風流を楽しむ、 和風住宅ほど 優れた建築はない。なると、『casa...

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風流を楽しむ、 和風住宅ほど 優れた建築はない。 巻 頭エッセイ 「 知ってます? こういうのを『<田>の 字 』っていうんです」 家のあちこちにある古い土壁の、 その補修の見積もりにやって来た年 配の業者の人がそう言った。 「 和 室が4つ、漢 字の『 田 』みたいに 配 置されてるでしょ? それから、床の 間 のある奥 の 部 屋からこっちの 土 間 にかけて、8 畳 、6 畳 、4 畳と並んだつ くり、これは『 八・六・四の三 間 流 れ』ってね」 どうやらぼくのことを、たまたま古い 日本家屋を買ったずぶの素人と思い 込んでいるようだが、まったくその通り だった。話のいちいちに「そうなんです か」と、さも感 心したように相 槌をうっ ていたのは、実 際のところ感 心してい たのだ。 2 0 1 5 年の春 、家を買った。築 8 0 年の、和の赴きたっぷりの日本 家 屋 。 もともと古い 家が 好きだったわけじゃ ない 。たしかに 古いモノにそそられる ことがないではないんだけど、こと家と なると、『Casa BRUTUS』に出てく るような物 件とまではいかなくても、新 しくて、せめて明るく清 潔なのがいい。 トイレだって、断然、ウォシュレット派な のだ。じゃあ、なぜにそんな家を買った かというと、ひとえに周 囲 の 環 境ゆえ だった。町が 近 いわりに 山 の 村 落と いう風 情で、さらには車で5 分も行け ば 泳げる海もある。2 歳と4 歳 の 娘を 育てる環 境としても申し分なかった。 自慢できる話じゃないが 、物 件を見た その日のうちに不 動 産 屋さんに購 入 の 意 志を伝えた。それから8カ月後 、 人生で初めて絵に描いたような和風 住 宅に住むことになった。 正 直 、冬は寒い。とくに朝 方はしび れるようで、一 度 洗 面 所の蛇 口の先 からつららがぶら下がっているのを見 たこともある。でも、冬というのは寒い ものなのだ。最 新 の 住 環 境では、通 年 、家 の 中を同じ気 温 に保 つらしい が 、快 適ならすべてよしというのはい かがなものか。明 治 時 代 の 文 人・斎 藤 緑 雨はこうおっしゃっている、「 風 流は寒きものなり」と。 冬以外の季節に関しては、強がる ことなく、いたって機 能 的だと言える。 真 夏 、外 の 気 温が 3 5 ℃を超える猛 暑日も、家のなかに入れば外の暑さ が嘘のようにひんやり涼しい。陽の差 し込みを避ける深い軒や、たっぷりの 土を使った壁と屋根の構造が理想 的な断 熱をもたらしている、らしい。 機能の面では、和風住宅には日本 人 の 知 恵と技 術が 集 積されている。 しかし、ぼくは機 能ではなく、家のあち こちで感じる日本人の細やかな感性 が和風住宅の一番の魅力だと思っ ている。たとえば「雪見障子」。ただ雪 を見たければ、障子を開ければすむ。 でも、それを無 粋として、障 子の下 半 分に細 工を施して窓を出 現させる。な んという風 流! この 季 節 への 鋭 敏 な感性は、「簾戸(すど)」という、すだ れをはめこんだ障 子 戸 にも見てとれ る。葦を使っていることから「 葦 戸(よ しど)」とも呼ばれるそれは夏 用 の 障 子戸で、毎年梅雨の前後に入れ替 える。実 際 、葦の細かな隙 間から風が 通るのだが 、これが 効 用を発 揮する のはむしろその外 観だ。目で涼をとる、 そんな感 性 の 鋭さにはほとほと感 嘆 するしかない。 住 宅 同 様 、日本 人が長 年 培った技 術 の 集 積と言えるのが 畳である。世 界 中のどこを探しても、これだけ安 全 かつ 気 候 や 風 土 にぴったりマッチし た床 材はないんじゃないだろうか。同 時にこれが 畳 のスゴいところで 面白いところ 畳は縁をともなうこ とによって、畳の強 度を増すだけでな く、雪 見 障 子や簾 戸と本 質を同じくす るものを、つまり、畳 に 風 流という価 値をもたらすのだ。 夏の午 後 、そんな畳の上でごろりと 横になって、うぶ 毛を撫でられている ような、やわらかな風を感じながらまど ろむ。日本 の 家がもたらしてくれるこ の 至 福 の 時 間は、しかし、幼い 娘が ふたりもいてはひと夏に二 度あるかな いか。当の娘たちは風流を解するわ けもなく、夏であろうが 冬であろうが 、 <田>の字と八・六・四を走り回って いる。とはいえ、彼 女たちが 畳の上を 裸足で走る音も実は悪くない。我が 家なりの風 流と言っておこう。 赤星 豊 あかほし・ゆたか/ライター・編集者。2015年 に岡山県浅口市に移る。日々の生活をつづっ た『 鴨 方 町 六 条 院回覧 板 』をウェブマガジン 『コロカル』(マガジンハウス)にて連載中。 5

