでの残差 te は攪乱項の推定値2R SE BG(p) はそれぞれ

自由度修正済み決定係数攪乱項の標準誤差p 次の Breuch-Godfrey テストのχ二乗統計

量( )内は Newey-West の方法により修正した t値を示している15

ここで当時マッカラムルールなどという議論がなかったのだからこのような分

14 ここでは bΔ は現実のマネタリーベースの成長率を使用して推計を行っている 15 研究の対象期間は 1919 年 1 月からであるが平均流通速度 tvΔ の計算のために 初の 24 ヶ

月分が使用できないそのため他のシミュレーションの対象期間と整合性を保つため 1921 年 1

月からとしているまたこの推計式にはラグ付き内生変数を含むためダービンワトソンテスト

ではなく Breush-Godfrey テストを報告しているこの Breush-Godfrey テストから系列相関が疑

われるためNewey-West の方法により標準誤差を修正している

33

析は意味がないという批判があるかもしれないがこれにはテイラールールの節で述べ

たのと同じ反論が可能であるマッカラムルールとは名目 GDP が上昇しすぎたら(そ

のときには景気が過熱するかインフレが高進していると考えられる)マネーを縮小し

名目 GDP が下降しすぎたら(そのときは景気が悪化するかデフレになっている)マネーを

拡大するという素朴なルールである当時このようなルールが意識されていなかったと

は考え難い

42 長期的な経済を再現するシミュレーション

まずマッカラムルールによって現実の長期的な経済の経路を再現してみようルー

ルにもとづくマネタリーベースと実際のマネタリーベースのレベルと成長率とを図

11(1)(2)に示す

政策ルール(5)式が実施された場合の名目 GDP(の代理変数)の動きを見るために(5)式

から得られる理論値 tbΔ (6)式の残差 te 初期値 1ty minusΔ に目標 GDP

1ty minusΔ を代入してマ

ッカラムルールに従った場合の名目 GDP y の系列を求める現実の xとマネタリーベース

のルールに従った場合の y の系列を比べてみたのが図 11-(3)である図 11-(3)からマ

ネタリーベースのルールに従った場合の y の系列が安定していることが分かるこのよう

に安定的な名目 GDP の系列を得るためには第 1 次世界大戦後の金融引締めが過大で20

年代初期の金融緩和が過大30 年の金融引締めが過大だったと判断される

図 11 マッカラムルール

(1)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

34

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT MBDOT

注)BDOT はマッカラムルールの下でのマネタリーべースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(2)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

35

100000

120000

140000

160000

180000

200000

220000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC MB_SA

注)MB_SA はマネタリーベース(季節調整済)の現実値

B_MC はマッカラムルールに従った場合のマネタリーベース水準

またマッカラムルールの下でのマネタリーベースの初期値は現実値を使用

単位は万円

(3)マッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

36

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULE XSTAR X

注)GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

43 物価を下落させるシミュレーション

以上の結果はマネタリーベースの伸びを安定的にしていれば経済変動はより少なく

なっていただろうということを示しているしかしもし第 1 次世界大戦前の旧平価で金

本位制に復帰することが目的であったとしたら1節で述べたように物価を 3 割下げな

ければならない名目 GDP(その代理変数)は実質 GDP の変化がないとして1919 年 12

月から 29 年 12 月までに 3割下がらなければならない

そこで名目 GDP(その代理変数) y は現実の値よりも毎月 03ずつ低下しなければ

ならないので(5)式の定数項 0001 から 0003 を引いて-0002 とするすなわち

tbΔ =-0002-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (7)

とならなければならないここでの系列 y も実際の値から毎月 03ずつ引き下げたも

のを使っているつぎに(7)式の bを(6)式に入れると図 12 のようになる図に見られるよ

うに名目 GDP は安定しかつ小さくなっているすなわち物価が 3 割下落していること

が分かる

37

図 12 物価を下落させた場合

(1) 名目 GDP の目標値とマッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULEXSTAR

XGDP3_RULE

XSTAR_3

注) GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

GDP3_RULE は物価を 3割下げたマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR_3 は物価を 3割下げた場合の目標となる名目 GDP(対数値)

38

(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

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  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 20: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

19

示しており値が増えるのが円高である8ニューヨーク物価NYPはニューヨークの卸売物価

指数の前年同月変化率()であるforiは外国の市中金利()を示しニューヨーク金利

あるいはロンドン金利のいずれかである貿易収支が赤字に円の為替レートが下落すれ

ば金利は引き締められるニューヨークの物価が下落すれば日本の金融も引き締めざ

るを得ないニューヨークまたはロンドンの金利に追随するしかないと考える正貨

reserveは金本位制であればこれが増大すれば金融を緩和し減少すれば金融を引き締め

ることになる(ただし正貨は21年3月から29年3月までのデータしかない)また正貨は

1924年1月から11月1925年289月のデータが欠損しているので線形補間によってデ

ータを補っている9

符号条件は貿易収支比率為替レート変化率ニューヨーク物価上昇率正貨が負

ニューヨークおよびロンドンの金利が正である

以上で為替レートニューヨーク物価が鎮目[2002]の分析に対し新たに追加した変

数である

ここで新しく追加した変数貿易収支比率と為替レートと名目GDPの代理変数とニュー

ヨーク物価とニューヨーク金利とロンドン金利と正貨準備を図7図8図9に示してお

くここで名目GDP(その代理変数)は鉱工業生産times卸売物価指数である

8第1節と同じように為替レートの水準は 100 円当たりのドルで表しているので変化率

に修正しても値が大きくなると円高を示すことになる 9 また日本銀行調査局『本邦経済統計』では1922 年 11 月の正貨準備高の値が 1386957540円と記載されているが前後月の数値から判断して 1836957540 円の誤記と推測し修正を加

えている

20

図 7 コールレートニューヨーク市中金利ロンドン市中金利

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

200

0

2

4

6

8

10

12

14

16

18

コールレート(右軸) ニューヨーク市中金利(右軸) ロンドン市中金利(右軸)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

図 8 貿易収支比率為替レート変化率名目 GDP(対数値)

0

2

4

6

8

10

12

14

-50

-40

-30

-20

-10

0

10

20

30

貿易収支比率 為替レート変化率 名目GDP

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

21

図 9 正貨準備高ニューヨークインフレ率

0

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

-60

-40

-20

0

20

40

60

正貨(単位億円) ニューヨークインフレ率(卸売り物価指数)

なお追加した説明変数貿易収支比率為替レートニューヨーク物価ニューヨー

ク金利ロンドン金利正貨準備が独立でないという問題があるうちニューヨーク金

利とロンドン金利は同時には入れず他の変数と代替的に入れることとするそれでも

貿易収支比率と為替レートが独立ではないという問題があるかもしれない単純に為替

レートが割安であれば経常収支が黒字に動き割高であれば経常収支が赤字に動くという

メカニズムによって為替レートと経常収支が独立ではないということになる

また為替レート関数の推計において自国と他国の物価マネーサプライ金利生

産に加えて経常収支またはその累積を説明変数に入れるのが通常であることを考えれ

ば当然に問題となるしかし多くの推計で為替レートに対して経常収支またはそ

の累積の説明力はそれほど高くはない10

ちなみに変数間の相関行列を取ると表5のようになる(推計期間は正貨を含む変数間

は 1919 年から 1929 年 3 月それ以外の変数間は 1919 年 1 月 1936 年 12 月まである)貿

易収支比率と為替レートの相関を取ると相関係数は 0029 でありマルチコリニアリティ

10 深尾[1983] (167 頁)は日本の米国に対する 100 億ドルの経常黒字は 64の円高ドル

安要因になるとしているこれは大きな効果だがその後の推計によると経常収支黒字が円高

をもたらす効果は大きくはない河合[1986](第 94 表214 頁)によれば経常収支累積額が

1の上昇は実質為替レートを 0068~0163上昇させるにすぎないその後も同様の推計

がなされているが(経済企画庁[1997]第 1-2-1 図③経済企画庁[1999]付図 1-5-2原田[2004])いずれの推計においても経常収支が為替レートに与える影響は大きなものではない

22

の問題は避けられていると判断できる当時のデータで為替と貿易収支の相関が弱い理

由として金解禁への動きが度々予想されていたので為替レートが貿易など実態経済

の状況にかかわらず高騰していたこともあげられる表 5 から説明変数間で(被説明変

数のコールレートを除く)相関係数の絶対値が 04 以上のものを上げると卸売物価と GDP

ギャップ卸売物価とニューヨーク卸売物価GDP ギャップとニューヨーク卸売物価ニュ

ーヨーク金利とロンドン金利貿易収支比率とコールレートがそうである卸売物価と GDP

ギャップはテイラールールの基本的な説明変数なので両者をともに入れるがニューヨ

ーク金利とロンドン金利については代替的にも推計することとする

表5 拡張テイラールールで使用された変数の相関行列

コールレート

インフレ率GDPギャッ

プ貿易収支比

率為替変化

率NYインフレ

率NY金利

ロンドン金利

正貨準備変化率

コールレート 1000 0222 0293 -0441 -0112 0082 0437 0264 -0113

インフレ率 1000 0437 0046 -0024 0482 0198 -0340 -0005

GDPギャップ 1000 -0056 0205 0605 0246 -0119 0042

貿易収支比率 1000 0029 0189 -0182 -0252 0183

為替変化率 1000 0259 0023 0019 0058

NYインフレ率 1000 -0071 -0378 -0084

NY金利 1000 0649 0291

ロンドン市中金利 1000 0092

正貨準備変化率 1000

32 拡張テイラールールの推計結果

推計期間は貿易収支が入手可能な1926年1月から1936年12月までの全期間と上述の(2)

式と比較するために1931年12月までとそれ以降の期間とする推計結果は表6の通り

である推計については上記3つの推計期間において 小二乗法を行っている新しく追

加した変数貿易収支比率為替レートの変化率ニューヨーク卸売物価上昇率ニュー

ヨーク金利ロンドン金利正貨準備の変化率の単位はである推計に当たっては系

列相関が疑われるためNewey-Westの方法によって標準誤差の修正を行っている

23

表6 拡張テイラールールの推計結果

係数 係数 係数 係数

定数項 r-βπ tar 3155 2980 定数項 r -βπ tar 5780 6596 (10072) (6939) (12603) (13464)

インフレ率 1+β 0008 0027 インフレ率 1+β 0041 0025

(0552) (1600) (1957) (1399)

GDPギャップ α 1 0036 0057 GDPギャップ α 1 0090 0083

(1156) (1798) (2584) (2412)

貿易収支比率 α 2 -0105 -0106 貿易収支比率 α 2 -0053 -0054

(5627) (4937) (2671) (3396)為替変化率 α 3 -0109 -0110 為替変化率 α 3 -0062 -0051

(3782) (3755) (1345) (0998)

NYインフレ率 α 4 0014 0011 NYインフレ率 α 4 0014 0012

(0820) (0645) (0651) (0682)

NY金利 α 5 0212 NY金利 α 5 -0133

(3002) (1599)

ロンドン金利 α 5 0399 ロンドン金利 α 5 -0466

(2870) (3071)R2 0397 0375 R2 0468 0503

自由度調整済みR2 0380 0357 自由度調整済みR2 0447 0483

標準誤差 1520 1548 標準誤差 1375 1329

DW統計量 0568 0531 DW統計量 0700 0794

係数 係数

定数項 r-βπ tar 2703 2617

(6657) (26032)

インフレ率 1+β -0018 -0016

(1920) (2396)

GDPギャップ α 1 -0052 -0059

(2353) (5464)

貿易収支比率 α 2 -0031 0004

(1779) (0381)

為替変化率 α 3 -0007 0028

(0423) (1526)

NYインフレ率 α 4 -0017 -0024

(3808) (5526)

NY金利 α 5 0423

(1421)

ロンドン金利 α 5 0742

(7283)

R2 0797 0899自由度調整済みR2 0774 0887

標準誤差 0443 0313

DW統計量 0757 0925

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とそれぞれの金利だけである

どちらの推計でもこれらの有意な変数は符号条件を満たしているインフレ率とGDPギャ

24

ップは5有意ではなくなり単純テイラールールでも小さかった係数はさらに小さ

くなるこれに対して貿易収支比率の係数は貿易収支比率が10ポイント分マイナス

に動けば1金利を引き上げることであるからある程度貿易収支に反応して金融政策

を行っていたと言えるだろう為替変化率の係数は為替レートが10下落したら金利

を1引き上げることであるからこちらもある程度は為替レートに反応して金融政策を

行っていたとも言えるだろうニューヨーク金利とロンドン金利が1上昇すると国内金

利をそれぞれ0204引き上げるということになっている

1926年1月から1931年12月までの推計ではニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれ

を用いた推計でも5で有意な変数はGDPギャップと貿易収支比率とロンドン金利であ

るがロンドン金利は符号条件を満たしていないGDPギャップは有意であるがその係数

は単純テイラールールの推計と同様に小さい貿易収支比率の係数は貿易収支比率で

10ポイント分赤字が増えれば金利を05引き上げることであるからある程度は貿易

収支に反応して金融政策を行っていたと言えるかもしれない

さらに1932年1月から1936年12月までの推計では物価GDPギャップニューヨーク物

価ロンドン金利が5で有意であるGDPギャップニューヨーク物価は符号条件を満た

していないロンドン金利は符号条件を満たしその係数も074と大きく日本の金融政

策はロンドンに追随して行われていたことになる

金本位制を意識して行われていたときには金融政策は対外均衡に重点を置き金本位

制を離脱した後はロンドンの金利に追随していたことになる日本の金融政策が英国

の金融政策に追随していたことは鎮目[2009]第2章の結果とも整合的である

さらに表7は以上の変数に正貨を追加したものであるデータの制約により1919年1

月から29年3月までしか推計できないのでこれは金本位制を意識して金融政策が行われて

いた期間の金融政策を評価していることになる

25

表7 (3)式の拡張テイラールールの推計結果(正貨準備の変化率追加)

係数 係数定数項 r-βπ tar 5431 7511

(7602) (8642)インフレ率 1+β 0028 0024

(1209) (1264)GDPギャップ α 1 0147 0095

(2352) (1698)貿易収支比率 α 2 -0050 -0034

(2522) (2089)為替変化率 α 3 0016 0097

(0173) (0989)NYインフレ率 α 4 0004 -0004

(0166) (0224)NY金利 α 5 -0071

(0665)ロンドン金利 α 5 -0662

(2795)正貨準備の変化率 α 6 -0071 -0087

(0796) (1138)R2 0410 0471自由度調整済みR2 0374 0438標準誤差 1451 1375DW統計量 0808 0934注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

正貨を追加した推計結果ではGDPギャップ貿易収支比率ロンドン金利が有意である

GDPギャップ貿易収支比率は符号条件を満たしているがロンドン金利は満たしていない

表7の1919年から31年の推計結果に比べてGDPギャップの係数の値は大きくなるが景気

安定化効果が大きかったとまでは言えない貿易収支の係数はほとんど変らず貿易収支

の状況を念頭に入れて政策を行っていたと言えるだろうロンドン金利符号が逆で海外

金利が下がると金利を上げるという結果になっている

以上の結果を鎮目[2002]と比べる鎮目は金外貨準備英国の短期金利経常収支

資本収支をテイラールールの式に追加していずれの変数も有意ではなかったと報告し

ているが本稿では追加した変数のうち貿易収支ニューヨーク金利(特にロンドン

金利)が符号条件を満たして有意になっている場合が多く対外均衡を意識した金融政策

が行われていた可能性を示唆している

33 拡張テイラールールに関する政策反応ラグ

以上の拡張テイラールールの推計では貿易収支比率為替変化率ニューヨークイ

26

ンフレ率ロンドン金利を追加したものが良好な推計結果をもたらしたそこで拡張テ

イラールールに関する政策反応ラグを考慮するために以上の変数に加えて被説明変数

の 1期ラグを追加したものを推計する11結果は表8のようになる

表8 拡張テイラールールの金利ラグ付き推計

係数 係数 係数 係数定数項 r-βπ tar 0623 0565 定数項 r-βπ tar 1806 2223

(3922) (3134) (3861) (3396)インフレ率 1+β -00001 0003 インフレ率 1+β 0012 0007

(0023) (0552) (1190) (0761)GDPギャップ α 1 0019 0023 GDPギャップ α 1 0044 0043

(1589) (1875) (2072) (2007)

貿易収支比率 α 2 -0024 -0023 貿易収支比率 α 2 -0019 -0020

(2312) (2239) (1514) (1767)

為替変化率 α 3 -0026 -0025 為替変化率 α 3 -0048 -0045

(1984) (2069) (1607) (1430)

NYインフレ率 α 4 -0002 -0002 NYインフレ率 α 4 -0004 -0004

(0277) (0388) (0337) (0389)NY金利 α 5 0040 NY金利 α 5 -0044

(1532) (1193)

ロンドン金利 α 5 0075 ロンドン金利 α 5 -0163

(1447) (1703)コールレート1期ラグ 0796 0802 コールレート1期ラグ 0680 0657

(18638) (20579) (9505) (8112)R2 0789 0788 R2 0707 0711自由度調整済みR2 0782 0781 自由度調整済みR2 0693 0697標準誤差 0902 0904 標準誤差 1023 1016DW統計量 2581 2574 DW統計量 2408 2415

係数 係数

定数項 r-βπ tar 0527 0900 (2552) (3391)

インフレ率 1+β -0004 -0005(1594) (1249)

GDPギャップ α 1 -0006 -0014

(1174) (1562)

貿易収支比率 α 2 -0001 0010

(0135) (1064)

為替変化率 α 3 0005 0019

(0542) (1247)

NYインフレ率 α 4 -0003 -0008

(1971) (2116)

NY金利 α 5 -0022

(0557)

ロンドン金利 α 5 0386

(3052)コールレート1期ラグ 0833 0608

(9986) (6019)R2 0934 0957自由度調整済みR2 0925 0951標準誤差 0255 0207DW統計量 2478 2362

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

11 単純テイラールールでは説明変数のラグを加えたがここではあまりにも煩雑になること

と単純テイラールールで被説明変数の 1 期ラグが重要であったことから被説明変数の 1 期

ラグのみを追加した

27

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とコールレートの1期ラグであ

る貿易収支比率と為替変化率のどちらの係数も符号条件を満たしているがコールレー

トの1期ラグがない場合と比べて係数の値は小さくなっているただしこの推計をコイ

ック型と考えて係数の長期の値を(1-コールレートの1期ラグの係数)で除すことによっ

て求めれば1期ラグがない場合の係数よりもかなり大きくなる

1926年1月から1931年12月までの推計ではGDPギャップとコールレートの1期ラグのみが

有意となるGDPギャップの長期係数を求めても値は小さいこの期間では金利を安定的

に維持することに金融政策が使われていたと言えるだろう

1932年1月から1936年12月までの推計では有意なものはロンドン金利とニューヨークイ

ンフレ率とコールレートの1期ラグとなってしまうニューヨークインフレ率は符号条件を

満たしているがその係数は小さいロンドン金利の係数は大きく日本の金融政策はロ

ンドンに追随して行われていたことになる

コールレートの1期ラグを入れるといずれの期の金融政策も金利の平準化の要素が大き

いと判断される金本位制を意識して行われていたときには金融政策はある程度は対外

均衡を考えていたようである金本位制を離脱した後はロンドンの金利を考慮していた

ようである

さらに表9は以上の変数に正貨を追加したものである(データの制約により1919年1

月から29年3月までの推計)これは金本位制を意識して金融政策が行われていた期間の金

融政策を評価していることになる

28

表9 正貨準備高の変化率を加えた場合

係数 係数定数項 r-βπ tar 1723 2771

(3126) (2898)インフレ率 1+β 0004 0005

(0356) (0518)GDPギャップ α 1 0088 0072

(2641) (2442)貿易収支比率 α 2 -0023 -0018

(1664) (1321)為替変化率 α 3 -0025 0008

(0544) (0189)NYインフレ率 α 4 -0007 -0010

(0617) (0924)NY金利 α 5 -0012

(0255)ロンドン金利 α 5 -0239

(1470)正貨準備の変化率 α 6 0001 -0005

(0013) (0079)コールレートの1期ラグ 0644 0603

(7451) (6371) R2 0652 0659自由度調整済みR2 0628 0635標準誤差 1119 1107DW統計量 2450 2452注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

有意なものはGDPギャップとコールレートの1期ラグであるGDPギャップは符号条件

を満たしている長期の係数を取ってもその係数は大きいとは言えない

34 対外均衡と対内均衡

対外均衡に重点を置いた金融政策を行うとは経常収支赤字や為替レート下落や外貨準

備の減少に対して金利を引き上げるというルールに従って金融政策を行うことである

通常であれば金本位制の下で国内がインフレになり競争力を失ったり景気が過熱

して輸入が増大したときには経常収支赤字や為替レート下落や外貨準備の減少が起きる

だろう経常収支の赤字や外貨準備の減少が起きたときには金融を引き締めるというルー

ルは国内がインフレになったり景気が過熱したときには引き締めるというルールでも

あるしたがって対外均衡に重点を置くことが国内均衡を必ず妨げるというわけではな

いこれは逆の場合も真実であるしかし1910 年代日本の経常収支や外貨準備は国

内の景気要因で変化したわけではない第 1 次世界大戦によって外需が増加し経常収支

29

が黒字となり外貨準備が増えた金本位制のルールに従って金融政策は緩和されマ

ネタリーベースは 1919 年 1 月から 1920 年 4 月までに 16 倍に増加した輸出超過の国は

金融緩和することによって輸入超過の国の不況を和らげることができる日本は金本

位制の正しいルールに基づいて金融を緩和しただけであるしかし戦争がおわりその

復興需要もなくなったとき経常収支は赤字となり外貨準備は減少したしかしかつ

て金準備に依存して増大していたマネタリーベースはそのままだった失われた外貨準備

に対してマネタリーベースを減少させなければならなかったしかし23 年までマネタリ

ーベースは増大し続けていた関東大震災という不幸もあってマネタリーベースを減少

させることはできなかったその後25 年まで引き下げていたが27 年には金融恐慌があ

りマネタリーベースを削減することができなかったその後28 年までマネタリーベ

ースはむしろ拡大していた29 年には金本位制復帰を目指してマネタリーベースを急減さ

せるがその結果は激しいデフレと不況だった

そもそも国内要因の変化によらない金準備の増加に対してマネタリーベースを拡大し

たことが誤りだった金本位制からの離脱は1917 年ではなくて欧米諸国が離脱した

1914-15 年になすべきだったそうであれば1910 年代末までのマネタリーベースの急増

はなかっただろうところが実際には金本位制から離脱したにも関わらず1920 年にか

けてマネタリーベースは拡大していた1920 年代からは失われた金準備に対してマネタリ

ーベースを削減することが試みられるようになるしかしそれは関東大震災や金融危機

によって頓挫するむしろマネタリーベースを削減するという試みがデフレと不況をも

たらしそれゆえに不良債権が増大してしまったということではないだろうか

35 小括1‐テイラールールの推計から得られた知見

以上のことから考えて1920 年代から 30 年代にかけては金融政策はインフレまたはデ

フレ促進的な政策を行っていた対外均衡にはある程度考慮した金融政策を行っていたこ

とが分かる

しかし1920 年代には金本位制に復帰するという政策が課題となっていたはずである

20 年代がデフレ促進的また対外均衡にある程度考慮した政策を行っていたことはこの

課題にとっては正しいものだろうしかし現実に採られたデフレ促進策では不十分だっ

た物価は旧平価で金本位制に復帰できるほど下がっていなかったのだからまた32 年

以降の金融政策についてもなぜ 32 年から急速な回復ができたのかそれと金融政策とは

どのよう関係しているかは分析できていない

これについて飯田岡田[2004]は昭和恐慌からの回復はデフレ脱却による実質金利

の下落が重要であって名目金利の低下は重要でなかったと分析しているこれによれば

名目金利の変化で金融政策の変化を見ることはできないことになるしたがって名目金

利の変化に着目するテイラールールでは31 年 12 月以降の高橋是清蔵相の金融政策の意

味を理解できないことになる

30

また金融政策が物価および景気安定を意図していなかったら何を意図していたのだ

ろうか本稿での結論は為替レートや経常収支に視点を置いた対外均衡を意識していた

ということになる

いずれにしろテイラールールだけでは戦前期の金融政策を十分には理解できない

ことになるそこで戦前期の金融政策を別の方法で評価してみよう

4マッカラムルールによる金融政策の評価

41 マッカラムルールの意味と定式化とデータ

以下ではマッカラムルールで戦間期の金融政策を評価することにするマッカラム

ルールを用いて金融政策の在り方を判断した研究としてはマッカラム自身の分析を始め

として多くのものがある(例えばMcCallum[1987][1988]マッカラム[1997]第 15 章)

日本のデータを用いたものにおいても McCallum[1987]岡田飯田[2004]などがあるし

かし日本の戦前期についてはおそらく安達[2006](第7章)しかないと思われる安

達は年データを用い目標値として設定された名目 GNP 成長率(5と設定している)

を達成するためのマネタリーベースを求め現実のマネタリーベースの成長率が 1936 年ま

で過小でそれ以降過大であることを示している本稿では月次データを用いているので

期間ごとの金融政策の在り方も検討することができる

マッカラムルールとはマネタリーベースの成長率を名目GDPの望ましい成長率に

依存させるルールである(McCallum[1987]マッカラム[1997]第 15 章)しかし貨幣の

流通速度 vは変化するので貨幣の流通速度の変化に応じてマネタリーベース bの動きを調

整することが必要となるこのようなルールはbvなどを対数値として望ましいマネタ

リーベースの成長率⊿bをマネタリーベースの流通速度Δvに応じて変化させるというルー

ルであるただしvは景気変動によって大きく変動しているのでそれが技術的な変化と

見なせる 2 年間の平均値 tvΔ であるとする12すなわちマッカラムルールに基づくマネタ

リーベースの成長率とは

tbΔ =マネタリーベースの望ましい成長率- tvΔ

であるここでマネタリーベースの望ましい成長率はサンプル期間(1919 年 1 月から 1933

年 12 月まで)のマネタリーベースの平均成長率とする13マッカラムはマネタリーベース

の望ましい成長率を名目 GDP の成長率としているがここではまずこの期間の経済を再現

することを目的としているので現実のマネタリーベースの成長率を採用したマネタリ

12 マッカラム(1997)第 15 章では流通速度として 4年平均を使用しているが本稿ではサンプル

期間が短いため 2年平均としている 13 サンプル期間は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月であるがマネタリーベースの流通速度の平

均値作成のため 初の 24 か月が失うのでここで計算された望ましいマネタリーベースの成長

率は 1921 年 1 月から 1933 年 12 月までの平均となっている

31

ーベースの動きを図 10 に示しているマネタリーベースは季節性が強いので季調値も図示

しているなお前述のように戦前期の月次名目 GDP のデータは存在しないのでIIP に

卸売物価を掛けたものを名目 GDP の代理変数とする(ここで使うデータの定義と出所は前

掲の表1にある)

図 10 マネタリーベース(原数値と季節調整値)の動き

0

50000

100000

150000

200000

250000

19191

19197

19201

19207

19211

19217

19221

19227

19231

19237

19241

19247

19251

19257

19261

19267

19271

19277

19281

19287

19291

19297

19301

19307

19311

19317

19321

19327

19331

19337

観察されたベースマネー(単位万円) 季節調整済マネタリーベース(単位万円)

作成されたマネタリーベースの成長率は1919 年 1 月から 33 年 12 月までで年率 12

月次では 01となるすなわち

tbΔ =0001- tvΔ

ここで考察する期間を 1919 年 1 月から 33 年 12 月までとしたのは34 年以降の GDP の伸び

が大きすぎトレンドの作成において歪みを生じさせるからであるまた33 年は昭和恐

慌から脱却し経済が安定していた時期でもある

さらに名目 GDP が何らかのショックによって平均的な成長経路よりも上回った時に

はマネタリーベースの伸び率を低下させるようなルール(下回った場合は逆)を導入し

ようすなわち

tbΔ =0001-

1 1( )t t tv y yλ minus minusΔ + minus

32

となるただし目標値

1ty minus は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月までの月次平均成長率 04

成長経路での名目 GDP の対数値であるまたマッカラムによればλは四半期データで 025

が望ましいとされているがここでは月次データを使用しているのでとりあえず 12 分の 1

とすることを考えたがこの期間の名目 GDP は戦後の日米名目 GDP のデータより大きく変

動しているのでさらに小さくする必要があるマッカラムも「λの値を選択する場合

もし間違えるとすれば小さな値を採るほうがよい」(マッカラム[1997]308 頁)としている

そこでλは 36 分の1とした 終的なルールは

tbΔ =0001-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (5)

となる

マッカラムは望ましいインフレ率をゼロとするマネタリールールを求めているがこ

こでは実際には大きく変動したマネタリーベースを安定的に動かしていたらどうなったか

を考えることにしているので名目 GDP の動きは現実のものを使いルールにもとづくマ

ネタリーベースと実際のマネタリーベースをまず比較することにする

次に名目 GDP の決定に関する次のようなモデルを 小二乗法により推計する結果は

1 1 2 3

2

0004 0295 0053 0110 0106 0071 - 0069 23- 0046 27(1596) (3634) (1054) (1404) (2300) (1831) (6731)

R 0109 SE=0029 BG(24)=33227

(1822) t t t t t t ty y b b b b dummy dummy eminus minus minus minusΔ = + Δ + Δ + Δ + Δ + Δ +

=

(6)

となる14但し yΔ は名目 GDP の変化率 bΔ はマネタリーベースの成長率dummy23 は関東

大震災の時の一時的な変動をとらえるために 1923 年 9 月を 1それ以外を 0 としたダミー

変数dummy27 は金融恐慌時の一時的な変動をとらえるために 1927 年 4 月 5 月を 1それ

以外を 0としたダミー変数サンプル期間は推計に使用する変数が全て揃う 1921 年 1 月か

ら 1933 年 12 月までまたここでの残差 te は攪乱項の推定値2R SE BG(p) はそれぞれ

自由度修正済み決定係数攪乱項の標準誤差p 次の Breuch-Godfrey テストのχ二乗統計

量( )内は Newey-West の方法により修正した t値を示している15

ここで当時マッカラムルールなどという議論がなかったのだからこのような分

14 ここでは bΔ は現実のマネタリーベースの成長率を使用して推計を行っている 15 研究の対象期間は 1919 年 1 月からであるが平均流通速度 tvΔ の計算のために 初の 24 ヶ

月分が使用できないそのため他のシミュレーションの対象期間と整合性を保つため 1921 年 1

月からとしているまたこの推計式にはラグ付き内生変数を含むためダービンワトソンテスト

ではなく Breush-Godfrey テストを報告しているこの Breush-Godfrey テストから系列相関が疑

われるためNewey-West の方法により標準誤差を修正している

33

析は意味がないという批判があるかもしれないがこれにはテイラールールの節で述べ

たのと同じ反論が可能であるマッカラムルールとは名目 GDP が上昇しすぎたら(そ

のときには景気が過熱するかインフレが高進していると考えられる)マネーを縮小し

名目 GDP が下降しすぎたら(そのときは景気が悪化するかデフレになっている)マネーを

拡大するという素朴なルールである当時このようなルールが意識されていなかったと

は考え難い

42 長期的な経済を再現するシミュレーション

まずマッカラムルールによって現実の長期的な経済の経路を再現してみようルー

ルにもとづくマネタリーベースと実際のマネタリーベースのレベルと成長率とを図

11(1)(2)に示す

政策ルール(5)式が実施された場合の名目 GDP(の代理変数)の動きを見るために(5)式

から得られる理論値 tbΔ (6)式の残差 te 初期値 1ty minusΔ に目標 GDP

1ty minusΔ を代入してマ

ッカラムルールに従った場合の名目 GDP y の系列を求める現実の xとマネタリーベース

のルールに従った場合の y の系列を比べてみたのが図 11-(3)である図 11-(3)からマ

ネタリーベースのルールに従った場合の y の系列が安定していることが分かるこのよう

に安定的な名目 GDP の系列を得るためには第 1 次世界大戦後の金融引締めが過大で20

年代初期の金融緩和が過大30 年の金融引締めが過大だったと判断される

図 11 マッカラムルール

(1)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

34

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT MBDOT

注)BDOT はマッカラムルールの下でのマネタリーべースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(2)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

35

100000

120000

140000

160000

180000

200000

220000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC MB_SA

注)MB_SA はマネタリーベース(季節調整済)の現実値

B_MC はマッカラムルールに従った場合のマネタリーベース水準

またマッカラムルールの下でのマネタリーベースの初期値は現実値を使用

単位は万円

(3)マッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

36

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULE XSTAR X

注)GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

43 物価を下落させるシミュレーション

以上の結果はマネタリーベースの伸びを安定的にしていれば経済変動はより少なく

なっていただろうということを示しているしかしもし第 1 次世界大戦前の旧平価で金

本位制に復帰することが目的であったとしたら1節で述べたように物価を 3 割下げな

ければならない名目 GDP(その代理変数)は実質 GDP の変化がないとして1919 年 12

月から 29 年 12 月までに 3割下がらなければならない

そこで名目 GDP(その代理変数) y は現実の値よりも毎月 03ずつ低下しなければ

ならないので(5)式の定数項 0001 から 0003 を引いて-0002 とするすなわち

tbΔ =-0002-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (7)

とならなければならないここでの系列 y も実際の値から毎月 03ずつ引き下げたも

のを使っているつぎに(7)式の bを(6)式に入れると図 12 のようになる図に見られるよ

うに名目 GDP は安定しかつ小さくなっているすなわち物価が 3 割下落していること

が分かる

37

図 12 物価を下落させた場合

(1) 名目 GDP の目標値とマッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULEXSTAR

XGDP3_RULE

XSTAR_3

注) GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

GDP3_RULE は物価を 3割下げたマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR_3 は物価を 3割下げた場合の目標となる名目 GDP(対数値)

38

(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

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  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 21: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

20

図 7 コールレートニューヨーク市中金利ロンドン市中金利

0

20

40

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18

コールレート(右軸) ニューヨーク市中金利(右軸) ロンドン市中金利(右軸)

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

図 8 貿易収支比率為替レート変化率名目 GDP(対数値)

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30

貿易収支比率 為替レート変化率 名目GDP

関東大震災 金融恐慌 金本位復帰 金本位再離脱

21

図 9 正貨準備高ニューヨークインフレ率

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1

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-60

-40

-20

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40

60

正貨(単位億円) ニューヨークインフレ率(卸売り物価指数)

なお追加した説明変数貿易収支比率為替レートニューヨーク物価ニューヨー

ク金利ロンドン金利正貨準備が独立でないという問題があるうちニューヨーク金

利とロンドン金利は同時には入れず他の変数と代替的に入れることとするそれでも

貿易収支比率と為替レートが独立ではないという問題があるかもしれない単純に為替

レートが割安であれば経常収支が黒字に動き割高であれば経常収支が赤字に動くという

メカニズムによって為替レートと経常収支が独立ではないということになる

また為替レート関数の推計において自国と他国の物価マネーサプライ金利生

産に加えて経常収支またはその累積を説明変数に入れるのが通常であることを考えれ

ば当然に問題となるしかし多くの推計で為替レートに対して経常収支またはそ

の累積の説明力はそれほど高くはない10

ちなみに変数間の相関行列を取ると表5のようになる(推計期間は正貨を含む変数間

は 1919 年から 1929 年 3 月それ以外の変数間は 1919 年 1 月 1936 年 12 月まである)貿

易収支比率と為替レートの相関を取ると相関係数は 0029 でありマルチコリニアリティ

10 深尾[1983] (167 頁)は日本の米国に対する 100 億ドルの経常黒字は 64の円高ドル

安要因になるとしているこれは大きな効果だがその後の推計によると経常収支黒字が円高

をもたらす効果は大きくはない河合[1986](第 94 表214 頁)によれば経常収支累積額が

1の上昇は実質為替レートを 0068~0163上昇させるにすぎないその後も同様の推計

がなされているが(経済企画庁[1997]第 1-2-1 図③経済企画庁[1999]付図 1-5-2原田[2004])いずれの推計においても経常収支が為替レートに与える影響は大きなものではない

22

の問題は避けられていると判断できる当時のデータで為替と貿易収支の相関が弱い理

由として金解禁への動きが度々予想されていたので為替レートが貿易など実態経済

の状況にかかわらず高騰していたこともあげられる表 5 から説明変数間で(被説明変

数のコールレートを除く)相関係数の絶対値が 04 以上のものを上げると卸売物価と GDP

ギャップ卸売物価とニューヨーク卸売物価GDP ギャップとニューヨーク卸売物価ニュ

ーヨーク金利とロンドン金利貿易収支比率とコールレートがそうである卸売物価と GDP

ギャップはテイラールールの基本的な説明変数なので両者をともに入れるがニューヨ

ーク金利とロンドン金利については代替的にも推計することとする

表5 拡張テイラールールで使用された変数の相関行列

コールレート

インフレ率GDPギャッ

プ貿易収支比

率為替変化

率NYインフレ

率NY金利

ロンドン金利

正貨準備変化率

コールレート 1000 0222 0293 -0441 -0112 0082 0437 0264 -0113

インフレ率 1000 0437 0046 -0024 0482 0198 -0340 -0005

GDPギャップ 1000 -0056 0205 0605 0246 -0119 0042

貿易収支比率 1000 0029 0189 -0182 -0252 0183

為替変化率 1000 0259 0023 0019 0058

NYインフレ率 1000 -0071 -0378 -0084

NY金利 1000 0649 0291

ロンドン市中金利 1000 0092

正貨準備変化率 1000

32 拡張テイラールールの推計結果

推計期間は貿易収支が入手可能な1926年1月から1936年12月までの全期間と上述の(2)

式と比較するために1931年12月までとそれ以降の期間とする推計結果は表6の通り

である推計については上記3つの推計期間において 小二乗法を行っている新しく追

加した変数貿易収支比率為替レートの変化率ニューヨーク卸売物価上昇率ニュー

ヨーク金利ロンドン金利正貨準備の変化率の単位はである推計に当たっては系

列相関が疑われるためNewey-Westの方法によって標準誤差の修正を行っている

23

表6 拡張テイラールールの推計結果

係数 係数 係数 係数

定数項 r-βπ tar 3155 2980 定数項 r -βπ tar 5780 6596 (10072) (6939) (12603) (13464)

インフレ率 1+β 0008 0027 インフレ率 1+β 0041 0025

(0552) (1600) (1957) (1399)

GDPギャップ α 1 0036 0057 GDPギャップ α 1 0090 0083

(1156) (1798) (2584) (2412)

貿易収支比率 α 2 -0105 -0106 貿易収支比率 α 2 -0053 -0054

(5627) (4937) (2671) (3396)為替変化率 α 3 -0109 -0110 為替変化率 α 3 -0062 -0051

(3782) (3755) (1345) (0998)

NYインフレ率 α 4 0014 0011 NYインフレ率 α 4 0014 0012

(0820) (0645) (0651) (0682)

NY金利 α 5 0212 NY金利 α 5 -0133

(3002) (1599)

ロンドン金利 α 5 0399 ロンドン金利 α 5 -0466

(2870) (3071)R2 0397 0375 R2 0468 0503

自由度調整済みR2 0380 0357 自由度調整済みR2 0447 0483

標準誤差 1520 1548 標準誤差 1375 1329

DW統計量 0568 0531 DW統計量 0700 0794

係数 係数

定数項 r-βπ tar 2703 2617

(6657) (26032)

インフレ率 1+β -0018 -0016

(1920) (2396)

GDPギャップ α 1 -0052 -0059

(2353) (5464)

貿易収支比率 α 2 -0031 0004

(1779) (0381)

為替変化率 α 3 -0007 0028

(0423) (1526)

NYインフレ率 α 4 -0017 -0024

(3808) (5526)

NY金利 α 5 0423

(1421)

ロンドン金利 α 5 0742

(7283)

R2 0797 0899自由度調整済みR2 0774 0887

標準誤差 0443 0313

DW統計量 0757 0925

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とそれぞれの金利だけである

どちらの推計でもこれらの有意な変数は符号条件を満たしているインフレ率とGDPギャ

24

ップは5有意ではなくなり単純テイラールールでも小さかった係数はさらに小さ

くなるこれに対して貿易収支比率の係数は貿易収支比率が10ポイント分マイナス

に動けば1金利を引き上げることであるからある程度貿易収支に反応して金融政策

を行っていたと言えるだろう為替変化率の係数は為替レートが10下落したら金利

を1引き上げることであるからこちらもある程度は為替レートに反応して金融政策を

行っていたとも言えるだろうニューヨーク金利とロンドン金利が1上昇すると国内金

利をそれぞれ0204引き上げるということになっている

1926年1月から1931年12月までの推計ではニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれ

を用いた推計でも5で有意な変数はGDPギャップと貿易収支比率とロンドン金利であ

るがロンドン金利は符号条件を満たしていないGDPギャップは有意であるがその係数

は単純テイラールールの推計と同様に小さい貿易収支比率の係数は貿易収支比率で

10ポイント分赤字が増えれば金利を05引き上げることであるからある程度は貿易

収支に反応して金融政策を行っていたと言えるかもしれない

さらに1932年1月から1936年12月までの推計では物価GDPギャップニューヨーク物

価ロンドン金利が5で有意であるGDPギャップニューヨーク物価は符号条件を満た

していないロンドン金利は符号条件を満たしその係数も074と大きく日本の金融政

策はロンドンに追随して行われていたことになる

金本位制を意識して行われていたときには金融政策は対外均衡に重点を置き金本位

制を離脱した後はロンドンの金利に追随していたことになる日本の金融政策が英国

の金融政策に追随していたことは鎮目[2009]第2章の結果とも整合的である

さらに表7は以上の変数に正貨を追加したものであるデータの制約により1919年1

月から29年3月までしか推計できないのでこれは金本位制を意識して金融政策が行われて

いた期間の金融政策を評価していることになる

25

表7 (3)式の拡張テイラールールの推計結果(正貨準備の変化率追加)

係数 係数定数項 r-βπ tar 5431 7511

(7602) (8642)インフレ率 1+β 0028 0024

(1209) (1264)GDPギャップ α 1 0147 0095

(2352) (1698)貿易収支比率 α 2 -0050 -0034

(2522) (2089)為替変化率 α 3 0016 0097

(0173) (0989)NYインフレ率 α 4 0004 -0004

(0166) (0224)NY金利 α 5 -0071

(0665)ロンドン金利 α 5 -0662

(2795)正貨準備の変化率 α 6 -0071 -0087

(0796) (1138)R2 0410 0471自由度調整済みR2 0374 0438標準誤差 1451 1375DW統計量 0808 0934注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

