国際経済法の現状 -...

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司会 それでは本日は法学会ということで「国際経済法の現状,TPP を中心に」という ことで米谷先生の方からご講演をお願いしています。開会に先立ちまして学部長の山本 先生の方からお話があります。 山本 皆さん,お早うございます。本日はご多忙の中,米谷先生には本会に参加し講師 を務めていただきまして心よりお礼申し上げます。米谷先生は国際経済法に詳しい本業 は弁護士で,海外でもいろいろご活躍,特に実務の面で非常に経験を豊富に持たれてお ります。新聞等で TPP の話は出てきますけど,協議内容が公表されていないということ もあって,我々にはちょっとわかりにくい所もありますが,今日はそのあたりを詳しく 聞けるのではないかと思っておりますので,それではよろしくお願いいたします。 米谷 お早うございます。米谷と申します。法政大学法科大学院で国際経済法を教えて おります。講義ではこれだけたくさんの人数が集まることはなく,TPP や国際経済法に 非常に関心をもっていただいていると知り,たいへんうれしく思っております。 この TPP ですが,ニュースなどでよく取り上げられる割に,内容の報道は断片的です。 農産品について関税が引き下げられて日本の農産物が壊滅する,といった記事が調べれ ば一番最初に出てくると思います。最近ではあまり言われなくなりましたが,その次に 新聞などで出てくるのが,医療保険制度が崩壊するのではないかということだと思いま 国際経済法の現状 ―― TPP を中心に ―― 213(317)

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Page 1: 国際経済法の現状 - 香川大学shark.lib.kagawa-u.ac.jp/kuir/file/27867/20170818210754/...司会 それでは本日は法学会ということで「国際経済法の現状,TPPを中心に」という

司会 それでは本日は法学会ということで「国際経済法の現状,TPPを中心に」ということで米谷先生の方からご講演をお願いしています。開会に先立ちまして学部長の山本先生の方からお話があります。

山本 皆さん,お早うございます。本日はご多忙の中,米谷先生には本会に参加し講師を務めていただきまして心よりお礼申し上げます。米谷先生は国際経済法に詳しい本業は弁護士で,海外でもいろいろご活躍,特に実務の面で非常に経験を豊富に持たれております。新聞等で TPPの話は出てきますけど,協議内容が公表されていないということもあって,我々にはちょっとわかりにくい所もありますが,今日はそのあたりを詳しく聞けるのではないかと思っておりますので,それではよろしくお願いいたします。

米谷 お早うございます。米谷と申します。法政大学法科大学院で国際経済法を教えております。講義ではこれだけたくさんの人数が集まることはなく,TPPや国際経済法に非常に関心をもっていただいていると知り,たいへんうれしく思っております。この TPPですが,ニュースなどでよく取り上げられる割に,内容の報道は断片的です。農産品について関税が引き下げられて日本の農産物が壊滅する,といった記事が調べれば一番最初に出てくると思います。最近ではあまり言われなくなりましたが,その次に新聞などで出てくるのが,医療保険制度が崩壊するのではないかということだと思いま

講 演

国際経済法の現状―― TPPを中心に――

米 谷 三 以

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す。それから今でも言われることとして,ISDS,日本語では,投資家対政府仲裁手続,英語では Investor-State Dispute Settlementが導入されることがあります。これによって外国投資家が投資受入国の政府を,国内の環境規制ですとか,商品の安全基準ですとか,そういったものがたとえば差別的であるということで訴えて,その結果政府が損害賠償を支払わなければならなくなることがあり得ます。日本政府が訴えられることもあり得ますが,これは一種の主権を侵害するので問題ではないかということが報道されたり,あるいは識者の意見として取り上げられたりしています。そういった形で断片的には情報が出てきているのですが,全体として非常にぶ厚い文書であり,もちろん報道されている情報だけ見ても全部ではなくて,一部でしかなく,このほかにも各国のいろいろな地域に関する点もあり,全体像を理解するのはなかなか難しい所があります。であるがゆえによけい,TPPは得体のしれないもののように思われているのではないかと思いますが,そんな事はありません。きちんと見ていけば,何が書かれているか分かるし,今後どうしなければならないか,どういうものであって今後どのように使わなければならないか,ということもわかるので,今日はそうした作業の手がかりになるようなことをお話しできればと思っております。この TPPというのは,政府の発表資料で TPPを一言で書くとこうなるということな

んですけれども,最初のスライドに書いたように,物の関税だけでなく,サービス貿易,投資の自由化を進め,更には知的財産,電子商取引,国有企業の規律,環境など,幅広

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い分野で21世紀型のルールを構築する経済連携協定と説明されます。これだけではなかなかイメージがつかみにくいと思いますが,物の関税,サービス貿易,投資の自由化というものがメインなんだけれども,それだけではなくて,知的財産,電子商取引,国有企業の規律,環境となってきますと,経済のあらゆる部分について,幅広い分野について21世紀型,まあ,21世紀型のルールというのも何を意味しているのか分かりにくいところもありますが,要するに新しい,これまでと違うルールを作ろうとしているものであるということが見て取れると思います。これはどの範囲で合意されたか。環太平洋の12カ国,英語では環太平洋ではなくて

トランス,太平洋の向こう側とこちら側ですが,米国と日本,オーストラリア,カナダ,メキシコ,チリ,ペルー,ニュージーランド,ベトナム,マレーシア,ブルネイ,シンガポールが入っています。経済圏としては非常に大きくて,世界の GDPの40%を占めています。これはアメリカが入っていることが大きい。GDP比と比べると,人口比では世界の1割を占めるに留まります。たとえば中国,インド,ブラジルが入っていませんし,インドネシアも入っていませんので人口比ではまだまだで1割に止まります。また,ヨーロッパも入っていません。全世界をカバーするものではありません。しかし,世界全体の GDPの4割という世界経済の相当部分を占める経済圏において,共通のルールが作られたという意味で,非常に大きな意義を有するものであります。モノの関税撤廃,投資の自由化,サービスの自由化ということでいいますと,すでに国際的な枠組みは存在しており,この TPPでそれが初めて作られたというわけではありません。貿易の分野ではWTOがあります。投資の分野では,これはマスメディア等ではあまり取り上げられないので,お聞きになったことはないかもしれませんが,投資協定が二国間で,たとえば日本と中国,日本と韓国,あるいは日本とインドネシア,日本とロシアとか,といった二国間でたくさん結ばれておりまして,ネットワーク状に発展しています。WTOは世界164か国,地域,ほとんど世界中をカバーしている条約です。これに対して投資協定は世界中のほとんどの国が何らかの形で参加していますが,世界中どの国とどの国の間にもあるかというと,必ずしもそうではない。全部で3,000以上になっていますが,世界の国は200近くありますので,世界中で提携しようとすると,200×199ですか,40,000くらいの数の投資協定が必要になるわけです。そこまではいかないにせよ,現時点では3,000くらいまで投資協定のネットワークがすでにあるわけです。こういったものの上に TPPは成り立っていますので,加えて TPPで合意されている

