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関連性理論における推論のはたらき 人文学部行動科学課程 4 人間学履修コース 言語学専攻 渋木 航 指導教員 福田一雄教授

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関連性理論における推論のはたらき

人文学部行動科学課程 4 年

人間学履修コース 言語学専攻

渋木 航

指導教員 福田一雄教授

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目次

序論 ............................................................................................................... 2

第 1 章 関連性理論における発話解釈 .............................................................. 3

1.1. 関連性と発話解釈過程 ......................................................................... 3

1.2. 想定・文脈・認知効果 ......................................................................... 6

1.3. 推論による表意と推意の算定 ............................................................... 9

1.3.1. 表意 .............................................................................................. 9

1.3.2. 推意 ............................................................................................ 12

1.4. 言語にコード化されている情報 .......................................................... 13

1.4.1. 概念的コード化 ........................................................................... 13

1.4.2. 手続き的コード化 ........................................................................ 14

1.5. まとめ ............................................................................................... 14

第 2 章 関連性理論による発話分析 ................................................................ 16

2.1. 伝達に成功した場合 ........................................................................... 16

2.2. 伝達に失敗した場合 ........................................................................... 20

2.2.1. 誤解と修正 .................................................................................. 21

2.2.2. 解釈停止と修正 ........................................................................... 22

2.3. まとめ ............................................................................................... 25

第 3 章 言語の解釈的用法と推論 ................................................................... 27

3.1. 言語の解釈的用法 .............................................................................. 27

3.2. 非字義的発話表現の分析 .................................................................... 28

3.2.1. 関連性理論とメタファー .............................................................. 28

3.2.2. 慣用句・諺の分析 ........................................................................ 30

3.3. まとめ ............................................................................................... 35

結論 ............................................................................................................. 37

注 ................................................................................................................ 39

参考文献 ...................................................................................................... 39

出典 ............................................................................................................. 40

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序論

私たちは普段、ことばを用いて意思を伝達し、他者とコミュニケーションをと

っている。その具体的な形式は多種多様で、それこそ無数に存在すると思われる。

その無数の形式の中には、言葉で伝えたいことを直接的に表現しているものもあ

れば、間接的に表現しているものもある。表現の長さも、長いものから短いもの

まで様々だ。同じような内容を伝えることができる表現がいくつもあって、それ

ぞれが直接的であったり間接的であったり、また長い表現であったり短い表現で

あったりするというのは、特に珍しいことではない。このように、伝達には多種

多様な、無数の形式が用いられている。にもかかわらず、大抵の場合私たちの伝

達は成功し、時折失敗する。私たちの伝達はいかにして成功へと導かれ、またい

かなる場合において失敗するのか。

伝達が成功あるいは失敗するということは、1 つの見方として、話し手の言語

表現の解釈に聞き手が成功したか、あるいは失敗したかということであるとも言

えるだろう。したがって、ことばによる伝達を考えるためには、ことばの解釈の

側面に注目する必要がある。そのためには、関連性理論の考え方を手掛かりにす

るのが有効だろう。関連性理論は、Grice の発話解釈理論を下敷きに、それを修

正、発展させる形で登場した理論である。この理論は、関連性という単一の原理

に基づいて発話解釈が行われるというものであり、その発話解釈においては推論

が重要な役割を果たすとしている。

本論文ではこの理論に基づいて、推論のはたらきによって発話が解釈される仕

組みや、発話解釈が失敗する場合を分析する。第 1 章では、分析の前段階として、

関連性理論の提唱する発話解釈の仕組みをおおまかに見ていく。第 2 章では、日

本語による発話の成功例及び失敗例を挙げ、どのようなプロセスにより発話解釈

が成功するのか、また、どのような要因で発話解釈が失敗するのかという点につ

いて分析する。第 3 章では、慣用句や諺、メタファーなど、非字義的表現を含む

発話を取り上げる。慣用句や諺といった非字義的表現を含む発話は、それを含ま

ない発話よりも効果的なものであるように思われる。後に詳述するが、慣用句や

諺は、それらが用いられる形式によっては、辞書的な意味以上の意味を伝達して

いるように筆者は思う。このことについて、関連性理論における非字義的表現の

分析方法を捉えた上で考察していく。

関連性理論では推論のはたらきが発話解釈において重要な位置を占めるため、

個々の現象における推論のはたらきに注目することで考察を進めていきたい。

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第 1 章 関連性理論における発話解釈

具体例の分析に進む前に、まずは関連性理論の枠組みを捉える必要がある。

日常の言語使用の場面において、私たちは様々な形式の言葉を発している。また、

そうした発話を何気なく、それも瞬間的に解釈している。普段は気にも留めない

が、私たちは、その形式が無数に存在しうる発話を、瞬間的に、そして当たり前

のように解釈しているのである。果たして、発話解釈はどのように行われている

のだろうか。本章では、関連性理論における発話解釈過程がどのようなものな

のか、概観していく。

1.1. 関連性と発話解釈過程

発話解釈の仕組みを説明するモデルには、大きく分けてコードモデル (code

model)と推論モデル (inference model)がある。コードモデルとは、話し手が相手

に伝えたい情報を、日本語とか英語といったコードに変換、聞き手に発信し、聞

き手は受けとったコードを解読、元の情報を復元することで伝達が行われるとい

うものである。一方推論モデルは、話し手が何かを伝えようとして発する発話を

証拠に推論によって解釈を行うというものである。関連性理論は、この推論モデ

ルに修正を加えた修正推論モデルに基づいており、発話解釈における推論の役割

を重視しつつ、意味論的コード解読と推論の相互作用によって発話解釈が行われ

るとする。

関連性理論における発話解釈の過程を少し具体的に見ていこう。まず、関連性

理論では、人の心を入力系と中央系の大きく2つに分ける。入力系は様々な刺激

(視覚刺激や、聴覚刺激など)を中央系に運ぶ。中央系は、推論などの発話解釈

処 理 が 行 わ れ る 場 で あ る 。 中 央 系 に 運 ば れ た 刺 激 は 概 念 表 示 (conceptual

representation)という心的な表示に変換され、ここから非論理的特性を取り払っ

た論理形式 (logical form)1 が発話処理の計算を受けるとされる。この論理形式か

ら推論によって発話の表意が派生され、表意や文脈を手掛かりに推意が派生され

ることで発話の解釈がなされるとする。この解釈過程は関連性の原則 (principle

of relevance)に基づいている。

関連性とその原則は次のようなものである。

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(1) 関連性

ある想定がある文脈中で何らかの文脈効果をもつとき、そしてそのときに

限りその想定はその文脈中で関連性をもつ。

(Sperber and Wilson 19952, 邦訳 147 頁 )

(2) 程度条件 1: 想定はある文脈中での文脈効果が大きいほど、その文中で関連

性が高い。

程度条件 2: 想定はある文脈中でその処理に要する労力が小さいほど、その

文脈中で関連性が高い。

(Sperber and Wilson 19952, 邦訳 151 頁 )

関連性理論において、発話が伝達するのは話し手の想定である。詳しくは後述す

るが、想定とは、個人が持っている世界に対する認識である。この想定が文脈と

の相互作用により、何らかの文脈効果、例えば聞き手の世界に対する認識を改め

るような効果をもつとき、その伝達された想定は当該の文脈中で関連性をもつと

される。その関連性の程度は、文脈効果が大きいほど、発話の解釈にかかる労力

が小さいほど大きくなる。

(3) 関連性の第 1 原則

人間の認知は、関連性が最大になるようにできている。

(4) 関連性の第 2 原則

全ての意図明示的伝達行為は、それ自身の最適の関連性の見込みを伝達す

る。

(5) 最適な関連性の見込み

(a) 意図明示的刺激は受け手がそれを処理する労力に見合うだけの関連性

がある。

(b) 意図明示的刺激は伝達者の能力と優先事項に合致する最も関連性のあ

るものである。

(Sperber and Wilson 19952, 邦訳 318-333 頁 )

関連性の第 1、第 2 原則はそれぞれ認知原則、伝達原則とも呼ばれ、前者は人間

の認知資源は最も関連性のあるものの処理に当てられるということを、後者は発

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話に代表される意図明示的伝達行為 2 は、その行為は最低でも聞き手がそれを解

釈するに値するほどの関連性があり、かつ話し手に可能な限りの最善の伝達方法

であるということをその行為自体が伝達するということを示している。関連性理

論では、こうした原則に基づいて推論を中心とした解釈が行われるとしている。

ここで、発話解釈に関わる推論にも説明を加えておきたい。推論には帰納的推

論と演繹的推論があるが、関連性理論において、発話解釈過程に関わるのは演繹

的推論である。すなわち、前提が真であれば結論も真であるような推論である。

ここでは有名な例を 1 つ挙げておこう。

(6) 前提 : 全ての人間は死ぬ。

前提 : ソクラテスは人間である。

結論 : ソクラテスは死ぬ。

東森・吉村 (2003)によれば、発話処理過程に関わる推論規則は演繹規則のうちの

削除規則であると考えられる。

(7) 連言 (and)除去 : a. Input: (P and Q) b. Input: (P and Q)

