【原著論文】 ゲシュタルト療法の提案にフォーカシ …...significance of the...

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ゲシュタルト療法の提案にフォーカシング的態度を加えることの意義 有村靖子 Significance of the addition of focusing attitudes to Gestalt Therapy Yasuko ARIMURA 要約 ゲシュタルト療法にフォーカシングを取り入れる意義はすでに報告されている。フォーカシングの実践上とり わけ重視されるのが「フォーカシング的態度」である。本研究では,ゲシュタルト療法をベースにしたカウン セリングの事例を提示し,クライエントに「フォーカシング的態度」を教えたことの意義を,関係性を重視す る観点から検討した。初めにフォーカシングをおこなうことと,「フォーカシング的態度」を教えることの区 別を明確にし,ゲシュタルト療法においてフォーカシング的態度を教えることの整合性について論じた。次に 経験に学ぶための基本的態度でありスキルであると考え結論づけた。最後に,Yontef.G.を引用しつつ検討し た結果,フォーカシング的態度は関係性を重視したゲシュタルト療法の介入として実践上意義があることがわ かった。 キーワード:フォーカシング的態度 関係性 変容の逆説 反転 1.はじめに ゲシュタルト療法は,Perls,F. 12 1973)等に よって提唱された気づきを中心としたカウンセリ ングである。基本的な関わりは,今ここに図とし て浮かび上がる気づきに焦点をあて,その気づき を十分に経験したり,表現したりできるようにす ることである。また,これまでも認知行動療法を はじめ様々な心理療法に取り入れられ大きな影響 を与えてきた。今後への期待としてゲシュタルト 療法に他の技法,心理療法を加えることでゲシュ タルト療法が拡張していく可能性があることを江 3)4) は強調している。また近年,関係性を大 切にした関わりが重視され,「関係的であることが, ゲシュタルトカウンセリング理論の核心である。」 Yontef, G. 16 (2002)は述べている。 筆者も,これまで関係性を大切にするための工 夫の一つとして,ゲシュタルト療法にフォーカシ ングを取り入れて臨床に活かしてきた。そのなか 医療法人 修誠会 たばたメンタルクリニック 所属:ゲシュタルト・アート・フォーカシングネット(GAFnet) で,「フォーカシング的態度:以下 Foc.A.と記す」 がクライエントの自己受容を助け,カウンセリン グが進展し,日常生活に変化をもたらしたことを 検討する。 もともと日本では, Rogers,.の提唱したクライ エント中心療法の影響を受け,信頼関係がカウン セリングの基本とされてきた。 Perls,F.も登場す る古典的なビデオの冒頭で, Rogers,.(1968)は信 頼関係の重要性について説明し「カウンセラーか ら大切にされていると感じたクライエントは自分 で自分を大切にするようになり,自分の意味する ところを理解されたと感じると自分に耳を傾ける ようになる」 15) と述べている。ここには,カウン セラーとの関係に支えられることで,クライエン トが自分自身との関係を築くことができる,すな わち自己受容につながるという考え方が示されて いる。 クライエントが自分自身と良好な関係を持つこ とを重視しているのがクライエント中心療法の流 れから生まれたフォーカシングである。フォーカ ― 19 ― ゲシュタルト療法研究,第 8 号,2018

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- 19 - ゲシュタルト療法研究,第 8 号,2018

【原著論文】

ゲシュタルト療法の提案にフォーカシング的態度を加えることの意義

有村靖子

Significance of the addition of focusing attitudes to Gestalt Therapy

Yasuko ARIMURA

要約

ゲシュタルト療法にフォーカシングを取り入れる意義はすでに報告されている。フォーカシングの実践上とり

わけ重視されるのが「フォーカシング的態度」である。本研究では,ゲシュタルト療法をベースにしたカウン

セリングの事例を提示し,クライエントに「フォーカシング的態度」を教えたことの意義を,関係性を重視す

る観点から検討した。初めにフォーカシングをおこなうことと,「フォーカシング的態度」を教えることの区

別を明確にし,ゲシュタルト療法においてフォーカシング的態度を教えることの整合性について論じた。次に

経験に学ぶための基本的態度でありスキルであると考え結論づけた。最後に,Yontef.G.を引用しつつ検討し

た結果,フォーカシング的態度は関係性を重視したゲシュタルト療法の介入として実践上意義があることがわ

かった。

キーワード:フォーカシング的態度 関係性 変容の逆説 反転

1.はじめに

ゲシュタルト療法は,Perls,F.12)(1973)等に

よって提唱された気づきを中心としたカウンセリ

ングである。基本的な関わりは,今ここに図とし

て浮かび上がる気づきに焦点をあて,その気づき

を十分に経験したり,表現したりできるようにす

ることである。また,これまでも認知行動療法を

はじめ様々な心理療法に取り入れられ大きな影響

を与えてきた。今後への期待としてゲシュタルト

療法に他の技法,心理療法を加えることでゲシュ

タルト療法が拡張していく可能性があることを江

夏3)4)は強調している。また近年,関係性を大

切にした関わりが重視され,「関係的であることが,

ゲシュタルトカウンセリング理論の核心である。」

と Yontef, G.16)(2002)は述べている。

筆者も,これまで関係性を大切にするための工夫の一つとして,ゲシュタルト療法にフォーカシングを取り入れて臨床に活かしてきた。そのなか

医療法人 修誠会 たばたメンタルクリニック 所属:ゲシュタルト・アート・フォーカシングネット(GAFnet)

