道徳教育にむけての基礎的考察 - doshisha · 道徳教育にむけての基礎的考察...

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- 3 - 論文 道徳教育にむけての基礎的考察 ―本居宣長の共感の倫理の可能性― (同志社大学嘱託講師) A study on Moral Education clued by Motoori Norinaga’s ethics of empathy Eri Enomoto The Japanese government has argued that educational reform is necessary, especially in the field of moral education. We need to develop healthy identity of ourselves in order to have sound ethics. Historically, the Japanese child grew up supported by close human relations. It is important to consider the future of moral education, while going back to the basics. In this paper, I reconsider moral education in the Japanese cultural tradition, from the standpoint of the history of educational thought, and try to seek an answer in the thought of the kokugakusha (national scholar) Motoori Norinaga (1730-1801), especially in his thought of “mono no aware (an empathy toward things)”. The particular topic of this study is Motoori Norinaga’s Waka criticism and his activities at “Uta-kai (Waka poetry gathering)”. He established on his own concept “mono no aware”, but such feeling as “mono no aware” was not peculiar to ordinary people in Edo period. He often had “Uta-kai” with his fellows. They read aloud about their “Waka poetry” each other. According to empathy with others, Norinaga found that it brought him a lot of self-recognition. If we can restore the type of relations that enables us to sympathize and connect with others, we will develop healthy identity of ourselves.

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Page 1: 道徳教育にむけての基礎的考察 - Doshisha · 道徳教育にむけての基礎的考察 ―本居宣長の共感の倫理の可能性― 榎 本 恵 理 (同志社大学嘱託講師)

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論文

道徳教育にむけての基礎的考察

―本居宣長の共感の倫理の可能性―

榎 本 恵 理

(同志社大学嘱託講師)

A study on Moral Education clued by Motoori Norinaga’s ethics of

empathy

Eri Enomoto

The Japanese government has argued that educational reform is

necessary, especially in the field of moral education. We need to

develop healthy identity of ourselves in order to have sound ethics.

Historically, the Japanese child grew up supported by close human

relations. It is important to consider the future of moral education,

while going back to the basics. In this paper, I reconsider moral

education in the Japanese cultural tradition, from the standpoint of

the history of educational thought, and try to seek an answer in the

thought of the kokugakusha (national scholar) Motoori Norinaga

(1730-1801), especially in his thought of “mono no aware (an empathy

toward things)”.

The particular topic of this study is Motoori Norinaga’s Waka

criticism and his activities at “Uta-kai (Waka poetry gathering)”. He

established on his own concept “mono no aware”, but such feeling

as “mono no aware” was not peculiar to ordinary people in Edo

period. He often had “Uta-kai” with his fellows. They read aloud

about their “Waka poetry” each other. According to empathy with

others, Norinaga found that it brought him a lot of self-recognition.

If we can restore the type of relations that enables us to

sympathize and connect with others, we will develop healthy

identity of ourselves.