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Page 1: 風流を楽しむ、 和風住宅ほど 優れた建築はない。なると、『Casa BRUTUS』に出てく るような物件とまではいかなくても、新 しくて、せめて明るく清潔なのがいい。トイレだって、断然、ウォシュレット派な

風流を楽しむ、和風住宅ほど優れた建築はない。

巻頭エッセイ

「知ってます? こういうのを『<田>の

字』っていうんです」

 家のあちこちにある古い土壁の、

その補修の見積もりにやって来た年

配の業者の人がそう言った。

「和室が4つ、漢字の『田』みたいに

配置されてるでしょ? それから、床の

間のある奥の部屋からこっちの土間

にかけて、8畳、6畳、4畳と並んだつ

くり、これは『八・六・四の三間流

れ』ってね」

 どうやらぼくのことを、たまたま古い

日本家屋を買ったずぶの素人と思い

込んでいるようだが、まったくその通り

だった。話のいちいちに「そうなんです

か」と、さも感心したように相槌をうっ

ていたのは、実際のところ感心してい

たのだ。

 2015年の春、家を買った。築80

年の、和の赴きたっぷりの日本家屋。

もともと古い家が好きだったわけじゃ

ない。たしかに古いモノにそそられる

ことがないではないんだけど、こと家と

なると、『Casa BRUTUS』に出てく

るような物件とまではいかなくても、新

しくて、せめて明るく清潔なのがいい。

トイレだって、断然、ウォシュレット派な

のだ。じゃあ、なぜにそんな家を買った

かというと、ひとえに周囲の環境ゆえ

だった。町が近いわりに山の村落と

いう風情で、さらには車で5分も行け

ば泳げる海もある。2歳と4歳の娘を

育てる環境としても申し分なかった。

自慢できる話じゃないが、物件を見た

その日のうちに不動産屋さんに購入

の意志を伝えた。それから8カ月後、

人生で初めて絵に描いたような和風

住宅に住むことになった。

 正直、冬は寒い。とくに朝方はしび

れるようで、一度洗面所の蛇口の先

からつららがぶら下がっているのを見

たこともある。でも、冬というのは寒い

ものなのだ。最新の住環境では、通

年、家の中を同じ気温に保つらしい

が、快適ならすべてよしというのはい

かがなものか。明治時代の文人・斎

藤緑雨はこうおっしゃっている、「風

流は寒きものなり」と。

 冬以外の季節に関しては、強がる

ことなく、いたって機能的だと言える。

真夏、外の気温が35℃を超える猛

暑日も、家のなかに入れば外の暑さ

が嘘のようにひんやり涼しい。陽の差

し込みを避ける深い軒や、たっぷりの

土を使った壁と屋根の構造が理想

的な断熱をもたらしている、らしい。

 機能の面では、和風住宅には日本

人の知恵と技術が集積されている。

しかし、ぼくは機能ではなく、家のあち

こちで感じる日本人の細やかな感性

が和風住宅の一番の魅力だと思っ

ている。たとえば「雪見障子」。ただ雪

を見たければ、障子を開ければすむ。

でも、それを無粋として、障子の下半

分に細工を施して窓を出現させる。な

んという風流! この季節への鋭敏

な感性は、「簾戸(すど)」という、すだ

れをはめこんだ障子戸にも見てとれ

る。葦を使っていることから「葦戸(よ

しど)」とも呼ばれるそれは夏用の障

子戸で、毎年梅雨の前後に入れ替

える。実際、葦の細かな隙間から風が

通るのだが、これが効用を発揮する

のはむしろその外観だ。目で涼をとる、

そんな感性の鋭さにはほとほと感嘆

するしかない。

 住宅同様、日本人が長年培った技

術の集積と言えるのが畳である。世

界中のどこを探しても、これだけ安全

かつ気候や風土にぴったりマッチし

た床材はないんじゃないだろうか。同

時に̶これが畳のスゴいところで

面白いところ̶畳は縁をともなうこ

とによって、畳の強度を増すだけでな

く、雪見障子や簾戸と本質を同じくす

るものを、つまり、畳に風流という価

値をもたらすのだ。

 夏の午後、そんな畳の上でごろりと

横になって、うぶ毛を撫でられている

ような、やわらかな風を感じながらまど

ろむ。日本の家がもたらしてくれるこ

の至福の時間は、しかし、幼い娘が

ふたりもいてはひと夏に二度あるかな

いか。当の娘たちは風流を解するわ

けもなく、夏であろうが冬であろうが、

<田>の字と八・六・四を走り回って

いる。とはいえ、彼女たちが畳の上を

裸足で走る音も実は悪くない。我が

家なりの風流と言っておこう。

赤星 豊あかほし・ゆたか/ライター・編集者。2015年に岡山県浅口市に移る。日々の生活をつづった『鴨方町六条院回覧板』をウェブマガジン

『コロカル』(マガジンハウス)にて連載中。

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