で,「フォーカシング的態度:以下 Foc.A.と記す」 がクライエントの自己受容を助け,カウンセリン グが進展し,日常生活に変化をもたらしたことを

検討する。

もともと日本では,Rogers,Ⅽ.の提唱したクライ

エント中心療法の影響を受け,信頼関係がカウン

セリングの基本とされてきた。 Perls,F.も登場す

る古典的なビデオの冒頭で,Rogers,Ⅽ.(1968)は信

頼関係の重要性について説明し「カウンセラーか

ら大切にされていると感じたクライエントは自分

で自分を大切にするようになり,自分の意味する

ところを理解されたと感じると自分に耳を傾ける

ようになる」15)と述べている。ここには,カウン

セラーとの関係に支えられることで,クライエン

トが自分自身との関係を築くことができる,すな

わち自己受容につながるという考え方が示されて

いる。

クライエントが自分自身と良好な関係を持つこ

とを重視しているのがクライエント中心療法の流

れから生まれたフォーカシングである。フォーカ

― 19 ―ゲシュタルト療法研究,第 8号,2018

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シングは,微妙なからだの感じを意味ある感覚(フ

ェルトセンス)として大切にし,そこから気づき

を得る方法である。そこではまず,セラピストが

クライエントに示すような受容的な態度を,クラ

イエントが自分自身に向け「内側にでてきたもの

をそのまま認めゆっくりつきあうこと5)」すなわ

ち Foc.A.が重視される。気持ちであれ,思考であ

れ,イメージであれ,今あるものをまずはそのま

ま認めるのである。つまり,Foc.A.は,感じられ

るすべてを受け入れる構えであるが,フォーカシ

ングそのものではない。Rappaport,L.(2009)は,

Foc.A.を経験するにつれクライエントは感じられ

た体験とは別の,より大きな自己の側面があるこ

とを学んでいく 14)と述べている。 フォーカシングの背景には Gendlin,E.の難解

な哲学理論があるが,一般向けのフォーカシング

の手引き書2)には自分自身との付き合い方が易し

く紹介されている。 フォーカシングは心理療法のさまざまな技法と

重ね合わせて用いられる8)。Gendlin,E.(1996)は,

ゲシュタルト療法にフォーカシングを加えること

で,頭で考えて作り出すという問題を回避し自然

にからだから生じた変化を確認できると述べてい

る5)。

ゲシュタルト療法とフォーカシングを取り入れ

た療法として,Greenberg,L.(2011)のエモーシ

ョン・フォーカスト・カウンセリングがある。ゲ

シュタルト療法をベースにした関わりであるが,

体験が深まらない時,内的体験に関与するための

基本的な手法としてフォーカシングが用いられて

いる7)。

また,Yontef, G.(2007) はゲシュタルト療法に

おける現象学的方法としてフォーカシングと実験

の二つをあげている。対話的関係を基盤にしてフ

ォーカシングを用いることで,クライエントは経

験から学べるようになると述べている 17)。 筆者は,からだに注意を向けながら気になる感

じを表現するフォーカシングのセッションも行っ

たが,多くのカウンセリング場面では,ゲシュタ

ルト療法に加えて「Foc.A.」を教える,または提

案するだけを行ってきた。特にクライエントが自

分自身と友好な関係を持てない時に,ゲシュタル

ト療法の提案に加えて Foc.A.を教えることで,ク

ライエントの気づきのプロセスに進展がみられた。

本論文で提示する事例では,反転行為が強いと

考えられるクライエントに,Foc.A.を自分自身に

向けることを提案した。クライエントに Foc.A.を教えながら進めたカウンセリングの過程を抽出し,

Foc.A.を教えたことの意義を検討する。 2. 事例概要 クライエント:B さん(女性),30代 職業:専門職 主訴:「歯を抜きたいが歯科に行くのが怖い。治療

によって死んでしまうのではないかという恐れが

ある。」「ガス器具や鍵などの確認をしたくない」

「いつも緊張して周りの評価を気にして疲れてし

まう」 面接に至った経緯:数年前に祖母が亡くなり,喪

失感から体調を崩し心療内科を受診した。しかし,

関係を築いてきた医師の転勤があり中断となって

いた。その後,筆者がゲシュタルト療法をしてい

ることに興味を持ち,共通の友人から紹介されて

筆者のカウンセリングルームを訪れた。B さんは

強迫的な傾向の苦しさを抱えていたので,筆者の