正貨を追加した推計結果ではGDPギャップ貿易収支比率ロンドン金利が有意である

GDPギャップ貿易収支比率は符号条件を満たしているがロンドン金利は満たしていない

表7の1919年から31年の推計結果に比べてGDPギャップの係数の値は大きくなるが景気

安定化効果が大きかったとまでは言えない貿易収支の係数はほとんど変らず貿易収支

の状況を念頭に入れて政策を行っていたと言えるだろうロンドン金利符号が逆で海外

金利が下がると金利を上げるという結果になっている

以上の結果を鎮目[2002]と比べる鎮目は金外貨準備英国の短期金利経常収支

資本収支をテイラールールの式に追加していずれの変数も有意ではなかったと報告し

ているが本稿では追加した変数のうち貿易収支ニューヨーク金利(特にロンドン

金利)が符号条件を満たして有意になっている場合が多く対外均衡を意識した金融政策

が行われていた可能性を示唆している

33 拡張テイラールールに関する政策反応ラグ

以上の拡張テイラールールの推計では貿易収支比率為替変化率ニューヨークイ

26

ンフレ率ロンドン金利を追加したものが良好な推計結果をもたらしたそこで拡張テ

イラールールに関する政策反応ラグを考慮するために以上の変数に加えて被説明変数

の 1期ラグを追加したものを推計する11結果は表8のようになる

表8 拡張テイラールールの金利ラグ付き推計

係数 係数 係数 係数定数項 r-βπ tar 0623 0565 定数項 r-βπ tar 1806 2223

(3922) (3134) (3861) (3396)インフレ率 1+β -00001 0003 インフレ率 1+β 0012 0007

(0023) (0552) (1190) (0761)GDPギャップ α 1 0019 0023 GDPギャップ α 1 0044 0043

(1589) (1875) (2072) (2007)

貿易収支比率 α 2 -0024 -0023 貿易収支比率 α 2 -0019 -0020

(2312) (2239) (1514) (1767)

為替変化率 α 3 -0026 -0025 為替変化率 α 3 -0048 -0045

(1984) (2069) (1607) (1430)

NYインフレ率 α 4 -0002 -0002 NYインフレ率 α 4 -0004 -0004

(0277) (0388) (0337) (0389)NY金利 α 5 0040 NY金利 α 5 -0044

(1532) (1193)

ロンドン金利 α 5 0075 ロンドン金利 α 5 -0163

(1447) (1703)コールレート1期ラグ 0796 0802 コールレート1期ラグ 0680 0657

(18638) (20579) (9505) (8112)R2 0789 0788 R2 0707 0711自由度調整済みR2 0782 0781 自由度調整済みR2 0693 0697標準誤差 0902 0904 標準誤差 1023 1016DW統計量 2581 2574 DW統計量 2408 2415

係数 係数

定数項 r-βπ tar 0527 0900 (2552) (3391)

インフレ率 1+β -0004 -0005(1594) (1249)

GDPギャップ α 1 -0006 -0014

(1174) (1562)

貿易収支比率 α 2 -0001 0010

(0135) (1064)

為替変化率 α 3 0005 0019

(0542) (1247)

NYインフレ率 α 4 -0003 -0008

(1971) (2116)

NY金利 α 5 -0022

(0557)

ロンドン金利 α 5 0386

(3052)コールレート1期ラグ 0833 0608

(9986) (6019)R2 0934 0957自由度調整済みR2 0925 0951標準誤差 0255 0207DW統計量 2478 2362

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

11 単純テイラールールでは説明変数のラグを加えたがここではあまりにも煩雑になること

と単純テイラールールで被説明変数の 1 期ラグが重要であったことから被説明変数の 1 期

ラグのみを追加した

27

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とコールレートの1期ラグであ

る貿易収支比率と為替変化率のどちらの係数も符号条件を満たしているがコールレー

トの1期ラグがない場合と比べて係数の値は小さくなっているただしこの推計をコイ

ック型と考えて係数の長期の値を(1-コールレートの1期ラグの係数)で除すことによっ

て求めれば1期ラグがない場合の係数よりもかなり大きくなる

1926年1月から1931年12月までの推計ではGDPギャップとコールレートの1期ラグのみが

有意となるGDPギャップの長期係数を求めても値は小さいこの期間では金利を安定的

に維持することに金融政策が使われていたと言えるだろう

1932年1月から1936年12月までの推計では有意なものはロンドン金利とニューヨークイ

ンフレ率とコールレートの1期ラグとなってしまうニューヨークインフレ率は符号条件を

満たしているがその係数は小さいロンドン金利の係数は大きく日本の金融政策はロ

ンドンに追随して行われていたことになる

コールレートの1期ラグを入れるといずれの期の金融政策も金利の平準化の要素が大き

いと判断される金本位制を意識して行われていたときには金融政策はある程度は対外

均衡を考えていたようである金本位制を離脱した後はロンドンの金利を考慮していた

ようである

さらに表9は以上の変数に正貨を追加したものである(データの制約により1919年1

月から29年3月までの推計)これは金本位制を意識して金融政策が行われていた期間の金

融政策を評価していることになる

28

表9 正貨準備高の変化率を加えた場合

係数 係数定数項 r-βπ tar 1723 2771

(3126) (2898)インフレ率 1+β 0004 0005

(0356) (0518)GDPギャップ α 1 0088 0072

(2641) (2442)貿易収支比率 α 2 -0023 -0018

(1664) (1321)為替変化率 α 3 -0025 0008

(0544) (0189)NYインフレ率 α 4 -0007 -0010

(0617) (0924)NY金利 α 5 -0012

(0255)ロンドン金利 α 5 -0239

(1470)正貨準備の変化率 α 6 0001 -0005

(0013) (0079)コールレートの1期ラグ 0644 0603

(7451) (6371) R2 0652 0659自由度調整済みR2 0628 0635標準誤差 1119 1107DW統計量 2450 2452注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

有意なものはGDPギャップとコールレートの1期ラグであるGDPギャップは符号条件

を満たしている長期の係数を取ってもその係数は大きいとは言えない

34 対外均衡と対内均衡

対外均衡に重点を置いた金融政策を行うとは経常収支赤字や為替レート下落や外貨準

備の減少に対して金利を引き上げるというルールに従って金融政策を行うことである

通常であれば金本位制の下で国内がインフレになり競争力を失ったり景気が過熱

して輸入が増大したときには経常収支赤字や為替レート下落や外貨準備の減少が起きる

だろう経常収支の赤字や外貨準備の減少が起きたときには金融を引き締めるというルー

ルは国内がインフレになったり景気が過熱したときには引き締めるというルールでも

あるしたがって対外均衡に重点を置くことが国内均衡を必ず妨げるというわけではな

いこれは逆の場合も真実であるしかし1910 年代日本の経常収支や外貨準備は国

内の景気要因で変化したわけではない第 1 次世界大戦によって外需が増加し経常収支

29

が黒字となり外貨準備が増えた金本位制のルールに従って金融政策は緩和されマ

ネタリーベースは 1919 年 1 月から 1920 年 4 月までに 16 倍に増加した輸出超過の国は

金融緩和することによって輸入超過の国の不況を和らげることができる日本は金本

位制の正しいルールに基づいて金融を緩和しただけであるしかし戦争がおわりその

復興需要もなくなったとき経常収支は赤字となり外貨準備は減少したしかしかつ

て金準備に依存して増大していたマネタリーベースはそのままだった失われた外貨準備

に対してマネタリーベースを減少させなければならなかったしかし23 年までマネタリ

ーベースは増大し続けていた関東大震災という不幸もあってマネタリーベースを減少

させることはできなかったその後25 年まで引き下げていたが27 年には金融恐慌があ

りマネタリーベースを削減することができなかったその後28 年までマネタリーベ

ースはむしろ拡大していた29 年には金本位制復帰を目指してマネタリーベースを急減さ

せるがその結果は激しいデフレと不況だった

そもそも国内要因の変化によらない金準備の増加に対してマネタリーベースを拡大し

たことが誤りだった金本位制からの離脱は1917 年ではなくて欧米諸国が離脱した

1914-15 年になすべきだったそうであれば1910 年代末までのマネタリーベースの急増

はなかっただろうところが実際には金本位制から離脱したにも関わらず1920 年にか

けてマネタリーベースは拡大していた1920 年代からは失われた金準備に対してマネタリ

ーベースを削減することが試みられるようになるしかしそれは関東大震災や金融危機

によって頓挫するむしろマネタリーベースを削減するという試みがデフレと不況をも

たらしそれゆえに不良債権が増大してしまったということではないだろうか

35 小括1‐テイラールールの推計から得られた知見

以上のことから考えて1920 年代から 30 年代にかけては金融政策はインフレまたはデ

フレ促進的な政策を行っていた対外均衡にはある程度考慮した金融政策を行っていたこ

とが分かる

しかし1920 年代には金本位制に復帰するという政策が課題となっていたはずである

20 年代がデフレ促進的また対外均衡にある程度考慮した政策を行っていたことはこの

課題にとっては正しいものだろうしかし現実に採られたデフレ促進策では不十分だっ

た物価は旧平価で金本位制に復帰できるほど下がっていなかったのだからまた32 年

以降の金融政策についてもなぜ 32 年から急速な回復ができたのかそれと金融政策とは

どのよう関係しているかは分析できていない

これについて飯田岡田[2004]は昭和恐慌からの回復はデフレ脱却による実質金利

の下落が重要であって名目金利の低下は重要でなかったと分析しているこれによれば

名目金利の変化で金融政策の変化を見ることはできないことになるしたがって名目金

利の変化に着目するテイラールールでは31 年 12 月以降の高橋是清蔵相の金融政策の意

味を理解できないことになる

30

また金融政策が物価および景気安定を意図していなかったら何を意図していたのだ

ろうか本稿での結論は為替レートや経常収支に視点を置いた対外均衡を意識していた

ということになる

いずれにしろテイラールールだけでは戦前期の金融政策を十分には理解できない

ことになるそこで戦前期の金融政策を別の方法で評価してみよう

4マッカラムルールによる金融政策の評価

41 マッカラムルールの意味と定式化とデータ

以下ではマッカラムルールで戦間期の金融政策を評価することにするマッカラム

ルールを用いて金融政策の在り方を判断した研究としてはマッカラム自身の分析を始め

として多くのものがある(例えばMcCallum[1987][1988]マッカラム[1997]第 15 章)

日本のデータを用いたものにおいても McCallum[1987]岡田飯田[2004]などがあるし

かし日本の戦前期についてはおそらく安達[2006](第7章)しかないと思われる安

達は年データを用い目標値として設定された名目 GNP 成長率(5と設定している)

を達成するためのマネタリーベースを求め現実のマネタリーベースの成長率が 1936 年ま

で過小でそれ以降過大であることを示している本稿では月次データを用いているので

期間ごとの金融政策の在り方も検討することができる

マッカラムルールとはマネタリーベースの成長率を名目GDPの望ましい成長率に

依存させるルールである(McCallum[1987]マッカラム[1997]第 15 章)しかし貨幣の

流通速度 vは変化するので貨幣の流通速度の変化に応じてマネタリーベース bの動きを調

整することが必要となるこのようなルールはbvなどを対数値として望ましいマネタ

リーベースの成長率⊿bをマネタリーベースの流通速度Δvに応じて変化させるというルー

ルであるただしvは景気変動によって大きく変動しているのでそれが技術的な変化と

見なせる 2 年間の平均値 tvΔ であるとする12すなわちマッカラムルールに基づくマネタ

リーベースの成長率とは

tbΔ =マネタリーベースの望ましい成長率- tvΔ

であるここでマネタリーベースの望ましい成長率はサンプル期間(1919 年 1 月から 1933

年 12 月まで)のマネタリーベースの平均成長率とする13マッカラムはマネタリーベース

の望ましい成長率を名目 GDP の成長率としているがここではまずこの期間の経済を再現

することを目的としているので現実のマネタリーベースの成長率を採用したマネタリ

12 マッカラム(1997)第 15 章では流通速度として 4年平均を使用しているが本稿ではサンプル

期間が短いため 2年平均としている 13 サンプル期間は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月であるがマネタリーベースの流通速度の平

均値作成のため 初の 24 か月が失うのでここで計算された望ましいマネタリーベースの成長

率は 1921 年 1 月から 1933 年 12 月までの平均となっている

31

ーベースの動きを図 10 に示しているマネタリーベースは季節性が強いので季調値も図示

しているなお前述のように戦前期の月次名目 GDP のデータは存在しないのでIIP に

卸売物価を掛けたものを名目 GDP の代理変数とする(ここで使うデータの定義と出所は前

掲の表1にある)

図 10 マネタリーベース(原数値と季節調整値)の動き

0

50000

100000

150000

200000

250000

19191

19197

19201

19207

19211

19217

19221

19227

19231

19237

19241

19247

19251

19257

19261

19267

19271

19277

19281

19287

19291

19297

19301

19307

19311

19317

19321

19327

19331

19337

観察されたベースマネー(単位万円) 季節調整済マネタリーベース(単位万円)

作成されたマネタリーベースの成長率は1919 年 1 月から 33 年 12 月までで年率 12

月次では 01となるすなわち

tbΔ =0001- tvΔ

ここで考察する期間を 1919 年 1 月から 33 年 12 月までとしたのは34 年以降の GDP の伸び

が大きすぎトレンドの作成において歪みを生じさせるからであるまた33 年は昭和恐

慌から脱却し経済が安定していた時期でもある

さらに名目 GDP が何らかのショックによって平均的な成長経路よりも上回った時に

はマネタリーベースの伸び率を低下させるようなルール(下回った場合は逆)を導入し

ようすなわち

tbΔ =0001-

1 1( )t t tv y yλ minus minusΔ + minus

32

となるただし目標値

1ty minus は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月までの月次平均成長率 04

成長経路での名目 GDP の対数値であるまたマッカラムによればλは四半期データで 025

が望ましいとされているがここでは月次データを使用しているのでとりあえず 12 分の 1

とすることを考えたがこの期間の名目 GDP は戦後の日米名目 GDP のデータより大きく変

動しているのでさらに小さくする必要があるマッカラムも「λの値を選択する場合

もし間違えるとすれば小さな値を採るほうがよい」(マッカラム[1997]308 頁)としている

そこでλは 36 分の1とした 終的なルールは

tbΔ =0001-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (5)

となる

マッカラムは望ましいインフレ率をゼロとするマネタリールールを求めているがこ

こでは実際には大きく変動したマネタリーベースを安定的に動かしていたらどうなったか

を考えることにしているので名目 GDP の動きは現実のものを使いルールにもとづくマ

ネタリーベースと実際のマネタリーベースをまず比較することにする

次に名目 GDP の決定に関する次のようなモデルを 小二乗法により推計する結果は

1 1 2 3

2

0004 0295 0053 0110 0106 0071 - 0069 23- 0046 27(1596) (3634) (1054) (1404) (2300) (1831) (6731)

R 0109 SE=0029 BG(24)=33227

(1822) t t t t t t ty y b b b b dummy dummy eminus minus minus minusΔ = + Δ + Δ + Δ + Δ + Δ +

=

(6)

となる14但し yΔ は名目 GDP の変化率 bΔ はマネタリーベースの成長率dummy23 は関東

大震災の時の一時的な変動をとらえるために 1923 年 9 月を 1それ以外を 0 としたダミー

変数dummy27 は金融恐慌時の一時的な変動をとらえるために 1927 年 4 月 5 月を 1それ

以外を 0としたダミー変数サンプル期間は推計に使用する変数が全て揃う 1921 年 1 月か

ら 1933 年 12 月までまたここでの残差 te は攪乱項の推定値2R SE BG(p) はそれぞれ

自由度修正済み決定係数攪乱項の標準誤差p 次の Breuch-Godfrey テストのχ二乗統計

量( )内は Newey-West の方法により修正した t値を示している15

ここで当時マッカラムルールなどという議論がなかったのだからこのような分

14 ここでは bΔ は現実のマネタリーベースの成長率を使用して推計を行っている 15 研究の対象期間は 1919 年 1 月からであるが平均流通速度 tvΔ の計算のために 初の 24 ヶ

月分が使用できないそのため他のシミュレーションの対象期間と整合性を保つため 1921 年 1

月からとしているまたこの推計式にはラグ付き内生変数を含むためダービンワトソンテスト

ではなく Breush-Godfrey テストを報告しているこの Breush-Godfrey テストから系列相関が疑

われるためNewey-West の方法により標準誤差を修正している

33

析は意味がないという批判があるかもしれないがこれにはテイラールールの節で述べ

たのと同じ反論が可能であるマッカラムルールとは名目 GDP が上昇しすぎたら(そ

のときには景気が過熱するかインフレが高進していると考えられる)マネーを縮小し

名目 GDP が下降しすぎたら(そのときは景気が悪化するかデフレになっている)マネーを

拡大するという素朴なルールである当時このようなルールが意識されていなかったと

は考え難い

42 長期的な経済を再現するシミュレーション

まずマッカラムルールによって現実の長期的な経済の経路を再現してみようルー

ルにもとづくマネタリーベースと実際のマネタリーベースのレベルと成長率とを図

11(1)(2)に示す

政策ルール(5)式が実施された場合の名目 GDP(の代理変数)の動きを見るために(5)式

から得られる理論値 tbΔ (6)式の残差 te 初期値 1ty minusΔ に目標 GDP

1ty minusΔ を代入してマ

ッカラムルールに従った場合の名目 GDP y の系列を求める現実の xとマネタリーベース

のルールに従った場合の y の系列を比べてみたのが図 11-(3)である図 11-(3)からマ

ネタリーベースのルールに従った場合の y の系列が安定していることが分かるこのよう

に安定的な名目 GDP の系列を得るためには第 1 次世界大戦後の金融引締めが過大で20

年代初期の金融緩和が過大30 年の金融引締めが過大だったと判断される

図 11 マッカラムルール

(1)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

34

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT MBDOT

注)BDOT はマッカラムルールの下でのマネタリーべースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(2)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

35

100000

120000

140000

160000

180000

200000

220000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC MB_SA

注)MB_SA はマネタリーベース(季節調整済)の現実値

B_MC はマッカラムルールに従った場合のマネタリーベース水準

またマッカラムルールの下でのマネタリーベースの初期値は現実値を使用

単位は万円

(3)マッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

36

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULE XSTAR X

注)GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

43 物価を下落させるシミュレーション

以上の結果はマネタリーベースの伸びを安定的にしていれば経済変動はより少なく

なっていただろうということを示しているしかしもし第 1 次世界大戦前の旧平価で金

本位制に復帰することが目的であったとしたら1節で述べたように物価を 3 割下げな

ければならない名目 GDP(その代理変数)は実質 GDP の変化がないとして1919 年 12

月から 29 年 12 月までに 3割下がらなければならない

そこで名目 GDP(その代理変数) y は現実の値よりも毎月 03ずつ低下しなければ

ならないので(5)式の定数項 0001 から 0003 を引いて-0002 とするすなわち

tbΔ =-0002-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (7)

とならなければならないここでの系列 y も実際の値から毎月 03ずつ引き下げたも

のを使っているつぎに(7)式の bを(6)式に入れると図 12 のようになる図に見られるよ

うに名目 GDP は安定しかつ小さくなっているすなわち物価が 3 割下落していること

が分かる

37

図 12 物価を下落させた場合

(1) 名目 GDP の目標値とマッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULEXSTAR

XGDP3_RULE

XSTAR_3

注) GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

GDP3_RULE は物価を 3割下げたマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR_3 は物価を 3割下げた場合の目標となる名目 GDP(対数値)

38

(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

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  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 22: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

21

図 9 正貨準備高ニューヨークインフレ率

0

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

-60

-40

-20

0

20

40

60

正貨(単位億円) ニューヨークインフレ率(卸売り物価指数)

なお追加した説明変数貿易収支比率為替レートニューヨーク物価ニューヨー

ク金利ロンドン金利正貨準備が独立でないという問題があるうちニューヨーク金

利とロンドン金利は同時には入れず他の変数と代替的に入れることとするそれでも

貿易収支比率と為替レートが独立ではないという問題があるかもしれない単純に為替

レートが割安であれば経常収支が黒字に動き割高であれば経常収支が赤字に動くという

メカニズムによって為替レートと経常収支が独立ではないということになる

また為替レート関数の推計において自国と他国の物価マネーサプライ金利生

産に加えて経常収支またはその累積を説明変数に入れるのが通常であることを考えれ

ば当然に問題となるしかし多くの推計で為替レートに対して経常収支またはそ

の累積の説明力はそれほど高くはない10

ちなみに変数間の相関行列を取ると表5のようになる(推計期間は正貨を含む変数間

は 1919 年から 1929 年 3 月それ以外の変数間は 1919 年 1 月 1936 年 12 月まである)貿

易収支比率と為替レートの相関を取ると相関係数は 0029 でありマルチコリニアリティ

10 深尾[1983] (167 頁)は日本の米国に対する 100 億ドルの経常黒字は 64の円高ドル

安要因になるとしているこれは大きな効果だがその後の推計によると経常収支黒字が円高

をもたらす効果は大きくはない河合[1986](第 94 表214 頁)によれば経常収支累積額が

1の上昇は実質為替レートを 0068~0163上昇させるにすぎないその後も同様の推計

がなされているが(経済企画庁[1997]第 1-2-1 図③経済企画庁[1999]付図 1-5-2原田[2004])いずれの推計においても経常収支が為替レートに与える影響は大きなものではない

22

の問題は避けられていると判断できる当時のデータで為替と貿易収支の相関が弱い理

由として金解禁への動きが度々予想されていたので為替レートが貿易など実態経済

の状況にかかわらず高騰していたこともあげられる表 5 から説明変数間で(被説明変

数のコールレートを除く)相関係数の絶対値が 04 以上のものを上げると卸売物価と GDP

ギャップ卸売物価とニューヨーク卸売物価GDP ギャップとニューヨーク卸売物価ニュ

ーヨーク金利とロンドン金利貿易収支比率とコールレートがそうである卸売物価と GDP

ギャップはテイラールールの基本的な説明変数なので両者をともに入れるがニューヨ

ーク金利とロンドン金利については代替的にも推計することとする

表5 拡張テイラールールで使用された変数の相関行列

コールレート

インフレ率GDPギャッ

プ貿易収支比

率為替変化

率NYインフレ

率NY金利

ロンドン金利

正貨準備変化率

コールレート 1000 0222 0293 -0441 -0112 0082 0437 0264 -0113

インフレ率 1000 0437 0046 -0024 0482 0198 -0340 -0005

GDPギャップ 1000 -0056 0205 0605 0246 -0119 0042

貿易収支比率 1000 0029 0189 -0182 -0252 0183

為替変化率 1000 0259 0023 0019 0058

NYインフレ率 1000 -0071 -0378 -0084

NY金利 1000 0649 0291

ロンドン市中金利 1000 0092

正貨準備変化率 1000

32 拡張テイラールールの推計結果

推計期間は貿易収支が入手可能な1926年1月から1936年12月までの全期間と上述の(2)

式と比較するために1931年12月までとそれ以降の期間とする推計結果は表6の通り

である推計については上記3つの推計期間において 小二乗法を行っている新しく追

加した変数貿易収支比率為替レートの変化率ニューヨーク卸売物価上昇率ニュー

ヨーク金利ロンドン金利正貨準備の変化率の単位はである推計に当たっては系

列相関が疑われるためNewey-Westの方法によって標準誤差の修正を行っている

23

表6 拡張テイラールールの推計結果

係数 係数 係数 係数

定数項 r-βπ tar 3155 2980 定数項 r -βπ tar 5780 6596 (10072) (6939) (12603) (13464)

インフレ率 1+β 0008 0027 インフレ率 1+β 0041 0025

(0552) (1600) (1957) (1399)

GDPギャップ α 1 0036 0057 GDPギャップ α 1 0090 0083

(1156) (1798) (2584) (2412)

貿易収支比率 α 2 -0105 -0106 貿易収支比率 α 2 -0053 -0054

(5627) (4937) (2671) (3396)為替変化率 α 3 -0109 -0110 為替変化率 α 3 -0062 -0051

(3782) (3755) (1345) (0998)

NYインフレ率 α 4 0014 0011 NYインフレ率 α 4 0014 0012

(0820) (0645) (0651) (0682)

NY金利 α 5 0212 NY金利 α 5 -0133

(3002) (1599)

ロンドン金利 α 5 0399 ロンドン金利 α 5 -0466

(2870) (3071)R2 0397 0375 R2 0468 0503

自由度調整済みR2 0380 0357 自由度調整済みR2 0447 0483

標準誤差 1520 1548 標準誤差 1375 1329

DW統計量 0568 0531 DW統計量 0700 0794

係数 係数

定数項 r-βπ tar 2703 2617

(6657) (26032)

インフレ率 1+β -0018 -0016

(1920) (2396)

GDPギャップ α 1 -0052 -0059

(2353) (5464)

貿易収支比率 α 2 -0031 0004

(1779) (0381)

為替変化率 α 3 -0007 0028

(0423) (1526)

NYインフレ率 α 4 -0017 -0024

(3808) (5526)

NY金利 α 5 0423

(1421)

ロンドン金利 α 5 0742

(7283)

R2 0797 0899自由度調整済みR2 0774 0887

標準誤差 0443 0313

DW統計量 0757 0925

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とそれぞれの金利だけである

どちらの推計でもこれらの有意な変数は符号条件を満たしているインフレ率とGDPギャ

24

ップは5有意ではなくなり単純テイラールールでも小さかった係数はさらに小さ

くなるこれに対して貿易収支比率の係数は貿易収支比率が10ポイント分マイナス

に動けば1金利を引き上げることであるからある程度貿易収支に反応して金融政策

を行っていたと言えるだろう為替変化率の係数は為替レートが10下落したら金利

を1引き上げることであるからこちらもある程度は為替レートに反応して金融政策を

行っていたとも言えるだろうニューヨーク金利とロンドン金利が1上昇すると国内金

利をそれぞれ0204引き上げるということになっている

1926年1月から1931年12月までの推計ではニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれ

を用いた推計でも5で有意な変数はGDPギャップと貿易収支比率とロンドン金利であ

るがロンドン金利は符号条件を満たしていないGDPギャップは有意であるがその係数

は単純テイラールールの推計と同様に小さい貿易収支比率の係数は貿易収支比率で

10ポイント分赤字が増えれば金利を05引き上げることであるからある程度は貿易

収支に反応して金融政策を行っていたと言えるかもしれない

さらに1932年1月から1936年12月までの推計では物価GDPギャップニューヨーク物

価ロンドン金利が5で有意であるGDPギャップニューヨーク物価は符号条件を満た

していないロンドン金利は符号条件を満たしその係数も074と大きく日本の金融政

策はロンドンに追随して行われていたことになる

金本位制を意識して行われていたときには金融政策は対外均衡に重点を置き金本位

制を離脱した後はロンドンの金利に追随していたことになる日本の金融政策が英国

の金融政策に追随していたことは鎮目[2009]第2章の結果とも整合的である

さらに表7は以上の変数に正貨を追加したものであるデータの制約により1919年1

月から29年3月までしか推計できないのでこれは金本位制を意識して金融政策が行われて

いた期間の金融政策を評価していることになる

25

表7 (3)式の拡張テイラールールの推計結果(正貨準備の変化率追加)

係数 係数定数項 r-βπ tar 5431 7511

(7602) (8642)インフレ率 1+β 0028 0024

(1209) (1264)GDPギャップ α 1 0147 0095

(2352) (1698)貿易収支比率 α 2 -0050 -0034

(2522) (2089)為替変化率 α 3 0016 0097

(0173) (0989)NYインフレ率 α 4 0004 -0004

(0166) (0224)NY金利 α 5 -0071

(0665)ロンドン金利 α 5 -0662

(2795)正貨準備の変化率 α 6 -0071 -0087

(0796) (1138)R2 0410 0471自由度調整済みR2 0374 0438標準誤差 1451 1375DW統計量 0808 0934注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

正貨を追加した推計結果ではGDPギャップ貿易収支比率ロンドン金利が有意である

GDPギャップ貿易収支比率は符号条件を満たしているがロンドン金利は満たしていない

表7の1919年から31年の推計結果に比べてGDPギャップの係数の値は大きくなるが景気

安定化効果が大きかったとまでは言えない貿易収支の係数はほとんど変らず貿易収支

の状況を念頭に入れて政策を行っていたと言えるだろうロンドン金利符号が逆で海外

金利が下がると金利を上げるという結果になっている

以上の結果を鎮目[2002]と比べる鎮目は金外貨準備英国の短期金利経常収支

資本収支をテイラールールの式に追加していずれの変数も有意ではなかったと報告し

ているが本稿では追加した変数のうち貿易収支ニューヨーク金利(特にロンドン

金利)が符号条件を満たして有意になっている場合が多く対外均衡を意識した金融政策

が行われていた可能性を示唆している

33 拡張テイラールールに関する政策反応ラグ

以上の拡張テイラールールの推計では貿易収支比率為替変化率ニューヨークイ

26

ンフレ率ロンドン金利を追加したものが良好な推計結果をもたらしたそこで拡張テ

イラールールに関する政策反応ラグを考慮するために以上の変数に加えて被説明変数

の 1期ラグを追加したものを推計する11結果は表8のようになる

表8 拡張テイラールールの金利ラグ付き推計

係数 係数 係数 係数定数項 r-βπ tar 0623 0565 定数項 r-βπ tar 1806 2223

(3922) (3134) (3861) (3396)インフレ率 1+β -00001 0003 インフレ率 1+β 0012 0007

(0023) (0552) (1190) (0761)GDPギャップ α 1 0019 0023 GDPギャップ α 1 0044 0043

(1589) (1875) (2072) (2007)

貿易収支比率 α 2 -0024 -0023 貿易収支比率 α 2 -0019 -0020

(2312) (2239) (1514) (1767)

為替変化率 α 3 -0026 -0025 為替変化率 α 3 -0048 -0045

(1984) (2069) (1607) (1430)

NYインフレ率 α 4 -0002 -0002 NYインフレ率 α 4 -0004 -0004

(0277) (0388) (0337) (0389)NY金利 α 5 0040 NY金利 α 5 -0044

(1532) (1193)

ロンドン金利 α 5 0075 ロンドン金利 α 5 -0163

(1447) (1703)コールレート1期ラグ 0796 0802 コールレート1期ラグ 0680 0657

(18638) (20579) (9505) (8112)R2 0789 0788 R2 0707 0711自由度調整済みR2 0782 0781 自由度調整済みR2 0693 0697標準誤差 0902 0904 標準誤差 1023 1016DW統計量 2581 2574 DW統計量 2408 2415

係数 係数

定数項 r-βπ tar 0527 0900 (2552) (3391)

インフレ率 1+β -0004 -0005(1594) (1249)

GDPギャップ α 1 -0006 -0014

(1174) (1562)

貿易収支比率 α 2 -0001 0010

(0135) (1064)

為替変化率 α 3 0005 0019

(0542) (1247)

NYインフレ率 α 4 -0003 -0008

(1971) (2116)

NY金利 α 5 -0022

(0557)

ロンドン金利 α 5 0386

(3052)コールレート1期ラグ 0833 0608

(9986) (6019)R2 0934 0957自由度調整済みR2 0925 0951標準誤差 0255 0207DW統計量 2478 2362

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

11 単純テイラールールでは説明変数のラグを加えたがここではあまりにも煩雑になること

と単純テイラールールで被説明変数の 1 期ラグが重要であったことから被説明変数の 1 期

ラグのみを追加した

27

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とコールレートの1期ラグであ

る貿易収支比率と為替変化率のどちらの係数も符号条件を満たしているがコールレー

トの1期ラグがない場合と比べて係数の値は小さくなっているただしこの推計をコイ

ック型と考えて係数の長期の値を(1-コールレートの1期ラグの係数)で除すことによっ

て求めれば1期ラグがない場合の係数よりもかなり大きくなる

1926年1月から1931年12月までの推計ではGDPギャップとコールレートの1期ラグのみが

有意となるGDPギャップの長期係数を求めても値は小さいこの期間では金利を安定的

に維持することに金融政策が使われていたと言えるだろう

1932年1月から1936年12月までの推計では有意なものはロンドン金利とニューヨークイ

ンフレ率とコールレートの1期ラグとなってしまうニューヨークインフレ率は符号条件を

満たしているがその係数は小さいロンドン金利の係数は大きく日本の金融政策はロ

ンドンに追随して行われていたことになる

コールレートの1期ラグを入れるといずれの期の金融政策も金利の平準化の要素が大き

いと判断される金本位制を意識して行われていたときには金融政策はある程度は対外

均衡を考えていたようである金本位制を離脱した後はロンドンの金利を考慮していた

ようである

さらに表9は以上の変数に正貨を追加したものである(データの制約により1919年1

月から29年3月までの推計)これは金本位制を意識して金融政策が行われていた期間の金

融政策を評価していることになる

28

表9 正貨準備高の変化率を加えた場合

係数 係数定数項 r-βπ tar 1723 2771

(3126) (2898)インフレ率 1+β 0004 0005

(0356) (0518)GDPギャップ α 1 0088 0072

(2641) (2442)貿易収支比率 α 2 -0023 -0018

(1664) (1321)為替変化率 α 3 -0025 0008

(0544) (0189)NYインフレ率 α 4 -0007 -0010

(0617) (0924)NY金利 α 5 -0012

(0255)ロンドン金利 α 5 -0239

(1470)正貨準備の変化率 α 6 0001 -0005

(0013) (0079)コールレートの1期ラグ 0644 0603

(7451) (6371) R2 0652 0659自由度調整済みR2 0628 0635標準誤差 1119 1107DW統計量 2450 2452注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

有意なものはGDPギャップとコールレートの1期ラグであるGDPギャップは符号条件

を満たしている長期の係数を取ってもその係数は大きいとは言えない

34 対外均衡と対内均衡

対外均衡に重点を置いた金融政策を行うとは経常収支赤字や為替レート下落や外貨準

備の減少に対して金利を引き上げるというルールに従って金融政策を行うことである

通常であれば金本位制の下で国内がインフレになり競争力を失ったり景気が過熱

して輸入が増大したときには経常収支赤字や為替レート下落や外貨準備の減少が起きる

だろう経常収支の赤字や外貨準備の減少が起きたときには金融を引き締めるというルー

ルは国内がインフレになったり景気が過熱したときには引き締めるというルールでも

あるしたがって対外均衡に重点を置くことが国内均衡を必ず妨げるというわけではな

いこれは逆の場合も真実であるしかし1910 年代日本の経常収支や外貨準備は国

内の景気要因で変化したわけではない第 1 次世界大戦によって外需が増加し経常収支

29

が黒字となり外貨準備が増えた金本位制のルールに従って金融政策は緩和されマ

ネタリーベースは 1919 年 1 月から 1920 年 4 月までに 16 倍に増加した輸出超過の国は

金融緩和することによって輸入超過の国の不況を和らげることができる日本は金本

位制の正しいルールに基づいて金融を緩和しただけであるしかし戦争がおわりその

復興需要もなくなったとき経常収支は赤字となり外貨準備は減少したしかしかつ

て金準備に依存して増大していたマネタリーベースはそのままだった失われた外貨準備

に対してマネタリーベースを減少させなければならなかったしかし23 年までマネタリ

ーベースは増大し続けていた関東大震災という不幸もあってマネタリーベースを減少

させることはできなかったその後25 年まで引き下げていたが27 年には金融恐慌があ

りマネタリーベースを削減することができなかったその後28 年までマネタリーベ

ースはむしろ拡大していた29 年には金本位制復帰を目指してマネタリーベースを急減さ

せるがその結果は激しいデフレと不況だった

そもそも国内要因の変化によらない金準備の増加に対してマネタリーベースを拡大し

たことが誤りだった金本位制からの離脱は1917 年ではなくて欧米諸国が離脱した

1914-15 年になすべきだったそうであれば1910 年代末までのマネタリーベースの急増

はなかっただろうところが実際には金本位制から離脱したにも関わらず1920 年にか

けてマネタリーベースは拡大していた1920 年代からは失われた金準備に対してマネタリ

ーベースを削減することが試みられるようになるしかしそれは関東大震災や金融危機

によって頓挫するむしろマネタリーベースを削減するという試みがデフレと不況をも

たらしそれゆえに不良債権が増大してしまったということではないだろうか

35 小括1‐テイラールールの推計から得られた知見

以上のことから考えて1920 年代から 30 年代にかけては金融政策はインフレまたはデ

フレ促進的な政策を行っていた対外均衡にはある程度考慮した金融政策を行っていたこ

とが分かる

しかし1920 年代には金本位制に復帰するという政策が課題となっていたはずである

20 年代がデフレ促進的また対外均衡にある程度考慮した政策を行っていたことはこの

課題にとっては正しいものだろうしかし現実に採られたデフレ促進策では不十分だっ

た物価は旧平価で金本位制に復帰できるほど下がっていなかったのだからまた32 年

以降の金融政策についてもなぜ 32 年から急速な回復ができたのかそれと金融政策とは

どのよう関係しているかは分析できていない

これについて飯田岡田[2004]は昭和恐慌からの回復はデフレ脱却による実質金利

の下落が重要であって名目金利の低下は重要でなかったと分析しているこれによれば

名目金利の変化で金融政策の変化を見ることはできないことになるしたがって名目金

利の変化に着目するテイラールールでは31 年 12 月以降の高橋是清蔵相の金融政策の意

味を理解できないことになる

30

また金融政策が物価および景気安定を意図していなかったら何を意図していたのだ

ろうか本稿での結論は為替レートや経常収支に視点を置いた対外均衡を意識していた

ということになる

いずれにしろテイラールールだけでは戦前期の金融政策を十分には理解できない

ことになるそこで戦前期の金融政策を別の方法で評価してみよう

4マッカラムルールによる金融政策の評価

41 マッカラムルールの意味と定式化とデータ

以下ではマッカラムルールで戦間期の金融政策を評価することにするマッカラム

ルールを用いて金融政策の在り方を判断した研究としてはマッカラム自身の分析を始め

として多くのものがある(例えばMcCallum[1987][1988]マッカラム[1997]第 15 章)

日本のデータを用いたものにおいても McCallum[1987]岡田飯田[2004]などがあるし

かし日本の戦前期についてはおそらく安達[2006](第7章)しかないと思われる安

達は年データを用い目標値として設定された名目 GNP 成長率(5と設定している)

を達成するためのマネタリーベースを求め現実のマネタリーベースの成長率が 1936 年ま

で過小でそれ以降過大であることを示している本稿では月次データを用いているので

期間ごとの金融政策の在り方も検討することができる

マッカラムルールとはマネタリーベースの成長率を名目GDPの望ましい成長率に

依存させるルールである(McCallum[1987]マッカラム[1997]第 15 章)しかし貨幣の

流通速度 vは変化するので貨幣の流通速度の変化に応じてマネタリーベース bの動きを調

整することが必要となるこのようなルールはbvなどを対数値として望ましいマネタ

リーベースの成長率⊿bをマネタリーベースの流通速度Δvに応じて変化させるというルー

ルであるただしvは景気変動によって大きく変動しているのでそれが技術的な変化と

見なせる 2 年間の平均値 tvΔ であるとする12すなわちマッカラムルールに基づくマネタ

リーベースの成長率とは

tbΔ =マネタリーベースの望ましい成長率- tvΔ

であるここでマネタリーベースの望ましい成長率はサンプル期間(1919 年 1 月から 1933

年 12 月まで)のマネタリーベースの平均成長率とする13マッカラムはマネタリーベース

の望ましい成長率を名目 GDP の成長率としているがここではまずこの期間の経済を再現

することを目的としているので現実のマネタリーベースの成長率を採用したマネタリ

12 マッカラム(1997)第 15 章では流通速度として 4年平均を使用しているが本稿ではサンプル

期間が短いため 2年平均としている 13 サンプル期間は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月であるがマネタリーベースの流通速度の平

均値作成のため 初の 24 か月が失うのでここで計算された望ましいマネタリーベースの成長

率は 1921 年 1 月から 1933 年 12 月までの平均となっている

31

ーベースの動きを図 10 に示しているマネタリーベースは季節性が強いので季調値も図示

しているなお前述のように戦前期の月次名目 GDP のデータは存在しないのでIIP に

卸売物価を掛けたものを名目 GDP の代理変数とする(ここで使うデータの定義と出所は前

掲の表1にある)

図 10 マネタリーベース(原数値と季節調整値)の動き

0

50000

100000

150000

200000

250000

19191

19197

19201

19207

19211

19217

19221

19227

19231

19237

19241

19247

19251

19257

19261

19267

19271

19277

19281

19287

19291

19297

19301

19307

19311

19317

19321

19327

19331

19337

観察されたベースマネー(単位万円) 季節調整済マネタリーベース(単位万円)

作成されたマネタリーベースの成長率は1919 年 1 月から 33 年 12 月までで年率 12

月次では 01となるすなわち

tbΔ =0001- tvΔ

ここで考察する期間を 1919 年 1 月から 33 年 12 月までとしたのは34 年以降の GDP の伸び

が大きすぎトレンドの作成において歪みを生じさせるからであるまた33 年は昭和恐

慌から脱却し経済が安定していた時期でもある

さらに名目 GDP が何らかのショックによって平均的な成長経路よりも上回った時に

はマネタリーベースの伸び率を低下させるようなルール(下回った場合は逆)を導入し

ようすなわち

tbΔ =0001-

1 1( )t t tv y yλ minus minusΔ + minus

32

となるただし目標値

1ty minus は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月までの月次平均成長率 04

成長経路での名目 GDP の対数値であるまたマッカラムによればλは四半期データで 025

が望ましいとされているがここでは月次データを使用しているのでとりあえず 12 分の 1

とすることを考えたがこの期間の名目 GDP は戦後の日米名目 GDP のデータより大きく変

動しているのでさらに小さくする必要があるマッカラムも「λの値を選択する場合

もし間違えるとすれば小さな値を採るほうがよい」(マッカラム[1997]308 頁)としている

そこでλは 36 分の1とした 終的なルールは

tbΔ =0001-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (5)