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はじめに

 道徳とは何か、道徳を教えることはいかに可能なのか、これらの問いへの

回答は容易ではなく、古来議論が絶えない。が、とりあえずここで「道徳」

の定義の辞書的意味を確認すれば「人のふみ行うべき道。ある社会で、その

成員の社会に対する、あるいは成員相互間の行為の善悪を判断する基準とし

て、一般に承認されている規範の総体。法律のような外面的強制力を伴うも

のではなく、個人の内面的な原理。」(『広辞苑』第五版)となっている。こ

こで「道徳」とはいわば社会規範の総体で、かつそれが個人の内面的原理に

なることで善悪判断の基準とされるものと解される。つまり人に外在の社会

的規範がいかに各個人に内面化できるのか、これが道徳教育の課題になる。

この点は、道徳教育の種々の先行研究に共通している。たとえば、押谷由夫

は、「自己愛偏重社会の進展によって、子どもたちの価値構造が多様で偏っ

たものになりがち」であるとして、個人の内面的価値構造の多様性にどう対

処するかが、今後いっそう求められる課題であるという(1)。また林泰成は、

子どもの現状として、①規範意識、②自尊感情、③人間関係力の3点の低下

をあげている(2)が、これらは、外在の社会規範がいかに各個人に内面化でき

るかと密接に関連している。

 社会の成員相互間に共有される善悪判断の基準(規範)とその個人への内

面化のためには、その道徳の根拠が問われる。道徳の根拠は通常は人をこえ

た神、つまり宗教に求められ、現にキリスト教やイスラム教などの一神教の

宗教圏では、道徳教育は学校よりも、宗教機関や家庭でなされるものととら

えられてきた。西洋近代が生み出した近代学校が主に知育中心で構成され、

道徳教育への介入が小さいのはその反映と考えられる。

 西洋型近代学校をいち早く摂取した日本では、その宗教的背景が異なるた

め、道徳教育は欧米とはまた別の難問を抱えることになった。学校が道徳教

育を抱え込まざるを得なかった。1945年の敗戦にいたるまで、いわゆる教育

勅語によって国家的価値のもとに国民(臣民)の道徳が語られ、その反省の

上に戦後は、アメリカ的民主主義価値観にもとづき「個人の尊厳」を基本に

おいて、学校教育の全科目(知育)を通しての道徳教育が語られてきた。

 近年、経済のグローバル化と IT化の加速度的進行、メディア状況の激変は、

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社会のあり方や人の感覚を根底から変質させている。たとえば単身世帯の増

加、家族関係の崩壊、終身雇用制の終焉や長期不況による格差の増大と子ど

もの貧困(3)等、子どもの日常社会は激変してきた。いじめや暴力など、深刻

で多様な教育問題群の噴出は、こうした現代社会の激変と通底するであろう。

そうした状況に対して、道徳教育に政治の目が向けられ、2006年に教育基本

法が改正され「伝統と文化を尊重し」「公共の精神を尊び」「わが国と郷土を

愛する」ことが強調された(4)。そして2015年3月、文科省は道徳教育を新た

に「教科」として格上げすることを決定するなど、学校現場では新たな事態

に直面している。

 道徳教育が、外在的な社会規範と個人の内面的自己との統一化の過程とす

れば、そこでは自己と他者との関係性が大きな要素となる。社会規範とは他

者と共有する公共的価値に関わるからである。この公共的価値こそ、道徳の

根拠にほかならない。一神教的世界における「個人」は一人ひとりが直接神

に繋がるという感覚が根底にある。自己の内なる自律心に根拠をおく近代的

個人は、その文化圏の刻印を受けている。戦後民主主義の根底をなす「個人

の尊厳」というのも、価値としてはその系譜にあるだろう。

 しかし東アジア文化圏において、例えば儒教は五倫五常を普遍の道徳規範

としてきた。そこでは人間の関係性(五倫)の内にこそ、実現すべき自己が

あると認識されていた。さらに江戸時代、新たな学問的思想的立場として起

こった国学でも、自己認識の回路に大きな違いはない。現代の「メディア革

命(5)」が人の関係性と社会のあり方を根本から変質させているとすれば、人

の関係性を基本におく人間観や道徳観が、日本における道徳教育を考える手

がかりとなるはずである。

1.近世からの視点―人間の関係性という主題

 近世の教育についての研究蓄積は少なくない。ながく主流であった近代の

教育文脈につながる教育事象を近世に見出す方法を克服し、近世の側から近

代を照射する研究に向けられている(6)。たとえば貝原益軒を中心に分析した

辻本雅史(7)、伊藤仁斎の教育思想研究の山本正身(8)らの研究があり、いずれ

も近世の教育的価値を人の関係性に着目する観点が提示されている。

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 それらの先行研究によりながら、本稿では、人間形成における人と人との

