苦節22年 わいわい通信 六月十九日 五月十五日 吉幸真打昇進 ·...

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苦節22年 吉幸真打昇進 退退

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五月十五日  野田病院

六月十九日    

 鈴木屋

住宅 水回りの

リフォームは

浅野さく泉管工

野田市横内

水明荘

野田市瀬戸八三五―一

櫻木神社

野田市桜台二一〇

法事・宴会

初詣・七五三・婚礼

◎年会員募集中

わいわい亭では、寄席の維持のた

めに、会費一万円で年会員を募集

しています。

●わいわい亭年会員特典

・会員カードの発行(貸借可)

・一年間、我孫子、野田、双方の

寄席「わいわい亭」にカード持参

のお一人フリーパス

・「わいわい通信」の送付

・「両国寄席」番組表送付

・その他随時にあり

お申込はわいわい亭受付でどうぞ

*野田わいわい亭の会場募集

 

会場月替わりというシステムが

特色の野田わいわい亭ですが、会

場を提供してくれるところを広く

募集しています。

・会場費が発生しないこと

・楽屋が設けられること

・オープンスペースでないこと

・特定の人だけの空間でないこと

などが主な条件です。

詳しくは、寄席会場で世話人にお

尋ね下さい。

わいわい亭出演者の出前

 

わいわい亭という形ではなく、

買取公演という出前も致します。

出前料金は、出演者の顔ぶれと人

数によって異なりますので「いく

ら」という漠然とした質問には答

えられません。日時、全体の時間、

予算をお知らせ下さい。

小円朝の父親の円之助師匠のこと

もよく知る人物。

 「小円朝さんのことは生まれる

前から知ってる、私の子供の誰よ

りも若いのに、残念でなりません」

という言葉のあとに『乾杯』の発

声。通常ならこういう会では『献

杯』なのだが、無類の酒好きなが

ら、療養のために半年断酒してい

た故人も一緒に呑みたいだろうか

ら、ということで、敢えて『乾杯』。

 この後、歓談、食事の時間なの

だが、スクリーンには故人の高座

姿がダイジェストで紹介される。

 『天狗裁き』『強情灸』『かつぎ

屋』等、中でも『天狗裁き』は金

太郎さんに野田わいわい亭の楽屋

で稽古をつけてもらって、にっか

ん飛切落語会で奨励賞を取ったも

のだ。

 そしてまた、東大落語研究会O

Bの別れの言葉。

 次に落語家仲間の話。

 落語協会代表は大先輩の金原亭

世之介師匠。

 小円朝が落語協会の前座で、柳

家さんぽ時代のことを話す。

 落語芸術協会代表は三遊亭遊史

郎師匠。

 後輩の立場から、芸の上で参考

にしたところを話す。

 極めつけは、落語協会時代の仲

間の林家久蔵師匠。

 太鼓がやたらとうまかったこと

や、合コンのこと、落語合宿のこ

とを話す。どうやらこの合コンの

おかげで彼の今があるようだ。

 会の結びは円橘師匠。父親の弟

弟子であり、みずからの師匠であ

る、無二の人物。

 好きな酒を断って、回りの尽力

で「小円朝再生落語会」を始めて

再生途中だったのに、残念でなら

ない、と語った。

 

わいわい通信第貳百六十号

平成丗一年四月三日

編集人・三遊亭とん楽

苦節22年吉幸真打昇進

 この春、公益社団法人落語芸術

協会で新真打が誕生しました。

 瀧川鯉斗 (瀧川鯉昇門下)

 三遊亭藍馬(橘ノ双葉改め

       三遊亭円馬門下)

 立川吉幸 (立川談幸門下)

の三人です。

 三人のうち吉幸君は前座の頃か

らわいわい亭に来ていました。

 

その頃の名は「快楽亭ブラ房」

と言いました。

 以前にも紹介しましたが、ブラ

房から吉幸になる、回り道の人生

を紹介しましょう。

*立川吉幸(渡辺正美)