こと,書かれていることの多くの部分は,このWTOですとか,あるいは既存の投資協定ですとかに書かれているものと大差なく,またその経験を踏まえて作られています。

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したがって,TPPを理解しようとすると,WTOや投資協定がどのようになっていて,どのような運用をされているのかを前提として知る必要があるわけです。それで,TPPの説明に入る前にこのWTOと投資協定について少しお話をさせていた

だきたいと思います。若干教科書的な説明になりますが,通商の世界,貿易の世界に関する国際法について語る場合は,1929年から始めることが多いと思います。1929年には,世界恐慌が発生しました。世界恐慌というと,世界史の教科書でウォール街の株価暴落の写真を思い出した方もいると思いますが,その株価暴落をきっかけとして世界経済が非常に不況に陥ったという事件です。その不況対策として,外国製品が安く入ってくるのが問題であるとして,国内だけで,あるいは植民地を含めて経済を囲いこもうとして関税を引き上げるというブロック経済化が進み,その結果ブロック間の経済対立が非常に激しくなったことが第二次世界大戦の一つの原因になったと言われています。このブロック経済化,すなわち自由貿易でなくて関税が引き上げられたために世界経済が分断されたということが非常に大きな問題であるということで,再発防止のために第二次世界大戦の後で様々な国際体制が構築されました。大戦後に形成された仕組みは,経済面に限らず,たとえば国連のようにいろいろあるわけですが,経済貿易体制としては,ブレトンウッズ体制が作られました。これは3本の柱からなっております。貿易について ITO,今のWTOとは違うんですが,国際貿易機関が構想されました。これは,残念ながらアメリカの上院の反対で設立に至りませんでしたがその代わりに設立までの暫定協定として合意されていた GATTがその後存続していきます。いずれにしてもブロック経済化を防ぐという観点で,自由貿易体制を確実なものにすることを目的としてGATTは作られたというのが歴史でございます。このほかこの時設立されたのが世界銀行と IMFでありまして,この3本が柱となっています。その後,貿易の分野では GATTが国際機関として法人格を得るには至らず,ある意味

非常に地味な国際組織として存続,発展していたのですが,1991年に冷戦が終わった後,自由貿易体制が世界中に広がっていく中でWTOが設立されたのが1995年です。この時に法人格を有する国際機関になりました。紛争処理手続,いわゆる裁判手続が正式に設置されたのもこの時です。ただ,この後,WTOの下で様々な貿易交渉が行われておりましたけれども,なかなか合意に至りません。これはWTOの国連化とも言われています。一つは,WTOのできる前は,基本的にはアメリカ,EC,カナダ,日本という四極が決めたところがだいたい受け入れられていたんですが,今は,ご存知の通り,アメリカ,ヨーロッパのほかに中国とかインドとか,ブラジル,最近ではロシアも加盟しておりますが,こういった国が台頭してきました。経済的な発展段階がかなり違いますし,経済体制も違いますので,そうするとなかなか合意がしにくくなったというこ

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とで,その後はなかなかうまくいかず,停滞していると考えられています。そうした中で貿易に関して停滞を打破したいということで行われた試みの一つがこの TPPであります。他方,投資保護もこの TPPに含まれています。投資保護の歴史は貿易自由化とはまた違っていて,たとえば歴史の教科書に載っているような事件で言いますと,イギリスが設けた東インド会社のように,たとえば植民地経営をするために海外に会社を設立するということが昔からあるわけですが,支配者が代わりますと従来の政府と結びついた会社の財産を没収したり,あるいは設立を取り消したりということが起こり得るわけです。それを何とかしたいということがありまして,様々な工夫がなされておりました。たとえば企業が現地政府との間で約束を得て,政府がその約束を破った時には賠償を払えとか,ということが行われていた時代もあります。昔は約束違反に対して戦争を起こして財産を回復するというようなこともありましたが,そういうことは次第にできなくなり,法的なツールでやっていくということにだんだんとなってきているというわけです。戦後ドイツとパキスタンの間で現代型の投資協定が初めて作られて,投資保護,つまり外国に投資をした時に,現地政府に財産を没収された時に損害賠償なり補償なりを支払ってもらうための枠組みというものが作られました。ドイツが1958年に近代型の投資協定を始めたのですが,これは歴史的に非常に意味があります。ドイツは第一次世界大戦と第二次世界大戦,いずれも敗戦国でありましたので,ドイツ国民が持っていた在外資産が没収されています。それは損害賠償の代わり,または,敵国資産ということで没収されたりしました。そうした経験を踏まえてドイツ政府は戦後,そういう事態が再び起きないように,ドイツ国民が外国に投資を安心してできるようにということで,この投資協定を推進してきております。その始まりになったのがドイツとパキスタンとの間の投資協定であります。投資協定はその後だんだん発展していきまして,ヨーロッパの国を中心に,ヨーロッパの国同士ではあまり結ばれていませんが,途上国との間で,つまり投資先との間にこれはたくさん結ばれています。なおWTOができた1995年に,相前後して,OECDにおいて,多国間投資協定が交渉されましたが,フランスの反対で最終的には交渉はまとまらず挫折しました。しかし,このあとも投資保護について二国間で多数の協定が結ばれていまして,2016年つまり今の時点では3,000以上ということになっているということであります。日本も世界大戦の敗戦国であり,在外資産の没収を受けていますけれども,投資協定を外国と結ぶということについては,従来あまり熱心ではありませんで,今数えても確

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か30くらいしかないと思います。ドイツとかフランスとかが100を超えて結んでいるのと比べますと,大分方針が違っておりました。しかし,最近,この2000年くらいから日本政府も投資協定をたくさん締結しておりまして,この TPPの中の投資章もその一つとして位置づけられるということになります。投資保護協定というのは,現地の裁判所が信用できないということで必要になることが多いので,アメリカとの間で結ぶ必要はあまりないでしょうが,TPPにはアメリカ以外にも,マレーシアとか,ブルネイとか途上国が入っていますので,そういった観点では意味があると思います。協定の内容に話題を移しますが,WTOについてはあまり説明する必要はないと思います。ジュネーブに本部を有する国際機関です。貿易に関する様々な国際ルールが結ばれており,そのルールに基づいてそれぞれの加盟国の国内政策,あるいは関税について議論をするフォーラムということになっています。実体ルールとしては,レジュメに書かれているとおり,WTO,World Trade Organizationという名前のとおり,貿易についてのもので,かつては,物品貿易つまり物の貿易についてのルールだけでしたが,サービス貿易についてのルール,知的財産権のルールがWTOになった1995年から入ってきています。サービス貿易というのは金融ですとか情報通信ですとか,それから小売ですとか,そのほか教育もサービスとして対象に入りますが,そういったサービスの経済に占める比重が非常に大きくなってきたということがあって,1995年以降,このサービス貿易が自由化の枠組みに取り込まれたということであります。もともとは物の貿易自由化が中心であり,物品貿易の規定が非常に多いんですが,その内容としては先ほど申しましたように,このWTOの前身の GATTというのはブロック経済化を防ぐという観点からもともと作られていますので,関税を引き下げる,一定以上の関税は課さないという関税の約束をし,外国を差別しない,ブロック経済化というのは外国間で差別するということなので,この外国間で差別しないという最恵国待遇義務が中心になります。この最恵国待遇義務というのは江戸時代の日米修好通商条約にもありました。条約を結んでいる中で,他の外国に対してもっと有利な取り扱いをした場合には,それは自国にも及ぼして下さいということで,もともとは他国が優先的取り扱いを得た場合にそれを得るためのものなのですが,WTOの最恵国待遇義務というのは外国を差別しないということに主眼があります。英語ではMost Favoured Nation,MFNといいますが,そういった取り扱いを義務付けることによってブロック経済化を防ぐことを目的としているのであります。それから内国民待遇義務も重要です。これは,自国の産品と輸入品とを区別しないということです。内国民と書いてあるので国民の差別であって物の差別の問題ではないように聞こえますが,そうではありません。外国と国内を区別しない,英語でいう national