Output: P Output: Q

(8) 肯定式 : Input: (ⅰ ) P

(ⅱ ) (if P then Q)

Output: Q

(9) 否定式 : a. Input: (ⅰ ) (P or Q) b. Input: (ⅰ ) (P or Q)

(ⅱ ) (not P) (ⅱ ) (not Q)

Output: Q Output: P

(東森・吉村 2003, 15 頁 )

発話の解釈過程では、関連性の原理に基づいてこのような推論規則がはたらいて

いるとされる。

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1.2. 想定・文脈・認知効果

前述のとおり、関連性をもつということは、ある想定がある文脈中で何らかの

文脈効果をもつということである。以下、ここで言われている想定や文脈、認知

効果(文脈効果 3)を取り上げる。

Sperber and Wilson(19952)によれば、想定 (assumption)とは「個人が現実世界

の表示として扱う思考のこと」である。百科事典的知識や、願望、予測など、人

が心的に表示しうるさまざまな論理形式とも言える。想定には確信度の強弱があ

り、例えば、明確な知覚経験に基づいた想定は強いものになる傾向があるし、誰

かから伝え聞いたことに基づく想定であれば、その強さはその人に対する信頼度

に比例すると考えられる。また想定は、概念の構造化された集合体でもある。人

はさまざまな想定をいくつももっており、こうした想定の集合を認知環境

(cognitive environment)と呼ぶ。

(10) ある事実がある時点で一個人にとって顕在的 (manifest)であるのは、その時

点でその人がそれを心的に表示し、真、または蓋然的真としてその表示を受

け入れることができる場合、そしてその場合のみである。

(11) 一個人の認知環境 (cognitive environment)は当人にとって顕在的である事

実の集合体である。

(Sperber and Wilson 19952 , 邦訳 46 頁 )

さらに想定は、発話解釈のために文脈 (context)として選び出される。今井 (2001)

によれば、文脈は次のように定義することができる。

(12) 発話の解釈に当たって、発話の解読的意味と共に推論の前提として使わ

れる想定。

(今井 2001, 12 頁 )

関連性理論における文脈とは、単に発話における先行テキストや、周囲の状況だ

けを言うものではない。そこにはあて推量や仮説など、聞き手の世界についての

様々な認識が文脈として選ばれうる。文脈は発話解釈のために選ばれる想定であ

り、世界についての聞き手の信念と仮定の部分集合である (Blakemore 1992 , 邦

訳 39 頁 )。

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そして認知効果 (cognitive effect)とは、聞き手の認知環境を修正することである。

これは認知環境、すなわち既存の想定の論理形式と、発話によってもたらされた

新しい想定の論理形式を比較し、「認知環境が、互いに矛盾する 2 つの論理形式

を含まないという意味で一貫性を維持しながら、もっとも信頼できる利用可能な

想定の論理形式で認知環境を満たす」ように行われる (東森・吉村 2003, 13 頁 )。

関連性理論では、「コミュニケーションにおける話し手の意図は、聞き手の認知環

境を修正すること」 (東森・吉村 2003, 13 頁 )である。認知効果には、文脈含意、

既存の想定の強め、既存の想定の削除という3つのタイプがある。

文脈含意は、既存の想定と発話によってもたらされる想定を組み合わせ、それ

を前提に推論した結果、引き出される帰結である。これを認知環境に加えること

で認知環境を修正する。次のような例を考えてみよう。

(13) a. If Bill came, the party was a success. (旧情報)

b. Bill came. (新情報)

c. The party was a success. (文脈含意)

(東森・吉村 2003, 16 頁 )

(13a)の想定を聞き手があらかじめ持っていて、 (13b)の想定を知ったとする。聞

き手は (13a)と (13b)を前提として推論した結果、 (13c)という帰結を引き出すこと

ができた。(13c)はこの例における文脈含意であり、これを聞き手が認知環境に加

えることで、修正がなされる。

既存の想定の強めは、話し手が持っている既存の想定に対して、さらなる証拠

や確信を与えることによってなされる。前述の通り、想定には確信度の強弱があ

るが、これは発話で受けとった新しい情報によって影響を受ける場合がある。話

し手から与えられた新しい情報が話し手のもつ想定の確信度を強めることで、話

し手の認知環境は修正される。この修正方法は、既存の想定の論理形式を書き換

えるのではなく、確信度を強めることで達成される。

(14) a. If Peter, Paul and Mary came to the Party, it was a success.

b. Peter came to the party.

c. Paul came to the party.

b. Mary came to the party.

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(15) a. If the party broke up late, it was a success.

b. The party broke up late.

(16) The party was a success.

(東森・吉村 2003, 16-17 頁 )

(14)の想定を前提に推論し、帰結として (16)が引き出されたと仮定しよう。この

推論が行われた後、つまり、 (16)がすでに聞き手のもつ想定であるとき、これに

続いて、 (15)の想定を前提に推論を行った場合を考える。具体的には、聞き手が

(15a)の想定をすでにもっており、新情報として (15b)を知った場合である。この

推論の結果、再び (16)の想定が引き出された。 (16)は既存の想定であり、新しい

想定として認知環境に加えることはできない。しかし、 (14)だけでなく (15)から

も (16)が導かれることで、 (16)の確信度は強くなる。こうして既存の想定が強め

られ、認知環境が修正されている。

既存の想定の削除は、新情報と旧情報が矛盾した場合に生じる。前述のように、

認知環境の修正は新情報と旧情報を比較し、その結果は、認知環境が互いに矛盾

するような論理形式を含んではならない。与えられた新情報と旧情報が矛盾する

場合には、確信度の弱い方が削除されることとなる。新情報の確信度が弱い場合、

認知環境は修正されないが、旧情報(すなわち既存の想定)の方が弱い場合には、

既存の想定が削除され、認知環境が修正される。東森・吉村 (2003)では、次のよ

うな例が挙げられている。

(17) A knows Russian.

(18) A does not know Russian.

(東森・吉村 2003, 17 頁 )

(17)はある人物(B とする)が、ロシア語の本を持って図書館から出てくる A

という人物を見て形成した想定である。その数日後、B は A が ”I wish I knew

Russian.”と言うのを聞き、 (18)の想定を形成したとする。このとき、旧情報 (17)

と新情報 (18)は矛盾している。しかし、A 自身の言葉から形成された (18)の方が、

旧情報より確信度が強いと考えられる。よって、旧情報が削除され、新情報が認

知環境に残り、修正がなされる。

以上、3 つの認知効果について概観した。繰り返しになるが、ある想定がある

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文脈中で認知効果をもつとき、その想定はその当該の文脈において関連性をもつ。

発話においては、新情報として聞き手に与えられた想定が、文脈含意や既存の想

定の強め、あるいは削除をもたらすとき、その想定はその発話解釈で使われた文

脈において関連性をもつのである。そして、これらの認知効果が大きいほど、想

定の関連性は大きくなる。

1.3. 推論による表意と推意の算定

関連性理論では、発話は解釈の処理を受けられる論理形式に変換され、ここか

ら推論によって表意や推意といった発話の想定を派生する。Sperber and Wilson

(19952 , 邦訳 147 頁 )によれば、明示的に伝達される想定は表意 (explicature)であ

り、伝達はされているが明示的でない、つまり非明示的に伝達されている想定は

推意 (implicature)である。また、ここで言われている“明示的である”とは次の

ように説明されている。

(17) 発話 U によって伝達される想定は、それが U によってコード化される論理

形式の発展であるとき、かつその場合のみ明示的である。

(Sperber and Wilson 19952, 邦訳 221 頁 )

解釈過程の中で、発話は意味論的なコード解読を受け、論理形式に変換される。

明示的であるか否かということは、ある想定がその論理形式の発展によるものな

のか、そうでないのかということであり、したがって、表意と推意はその観点か

ら区別することができる。すなわち、発話 U の論理形式を発展させた想定がその

U の表意であり、U によって伝達されているが論理形式の発展によらない想定が

U の推意であると言うことができる。以下、表意と推意の創出プロセスを見てい

きたい。

1.3.1. 表意

表意は、発話の論理形式に語用論的推論を加えることによって発展され、創出

される。この語用論的プロセスには、一義化、飽和、自由拡充、アドホック概念

形成の 4 つがある。

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(ⅰ ) 一義化 (disambiguation)

発話に用いられた言語形式が複数の語義をもっている場合、発話の関連性を達

成する過程で、語用論的にその語義が 1 つ選択、決定される。

(18) The child left the straw in the glass.