となる

マッカラムは望ましいインフレ率をゼロとするマネタリールールを求めているがこ

こでは実際には大きく変動したマネタリーベースを安定的に動かしていたらどうなったか

を考えることにしているので名目 GDP の動きは現実のものを使いルールにもとづくマ

ネタリーベースと実際のマネタリーベースをまず比較することにする

次に名目 GDP の決定に関する次のようなモデルを 小二乗法により推計する結果は

1 1 2 3

2

0004 0295 0053 0110 0106 0071 - 0069 23- 0046 27(1596) (3634) (1054) (1404) (2300) (1831) (6731)

R 0109 SE=0029 BG(24)=33227

(1822) t t t t t t ty y b b b b dummy dummy eminus minus minus minusΔ = + Δ + Δ + Δ + Δ + Δ +

=

(6)

となる14但し yΔ は名目 GDP の変化率 bΔ はマネタリーベースの成長率dummy23 は関東

大震災の時の一時的な変動をとらえるために 1923 年 9 月を 1それ以外を 0 としたダミー

変数dummy27 は金融恐慌時の一時的な変動をとらえるために 1927 年 4 月 5 月を 1それ

以外を 0としたダミー変数サンプル期間は推計に使用する変数が全て揃う 1921 年 1 月か

ら 1933 年 12 月までまたここでの残差 te は攪乱項の推定値2R SE BG(p) はそれぞれ

自由度修正済み決定係数攪乱項の標準誤差p 次の Breuch-Godfrey テストのχ二乗統計

量( )内は Newey-West の方法により修正した t値を示している15

ここで当時マッカラムルールなどという議論がなかったのだからこのような分

14 ここでは bΔ は現実のマネタリーベースの成長率を使用して推計を行っている 15 研究の対象期間は 1919 年 1 月からであるが平均流通速度 tvΔ の計算のために 初の 24 ヶ

月分が使用できないそのため他のシミュレーションの対象期間と整合性を保つため 1921 年 1

月からとしているまたこの推計式にはラグ付き内生変数を含むためダービンワトソンテスト

ではなく Breush-Godfrey テストを報告しているこの Breush-Godfrey テストから系列相関が疑

われるためNewey-West の方法により標準誤差を修正している

33

析は意味がないという批判があるかもしれないがこれにはテイラールールの節で述べ

たのと同じ反論が可能であるマッカラムルールとは名目 GDP が上昇しすぎたら(そ

のときには景気が過熱するかインフレが高進していると考えられる)マネーを縮小し

名目 GDP が下降しすぎたら(そのときは景気が悪化するかデフレになっている)マネーを

拡大するという素朴なルールである当時このようなルールが意識されていなかったと

は考え難い

42 長期的な経済を再現するシミュレーション

まずマッカラムルールによって現実の長期的な経済の経路を再現してみようルー

ルにもとづくマネタリーベースと実際のマネタリーベースのレベルと成長率とを図

11(1)(2)に示す

政策ルール(5)式が実施された場合の名目 GDP(の代理変数)の動きを見るために(5)式

から得られる理論値 tbΔ (6)式の残差 te 初期値 1ty minusΔ に目標 GDP

1ty minusΔ を代入してマ

ッカラムルールに従った場合の名目 GDP y の系列を求める現実の xとマネタリーベース

のルールに従った場合の y の系列を比べてみたのが図 11-(3)である図 11-(3)からマ

ネタリーベースのルールに従った場合の y の系列が安定していることが分かるこのよう

に安定的な名目 GDP の系列を得るためには第 1 次世界大戦後の金融引締めが過大で20

年代初期の金融緩和が過大30 年の金融引締めが過大だったと判断される

図 11 マッカラムルール

(1)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

34

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT MBDOT

注)BDOT はマッカラムルールの下でのマネタリーべースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(2)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

35

100000

120000

140000

160000

180000

200000

220000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC MB_SA

注)MB_SA はマネタリーベース(季節調整済)の現実値

B_MC はマッカラムルールに従った場合のマネタリーベース水準

またマッカラムルールの下でのマネタリーベースの初期値は現実値を使用

単位は万円

(3)マッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

36

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULE XSTAR X

注)GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

43 物価を下落させるシミュレーション

以上の結果はマネタリーベースの伸びを安定的にしていれば経済変動はより少なく

なっていただろうということを示しているしかしもし第 1 次世界大戦前の旧平価で金

本位制に復帰することが目的であったとしたら1節で述べたように物価を 3 割下げな

ければならない名目 GDP(その代理変数)は実質 GDP の変化がないとして1919 年 12

月から 29 年 12 月までに 3割下がらなければならない

そこで名目 GDP(その代理変数) y は現実の値よりも毎月 03ずつ低下しなければ

ならないので(5)式の定数項 0001 から 0003 を引いて-0002 とするすなわち

tbΔ =-0002-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (7)

とならなければならないここでの系列 y も実際の値から毎月 03ずつ引き下げたも

のを使っているつぎに(7)式の bを(6)式に入れると図 12 のようになる図に見られるよ

うに名目 GDP は安定しかつ小さくなっているすなわち物価が 3 割下落していること

が分かる

37

図 12 物価を下落させた場合

(1) 名目 GDP の目標値とマッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULEXSTAR

XGDP3_RULE

XSTAR_3

注) GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

GDP3_RULE は物価を 3割下げたマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR_3 は物価を 3割下げた場合の目標となる名目 GDP(対数値)

38

(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

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  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 23: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

22

の問題は避けられていると判断できる当時のデータで為替と貿易収支の相関が弱い理

由として金解禁への動きが度々予想されていたので為替レートが貿易など実態経済

の状況にかかわらず高騰していたこともあげられる表 5 から説明変数間で(被説明変

数のコールレートを除く)相関係数の絶対値が 04 以上のものを上げると卸売物価と GDP

ギャップ卸売物価とニューヨーク卸売物価GDP ギャップとニューヨーク卸売物価ニュ

ーヨーク金利とロンドン金利貿易収支比率とコールレートがそうである卸売物価と GDP

ギャップはテイラールールの基本的な説明変数なので両者をともに入れるがニューヨ

ーク金利とロンドン金利については代替的にも推計することとする

表5 拡張テイラールールで使用された変数の相関行列

コールレート

インフレ率GDPギャッ

プ貿易収支比

率為替変化

率NYインフレ

率NY金利

ロンドン金利

正貨準備変化率

コールレート 1000 0222 0293 -0441 -0112 0082 0437 0264 -0113

インフレ率 1000 0437 0046 -0024 0482 0198 -0340 -0005

GDPギャップ 1000 -0056 0205 0605 0246 -0119 0042

貿易収支比率 1000 0029 0189 -0182 -0252 0183

為替変化率 1000 0259 0023 0019 0058

NYインフレ率 1000 -0071 -0378 -0084

NY金利 1000 0649 0291

ロンドン市中金利 1000 0092

正貨準備変化率 1000

32 拡張テイラールールの推計結果

推計期間は貿易収支が入手可能な1926年1月から1936年12月までの全期間と上述の(2)

式と比較するために1931年12月までとそれ以降の期間とする推計結果は表6の通り

である推計については上記3つの推計期間において 小二乗法を行っている新しく追

加した変数貿易収支比率為替レートの変化率ニューヨーク卸売物価上昇率ニュー

ヨーク金利ロンドン金利正貨準備の変化率の単位はである推計に当たっては系

列相関が疑われるためNewey-Westの方法によって標準誤差の修正を行っている

23

表6 拡張テイラールールの推計結果

係数 係数 係数 係数

定数項 r-βπ tar 3155 2980 定数項 r -βπ tar 5780 6596 (10072) (6939) (12603) (13464)

インフレ率 1+β 0008 0027 インフレ率 1+β 0041 0025

(0552) (1600) (1957) (1399)

GDPギャップ α 1 0036 0057 GDPギャップ α 1 0090 0083

(1156) (1798) (2584) (2412)

貿易収支比率 α 2 -0105 -0106 貿易収支比率 α 2 -0053 -0054

(5627) (4937) (2671) (3396)為替変化率 α 3 -0109 -0110 為替変化率 α 3 -0062 -0051

(3782) (3755) (1345) (0998)

NYインフレ率 α 4 0014 0011 NYインフレ率 α 4 0014 0012

(0820) (0645) (0651) (0682)

NY金利 α 5 0212 NY金利 α 5 -0133

(3002) (1599)

ロンドン金利 α 5 0399 ロンドン金利 α 5 -0466

(2870) (3071)R2 0397 0375 R2 0468 0503

自由度調整済みR2 0380 0357 自由度調整済みR2 0447 0483

標準誤差 1520 1548 標準誤差 1375 1329

DW統計量 0568 0531 DW統計量 0700 0794

係数 係数

定数項 r-βπ tar 2703 2617

(6657) (26032)

インフレ率 1+β -0018 -0016

(1920) (2396)

GDPギャップ α 1 -0052 -0059

(2353) (5464)

貿易収支比率 α 2 -0031 0004

(1779) (0381)

為替変化率 α 3 -0007 0028

(0423) (1526)

NYインフレ率 α 4 -0017 -0024

(3808) (5526)

NY金利 α 5 0423

(1421)

ロンドン金利 α 5 0742

(7283)

R2 0797 0899自由度調整済みR2 0774 0887

標準誤差 0443 0313

DW統計量 0757 0925

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とそれぞれの金利だけである

どちらの推計でもこれらの有意な変数は符号条件を満たしているインフレ率とGDPギャ

24

ップは5有意ではなくなり単純テイラールールでも小さかった係数はさらに小さ

くなるこれに対して貿易収支比率の係数は貿易収支比率が10ポイント分マイナス

に動けば1金利を引き上げることであるからある程度貿易収支に反応して金融政策

を行っていたと言えるだろう為替変化率の係数は為替レートが10下落したら金利

を1引き上げることであるからこちらもある程度は為替レートに反応して金融政策を

行っていたとも言えるだろうニューヨーク金利とロンドン金利が1上昇すると国内金

利をそれぞれ0204引き上げるということになっている

1926年1月から1931年12月までの推計ではニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれ

を用いた推計でも5で有意な変数はGDPギャップと貿易収支比率とロンドン金利であ

るがロンドン金利は符号条件を満たしていないGDPギャップは有意であるがその係数

は単純テイラールールの推計と同様に小さい貿易収支比率の係数は貿易収支比率で

10ポイント分赤字が増えれば金利を05引き上げることであるからある程度は貿易

収支に反応して金融政策を行っていたと言えるかもしれない

さらに1932年1月から1936年12月までの推計では物価GDPギャップニューヨーク物

価ロンドン金利が5で有意であるGDPギャップニューヨーク物価は符号条件を満た

していないロンドン金利は符号条件を満たしその係数も074と大きく日本の金融政

策はロンドンに追随して行われていたことになる

金本位制を意識して行われていたときには金融政策は対外均衡に重点を置き金本位

制を離脱した後はロンドンの金利に追随していたことになる日本の金融政策が英国

の金融政策に追随していたことは鎮目[2009]第2章の結果とも整合的である

さらに表7は以上の変数に正貨を追加したものであるデータの制約により1919年1

月から29年3月までしか推計できないのでこれは金本位制を意識して金融政策が行われて

いた期間の金融政策を評価していることになる

25

表7 (3)式の拡張テイラールールの推計結果(正貨準備の変化率追加)

係数 係数定数項 r-βπ tar 5431 7511

(7602) (8642)インフレ率 1+β 0028 0024

(1209) (1264)GDPギャップ α 1 0147 0095

(2352) (1698)貿易収支比率 α 2 -0050 -0034

(2522) (2089)為替変化率 α 3 0016 0097

(0173) (0989)NYインフレ率 α 4 0004 -0004

(0166) (0224)NY金利 α 5 -0071

(0665)ロンドン金利 α 5 -0662

(2795)正貨準備の変化率 α 6 -0071 -0087

(0796) (1138)R2 0410 0471自由度調整済みR2 0374 0438標準誤差 1451 1375DW統計量 0808 0934注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

正貨を追加した推計結果ではGDPギャップ貿易収支比率ロンドン金利が有意である

GDPギャップ貿易収支比率は符号条件を満たしているがロンドン金利は満たしていない

表7の1919年から31年の推計結果に比べてGDPギャップの係数の値は大きくなるが景気

安定化効果が大きかったとまでは言えない貿易収支の係数はほとんど変らず貿易収支

の状況を念頭に入れて政策を行っていたと言えるだろうロンドン金利符号が逆で海外

金利が下がると金利を上げるという結果になっている

以上の結果を鎮目[2002]と比べる鎮目は金外貨準備英国の短期金利経常収支

資本収支をテイラールールの式に追加していずれの変数も有意ではなかったと報告し

ているが本稿では追加した変数のうち貿易収支ニューヨーク金利(特にロンドン

金利)が符号条件を満たして有意になっている場合が多く対外均衡を意識した金融政策

が行われていた可能性を示唆している

33 拡張テイラールールに関する政策反応ラグ

以上の拡張テイラールールの推計では貿易収支比率為替変化率ニューヨークイ

26

ンフレ率ロンドン金利を追加したものが良好な推計結果をもたらしたそこで拡張テ

イラールールに関する政策反応ラグを考慮するために以上の変数に加えて被説明変数

の 1期ラグを追加したものを推計する11結果は表8のようになる

表8 拡張テイラールールの金利ラグ付き推計

係数 係数 係数 係数定数項 r-βπ tar 0623 0565 定数項 r-βπ tar 1806 2223

(3922) (3134) (3861) (3396)インフレ率 1+β -00001 0003 インフレ率 1+β 0012 0007

(0023) (0552) (1190) (0761)GDPギャップ α 1 0019 0023 GDPギャップ α 1 0044 0043

(1589) (1875) (2072) (2007)

貿易収支比率 α 2 -0024 -0023 貿易収支比率 α 2 -0019 -0020

(2312) (2239) (1514) (1767)

為替変化率 α 3 -0026 -0025 為替変化率 α 3 -0048 -0045

(1984) (2069) (1607) (1430)

NYインフレ率 α 4 -0002 -0002 NYインフレ率 α 4 -0004 -0004

(0277) (0388) (0337) (0389)NY金利 α 5 0040 NY金利 α 5 -0044

(1532) (1193)

ロンドン金利 α 5 0075 ロンドン金利 α 5 -0163

(1447) (1703)コールレート1期ラグ 0796 0802 コールレート1期ラグ 0680 0657

(18638) (20579) (9505) (8112)R2 0789 0788 R2 0707 0711自由度調整済みR2 0782 0781 自由度調整済みR2 0693 0697標準誤差 0902 0904 標準誤差 1023 1016DW統計量 2581 2574 DW統計量 2408 2415

係数 係数

定数項 r-βπ tar 0527 0900 (2552) (3391)

インフレ率 1+β -0004 -0005(1594) (1249)

GDPギャップ α 1 -0006 -0014

(1174) (1562)

貿易収支比率 α 2 -0001 0010

(0135) (1064)

為替変化率 α 3 0005 0019

(0542) (1247)

NYインフレ率 α 4 -0003 -0008

(1971) (2116)

NY金利 α 5 -0022

(0557)

ロンドン金利 α 5 0386

(3052)コールレート1期ラグ 0833 0608

(9986) (6019)R2 0934 0957自由度調整済みR2 0925 0951標準誤差 0255 0207DW統計量 2478 2362

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

11 単純テイラールールでは説明変数のラグを加えたがここではあまりにも煩雑になること

と単純テイラールールで被説明変数の 1 期ラグが重要であったことから被説明変数の 1 期

ラグのみを追加した

27

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とコールレートの1期ラグであ

る貿易収支比率と為替変化率のどちらの係数も符号条件を満たしているがコールレー

トの1期ラグがない場合と比べて係数の値は小さくなっているただしこの推計をコイ

ック型と考えて係数の長期の値を(1-コールレートの1期ラグの係数)で除すことによっ

て求めれば1期ラグがない場合の係数よりもかなり大きくなる

1926年1月から1931年12月までの推計ではGDPギャップとコールレートの1期ラグのみが

有意となるGDPギャップの長期係数を求めても値は小さいこの期間では金利を安定的

に維持することに金融政策が使われていたと言えるだろう

1932年1月から1936年12月までの推計では有意なものはロンドン金利とニューヨークイ

ンフレ率とコールレートの1期ラグとなってしまうニューヨークインフレ率は符号条件を

満たしているがその係数は小さいロンドン金利の係数は大きく日本の金融政策はロ

ンドンに追随して行われていたことになる

コールレートの1期ラグを入れるといずれの期の金融政策も金利の平準化の要素が大き

いと判断される金本位制を意識して行われていたときには金融政策はある程度は対外

均衡を考えていたようである金本位制を離脱した後はロンドンの金利を考慮していた

ようである

さらに表9は以上の変数に正貨を追加したものである(データの制約により1919年1

月から29年3月までの推計)これは金本位制を意識して金融政策が行われていた期間の金

融政策を評価していることになる

28

表9 正貨準備高の変化率を加えた場合

係数 係数定数項 r-βπ tar 1723 2771

(3126) (2898)インフレ率 1+β 0004 0005

(0356) (0518)GDPギャップ α 1 0088 0072

(2641) (2442)貿易収支比率 α 2 -0023 -0018

(1664) (1321)為替変化率 α 3 -0025 0008

(0544) (0189)NYインフレ率 α 4 -0007 -0010

(0617) (0924)NY金利 α 5 -0012

(0255)ロンドン金利 α 5 -0239

(1470)正貨準備の変化率 α 6 0001 -0005

(0013) (0079)コールレートの1期ラグ 0644 0603

(7451) (6371) R2 0652 0659自由度調整済みR2 0628 0635標準誤差 1119 1107DW統計量 2450 2452注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

有意なものはGDPギャップとコールレートの1期ラグであるGDPギャップは符号条件

を満たしている長期の係数を取ってもその係数は大きいとは言えない

34 対外均衡と対内均衡

対外均衡に重点を置いた金融政策を行うとは経常収支赤字や為替レート下落や外貨準

備の減少に対して金利を引き上げるというルールに従って金融政策を行うことである

通常であれば金本位制の下で国内がインフレになり競争力を失ったり景気が過熱

して輸入が増大したときには経常収支赤字や為替レート下落や外貨準備の減少が起きる

だろう経常収支の赤字や外貨準備の減少が起きたときには金融を引き締めるというルー

ルは国内がインフレになったり景気が過熱したときには引き締めるというルールでも

あるしたがって対外均衡に重点を置くことが国内均衡を必ず妨げるというわけではな

いこれは逆の場合も真実であるしかし1910 年代日本の経常収支や外貨準備は国

内の景気要因で変化したわけではない第 1 次世界大戦によって外需が増加し経常収支

29

が黒字となり外貨準備が増えた金本位制のルールに従って金融政策は緩和されマ

ネタリーベースは 1919 年 1 月から 1920 年 4 月までに 16 倍に増加した輸出超過の国は

金融緩和することによって輸入超過の国の不況を和らげることができる日本は金本

位制の正しいルールに基づいて金融を緩和しただけであるしかし戦争がおわりその

復興需要もなくなったとき経常収支は赤字となり外貨準備は減少したしかしかつ

て金準備に依存して増大していたマネタリーベースはそのままだった失われた外貨準備

に対してマネタリーベースを減少させなければならなかったしかし23 年までマネタリ

ーベースは増大し続けていた関東大震災という不幸もあってマネタリーベースを減少

させることはできなかったその後25 年まで引き下げていたが27 年には金融恐慌があ

りマネタリーベースを削減することができなかったその後28 年までマネタリーベ

ースはむしろ拡大していた29 年には金本位制復帰を目指してマネタリーベースを急減さ

せるがその結果は激しいデフレと不況だった

そもそも国内要因の変化によらない金準備の増加に対してマネタリーベースを拡大し

たことが誤りだった金本位制からの離脱は1917 年ではなくて欧米諸国が離脱した

1914-15 年になすべきだったそうであれば1910 年代末までのマネタリーベースの急増

はなかっただろうところが実際には金本位制から離脱したにも関わらず1920 年にか

けてマネタリーベースは拡大していた1920 年代からは失われた金準備に対してマネタリ

ーベースを削減することが試みられるようになるしかしそれは関東大震災や金融危機

によって頓挫するむしろマネタリーベースを削減するという試みがデフレと不況をも

たらしそれゆえに不良債権が増大してしまったということではないだろうか

35 小括1‐テイラールールの推計から得られた知見

以上のことから考えて1920 年代から 30 年代にかけては金融政策はインフレまたはデ

フレ促進的な政策を行っていた対外均衡にはある程度考慮した金融政策を行っていたこ

とが分かる

しかし1920 年代には金本位制に復帰するという政策が課題となっていたはずである

20 年代がデフレ促進的また対外均衡にある程度考慮した政策を行っていたことはこの

課題にとっては正しいものだろうしかし現実に採られたデフレ促進策では不十分だっ

た物価は旧平価で金本位制に復帰できるほど下がっていなかったのだからまた32 年

以降の金融政策についてもなぜ 32 年から急速な回復ができたのかそれと金融政策とは

どのよう関係しているかは分析できていない

これについて飯田岡田[2004]は昭和恐慌からの回復はデフレ脱却による実質金利

の下落が重要であって名目金利の低下は重要でなかったと分析しているこれによれば

名目金利の変化で金融政策の変化を見ることはできないことになるしたがって名目金

利の変化に着目するテイラールールでは31 年 12 月以降の高橋是清蔵相の金融政策の意

味を理解できないことになる

30

また金融政策が物価および景気安定を意図していなかったら何を意図していたのだ

ろうか本稿での結論は為替レートや経常収支に視点を置いた対外均衡を意識していた

ということになる

いずれにしろテイラールールだけでは戦前期の金融政策を十分には理解できない

ことになるそこで戦前期の金融政策を別の方法で評価してみよう

4マッカラムルールによる金融政策の評価

41 マッカラムルールの意味と定式化とデータ

以下ではマッカラムルールで戦間期の金融政策を評価することにするマッカラム

ルールを用いて金融政策の在り方を判断した研究としてはマッカラム自身の分析を始め

として多くのものがある(例えばMcCallum[1987][1988]マッカラム[1997]第 15 章)

日本のデータを用いたものにおいても McCallum[1987]岡田飯田[2004]などがあるし

かし日本の戦前期についてはおそらく安達[2006](第7章)しかないと思われる安

達は年データを用い目標値として設定された名目 GNP 成長率(5と設定している)

を達成するためのマネタリーベースを求め現実のマネタリーベースの成長率が 1936 年ま

で過小でそれ以降過大であることを示している本稿では月次データを用いているので

期間ごとの金融政策の在り方も検討することができる

マッカラムルールとはマネタリーベースの成長率を名目GDPの望ましい成長率に

依存させるルールである(McCallum[1987]マッカラム[1997]第 15 章)しかし貨幣の

流通速度 vは変化するので貨幣の流通速度の変化に応じてマネタリーベース bの動きを調

整することが必要となるこのようなルールはbvなどを対数値として望ましいマネタ

リーベースの成長率⊿bをマネタリーベースの流通速度Δvに応じて変化させるというルー

ルであるただしvは景気変動によって大きく変動しているのでそれが技術的な変化と

見なせる 2 年間の平均値 tvΔ であるとする12すなわちマッカラムルールに基づくマネタ

リーベースの成長率とは

tbΔ =マネタリーベースの望ましい成長率- tvΔ

であるここでマネタリーベースの望ましい成長率はサンプル期間(1919 年 1 月から 1933

年 12 月まで)のマネタリーベースの平均成長率とする13マッカラムはマネタリーベース

の望ましい成長率を名目 GDP の成長率としているがここではまずこの期間の経済を再現

することを目的としているので現実のマネタリーベースの成長率を採用したマネタリ

12 マッカラム(1997)第 15 章では流通速度として 4年平均を使用しているが本稿ではサンプル

期間が短いため 2年平均としている 13 サンプル期間は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月であるがマネタリーベースの流通速度の平

均値作成のため 初の 24 か月が失うのでここで計算された望ましいマネタリーベースの成長

率は 1921 年 1 月から 1933 年 12 月までの平均となっている

31

ーベースの動きを図 10 に示しているマネタリーベースは季節性が強いので季調値も図示

しているなお前述のように戦前期の月次名目 GDP のデータは存在しないのでIIP に

卸売物価を掛けたものを名目 GDP の代理変数とする(ここで使うデータの定義と出所は前

掲の表1にある)

図 10 マネタリーベース(原数値と季節調整値)の動き

0

50000

100000

150000

200000

250000

19191

19197

19201

19207

19211

19217

19221

19227

19231

19237

19241

19247

19251

19257

19261

19267

19271

19277

19281

19287

19291

19297

19301

19307

19311

19317

19321

19327

19331

19337

観察されたベースマネー(単位万円) 季節調整済マネタリーベース(単位万円)

作成されたマネタリーベースの成長率は1919 年 1 月から 33 年 12 月までで年率 12

月次では 01となるすなわち

tbΔ =0001- tvΔ

ここで考察する期間を 1919 年 1 月から 33 年 12 月までとしたのは34 年以降の GDP の伸び

が大きすぎトレンドの作成において歪みを生じさせるからであるまた33 年は昭和恐

慌から脱却し経済が安定していた時期でもある

さらに名目 GDP が何らかのショックによって平均的な成長経路よりも上回った時に

はマネタリーベースの伸び率を低下させるようなルール(下回った場合は逆)を導入し

ようすなわち

tbΔ =0001-

1 1( )t t tv y yλ minus minusΔ + minus

32

となるただし目標値

1ty minus は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月までの月次平均成長率 04

成長経路での名目 GDP の対数値であるまたマッカラムによればλは四半期データで 025

が望ましいとされているがここでは月次データを使用しているのでとりあえず 12 分の 1

とすることを考えたがこの期間の名目 GDP は戦後の日米名目 GDP のデータより大きく変

動しているのでさらに小さくする必要があるマッカラムも「λの値を選択する場合

もし間違えるとすれば小さな値を採るほうがよい」(マッカラム[1997]308 頁)としている

そこでλは 36 分の1とした 終的なルールは

tbΔ =0001-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (5)

となる

マッカラムは望ましいインフレ率をゼロとするマネタリールールを求めているがこ

こでは実際には大きく変動したマネタリーベースを安定的に動かしていたらどうなったか

を考えることにしているので名目 GDP の動きは現実のものを使いルールにもとづくマ

ネタリーベースと実際のマネタリーベースをまず比較することにする

次に名目 GDP の決定に関する次のようなモデルを 小二乗法により推計する結果は

1 1 2 3

2

0004 0295 0053 0110 0106 0071 - 0069 23- 0046 27(1596) (3634) (1054) (1404) (2300) (1831) (6731)

R 0109 SE=0029 BG(24)=33227

(1822) t t t t t t ty y b b b b dummy dummy eminus minus minus minusΔ = + Δ + Δ + Δ + Δ + Δ +

=

(6)

となる14但し yΔ は名目 GDP の変化率 bΔ はマネタリーベースの成長率dummy23 は関東

大震災の時の一時的な変動をとらえるために 1923 年 9 月を 1それ以外を 0 としたダミー

変数dummy27 は金融恐慌時の一時的な変動をとらえるために 1927 年 4 月 5 月を 1それ

以外を 0としたダミー変数サンプル期間は推計に使用する変数が全て揃う 1921 年 1 月か

ら 1933 年 12 月までまたここでの残差 te は攪乱項の推定値2R SE BG(p) はそれぞれ

自由度修正済み決定係数攪乱項の標準誤差p 次の Breuch-Godfrey テストのχ二乗統計

量( )内は Newey-West の方法により修正した t値を示している15

ここで当時マッカラムルールなどという議論がなかったのだからこのような分

14 ここでは bΔ は現実のマネタリーベースの成長率を使用して推計を行っている 15 研究の対象期間は 1919 年 1 月からであるが平均流通速度 tvΔ の計算のために 初の 24 ヶ

月分が使用できないそのため他のシミュレーションの対象期間と整合性を保つため 1921 年 1

月からとしているまたこの推計式にはラグ付き内生変数を含むためダービンワトソンテスト

ではなく Breush-Godfrey テストを報告しているこの Breush-Godfrey テストから系列相関が疑

われるためNewey-West の方法により標準誤差を修正している

33

析は意味がないという批判があるかもしれないがこれにはテイラールールの節で述べ

たのと同じ反論が可能であるマッカラムルールとは名目 GDP が上昇しすぎたら(そ

のときには景気が過熱するかインフレが高進していると考えられる)マネーを縮小し

名目 GDP が下降しすぎたら(そのときは景気が悪化するかデフレになっている)マネーを

拡大するという素朴なルールである当時このようなルールが意識されていなかったと

は考え難い

42 長期的な経済を再現するシミュレーション

まずマッカラムルールによって現実の長期的な経済の経路を再現してみようルー

ルにもとづくマネタリーベースと実際のマネタリーベースのレベルと成長率とを図

11(1)(2)に示す

政策ルール(5)式が実施された場合の名目 GDP(の代理変数)の動きを見るために(5)式

から得られる理論値 tbΔ (6)式の残差 te 初期値 1ty minusΔ に目標 GDP

1ty minusΔ を代入してマ

ッカラムルールに従った場合の名目 GDP y の系列を求める現実の xとマネタリーベース

のルールに従った場合の y の系列を比べてみたのが図 11-(3)である図 11-(3)からマ

ネタリーベースのルールに従った場合の y の系列が安定していることが分かるこのよう

に安定的な名目 GDP の系列を得るためには第 1 次世界大戦後の金融引締めが過大で20

年代初期の金融緩和が過大30 年の金融引締めが過大だったと判断される

図 11 マッカラムルール

(1)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

34

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT MBDOT

注)BDOT はマッカラムルールの下でのマネタリーべースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(2)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

35

100000

120000

140000

160000

180000

200000

220000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC MB_SA

注)MB_SA はマネタリーベース(季節調整済)の現実値

B_MC はマッカラムルールに従った場合のマネタリーベース水準

またマッカラムルールの下でのマネタリーベースの初期値は現実値を使用

単位は万円

(3)マッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

36

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULE XSTAR X

注)GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

43 物価を下落させるシミュレーション

以上の結果はマネタリーベースの伸びを安定的にしていれば経済変動はより少なく

なっていただろうということを示しているしかしもし第 1 次世界大戦前の旧平価で金

本位制に復帰することが目的であったとしたら1節で述べたように物価を 3 割下げな

ければならない名目 GDP(その代理変数)は実質 GDP の変化がないとして1919 年 12

月から 29 年 12 月までに 3割下がらなければならない

そこで名目 GDP(その代理変数) y は現実の値よりも毎月 03ずつ低下しなければ

ならないので(5)式の定数項 0001 から 0003 を引いて-0002 とするすなわち

tbΔ =-0002-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (7)

とならなければならないここでの系列 y も実際の値から毎月 03ずつ引き下げたも

のを使っているつぎに(7)式の bを(6)式に入れると図 12 のようになる図に見られるよ

うに名目 GDP は安定しかつ小さくなっているすなわち物価が 3 割下落していること

が分かる

37

図 12 物価を下落させた場合

(1) 名目 GDP の目標値とマッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULEXSTAR

XGDP3_RULE

XSTAR_3

注) GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

GDP3_RULE は物価を 3割下げたマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR_3 は物価を 3割下げた場合の目標となる名目 GDP(対数値)

38

(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

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  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 24: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

23

表6 拡張テイラールールの推計結果

係数 係数 係数 係数

定数項 r-βπ tar 3155 2980 定数項 r -βπ tar 5780 6596 (10072) (6939) (12603) (13464)

インフレ率 1+β 0008 0027 インフレ率 1+β 0041 0025

(0552) (1600) (1957) (1399)

GDPギャップ α 1 0036 0057 GDPギャップ α 1 0090 0083

(1156) (1798) (2584) (2412)

貿易収支比率 α 2 -0105 -0106 貿易収支比率 α 2 -0053 -0054

(5627) (4937) (2671) (3396)為替変化率 α 3 -0109 -0110 為替変化率 α 3 -0062 -0051

(3782) (3755) (1345) (0998)

NYインフレ率 α 4 0014 0011 NYインフレ率 α 4 0014 0012

(0820) (0645) (0651) (0682)

NY金利 α 5 0212 NY金利 α 5 -0133

(3002) (1599)

ロンドン金利 α 5 0399 ロンドン金利 α 5 -0466

(2870) (3071)R2 0397 0375 R2 0468 0503

自由度調整済みR2 0380 0357 自由度調整済みR2 0447 0483

標準誤差 1520 1548 標準誤差 1375 1329

DW統計量 0568 0531 DW統計量 0700 0794

係数 係数

定数項 r-βπ tar 2703 2617

(6657) (26032)

インフレ率 1+β -0018 -0016

(1920) (2396)

GDPギャップ α 1 -0052 -0059

(2353) (5464)

貿易収支比率 α 2 -0031 0004

(1779) (0381)

為替変化率 α 3 -0007 0028

(0423) (1526)

NYインフレ率 α 4 -0017 -0024

(3808) (5526)

NY金利 α 5 0423

(1421)

ロンドン金利 α 5 0742

(7283)

R2 0797 0899自由度調整済みR2 0774 0887

標準誤差 0443 0313

DW統計量 0757 0925

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とそれぞれの金利だけである

どちらの推計でもこれらの有意な変数は符号条件を満たしているインフレ率とGDPギャ

24

ップは5有意ではなくなり単純テイラールールでも小さかった係数はさらに小さ

くなるこれに対して貿易収支比率の係数は貿易収支比率が10ポイント分マイナス

に動けば1金利を引き上げることであるからある程度貿易収支に反応して金融政策

を行っていたと言えるだろう為替変化率の係数は為替レートが10下落したら金利

を1引き上げることであるからこちらもある程度は為替レートに反応して金融政策を

行っていたとも言えるだろうニューヨーク金利とロンドン金利が1上昇すると国内金

利をそれぞれ0204引き上げるということになっている

1926年1月から1931年12月までの推計ではニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれ

を用いた推計でも5で有意な変数はGDPギャップと貿易収支比率とロンドン金利であ

るがロンドン金利は符号条件を満たしていないGDPギャップは有意であるがその係数

は単純テイラールールの推計と同様に小さい貿易収支比率の係数は貿易収支比率で

10ポイント分赤字が増えれば金利を05引き上げることであるからある程度は貿易

収支に反応して金融政策を行っていたと言えるかもしれない

さらに1932年1月から1936年12月までの推計では物価GDPギャップニューヨーク物

価ロンドン金利が5で有意であるGDPギャップニューヨーク物価は符号条件を満た

していないロンドン金利は符号条件を満たしその係数も074と大きく日本の金融政

策はロンドンに追随して行われていたことになる

金本位制を意識して行われていたときには金融政策は対外均衡に重点を置き金本位

制を離脱した後はロンドンの金利に追随していたことになる日本の金融政策が英国

の金融政策に追随していたことは鎮目[2009]第2章の結果とも整合的である

さらに表7は以上の変数に正貨を追加したものであるデータの制約により1919年1

月から29年3月までしか推計できないのでこれは金本位制を意識して金融政策が行われて

いた期間の金融政策を評価していることになる

25

表7 (3)式の拡張テイラールールの推計結果(正貨準備の変化率追加)

係数 係数定数項 r-βπ tar 5431 7511

(7602) (8642)インフレ率 1+β 0028 0024

(1209) (1264)GDPギャップ α 1 0147 0095

(2352) (1698)貿易収支比率 α 2 -0050 -0034

(2522) (2089)為替変化率 α 3 0016 0097

(0173) (0989)NYインフレ率 α 4 0004 -0004

(0166) (0224)NY金利 α 5 -0071

(0665)ロンドン金利 α 5 -0662

(2795)正貨準備の変化率 α 6 -0071 -0087

(0796) (1138)R2 0410 0471自由度調整済みR2 0374 0438標準誤差 1451 1375DW統計量 0808 0934注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

正貨を追加した推計結果ではGDPギャップ貿易収支比率ロンドン金利が有意である

GDPギャップ貿易収支比率は符号条件を満たしているがロンドン金利は満たしていない

表7の1919年から31年の推計結果に比べてGDPギャップの係数の値は大きくなるが景気

安定化効果が大きかったとまでは言えない貿易収支の係数はほとんど変らず貿易収支

の状況を念頭に入れて政策を行っていたと言えるだろうロンドン金利符号が逆で海外

金利が下がると金利を上げるという結果になっている

以上の結果を鎮目[2002]と比べる鎮目は金外貨準備英国の短期金利経常収支

資本収支をテイラールールの式に追加していずれの変数も有意ではなかったと報告し

ているが本稿では追加した変数のうち貿易収支ニューヨーク金利(特にロンドン

金利)が符号条件を満たして有意になっている場合が多く対外均衡を意識した金融政策

が行われていた可能性を示唆している

33 拡張テイラールールに関する政策反応ラグ

以上の拡張テイラールールの推計では貿易収支比率為替変化率ニューヨークイ

26

ンフレ率ロンドン金利を追加したものが良好な推計結果をもたらしたそこで拡張テ

イラールールに関する政策反応ラグを考慮するために以上の変数に加えて被説明変数

の 1期ラグを追加したものを推計する11結果は表8のようになる

表8 拡張テイラールールの金利ラグ付き推計

係数 係数 係数 係数定数項 r-βπ tar 0623 0565 定数項 r-βπ tar 1806 2223

(3922) (3134) (3861) (3396)インフレ率 1+β -00001 0003 インフレ率 1+β 0012 0007

(0023) (0552) (1190) (0761)GDPギャップ α 1 0019 0023 GDPギャップ α 1 0044 0043

(1589) (1875) (2072) (2007)

貿易収支比率 α 2 -0024 -0023 貿易収支比率 α 2 -0019 -0020

(2312) (2239) (1514) (1767)

為替変化率 α 3 -0026 -0025 為替変化率 α 3 -0048 -0045

(1984) (2069) (1607) (1430)

NYインフレ率 α 4 -0002 -0002 NYインフレ率 α 4 -0004 -0004

(0277) (0388) (0337) (0389)NY金利 α 5 0040 NY金利 α 5 -0044

(1532) (1193)

ロンドン金利 α 5 0075 ロンドン金利 α 5 -0163

(1447) (1703)コールレート1期ラグ 0796 0802 コールレート1期ラグ 0680 0657

(18638) (20579) (9505) (8112)R2 0789 0788 R2 0707 0711自由度調整済みR2 0782 0781 自由度調整済みR2 0693 0697標準誤差 0902 0904 標準誤差 1023 1016DW統計量 2581 2574 DW統計量 2408 2415

係数 係数

定数項 r-βπ tar 0527 0900 (2552) (3391)

インフレ率 1+β -0004 -0005(1594) (1249)

GDPギャップ α 1 -0006 -0014

(1174) (1562)

貿易収支比率 α 2 -0001 0010

(0135) (1064)

為替変化率 α 3 0005 0019

(0542) (1247)

NYインフレ率 α 4 -0003 -0008

(1971) (2116)

NY金利 α 5 -0022

(0557)

ロンドン金利 α 5 0386

(3052)コールレート1期ラグ 0833 0608

(9986) (6019)R2 0934 0957自由度調整済みR2 0925 0951標準誤差 0255 0207DW統計量 2478 2362

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

11 単純テイラールールでは説明変数のラグを加えたがここではあまりにも煩雑になること

と単純テイラールールで被説明変数の 1 期ラグが重要であったことから被説明変数の 1 期

ラグのみを追加した

27

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とコールレートの1期ラグであ

る貿易収支比率と為替変化率のどちらの係数も符号条件を満たしているがコールレー

トの1期ラグがない場合と比べて係数の値は小さくなっているただしこの推計をコイ

ック型と考えて係数の長期の値を(1-コールレートの1期ラグの係数)で除すことによっ

て求めれば1期ラグがない場合の係数よりもかなり大きくなる

1926年1月から1931年12月までの推計ではGDPギャップとコールレートの1期ラグのみが

有意となるGDPギャップの長期係数を求めても値は小さいこの期間では金利を安定的

に維持することに金融政策が使われていたと言えるだろう

1932年1月から1936年12月までの推計では有意なものはロンドン金利とニューヨークイ

ンフレ率とコールレートの1期ラグとなってしまうニューヨークインフレ率は符号条件を

満たしているがその係数は小さいロンドン金利の係数は大きく日本の金融政策はロ

ンドンに追随して行われていたことになる

コールレートの1期ラグを入れるといずれの期の金融政策も金利の平準化の要素が大き

いと判断される金本位制を意識して行われていたときには金融政策はある程度は対外

均衡を考えていたようである金本位制を離脱した後はロンドンの金利を考慮していた

ようである

さらに表9は以上の変数に正貨を追加したものである(データの制約により1919年1

月から29年3月までの推計)これは金本位制を意識して金融政策が行われていた期間の金

融政策を評価していることになる

28

表9 正貨準備高の変化率を加えた場合

係数 係数定数項 r-βπ tar 1723 2771

(3126) (2898)インフレ率 1+β 0004 0005

(0356) (0518)GDPギャップ α 1 0088 0072

(2641) (2442)貿易収支比率 α 2 -0023 -0018

(1664) (1321)為替変化率 α 3 -0025 0008

(0544) (0189)NYインフレ率 α 4 -0007 -0010

(0617) (0924)NY金利 α 5 -0012

(0255)ロンドン金利 α 5 -0239

(1470)正貨準備の変化率 α 6 0001 -0005

(0013) (0079)コールレートの1期ラグ 0644 0603

(7451) (6371) R2 0652 0659自由度調整済みR2 0628 0635標準誤差 1119 1107DW統計量 2450 2452注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

