謎 そ く 奈 る の 弥 在 最 く す 初 一 役 時 街 が の …...奈良・平安時代...

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奈良・平安時代� 古墳時代� 弥生時代� 出雲� 畿内� 北陸� 関東� 15 14 調 調 西 王者を飾った出雲の「玉」 (京都府園部町・園部垣内古墳出土) 畿内の王クラスの古墳からは、おびただしい数 の玉が出土する。近年、理化学的分析により、 垣内古墳の玉のうち勾玉と矢じりの一部が花仙 山産であることがわかった。 日本最大の玉作地帯・玉湯川流域 現在の温泉街を中心として玉作遺跡が集中している。温泉街より手 前が史跡公園。 玉作り工房から見つかった原石・未成品 (松江市・大角山 おおすみやま 遺跡、安来市・大原遺跡:5世紀) 玉作工房跡 たまさくこうぼうあと 公園内から見つかっ た工房跡の1つで、 竪穴 たてあな 住居の中から 多数の玉類未成品 が見つかった。現在 は屋根でおおってあ り、発掘当時の様 子が再現されてい る。 出雲玉作 いずもたまつくり 資料館 (玉湯町玉造) 公園東側の丘の上 にある、全国唯一 の玉専門資料館。 玉作公園内出土の 遺物をはじめ、県内 外の玉作関係遺物 がわかりやすく展示 されている。 玉作湯 たまつくりゆ 神社 (玉湯町玉造) 『出雲国風土記』にも 記載のある神社。玉 作の祖 ・櫛明命神 くしあかたまのみこと どを祀る。境内には 付近から出土し奉納 された玉作出土品の 収蔵庫がある。 全国の産地別・時代別の玉作遺跡 出雲の玉作遺跡の分布 玉作工房内に持ち込まれた碧玉 へきぎょく 原石 (松江市・福富 I 遺跡出土:5~6世紀) 玉作工房内に散らばる未成品 (安来市・大原遺跡出土:5世紀) 玉湯町� 松江市� 宍道湖� 宍道町� 出雲玉作資料館� 花仙山� 報恩寺古墳群� 出雲玉作史跡公園� 玉作湯神社� 宍道湖南部広域農道� 山陰本線� 国道9号線� 報恩寺 ほうおんじ 古墳群 (玉湯町湯町) 真言宗報恩寺の裏山 にある古墳群で、6 基からなる。このう ち4号墳は全長約5 0mの前方後円墳で、 このあたりでは最大 級の大きさ。5世紀 代の古墳で、玉作集 団を支配した豪族の 墓と考えられている。 碧玉製 へきぎょくせい 矢じり 碧玉製勾玉 へきぎょくせいまがたま 写真提供:園部町教育委員会

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Page 1: 謎 そ く 奈 る の 弥 在 最 く す 初 一 役 時 街 が の …...奈良・平安時代 古墳時代 弥生時代 出雲 畿内 北陸 関東 15 14 全 国 最 大 級