(Sperber and Wilson 19952, 邦訳 226 頁 )

(18)で使われている straw は、飲み物を飲む際に使うストローか、麦わらを意味

する。しかし、この発話においてはストローの意味として解釈されるだろう。こ

の例では、派生される表意がより関連性の高いものになるよう、推論によってス

トローという解釈が選択され、決定されている。

(ⅱ ) 飽和 (saturation)

真偽判定可能な明示的意味を完成するために、発話に使用されている言語形式

が要求する価を文脈から補うことを飽和と言う。代名詞や指示詞の指示内容を決

定する場合が飽和に含まれる。代名詞や指示詞は、単数か複数か、男性か女性か、

遠いか近いか、といった意味をコード化していると考えられており、その意味が

提示する条件に沿った指示内容、すなわち言語形式が要求する価を文脈から補う。

(ⅲ ) 自由拡充 (free enrichment)

飽和に対して、言語形式の要求する価ではなく、より自由に何らかの要素を語

用論的に補うことを自由拡充という。飽和では真偽判定に必要な価を補うが、自

由拡充で補う要素は必ずしも真偽判定に必要ではない。

(19) a. Jack and Jill went up the hill [together].

b. Sue got a PhD and [then] became a lecturer.

c. Mary left Paul and [as a result] he became clinically depressed.

d. She took out her gun, went into the garden and killed her father

[with the gun, in the garden].

e. I’ll give you £10 if [and only if] you mow the lawn.

f. John has [exactly] four children.

(東森・吉村 2003, 37 頁 )

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上の例で、 [ ]の部分は自由拡充で補った要素である。これらの要素がなくても真

偽判定自体は可能であるが、関連性理論では、真偽判定可能な最小限の形式は表

意として不十分であり、自由拡充やアドホック概念形成によってさらに肉付けさ

れる必要がある。

(ⅳ ) アドホック概念形成 (ad hoc concept construction)

次のような例を考えてみよう。

(20)[レストランで出されたステーキにナイフを入れて]This meat is raw.

(東森・吉村 2003, 39 頁 )

raw は「生の」という意味をコード化していると考えられるが、 (20)では生肉が

目の前にあるわけではない。この場合の raw は、「生の」という意味が「十分に

調理されていない」というような意味に緩められて使われている。このように、

発話の論理形式に含まれる語彙概念を、文脈にあうよう語用論的に調整して、そ

の場限りのアドホック概念を形成することで関連性のある表意を得ることができ

る。 (20)は語彙概念の広め /緩め (widening/loosening)の例であるが、反対に語彙

概念の狭め /強め (narrowing/strengthening)が起きる場合もある。

人は様々な単語を用いているが、同時に単語より何倍も多く概念をもっている。

それゆえ、単語にコード化しきれない概念が存在する。文脈に基づいてアドホッ

ク概念を作り上げることで、そういったコード化しきれない概念を有限の数の単

語を使って伝えることが可能になるのである。

以上、表意を創出する 4 つの語用論的プロセスについて見てきた。関連性理論

では、表意は意味論的コード解読だけでなく、そこに推論が加わることによって

創出される。つまり、語用論的推論が発話解釈に大きく貢献していると考えられ

ているのである。また、表意が意味論的解読と語用論的推論によって派生される

ということは、表意に明示性の程度が生じるということでもある。表意形成の過

程で、意味論的解読の貢献が大きければ明示性は大きくなり、語用論的推論の貢

献が大きければ明示性は小さくなる。

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1.3.2. 推意

推意は、表意と同じく発話によって伝達される想定である。表意とは異なり、

伝達はされているが明示的ではなく、発話の論理形式の発展ではないものである。

推意は、記憶から、または表意と文脈の相互作用から推論によって派生される想

定である。推意には、前提推意 (implicated premise)と帰結推意 (implicated

conclusion)の区別が存在する。推論によって発話解釈をする際、その推論の前提

として使われる推意が前提推意、推論の帰結として派生される推意が帰結推意で

ある。次のような例を考えてみよう。

(21) a. ピーター : Would you drive a Mercedes?

b. メアリー : I wouldn’t drive ANY expensive car.

(Sperber and Wilson 19952, 邦訳 236 頁 )

ピーターの質問に対して、メアリーは直接答えていない。このとき、ピーターは

(21b)をどのように解釈するのだろう。ピーターは、 (21b)が最適な関連性をもっ

ていると見込んで推論を解釈する。(21b)はピーターが高級車についての百科事典

的情報を記憶から呼び出すよう仕向けている。その情報の中に (22)が含まれてい

るとしよう。

(22) A Mercedes is an expensive car.

(Sperber and Wilson 19952, 邦訳 236 頁 )

記憶から呼び出された (22)の想定を含む文脈で処理されると、 (20b)は (22)のよう

な文脈含意を生み出すと考えられる。

(23) Mary wouldn’t drive a Mercedes.

(Sperber and Wilson 19952, 邦訳 236 頁 )

ここで行われた推論は、(21b)の表意と、記憶から呼び出した (21)を前提とし、(22)

を帰結として導いている。また、 (22)と (23)は明示的ではないが、話し手が聞き

手に伝達しようとした想定、すなわち推意であると考えられる。このとき、前提

として使われた (22)は前提推意、推論の帰結として生み出された (23)は帰結推意

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である。

上の例では、前提推意 (22)は記憶から呼び出された想定だが、前提推意が聞き

手によって作り出される場合もある。その場合は、聞き手がもつ想定スキーマを

呼び出して、それにそって推意を作ると考えられる。

また、推意には強弱がある。話し手の発話が話し手に特定の推意を引き出すよ

う強く仕向ける場合、これは推意が引き出されるかどうかの責任がより多く話し

手にあるとも言えるが、そのような推意は強い推意である。一方、詩的メタファ

ーのように、推意が引き出されるかどうかは聞き手の推論に依るところが大きい

ような場合、その推意は弱い推意であると言える。推意の強弱はその推意の創出

に対して話し手または聞き手が責任を負う度合いによって様々である。

以上、関連性理論における表意と推意の創出について見てきた。表意が推論の

前提として使われうるということから、表意がまず確定され、それから推意が引

き出されるようにも思えるが、「両者が相互調整しながら、時間的には同時進行で

派生される場合が多いと関連性理論では考える」 (東森・吉村 2003, 54 頁 )。

1.4. 言語にコード化されている情報

聴覚刺激や視覚刺激のような形で聞き手に受けとられた発話は、その解釈過程

においてまず概念表示に変換され、論理形式を付与される。これは言語にコード

化された情報の解読という意味論的プロセスによってなされている。言語にコー

ド化されている情報は、概念的なものと手続き的なものに区別することができる。

1.4.1. 概念的コード化

言語には、概念表示の構成素となる要素をコード化しているものがある。

(24) Peter told Mary that he was tired.

(東森・吉村 2003, 76 頁 )

(24)において、 told や tired は論理形式の構成要素となる概念をコード化してい

ると考えられる。名詞や動詞、形容詞など、内容語の大部分は概念をコード化し

ており、発話解釈の際には意味論的解読プロセスによって概念表示の構成要素と

して表意の形成に貢献する。

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14

1.4.2. 手続き的コード化

概念をコード化しているものに対して、それら概念からなる概念表示をどのよ

うに推論するべきかという指示をする、手続き的な情報をコード化しているもの

がある。

(25) You’re no longer a little kid. So you must make up your own mind.

(今井 2001, 37 頁 )

(25)で用いられている so は、概念をコード化しているのではない。しかし、so

によって ”You’re no longer a little kid”と ” you must make up your own mind”

の間に、前者が後者の根拠となるような関係性が分かる。この両者の関係性は、

聞き手が (25)を解釈する際の推論に制約を課す手続き的情報である。つまり、so

は両者の関係性という手続き的情報をコード化しているのである。手続き的情報

は、制約を課すことで話し手が意図した解釈へと聞き手の推論を導き、解釈にか

かる労力を少なくすることで関連性を大きくしていると考えらえる。

手続き的情報をコード化しているものとして so や after all などの談話連結詞

が挙げられるが、代名詞もそこにどのような価を補うべきかという手続き的情報

をコード化している。また、命令文、疑問文、感嘆文などの言語形式は手続き的

コード化の典型である。

1.5. まとめ

第 1 章では、関連性理論における発話解釈過程についておおまかに見てきた。

関連性理論では、修正推論モデルに基づき、発話解釈を言語的コード解読と推論

の相互作用によるものとして捉えている。発話はまず、それがコード化している

概念的情報や手続き的情報の意味論的解読によって概念表示に変換され、そこか

ら非真理条件的要素を除いた論理形式に推論を加えることで表意が派生される。

表意はさらに文脈との相互作用により、推論の結果として帰結推意の創出に貢献

する。関連性理論では、推意の算定はもちろん、表意の算定にも推論のはたらき

が必要不可欠であり、発話解釈における推論の役割を重視している。

発話解釈は、以上のようなプロセスで、関連性の原則に基づき行われる。関連

性があるとは、ある想定が、ある文脈の中で認知効果をもつことである。人は、

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15

心の中に現実世界の表示としてさまざまな想定をもつ。このような個々の想定の

集合を認知環境と呼ぶ。認知環境は、いわば人がもつ世界に対する認識の総体の

ようなものである。この認知環境を、新たな想定を加えたり、既存の想定を強め

たり、あるいは削除する事によって認知効果が生まれる。

関連性の原則は、その発話が当該の想定を伝達するために可能な限り最も関連

性の高い形式であり、発話解釈の労力に見合うだけの関連性があるということを

示している。この原則を前提に発話解釈が行われるのである。

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16

第 2 章 関連性理論による発話分析

私たちは普段、多種多様な形式を用いて言葉による伝達を行っている。発話の

具体的な形式が伝えたい想定に対して直接的である場合もあれば、間接的な場合

もある。同じ想定を伝える発話であっても、発話の長さ、すなわち、コード化さ

れている情報量が多かったり少なかったりする。多種多様な、それこそ無数の具

体的な形式を用いているにも関わらず、たいていは伝達が成功する。しかし一方

で、伝達は必ず成功するわけではなく、時に失敗することもある。なぜ伝達が成

功しうるのか、また、なぜ失敗しうるのか。本章では、日本語による具体例を関

連性理論の解釈モデルに沿って分析していく。

2.1. 伝達に成功した場合

まず、日常の感覚では容易に解釈されるように思われる例を取り上げよう。

(1) a. 島村 : 君はまた早起きなんだね。

b. 駒子 : 昨晩眠れなかったのよ。

(川端康成『雪国』 ,111 頁 )