有意なものはGDPギャップとコールレートの1期ラグであるGDPギャップは符号条件

を満たしている長期の係数を取ってもその係数は大きいとは言えない

34 対外均衡と対内均衡

対外均衡に重点を置いた金融政策を行うとは経常収支赤字や為替レート下落や外貨準

備の減少に対して金利を引き上げるというルールに従って金融政策を行うことである

通常であれば金本位制の下で国内がインフレになり競争力を失ったり景気が過熱

して輸入が増大したときには経常収支赤字や為替レート下落や外貨準備の減少が起きる

だろう経常収支の赤字や外貨準備の減少が起きたときには金融を引き締めるというルー

ルは国内がインフレになったり景気が過熱したときには引き締めるというルールでも

あるしたがって対外均衡に重点を置くことが国内均衡を必ず妨げるというわけではな

いこれは逆の場合も真実であるしかし1910 年代日本の経常収支や外貨準備は国

内の景気要因で変化したわけではない第 1 次世界大戦によって外需が増加し経常収支

29

が黒字となり外貨準備が増えた金本位制のルールに従って金融政策は緩和されマ

ネタリーベースは 1919 年 1 月から 1920 年 4 月までに 16 倍に増加した輸出超過の国は

金融緩和することによって輸入超過の国の不況を和らげることができる日本は金本

位制の正しいルールに基づいて金融を緩和しただけであるしかし戦争がおわりその

復興需要もなくなったとき経常収支は赤字となり外貨準備は減少したしかしかつ

て金準備に依存して増大していたマネタリーベースはそのままだった失われた外貨準備

に対してマネタリーベースを減少させなければならなかったしかし23 年までマネタリ

ーベースは増大し続けていた関東大震災という不幸もあってマネタリーベースを減少

させることはできなかったその後25 年まで引き下げていたが27 年には金融恐慌があ

りマネタリーベースを削減することができなかったその後28 年までマネタリーベ

ースはむしろ拡大していた29 年には金本位制復帰を目指してマネタリーベースを急減さ

せるがその結果は激しいデフレと不況だった

そもそも国内要因の変化によらない金準備の増加に対してマネタリーベースを拡大し

たことが誤りだった金本位制からの離脱は1917 年ではなくて欧米諸国が離脱した

1914-15 年になすべきだったそうであれば1910 年代末までのマネタリーベースの急増

はなかっただろうところが実際には金本位制から離脱したにも関わらず1920 年にか

けてマネタリーベースは拡大していた1920 年代からは失われた金準備に対してマネタリ

ーベースを削減することが試みられるようになるしかしそれは関東大震災や金融危機

によって頓挫するむしろマネタリーベースを削減するという試みがデフレと不況をも

たらしそれゆえに不良債権が増大してしまったということではないだろうか

35 小括1‐テイラールールの推計から得られた知見

以上のことから考えて1920 年代から 30 年代にかけては金融政策はインフレまたはデ

フレ促進的な政策を行っていた対外均衡にはある程度考慮した金融政策を行っていたこ

とが分かる

しかし1920 年代には金本位制に復帰するという政策が課題となっていたはずである

20 年代がデフレ促進的また対外均衡にある程度考慮した政策を行っていたことはこの

課題にとっては正しいものだろうしかし現実に採られたデフレ促進策では不十分だっ

た物価は旧平価で金本位制に復帰できるほど下がっていなかったのだからまた32 年

以降の金融政策についてもなぜ 32 年から急速な回復ができたのかそれと金融政策とは

どのよう関係しているかは分析できていない

これについて飯田岡田[2004]は昭和恐慌からの回復はデフレ脱却による実質金利

の下落が重要であって名目金利の低下は重要でなかったと分析しているこれによれば

名目金利の変化で金融政策の変化を見ることはできないことになるしたがって名目金

利の変化に着目するテイラールールでは31 年 12 月以降の高橋是清蔵相の金融政策の意

味を理解できないことになる

30

また金融政策が物価および景気安定を意図していなかったら何を意図していたのだ

ろうか本稿での結論は為替レートや経常収支に視点を置いた対外均衡を意識していた

ということになる

いずれにしろテイラールールだけでは戦前期の金融政策を十分には理解できない

ことになるそこで戦前期の金融政策を別の方法で評価してみよう

4マッカラムルールによる金融政策の評価

41 マッカラムルールの意味と定式化とデータ

以下ではマッカラムルールで戦間期の金融政策を評価することにするマッカラム

ルールを用いて金融政策の在り方を判断した研究としてはマッカラム自身の分析を始め

として多くのものがある(例えばMcCallum[1987][1988]マッカラム[1997]第 15 章)

日本のデータを用いたものにおいても McCallum[1987]岡田飯田[2004]などがあるし

かし日本の戦前期についてはおそらく安達[2006](第7章)しかないと思われる安

達は年データを用い目標値として設定された名目 GNP 成長率(5と設定している)

を達成するためのマネタリーベースを求め現実のマネタリーベースの成長率が 1936 年ま

で過小でそれ以降過大であることを示している本稿では月次データを用いているので

期間ごとの金融政策の在り方も検討することができる

マッカラムルールとはマネタリーベースの成長率を名目GDPの望ましい成長率に

依存させるルールである(McCallum[1987]マッカラム[1997]第 15 章)しかし貨幣の

流通速度 vは変化するので貨幣の流通速度の変化に応じてマネタリーベース bの動きを調

整することが必要となるこのようなルールはbvなどを対数値として望ましいマネタ

リーベースの成長率⊿bをマネタリーベースの流通速度Δvに応じて変化させるというルー

ルであるただしvは景気変動によって大きく変動しているのでそれが技術的な変化と

見なせる 2 年間の平均値 tvΔ であるとする12すなわちマッカラムルールに基づくマネタ

リーベースの成長率とは

tbΔ =マネタリーベースの望ましい成長率- tvΔ

であるここでマネタリーベースの望ましい成長率はサンプル期間(1919 年 1 月から 1933

年 12 月まで)のマネタリーベースの平均成長率とする13マッカラムはマネタリーベース

の望ましい成長率を名目 GDP の成長率としているがここではまずこの期間の経済を再現

することを目的としているので現実のマネタリーベースの成長率を採用したマネタリ

12 マッカラム(1997)第 15 章では流通速度として 4年平均を使用しているが本稿ではサンプル

期間が短いため 2年平均としている 13 サンプル期間は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月であるがマネタリーベースの流通速度の平

均値作成のため 初の 24 か月が失うのでここで計算された望ましいマネタリーベースの成長

率は 1921 年 1 月から 1933 年 12 月までの平均となっている

31

ーベースの動きを図 10 に示しているマネタリーベースは季節性が強いので季調値も図示

しているなお前述のように戦前期の月次名目 GDP のデータは存在しないのでIIP に

卸売物価を掛けたものを名目 GDP の代理変数とする(ここで使うデータの定義と出所は前

掲の表1にある)

図 10 マネタリーベース(原数値と季節調整値)の動き

0

50000

100000

150000

200000

250000

19191

19197

19201

19207

19211

19217

19221

19227

19231

19237

19241

19247

19251

19257

19261

19267

19271

19277

19281

19287

19291

19297

19301

19307

19311

19317

19321

19327

19331

19337

観察されたベースマネー(単位万円) 季節調整済マネタリーベース(単位万円)

作成されたマネタリーベースの成長率は1919 年 1 月から 33 年 12 月までで年率 12

月次では 01となるすなわち

tbΔ =0001- tvΔ

ここで考察する期間を 1919 年 1 月から 33 年 12 月までとしたのは34 年以降の GDP の伸び

が大きすぎトレンドの作成において歪みを生じさせるからであるまた33 年は昭和恐

慌から脱却し経済が安定していた時期でもある

さらに名目 GDP が何らかのショックによって平均的な成長経路よりも上回った時に

はマネタリーベースの伸び率を低下させるようなルール(下回った場合は逆)を導入し

ようすなわち

tbΔ =0001-

1 1( )t t tv y yλ minus minusΔ + minus

32

となるただし目標値

1ty minus は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月までの月次平均成長率 04

成長経路での名目 GDP の対数値であるまたマッカラムによればλは四半期データで 025

が望ましいとされているがここでは月次データを使用しているのでとりあえず 12 分の 1

とすることを考えたがこの期間の名目 GDP は戦後の日米名目 GDP のデータより大きく変

動しているのでさらに小さくする必要があるマッカラムも「λの値を選択する場合

もし間違えるとすれば小さな値を採るほうがよい」(マッカラム[1997]308 頁)としている

そこでλは 36 分の1とした 終的なルールは

tbΔ =0001-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (5)

となる

マッカラムは望ましいインフレ率をゼロとするマネタリールールを求めているがこ

こでは実際には大きく変動したマネタリーベースを安定的に動かしていたらどうなったか

を考えることにしているので名目 GDP の動きは現実のものを使いルールにもとづくマ

ネタリーベースと実際のマネタリーベースをまず比較することにする

次に名目 GDP の決定に関する次のようなモデルを 小二乗法により推計する結果は

1 1 2 3

2

0004 0295 0053 0110 0106 0071 - 0069 23- 0046 27(1596) (3634) (1054) (1404) (2300) (1831) (6731)

R 0109 SE=0029 BG(24)=33227

(1822) t t t t t t ty y b b b b dummy dummy eminus minus minus minusΔ = + Δ + Δ + Δ + Δ + Δ +

=

(6)

となる14但し yΔ は名目 GDP の変化率 bΔ はマネタリーベースの成長率dummy23 は関東

大震災の時の一時的な変動をとらえるために 1923 年 9 月を 1それ以外を 0 としたダミー

変数dummy27 は金融恐慌時の一時的な変動をとらえるために 1927 年 4 月 5 月を 1それ

以外を 0としたダミー変数サンプル期間は推計に使用する変数が全て揃う 1921 年 1 月か

ら 1933 年 12 月までまたここでの残差 te は攪乱項の推定値2R SE BG(p) はそれぞれ

自由度修正済み決定係数攪乱項の標準誤差p 次の Breuch-Godfrey テストのχ二乗統計

量( )内は Newey-West の方法により修正した t値を示している15

ここで当時マッカラムルールなどという議論がなかったのだからこのような分

14 ここでは bΔ は現実のマネタリーベースの成長率を使用して推計を行っている 15 研究の対象期間は 1919 年 1 月からであるが平均流通速度 tvΔ の計算のために 初の 24 ヶ

月分が使用できないそのため他のシミュレーションの対象期間と整合性を保つため 1921 年 1

月からとしているまたこの推計式にはラグ付き内生変数を含むためダービンワトソンテスト

ではなく Breush-Godfrey テストを報告しているこの Breush-Godfrey テストから系列相関が疑

われるためNewey-West の方法により標準誤差を修正している

33

析は意味がないという批判があるかもしれないがこれにはテイラールールの節で述べ

たのと同じ反論が可能であるマッカラムルールとは名目 GDP が上昇しすぎたら(そ

のときには景気が過熱するかインフレが高進していると考えられる)マネーを縮小し

名目 GDP が下降しすぎたら(そのときは景気が悪化するかデフレになっている)マネーを

拡大するという素朴なルールである当時このようなルールが意識されていなかったと

は考え難い

42 長期的な経済を再現するシミュレーション

まずマッカラムルールによって現実の長期的な経済の経路を再現してみようルー

ルにもとづくマネタリーベースと実際のマネタリーベースのレベルと成長率とを図

11(1)(2)に示す

政策ルール(5)式が実施された場合の名目 GDP(の代理変数)の動きを見るために(5)式

から得られる理論値 tbΔ (6)式の残差 te 初期値 1ty minusΔ に目標 GDP

1ty minusΔ を代入してマ

ッカラムルールに従った場合の名目 GDP y の系列を求める現実の xとマネタリーベース

のルールに従った場合の y の系列を比べてみたのが図 11-(3)である図 11-(3)からマ

ネタリーベースのルールに従った場合の y の系列が安定していることが分かるこのよう

に安定的な名目 GDP の系列を得るためには第 1 次世界大戦後の金融引締めが過大で20

年代初期の金融緩和が過大30 年の金融引締めが過大だったと判断される

図 11 マッカラムルール

(1)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

34

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT MBDOT

注)BDOT はマッカラムルールの下でのマネタリーべースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(2)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

35

100000

120000

140000

160000

180000

200000

220000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC MB_SA

注)MB_SA はマネタリーベース(季節調整済)の現実値

B_MC はマッカラムルールに従った場合のマネタリーベース水準

またマッカラムルールの下でのマネタリーベースの初期値は現実値を使用

単位は万円

(3)マッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

36

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULE XSTAR X

注)GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

43 物価を下落させるシミュレーション

以上の結果はマネタリーベースの伸びを安定的にしていれば経済変動はより少なく

なっていただろうということを示しているしかしもし第 1 次世界大戦前の旧平価で金

本位制に復帰することが目的であったとしたら1節で述べたように物価を 3 割下げな

ければならない名目 GDP(その代理変数)は実質 GDP の変化がないとして1919 年 12

月から 29 年 12 月までに 3割下がらなければならない

そこで名目 GDP(その代理変数) y は現実の値よりも毎月 03ずつ低下しなければ

ならないので(5)式の定数項 0001 から 0003 を引いて-0002 とするすなわち

tbΔ =-0002-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (7)

とならなければならないここでの系列 y も実際の値から毎月 03ずつ引き下げたも

のを使っているつぎに(7)式の bを(6)式に入れると図 12 のようになる図に見られるよ

うに名目 GDP は安定しかつ小さくなっているすなわち物価が 3 割下落していること

が分かる

37

図 12 物価を下落させた場合

(1) 名目 GDP の目標値とマッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULEXSTAR

XGDP3_RULE

XSTAR_3

注) GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

GDP3_RULE は物価を 3割下げたマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR_3 は物価を 3割下げた場合の目標となる名目 GDP(対数値)

38

(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

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  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 25: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

24

ップは5有意ではなくなり単純テイラールールでも小さかった係数はさらに小さ

くなるこれに対して貿易収支比率の係数は貿易収支比率が10ポイント分マイナス

に動けば1金利を引き上げることであるからある程度貿易収支に反応して金融政策

を行っていたと言えるだろう為替変化率の係数は為替レートが10下落したら金利

を1引き上げることであるからこちらもある程度は為替レートに反応して金融政策を

行っていたとも言えるだろうニューヨーク金利とロンドン金利が1上昇すると国内金

利をそれぞれ0204引き上げるということになっている

1926年1月から1931年12月までの推計ではニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれ

を用いた推計でも5で有意な変数はGDPギャップと貿易収支比率とロンドン金利であ

るがロンドン金利は符号条件を満たしていないGDPギャップは有意であるがその係数

は単純テイラールールの推計と同様に小さい貿易収支比率の係数は貿易収支比率で

10ポイント分赤字が増えれば金利を05引き上げることであるからある程度は貿易

収支に反応して金融政策を行っていたと言えるかもしれない

さらに1932年1月から1936年12月までの推計では物価GDPギャップニューヨーク物

価ロンドン金利が5で有意であるGDPギャップニューヨーク物価は符号条件を満た

していないロンドン金利は符号条件を満たしその係数も074と大きく日本の金融政

策はロンドンに追随して行われていたことになる

金本位制を意識して行われていたときには金融政策は対外均衡に重点を置き金本位

制を離脱した後はロンドンの金利に追随していたことになる日本の金融政策が英国

の金融政策に追随していたことは鎮目[2009]第2章の結果とも整合的である

さらに表7は以上の変数に正貨を追加したものであるデータの制約により1919年1

月から29年3月までしか推計できないのでこれは金本位制を意識して金融政策が行われて

いた期間の金融政策を評価していることになる

25

表7 (3)式の拡張テイラールールの推計結果(正貨準備の変化率追加)

係数 係数定数項 r-βπ tar 5431 7511

(7602) (8642)インフレ率 1+β 0028 0024

(1209) (1264)GDPギャップ α 1 0147 0095

(2352) (1698)貿易収支比率 α 2 -0050 -0034

(2522) (2089)為替変化率 α 3 0016 0097

(0173) (0989)NYインフレ率 α 4 0004 -0004

(0166) (0224)NY金利 α 5 -0071

(0665)ロンドン金利 α 5 -0662

(2795)正貨準備の変化率 α 6 -0071 -0087

(0796) (1138)R2 0410 0471自由度調整済みR2 0374 0438標準誤差 1451 1375DW統計量 0808 0934注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

正貨を追加した推計結果ではGDPギャップ貿易収支比率ロンドン金利が有意である

GDPギャップ貿易収支比率は符号条件を満たしているがロンドン金利は満たしていない

表7の1919年から31年の推計結果に比べてGDPギャップの係数の値は大きくなるが景気

安定化効果が大きかったとまでは言えない貿易収支の係数はほとんど変らず貿易収支

の状況を念頭に入れて政策を行っていたと言えるだろうロンドン金利符号が逆で海外

金利が下がると金利を上げるという結果になっている

以上の結果を鎮目[2002]と比べる鎮目は金外貨準備英国の短期金利経常収支

資本収支をテイラールールの式に追加していずれの変数も有意ではなかったと報告し

ているが本稿では追加した変数のうち貿易収支ニューヨーク金利(特にロンドン

金利)が符号条件を満たして有意になっている場合が多く対外均衡を意識した金融政策

が行われていた可能性を示唆している

33 拡張テイラールールに関する政策反応ラグ

以上の拡張テイラールールの推計では貿易収支比率為替変化率ニューヨークイ

26

ンフレ率ロンドン金利を追加したものが良好な推計結果をもたらしたそこで拡張テ

イラールールに関する政策反応ラグを考慮するために以上の変数に加えて被説明変数

の 1期ラグを追加したものを推計する11結果は表8のようになる

表8 拡張テイラールールの金利ラグ付き推計

係数 係数 係数 係数定数項 r-βπ tar 0623 0565 定数項 r-βπ tar 1806 2223

(3922) (3134) (3861) (3396)インフレ率 1+β -00001 0003 インフレ率 1+β 0012 0007

(0023) (0552) (1190) (0761)GDPギャップ α 1 0019 0023 GDPギャップ α 1 0044 0043

(1589) (1875) (2072) (2007)

貿易収支比率 α 2 -0024 -0023 貿易収支比率 α 2 -0019 -0020

(2312) (2239) (1514) (1767)

為替変化率 α 3 -0026 -0025 為替変化率 α 3 -0048 -0045

(1984) (2069) (1607) (1430)

NYインフレ率 α 4 -0002 -0002 NYインフレ率 α 4 -0004 -0004

(0277) (0388) (0337) (0389)NY金利 α 5 0040 NY金利 α 5 -0044

(1532) (1193)

ロンドン金利 α 5 0075 ロンドン金利 α 5 -0163

(1447) (1703)コールレート1期ラグ 0796 0802 コールレート1期ラグ 0680 0657

(18638) (20579) (9505) (8112)R2 0789 0788 R2 0707 0711自由度調整済みR2 0782 0781 自由度調整済みR2 0693 0697標準誤差 0902 0904 標準誤差 1023 1016DW統計量 2581 2574 DW統計量 2408 2415

係数 係数

定数項 r-βπ tar 0527 0900 (2552) (3391)

インフレ率 1+β -0004 -0005(1594) (1249)

GDPギャップ α 1 -0006 -0014

(1174) (1562)

貿易収支比率 α 2 -0001 0010

(0135) (1064)

為替変化率 α 3 0005 0019

(0542) (1247)

NYインフレ率 α 4 -0003 -0008

(1971) (2116)

NY金利 α 5 -0022

(0557)

ロンドン金利 α 5 0386

(3052)コールレート1期ラグ 0833 0608

(9986) (6019)R2 0934 0957自由度調整済みR2 0925 0951標準誤差 0255 0207DW統計量 2478 2362

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

11 単純テイラールールでは説明変数のラグを加えたがここではあまりにも煩雑になること

と単純テイラールールで被説明変数の 1 期ラグが重要であったことから被説明変数の 1 期

ラグのみを追加した

27

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とコールレートの1期ラグであ

る貿易収支比率と為替変化率のどちらの係数も符号条件を満たしているがコールレー

トの1期ラグがない場合と比べて係数の値は小さくなっているただしこの推計をコイ

ック型と考えて係数の長期の値を(1-コールレートの1期ラグの係数)で除すことによっ

て求めれば1期ラグがない場合の係数よりもかなり大きくなる

1926年1月から1931年12月までの推計ではGDPギャップとコールレートの1期ラグのみが

有意となるGDPギャップの長期係数を求めても値は小さいこの期間では金利を安定的

に維持することに金融政策が使われていたと言えるだろう

1932年1月から1936年12月までの推計では有意なものはロンドン金利とニューヨークイ

ンフレ率とコールレートの1期ラグとなってしまうニューヨークインフレ率は符号条件を

満たしているがその係数は小さいロンドン金利の係数は大きく日本の金融政策はロ

ンドンに追随して行われていたことになる

コールレートの1期ラグを入れるといずれの期の金融政策も金利の平準化の要素が大き

いと判断される金本位制を意識して行われていたときには金融政策はある程度は対外

均衡を考えていたようである金本位制を離脱した後はロンドンの金利を考慮していた

ようである

さらに表9は以上の変数に正貨を追加したものである(データの制約により1919年1

月から29年3月までの推計)これは金本位制を意識して金融政策が行われていた期間の金

融政策を評価していることになる

28

表9 正貨準備高の変化率を加えた場合

係数 係数定数項 r-βπ tar 1723 2771

(3126) (2898)インフレ率 1+β 0004 0005

(0356) (0518)GDPギャップ α 1 0088 0072

(2641) (2442)貿易収支比率 α 2 -0023 -0018

(1664) (1321)為替変化率 α 3 -0025 0008

(0544) (0189)NYインフレ率 α 4 -0007 -0010

(0617) (0924)NY金利 α 5 -0012

(0255)ロンドン金利 α 5 -0239

(1470)正貨準備の変化率 α 6 0001 -0005

(0013) (0079)コールレートの1期ラグ 0644 0603

(7451) (6371) R2 0652 0659自由度調整済みR2 0628 0635標準誤差 1119 1107DW統計量 2450 2452注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

有意なものはGDPギャップとコールレートの1期ラグであるGDPギャップは符号条件

を満たしている長期の係数を取ってもその係数は大きいとは言えない

34 対外均衡と対内均衡

対外均衡に重点を置いた金融政策を行うとは経常収支赤字や為替レート下落や外貨準

備の減少に対して金利を引き上げるというルールに従って金融政策を行うことである

通常であれば金本位制の下で国内がインフレになり競争力を失ったり景気が過熱

して輸入が増大したときには経常収支赤字や為替レート下落や外貨準備の減少が起きる

だろう経常収支の赤字や外貨準備の減少が起きたときには金融を引き締めるというルー

ルは国内がインフレになったり景気が過熱したときには引き締めるというルールでも

あるしたがって対外均衡に重点を置くことが国内均衡を必ず妨げるというわけではな

いこれは逆の場合も真実であるしかし1910 年代日本の経常収支や外貨準備は国

内の景気要因で変化したわけではない第 1 次世界大戦によって外需が増加し経常収支

29

が黒字となり外貨準備が増えた金本位制のルールに従って金融政策は緩和されマ

ネタリーベースは 1919 年 1 月から 1920 年 4 月までに 16 倍に増加した輸出超過の国は

金融緩和することによって輸入超過の国の不況を和らげることができる日本は金本

位制の正しいルールに基づいて金融を緩和しただけであるしかし戦争がおわりその

復興需要もなくなったとき経常収支は赤字となり外貨準備は減少したしかしかつ

て金準備に依存して増大していたマネタリーベースはそのままだった失われた外貨準備

に対してマネタリーベースを減少させなければならなかったしかし23 年までマネタリ

ーベースは増大し続けていた関東大震災という不幸もあってマネタリーベースを減少

させることはできなかったその後25 年まで引き下げていたが27 年には金融恐慌があ

りマネタリーベースを削減することができなかったその後28 年までマネタリーベ

ースはむしろ拡大していた29 年には金本位制復帰を目指してマネタリーベースを急減さ

せるがその結果は激しいデフレと不況だった

そもそも国内要因の変化によらない金準備の増加に対してマネタリーベースを拡大し

たことが誤りだった金本位制からの離脱は1917 年ではなくて欧米諸国が離脱した

1914-15 年になすべきだったそうであれば1910 年代末までのマネタリーベースの急増

はなかっただろうところが実際には金本位制から離脱したにも関わらず1920 年にか

けてマネタリーベースは拡大していた1920 年代からは失われた金準備に対してマネタリ

ーベースを削減することが試みられるようになるしかしそれは関東大震災や金融危機

によって頓挫するむしろマネタリーベースを削減するという試みがデフレと不況をも

たらしそれゆえに不良債権が増大してしまったということではないだろうか

35 小括1‐テイラールールの推計から得られた知見

以上のことから考えて1920 年代から 30 年代にかけては金融政策はインフレまたはデ

フレ促進的な政策を行っていた対外均衡にはある程度考慮した金融政策を行っていたこ

とが分かる

しかし1920 年代には金本位制に復帰するという政策が課題となっていたはずである

20 年代がデフレ促進的また対外均衡にある程度考慮した政策を行っていたことはこの

課題にとっては正しいものだろうしかし現実に採られたデフレ促進策では不十分だっ

た物価は旧平価で金本位制に復帰できるほど下がっていなかったのだからまた32 年

以降の金融政策についてもなぜ 32 年から急速な回復ができたのかそれと金融政策とは

どのよう関係しているかは分析できていない

これについて飯田岡田[2004]は昭和恐慌からの回復はデフレ脱却による実質金利

の下落が重要であって名目金利の低下は重要でなかったと分析しているこれによれば

名目金利の変化で金融政策の変化を見ることはできないことになるしたがって名目金

利の変化に着目するテイラールールでは31 年 12 月以降の高橋是清蔵相の金融政策の意

味を理解できないことになる

30

また金融政策が物価および景気安定を意図していなかったら何を意図していたのだ

ろうか本稿での結論は為替レートや経常収支に視点を置いた対外均衡を意識していた

ということになる

いずれにしろテイラールールだけでは戦前期の金融政策を十分には理解できない

ことになるそこで戦前期の金融政策を別の方法で評価してみよう

4マッカラムルールによる金融政策の評価

41 マッカラムルールの意味と定式化とデータ

以下ではマッカラムルールで戦間期の金融政策を評価することにするマッカラム

ルールを用いて金融政策の在り方を判断した研究としてはマッカラム自身の分析を始め

として多くのものがある(例えばMcCallum[1987][1988]マッカラム[1997]第 15 章)

日本のデータを用いたものにおいても McCallum[1987]岡田飯田[2004]などがあるし

かし日本の戦前期についてはおそらく安達[2006](第7章)しかないと思われる安

達は年データを用い目標値として設定された名目 GNP 成長率(5と設定している)

を達成するためのマネタリーベースを求め現実のマネタリーベースの成長率が 1936 年ま

で過小でそれ以降過大であることを示している本稿では月次データを用いているので

期間ごとの金融政策の在り方も検討することができる

マッカラムルールとはマネタリーベースの成長率を名目GDPの望ましい成長率に

依存させるルールである(McCallum[1987]マッカラム[1997]第 15 章)しかし貨幣の

流通速度 vは変化するので貨幣の流通速度の変化に応じてマネタリーベース bの動きを調

整することが必要となるこのようなルールはbvなどを対数値として望ましいマネタ

リーベースの成長率⊿bをマネタリーベースの流通速度Δvに応じて変化させるというルー

ルであるただしvは景気変動によって大きく変動しているのでそれが技術的な変化と

見なせる 2 年間の平均値 tvΔ であるとする12すなわちマッカラムルールに基づくマネタ

リーベースの成長率とは

tbΔ =マネタリーベースの望ましい成長率- tvΔ

であるここでマネタリーベースの望ましい成長率はサンプル期間(1919 年 1 月から 1933

年 12 月まで)のマネタリーベースの平均成長率とする13マッカラムはマネタリーベース

の望ましい成長率を名目 GDP の成長率としているがここではまずこの期間の経済を再現

することを目的としているので現実のマネタリーベースの成長率を採用したマネタリ

12 マッカラム(1997)第 15 章では流通速度として 4年平均を使用しているが本稿ではサンプル

期間が短いため 2年平均としている 13 サンプル期間は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月であるがマネタリーベースの流通速度の平

均値作成のため 初の 24 か月が失うのでここで計算された望ましいマネタリーベースの成長

率は 1921 年 1 月から 1933 年 12 月までの平均となっている

31

ーベースの動きを図 10 に示しているマネタリーベースは季節性が強いので季調値も図示

しているなお前述のように戦前期の月次名目 GDP のデータは存在しないのでIIP に

卸売物価を掛けたものを名目 GDP の代理変数とする(ここで使うデータの定義と出所は前

掲の表1にある)

図 10 マネタリーベース(原数値と季節調整値)の動き

0

50000

100000

150000

200000

250000

19191

19197

19201

19207

19211

19217

19221

19227

19231

19237

19241

19247

19251

19257

19261

19267

19271

19277

19281

19287

19291

19297

19301

19307

19311

19317

19321

19327

19331

19337

観察されたベースマネー(単位万円) 季節調整済マネタリーベース(単位万円)

作成されたマネタリーベースの成長率は1919 年 1 月から 33 年 12 月までで年率 12

月次では 01となるすなわち

tbΔ =0001- tvΔ

ここで考察する期間を 1919 年 1 月から 33 年 12 月までとしたのは34 年以降の GDP の伸び

が大きすぎトレンドの作成において歪みを生じさせるからであるまた33 年は昭和恐

慌から脱却し経済が安定していた時期でもある

さらに名目 GDP が何らかのショックによって平均的な成長経路よりも上回った時に

はマネタリーベースの伸び率を低下させるようなルール(下回った場合は逆)を導入し

ようすなわち

tbΔ =0001-

1 1( )t t tv y yλ minus minusΔ + minus

32

となるただし目標値

1ty minus は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月までの月次平均成長率 04

成長経路での名目 GDP の対数値であるまたマッカラムによればλは四半期データで 025

が望ましいとされているがここでは月次データを使用しているのでとりあえず 12 分の 1

とすることを考えたがこの期間の名目 GDP は戦後の日米名目 GDP のデータより大きく変

動しているのでさらに小さくする必要があるマッカラムも「λの値を選択する場合

もし間違えるとすれば小さな値を採るほうがよい」(マッカラム[1997]308 頁)としている

そこでλは 36 分の1とした 終的なルールは

tbΔ =0001-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (5)

となる

マッカラムは望ましいインフレ率をゼロとするマネタリールールを求めているがこ

こでは実際には大きく変動したマネタリーベースを安定的に動かしていたらどうなったか

を考えることにしているので名目 GDP の動きは現実のものを使いルールにもとづくマ

ネタリーベースと実際のマネタリーベースをまず比較することにする

次に名目 GDP の決定に関する次のようなモデルを 小二乗法により推計する結果は

1 1 2 3

2

0004 0295 0053 0110 0106 0071 - 0069 23- 0046 27(1596) (3634) (1054) (1404) (2300) (1831) (6731)

R 0109 SE=0029 BG(24)=33227

(1822) t t t t t t ty y b b b b dummy dummy eminus minus minus minusΔ = + Δ + Δ + Δ + Δ + Δ +

=

(6)

となる14但し yΔ は名目 GDP の変化率 bΔ はマネタリーベースの成長率dummy23 は関東

大震災の時の一時的な変動をとらえるために 1923 年 9 月を 1それ以外を 0 としたダミー

変数dummy27 は金融恐慌時の一時的な変動をとらえるために 1927 年 4 月 5 月を 1それ

以外を 0としたダミー変数サンプル期間は推計に使用する変数が全て揃う 1921 年 1 月か

ら 1933 年 12 月までまたここでの残差 te は攪乱項の推定値2R SE BG(p) はそれぞれ

自由度修正済み決定係数攪乱項の標準誤差p 次の Breuch-Godfrey テストのχ二乗統計

量( )内は Newey-West の方法により修正した t値を示している15

ここで当時マッカラムルールなどという議論がなかったのだからこのような分

14 ここでは bΔ は現実のマネタリーベースの成長率を使用して推計を行っている 15 研究の対象期間は 1919 年 1 月からであるが平均流通速度 tvΔ の計算のために 初の 24 ヶ

月分が使用できないそのため他のシミュレーションの対象期間と整合性を保つため 1921 年 1

月からとしているまたこの推計式にはラグ付き内生変数を含むためダービンワトソンテスト

ではなく Breush-Godfrey テストを報告しているこの Breush-Godfrey テストから系列相関が疑

われるためNewey-West の方法により標準誤差を修正している

33

析は意味がないという批判があるかもしれないがこれにはテイラールールの節で述べ

たのと同じ反論が可能であるマッカラムルールとは名目 GDP が上昇しすぎたら(そ

のときには景気が過熱するかインフレが高進していると考えられる)マネーを縮小し

名目 GDP が下降しすぎたら(そのときは景気が悪化するかデフレになっている)マネーを

拡大するという素朴なルールである当時このようなルールが意識されていなかったと

は考え難い

42 長期的な経済を再現するシミュレーション

まずマッカラムルールによって現実の長期的な経済の経路を再現してみようルー

ルにもとづくマネタリーベースと実際のマネタリーベースのレベルと成長率とを図

11(1)(2)に示す

政策ルール(5)式が実施された場合の名目 GDP(の代理変数)の動きを見るために(5)式

から得られる理論値 tbΔ (6)式の残差 te 初期値 1ty minusΔ に目標 GDP

1ty minusΔ を代入してマ

ッカラムルールに従った場合の名目 GDP y の系列を求める現実の xとマネタリーベース

のルールに従った場合の y の系列を比べてみたのが図 11-(3)である図 11-(3)からマ

ネタリーベースのルールに従った場合の y の系列が安定していることが分かるこのよう

に安定的な名目 GDP の系列を得るためには第 1 次世界大戦後の金融引締めが過大で20

年代初期の金融緩和が過大30 年の金融引締めが過大だったと判断される

図 11 マッカラムルール

(1)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

34

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT MBDOT

注)BDOT はマッカラムルールの下でのマネタリーべースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(2)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

35

100000

120000

140000

160000

180000

200000

220000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC MB_SA

注)MB_SA はマネタリーベース(季節調整済)の現実値

B_MC はマッカラムルールに従った場合のマネタリーベース水準

またマッカラムルールの下でのマネタリーベースの初期値は現実値を使用

単位は万円

(3)マッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

36

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULE XSTAR X

注)GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

43 物価を下落させるシミュレーション

以上の結果はマネタリーベースの伸びを安定的にしていれば経済変動はより少なく

なっていただろうということを示しているしかしもし第 1 次世界大戦前の旧平価で金

本位制に復帰することが目的であったとしたら1節で述べたように物価を 3 割下げな

ければならない名目 GDP(その代理変数)は実質 GDP の変化がないとして1919 年 12

月から 29 年 12 月までに 3割下がらなければならない

そこで名目 GDP(その代理変数) y は現実の値よりも毎月 03ずつ低下しなければ

ならないので(5)式の定数項 0001 から 0003 を引いて-0002 とするすなわち

tbΔ =-0002-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (7)

とならなければならないここでの系列 y も実際の値から毎月 03ずつ引き下げたも

のを使っているつぎに(7)式の bを(6)式に入れると図 12 のようになる図に見られるよ

うに名目 GDP は安定しかつ小さくなっているすなわち物価が 3 割下落していること

が分かる

37

図 12 物価を下落させた場合

(1) 名目 GDP の目標値とマッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULEXSTAR

XGDP3_RULE

XSTAR_3

注) GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

GDP3_RULE は物価を 3割下げたマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR_3 は物価を 3割下げた場合の目標となる名目 GDP(対数値)

38

(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

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  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 26: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

25

表7 (3)式の拡張テイラールールの推計結果(正貨準備の変化率追加)

係数 係数定数項 r-βπ tar 5431 7511

(7602) (8642)インフレ率 1+β 0028 0024

(1209) (1264)GDPギャップ α 1 0147 0095

(2352) (1698)貿易収支比率 α 2 -0050 -0034

(2522) (2089)為替変化率 α 3 0016 0097

(0173) (0989)NYインフレ率 α 4 0004 -0004

(0166) (0224)NY金利 α 5 -0071

(0665)ロンドン金利 α 5 -0662

(2795)正貨準備の変化率 α 6 -0071 -0087

(0796) (1138)R2 0410 0471自由度調整済みR2 0374 0438標準誤差 1451 1375DW統計量 0808 0934注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

正貨を追加した推計結果ではGDPギャップ貿易収支比率ロンドン金利が有意である

GDPギャップ貿易収支比率は符号条件を満たしているがロンドン金利は満たしていない

表7の1919年から31年の推計結果に比べてGDPギャップの係数の値は大きくなるが景気

安定化効果が大きかったとまでは言えない貿易収支の係数はほとんど変らず貿易収支

の状況を念頭に入れて政策を行っていたと言えるだろうロンドン金利符号が逆で海外

金利が下がると金利を上げるという結果になっている

以上の結果を鎮目[2002]と比べる鎮目は金外貨準備英国の短期金利経常収支

資本収支をテイラールールの式に追加していずれの変数も有意ではなかったと報告し

ているが本稿では追加した変数のうち貿易収支ニューヨーク金利(特にロンドン

金利)が符号条件を満たして有意になっている場合が多く対外均衡を意識した金融政策

が行われていた可能性を示唆している

33 拡張テイラールールに関する政策反応ラグ

以上の拡張テイラールールの推計では貿易収支比率為替変化率ニューヨークイ

26

ンフレ率ロンドン金利を追加したものが良好な推計結果をもたらしたそこで拡張テ

イラールールに関する政策反応ラグを考慮するために以上の変数に加えて被説明変数

の 1期ラグを追加したものを推計する11結果は表8のようになる

表8 拡張テイラールールの金利ラグ付き推計

係数 係数 係数 係数定数項 r-βπ tar 0623 0565 定数項 r-βπ tar 1806 2223

(3922) (3134) (3861) (3396)インフレ率 1+β -00001 0003 インフレ率 1+β 0012 0007

(0023) (0552) (1190) (0761)GDPギャップ α 1 0019 0023 GDPギャップ α 1 0044 0043

(1589) (1875) (2072) (2007)

貿易収支比率 α 2 -0024 -0023 貿易収支比率 α 2 -0019 -0020

(2312) (2239) (1514) (1767)

為替変化率 α 3 -0026 -0025 為替変化率 α 3 -0048 -0045

(1984) (2069) (1607) (1430)

NYインフレ率 α 4 -0002 -0002 NYインフレ率 α 4 -0004 -0004

(0277) (0388) (0337) (0389)NY金利 α 5 0040 NY金利 α 5 -0044

(1532) (1193)

ロンドン金利 α 5 0075 ロンドン金利 α 5 -0163

(1447) (1703)コールレート1期ラグ 0796 0802 コールレート1期ラグ 0680 0657

(18638) (20579) (9505) (8112)R2 0789 0788 R2 0707 0711自由度調整済みR2 0782 0781 自由度調整済みR2 0693 0697標準誤差 0902 0904 標準誤差 1023 1016DW統計量 2581 2574 DW統計量 2408 2415

係数 係数

定数項 r-βπ tar 0527 0900 (2552) (3391)

インフレ率 1+β -0004 -0005(1594) (1249)

GDPギャップ α 1 -0006 -0014

(1174) (1562)

貿易収支比率 α 2 -0001 0010

(0135) (1064)

為替変化率 α 3 0005 0019

(0542) (1247)

NYインフレ率 α 4 -0003 -0008

(1971) (2116)

NY金利 α 5 -0022

(0557)

ロンドン金利 α 5 0386

(3052)コールレート1期ラグ 0833 0608

(9986) (6019)R2 0934 0957自由度調整済みR2 0925 0951標準誤差 0255 0207DW統計量 2478 2362

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

11 単純テイラールールでは説明変数のラグを加えたがここではあまりにも煩雑になること

と単純テイラールールで被説明変数の 1 期ラグが重要であったことから被説明変数の 1 期

ラグのみを追加した

27

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とコールレートの1期ラグであ

る貿易収支比率と為替変化率のどちらの係数も符号条件を満たしているがコールレー

トの1期ラグがない場合と比べて係数の値は小さくなっているただしこの推計をコイ

ック型と考えて係数の長期の値を(1-コールレートの1期ラグの係数)で除すことによっ

て求めれば1期ラグがない場合の係数よりもかなり大きくなる

1926年1月から1931年12月までの推計ではGDPギャップとコールレートの1期ラグのみが

有意となるGDPギャップの長期係数を求めても値は小さいこの期間では金利を安定的

に維持することに金融政策が使われていたと言えるだろう

1932年1月から1936年12月までの推計では有意なものはロンドン金利とニューヨークイ

ンフレ率とコールレートの1期ラグとなってしまうニューヨークインフレ率は符号条件を

満たしているがその係数は小さいロンドン金利の係数は大きく日本の金融政策はロ

ンドンに追随して行われていたことになる

コールレートの1期ラグを入れるといずれの期の金融政策も金利の平準化の要素が大き

いと判断される金本位制を意識して行われていたときには金融政策はある程度は対外

均衡を考えていたようである金本位制を離脱した後はロンドンの金利を考慮していた

ようである

さらに表9は以上の変数に正貨を追加したものである(データの制約により1919年1

月から29年3月までの推計)これは金本位制を意識して金融政策が行われていた期間の金

融政策を評価していることになる

28

表9 正貨準備高の変化率を加えた場合

係数 係数定数項 r-βπ tar 1723 2771

(3126) (2898)インフレ率 1+β 0004 0005

(0356) (0518)GDPギャップ α 1 0088 0072

(2641) (2442)貿易収支比率 α 2 -0023 -0018

(1664) (1321)為替変化率 α 3 -0025 0008

(0544) (0189)NYインフレ率 α 4 -0007 -0010

(0617) (0924)NY金利 α 5 -0012

(0255)ロンドン金利 α 5 -0239

(1470)正貨準備の変化率 α 6 0001 -0005

(0013) (0079)コールレートの1期ラグ 0644 0603

(7451) (6371) R2 0652 0659自由度調整済みR2 0628 0635標準誤差 1119 1107DW統計量 2450 2452注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