勤務するクリニックを紹介し数回受診した。しか

し,B さんは薬への不信感が強く,薬はお守り程

度と捉えていた。 主訴の他に B さんは,祖母が亡くなったことは

自分が中心となり看病をやったからではないかと

罪悪感と責任を感じていた。その経験から自分が

何かをすると関わった人が死んでしまうのではな

いかという強迫的な恐れもあった。 ゲシュタルト療法を基本とした関わりの中で日

常生活がしやすくなることをカウンセリングの主

目的とした。

3. 事例の経過 本論文では,特にゲシュタルト療法の提案(エ

ンプティチェアやイメージ)がうまくいかない時

に Foc.A.を提案した部分を詳細に記した。また,

守秘の観点から,事例の本質が損なわれない程度

に修正を加えた。事例の発表をするにあたり,B

さんから書面で同意を得た。 面接回数を#で表す。 筆者:Co クライエント:Bさん 初期 x年#1

Bさんは,親知らずを抜きたいけれど抜くのが

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怖い。「もし抜いたら死んでしまうのではないか…

…何か悪いことが起きないですかね」と語った。

どんな怖さなのかの問いかけに,Bさんは祖母の

ことを思い出した。「数年前,大好きな祖母が亡く

なったことの喪失感から体調を崩し外へ出られな

くなって心療内科へ通い治療を受けた」と語った。

他に,「真面目過ぎるのが良くないのか,何事もき

っちりと丁寧にやるタイプで手抜きができなかっ

た」「人から嫌われたくなくていつも笑顔で対応し

てきた。」その他,料理が好きだったが料理を作れ

ないことやガスを止めたか気になり何度もチェッ

クすること,電車に乗れないことなどを次々と話

した。おばあちゃんが亡くなったことの辛さを受

けとめた上で,おばあちゃんに対して何か言いた

いことがあればそれを伝えるというのはどうでし

ょうかとエンプティチェアを提案した。おばあち

ゃんをイメージしてBさんの気持ちを表現するこ

とと,おばあちゃんになってBさんへ伝えたいこ

とを伝えることを説明したが「おばあちゃんにな

るのは無理です。何か起こったら怖いから」と言

った。筆者がゲシュタルト療法をやっていること

を聞き「今までとは違う体験をしたい」と語って

いたが,エンプティチェアは早急過ぎたと考え,

怖さを受け止め終了した。 x年#2

筆者と出会う以前にカウンセリングを数回受け

ており,そのカウンセリングの体験から「わたし

の問題は両親との関係があるのではないかと薄々

気づいているんですけど……」と語った。特に「父

親は何事にも厳しかったですねぇ」「お前はダメだ

と事あるごとに父親に言われて……母親からは,

文句を言わずお父さんがいうように黙っていてと

諭されました。小さい頃はなんで? なんで?

と言えていたのにいつのまにか気持ちを表現でき

なくなって……」何か思い出すエピソードがある

かの問いかけに,「小学生の時,参観日に父親が来

て,いきなり仲の良い友だちの前で『本当にお前

はダメだな』と言われてほんとに嫌だった」「人と

の関係で,いつも相手からどう思われるかと周り

の評価が気になってどこかひとりの感じがしてい

るんですよ」「何とか関係を作りたいんですけどね

……」と語った。 <父親とのエンプティチェアの提案> 父親に対して「『私は悪くない』という気持ちと『あ

きらめている感じ』がある」と語った。小学3年

生の参観日の時に父親に言いたかったことを伝え

る提案をしたが,座布団に対して言おうとしても,

「言えない」「何か悪いことが起こりませんか?

父が死んでしまうとか……」と,怖い気持ちが強

くて表現できなかった。 <Foc.A.を向ける提案> Co うんうん……何か悪いことが起きるんじゃな

いかと思うと……怖い感じがあるんですね。 ……その怖さはどのあたりで感じられますか? Bさん ……からだ全体…… Co その……からだ全体にある怖さに対して,

「怖い感じがからだ全体にあるね」とわかってあ

げるというか……その怖さを十分に認めるという

か……そんなこと……できそうですか? Bさん 認める? ……怖いですね Co うん,そうね……うん,仲の良い友だちが怖

がっていて,それをわかってあげるような……そ

んな感じで……「怖いね,怖い感じがあるのはわ

かってるよぉ」って伝えることってできそうです

か? ……難しい時は教えてくださいね…… Bさん はい……わかりました…… Co(少しの沈黙の後)どんな感じですか? Bさん ん? できてるかどうかはわからないけ