駒子の発話は、島村の発話を否定するものとして解釈できる。この発話の解釈は、

次のように考えられる。まず、発話をコード解読した結果、(2)のような論理形式

が引き出される。

(2) 昨晩眠れなかった。

さらに (2)に語用論的推論を加え、 (3)のような表意が派生されると思われる。

(3) 駒子は昨晩全く眠れなかった。

「駒子は」を飽和によって、「全く」を自由拡充によって補った。推論は、 (3)の

表意と文脈を前提に行われる。この例では、睡眠だとか早起きに関する百科事典

的だとか、常識的な知識が呼び出され、文脈として使われるだろう。その推論は

次のようなものだと考えられる。

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17

(4) a. 早起きとは一度眠ったのち、朝早く目覚め布団から起き出すことだ。

b. 駒子は昨晩全く眠れなかった。

c. 駒子は早起きではない。

(4c)の帰結推意は、島村の既存の想定「駒子は今朝も早起きをした」に矛盾する

が、本人から聞いた分、この想定よりも (4c)の確信度の方が高い。よって既存の

想定は削除され、(4c)が認知環境に加わる。こうして (1b)は認知効果を生み出し、

関連性が達成されるのである。

この例のような発話を、私たちは、特別な含みのあるものとして解釈すること

は普段ないだろう。しかし、そのような何気ない発話であっても、字義通りでは

ない推意によって解釈されていることがあり、このことが意識されることはあま

りない。発話解釈において推論は、それだけ当たり前に、かつ瞬間的に行われて

いる。

次の例もそのような発話の一種である。

(5) (島村が宿泊している宿の従業員でも芸者でもない葉子が、その宿で働い

ているのを見て)

a. 島村 : 手伝いの人?

b. 番頭 : はあ、お蔭さまで、人手が足りないもんでございますから。

(川端康成『雪国』 ,124 頁 )

番頭の発話は、島村の質問に対して肯定で答えていると解釈できる。 (5b)の論理

形式と表意は次のようなものだろう。

(6) a. お蔭さまで人手が足りない。(論理形式)

b. 宿はお蔭さまで繁盛しており、忙しくて人手が足りない。(表意)

表意 (6b)は聞き手に (7)のような前提推意を引き出させるだろう。

(7) 人手が足りないとき、手伝いが欲しい。

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この前提推意と表意を用いて、次のような推論が行われる。

(8) a. 葉子はこの宿の従業員でも芸者でもないのに、今この宿で働いている。

b. 宿はお蔭さまで繁盛しており、忙しくて人手が足りない。

c. 人手が足りないとき、手伝いが欲しい。

d. 葉子は手伝いに来ている。

よって (5b)から帰結推意 (8d)が引き出される。しかし、解釈はここで完了しない。

聞き手である島村は、 (5a)の質問をした時点でおそらく次のような推論を行って

いる。

(9) a. 葉子はこの宿の従業員でも芸者でもないのに、今この宿で働いている。

b. 従業員でなくても、手伝いとして臨時に働くことはありうる。

c. 葉子は手伝いに来ている。

つまり、聞き手は (5a)の発話をする時点で (9c)を想定としてすでにもっているの

である。この既存の想定 (9c)は (5b)から引き出された帰結推意 (8d)と一致しており、

したがって (5b)の発話は「葉子は手伝いに来ている」という想定を強め、認知効

果を生み出す。ここで関連性は達成され、この発話の解釈は完了する。

次の例では、発話によって与えられる情報量と解釈の可否について見ていきた

い。

(10) a. 島村 : 君はここの芸者の三味線を聞いただけで、誰だか皆分るかね。

b. 駒子 : そりゃ分りますわ、二十人足らずですもの。都々逸がよく分るわ

ね、一番その人の癖が出るから。

(川端康成『雪国』 ,72 頁 )

(10b)は (11)のような論理形式と (12)のような表意をもつと考えられる。

(11) 二十人足らずであるから、分かる。一番その人の癖が出るから、都々逸が

よく分かる。

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(12) 二十人足らずという聞きわけるのは難しくない人数であるから、駒子はこ

の温泉街の芸者の唄う長唄を聞いただけで、誰が唄っているのか全員聞き

分けることができる。長唄の中で一番その人の唄い方の癖が出る部分だか

ら、都々逸の部分がよく聞き分けられる。

「三味線」はアドホック概念を形成し、「三味線を使って演奏する長唄」として解

釈される。ところで、日本語では要素の省略がよく起こる。省略された要素は、

おそらく表意の派生が完了する時点では補われているものと思われる。しかし、

それはいつ補われるのだろう。論理形式から表意を拡充する推論によってだろう

か。疑問文に対する返答など、単語発話や句発話で、統語的省略がなされている

と見なせる発話の論理形式は「音形をもたない場所に空の統語範疇を伴う、完全

な文の形式をもつものと見なされる」 (東森・吉村 2003,37 頁 )。

この例は先に見た 2 例よりも長い発話であり、発話から与えられる情報も多い。

しかし、この場面において伝達を成功させるためにはこれだけの情報量を発話に

コード化する必要があるということでもないだろう。例えば、(10b)の発話を次の

ように分割する。

(13) a. そりゃ分りますわ。

b. 二十人足らずですもの。

c. 都々逸がよく分るわね。

d. 一番その人の癖が出るから。

そして、 (10a)の返答としてそれぞれが (10b)の代わりに発話されたと仮定する。

(13a)が発話された場合、「駒子はこの温泉街の芸者の唄う長唄を聞いただけで、

誰が唄っているのか全員聞き分けることができる」という想定を伝達し、聞き手

のもつ想定を強めて、認知効果を生みだすと考えられる。 (13b)(13c)(13d)につい

ても、表意を算定し、(14)(15)(16)のような推論の結果、同様の結論を導きだせる

だろう。

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(14) a. この温泉街にいる芸者の人数は 20 人足らずである。

b. 20 人程度ならば、駒子は長唄を聞いて、どの芸者が唄っているのか分

かる。

c. 駒子は長唄を聞いて、どの芸者が唄っているのか分かる。

(15) a. 駒子は長唄が聞き分けられれば、どの芸者が唄っているのか分かる。

b. 駒子は長唄の中でも都々逸の部分がよく聞き分けられる。

c. 駒子は長唄を聞いて、どの芸者が唄っているのか分かる。

(16) a. 駒子は長唄が聞き分けられれば、どの芸者が唄っているのか分かる。

b. 唄い方には一番その人の癖が出るから、長唄は聞き分けられる。

c. 駒子は長唄を聞いて、どの芸者が唄っているのか分かる。

このように発話によって与えられる情報が少なくても、適切な文脈を選び推論を

することが可能なら、十分解釈可能である。むしろ、関連性理論の考えでは、与

えられる情報量が多いほど発話処理にかかる労力は大きくなり、その増えた労力

に見合う分の認知効果が得られなければ、関連性は小さくなる。 (10b)の発話は

(13)の発話に比べて処理労力が大きいが、「駒子は長唄を聞いて、どの芸者が唄っ

ているのか分かる」という想定に対する証拠を複数挙げ、想定の確信度を強めて

いる。その結果、既存の想定を強める度合いが大きくなり、認知効果も大きくな

っていると考えられる。

2.2. 伝達に失敗した場合

日常の言語使用を振り返ってみると、人の伝達は時に失敗する場合がある。例

えば、誤解が生じる場合や、「何が言いたいの」と聞き返されるような場合だ。前

者は、聞き手の解釈が話し手の予想と異なっていた場合として、後者は、聞き手

が発話から何らかの解釈を引き出すことが出来ず、停止してしまった場合として

考えることができ、区別することができるだろう。以下、伝達が失敗した例を、

誤解が生じた場合と、解釈が停止した場合に分けて見ていきたい。

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2.2.1. 誤解と修正

例えば、次のような例を考えてみる。

(17) (勉強はいまひとつだが運動の得意な山田一郎と、勉強も運動も得意な山田

太郎という人物について A は知っており、また B も二人を知っていると A

が思っている場合において )