関係性について、特に「私」(「個人」)ということに注目して考察したい。

素材としては本居宣長(1730-1801)の歌論と共感の倫理をとりあげる。丸

山真男は、徂徠学や宣長学による朱子学体系の解体が、政治、歴史、文学な

どの諸領域への倫理的規制を解放し、文化価値の自立を促し、近代意識を形

作っていったという(9)。つまり近代的個人成立の萌芽を、近世における儒教

的思惟の解体過程に見出し、そのなかに宣長を位置づけた。しかし丸山は、

自律的個人の成立という近代主義の図式のうちに宣長をはめ込んだに過ぎな

い。また沖田行司は、「公」と「私」を歴史的に読み解く中で、宣長の「私

有自楽」の精神や非政治的立場に注目し、「公的世界の政治の論理が「私」

の領域に浸透し、「私」を疎外するという現実に対して私的世界を解放」し

たことや共感と寛容の共同精神を、宣長思想に見出した(10)。

 本稿では宣長の「和歌」に注目する(11)。宣長は医者修行の京都遊学時代、

彼の和歌の愛好を批判したある学友に対し、次のように反論する。(原漢文)

足下僕の和歌を好むを非とす。僕も亦た私かに足下の儒を好むを非とす。是

れ何となれば則ち儒也者は聖人の道也。聖人の道は、国を為め天下を治め民

を安んずるの道也。私有自楽する所以の者に非ざる也。今吾人国の為む可き

無く民の安んず可き無し焉。則ち聖人の道、抑々何をか為さん哉(12)。

 儒学は統治者の学である。政治的世界に関わらない町人・宣長の和歌の愛

好は、政治と一線を画す私的世界の表明であった。彼は「儒」と対抗的に「和

歌」を持ち出した。このことは注目に値する。和歌こそ宣長には、私的世界

を象徴するものだったからである。本稿は、宣長にとっての「和歌」の意味

に注目し、他者との関係性のなかでの「私」、自己認識を考察する。

2.「もののあはれ」と和歌

 「もののあはれ」は宣長思想のキーワードであるが、それは宣長の独創で

はない。日野龍夫は、同時代の浄瑠璃に「もののあはれ」の語が多用されて

いたことを指摘し、当代の通俗文化に「もののあはれを知る」ことが人間の

大切な価値と考えられていた事実を指摘した(13)。浄瑠璃において武士は、「公

的立場と私情の相克に苦悩することを期待されている存在であり、「物のあ

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はれを知る」とは、たとえ公的立場と矛盾しようとも、私人としての情の発

動を抑えないということであった」という。浄瑠璃や歌舞伎等にも通底して

いるとすれば、「もののあはれ」はむしろ庶民の人情、生活する者の「まこ

との情」の意味での「真情」に即した主情主義的人間観に通じると見ること

ができる。宣長は、都市民の日常感覚とその人間観を、王朝文化の系譜に位

置づけ、儒教的人間観とは対抗的に提示した(14)。宣長は「もののあはれ」に

ついて次のように述べている。

人のおもきうれへにあひて、いたくかなしむを見聞て、さこそかなしからめ

とをしはかるは、かなしかるべき事を知るゆへ也。是事の心をしる也。その

かなしかるべき事事の心をしりて、さこそかなしからむと、わが心にもをし

はかりて感ずるが物の哀れ也(15)。

 人の心をわが心に置き換えて慮る、それが「物の哀れ」であった。それは

その気持ちを知るがゆえに可能なのであった。さらに、次のようにもいう。

古今序に、やまと歌は、ひとつ心をたねとして。万のことの葉とぞなれりけ

るとある。此こゝろといふがすなはち物のあはれをしる心也。次に、世中に

ある人、ことわざしげきものなれば、心に思ふ事を、見る物聞く物につけて、

いひいだせる也、此心に思ふ事といふも、又すなはち、物のあはれをしる心也。

(中略)すべて世中にいきとしいける物はみな情あり。情あれば、物にふれ

て必ずおもふ事あり。このゆへにいきとしいけるものみな歌ある也。(中略)

人は歌なくてかなはぬことはり也(16)。

 生きとし生けるものには情があるなか、人の心はとりわけ思いも深く「物

のあはれ」を知る存在である。だからすべての人に「歌なくてはかなはぬ」

ものだという。「事にふれて、そのうれしくかなしき事の心をわきまへしるを、

物のあはれをしるといふ」と述べ、「その心に思ふ事がなければ、歌はいで

こぬ也」(17)という。歌は事に触れ湧き上がる情としての「物のあはれ」の発

露であった。

3.宣長の歌論と実践

 宣長は17歳で和歌に目覚め、以後生涯にわたり和歌を詠んだ。その数は一

万首を超えるといわれる。彼の和歌についての記述を見てみよう。

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これ(情が深く堪えがたいこと:筆者注)を物のあはれにたへぬとはいふ也。

