道徳、教養を どう取り戻すか - インテック · 2014. 4. 30. · か ら 何 を か...

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Page 1: 道徳、教養を どう取り戻すか - インテック · 2014. 4. 30. · か ら 何 を か い わ ん や で す 。 中 尾 『 論 語 』 の 「 子 曰 、 道 之

●大阪大学名誉教授  立命館大学教授  文学博士 

加地伸行氏

●聞き手  株式会社インテックホールディングス  取締役会長

 中尾哲雄

道徳、教養を どう取り戻すか 日本人が変わってきた。老いも若きもかつてない揺れを見せ、毎日のように殺伐とした事件が起きている。その原因は家庭にあるのだろうか、あるいは社会にあるのだろうか。 儒教をはじめとする中国哲学史の研究者としてだけでなく、いま問題になっている「人間関係」から「社会と人の心」などについて、するどい批判・提言をしている論客、加地伸行氏にお聞きした。

対 談 対 談

インテック大山研修センター にて(富山市)

道徳、教養をどう取り戻すか

インテックグループトピックス

信を通わす 第7回

「人間力」が問われている

先生、教えてください

「金縛りはどうして起こるのですか?」 福島大学共生システム理工学類教授

大阪大学名誉教授 立命館大学教授 文学博士

今、注目の動き あなたのワーク&ライフスタイルを変える テレワーク IT戦略、わが社の一手

福井県済生会病院

グループ会社の取り組み

株式会社インテックアメニティ

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予習・復習 IT用語

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季刊 インターリンク 第7号

加地 伸行 氏

福田 一彦 氏

聞き手 株式会社インテックホールディングス     取締役会長

中尾 哲雄

Interlink with Clients 常にお客さま満足を考える

“お客さま第一主義”

Interlink with Cooperators

パートナーとともに

新たなビジネスを創造

Interlink with Consumer

お客さまのむこうには

いつも“Consumer”が

Interlink with Corporate-holder

株主のご期待に応えて

Interlink with Col league

社員・グループの固い連帯

Interlink with Community

地域社会との共生

Interlink by Communication

お客さま、パートナー、そしてグループ間の

理解を深めるコミュニケーション

INTERLINK 7C

Interlink with Consumer

Interlink with ColleagueInterlink with Corporate-holder Interlink by Communication

Interlink with Community

Interlink with CooperatorsInterlink with Clients

心の風景 ~荒城の月~ 日本のうた

株式会社三菱東京UFJ銀行 取締役会長 畔柳 信雄氏

*本文中に掲載されている商品名およびサービス名は各社の商標または登録商標です。 禁無断転載

20

季刊INTERLINKの誌名はインテック

グループの行動指針「INTERLINK 7C」

から名付けたものです。お客さまをはじめ、

関わるすべての皆さまとINTERLINKして

いくという理念を誌名に込めました。表紙の

    は、基幹事業の一つである通信

事業を表すとともに、INTERLINKの

基本精神である「心を通わすこと」を表現

したものです。

通 信 心

Page 2: 道徳、教養を どう取り戻すか - インテック · 2014. 4. 30. · か ら 何 を か い わ ん や で す 。 中 尾 『 論 語 』 の 「 子 曰 、 道 之