A: 山田君がマラソン大会で優勝したそうだよ。

B: 彼は勉強も運動も得意だね。

A: そっちの山田君じゃないよ。

この例は、A は山田一郎について話しているのだが、B はそれを山田太郎につい

て話しているものと誤解してしまった、というものである。B は A の発話を、次

のように解釈していると考えられる。

(18) a. 山田君がマラソン大会で優勝したそうだ。(論理形式)

b. 山田太郎君が校内マラソン大会で優勝したそうだ。(表意)

B は、(18a)に推論を加えて (18b)を作り出す。その過程で「山田君」は、「山田太

郎君」という価を飽和のはたらきによって補われる。これは言語形式がコード化

している「山田という姓の男性」という情報や「この山田君は話し手が知ってい

る人物である」といった見込みを手掛かりに、「山田太郎は勉強も運動も得意であ

る」という想定が文脈として選ばれ、「マラソン大会で優勝できるのは運動が得意

な人だ」といった想定とともに推論が行われ補われたものだろう。しかし、この

飽和の結果が話し手の伝達したかった想定と異なっていたために、誤解が生じて

しまったのである。

一方 A は、B の発話を受けて、B が自分の発話を自分の意図したように解釈し

ていないことに気づく。もし A が意図したように伝達が成功していれば、B の発

話における「彼」は山田一郎のはずである。しかし、その場合得られる想定は「山

田一郎は勉強も運動も得意である」となり、彼がもつ想定と矛盾する。そこで A

は B が「山田君」の解釈に失敗したのだと仮定し、それを示唆、修正する発話を

するのである。

この例で起きた誤解は、表意を形成する際の飽和に失敗したのが原因だが、そ

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の失敗は解釈のために選ばれた文脈が間違っていたことに由来する。これは聞き

手の解釈能力にも左右されることだが、話し手は発話によって様々な証拠を与え、

ある特定の想定を文脈として引き出すよう聞き手に仕向けることができる。その

意味では、誤解が生じるか否かということに対する責任は、話し手、聞き手の双

方にある。

(19) (つまらない映画を見た後の会話 )

浩介 : 面白いよな。

真緒 : つまんなかったよ。

浩介 : いや、さっきの映画じゃなくて。ひとの縁というのはわからないも

んだ、というようなことが言いたかった。

(越谷オサム『陽だまりの彼女』 ,47 頁 (筆者により一部改変 ))

この例は、浩介が真緒と十数年ぶりに再会し、休日を一緒に過ごすまでになっ

たことに感慨し、「面白いよな」と言ったところ、真緒に映画の感想を述べたと誤

解され、それに対して訂正をしているというものである。この例も (17)と同様、

誤解の原因は、解釈のための文脈選択を誤ったことである。二人で映画を観終わ

った後の会話であり、「その映画はつまらなかった」のような映画に関する想定を

引き出しやすくなっていると思われる。それゆえ、真緒はそういった文脈に基づ

いて浩介の発話を解釈し、映画についての感想だと誤解した。また浩介は「さっ

きの映画じゃなくて」と、自分の発話が映画に関係する文脈で処理されるのは適

切ではないことを述べ、誤解を示唆、訂正している。

2.2.2. 解釈停止と修正

誤解の場合は、聞き手の解釈が話し手の意図したものとは異なるとはいえ、発

話の解釈自体は完了されていた。一方で、これから挙げる例は「何が言いたいの」

と聞き返されるような場合であり、このとき、聞き手は発話を解釈しようと試み

たが、関連性のある解釈が得られなかったと思われる。このような例を、便宜上、

解釈停止の場合とし、発話解釈を進めていく上で何が起こっているのか見ていき

たい。

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(20) 真緒 : 親ってすごいね、ちゃんと感じ取るんだね。

浩介 : 何を?

真緒 : 私の命が短いこと。

(越谷オサム『陽だまりの彼女』 ,289 頁 )

真緒の発話に対する浩介の発話から、聞き手である浩介は真緒の発話をうまく解

釈出来ていないと考えられる。真緒の発話の論理形式は (21)のようなものである。

(21) 親はすごい。ちゃんと感じ取る。

ここから推論によって要素を補い、表意を派生するのだが、ここで問題が起きる。

(22) 親はすごい。なぜなら親はちゃんと X を感じ取るからだ。

通常ならば、下線部 X が飽和されて表意が形成されるはずである。しかしこの例

では、浩介の発話からも窺えるように、X の値が決定できずにいる。これは、X

を決定するための推論が、何らかの原因で失敗したものと考えられる。例えば、

推論に用いる前提条件が欠けているような場合だ。もし推論に必要な前提条件を

引き出すことができ、推論がなされていたなら、その結果はどうあれ、何らかの

帰結を導き出すことができるはずである。先に見た誤解の例でも、結果的に話し

手の意図したものとは違ったが、前提条件として文脈を引き出し、推論によって

表意を作り出している。しかし、この例では、表意の創出が完了していない。し

たがって、X の値を決定する推論に必要な前提条件が欠けており、表意の算定が

途中で止まってしまっている可能性が考えられる。

あるいは、何らかの前提条件を引き出し推論を行ったが、十分関連性を達成で

きるような X の値が導き出せないという場合が考えられる。この場合、X の価自

体は何らかの形で補えたが、それが関連性を達成できなかった。その結果、聞き

手はやむを得ず「何を?」という発話で関連性を得られる X の価を話し手に尋ね

たのである。その発話に対して話し手が自分の意図していた価を答えることで、

聞き手は関連性のある解釈を得られ、解釈失敗の状態が修正される。

いずれにせよ、適切な文脈が選べなかったために X の価を求める推論に問題が

生じた結果、このような解釈停止が起きたと考えられる。聞き手にとって関連性

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のある解釈を得られたかという点では異なるが、解釈停止の原因は誤解が生じた

場合と同様であると言える。

(23) 佐知子 : あなたって、本当にすばらしいかたね。見なおしたわ。あたしが

さびしさにたえきれなくなった時、こんな提案をして下さるなん

て。にくらしいほどのアイデアね。

隆二 : いったい、どういう意味なんだい、それは。

佐知子 : もう一回この部屋へとまろうという手紙をいただいた時は、あた

し、うれしくて涙が出たわ。

(星新一『ノックの音が』 ,71 頁 )

(23)は、佐知子と隆二の夫婦が喧嘩をして別居していたが、お互いの元へある旅

館のある部屋に来るようにという手紙が届き、その手紙に従ったところ、2 カ月

ぶりに夫婦が再会できたという場面である。実はこの手紙はすべて佐知子の自作

自演であり、隆二は佐知子に手紙を出したことなど身に覚えがないのである。こ

の例で問題になるのは、佐知子の発話の「こんな提案」や「アイデア」である。

(23)の表意は次のようになるだろう。

(24) 隆二は、本当にすばらしいかただ。佐知子は隆二を見なおした。佐知子

がさびしさにたえきれなくなった時、隆二がこんな提案をして下さるな

んて思いもよらなかった。隆二のアイデアはにくらしいほどの素晴らし

いアイデアだ。

「こんな提案」や「アイデア」は自由拡充される必要がある。しかし、それらが

隆二によるものであるというところまでは意味を限定できるが、聞き手である隆

二は、自分がそのような提案をした覚えがないため、いわば空の要素を補う形に

なる。ゆえに「こんな提案」や「アイデア」が隆二によるものであるという解釈

は関連性をもたない。このとき、他の関連性のある解釈に辿りつけなければ、(23)

のように「いったい、どういう意味なんだい、それは」という発話がなされ、話

し手はそれに対する返答で、聞き手に新たな解釈のための手掛かりを与えるので

ある。

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2.3. まとめ

本章では、日本語による伝達の成功、あるいは失敗例を取り上げてきた。私た

ちは普段様々な発話を行い、それを解釈しているが、発話はその言語形式がコー

ド化している情報だけでなく、その都度選ばれた文脈と相互作用し、推論によっ

て解釈されている。このプロセスはほとんど意識されることがないほど当たり前

に、そして瞬間的に行われる。また発話は、純粋にそれ自体だけでは解釈不可能

である。もちろん、発話が聞き手に与える情報も解釈には必要だが、それと同様

に関連性の原則によって導かれた文脈や推論が大きな役割を果たしているのであ

る。全く同じ言語形式も、解釈の際に選ばれる文脈が違えばその結果算定される

想定も異なるものになる。だからこそ、具体的な形式が無数にある発話を私たち

は解釈できるのだろう。

ところで、関連性の原則は、発話が解釈する労力に見合うだけの関連性をもっ

ていることをそれ自身が伝達するのだとしている。関連性理論においては、発話

が長い、つまり与えられる情報量が多いほど、解釈にかかる労力が大きくなるの

で、それに見合うだけの認知効果を生み出せなければ、その発話は関連性を達成

できない。しかし私たちは (10)のように、質問の返答に様々な補足的情報を付け

加える場合がある。このとき、その返答は付け加えた情報に見合う以上の認知効

果を生み出さなくてはならない。 (10)では、付け加えた情報が前提となって推論

がなされ、既存の想定を強めているものとして分析した。発話で与える情報が多

かろうと少なかろうと、それに見合うだけの認知効果が与えられれば、話し手か

ら聞き手への伝達は成立するのである。

一方で、伝達が失敗する場合もある。本章では、誤解が生じる場合と、聞き手

が解釈を停止してしまう場合に区別して分析を行った。誤解が生じる場合は、聞

き手が発話を解釈する際に、文脈の選択を誤ったために、表意を創出する推論の

結果が話し手の意図したものと異なる場合として考えられる。この場合、聞き手

が辿りついた解釈は、聞き手が関連性のあるものとして判断した解釈である。ま

た、解釈停止の場合は、発話解釈において、表意を創出する推論が適切な文脈を

引き出せないなどの理由で、関連性のある価を補えなかった場合である。この場

合、仮に何らかの文脈を選んで推論を進めたとしても、処理労力に見合うだけの

関連性が得られなければ、その解釈は破棄され、発話解釈は停止すると思われる。

両者には、聞き手自身が妥当だと思える解釈を引き出せるか否かという違いがあ

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るが、適切な文脈が選べなかったために、表意の算定における推論に問題が生じ