さてさやうに堪がたきときは、をのづから其おもひあまる事を。言のはにい

ひいづる物也。かくのごとくあはれにたへずして、をのづからほろこび出づ

ることばは、必長く延て文あるもの也。これがやがて歌也(18)。

 「物のあはれ」が堪えがたい時の歌は、言葉が「延びて文あるもの」とな

り、また「いふにいはれぬ情のあはれは、歌ならではのべがたし(19)」と歌と

情を不可分のものととらえている。

 さらに重要なのは、「歌」が他者と共感する最良の方法と宣長が考えてい

た点である。和歌を詠むことは他者と共感する方法だったのである。『石上

私淑言』では次のように述べる。

(心のうちに忍びがたき深い事がある時、それを独り言で呟いても心は晴れ

ないが:筆者注)それを人に語り聞すれば、やや心のはるるもの也。さてそ

のきく人もげにと思ひて、あはれがれば、いよいよこなたの心ははるる物也。

さればすべて心にふかく感ずる事は、人にいひきかせではやみがたき物也。

(中略)さていひきかせたりとても、人にも我にも何の益もあらね共、いは

ではやみがたきは自然の事にして、歌も此心ばへある物なれば、人に聞する所、

もつとも歌の本義にして、仮令の事にあらず(20)

と、歌の「本義」を「人に語り聞かせる」ことに見出している。また、

歌といふ物は、人の聞てあはれとおもふ所が大事なれば、其詞に文をなし、

声ほどよく長めてうたふが歌の本然にして、神代よりしかる事也。これを聞

人感(あはれ)とおもへば、こなたの心もはるる事こよなし。きく人感(あ

はれ)と思はざれば、こなたの心のぶる事すくなし。是自然の事也。(中略)

されば歌は人のききて感(あはれ)とおもふ所が緊要也(21)。

 人が「あはれ」と思わなければ「何のかひなし」とまで言い切る。まさに、

他者(聞く人)との共感を惹き起こす点に和歌の本質を見出していた。宣長

は、「歌を詠む」という行為において、常に他者の存在を前提に意識し、「他

者との共感」を得るために「其詞に文をな」すことが大事だと主張してやま

ない。

 この点、彼が師と仰ぐ賀茂真淵とは明確な対照をみせる。真淵にとって和

歌とは、「おのか心をやる」あくまで自分の心を詠むものであった。他者の

共感を求めてことさらに詠む歌は、作為の混入の分、「まことのうた」では

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ないという。和歌は、本来自らの心を直接的に詠むもので、他者に理解を強