「ご先祖様が見ている」が

日本人の抑止力だった

中尾 日本各地で毎日のように殺

伐とした事件や犯罪がメディアに登

場し、日本人の心が揺れているよう

に感じますが。

加地 親殺し、子殺しなどという異

様な事件が続発しています。すると

バラエティー番組などでは、その原因

をゆがんだ形の現代社会に結論付

ける傾向がありますが、とんでもな

い見解です。人間が生きている限り

は、犯罪の起こらない世界や時代は

ありません。だからこそ、人間は法

律や道徳、教育を犯罪の歯止めにし

てきたのです。なかでも、道徳教育の

欠落が大きな原因と見ています。

中尾 やはり道徳教育がなくなった

こともひとつの大きな原因でしょうね。

加地 国の中央教育審議会でも、法

律さえ遵守すれば、道徳教育は必要

なしと明言しているのですから何を

かいわんやです。

中尾 『論語』の「子曰、道之以政、

斉之以刑、民免而無恥。道之以徳、

斉之以礼、有恥且格」を思い起こし

ます。法にひっかかりさえしなければ

みつからなければ、何をしても許され

ると。悪い経営者も増えていますね。

加地 わが国は戦後、欧米にならい、

法律や教育はもとより、あらゆる社

会制度をつくる上で個人主義を第一

に掲げてきました。

 個人主義が成り立つための基本原

則は自律です。真の自律心をもって自

立できると、自己責任を意識できる

ようになるのですが、日本人には所

詮身につかないものだと思うのです。

中尾 憲法でも個人の権利が強く

保証されていますね。日本人には成

熟した個人主義をもつことはできな

いのでしょうか。

加地 いや、欧米の人たちも自分を

律するのは大変なことなのです。

 ただ、彼らはキリスト教に代表され

る宗教を日常に取り入れ、全知全能の

絶対神にすべてを委ねることで、法律

より高い次元の抑止力としたのです。

悪いことをすると神が見ていると。

中尾 抑止力のない個人主義の問

題点はどこにあるのでしょう。

加地 勝手気ままな利己主義者が、

社会に出てくることになります。今

の日本は教育とは名ばかり、利己主

義者を養成しているようなものです。

古来日本は、欧米のような絶対神で

はないものの、多神教で八百万(やお

よろず)の神をもち、われわれの心の

中に生きていました。

中尾 なるほど、

そういえば立山

も山自体がご神

体です。

 受験の神様は

太宰府天満宮、安

産、商売繁盛、交

通安全はどこそこ

と、ご利益の違いがあるようですね。

 確かに個人主義などという言葉

がなかった時代でさえ、自分を厳し

く戒め、責任をもって凛として生き

た立派な日本人がたくさんいました。

それはなぜでしょう。

加地 日本では、絶対神に代わる抑

止力として”祖先を敬う“というこ

とがありました。

 明治維新で欧米文化が入ってきた

とき、自然化学分野は真似をして学

びましたが、個人主義という異質な

ものをそのまま取り入れることはし

なかったのです。江戸時代の思想の骨

格である”一族主義“、広い意味での

”家族主義“を貫いたのです。感覚的

に身についていないものの真似はせず

に、ある一つの折衷案を作ったのです。

中尾 明治人の気骨の真骨頂ですね。

折衷案とはおもしろい。

加地 ”一族主義“の実態は、世帯の

集合だということに目をつけたので

す。世帯は2人から多くても5〜7

人ぐらいの集合です。その中心に戸

主を置き、広い意味での世帯、ご先祖

様までを一族とした戸主制度が明

治30年から昭和22年まで続きました。

中尾 私のように戦前から生きて

きた者には、”一族主義“が理解でき

ますが、今の若い人たちにはわかり

にくいでしょうね。

加地 戸主より上のご先祖様がわ

れわれの抑止力となり、祖先を祀る

お仏壇にお参りする。ご本尊様に拝

むというより、お位牌に手を合わせ

てきたのです。

 私は会長と同年齢ですから、戦争

中、空襲警報が鳴るとわれわれ子ど

もたちは真っ先に防空壕に逃げまし

たが、母は家に走り、お位牌を晒(さ

らし)に包み大事に抱えて逃げたも

のです。

 しかも日々、お仏壇に向かって家

族全員が”お勤め“という形で手を