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treatmentを日本語では内国民待遇と訳しています。物の世界では,外国企業と国内企業を区別しないということではなくて,輸入品と国産品を区別しない,同じ扱いにするということです。これがないと関税を下げる約束をしても,たとえば消費税の税率を輸入品は50%,国産品は10%とするとすれば,40%も差が発生しますので,関税の引き下げを約束した意味がありません。そういった観点から内国民待遇義務が要求されていると説明されています。その他農業とか,SPSといった事項を名前にもつ協定があります。SPSというのは検

疫措置などを指しています。また TBT協定は消費者安全規制とか環境規制とかについての規律を置いています。GATTというのは,もともとは関税の規律から出発しておりますが,現在においては国内政策,たとえば環境保護や消費者安全といった国内政策に対する規律も重要な要素になっていると言えます。また補助金も対象になっております。対象になっていないのは,たとえば国内で工場を運営する時に適用される環境規制とか都市計画のような立地規制などで,そういった措置は対象になっていません。つまり,WTOは貿易協定ですので生産面の規制はカバーしていませんが,それ以外の政府措置は非常に広い範囲で対象になっています。ほとんどの国がWTOに加盟していますので,ほとんどの国において内国民待遇義務,あるいは差別しないという義務がかかっている,というのが現状ということであります。それから一番最後に紛争解決手続について少しお話をします。これも最近新聞に時々出るようになりました。WTO協定に違反する措置については,国際条約の違反ですので,外交交渉によって解決するというのがいわゆるデフォルトです。つい最近 UNCLOSつまり国連海洋法条約に基づき,フィリピンと中国の間で行われた国際裁判の判断が話題になりました。ああいった海洋法条約その他国際法に違反する行為があっても,一般的にはこれは裁判でやってもいいという同意がある場合だけが裁判の対象になりますから,UNCLOSの裁判の件もその他南シナ海の件も,中国は自分は応じていないので,国際海洋法裁判所は管轄権を有しないと主張していました。それから捕鯨の裁判の後,日本は調査等について管轄権の対象から除外しました。基本的に国際法の世界では,必ずしも裁判で決着を付けることができるというわけではないのです。これは国内法の場合と全く違っています。国内だと法的な紛争はすべて裁判所に行って争うことができるのが原則ですが,国際法はそうではないわけです。ところが先に述べたWTO協定は,どの国もWTO協定に関する限り,すべての事項について紛争処理手続,第三者が判断する手続に応じなければいけないということになっていまして,そういう意味でこのWTO協定は極めて司法化された手続を有し,非常に強い拘束力を有するルールとして存在しているわけであります。手続は,二審制になっています。一審

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がパネル手続で事実問題についても審査をされます。パネリストはその手続の都度選ばれます。パネルの判断に不服がある場合は,上級委員会というところに上訴できることになっていまして二審制ということになります。この手続は,WTOが作られた1995年以降すでに500件ほど利用されています。20数年で500件ですので,非常に大きい数字だろうと思います。パネル及び上級委員会の手続まで進んだのは,そのうちの半分くらいありますので200件以上の先例がすでに蓄積されているということですね。日本は,10番目くらいのユーザーになっています。有名な実例として,レアアース輸出制限,新聞で大きく取り上げられたので覚えていらっしゃる方もおられると思います。これは中国がレアアースの輸出制限をしていて,国内産業に優先的に回していたケースです。レアアースはたとえば電気自動車の永久磁石を作るための原料になりますので,永久磁石のメーカーはこのレアアースが必要なわけです。中国はこのレアアースの輸出制限をすることによって,永久磁石の工場を国内に誘致しようとしていたようです。つまり外国では買えませんよ,中国に入ってきたら無条件に買えますよ,ということで誘致しようとしていたようです。このレアアースの輸出制限はかなり長い期間をかけてゆっくりと強化されていたので,なかなか問題が表面化しませんでした。しかし,2012年に日本政府が尖閣諸島を購入した時に,中国が対抗策としてとったと言われているのが,本当のところは分かりませんが,このレアアースを日本向けには輸出しないという形で出荷を止めたということです。その時に,レアアースの供給が実は中国に握られていることが広く知られるようになりまして,何とかしなければいけないということで,WTOの紛争処理手続が始められたという事案であります。この時まで日本は中国に対してWTOの紛争処理手続を提起したことがなく,このレ

アアースの件が初めて提起に踏み切った事案です。日本では,「裁判」というと,喧嘩をすることと同義に考えられているので,企業も政府も非常なためらいがあるわけです。中国が加盟したのは2001年ですので,それから10年くらいWTOの紛争処理手続を使っていなかったわけですが,このレアアース輸出制限問題についてはいろいろ議論があって,これは外交交渉で解決できる問題ではないと判断されたわけです。尖閣問題の対抗策と言われていた輸出拒絶は,本当に中国政府が止めているとの証拠を出しにくい問題でしたが,輸出数量制限をしているというのは立証の容易な問題でした。正確な数字ではありませんが,中国全体でたとえば年間6万トン生産されるのに3万トンしか輸出枠がないという政策が採用されており,これは交渉で何とかなるものではないと判断されました。中国の国策としてレアアースが非常に重要な戦略物資として位置付けられていましたので,交渉で解決しないということは誰の目にも明らかでした。このレアア

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ースのケースで日本政府はアメリカと EUと一緒にWTOの下で協議を申し入れて,さらにパネル手続で解決することになったわけです。幸いなことに,WTOの判断では,中国の輸出制限は,WTO協定のうち輸出制限禁止を定める条項に触れるということでありまして,中国はこれを是正しなければいけないという判断が出ています。履行のための期間として中国に1年の猶予が与えられましたけれども,その1年が経過する前に中国はこの輸出制限を撤廃していて,現在はレアアースについては中国産のものも自由に輸出できるということになっています。このケースは,戦略物資であっても,かつ対中国という非常に政治性の高い事案で