要するものではない(22)。真淵の詠歌の行為は、他者の存在を前提とはしてい

なかった。

 しかし宣長は違っていた。彼は、人は本来的に相互了解できる関係とはと

らえていない。困難でも相互了解の努力をすることによって、人ははじめて

他者と理解しあえる。そう認識していた。自ら他者に働きかける努力が必要

であり、「歌」はその最良の方法であった。「歌」は「実情」を表現する文化

形式であり、共感しあうためには、「実情」をいかに巧みに表現できるかが

問題であった。彼にとって歌会はその実践のために欠かせない場であった。

 では、歌会などの実践はどのように行われたのか。次にその具体相を明ら

かにする。宣長は生涯に一万首以上詠んだとされるが、単純計算で3日に一

首の割合となる。和歌は一人密かに詠むものではない。歌会を催し会衆した

仲間と共同で、声に出し合って詠歌が為される。一種の共同行為であった。

 松坂に帰郷後、宣長は嶺松院歌会仲間に入った。嶺松院とは本居家代々の

菩提寺の樹敬寺に属する塔頭の一つで、早くから歌会が催されていた(23)。

1758(宝暦8)年2月11日に加入後、宣長はこの会の中心人物となり、毎月

11、25日の2回の定例会を催している(24)。それとは別に、遍照寺歌会も1764

(宝暦14)年1月から毎月17日に開催された。嶺松院歌会と共通する会員も

多かった。宣長はこの歌会に、1788(天明8)年頃まで参加していたことが

確認できる。個人の家での歌会もあった。直見家歌会と称される歌会はその

代表的なもので、主宰者の須賀直見は嶺松院歌会の会員であった。1765(明

和2)年から毎月3日に開催され、直見が死亡する1776(安永5)年10月ま

で続いた。

 このように宣長は各種の歌会や鈴の屋での講義を通して、弟子といわれる

周囲の人々と濃密な交流をしていた。この他にも、鈴の屋で開催された庚申

歌会、8月・9月の月見会、3月の花見会等、歌会はことあるたび頻繁に催

されていた。七回忌などの歌会もあった。後年、宣長自身も歌会を頻繁に主

宰した。ある時期、少なくとも3つ以上の定例歌会を同時並行で主宰するか、

熱心に参加していた。このように宣長は、周囲の人々と日常的に歌を詠んで

いた。

 宣長は60歳代になると毎年のように旅に出かけるようになる。『古事記伝』

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が完成に近づくにつれ、その機会は増えていく。紀伊藩への出講だけでなく、

名古屋や京都へも足を延ばしたが、そこでは歌会がつきものであった。それ

も1回に限らず複数回、時には門人宅で、諸国の門人たちと歌会を開いてい

た。詠歌は彼の日常であり、なくてはならないものだった。月見や花見で歌

を詠みあうのはもちろん、宣長の50の賀、60の賀、70の賀では門人達が和歌

を寄せ皆で祝った。また追悼の歌会もあり、節目ごとに集まり歌を詠みあっ

た。なかでも特に注目したい歌会を以下に考察する。

4.『古事記伝』完成の歌会と遺言書

 寛政10(1798)年6月、念願の『古事記伝』全四十四巻の稿が完成した。

まぎれもなく畢生の事業の完成と宣長自身も確信していた。それを祝って、

同年9月13日夜、鈴屋で「終業慶賀の歌会」を企画した。その際、諸国門人

たちに彼自ら書いた以下の募集文を配った。

古事記頒題歌募集文案

古事記全四十四巻当六月迄ニ致卒業候ニ付、記中諸神諸人を題ニ配り、国々

諸君子達之詠歌を相集申度願望ニ御座候間、乍御苦労当題御詠出[可被下候]

奉希候、尤題好否難易可有之候ヘ共、惣体を合せ振くじニ致候事故、難題ニ

候共御用捨可被下候、将又御詠出之趣者、古事記中ニ相見え候其神其人之事

跡を御詠可被下候、尚又御清書ハ御心次第[料紙]何・紙ニ而も宜御座候(25)

 『古事記』に見える神や人を「題」として、諸国の門人たちに一人一題ず

つ割り当てて詠歌を募集したのである。題の好悪や難易の差はあるだろうが、

全体のバランスを考え割り振っている。だから難題でも捨て置かないように、

とまで懇切に述べている。宣長は、『古事記伝』完成も、弟子達と和歌を詠

み合う形でつながり喜びを共にしようとしていたのである。実は単に歌会開

催だけではなく、集まった歌を一巻に編んで、『古事記伝』末に加えて出版

する心づもりであった(春庭の序文)。それは存命中に果たせず、没後、子

の春庭が父の遺志をついで出版の意思があった。しかしこれも果たせず、養

子本居大平がようやく出版するにいたった。その序文を見てみよう。

古事記頒題歌集序文章稿

此集は、いにし寛政十年といふとしの九月の、古事記伝書をへられけるよろ

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こひに、このわたりの人々集りて、此記に出たる神の御名、人の名を題にて

