志賀直哉と奈良 円弧状の仕上げ刃を持つ旋削用チップの切削 ......shiga...
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円弧状の仕上げ刃を持つ旋削用チップの切削性能
和田 任弘 ・ 中西 順*
Cutting Performance of a Turning Insert having an Arc-shaped Finishing Edge
Tadahiro Wada and Jun Nakanishi*
粉粉体および粉末冶金 56 巻、11 号、(2009)、668-671
切削仕上げ面の特性は,仕上げ面粗さ,うねり,加工変質層,残留応力などを媒体として評価できるが,仕上げ面粗さは,摩擦,摩耗,密閉,漏洩など表面の接触問題を考える上で非常に重要となる.旋削では,理想的な仕上げ面粗さは工具刃部形状と送り S によって決まる.例えば,刃部にコーナ半径rを有する片刃バイト(横切れ刃角 0°)を用い,2 rより低い送り S で旋削した場合,仕上げ面粗さの理論値(最大高さ R z)は,S 2 /(8r) で近似できる.このため,良好な切削仕上げ面を得るには,送りを低くするか,コーナ半径を大きくすることが有効である.送りを低くすると,作業能率の低下や切りくずが薄く柔軟になるため切りくず処理性が低下する.コーナ半径を大きくすれば高送りで切削することができる.しかし,シャフトなどの段付軸は旋削によって加工される場合も多く,隅 R を持つ段付軸を加工する場合,段差には工具刃部の円弧が転写される.このため,バイトのコーナ半径を隅 R と同じ,あるいは小さくする必要があり,コーナ半径は機械部品の隅Rから制限を受ける.そこで,横切れ刃直線部とコーナ,および前切れ刃直線部とコーナの接線部に直線状の仕上げ刃(ワイパー刃,さらい刃の名称で呼ばれている.)を設けた工具が市販されている.特に,外周旋削では,前切れ刃側に設けた仕上げ刃は,高送り旋削でも良好な仕上げ面が得られる.しかし,この方法では,加工プログラムの修正や,隅 R
切削では加工プログラムの修正やコーナ半径の補正が必要になる. 本研究では,前切れ刃とコーナの接線部に円弧状の仕上げ刃を設けたバイト,すなわちコーナ部が 2 つの円弧からなるバイトを考案した.次に,このバイトで,SKD11 焼なまし材の旋削を行い,仕上げ面粗さ,切削抵抗,工具摩耗を調べた. 得られた主な結果は次の通りである.
(1) 円弧状の仕上げ刃を持つチップの仕上げ面粗さは,通常のチップに比べ小さかった.また,仕上げ面粗さは,前切れ刃側の半径Rが大きい方が小さかった.
(2) 円弧状の仕上げ刃を持つチップの摩耗進行は,通常のチップに比べ,やや遅かった.
(3) 前切れ刃側の円弧 R は切削抵抗に影響を及ぼさなかった.
以上のことから,円弧状の仕上げ刃を持つ旋削用チップは,送りを高くして旋削することができるので,作業能率(切りくず処理性も含めて)向上に有効であることが分かった.
謝 辞
旋削用チップの刃部成形にご協力いただきました(株)タンガロイに感謝の意を表します.
円弧状の仕上げ刃を持つ旋削用チップの切削性能
* 奈良高専 専攻科- 1 -
志賀直哉と奈良
―あるいは自己への態度―
武
田
充
啓
SHIGA Naoya and Nara:Attitudes towards the self inSHIGA Naoya's life and works
TAKEDA Mitsuhiro
はじめに
このたび志賀直哉の作品の幾つかを読み直す機会があり、志賀は、近年私が
中心的に扱ってきた夏目漱石の〈自己〉に関する問題を、彼なりに引き継いで
問いかけた文学者であったと改めて思った次第である。直哉は、やはり漱石文
学の後継者の一人なのである。
明治十六(一八八三)年生まれの志賀は、慶応三(一八六七)年生まれの漱
石と比べると十六歳年少である。時代を考えると、子供の世代というよりは、
年の離れた兄弟として通用する程度の差かもしれない。しかしこの年齢差は、
対西欧文化という視点から見ると、意外に大きいのではないか。例えば個人主
義に対する構えなど、漱石と直哉では全く異なっている。留学時代の学問との
悪戦苦闘を通じてようやく自己を発見し、しかし創作においてその自己を相対
化し続けねばならなかった漱石と違い、直哉は創作の最初から自己を手にして
いて、しかもそれを素直に肯定するところから出発することができている。し
かし志賀の子供の世代といってよい、例えば亀井勝一郎*1はどうか。明治四十
(一九○七)年生まれの亀井にとって、自己はもはや自明のものではなく、ま
ずは否定すべきものとして始めなければならなかったのである。
ここで取り扱うのはしかし、近代日本文学者における個人主義受容の歴史的
変遷ではない。漱石文学における〈自己〉の問題が、どのように引き継がれた
か、あるいはどのように引き継がれなかったか、という問題である。奈良に生
活した時代の志賀直哉とその作品について、漱石文学の大きな核となる二つの
思想である「自己本位」と「(則天)去私」の視点から考察する。
志賀はどのように奈良に向き合い、どのようにその自己を見つめ直し、それ
らをどう「本位」や「去私」として表現したのか。直哉が書き残したものを読
み直すことで、その自己肯定がめぐる行程をたどり、志賀直哉の〈自己〉への
態度を、できれば彼の小説において工夫された方法として、切り出してみたい
と思う。
一 自己肯定の行き着くところ
志賀直哉は〈自己〉をどうとらえていたのか。明治四十五(一九一二)年に
志賀直哉と奈良 ―あるいは自己への態度―
94 奈良工業高等専門学校 研究紀要 第46号(2010)