あっても,このWTOの紛争処理手続が機能することを示しているわけであります。中国もこのWTOの手続を頻繁に使っており,お互いさまのところがあるわけですが,こういった国際社会における法の支配の徹底に貢献している分野としてこのWTOが挙げられます。自由貿易体制とこれを支える裁判システムが機能しているわけであります。この紛争解決手続は後ほど説明しますが,投資の場合とは違って国と国との間でのみ行われますし,損害賠償ではなくて将来に向かって措置を是正すべきという形でのみ行われるところも投資保護の場合と違っています。もう一つの投資協定ですけれども,こちらの方は貿易ではなくて,海外から入ってきた投資の保護を定めるものです。日本にも外資企業がたくさんありますし,逆に日本から進出している企業もたくさんあります。これは現地進出してそこで必ずしも販売まで従事していなくてもよくて,たとえば工場を作っているというだけでも投資協定の対象になってきます。たとえばレジュメの中では二番目の内国民待遇義務,また一番上の収用の規律もですが,それらが重要になってきます。収用の規律は,政府が代わったあと,新政府と仲が悪くなって国有化されたといったことに対して,補償が得られるというものです。もちろん,もともと国有化は正当な理由がなければ許されないという内容になっています。この投資保護の分野の国際ルールの中で重要なのは,ISDS,さきほど申し上げた投

資家対政府投資仲裁というものであります。これは先ほど説明したWTOの紛争処理手続が国から国,先ほど触れたレアアースのケースで言えば,レアアースを輸出している日本企業,たとえば商社ではなくて,日本政府が中国政府を訴えているわけですが,こちらの ISDSは投資家,つまり企業が投資受入国政府を訴えるという違いがあります。実際に日本企業が争っているケースだと,スペインで日揮が太陽光発電のプロジェクトをやっているそうですが,その前提である太陽光発電の買い取り制度の変更に関わるケースです。日本でも電力価格が高くなりすぎるため買取価格を下げるという話がありますけれども,スペインでも買取価格が引き下げられ,とくに既存のプロジェクトについ

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ても引き下げられたので,それに対して日本企業がスペイン政府に対して損害賠償を求めて仲裁を申し立てたということのようです。他に,大きく取り上げられている案件の例として,プレーンパッケージ法をめぐる紛争があります。たばこに関してはWHO等でたばこの消費を減らそうとして,様々な条約が作られていますが,その条約の中で推薦されている方策として,たばこのパッケージについては,たばこの銘柄だけ目立たない文字で書いて,それ以外のデザインについては一切付けてはいけない,商標も使ってはいけないというものがあります。日本でもたばこのパッケージには,たばこを吸う方はご存知だと思いますが,がんに注意だとかおどろおどろしい写真がついていますが,このプレーンパッケージ法はそういった表示を求めるものではありません。日本では,おどろおどろしい写真がついていても,商標はついていますが,それを許さないというのがこのプレーンパッケージ法であります。これはオーストラリアが導入したので,商標権の侵害にあたるとか,あるいは外国差別であると,外国たばこメーカーの差別であるということで,フィリップモリスがオーストラリア政府を訴えているという事案であります。これは昨年の段階で請求を認めないということに一応なったと思いますが,そもそもプレーンパッケージ法のような健康保護,消費者の健康保護を目的とする法律であっても,またたばこの害のように一応世の中に認められているものであっても,つまり,一見して正当な,少なくともただちにはおかしいと言えないような国内法であっても,投資仲裁の対象にあたるということです。そうした措置であっても訴えられるということで,ISDSの意義といいますか,そのインパクトがお分かりいただけると思います。その隣のグラフに掲げていますけれども,非常に案件数が増えており,2000年くらいからうなぎ上りに増えているという状況にあります。以上が世界的にみた貿易と投資に関する枠組みと現況です。これらを背景として TPPがどのように作られたのかをこれからお話ししていきたいと思います。歴史を言いますと,TPPはもともと Trans-Pacific Partnershipということですが,シンガポール,ブルネイ,チリ,ニュージーランドの4ヵ国,比較的小さい国が集まって作った貿易協定でありました。これは2006年に発効したのですが,その後米国等が加わり,もっと拡大していこうということでできたものであります。お配りしている資料はこの合意の中身を書いているので,それはあとで見ていただければいいのですが,パワーポイントの方は違うところに触れています。2013年にカナダ,メキシコ等が参加して,その後日本が参加して,昨年に合意をして署名がされ,現在各国の批准待ちという状況であることは報道されているとおりです。どういう内容なのかについては,先ほど申しましたけれども,関税引き下げだけが内

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容ではないということです。それから投資保護も目的としているということです。さらに,それ以外の様々な経済政策の国際ルール,21世紀型の国際ルールを作ろうとしているものである,というのが政府の説明であります。実際どのような規定が書かれているのかを,何点かお話をしたいと思います。お配りしている資料,これは政府のホームページから入手したものです。条文を見ても意味がなかなか分かりにくいので,中身の詳細についてはそういった資料を見ていただければと思います。ただそれらを見てもイメージが湧きにくいところが多いので,重要なポイントについていくつかお話をしたいと思います。まず,章立てを見てお分かりの通り,最初に関税の話が書かれてあって,税関手続,貿易の話であることが分かる項目が一番最初に書かれています。その次の衛生植物検疫というのは,検疫措置を扱う章です。検疫というのは,空港,ここから一番近い国際空港は関空でしょうか,外国から帰って来た時に空港で何があるかというと,出入国管理があり,その後,最後に税関で荷物を見てもらうわけですが,出入国管理の前に検疫のところを通っているはずです。カメラが設置してあって熱が出ていないかどうかをチェックする所があります。あれが検疫です。あれは人の検疫で,伝染病の侵入を防止するためにやっているものです。動物の輸入の場合にも,狂犬病ですとか,植物の場合だと,虫とか病原菌とかがついていないかどうか,というところを輸入の時点でチェックするところが,税関手続の前にあります。そうした措置についてルールを定めているのが衛生植物検疫の章であります。次の TBTというのは先ほど言いました規制措置・標準でありまして,国内の消費者安全ですとか,環境規制ですとか,そういった規制措置を広くカバーするのがこの章です。それから投資章は先ほど言った投資協定とほぼ同じような内容のものが入っています。その他サービスについても,金融ですとか電気通信といった加盟国の関心の高い領域を中心にルールが作られています。知的財産権についての規定もあり,ここまでは比較的WTOと投資協定でカバーされている領域ですが,この次の電子商取引に関する章以降は,既存のWTOあるいは投資協定に入っていないルールでありまして,新しいルールが合意されています。正確に言いますと TPPのほかにも日本と EU,日本と ASEANとで結ばれようとしている協定など TPP以外のものにもこの電子商取引等の規定は入っていますが,この TPPは冒頭に申し上げたとおり,GDPの4割を占めるような国の間で適用されるものですので,非常にインパクトが大きいものであります。電子商取引の章があったり,国有企業の章があったり,競争政策についても規定があります。労働者保護,環境保護,中小企業政策等についての規定も入っていまして,経済全体をカバーする,非常に包括的な内容の国際ルールであると言うことができます。加えて紛争

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解決手続についての章もあり,この TPP上の約束全部についてではないのですが,相当部分について義務に違反する場合には司法的な手続を通じて是正が求められるという建付けになっております。投資保護については先ほど言った ISDSの仲裁手続も入っていますので,ここの部分は企業が直接日本政府なり,あるいは外国政府を訴えることができる内容になっています。個別に見ていきますと,まず関税ですが,WTOでは関税を順次に下げていくことが