歌よみけるに、ちかき遠き国々のをしへ子とも、又はらぬ人々にもたよりに

つけつつこひもとめて、この伝の末にもくはふへく、一巻となしおかれたる

歌ともになん有ける、(中略)春秋の花紅葉、をりふしにうつりかはるなかめ

につけつつ、はかなき言の葉とはさまかはりて、神つ代のあるかたちのかつ

かつ見わたししられて、たたみやひのみにはあらで、いにしへのふかたはし

ともなりなんかしと、まついたにはゑらせつる也(26)

 明らかなのは、宣長が単に『古事記伝』の完成を祝うためだけに和歌を募

集したのではなかったことである。「この伝の末にもくはふへく」、『古事記

伝』の巻末にこの和歌群を付け加えるためであった。題は『古事記』にまつ

わる地名や出来事ではなく、神々や人々にこそこだわった。それは何を意味

しているのか。『古事記』は古代の実際にあった具体的な「こと」の、声に

よって語り出された世界。彼が意図したのは、詠歌を通じて、今の詠み人が

時空を超えて、古の神々や人々と直接交流するということであっただろう。

和歌詠歌は決して個人の独白ではなく、必ず他者に向かって詠み出されるも

のであった。『古事記』の実在した神々や諸人に向かって詠歌を求めた。『古

事記伝』は、『古事記』の字句の単なる注釈ではない。古代の実際の事実と

実在した人々神々の物語を読みだし、それを元の音声言語に復元していく作

業で、その限りでは古の神々の世界を目の前に提示してみせる作業であった。

神々といえども、人々と同じ地平に立つものの姿であり、詠歌はその世界へ

入っていくための回路・通路であった。宣長にとって『古事記』は断じて虚

構の物語ではなく、リアリティをもった世界であった。そのリアリティを

もった世界を門人たちと具体的に再現する。そこに入る回路が和歌に他なら

なかったのである。

 三十余年をかけた『古事記伝』執筆は、あるいは孤独な作業だったかもし

れない。しかしそれを書きあげた時、詠歌を寄せた弟子たちと共に、古代の

神々の世界を共有する。『古事記伝』という畢生の事業の完結には、これが

必要だった。その瞬間、『古事記』の古代世界は、彼が生きた当代と一つに

混じり合い、リアリティをもってよみがえる。「古事記頒題歌」の募集には、

そうした意図があった。『古事記』中の神々との交流で、漢意のないわが国

の「原風景」をそれぞれが「体験」できると想像されていたに違いない。

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 宣長の詠歌へのこだわりとその歌論を見る限り、和歌は他者と共感し溶け

合って共同の世界を共有する方法と言わざるを得ない。他者、あるいは時空

を超えた自然や神も含めた大きな世界と交流し共感し、溶け合う。そのため

の「方法としての和歌」といえよう。その歌集があってこそ、彼の『古事記

伝』は当時の同志の中によみがえり、真の意味で完結を迎える。

 もうひとつ、彼の遺言書が注目される。彼は死の前年、詳細に記した遺言

書で、自身の祥月(命日)に歌会開催を求めていた。

一、毎年祥月には、前夜より座敷床へ像掛物を掛、平生用候我等机を置、掛

物ノ前正面へ霊牌を立、時節之花を立、燈をともし【香を焼候事は無用】膳

を備可被申候、尤膳料理は、魚類に而、田作、膾、汁、飯、平【しやうじん

物計に而よろし】焼物【切焼】右之通可為候、酒はみき徳利一対、膳具は白

木之足付きのぜん、椀は茶碗(略)

一、毎年祥月に者一度つゝ、可成長手前に而歌会を催し、門弟中相集可申候、

尤祥月当日には不限、日取は前後之内都合宜日可為也、当日にあらず共、歌

会之節も、像掛物右之通餝可申候、但し、其節別に像へ膳備候には不及、膳

は当日に而宜候、歌会之節は酒計備可申候、且又歌会客支度、一汁一菜精進

可為候(27)