有意なものはGDPギャップとコールレートの1期ラグであるGDPギャップは符号条件

を満たしている長期の係数を取ってもその係数は大きいとは言えない

34 対外均衡と対内均衡

対外均衡に重点を置いた金融政策を行うとは経常収支赤字や為替レート下落や外貨準

備の減少に対して金利を引き上げるというルールに従って金融政策を行うことである

通常であれば金本位制の下で国内がインフレになり競争力を失ったり景気が過熱

して輸入が増大したときには経常収支赤字や為替レート下落や外貨準備の減少が起きる

だろう経常収支の赤字や外貨準備の減少が起きたときには金融を引き締めるというルー

ルは国内がインフレになったり景気が過熱したときには引き締めるというルールでも

あるしたがって対外均衡に重点を置くことが国内均衡を必ず妨げるというわけではな

いこれは逆の場合も真実であるしかし1910 年代日本の経常収支や外貨準備は国

内の景気要因で変化したわけではない第 1 次世界大戦によって外需が増加し経常収支

29

が黒字となり外貨準備が増えた金本位制のルールに従って金融政策は緩和されマ

ネタリーベースは 1919 年 1 月から 1920 年 4 月までに 16 倍に増加した輸出超過の国は

金融緩和することによって輸入超過の国の不況を和らげることができる日本は金本

位制の正しいルールに基づいて金融を緩和しただけであるしかし戦争がおわりその

復興需要もなくなったとき経常収支は赤字となり外貨準備は減少したしかしかつ

て金準備に依存して増大していたマネタリーベースはそのままだった失われた外貨準備

に対してマネタリーベースを減少させなければならなかったしかし23 年までマネタリ

ーベースは増大し続けていた関東大震災という不幸もあってマネタリーベースを減少

させることはできなかったその後25 年まで引き下げていたが27 年には金融恐慌があ

りマネタリーベースを削減することができなかったその後28 年までマネタリーベ

ースはむしろ拡大していた29 年には金本位制復帰を目指してマネタリーベースを急減さ

せるがその結果は激しいデフレと不況だった

そもそも国内要因の変化によらない金準備の増加に対してマネタリーベースを拡大し

たことが誤りだった金本位制からの離脱は1917 年ではなくて欧米諸国が離脱した

1914-15 年になすべきだったそうであれば1910 年代末までのマネタリーベースの急増

はなかっただろうところが実際には金本位制から離脱したにも関わらず1920 年にか

けてマネタリーベースは拡大していた1920 年代からは失われた金準備に対してマネタリ

ーベースを削減することが試みられるようになるしかしそれは関東大震災や金融危機

によって頓挫するむしろマネタリーベースを削減するという試みがデフレと不況をも

たらしそれゆえに不良債権が増大してしまったということではないだろうか

35 小括1‐テイラールールの推計から得られた知見

以上のことから考えて1920 年代から 30 年代にかけては金融政策はインフレまたはデ

フレ促進的な政策を行っていた対外均衡にはある程度考慮した金融政策を行っていたこ

とが分かる

しかし1920 年代には金本位制に復帰するという政策が課題となっていたはずである

20 年代がデフレ促進的また対外均衡にある程度考慮した政策を行っていたことはこの

課題にとっては正しいものだろうしかし現実に採られたデフレ促進策では不十分だっ

た物価は旧平価で金本位制に復帰できるほど下がっていなかったのだからまた32 年

以降の金融政策についてもなぜ 32 年から急速な回復ができたのかそれと金融政策とは

どのよう関係しているかは分析できていない

これについて飯田岡田[2004]は昭和恐慌からの回復はデフレ脱却による実質金利

の下落が重要であって名目金利の低下は重要でなかったと分析しているこれによれば

名目金利の変化で金融政策の変化を見ることはできないことになるしたがって名目金

利の変化に着目するテイラールールでは31 年 12 月以降の高橋是清蔵相の金融政策の意

味を理解できないことになる

30

また金融政策が物価および景気安定を意図していなかったら何を意図していたのだ

ろうか本稿での結論は為替レートや経常収支に視点を置いた対外均衡を意識していた

ということになる

いずれにしろテイラールールだけでは戦前期の金融政策を十分には理解できない

ことになるそこで戦前期の金融政策を別の方法で評価してみよう

4マッカラムルールによる金融政策の評価

41 マッカラムルールの意味と定式化とデータ

以下ではマッカラムルールで戦間期の金融政策を評価することにするマッカラム

ルールを用いて金融政策の在り方を判断した研究としてはマッカラム自身の分析を始め

として多くのものがある(例えばMcCallum[1987][1988]マッカラム[1997]第 15 章)

日本のデータを用いたものにおいても McCallum[1987]岡田飯田[2004]などがあるし

かし日本の戦前期についてはおそらく安達[2006](第7章)しかないと思われる安

達は年データを用い目標値として設定された名目 GNP 成長率(5と設定している)

を達成するためのマネタリーベースを求め現実のマネタリーベースの成長率が 1936 年ま

で過小でそれ以降過大であることを示している本稿では月次データを用いているので

期間ごとの金融政策の在り方も検討することができる

マッカラムルールとはマネタリーベースの成長率を名目GDPの望ましい成長率に

依存させるルールである(McCallum[1987]マッカラム[1997]第 15 章)しかし貨幣の

流通速度 vは変化するので貨幣の流通速度の変化に応じてマネタリーベース bの動きを調

整することが必要となるこのようなルールはbvなどを対数値として望ましいマネタ

リーベースの成長率⊿bをマネタリーベースの流通速度Δvに応じて変化させるというルー

ルであるただしvは景気変動によって大きく変動しているのでそれが技術的な変化と

見なせる 2 年間の平均値 tvΔ であるとする12すなわちマッカラムルールに基づくマネタ

リーベースの成長率とは

tbΔ =マネタリーベースの望ましい成長率- tvΔ

であるここでマネタリーベースの望ましい成長率はサンプル期間(1919 年 1 月から 1933

年 12 月まで)のマネタリーベースの平均成長率とする13マッカラムはマネタリーベース

の望ましい成長率を名目 GDP の成長率としているがここではまずこの期間の経済を再現

することを目的としているので現実のマネタリーベースの成長率を採用したマネタリ

12 マッカラム(1997)第 15 章では流通速度として 4年平均を使用しているが本稿ではサンプル

期間が短いため 2年平均としている 13 サンプル期間は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月であるがマネタリーベースの流通速度の平

均値作成のため 初の 24 か月が失うのでここで計算された望ましいマネタリーベースの成長

率は 1921 年 1 月から 1933 年 12 月までの平均となっている

31

ーベースの動きを図 10 に示しているマネタリーベースは季節性が強いので季調値も図示

しているなお前述のように戦前期の月次名目 GDP のデータは存在しないのでIIP に

卸売物価を掛けたものを名目 GDP の代理変数とする(ここで使うデータの定義と出所は前

掲の表1にある)

図 10 マネタリーベース(原数値と季節調整値)の動き

0

50000

100000

150000

200000

250000

19191

19197

19201

19207

19211

19217

19221

19227

19231

19237

19241

19247

19251

19257

19261

19267

19271

19277

19281

19287

19291

19297

19301

19307

19311

19317

19321

19327

19331

19337

観察されたベースマネー(単位万円) 季節調整済マネタリーベース(単位万円)

作成されたマネタリーベースの成長率は1919 年 1 月から 33 年 12 月までで年率 12

月次では 01となるすなわち

tbΔ =0001- tvΔ

ここで考察する期間を 1919 年 1 月から 33 年 12 月までとしたのは34 年以降の GDP の伸び

が大きすぎトレンドの作成において歪みを生じさせるからであるまた33 年は昭和恐

慌から脱却し経済が安定していた時期でもある

さらに名目 GDP が何らかのショックによって平均的な成長経路よりも上回った時に

はマネタリーベースの伸び率を低下させるようなルール(下回った場合は逆)を導入し

ようすなわち

tbΔ =0001-

1 1( )t t tv y yλ minus minusΔ + minus

32

となるただし目標値

1ty minus は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月までの月次平均成長率 04

成長経路での名目 GDP の対数値であるまたマッカラムによればλは四半期データで 025

が望ましいとされているがここでは月次データを使用しているのでとりあえず 12 分の 1

とすることを考えたがこの期間の名目 GDP は戦後の日米名目 GDP のデータより大きく変

動しているのでさらに小さくする必要があるマッカラムも「λの値を選択する場合

もし間違えるとすれば小さな値を採るほうがよい」(マッカラム[1997]308 頁)としている

そこでλは 36 分の1とした 終的なルールは

tbΔ =0001-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (5)

となる

マッカラムは望ましいインフレ率をゼロとするマネタリールールを求めているがこ

こでは実際には大きく変動したマネタリーベースを安定的に動かしていたらどうなったか

を考えることにしているので名目 GDP の動きは現実のものを使いルールにもとづくマ

ネタリーベースと実際のマネタリーベースをまず比較することにする

次に名目 GDP の決定に関する次のようなモデルを 小二乗法により推計する結果は

1 1 2 3

2

0004 0295 0053 0110 0106 0071 - 0069 23- 0046 27(1596) (3634) (1054) (1404) (2300) (1831) (6731)

R 0109 SE=0029 BG(24)=33227

(1822) t t t t t t ty y b b b b dummy dummy eminus minus minus minusΔ = + Δ + Δ + Δ + Δ + Δ +

=

(6)

となる14但し yΔ は名目 GDP の変化率 bΔ はマネタリーベースの成長率dummy23 は関東

大震災の時の一時的な変動をとらえるために 1923 年 9 月を 1それ以外を 0 としたダミー

変数dummy27 は金融恐慌時の一時的な変動をとらえるために 1927 年 4 月 5 月を 1それ

以外を 0としたダミー変数サンプル期間は推計に使用する変数が全て揃う 1921 年 1 月か

ら 1933 年 12 月までまたここでの残差 te は攪乱項の推定値2R SE BG(p) はそれぞれ

自由度修正済み決定係数攪乱項の標準誤差p 次の Breuch-Godfrey テストのχ二乗統計

量( )内は Newey-West の方法により修正した t値を示している15

ここで当時マッカラムルールなどという議論がなかったのだからこのような分

14 ここでは bΔ は現実のマネタリーベースの成長率を使用して推計を行っている 15 研究の対象期間は 1919 年 1 月からであるが平均流通速度 tvΔ の計算のために 初の 24 ヶ

月分が使用できないそのため他のシミュレーションの対象期間と整合性を保つため 1921 年 1

月からとしているまたこの推計式にはラグ付き内生変数を含むためダービンワトソンテスト

ではなく Breush-Godfrey テストを報告しているこの Breush-Godfrey テストから系列相関が疑

われるためNewey-West の方法により標準誤差を修正している

33

析は意味がないという批判があるかもしれないがこれにはテイラールールの節で述べ

たのと同じ反論が可能であるマッカラムルールとは名目 GDP が上昇しすぎたら(そ

のときには景気が過熱するかインフレが高進していると考えられる)マネーを縮小し

名目 GDP が下降しすぎたら(そのときは景気が悪化するかデフレになっている)マネーを

拡大するという素朴なルールである当時このようなルールが意識されていなかったと

は考え難い

42 長期的な経済を再現するシミュレーション

まずマッカラムルールによって現実の長期的な経済の経路を再現してみようルー

ルにもとづくマネタリーベースと実際のマネタリーベースのレベルと成長率とを図

11(1)(2)に示す

政策ルール(5)式が実施された場合の名目 GDP(の代理変数)の動きを見るために(5)式

から得られる理論値 tbΔ (6)式の残差 te 初期値 1ty minusΔ に目標 GDP

1ty minusΔ を代入してマ

ッカラムルールに従った場合の名目 GDP y の系列を求める現実の xとマネタリーベース

のルールに従った場合の y の系列を比べてみたのが図 11-(3)である図 11-(3)からマ

ネタリーベースのルールに従った場合の y の系列が安定していることが分かるこのよう

に安定的な名目 GDP の系列を得るためには第 1 次世界大戦後の金融引締めが過大で20

年代初期の金融緩和が過大30 年の金融引締めが過大だったと判断される

図 11 マッカラムルール

(1)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

34

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT MBDOT

注)BDOT はマッカラムルールの下でのマネタリーべースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(2)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

35

100000

120000

140000

160000

180000

200000

220000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC MB_SA

注)MB_SA はマネタリーベース(季節調整済)の現実値

B_MC はマッカラムルールに従った場合のマネタリーベース水準

またマッカラムルールの下でのマネタリーベースの初期値は現実値を使用

単位は万円

(3)マッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

36

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULE XSTAR X

注)GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

43 物価を下落させるシミュレーション

以上の結果はマネタリーベースの伸びを安定的にしていれば経済変動はより少なく

なっていただろうということを示しているしかしもし第 1 次世界大戦前の旧平価で金

本位制に復帰することが目的であったとしたら1節で述べたように物価を 3 割下げな

ければならない名目 GDP(その代理変数)は実質 GDP の変化がないとして1919 年 12

月から 29 年 12 月までに 3割下がらなければならない

そこで名目 GDP(その代理変数) y は現実の値よりも毎月 03ずつ低下しなければ

ならないので(5)式の定数項 0001 から 0003 を引いて-0002 とするすなわち

tbΔ =-0002-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (7)

とならなければならないここでの系列 y も実際の値から毎月 03ずつ引き下げたも

のを使っているつぎに(7)式の bを(6)式に入れると図 12 のようになる図に見られるよ

うに名目 GDP は安定しかつ小さくなっているすなわち物価が 3 割下落していること

が分かる

37

図 12 物価を下落させた場合

(1) 名目 GDP の目標値とマッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULEXSTAR

XGDP3_RULE

XSTAR_3

注) GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

GDP3_RULE は物価を 3割下げたマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR_3 は物価を 3割下げた場合の目標となる名目 GDP(対数値)

38

(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

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  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 27: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

26

ンフレ率ロンドン金利を追加したものが良好な推計結果をもたらしたそこで拡張テ

イラールールに関する政策反応ラグを考慮するために以上の変数に加えて被説明変数

の 1期ラグを追加したものを推計する11結果は表8のようになる

表8 拡張テイラールールの金利ラグ付き推計

係数 係数 係数 係数定数項 r-βπ tar 0623 0565 定数項 r-βπ tar 1806 2223

(3922) (3134) (3861) (3396)インフレ率 1+β -00001 0003 インフレ率 1+β 0012 0007

(0023) (0552) (1190) (0761)GDPギャップ α 1 0019 0023 GDPギャップ α 1 0044 0043

(1589) (1875) (2072) (2007)

貿易収支比率 α 2 -0024 -0023 貿易収支比率 α 2 -0019 -0020

(2312) (2239) (1514) (1767)

為替変化率 α 3 -0026 -0025 為替変化率 α 3 -0048 -0045

(1984) (2069) (1607) (1430)

NYインフレ率 α 4 -0002 -0002 NYインフレ率 α 4 -0004 -0004

(0277) (0388) (0337) (0389)NY金利 α 5 0040 NY金利 α 5 -0044

(1532) (1193)

ロンドン金利 α 5 0075 ロンドン金利 α 5 -0163

(1447) (1703)コールレート1期ラグ 0796 0802 コールレート1期ラグ 0680 0657

(18638) (20579) (9505) (8112)R2 0789 0788 R2 0707 0711自由度調整済みR2 0782 0781 自由度調整済みR2 0693 0697標準誤差 0902 0904 標準誤差 1023 1016DW統計量 2581 2574 DW統計量 2408 2415

係数 係数

定数項 r-βπ tar 0527 0900 (2552) (3391)

インフレ率 1+β -0004 -0005(1594) (1249)

GDPギャップ α 1 -0006 -0014

(1174) (1562)

貿易収支比率 α 2 -0001 0010

(0135) (1064)

為替変化率 α 3 0005 0019

(0542) (1247)

NYインフレ率 α 4 -0003 -0008

(1971) (2116)

NY金利 α 5 -0022

(0557)

ロンドン金利 α 5 0386

(3052)コールレート1期ラグ 0833 0608

(9986) (6019)R2 0934 0957自由度調整済みR2 0925 0951標準誤差 0255 0207DW統計量 2478 2362

注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

(1)期間1919年1月~1936年12月 (2)期間1919年1月~1931年12月

(3)期間1932年1月~1936年12月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

11 単純テイラールールでは説明変数のラグを加えたがここではあまりにも煩雑になること

と単純テイラールールで被説明変数の 1 期ラグが重要であったことから被説明変数の 1 期

ラグのみを追加した

27

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とコールレートの1期ラグであ

る貿易収支比率と為替変化率のどちらの係数も符号条件を満たしているがコールレー

トの1期ラグがない場合と比べて係数の値は小さくなっているただしこの推計をコイ

ック型と考えて係数の長期の値を(1-コールレートの1期ラグの係数)で除すことによっ

て求めれば1期ラグがない場合の係数よりもかなり大きくなる

1926年1月から1931年12月までの推計ではGDPギャップとコールレートの1期ラグのみが

有意となるGDPギャップの長期係数を求めても値は小さいこの期間では金利を安定的

に維持することに金融政策が使われていたと言えるだろう

1932年1月から1936年12月までの推計では有意なものはロンドン金利とニューヨークイ

ンフレ率とコールレートの1期ラグとなってしまうニューヨークインフレ率は符号条件を

満たしているがその係数は小さいロンドン金利の係数は大きく日本の金融政策はロ

ンドンに追随して行われていたことになる

コールレートの1期ラグを入れるといずれの期の金融政策も金利の平準化の要素が大き

いと判断される金本位制を意識して行われていたときには金融政策はある程度は対外

均衡を考えていたようである金本位制を離脱した後はロンドンの金利を考慮していた

ようである

さらに表9は以上の変数に正貨を追加したものである(データの制約により1919年1

月から29年3月までの推計)これは金本位制を意識して金融政策が行われていた期間の金

融政策を評価していることになる

28

表9 正貨準備高の変化率を加えた場合

係数 係数定数項 r-βπ tar 1723 2771

(3126) (2898)インフレ率 1+β 0004 0005

(0356) (0518)GDPギャップ α 1 0088 0072

(2641) (2442)貿易収支比率 α 2 -0023 -0018

(1664) (1321)為替変化率 α 3 -0025 0008

(0544) (0189)NYインフレ率 α 4 -0007 -0010

(0617) (0924)NY金利 α 5 -0012

(0255)ロンドン金利 α 5 -0239

(1470)正貨準備の変化率 α 6 0001 -0005

(0013) (0079)コールレートの1期ラグ 0644 0603

(7451) (6371) R2 0652 0659自由度調整済みR2 0628 0635標準誤差 1119 1107DW統計量 2450 2452注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

有意なものはGDPギャップとコールレートの1期ラグであるGDPギャップは符号条件

を満たしている長期の係数を取ってもその係数は大きいとは言えない

34 対外均衡と対内均衡

対外均衡に重点を置いた金融政策を行うとは経常収支赤字や為替レート下落や外貨準

備の減少に対して金利を引き上げるというルールに従って金融政策を行うことである

通常であれば金本位制の下で国内がインフレになり競争力を失ったり景気が過熱

して輸入が増大したときには経常収支赤字や為替レート下落や外貨準備の減少が起きる

だろう経常収支の赤字や外貨準備の減少が起きたときには金融を引き締めるというルー

ルは国内がインフレになったり景気が過熱したときには引き締めるというルールでも

あるしたがって対外均衡に重点を置くことが国内均衡を必ず妨げるというわけではな

いこれは逆の場合も真実であるしかし1910 年代日本の経常収支や外貨準備は国

内の景気要因で変化したわけではない第 1 次世界大戦によって外需が増加し経常収支

29

が黒字となり外貨準備が増えた金本位制のルールに従って金融政策は緩和されマ

ネタリーベースは 1919 年 1 月から 1920 年 4 月までに 16 倍に増加した輸出超過の国は

金融緩和することによって輸入超過の国の不況を和らげることができる日本は金本

位制の正しいルールに基づいて金融を緩和しただけであるしかし戦争がおわりその

復興需要もなくなったとき経常収支は赤字となり外貨準備は減少したしかしかつ

て金準備に依存して増大していたマネタリーベースはそのままだった失われた外貨準備

に対してマネタリーベースを減少させなければならなかったしかし23 年までマネタリ

ーベースは増大し続けていた関東大震災という不幸もあってマネタリーベースを減少

させることはできなかったその後25 年まで引き下げていたが27 年には金融恐慌があ

りマネタリーベースを削減することができなかったその後28 年までマネタリーベ

ースはむしろ拡大していた29 年には金本位制復帰を目指してマネタリーベースを急減さ

せるがその結果は激しいデフレと不況だった

そもそも国内要因の変化によらない金準備の増加に対してマネタリーベースを拡大し

たことが誤りだった金本位制からの離脱は1917 年ではなくて欧米諸国が離脱した

1914-15 年になすべきだったそうであれば1910 年代末までのマネタリーベースの急増

はなかっただろうところが実際には金本位制から離脱したにも関わらず1920 年にか

けてマネタリーベースは拡大していた1920 年代からは失われた金準備に対してマネタリ

ーベースを削減することが試みられるようになるしかしそれは関東大震災や金融危機

によって頓挫するむしろマネタリーベースを削減するという試みがデフレと不況をも

たらしそれゆえに不良債権が増大してしまったということではないだろうか

35 小括1‐テイラールールの推計から得られた知見

以上のことから考えて1920 年代から 30 年代にかけては金融政策はインフレまたはデ

フレ促進的な政策を行っていた対外均衡にはある程度考慮した金融政策を行っていたこ

とが分かる

しかし1920 年代には金本位制に復帰するという政策が課題となっていたはずである

20 年代がデフレ促進的また対外均衡にある程度考慮した政策を行っていたことはこの

課題にとっては正しいものだろうしかし現実に採られたデフレ促進策では不十分だっ

た物価は旧平価で金本位制に復帰できるほど下がっていなかったのだからまた32 年

以降の金融政策についてもなぜ 32 年から急速な回復ができたのかそれと金融政策とは

どのよう関係しているかは分析できていない

これについて飯田岡田[2004]は昭和恐慌からの回復はデフレ脱却による実質金利

の下落が重要であって名目金利の低下は重要でなかったと分析しているこれによれば

名目金利の変化で金融政策の変化を見ることはできないことになるしたがって名目金

利の変化に着目するテイラールールでは31 年 12 月以降の高橋是清蔵相の金融政策の意

味を理解できないことになる

30

また金融政策が物価および景気安定を意図していなかったら何を意図していたのだ

ろうか本稿での結論は為替レートや経常収支に視点を置いた対外均衡を意識していた

ということになる

いずれにしろテイラールールだけでは戦前期の金融政策を十分には理解できない

ことになるそこで戦前期の金融政策を別の方法で評価してみよう

4マッカラムルールによる金融政策の評価

41 マッカラムルールの意味と定式化とデータ

以下ではマッカラムルールで戦間期の金融政策を評価することにするマッカラム

ルールを用いて金融政策の在り方を判断した研究としてはマッカラム自身の分析を始め

として多くのものがある(例えばMcCallum[1987][1988]マッカラム[1997]第 15 章)

日本のデータを用いたものにおいても McCallum[1987]岡田飯田[2004]などがあるし

かし日本の戦前期についてはおそらく安達[2006](第7章)しかないと思われる安

達は年データを用い目標値として設定された名目 GNP 成長率(5と設定している)

を達成するためのマネタリーベースを求め現実のマネタリーベースの成長率が 1936 年ま

で過小でそれ以降過大であることを示している本稿では月次データを用いているので

期間ごとの金融政策の在り方も検討することができる

マッカラムルールとはマネタリーベースの成長率を名目GDPの望ましい成長率に

依存させるルールである(McCallum[1987]マッカラム[1997]第 15 章)しかし貨幣の

流通速度 vは変化するので貨幣の流通速度の変化に応じてマネタリーベース bの動きを調

整することが必要となるこのようなルールはbvなどを対数値として望ましいマネタ

リーベースの成長率⊿bをマネタリーベースの流通速度Δvに応じて変化させるというルー

ルであるただしvは景気変動によって大きく変動しているのでそれが技術的な変化と

見なせる 2 年間の平均値 tvΔ であるとする12すなわちマッカラムルールに基づくマネタ

リーベースの成長率とは

tbΔ =マネタリーベースの望ましい成長率- tvΔ

であるここでマネタリーベースの望ましい成長率はサンプル期間(1919 年 1 月から 1933

年 12 月まで)のマネタリーベースの平均成長率とする13マッカラムはマネタリーベース

の望ましい成長率を名目 GDP の成長率としているがここではまずこの期間の経済を再現

することを目的としているので現実のマネタリーベースの成長率を採用したマネタリ

12 マッカラム(1997)第 15 章では流通速度として 4年平均を使用しているが本稿ではサンプル

期間が短いため 2年平均としている 13 サンプル期間は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月であるがマネタリーベースの流通速度の平

均値作成のため 初の 24 か月が失うのでここで計算された望ましいマネタリーベースの成長

率は 1921 年 1 月から 1933 年 12 月までの平均となっている

31

ーベースの動きを図 10 に示しているマネタリーベースは季節性が強いので季調値も図示

しているなお前述のように戦前期の月次名目 GDP のデータは存在しないのでIIP に

卸売物価を掛けたものを名目 GDP の代理変数とする(ここで使うデータの定義と出所は前

掲の表1にある)

図 10 マネタリーベース(原数値と季節調整値)の動き

0

50000

100000

150000

200000

250000

19191

19197

19201

19207

19211

19217

19221

19227

19231

19237

19241

19247

19251

19257

19261

19267

19271

19277

19281

19287

19291

19297

19301

19307

19311

19317

19321

19327

19331

19337

観察されたベースマネー(単位万円) 季節調整済マネタリーベース(単位万円)

作成されたマネタリーベースの成長率は1919 年 1 月から 33 年 12 月までで年率 12

月次では 01となるすなわち

tbΔ =0001- tvΔ

ここで考察する期間を 1919 年 1 月から 33 年 12 月までとしたのは34 年以降の GDP の伸び

が大きすぎトレンドの作成において歪みを生じさせるからであるまた33 年は昭和恐

慌から脱却し経済が安定していた時期でもある

さらに名目 GDP が何らかのショックによって平均的な成長経路よりも上回った時に

はマネタリーベースの伸び率を低下させるようなルール(下回った場合は逆)を導入し

ようすなわち

tbΔ =0001-

1 1( )t t tv y yλ minus minusΔ + minus

32

となるただし目標値

1ty minus は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月までの月次平均成長率 04

成長経路での名目 GDP の対数値であるまたマッカラムによればλは四半期データで 025

が望ましいとされているがここでは月次データを使用しているのでとりあえず 12 分の 1

とすることを考えたがこの期間の名目 GDP は戦後の日米名目 GDP のデータより大きく変

動しているのでさらに小さくする必要があるマッカラムも「λの値を選択する場合

もし間違えるとすれば小さな値を採るほうがよい」(マッカラム[1997]308 頁)としている

そこでλは 36 分の1とした 終的なルールは

tbΔ =0001-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (5)

となる

マッカラムは望ましいインフレ率をゼロとするマネタリールールを求めているがこ

こでは実際には大きく変動したマネタリーベースを安定的に動かしていたらどうなったか

を考えることにしているので名目 GDP の動きは現実のものを使いルールにもとづくマ

ネタリーベースと実際のマネタリーベースをまず比較することにする

次に名目 GDP の決定に関する次のようなモデルを 小二乗法により推計する結果は

1 1 2 3

2

0004 0295 0053 0110 0106 0071 - 0069 23- 0046 27(1596) (3634) (1054) (1404) (2300) (1831) (6731)

R 0109 SE=0029 BG(24)=33227

(1822) t t t t t t ty y b b b b dummy dummy eminus minus minus minusΔ = + Δ + Δ + Δ + Δ + Δ +

=

(6)

となる14但し yΔ は名目 GDP の変化率 bΔ はマネタリーベースの成長率dummy23 は関東

大震災の時の一時的な変動をとらえるために 1923 年 9 月を 1それ以外を 0 としたダミー

変数dummy27 は金融恐慌時の一時的な変動をとらえるために 1927 年 4 月 5 月を 1それ

以外を 0としたダミー変数サンプル期間は推計に使用する変数が全て揃う 1921 年 1 月か

ら 1933 年 12 月までまたここでの残差 te は攪乱項の推定値2R SE BG(p) はそれぞれ

自由度修正済み決定係数攪乱項の標準誤差p 次の Breuch-Godfrey テストのχ二乗統計

量( )内は Newey-West の方法により修正した t値を示している15

ここで当時マッカラムルールなどという議論がなかったのだからこのような分

14 ここでは bΔ は現実のマネタリーベースの成長率を使用して推計を行っている 15 研究の対象期間は 1919 年 1 月からであるが平均流通速度 tvΔ の計算のために 初の 24 ヶ

月分が使用できないそのため他のシミュレーションの対象期間と整合性を保つため 1921 年 1

月からとしているまたこの推計式にはラグ付き内生変数を含むためダービンワトソンテスト

ではなく Breush-Godfrey テストを報告しているこの Breush-Godfrey テストから系列相関が疑

われるためNewey-West の方法により標準誤差を修正している

33

析は意味がないという批判があるかもしれないがこれにはテイラールールの節で述べ

たのと同じ反論が可能であるマッカラムルールとは名目 GDP が上昇しすぎたら(そ

のときには景気が過熱するかインフレが高進していると考えられる)マネーを縮小し

名目 GDP が下降しすぎたら(そのときは景気が悪化するかデフレになっている)マネーを

拡大するという素朴なルールである当時このようなルールが意識されていなかったと

は考え難い

42 長期的な経済を再現するシミュレーション

まずマッカラムルールによって現実の長期的な経済の経路を再現してみようルー

ルにもとづくマネタリーベースと実際のマネタリーベースのレベルと成長率とを図

11(1)(2)に示す

政策ルール(5)式が実施された場合の名目 GDP(の代理変数)の動きを見るために(5)式

から得られる理論値 tbΔ (6)式の残差 te 初期値 1ty minusΔ に目標 GDP

1ty minusΔ を代入してマ

ッカラムルールに従った場合の名目 GDP y の系列を求める現実の xとマネタリーベース

のルールに従った場合の y の系列を比べてみたのが図 11-(3)である図 11-(3)からマ

ネタリーベースのルールに従った場合の y の系列が安定していることが分かるこのよう

に安定的な名目 GDP の系列を得るためには第 1 次世界大戦後の金融引締めが過大で20

年代初期の金融緩和が過大30 年の金融引締めが過大だったと判断される

図 11 マッカラムルール

(1)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

34

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT MBDOT

注)BDOT はマッカラムルールの下でのマネタリーべースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(2)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

35

100000

120000

140000

160000

180000

200000

220000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC MB_SA

注)MB_SA はマネタリーベース(季節調整済)の現実値

B_MC はマッカラムルールに従った場合のマネタリーベース水準

またマッカラムルールの下でのマネタリーベースの初期値は現実値を使用

単位は万円

(3)マッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

36

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULE XSTAR X

注)GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

43 物価を下落させるシミュレーション

以上の結果はマネタリーベースの伸びを安定的にしていれば経済変動はより少なく

なっていただろうということを示しているしかしもし第 1 次世界大戦前の旧平価で金

本位制に復帰することが目的であったとしたら1節で述べたように物価を 3 割下げな

ければならない名目 GDP(その代理変数)は実質 GDP の変化がないとして1919 年 12

月から 29 年 12 月までに 3割下がらなければならない

そこで名目 GDP(その代理変数) y は現実の値よりも毎月 03ずつ低下しなければ

ならないので(5)式の定数項 0001 から 0003 を引いて-0002 とするすなわち

tbΔ =-0002-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (7)

とならなければならないここでの系列 y も実際の値から毎月 03ずつ引き下げたも

のを使っているつぎに(7)式の bを(6)式に入れると図 12 のようになる図に見られるよ

うに名目 GDP は安定しかつ小さくなっているすなわち物価が 3 割下落していること

が分かる

37

図 12 物価を下落させた場合

(1) 名目 GDP の目標値とマッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULEXSTAR

XGDP3_RULE

XSTAR_3

注) GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

GDP3_RULE は物価を 3割下げたマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR_3 は物価を 3割下げた場合の目標となる名目 GDP(対数値)

38

(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

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  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 28: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

27

全期間を対象にした推計結果からニューヨーク金利でもロンドン金利のいずれを用い

た推計でも5で有意な変数は貿易収支比率と為替変化率とコールレートの1期ラグであ

る貿易収支比率と為替変化率のどちらの係数も符号条件を満たしているがコールレー

トの1期ラグがない場合と比べて係数の値は小さくなっているただしこの推計をコイ

ック型と考えて係数の長期の値を(1-コールレートの1期ラグの係数)で除すことによっ

て求めれば1期ラグがない場合の係数よりもかなり大きくなる

1926年1月から1931年12月までの推計ではGDPギャップとコールレートの1期ラグのみが

有意となるGDPギャップの長期係数を求めても値は小さいこの期間では金利を安定的

に維持することに金融政策が使われていたと言えるだろう

1932年1月から1936年12月までの推計では有意なものはロンドン金利とニューヨークイ

ンフレ率とコールレートの1期ラグとなってしまうニューヨークインフレ率は符号条件を

満たしているがその係数は小さいロンドン金利の係数は大きく日本の金融政策はロ

ンドンに追随して行われていたことになる

コールレートの1期ラグを入れるといずれの期の金融政策も金利の平準化の要素が大き

いと判断される金本位制を意識して行われていたときには金融政策はある程度は対外

均衡を考えていたようである金本位制を離脱した後はロンドンの金利を考慮していた

ようである

さらに表9は以上の変数に正貨を追加したものである(データの制約により1919年1

月から29年3月までの推計)これは金本位制を意識して金融政策が行われていた期間の金

融政策を評価していることになる

28

表9 正貨準備高の変化率を加えた場合

係数 係数定数項 r-βπ tar 1723 2771

(3126) (2898)インフレ率 1+β 0004 0005

(0356) (0518)GDPギャップ α 1 0088 0072

(2641) (2442)貿易収支比率 α 2 -0023 -0018

(1664) (1321)為替変化率 α 3 -0025 0008

(0544) (0189)NYインフレ率 α 4 -0007 -0010

(0617) (0924)NY金利 α 5 -0012

(0255)ロンドン金利 α 5 -0239

(1470)正貨準備の変化率 α 6 0001 -0005

(0013) (0079)コールレートの1期ラグ 0644 0603

(7451) (6371) R2 0652 0659自由度調整済みR2 0628 0635標準誤差 1119 1107DW統計量 2450 2452注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

有意なものはGDPギャップとコールレートの1期ラグであるGDPギャップは符号条件

を満たしている長期の係数を取ってもその係数は大きいとは言えない

34 対外均衡と対内均衡

対外均衡に重点を置いた金融政策を行うとは経常収支赤字や為替レート下落や外貨準

備の減少に対して金利を引き上げるというルールに従って金融政策を行うことである

通常であれば金本位制の下で国内がインフレになり競争力を失ったり景気が過熱

して輸入が増大したときには経常収支赤字や為替レート下落や外貨準備の減少が起きる

だろう経常収支の赤字や外貨準備の減少が起きたときには金融を引き締めるというルー

ルは国内がインフレになったり景気が過熱したときには引き締めるというルールでも

あるしたがって対外均衡に重点を置くことが国内均衡を必ず妨げるというわけではな

いこれは逆の場合も真実であるしかし1910 年代日本の経常収支や外貨準備は国

内の景気要因で変化したわけではない第 1 次世界大戦によって外需が増加し経常収支

29

が黒字となり外貨準備が増えた金本位制のルールに従って金融政策は緩和されマ

ネタリーベースは 1919 年 1 月から 1920 年 4 月までに 16 倍に増加した輸出超過の国は

金融緩和することによって輸入超過の国の不況を和らげることができる日本は金本

位制の正しいルールに基づいて金融を緩和しただけであるしかし戦争がおわりその

復興需要もなくなったとき経常収支は赤字となり外貨準備は減少したしかしかつ

て金準備に依存して増大していたマネタリーベースはそのままだった失われた外貨準備

に対してマネタリーベースを減少させなければならなかったしかし23 年までマネタリ

ーベースは増大し続けていた関東大震災という不幸もあってマネタリーベースを減少

させることはできなかったその後25 年まで引き下げていたが27 年には金融恐慌があ

りマネタリーベースを削減することができなかったその後28 年までマネタリーベ

ースはむしろ拡大していた29 年には金本位制復帰を目指してマネタリーベースを急減さ

せるがその結果は激しいデフレと不況だった

そもそも国内要因の変化によらない金準備の増加に対してマネタリーベースを拡大し

たことが誤りだった金本位制からの離脱は1917 年ではなくて欧米諸国が離脱した

1914-15 年になすべきだったそうであれば1910 年代末までのマネタリーベースの急増

はなかっただろうところが実際には金本位制から離脱したにも関わらず1920 年にか

けてマネタリーベースは拡大していた1920 年代からは失われた金準備に対してマネタリ

ーベースを削減することが試みられるようになるしかしそれは関東大震災や金融危機

によって頓挫するむしろマネタリーベースを削減するという試みがデフレと不況をも

たらしそれゆえに不良債権が増大してしまったということではないだろうか

35 小括1‐テイラールールの推計から得られた知見

以上のことから考えて1920 年代から 30 年代にかけては金融政策はインフレまたはデ

フレ促進的な政策を行っていた対外均衡にはある程度考慮した金融政策を行っていたこ

とが分かる

しかし1920 年代には金本位制に復帰するという政策が課題となっていたはずである

20 年代がデフレ促進的また対外均衡にある程度考慮した政策を行っていたことはこの

課題にとっては正しいものだろうしかし現実に採られたデフレ促進策では不十分だっ

た物価は旧平価で金本位制に復帰できるほど下がっていなかったのだからまた32 年

以降の金融政策についてもなぜ 32 年から急速な回復ができたのかそれと金融政策とは

どのよう関係しているかは分析できていない

これについて飯田岡田[2004]は昭和恐慌からの回復はデフレ脱却による実質金利

の下落が重要であって名目金利の低下は重要でなかったと分析しているこれによれば

名目金利の変化で金融政策の変化を見ることはできないことになるしたがって名目金

利の変化に着目するテイラールールでは31 年 12 月以降の高橋是清蔵相の金融政策の意

味を理解できないことになる

30

また金融政策が物価および景気安定を意図していなかったら何を意図していたのだ

ろうか本稿での結論は為替レートや経常収支に視点を置いた対外均衡を意識していた

ということになる

いずれにしろテイラールールだけでは戦前期の金融政策を十分には理解できない

ことになるそこで戦前期の金融政策を別の方法で評価してみよう

4マッカラムルールによる金融政策の評価

41 マッカラムルールの意味と定式化とデータ

以下ではマッカラムルールで戦間期の金融政策を評価することにするマッカラム

ルールを用いて金融政策の在り方を判断した研究としてはマッカラム自身の分析を始め

として多くのものがある(例えばMcCallum[1987][1988]マッカラム[1997]第 15 章)

日本のデータを用いたものにおいても McCallum[1987]岡田飯田[2004]などがあるし

かし日本の戦前期についてはおそらく安達[2006](第7章)しかないと思われる安

達は年データを用い目標値として設定された名目 GNP 成長率(5と設定している)

を達成するためのマネタリーベースを求め現実のマネタリーベースの成長率が 1936 年ま

で過小でそれ以降過大であることを示している本稿では月次データを用いているので

期間ごとの金融政策の在り方も検討することができる

マッカラムルールとはマネタリーベースの成長率を名目GDPの望ましい成長率に

依存させるルールである(McCallum[1987]マッカラム[1997]第 15 章)しかし貨幣の

流通速度 vは変化するので貨幣の流通速度の変化に応じてマネタリーベース bの動きを調

整することが必要となるこのようなルールはbvなどを対数値として望ましいマネタ

リーベースの成長率⊿bをマネタリーベースの流通速度Δvに応じて変化させるというルー

ルであるただしvは景気変動によって大きく変動しているのでそれが技術的な変化と

見なせる 2 年間の平均値 tvΔ であるとする12すなわちマッカラムルールに基づくマネタ

リーベースの成長率とは

tbΔ =マネタリーベースの望ましい成長率- tvΔ

であるここでマネタリーベースの望ましい成長率はサンプル期間(1919 年 1 月から 1933

年 12 月まで)のマネタリーベースの平均成長率とする13マッカラムはマネタリーベース

の望ましい成長率を名目 GDP の成長率としているがここではまずこの期間の経済を再現

することを目的としているので現実のマネタリーベースの成長率を採用したマネタリ

12 マッカラム(1997)第 15 章では流通速度として 4年平均を使用しているが本稿ではサンプル

期間が短いため 2年平均としている 13 サンプル期間は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月であるがマネタリーベースの流通速度の平

均値作成のため 初の 24 か月が失うのでここで計算された望ましいマネタリーベースの成長

率は 1921 年 1 月から 1933 年 12 月までの平均となっている

31

ーベースの動きを図 10 に示しているマネタリーベースは季節性が強いので季調値も図示

しているなお前述のように戦前期の月次名目 GDP のデータは存在しないのでIIP に

卸売物価を掛けたものを名目 GDP の代理変数とする(ここで使うデータの定義と出所は前

掲の表1にある)

図 10 マネタリーベース(原数値と季節調整値)の動き

0

50000

100000

150000

200000

250000

19191

19197

19201

19207

19211

19217

19221

19227

19231

19237

19241

19247

19251

19257

19261

19267

19271

19277

19281

19287

19291

19297

19301

19307

19311

19317

19321

19327

19331

19337

観察されたベースマネー(単位万円) 季節調整済マネタリーベース(単位万円)

作成されたマネタリーベースの成長率は1919 年 1 月から 33 年 12 月までで年率 12

月次では 01となるすなわち

tbΔ =0001- tvΔ

ここで考察する期間を 1919 年 1 月から 33 年 12 月までとしたのは34 年以降の GDP の伸び

が大きすぎトレンドの作成において歪みを生じさせるからであるまた33 年は昭和恐

慌から脱却し経済が安定していた時期でもある

さらに名目 GDP が何らかのショックによって平均的な成長経路よりも上回った時に

はマネタリーベースの伸び率を低下させるようなルール(下回った場合は逆)を導入し

ようすなわち

tbΔ =0001-

1 1( )t t tv y yλ minus minusΔ + minus

32

となるただし目標値

1ty minus は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月までの月次平均成長率 04

成長経路での名目 GDP の対数値であるまたマッカラムによればλは四半期データで 025

が望ましいとされているがここでは月次データを使用しているのでとりあえず 12 分の 1

とすることを考えたがこの期間の名目 GDP は戦後の日米名目 GDP のデータより大きく変

動しているのでさらに小さくする必要があるマッカラムも「λの値を選択する場合

もし間違えるとすれば小さな値を採るほうがよい」(マッカラム[1997]308 頁)としている

そこでλは 36 分の1とした 終的なルールは

tbΔ =0001-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (5)

となる

マッカラムは望ましいインフレ率をゼロとするマネタリールールを求めているがこ

こでは実際には大きく変動したマネタリーベースを安定的に動かしていたらどうなったか

を考えることにしているので名目 GDP の動きは現実のものを使いルールにもとづくマ

ネタリーベースと実際のマネタリーベースをまず比較することにする

次に名目 GDP の決定に関する次のようなモデルを 小二乗法により推計する結果は

1 1 2 3

2

0004 0295 0053 0110 0106 0071 - 0069 23- 0046 27(1596) (3634) (1054) (1404) (2300) (1831) (6731)

R 0109 SE=0029 BG(24)=33227

(1822) t t t t t t ty y b b b b dummy dummy eminus minus minus minusΔ = + Δ + Δ + Δ + Δ + Δ +

=

(6)