れどやりました……少し楽になったかな…… 終了前に,これはフォーカシングの中でとても

大切にしている「フォーカシング的態度」だと伝

え,さらに,出てくるものに対してどんなことも

大切にして,優しさをもって接するということだ

と説明するとBさんは興味を示した。これからち

ょっとずつ練習していきましょうと提案し ,フォ

ーカシングの本を紹介して終了した。 x年#3

3 回目までの間,海外のゲシュタルトファシリ

テーターや日本のゲシュタルト療法家のワークシ

ョップなどが開催されたのでBさんに紹介した。

Bさんはゲシュタルト療法のワークショップに参

加し,その時にワークを受けて,怒りを出しすっ

きり感を感じたと語った。しかし「(怒りを)出し

てよかったのかなと不安になった。」とも語った。

筆者はBさんに対して<今,正直な気持ちを表現

してますね>と伝えた。他に,職場の人間関係で

「人から嫌われてる気がする」「自分自身は価値が

ないような,他の人がすごい気がして……」と語

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った。 x年#4

Bさんは,自身の両親に対する怒りを持ってい

ることや親から嫌われないようにしている自分が

いることにも気づきが向き始めていた。「参観日に

父親が来て理由もなく『本当にダメなやつだ』と

友達の前で言われて悔しかった」と語り,「家に戻

り母親に話したけれど,かばってくれるどころか

『あんたが黙って言うことを聞いてくれたら私は

精神病にはならない』と言われ黙っているしかな

かった。」と続けた。#2 と同じ内容が#2 より詳

しく話された。父親に対する怒りより母親がかば

ってくれなかったという思いが強いように感じら

れたので「おかあさんにその時言いたかった気持

ちを伝えてみませんか」と提案したが,「母親に怒

りをぶつけると母親が死んでしまうのでは……」

という恐れがとても強かった。その後「父親なら

大丈夫かな……」と言うので,父親に対して気持

ちを表現するという実験を提案した。 <父親の座布団から自分自身へ> Bさん お前は何をやっても駄目だ。 (強い口調で)だまってろ。 <クライエントの座布団から父親へ> Bさん そんなこと言わないで……(沈黙) Co なんだか力がなくなる感じが伝わってきま

す。 Bさん 怖くて言えないです。 Co そうですね……こちらの父親のとこに座っ

ている時はすごいエネルギーでしたよ。 Bさん (驚いたように)え? そうでしたか? Co もう一度こちらへ(父親の側)座ってみてく

ださい。 <父親の座布団に座る> Bさん あっ(笑いながら)声を出しやすいです

ね。なんか,強い感じ。威張ってるような,胸を

張りたくなるような感じ……。 Co ちょっとそれを味わってみましょうか。 Bさん (しばらくじっと味わっている)すごい

強い人なんです。だから怖くて言えない…… <しばらくして自分の座布団へ移動> Co 小さな声で言ってみませんか?怖いって…

… Bさん 怖い……怖い……(小さな声で)嫌だっ

た 友達の前で言われて嫌だった……すっごく嫌

だった。 Co そうね,ほんと,嫌だったね。(座布団を手

に渡して)どのくらい嫌だったか,これを押して

みませんか? Bさん うんんん,こんな感じかな~(座布団を

上から押す) Co 押しながら「イヤ」って言ってみて…… Bさん イヤ,すっごくイヤ,ほんとにイヤ……

声がいつも以上に大きくなっていたのでそのこ

とをBさんにフィードバックした。しかし,座布

団を押してはいるが,押した手の筋肉が固まって

いた。これは,言葉ではイヤだと言いながらもか

らだはブロックしている状態であると考え,自分

の外側に「イヤ」を表現したことにならないこと

を説明した。Bさんは,日常から力が抜けずリラ

ックスできないということを語った。 Co そうやって生きてきたんですよね。そのこと

は決して無駄ではないです……。自分に必要だか

らそんなやり方をして生きてきたんですよね……。 「ほんとによくやってきたね」と自分自身に伝え

てみませんか。 Bさん (目の前の座布団を撫でながら)よくや

ってきましたよ……いつも親にいろいろ言われな

がらも……ほんとよくやってきた……(涙が溢れ

る) 座布団の自分自身に Foc.A.を向けることがで

きた初めての体験となった。Bさんは「なんか…

…すっきりしてます。」と表現し,その感じを味わ

っていた。 x年+1年#5~#6 カウンセリングの中で,起きてきたものに Foc.A.を傾けることが大事だと頭では理解しているが,

実際には自分自身を責めることが多かった。「ある

ね,わかったよ,と言うんですが,それはできる

んですけど……やっぱり自分の何がいけないのだ

ろうと考えてしまうことがよくある。」と#6で話

された。この時期のカウンセリングでは,今起き

ていることをまずは認め,『そんな気持ちがあるん

だね,わかったよ』と自分自身をわかってあげよ

うと伝えることが多かった。 中期 x+1年#8

「職場のパートナーと車に乗っていて相手のイ

ライラが自分のせいのような気がして,自分自身

が震えているような感覚があった」ことがBさん

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の中では図になっていた。職場のパートナーが今,

隣にいると想像するとどんな感じがしますか?