 毎年祥月に、門弟を集めて歌会を催し、その際、自分の自画像を掛けるこ

と、自画像に料理と酒を備え、歌会の客人にも酒と一汁一菜の精進料理を支

度するよう指示している。細部にまで行き届いた懇切な物言いである。この

ことは、宣長が死後も、門弟初め親しい人たちを集めて歌会を主宰し、彼自

身もその場に「存在」していることを意味しているのではないか。死後もな

お、桜花を詠んだ自画像を囲んで歌会を催す。和歌を回路にすることで、宣

長はなお生き続けるという意思が感じられる。宣長はその霊前で催す歌会の

「現場」に、自ら参加できると想像していたに違いない。

 彼は、死後の黄泉の世界を汚いものと否定的に見、死後の世界を信じよう

としなかった。否、だからこそ、現世になお生きる人々の心の中で、彼は生

き続けたいと願ったであろう。自らの死後の、希望のない黄泉の世界を、い

かにして克服できるか、そう彼は考えたであろう。その克服の道は、和歌し

かなかった。和歌を通して現世とつながり、弟子たちとの共同世界に生き続

けることを夢想したに違いない。死後も生き続ける場は、皆と和歌を詠みあ

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う歌会の他にはなかった。和歌は時空を超えてつながる方法だったのだから。

 このように、宣長は死後も和歌を通じて門人たちと共同世界に生き続けよ

うと願った。『古事記』の世界に和歌を回路として参入しようともしていた。

この想定が正しいとすれば、和歌には、時間と空間を越えて共感する人々の

共同体、ある種の「共感共同体」を構成する力があると認識されていたと思

われる。

おわりに

 宣長は、武士階級に対し「私有自楽」を主張した。政治とは関わらない自

分たちの世界があるという宣言であり、「儒」という公的世界に対抗して「和

歌」でつながる私的世界の表明だった。理論や教えという儒教的規範ではな

く、まさに感性でつながりあえる町人的世界の自己主張ともいえる。

 和歌は他者と共感することで、自己の意識を強めた。他者に詠みかけるこ

とを歌の真義ととらえていたことがその証左である。他者との関わりのうち

に、人としての解放を見る人間観といえよう。それは実はひとり宣長に特有

のものではなかった。たとえば伊藤仁齋も「人倫日用」(他者との日常の関

係性)の中に「道」があるととらえた。他者との関係性の中に自己の存在を

見出す人間観という点で、仁斎にも通底する人間観・倫理観であろう。

 キリスト教文化の基盤のない現代日本において、人の関係性の希薄化が進

むなか、個人の内面に根拠を求める人々の孤独は計り知れない。今も進行し

ている危機をいかなる方向で克服できるか、それは道徳教育の最大の課題と

なる。他者とつながることで自己を確認してきた日本社会で、宣長の感性的

に他者と共感してつながる思想は道徳教育のこの課題を考える上に大いに示

唆的である。

 知識と理論を教えることでは、規範の内面化はできない。感性レベルでの

共感が内面化には欠かせない教育の過程である。その具体的な方法論は、別

に考察すべきことであるが、一例として、言葉を選んで和歌を詠み合い、そ

の後合評会を行う中で、表現者と受け手の相互理解をはかる等が考えられる。

その際、重視すべきは、〈声〉に出す「うた」とその〈ことば〉のあり方、

場を共有する〈身体〉と〈空間〉の問題(場には、大自然や宗教的な人を越

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えた世界も含む)等であろう。人の感性は、心も含めて身体や言葉と切れな