たことがこれらの伝達失敗を引き起こすようだ。

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第 3 章 言語の解釈的用法と推論

第 3 章では、慣用句や諺といった非字義的発話表現に注目していく。このよう

な表現は、関連性理論では言語の解釈的用法として分類される。以下、言語の解

釈的用法とはどのようなものなのか見た上で、具体的な例の分析を進めていく。

3.1. 言語の解釈的用法

関 連 性 理 論 で は 、 言 語 に は 記 述 的 用 法 (descriptive use) と 解 釈 的 用 法

(interpretive use)という 2 種類の用法があるとされる。例えば、ある発話が「そ

の命題形式がその状況に当てはまるという理由で、ある状況を表すことができる

場合」 (Sperber and Wilson 19952, 邦訳 279 頁 )がある。このとき、発話は現実

の状況の表示として用いられている。このような用法が、記述的用法である。記

述的用法は、その発話が現実の状況を正しく記述しているか、あるいは間違って

記述しているかというところに力点がある。言い換えれば、言語の記述的用法は

真偽に関する用法である。

一方で、発話は現実の状況を表示するばかりでなく、「2 つの命題形式が類似し

ているという理由で、やはり命題形式をもつ他の表示、例えば思考を表すことが

できる場合」 (Sperber and Wilson 19952, 邦訳 279 頁 )がある。このような、あ

る表示をさらに解釈して表示する言語の用法が、解釈的用法である。この用法は、

元の表示に対してどの程度忠実であるのかという点が重要であり、類似性に基づ

く用法である。 (1b)は解釈的用法の例である。

(1) a. I earn £797.32 pence a month.

b. I earn £800 pence a month.

(Sperber and Wilson 19952, 邦訳 284 頁 )

(1)の話し手は、月に 797 ポンド 32 ペンスの収入があり、収入がどれくらいある

のか聞かれたとしよう。この場合、事実を正確に記述しているのは (1a)である。

しかし、 (1b)が質問の答えとして不適切ということにはならない。聞き手が収入

の厳密に正確な額を知りたいのでなければ、(1)の発話はどちらも同じような想定

を伝達し、認知効果を生み出すだろう。その意味で (1b)の解釈的用法による発話

は、現実に、もっと言えば話し手の現実に対する認識に十分忠実なものである。

(1)のようなルース・トークだけでなく、メタファーのような文彩も解釈的用

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法の一種である。関連性理論では、「この緩い使用と詩的メタファーという最も特

徴的な例を含む種々の「修辞的な」例との間には切れ目はない」 (Sperber and

Wilson 19952, 邦訳 286 頁 )と考えられている。

以上のように、言語は解釈的用法と記述的用法とに区別することができる。解

釈的用法とは発話や思考などの表示をさらに解釈し、表示する用法である。一方、

記述的用法は、現実の状況を厳密に記述する用法である。しかし、あらゆる発話

は基本的レベルでは話し手の思考を表示するのに用いられる。それゆえ、そのレ

ベルにおいて発話はすべて解釈的なものであり、その次のレベルで解釈的、また

は記述的に使用されるのである。このことは、別の見方をすれば、あらゆる発話

は話し手の思考のコピーではなく、類似しているものであるということでもある。

言葉はルースに使われているということも、これを示している。したがって、関

連性理論ではルース・トークが意味理解の出発点であると考える。

3.2. 非字義的発話表現の分析

ここからは、メタファーや日本語慣用句などの非字義的発話表現に焦点を当て

ていきたい。上述の通り、メタファーは言語の解釈的な用法として、ルース・ト

ークと地続きのものである。また、日本語慣用句は慣習度の高い表現ではあるが、

その具体的な形式はメタファーを含む比喩的なものが多い。したがって、関連性

理論によるメタファーの分析が日本語慣用句を考える上でも手掛かりになると思

われる。以下、関連性理論においてメタファーがどのように扱われているのか触

れ、それを手掛かりに日本語慣用句の分析を行う。

3.2.1. 関連性理論とメタファー

関連性理論において、メタファーは次のように分析される。

(2) (ⅰ ) 関連性理論の標準的な分析では、弱い推意の束、すなわち、複数の思

考を経済的に伝達する方法がメタファーであり、創造的なメタファー

になればなるほど、弱い推意がたくさんできる。推意が、数が少なく

て強いほど、そのメタファーは慣習的である。

(ⅱ ) メタファー発話と思考との間には、100%とはいかないが何らかの類

似性が含まれている。

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(ⅲ ) メタファーや誇張表現やその他の多くの修辞的用法は、単にルース・

トークの特別な場合にすぎないと考える。

(東森・吉村 2003, 145-146 頁 )

まず、比較的慣習的なメタファーの例を挙げる。

(3) This room is a pigsty.

(Sperber and Wilson 19952, 邦訳 287 頁 )

これはかなり慣習的なメタファーであり、少数の強い推意が伝達される。伝達さ

れる推意が1つだけということもありうる。この例であれば、呼び出し可能性の

高い次のような想定を呼び出して、表意との相互作用の結果、推意を引き出す。

(4) 想定 : A pigsty is very filthy and untidy.

推意 : This room is very filthy and untidy.

豚小屋は汚くて乱雑しているということは定着しており、したがってアクセス可

能性が高い。そのような想定からは (4)の強い推意が容易に引き出される。

一方で、創造的メタファーは多くの弱い推意を伝達する。

(5) 発話 : Son encre est pale ‘His ink is pale.’

想定 : (a) Leconte de Lisle’s writing is ‘pale.’

(b) Pale means weak.

(c) Pale means lacking contrast.

(d) Pale means fade.

(e) Pale means sickly.

(f) Pale means not last.

(g) Pale means not to put one’s whole heart into one’s work.

推意 : Leconte de Lisle’s writing is weak.

Leconte de Lisle’s writing lacks contrast.

Leconte de Lisle’s writing may fade.

Leconte de Lisle’s writing is sickly.

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Leconte de Lisle’s writing will not last.

Leconte de Lisle’s writing does not to put his whole heart into his

work.

(東森・吉村 2003, 148 頁 )

上は詩人ルコント・ド・リールについての小説家フロベールのコメントである。

この発話の関連性を確立するには、広範囲にわたる非常に弱い推意を探す必要が

ある。そのためには、文脈を何段階かに拡張しなくてはならない。それが (a)~(g)

の想定である。この想定をもとに多くの弱い推意を引き出すのである。メタファ

ーの創造性が豊かであるほど聞き手はより多くの弱い推意を生み出すことができ

るが、発話から解釈のための強い証拠を得られないため、どのような弱い推意が

どれだけ引き出されるのかは解釈する側の知識や能力に左右される。しかし、そ

の発話がどのように解釈される可能性があるのかを予見しているという点では、

話し手がその発話の解釈に責任を負う。

3.2.2. 慣用句・諺の分析

前述のように、慣用句には比喩的なものが多く、したがって言語の解釈的用法

の一種として捉えることができるだろう。慣用句や諺は、慣習度の高い比喩表現

であり、少数の強い推意を伝達するものと考えられる。また慣用句には、「ような」

などの要素を含む直喩的な(したがって隠喩 (メタファー )とは区別されるような)

表現がある。佐藤 (1978)によれば、隠喩が「類似性《にもとづき》、類似性《に依

存し》ている」のに対して、直喩は「類似性《を提案し》、類似性《を設定する》

もの」 (93 頁 )である。しかし、両者とも、ある要素と要素の間の類似性に着目し

た表現である。本論文の分析ではこの点が重要であり、両者の相違点は重要では

ないと考える。よって以下の分析では、両者を特に区別せず、慣用句や諺がどの

ような推論過程で解釈されるのかという点を中心に見ていきたい。なお。以下に

挙げる具体例には必要に応じて筆者が下線を加えた。

早速、次のような例を考えてみる。

(6) (そろばんの得意な鈴木君が、会計係で活躍している状況で )