という問いに,「身体に力が入っています。なんか

父親に怒られている感じがしてビクビクしてる。」

他に,「小さい頃から自分は生まれて来ない方がよ

かったのかもしれないとずっと思っていたんで

す。」とも語り,「ビクビクしない自分になりたい」

と今までよりも強い口調で語った。 職場のパートナーが隣にいて,父親から怒られ

ているように感じたという場面をそのままイメー

ジしていてもらう提案をした。 Bさん ……いつもビクビクして周りのことばか

り気にするんですよ。どう思われてるかとか,嫌

われるんじゃないかとか……。 Co そう言いながら……今,からだはどんな感じ

ですか? Bさん すごく力が入っていてビクビクしていま

す。そうじゃなくなればいいんですけどね。いつ

も怒られてる感じ……怖いです。また何か言われ

る……そんな感じ……。 Co ビクビクしている自分をわかってあげる…

…というのはどうでしょうか? ビクビクしている自分に……『怖いよね,怖いの

も当然だよね』ってわかってあげるというか,で

きそうですか? Bさん あ~そうでしたね。…… (目を閉じて胸に手を置いて)…………ちょっと

安心してる……。 ……ビクビクしてもいいんですね。

Bさんは,エンプティチェアやイメージワーク

の体験が進み,ワークの中では表現できるように

なっていた。また,グループワークなどで他の人

のワークをみて,『感じていることは表現するべき』

という気持ちも生まれてきていた。表現すること

でのすっきり感を味わった経験もあった。しかし,

今回のカウンセリングで「表現しない自分がいて

もいいんですね……楽になりました」と言葉にし

た。また,先日ひとりで電車に乗れたことで自信

ができ,船や飛行機にも乗れるようになりたいと

話し,気持ちが外に出ることへ向き始めているこ

とを共有した。Foc.A.を自分に向ける経験は練習

していくことで自分のものになることを伝えて終

わった。 x+1年#9~13

この頃のBさんは,過去の経験を整理しないと

前に進めないのではないかという思いが強くなっ

ている時期だった。気づきのレッスン9)を体験し,

過去や未来に気持ちが向いていることに気づき,

今ここにいることの大切さなどを共有した。#11では,「強がって我慢することが好かれると思って

いたけど甘えていいんですね」「甘えていいんだな

と思うと楽な感じ」と言いそれを味わうことがで

きた。Bさんは,「からだの感じに注意を向けたり,

味わったりすることが前よりできる気がする。」と

語った。 x+2 年#14

「喉のあたりにギュッとしまる感じがある」こ

とが話され,「からだを緊張させながらも自分自身

を守らなきゃいけないとずっと思ってきたような

気がする」と自身を振り返る言葉があった。他者

に対しては,「自分の気持ちを時々だが本音で言え

るようになっている」と話す一方で,「リラックス

していい時にも喉のあたりをギュッとしめつけて

いて……リラックスしていいのに……」と語った。 喉のあたりはどんな感じかを確かめると「違和

感を感じる」と言うので,喉の違和感を感じて,

その違和感になって表現してもらう提案をした。 Bさん わたしは喉の違和感です。 わたしは……わたしは周りの攻撃から守るために

喉をしめている。 ……でも私はいつでも戦える準備ができている。 Co 今までギュッとしめて,からだを固くして自

分自身を守ってきてたんですね。 Bさん そうそう,こうして守ってきたんですよ

ね。そしてもう戦う準備までできてる(少し笑う) Co 喉のあたりに注意を向けて「こうやって守っ

てきたんだね」って優しく伝えてみませんか? Bさん はい……そうですね(1分くらいの沈黙)。

(涙がこぼれる)喉が……なんか……大事な感じ

……いとおしいというか……。 ゲシュタルト療法の代表的な技法のひとつであ

る「それになる」という提案をして,「喉の違和感」

を表現している自分自身へ Foc.A.を向けるよう

に声をかけた。Bさんは提案を受け入れ,「からだ

を固くしていたのは自分を守るためだったんだ」

と,何度か繰り返し言葉にした。 後期 x+2 年#15~21 Bさんは常勤で働くことになり,「自分のやりた

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いことに進んでいることが嬉しい」と感じている

一方で「周りの目が気になって気を使い疲れてし

まうことがある。」と語った。<見られる>のでは

なく<見る>という実験を提案し Co を見る練習

をした。(#17)「戸締りや火の始末などの確認行

動はやっぱりあるんですが,前ほどではなくなっ

て……最近では『今は気になるんだなぁ』と Foc.A.を向けることを思い出して時々は言えるようにな

ってきました。」「わたしの料理を食べた人が死ん

でしまうのではないかと思うと料理ができなかっ

たんですけど,大好きな料理は今までの人生の中

で一番作っている気がして……嬉しい」と語った。

(#18)常勤での仕事をこなしているが,周りか

らの評価や人の表情が自分の影響のように思える

こともあった。想像することによって苦しくなる

ことに対して中間領域にいることに気づくために,

「今ここ」に戻る気づきのレッスンを再度教えた。

「人間は必要なことをしているのですものね。」と

少し思えるようになっていた。日常でもからだの

声を聴こうとするようになっていた。(#20)カ

ウンセリングの中で語られ,しだいに明らかにな

った問題が,全て解消されたわけではなかったが,

当初の目的はほぼ達成されているため一応の区切

りとし,必要があればサポートできることを約束

し終結とした。 4. 考察 ⑴「フォーカシングをおこなうこと」と「Foc.A.