い関係にある。「心」や「思考」というものは言葉によって形作られると考

えると、自己表現において言葉を選ぶ、言葉を磨くことが感性を磨くことに

繋がるといえるのではないか(28)。国語教育や芸術教育との連動も視野に入れ、

今後の課題としたい(29)。

 押谷由夫・内藤俊史編『道徳教育への招待』ミネルヴァ書房、2012年。

 林泰成『道徳教育論』放送大学教育振興会、2009年、13-14頁。

 阿部彩『子どもの貧困Ⅱ』岩波書店、2014、山野良一『子どもに貧困を

押しつける国・日本』光文社、2014、池上彰編『子どもの貧困』ちくま

新書、2015年などが指摘するように子どもの貧困の問題は深刻化してい

る。

 本改正の問題点については高橋陽一『新版 道徳教育講義』武蔵野美術

大学出版局、2012年が参考になる。

 辻本雅史『思想と教育のメディア史』ぺりかん社、2011年。

 辻本雅史「教育学における『江戸』への視線」『江戸の思想10』ぺりか

ん社、1999年。

 前掲5や辻本雅史『学びの復権』角川書店、1999年。

 山本正身『日本教育史―教育の「今」を歴史から考える』慶應義塾大学

出版会、2014年、『仁斎学の教育思想史的研究』慶應義塾大学出版会、

2010年。

 丸山真男『日本政治思想史研究』東京大学出版会、1952年。

 沖田行司「日本の教育における公共性と倫理」越智貢他編『岩波応用倫

理学講義6教育』岩波書店、2005年。

 和歌の倫理的意義については、板東洋介の研究がある。彼は、「欲」と

「情」の違いについて分析し、和歌・物語を通じて身につける徳につい

て言及している。「もののあはれ」によって人間は他者・他物と本質的

に隔てられてあるという根源的状況を了解し、その了解は人間の自然的

な欲望を止揚するとしている。出会われた個々の状況に応じ、適切な思

慮分別、他者へのおもいやりなどすぐれた心性として発現するとして、

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和歌・物語の倫理的教育としての意義を見出している。「和歌・物語の

倫理的意義について―本居宣長の「もののあはれ」論をてがかりに―」

日本倫理学会『倫理学年報』59、2010年。

 「清水吉太郎宛書簡」『本居宣長全集第十七巻』筑摩書房、1987年、19頁。

 日野龍夫「宣長と当代文化」『日野龍夫著作集第二巻』ぺりかん社、

2005年。

 榎本恵理「本居宣長の教養形成と京都」「日本の教育史学」教育史学会

紀要第49集、2006年。

 『紫文要領』『全集第四巻』筑摩書房、1968年、57頁。

 『石上私淑言』『全集第二巻』筑摩書房、1969年、99-100頁。

 同上、100頁。

 同上、109頁。

 同上、113頁

 同上、112頁。

 同上、112頁。

 賀茂真淵『歌意考』平重道・阿部秋生校注『近世神道論 前期国学』(日

本思想大系)岩波書店、1972年、賀茂真淵『歌意考(広本)』久松潜一

監修『賀茂真淵全集第十九巻』続群書類従完成会、1980年。

 その初会は1723年に開かれ、中断を経て1731年に再開、その後78年間継

続した。(本居宣長記念館編『本居宣長事典』2001年、東京堂出版、246

頁。

 宣長は、この歌会に非常に熱心に参加し、歌を詠み続けた。詠歌のみで

終わらず、その後、彼は請われてこの会合で『源氏物語』を始めとする

古典の講釈をするようになり、それがやがて始まる鈴の屋での教育活動

の礎になる。

 「古事記頒題歌募集文案」『全集別巻二』筑摩書房、1977年、414頁。

 「古事記頒題歌集序文章稿」同上、414頁。

 「遺言書」『全集第二十巻』筑摩書房、1975年、233-234頁。

 この点、宣長に照らしてみても興味深い。宣長は『てにをは紐鏡』『詞

の玉緒』『玉あられ』『字音仮字用格』など言語に関する研究にも打ちこ

んでおり、後年にも通用する画期的な実証的成果とされている研究も多

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い。高橋俊和は「「己に我れに在」るはずの和歌の感性を掘り起こす作

業の第一段階は、古語とテニヲハの正確な意味の把握と運用である。」

と述べている。

 森田伸子は、「日本における国語教育、とりわけ大正新教育以降のそれが、

生徒たちを、テクストに対する心情的な同化へと導き、生徒たちの主観

的な感想を引き出すことを中心に行われていること」に疑問を抱いてき

たという。「それは心情主義的道徳教育とも相通ずるものを持っている

ように思われる」と述べている。他方、近年推進されているのは実用的

な言語能力であるとし、この両者は相反するものではなく、両立しうる

ものであると述べている。筆者の今後の課題を考える上で示唆に富むも

のである。森田伸子編『言語と教育をめぐる思想史』勁草書房、2013年。

(2015年9月17日査読済)