追求されておりますので,必ずしもみんなゼロにはなっておりませんが,TPPのようなFTA,自由貿易地域においては域内品の関税を撤廃するのが原則です。政府発表ではTPPの関税撤廃率を95%から100%と書いています。これは皆さんがおそらくなじみのない関税分類というものが関係します。たとえば個人輸入をしようとすると,関税が何パーセントかを検討する必要があるわけです。関税表すなわち,何の商品については関税率がどうかというのを書いている表を見るわけでありますが,TPPについては,その表を品目で見て,95%から100%の品目で関税撤廃されるというのが政府発表の意味するところです。撤廃期限はいろいろありまして,発効後すぐに撤廃しなければならないものもあれば,30年かけて順次やっていけばいいというものもあって,まちまちです。この中に農産品の関税撤廃も入っていて,新聞報道でよく言われているように,重要5品目について関税が守られたのかとか,あるいは農産品の関税がゼロになって大変という報道の事実関係は,この関税に関する付属書を見ればわかります。この関税撤廃は今申しましたように,日本の報道では日本に外国産品が入ってくることを中心に議論されていますけれども,これは逆もあるわけで,日本が外国に輸出する時にどうなのかということも関係してきます。たとえば日本の,これは先ほど教えてもらったんですが,香川のメーカーで言いますと,たとえば石丸製麺というのはうどんのメーカーですね。この石丸製麺がうどんを,TPP締約国に,たとえばアメリカに輸出するという時に,うどんがこの関税撤廃品目に入っていれば関税ゼロパーセントで輸出ができるということになるわけです。ただこの関税譲許のところだけを見ていっても,実は関税が本当にゼロになるかどうかは分かりません。そこが FTAについて大事な所ですが,TPPだけではなくてすべての FTAに共通しますが,関税撤廃の対象は域内原産に限定されているということであります。TPPの域内原産である必要があり,つまり日本原産でなければいけないわけです。たとえばうどんを考えた時に,国産の小麦粉を使っていますということを宣伝にしているメーカーも多いと思いますが,小麦粉は必ずしも国産に限らず,中国から輸入しているかもしれませんし,オーストラリアから輸入しているかもしれません。特に小麦粉のようなものだと季節によっても変わってきますから,たとえば収穫期には国内産かもしれないけど,国内産の端境期には外国から輸入

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しているかもしれない。そういった時期によっては小麦粉は国産を使ってないという場合,それで日本原産の扱いでアメリカに輸出しても関税がゼロになるのかどうか,ということが問題になってくるわけであります。それが書いてあるのが,特恵原産地規則で,これを個々の産品についてみていく必要があります。たとえばうどんが原産性を認められるために,小麦粉から国産でないといけないかどうかが問題になります。そして,それがこの TPPの関税撤廃の利益を受けられる要件であるとされていますと,そのためには,小麦粉を国内で原則調達しなければならないということになるわけです。普通の原産地規則と特恵原産地規則とは違っている場合があることが要注意です。通常はとくにWTOの下では,世界中の国がほとんど入っているので,原産地をあまり気にすることはないんですが,この TPPのような自由貿易地域ですと,どこの原産かが非常に重要になってきます。この要件としてどこまで原材料,あるいは中間製品の段階でどこから国内でやらなければならないかということが問題になってくるわけです。ここは重要なポイントです。うどんは国産原料を使っている場合が多いのかもしれませんが,今は日本企業でさえ,必ずしも全部日本国内でやるということではなくて,原材料を外国から輸入する場合も多いし,部品であっても外国から輸入する,あるいは部品工場は海外に移転するとか,そういったことも珍しくありません。あと製品の包装だけ外国に移転するといったことも行われています。したがって,この特恵原産地規則を研究して,日本の企業であっても,また日本で最終製品を作っていても,どこまで原材料とか中間製品とかを自分はどこから調達しているかということを確認しないといけないわけです。そこのところを非常に詳細に見ていく必要があるわけです。さらに特恵原産地規則の厄介な点はほかにもあります。それは,日本国内で調達し生産をしている場合だけしか認められないのではなくて,たとえば小麦粉から TPP域内でと書いている場合であっても,この TPPのルールでは,小麦粉の生産地は日本でもよいのは当然として,アメリカ産でもいいし,TPPに入っている以上カナダ産でもいいしマレーシア産でもいい,あるいはオーストラリア産でもいいということになっています。ただ,TPPに入っていない国,たとえば中国産ですとか,タイ産だったりすると,TPP原産かどうかにおいてカウントされない部分になります。これは何を意味するかというと,日本のメーカーがタイとベトナムに工場を持っていて,そこで部品を作って日本に持ってくるということをしている時に,タイから持って来た部品は特恵原産地規則において原産地限定の要件を満たさないわけですから,タイから持って来た部品を元に日本において作った製品をアメリカに輸出しても関税がゼロにはならないということになるわけです。ベトナム産の部品を使う場合は関税撤廃の恩恵を受けられるということにな

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りますので,そうするとどっちに工場を作ったらいいんだろうということで,これは経営者としては考えるわけです。さらに先ほど言ったように国産とオーストラリア,まあオーストラリアだと TPP域内ですので問題はないでしょうが,たとえば南アフリカ,非現実的かもしれませんが,そこから原材料を輸入しているとなると,たとえば季節が変わる時に国産から切り替えて南アフリカから輸入しているとなりますと,1年を通してどういうふうに調達先を分けるとこの要件を満たすのか,そういったことが非常に問題になってくるところです。非常に難しいルールがいろいろあるということであります。この関税の問題は実務的には非常に関心の高いところです。学問的にはテクニカルすぎて面白くない所もあるんですが,ビジネスの現場においては,今申しましたように,工場をどこに置くかという投資判断に影響するので,現実にすぐに問題になってきます。その他,TPPの中には,たとえば修繕のために一回国外に輸出して再度戻ってくるものについて関税を課さないとか,演奏家が楽器を持ち込む時の関税をゼロにする,つまり無税で輸入を認めないといけないといったルールも入っています。これはヨーロッパの税関において,高価なバイオリンを演奏家の人が持って入ろうとすると,税関で止められて関税を払えと言われたということが新聞に出たことがあります。持って入国するのも輸入ですので,それについて関税を課すか否かが問題になるわけです。高価な,たとえばストラディバリウスのバイオリンというと何千万,何億円になるわけで,それに関税をかけられるとたとえ数パーセントの関税率でも何百万円とか払わないといけなくなるわけですが,演奏旅行のたびに払えるわけがないですし,そもそも演奏のために持って入るだけで,必ず持って出るわけですから,関税を課す必要性が乏しいともいえるわけです。そういった輸入に対する関税をゼロにする,無税輸入を認めるといったルールも TPPの中には入っています。それから国内政策に関しては,これは先ほど言ったWTOの内国民待遇義務ですとか,規制に関する TBT協定上の内国民待遇義務が TPPにおいて再確認されています。これがどんな意味をもたらすかという例を書いていますが,まだ TPPは発効していないので,WTOないし TBT協定上の内国民待遇義務がどのように解釈されているかを説明するものです。内国民待遇義務については,先ほど輸入品を差別することの禁止であると言いましたが,たとえばたばこのケースだと,国内のたばこの安全基準は,たとえばニコチンが何ミリグラム以上の銘柄のたばこは販売を禁止するとなっていて,輸入のたばこについてはもっと低い限度量で,たとえば0.1ミリグラム以上は認めないというように,国産品か輸入品かで規制内容が変わっているというルールは,もちろん内国民待遇義務違反です。これは輸入品を直接に差別していますので違反ですが,この内国民待遇義務違反は,こういった原産地で区別しているものにはとどまらないということが重要です。