となる14但し yΔ は名目 GDP の変化率 bΔ はマネタリーベースの成長率dummy23 は関東

大震災の時の一時的な変動をとらえるために 1923 年 9 月を 1それ以外を 0 としたダミー

変数dummy27 は金融恐慌時の一時的な変動をとらえるために 1927 年 4 月 5 月を 1それ

以外を 0としたダミー変数サンプル期間は推計に使用する変数が全て揃う 1921 年 1 月か

ら 1933 年 12 月までまたここでの残差 te は攪乱項の推定値2R SE BG(p) はそれぞれ

自由度修正済み決定係数攪乱項の標準誤差p 次の Breuch-Godfrey テストのχ二乗統計

量( )内は Newey-West の方法により修正した t値を示している15

ここで当時マッカラムルールなどという議論がなかったのだからこのような分

14 ここでは bΔ は現実のマネタリーベースの成長率を使用して推計を行っている 15 研究の対象期間は 1919 年 1 月からであるが平均流通速度 tvΔ の計算のために 初の 24 ヶ

月分が使用できないそのため他のシミュレーションの対象期間と整合性を保つため 1921 年 1

月からとしているまたこの推計式にはラグ付き内生変数を含むためダービンワトソンテスト

ではなく Breush-Godfrey テストを報告しているこの Breush-Godfrey テストから系列相関が疑

われるためNewey-West の方法により標準誤差を修正している

33

析は意味がないという批判があるかもしれないがこれにはテイラールールの節で述べ

たのと同じ反論が可能であるマッカラムルールとは名目 GDP が上昇しすぎたら(そ

のときには景気が過熱するかインフレが高進していると考えられる)マネーを縮小し

名目 GDP が下降しすぎたら(そのときは景気が悪化するかデフレになっている)マネーを

拡大するという素朴なルールである当時このようなルールが意識されていなかったと

は考え難い

42 長期的な経済を再現するシミュレーション

まずマッカラムルールによって現実の長期的な経済の経路を再現してみようルー

ルにもとづくマネタリーベースと実際のマネタリーベースのレベルと成長率とを図

11(1)(2)に示す

政策ルール(5)式が実施された場合の名目 GDP(の代理変数)の動きを見るために(5)式

から得られる理論値 tbΔ (6)式の残差 te 初期値 1ty minusΔ に目標 GDP

1ty minusΔ を代入してマ

ッカラムルールに従った場合の名目 GDP y の系列を求める現実の xとマネタリーベース

のルールに従った場合の y の系列を比べてみたのが図 11-(3)である図 11-(3)からマ

ネタリーベースのルールに従った場合の y の系列が安定していることが分かるこのよう

に安定的な名目 GDP の系列を得るためには第 1 次世界大戦後の金融引締めが過大で20

年代初期の金融緩和が過大30 年の金融引締めが過大だったと判断される

図 11 マッカラムルール

(1)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

34

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT MBDOT

注)BDOT はマッカラムルールの下でのマネタリーべースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(2)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

35

100000

120000

140000

160000

180000

200000

220000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC MB_SA

注)MB_SA はマネタリーベース(季節調整済)の現実値

B_MC はマッカラムルールに従った場合のマネタリーベース水準

またマッカラムルールの下でのマネタリーベースの初期値は現実値を使用

単位は万円

(3)マッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

36

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULE XSTAR X

注)GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

43 物価を下落させるシミュレーション

以上の結果はマネタリーベースの伸びを安定的にしていれば経済変動はより少なく

なっていただろうということを示しているしかしもし第 1 次世界大戦前の旧平価で金

本位制に復帰することが目的であったとしたら1節で述べたように物価を 3 割下げな

ければならない名目 GDP(その代理変数)は実質 GDP の変化がないとして1919 年 12

月から 29 年 12 月までに 3割下がらなければならない

そこで名目 GDP(その代理変数) y は現実の値よりも毎月 03ずつ低下しなければ

ならないので(5)式の定数項 0001 から 0003 を引いて-0002 とするすなわち

tbΔ =-0002-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (7)

とならなければならないここでの系列 y も実際の値から毎月 03ずつ引き下げたも

のを使っているつぎに(7)式の bを(6)式に入れると図 12 のようになる図に見られるよ

うに名目 GDP は安定しかつ小さくなっているすなわち物価が 3 割下落していること

が分かる

37

図 12 物価を下落させた場合

(1) 名目 GDP の目標値とマッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULEXSTAR

XGDP3_RULE

XSTAR_3

注) GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

GDP3_RULE は物価を 3割下げたマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR_3 は物価を 3割下げた場合の目標となる名目 GDP(対数値)

38

(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

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  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 29: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

28

表9 正貨準備高の変化率を加えた場合

係数 係数定数項 r-βπ tar 1723 2771

(3126) (2898)インフレ率 1+β 0004 0005

(0356) (0518)GDPギャップ α 1 0088 0072

(2641) (2442)貿易収支比率 α 2 -0023 -0018

(1664) (1321)為替変化率 α 3 -0025 0008

(0544) (0189)NYインフレ率 α 4 -0007 -0010

(0617) (0924)NY金利 α 5 -0012

(0255)ロンドン金利 α 5 -0239

(1470)正貨準備の変化率 α 6 0001 -0005

(0013) (0079)コールレートの1期ラグ 0644 0603

(7451) (6371) R2 0652 0659自由度調整済みR2 0628 0635標準誤差 1119 1107DW統計量 2450 2452注意)()内は係数のt値はそれぞれ有意水準15

期間1919年1月~1929年3月

ダービンワトソン(DW) 統計量から系列相関が疑わるので標準誤差はNewey-Westの方法によって修正を加えている

有意なものはGDPギャップとコールレートの1期ラグであるGDPギャップは符号条件

を満たしている長期の係数を取ってもその係数は大きいとは言えない

34 対外均衡と対内均衡

対外均衡に重点を置いた金融政策を行うとは経常収支赤字や為替レート下落や外貨準

備の減少に対して金利を引き上げるというルールに従って金融政策を行うことである

通常であれば金本位制の下で国内がインフレになり競争力を失ったり景気が過熱

して輸入が増大したときには経常収支赤字や為替レート下落や外貨準備の減少が起きる

だろう経常収支の赤字や外貨準備の減少が起きたときには金融を引き締めるというルー

ルは国内がインフレになったり景気が過熱したときには引き締めるというルールでも

あるしたがって対外均衡に重点を置くことが国内均衡を必ず妨げるというわけではな

いこれは逆の場合も真実であるしかし1910 年代日本の経常収支や外貨準備は国

内の景気要因で変化したわけではない第 1 次世界大戦によって外需が増加し経常収支

29

が黒字となり外貨準備が増えた金本位制のルールに従って金融政策は緩和されマ

ネタリーベースは 1919 年 1 月から 1920 年 4 月までに 16 倍に増加した輸出超過の国は

金融緩和することによって輸入超過の国の不況を和らげることができる日本は金本

位制の正しいルールに基づいて金融を緩和しただけであるしかし戦争がおわりその

復興需要もなくなったとき経常収支は赤字となり外貨準備は減少したしかしかつ

て金準備に依存して増大していたマネタリーベースはそのままだった失われた外貨準備

に対してマネタリーベースを減少させなければならなかったしかし23 年までマネタリ

ーベースは増大し続けていた関東大震災という不幸もあってマネタリーベースを減少

させることはできなかったその後25 年まで引き下げていたが27 年には金融恐慌があ

りマネタリーベースを削減することができなかったその後28 年までマネタリーベ

ースはむしろ拡大していた29 年には金本位制復帰を目指してマネタリーベースを急減さ

せるがその結果は激しいデフレと不況だった

そもそも国内要因の変化によらない金準備の増加に対してマネタリーベースを拡大し

たことが誤りだった金本位制からの離脱は1917 年ではなくて欧米諸国が離脱した

1914-15 年になすべきだったそうであれば1910 年代末までのマネタリーベースの急増

はなかっただろうところが実際には金本位制から離脱したにも関わらず1920 年にか

けてマネタリーベースは拡大していた1920 年代からは失われた金準備に対してマネタリ

ーベースを削減することが試みられるようになるしかしそれは関東大震災や金融危機

によって頓挫するむしろマネタリーベースを削減するという試みがデフレと不況をも

たらしそれゆえに不良債権が増大してしまったということではないだろうか

35 小括1‐テイラールールの推計から得られた知見

以上のことから考えて1920 年代から 30 年代にかけては金融政策はインフレまたはデ

フレ促進的な政策を行っていた対外均衡にはある程度考慮した金融政策を行っていたこ

とが分かる

しかし1920 年代には金本位制に復帰するという政策が課題となっていたはずである

20 年代がデフレ促進的また対外均衡にある程度考慮した政策を行っていたことはこの

課題にとっては正しいものだろうしかし現実に採られたデフレ促進策では不十分だっ

た物価は旧平価で金本位制に復帰できるほど下がっていなかったのだからまた32 年

以降の金融政策についてもなぜ 32 年から急速な回復ができたのかそれと金融政策とは

どのよう関係しているかは分析できていない

これについて飯田岡田[2004]は昭和恐慌からの回復はデフレ脱却による実質金利

の下落が重要であって名目金利の低下は重要でなかったと分析しているこれによれば

名目金利の変化で金融政策の変化を見ることはできないことになるしたがって名目金

利の変化に着目するテイラールールでは31 年 12 月以降の高橋是清蔵相の金融政策の意

味を理解できないことになる

30

また金融政策が物価および景気安定を意図していなかったら何を意図していたのだ

ろうか本稿での結論は為替レートや経常収支に視点を置いた対外均衡を意識していた

ということになる

いずれにしろテイラールールだけでは戦前期の金融政策を十分には理解できない

ことになるそこで戦前期の金融政策を別の方法で評価してみよう

4マッカラムルールによる金融政策の評価

41 マッカラムルールの意味と定式化とデータ

以下ではマッカラムルールで戦間期の金融政策を評価することにするマッカラム

ルールを用いて金融政策の在り方を判断した研究としてはマッカラム自身の分析を始め

として多くのものがある(例えばMcCallum[1987][1988]マッカラム[1997]第 15 章)

日本のデータを用いたものにおいても McCallum[1987]岡田飯田[2004]などがあるし

かし日本の戦前期についてはおそらく安達[2006](第7章)しかないと思われる安

達は年データを用い目標値として設定された名目 GNP 成長率(5と設定している)

を達成するためのマネタリーベースを求め現実のマネタリーベースの成長率が 1936 年ま

で過小でそれ以降過大であることを示している本稿では月次データを用いているので

期間ごとの金融政策の在り方も検討することができる

マッカラムルールとはマネタリーベースの成長率を名目GDPの望ましい成長率に

依存させるルールである(McCallum[1987]マッカラム[1997]第 15 章)しかし貨幣の

流通速度 vは変化するので貨幣の流通速度の変化に応じてマネタリーベース bの動きを調

整することが必要となるこのようなルールはbvなどを対数値として望ましいマネタ

リーベースの成長率⊿bをマネタリーベースの流通速度Δvに応じて変化させるというルー

ルであるただしvは景気変動によって大きく変動しているのでそれが技術的な変化と

見なせる 2 年間の平均値 tvΔ であるとする12すなわちマッカラムルールに基づくマネタ

リーベースの成長率とは

tbΔ =マネタリーベースの望ましい成長率- tvΔ

であるここでマネタリーベースの望ましい成長率はサンプル期間(1919 年 1 月から 1933

年 12 月まで)のマネタリーベースの平均成長率とする13マッカラムはマネタリーベース

の望ましい成長率を名目 GDP の成長率としているがここではまずこの期間の経済を再現

することを目的としているので現実のマネタリーベースの成長率を採用したマネタリ

12 マッカラム(1997)第 15 章では流通速度として 4年平均を使用しているが本稿ではサンプル

期間が短いため 2年平均としている 13 サンプル期間は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月であるがマネタリーベースの流通速度の平

均値作成のため 初の 24 か月が失うのでここで計算された望ましいマネタリーベースの成長

率は 1921 年 1 月から 1933 年 12 月までの平均となっている

31

ーベースの動きを図 10 に示しているマネタリーベースは季節性が強いので季調値も図示

しているなお前述のように戦前期の月次名目 GDP のデータは存在しないのでIIP に

卸売物価を掛けたものを名目 GDP の代理変数とする(ここで使うデータの定義と出所は前

掲の表1にある)

図 10 マネタリーベース(原数値と季節調整値)の動き

0

50000

100000

150000

200000

250000

19191

19197

19201

19207

19211

19217

19221

19227

19231

19237

19241

19247

19251

19257

19261

19267

19271

19277

19281

19287

19291

19297

19301

19307

19311

19317

19321

19327

19331

19337

観察されたベースマネー(単位万円) 季節調整済マネタリーベース(単位万円)

作成されたマネタリーベースの成長率は1919 年 1 月から 33 年 12 月までで年率 12

月次では 01となるすなわち

tbΔ =0001- tvΔ

ここで考察する期間を 1919 年 1 月から 33 年 12 月までとしたのは34 年以降の GDP の伸び

が大きすぎトレンドの作成において歪みを生じさせるからであるまた33 年は昭和恐

慌から脱却し経済が安定していた時期でもある

さらに名目 GDP が何らかのショックによって平均的な成長経路よりも上回った時に

はマネタリーベースの伸び率を低下させるようなルール(下回った場合は逆)を導入し

ようすなわち

tbΔ =0001-

1 1( )t t tv y yλ minus minusΔ + minus

32

となるただし目標値

1ty minus は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月までの月次平均成長率 04

成長経路での名目 GDP の対数値であるまたマッカラムによればλは四半期データで 025

が望ましいとされているがここでは月次データを使用しているのでとりあえず 12 分の 1

とすることを考えたがこの期間の名目 GDP は戦後の日米名目 GDP のデータより大きく変

動しているのでさらに小さくする必要があるマッカラムも「λの値を選択する場合

もし間違えるとすれば小さな値を採るほうがよい」(マッカラム[1997]308 頁)としている

そこでλは 36 分の1とした 終的なルールは

tbΔ =0001-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (5)

となる

マッカラムは望ましいインフレ率をゼロとするマネタリールールを求めているがこ

こでは実際には大きく変動したマネタリーベースを安定的に動かしていたらどうなったか

を考えることにしているので名目 GDP の動きは現実のものを使いルールにもとづくマ

ネタリーベースと実際のマネタリーベースをまず比較することにする

次に名目 GDP の決定に関する次のようなモデルを 小二乗法により推計する結果は

1 1 2 3

2

0004 0295 0053 0110 0106 0071 - 0069 23- 0046 27(1596) (3634) (1054) (1404) (2300) (1831) (6731)

R 0109 SE=0029 BG(24)=33227

(1822) t t t t t t ty y b b b b dummy dummy eminus minus minus minusΔ = + Δ + Δ + Δ + Δ + Δ +

=

(6)

となる14但し yΔ は名目 GDP の変化率 bΔ はマネタリーベースの成長率dummy23 は関東

大震災の時の一時的な変動をとらえるために 1923 年 9 月を 1それ以外を 0 としたダミー

変数dummy27 は金融恐慌時の一時的な変動をとらえるために 1927 年 4 月 5 月を 1それ

以外を 0としたダミー変数サンプル期間は推計に使用する変数が全て揃う 1921 年 1 月か

ら 1933 年 12 月までまたここでの残差 te は攪乱項の推定値2R SE BG(p) はそれぞれ

自由度修正済み決定係数攪乱項の標準誤差p 次の Breuch-Godfrey テストのχ二乗統計

量( )内は Newey-West の方法により修正した t値を示している15

ここで当時マッカラムルールなどという議論がなかったのだからこのような分

14 ここでは bΔ は現実のマネタリーベースの成長率を使用して推計を行っている 15 研究の対象期間は 1919 年 1 月からであるが平均流通速度 tvΔ の計算のために 初の 24 ヶ

月分が使用できないそのため他のシミュレーションの対象期間と整合性を保つため 1921 年 1

月からとしているまたこの推計式にはラグ付き内生変数を含むためダービンワトソンテスト

ではなく Breush-Godfrey テストを報告しているこの Breush-Godfrey テストから系列相関が疑

われるためNewey-West の方法により標準誤差を修正している

33

析は意味がないという批判があるかもしれないがこれにはテイラールールの節で述べ

たのと同じ反論が可能であるマッカラムルールとは名目 GDP が上昇しすぎたら(そ

のときには景気が過熱するかインフレが高進していると考えられる)マネーを縮小し

名目 GDP が下降しすぎたら(そのときは景気が悪化するかデフレになっている)マネーを

拡大するという素朴なルールである当時このようなルールが意識されていなかったと

は考え難い

42 長期的な経済を再現するシミュレーション

まずマッカラムルールによって現実の長期的な経済の経路を再現してみようルー

ルにもとづくマネタリーベースと実際のマネタリーベースのレベルと成長率とを図

11(1)(2)に示す

政策ルール(5)式が実施された場合の名目 GDP(の代理変数)の動きを見るために(5)式

から得られる理論値 tbΔ (6)式の残差 te 初期値 1ty minusΔ に目標 GDP

1ty minusΔ を代入してマ

ッカラムルールに従った場合の名目 GDP y の系列を求める現実の xとマネタリーベース

のルールに従った場合の y の系列を比べてみたのが図 11-(3)である図 11-(3)からマ

ネタリーベースのルールに従った場合の y の系列が安定していることが分かるこのよう

に安定的な名目 GDP の系列を得るためには第 1 次世界大戦後の金融引締めが過大で20

年代初期の金融緩和が過大30 年の金融引締めが過大だったと判断される

図 11 マッカラムルール

(1)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

34

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT MBDOT

注)BDOT はマッカラムルールの下でのマネタリーべースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(2)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

35

100000

120000

140000

160000

180000

200000

220000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC MB_SA

注)MB_SA はマネタリーベース(季節調整済)の現実値

B_MC はマッカラムルールに従った場合のマネタリーベース水準

またマッカラムルールの下でのマネタリーベースの初期値は現実値を使用

単位は万円

(3)マッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

36

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULE XSTAR X

注)GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

43 物価を下落させるシミュレーション

以上の結果はマネタリーベースの伸びを安定的にしていれば経済変動はより少なく

なっていただろうということを示しているしかしもし第 1 次世界大戦前の旧平価で金

本位制に復帰することが目的であったとしたら1節で述べたように物価を 3 割下げな

ければならない名目 GDP(その代理変数)は実質 GDP の変化がないとして1919 年 12

月から 29 年 12 月までに 3割下がらなければならない

そこで名目 GDP(その代理変数) y は現実の値よりも毎月 03ずつ低下しなければ

ならないので(5)式の定数項 0001 から 0003 を引いて-0002 とするすなわち

tbΔ =-0002-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (7)

とならなければならないここでの系列 y も実際の値から毎月 03ずつ引き下げたも

のを使っているつぎに(7)式の bを(6)式に入れると図 12 のようになる図に見られるよ

うに名目 GDP は安定しかつ小さくなっているすなわち物価が 3 割下落していること

が分かる

37

図 12 物価を下落させた場合

(1) 名目 GDP の目標値とマッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULEXSTAR

XGDP3_RULE

XSTAR_3

注) GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

GDP3_RULE は物価を 3割下げたマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR_3 は物価を 3割下げた場合の目標となる名目 GDP(対数値)

38

(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

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  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 30: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

29

が黒字となり外貨準備が増えた金本位制のルールに従って金融政策は緩和されマ

ネタリーベースは 1919 年 1 月から 1920 年 4 月までに 16 倍に増加した輸出超過の国は

金融緩和することによって輸入超過の国の不況を和らげることができる日本は金本

位制の正しいルールに基づいて金融を緩和しただけであるしかし戦争がおわりその

復興需要もなくなったとき経常収支は赤字となり外貨準備は減少したしかしかつ

て金準備に依存して増大していたマネタリーベースはそのままだった失われた外貨準備

に対してマネタリーベースを減少させなければならなかったしかし23 年までマネタリ

ーベースは増大し続けていた関東大震災という不幸もあってマネタリーベースを減少

させることはできなかったその後25 年まで引き下げていたが27 年には金融恐慌があ

りマネタリーベースを削減することができなかったその後28 年までマネタリーベ

ースはむしろ拡大していた29 年には金本位制復帰を目指してマネタリーベースを急減さ

せるがその結果は激しいデフレと不況だった

そもそも国内要因の変化によらない金準備の増加に対してマネタリーベースを拡大し

たことが誤りだった金本位制からの離脱は1917 年ではなくて欧米諸国が離脱した

1914-15 年になすべきだったそうであれば1910 年代末までのマネタリーベースの急増

はなかっただろうところが実際には金本位制から離脱したにも関わらず1920 年にか

けてマネタリーベースは拡大していた1920 年代からは失われた金準備に対してマネタリ

ーベースを削減することが試みられるようになるしかしそれは関東大震災や金融危機

によって頓挫するむしろマネタリーベースを削減するという試みがデフレと不況をも

たらしそれゆえに不良債権が増大してしまったということではないだろうか

35 小括1‐テイラールールの推計から得られた知見

以上のことから考えて1920 年代から 30 年代にかけては金融政策はインフレまたはデ

フレ促進的な政策を行っていた対外均衡にはある程度考慮した金融政策を行っていたこ

とが分かる

しかし1920 年代には金本位制に復帰するという政策が課題となっていたはずである

20 年代がデフレ促進的また対外均衡にある程度考慮した政策を行っていたことはこの

課題にとっては正しいものだろうしかし現実に採られたデフレ促進策では不十分だっ

た物価は旧平価で金本位制に復帰できるほど下がっていなかったのだからまた32 年

以降の金融政策についてもなぜ 32 年から急速な回復ができたのかそれと金融政策とは

どのよう関係しているかは分析できていない

これについて飯田岡田[2004]は昭和恐慌からの回復はデフレ脱却による実質金利

の下落が重要であって名目金利の低下は重要でなかったと分析しているこれによれば

名目金利の変化で金融政策の変化を見ることはできないことになるしたがって名目金

利の変化に着目するテイラールールでは31 年 12 月以降の高橋是清蔵相の金融政策の意

味を理解できないことになる

30

また金融政策が物価および景気安定を意図していなかったら何を意図していたのだ

ろうか本稿での結論は為替レートや経常収支に視点を置いた対外均衡を意識していた

ということになる

いずれにしろテイラールールだけでは戦前期の金融政策を十分には理解できない

ことになるそこで戦前期の金融政策を別の方法で評価してみよう

4マッカラムルールによる金融政策の評価

41 マッカラムルールの意味と定式化とデータ

以下ではマッカラムルールで戦間期の金融政策を評価することにするマッカラム

ルールを用いて金融政策の在り方を判断した研究としてはマッカラム自身の分析を始め

として多くのものがある(例えばMcCallum[1987][1988]マッカラム[1997]第 15 章)

日本のデータを用いたものにおいても McCallum[1987]岡田飯田[2004]などがあるし

かし日本の戦前期についてはおそらく安達[2006](第7章)しかないと思われる安

達は年データを用い目標値として設定された名目 GNP 成長率(5と設定している)

を達成するためのマネタリーベースを求め現実のマネタリーベースの成長率が 1936 年ま

で過小でそれ以降過大であることを示している本稿では月次データを用いているので

期間ごとの金融政策の在り方も検討することができる

マッカラムルールとはマネタリーベースの成長率を名目GDPの望ましい成長率に

依存させるルールである(McCallum[1987]マッカラム[1997]第 15 章)しかし貨幣の

流通速度 vは変化するので貨幣の流通速度の変化に応じてマネタリーベース bの動きを調

整することが必要となるこのようなルールはbvなどを対数値として望ましいマネタ

リーベースの成長率⊿bをマネタリーベースの流通速度Δvに応じて変化させるというルー

ルであるただしvは景気変動によって大きく変動しているのでそれが技術的な変化と

見なせる 2 年間の平均値 tvΔ であるとする12すなわちマッカラムルールに基づくマネタ

リーベースの成長率とは

tbΔ =マネタリーベースの望ましい成長率- tvΔ

であるここでマネタリーベースの望ましい成長率はサンプル期間(1919 年 1 月から 1933

年 12 月まで)のマネタリーベースの平均成長率とする13マッカラムはマネタリーベース

の望ましい成長率を名目 GDP の成長率としているがここではまずこの期間の経済を再現

することを目的としているので現実のマネタリーベースの成長率を採用したマネタリ

12 マッカラム(1997)第 15 章では流通速度として 4年平均を使用しているが本稿ではサンプル

期間が短いため 2年平均としている 13 サンプル期間は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月であるがマネタリーベースの流通速度の平

均値作成のため 初の 24 か月が失うのでここで計算された望ましいマネタリーベースの成長

率は 1921 年 1 月から 1933 年 12 月までの平均となっている

31

ーベースの動きを図 10 に示しているマネタリーベースは季節性が強いので季調値も図示

しているなお前述のように戦前期の月次名目 GDP のデータは存在しないのでIIP に

卸売物価を掛けたものを名目 GDP の代理変数とする(ここで使うデータの定義と出所は前

掲の表1にある)

図 10 マネタリーベース(原数値と季節調整値)の動き

0

50000

100000

150000

200000

250000

19191

19197

19201

19207

19211

19217

19221

19227

19231

19237

19241

19247

19251

19257

19261

19267

19271

19277

19281

19287

19291

19297

19301

19307

19311

19317

19321

19327

19331

19337

観察されたベースマネー(単位万円) 季節調整済マネタリーベース(単位万円)

作成されたマネタリーベースの成長率は1919 年 1 月から 33 年 12 月までで年率 12

月次では 01となるすなわち

tbΔ =0001- tvΔ

ここで考察する期間を 1919 年 1 月から 33 年 12 月までとしたのは34 年以降の GDP の伸び

が大きすぎトレンドの作成において歪みを生じさせるからであるまた33 年は昭和恐

慌から脱却し経済が安定していた時期でもある

さらに名目 GDP が何らかのショックによって平均的な成長経路よりも上回った時に

はマネタリーベースの伸び率を低下させるようなルール(下回った場合は逆)を導入し

ようすなわち

tbΔ =0001-

1 1( )t t tv y yλ minus minusΔ + minus

32

となるただし目標値

1ty minus は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月までの月次平均成長率 04

成長経路での名目 GDP の対数値であるまたマッカラムによればλは四半期データで 025

が望ましいとされているがここでは月次データを使用しているのでとりあえず 12 分の 1

とすることを考えたがこの期間の名目 GDP は戦後の日米名目 GDP のデータより大きく変

動しているのでさらに小さくする必要があるマッカラムも「λの値を選択する場合

もし間違えるとすれば小さな値を採るほうがよい」(マッカラム[1997]308 頁)としている

そこでλは 36 分の1とした 終的なルールは

tbΔ =0001-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (5)

となる

マッカラムは望ましいインフレ率をゼロとするマネタリールールを求めているがこ

こでは実際には大きく変動したマネタリーベースを安定的に動かしていたらどうなったか

を考えることにしているので名目 GDP の動きは現実のものを使いルールにもとづくマ

ネタリーベースと実際のマネタリーベースをまず比較することにする

次に名目 GDP の決定に関する次のようなモデルを 小二乗法により推計する結果は

1 1 2 3

2

0004 0295 0053 0110 0106 0071 - 0069 23- 0046 27(1596) (3634) (1054) (1404) (2300) (1831) (6731)

R 0109 SE=0029 BG(24)=33227

(1822) t t t t t t ty y b b b b dummy dummy eminus minus minus minusΔ = + Δ + Δ + Δ + Δ + Δ +

=

(6)

となる14但し yΔ は名目 GDP の変化率 bΔ はマネタリーベースの成長率dummy23 は関東

大震災の時の一時的な変動をとらえるために 1923 年 9 月を 1それ以外を 0 としたダミー

変数dummy27 は金融恐慌時の一時的な変動をとらえるために 1927 年 4 月 5 月を 1それ

以外を 0としたダミー変数サンプル期間は推計に使用する変数が全て揃う 1921 年 1 月か

ら 1933 年 12 月までまたここでの残差 te は攪乱項の推定値2R SE BG(p) はそれぞれ

自由度修正済み決定係数攪乱項の標準誤差p 次の Breuch-Godfrey テストのχ二乗統計

量( )内は Newey-West の方法により修正した t値を示している15

ここで当時マッカラムルールなどという議論がなかったのだからこのような分

14 ここでは bΔ は現実のマネタリーベースの成長率を使用して推計を行っている 15 研究の対象期間は 1919 年 1 月からであるが平均流通速度 tvΔ の計算のために 初の 24 ヶ

月分が使用できないそのため他のシミュレーションの対象期間と整合性を保つため 1921 年 1

月からとしているまたこの推計式にはラグ付き内生変数を含むためダービンワトソンテスト

ではなく Breush-Godfrey テストを報告しているこの Breush-Godfrey テストから系列相関が疑

われるためNewey-West の方法により標準誤差を修正している

33

析は意味がないという批判があるかもしれないがこれにはテイラールールの節で述べ

たのと同じ反論が可能であるマッカラムルールとは名目 GDP が上昇しすぎたら(そ

のときには景気が過熱するかインフレが高進していると考えられる)マネーを縮小し

名目 GDP が下降しすぎたら(そのときは景気が悪化するかデフレになっている)マネーを

拡大するという素朴なルールである当時このようなルールが意識されていなかったと

は考え難い

42 長期的な経済を再現するシミュレーション

まずマッカラムルールによって現実の長期的な経済の経路を再現してみようルー

ルにもとづくマネタリーベースと実際のマネタリーベースのレベルと成長率とを図

11(1)(2)に示す

政策ルール(5)式が実施された場合の名目 GDP(の代理変数)の動きを見るために(5)式

から得られる理論値 tbΔ (6)式の残差 te 初期値 1ty minusΔ に目標 GDP

1ty minusΔ を代入してマ

ッカラムルールに従った場合の名目 GDP y の系列を求める現実の xとマネタリーベース

のルールに従った場合の y の系列を比べてみたのが図 11-(3)である図 11-(3)からマ

ネタリーベースのルールに従った場合の y の系列が安定していることが分かるこのよう

に安定的な名目 GDP の系列を得るためには第 1 次世界大戦後の金融引締めが過大で20

年代初期の金融緩和が過大30 年の金融引締めが過大だったと判断される

図 11 マッカラムルール

(1)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

34

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT MBDOT

注)BDOT はマッカラムルールの下でのマネタリーべースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(2)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

35

100000

120000

140000

160000

180000

200000

220000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC MB_SA

注)MB_SA はマネタリーベース(季節調整済)の現実値

B_MC はマッカラムルールに従った場合のマネタリーベース水準

またマッカラムルールの下でのマネタリーベースの初期値は現実値を使用

単位は万円

(3)マッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

36

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULE XSTAR X

注)GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

43 物価を下落させるシミュレーション

以上の結果はマネタリーベースの伸びを安定的にしていれば経済変動はより少なく

なっていただろうということを示しているしかしもし第 1 次世界大戦前の旧平価で金

本位制に復帰することが目的であったとしたら1節で述べたように物価を 3 割下げな

ければならない名目 GDP(その代理変数)は実質 GDP の変化がないとして1919 年 12

月から 29 年 12 月までに 3割下がらなければならない

そこで名目 GDP(その代理変数) y は現実の値よりも毎月 03ずつ低下しなければ

ならないので(5)式の定数項 0001 から 0003 を引いて-0002 とするすなわち

tbΔ =-0002-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (7)

とならなければならないここでの系列 y も実際の値から毎月 03ずつ引き下げたも

のを使っているつぎに(7)式の bを(6)式に入れると図 12 のようになる図に見られるよ

うに名目 GDP は安定しかつ小さくなっているすなわち物価が 3 割下落していること

が分かる

37

図 12 物価を下落させた場合

(1) 名目 GDP の目標値とマッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULEXSTAR

XGDP3_RULE

XSTAR_3

注) GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

GDP3_RULE は物価を 3割下げたマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR_3 は物価を 3割下げた場合の目標となる名目 GDP(対数値)

38

(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

参考文献

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Taylor John B rdquoDiscretion versus Policy Rules in Practicerdquo Carnegie-Rochester

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  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 31: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

30

また金融政策が物価および景気安定を意図していなかったら何を意図していたのだ

ろうか本稿での結論は為替レートや経常収支に視点を置いた対外均衡を意識していた

ということになる

いずれにしろテイラールールだけでは戦前期の金融政策を十分には理解できない

ことになるそこで戦前期の金融政策を別の方法で評価してみよう

4マッカラムルールによる金融政策の評価

41 マッカラムルールの意味と定式化とデータ

以下ではマッカラムルールで戦間期の金融政策を評価することにするマッカラム

ルールを用いて金融政策の在り方を判断した研究としてはマッカラム自身の分析を始め

として多くのものがある(例えばMcCallum[1987][1988]マッカラム[1997]第 15 章)

日本のデータを用いたものにおいても McCallum[1987]岡田飯田[2004]などがあるし

かし日本の戦前期についてはおそらく安達[2006](第7章)しかないと思われる安

達は年データを用い目標値として設定された名目 GNP 成長率(5と設定している)

を達成するためのマネタリーベースを求め現実のマネタリーベースの成長率が 1936 年ま

で過小でそれ以降過大であることを示している本稿では月次データを用いているので

期間ごとの金融政策の在り方も検討することができる

マッカラムルールとはマネタリーベースの成長率を名目GDPの望ましい成長率に

依存させるルールである(McCallum[1987]マッカラム[1997]第 15 章)しかし貨幣の

流通速度 vは変化するので貨幣の流通速度の変化に応じてマネタリーベース bの動きを調

整することが必要となるこのようなルールはbvなどを対数値として望ましいマネタ

リーベースの成長率⊿bをマネタリーベースの流通速度Δvに応じて変化させるというルー

ルであるただしvは景気変動によって大きく変動しているのでそれが技術的な変化と

見なせる 2 年間の平均値 tvΔ であるとする12すなわちマッカラムルールに基づくマネタ

リーベースの成長率とは

tbΔ =マネタリーベースの望ましい成長率- tvΔ

であるここでマネタリーベースの望ましい成長率はサンプル期間(1919 年 1 月から 1933

年 12 月まで)のマネタリーベースの平均成長率とする13マッカラムはマネタリーベース

の望ましい成長率を名目 GDP の成長率としているがここではまずこの期間の経済を再現

することを目的としているので現実のマネタリーベースの成長率を採用したマネタリ

12 マッカラム(1997)第 15 章では流通速度として 4年平均を使用しているが本稿ではサンプル

期間が短いため 2年平均としている 13 サンプル期間は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月であるがマネタリーベースの流通速度の平

均値作成のため 初の 24 か月が失うのでここで計算された望ましいマネタリーベースの成長

率は 1921 年 1 月から 1933 年 12 月までの平均となっている

31

ーベースの動きを図 10 に示しているマネタリーベースは季節性が強いので季調値も図示

しているなお前述のように戦前期の月次名目 GDP のデータは存在しないのでIIP に

卸売物価を掛けたものを名目 GDP の代理変数とする(ここで使うデータの定義と出所は前

掲の表1にある)

図 10 マネタリーベース(原数値と季節調整値)の動き

0

50000

100000

150000

200000

250000

19191

19197

19201

19207

19211

19217

19221

19227

19231

19237

19241

19247

19251

19257

19261

19267

19271

19277

19281

19287

19291

19297

19301

19307

19311

19317

19321

19327

19331

19337

観察されたベースマネー(単位万円) 季節調整済マネタリーベース(単位万円)

作成されたマネタリーベースの成長率は1919 年 1 月から 33 年 12 月までで年率 12

月次では 01となるすなわち

tbΔ =0001- tvΔ

ここで考察する期間を 1919 年 1 月から 33 年 12 月までとしたのは34 年以降の GDP の伸び

が大きすぎトレンドの作成において歪みを生じさせるからであるまた33 年は昭和恐

慌から脱却し経済が安定していた時期でもある

さらに名目 GDP が何らかのショックによって平均的な成長経路よりも上回った時に

はマネタリーベースの伸び率を低下させるようなルール(下回った場合は逆)を導入し

ようすなわち

tbΔ =0001-

1 1( )t t tv y yλ minus minusΔ + minus

32

となるただし目標値

1ty minus は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月までの月次平均成長率 04

成長経路での名目 GDP の対数値であるまたマッカラムによればλは四半期データで 025

が望ましいとされているがここでは月次データを使用しているのでとりあえず 12 分の 1

とすることを考えたがこの期間の名目 GDP は戦後の日米名目 GDP のデータより大きく変

動しているのでさらに小さくする必要があるマッカラムも「λの値を選択する場合

もし間違えるとすれば小さな値を採るほうがよい」(マッカラム[1997]308 頁)としている

そこでλは 36 分の1とした 終的なルールは

tbΔ =0001-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (5)

となる

マッカラムは望ましいインフレ率をゼロとするマネタリールールを求めているがこ

こでは実際には大きく変動したマネタリーベースを安定的に動かしていたらどうなったか

を考えることにしているので名目 GDP の動きは現実のものを使いルールにもとづくマ

ネタリーベースと実際のマネタリーベースをまず比較することにする

次に名目 GDP の決定に関する次のようなモデルを 小二乗法により推計する結果は

1 1 2 3

2

0004 0295 0053 0110 0106 0071 - 0069 23- 0046 27(1596) (3634) (1054) (1404) (2300) (1831) (6731)

R 0109 SE=0029 BG(24)=33227

(1822) t t t t t t ty y b b b b dummy dummy eminus minus minus minusΔ = + Δ + Δ + Δ + Δ + Δ +

=

(6)

となる14但し yΔ は名目 GDP の変化率 bΔ はマネタリーベースの成長率dummy23 は関東

大震災の時の一時的な変動をとらえるために 1923 年 9 月を 1それ以外を 0 としたダミー

変数dummy27 は金融恐慌時の一時的な変動をとらえるために 1927 年 4 月 5 月を 1それ

以外を 0としたダミー変数サンプル期間は推計に使用する変数が全て揃う 1921 年 1 月か

ら 1933 年 12 月までまたここでの残差 te は攪乱項の推定値2R SE BG(p) はそれぞれ

自由度修正済み決定係数攪乱項の標準誤差p 次の Breuch-Godfrey テストのχ二乗統計

量( )内は Newey-West の方法により修正した t値を示している15

ここで当時マッカラムルールなどという議論がなかったのだからこのような分

14 ここでは bΔ は現実のマネタリーベースの成長率を使用して推計を行っている 15 研究の対象期間は 1919 年 1 月からであるが平均流通速度 tvΔ の計算のために 初の 24 ヶ

月分が使用できないそのため他のシミュレーションの対象期間と整合性を保つため 1921 年 1

月からとしているまたこの推計式にはラグ付き内生変数を含むためダービンワトソンテスト

ではなく Breush-Godfrey テストを報告しているこの Breush-Godfrey テストから系列相関が疑

われるためNewey-West の方法により標準誤差を修正している

33

析は意味がないという批判があるかもしれないがこれにはテイラールールの節で述べ

たのと同じ反論が可能であるマッカラムルールとは名目 GDP が上昇しすぎたら(そ

のときには景気が過熱するかインフレが高進していると考えられる)マネーを縮小し

名目 GDP が下降しすぎたら(そのときは景気が悪化するかデフレになっている)マネーを

拡大するという素朴なルールである当時このようなルールが意識されていなかったと

は考え難い

42 長期的な経済を再現するシミュレーション

まずマッカラムルールによって現実の長期的な経済の経路を再現してみようルー

ルにもとづくマネタリーベースと実際のマネタリーベースのレベルと成長率とを図

11(1)(2)に示す

政策ルール(5)式が実施された場合の名目 GDP(の代理変数)の動きを見るために(5)式

から得られる理論値 tbΔ (6)式の残差 te 初期値 1ty minusΔ に目標 GDP

1ty minusΔ を代入してマ

ッカラムルールに従った場合の名目 GDP y の系列を求める現実の xとマネタリーベース

のルールに従った場合の y の系列を比べてみたのが図 11-(3)である図 11-(3)からマ

ネタリーベースのルールに従った場合の y の系列が安定していることが分かるこのよう

に安定的な名目 GDP の系列を得るためには第 1 次世界大戦後の金融引締めが過大で20

年代初期の金融緩和が過大30 年の金融引締めが過大だったと判断される

図 11 マッカラムルール

(1)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

34

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT MBDOT

注)BDOT はマッカラムルールの下でのマネタリーべースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(2)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

35

100000

120000

140000

160000

180000

200000

220000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC MB_SA

注)MB_SA はマネタリーベース(季節調整済)の現実値

B_MC はマッカラムルールに従った場合のマネタリーベース水準

またマッカラムルールの下でのマネタリーベースの初期値は現実値を使用

単位は万円

(3)マッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

36

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULE XSTAR X

注)GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

43 物価を下落させるシミュレーション

以上の結果はマネタリーベースの伸びを安定的にしていれば経済変動はより少なく

なっていただろうということを示しているしかしもし第 1 次世界大戦前の旧平価で金

本位制に復帰することが目的であったとしたら1節で述べたように物価を 3 割下げな

ければならない名目 GDP(その代理変数)は実質 GDP の変化がないとして1919 年 12

月から 29 年 12 月までに 3割下がらなければならない

そこで名目 GDP(その代理変数) y は現実の値よりも毎月 03ずつ低下しなければ

ならないので(5)式の定数項 0001 から 0003 を引いて-0002 とするすなわち

tbΔ =-0002-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (7)

とならなければならないここでの系列 y も実際の値から毎月 03ずつ引き下げたも

のを使っているつぎに(7)式の bを(6)式に入れると図 12 のようになる図に見られるよ

うに名目 GDP は安定しかつ小さくなっているすなわち物価が 3 割下落していること

が分かる

37

図 12 物価を下落させた場合

(1) 名目 GDP の目標値とマッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULEXSTAR

XGDP3_RULE

XSTAR_3

注) GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

GDP3_RULE は物価を 3割下げたマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR_3 は物価を 3割下げた場合の目標となる名目 GDP(対数値)

38

(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

参考文献

安達誠司『脱デフレの歴史分析』藤原書店2006 年

飯田泰之岡田靖「第 6章 昭和恐慌と予想インフレ率の推計」岩田[2004]

石橋湛山「金輸出解禁論史」『週刊東洋経済』1929 年 3 月 16 日号

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岡田靖飯田泰之「金融政策の失敗が招いた長期停滞」浜田堀内内閣府経済社会総合

41

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河合正弘『国際金融と開放マクロ経済学』東洋経済新報社1986 年