合わせることにより、生活の中で抑

止力を無言で伝えていたのです。

中尾 悪いことをすると、そこに誰

もいなくてもご先祖様が見ていると。

 仏壇に毎朝、家族皆が参ることで

無意識のうちに家族の結集もはかれ、

日本独自の抑止力も培われてきて、

そこには祖先との出会いもあったわ

けですね。

家庭内で失われた聖なる空間と

時間それが道徳教育だった

加地 いま、家族は団結せよ、それに

は親子の会話が大事だと教育学者

や心理学者が声高に言っていますが、

親子対話には、決められた神聖な空

間や時が必要です。

 昭和の初期には、茶の間の中心に

ちゃぶ台があり、仏壇にご飯をさし

あげてから、家族揃って食事をしま

した。それくらいご先祖様との結び

つきを大事にしてきたのです。

中尾 それがいまや、家族揃っての

食事どころか、個食の時代になって

います。

加地 日本人が長い間に作り上げ

てきた聖なる空間や時間を忘れて

はならんのです。仏壇にお参りし、

祖先を敬うのが、実は道徳教育の根

本なのです。

 ところが、昨年、教育再生会議で

道徳教育を発議したにもかかわら

ず、教育基本法の改正は条文どころ

か前文にすら入れてもらえませんで

した。ご先祖様を敬愛する精神を

養うという意図の抜けた教育では、

抑止力は望めません。

 ただ、「敬老の日」に対して祝日に

ついての法律では、”祖先を敬愛し“と

書いてあるので少しは救われます。

中尾 祝日法では思い出深いことが

あります。昭和天皇の崩御後、平成

に年号が改まったことを受けて、当

初は天皇誕生日を「みどりの日」の

祝日としていました。

 しかし、われわれが中心となって、

さまざまな人たちの協力で、激動の

昭和を見つめるという意味の「昭和

の日」を提案しましたが、実現まで

7年もかかりました。

加地 ほう、それはよいことなさいま

した。明治と昭和という時代は人々

の生活や価値観が大きく変わった重

い時代といえます。道徳を教えない学

校教育では問題が先送りになるので、

家庭でこそ、しっかり見つめ直し、それ

を思い起こす日の制定は大賛成です。

中尾 われわれの経済同友会では「伝

えよう”親心“親として、企業人と

して」というテーマで、家庭教育の素

晴らしさや価値を再認識しようと

呼びかけています。

9割の人ができることをめざす

それが教育のありかた

中尾 学校教育では、相変わらず個

性重視ですが、個性はわかったよう

でわからないところがあります。

加地 耳への響きはよいのですが、個

性は教育では身につかないものなの

です。

 長年、教育に携わり、研究者を育

てる場合でも、その才能があるかな

いかは、7年も8年もかかって初めて

わかるというのが普通で、才能を見

極めるのは難しいことです。

 ほんとうに個性のある人は教育な

ど必要としないのです。

 私が研究してきた儒教の世界では、

世の中おしなべて、自立している人は

1割、残りの9割が一人前ではないの

で教育が必要だといっています。

中尾 9割というと、ほとんどの人の

ために教育が必要ですね。

加地 教育というのは、誰にでもで

きることを教えることを指します。

誰にでもできないことは個性ある1

割の人にまかせる。

 教えられなかったら生きていけない

9割の人のために、生きていくことが

1936年大阪市生まれ。60年京都

大学文学部卒。高野山大学助教

授、名古屋大学助教授、大阪大

学教授を歴任。現在、大阪大学

名誉教授。立命館大学教授。文

学博士。著書に『儒教とは何か』

(中公新書)、『孔子―時を越えて

新しく』(集英社)、『史記―司馬

遷の世界』(講談社現代新書)、

『家族の思想』(PHP新書)ほか

多数。

加地伸行氏 (かぢ のぶゆき)

 孔子云う、「人民を統治するのに、政治権力を乱用したり、従わない場合には刑罰を以て脅したりすれば、人民は捕まりさえしなければ良しとして、自分の悪事を恥と思わないようになる。徳治を以て人民を導き、礼儀礼節を重んじて統治すれば、人民は自ずから是非善悪の判断がつくようになって、良心に恥じるようなことはしなくなるものだ」と。