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例に挙げています,アメリカのクローブ入りたばこ事件では,争われたのは,香料入りのたばこの販売を禁止するというアメリカの制度です。香料入りのたばこはたばこの煙臭さが緩和されるので,青少年が最初に吸うのに吸いやすいそうです。青少年の喫煙はアメリカでも非常に問題になっているので,それを防止するため,あるいは減少させるために香料入りのたばこの輸入販売を禁止するというのがアメリカの説明でした。しかしながら香料入りのたばこのうちメントール入りのたばこだけは販売が禁止されていませんでした。メントール入りのたばこはアメリカのメーカーもたくさん作っているからだと想像されますが,それで除外したのでしょう。禁止されたたばこの中に,クローブつまり丁子入りのたばこがあり,インドネシアで作られているものが多かったようで,それでインドネシア政府が紛争解決手続を提起しました。このケースでは結局インドネシアにとってクローブ入りのたばこが主要な輸出品でしたので,香料入りのたばこを禁止しているということは,インドネシアからの輸入品,インドネシア原産のたばこが差別をされている,メントール入りのたばこはアメリカ原産のものもありますので,それとの関係で差別をされているのではないかということが争われたわけです。もちろんメントール入りのたばこはアメリカ以外でも製造されていますので,このルールは表面上原産地で差別しているわけではありません。しかしながらこのケースでは判断としてインドネシア産のたばこが不利に取り扱われていること,かつ,メントール入りたばことメントール以外の香料入りたばこの区別は青少年の喫煙防止のために合理的な規制区分とは言えないということを根拠として,このケースでは内国民待遇義務違反が認められています。要するに,香料入りのたばこの禁止が青少年の喫煙防止に役に立つと言うなら,メントール入りもクローブ入りも同じように禁止すべきで,なぜ同じに扱わないかということについて理由が説明できない以上区別しているのはおかしいということであります。今申しましたように,区別の理由がその政策目的から説明できないケースは差別ありと認定される可能性があるわけで,これは憲法論でいうこところの LRAの基準とか,あるいは厳格な合理性の基準と言われる合憲性判定基準と類似しています。同じような基準でWTOとか TPPでも禁止対象になるわけです。違反かどうかについてはWTOの紛争処理手続なりたとえば TPPの紛争処理手続で判断され,違反とされると是正を求められるということであります。内国民待遇義務はかなり国内政策について深い規律を定めてきている条項であることがお分かりいただけたかと思います。もちろん規制区分を設けた理由を合理的に説明できればよいので,正当な規制が採用できなくなるというわけではありませんが,そこまで国際経済法による規律が及んできているということが重要であると考えます。

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このほか,この TPPではWTOの定める規律を超えている部分になりますが,様々な規制,行政立法手続に関する規律が規定されていまして,策定手続に利害関係者の参加を認めるとか,実施前に6ヵ月間周知期間を置けとか,要するにこれは企業が対応できるようにするためということですが,そういった規律がルールとして入っています。その他規制の調和のために二国間あるいは多国間で話し合いをするということも書いてあって,行政手続の透明性ないし合理化に向けてかなり詳しいルールが規定されているということになります。日本はほぼ対応できていますけれども,場合によっては行政手続法上の現在の扱いで足りるのかということが議論になるかもしれないところです。途上国に関して言えば,行政手続の規律があまり行われていませんので,日本企業が外国政府に何か言う時にも重要な規定であると思います。たとえば先ほど例に挙げた石丸製麺が,輸出先の外国において,最近の食品に関する重要なテーマでありますフードロス,たとえば廃棄する食品原材料の割合が何パーセント以上あった製品は売ってはいけないといったフードロスの規制がもし入ったという時に,仮に,うどんについてはどうしてもある程度ロスが出てしまうのに対して,当該外国における現地の麺だとあまりロスが出ない方法で作られているという時に,その間で線を引かれてしまうと,うどんは輸出できないということになってしまいます。そういった時にそもそもそれが合理的なのかを議論するとしても,措置が導入されてしまってからでは遅いので,規制案が作られる時から参加できるようにするとか,あるいは案の段階で意見が言えるようにするとか。それからもし内容を争えないということになってもリードタイムがあれば工場をいろいろ変えたりということで対応できる可能性もありますので,そういったことができるように行政手続に関する規定が入っていると考えられるわけであります。その他,ここまでは一般論として適用されるルールですが,自動車ですとか情報通信機器,医薬品,化粧品等については他にもいろいろなルールが規定されており,特に自動車の場合には,日本と米国又はカナダとの間だけのルールですが規則を実施した後も定期的に見直しをする努力規定が入っていますし,新技術が出た時にその実証実験ができるような制度を作らないといけない,たとえば無人の自動車,自動運転の自動車を作る時に,路上運転の実験とか,そういったことができるか否かといったところもこの特則のところで問題になる可能性があります。投資保護については,TPPは先ほど言った投資協定の基本的ルールがほぼ入っていま

す。投資家対政府投資仲裁手続すなわち ISDS手続の規定も入っていますし,さらに昨今の ISDSが主権制限的であるとの批判を勘案しての濫用防止のための規定などもあり,配慮がなされているということであります。ただこの ISDS手続については,内国民待遇義務について先ほど言ったように,単なる差別ではなく事実上の差別も違反とな