鈴木君は水を得た魚のようだ。

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「水を得た魚のよう」という慣用句は、直喩の形式をとっている。この慣用句は、

(7)のような文脈を引き出すよう聞き手に強く仕向け、 (8)のような強い帰結推意

を引き出すだろう。

(7) 水を得た魚は、相応しい環境で生き生きと活動している。

(8) 鈴木君は、相応しい環境で生き生きと活動している。

日常的な感覚から言えば、「水を得た魚のよう」は辞書的に「その人に合った環境

で生き生きと活躍する」という意味であり、慣用句を含んだ発話は表意として慣

用句の辞書的意味を伝達するのだと考えたくなるかもしれない。しかし、その意

味は、表意を派生する論理形式からの推論による拡充では補うことができない。

よって、発話の推意としてとらえられる。

次の例も「水を得た魚」を用いた表現である。

(9) 高校1年の時にオートバイで転倒して左肩の神経を断裂し、左腕が使え

なくなった。30歳を過ぎた頃から健康増進とリハビリを兼ねて水泳を始

めると、水を得た魚になった。みるみる力をつけ、全国障害者スポーツ大

会には07年の秋田大会、09年の新潟大会、11年の山口大会と1年置

きに出場し、片腕が使えない「S8」クラスのバタフライでいずれも優勝

してきた。ぎふ清流大会は持てる力を出せば確実に県代表になれる実績を

持つ。

(『毎日 jp』

<http://mainichi.jp/area/gifu/news/20120105ddlk21050028000c.html> )

上の例は、羽賀さんという、パラリンピックを目指す水泳選手について書かれた

ものである。 (6)の例と同様に、「水を得た魚」が用いられているが、水泳選手に

ついての発話で用いられることによって、発話がより効果的なものであるように

感じられる。このような例はどのように解釈されるのだろう。ひとまず、(6)と同

様の解釈が可能だと思われる。

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(10) 表意 : 羽賀さんは水泳を始めると、水を得た魚になった。

前提推意 : 水を得た魚は、相応しい環境で生き生きと活動している。

帰結推意 : 羽賀さんは水泳を始めると、相応しい環境で生き生きと活動す

るようになった。

(10)は (9)の「水を得た魚」を含む下線部を分析したものである。下線部は (6)

と同様、 (10)のような推論によって強い推意を伝達するだろう。しかし、伝達さ

れる想定はそれだけだろうか。(9)の例からは、水中で生き生きと魚のように泳ぐ

姿が鮮明に浮かび上がってくる。

このことはおそらく、次のように説明できる。聞き手は (9)から、 (10)のような

想定だけでなく、 (11)のような想定も引き出す。

(11) 水を得た魚は、生き生きと泳ぐ。

この想定は、「水泳選手である羽賀さん」と「水を得た魚」のもつ類似性によっ

て、「水を得た魚」がもつ慣用句としての辞書的な意味に対する、言わば周辺的な

想定 4 が活性化され、呼び出されたものだと思われる。 (11)と表意から、次の推

意が引き出されるだろう。

(12) 羽賀さんは、生き生きと泳ぐ。

(12)を引き出す推論は、発話に含まれる類似性によって強く導かれたものと思

われる。したがって、 (12)は比較的強い推意であると考えられる。 (9)の発話は、

(10)のような慣習性に導かれる推意と同時に (12)の推意を伝達する。このことは、

(6)のような慣用句をより一般的に使用している表現よりも大きな認知効果をも

たらし、発話がもつ関連性を高める。それゆえに (9)のような発話が効果的なもの

として感じられるのではないだろうか。

このような例をもう少し見ていきたい。

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(13) ところでこのカニ、大海原を回遊するアカウミガメの体を、ちゃっかりす

みかにすることもあるのです。アカウミガメは、ゆったりと海を泳ぎ、ア

カウミガメを襲う動物も少ないので、カニにとっては、まさに大船に乗っ

た気分でしょうか。でもアカウミガメが砂浜に上陸して産卵する時は要注

意。砂の上に振り落とされたり、卵と一緒に砂の中に埋められてしまうこ

ともあるのです。大船に乗ったと思っても、なかなか安心してばかりもい

られないようです。

(国土交通省中部地方整備局名古屋港湾事務所『みなと情報誌【めいこ~る】』

<http://www.pa.cbr.mlit.go.jp/NAGOYA/meicall/vol1/naisho.html> )

表意 : アカウミガメの体をすみかにすると、カニにとっては、まさに大船

に乗った気分だろうか。

前提推意 : a. 大船に乗った気分とは、信頼できるものに任せて、安心する

気分だ。

b. カニにとってアカウミガメは大船だ。

c. 大船とは海を進む大きな乗り物だ。

帰結推意 : a. アカウミガメの体をすみかにすると、カニにとっては、信頼

できるものに任せて、安心する気分だろうか。

b. カニにとってはアカウミガメは海を進む大きな乗り物だ。

発話から、カニにとってのアカウミガメと大船との間に類似性があることがわか

る。「まさに」という要素はそれらに強い類似性があることを示唆している。この

類似性から前提推意 b や c を引き出し、それを元に帰結推意 b を導き出す。解釈

者はこの例を解釈することで、一般的な慣用句の意味に基づく理解のほかに、カ

ニがアカウミガメの背中に乗って波に揺られている情景を思い浮かべるだろう。

このような辞書的意味にとどまらないプラスアルファの想定が、発話の内容を豊

かにしているのではないだろうか。

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(14) ■地震が原因で火災に。火災保険はでるの?

いいえ。火災保険ではなく、地震保険での支払いになります。

ただし、建物が半焼以上・家財が全焼した場合は、地震火災費用として保

険金額(補償額)の5%が支払われます。(地震火災費用保険金をつけてい

る場合)まさに焼け石に水ですが。

(『保健研究所の火災保険相談』<http://www.11kasai.com/06konna.html> )

表意 : 地震火災費用保険金をつけている場合、火事に遭った建物に対する

保険金額はまさに焼け石に水である。

前提推意 : a. 焼け石に水をかけても、少ないために効果が上がらない。

b. 焼け石に水をかけることは、焼けたもの対する効果の薄い方

策だ。

帰結推意 : a. 地震火災費用保険金をつけている場合、火事に遭った建物に

対する保険金額は少ないために効果が上がらない。

b. 地震火災費用保険金をつけている場合、火事に遭った建物に

対する保険金額は焼けたもの対する効果の薄い方策だ。

先ほどの例と同様、「まさに」が「火事に遭った建物に対する保険金額」と「焼

け石に水」との間の類似性を示唆している。同じ慣用句を一般的な形で使用した

場合と比べて、「援助などが少なくて効果が上がらない」という意味だけでなく、

「炎に焼かれた」という、要素と要素の間で類似している内容を顕在化すると思

われる。繰り返しになるが、こうした発話は、慣用句や諺を使用した発話から通

常得られる強い推意に加えて、類似性から引き出される想定が伝達されることで、

同じ慣用句や諺を一般的な形で使用した場合と比べ、大きな関連性を生み出すと

思われる。

以上、慣用句や諺を含む発話を見てきたが、最後に疑問が残る。慣用句や諺の

ような非字義的表現を使わなくても、それらを用いた場合と同じ、少なくともそ

の主だった意味は伝達できるにも関わらず、人はなぜ、非字義的表現を用いるの

だろうか。

端的に言えば、非字義的表現は思考の経済的な伝達方式であるからだ。経済的

であるとは、少ない発話で、多くの思考を伝達できるということである。創造的

メタファーは多くの弱い推意を伝達するものであると述べたが、その弱い推意の

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1 つ 1 つを発話として表示することも可能なはずである。しかし、発話が多くな

ればなるほど、解釈にかかる労力は大きくなる。強い推意を伝達するメタファー

であっても、同じようなことが言える。 (3)の例は、「この部屋はとても汚くて乱

雑である」という強い推意を伝達する。ではなぜ、「この部屋はとても汚くて乱雑

である」という直接的な発話ではなく、(3)を選ぶのか。それは、直接的な発話で

伝達できる以上の意味を (3)が伝達可能だからである。 (3)の発話は、直接的な発

話では言い表せない汚さだとか、乱雑さを伝達している。それらは、強い推意と

同様に「豚小屋」から引き出されたイメージである。慣用句や諺も同様に、辞書

的意味だけでなく、魚が泳ぐイメージだとか、大きな船が海に浮かんでいるイメ

ージを伝達していると考えられる。辞書的な意味とは別に伝達されるそれらの周

辺的なイメージは、ある発話において用いられている慣用句や諺と、その発話に

含まれている要素との類似性が高い場合に推論によって引き出され、強い推意と

して解釈者に顕在化されるのである。

3.3. まとめ

本章では、メタファーなどを含む言語の解釈的用法と推論過程について取り上

げた。関連性理論では、言語には記述的用法と解釈的用法があるとされる。記述

的用法は、発話を現実の状況の表示として用いるものであり、現実の状況を正し

く記述しているか否かという真偽に力点がある。一方、解釈的用法は、思考など

何らかの表示をさらに解釈して表示する用法である。解釈的用法は真偽ではなく、

元の表示にどれだけ忠実であるかという点に力点があり、類似性に基づく用法で

ある。ルース・トークやメタファーなど、文彩の多くは解釈的用法の一種で、こ

れら 1 つ 1 つの言語現象は個別のものでなく、地続きのものである。言語は解釈

的用法と記述的用法に区別できるが、根本的なレベルにおいて、あらゆる発話は

話し手自身の思考を解釈して表示したものであり、したがってそのレベルではあ

らゆる発話は解釈的なものである。別の見方をすれば、あらゆる発話は話し手の

思考のコピーではなく、類似しているものであり、ルースに使われている。関連

性理論においては、ルース・トークが意味理解の出発点である。

また、メタファーは思考との間に何らかの類似性を含む表現であり、弱い推意

の束を経済的に伝達する方法である。弱い推意が多く伝達されるほど、より創造

的なメタファーであると言えるが、関連性に見合うだけの推意が引き出されるか

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どうかは聞き手の推論能力に大きく左右される。反対に、慣習的なメタファーは