経済企画庁「経済白書」1997 年

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鎮目雅人「戦間期日本の経済変動と金融政策対応-テイラールールによる評価」『日本銀

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鎮目雅人『世界恐慌と経済政策』日本経済新聞出版社2009 年

地主敏樹黒木祥弘宮尾龍蔵「1980 年代後半以降の日本の金融政策政策対応の遅れ

とその理由」三木谷良一アダムポーゼン編『日本の金融危機』2001 年

高橋亀吉『実用経済学』千倉書房1929 年

田中秀臣「経済問題にかかわる雑誌ジャーナリズムの展開」岩田[2004]所収

中村宗悦「金解禁をめぐる新聞メディアの論調」岩田[2004]所収

中村隆英『日本経済 その成長と構造[第 3版]』東大出版会1993 年

中村隆英『戦前期の日本経済分析』山川出版社1981 年

日本銀行百年史編纂委員会『日本銀行百年史』第三巻日本銀行1983 年

浜口雄幸「金融制度の整備と国際貸借について」(『銀行通信録』第 81 巻第 484 号1926 年

5 月 8 日

浜田宏一堀内昭義内閣府経済社会総合研究所編『論争 日本の経済危機』日本経済新

聞社2004 年

深井英五『通貨調節論』日本評論社1928 年

深尾光洋『為替レートと金融市場―変動相場制の機能と評価』東洋経済新報社 1983 年

藤野正三郎『日本の景気循環‐循環的発展過程の理論的統計的歴史的分析』勁草書房

1965 年

原田泰「為替レートはどのように決まるのか-経常収支黒字の影響は小さい」大和総研エ

コノミスト情報2004 年 11 月 4 日

原田泰「昭和恐慌期のマネーと銀行貸出はどちらが重要だったか」内閣府経済社会総合研

究所『経済分析』177 号2005 年 12 月

原田泰香西泰『日本経済 発展のビッグゲーム』東洋経済新報社1987 年

原田泰佐藤綾野中澤正彦「昭和恐慌期の財政政策と金融政策はどちらが重要だったか」

ESRI DP No176 2007 年 3 月(『成城大学経済研究』第 182 号2008 年 11 月掲載)

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森棟公夫『計量経済学』東洋経済新報社 1999 年

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and to What End rdquo Chapter 2 in J B Taylor and M Woodford (eds) Handbook

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Taylor John B rdquoDiscretion versus Policy Rules in Practicerdquo Carnegie-Rochester

Conference Series on Public Policy 39 pp195-214 1993

  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 32: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

31

ーベースの動きを図 10 に示しているマネタリーベースは季節性が強いので季調値も図示

しているなお前述のように戦前期の月次名目 GDP のデータは存在しないのでIIP に

卸売物価を掛けたものを名目 GDP の代理変数とする(ここで使うデータの定義と出所は前

掲の表1にある)

図 10 マネタリーベース(原数値と季節調整値)の動き

0

50000

100000

150000

200000

250000

19191

19197

19201

19207

19211

19217

19221

19227

19231

19237

19241

19247

19251

19257

19261

19267

19271

19277

19281

19287

19291

19297

19301

19307

19311

19317

19321

19327

19331

19337

観察されたベースマネー(単位万円) 季節調整済マネタリーベース(単位万円)

作成されたマネタリーベースの成長率は1919 年 1 月から 33 年 12 月までで年率 12

月次では 01となるすなわち

tbΔ =0001- tvΔ

ここで考察する期間を 1919 年 1 月から 33 年 12 月までとしたのは34 年以降の GDP の伸び

が大きすぎトレンドの作成において歪みを生じさせるからであるまた33 年は昭和恐

慌から脱却し経済が安定していた時期でもある

さらに名目 GDP が何らかのショックによって平均的な成長経路よりも上回った時に

はマネタリーベースの伸び率を低下させるようなルール(下回った場合は逆)を導入し

ようすなわち

tbΔ =0001-

1 1( )t t tv y yλ minus minusΔ + minus

32

となるただし目標値

1ty minus は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月までの月次平均成長率 04

成長経路での名目 GDP の対数値であるまたマッカラムによればλは四半期データで 025

が望ましいとされているがここでは月次データを使用しているのでとりあえず 12 分の 1

とすることを考えたがこの期間の名目 GDP は戦後の日米名目 GDP のデータより大きく変

動しているのでさらに小さくする必要があるマッカラムも「λの値を選択する場合

もし間違えるとすれば小さな値を採るほうがよい」(マッカラム[1997]308 頁)としている

そこでλは 36 分の1とした 終的なルールは

tbΔ =0001-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (5)

となる

マッカラムは望ましいインフレ率をゼロとするマネタリールールを求めているがこ

こでは実際には大きく変動したマネタリーベースを安定的に動かしていたらどうなったか

を考えることにしているので名目 GDP の動きは現実のものを使いルールにもとづくマ

ネタリーベースと実際のマネタリーベースをまず比較することにする

次に名目 GDP の決定に関する次のようなモデルを 小二乗法により推計する結果は

1 1 2 3

2

0004 0295 0053 0110 0106 0071 - 0069 23- 0046 27(1596) (3634) (1054) (1404) (2300) (1831) (6731)

R 0109 SE=0029 BG(24)=33227

(1822) t t t t t t ty y b b b b dummy dummy eminus minus minus minusΔ = + Δ + Δ + Δ + Δ + Δ +

=

(6)

となる14但し yΔ は名目 GDP の変化率 bΔ はマネタリーベースの成長率dummy23 は関東

大震災の時の一時的な変動をとらえるために 1923 年 9 月を 1それ以外を 0 としたダミー

変数dummy27 は金融恐慌時の一時的な変動をとらえるために 1927 年 4 月 5 月を 1それ

以外を 0としたダミー変数サンプル期間は推計に使用する変数が全て揃う 1921 年 1 月か

ら 1933 年 12 月までまたここでの残差 te は攪乱項の推定値2R SE BG(p) はそれぞれ

自由度修正済み決定係数攪乱項の標準誤差p 次の Breuch-Godfrey テストのχ二乗統計

量( )内は Newey-West の方法により修正した t値を示している15

ここで当時マッカラムルールなどという議論がなかったのだからこのような分

14 ここでは bΔ は現実のマネタリーベースの成長率を使用して推計を行っている 15 研究の対象期間は 1919 年 1 月からであるが平均流通速度 tvΔ の計算のために 初の 24 ヶ

月分が使用できないそのため他のシミュレーションの対象期間と整合性を保つため 1921 年 1

月からとしているまたこの推計式にはラグ付き内生変数を含むためダービンワトソンテスト

ではなく Breush-Godfrey テストを報告しているこの Breush-Godfrey テストから系列相関が疑

われるためNewey-West の方法により標準誤差を修正している

33

析は意味がないという批判があるかもしれないがこれにはテイラールールの節で述べ

たのと同じ反論が可能であるマッカラムルールとは名目 GDP が上昇しすぎたら(そ

のときには景気が過熱するかインフレが高進していると考えられる)マネーを縮小し

名目 GDP が下降しすぎたら(そのときは景気が悪化するかデフレになっている)マネーを

拡大するという素朴なルールである当時このようなルールが意識されていなかったと

は考え難い

42 長期的な経済を再現するシミュレーション

まずマッカラムルールによって現実の長期的な経済の経路を再現してみようルー

ルにもとづくマネタリーベースと実際のマネタリーベースのレベルと成長率とを図

11(1)(2)に示す

政策ルール(5)式が実施された場合の名目 GDP(の代理変数)の動きを見るために(5)式

から得られる理論値 tbΔ (6)式の残差 te 初期値 1ty minusΔ に目標 GDP

1ty minusΔ を代入してマ

ッカラムルールに従った場合の名目 GDP y の系列を求める現実の xとマネタリーベース

のルールに従った場合の y の系列を比べてみたのが図 11-(3)である図 11-(3)からマ

ネタリーベースのルールに従った場合の y の系列が安定していることが分かるこのよう

に安定的な名目 GDP の系列を得るためには第 1 次世界大戦後の金融引締めが過大で20

年代初期の金融緩和が過大30 年の金融引締めが過大だったと判断される

図 11 マッカラムルール

(1)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

34

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT MBDOT

注)BDOT はマッカラムルールの下でのマネタリーべースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(2)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

35

100000

120000

140000

160000

180000

200000

220000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC MB_SA

注)MB_SA はマネタリーベース(季節調整済)の現実値

B_MC はマッカラムルールに従った場合のマネタリーベース水準

またマッカラムルールの下でのマネタリーベースの初期値は現実値を使用

単位は万円

(3)マッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

36

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULE XSTAR X

注)GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

43 物価を下落させるシミュレーション

以上の結果はマネタリーベースの伸びを安定的にしていれば経済変動はより少なく

なっていただろうということを示しているしかしもし第 1 次世界大戦前の旧平価で金

本位制に復帰することが目的であったとしたら1節で述べたように物価を 3 割下げな

ければならない名目 GDP(その代理変数)は実質 GDP の変化がないとして1919 年 12

月から 29 年 12 月までに 3割下がらなければならない

そこで名目 GDP(その代理変数) y は現実の値よりも毎月 03ずつ低下しなければ

ならないので(5)式の定数項 0001 から 0003 を引いて-0002 とするすなわち

tbΔ =-0002-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (7)

とならなければならないここでの系列 y も実際の値から毎月 03ずつ引き下げたも

のを使っているつぎに(7)式の bを(6)式に入れると図 12 のようになる図に見られるよ

うに名目 GDP は安定しかつ小さくなっているすなわち物価が 3 割下落していること

が分かる

37

図 12 物価を下落させた場合

(1) 名目 GDP の目標値とマッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULEXSTAR

XGDP3_RULE

XSTAR_3

注) GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

GDP3_RULE は物価を 3割下げたマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR_3 は物価を 3割下げた場合の目標となる名目 GDP(対数値)

38

(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

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ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

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当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

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えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

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えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

参考文献

安達誠司『脱デフレの歴史分析』藤原書店2006 年

飯田泰之岡田靖「第 6章 昭和恐慌と予想インフレ率の推計」岩田[2004]

石橋湛山「金輸出解禁論史」『週刊東洋経済』1929 年 3 月 16 日号

岩田規久男編著『昭和恐慌の研究』東洋経済新報社2004 年

宇都宮浄人「個人消費支出からみた戦間期の景気変動-LTES個人消費支出の再推計-」

日本銀行金融研究所 Discussion Paper No 2007-J-262007 年

小汀利得「速に金解禁を行ふには平価切下の外なし」『週刊東洋経済』1929 年 3 月 16 日号

岡田靖飯田泰之「金融政策の失敗が招いた長期停滞」浜田堀内内閣府経済社会総合

41

研究所編[2004]所収

河合正弘『国際金融と開放マクロ経済学』東洋経済新報社1986 年

経済企画庁「経済白書」1997 年

経済企画庁「経済白書」1999 年

佐藤和夫「戦間期日本のマクロ経済とミクロ経済」中村[1981]所収

サージャントトーマス国府田桂一鹿野嘉昭榊原健一訳『合理的期待とインフレー

ション』東洋経済新報社1988 年 (Sargent J Thomas Rational Expectations and

Inflation Harper amp Row New York 1986)

鎮目雅人「戦間期日本の経済変動と金融政策対応-テイラールールによる評価」『日本銀

行金融研究所『金融研究』2002 年 6 月

鎮目雅人『世界恐慌と経済政策』日本経済新聞出版社2009 年

地主敏樹黒木祥弘宮尾龍蔵「1980 年代後半以降の日本の金融政策政策対応の遅れ

とその理由」三木谷良一アダムポーゼン編『日本の金融危機』2001 年

高橋亀吉『実用経済学』千倉書房1929 年

田中秀臣「経済問題にかかわる雑誌ジャーナリズムの展開」岩田[2004]所収

中村宗悦「金解禁をめぐる新聞メディアの論調」岩田[2004]所収

中村隆英『日本経済 その成長と構造[第 3版]』東大出版会1993 年

中村隆英『戦前期の日本経済分析』山川出版社1981 年

日本銀行百年史編纂委員会『日本銀行百年史』第三巻日本銀行1983 年

浜口雄幸「金融制度の整備と国際貸借について」(『銀行通信録』第 81 巻第 484 号1926 年

5 月 8 日

浜田宏一堀内昭義内閣府経済社会総合研究所編『論争 日本の経済危機』日本経済新

聞社2004 年

深井英五『通貨調節論』日本評論社1928 年

深尾光洋『為替レートと金融市場―変動相場制の機能と評価』東洋経済新報社 1983 年

藤野正三郎『日本の景気循環‐循環的発展過程の理論的統計的歴史的分析』勁草書房

1965 年

原田泰「為替レートはどのように決まるのか-経常収支黒字の影響は小さい」大和総研エ

コノミスト情報2004 年 11 月 4 日

原田泰「昭和恐慌期のマネーと銀行貸出はどちらが重要だったか」内閣府経済社会総合研

究所『経済分析』177 号2005 年 12 月

原田泰香西泰『日本経済 発展のビッグゲーム』東洋経済新報社1987 年

原田泰佐藤綾野中澤正彦「昭和恐慌期の財政政策と金融政策はどちらが重要だったか」

ESRI DP No176 2007 年 3 月(『成城大学経済研究』第 182 号2008 年 11 月掲載)

マッカラムベネットT晝間文彦金子邦彦訳『マクロ金融経済分析‐期待とその影響』

「第 15 章金融政策のためのひとつの戦略」成文堂1997 年 (McCallum Bennett T

Monetary Economics - Theory and Policy Macmillan Publishing Company 1989)

森棟公夫『計量経済学』東洋経済新報社 1999 年

若田部昌澄「「失われた 13 年」の経済政策論争」岩田[2004]所収

42

Baxter M and R G King ldquoMeasuring Business Cycles Approximate Band-Pass Filters

forEconomic Time Seriesrdquo Review of Economics and Statistics 81 (4) pp 575-593

1999

Christiano LJ and TJ Fitzgerald ldquoMonetary Policy Shocks What Have We Learned

and to What End rdquo Chapter 2 in J B Taylor and M Woodford (eds) Handbook

of Macroeconomics Vol1A Amsterdam Elsevier Science Publishers BV 1999

Christiano LJ and TJ Fitzgerald ldquoThe Band Pass Filterrdquo International

Economic Review 44 435-465 2003

Hodrick Robert and Edward C Prescott Postwar US Business Cycles An Empirical

Investigation Journal of Money Credit and Banking 29 pp1-16 1997

McCallum Bennett T ldquoThe case for Rules in the Conduct of Monetary Policy A

Concrete Examplerdquo Federal Reserve Bank of Richmond Economic Review 73

pp10-18 September-October 1987

McCallum Bennett T ldquoRobustness Properties of a Rule for Monetary Policyrdquo

Carnegie-Rochester Conference Series on Public Policy 29 pp173-203 1988

McCallum Bennett T ldquoJapanese Monetary Policy 1991-2001rdquo Federal Reserve Bank

of Richmond Economic Quarterly 89(1) pp1-31 2003

Taylor John B rdquoDiscretion versus Policy Rules in Practicerdquo Carnegie-Rochester

Conference Series on Public Policy 39 pp195-214 1993

  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 33: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

32

となるただし目標値

1ty minus は 1919 年 1 月から 1933 年 12 月までの月次平均成長率 04

成長経路での名目 GDP の対数値であるまたマッカラムによればλは四半期データで 025

が望ましいとされているがここでは月次データを使用しているのでとりあえず 12 分の 1

とすることを考えたがこの期間の名目 GDP は戦後の日米名目 GDP のデータより大きく変

動しているのでさらに小さくする必要があるマッカラムも「λの値を選択する場合

もし間違えるとすれば小さな値を採るほうがよい」(マッカラム[1997]308 頁)としている

そこでλは 36 分の1とした 終的なルールは

tbΔ =0001-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (5)

となる

マッカラムは望ましいインフレ率をゼロとするマネタリールールを求めているがこ

こでは実際には大きく変動したマネタリーベースを安定的に動かしていたらどうなったか

を考えることにしているので名目 GDP の動きは現実のものを使いルールにもとづくマ

ネタリーベースと実際のマネタリーベースをまず比較することにする

次に名目 GDP の決定に関する次のようなモデルを 小二乗法により推計する結果は

1 1 2 3

2

0004 0295 0053 0110 0106 0071 - 0069 23- 0046 27(1596) (3634) (1054) (1404) (2300) (1831) (6731)

R 0109 SE=0029 BG(24)=33227

(1822) t t t t t t ty y b b b b dummy dummy eminus minus minus minusΔ = + Δ + Δ + Δ + Δ + Δ +

=

(6)

となる14但し yΔ は名目 GDP の変化率 bΔ はマネタリーベースの成長率dummy23 は関東

大震災の時の一時的な変動をとらえるために 1923 年 9 月を 1それ以外を 0 としたダミー

変数dummy27 は金融恐慌時の一時的な変動をとらえるために 1927 年 4 月 5 月を 1それ

以外を 0としたダミー変数サンプル期間は推計に使用する変数が全て揃う 1921 年 1 月か

ら 1933 年 12 月までまたここでの残差 te は攪乱項の推定値2R SE BG(p) はそれぞれ

自由度修正済み決定係数攪乱項の標準誤差p 次の Breuch-Godfrey テストのχ二乗統計

量( )内は Newey-West の方法により修正した t値を示している15

ここで当時マッカラムルールなどという議論がなかったのだからこのような分

14 ここでは bΔ は現実のマネタリーベースの成長率を使用して推計を行っている 15 研究の対象期間は 1919 年 1 月からであるが平均流通速度 tvΔ の計算のために 初の 24 ヶ

月分が使用できないそのため他のシミュレーションの対象期間と整合性を保つため 1921 年 1

月からとしているまたこの推計式にはラグ付き内生変数を含むためダービンワトソンテスト

ではなく Breush-Godfrey テストを報告しているこの Breush-Godfrey テストから系列相関が疑

われるためNewey-West の方法により標準誤差を修正している

33

析は意味がないという批判があるかもしれないがこれにはテイラールールの節で述べ

たのと同じ反論が可能であるマッカラムルールとは名目 GDP が上昇しすぎたら(そ

のときには景気が過熱するかインフレが高進していると考えられる)マネーを縮小し

名目 GDP が下降しすぎたら(そのときは景気が悪化するかデフレになっている)マネーを

拡大するという素朴なルールである当時このようなルールが意識されていなかったと

は考え難い

42 長期的な経済を再現するシミュレーション

まずマッカラムルールによって現実の長期的な経済の経路を再現してみようルー

ルにもとづくマネタリーベースと実際のマネタリーベースのレベルと成長率とを図

11(1)(2)に示す

政策ルール(5)式が実施された場合の名目 GDP(の代理変数)の動きを見るために(5)式

から得られる理論値 tbΔ (6)式の残差 te 初期値 1ty minusΔ に目標 GDP

1ty minusΔ を代入してマ

ッカラムルールに従った場合の名目 GDP y の系列を求める現実の xとマネタリーベース

のルールに従った場合の y の系列を比べてみたのが図 11-(3)である図 11-(3)からマ

ネタリーベースのルールに従った場合の y の系列が安定していることが分かるこのよう

に安定的な名目 GDP の系列を得るためには第 1 次世界大戦後の金融引締めが過大で20

年代初期の金融緩和が過大30 年の金融引締めが過大だったと判断される

図 11 マッカラムルール

(1)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

34

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT MBDOT

注)BDOT はマッカラムルールの下でのマネタリーべースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(2)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

35

100000

120000

140000

160000

180000

200000

220000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC MB_SA

注)MB_SA はマネタリーベース(季節調整済)の現実値

B_MC はマッカラムルールに従った場合のマネタリーベース水準

またマッカラムルールの下でのマネタリーベースの初期値は現実値を使用

単位は万円

(3)マッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

36

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULE XSTAR X

注)GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

43 物価を下落させるシミュレーション

以上の結果はマネタリーベースの伸びを安定的にしていれば経済変動はより少なく

なっていただろうということを示しているしかしもし第 1 次世界大戦前の旧平価で金

本位制に復帰することが目的であったとしたら1節で述べたように物価を 3 割下げな

ければならない名目 GDP(その代理変数)は実質 GDP の変化がないとして1919 年 12

月から 29 年 12 月までに 3割下がらなければならない

そこで名目 GDP(その代理変数) y は現実の値よりも毎月 03ずつ低下しなければ

ならないので(5)式の定数項 0001 から 0003 を引いて-0002 とするすなわち

tbΔ =-0002-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (7)

とならなければならないここでの系列 y も実際の値から毎月 03ずつ引き下げたも

のを使っているつぎに(7)式の bを(6)式に入れると図 12 のようになる図に見られるよ

うに名目 GDP は安定しかつ小さくなっているすなわち物価が 3 割下落していること

が分かる

37

図 12 物価を下落させた場合

(1) 名目 GDP の目標値とマッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULEXSTAR

XGDP3_RULE

XSTAR_3

注) GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

GDP3_RULE は物価を 3割下げたマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR_3 は物価を 3割下げた場合の目標となる名目 GDP(対数値)

38

(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

参考文献

安達誠司『脱デフレの歴史分析』藤原書店2006 年

飯田泰之岡田靖「第 6章 昭和恐慌と予想インフレ率の推計」岩田[2004]

石橋湛山「金輸出解禁論史」『週刊東洋経済』1929 年 3 月 16 日号

岩田規久男編著『昭和恐慌の研究』東洋経済新報社2004 年

宇都宮浄人「個人消費支出からみた戦間期の景気変動-LTES個人消費支出の再推計-」

日本銀行金融研究所 Discussion Paper No 2007-J-262007 年

小汀利得「速に金解禁を行ふには平価切下の外なし」『週刊東洋経済』1929 年 3 月 16 日号

岡田靖飯田泰之「金融政策の失敗が招いた長期停滞」浜田堀内内閣府経済社会総合

41

研究所編[2004]所収

河合正弘『国際金融と開放マクロ経済学』東洋経済新報社1986 年

経済企画庁「経済白書」1997 年

経済企画庁「経済白書」1999 年

佐藤和夫「戦間期日本のマクロ経済とミクロ経済」中村[1981]所収

サージャントトーマス国府田桂一鹿野嘉昭榊原健一訳『合理的期待とインフレー

ション』東洋経済新報社1988 年 (Sargent J Thomas Rational Expectations and

Inflation Harper amp Row New York 1986)

鎮目雅人「戦間期日本の経済変動と金融政策対応-テイラールールによる評価」『日本銀

行金融研究所『金融研究』2002 年 6 月

鎮目雅人『世界恐慌と経済政策』日本経済新聞出版社2009 年

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森棟公夫『計量経済学』東洋経済新報社 1999 年

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42

Baxter M and R G King ldquoMeasuring Business Cycles Approximate Band-Pass Filters

forEconomic Time Seriesrdquo Review of Economics and Statistics 81 (4) pp 575-593

1999

Christiano LJ and TJ Fitzgerald ldquoMonetary Policy Shocks What Have We Learned

and to What End rdquo Chapter 2 in J B Taylor and M Woodford (eds) Handbook

of Macroeconomics Vol1A Amsterdam Elsevier Science Publishers BV 1999

Christiano LJ and TJ Fitzgerald ldquoThe Band Pass Filterrdquo International

Economic Review 44 435-465 2003

Hodrick Robert and Edward C Prescott Postwar US Business Cycles An Empirical

Investigation Journal of Money Credit and Banking 29 pp1-16 1997

McCallum Bennett T ldquoThe case for Rules in the Conduct of Monetary Policy A

Concrete Examplerdquo Federal Reserve Bank of Richmond Economic Review 73

pp10-18 September-October 1987

McCallum Bennett T ldquoRobustness Properties of a Rule for Monetary Policyrdquo

Carnegie-Rochester Conference Series on Public Policy 29 pp173-203 1988

McCallum Bennett T ldquoJapanese Monetary Policy 1991-2001rdquo Federal Reserve Bank

of Richmond Economic Quarterly 89(1) pp1-31 2003

Taylor John B rdquoDiscretion versus Policy Rules in Practicerdquo Carnegie-Rochester

Conference Series on Public Policy 39 pp195-214 1993

  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 34: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

33

析は意味がないという批判があるかもしれないがこれにはテイラールールの節で述べ

たのと同じ反論が可能であるマッカラムルールとは名目 GDP が上昇しすぎたら(そ

のときには景気が過熱するかインフレが高進していると考えられる)マネーを縮小し

名目 GDP が下降しすぎたら(そのときは景気が悪化するかデフレになっている)マネーを

拡大するという素朴なルールである当時このようなルールが意識されていなかったと

は考え難い

42 長期的な経済を再現するシミュレーション

まずマッカラムルールによって現実の長期的な経済の経路を再現してみようルー

ルにもとづくマネタリーベースと実際のマネタリーベースのレベルと成長率とを図

11(1)(2)に示す

政策ルール(5)式が実施された場合の名目 GDP(の代理変数)の動きを見るために(5)式

から得られる理論値 tbΔ (6)式の残差 te 初期値 1ty minusΔ に目標 GDP

1ty minusΔ を代入してマ

ッカラムルールに従った場合の名目 GDP y の系列を求める現実の xとマネタリーベース

のルールに従った場合の y の系列を比べてみたのが図 11-(3)である図 11-(3)からマ

ネタリーベースのルールに従った場合の y の系列が安定していることが分かるこのよう

に安定的な名目 GDP の系列を得るためには第 1 次世界大戦後の金融引締めが過大で20

年代初期の金融緩和が過大30 年の金融引締めが過大だったと判断される

図 11 マッカラムルール

(1)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

34

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT MBDOT

注)BDOT はマッカラムルールの下でのマネタリーべースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(2)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

35

100000

120000

140000

160000

180000

200000

220000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC MB_SA

注)MB_SA はマネタリーベース(季節調整済)の現実値

B_MC はマッカラムルールに従った場合のマネタリーベース水準

またマッカラムルールの下でのマネタリーベースの初期値は現実値を使用

単位は万円

(3)マッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

36

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULE XSTAR X

注)GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

43 物価を下落させるシミュレーション

以上の結果はマネタリーベースの伸びを安定的にしていれば経済変動はより少なく

なっていただろうということを示しているしかしもし第 1 次世界大戦前の旧平価で金

本位制に復帰することが目的であったとしたら1節で述べたように物価を 3 割下げな

ければならない名目 GDP(その代理変数)は実質 GDP の変化がないとして1919 年 12

月から 29 年 12 月までに 3割下がらなければならない

そこで名目 GDP(その代理変数) y は現実の値よりも毎月 03ずつ低下しなければ

ならないので(5)式の定数項 0001 から 0003 を引いて-0002 とするすなわち

tbΔ =-0002-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (7)

とならなければならないここでの系列 y も実際の値から毎月 03ずつ引き下げたも

のを使っているつぎに(7)式の bを(6)式に入れると図 12 のようになる図に見られるよ

うに名目 GDP は安定しかつ小さくなっているすなわち物価が 3 割下落していること

が分かる

37

図 12 物価を下落させた場合

(1) 名目 GDP の目標値とマッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULEXSTAR

XGDP3_RULE

XSTAR_3

注) GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

GDP3_RULE は物価を 3割下げたマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR_3 は物価を 3割下げた場合の目標となる名目 GDP(対数値)

38

(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

参考文献

安達誠司『脱デフレの歴史分析』藤原書店2006 年

飯田泰之岡田靖「第 6章 昭和恐慌と予想インフレ率の推計」岩田[2004]

石橋湛山「金輸出解禁論史」『週刊東洋経済』1929 年 3 月 16 日号

岩田規久男編著『昭和恐慌の研究』東洋経済新報社2004 年

宇都宮浄人「個人消費支出からみた戦間期の景気変動-LTES個人消費支出の再推計-」

日本銀行金融研究所 Discussion Paper No 2007-J-262007 年

小汀利得「速に金解禁を行ふには平価切下の外なし」『週刊東洋経済』1929 年 3 月 16 日号

岡田靖飯田泰之「金融政策の失敗が招いた長期停滞」浜田堀内内閣府経済社会総合

41

研究所編[2004]所収

河合正弘『国際金融と開放マクロ経済学』東洋経済新報社1986 年

経済企画庁「経済白書」1997 年

経済企画庁「経済白書」1999 年

佐藤和夫「戦間期日本のマクロ経済とミクロ経済」中村[1981]所収

サージャントトーマス国府田桂一鹿野嘉昭榊原健一訳『合理的期待とインフレー

ション』東洋経済新報社1988 年 (Sargent J Thomas Rational Expectations and

Inflation Harper amp Row New York 1986)

鎮目雅人「戦間期日本の経済変動と金融政策対応-テイラールールによる評価」『日本銀

行金融研究所『金融研究』2002 年 6 月

鎮目雅人『世界恐慌と経済政策』日本経済新聞出版社2009 年

地主敏樹黒木祥弘宮尾龍蔵「1980 年代後半以降の日本の金融政策政策対応の遅れ

とその理由」三木谷良一アダムポーゼン編『日本の金融危機』2001 年

高橋亀吉『実用経済学』千倉書房1929 年

田中秀臣「経済問題にかかわる雑誌ジャーナリズムの展開」岩田[2004]所収

中村宗悦「金解禁をめぐる新聞メディアの論調」岩田[2004]所収

中村隆英『日本経済 その成長と構造[第 3版]』東大出版会1993 年

中村隆英『戦前期の日本経済分析』山川出版社1981 年

日本銀行百年史編纂委員会『日本銀行百年史』第三巻日本銀行1983 年

浜口雄幸「金融制度の整備と国際貸借について」(『銀行通信録』第 81 巻第 484 号1926 年

5 月 8 日

浜田宏一堀内昭義内閣府経済社会総合研究所編『論争 日本の経済危機』日本経済新

聞社2004 年

深井英五『通貨調節論』日本評論社1928 年

深尾光洋『為替レートと金融市場―変動相場制の機能と評価』東洋経済新報社 1983 年

藤野正三郎『日本の景気循環‐循環的発展過程の理論的統計的歴史的分析』勁草書房

1965 年

原田泰「為替レートはどのように決まるのか-経常収支黒字の影響は小さい」大和総研エ

コノミスト情報2004 年 11 月 4 日

原田泰「昭和恐慌期のマネーと銀行貸出はどちらが重要だったか」内閣府経済社会総合研

究所『経済分析』177 号2005 年 12 月

原田泰香西泰『日本経済 発展のビッグゲーム』東洋経済新報社1987 年

原田泰佐藤綾野中澤正彦「昭和恐慌期の財政政策と金融政策はどちらが重要だったか」

ESRI DP No176 2007 年 3 月(『成城大学経済研究』第 182 号2008 年 11 月掲載)

マッカラムベネットT晝間文彦金子邦彦訳『マクロ金融経済分析‐期待とその影響』

「第 15 章金融政策のためのひとつの戦略」成文堂1997 年 (McCallum Bennett T

Monetary Economics - Theory and Policy Macmillan Publishing Company 1989)

森棟公夫『計量経済学』東洋経済新報社 1999 年

若田部昌澄「「失われた 13 年」の経済政策論争」岩田[2004]所収

42

Baxter M and R G King ldquoMeasuring Business Cycles Approximate Band-Pass Filters

forEconomic Time Seriesrdquo Review of Economics and Statistics 81 (4) pp 575-593

1999

Christiano LJ and TJ Fitzgerald ldquoMonetary Policy Shocks What Have We Learned

and to What End rdquo Chapter 2 in J B Taylor and M Woodford (eds) Handbook

of Macroeconomics Vol1A Amsterdam Elsevier Science Publishers BV 1999

Christiano LJ and TJ Fitzgerald ldquoThe Band Pass Filterrdquo International

Economic Review 44 435-465 2003

Hodrick Robert and Edward C Prescott Postwar US Business Cycles An Empirical

Investigation Journal of Money Credit and Banking 29 pp1-16 1997

McCallum Bennett T ldquoThe case for Rules in the Conduct of Monetary Policy A

Concrete Examplerdquo Federal Reserve Bank of Richmond Economic Review 73

pp10-18 September-October 1987

McCallum Bennett T ldquoRobustness Properties of a Rule for Monetary Policyrdquo

Carnegie-Rochester Conference Series on Public Policy 29 pp173-203 1988

McCallum Bennett T ldquoJapanese Monetary Policy 1991-2001rdquo Federal Reserve Bank

of Richmond Economic Quarterly 89(1) pp1-31 2003

Taylor John B rdquoDiscretion versus Policy Rules in Practicerdquo Carnegie-Rochester

Conference Series on Public Policy 39 pp195-214 1993

  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 35: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

34

-4

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1

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5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT MBDOT

注)BDOT はマッカラムルールの下でのマネタリーべースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(2)マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

35

100000

120000

140000

160000

180000

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220000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC MB_SA

注)MB_SA はマネタリーベース(季節調整済)の現実値

B_MC はマッカラムルールに従った場合のマネタリーベース水準

またマッカラムルールの下でのマネタリーベースの初期値は現実値を使用

単位は万円

(3)マッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

36

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULE XSTAR X

注)GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

43 物価を下落させるシミュレーション

以上の結果はマネタリーベースの伸びを安定的にしていれば経済変動はより少なく

なっていただろうということを示しているしかしもし第 1 次世界大戦前の旧平価で金

本位制に復帰することが目的であったとしたら1節で述べたように物価を 3 割下げな

ければならない名目 GDP(その代理変数)は実質 GDP の変化がないとして1919 年 12

月から 29 年 12 月までに 3割下がらなければならない

そこで名目 GDP(その代理変数) y は現実の値よりも毎月 03ずつ低下しなければ

ならないので(5)式の定数項 0001 から 0003 を引いて-0002 とするすなわち

tbΔ =-0002-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (7)

とならなければならないここでの系列 y も実際の値から毎月 03ずつ引き下げたも

のを使っているつぎに(7)式の bを(6)式に入れると図 12 のようになる図に見られるよ

うに名目 GDP は安定しかつ小さくなっているすなわち物価が 3 割下落していること

が分かる

37

図 12 物価を下落させた場合

(1) 名目 GDP の目標値とマッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

45

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21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULEXSTAR

XGDP3_RULE

XSTAR_3

注) GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

GDP3_RULE は物価を 3割下げたマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR_3 は物価を 3割下げた場合の目標となる名目 GDP(対数値)

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(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

-4

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21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

参考文献

安達誠司『脱デフレの歴史分析』藤原書店2006 年

飯田泰之岡田靖「第 6章 昭和恐慌と予想インフレ率の推計」岩田[2004]

石橋湛山「金輸出解禁論史」『週刊東洋経済』1929 年 3 月 16 日号

岩田規久男編著『昭和恐慌の研究』東洋経済新報社2004 年

宇都宮浄人「個人消費支出からみた戦間期の景気変動-LTES個人消費支出の再推計-」

日本銀行金融研究所 Discussion Paper No 2007-J-262007 年

小汀利得「速に金解禁を行ふには平価切下の外なし」『週刊東洋経済』1929 年 3 月 16 日号

岡田靖飯田泰之「金融政策の失敗が招いた長期停滞」浜田堀内内閣府経済社会総合

41

研究所編[2004]所収

河合正弘『国際金融と開放マクロ経済学』東洋経済新報社1986 年

経済企画庁「経済白書」1997 年

経済企画庁「経済白書」1999 年

佐藤和夫「戦間期日本のマクロ経済とミクロ経済」中村[1981]所収

サージャントトーマス国府田桂一鹿野嘉昭榊原健一訳『合理的期待とインフレー

ション』東洋経済新報社1988 年 (Sargent J Thomas Rational Expectations and

Inflation Harper amp Row New York 1986)

鎮目雅人「戦間期日本の経済変動と金融政策対応-テイラールールによる評価」『日本銀

行金融研究所『金融研究』2002 年 6 月

鎮目雅人『世界恐慌と経済政策』日本経済新聞出版社2009 年

地主敏樹黒木祥弘宮尾龍蔵「1980 年代後半以降の日本の金融政策政策対応の遅れ

とその理由」三木谷良一アダムポーゼン編『日本の金融危機』2001 年

高橋亀吉『実用経済学』千倉書房1929 年

田中秀臣「経済問題にかかわる雑誌ジャーナリズムの展開」岩田[2004]所収

中村宗悦「金解禁をめぐる新聞メディアの論調」岩田[2004]所収

中村隆英『日本経済 その成長と構造[第 3版]』東大出版会1993 年

中村隆英『戦前期の日本経済分析』山川出版社1981 年

日本銀行百年史編纂委員会『日本銀行百年史』第三巻日本銀行1983 年

浜口雄幸「金融制度の整備と国際貸借について」(『銀行通信録』第 81 巻第 484 号1926 年

5 月 8 日

浜田宏一堀内昭義内閣府経済社会総合研究所編『論争 日本の経済危機』日本経済新

聞社2004 年

深井英五『通貨調節論』日本評論社1928 年

深尾光洋『為替レートと金融市場―変動相場制の機能と評価』東洋経済新報社 1983 年

藤野正三郎『日本の景気循環‐循環的発展過程の理論的統計的歴史的分析』勁草書房

1965 年

原田泰「為替レートはどのように決まるのか-経常収支黒字の影響は小さい」大和総研エ

コノミスト情報2004 年 11 月 4 日

原田泰「昭和恐慌期のマネーと銀行貸出はどちらが重要だったか」内閣府経済社会総合研

究所『経済分析』177 号2005 年 12 月

原田泰香西泰『日本経済 発展のビッグゲーム』東洋経済新報社1987 年

原田泰佐藤綾野中澤正彦「昭和恐慌期の財政政策と金融政策はどちらが重要だったか」

ESRI DP No176 2007 年 3 月(『成城大学経済研究』第 182 号2008 年 11 月掲載)

マッカラムベネットT晝間文彦金子邦彦訳『マクロ金融経済分析‐期待とその影響』

「第 15 章金融政策のためのひとつの戦略」成文堂1997 年 (McCallum Bennett T

Monetary Economics - Theory and Policy Macmillan Publishing Company 1989)

森棟公夫『計量経済学』東洋経済新報社 1999 年

若田部昌澄「「失われた 13 年」の経済政策論争」岩田[2004]所収

42

Baxter M and R G King ldquoMeasuring Business Cycles Approximate Band-Pass Filters

forEconomic Time Seriesrdquo Review of Economics and Statistics 81 (4) pp 575-593

1999

Christiano LJ and TJ Fitzgerald ldquoMonetary Policy Shocks What Have We Learned

and to What End rdquo Chapter 2 in J B Taylor and M Woodford (eds) Handbook

of Macroeconomics Vol1A Amsterdam Elsevier Science Publishers BV 1999

Christiano LJ and TJ Fitzgerald ldquoThe Band Pass Filterrdquo International

Economic Review 44 435-465 2003

Hodrick Robert and Edward C Prescott Postwar US Business Cycles An Empirical

Investigation Journal of Money Credit and Banking 29 pp1-16 1997

McCallum Bennett T ldquoThe case for Rules in the Conduct of Monetary Policy A

Concrete Examplerdquo Federal Reserve Bank of Richmond Economic Review 73

pp10-18 September-October 1987

McCallum Bennett T ldquoRobustness Properties of a Rule for Monetary Policyrdquo

Carnegie-Rochester Conference Series on Public Policy 29 pp173-203 1988

McCallum Bennett T ldquoJapanese Monetary Policy 1991-2001rdquo Federal Reserve Bank

of Richmond Economic Quarterly 89(1) pp1-31 2003

Taylor John B rdquoDiscretion versus Policy Rules in Practicerdquo Carnegie-Rochester

Conference Series on Public Policy 39 pp195-214 1993

  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
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21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC MB_SA

注)MB_SA はマネタリーベース(季節調整済)の現実値

B_MC はマッカラムルールに従った場合のマネタリーベース水準

またマッカラムルールの下でのマネタリーベースの初期値は現実値を使用

単位は万円

(3)マッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

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21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULE XSTAR X

注)GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

43 物価を下落させるシミュレーション

以上の結果はマネタリーベースの伸びを安定的にしていれば経済変動はより少なく

なっていただろうということを示しているしかしもし第 1 次世界大戦前の旧平価で金

本位制に復帰することが目的であったとしたら1節で述べたように物価を 3 割下げな

ければならない名目 GDP(その代理変数)は実質 GDP の変化がないとして1919 年 12

月から 29 年 12 月までに 3割下がらなければならない

そこで名目 GDP(その代理変数) y は現実の値よりも毎月 03ずつ低下しなければ

ならないので(5)式の定数項 0001 から 0003 を引いて-0002 とするすなわち

tbΔ =-0002-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (7)

とならなければならないここでの系列 y も実際の値から毎月 03ずつ引き下げたも

のを使っているつぎに(7)式の bを(6)式に入れると図 12 のようになる図に見られるよ

うに名目 GDP は安定しかつ小さくなっているすなわち物価が 3 割下落していること

が分かる

37

図 12 物価を下落させた場合

(1) 名目 GDP の目標値とマッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

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21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULEXSTAR

XGDP3_RULE

XSTAR_3

注) GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

GDP3_RULE は物価を 3割下げたマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR_3 は物価を 3割下げた場合の目標となる名目 GDP(対数値)

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(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

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BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

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200000

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21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

参考文献

安達誠司『脱デフレの歴史分析』藤原書店2006 年

飯田泰之岡田靖「第 6章 昭和恐慌と予想インフレ率の推計」岩田[2004]

石橋湛山「金輸出解禁論史」『週刊東洋経済』1929 年 3 月 16 日号

岩田規久男編著『昭和恐慌の研究』東洋経済新報社2004 年

宇都宮浄人「個人消費支出からみた戦間期の景気変動-LTES個人消費支出の再推計-」

日本銀行金融研究所 Discussion Paper No 2007-J-262007 年

小汀利得「速に金解禁を行ふには平価切下の外なし」『週刊東洋経済』1929 年 3 月 16 日号

岡田靖飯田泰之「金融政策の失敗が招いた長期停滞」浜田堀内内閣府経済社会総合

41

研究所編[2004]所収

河合正弘『国際金融と開放マクロ経済学』東洋経済新報社1986 年

経済企画庁「経済白書」1997 年

経済企画庁「経済白書」1999 年

佐藤和夫「戦間期日本のマクロ経済とミクロ経済」中村[1981]所収

サージャントトーマス国府田桂一鹿野嘉昭榊原健一訳『合理的期待とインフレー

ション』東洋経済新報社1988 年 (Sargent J Thomas Rational Expectations and

Inflation Harper amp Row New York 1986)