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りますので,日本の場合,国の行政はあまり問題ないと思われますが,地方自治体については TPPの内容を理解していないと問題となる可能性があるように思っています。地方自治体にもこの投資章は関係してきますので注意が必要ということであります。サービス貿易の自由化については先ほど言ったようにいくつかの分野について詳しい規定が入っています。電子商取引については楽天とかアマゾンとかと関わりの大きい分野ですが,これは国際ルールがまだない,うまくできていない世界でありまして,他方でたとえば個人情報保護をどうするか,たとえばアマゾンだと,サーバーが外国にあるとすれば,そこに情報が送られることが個人情報保護の関係で問題がないのかとか,あるいは国内にサーバー設置を強制すること,たとえば置かないとたとえば医療情報とかそういったときにアクセスが確保できない可能性があったりするので,問題ではないかという理由で強制がなされる可能性がありますが,他方で,世界中にどこの国でも進出先にサーバーを置けとなりますとものすごい額の投資が必要ですので,企業からすると耐えられないことでもあります。そういったところのせめぎ合いがこの中で一部取り上げられているということであります。そのほか国有企業に関する章があります。これは,政府の関連企業がどう振る舞うべきかということを規定しているところで,議論がいろいろされているということであります。競争法の問題が一部この中には入ってきています。競争法と国際経済法の規律の関係を例で示しますと,先ほど言った一定程度フードロスのあるものは輸入させないという規制を政府が行うと,先ほど言った内国民待遇義務の問題になりますが,フードロスは企業にとっての関心でもあるので,たとえば流通メーカー,たとえばウォルマートが,フードロスを一定程度以下に抑制していない産品は購入しないと決めることもあるでしょう。これは企業の行動ですのでWTO等の内国民待遇義務の問題ではなくて,競争法の問題になります。競争法上のボイコット規制とかそういうところで問題にならないかということが議論されるわけです。こうした競争法に関係する部分が TPPでも取り上げられているということです。それがもし外国企業,ウォルマートのような純粋な私企業でなくて国有の流通業者がそういうことをすると,それは国有企業の規律の対象になってくるということであります。それ以外の分野についても規定があります。マクロ経済政策ですとか,環境保護,能力開発等々についても規定が置かれています。ただこれらの分野のルールは,当初は,非常に野心的な,21世紀型のルールを作るということで章が置かれていたんですが,具体的なルールを作ることが非常に難しかったと見えて,既存の原則をいくつか確認するだけにとどまっており,今後議論をしていきましょうということになっています。これらについては TPPの委員会で継続的に議論するということになっていますので,

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それがどのようになされるのかが非常に重要です。企業もそうですが,NGOもこういった事項に着目していて,議論にどのように自らの意見を反映させていくかを検討しています。このような民間企業や非政府の人がどのように意見を言っていけるのかということも TPPを理解する上で重要です。最後に紛争処理手続ですが,TPPにも置かれています。WTOと異なり,事務局がないのでどれくらい使われるのかは不明ですが,TPP上の義務についても司法的な手続を通じて履行が要求される可能性があるということです。そのほか,様々な分野で委員会などが置かれていますので,ここでどのような議論が今後されていくかがルールの履行及び発展という観点から重要なポイントになってくると思います。最後に発効要件です。これは2年以内に全締約国が合意した時かあるいは2年以内にGDP合計額の85%以上が批准した時なので,これはアメリカと日本が同意しないと達成できません。それ以外の国もあと何ヵ国が入ると85%を超えるということになっています。であるがゆえにアメリカがどのように対応するのかが非常に注目されているわけです。視野を広く取りますと,これが今後WTO体制にどういう影響を及ぼすのか,あるいは規制の分野,関税よりもむしろ規制の分野で TPPによる規律がどのように機能していくのか,うまく使っていくのかが重要になってくるのではないかと思っております。以上予定時間を超過しましたが,以上で終わります。どうもありがとうございました。

司会 米谷先生ありがとうございました。米谷先生の簡単な略歴を私の方からご紹介したいと思います。現在,法政大学ロースクールの教授(実務家教員)としてご活躍され,同時に西村あさひ法律事務所で仕事をされています。1998年から2002年まで世界貿易機関法務部法務官を務められ,2008年から2015年までは,経済産業省通商政策局国際法務室長を務めていらっしゃいます。ということでありますが,質問等がある方は挙手をお願いします。

質問者 まずは米谷先生,本日は貴重なご講演ありがとうございました。私は法学部で教員をしております肥塚と申します。受講生も学生が多いものですから,ご教授いただきたく思いご質問をさせていただければと思います。保険と言いましたら最近は現代的ないろんな課題が出てきて,自動運転,ビッグデータ,個人情報からの問題,人工知能などものすごく環境が変わってきているんですけれども,その中の一つとして TPPの問題もあるかと思います。金融の世界では昔と比べ

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ると自由化が進んできまして,新しい用品とかがいろいろできていまして,競争が激しくなってきているんですけれども,とは言いましても保険契約においては規約的規制としての保険法が新しく制定され,保険業務においては保険業務で規制が行われております。その規制レベルは国家的なベースとして,国家のベースとして行われているんですけれども,国際的な視点に目を転じれば保険監督者国際機構,IAISという機関がコア・プリンシパル,形成を作りながら,なるべく普遍的な規制を今は作り上げているところなんですね。そういうふうな状況の中で,もしこれから TPPが協定されて日本の保険にどのよう

な影響があるのかと。たとえば今まででしたら外国でよりいい保険商品を購入しようと思いましたら,取り引きという形ではオンライン,インターネット取引というのは可能になってきていますから,影響的なサービスの提供は可能であるということ。だから日本からよりいい保険商品を購入しようとする時に,今は障壁があってなかなかできない。逆に日本の中で,日本は長いリスクという点ではこれからよりいい商品ができようとしているところですから,そういう商品を,外国に,ネット関係ですが,販売していくと。そういうところの関係で TPPの協定がどのように影響していくかというところを学生にも分かりやすくご教授いただけましたらありがたいです。

米谷 ありがとうございます。保険の分野はサービスの問題,特に金融サービスの問題ということになります。今おっしゃっていたように保険分野は IAISで国際ルールが作

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られるということですが,この金融の世界は貿易と若干異質なところがありまして,かつ財政金融の世界はどこの国でも貿易政策担当部局よりも政治力が強いので,貿易のルールを自分のところに及ぼすなという方向で交渉される傾向があります。この TPPでも,金融サービスは,金融サービス章ということで特別扱いされていますし,電子商取引の章のところからも,さっきおっしゃったインターネット上で,オンライン上でやれるということについても,電子商取引の対象になっていなくて,金融サービスの方で扱うというようになっております。ただ他方で金融商品の自由化ということについては,金融サービスの規制の規律が入っていますので,その意味では保険は確か約束をしている国としていない国があったと思いますが,約束をしているならば内国民待遇義務の問題が出てきます。これは業としての差別の問題になるのか,商品の差別が問題になるのかが問題ですが,内国民待遇義務が存在するならば,合理的でない規制をしている場合,内国民待遇義務違反としてチャレンジされる可能性がありますので,その意味では規制に対するインパクトはあります。第三分野については TPPの規定を正確に確認していませんけれども,従来とあまり変わらないようなことができるように合意されていると思いますので,そこの点はあまり日本には影響がないかもしれません。なおこの TPP等の国際ルールを考える場合は法解釈学的なアプローチだけに自己規制しないほうがよいような気がします。政府にいたのでこれは感じるところではありますが,このWTOや TPPのようなルールというのは使うためにあるので,たとえば IAISのルールにしても,保険会社が政府に働きかけて自分たちが有利になるようにルールをどうやって作っていくのかとか,あるいは国内のルールについても不合理な規制をどうやって撤廃させたらいいのかという意味で使えるものもあるわけです。先ほど申し上げた TPPのルール,あるいは投資協定を使うということもあるでしょうし,問題があった場合に仲裁にいくのではなく,交渉のツールとして,差別を是正させるために,WTOのサービスのルールであるとか TPPのルールであるとかに反するので,是正をしてもらいたい,是正をしてもらえない時には裁判で争わざるを得ない,その裁判に行く前に様々な協議等の手続もありますけれども,そういった目的で使えないかといったような目で見ていただければいいのかなと思います。逆にそのために使えそうなツールが TPPの中にはかなりありますし,あと手続ルールとしても規制調和章などがあるわけですから,まず国内で規格を作る時に,外国の会社としては,ルールを作る時に参加させろと,保険会社の立場で参加させてほしいということもできますし,あるいは政府を通じて規制調和の中で外国の規制のここがおかしいので取り上げてもらいたい,ということもできます。これらはルールを直接変えるものではありませんが,ルールをどうやって作っていくかということについてのルールであり,そういうものが手続法として使える