を教えること」

考察にあたってまず初めに,Foc.A.を教えるこ

とと,フォーカシングをおこなうことを区別した

い。まずフォーカシングとは,すでに説明したよ

うにフェルトセンスに注意を向けそこから気づき

を得ることである。Gendlin,E.(1996)は「ゲシュ

タルト療法でフォーカシングを用いる」意味につ

いて,からだの内側に注意を向けることで,から

だと無関係に頭で考えたことを演技するだけにな

ることを回避できる 5 ) と述べている。また

Greenberg,L.(2010)は,クライエントが表面的あ

るいは,明確に意味が理解できないような体験を

している状態の時にフォーカシングを用いた介入7 )を行う。さらに,Yontef,G.(2007)はからだの

感じに注意を向けられるようになることで気づき

が広がる 17)と述べている。いずれも体で感じら

れる今ここの経験に注意を向け,気づきを促すた

めにカウンセリングの中でフォーカシングを用い

ている。

一方「Foc.A.を教える」のは,体験と向き合う

ための基本的な態度を身につけてもらうためであ

り,感じられるものすべてを優しく受けとめるこ

とを提案する。このような態度はフォーカシング

に限らず内的なワークを行う際の心構えでありワ

ークを進めるための土台となる。

Rappaport,L.(2009)は,セラピーにおける

Foc.A を「クライエントとセラピストの双方が,

クライエントのどのような体験も迎え入れ,やさ

しい態度をとれるようにする。」14)とセラピスト

からクライエントに向けられる態度も含めている。

言うまでもなくカウンセラーはクライエントが内

的ワークを行う場を支える大事な役割を担うので

ある。

「フォーカシングをおこなうこと」と「Foc.Aを教えること」を表1に整理した。

⑵ゲシュタルト療法と教えることとの整合性 「ゲシュタルト療法は言葉や解釈のセラピーで

はなく,経験的なセラピーである。」12)クライエ

フォーカシングをおこなう フォーカシング的態度を教える

目 的 経験していること(体験過程)に注意

を向け気づきを促す

経験に向き合うための基本的態度を身

につける

注意を向ける

対象

フェルトセンス 身体感覚 身体感覚,感情,思考,イメージ,その

他意識に上がるものすべて

言葉かけの例 今,からだでは何を感じていますか

からだはどんな感じですか

〜があるのをわかっておきませんか

~があるのをただ認めておくことはで

きますか

表1

― 24 ―

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25 ゲシュタルト療法研究,第 8 号,2018

ントは実験を通して経験し,そこから得た気づき

が重要であるとされている。Foc.A.を教えること

はゲシュタルト療法にどう位置づけられるのだろ

うか。教えるという言葉から「心理教育」的働き

かけとしてとらえることも可能であろう。しかし,

Foc.A.を筆者は実験のひとつとしてとらえている。

Foc.A.の提案は,「二段階(split-level)教示」8)

を行っている。セラピストは教示を試しに与えつ

つ,その教示に従ってもいいかどうかをクライエ

ントに感じてもらうという方法である。自分自身

の内側の根源的力を発見する方法を外側から「教

える」という矛盾に対応するために考案されたフ

ォーカシング教示の基本である。感じてみて大丈

夫であれば試してみるという性格を持ったこの教

示はひとつの提案であり実験と捉えることができ

る。#2 で,「怖さを認めるというか……わかって

あげるというか……そんなこと……できそうです

か? 」と Foc.A を向ける提案をされた時,Bさ

んはBさん自身で感じながら試してみることを選

択した。実験を行うか否かはクライエントの選択

に委ねられているという点でゲシュタルト療法の

基本的な考え方には矛盾しないと考える。 ⑶経験に学ぶための基本的態度

Yontef,G.(2007)17)は,人は経験に学んで考

えや行動を修正していくが,経験に学ぶことが上

手くできなくなった時カウンセリングが必要とな

ると述べている。カウンセリングで人は経験から

学ぶ方法を学ぶ。その方法の一つがゲシュタルト

療法やフォーカシングである。Yontef,G.(2007)