鎮目雅人「戦間期日本の経済変動と金融政策対応-テイラールールによる評価」『日本銀

行金融研究所『金融研究』2002 年 6 月

鎮目雅人『世界恐慌と経済政策』日本経済新聞出版社2009 年

地主敏樹黒木祥弘宮尾龍蔵「1980 年代後半以降の日本の金融政策政策対応の遅れ

とその理由」三木谷良一アダムポーゼン編『日本の金融危機』2001 年

高橋亀吉『実用経済学』千倉書房1929 年

田中秀臣「経済問題にかかわる雑誌ジャーナリズムの展開」岩田[2004]所収

中村宗悦「金解禁をめぐる新聞メディアの論調」岩田[2004]所収

中村隆英『日本経済 その成長と構造[第 3版]』東大出版会1993 年

中村隆英『戦前期の日本経済分析』山川出版社1981 年

日本銀行百年史編纂委員会『日本銀行百年史』第三巻日本銀行1983 年

浜口雄幸「金融制度の整備と国際貸借について」(『銀行通信録』第 81 巻第 484 号1926 年

5 月 8 日

浜田宏一堀内昭義内閣府経済社会総合研究所編『論争 日本の経済危機』日本経済新

聞社2004 年

深井英五『通貨調節論』日本評論社1928 年

深尾光洋『為替レートと金融市場―変動相場制の機能と評価』東洋経済新報社 1983 年

藤野正三郎『日本の景気循環‐循環的発展過程の理論的統計的歴史的分析』勁草書房

1965 年

原田泰「為替レートはどのように決まるのか-経常収支黒字の影響は小さい」大和総研エ

コノミスト情報2004 年 11 月 4 日

原田泰「昭和恐慌期のマネーと銀行貸出はどちらが重要だったか」内閣府経済社会総合研

究所『経済分析』177 号2005 年 12 月

原田泰香西泰『日本経済 発展のビッグゲーム』東洋経済新報社1987 年

原田泰佐藤綾野中澤正彦「昭和恐慌期の財政政策と金融政策はどちらが重要だったか」

ESRI DP No176 2007 年 3 月(『成城大学経済研究』第 182 号2008 年 11 月掲載)

マッカラムベネットT晝間文彦金子邦彦訳『マクロ金融経済分析‐期待とその影響』

「第 15 章金融政策のためのひとつの戦略」成文堂1997 年 (McCallum Bennett T

Monetary Economics - Theory and Policy Macmillan Publishing Company 1989)

森棟公夫『計量経済学』東洋経済新報社 1999 年

若田部昌澄「「失われた 13 年」の経済政策論争」岩田[2004]所収

42

Baxter M and R G King ldquoMeasuring Business Cycles Approximate Band-Pass Filters

forEconomic Time Seriesrdquo Review of Economics and Statistics 81 (4) pp 575-593

1999

Christiano LJ and TJ Fitzgerald ldquoMonetary Policy Shocks What Have We Learned

and to What End rdquo Chapter 2 in J B Taylor and M Woodford (eds) Handbook

of Macroeconomics Vol1A Amsterdam Elsevier Science Publishers BV 1999

Christiano LJ and TJ Fitzgerald ldquoThe Band Pass Filterrdquo International

Economic Review 44 435-465 2003

Hodrick Robert and Edward C Prescott Postwar US Business Cycles An Empirical

Investigation Journal of Money Credit and Banking 29 pp1-16 1997

McCallum Bennett T ldquoThe case for Rules in the Conduct of Monetary Policy A

Concrete Examplerdquo Federal Reserve Bank of Richmond Economic Review 73

pp10-18 September-October 1987

McCallum Bennett T ldquoRobustness Properties of a Rule for Monetary Policyrdquo

Carnegie-Rochester Conference Series on Public Policy 29 pp173-203 1988

McCallum Bennett T ldquoJapanese Monetary Policy 1991-2001rdquo Federal Reserve Bank

of Richmond Economic Quarterly 89(1) pp1-31 2003

Taylor John B rdquoDiscretion versus Policy Rules in Practicerdquo Carnegie-Rochester

Conference Series on Public Policy 39 pp195-214 1993

  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 37: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

36

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULE XSTAR X

注)GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

43 物価を下落させるシミュレーション

以上の結果はマネタリーベースの伸びを安定的にしていれば経済変動はより少なく

なっていただろうということを示しているしかしもし第 1 次世界大戦前の旧平価で金

本位制に復帰することが目的であったとしたら1節で述べたように物価を 3 割下げな

ければならない名目 GDP(その代理変数)は実質 GDP の変化がないとして1919 年 12

月から 29 年 12 月までに 3割下がらなければならない

そこで名目 GDP(その代理変数) y は現実の値よりも毎月 03ずつ低下しなければ

ならないので(5)式の定数項 0001 から 0003 を引いて-0002 とするすなわち

tbΔ =-0002-

1 11 ( )36t t tv y yminus minusΔ + minus (7)

とならなければならないここでの系列 y も実際の値から毎月 03ずつ引き下げたも

のを使っているつぎに(7)式の bを(6)式に入れると図 12 のようになる図に見られるよ

うに名目 GDP は安定しかつ小さくなっているすなわち物価が 3 割下落していること

が分かる

37

図 12 物価を下落させた場合

(1) 名目 GDP の目標値とマッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULEXSTAR

XGDP3_RULE

XSTAR_3

注) GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

GDP3_RULE は物価を 3割下げたマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR_3 は物価を 3割下げた場合の目標となる名目 GDP(対数値)

38

(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

参考文献

安達誠司『脱デフレの歴史分析』藤原書店2006 年

飯田泰之岡田靖「第 6章 昭和恐慌と予想インフレ率の推計」岩田[2004]

石橋湛山「金輸出解禁論史」『週刊東洋経済』1929 年 3 月 16 日号

岩田規久男編著『昭和恐慌の研究』東洋経済新報社2004 年

宇都宮浄人「個人消費支出からみた戦間期の景気変動-LTES個人消費支出の再推計-」

日本銀行金融研究所 Discussion Paper No 2007-J-262007 年

小汀利得「速に金解禁を行ふには平価切下の外なし」『週刊東洋経済』1929 年 3 月 16 日号

岡田靖飯田泰之「金融政策の失敗が招いた長期停滞」浜田堀内内閣府経済社会総合

41

研究所編[2004]所収

河合正弘『国際金融と開放マクロ経済学』東洋経済新報社1986 年

経済企画庁「経済白書」1997 年

経済企画庁「経済白書」1999 年

佐藤和夫「戦間期日本のマクロ経済とミクロ経済」中村[1981]所収

サージャントトーマス国府田桂一鹿野嘉昭榊原健一訳『合理的期待とインフレー

ション』東洋経済新報社1988 年 (Sargent J Thomas Rational Expectations and

Inflation Harper amp Row New York 1986)

鎮目雅人「戦間期日本の経済変動と金融政策対応-テイラールールによる評価」『日本銀

行金融研究所『金融研究』2002 年 6 月

鎮目雅人『世界恐慌と経済政策』日本経済新聞出版社2009 年

地主敏樹黒木祥弘宮尾龍蔵「1980 年代後半以降の日本の金融政策政策対応の遅れ

とその理由」三木谷良一アダムポーゼン編『日本の金融危機』2001 年

高橋亀吉『実用経済学』千倉書房1929 年

田中秀臣「経済問題にかかわる雑誌ジャーナリズムの展開」岩田[2004]所収

中村宗悦「金解禁をめぐる新聞メディアの論調」岩田[2004]所収

中村隆英『日本経済 その成長と構造[第 3版]』東大出版会1993 年

中村隆英『戦前期の日本経済分析』山川出版社1981 年

日本銀行百年史編纂委員会『日本銀行百年史』第三巻日本銀行1983 年

浜口雄幸「金融制度の整備と国際貸借について」(『銀行通信録』第 81 巻第 484 号1926 年

5 月 8 日

浜田宏一堀内昭義内閣府経済社会総合研究所編『論争 日本の経済危機』日本経済新

聞社2004 年

深井英五『通貨調節論』日本評論社1928 年

深尾光洋『為替レートと金融市場―変動相場制の機能と評価』東洋経済新報社 1983 年

藤野正三郎『日本の景気循環‐循環的発展過程の理論的統計的歴史的分析』勁草書房

1965 年

原田泰「為替レートはどのように決まるのか-経常収支黒字の影響は小さい」大和総研エ

コノミスト情報2004 年 11 月 4 日

原田泰「昭和恐慌期のマネーと銀行貸出はどちらが重要だったか」内閣府経済社会総合研

究所『経済分析』177 号2005 年 12 月

原田泰香西泰『日本経済 発展のビッグゲーム』東洋経済新報社1987 年

原田泰佐藤綾野中澤正彦「昭和恐慌期の財政政策と金融政策はどちらが重要だったか」

ESRI DP No176 2007 年 3 月(『成城大学経済研究』第 182 号2008 年 11 月掲載)

マッカラムベネットT晝間文彦金子邦彦訳『マクロ金融経済分析‐期待とその影響』

「第 15 章金融政策のためのひとつの戦略」成文堂1997 年 (McCallum Bennett T

Monetary Economics - Theory and Policy Macmillan Publishing Company 1989)

森棟公夫『計量経済学』東洋経済新報社 1999 年

若田部昌澄「「失われた 13 年」の経済政策論争」岩田[2004]所収

42

Baxter M and R G King ldquoMeasuring Business Cycles Approximate Band-Pass Filters

forEconomic Time Seriesrdquo Review of Economics and Statistics 81 (4) pp 575-593

1999

Christiano LJ and TJ Fitzgerald ldquoMonetary Policy Shocks What Have We Learned

and to What End rdquo Chapter 2 in J B Taylor and M Woodford (eds) Handbook

of Macroeconomics Vol1A Amsterdam Elsevier Science Publishers BV 1999

Christiano LJ and TJ Fitzgerald ldquoThe Band Pass Filterrdquo International

Economic Review 44 435-465 2003

Hodrick Robert and Edward C Prescott Postwar US Business Cycles An Empirical

Investigation Journal of Money Credit and Banking 29 pp1-16 1997

McCallum Bennett T ldquoThe case for Rules in the Conduct of Monetary Policy A

Concrete Examplerdquo Federal Reserve Bank of Richmond Economic Review 73

pp10-18 September-October 1987

McCallum Bennett T ldquoRobustness Properties of a Rule for Monetary Policyrdquo

Carnegie-Rochester Conference Series on Public Policy 29 pp173-203 1988

McCallum Bennett T ldquoJapanese Monetary Policy 1991-2001rdquo Federal Reserve Bank

of Richmond Economic Quarterly 89(1) pp1-31 2003

Taylor John B rdquoDiscretion versus Policy Rules in Practicerdquo Carnegie-Rochester

Conference Series on Public Policy 39 pp195-214 1993

  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 38: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

37

図 12 物価を下落させた場合

(1) 名目 GDP の目標値とマッカラムルールの下での名目 GDP と現実の名目 GDP

45

46

47

48

49

50

51

52

53

54

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

GDP_RULEXSTAR

XGDP3_RULE

XSTAR_3

注) GDP_RULE はマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR は目標となる名目 GDP(対数値)

X は観察された実際の名目 GDP(対数値)

GDP3_RULE は物価を 3割下げたマッカラムルールに従った場合の名目 GDP(対数値)

XSTAR_3 は物価を 3割下げた場合の目標となる名目 GDP(対数値)

38

(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

参考文献

安達誠司『脱デフレの歴史分析』藤原書店2006 年

飯田泰之岡田靖「第 6章 昭和恐慌と予想インフレ率の推計」岩田[2004]

石橋湛山「金輸出解禁論史」『週刊東洋経済』1929 年 3 月 16 日号

岩田規久男編著『昭和恐慌の研究』東洋経済新報社2004 年

宇都宮浄人「個人消費支出からみた戦間期の景気変動-LTES個人消費支出の再推計-」

日本銀行金融研究所 Discussion Paper No 2007-J-262007 年

小汀利得「速に金解禁を行ふには平価切下の外なし」『週刊東洋経済』1929 年 3 月 16 日号

岡田靖飯田泰之「金融政策の失敗が招いた長期停滞」浜田堀内内閣府経済社会総合

41

研究所編[2004]所収

河合正弘『国際金融と開放マクロ経済学』東洋経済新報社1986 年

経済企画庁「経済白書」1997 年

経済企画庁「経済白書」1999 年

佐藤和夫「戦間期日本のマクロ経済とミクロ経済」中村[1981]所収

サージャントトーマス国府田桂一鹿野嘉昭榊原健一訳『合理的期待とインフレー

ション』東洋経済新報社1988 年 (Sargent J Thomas Rational Expectations and

Inflation Harper amp Row New York 1986)

鎮目雅人「戦間期日本の経済変動と金融政策対応-テイラールールによる評価」『日本銀

行金融研究所『金融研究』2002 年 6 月

鎮目雅人『世界恐慌と経済政策』日本経済新聞出版社2009 年

地主敏樹黒木祥弘宮尾龍蔵「1980 年代後半以降の日本の金融政策政策対応の遅れ

とその理由」三木谷良一アダムポーゼン編『日本の金融危機』2001 年

高橋亀吉『実用経済学』千倉書房1929 年

田中秀臣「経済問題にかかわる雑誌ジャーナリズムの展開」岩田[2004]所収

中村宗悦「金解禁をめぐる新聞メディアの論調」岩田[2004]所収

中村隆英『日本経済 その成長と構造[第 3版]』東大出版会1993 年

中村隆英『戦前期の日本経済分析』山川出版社1981 年

日本銀行百年史編纂委員会『日本銀行百年史』第三巻日本銀行1983 年

浜口雄幸「金融制度の整備と国際貸借について」(『銀行通信録』第 81 巻第 484 号1926 年

5 月 8 日

浜田宏一堀内昭義内閣府経済社会総合研究所編『論争 日本の経済危機』日本経済新

聞社2004 年

深井英五『通貨調節論』日本評論社1928 年

深尾光洋『為替レートと金融市場―変動相場制の機能と評価』東洋経済新報社 1983 年

藤野正三郎『日本の景気循環‐循環的発展過程の理論的統計的歴史的分析』勁草書房

1965 年

原田泰「為替レートはどのように決まるのか-経常収支黒字の影響は小さい」大和総研エ

コノミスト情報2004 年 11 月 4 日

原田泰「昭和恐慌期のマネーと銀行貸出はどちらが重要だったか」内閣府経済社会総合研

究所『経済分析』177 号2005 年 12 月

原田泰香西泰『日本経済 発展のビッグゲーム』東洋経済新報社1987 年

原田泰佐藤綾野中澤正彦「昭和恐慌期の財政政策と金融政策はどちらが重要だったか」

ESRI DP No176 2007 年 3 月(『成城大学経済研究』第 182 号2008 年 11 月掲載)

マッカラムベネットT晝間文彦金子邦彦訳『マクロ金融経済分析‐期待とその影響』

「第 15 章金融政策のためのひとつの戦略」成文堂1997 年 (McCallum Bennett T

Monetary Economics - Theory and Policy Macmillan Publishing Company 1989)

森棟公夫『計量経済学』東洋経済新報社 1999 年

若田部昌澄「「失われた 13 年」の経済政策論争」岩田[2004]所収

42

Baxter M and R G King ldquoMeasuring Business Cycles Approximate Band-Pass Filters

forEconomic Time Seriesrdquo Review of Economics and Statistics 81 (4) pp 575-593

1999

Christiano LJ and TJ Fitzgerald ldquoMonetary Policy Shocks What Have We Learned

and to What End rdquo Chapter 2 in J B Taylor and M Woodford (eds) Handbook

of Macroeconomics Vol1A Amsterdam Elsevier Science Publishers BV 1999

Christiano LJ and TJ Fitzgerald ldquoThe Band Pass Filterrdquo International

Economic Review 44 435-465 2003

Hodrick Robert and Edward C Prescott Postwar US Business Cycles An Empirical

Investigation Journal of Money Credit and Banking 29 pp1-16 1997

McCallum Bennett T ldquoThe case for Rules in the Conduct of Monetary Policy A

Concrete Examplerdquo Federal Reserve Bank of Richmond Economic Review 73

pp10-18 September-October 1987

McCallum Bennett T ldquoRobustness Properties of a Rule for Monetary Policyrdquo

Carnegie-Rochester Conference Series on Public Policy 29 pp173-203 1988

McCallum Bennett T ldquoJapanese Monetary Policy 1991-2001rdquo Federal Reserve Bank

of Richmond Economic Quarterly 89(1) pp1-31 2003

Taylor John B rdquoDiscretion versus Policy Rules in Practicerdquo Carnegie-Rochester

Conference Series on Public Policy 39 pp195-214 1993

  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 39: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

38

(2) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースの成長率

-4

-3

-2

-1

0

1

2

3

4

5

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

BDOT_3 BDOT MBDOT

注)BDOT_3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの成長率

BDOT はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの成長率

MBDOT は現実のマネタリーベースの成長率

(3) マッカラムルールの下でのマネタリーベースと現実のマネタリーベースのレベル

39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

参考文献

安達誠司『脱デフレの歴史分析』藤原書店2006 年

飯田泰之岡田靖「第 6章 昭和恐慌と予想インフレ率の推計」岩田[2004]

石橋湛山「金輸出解禁論史」『週刊東洋経済』1929 年 3 月 16 日号

岩田規久男編著『昭和恐慌の研究』東洋経済新報社2004 年

宇都宮浄人「個人消費支出からみた戦間期の景気変動-LTES個人消費支出の再推計-」

日本銀行金融研究所 Discussion Paper No 2007-J-262007 年

小汀利得「速に金解禁を行ふには平価切下の外なし」『週刊東洋経済』1929 年 3 月 16 日号

岡田靖飯田泰之「金融政策の失敗が招いた長期停滞」浜田堀内内閣府経済社会総合

41

研究所編[2004]所収

河合正弘『国際金融と開放マクロ経済学』東洋経済新報社1986 年

経済企画庁「経済白書」1997 年

経済企画庁「経済白書」1999 年

佐藤和夫「戦間期日本のマクロ経済とミクロ経済」中村[1981]所収

サージャントトーマス国府田桂一鹿野嘉昭榊原健一訳『合理的期待とインフレー

ション』東洋経済新報社1988 年 (Sargent J Thomas Rational Expectations and

Inflation Harper amp Row New York 1986)

鎮目雅人「戦間期日本の経済変動と金融政策対応-テイラールールによる評価」『日本銀

行金融研究所『金融研究』2002 年 6 月

鎮目雅人『世界恐慌と経済政策』日本経済新聞出版社2009 年

地主敏樹黒木祥弘宮尾龍蔵「1980 年代後半以降の日本の金融政策政策対応の遅れ

とその理由」三木谷良一アダムポーゼン編『日本の金融危機』2001 年

高橋亀吉『実用経済学』千倉書房1929 年

田中秀臣「経済問題にかかわる雑誌ジャーナリズムの展開」岩田[2004]所収

中村宗悦「金解禁をめぐる新聞メディアの論調」岩田[2004]所収

中村隆英『日本経済 その成長と構造[第 3版]』東大出版会1993 年

中村隆英『戦前期の日本経済分析』山川出版社1981 年

日本銀行百年史編纂委員会『日本銀行百年史』第三巻日本銀行1983 年

浜口雄幸「金融制度の整備と国際貸借について」(『銀行通信録』第 81 巻第 484 号1926 年

5 月 8 日

浜田宏一堀内昭義内閣府経済社会総合研究所編『論争 日本の経済危機』日本経済新

聞社2004 年

深井英五『通貨調節論』日本評論社1928 年

深尾光洋『為替レートと金融市場―変動相場制の機能と評価』東洋経済新報社 1983 年

藤野正三郎『日本の景気循環‐循環的発展過程の理論的統計的歴史的分析』勁草書房

1965 年

原田泰「為替レートはどのように決まるのか-経常収支黒字の影響は小さい」大和総研エ

コノミスト情報2004 年 11 月 4 日

原田泰「昭和恐慌期のマネーと銀行貸出はどちらが重要だったか」内閣府経済社会総合研

究所『経済分析』177 号2005 年 12 月

原田泰香西泰『日本経済 発展のビッグゲーム』東洋経済新報社1987 年

原田泰佐藤綾野中澤正彦「昭和恐慌期の財政政策と金融政策はどちらが重要だったか」

ESRI DP No176 2007 年 3 月(『成城大学経済研究』第 182 号2008 年 11 月掲載)

マッカラムベネットT晝間文彦金子邦彦訳『マクロ金融経済分析‐期待とその影響』

「第 15 章金融政策のためのひとつの戦略」成文堂1997 年 (McCallum Bennett T

Monetary Economics - Theory and Policy Macmillan Publishing Company 1989)

森棟公夫『計量経済学』東洋経済新報社 1999 年

若田部昌澄「「失われた 13 年」の経済政策論争」岩田[2004]所収

42

Baxter M and R G King ldquoMeasuring Business Cycles Approximate Band-Pass Filters

forEconomic Time Seriesrdquo Review of Economics and Statistics 81 (4) pp 575-593

1999

Christiano LJ and TJ Fitzgerald ldquoMonetary Policy Shocks What Have We Learned

and to What End rdquo Chapter 2 in J B Taylor and M Woodford (eds) Handbook

of Macroeconomics Vol1A Amsterdam Elsevier Science Publishers BV 1999

Christiano LJ and TJ Fitzgerald ldquoThe Band Pass Filterrdquo International

Economic Review 44 435-465 2003

Hodrick Robert and Edward C Prescott Postwar US Business Cycles An Empirical

Investigation Journal of Money Credit and Banking 29 pp1-16 1997

McCallum Bennett T ldquoThe case for Rules in the Conduct of Monetary Policy A

Concrete Examplerdquo Federal Reserve Bank of Richmond Economic Review 73

pp10-18 September-October 1987

McCallum Bennett T ldquoRobustness Properties of a Rule for Monetary Policyrdquo

Carnegie-Rochester Conference Series on Public Policy 29 pp173-203 1988

McCallum Bennett T ldquoJapanese Monetary Policy 1991-2001rdquo Federal Reserve Bank

of Richmond Economic Quarterly 89(1) pp1-31 2003

Taylor John B rdquoDiscretion versus Policy Rules in Practicerdquo Carnegie-Rochester

Conference Series on Public Policy 39 pp195-214 1993

  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
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39

0

40000

80000

120000

160000

200000

240000

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33

B_MC3 B_MC MB_SA

注)B_MC3 は物価が毎月 03下落した場合のマッカラムルールに従ったマネタリーベー

スの水準

B_MC はマッカラムルールに従ったマネタリーベースの水準

MB_SA は現実のマネタリーベースの水準(季節調整済)

45 小括2‐マッカラムルールの推計から得られた知見

以上の分析から分かったことは以下の通りであるまず第 1 にマネタリーベースの成

長率を名目GDPの望ましい成長率に依存させるマッカラムルールの下で金融政策を行

っていたら戦前期日本の名目 GDP の変動はより緩やかなものとなっていたと推測できる

第 2 に旧平価で金本位制に復帰するとしたら物価を下落させるためにマネタリーベー

スを縮小しなければならなかったが金融政策当局がそのようなことをしていたとは考え

られないことが分かった確かに金融政策に関わる政府高官が金本位制復帰への希望

を述べていたのは事実であるしかしそのために金融を引き締めて物価を下落させる

という政策は行われていなかった旧平価での金本位制への復帰を望みながらそのため

に必要な政策を行わずに金本位制への復帰を実現に移し必要な手立てを取っていなか

ったがゆえに失敗したとしか言いようがない

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

参考文献

安達誠司『脱デフレの歴史分析』藤原書店2006 年

飯田泰之岡田靖「第 6章 昭和恐慌と予想インフレ率の推計」岩田[2004]

石橋湛山「金輸出解禁論史」『週刊東洋経済』1929 年 3 月 16 日号

岩田規久男編著『昭和恐慌の研究』東洋経済新報社2004 年

宇都宮浄人「個人消費支出からみた戦間期の景気変動-LTES個人消費支出の再推計-」

日本銀行金融研究所 Discussion Paper No 2007-J-262007 年

小汀利得「速に金解禁を行ふには平価切下の外なし」『週刊東洋経済』1929 年 3 月 16 日号

岡田靖飯田泰之「金融政策の失敗が招いた長期停滞」浜田堀内内閣府経済社会総合

41

研究所編[2004]所収

河合正弘『国際金融と開放マクロ経済学』東洋経済新報社1986 年

経済企画庁「経済白書」1997 年

経済企画庁「経済白書」1999 年

佐藤和夫「戦間期日本のマクロ経済とミクロ経済」中村[1981]所収

サージャントトーマス国府田桂一鹿野嘉昭榊原健一訳『合理的期待とインフレー

ション』東洋経済新報社1988 年 (Sargent J Thomas Rational Expectations and

Inflation Harper amp Row New York 1986)

鎮目雅人「戦間期日本の経済変動と金融政策対応-テイラールールによる評価」『日本銀

行金融研究所『金融研究』2002 年 6 月

鎮目雅人『世界恐慌と経済政策』日本経済新聞出版社2009 年

地主敏樹黒木祥弘宮尾龍蔵「1980 年代後半以降の日本の金融政策政策対応の遅れ

とその理由」三木谷良一アダムポーゼン編『日本の金融危機』2001 年

高橋亀吉『実用経済学』千倉書房1929 年

田中秀臣「経済問題にかかわる雑誌ジャーナリズムの展開」岩田[2004]所収

中村宗悦「金解禁をめぐる新聞メディアの論調」岩田[2004]所収

中村隆英『日本経済 その成長と構造[第 3版]』東大出版会1993 年

中村隆英『戦前期の日本経済分析』山川出版社1981 年

日本銀行百年史編纂委員会『日本銀行百年史』第三巻日本銀行1983 年

浜口雄幸「金融制度の整備と国際貸借について」(『銀行通信録』第 81 巻第 484 号1926 年

5 月 8 日

浜田宏一堀内昭義内閣府経済社会総合研究所編『論争 日本の経済危機』日本経済新

聞社2004 年

深井英五『通貨調節論』日本評論社1928 年

深尾光洋『為替レートと金融市場―変動相場制の機能と評価』東洋経済新報社 1983 年

藤野正三郎『日本の景気循環‐循環的発展過程の理論的統計的歴史的分析』勁草書房

1965 年

原田泰「為替レートはどのように決まるのか-経常収支黒字の影響は小さい」大和総研エ

コノミスト情報2004 年 11 月 4 日

原田泰「昭和恐慌期のマネーと銀行貸出はどちらが重要だったか」内閣府経済社会総合研

究所『経済分析』177 号2005 年 12 月

原田泰香西泰『日本経済 発展のビッグゲーム』東洋経済新報社1987 年

原田泰佐藤綾野中澤正彦「昭和恐慌期の財政政策と金融政策はどちらが重要だったか」

ESRI DP No176 2007 年 3 月(『成城大学経済研究』第 182 号2008 年 11 月掲載)

マッカラムベネットT晝間文彦金子邦彦訳『マクロ金融経済分析‐期待とその影響』

「第 15 章金融政策のためのひとつの戦略」成文堂1997 年 (McCallum Bennett T

Monetary Economics - Theory and Policy Macmillan Publishing Company 1989)

森棟公夫『計量経済学』東洋経済新報社 1999 年

若田部昌澄「「失われた 13 年」の経済政策論争」岩田[2004]所収

42

Baxter M and R G King ldquoMeasuring Business Cycles Approximate Band-Pass Filters

forEconomic Time Seriesrdquo Review of Economics and Statistics 81 (4) pp 575-593

1999

Christiano LJ and TJ Fitzgerald ldquoMonetary Policy Shocks What Have We Learned

and to What End rdquo Chapter 2 in J B Taylor and M Woodford (eds) Handbook

of Macroeconomics Vol1A Amsterdam Elsevier Science Publishers BV 1999

Christiano LJ and TJ Fitzgerald ldquoThe Band Pass Filterrdquo International

Economic Review 44 435-465 2003

Hodrick Robert and Edward C Prescott Postwar US Business Cycles An Empirical

Investigation Journal of Money Credit and Banking 29 pp1-16 1997

McCallum Bennett T ldquoThe case for Rules in the Conduct of Monetary Policy A

Concrete Examplerdquo Federal Reserve Bank of Richmond Economic Review 73

pp10-18 September-October 1987

McCallum Bennett T ldquoRobustness Properties of a Rule for Monetary Policyrdquo

Carnegie-Rochester Conference Series on Public Policy 29 pp173-203 1988

McCallum Bennett T ldquoJapanese Monetary Policy 1991-2001rdquo Federal Reserve Bank

of Richmond Economic Quarterly 89(1) pp1-31 2003

Taylor John B rdquoDiscretion versus Policy Rules in Practicerdquo Carnegie-Rochester

Conference Series on Public Policy 39 pp195-214 1993

  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 41: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

40

結論

20 年代は金本位制への復帰が議論されていた時代である金本位制に復帰するとは物

価水準を戦前にもどすことであるもちろん他国の物価も上昇しているのだから自国

の物価水準にもどす必要はない他国の物価上昇を勘案して戦前期の物価水準にもどさ

なければならなかった対ドルレートで考えればそれは物価を2~3割低下させること

であった

不思議なことにこのことが全く理解されていなかった戦間期の金融政策をテイラー

ルールで判断すると20 年代はある程度デフレ促進的な政策を行っていたと考えられるが

それは物価を2割から3割低下させるには十分ではなかった30 年までの金融政策は対外

均衡にある程度考慮していたがそれも確実なものではなかったむしろ目立つのは長

期的に物価を下げようという意志や経済状況に合わせて機動的な金融政策を行おうという

意欲ではなく金利を平準化しようという動きであった

またマッカラムルールで判断すると金融政策は景気変動を大きくするものでま

た物価を長期的に引き下げていこうという政策が採られていたとは考えられなかった

当時金本位制とは道徳的に良きものと考えられていたように思われるしかしその

良きものを実現するために物価の下落が必要であると金融政策当局も考えていなかった

ように思われる言葉では物価下落の必要性を示していたかもしれないがその行動では

示さなかったインフレーションが収まる時それが公衆に広く認識され必ず実現する

と理解されれば混乱は小さいということが合理的期待理論によって明らかにされてき

た(例えばサージャント[1988])金本位制への復帰がデフレ政策であることが政策当

局によっても理解されていないのであれば当然に公衆は認識できないこのことがデ

フレ政策である金本位制への復帰の混乱を増幅する要因となったと言えるだろう

金本位制への復帰のためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だったが戦前期の金本位制復帰に関してそのようなことが行われたと

は考えれない今日もはや金本位制は過去のものとなったしかしいかなる政策であ

れそれを成功させるためには明確な政策意図を持ちその政策効果を公衆に率直に訴

えることが必要だという教訓は今日も変わることがないだろう

参考文献

安達誠司『脱デフレの歴史分析』藤原書店2006 年

飯田泰之岡田靖「第 6章 昭和恐慌と予想インフレ率の推計」岩田[2004]

石橋湛山「金輸出解禁論史」『週刊東洋経済』1929 年 3 月 16 日号

岩田規久男編著『昭和恐慌の研究』東洋経済新報社2004 年

宇都宮浄人「個人消費支出からみた戦間期の景気変動-LTES個人消費支出の再推計-」

日本銀行金融研究所 Discussion Paper No 2007-J-262007 年

小汀利得「速に金解禁を行ふには平価切下の外なし」『週刊東洋経済』1929 年 3 月 16 日号

岡田靖飯田泰之「金融政策の失敗が招いた長期停滞」浜田堀内内閣府経済社会総合

41

研究所編[2004]所収

河合正弘『国際金融と開放マクロ経済学』東洋経済新報社1986 年

経済企画庁「経済白書」1997 年

経済企画庁「経済白書」1999 年

佐藤和夫「戦間期日本のマクロ経済とミクロ経済」中村[1981]所収

サージャントトーマス国府田桂一鹿野嘉昭榊原健一訳『合理的期待とインフレー

ション』東洋経済新報社1988 年 (Sargent J Thomas Rational Expectations and

Inflation Harper amp Row New York 1986)

鎮目雅人「戦間期日本の経済変動と金融政策対応-テイラールールによる評価」『日本銀

行金融研究所『金融研究』2002 年 6 月

鎮目雅人『世界恐慌と経済政策』日本経済新聞出版社2009 年

地主敏樹黒木祥弘宮尾龍蔵「1980 年代後半以降の日本の金融政策政策対応の遅れ

とその理由」三木谷良一アダムポーゼン編『日本の金融危機』2001 年

高橋亀吉『実用経済学』千倉書房1929 年

田中秀臣「経済問題にかかわる雑誌ジャーナリズムの展開」岩田[2004]所収

中村宗悦「金解禁をめぐる新聞メディアの論調」岩田[2004]所収

中村隆英『日本経済 その成長と構造[第 3版]』東大出版会1993 年

中村隆英『戦前期の日本経済分析』山川出版社1981 年

日本銀行百年史編纂委員会『日本銀行百年史』第三巻日本銀行1983 年

浜口雄幸「金融制度の整備と国際貸借について」(『銀行通信録』第 81 巻第 484 号1926 年

5 月 8 日

浜田宏一堀内昭義内閣府経済社会総合研究所編『論争 日本の経済危機』日本経済新

聞社2004 年

深井英五『通貨調節論』日本評論社1928 年

深尾光洋『為替レートと金融市場―変動相場制の機能と評価』東洋経済新報社 1983 年

藤野正三郎『日本の景気循環‐循環的発展過程の理論的統計的歴史的分析』勁草書房

1965 年

原田泰「為替レートはどのように決まるのか-経常収支黒字の影響は小さい」大和総研エ

コノミスト情報2004 年 11 月 4 日

原田泰「昭和恐慌期のマネーと銀行貸出はどちらが重要だったか」内閣府経済社会総合研

究所『経済分析』177 号2005 年 12 月

原田泰香西泰『日本経済 発展のビッグゲーム』東洋経済新報社1987 年

原田泰佐藤綾野中澤正彦「昭和恐慌期の財政政策と金融政策はどちらが重要だったか」

ESRI DP No176 2007 年 3 月(『成城大学経済研究』第 182 号2008 年 11 月掲載)

マッカラムベネットT晝間文彦金子邦彦訳『マクロ金融経済分析‐期待とその影響』

「第 15 章金融政策のためのひとつの戦略」成文堂1997 年 (McCallum Bennett T

Monetary Economics - Theory and Policy Macmillan Publishing Company 1989)

森棟公夫『計量経済学』東洋経済新報社 1999 年

若田部昌澄「「失われた 13 年」の経済政策論争」岩田[2004]所収

42

Baxter M and R G King ldquoMeasuring Business Cycles Approximate Band-Pass Filters

forEconomic Time Seriesrdquo Review of Economics and Statistics 81 (4) pp 575-593

1999

Christiano LJ and TJ Fitzgerald ldquoMonetary Policy Shocks What Have We Learned

and to What End rdquo Chapter 2 in J B Taylor and M Woodford (eds) Handbook

of Macroeconomics Vol1A Amsterdam Elsevier Science Publishers BV 1999

Christiano LJ and TJ Fitzgerald ldquoThe Band Pass Filterrdquo International

Economic Review 44 435-465 2003

Hodrick Robert and Edward C Prescott Postwar US Business Cycles An Empirical

Investigation Journal of Money Credit and Banking 29 pp1-16 1997

McCallum Bennett T ldquoThe case for Rules in the Conduct of Monetary Policy A

Concrete Examplerdquo Federal Reserve Bank of Richmond Economic Review 73

pp10-18 September-October 1987

McCallum Bennett T ldquoRobustness Properties of a Rule for Monetary Policyrdquo

Carnegie-Rochester Conference Series on Public Policy 29 pp173-203 1988

McCallum Bennett T ldquoJapanese Monetary Policy 1991-2001rdquo Federal Reserve Bank

of Richmond Economic Quarterly 89(1) pp1-31 2003

Taylor John B rdquoDiscretion versus Policy Rules in Practicerdquo Carnegie-Rochester

Conference Series on Public Policy 39 pp195-214 1993

  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 42: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

41

研究所編[2004]所収

河合正弘『国際金融と開放マクロ経済学』東洋経済新報社1986 年

経済企画庁「経済白書」1997 年

経済企画庁「経済白書」1999 年

佐藤和夫「戦間期日本のマクロ経済とミクロ経済」中村[1981]所収

サージャントトーマス国府田桂一鹿野嘉昭榊原健一訳『合理的期待とインフレー

ション』東洋経済新報社1988 年 (Sargent J Thomas Rational Expectations and

Inflation Harper amp Row New York 1986)

鎮目雅人「戦間期日本の経済変動と金融政策対応-テイラールールによる評価」『日本銀

行金融研究所『金融研究』2002 年 6 月

鎮目雅人『世界恐慌と経済政策』日本経済新聞出版社2009 年

地主敏樹黒木祥弘宮尾龍蔵「1980 年代後半以降の日本の金融政策政策対応の遅れ

とその理由」三木谷良一アダムポーゼン編『日本の金融危機』2001 年

高橋亀吉『実用経済学』千倉書房1929 年

田中秀臣「経済問題にかかわる雑誌ジャーナリズムの展開」岩田[2004]所収

中村宗悦「金解禁をめぐる新聞メディアの論調」岩田[2004]所収

中村隆英『日本経済 その成長と構造[第 3版]』東大出版会1993 年

中村隆英『戦前期の日本経済分析』山川出版社1981 年

日本銀行百年史編纂委員会『日本銀行百年史』第三巻日本銀行1983 年

浜口雄幸「金融制度の整備と国際貸借について」(『銀行通信録』第 81 巻第 484 号1926 年

5 月 8 日

浜田宏一堀内昭義内閣府経済社会総合研究所編『論争 日本の経済危機』日本経済新

聞社2004 年

深井英五『通貨調節論』日本評論社1928 年

深尾光洋『為替レートと金融市場―変動相場制の機能と評価』東洋経済新報社 1983 年

藤野正三郎『日本の景気循環‐循環的発展過程の理論的統計的歴史的分析』勁草書房

1965 年

原田泰「為替レートはどのように決まるのか-経常収支黒字の影響は小さい」大和総研エ

コノミスト情報2004 年 11 月 4 日

原田泰「昭和恐慌期のマネーと銀行貸出はどちらが重要だったか」内閣府経済社会総合研

究所『経済分析』177 号2005 年 12 月

原田泰香西泰『日本経済 発展のビッグゲーム』東洋経済新報社1987 年

原田泰佐藤綾野中澤正彦「昭和恐慌期の財政政策と金融政策はどちらが重要だったか」

ESRI DP No176 2007 年 3 月(『成城大学経済研究』第 182 号2008 年 11 月掲載)

マッカラムベネットT晝間文彦金子邦彦訳『マクロ金融経済分析‐期待とその影響』

「第 15 章金融政策のためのひとつの戦略」成文堂1997 年 (McCallum Bennett T

Monetary Economics - Theory and Policy Macmillan Publishing Company 1989)

森棟公夫『計量経済学』東洋経済新報社 1999 年

若田部昌澄「「失われた 13 年」の経済政策論争」岩田[2004]所収

42

Baxter M and R G King ldquoMeasuring Business Cycles Approximate Band-Pass Filters

forEconomic Time Seriesrdquo Review of Economics and Statistics 81 (4) pp 575-593

1999

Christiano LJ and TJ Fitzgerald ldquoMonetary Policy Shocks What Have We Learned

and to What End rdquo Chapter 2 in J B Taylor and M Woodford (eds) Handbook

of Macroeconomics Vol1A Amsterdam Elsevier Science Publishers BV 1999

Christiano LJ and TJ Fitzgerald ldquoThe Band Pass Filterrdquo International

Economic Review 44 435-465 2003

Hodrick Robert and Edward C Prescott Postwar US Business Cycles An Empirical

Investigation Journal of Money Credit and Banking 29 pp1-16 1997

McCallum Bennett T ldquoThe case for Rules in the Conduct of Monetary Policy A

Concrete Examplerdquo Federal Reserve Bank of Richmond Economic Review 73

pp10-18 September-October 1987

McCallum Bennett T ldquoRobustness Properties of a Rule for Monetary Policyrdquo

Carnegie-Rochester Conference Series on Public Policy 29 pp173-203 1988

McCallum Bennett T ldquoJapanese Monetary Policy 1991-2001rdquo Federal Reserve Bank

of Richmond Economic Quarterly 89(1) pp1-31 2003

Taylor John B rdquoDiscretion versus Policy Rules in Practicerdquo Carnegie-Rochester

Conference Series on Public Policy 39 pp195-214 1993

  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献
Page 43: DP - RIETI · DP RIETI Discussion Paper Series 09-J-025 昭和恐慌期前後の金融政策はどのように行われたのか ―テイラー・ルールとマッカラム・ルールによる解釈―

42

Baxter M and R G King ldquoMeasuring Business Cycles Approximate Band-Pass Filters

forEconomic Time Seriesrdquo Review of Economics and Statistics 81 (4) pp 575-593

1999

Christiano LJ and TJ Fitzgerald ldquoMonetary Policy Shocks What Have We Learned

and to What End rdquo Chapter 2 in J B Taylor and M Woodford (eds) Handbook

of Macroeconomics Vol1A Amsterdam Elsevier Science Publishers BV 1999

Christiano LJ and TJ Fitzgerald ldquoThe Band Pass Filterrdquo International

Economic Review 44 435-465 2003

Hodrick Robert and Edward C Prescott Postwar US Business Cycles An Empirical

Investigation Journal of Money Credit and Banking 29 pp1-16 1997

McCallum Bennett T ldquoThe case for Rules in the Conduct of Monetary Policy A

Concrete Examplerdquo Federal Reserve Bank of Richmond Economic Review 73

pp10-18 September-October 1987

McCallum Bennett T ldquoRobustness Properties of a Rule for Monetary Policyrdquo

Carnegie-Rochester Conference Series on Public Policy 29 pp173-203 1988

McCallum Bennett T ldquoJapanese Monetary Policy 1991-2001rdquo Federal Reserve Bank

of Richmond Economic Quarterly 89(1) pp1-31 2003

Taylor John B rdquoDiscretion versus Policy Rules in Practicerdquo Carnegie-Rochester

Conference Series on Public Policy 39 pp195-214 1993

  • はじめに
  • 1戦間期の日本経済と金本位制復帰への動き
  • 2テイラールールによる金融政策の評価
  • 3拡張テイラールール
  • 4マッカラムルールによる金融政策の評価
  • 結論
  • 参考文献