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ということであります。私の経験上,日本の企業において,そういった点について考えている人はまだあまりいないようです。日本では規制を作るのは政府の仕事で,企業は基本的にできたものを守るのが仕事だと思われているようです。しかし,この TPPのルールを見ると,ルールは作るためにあって,作るための足がかりを TPPが提供しているともいえます。そうした観点から,ルールの中身も大切ですが,どうやって作っていくか,その作られようとしているものにどうやって関わっていくか,ということを考えるツールとしてかなりインパクトがあるような気がします。

司会 ほかにご質問のある方いらっしゃいますか。

質問者 TPP交渉の過程というのはかなり秘匿されているということなんですが,交渉が妥結したものについては公開されていると思いますが,情報の公開手続と交渉の関係について少しお話をしていただければと思います。

米谷 新聞にも出ていますが,この交渉過程については厳しい守秘義務が課されており,担当者も一切話せないということです。私は,交渉に直接関与してはいないのですが,政府の中にいた時に何回か相談を受けていますので,経緯等について知っているところもありますが,これはお話ができないということになっています。ただ,先生がおっしゃったように,最終的にどういった合意がされて,どういう約束がされたかというのは公表されていまして,日本政府のホームページに載っています。ご存知の通り,今では全文が公表されております。この国際交渉において最終的なものだけが公表されるというのは,必ずしも例外的なことではなくて,条約交渉というのは妥協の産物なので,必ずしも経過が全部出てくるというわけではないと思います。ただどこまで出すかというのはこれは国によって方針が違っていて,たとえば今アメリカと EUの間で交渉している TTIPという自由貿易協定がありますが,それはかなり EUの方でいわゆる市民社会との関係を重視するとか,あるいは EU議会は情報公開にセンシティブであるということからいろいろな情報が表に出てきます。他方アメリカの方は完全にはオープンになっていません。ただいろんな形で,ウィキリークスとかそういったところで何となく出てくるものはあります。知財章などは正式には公表されていなかったはずですが,案文の段階でネット上に出ていたということはあります。ただ正式には,アメリカでも,情報公開,一般的には情報公開には熱心なんですが,外交交渉についてはそうでない場合があって,この TPPに関し

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ては一般的な公開はしていません。ただ民主主義の観点からは議会には一部,話はしていたと思います。どこまで国内でやるかということについては,それぞれの国のポリシーの問題でありまして,日本では比較的この分野については厳格に秘密主義が採用されていたということが言えようかと思いますが,最終的な成果物については全て出ているということですので,その点で公開という問題はクリアしているという整理なのだと思います。

司会 どうもありがとうございます。他に質問のある方はいらっしゃいますか。

米谷 特に今お話ししたことではなくても,国際機関で働くとはどういうことかとか,それ以外の一般的な事で国際経済法とか,あるいは国際機関で働くことの意義ですとか,そういった一般的な質問でもかまいません。せっかくの機会ですので。

質問者 貴重なお話をありがとうございました。先生の経歴で国際機関で法律家として働いていたとおっしゃられていたと思うんですけれども,具体的にどういった事をお仕事としてやられていたかとか,どんな課題があったとか,教えてもらえればありがたいです。

米谷 ありがとうございます。WTOの法律部で,私は1998年から2002年まで4年間働いていました。これはジュネーブにある国際機関ですが,スタッフ500人くらいのわりあい小さい国際機関です。その法律部で法務官として仕事をしていまして,この法務官の仕事は,先ほど言った紛争処理手続の一審のパネル段階で,そのパネルのアシストをするということでした。このパネルは一種の裁判官ですが,アドホックに選ばれます。この裁判官の言わば調査官的なことを仕事としていました。たとえば争われている事件に関連する先例はこうなっていますとか,あるいは事実問題はこういうふうに整理してはどうかとかのアシストをするわけです。パネルとディスカッションして場合によっては判決に当たる報告書の下書きを指示されるとか,といったようなことが全体の仕事の7割くらいでしょうか。そのほか,WTOに関しては途上国政府において先例の発展などが十分に知られていないことも多いので,あるいは紛争手続をどうやって使うかという点での経験が必ずしも十分でないため,そうした点の技術協力といった仕事が残りの3割くらいの仕事だったと思います。ワーキングランゲージは英語ですので,英語で書いて話をすることになります。英語は使えないと仕事にならないのですが,それは努力すれば何とかなるように思います。ネイティブではない人もたくさん職員になっていま

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す。ネイティブでないわけですからもちろん苦労もしますが,そこは努力で何とかなると思いますし,実際世界中からWTOは非常に人気があって世界中から若い人が応募していますので,皆さんも関心があればチャレンジしてみていただければと思います。私自身はあまり国際機関で働くのに向いていないように思いましたが,外国人と一緒に仕事をするということ自体に抵抗があるかないかというのが非常に大きいと思います。国際機関職員はバックグラウンドが違う人ばかりなので,オフィスを出て他の職員と積極的にいろいろ話をして,この人はどんな人なんだろうなということを,まあ言ってみればゴシップを集めて歩くようなことをしないといつの間にかひとりぼっちになってしまうというところがあります。そういう関わり方ができる人であれば,それはチャレンジすればいいと思いますし,政策形成に関わることができるわけですからそういう意味で非常に面白い仕事だったと思います。その後もそこにいる人たちと,今も引き続きWTO関連の仕事をしていますし,昔の同僚たちと仕事をするということもしょっちゅうあります。世界が広がると言うといささか大げさですけれども,今は国際経済法が,たとえば TPPもそうですし,先ほど先生から IAISの話も出ましたが,どの分野でも国際ルールが必ず存在して,その国際ルールの下に国内法やルールがあり,しかし逆に国内ルールから国際ルールに提案がされ国際ルールの改善が図られていく,というのが現在の世界の法の現状だと思います。そういった意味で国内だけにいても分からないことがたくさんあるので,国際機関その他さまざまな所に行ってそのダイナミックなインタラクションを経験してくるのは非常に面白いし,大事なことではないかなと思っております。

司会 ありがとうございました。いろいろとご議論があると思いますが,時間になってしまいましたので今日の講演会はこれで終了といたします。ご質問がある方は個人的に質問して下さい。それではお疲れ様でした。

(こめたに・かずもち 法政大学法科大学院教授)

【編集注】本稿は平成28年7月25日に行われた香川大学法学会講演会の記録である。

国際経済法の 現 状(米谷)

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