少ない強い推意を伝達するので、その解釈はどちらかといえば話し手の側により

大きな責任がある。

慣用句や諺の多くは、解釈的用法の一種として捉えることができる。これらの

表現は慣習度の高いメタファーとして、少数の強い推意を一般的に伝達するもの

と分析できるだろう。しかし、ある発話に含まれる要素とその発話で用いられて

いる慣用句や諺との類似性が高い場合、通常の使用においては辞書的意味に対す

る周辺的イメージのような形で伝達されているものが、推論によって引き出され、

さらなる強い推意として伝達されると考えられる。

本章で見てきた非字義的発話表現は、少ない発話で多くの思考を伝達すること

ができ、その意味で思考の経済的な伝達方式である。このことは、何らかの思考

を伝達するために、字義的な表現だけでなく非字義的な表現を用いる理由でもあ

る。たくさんの弱い推意を伝達する創造的メタファーはもちろんのこと、慣習的

メタファーや慣用句、諺は、強い推意として伝達される辞書的意味だけでなく、

周辺的なイメージも伝達するという点で経済的な伝達方式であると言える。これ

らの非字義的発話表現によって伝達される周辺的イメージは、前提推意を引き出

す過程で、当該の非字義的発話表現に用いられている要素の百科事典的知識にア

クセスすることで引き出されるのだろう。発話に含まれる要素と慣用句や諺との

類似性が高い場合には、それらを前提推意として推論を行い、その結果強い推意

をさらに引き出すのだと考えられる。

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結論

関連性理論では、発話解釈を関連性の原則に基づいた、コード解釈と演繹的推

論の相互作用によるものだとしている。発話のコード解読によって引き出した論

理形式に推論を加えることで表意を派生し、その表意や既存の想定を前提とした

推論によって推意を引き出す。つまり、発話解釈には推論のはたらきが必要不可

欠なのである。本稿ではこの理論を手掛かりに、発話解釈過程における推論のは

たらきに注目することで、冒頭で挙げた問題を考察してきた。

第 1 の問題は、なぜ解釈が成功、あるいは失敗するのかというものだった。発

話の解釈のためには、表意と推意が算定される。両者はどちらも推論のはたらき

によって派生される。推論は前提とする想定が変われば帰結も変わる。これは全

く同じ形式の発話でも、文脈次第で様々な想定を伝達しうるということでもある。

つまり、どんな形式の発話も、関連性の原則に基づいて正しい文脈が選ばれ、推

論が行われさえすれば、関連性を満たす解釈が可能ということであり、解釈が成

功しうるということである。

一方で、発話の解釈が失敗する場合も存在する。第 2 章では、誤解の場合と解

釈が停止した場合を区別して考察した。両者の違いは、推論による表意算定の結

果、聞き手自身が妥当だと思える表意に行きあたったかどうかということである。

誤解の場合は、妥当だと思える表意に行きあたったが、表意を派生する際に推論

で補った値が話し手の想定と異なっていたというものである。一方、解釈停止は、

表意を派生する際、補う値が見つからないか、あるいは値を補っても妥当だと思

える表意が算定できなかった場合である。このように解釈プロセスに注目した区

別が可能だが、両者で起きている問題も、その要因もあまり差異はない。すなわ

ち、これら解釈失敗の要因は、適切な文脈が選べなかったために表意を算定する

推論に問題が生じたことである。

第 2 の問題は、非字義的表現を含む発話に関するものである。慣用句や諺は、

それらが使われている発話の中の要素と類似性をもっている場合がある。このと

き、その発話表現は慣用句の辞書的意味だけでなく、言ってみればその周辺にあ

るようなイメージの一部を聞き手に強く想起させる。このような表現は、言語の

解釈的用法の一種である慣習的メタファーと同様、辞書的意味を強い推意として

伝達する。それに加えて、当該の非字義的表現が持つ周辺的イメージの一部も強

い推意として伝達すると考えられる。この周辺的イメージは、前提推意を引き出

す過程で、当該の非字義的発話表現に用いられている要素の百科事典的知識にア

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クセスすることで引き出される。発話に含まれる要素と慣用句や諺との類似性が

高い場合に、それらを前提推意として推論が行われ、辞書的意味とは別の強い推

意がさらに引き出される。これはおそらく発話の関連性に貢献するものである。

また、3 章で取り上げた非字義的発話表現が字義的な表現よりも効果的なものと

して感じられるのは、少ない発話で多くの思考を伝達する経済的な伝達表現であ

るためだ。言い換えれば、非字義的発話表現は解釈に成功した場合、より大きな

関連性を得やすい表現なのである。創造的メタファーは一つの発話で弱い推意の

束を伝達するが、慣習的なメタファーや慣用句、諺も、引き合いに出された要素

の百科事典的イメージを強い推意と同時に伝達していると思われる。

非字義的発話を含む表現の中でも、以下の例は分析が困難だった。

「然し物も極度に達しますと偉観には相違御座いませんが何となく怖しくて近

づき難いものであります。あの鼻梁などは素晴しいには違い御座いませんが、

少々峻嶮過ぎるかと思われます。古人のうちにてもソクラチス、ゴールドスミ

ス若くはサッカレーの鼻などは構造の上から云うと随分申し分は御座いましょ

うがその申し分のあるところに愛嬌が御座います。鼻高きが故に貴からず、奇

なるが為に貴しとはこの故でも御座いましょうか。下世話にも鼻より団子と申

しますれば美的価値から申しますと先ず迷亭位のところが適当かと存じます」

寒月と主人は「フフフフ」と笑い出す。

(夏目漱石『吾輩は猫である』133-144 頁 )

この例における「鼻より団子」は、「花より団子」をもじったものである。「鼻」

と「花」の発音の類似性や、鼻についての議論をしているという文脈がこのよ

うな変化を可能にしたのだと思われる。この例では、「花より団子」と「鼻よ

り団子」に他の例と同様の推意を引き出すような類似性が感じられる。しかし、

他の例のようにメタファーとして捉えるのは難しい。おそらく、3 章で取り上

げた例は性質的な類似性をもつものだったのに対し、この例は言語形式に類似

性があるという点が重要である。実際この例からは、花の美しさよりも「花よ

り団子」の辞書的意味が強く伝わってくるように思う。このような例を推論の

はたらきに注目して分析することは今後の課題としたい。

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1) Sperber and Wilson(19952)によれば、概念表示はひとつの心的状態であり、

ひとつの脳の状態である。「心的状態としてのそれは、うれしいとか悲しいという

ような非論理的な特性をもち得る。また脳の状態としてのそれは、ある期間の間

のある時間に、ある脳の中にあるというような非論理的特性をもつ」(Sperber and

Wilson 19952 , 邦訳 85 頁 )。このような非論理的特性を概念表示から取り除いた

ものが論理形式であるとされている。

2) 意図明示的伝達行為とは、「ある情報を相手の頭の中に表示させたい(思わ

せたい)」という情報意図と、「話し手が情報意図をもっているということを相手

に伝えたい」という伝達意図の両方をもつ伝達行為である。発話は意図明示的伝

達行為の代表的なものである。

3) Sperber and Wilson(19952)では、文脈効果 (contextual effect)と認知効果

(cognitive effect)の 2 つの術語が用いられているが、「個人における文脈効果とは

認知効果」である (Sperber and Wilson 19952 , 邦訳 324 頁 )。これは個人の考え

の変化であり、人間のように内省力のある認知システムにとっての文脈効果であ

る。本稿では両者の区別について扱わないが、術語を統一するために引用を除い

て認知効果の語を用いることとする。

4) 私たちが普段、その表現がもつ辞書的な意味を主に伝達する目的で慣用句や

諺を用いる。その意味で、慣用句や諺の辞書的意味(強い推意)を中心的に伝達

されるものと捉え、「魚が生き生きと泳ぐ」イメージのように中心的ではないが慣

用句や諺によって伝達される想定に対して「周辺的」いう表現を用いた。

参考文献

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出典

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星新一 (1985)『ノックの音が』東京:新潮社

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