 昭和四十八年、千葉県勝浦市生

  まれ、県立勝浦高校卒

 平成九年、快楽亭ブラック師匠

  に入門、ブラ房を名乗る

  この当時、落語立川流は、二

  ツ目、真打への昇進は試験制

  だったが、受験の機会に恵ま

  れずに過ごす

 平成十七年、師匠が落語立川流

  を除名になったのを機に立川

  談幸師匠の門下に移籍、立川

  吉幸と改名する

  これを機に、談幸師匠の口き

  きで、五代目円楽一門会が運

  営する「両国寄席」で修行を

  始める

 平成十九年、入門十年目にして

 ようやく二つ目昇進

 平成二十六年十二月三十一日を

  もって談幸師匠が落語立川流

  

  を退会し、これに追随して退

  会することになった

 平成二十七年一月、談幸師匠落

  語芸術協会に入会

 同四月、師匠が移籍した落語芸

  術協会に『前座』として登録

  される。

  立川流の二ツ目は、認めても

  らえず、前座からとなった。

 

平成二十八年四月、落語芸術

  協会の二ツ目に昇進。

 

平成三十一年四月、二十二年

  目にして真打昇進。

同時昇進の他の二人の入門が、

平成十七年なので、平成九年入

門の吉幸君は、八年も回り道を

したことになりますね。

● 金遊師匠逝く

 新真打誕生の一方で、同じ落語

芸術協会所属の三遊亭金遊師匠の

急逝が報じられました。

 三月二十三日、惣領弟子の金の

助君の地元の岡山で「三遊亭金の

助二ツ目昇進落語会」の高座を勤

め、打ち上げにも元気に参加し

ていましたが、二十四日朝に部屋

に迎えに行くと、既に帰らぬ人に

なっていたということです。

 

師匠は佐原の出身で、昭和

四十五年に四代目三遊亭圓遊師匠

に入門、同四十九年に二ツ目昇進、

同六十年真打昇進。

 もう一人の弟子の金かん君は去

年の十月に我孫子へ来ました。

科歯田山

目丁三柏市柏

ルパンコ

やみと

一―八―四柏市柏

ルビ子金

茶喫

回三廿百二第

組番亭いわいわ子孫我

演開半時五)日(日一十二月

 

番一口開

     

郎太南

 

」黒大の金黄「

   

神 楽

 

」魚金と猫「

    

楽んと

 

」茶の事法「

    

愛 楽

 

   

り入中

 

」俵芋「

 

  

   

楽 松

 

」祭佃「

 

     

六助小

 

すで)日(九十月五は回次

日三月

   

幡八台堤

    

売販類酒当弁

しな

    

楽んと亭遊三

愛亭遊三

 楽

神亭遊三

 楽満豊栄亭遊三出 演

日五十月

  

院病田野

日九十月

    

処んめ

生先るきでの話手

金太郎 http://e-warai.com/ とん楽 http://www.maroon.dti.ne.jp/tonraku/神楽 http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Stage/6622/

とこの匠師助之円の親父の朝円小

 

るれま生はとこのんさ朝円小「

の』杯乾『にとあの葉言ういと

発献『はで会ういうこらな常通

かうろだいたみ呑に緒一も人故た

  

ぎつか『』灸情強『』き裁狗天『』

屋楽の亭いわいわ田野にんさ郎太

 

O会究研語落

  

表代会協語落

金の輩先大は

亭原

  

遊亭遊三は表代会協術芸語落

  

久家林の間

   

会語落生再朝円小「で

てめ始を」

 

朝円小

会のれ別お

 

が会のれ別おの朝円小亭遊三目

  

飾が影遺に壇祭たし模を座高

   

 

      

好」呈贈賞労功席寄国両に次「

 

寄「らか匠師楽円小たし壇登

どな法作の屋楽や物り鳴の席寄

いと」すまり贈てえ讃をとこた

 

学大京東

 

第二百三十三回野田わいわい亭