道徳、教養をどう取り戻すか 対談

Page 3: 道徳、教養を どう取り戻すか - インテック · 2014. 4. 30. · か ら 何 を か い わ ん や で す 。 中 尾 『 論 語 』 の 「 子 曰 、 道 之

できるよう身につけさせ、社会に送

り出すことが教育です。

 誰でもができることを学ぶことは

型を教えるともいいます。最小限の

型を教えて、しっかりと生きていく

技術を身につけさせることが大事な

のです。

中尾 型を教えるというと、日本の

古来からある伝統を引き継ぐ茶道、

華道、武道を連想します。

加地 古典芸能や武道の世界には、

このような考え方が今でも息づいて

います。この型教育をしないできたの

が今日の悲惨な現状のあらわれです。

中尾 具体的にお聞かせください。

加地 たとえば、小学校の算数で学

ぶ最終的な目的は、比率や割合を理

解できることなのですが、卒業時3

割の生徒は、それを理解していない

まま中学校に進むのです。小学校で

型を教えない弊害はそのまま持ち

越されて社会へ出る。

 教育は最小限のことを教えればい

い。この端的なのが「読み・書き・そろ

ばん」にあたります。

国語力と古典への理解力が

教養の決め手に

中尾 国語力の低下も深刻ですね。

加地 これも同様ですね。国語力と

は語学としての国語力と違い、国の

人々の歴史や文化、伝統の中から生

まれ、発展してきた総合的な”語

“の

力といえます。

 たとえば仏という言葉は、外国人

なら仏陀や釈迦の意味でとらえま

すが、日本人は「地獄で仏」とか「仏

のような方」などいろいろなニュアンス

で理解します。この力も低下してい

ますね。

中尾 日本語と国語は違うんです

ね。国語力が落ちると、考える力も

落ちるということでしょうか。

加地 思考力と感じる力との両方

の低下が起きています。数学者の岡

潔は「数学は情緒である」と言ってい

ます。すなわち、美しさを感じる心

の動きがなければ数学もできないと

いうことです。ですから、英語を小学

校で教える前に国語力の向上こそ

が優先されるべきでしょう。

 国語力がないと、外国語のニュアン

スの会得はできないものです。また国

語は全人的な教育であり、各教科の

根本ですから、国語の教師には幅広

い教養と熱意を求めたいものです。

中尾 国語力のあるなしは家庭環

境の影響も大きいのではないでしょ

うか。両親の影響は当然でしょうが、

本のある家とない家では子供の思考

力に差が出てくるのでは。

加地 親が本を読まないと、子ども

も読まないものです。ですから、遠回

りでも意識的に読書の習慣づけが

重要でしょう。

中尾 少子化により大学にもやす

やす入れる時代になりました。なら

ばまず、「読み・書き・そろばん」の型

を最小限教えておこうとか、自然の

中での体験をという親や教師が出て

きてもよさそうですが、型教育の実

現にはどうしたらいいのでしょう。

加地 確かにその通りです。倫理・

道徳の原則から言いますと、一つは、

時代が変わっても永遠に全世界的に

変わらないもの、たとえば人には真

心をもって接するというような道徳。

もう一つは、その時代々々の社会制度

など社会的変化によって変わる道徳

があります。

 このうち普遍的に変わらないもの、

全人間の全歴史上、地球のあらゆる

ところで共通する、この道徳を教え

るのが学校での道徳教育だと思うの

です。

中尾 それをどこに見出したら…。

加地 それを繙(ひもと)いてくれる

のは、やはり古典だろうと思います。

直接的に道徳教育と言わずとも、

古典教育のなかに人類にとって普遍

のものがあることを見出し、学ばせ

ていくことではないかと思います。

中尾 富山市が輩出した文化勲章

受章者で山田孝雄(よしお)先生と

いう方がおられます。尋常小学校す