は具体的な働きかけとして「今からだでは何を感

じていますか?」といったフォーカシングの基本

的な問いかけをあげているだけでそれ以上の詳し

い説明はしていない。17)筆者は「経験に学ぶ」こ

とが困難になっているクライエントが「経験に学

ぶ」ことができるようになるためには,Foc.A.が重要な役割を担うと考える。なぜなら今ここでの

経験に触れることが難しくなっているクライエン

トは,何らかの考えや感情などに捉われているか

らであって,実践上は,内側に注意を向けた時に

でてくるそれらの捉われをうまく扱うことができ

てゲシュタルト療法における体験のプロセスは進

んでいく。Foc.A.によって捉われている自分自身

をも含めた全てを認め,「仲良く」することで,そ

れらの捉われに邪魔されずに経験していることに

触れることができるようになるからである。つま

り Foc.A.は経験に学ぶための重要なスキルだと

考えられる。 筆者は,Bさんが自身へ友好的な態度を向けら

れず批判的になった時に Foc.A.を提案し,試しに

Foc.A.を自分自身へ向けてみる実験を勧めた。#2で「仲の良い友だちが怖がっていて,それをわか

ってあげるような……怖いね,怖い感じがあるの

はわかってるよって伝えることできそうですか…

…」と自分と向き合う基本的態度の提案を試みる

ことで,Bさんは少し楽になった。#8 では,自身

へ友好的な態度を向けられず批判的になった時に

Foc.A.を向ける提案をした。Bさんは「あ~そう

でしたね。……」と思い出したように Foc.A.の提

案を受け入れた。 Co に教えられ(#2,4,6,8,14)Foc.A.を自身へ

向ける経験をしたことによって,Bさん自身を楽

にするものであるという経験になっていた。教え

られ,半ば形式的に経験したことであったとして

も,Bさんに安心感やすっきり感が得られたもの

は,快の経験として身に付いていく可能性は高い。

カウンセリングのプロセスの中で,クライエント

が自分自身に優しさを向けることができるように

なるまで待つのではなく,ただ認める,ただわか

っておくという簡単な働きかけを試しにでも実際

に経験してもらうことを重視した。そうすること

が自らの体験に気づきを深めることに役立つと考

えたからである。そしてこれは日本でこれまで報

告されてこなかった Yontef,G(2007)の指摘の一

つの実践例でもある 17)。本邦では対人関係上の問

題を訴えるクライエントに対して,エンプティチ

ェアが多く用いられている。しかしBさんに限ら

ず,そのような介入がワークとして進展を生まな

い瞬間も存在する。その際,クライエントが自分

自身と関係を作るためのエンプティチェア以外の

介入法として,Foc.A.を導入することが効果的と

考える。自責的になっていたり批判的になってい

たりする自分自身の今のあり方も含めて,すべて

をそのまま認めることによって,経験に開かれ,

自己受容が進み,あらためて「経験から学ぶ」姿

勢を作り直すことができると考えられるからであ

る。Yontef,G(2007)は論文冒頭の要約で「根本

的な変化は自己受容の結果生じるのであり,自己

否定に基づく変化の試みから生じるのではない」

― 25 ―ゲシュタルト療法研究,第 8号,2018

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26 ゲシュタルト療法研究,第 8 号,2018

と述べている。17)

Foc.A.を加えることはこのようなカウンセリン

グ上の問題が生じた場面に限らず,ゲシュタルト

療法の実践全般に応用することで,カウンセリン

グ中の経験の促進をより丁寧かつ効果的に行える

ようになる可能性がある。本事例の B さんに対し

てもいろいろな場面で Foc.A.を加え,経験に向き

合うための基本的な態度に立ち戻ることができた。 ⑷対話的関係 Yontef,G.(2007)は対話的関係の原則として,

インクルージョンとプレゼンスをあげている 17)。

インクルージョンとは,セラピストが完全にクラ

イエントの立場に立って(クライエントのからだ

で感じるかのように)クライエントの身になって

感じながら,同時に自分自身の感覚を失わないで

いるプロセスである。またプレゼンスとは存在感,

人として隠さない有り様のことであり,関係的な

ゲシュタルトカウンセリングにおいては思いやり

や謙虚さ等が重視されている 16)(Yontef,G.2002)。 #4 で Co からの応答「そんなやり方をして生き

てきたんですよね」「ほんとによくやってきたねと

自分自身に伝えてみませんか」は,筆者に起きた

正直な気持ちであり,Bさんの言葉を大切に扱い,

Bさんの生きてきた人生そのものに対して敬意を

持って受け取った発言である。Bさんが自分自身

をいたわり,自分に優しい態度を向けるように提

案していると同時に,Co からBさんに向けられた

気持ちが込められている。 #4 で筆者はBさんの身になって,からだで感じ

ながら受け止めていた。その時筆者はBさんの世

界にいた。一方 Foc.A.の提案は Co の立場から出

されたものである。相手の世界に入り込むだけで

は Foc.A.の提案は生まれない。ブロックし固まっ

た状態をクライエントのように感じると同時に,

自分自身としてそこに存在し,自分の気持ちへの

気づきに基づいた提案である。Foc.A.の提案に含

まれていた思いやりの表現はプレゼンスの表れと

考えられる。Foc.A.の提案に至る#4 のプロセスは,

インクルージョンとプレゼンスが機能していたと

考えられる。Foc.A.の提案は,クライエントの自

分自身との関係に向けられながら,同時にクライ

エントの外側,すなわちカウンセラーからの支え

のメッセージが反映されている。#6「そんな気持

ちがあるんだね,わかったよと自分自身をわかっ

てあげましょう」や#8「ビクビクしている自分を

わかってあげるというのはどうでしょうか」は

Foc.A.の提案の声かけであり,Co の思いが含まれ

ている。Co の思いが含まれている点で,関係性を

色濃く反映した技法と考えられる。 ⑸「全て」に対する Foc.A.