奈良・平安時代�

古墳時代�

弥生時代�

出雲� 畿内�

北陸�

関東�

15 14

全国最大級の「玉」生産地

玉作りのメッカ・出雲国

出雲いずも

最大の観光地の一つに、八束やつか

郡玉湯たまゆ

町の玉造温泉

たまつくりおんせんがあります。その温泉

街を望む小高い丘に、「玉作史跡公園

たまつくりしせきこうえん」があります。

「玉」はその妖あや

しい輝きから、古来よりお祭りなどに用いられました。古墳こふん

時代になると、大王おおきみ

から各地の豪族ごうぞく

に与えられる「権威けんい

のシンボル」としての

役割を果たしていたこともありました。この玉を作ることを「玉作たまさく

」または

「玉作たまつく

り」と言い、古代の玉造は、全国における玉作のメッカでした。

玉造で玉作関係の遺物がたくさん拾えることは江戸時代から有名で、大正一

一年(一九二二)に国指定史跡となり、大正一四年(一九二五)には全国でも

初めて、玉作に関する考古学的調査が行われました。発掘調査は昭和四四年

(一九六九)から行われ、玉造史跡公園にはその成果が保存、公開されていま

す。玉

造一帯は、現在でも玉作に関連の深い遺跡や古墳、神社、地名などが数多

く残されています。この一帯こそが、全国最大級の玉作地帯だったのです。

出雲は、古代から玉の生産地として栄えた所です。現

在発見されている古い玉作跡

たまさくあと

は松江市の西川津遺跡

にしかわついせき

で、

弥生やよい

時代前期の玉作遺物が見つかっています。

古墳時代中期までは、出雲は全国でも有力な玉生産地

の一つにすぎませんでした。しかし他地域の玉作が衰え

る古墳時代後期にはいって出雲の玉作は最盛期を迎え、

奈良・平安時代には、もはや出雲でしか玉作は行われな

くなります。なぜ出雲だけが玉生産地として残ったのか、

その理由はまだわかっていませんが、ここには何か大きな

謎がありそうです。

最後まで残った玉作り

出雲でたくさんの玉が作られたことは、発見される遺跡

や遺物から明らかです。しかし、玉作工房からは膨大ぼうだい

な数

の未成品が見つかっているにもかかわらず、不思議なこと

に完成品は一つも出土していません。

近くの古墳から勾玉まがたま

や管玉くだたま

が出土していますが、たいし

た数ではなく、全国的に見ると、むしろ出雲は少ないほう

です。玉作工房で作られた玉の完成品は、いったいどこへ

行ったのでしょうか?

出雲の玉はどこへ行った?

玉作遺跡は八束郡玉湯町玉湯川、松江市忌部いんべ

川付近に

集中しています。これはこの両河川の間に、玉の原石(め

のう、碧玉へきぎょく)の産地である花仙山があることが最大の原因

です。このあたりは、全国でも例のないほど玉作遺跡が集

中している場所なのです。

そのほか安来やすぎ

平野などでも、近年玉作遺跡が数多く見

つかっていますが、原石産地が付近になく、花仙山から原

石を運んで玉作を行っていたと考えられています。

日本でもっとも玉作遺跡が集中する

花仙山

かせんざん

周辺

『出雲国風土記

いずものくにふどき

』や『古語拾遺

こごしゅうい

』などの奈良・平安時代に

書かれた本には、出雲玉作についての記述が見られ、しば

しば忌部いんべ

という言葉が登場します。忌部は今でも松江市に

地名として残っていますが、もともとは朝廷のお祭りの道

具を作ることを職業としている、畿内きない

に住む有力豪族ごうぞく

の姓かばね

でした。この忌部氏は玉の生産にも深く関わっており、出

雲の忌部は、当時の朝廷と深いつながりがあったことをあ

らわしていると考えられます。

文献に書かれた出雲玉作

このように推測すると、出雲で作られた玉は「忌部氏」

を通して中央の朝廷に運ばれ、そこから各地方へ貴重な宝

として配られたようです。近年では玉の石材を理化学的に

分析することで、各地で出土する玉のうち、いくつかは出

雲産であることがわかり、出雲の玉が各地へ配られたこと

が証明されつつあります。

中央へ運ばれた玉

王者を飾った出雲の「玉」(京都府園部町・園部垣内古墳出土)畿内の王クラスの古墳からは、おびただしい数の玉が出土する。近年、理化学的分析により、垣内古墳の玉のうち勾玉と矢じりの一部が花仙山産であることがわかった。

日本最大の玉作地帯・玉湯川流域現在の温泉街を中心として玉作遺跡が集中している。温泉街より手前が史跡公園。

玉作り工房から見つかった原石・未成品(松江市・大角山

おおすみやま

遺跡、安来市・大原遺跡:5世紀)

玉作工房跡たまさくこうぼうあと

公園内から見つかった工房跡の1つで、竪穴たてあな

住居の中から多数の玉類未成品が見つかった。現在は屋根でおおってあり、発掘当時の様子が再現されている。

出雲玉作いずもたまつくり

資料館

(玉湯町玉造)公園東側の丘の上にある、全国唯一の玉専門資料館。玉作公園内出土の遺物をはじめ、県内外の玉作関係遺物がわかりやすく展示されている。

玉作湯たまつくりゆ

神社

(玉湯町玉造)『出雲国風土記』にも記載のある神社。玉作の祖

・櫛明命神くしあかたまのみこと

などを祀る。境内には付近から出土し奉納された玉作出土品の収蔵庫がある。

全国の産地別・時代別の玉作遺跡

出雲の玉作遺跡の分布

玉作工房内に持ち込まれた碧玉へきぎょく

原石(松江市・福富 I遺跡出土:5~6世紀)

玉作工房内に散らばる未成品(安来市・大原遺跡出土:5世紀)

玉湯町� 松江市�

宍道湖�

宍道町�

玉湯川�

出雲玉作資料館�

花仙山�

報恩寺古墳群�

出雲玉作史跡公園�

玉作湯神社�

宍道湖南部広域農道�

県道大東湯町線�

山陰本線�国道9号線�

報恩寺ほうおんじ

古墳群

(玉湯町湯町)真言宗報恩寺の裏山にある古墳群で、6基からなる。このうち4号墳は全長約50mの前方後円墳で、このあたりでは最大級の大きさ。5世紀代の古墳で、玉作集団を支配した豪族の墓と考えられている。

碧玉製へきぎょくせい

矢じり 碧玉製勾玉へきぎょくせいまがたま

写真提供:園部町教育委員会

き な い