ら中退だったにもかかわらず、独学

で国語学を究めた人です。その山田

先生が「百千度くり返しても読む

毎にこと新たなり古の典」と詠んで

いますが、学校教育では古典が重視

されていない傾向で、若い人は苦手

意識があります。

加地 そうです。授業では古典の面

白さを教えない、ただ知識を教える

だけの教育なのですから。

 人間、知識だけではダメで、知恵の

お手本を教えるためには道徳が必

要ですが、それには古典を通じてが

一番よい方法だと思います。

中尾 明治から昭和初期には、市

井の人々に学問から受ける知識は

なかったのかもしれませんが、知恵は

存分にもっていましたね。

 今は知識はあるが、知恵がない。

これは日々痛感しているところです。

先生は論語のなかの「君子」を知識

と教養を備えた教養人と訳してお

られますね。そして知識しかない人

を「小人」と。

加地 古来の中国では、教養を知識

の習得とともに、道徳的修養ととら

えていました。古典から知識を学習

し、その学習を通じて人格教育が成

されてきました。

 しかし、今の日本人の教養は単な

る知識のみとなってしまい、薄っぺら

な人間しか作れなくなったのです。

 単に知識を得るために古典を読

むのではなく、古典から知恵を求め

る姿勢が大切なのです。

中尾 文部科学省はこんどは小学

校から古典をと言い出しましたが。

加地 そうでなくても忙しい教員

の仕組みから変えないことには、難

しいのが現状でしょう。

 実は、私自身の孫と試みているこ

とがあります。会長の会社のIT技

術の集結であるテレビ電話を使って、

孫に漢文を素読させ、わかりやすく

通釈したりしています。

 ゲームソフトで道徳―古典を学ぶ

などということも柔軟に取り入れて

はいかがでしょう。

 こんなドッキング方法ができると

若い人たちにも古典が受け入れや

すくなるのではないでしょうか。

中尾 新しいものとのドッキングで

古いものを学ぶ、面白いですね。

今こそ型を教える教育が必要

長期合宿で浸透させるのも方法

中尾 最近の子どもは、ひ弱な感じ

がし、精神力が失われていますが、そ

のあたりも課題でしょうか。

加地 そうです。壁にぶちあたった

ときには、原則や基本に戻るべきです。

 教室で騒いでいる子どもたちやい

じめの問題でも、解決策には合宿を

提案しています。小学校では4年生、

中学と高校は1年生の4月いっぱい

をそれにあてるのです。

 都会の学校から過疎の廃校に寝

袋を持参、屋根が壊れていればテン

トでもいい、修理できるところは自分

たちで挑戦させる。4〜5人のグルー

プを班単位とし、教育実習生もそれ

に加わる。費用は意味のない修学旅

行をやめたらいいのです。自然の中で

ふれ合い、自活させるに限ります。

中尾 それは素晴らしいアイディア

ですね。

 ところで加地先生といえばやはり

「論語」。経営者がよるべき言葉を

論語の中から教えて下さいませんか。

加地 会長が先に言われた「子曰、

道之以政、斉之以刑…」。これは名言

ですね。法よりも道徳を重んずべし

ということです。なぜ道徳や倫理に

欠ける経営者が増えているのか、これ

は周囲、取り巻きも悪いんですね。「盗

言は孔(はなは)だ甘し」(人を誤ら

す言葉ほど聞くと心地よい)、裸の王

様になってしまうということですよ。

中尾 荀子の「我を非として当たる

者は我が師なり」。欠点を指摘して

くれる人が経営者にとって大切であ

り、それを嫌うなということですね。

加地 そうです。それは余裕でもあ

ります。そして余裕は自信ですよ。

中尾 先生、今日はありがとうござ

いました。いつもいつもご指導を賜り

感謝しております。また近いうちに

お会いいたしたく存じます。お互い

元気でがんばりましょう。

道徳、教養をどう取り戻すか 対談