筆者は,本事例のBさんを反転という観点で捉

えた。反転(リトロフレクション)は,神経症の

メカニズムのひとつで「他者に対してしてあげた

いことを自分自身にする。」 12 )ことである。

Ginger,S.(2007)は,反転について「自分の欲望

や怒りと言った感情や欲動を<抑える>ことから

成る。」6)とした。反転行為に対する関わり方とし

て知られているのは,怒りを「自分自身ではなく

他者へ向ける」ことである 10)が,筆者が行って

役に立ったのは図に上がった全てのことに友好的

な態度を向ける提案であった。

#2 で,エンプティチェアへ表現することを提

案した際に,からだ全体が怖さでいっぱいになり

「言えない」と表現した。そこで筆者は,父親に

対する嫌だという感情よりも怖さを感じている

Bさんに対して,Foc.A.を向ける提案をした。か

らだ全体にある怖さに対して友好的に関わろう

とする試みは,怖さを対象化して「間」をおくこ

とにもつながったと思われる。「嫌だ」という気

持ちを表現するという提案はせず,「言えない」

「怖い」というありのままの気持ちに Foc.A.を向

けたことでBさんは楽になった。怖さに対してま

でも友好的な態度が取れるようになったことで,

ゲシュタルト療法の提案で大事にされている,体

験に「留まり」「十分に感じる」ことが可能にな

った。#4 では怒りを外側へ向ける実験よりも,今

まで生きてきたBさんそのものに Foc.A.を向け

る経験によって,ワークが進みすっきり感を味わ

った。その後(#6,8,14)でも出てきたものに

Foc.A.を向けることを重視した。 Perls,F.(1969)は,「有機体としての人間の最も

優勢な欲求は,いつの時にも「図」として意識の

前面になり,その他の欲求は一時的にせよ「地」

として意識の背後に追いやられる」と「ホメオス

ターシス」を説明している 12)。つまり,どんなこ

とであれ最も優勢な欲求が「図」として意識の前

面になる。それは,たとえ反転しているとしても

その人にとっては必要だということだと捉えた。

― 26 ―

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27 ゲシュタルト療法研究,第 8 号,2018

そこで,反転していることを否定せずにありのま

まを受け入れることがホメオスターシスの働き

を充足させることにつながると考えた。「図」と

なっている反転行為までも優しく受け止め,あり

のままを受け入れられたと感じることで変容に

つながると考えた。 Perls,F.(1969)は,「もしあなたがそこにあるも

のを受け入れるなら,その時,変化はそれ自身に

よって,自ら生じる 13)」と変容のパラドックスを

述べている。#8 の「ビクビクしてぶるぶる震え

る自分」を何とか変えたいと話すBさんに対して

何とかしようとせず,起こったままに Foc.A.を向

けることを提案した。その結果Bさんから「安心」

という言葉が出ている。起きたことを変えようと

せず,Foc.A.を「ビクビクしてぶるぶる震える自

分」に向けることによって生じる変化は,変容の

パラドックスと言える。自分自身の今の状態に気

づき,その状態をわかり,「ビクビクして震えてい

る」ことに責任を負うことである。Perls,F.(1969)は,このように自分自身に触れた瞬間から,成長

が始まり統合が始まる 13)と述べている。つまり,

「自分でない者になろうとする時ではなく,あり

のままの自分になる時に変容が起こる。」1)#4 に

おいてBさんがBさん自身に Foc.A.を向けるこ

とができ,自分自身を評価せず,変えようとせず

に自分自身に触れる初めての経験となった。#8 で

反転の特徴である自分の感情を内側に向けること

をBさんは理解しながらも,感情の起こったまま

に受け取り「ビクビクしてもいい」と思えている。

内側へ向けた感情を外に表現するという提案をし

てはいないが,起きていることに対して何も変え

ようとせず,ただ友好的な態度を向ける経験によ

ってBさんの変容は進んだ。 Yontef,G.(2007)は,ゲシュタルト療法におい

て治療的関係が中心的役割を担うことの理論的根

拠として「変容の逆説的な理論」を強調している

17)。セラピストがクライエントの苦悩や葛藤を含

んだ,その時その瞬間に経験していることを受容

することがクライエントの自己理解と自己受容の

支えとなり,クライエントの変化は生じやすくな

る。Foc.A.の提案は,経験する全てをそのまま受

けとめることをクライエントに提案すると同時に,

カウンセラーも共に受け止めているという支えの

メッセージも含んでいる。Foc.A.の提案は,関係

性を重視したゲシュタルト療法の介入であり,

Foc.A.を向けることによって起こる変容のプロセ

スは,変容のパラドックスと考えられる。 5.今後の課題

本論文では,一事例を提示し,ゲシュタルト療

法を基本としたカウンセリングの中で,エンプテ

ィチェア等の提案の際に, Foc.A.を教えながら進

めたことの意義を検討した結果,ゲシュタルト療

法への介入として実践上意義があることが示され

た。カウンセラーの側からはフォーカシングのセ

ッションを行うことと,Foc.A.を教えることの区

別は明確であった。しかし,クライエントの側か

ら両者はどのように違ったものとして受け止めら

れるのか本研究からはわからない。どちらも体験

していることをやさしく受けとめるという点で同

じプロセスをたどり,違いは感じられない可能性

がある。あるいは Foc.A.では,からだに注意を向

ける以上の何かがプラスされることによって,別

の受けとめ方をさせる可能性がある。今後,複数

の事例,介入例を用いて,クライエントに体験さ

れているプロセスを検討し,共通項や違いを確認

することが課題である。そのことが Foc.A.やフォ

ーカシングの提案が,別々に,あるいは統合され

た形で,ゲシュタルト療法においてより有効には

たらく形を探索することにつながると考えられる

からである。二番目は筆者の課題というより希望

である。フォーカシングとゲシュタルト療法は,

どちらも体験と気づきを大事にするという意味で

基本的立場を共有する同じ人間性心理学でありな

がら,両者の考えや違いについて論じた文献はほ

とんどない。今後この立場を代表する両者の交流

と研究が進み,理論的にも実践的にも発展するこ

とを期待したい。 最後に,筆者自身は今後の実践や探索的研究に

際して今まで同様に,Parlett,M.11)(2015)が

強調している「クライエントおよびクライエント

の体験に対して敬意の気持ちを持ち続けること」

やその場を含む全ての関係の大切さを忘れないよ

うにしていきたい。 <付記>

本論文をまとめるにあたりご指導いただきまし

た The International Focusing Institute

― 27 ―ゲシュタルト療法研究,第 8号,2018

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28 ゲシュタルト療法研究,第 8 号,2018

Focusing Coordinator 近田輝行先生に深く感謝

申し上げます。また事例公表を快くお許しくださ

った B さんに心から感謝いたします。

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